いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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すこし背中はまるい。

▲ここしばらく徒歩15分の圏内から離れたことがなかったんだけど、この間おもいきって電車に乗って出かけてみた。考えてみたら「圏外」に出るのは(苦笑)去年の11月末以来。
今回の目的地は途中一回乗り換えがあるものの、構内のエスカレーターもすぐ近くにあるし、そこには前にも行ったことがあるし。何より「改札出てすぐ」という場所やから、さすがのわたしも迷いようがないし、ね。

▲さて、乗り換えの時間をいれても30分ほどの電車の時間ながら、久しぶりの「おでかけ」レッスンワンに、そわそわ。少しのあいだ見慣れた景色を、初めて出会うたみたいに車窓からじいっと眺めて。が、そのうち勘をとりもどして(!)持ってきた本を開く。ああ、これ、これ。この感じ~とひとりにやにやする。
電車の中で本を読むのも、本を読んでるひとを見るのもすきだ。

▲その日は何回目かの須賀敦子の『遠い朝の本たち』を読む。帰りは荷物重くなりそうだから、文庫本にしたんだけど。
右脇で杖を挟みながら、両手で本を持つと、ページを繰るのがけっこうムズカシイ。杖もつ手を左右交替してみたり、本や杖を落としたり(!)ドタバタしてるうちに乗り換え駅に着いてしまった。ふうう。

▲その日むかったのは大阪・水無瀬(みなせ)というところにある長谷川書店さん。
じつは昨年末に旧友うらたじゅんが以前『くぬぎ丘雑記』(川崎彰彦著 宇多出版企画2002年刊)に描いた挿絵の原画展開催にともなって、この本の出版者でもある宇多滋樹さんとうらたじゅんが 「川崎彰彦さんの思い出を語る」というたのしみな企画もあって。

▲「駅改札出てすぐ」という、わたしみたいな方向音痴には願ったり かなったりの会場(が、しかも、ええ本いっぱいのお店であることも)うれしく、早々と予約を入れた。
ところがその後すぐあとに、足の不調。いや、けど、その日までにはだいぶ時間もあるし、きっと治るやろうから、と思ってたのであるが。今日もあかんかったなあ、明日はどうやろ・・と思いつつ、とうとうキャンセルすることになった。

▲当日参加したひとたちが、たのしそうな様子をアップしてるのをネットでみて、友人も、それに会ってみたかった人も集まってはったことを知り、盛況ぶりがうれしかったものの、行けなかったことがよけいに悔しかった。
ふだんから「チョ~」がつくほどの出不精だけど。
「行かない」と「行けない」はやっぱりちがうよなあ~と、膝さすりながらちょっとすねたり凹んだり。
ただ、うれしいことに”川崎彰彦『くぬぎ丘雑記』の挿絵と思い出鉛筆画展" は1月15日までやっていたので、なんとか最終日までには行きたかったんよね。

▲長谷川書店に来たのはその日で三度目。
ここは外から見たら、ごくごくふつーの駅前の本屋さん。週刊誌に月刊誌、ベストセラーに実用書などがところ狭しと並ぶ。ところが店入って左端に、その前に、レジ台の横の下、そして奥に進むと、また左に、そのまわりに、と「たからもの」が、ふつーの顔して並んでるのであった。

▲そして、その「たからもの」の近くに、うらたじゅんの絵がとても自然なかんじで飾ってあって。
展覧会というよそゆき風ではなく、本の森のなかで、じゅんの描くどんぐりも小鳥も猫もフクロウも~前からずっとそこに住んでたみたいになじんでおり。
ああ、間に合ってよかった。思い切って出て来てよかったなあと、そばにあった木の椅子に腰かけて、もう一度もう一度と眺めた。
(おとこまえのお店の方が、「どうぞ椅子に座ってゆっくりごらんくださいね」と、やさしく声かけてくれはって。おばちゃんまいあがるの巻~笑)

▲そのあと「棚」から呼ばれたように二冊の本を手にとる。一冊は『マローンおばさん』(エリナ・ファージョン作 エドワード・アーディゾーニ絵 阿部公子・茨木啓子訳 こぐま社1996年刊)という小さな絵本。おもわず「わあ」と声がでた。かつて友だちに贈ったときは初版だったけど、以来19年ぶり。18刷りになっててびっくりしたり、うれしかったり。

▲森のそばでひとり貧しく暮らしていたマローンおばさんのもとに、すずめや、ねこや、きつねたちが訪れる。マローンおばさんの口癖がええんよね。
「あんたの居場所くらい、ここにはあるよ。」
ここで、じゅんの絵をみている時間にこの本に再会できたことにじんとくる。

▲もう一冊は『背中の記憶』(長島有里枝著 講談社文庫2015年刊)有名な若い写真家らしいけれど、恥しながら写真もこの本(文庫化される前は2009年に講談社から出版)のことも知らなかったのに。なんで手が伸びたのかなあ。
本屋さんや図書館ではたまにこんなふうにことがあるから、おもしろい。

▲そうそう「背中」「記憶」というタイトルに、そのときぱっと浮かんだのは母の背中だった。
厨房での母。鮎に金串をさして焼き、大鍋で山吹を煮て、ごま豆腐を練り、炊きあがった5升釜のご飯を飯台に移し、鮎の腹出しをして塩漬けする母。思い出す現役時代の母の後ろすがたは、いつも下を向いて仕事してきたせいか、すこし背中がまるい。

▲・・・と、母のことを思いながら、何の予備知識もなく手にしたんだけど、なんかしら「予感」があって、まよわず『マローンおばさん』と、それからずっとほしかった川崎彰彦さんの『夜がらすの記』(編集工房ノア1984年刊)といっしょに買った。まだまだ他にもほしい本がいっぱいあったけれど、重い荷物をもって杖ついて歩くのは自信なくて断念。だれかが「棚ごと持って帰りたかった」とツイッターに書いてはったけど、わかる。

▲そうそう『おひさまゆうびん舎』という古書店の小さなコーナーもあって、ここにすきな絵本~ナバホ・インディアンの少女アニーと、死を間近にした祖母との物語~『アニーとおばあちゃん』があったことも、とてもとてもうれしかった!

▲用意してきたリュックに本を入れて帰途に。
電車の中で読み始めた『背中の記憶』は、なんと著者が古書店で思いもかけずアンドリュー・ワイエスの本に出会うところから始まるのだった。

【はじめて訪れる古書店で、ワイエスのような作家の本に出会うことは、知らない土地をあてどなくぶらぶらしていて、ばったりと幼馴染みに出会うようなものだ。】(p11)

つい、さっきまでいた本屋の空気を身にまとったまま、こんな文章に会えるやなんて。
そこからはもうノンストップ。おじいさんのように股のあいだに杖をはさんで(笑)夢中で読んでたら、もうちょっとで乗り換え駅を通りすぎてしまうとこだった。

▲そうそう。
この本は「講談社エッセイ賞」を受賞したエッセイなんだけど、あとがきで彼女がきっぱりと(←たぶん)「エッセイと呼ぶことに抵抗がある」「記憶は事実たりえない」と書いてはって、共感。

【写真と同じように身近な人々を題材としているが、わたしの撮ったセルフ・ポートレートや家族写真が、本人や本人の生活の真実を語ることがないように、ここにあるのも、わたしが実際に経験したはずの出来事とはまた別の物語である。】(p248)

▲この作品を著者は、子どもがまだ小さいころに、子どもが寝たあと珈琲をのみながら執筆して、翌朝は保育園に遅刻して先生を困らせた~というエピソードがあって。そんな夜更けのダイニングテーブルが浮かんでくるようで。
今回 本の内容は著者と祖母をめぐる家族の物語、というほかは書かないでおこうとおもう。もしすでに読んだひとがいてはったらその人と。ここを読んで、読もうと思った人と、いつかこの「物語」のことや、みんなそれぞれが持ってる「物語」について、話がしたいです。

▲長島有里枝さんの文章には写真家ゆえの「眼」の精巧さがあって。(そういうたら相方と話してるときにも、その「眼」に、はっとすることがある。カメラマンだった時間はすでに遠く、昔のことなのに。ものを観る「眼」はそのまま残ってるんやなあと思う)
それは決して甘くなく、せつないとかなつかしいとか暖かいとか、ありきたりなことばを拒否するきびしさのようなものがあって。改行の少ない文章に、その記憶の束に、時に息苦しく、おぼれそうになったけれど。
会えてほんまよかったです。

【パッケージに小さな金色の星で7と書かれたマイルドセブンを右手でふかしながら、左手の指先に軽く体重をかけ、たまに右や左に足を崩す。腰のあたりで、疲れたように首をかしげるエプロンの蝶々結びを、その下のくるぶしの、畳で生活する人特有の赤黒くてかさかさした座りだこを、張りを失って柔らかくなった二の腕と肘の皺を、眺めては触りたい気持ちに駆られた。子どものわたしには存在しないそれらは美しかった。伸びた背筋、吸い殻につくほのかな赤い口紅の色と、きちんとセットされた髪は、母とは違う女の人を連想させた。そこには遠回しに人を寄せつけまいとするよそよそしさと、誰かに声をかけてもらうのを心待ちにしている子どものような、おくてな人恋しさが同時に同居していた。】
(『背中の記憶』表題作p25~26より抜粋)


*追記

その1)
『くぬぎ丘雑記』も 『夜がらすの記』も残念ながら絶版です。図書館などでさがしてみて下さい。
『夜がらすの記』については画家・林哲夫氏が以前ブログ”daily-sumus2”に書いてはりました。→


その2)
いやあ、それにしても。
写真家の文章、絵描きの文章、音楽家の文章、映画監督の文章~うっとりです。

その3)
このひとのうたう”Across The Universe”がすきでした。
かなしい。

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by bacuminnote | 2016-01-22 18:43 | 出かける | Comments(0)

森があればじゅうぶん。

▲温い。
年が明けて十日になるのに。こんなんでええのかなあ~と思いつつも、この時季に外に干した洗濯物がけっこう乾くのも、それに「いたいとこ」ある身にはありがたい陽気なんだけどね。

▲今日もええ天気で、杖つきながらゆっくり歩く。時々休憩。立ち止まって空を仰ぎ、道むこうの建設中のビル~高いとこで作業する人たちを眺め。
平日だとおさんぽ中の保育園児一団がわあわあ、それはにぎやかに通り過ぎるのを見送る。
昨日観た映画のいち場面、読んだ本のひとつのことばについて考える。
いつも歩いてる道なのに。どこがちがうのかな。たぶんこの「ゆっくり」とお陽ぃさんのおかげやね。
いたいのんが治っても、いまのこの「速度」をおぼえておこうと思う。

▲そういうわけで、今日歩きながら考えてた映画のことを書くことにした。
それは『パプーシャの黒い瞳』というポーランドの作品で。
パプーシャとは「ジプシー」のことばで「人形」という意味らしい。
黒い瞳のうつくしいこの少女はある時、木の洞に泥棒が隠したと思われる盗品を友だちと見つけるんよね。
その中に新聞か本の切れ端のようなものがあって。それはわたしから見たら、ほんまゴミのような紙切れなんだけど、パプーシャは大事にポケットにしまう。

▲そこにはジプシーが「ガジョ」(よそ者)の呪文、と忌み嫌う文字が書かれており、文字を読めないパプーシャは(ジプシーは書き文字を持たないそうだ)それが気になってならない。
何度も出しては眺め、眺めてはまたポケットにしまう。
「文字を知りたい」と思うきもちが抑えられなくて、彼女は町の小間物屋さんのおばさんにしつこく頼んで、なんとか読み書きを教えてもらうのだった。

▲そうして十五歳で演奏家の伯父さん(つまり父親のお兄さん!)と意に沿わぬ結婚後しばらく経ったある年、一族のもとに楽器修理屋のポーランド人がひとりの男性~フィツォフスキを匿ってほしいと連れてくるんよね。
この「ガジョ」との出会いは、パプーシャに大きなものをもたらすことになる。
フィツォスキは詩人で作家で、訳あって政府から追われる身だった。
彼はパプーシャがある日ふと口にしたことばに驚いて「君は詩人だ」と言う。

▲詩が何かわからないパプーシャ。彼はこう答える。
「詩とは、昨日感じたことを、明日思い出させてくれるもの」
パプーシャは言う。「ジプシーのことばでは昨日も明日も”タイシャ”よ」
文字をおぼえて以来、小さな紙切れに、改行もなくことばを綴っていたパプーシャの「詩」に、彼は才能を見出すのだった。

▲物語は時系がばらばらなまま、遠く、近く。もつれた記憶の糸が少しずつほどけてゆくときのように、行きつ戻りつ進んでゆく。
やがてフィツォフスキの逮捕状が取り下げられワルシャワの街にもどってゆくことになって。別れるとき、彼は「詩を書いたら送って」~と自分の万年筆をパプーシャに手渡す。

▲そのころ(1949年)ジプシー定住化政策が施行されて。
ジプシーは旅をしてはいけない、子どもたちは学校に行かなければならない、みんな仕事に就くことを義務づけられる。
音楽会の途中、警察が彼らを一斉に牢の中に閉じ込めるんだけど。その理不尽な扱いに怒ったあと、誰からとなく演奏が始まるんよね。心わきたつようなジプシー音楽。
盛り上がる牢の中。演奏を止めようとする牢の外の警官が、逆に閉めだされてるようにも見えて。とても印象深い場面だった。
彼らは言う。
「大地で育ち、大地で寝て、大地で食う。家など要らない。森があればじゅうぶん」と。

▲映画は全編モノクロで、ひとつひとつの場面も絵画のようで。詩的なうつくしさに満ちていて。とりわけ暗闇のなか燃える焚き火が心に残っている。
ジプシーで初の詩人といわれるパプーシャこと、ブロニスワヴァ・ヴァイスも 彼女の才能を見出し彼女の詩集を出版したイェジィ・フィツォフスキも実在の人物だそうな。

▲パプーシャが文字をおぼえたことで知った世界の広さ。
でも本が出版されることでコミュニティーから閉めだされてしまう彼女。
刷り上がった詩集が山と積まれた倉庫で、自分のことばが一枚の紙切れを越え、三千冊の本になってしまったことを、それがかんたんに消してしまえないことを知ったときのパプーシャの茫然とした表情がわすれられない。

▲「詩はひとりでに生まれて消えるもの」「読み書きさえ覚えなければ幸せだった」というパプーシャ。
機械化が手仕事を奪うように、ひとが何かを得るとき何かを失う~というのは避けられない問題かもしれないけれど。
文字を獲得することの意味を、あらためて考えている。
彼女は文字を覚えないほうがよかったのだろうか。



*いつも長い追記。きょうはもっと長い。

その1)
「ジプシー」という呼称については差別語であることを前に知って、どう書くべきか考えましたが、映画では「ジプシー」と使われていたので、今回そのまま書きました。

この呼称についてすこし調べてみましたが。(というか、ネットで「少し」見ただけでも)問題はとても複雑です。
以前わたしは「ロマ」と呼ぶのがいいのかと思っていたけれど、「ロマ」ではない自集団を表す総称を持つ集団もあるらしく、「ロマ」を総称とするのには問題があるらしく。
歴史的に「ジプシー」と呼ばれてきた人々の呼称をめぐって、現在なおさまざまな議論があるようです。

呼称だけでなく「ジプシー」について、その歴史もふくめ、自分がいかにステレオタイプな知識しかないことに、調べるたび知るたびに痛感します。そしてジプシーを取り巻く問題は(知れば知るほど)複雑です。
監督がこう語っています。

【どの社会に住んでいるジプシーも、生活条件は様々です。
映画では社会の片隅に置かれた貧しいジプシーの人たちが定住を迫られる場面も描きましたし、それから自動車に乗って、外国を行き来する豊かなジプシー、愚かなジプシーも賢いジプシーも描きました。
その状況は変わりません。ひとつの尺度で、ジプシーはこうだということはできません。なかには百万長者もいますし、貧しい人もいるということです】
(映画ドットコム/ ヨアンナ・コス監督に聞く→)

監督へのインタビュー記事はここにも→『骰子の眼』

この映画は2014年12月に死去したクシシュトフ・クラウゼと妻で脚本家のヨアンナ・コス=クラウゼの共同監督作。
あとで知りましたがクシシュトフ・クラウゼは『ニキフォル 知られざる天才画家の肖像』の監督でもありました。この作品ももう一度観たいなと思います。

その3)
パプーシャの詩の才能を見出したフィツォフスキという人も、興味深い人物です。

【1924年9月4日ワルシャワで生まれたフィツォスキは、第二次世界大戦中ナチス占領下のワルシャワで地下抵抗運動に加わり、ワルシャワ蜂起にも参加。ドイツの補寮収容所で生き抜き、戦後、祖国にもどりました。】

この紹介文、じつは ジプシーむかしばなし=1『太陽の木の枝』(フィツォスキ再話 福音館書店)の訳者によるあとがきから。
訳者はあの内田莉莎子さん、画はあの堀内誠一さん!
(わたしが今読んでいるのは1968年刊 第四刷のぶんです。上記リンク先は2002年刊文庫版です)


もう一箇所、内田莉莎子さんによる「あとがき」から引いてみます。

【民話というのは、各民族それぞれの特色はもちろんあっても、似かよったものが多いのですが、この本のジプシーの民話は、全然といっていいほど、ほかの民族のものに似ていません。
ジプシー社会の価値判断が一般の社会とあまりにも違っているためでしょうか。
物質的な富にたいして恬淡(てんたん)としていて、自由をなによりも尚び、地上で最高の宝ものは旅することとする、誇り高いジプシーの心が、どの物語にもあふれています。】


その4)
「ジプシー」を描いた映画でわたしが観たのは『ガッジョ・ディーロ』→や『耳に残るは君の歌声』→→どちらも音楽がすばらしく、サウンドトラック盤を買いました。

きょうはその中から(予告編にも少し映ってる)Gadjo Dilo - Tutti Frutti Te Kelas→を聴きながら。
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by bacuminnote | 2016-01-11 14:49 | 映画 | Comments(2)