いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2016年 03月 ( 3 )   > この月の画像一覧

「自由に生きる」

▲桜咲く。
ずっと桜がすきやなかったけど、最近は駅までの道中、何本かある桜の木の前を通ると自然に足がとまる。茶色の小さな蕾が少しづつふくらんでくるさまに見とれ、花が開いたとよろこんでいる。
すなおに桜の木だけを見ることができるようになるまで、えらい長いことかかってしもたのも、今でも「お花見」はパスしてしまうのも、生まれ育った環境ゆえやろか。
けど最近は「名勝・吉野の桜」(!)もいつかゆっくり見てみたいとおもうようになったんよね。
「身の奥の鈴鳴りいづるさくらかな」(黒田杏子)

▲この間二日つづけて京都・西陣に行って来た。
帰って来れない距離ではないものの、膝痛のことも考えてめったにない贅沢!と「ひとり京都泊」を思いついた。
わあ、久しぶりの京都や。どこ泊まろ?そのむかし一回だけ泊まったホテルフジタ。ベッドに横になった位置でちょうど鴨川が見えるんよね~よかったなあ。それから京都駅八条口にあったあのホテル、あそこは昔従兄弟が勤めてて何度か(ただで)泊めてもろたなあ・・とか。舞い上がって夢想するとこまではよかったんやけど。

▲そうそう、ホテルフジタは2011年に営業終了してたんやった。
八条口のあそこも変わったし。その上ちょっと調べてみて、どこもまず宿泊費の高いのにおどろき(長いこと出かけてないからウラシマタロウ状態!)つぎにどこも満室なのにおどろいた。

▲京都、春休み、土曜日、桜の開花・・と条件がそろっては、ホテルも、それに「近頃は山ほど出来てるで~」と聞く町家のゲストハウスも軒並み とうに満室。
友人J曰く「クミ、そら無理やで。このシーズンはな、世界中の人が京都に来てはるねんで」・・・というわけで、結局、京都寄りの大阪に住む友人M宅に頼んで泊めてもらうことになった。(おおきに!)

▲日頃こもりがちやから、たまの外出~しかも泊まりがけとなると、持ってゆくものの準備、電車から地図まで確認の上に確認して(!)周りの人らまで巻き込んで「ちょっとそこまで」のつもりが「月旅行か?」というほど大騒ぎになってしまうのもいつものことで。(すみません!)けど、おかげで二日とも愉しくおいしくおもしろく、ほんまにええ時間を過ごすことができて、出かけてよかったなあと、今なお余韻のなかでぼぉーっとしてる。

▲で、今日書こうと思うのは二日目の山田真さんのお話の会のこと。
わたしの子育て期は息子1の前期と13年後誕生の息子2の後期に分かれるんだけど(苦笑)。前期のころわたしや友だちにとっての育児書といえば松田道雄さん。後期は山田真さんやったと思う。

▲とりわけ乳幼児期の悩みのつきない頃『母の友』(福音館書店)の連載記事や毛利子来(もうり・たねき)さんらと共に発刊の『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』(ジャパンマシニスト社)や著書で、山田さんの別名「ワハハ先生」の明るさと「みんな好きなようにやればいい」的セイシンには、なんども助けられた。そうそう、氏の『はじめて出会う小児科の本』は友人や姪・甥への出産祝いの定番となった。

▲だから、わたしの中では山田真さんっていうとまず「小児科のセンセ」のイメージなんだけど。この方じつは小児科医としてだけでなく、「障害児を普通学校へ・全国連絡会」の世話人であり、森永ヒ素ミルク、水俣病、スモン病と、公害や薬害の被害者支援にかかわり、最近では福島での医療相談会や西東京市内での市民放射能測定所の運営にも・・とじつにいろんな活動をしてはる。けど、つねに根底に流れてるのは小さいもの、弱いものへの共感、それに「ワハハ先生」とよばれる明るさとユーモアなんよね。

▲そんな山田さんが、京都で、しかもカライモブックスで(←親子共々大好きな古書店+ファミリーです)お話会、というスペッシャルな企画。
山田さんの講演は2006年に『インクルーシブ教育を考えるシンポジウム』を聴きに行って以来~何より今回は大きな会場の講演ではなく、本の森に囲まれた中、間近で「お話」が聴けるということでとても楽しみにしていた。会のタイトルもカライモさんらしく『ワハハ先生、山田真さんの声を聞く~水俣・森永ミルク中毒・福島・こどもなどなど、ワハハと』。

▲さて、友人宅で泊めてもらった翌朝(つまり二日目の朝)Mのジッカに寄って、何年ぶりかに彼女のお母さんに会った。
その昔は第一線でバリバリ仕事してはって、会うと緊張するお母さんだったけれど、今は「センパイ!」と呼びたくなるような近しさを感じた。80過ぎても背筋はすっと伸びきりりとしてはるんやけど、笑顔がまぁるくて。なんだか母が重なって愛おしいようなきもちで、思わずハグしあった。

▲そんなうれしい再会のあと、Mが駅までやなく、いっそ京都まで送ってってやろうと言うてくれて。思いもかけず京都までドライブと相成った。
市内に入り、本願寺の前あたりを通ると、なつかしさがこみあげてくる。暮らした時間も過ごした時間もほんの数年なんだけど、十代の終わりからの数年という時間はその後の自分にとても大きいものを残してるんやなと改めて。そして傍らナビを見ぃ見ぃ、京都の町なかの一方通行の道を避けながら運転してくれてる友もまた、そのころに出会ったんよね。

▲それにしても、J曰く「世界中のひとが集まってる」とこやし、渋滞が気になってたんだけど、思いの外早く目的地・西陣に到着。Mもすべりこみで参加できることになり二人近くのコンビニでトイレ休憩。
車椅子も入れる大きなトイレと普通のトイレ2つあって、ええなあと思った。(というか、これがあたりまえの設備なんである)
やがて時間になってカライモブックスに行くと、三々五々ひとが集まってくる。あれ?どこかで見たひとやなあ・・と思ったらコンビニのトイレ待ちにて出会った方。カライモさんに「あれ?お知り合い?」と聞かれて「いま、ついさっき、そこのトイレで」「って、ほやほややなあ」と言うて笑い合う。はじめての人が多いなか空気が緩む瞬間だ。

▲そうして、山田さんのお話が始まった。
最初に悪者扱いされているピロリ菌にも良い働きをしている面がある~という話から。理系の話はまったく頭がついていかないので、正確に再現するのはムズカシイんだけど(すみません)
ウイルスや細菌も共生しようと努めている、ということ、身体にとって悪いものを撲滅するという考え方は身体を人工的につくりかえてしまう・・という話にも深く頷く。これって優生思想に繋がるよね。

▲医学の限界、ということで、病気との因果関係について。
事故でも公害でも、つねに被害者は因果関係の証明を求められるけれど、病気と何かの因果関係の証明はとても困難だということ。そして、その困難さを武器に「つねに」加害者側は被害者を切り捨てる、ということ。

▲見てわかる怪我は証明しやすいけれど、「痛い」「だるい」「かゆい」といった感覚の問題は、なかなか証明できないものだ。
「子どもなんかはこれで大人に怒られたりするんだよね。痛いとか言ってるけど、ほんとは何ともないんでしょ。学校行くのが嫌なだけなんでしょ~みたいにね。」
山田さんはこんなたとえも紹介してくれはった。
「元々頭痛持ちのひとが風邪を引いて、熱もあって、転んで頭を打って、頭痛なんだけど。さて原因はなに?」という話。これは放射能の被害を考えるうえでも、必ず問題になること。
かつて水俣病が森永ヒ素ミルク中毒がそうだったように。

【今、わたしには、空襲被害者も、水俣病患者も、福島をはじめとする原発被災地の住民も、同じように見える。「国の政策のために国民は一定の犠牲は耐え忍ばねばならない」とする論理によって切り捨てられるのである。

思えばわたしの医者になってからの四十数年は、切り捨てられようとする人たちとともに生きた年月であった。その年月を今ここでふり返ることが、一部の市民に痛苦を負わせ、切り捨てることで生き延びるという、この国の歴史を断ち切るための一助になれば、と心から願う。】
『水俣から福島へ 公害の経験を共有する』まえがきより抜粋(山田真著 岩波書店2014年刊)

▲そうそう、山田さんの隣には娘の涼さんが座っていて。ときどき「父親」に一声かけはって、そのつど会場は温かな笑いにつつまれる。涼さんには障碍があって、今回は山田さんと介助者のOさんと共に京都入りしはったらしい。父娘仲よく話してたかと思うと、とつぜん山田さんがやり込められてたり、のようすがとてもええ感じで。

▲そういえば、以前和歌山で山田さんの講演会があったとき、その企画にかかわった友人が言うてたこと。「講演がおわって、山田さんを懇親会にお誘いしたら、”今日は食事当番なので”とあわてて帰らはったんよ。残念やったけどみんなで拍手喝采した」
かっこええな、山田さん。

▲お話の会が終わっても、山田さんを囲んだり、参加者どうしで話をしてはったりしてたけど、残念ながら渋滞にまきこまれないうちに、とわたしたちは退場。
山田さんが最後に言うてはった「つらい展開だけど、無駄と思っても、むなしいと思っても、あきらめないで発信し続けるしかない」をパラパラ小雨がウインドウを濡らすのを眺めながら、何度も何度も思い返しながら、帰途についた。
みんなのおかげで、ええ月旅行(笑)でした。



*追記

その1)
山田真さんに初めておたよりをもらったのは1998年のこと。
それまで小児科医としての山田さんしか知らなかったんだけど、あるとき東大医学部闘争のことを書いたコラムを読んで、おどろいたことも感じ入ることもあり、短い感想を掲載紙に送ったのが最初でした。
(この1960年~1973年のことを書かれた『闘う小児科医 ワハハ先生の青春』→ジャパンマシニスト社2005年刊 はおすすめです)

何回かはがきのやりとりがありご著書をちょうだいしたり、その後は年に一度年賀状だけのつながりですが、考えてみたらもう18年にもなります。
先日いただいた賀状を出してきたのですが、これだけ見ていても山田さんという方がどんなひとなのかよくつたわってきます。
これからもどうかお元気に動きつづける「ワハハ先生」でいてほしいです。というか、ワハハ先生もゆっくり休めるような世の中にならないとあかんのですよね。

「つらい世の中ですが“明けない夜はない”ことを思って力を尽くしたいと思います」
「段々いやな世の中になりますが若者たちを信じましょう」
「悪しき世を笑いとばして生きていくのもなかなか大変です」
「福島の子どもたちのために少しでも力になればと動き回っています」
「福島を忘れないためになにができるか考え続けています」

その2)
カライモブックスで買った本『水俣から福島へ』にサインしてもらいました。
なまえの横に書いてくれはった「自由に生きる」がずんと響きます。

これは、山田さんとパートナーで同じく小児科医の梅村浄さん、おふたりのインタビュー記事→

 その3)
ひさしぶりに聴くLhasa De Sela - Is anything wrong(live Sunset -2009)→ 
しみる。
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by bacuminnote | 2016-03-31 19:20 | 出かける | Comments(4)

てわたす。

▲冬眠からさめたクマみたいに のそのそ、そわそわと動きまわってる。いつもは白いカレンダーも2月3月と丸印とかきこみがいっぱいで。(←どないしたん?)
ここんとこ続いて近く遠くからひとが会いに来てくれ、わたしもまた珍しく出かけて(この間はなんと東京まで行って来た)。
友だちにそのことをつたえたら「やっぱり(ひとには)会わなあかんね~」とすぐに返事がきて。うんうんと頷く。

▲SNSやメールのたのしさも便利なことも、今や「なくてはならないもの」になってしもてるけど。じっさいに会うて顔見て話すと、いっぺんにキョリが縮まるもんね。そういうきもちの高揚も愉しさも、あ、それから時にしんどかったりするとこも。全部ひっくるめて「会う」ということなんやろなと思う。
一方で、会ったことはなくてもたしかに繋がってるだいじなひともいて。

▲とにかく、そんなこんなで、初めてのひとにも、久しぶりのひとにも出会えたんがうれしくて、食べ(すぎ)のみ(すぎ)しゃべり(すぎ)、くわえて睡眠不足がつづき、案の定体調をくずしてしまった。
根っこがひと好きやしね。ひとが集まると舞い上がり、あげくコケてしまうのはちっちゃいときからで。「あんたはすぐ調子にのるんやから~」と母のためいきが聞こえてくるようやけど。

▲ただ、前に書けなかったことを書けないまま休憩ばっかりしてたら、どんどん忘れてゆくなあと思いながら、今日は整形外科の帰りに図書館に寄ってしまった。これって、なんか試験前に本屋に行ったり、レコード屋に寄ったりと変わらへんね。
そんで、家に帰ってご飯たべたら、ちょっと横になるつもりが借りてきた子どもの本二冊を読むことになって(・・やっぱり)そしたら二冊ともすごい本で。

▲一冊は『ボタ山であそんだころ』(石川えりこ作・絵 /福音館書店2014年刊)
ボタ山とは「石炭や亜炭の採掘に伴い発生する捨石(ボタ)の集積場」のこと。炭坑の町に生まれた「わたし」は小学3年生。たぶんこれは著者の子ども時代~1965年頃のお話だと思う。
「わたし」が3年になってはじめての友だちがけいこちゃんという鉄棒もボール遊びも得意な女の子。二人とも父親は炭鉱で働いているんだけど、読んでいくうちに住んでるところも仕事も違うんやろなあと思い始める。

▲初めてけいこちゃんちを訪ねた日のこと、ふだん「わたし」が親から禁止されてるボタ山のてっぺんに登ったり「どろの川」(石炭を洗った黒く細かい泥の混じった水で川が黒く濁ってる)のブロックを飛んで川向うまで行ったり。どれも「わたし」にとって親にはひみつの初めての挑戦だ。そのときの白黒の絵の迫力というたら。読んでるわたしも(著者と同じ年生まれだ)子どもの時間に戻って一緒にドキドキする。

▲ある日、事務員さんが青い顔して各教室を回って、先生に紙キレを渡してゆく。教室の外では炭鉱のサイレンが鳴り響き、何台もヘリコプターが轟音を響かせ炭鉱の方にむかって行く。けいこちゃんも「しめわすれたランドセルのふたをゆらしながら」他の何人かの子どもたちと校門に急いで走ってゆく。

▲そういえば映画『海炭市叙景』にも、授業中に名前を呼ばれた兄妹がランドセルを背に、心細そうに廊下で立っている場面があったっけ。何度思い出しても胸がしめつけられるシーンだ。
落盤事故やガス突出事故で、あるいは海難事故で突然親を亡くす子どもたち。
この絵本の最後「あとがき」みたいな感じで、著者が子どもの頃「となりの家」のおじちゃんが酔っ払うたびにくりかえし語った話が書いてあった。

【えりちゃん、おぼえときよ、わすれたらいかんよ。山野炭鉱でガス爆発事故が起こった昭和40年6月1日、237人の炭鉱夫が亡くなったんよ。そのとき、237人の夫のいない人と237人のお父さんにいない子ができたんよ。えりちゃん、おぼえておきよ。大事なことばい】
 (三井山野炭鉱 by wiki→)

▲色とりどり鮮やかな絵本の並ぶ本棚で、黒と白の地味な絵本だけど、子どもが手を伸ばさないかもしれないけれど、それなら先ず大人が手にとって読んで、子どもに手渡してほしいと思います。ぜひ。

▲もう一冊は『日ざかり村に戦争がくる』(フアン・ファリアス作 宇野和美訳 堀越千秋絵 福音館書店2013年刊)
そう前回書けなかった講演会の話者、宇野和美さんの翻訳。(ああ、やっとここまでたどり着いた!)
この本1930年代にスペインであった内戦を背景にした物語なんだけど。「日ざかり村」というなんだか日向のにおいのするような村のイメージに、見開きの【戦争にはじめてはない】(ベルトルト・ブレヒト)がいきなり刺さる。

▲幹線道路から外れたところにある日ざかり村は【あまりにちっぽけで、あまりにへんぴなところにあったので、戦争をしかけた将軍の目にとまらなかった。けれども、戦争はあった。戦闘はよその町であった。】
それなのに、いつのまにか【たばこの値がちょっぴりあがったり、新聞がこなくなったりり、バスが二日遅れたりという、いまいましいできごととともに戦争は村にやってきた】(p26)

▲音もなく小さな村に忍び寄って、気がついたら村ごとごっそり侵食してしまう「戦争」を、抑えた筆致で(詩的で声にだして読んでみたくなるような独特の文体がいい感じで)くわえて堀越千秋さんの絵もしずかで不穏な空気をはらんでおり、だからこそ、よけいに戦争の怖さにこころが凍りつくようで。

▲村の人たちの暮らしぶりや、村人一人ひとりの性格や雰囲気が伝わってきて、短いのに密度の濃い一冊で、読後しばらくぼーっとしてしまった。
本のうしろにある「訳者あとがき」が、とてもていねいで(前に読んだ宇野さん訳の本もそうでしたが)政治のこともわかりやすく書かれており、物語の背景を知る手助けをしてくれる。
どうかこの本が子どもにも大人にも届きますように。

【私がこの作品と出会ったのは、、今から十五年以上前のことでした。何年も翻訳したままになっていたこの作品がこうやって出版され、日本で読んでいただけるようになったのは何よりの喜びです】(訳者あとがき 2013年夏)

▲さて、先日の講演会は、図書館にあったチラシ(「スペイン語圏の子どもの本へのいざない 多様な子ども時代に目をむけて」)で知ったのだけど、最初はチラシに挙げられた訳書に知ってる本がなくて(あとで見たら一冊あった)「ふうん」くらいに思って(すみません!)かばんに入れっぱなしになってたんだけど。
ふと気になって調べてみたら、宇野さんの翻訳と知らずに(というか、とくに意識せず)読んでいた本があって(『雨あがりのメデジン』『フォスターさんの郵便配達』『むこう岸には』『ペドロの作文』)そのどれもが深く残っており。なかでも『雨あがりのメジデン』はここでも前に感想を綴ったことがあるのを思いだして「ぜひ行きたい」と思うようになったんよね。

▲先着40名ということでだったので、その日は朝からそわそわ。早めに家を出たら、早すぎたみたいで、会場設営もまだで。(せっかち・・・)
主催が子ども文庫連絡会だったからか、文庫活動してはる関係者の方が多かったように思う。みんな顔見知りみたいに話してはって。こういうときは「ほんまに来てよかったんかな」とかちょっとコドク。でも、宇野和美さんのプロフィールの大阪生まれというのにリラックスして(笑)時間になるのを待った。
この日宇野和美さんのお話で一番残ったのが「手渡す」ということば。
翻訳という仕事は出版社から依頼を受けてするものもあるけど、大半は自分が発掘した本を出版社に持ち込むことから始まるそうで。

▲それが、出しても出しても「没(ぼつ)るんですよねえ~」と自嘲気味にわらう宇野さん。
「これを訳したい」という本を見つけて、出版社(編集者)に持ち込んだあとは、社内の企画会議にかけられ、ようやく本が出版されると、それが書店に並びあるいは図書館におさめられ、読者に。または文庫活動で読み聞かせの後子どもの手に。
手渡して、手渡されて、自分のとこまで届くんやなあ~とお話を聞きながら(ここでも以前引用したことがあると思う)詩人の長田弘さんのことばを思いだしていた。

【対話というのは手わたす言葉だ。翻訳もそうだ】
【翻訳というものの根っこのところにあるのは対話だ。翻訳はいわば一つの言葉ともう一つの言葉のあいだの対話の記録だ】
(長田弘著『自分の時間へ』より抜粋)

▲宇野さんのお話からもうひとつ。
【子どもの本ってどこの国に行っても、子どもがいるかぎりあるもんだと思っていたけれど。子どもの本があるのは豊かで平和な国】 【貧困から抜け出すために本を届ける】 もひびく。
ハンドアウトには宇野さんの訳書が6つのテーマに分けられてたんだけど(1.戦争・独裁 2.対立と和解 3.故郷を離れる 4.貧困 5.家族 6.友だち)とりわけ戦争や独裁政治の中での出版の困難さや、貧困ゆえに本が子どもに本が届かない現実など、本があって当たり前の暮らしをする中で(しかしこの国もまた近い将来そうなるかもしれないという恐れとともに)改めて本と政治について考えているところ。

▲お話を聴いて、教えていただいた(読みたい)本のメモでいっぱいになったノートを閉じ、感想を伝えたいなあと思うも、タイミングとわたしの度胸(!)が合わず、あっというまに閉会となった。
次回の講演の打ち合わせをしてはる宇野さんの背中をみながら、わたしのすぐ横の司会の方に、感想を託して帰ろうとしたら「あらあ、せっかくやから直接宇野さんにお話しはったらよろしいやん。ちょっと、宇野せんせー」と声をあげはったので、赤面(←あかんたれです)
でも、おかげで『雨あがりのメジデン』のことを書いたブログと、長田弘さんのことばを「手渡せた」気がして。
みたされたきもちで帰途、スキップして(あ、きもちだけ!)デパートで旨いソーセージをふんぱつして、バゲットと一緒に買うて帰った。ええ一日でした。


*追記
その1)
山野炭鉱のことを調べていたら、その日のNHKニュースアーカイブの映像がありました。→
ニュースのなかアナウンサーが ”・・・と、事故が相次ぎ、そのつど不安体制の確率が叫ばれながらも、またこのような事故が繰り返されてしまったのです”と言うのを聞きながら、原発再稼動のことを思っています。

その2)
書ききれなかったこと。
宇野さんとスペイン語のことについてのお話で、びっくりしたのはスペインへの留学が宇野さん39歳のとき、しかもお子さん三人連れての留学だったそうで。

【渡航の目的は留学だった。夫ではなく私が、10月から2年間、バルセロナ自治大学大学院に籍を置くことになったからだ。
「3人の子を連れ、夫を日本に残してスペインに留学」と言うと、渡航前も、滞在中も、帰国後も、たいがいの人が仰天した。無理もない。普段ほとんど子どもがらみで接している近所の母親層の目にも、私が3人の子持ちであることを知っている仕事関係の知人の目にも、私は留学の可能性から最も遠くにある人間だっただろうから。】
(宇野和美さんブログ「訳者の言いわけ」~カテゴリー「バルセロナの日々」より抜粋)→
 
いつだかも、ここで若いとき留学したかったなあ、などとお気楽な後悔(苦笑)を綴った気がするけれど。恥しい。結局は「できる」条件(もちろんこれは重要だけど)より、「学びたい」という強い意志と行動力なんやなあと痛感しました。
この留学のお話は宇野和美さんのブログで↑書かれています。続きが待ち遠しいです。そして、いつか本になるといいなあ。本にして下さい!


その3)
あ、『ポー川のひかり』 とうとう書けずじまいでした(泣)
観た映画(DVD)メモ 『コングレス未来会議』(アリ・フォルマン監督)と 『ジプシーのとき』(エミール・クストリッツァ監督)

東京では、帰途たべるpaulのカスクート以外 唯一の買い物は『小鳥来る日』(平松洋子著)でした。

その4)
今日はこれを聴きながら。
音楽ってええなあ。
Gaelynn Lea: NPR Music Tiny Desk Concert→

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by bacuminnote | 2016-03-19 15:02 | 本をよむ | Comments(2)

しっかりしなはれ。

▲目が覚めたら、外がぱあっと明るくてええお天気で、電話してみたら母も元気やったし(←体調は「日替わり定食」やそうで)それにデイサービスにも行かない在宅日。肝心のわたしの足もまずまず・・・と各種条件が整ったので(!)大急ぎで洗濯物干し終えて、ちょっとおしゃれもして出かけることにした。1月に友の個展を見に行って以来のドキドキ「遠出」である。

▲久しぶりの電車やから、地下鉄のなかで目をつむって乗り換え駅のエレベーターやエスカレーターの位置を思い起こす。
エレベーターはたいてい広い駅構内の端っこで、そこまで行くのにくたびれるし、降りてから目的のところまで歩くのがまた大変。一方エスカレーターは大きな駅だと設置場所がいくつかあるんやけど、上りと下り両方あるとは限らなくて。「上り」しかないところが多いんよね。

▲わたしは膝痛になる前は「上り」が堪えたけど、いまは「下り」がつらい。
ネットで検索してみたら、上りより下りが大変、エスカレーターの「下り」がないのは困る~という人がけっこう多くて、「そうそう!」とパソコン画面にむかって共感の声をあげている。

▲けれど、多いというても、足の弱いひと、障碍や病気をもつひと、それにお年寄りは「健常者」にくらべたら少数なわけで。
ネットに複数あがってた”エスカレーターというのはキホン健常者の「階段の上りはキツイから」という考えで設置されているのだろう”~という意見にも、なっとく。
もちろん「上り」がつらい人もいてはるんやから、両方必要です。

▲くわえて思うのは、その場所(表示)が とてもわかりにくいこと。
わたしが方向おんちというのもあるけど、それでなくても移動困難な人が右往左往して探すことになるんよね。そして、こういうところにも、駅が(会社が、この国が)どんな乗客(ひと)を一番に考えて動いているかというのがよく現れていると思う。

▲車いすで行動している知人の話、姉や友だちが孫のベビーカーを押すようになって、駅や施設のエレベーターの不便さに改めて気づいたと、言うてるのを耳にして。自分もまた杖ついて出かけて(はじめて)見えてきたことも多い。けど、どんなことも、自分の身に起こらないとわからへんというのでは、経験が追いつかへんから。
そこは想像力をはたらかせないと、と思う。そしてその想像力の元は何かひとつでも「深く」「知る」(知ろうとする)ことから始まる気がする。

▲さて、乗り換え駅に着いて、いつものようにシュークリームや天ぷらを買うて特急電車に乗り込んだ。
がらーんとした車内。この時期によしの方面に観光で行く人はいてはらへんのやろね。桜の季節より紅葉のころより、いま時分の山や川の方がええのになあ~と「元・地元民」は右側窓際(川が見える)の席につく。
よく効いた暖房のなか、さっき買ったごぼ天、白天、しょうが天に小海老寄せ・・揚げたて天ぷらのにおいがぷーんとする。

▲発車してすぐに、後ろの席からはリズミカルな鼾が聞こえ始め、斜め向こうのカップルは職場の話から芸能人の近況(苦笑)経済の話、と幅広くてたのしそうだ。
わたしはもってきた『ミラノの太陽、シチリアの月』(内田洋子著・小学館刊)を開く。再読やのになんか初めての気分で読み始める。
ていうか、この方の本は何故か読むたびに初めて「話を聞いている」感じ。もちろん聞いてる(読んでる)うちに、うすぼんやりとした絵がだんだんはっきりして、そうそう、そういう話やったな~と思い出すんやけど。しばらくすると又「お話」を聞いてみたくなるんよね。

▲途中停車駅で、はっと顔をあげると試験だったのか、平日の11時すぎなのにホームは制服姿の高校生であふれていた。
紺のブレザーに、ころころした金ボタン、ちょっと縦長の襟の白いブラウスにはエンジのリボンが結ばれて。ボックスプリーツのスカートがホームをぬける風でめくれて、女の子たちがさわいでる。

▲きゃっきゃっ笑う声が車窓のむこうから聞こえてくるようで。そんで、そんな中にかつての自分や友だちの姿が一瞬見えた気がして、どきんとする。
あんなにきらってた「ガッコ」や「制服」やのに。(そして、いまも「制服」はきらいやけど)なんだか胸がいっぱいになって。そんな自分にちょっと戸惑うてるうちに電車は又ガタンガタン揺れながら進み始めた。

▲そのうちカーブや揺れと軋む音がはげしくなって、トンネルをぬけて故郷の駅に着く。
暖かな車内から降りると、ホームは冷凍庫を開けたみたいにつめたくて、足元から一気に冷えがのぼって。ああ、よしのに帰ってきたなあと思うのもいつものこと。
改札を出ると、姉が車の中で身をよじってこっちに大きく手を振っているのが見えた。まえに贈った赤いカーディガンがよく似合ってる。

▲普段はあまりやりとりしてないのに、喋り出したらとまらないのはやっぱり姉妹ゆえ?母に聞かれて困るということもないんだけど、家に着いてもなお車の中で二人話し込んで。
「あ、早う降りんと、お母さんが遅いなあ~ってやきもきしてるで」と笑いながら、やっと車から出る。

▲夏がくると母は93になる。
ここ数年よしのに行くとき、母とはこれが最後かもしれへんしなあ~とか、ふと思ったりするんだけど。
実際会うと元気づけるつもりが、その好奇心と向上心にうちのめされ(苦笑)
「あんたら、まだ若いねんからしっかりしなはれ」と 負けん気のつよい女の子がそのまんま93になったみたいな母に ハッパかけられて帰ってくることになるんよね。

▲女三人話は途切れることなく・・・予定より2本遅らせたけど、あっというまに帰る時間になって。
「ほな、またな」と母とハグ。「また」「こんど」が長くつづきますように~と思いながら姉の車で駅に。
夕暮れどきの川がしみじみとうつくしい。
駅のホームの椅子は氷みたいに冷たかったけれど、母や姉がなんべんも言うてた「よう帰ってきてくれたなあ」という声が耳元に残ってて、「家」をおもう。
そして、そうか~電車が来るのを待ってるここもまた「ホーム」やなあと思う。

▲やがて単線の駅に似合わないぴかぴかの特急電車がきて。
しばらく、ぼーっと窓の外を眺めてまた本を開いた。
見開きにあったことばは、そのまま内田洋子のエッセイの、というかジンセイそのもので。電車の揺れも軋む音も本読みの背景のような気がした。

”Il sole le nuvole, la luna sul mare.”
「雲間からも日は差し込み、闇を照らす月もある」


*追記

その1)
じっさいは駅の「ホーム」はプラットフォーム (platform) で、ホーム(home)とは関係ないんですけどね。
電車が発車して帰ってくるのは、なんかhomeみたいやなとおもったのでした。
(「鉄道駅において旅客の列車への乗降、または貨物の積み下ろしを行うために線路に接して設けられた台である。日本では多くの場合、「プラットホーム」、略して「ホーム」と呼ばれる。古くは歩廊と呼んだ。」by wiki)

その2)
ふだん根が生えたみたいに出不精なのに、このよしの行きの後、長いこと観たかったイタリア映画『ポー川のひかり』(エルマンノ・オルミ監督・脚本)の上映会が近くの公民館であることを知って出かけ、翌日は翻訳者・宇野和美さんの講演「スペイン語圏の子どもの本へのいざない」を聴きに行く、という行動派に(笑)
もしかしたら、よしので母にハッパかけられたからやろか?
このふたつのことはぜひ書き留めておきたいので、次回かならず(と書いて忘れれんようにしよう)


その3)
それから映画(DVD)もいくつか観ました。このどれも伝えたいことだらけやから、近いうちに書きます(つもり)
『さよなら人類』
『ぼくらの家路』
『明日へ』

その4)
きょうはこれを聴きながら。
Laurent Petitgand - Parfums (Version gastronomique)→
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by bacuminnote | 2016-03-05 10:44 | yoshino | Comments(2)