いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2016年 05月 ( 3 )   > この月の画像一覧

▲母に電話しよか、とおもうのはたいてい夕暮れ時だ。
買い物にも行って、洗濯物とりいれて、お米もしかけて。ちょっと一杯(!)を始めたころ。
母の方は、デイサービスに行って来た日なら、帰って来てごろんと横になってひと息ついてるころ。どこにも行かない日は、あーあと退屈している時間帯。
せやからね。

▲その時分ねらって、だいどこでお湯沸かしながら煮物しながら「今日はええ天気やったなあ」「暑いなあ」「で、どない?」とか~そばにいるみたいに話しかけて。
返ってくる第一声がその日の母の調子を現している。
「まあまあでっけどな。なんとかやってますぅ」と明るい声のときも、「それがなあ、あかんねん」から始まって、あとは堰を切ったように体や足腰の不調や日々の愚痴のエンドレスな日もあって。「かけんといたらよかったなあ」とおもうこともあるんやけど。

▲そんなときにも話題が吉野の料理のことになると、このかた、とたんに声のトーンが上がるんよね。受話器のむこうで、“ごろーん”から“しゃきーん”に~きっと背筋まで伸びてるんやろなあ、と母のはりきりようが浮かんできて、わたしもうれしくなってくる。

▲そうして改めて、やっぱり長いこと厨房に立ってきたひとやなあと思うのだった。(→)この間はツイッターで思いもかけず「ゴリの甘露煮」の話が出たので、さっそくその話を。
わたしの生まれ育ったまちにも、昔は川の魚を専門にとる人が何人もいてはって、鮎やゴリキ(「ゴリ」のことを吉野ではこう呼んでいた)がとれると、ウチや他に当時は何軒もあった旅館に売りに来はった。

▲「ゴリキは死んでしまうと味もおちるし、炊いてもぺしゃんとして身が割れるし、活きている間に炊かなあかんから、忙(せわ)しないことやった」と母は懐かしそうに話し始める。
バケツから笊にあげたゴリキはぬめりをさっと水で流し、調味料がくつくつ煮立ったとこに一気に投入。これ書いてるだけでも、そこらじゅうに甘辛いええにおいが広がるようで、魚好きのわたしはごくんとつばをのむ。

▲ゴリキの甘露煮や山蕗の佃煮に、とよく使っていたこの古い大鍋(直径50cm~深さ30cm近くある。いまもゲンエキらしい)も、その前に立つ母の姿も、よく覚えている。
いつもあれもこれもしながらの作業やからね、たまに焦げ付いた大鍋が水はって流しに長いこと置いてあったりもして。
鮎料理では氷割るのにアイスピックで手ぇ突いたり・・。病気で寝込むことはなかったけど、そそっかしい母はケガもよくしていた気がする。

▲娘時分はろくに包丁も持ったことのない「オットリした性格やった」(自称)らしいけど。ほんまやろか。
ぴんぴん跳ね回る大きな鯉やうなぎまで料理してたのに、よく大怪我しなかったことやと思う。何より、母ひとりに忙しい思いさせて父(調理師やのに)は、いったい何しててんやろ?と、昔話に登場するたびブーイングの的は亡き父となるのであった。

▲さて、
その日は相方と夕飯食べながら、さきに電話で聞いた母のゴリキ話から、わたしの子ども時代、吉野川周辺が賑やかやった夏の話になって。
夕方から出る鮎舟も、(→)そうそう鵜飼もしてたことがあったんよ~というと、「鵜ってたいへんやのに誰が世話してはってん?」と相方。そういうたら、誰にでもできることやないよねえ~ということになって、再び母に質問の電話をかけた。

▲「わたしにわかるかなあ?」とか言いながら、どんどんパワーアップして頭もフル回転の母。
当時商工会が中心になって吉野川で鵜飼を始めようということに。最初は岐阜・長良川から鵜と共に鵜匠に夏の間滞在してもらっていたことなど話してくれた。
高度成長の波もあり、春だけでなく夏にも吉野を訪れる観光客も多くて。そのころは何か新しいことをやってみようという気概に町全体が満ちてたんやろね。
そうして亡き父もそんな人たちの中の一人で、アイデアを出してはいろんな交渉に走り回ってたらしいと知る。(せやったんか~おとうちゃん、ええとこもあったんや)

▲結局5年ほどで鵜飼はおわったみたいやけど、鮎舟はその後もしばらくの間続いていたと思う。ウチが旅館をやめたのは(→)もう少し後のことになるんだけど。そして、それからも厨房のひとであり続けたんだけどね。
「どっちにしても、みんな昔話になってしもたなあ」と母がさみしそうにわらう。
働いて働いて、座ってご飯食べてるところを見たことがないほど、忙しくしてきて、「昔はよかった」なんてことはない、と思うのに。

*追記
その1)
これを書く前にちょっと調べてたら「ゴリ」と各地で呼ばれている魚にも色んな種類があることを知りました。
広島市水産振興センターのサイト『ゴリと呼ばれる魚たち』→によると、吉野川(川底)にいたのは”カワヨシノボリ”という魚のようです。

「ゴリ」はその漁法(むしろやかごを仕掛けた方向にゴリを無理やり追い込む漁)から「ゴリ押し」の語源になったとも言われているらしい。
食べるばっかりで(!)こういうこと全然知らんかったなあ。
そして、
ひとつわかると、またひとつわからないことが出てきて。
おかあはん、せやからね。聞きたいこともいっぱいあるし、まだまだ元気でいて、夕方の電話の相手してください。

その2)
郷土の料理というと『聞き書き 奈良県の食事』という本を(そして、その本の中にジッカから資料提供していることも)三度笠書簡のわこちゃんに教えてもらいました。
吉野の鮎漁(あい、と地元では発音)のページに載ってるおっちゃんは、子どものときからよく知ってる方で、久しぶりになつかしく眺めました。

そういうたら、手元に『大阪府の郷土料理』→(上島幸子・東歌子・西千代子・山本友江 著 同文書院1988年)という本があります。
帯には【”まあ、おいしそうやこと”  先人の心と技と知恵が生んだ味を、多くの人から掘り起こし、科学して伝えたい! 】とあって。こういう感じの本に「科学して」とあるのに、びっくりしつつ、しびれます。

今回改めてゆっくり開いて、そのていねいな説明ときめ細やかな取材におどろいています。
大阪いうたら、たこ焼きとお好み焼きやと思われがちですが、なかなか、さすが食の大阪~知らんかったこともいっぱいで、上記の聞き書きの本と共に、とても興味深い一冊です。

実はこの本、著者のおひとりは、わたしが十代のおわりに京都で下宿していたお家の方です。そのころも大学に時々教えに行ってはる、と聞いていましたが。当時小学生だったお子さんやおじさんが寝てからも、夜おそくまで、おばさんの部屋に灯りがついていたのは、講義の準備や研究をしてはったんやなあ。

その頃、はねっ返り娘でわるいこと(ん?)ばっかりしては、おばさんを怒らせたり ひやひやさせてたわたしでしたが、いつも温かくだいじにしてもらいました。そしてその後も「忘れられへん子やった~」(!)と、この本が出たときも贈呈してくださったのでした。感謝。
長いこと連絡してないけど、おたよりしてみよう。

その3)
今回書けなかったけど読んだ本のメモ。
『村に火をつけ、白痴になれ  伊藤野枝伝』(栗原康著 岩波書店2016年刊)→
『群像6月号』群像新人賞「ジニのパズル」(崔 実(チェ・シル))
『ハイスクール1968』(四方田犬彦著 新潮社2004年刊)

その4)
この間みつけた絵本(だいすき!)『ぺろぺろキャンディー』(ルクサナ・カーン 著 ソフィー ブラッコール絵 もりうちすみこ訳 さえら書房刊)の原本の朗読。かわいい!
”Big Red Lollipop”→


その5)
いつものことながら、だらだら長くてすみません。
今日はこれを聴きながら。
Ry Cooder - How Can A Poor Man Stand Such Times And Live →

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by bacuminnote | 2016-05-26 16:08 | yoshino | Comments(6)
▲窓の外は、緑、緑、緑で。ああ、ほんまにええ季節。
洗濯物干す手休めては何度も木々を見上げる。
♪濃いも薄いも数ある中に~は紅葉のうたやけど、緑もまた。
「目がまはる青葉がまはる空まはる」(火箱ひろ)

▲その昔まだグーグルマップに航空写真しかなかった頃、以前暮らした開田高原や、ジッカの辺りをみたら、みごとに一面深い緑で。あまりに緑だけやったんで、思わず笑ってしもたんよね。
山があって川があって、自然がすぐそばにあって。
そんなこと、なんか当たり前のことのようにして大きくなって。さいわい、開田もよしのも、今も緑のなかに在るけれど。

▲いらんもん仰山建てて。地震もおかまいなしに「再稼働」企てて。経済優先の社会は相変わらず「だいじなもの」をどんどん壊してゆく。
日々、手を変え品を変えては 耳に入ってくるこの国の政治家の「とんでもなさ」には煮えくりかえる思いがする。どっちむいても税金を私物化して、表でも裏でも(!)好き放題使い放題って話ばっかり。

▲そういうたら、さっき何気なくみたウェブサイトで、茹で卵の輪切りの黄身と白身のバウンスがきれいに出るように、とかまぼこ状の茹で卵(←とは呼べないと思う)という商品の紹介記事を読んだ。
普通の茹で卵の輪切りのように無駄(!)がでてこない(という)この商品はコンビニのサラダや外食産業で使われてるらしいんだけど。(製造課程の動画→
もっとショックだったのは、こんなものが「便利」とか「業務用ではなく家庭用にもほしい」とかいう書き込みで。
この国もこの世界も、ほんまにどうなってゆくんやろなあ。

▲この間『シャーリー&ヒンダ ウォール街を出禁になった二人』(原題"Two Raging Grannies” ホーヴァルド・ブスネス監督)というドキュメンタリー映画(DVD)を観た。
アメリカはシアトルの小さなまちに住む二人はシャーリーが92歳、ヒンダが86歳の仲良し。二人とも電動車椅子ユーザーで、車椅子二台前後並んで出かけてゆく様子はなんともほほえましい。
が、二人を「ほのぼの」だとか「おばあちゃんが」なんて表現したら、しっぺ返しをくらうほど、二人とも好奇心も向上心も旺盛でその行動力といったら。

▲予告編の冒頭にもあるように、二人は経済成長に疑問をもつんよね。
「経済成長は必要なのか?」という問いに「どうすればいいか分からない」とシャーリーが言えば、間髪をいれずヒルダが「”分からない”としか言えないの?もう(“分からない”は)聞き飽きたわ」と、なかなか手きびしい。
そもそもは孫がラジオでホームレスのひとの話を聞いた、というので孫に家をなくした人の話をどんな風にすればよいか、ってところから始まるんだけど。

▲これが単なる茶飲み話で終わらないところが、この二人のすばらしい(おもしろい)ところで。
この疑問を解決すべく大学に聴講に行って、講義中の教授に質問しては怒られ、あげく「退出してください」と通告されて。
この映画、ドキュメンタリーながら、ちょっとドラマのようでもあり。場面によっては「あれ?」と思うところもあるんだけど。この講義場面では学生たちがシャーリーの質問や、それに対する教授の「退出せよ」にも、そもそも同じ教室の彼女たちの存在にもいっさい無関心なのが気になった。あんなものなんやろか。

▲その後、キャンパス内の大学生に意見を聞いてみたり、経済アナリストのもとに向かったり。
その合間に膝の手術を医師から勧められるヒルダのエピソードが挟まれ、まさに今膝痛を抱える者としては身につまされる。
ヒルダの死ぬ前に「もう一度NYに行ってみたい」っていうのと、二人の解決しない経済への疑問とが重なり。ついにはNYに、ウォール街へと話は発展するんよね。

▲シャーリーの息子(or義理の息子かも)に、NY行きを告げたとき、彼が「いいねえ。相棒とNYか?」って言う場面があって。ええなあ。ええよね。若いひとに羨ましがられるのって。
90歳近くなって友だちと飛行機に乗って遠出。しかも行き先がNY行きやなんて。かっこいい。
そして、やんちゃな二人はついにウォール街へと乗り込んでゆくんよね。ここからがドキドキするところだけど、これから観るひとのためにもがまん。とにかく、二人が行く道は多難だ。
でも、シャーリーが言う。
「わたしたちは種をまくのよ」

▲たまたまなんだけど。
この映画を観た翌々日に、旧友のj が久しぶりにウチに来て。
彼女にこのDVDを観てもろてる間に夕飯の仕度を~と思ってたんだけど。jの反応が気になって、何度も台所から移動して彼女の横で立ちながら鑑賞(苦笑)結局椅子運んできて、一緒に笑うたり茶々を入れたりしながら、わたしも最後まで観てしまった。

▲経済問題を考える二人、っていうより(いや、そのことはとても大事なんやけど)歳とってもなお「わからないこと」をそのままにしない、いい加減にしない二人。
「あなたといると時々疲れるわ。何度も同じことを言うんだもの」とか、結構キツイことを言い合ったりしながら(きれいごとだけのつきあいやないとこも共感)二人ともユーモアがあってチャーミング!
そんでね、老いてゆく体や気持ちに、掛ける言葉もお互いちょっと荒っぽくて。
だからこそほんまにお互いをだいじに思って寄り添ってる感じに、じんときた。

▲せやからね。
わたしらもまた(あの二人ほどの勇敢さは持ちあわせてないけど・・)好奇心と向上心をもち、時に(いつも?)あほなこと言うて、笑うて、これからも長くたのしくやってゆきたいと思った。
何より、この映画をいま彼女と観ることができてよかったな。

▲・・・てなことやってたせいで、案の定(というか、やっぱり)料理もちゃんと拵えることができなかったけど。
ええかっこしても始まらへん四十余年の仲やしね。
いつも通り あり合わせのおかずと持ってきてくれたワインで乾杯。
つもりにつもった話は、あっちにとび、こっちにとび。
思いきり笑うたり、郷愁と感慨にふけってるうちに、戻るべき「始点」もわからへんという、相変わらずのおおぼけぶりだったけど。
「おやすみ」と言う前までしゃべって。ええ夜でした。
冬の句やけど、冒頭とおなじく火箱ひろさんの一句を思い出しながら。

「歯が大事友だち大事冬林檎」 (火箱ひろ)


*追記
その1)
この映画公式HPには、アラナイ(アラウンド90歳)のおばあちゃん【シャーリーとヒンダは大金持ちでも、ビジネスマンでもない、ただのおばあちゃん。当初は「買い物に行くくらいしか思いつかない」といっていた2人が、好奇心の赴くまま質問を重ねるたびに、どんどん知識を吸収し成長していく】って風に書いてるけれど。
二人はそんな「ただのおばあちゃん」(というと語弊があるけど)ではないです。→プロフィール(HPのCAST&STAFFのところ)

もちろん、何かのきっかけで「突然」目覚めることはあると思うけれど。
やっぱり、若いころから「考える」あるいは考えたことを「話したり書いたり」のレッスンは必要、と改めて思う。
どんなことにも「何故?」と疑問を持つ。わからないことを自分で考える。誰かに話す。聞いてみる。考え続ける。そして、行き着くところは「教育」かなと思う。(やっぱり!)
とりわけいろんな環境下の子どもたちが集まる公教育で(もちろん、それが合わない子どももいるんだけど)こういうレッスンを積み重ねてほしい、と願います。

その2)
『シャーリー&ヒンダ』と一緒に借りてきたDVDが同じくドキュメンタリー映画の『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』→ シカゴで暮らす青年ジョン・マルーフが、オークションで大量の古い写真のネガを380ドルで落札。彼がその一部をブログで紹介するとたちまち評判になり。15万点以上もの優れた作品を撮りながらも、1枚も発表せずに亡くなった女性ヴィヴィアン・マイヤー。謎につつまれた彼女が歩んだ軌跡や、知られざる素顔を追っていくのですが。

ヴィヴィアン・マイヤーの持ってるカメラ~ローライフレックスは亡き父も持っていて、なつかしかった。
映画のなかで「ローライフレックスは一種の隠し撮りカメラだ」と言ってた人がいて。それは、普通のカメラとちがって、撮影者は被写体に真正面から向き合うのではなく「覗きこむ」から。
そういうたら、相方のカメラはハッセルブラッドでした。
わたしは(撮影者がローライとかハッセルとか)覗き込んでる時の姿~あの四角のなかの被写体をみている感じが好きでした。

その3)
このまえ図書館で『こどもたちはまだ遠くにいる』 (川本三郎編 筑摩書房1993年刊)→という写真集を借りてきました。(残念ながら絶版みたいです)

子どもを写した写真集だけど、たいていは(複数で写っていても)ひとりぼっちの写真ばかりです。白黒やし、笑ってる子の写真はほんのすこし。いわゆる子どもの幸せそうな写真はほとんどなくて。
編者の川本三郎が「家族のそとにいる子ども」と書いてはる、そんな子どもの、表情をとらえた写真集です。
以下、本の最後に収められた「純化する子どもたち」という川本氏のエッセイより抜粋。

【家族の外にいる子どもたちをとらえるということは、単に、不幸な子どもをドキュメンタリー的に記録することではない。それは、子どもを、家族、親といった帰属するところから解放することである。
大人ー子ども、親ー子ども、といった通常の対関係から子どもを帰属するところから解放することである。
強力な対関係をなくした子どもは、はかなげに、しかし、自由に風景のなかを浮遊しはじめる。】

【ここに紹介する子どもの写真は、そういう距離を自覚した、冷たい写真である。理解や愛情や同情よりも、むしろ、言葉ではもはや語りかけようとはしない子どもを、畏敬の念を持って凝視し続けた写真である。子どもたちが凝視の一瞬のあと、こちらに近づいてくるのか、向うへ去ってしまうのかは、おそらく誰にもわからない。】

その4)
jと十代の頃のこと話して、いろんなことおもったり思い出したり。若いっていたい。けど。イキテテヨカッタ。
きょうはこれを聴きながら。だいすきなworld's end girlfriendの演奏で。
world's end girlfriend - 深夜高速 feat.湯川潮音→
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by bacuminnote | 2016-05-14 18:13 | 映画 | Comments(0)

忘れない。

▲毎日ハンコで押したような暮らしやから、ときどき昨日と今日の違いもええかげんで。
「そろそろ雨戸閉めてや」
「おっ?さっき閉めたぞ」
「まだ開いたままやで」
「あ、そうか・・あれは昨日のことやったんかぁ」
~先行き不安なフウフなり。

▲そういうたら、前やっていたブログのサービスで「去年の今日あなたはこんなブログ書いてましたよ」的なメールが届く。
「ほんまおせっかいやな」とか思いながらもついつい読んでしまうんやけど(苦笑)
毎年おんなじようなこと思って(書いて)ることがわかって、しみじみと恥しい。
けど、ついでにそのまま続けて他の日のんも読んでみると、毎日は同じようでも、まちがいなく一日一日はちがっていて。
そのうち 書いてることに「時間」を感じて、びっくりしたりやるせなかったりうれしかったり。どきんとする。

▲去年 愉しいなつかしいひとときをすごした友が、今はもう遠いとこにいってしまっており。
前は平気で歩いて行った場所に、気軽に行けなくなって。
この前まで若い友人のおなかのなかにいた子は、すがたをあらわして、そのちっちゃな足で元気に宙を蹴る。
本を読んで、あるいは映画を観たり講演を聴いたりして、あのときはあんなに真剣に考えていたはずのことが、いつのまにか色褪せてることに気づいて、そんな自分にがっかりする。

▲忘れてしまいたいこと、忘れないこと、忘れたらあかんこと。
忘れることで、何とかやってゆけることも、つらくても忘れないで「次に」伝えていくべきこともあって。
それは先日から観た映画や読んでいる本の主題と重なり。
「忘れる」「忘れない」の間を行きつ戻りつ、蹲(つくば)って考えているところ。

▲最初に『顔のないヒトラーたち』という映画の題名を見たとき、不遜にも観なくても(内容の)想像つくなあ~とか思ってしまった。
だからとくに予備知識も入れずDVDを借りてきたら、予想外のことがいっぱいあって唸る。
時代背景は戦時中ではなく、敗戦後十数年たった西ドイツで。
今から考えるとちょっと信じがたいけれど、当時アウシュビッツの存在も、そこで何があったかも知らない人も多かったらしい。そして、知っている人でも、ホロコーストを直視するってことは、自分の家族や友人を糾弾することにもなりかねないと沈黙を選び・・・。

▲1958年フランクフルト~正義感と野心に燃えている若き判事のヨハンは、現実には交通違反の処理に明け暮れて、うんざりしているのだけれど。
あるときジャーナリストのグルニカから元ナチス親衛隊のSSだった人が現役教師をしているという話を聞いて、関心を持ち始めて調べるんよね。グルニカの言うとおりそのひとは教師をしており、明らかに規則違反と、ヨハンは文部省にその旨報告する。
そしてグニルカに、件の教師の罷免を伝えるんだけど、彼は相手にもしないんよね。つまり、そんなことは紙の上だけのことで現実は何にも変わらない、ってこと。実際、教師は今まで通り学校にいるのだった。

▲その後、ヨハンは上司の引き止めにも耳をかさず、グルニカ、それに彼の友人である元アウシュヴィッツ収容所にいたユダヤ人シモンと、検事総長バウアー(彼もまたユダヤ人で長い間収容された経験をもつ)の四人、ヨハンの同僚たち(この二人が地味ながらええ感じ)がフランクフルト・アウシュヴィッツ裁判が行われるまで大奮闘するんだけど。

▲劇中で描かれる元SSは、どこにでもいるドイツの普通のひと。ごく普通の夫であり、父親であったわけで。
検事正フリードベルクは、ヨハンに「君のせいで若い世代が父親に犯罪者だったかと問い詰めるのか?」と迫るんよね。そしてヨハン自身も尊敬していた亡き父親の過去にむきあうことになる。

▲けれど「時代がそうだった」「仕方なかった」で納得したら、過ちは繰り返されるのだいつか。きっとまた。
やがて彼らの懸命な働きが実をむすび、1963年ついに西ドイツのフランクフルトでアウシュヴィッツ裁判が開かれることになって。
ドイツの歴史認識を変えたと言われているこの裁判はドイツ人の手で、当時アウシュヴィッツ収容所で働いていたドイツ人を裁いた初めての裁判で、その残虐な行為を初めて西ドイツ社会に広く知らしめたこと、と大きく評価されているそうだ。

▲くりかえし、くりかえし描かれるドイツの負の歴史。
一方でおなじ敗戦国でも「戦争中はだれもが、どこの国でもそうだった」とうそぶいてる国・・・一体この違いはどこから来るのだろう。

映画公式HPにあった2015年1月ナチス虐殺の被害者の追悼式典でのメルケル首相のスピーチのなか「過去を記憶していく責任」という言葉が突き刺さる。

【ナチスは、ユダヤ人への虐殺によって人間の文明を否定し、その象徴がアウシュヴィッツである。私たちドイツ人は、恥の気持ちでいっぱいです。何百万人もの人々を殺害した犯罪を見て見ぬふりをしたのはドイツ人自身だったからです。私たちドイツ人は過去を忘れてはならない。数百万人の犠牲者のために、過去を記憶していく責任があります。】

*追記
こっちのほうが長くなりましたが。

その1)
ずいぶん前読んだ『朗読者』で主人公の法学生のマイケルが傍聴する(ハンナと再会する)裁判もこのフランクフルト・アウシュビッツ裁判。映画もとてもよかった。ただ、(予告編→)ドイツ人なのに英語やったのが残念でした。(とはいえ、どっちにしてもわたしは日本語字幕頼りの鑑賞なのですが。この物語はやっぱり英語やなくドイツ語やろ、と思う)

その2)
いま読んでいるベラルーシの作家、スベトラーナ・アレクシエーヴィチの『チェルノブイリの祈りーー未来の物語』(岩波現代文庫)にもまた「忘れたい」「忘れてはいけない」ということばが何度も出てきます。

以前、神田香織さんの講談(DVD)でこの本の一部を聴いたんだけど。(→
チェルノブイリの原発の事故については当時から今まで、何度も読んだり聞いたことがあり、わかってるつもりのことも、神田香織さんの迫力ある講談での「語り」は当事者から話しかけられてるようで。終始息詰まる思いで聴きました。

この講談は本のはじめに収められた「孤独な人間の声」というタイトルの話で、原発の事故後すぐに火災現場にむかった若い消防士の妻が語っていて。
ふつうの火事だと呼び出され、警告もなくシャツ一枚で出動した彼のこと、おなかに赤ちゃんを宿してることを隠して夫の看護に通い詰める話・・・は、本で読んでも重くてつらかった。

文庫解説に広河隆一氏がこう書いてはります。

【チェルノブイリ事故や戦争など大惨事はすべて、おぞましいもの、言葉で記録したくないもの、理解不能なものをはらむ。それらの記憶を言葉で浄化し、伝えることができるようになるまでには、どれくらいの月日がかかるのだろうか。言い換えれば、大惨事の持つ固有の深い意味が理解され、それが記録に残されるまでには、どれくらいの月日が必要とされるのだろうか。】(解説 p306より抜粋)

その3)
このほかに観た映画→『アクトレス』劇中、演劇のセリフの稽古する場面が(現実とないまぜになって)でてくるのですが、これがけっこう観ている(聴く)側にとって緊張を強いられるんやけど。その緊張感もよかったです。
ジュリエット・ビノシュのマネージャー役クリステン・スチュワートが魅力的。

『岸辺の旅』(黒沢清監督。原作はだいすきな湯本香樹実さん)→
この映画もまた「忘れる」「記憶」が底辺に流れる作品です。三年も失踪していた夫(すでに亡くなってる)が
ある夜とつぜん妻のもとに帰ってきて、三年の間すごしたあちこちを二人で旅する物語です。

上映時観てきた友人に見せてもらったパンフレットの湯本香樹実さんの文章は、ご自身が原作者でありながら(いや、原作者ゆえに)映画という「表現」をとても冷静にそして何より愛情を持って観てはることを感じる一文でした。しみます。

【映画『岸辺の旅』は、そんな見送る者と見送られる者の間の、特別な、やさしくも不穏な時間を、このうえなく親密なものとして描いています。隔たった者どうしがどれほど互いに互いを委ねられるかーーそれが親密さというものならば、生者と死者、あるいはこれから旅立とうとしている人と、それを見送る人・看取る人のあいだには、抜き差しならない親密な、「もうひとつの旅の時間」が生まれるにちがいありません。】
(パンフレット/湯本香樹実「死んだ人のいない家なはない」より抜粋)

映画とは関係ないんだけど。
このまえ詩人の伊藤比呂美さんのおつれあい(Harold Cohen氏)が亡くならはった旨ご自身のツイッターに書いてありました。
自分のなまえを呼ぶ声はとくべつと思う。せつない。

【Thank you you so much to every one!! He had a wonderful life. I can still hear his voice calling, Hiromi--Hiromi--- from his studio.】
4.28 (原文ママ)

その4)
きょうはこれを聴きながら。egil olsen - she and him (and i)→
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by bacuminnote | 2016-05-05 20:10 | 映画 | Comments(6)