いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2016年 04月 ( 2 )   > この月の画像一覧

 I'm here.

▲ネットの地震情報をみるたびに新たな記載があって、そのつど胸の潰れる思いでウインドウをとじる。どうか、どうぞ、一日も早く鎮まってくれますようにと祈るようなきもちで過ごしている。

いま「祈るようなきもち」と書いたけれど、「祈る」ってどういうことなんやろ。無力な自分が最後にできること? けど宗教をもたないわたしは何にむかって祈ってるんやろ?・・と、時々わたしの中で、ことばがぐるぐる回る。

▲この前読み始めた『小さな本の大きな世界』(長田弘 著 /酒井駒子 絵/ クレヨンハウス刊)は長田弘さんのおすすめの本145冊についてのエッセイで。その中に『いのり 聖なる場所』(フィリモン・スタージス 文 /ジャイルズ・ラ・ロッシュ 絵/さくまゆみこ訳)という絵本についての1篇があった。

▲この絵本は前に読んだことがある。世界のあちこちにある 祈るためにひとが集まる聖なる場所(28ヶ所をペーパークラフトで再現)を訪ねてゆくんよね。
「何百年もかかって、きずきあげた聖堂」もあれば「かんたんには行けない教会や寺院」も、「町の中の会堂で」祈る人も、満点の星の下だってある人にとっては祈りの場所となる。

▲長田弘さんはこの絵本についてこんなふうに語ってはった。
【それでいながら、なぜ、このようなうつくしい祈りの場所をもつこの世界に、いまなお、戦い、争い、災い、破壊、流血、苦しみ、悲しみが絶えないのか。この不条理な世界に建てられた聖なる場所をたどるうつくしい絵本をひらくといまさらのように、祈るとは「みずからを問う」こと、それも「みずからを深く問う」ことにほかならないのだということに気づきます。】 (p29より抜粋)
「みずからを深く問う」ということばに、頷きたちどまる。

▲地震の報道を目にすると、避難所でのあらゆる問題(一箇所に人が大勢集まるということだけでも、種々問題が起きるのは想像できるのに、災害時に、となると想像をこえる場面がいっぱいあると思う)を挙げた記事にいろんなことを思う。
何かの告知の仕方ひとつでも、目に見える、見えない、病気や障碍を持つ人への配慮が足りていないことを知って。
ふだんいかに多数派的思考の中で、さもそれが当然のように暮らしてることに気付かされる。

▲たとえば、うちには食物アレルギーをもつ家族がいるので、わたしは災害時には避難所で配られる食べ物のことが気になる。とりわけ小さい子どものこと。食べられるものがあるのか?周囲の理解は得られてるだろうか?わがままだとか、「ちょっとぐらいなら大丈夫」とか、言われてないだろうかと。
それに今はわたし自身が膝痛で、床に寝たり、椅子のないところで座るのができなくなってるし、夜中にトイレに立つことも多く。そういうことで困ってる人いてはるやろなあと想像する。

▲たぶんこんなふうに自分や家族、友人といったごく身近な人たちの経験を通して、ひとは他者のしんどいとこや痛みや不便さをも想像していくのだろうと思うけれど。
そういう想像の及ばないことがまだまだいっぱいあるのだと、今回も気づくことになった。そして、それは何より当事者や周囲の人、支援者の発信ゆえ(感謝)~伝えてもらって初めて知ること、ほんま多いです。

▲そんなことを思いながら、洗いもんしてたら注文していた本(『恋の相手は女の子』室井舞花著 岩波ジュニア新書刊)が届いた。
表紙には背の高い女の子と帽子をかぶった背の低い女の子が白いドレスにブーケ持ってるかわいい絵。
前述した読みかけの本もあるし、あとでゆっくり読もう~と思いながらパラパラ見てるうちに結局「せなあかんこと全部」ほったらかしたまま読了(苦笑)

▲タイトル通り、恋の相手が女の子だった女の子が語り手なんだけど。
初恋の話から教科書に書いてあった「思春期には異性に関心をもつ」に、わたしはまちがってるのか、わたしは何者?とひとり悶々となやんで。やがて大学をやめてピースボートに乗船。そしてカミングアウト。

▲苦しみながらも、すこしづつ解きはなたれてゆく様子が、嘘のない、ときに不器用なほどまっすぐなことばで綴られて。
そのつど泣きそうになったり、うれしくて声あげたり。
読みながらわたしは舞花さんの同級生になり、友だちになり。母親になり、親戚のおばちゃん的視線になったりする。

▲舞花さんほんま、よく書いてくれました。(会うたこともないけど)ありがとうと言いたいきもち。
セクシャリティの問題だけやなく(もちろんこのことはこの本のだいじなとこなんだけど) 他者(多数派)と「ちがう」ことに自信なくしたり、自分を見失いそうになってる子どもたち(大人も!)に、この本が届くといいなあ。どうか届きますように。
せやからね、この本が岩波の”ジュニア新書”から出たことがとてもうれしい。(さっそく図書館にもリクエスト票を書きました)
そして、その意味では子どもらにとって近いキョリにある教科書にこそ、多様な性や家族のあり方が取り上げられるべき、とも思う。

▲3年前にはパートナーの「ぶいちゃん」と「新郎のいないウェディングパーティー」を開いた舞花さん。(表紙の絵はそのときのものらしい)
ふたりでセクシャルマイノリティの生きる風景の写真展を友人たちと企画したり、「学習指導要領」にその存在を配慮した内容を盛り込んでもらうための署名キャンペーンをしたり、とたのもしい。

▲いつのまにか薄暗くなった部屋で、本を閉じて、これを読む前に洗いもんしながら思ってた~避難所におけるマイノリティのことをふたたび考えた。
「知らないこと」「ちがうもの」を知ること。知ったら知らん顔をしないこと。

【「ここにいるよ」と言わなければ、「いないもの」になってしまう。話しつづけなければ、だれにも伝わらない。】
(p64第二章「私自身が変化になる」 より抜粋)

▲そうそう、ふと見た本の帯に「女らしくでも、男らしくでもなく、わたしらしく生きたい」のことばの下に風見鶏の絵があって。
方位計にはNSEW(東西南北)ではなくLGBTと書かれてあった。
おお~と一気に頬がゆるむ。
そう、いろんな方位があって、わたしらはどこにだって行けるんよね。


*追記
その1)
この本には用語集や最後におすすめの本や映画なども書かれていて、ええなあと思いました。ここから広がってゆくものもある、よね。本文中のリンク先(岩波ジュニア選書のサイトの、この本の書影をクリックすると、くわしい解説が読めます。ぜひ)

用語集には↑で最後に書いたLGBTについては
(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダーの英語の頭文字。セクシャルマイノリティの総称として使われることも多い)

その2)
この本を読んだあと、たまたまネットで【ことしもまた、新たなえにしを結ぶ会'16】 第3部 の様子をyoutubeで観ました。以前読んで衝撃をうけた『リハビリの夜』(ここに書きました)の著者・熊谷晋一郎氏のスピーチを聴いてみたかったのですが→(2:31~2:40のあたり)さっきまで考えてた「ちがい」の話から始まって!
「ちがい」の過大評価と過小評価~そして熊谷さんが研修医のころのエピソード。ぜひ。

で、熊谷さんの話を聴いたあと、そのままにしてたら「EMA」のメンバーのスピーチが始まりました。EMAとは【Equal Marriage Allianceの略で、平等な結婚、つまり同性結婚が認められる社会を目指すという意味】やそうです。
ホームページ→には同性婚についてQ&Aなどとても丁寧に書かれています。
思いがけず、というか、自分の中にひとつ何かがうまれると、次々いろんなことがリンクしてゆくのは、ほんまエキサイティング!


その3)
せや、せや。書き忘れてました。
『小さな本の大きな世界』がええなあと思うのは、長田弘的選書、すいーっとええ風ふいてゆくような文章と。それから「掲載の書誌データは、すべて著者の蔵書に基づきます」っていうのです。
読んだ本や持ってる本があると、きゃあとさけび(ミーハー)それがだいすきな一冊やとおおさわぎしてます。『あんこの本』(姜尚美著・京阪神エルマガジン社刊)とかね。→


その4)
きょうはこれを聴きながら。
Radical Face- 'Welcome Home'→
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by bacuminnote | 2016-04-24 16:37 | 本をよむ | Comments(0)
▲久しぶりに風邪をひいて寝こんだ。
熱もなく咳もなく、くしゃみ鼻水だけが延々続くだけなのに(だから、最初は花粉症かと思ってたんだけど)からだの芯に力が入らず、ついつい「ああ、しんど」と口に出る。このこらえ症のなさは歳のせいやろか。そして、「弱り目にたたり」(苦笑)というわけで、何年ぶりかで眼科に。「風邪とアレルギーも両方ですねえ」とのこと。だぶるぱんち!

▲それでも、しんどいと思ったらすぐに横になれる(いま)は、ほんまにありがたい。パン屋やってたときも、子どもが小さかった頃も「しんどい時に寝る」という当たり前のことが、なかなかできなかったもんね。ただ、自分ちが仕事場のわたしは、一仕事しては寝る。また起きて仕事、ということもできたんやけど。

▲おなじ自営業でも母はわたしが子どものころ、それがかなわなかったのか、寝込んでた記憶は一、二回しかない。
風邪ひいてガッコ休んだ日。お昼すぎになって熱が少しさがってくると退屈で、こっそり起きだして本を布団の中にもちこんだり、「おかいさん」(吉野の茶粥)ではお腹がすいて台所をウロウロして母にみつかると、「早う大人しい寝てきなはれ」と怒られた。
そんで、ひとりごとみたいに「あああ、わたしも誰かに早う寝てきなはれ~っていっぺん言うてもらいたいわぁ」と笑いながら、また仕事にもどってゆくのだった。

▲いま同じように内でも外にでも仕事をもち、子どもが小さい家のお母ちゃん(お父ちゃん)に思いを馳せる。
最近は同世代の友だちらが「娘が、孫が・・」と病気のときの助っ人に活躍してる。「おばあちゃん」が来てくれて、ほっとしている若い家庭が浮かぶようで。ほんまによかったなあ~と思う。
その一方で、頼れる人がそばにいない家庭では、やっぱりお母ちゃん(お父ちゃん)はしんどくても休めないんやろなと胸がいたむ。

▲むかし(前に一回ここにも書いた気がするけど)若い友だちに聞いた彼女のママ友の話。
保育園は子どもが37度をこえると預かってもらえないから、朝、解熱剤で一旦熱を下げて登園する。うまくいけば、一日熱は下がったままで親は仕事ができる。解熱剤の薬効がきれて(ちょうどお昼ごろ)熱が上がって園からの呼び出しがあっても、午前中の仕事を終えたあとだと「早退」もしやすい~と。

▲びっくりするわたしに彼女は言う。
「でもね、近くにおばあちゃんや子どもみてくれる人もいないとか、いても仕事もってたりすると、そうするしかないんよ」
おかしいよね。ていうか、この国の子どもをとりまく環境は(も)おかしいことだらけ!
保育園が足りない、保育士が足りない、だけやなくこういうときのサポートする仕組みもなくて。

▲そんなことを思いながら、そろそろ暑く感じ始めた冬布団の中で、かっかしたり、ため息ついたりしているうちに寝入っては目覚めをくりかえして。
夕方洗濯物をとりいれるのに庭にでたら、お隣の八重桜が知らんまに満開になっていて、濃いピンクのぼんぼりが細い枝には重たそうなくらい一杯で。
バスタオルやパンツを腕にかけたまま、しばらくぼぉーっと見上げてた。

▲そういえば、吉野山にお花見に行くというてた友人二組はそろそろ下山の頃かな。
今年の吉野の桜は早くて、そろそろ散り始めてるみたいやけど、日曜日やし、ええお天気やし、すごい人出なんやろなあ~と心配になる。
どこでもハイシーズンの観光地って、ええかげんな接客とか、がっかりすることがよくあるから。
「吉野に桜見に行こうと思うんやけど」と友人知人に声かけられるたびに「春はやめといたほうがええと思う」と水をさすわたし(苦笑)すきなひとの一番ええとこを、友だちには見てもらいたいきもち、やろか。

▲夜になって、一組目からメール。
「強烈な人混みの中。せやけど、きれいやったから大満足です」「次は静かな季節に山々を楽しむ歩き方をしたいです。ほんまにええとこやね」
山歩きの好きな友人らしい文面に、そして「大満足」「ええとこ」に頬がゆるむ。
しばらくすると、もう一組の若い友人のメールとツイートにも、人は多かったけど行ってよかった感満載で、ほっとする。

▲彼女のツイートには駐車場でのエピソードが写真つきで紹介されていて。
ワイパーに挟んであったという手書きのメッセージ。これが一台づつにあったそうで。
「お帰りなさい。お先に帰らせていただきました。(中略)お車を出したあとロープを元に戻しておいてください。本日はありがとうございました。お気をつけてお帰り下さい。スタッフ一同」
メールにはその日出会った吉野の人らがみな親切であけっぴろげでいい感じやった~とあって。

▲直接ではないけど関係者でもある旧友に知らせたくてさっそくメールする。
観光にかかわる家業のもとで大きくなって、お客さんに当たり前と思うことをしただけでも、うれしい反応を聞くと、「よかった!」と思うから。してもらって「うれしかったこと」はちょっと照れくさくても思い切って「伝える」ことにしてる。
彼からはすぐに「うれしいメールありがとう!」と山の桜の動画付きで返事があった。(わたしまでお花見させてもろた。おおきに。)

▲そういえば、前に『ひとりの午後に』(上野千鶴子著)で、著者のふるさと金沢への思いを読んで、共感したことを思い出した。(ここにも書きました)
【とりわけ金沢という街は、過去が澱(おり)のように溜(た)まって、変化を拒む土地がらだ。ものごとが堆積し発酵する、腐臭すれすれの匂いがする。】

ふるさとゆえにきびしくどこか屈折した眼でみてた地。わたしも六十すぎて、絡まった糸がようやく少しづつ解けてきたんやろか。遠くのひとにほめてもろて、うれしいはずかしいうれしいきもち。

▲そうそう。駐車場のことおしえてくれた彼女は、なんと某所にてわたしの姉と会う(もちろん、その時はどちらも「わたし」つながりとは つゆ知らず)というサプライズまであって。あとでわかってびっくりしたり大笑いしたり。
そんなこんなを相方やら別の友人やら、姉に母に、としゃべりまくって、久しぶりに吉野、吉野の時間なり。

▲そして、ふっとおもう。
もし「わたし」を介して会えるんやったら、この春遠いとこにいってしもた友だちが、もっと前のやっぱり春に 駆け足でいってしもた友だちとあえたらええのに。「あの子は食い意地はってるわ、しゃべりやわ、で、どうしようもなかったな」と、はじめましての挨拶もそこそこに、空からわたしのことクサして笑うてビールで乾杯してくれるとええのに。
春はいつもにぎやかでさみしい。
「花びらの空に遊びて降りて来ず」 
(長谷川櫂句集『吉野』櫻花壇(六))



 *追記
その1)
よしのの時間といえば、ちょうど同じころ旧友と前登志夫さんの話に。そういえば桜の今ごろ亡くならはったんでした。(→ここに書きました)

その2)
きょう書くつもりで、書き始めたブログやったんですが。時間切れ(苦笑)
高山なおみさんの本三冊。
料理研究家という肩書ゆえに、これまで素通りしてたけど(!)料理とひとの話はどれも著者の誠実な(たぶん)ひとがらがにじみ出て。うそがない。このひとの拵えるごはんは旨いやろなと思いました。
『フランス日記』『帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ。』『たべる しゃべる』

その3)
おなじく書きそびれたけど、観た映画(DVD)
『マルガリータで乾杯を』かんたんによかったぁ~と言える内容じゃないんだけど、若い女の子の(前に「障がいのある」という説明がつかなくても)きもちに同調したり反発もしたりしながら~(もちろん差別や偏見に立ち止まって考える作品でもあるのだけれど)これは青春映画やなあと思いました。若いって、時に残酷でエキサイティングで、やわらかでもあり、カチンコチンであり。おもしろくてせつない。

予告編(例によって、日本語字幕ない版です→英題は”MARGARITA, WITH A STRAW”
「脳性まひ」のことは以前読んだ『わたしのこころのなか』ここに書きました)や、映画では『オアシスby wiki(イ・チャンドン監督)が印象深く残っています。この映画もう一回観てみたい。

その4)
その3で書いた映画をみたあと、”マンモインタビュー”を読んだらたまたま車いすユーザーの方でした。入院中の子どもの教育のことなど、当事者の発言ゆえ、知らなかったこともふくめよけいに響きます。

樋口彩夏さん「思いを率直に伝えれば、必ず伝わり変化する」→

その4)
きょうはこれを聴きながら。
Nina Simone - The Amazing Nina Simone - 05 It Might As Well Be Spring →

JUNE TABOR - He Fades Away→
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by bacuminnote | 2016-04-13 23:30 | Comments(0)