いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2016年 07月 ( 2 )   > この月の画像一覧

▲誕生日がきて、母はこのあいだ93歳になった。
あちこち痛いとこや、ツライとこもあるようだけど、なんとか元気に暮らしてる。
病院に行っては(「痛い」「しんどい」とお医者さんに訴えても)「まあ、けど◯◯さん、もう歳やからなあ」とソッコウ返されて「ちゃんと話聞いてくれはらへん」とぷりぷり怒ってる。(そのわりには、医師には遠慮して「怒る」なんてとてもできない世代でもある)

▲おもしろいもの見つけると「買う」のではなく、まずは、家にあるもんを使って自分で考えて「つくる」のがうれし、たのし~の工作好き。
最初はまねっこでも、そのうち、けっこうちゃんとしたものを作って「え?ほんまに自分で作ったん?」と娘にびっくりして(ほめて)もらうのがすきなひと(笑)

▲けど、いつやったかの工作~古いハタキの竹の棒を使った鉛筆接ぎ器には、さすがに辛口の娘(!)も唸った。短くなった鉛筆を捨てられないのも母らしいけど、竹の空洞部に鉛筆を差し込む、というありそうでなかったアイデア(笑)と、あの歳で竹の棒をノコギリで切るやなんてね(ノコギリなんて、わたし 何十年も持ったことないし・・)参りました。

▲そんな母の誕生日に、毎日一ページずつ、っていう漢字ドリルと、きれいな一筆箋やはがき(もう長い手紙は書けないというので)、ピンク色のファイルなど文房具セットを贈った。
ドリルが一日一ページでは物足りない(!)きれいなものかいらしいものに心ときめかせる母よ。オメデトウ。

▲そして、今日もまた夕ご飯拵えながら電話。
「暑いなあ」から始まって、お互いの痛いとこの話。それから、わたしがいま読んでる本のことや、今日は沖縄・高江で起こってることの話もした。以前は話の中にわからないことばが出てくると「ちょ、ちょっと待って。いまメモするし。もう一回言うて」と、即 書きつけてたようだけど。この頃は「そうかぁ。もうわたしには何が何か、ようわからんわ」と、ため息をついてる。(←それはわたしも一緒。ほんまむちゃくちゃやもん)
あ、そうそう。昨日旧友Jに会うたことも、もちろん報告する。

▲そのむかしは「あんたも、あんたの友だちも、みな変わってる」とつめたい母(苦笑)やったけど。わたしや「変わってる」と称された(すまん)友だちもみな歳とって、それなりに落ち着いたからか、この頃は「そら、まあ、ちょっと変わってるけど。みな、かいらしい、ええ子や」と評価が変わったんよね。
で、Jはその「かいらし、ええ子」の筆頭ってわけだ(笑)

▲友だちといえば、母にはいまも交流のある小学校と女学校時代の友だちが二人いて。
「あの子ら(←いつまでも少女!)かれこれ80年ほどのつきあいですわ」~なぁんてすまし顔で言うてるのを聞くと「おお80年 !! すごい~」と思う。
わたしも旧友たちとのつきあいをいつの日かすまして誰かに告げてみたい。
「わたしら、もうかれこれ80年ですねん」ってね。

▲いや、そうはいうても、80年になるにはまだ40年もあるのだった。すると母が笑いながら返してきた。
「そんなん~40年ぐらい じきでっせ」

▲さてさて。
このごろ朝早く目が覚めると、寝床でそのまま本を読んでいる。蝉の鳴き声はにぎやかやけど、小鳥の囀りも、涼しい風も心地いい。
今日はそんな寝床読書の『湯かげんいかが』(森崎和江著 東京書籍1982年刊) をようやく読み終えた。

▲著者が生まれた朝鮮でお風呂の思い出、まだお風呂に浸かるというのが贅沢だったころの話、炭鉱町や農村での共同風呂の話・・・。
とりわけ心に残ったのは著者がまだ炭鉱をよく知らなかった(昭和)三十年初期のころ。炭鉱住宅地の共同ぶろに知り合いに連れて行ってもらったときの話で。

▲お風呂の中で「女たちは誰も彼も恰幅がよく、よくしゃべる」大音響の湯けむりもあって、彼女は知り合いともろくに話もできず、落ち着かない。
そのうち、そのひとが湯を汲んできてくれたものの、どの辺でしゃがんだらいいものやら~それさえわからず、とりあえず湯桶のそばにしゃがんだとき。

▲【突然、ざぶりと背に湯がかけられた。
「洗うちゃろう。背中は自分ではよう洗えんもんね」
よくひびく声だった。肩に手をそえ、
「人にこすってもらうと気持ちよかもんね」
泡立つタオルでごしごしと洗われ出した。連れ立って来た女ではない。彼女は湯舟に入ったところだった。わたしはふりかえることもできずに、「すみません」と言った。
しっかり力をいれて、ていねいに洗ってくれる。脇腹も腰もお尻までごしごしとタオルは泡をとばした。
「洗うのも要領のあるもんね。撫でるごとそろそろ洗うたっちゃ音は出らんばい。音の出らにゃ気持ちようなかもんね」】(同書p36「わたしのふろ」より抜粋)

▲やがて、そのひとは石鹸の泡を流してくれて、やっと著者が首をまわし、こんどはわたしに洗わせて、と言ったら
【「よかよか、あたしゃもう洗うてもろうた、上がるとこたい」すたすたと上がり湯へ行った。】 (同書p35~37より抜粋)

▲【老いた人びとの話を聞いてわかってきたのは、大半の人びとが住み慣れた村を糧を求めて出て、各地の炭鉱を転々としていたということだった。(中略)
いわば、古い村と別れて。人びとのいやがる地底の苛酷な職につき、各地から集まった者で新しい村を作り出したわけだった。第二に村づくりには血縁地縁の論理とは別のものが軸になっていたのだ。その論理を越えて直接個人の人間性にふれることがここでは大事だった。湯に沈んでるわたしの心はいつまでも大きくゆれていた。あの人はわたしにたいへんなものを残して消えた。】(同書p39より抜粋)

▲読みながら、わたしも著者の横で、半ばおろおろ、半ばそわそわしながら共同風呂の隅っこにしゃがみこむ。わんわん響く女たちのおしゃべりの声も、湯気でくもった浴場も。脱衣場で裸で走り回る子どもらの姿も、すぐ目の前に浮かぶようだった。

▲そういえば。
信州で暮らしてた頃、大阪から相方の両親が訪ねてくると、きまって村営の温泉に皆で出かけたんだけど。
いつだったか女湯に義母とふたり入って、蛇口のまえで横に並んで顔を洗ったあと、からだを洗おうとタオルに石鹸をつけたとき、義母がとつぜんわたしの後ろにまわって「背中流したろ」と言わはった。

▲森崎さんやないけど、そういうときって、とっさにお礼のことばは出てこないもんで。何よりも、びっくりしたのと、恐縮する気持ちの方が先で。わたしも(森崎さんのように)「すみません」と言うのがやっとだった気がする。わたしはまだ三十代だった。
こういう場面では「おかあさん、背中ながしましょうか」とか、わたしが先に言うもんなんやろか?それって小津の映画の頃の話ちゃうん?(そもそもそんな場面が小津の映画にあるのか?)・・・と瞬時に頭の中が!?でいっぱいになったんだけど。

▲されるがままに、ごしごし大きな背中(!)を洗ってもろて、そんなことは、子どものとき以来かもしれなくて。とてもきもちよかったんよね。
「ひとに洗うてもろたらきもちええやろ」と義母が言うて。ほんまやなあと思った。
仕上げにざあざあとお湯をかけてもろて、
「ほな、こんどはわたしが」と、義母の後ろにまわったのだった。

▲去年誕生日の1週間前に遠いとこにいかはった義母もまた、7月は誕生月だった。
ケッコンしてから毎年7月になると、いちばんにカレンダーにふたりのおかあさんの誕生日◯印をいれてたんよね。
35年の間には(あたりまえのことながら)うれしいこともつらいことも、ほんまにいろんなことがあったけど。
あの日 背中流してくれはったことわすれません。おかあさん ありがとう。


*追記
その1)
森崎和江さんプロフィール~藤原書店HPでの紹介

その2)
この間図書館で借りてきた本。
母と子でみる『「白バラ」を忘れない 反戦ビラの過去と今と』(早乙女勝元 著・久保崎輯 絵 草の根出版会2009年刊)【「白バラ」とは、学生たちによるナチス・ドイツへの抵抗運動のビラの名で、その運動グループの呼称です】表紙の絵はゾフィー・ショル。

この本のシリーズ「愛と平和の図書館」は、とてもいい本揃いです。こういう本に会うと、いつも思うことは、出版の本来の目的である、子どもたちに読ませたい、読んでもらいたい~という思いは、どうやったら届くのかなあ~ということです。
子どもではないおばちゃんが借りてきてすんません~と思いながら。((←これは古書店のHP、目録です)

以前観た映画『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々』を思いだしています。
予告編

その3)
『移動図書館 ひまわり号』(前川恒雄著)が夏葉社から復刊されましたこの本のことはまた次回書きたいと思います(つもり)

その4)
沖縄・高江~
琉球朝日放送・報道制作部(7.22 18:35)のこの記事(とくに一番下の動画)ぜひ→

その5)
きょうはこれを。
わたしも、このなかに入って風にふかれながら聴きたい。
Patrick Watson - Piano des villes, piano des champs→

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by bacuminnote | 2016-07-23 19:38 | yoshino | Comments(2)

わたしにとっての体力。

▲朝からすでに、むしむしと暑い。
昨夜は心身ともにぐったりして、いつもより早く床についたから・・・もしかして、ひょっとして、あれから、何か変化があったかもしれない、と目覚めてすぐネットニュースをみたんだけど。
現実は悪夢より悪夢で。朝いちばん長いため息をついた。

▲それから雨戸をあけ、窓をあけ、深呼吸して、珈琲を淹れて。
ゴミ出しに外に出たついでに、半ばヤケになってその辺の草を刈る。
いつだったかある作家が【私にとっての体力は深く考え考えて、考えつづけられるかという体力】と、言うてはったのをぼんやりと思い出しながら。鎌を振る。
けど、長いこと砥いでない鎌やから、うまく刈れなくて。道具は手入れを怠ったらあかんのよね。「体力」が独りでにつかへんように。

▲最近よく眠れないのに(←相方には「鼾かいてよう寝てはりまっせ~」と笑われてるが)けっこう早く目が覚めたりするもんで、朝はしばらくぼぉーっとしてる。
昨日はパソコンを立ち上げるときに、いつもは考えなくても指が覚えてるパスワードが突然どっかに飛んでゆき(!)あせった。
この間はデパ地下で、若い白衣姿の店員さんが追いかけて来はって「何?なんなん?」と思ったら「これ、落とされましたか?」と声をかけられびっくりした。そのちょっと前にバッグの中のハンカチ出そうと、ごそごそやってたとき、日除けの手袋を丸めたんを落としたらしい。

▲で、そのすぐ後のこと。
こんどはわたしが、セルフレジの台で横にいた方が日傘を忘れていかはったのに気づき、呼び止める。
「わあ。ありがとうございます。あかんねえ。暑うてぼぉーっとしてばっかりや」
「ほんまにねえ。わたしもさっき落としモン拾ってもろたとこですねん」と笑い合う。
いや、暑さのせいばかりではない気もするけど。お互いに(苦笑)

▲「拾う」というたら、先日読んだ『キジバトの記』(上野晴子著 海鳥社刊)の中に、こんな一篇があった。
著者が術後も不調のため一年通った病院から離れることに決め、かつて(ご自身がまだ病気になる前に)ホスピス研究会で何度か行ったことのある病院へとむかう。

▲紹介状もなしに訪ねた著者を、しかしホスピス長の医師はあたたかく迎えてくれる。
以前セミナーの壇上に仰ぎ見た先生だ。そして丁寧な診察が終わって。
【身づくろいをしている私の足元に小さなボタンがころがっているのを見つけられた先生は身をかがめて拾い上げ、私のではないかと聞かれた。そんな何気ない振る舞いにも先生のお人柄はうかがわれて心が和んだ】
(本書「身も心もおゆだねして」(p179より抜粋)

▲なんということのない診察室でのできごとだけれど。
ひとへの信頼感って、たぶんこういう小さなことの中にも芽生えるんやろねえ。そして、この日の著者の胸のうちをおもうと、ただ本を読んでいるだけのわたしまで灯りが、ぽっとともったようなきもちになるのだった。

▲この本は著者上野晴子さんの夫・上野英信氏亡き後、それまで夫に禁じられていた「書く」ということを始め、「筑豊文庫」や夫のことを綴ったエッセイ集で。きびしい内容の中、はりつめたものがふっと緩む一篇だ。
先日一人息子の上野朱(あかし)さんの『蕨の家』『父を焼く』を読んだあと、ずっと気になっていたこと~男女の区別なく、ほかの人の作品には惜しみなく協力したらしい英信氏が、なぜ妻に文学(短歌)を禁じたのか。何より、それを晴子さん自身が何故受け入れたのか~と、読み始めたんだけど。

▲結局、この本にも明快な答えはなくて。というか、はっきりしないからこそ晴子さんの自問自答が長いあいだ熾き火のように在り続けたのだろうとも思う。
ちょうど上野英信夫妻と同世代になる相方の両親やわたしの親~その夫婦のありようを思い返してみると、今からは考えられないような暴力的なことも、妻というのは「そういうもの」として扱われていた時代なのかもしれないけれど。
「書き始めた」晴子さんの炭火は真っ赤に熾る。
見かけの「女らしさ」にうっとりしてる男たちへのきびしい視線というたら。

【私が生き延びてこられたのは、どんな時にも彼の仕事に対する信頼と敬意が薄れなかったことと、いつのまにか私が複眼を備えて、ものごとを多層的に見るすべを身につけたためではないかと思う。(中略)

笑止なのは私の精神の纏足状態ともいえるいわゆる「女らしさ」に対して、男性の多くが快い印象を抱くらしいことであった。私はその反応を尺度にしてひそかに彼等を測った。

夫の「ないものねだり」と完全主義は増大するいっぽうで死ぬまで変わらなかったけれども、自分自身にも向けられたその渇きこそが彼の生命の原動力であり推進力であったことを私は認めることができる】
(本書「二月」p48~49より抜粋)

▲そして、そんなお母さんのことを息子の朱さんはこう綴る。

【来客の前で父にからまれ罵倒され、唇を噛みしめて台所に引き下がってきた母が「あたし法王の驢馬になるんだから」とつぶやくのを皿洗いの小僧の私は何度か耳にした。ドーデの『法王の驢馬』に描かれる驢馬が忍従の内に密かに蹄を磨き、ある日ついに相手を空高く蹴り上げる姿にあこがれていたようだ】
(本書 「驢馬の蹄」上野朱p199より抜粋)

▲いっときはげしく燃えた火はやがてまた静かな熾火となり。
1997年英信氏の死から十年たって「いろいろあったけれどなかなかに楽しい人生だった」と言う言葉を残して晴子さんは小さなボタンを拾い上げて尋ねてくれた医師の、あのホスピスで亡くなる。
そうそう。
かの松下竜一さんが生前「上野英信に真正面から立ち向かうのは気後れがするが、晴子を描くことで英信を浮き彫りにしたい」と取材をすすめてはったそうで。
叶わぬこととはいえ、ああ、それ、ほんまに読みたかったなあと思う。


*追記
その1)
朝日新聞に以前載った記事がwebにあがっていました。
”「キジバトの記」 上野英信と晴子―福岡・筑豊”→(朝日新聞2006・7・8 文・今田幸伸)

その2)
選挙後の報道あれこれに、かっかしたり(←なんで選挙前にそれをやらへんのよ!!)気分がダウンしてるとき、ツイッターに毎日新聞の日曜版の漫画「毎日かあさん」西原理恵子の画像が貼られていて、頬がゆるみました。→
(web毎日新聞でも、そろそろアップされるんちゃうかなあ?→

おばあちゃんがひとり暮らしになって最初にしたこと→「夕食なしのパフェとだんごの一気食い」ええなあ!
そんでね、思うんやけど。
ケッコンしてても、お母さんにこんな時間がもてたら(いや、パフェとだんごのことだけやなく!)ほんま、もっとよかったのになあ。
『キジバトの記』を読んだあとでもあり、いろいろ考えさせられます。

その2)
この間から観た映画(DVD)2本、どちらも戦争がもたらすもの、とても重かったです。
観た後、だれかのせいとか言いながら、人間って、実はほっといたら差別も虐殺も平気でやってしまえる、とんでもない生き物かもしれないと思いました。
せやからね、そんな自分の「とんでもなさ」をいつも自覚して「暴走」してしまわんように、気ぃつけて、気ぃつけていかんとあかんのやなと。

そのためにも、そんな人間が今までやってきたこと、やってしまった残酷なこと、ちゃんと見て、学んで、考えて、話す、伝える・・・という「あたりまえのこと」を、ずっとずっと「続けなければ」あかんのやと思いました。
歴史を自分の都合のええとこだけピックアップしたり、なかったことにしたり・・・してたら「暴走」が始まるよね。(もう始まってるかも)
心せねば。

『サウルの息子』→(原題:SAUL FIA/SON OF SAUL 監督:ネメシュ・ラースロー)アウシュビッツの話です。イヤホンつけて観たから、よけいに台詞の後ろから聞こえてくる音がなまなましくずっと緊張してた。撮し方もあって心底しんどかった。エンドロールのバイオリンとその後の雨音にやっと呼吸が楽になった気がします。その曲のこと知りたくて何回も巻き戻してみたけど不明。

『消えた声が、その名を呼ぶ』→ (原題:THE CUT 監督:ファティ・アキン)【100年前オスマン・トルコで起こった死者100万人とも150万人とも言われるアルメニア人虐殺】をめぐる物語。

そして、この2本の後に、アイスランドの映画というだけで(北欧の映画すき)観た『ひつじ村の兄弟』→(監督:グリームル・ハゥコーナルソン原題:Hrutar) パッケージの写真に、ほのぼのした兄弟物語かとおもいきや、なかなか深いテーマを扱ってて、とてもいい映画でした。

原題~英語ではRams って、あのラム肉のこと?いやあのラムは”L”から始まってたよなあ~と思って。調べてみたら、Ramは雄羊(去勢していない)のことでした。となると、映画のテーマは?・・と、またまた考え中。
羊って英語でいろんな呼び方があるんですね。知らんかった。→

その3)
今日はこれを聴きながら。
「不屈の民」変奏曲 ~ケッコンしたての頃(大むかし!)出たばかりのこのレコード買って、二人で何度も何度も聴いてたこと思いだします。
この曲の原題 ”The People United Will Never Be Defeated!”は
”団結した民衆は決して敗れることはない”
久しぶりに聴いたけど、すばらしい。いま、思いをこめて。

Frederic Rzewski 「不屈の民」変奏曲-高橋悠治 →
全曲→
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by bacuminnote | 2016-07-11 16:07 | 本をよむ | Comments(10)