いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2016年 06月 ( 3 )   > この月の画像一覧

▲お昼すぎからぽつぽつ降り始めた雨は、しばらくしてすごい勢いの降りになって。その後、たったいま水のストック切れました~とでも言うようにぴたりと止んだ。
雨の間はひんやりして、足元がひえるからレグウォーマーまで履いてたのに。窓の外、たっぷりシャワー浴びた緑たちもまた涼し気やのに。
雨あがりのあとの蒸し暑いこというたら、雨よりもうっとうしい。

▲こんな天気の日は母がため息つきながらすごしてるかもなあ~と、炊飯器のスイッチをいれて、お湯をわかしつつ、電話をかけてみる。
案の定、開口一番「わたしな、もう、いよいよお呼びがかかりそうやねん」と来た。
「え?誰から?お父さん?(笑)」
「いや、あのひとはあっちに行ってから知らん顔や。夢にも出てけーへん。もお。ほんまになあ・・・」(と積年のうらみ、つらみから、何故か父をほめたたえる話まで)
「まあ、ええやん。そう急かんでも。まだゆっくりしていきぃや。早う行ったら寂しいやん」
「そやなあ。あんた一緒に連れて行くわけにいかんしなあ・・・」
「あかんあかん。わたしはあかんで。連れていかんといてや。まだ若いもん!」

▲・・・とかなんとか(自分でもこけそうになるようなことを)言うて、湿った風は、笑いで吹き飛ばす(飛ばせたつもり)
「ほな、今日の講話はこの辺で。ご静聴ありがとうございました」
「はい、はい。わかりました。ええお話おおきに」
と、いつも通りお決まりのせりふの後もう一回「あはは。あほらし」と笑うて受話器おく。

▲母が凹んでるときに、もりあがるのは昔話と「今(母が)若者やったら~」という話だ。自分のすきなこと、すきな勉強、すきなひと、何もかも「なかったことにして」生きてきた時代のひとやから。
「お医者さんかなあ、看護師さんかなあ、センセかなあ。あはは~言うだけやったらなんぼでも言えるなあ」と笑う母に「今からでもどうや?」と返しながら、いくらなんでも93では無理やけど、あのガッツと負けん気の強さやから。若かったら結構本気出したりして~と想像してひとり笑ったあと、母の「なかったことにして」きた時間をおもうのだった。(そして、それゆえに、わたしがいるわけなのだが・・・)

▲ちょっと前に『七十二歳の卒業制作』(田村せい子著・岡本よしろう画/ 福音館書店2016年刊)という本を読んだ。
副題は「学ぶこと、書くこと、生きること」。本を手にしたとき、カバーにあった【たったひと月しか通えなかった中学校、家計を支える働き手として、さまざなは職を転々とした日・・・】に、もしや母世代?と思って後ろの著者プロフィールをみておどろく。1942年生まれとあったから、計算したらわたしが生まれたころ(つまり敗戦後10年)中学入学の年令なわけで。
中1いうたらこの間まで小学生。そんな子どもが家計を助けるために住み込みで働いてたのか~とショックだった。どうりで表紙絵の女の子が両手でしっかり持つ出前の「おかもち」が大きく見えるはずである。

▲タイトルの「七十二歳」はそんな著者が68歳で入学した大学を卒業した歳。専攻したのが児童文学の創作ゼミだったので卒論が「卒業制作」というわけで。
第一部「君子・その時代」が卒業制作から、二部「青春の情景」は在学中の創作ファイルから短編が収録されている。

▲著者の田村さんが記憶にのこる幼いころ~戦争中の防空壕の話から初恋の思い出まで~本編は「そのころ」の風景やまちのにおい、近所のおばちゃん、おっちゃんの服装まで浮かぶようで、あっというまに読み終えた。胸のつまるような子どもには重い経験も、著者のもちまえの明るさと賢さで前むいて歩いていく様子に、読んでるわたしもいつのまにか笑顔になっており。しんどいことも笑いに転化しまう大阪弁のおもしろさと、それから切なさを改めて。

▲そうして『作者あとがきーー「私は、気がすんだのです」』(14頁の長い文章)には、かけ足の読書から、一気に減速。いろんなことを考え思いながらの深い時間となった。
ここには、田村さんが末娘さんの大学進学と夫の定年で「やっと自分の番が来た」と思ったこと。その後、夜間中学、定時制高校に。ここで教育実習に来たこの高校の出身の女子大生に話を聞いて、ついには(彼女と同じ女子大の)学生となる経緯が語られているんだけど。

▲68歳からの大学生活は心身ともに楽しいことばかりではなく(じっさい必修の体育で腰痛になったり、持病で毎週点滴を受けたり・・)

【私は何をしているのだろう?何のために、こんな大変な苦労をして勉強を続けているのだろう?この年齢で、この先就職するわけでもないのに大金をはたき、家族に不自由をかけ、若いクラスメートの足を引っぱり、周囲にさまざまな迷惑をかけてまでーーと、よく思ったものです。
その答えが、三年・四年のゼミで文章を書く経験を積み、その総仕上げとしての卒業制作をまとめていくうちに、ようやく見つかったような気がしました。――そうだ、私はこの「君子・その時代」を書くためにここまで来たのだ。】

▲それが、「あとがき」の副題「私は、気がすんだのです」に繋がるんやろね。
そういえば自分にとって「書く」ことの原点をおもうとき(とか、いうと大げさやけど)いつも思い出す小川洋子さんのだいすきな(そして、だいじにしている)一文があるんよね。それは彼女の初の長編小説『シュガータイム』のあとがきで。

【どんなことがあってもこれだけは、物語にして残しておきたいと願うような何かを、誰でも一つくらいは持っている。それはあまりにも奥深いものである場合が多いので、書き手は臆病になり、いざとなるとどこから手をつけていいのか分からなくなる。そして結局長い時間、それは心の隅に押しやられたままになっていたりする。】
(中略)
わたしがどうしても残したいおきたいと願う何かが、読んでくださった方々に少しでも伝わればありがたい。この小説はもしかしたら、満足に熟さないで落ちてしまった、固すぎる木の実のようなものかもしれない。それでも皮の手触りや、小さな丸い形や、青々しい色合いだけでも、味わってもらえたらと思う。いずれにしてもこの小説は、わたしがこれから書き進んでゆくうえで、大切な道しるべになるはずだ。】

▲この作品はいまの小川洋子的世界からおもうと、まだちょっとおとなしくて(苦笑)ものたりなさを感じる人もいるかもしれないけれど。
でも、この後「固すぎる木の実」は陽をあび雨にうたれ、やがて芽を出し木になり、たわわに実をつけて。
ていうか、すでにこの作品のなかにそういう気配はあり。わたしのすきな一冊だ。

▲そうそう、だいじなこと。
田村さんが「書いた」大きな意味はもうひとつあって。おなじく「あとがき」にこんな風に綴ってはる。

【私の年代で、中学校に通えなくなり、その後復学して卒業する機会に恵まれなかった人が、なんとまだ全国に百数十万人もおられるのです。その理由の多くは、成人の入学できる夜間中学校のある都道府県・市町村がごく限られていることです。地方に住む多くの未就学者が、通学できないまま断念せざるをえないのです。
(中略)
私の書いたものを、ひとりでも多くの方に読んでいただきたい。そしていまだ向学心がありながら、勉学への思いを果たせない人がたくさんおられることを知っていただきたい、と切に思っています】

▲こういう話をすると、いまの時代、学校に「行ける」環境にありながら「行かない」「行けない」子は「ぜいたくな悩み」~とか言う人がいるけど、それはちがうとはっきり応えたい。
田村さんも書いてはる。子どもにとって【義務教育とは「権利」で、その権利を侵害された多くの場合において、それは子ども自身のせいではありません】
大事なんは、子どもらが学校に行く権利(自由)、学校に行かない権利(自由)をだれからも侵害されない、ということやと思う。

▲ずいぶん前のことだけど、識字学級の話で『ひらがなにっき』(長野ヒデ子 作・絵/ 解放出版社)という、ええ本読んで、本の感想や学習権について調べたこと、ここにも書いたんだけど→)再掲してみます。
「学校」という場でも、べつの場所やとしても、いわゆる学齢期であれ、何歳であっても。そしてお金がなくても。
「学びたいひと」に「学びの場」がありますように、とつよく願います。

学習権とは
【読み書きの権利であり、
問い続け、深く考える権利であり、
想像し、創造する権利であり、
自分自身の世界を読みとり、歴史をつづる権利であり、
あらゆる教育の手だてを得る権利であり、
個人的・集団的力量を発揮させる権利である。】
ユネスコ学習権宣言  1985年3月29日採択
 (子どもの権利条約をすすめる会訳)


*追記

その1)
この本のあとがきのあとにある田村さんのゼミの先生、富安陽子さんが最後に寄せてはる解説も、とても温かくてよかったです。
2011年4月「児童文学作品制作」の最初の講義で「ずいぶんとお年を召したおばさんが、きちんと背をのばし、教室の最前列の席」にすわってはったこと。
最初は「作文」だったものが、しだいに「作品」に~「ひとに読ませる文章へとみるみる変わっていった」こと。

【苦しいことや、つらいことや、納得のいかないことを文章にするとき、人間は自分を取り巻く現実を客観視しようとします。そのときやっと人は、自分の過去や、そして自分自身と向き合えるのだなと思いました。】(p253「解説ーーせい子さん奮闘記」より抜粋)

その2)
この間から読んだ本~
上野英信氏のことを息子の朱さんが綴った『父を焼く 上野英信と筑豊』(岩波書店2010年刊) 『蕨の家 上野英信と晴子』(海鳥社2000年刊) それに今は妻・晴子さんが書いた『新装版 キジバトの記』(2012年刊)を読んでいるところです。
じつはさっき、このブログの下書きがすっかり消え(勝手に消えたわけやなく、わたしがうっかり消してしもたんですが・・泣)自分のそそっかしさには、ほんま、しんそこ意気消沈。
また、元気のあるときに書いてみます。

その3)
ここ数日は本読みの時間多くて、映画(DVD)は一本観ただけですが。『独裁者と小さな孫』→ (原題:The President 監督モフセン・マフマルバフ)
は、クーデターが起き大統領が幼い孫と逃亡の旅に。羊飼いや大道芸人に変装して、あちこちに逃げるんだけどね。
民衆から搾取したお金で贅沢三昧な暮らしをし、罪なき人を拷問にかけ、処刑して。「独裁者」にさんざん苦しめられてきた多くの民に、行く先々で遭遇することになって・・・。 孫の子役の子がよかったです。
いやあ、これ映画の話だけやなくて、自分のやってるあほうなこと、残酷なこと(政治)がわかってない政治家は、ここそこにいて。
せやから、よくよく考えて、選ばないとね。

その4)
今日はこれを聴きながら。
とおくちかくに、子どもたちの声。しずかに、しみいるピアノの音。

Bill Evans _ Children's Play Song→
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by bacuminnote | 2016-06-30 15:37 | 本をよむ | Comments(2)
▲目が覚めたら昨夜のじゃじゃ降り(←ついさっきまで知らなかったけど、関西弁らしい。土砂降りのことです)の雨があがってた。でも窓を開けたら薄曇りの空で。用意してた灰色のスカートはなんだかうっとうしくて~水玉模様のんに着替えたら、気分まで明るくなった。
「えんそく」前でコーフン気味の鏡の中の自分に、あ、そういえば、この服 去年の今ごろ倉敷に行ったときと一緒やな~と気がついて一瞬しんとする。

▲旧友と高1の春休みに旅した思い出の倉敷のまちを歩いて。45年前とおなじ橋の「鯉のえさ100円」のそばで、通りがかりのひとに頼んで二人並んだ写真を撮ってもらった。
あれから一年。かけ足で遠いとこにいってしもた友のことを、でも、あの日しゃべってはおなか抱えて笑い、食べては笑って。あちこちのお店をひやかして。会ったとたん高校生にもどってすごした華やかで、あかるい時間と「クミちゃん相変わらずおもしろいなあ」と言うてくれたその笑顔を思いだして、頬がゆるむ。
うん。このままで出かけることにしよう。

▲さて。
「えんそく」の行き先は滋賀県長浜のまちにある「さざなみ古書店」さん。
主のkさんとはツイッター繋がりで。なんとこの日はじめてリアルにお会いすることになったんよね(どきどき)
滋賀県は琵琶湖を中心に湖西、湖東、湖南、湖北と呼ぶんだけど、目的地の長浜は湖北。西から行くと米原をまだ越えたところ。

▲この「米原」を越えるというのは、大阪から行くとき冬は雪深い地というイメージがあり(じっさい冬場は車ならスタッドレスか、チェーン必携というような)東から来るひとにとっても「米原」あたりから景色がかわる・・・という場所でもある。
そうそう、歌人の河野裕子さんがまさに「米原を過ぎる頃」というエッセイに、東京から新幹線で西下する時のことをこんなふうに書いてはる。

【かんからかんと広くて山も何もない乾いた関東の風土から、どんよりと空が低く垂れ、雑木林、畑の有様などどことなく複雑な色合いに変わり、白壁の多い家が見えてくるのは米原を過ぎる頃からである。
山の稜線のあたりだけ鈍い光をふくみながら、かすかに明るい空のやわらかなものぐらさは、やはり関西のものだと思う。このものぐらさに会ってやっとホッとするのである。】(『たったこれだけの家族』→河野裕子 中央公論社刊p175より抜粋)

車窓にぴったりくっついて、走る景色に見入ってはる様子が浮かぶようで、のちに河野さんが滋賀は湖南の石部町で育った方と知って「やっぱり」と頷く。

▲そしてわたしたちが1987年に「パン工房 麦麦(ばくばく)」を始めた愛知川(えちがわ)は湖東の旧中仙道沿いの小さなまちだった。
この愛知川で4年、開田村で12年余りのパン屋生活は、義父の死を機に お終いとなったんだけど。ここに戻って来て先月でもう12年もたってしもた。

▲田舎からまちの暮らしに。「パン屋のおばちゃん」から、前に◯◯の、が付かない「おばちゃん」になって。その大きな暮らしの変化も、当初感じた「居場所のなさ」もそのうちなくなり、今はここが「わたしのまち」になっている。前のこと思い出してるより、今のことを~ケッコンして7回の転居で「住んだとこになじんでたのしむ」が自然に身についたのかもしれへんな、とおもうのだった。

▲ところが、この間『ガケ書房の頃』(山下賢二著・夏葉社刊)という本を読んで、忘れそうになってた「店」の記憶が波のように押し寄せてきて、動揺してる自分にちょっと驚いている。
この本は京都で、そのユニークな外観も、本揃いからイベントでも、注目され愛された本屋「ガケ書房」をやってはった山下賢二さんというひとの本で。本屋通いの「しゃべらなかった」子ども時代の話から、いろんなバイトや仕事を経て、やがて本屋になり、そして閉店してまた新しいことを始めはった話で。

▲本とパンでは、それに「売る」と「製造」でもちがうんやけど、開店する前の話も、軌道に乗り始めたころのことも。うれしいお客さん、困ったお客さん。やめる、と決めたときのことも。
「そうや!ほんま。そのとおり!」と本読みながら、何回も声をあげてしもたほど。
わたしは旅館と「店の子」で大きいなって、そんな店がいやで仕方なかったのに、ケッコンの相手はカメラマンやったのに、なんでか二人で「店」を始め、そして「店」をやめて。

▲一方、北九州から長浜の地をえらんで古書店をひらき、滋賀県民となったkさんもまた本がすきなひとだけど、グラフィックデザイナーで。(この仕事に終わりはないと思うので「元」はつけないでおきます)
訪れた人たちのリポートをネットでは何度も見てたけど、「そのひと」にも「その本棚たち」にも会ってみたかったんよね。そのくせ、根が生えたような出不精に、加えて昨年末からの膝痛で、「ほな、行きます!」まで、えらい時間かかってしもて。
けど、思いもかけず『ガケ書房のころ』で火がついて(!)「よし、明日行こう」と決めたのだった。
(やっとの決心の「明日」だったが”「明日」は雨みたいやけど、あさっては晴れそうやから”とkさんに進言されて「あさって」に変更←正解であった)

▲前夜、kさんから電車(新快速)は「前4両に乗ってね。米原で、あとの車輌は切り離されてしまいますよ~」と教えてもらってたものの、ホームに立ってると急に不安になって(苦笑)メールにて確認。3両目に乗車する。
ホームは閑散としてたのに、乗車したら思いのほか乗客が多くて、杖もって来たとはいえ座る席がなくてちょっと焦る。ようやく京都でごっそり空席ができ腰おろして、やっと旅気分になって本を開く。
そうしたらこの本(森崎和江著『湯かげんいかが』1982年東京書籍刊)がすばらしく、しばし電車の中だということも忘れて夢中になって読む。

▲と、窓の外がなんや明るくなった気がして顔をあげ、車窓から外を見ると、いつのまにか空も晴れわたり、一面青い田圃がパッチワークみたいに広がって。すごーい。きれい。これや、これ。なつかしい江州米(ごうしゅうまい)の風景だ。
そのころから車内アナウンスに「よく知ってる駅」の名前が出始め、河野さんやないけど、窓に体ごとくっついて走る景色の中「最寄りの駅」を見逃すまいと、目を凝らす。近江八幡~安土~能登川~稲枝~河瀬~彦根・・そうだ!稲枝!この駅から、小学生やった息子1と電車にのって京都によく映画観に行ったんよね。

▲電車はやがて、問題の米原に。
車両切り離しのアナウンスが何度も流れて、確認のため車内の掲示板みたら3号車に乗ったのに10号車って書いてて、どきん。おかしいなあ。たしか3号車やったはずやのに。
「切り離されたら、長浜に着きません(笑)」とkさんからメールもらったのに。どないしょう~と前席の60代くらいのご夫婦に頭の上から(!)「すみません。あのー長浜行きたいんですが、この車両で間違いないでしょうか?」と尋ねる。
「あ、はい。行くと・・思いますよ」というお返事に、「思います」ではアレやけどなあ、と思いつつ(苦笑)お礼を言うて着席。(その後「行くよなぁ、これ」「い、行くはず」とご夫婦で話してる声が漏れ聞こえてきた・・)

▲相変わらず、電車に乗っても方向音痴(!)でなさけないぞ、わたし・・・とがっかりしてるうちになんか窓の外がぱーっと光が差したような気がして、腰を浮かす。
わあああ!こんどは田圃やなくて、うみや。うみ。琵琶湖が見える!(近江のひとたちは「うみ」と呼ぶんよね)深い青色、淡い青色に、そして、さざなみがうつくしく、いとおしい。

▲どこでも「水」が見えると、もう座ってられへんタチなので、杖ついてよっこらしょと立ち上がって、揺られながらよく見えるドアの前に移動。
ええなあ~とうっとり眺め入る。愛知川のころ、夕ご飯前に親子で「うみ」までよくドライブしたんよね。
少しして「ながはま~ながはまぁ。この電車のドアは手動です。ボタンを押すとドアが開きます・・・」のアナウンス!そっか~手動なんや。そら冬に開けっ放しになったら寒さがハンパやないもんね。

▲駅の改札口むこうには、kさんが待っていてくれた。
初対面の合言葉は「いわしのヘレン」(ツイッターで誰かが居酒屋の手書きメニュウ「いわしのへしこ」の文字が「いわしのヘレン」に見えて注文~という話でもりあがった時、初めて会うときの合言葉はこれ、と決めた・・笑)
というても、わたしはたびたびネットの紹介記事と写真見てたから、ハットの似合う涼し気できれいな人がkさんとすぐにわかったけれど。

▲「さざなみ古書店」はお店の佇まいも、お店のレイアウト~壁にかかった額も(彫刻家・舟越桂のリトグラフ「羊歯のにおい」1993年作)アフリカの布も、おもちゃも、そして何より棚の本たちや入り口に置いてるフリーペーパーに至るまで、さざなみkさんのグッドセンスに満ちていて、その「こびない」セレクトがかっこいいし、ええなあと思う。

▲靴をぬいで上がるこのお店は、せやからね、ええ本いっぱい持ってる友だちとかセンパイの部屋を訪ねてるような気分で。帰りたくない、居心地のよさがあって。
檻の中のクマのごとく、のそのそ店内を動きまわるわたし。で、迷って迷って、重いものはリュック持って来なかったし・・と、絵本の候補を二冊選んだのだけど。
kさんは「あなた絵本とかいっぱい持ってるでしょ。荷物増やさないようにしないと」と、なんだかつれないのである。

▲「そ、そんな持ってへんし・・・」と、ぼそぼそ返しつつ、ちょっと不満気に、目の前に積んだ本たちを見たとき(店内には、主だった棚のほかに、足元や小さな棚に、とあちこちに小さなひみつの花園があるのだった)一冊の地味な絵本と目があった!『劉連仁(りゅうりぇんれん)物語―当別の山中から』(しみず みきお 著/おおさわ つとむ イラスト/響文社2009年刊)
「わあ、これ。この本にしよう」というて本から目をあげると、にこにこ顔のkさん曰く「うん。それはなかなかない本だから。あなたにもってかえってもらえてよかったぁ」
ほんまに本のすきなひとなんやな~と改めて。

▲それにしても。
「いわしのヘレン」のあとは「はじめまして」のはずが、いきなり学生時代の友だちに会うたみたいに話もこころも弾んで。おなじ女きょうだいで育っても、長女と末っ子、性格もちがうんやけど。底にながれるもの、本とおいしいもんへのあい、と、それから「ひとがすき」はおなじかも。

▲kさんのお部屋には窓のすぐ下には川が流れてて、のぞくと小鮎が泳いでるのが見えるんよね。
・・・と思ったら鴨がすいーっとやってきて。しーんとしずかな中、ときおりさかなたちのダンスのぴしゃぴしゃ~という音がきこえて。
もうね、川育ちにはたまらんシチュエーションで、kさんと乾杯したビールの旨かったこというたら。
kさん、愉しい「えんそく」の、ほんまええ一日でした。おおきに。



*追記
その1)
こんだけ書いて、まだ追記か~ なんですが、相変わらず要領の悪い筆運びで。
本題に入る前に、走り過ぎてダウンみたいなブログですみません。

さざなみ古書店を紹介ブログはもういっぱいあって、どこのんをリンクはろうかと迷いましたが。→こことか。

その2)
『ガケ書房のころ』で火がついた「店」熱のあと、著者・山下賢二さんのホホホ座による『わたしがカフェをはじめた日』→を読みました。ホホホ座さん曰く【京都で一人でカフェを切り盛りする女性店主たちの開業まで
を男性目線から聞いた特殊インタビュー集】これが、またおもしろかった。もうちょっと若かったら(つまり足腰にまだ元気があったころなら)お店したかったかも。

それにしても、大のつくほど嫌いやった(と思ってた)「お店」やのに、わたしけっこうすきやってんなあ~というのを、『ガケ書房・・・』や『わたしがカフェを・・・』で、気づく読書でありました。
あ、そういうたら、『ガケ書房・・・』のことでホホホ座のブログにこんなことが書かれていました。
【もう1つだけ書かなくてはならないことがあります。美談みたいになってしまってはマズいのですが、当初、本のあとがきに書こうと思っていたことが原稿オーバーで掲載できなくなってしまったので、ここにだけ書いておきます。】
大文字で紹介、書きたいとこやけど、夏葉社さんってたぶん小文字の、めちゃええひとやと思うので、ここにこっそり→


その2)
道中読んでた森崎和江の『湯かげんいかが』(1982年東京書籍刊)は、おふろにまつわる随筆集です。
すぐにのぼせるから「からすの行水」なんやけど、お風呂は大すきです。
この本の序文「ゆげのむこうの」には、著者が14歳の頃、長く病床にあったお母さんを、お父さんがお風呂に入れたときの話が綴られています。出かける前に、旧友のこと思ってたこともあり、↓このくだり読んで、車中ないてしまいました。

【湯上がりの母がにっこりして言った。「ああいい気持ち。とてもしあわせ。もういつ死んでもいいわ」
母は立つこともかなわなくなっていたから、父が抱きかかえて寝床へ連れ返ったのだが、細くなった腕を父の首にまわし運ばれて来た母が、そう言いつつ手を放した時のさわやかな表情が思い出される。母は三十五歳だった。亡くなる半年ほど前のことで父と母との、別れの儀式のようにわたしは思い、父がなんと答えるかを聞かぬまま、母のそばから立って湯殿へ行った。湯の入ったままの洗面器が洗い場にぽつりと置かれているのを見た。父は引き返して来てひとりあったまったようであった。別れを知り合っていた二人が、重く暗いけはいを立てせることがなかったのは、子のわたしには救いだったが、父も母も、湯のぬくもりにくるまれてよみがえるもののあることを、別かれていくいのちのむこうに感じ取りでもしたように、軽く、さりげなかった。秋の昼まのことだった】
(p7~8より抜粋)
*森崎和江著者紹介(藤原書店のHPより)→

その3)
『劉連仁(りゅうりぇんれん)物語』を読んで(この本、絵本も、付いてる資料集もよかった)もう少しくわしく知りたいなと思ってたら『生きる 劉連仁の物語』(森越智子著 童心社2015年刊)→という本が出てることを知りました。

その4)
ああ、ほんまに長いブログになりました。
さいごまでおつきあいくださって、おおきにです。

今日はこれを聴きながら。
Vessel - The Clearing→
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by bacuminnote | 2016-06-19 16:04 | 出かける | Comments(6)
▲暑すぎや~寒すぎるわ~とぼやいてたら、知らんまに6月になっていた。(一年の半分がこんなに早うてええんか・・)日々くるくるかわる天気に、身も心も、干した洗濯物も~ 外に出したり中に入れたり。ほんま何かとややこしい。
そして、ついに梅雨入りときた。

▲昨夜から降りだした雨は一旦あがったものの、朝から又ぽつぽつ降り始め、駅にむかって歩いてるうちに本格的な降りとなって。
こんな日はきっと空いてるやろうと思った整形外科の待合室は「こんな日やから痛む」患者さんで埋まってた。

▲リハビリの順番を待っていると、理学療法士や柔道整復師のスタッフと患者とのやりとりが、途切れ途切れ耳に入ってくるんよね。
痛いとこ、具合の悪いとこの話から始まって、家庭でもできる運動の指導や掛け声。長く通ってる人はそのうち、天気の話から野球に相撲に自分語り。

▲仕切りのないフロアのあちこちで(他人に聞かれても差し支えのない程度の)家族への愚痴や不満、ときに「ウチの子(孫)が・・」的自慢話も。
そういうたら、デイサービスに行ってる母も皆とするのは昔話と家族の話って言うてるもんなあ。
なんか問題やなやみごとがあるにしても、自慢にしても(苦笑)家族の数だけ家族の話と事情があるわけで。
せやからあちこちでエンドレスに繰り返されるんやろなあと思う。

▲この間おもいたって『海よりもまだ深く』(是枝裕和監督)という映画を観てきた。映画館に行くのも、邦画も、それに友人と行くのも、ひさしぶりのことだった。
東京のある団地が舞台の、家族の物語だ。

▲団地といえば、かつてこのまちが「ニュータウン」と呼ばれ始めたのと団地の誕生は同時期。
でも、わたしらがここに越して来たすぐ後くらいから、どんどん潰され(引っ越し当初はまだ「マンション建設反対!」の看板もあり、退去せず残って住んでる人もいてはった)そのうちに高層のマンションがいくつも建って。まちはどんどん変わって。いつしかその前を通っても前の団地が思い出せないようになってしまった。

▲映画ではその古い団地の4階に、子どもらが大人になり出て行き、夫が亡くなり妻が一人で住んでいる。裕福でもなく、4階までの階段もきついが、気楽な一人暮らしだ。
息子の良多はかつては文学賞もとったのに、今は書けなくて。生活のため興信所の探偵業。「作家として取材のためにやってる」とコトあるごとに言うて物悲しい。そしてお金が入ると一発当てようと競輪に走ってしまうんよね。
で、良多のその不甲斐なさゆえに離婚した元妻と小学生の長男。それから、ときどき母のもとを訪ねて、おかずを拵えてもらっては持ち帰る姉(笑)を中心に、物語が綴られてゆくんだけど。

▲映画館に行ったその日はたまたま1日(ファーストデイ)の水曜(レディースデイ)でだったので、わざわざ「シルバー申請」(苦笑)しなくても割引料金であった。
そのせいか、平日の朝イチだったのに、中高年以外のお客さんもけっこう入っていて、劇中なんどもそのセリフの絶妙さに、場内のあちこちでくすくすと笑いが起き、その空気がなんとも心地よかった。
いっしょに行った隣席の友人だけやなくて、前や後ろの知らない人らといっしょにこの映画のなかに入ってるような、そんな気がして。

▲せまいベランダで母親が水をやる鉢にはミカンの木で~子どものころ良多が給食のときのミカンの種を植えたもの。息子の横で、すっかり大きくなった植木に水をやりながら、母親がひとりごとみたいにぼそっと言う。
【花も実もつかないんだけどね、なんかの役には立ってんのよね~】

▲ほかにも暗くなかったらノートに書き留めておきたいせりふや場面がいくつかあって、残念やなあと思ってたら、劇中 良多が自室の原稿用紙が(←原稿用紙に手書き派やったんか~とか思いつつ)散らかる机の前に、その日、興信所の仕事中に会った誰かの発したことばで、ぴんときたものを書き留めて、壁に貼り付けており。そんなことばのポスト・イットでいっぱいになった壁に、ぐっとくる。
そう。だれかが吐いたことばひとつから、物語は始まってゆくんよね。

▲たまたま台風の夜、おばあちゃんちに集まった元家族。良多と帰りそびれた元妻と息子、そして母親4人が団地ですごす一夜。カレーうどん食べてお風呂に入って、なんてことのない時間がていねいに描かれる。
やがて夜が明けて台風がとおりすぎると、物語は又なんてことない顔でおわりをつげる。
けど、みんなの胸のなかをたしかに風はすいーっと通り抜けてったんよね。だから清々しい朝。
まあ、問題はいっこも解決はしてへんのやけど。

▲是枝監督でおなじ配役(母・樹木希林 息子・阿部寛)では、だいぶ前の作品になるけど『歩いても歩いても』もいい映画だった。物語としては、わたしはねじれ具合がこっちのほうがすき(そのかわり、つらくもあるのだけど)。(ここにちょっと書いています)そうそう、この映画の予告編の最後に川上弘美さんのコメントが流れてて、じんとする。

これは『海よりもまだ深く』でもおんなじ。
底に流れてるのは、やっぱり、かぞくへのあい(例によって漢字にするのはてれくさい)なんやろね。たぶん。
あ、それから、良多はあのあと小説を書き始めると思うなぁ。
こんどこそ、きっと書きあげると思う。

【生きているって、なんて厄介なことなんだろう。
なんて面白いことなんだろう。
なんて、かなしいことなんだろう。
そして、なんて、うつくしいことなんだろう。】(川上弘美)


*追記
その1)
思い返してみたら是枝作品→はけっこう観ていて(未見は2作品やった)どれも音楽もいいです。

そうそう。↑で書きそびれたことひとつ。
映画みる前に、どこかのサイトで監督のインタビュー記事読んだのですが、
そこに監督が団地の生活感をリアルに出すため、お風呂の場面では昔式の浴槽(上置き式で横にガススイッチのついてるの)
を探して、点火するときの「カチッ」という音出したかった~と言うてはって。

わたしもかつて文化住宅やアパートに住んだときあのタイプの浴槽だったので、とてもなつかしく。
どんな風に「カチッ!」を使わはるんやろ~と「お風呂に入る」場面になると注意深く(苦笑)観て(聞いて)たんですが。

「カチッ!」が登場したのは、風呂場で点火するその音が 居間で聞こえてる~という、それだけでした。
いやあ、ああいうのは映画やなあ~文章では表現できひんよなあ。あのかんじ、すごいなあと思いました。

その2)
この映画のあとに観たのが(DVD)『ボーダレス 僕の船の国境線』(原題・BEDONE MARZ アミルホセイン・アスガリ監督)は、家族から離れている、離れてしまう子どもや兵士の物語でした。

国境沿いの立入禁止区域に放置された船に住むひとりの少年は孤独なんだけど、魚や貝をとり、たくましい生活者です。ある日突然国境の反対側から少年と同じ年くらいの銃をもった少年兵が乗り込んできて。
次にはアメリカ兵がまよいこんでくる。
ペルシャ語、アラビア語、英語をそれぞれに話す3人と赤ちゃんだけ。
最後まで言葉は通じないままなんだけど、緊迫したなかでふっと空気が緩むのは赤ちゃんの存在と、これもやっぱりひとへの愛かなと思いました。

その3)
『海よりもまだ深く』の主題曲 ハナレグミ – 深呼吸 を聴きながら。
(Music Video Short ver.)うたは2'10"~そうそう、ここに出てくる良多の職場の後輩(池松壮亮)もよかったな。→

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by bacuminnote | 2016-06-08 00:43 | 映画 | Comments(4)