いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2016年 08月 ( 3 )   > この月の画像一覧

あらすじはいりません。

▲先日、関東在住の姉2の帰省で「いっぺん会おか」という話になった。
3人や2人というのはあっても四姉妹全員で顔を合わすのは、何年ぶりやろか。
当日はお昼前にみんなが出て来やすい大阪・天王寺にて集合。
炎天下おばさん四人「久しぶり」の挨拶もとばして「きょうも暑いなあ」と言いながら、姉3が予約しておいてくれたレストランにぞろぞろと歩く。

▲四姉妹と告げると、たいてい「わあ、若草物語やね」とか「細雪やなあ」とか言うてくれはるけど。そんなええもんと、ちゃいますがな。
7歳、5歳、3歳上の姉たちとわたしは、趣味も、考え方も、ガッコも、してきた仕事も、住んでる地域も、家族構成も、みごとにバラバラで。4人に共通点というたら、親がおなじで、川のはたで育ったこと、「食べる」のが大好き、ということくらいかもしれない。

▲せやからね。
「四姉妹って、ええねえ」と言われても、白けた顔して(たぶん)「べつにぃ」と言うてしまう。おいしいもんのことから本や音楽、映画のこと、何でも話せる友だちのほうが、ずっと楽しいで~とか返して、相手をちょっとがっかりさせるんやけど。

▲それなのに、いったん顔あわせると長いブランクも何のその。
勝ち気に内気。イカル者に取りなす者。話し役に聞き役。ボケとツッコミ・・・。
長女・次女・三女・四女~収まるべきとこへ、瞬時に収まって。
その日もしゃべる、食べる、笑う、のむ、しゃべる、食べるの6時間に、友だちとはどっかちがう、この感じはやっぱりきょうだいやなあ、と頬がゆるむ。

▲帰りは2:2に分かれて「ほな、また」と手を振った。
好きなとこも、ちょっと気にいらんとこも(!)多分お互いにいろいろあるんやろけど。こんどまた会うたら、からだの奥深いとこから湧き上がってくる「なつかしさ」と「アイ」(漢字にするのは気恥しい)によって、四姉妹のスイッチが入るんやろな。
姉たちよ、いつまでも”かしまし娘”でいよう。

▲さて、
この日の道中おともの本は『水つき学校』(加藤明治著 東都書房刊)~図書館で借りたこの本、七刷で1973年に出てるけど、初版は1965年刊。表紙の絵(by久米宏一氏)は横殴りの雨のなか合羽姿の主人公の少年・庄一が牛を引いているところ。中の挿絵もぜんぶなつかしい。これや、これ!と声をあげる。50年ぶりの再会だ。

▲なんで、この本を再読しようと思ったかというと。
前述の姉たちとの会食の際に、むかし姉の子どもら(わたしにとっては姪や甥)が幼い字でわたし宛てにくれた手紙を見せてやろうと探してたとき、思いがけずわたしが小学6年生のとき書いたこの本の読書感想文が見つかったのであった。

▲これ、感想文コンクールで入賞したとかね、選ばれて何かの文集に載ったとか、というのでもなく。センセの赤ペンも力のないただの二重丸で(苦笑)しかも、その下には「大事なところをくわしく。」とダメ出し・・・。
どう見ても「じまんの作文」ではなさそうやのに。なんでこんなものを残してたんやろか、と探しもののことも忘れて、座り込んで読む。

▲原稿用紙8枚の読書感想文は、母におこづかいをもらって近所の本屋さんで本を選ぶところから始まるんよね。
相方に言うたら「おまえは子どものときから話長かってんなあ。センセも、たまったもんやないよなあ。8枚も書いてきて。そのうえ前置き長うて~」と大笑いされたんやけど。

▲そんで、読んでみたら、これがなかなかに下手な作文やった(苦笑)
けど、自分がこころ動かされた本(話)をみんなに伝えたいという気持ちは、ちゃんと届く。(わたしがわたしに届けて、どないするねん?とつっこみつつ)
でもセンセからしたら「あらすじはいりません」と思わはったんやろなあ。(すこし残念)

▲6枚目になってようやっと「読書感想」らしい文章になって。センセの赤ペンはシビアに「感想」はここから始まってるぞ、と矢印が入る。
7枚目には「この場面があなたの作文のカギです」「ここをもっとくわしく」とあって、最後の三行には赤い斜線が無残にも入って「いりません」とある。いやあ、このセンセなかなか手厳しい。

▲こんなこと書かれたら読書感想文は嫌いや、ってことになるやん~と、自分の作文が下手なのを棚の上にあげて、ぶつぶつ。
けど、8枚目の空いたところには、返してもろてから書いたのか、青いペンで反省点を四点あげてたりして、小6のわたしはなかなか健気である。

▲子どものころの本は全く手元に残ってないんだけど、この本のことは覚えてたしね、自分の読書感想文に触発されて(苦笑)もう一度読んでみたくなったというわけだ。
そうしたら、この本すごい本で、夢中になって読了。
作文には薄い本と書いてあったけど(あとがき入れてp171)文字は小さいし、今では大人の本でもめったにみない二段組だった。

▲テンリュウ川(と、本では片仮名になってるけど天竜川のことだと思う)を挟んで2つの村の小学校があるんだけど。
主人公の庄一の通うサワンド小学校は、大雨が降るたびに校舎が水びたしになるので、川向うのノザサ小学校の子どもらから「水つき学校」とからかわれてるんよね。

▲この川「暴れ天竜」とよばれてはいるものの、昔はこんなに洪水が多くなかった、と大人たちが言う。これは下流にできたダムのせいで堆砂と水害が激化したのだ、と。
子どもたちも大雨のたびに、水が引いたあとの泥だらけになった校舎の掃除にかりだされる。雨が続けば机や椅子を二階に上げるのも庄一たち高学年の子どもの仕事だ。
もちろん田畑もそのつど、泥だらけでたいへんなことになる。

▲庄一の父親や村会議長でもある医者を中心に起こるダム撤去運動は、なかなか思うようには広がらない。
流された田畑への電力会社からの見舞金が「いま」必要な人、いや、わずかばかりの見舞金でこれまでも、ダム撤去という根本的な問題をうやむやにされてきたのだから、見舞金は一銭ももらわぬくらいの覚悟でないと、と主張する庄一の父親のような考えもあり。この補償金をめぐって村民を分断するような事も起きるんよね。

▲子どもらもじっとしておれず、庄一は修学旅行の積立金を全部使ってもいいから、もっと高台に学校を移転してくれ、と村長にかけあいに行く。
建設大臣と県知事が水害の視察に来たときに、子どもたちも役場に様子をみに行くんだけど、そのときの子どもらの話が興味深い。

「大臣に、なにをたのむんずらなあ」
「ダムをこわしてもらうのよ。高槻ダムのできるときに、もしダムのせいで大水の出るようなことがあれば、ダムをこわすという約束があるんだよ」

「それじゃ、約束をまもらんほうがいけねえじゃねえか。ダムなんかすぐこわさせろ」
「それだって、ダムのおかげで電気がおこるのだぞ。電気がつかなんでいいだか。ラジオがきこえなんでもいいだか」

「ダムは、ほうぼうに、いくつもあるだもん、一つばかり潰したって、心配あらずか」
「ダムを一つつぶせば、それだけ電気がたりなくなって、日本の工業がおとろえるぞ」
「工業ばかりよけりゃ、それでいいだか。おれたちは、毎年水びたしだぞ。それでもいいだか」
同書p46~48より抜粋)

▲そうこうしてる間におきた集中豪雨で、田畑だけでなく家も流され、死者もでる大惨事となる。庄一の父親も脚に大怪我を負うことになって。
ダムを残したままで砂漠のようになってしまった村は、急転直下みなが思いもかけなかった展開となる。
それは国や県、電力会社の補償のもとで、高い堤防を立て、小学校はノザサとサワンド二校統合して、高台に鉄筋の校舎建設が決まったこと。

▲それに耕地整理をし、一枚の田の広さを今の五倍くらいにする。
ヘリコプターで種まきをし、イネ狩りはコンバインで、刈り取りも脱穀もいちどにできるそうだ~と夢物語のように村人が語っているのをちょっと複雑な思いで読む。このころはアメリカのような大規模農業は、いいことづくめのように思われていたんやろなあ。
庄一は、新しくうまれかわる村を思い描きながらも、父親の「ダムがあるかぎりは水害はなくならぬ」~という口癖をわすれることはできない、と思うところで物語がおわる。

▲文中多くの場面で、東京電力福島第一原子力発電所事故後の東電の対応と重なるところがあって、苦々しく思い出していた。
この物語のころはまだ火力・水力発電の時代で原発はまだ実験段階だったと思う。
そういえば冒頭、ノザサの子どもらが庄一たちの学校を「水つき学校」と呼んで、カッパが泳いでる~とはやしたてる場面があるんだけど。
それにたいして庄一が思うんよね。

【うそっぱちだ。この原子力の時代に、そんなものがほんとうにいると思っているのだから、どんなにひらけていないかということがわかる】
「原子力の時代」というのに、どきっとする。著者はこの物語を1960年から書き始め同人誌『とうげの旗』に連載。完結まで三年かかったそうだ。ちょうど鉄腕アトムが流行りだしたころかな。

▲『水つき学校』は1977年に講談社から再販されたあと、そのまま絶版。図書館でしか読むことができないのは、とても残念。いま、やからこそ、子どもにそして大人にも読まれるべき本やとおもう。
復刊されることを願います。
それにしても。
大昔の下手な読書感想文のおかげで、この本にもう一度であえてほんとうによかった。と同時に、自分が小学生のときから全然変わってない(いっこも成長してへんやん!)ということがわかって、うつむいてしまうのやけど。
ちなみに、うしろに書いてあった反省点四つの最後は「文章を短くまとめる」でした(笑)
そんなわけで、今回もだらだらと長くなりましたが。
いつも最後まで読んでくださって、ほんまおおきに!


*追記

その1)
著者は長野県伊那の南箕輪村というところで生まれ育ち、本が出たころは中学校の校長だったとか。「著者のあゆみ」にある写真には(テンリュウ川のほとりで)とありました。

本文中にでてくる地名は創作だということですが、サワンドというのは沢渡のことだと思います。
信州には「◯渡」と書いて「◯ド」と読む地名があちこちにあります。
わたしたちがパン屋だった頃に、くらした集落は「胡桃渡」(くるみど)というすてきな地名でした。

そうそう、この頁の下のほうにはこんな一文があって。もう今はない出版社宛てに手紙をかきたい気分です。
【⇒ おねがい この本の感想をおよせくだされば、しあわせです。
 あてな・・・東京都文京区音羽二丁目12 東都書房出版部】


その2)
今夜はもう秋みたいな風。
これを聴きながら。Goldmund - "Sometimes"→
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by bacuminnote | 2016-08-27 21:57 | 本をよむ | Comments(2)
▲「大足は大きく育つ昼寝かな」(火箱ひろ)
子どもの頃、すぐに靴やサンダルが小さくなって母に言うと「えっ?このあいだ買(こ)うたったとこやん」とため息をつかれたクチで。この句を読むたび、大足で大きく育ったわたしは笑うてしまう。

▲むかし、友だちの下宿に遊びに行ったとき、上り口でわたしの靴をみた大家さんに彼女が「ウチは男子禁制です」と、とがめられたこと。
相方と訪ねた知人の家で帰り際、お家の方が靴を揃えて大きい方を相方の、小さい方をわたしの前に差し出さはったこと。(←こういうことしょっちゅうある。大体なんで男物は大きく女物は小さく、なんやろね?お茶碗でもお湯のみでも傘でも杖でも・・・)

▲若いころはスニーカー以外にサイズの合う靴がなかなかなくて。
ガッコの上履き用バレーシューズをダイロンで染めて履いて(色止めがうまくできてなかったんやろな)雨に合うと足がバレーシューズ型に茶色に染まったこと・・・とかね。もう足や靴の思い出はいっぱいあって、どれも苦笑モンなんやけど。

▲まあ、大きいのはいいとしても、
そのほかに何かと不調の多いわが足ゆえ、日頃からひとの歩く姿や靴~靴の形や底の減り方とか、杖を持つようになってからは杖をついてはるひとも気になって。ついつい目が足元へと行くんよね。
前を歩くサラリーマン風の若い子、あの靴底の減りようは営業やろか?暑いなか大変やなあ(・・と言いながら自分ちに来る各種勧誘の♪ピンポーンには出なくてすまんが)
あの女の子、まだちっちゃいのにヒールのあるサンダル履いて足だいじょうぶなんかなあ?とか。

▲リハビリ科の待合室では、こだわりの靴を履いてはるひとも多くて。痛いとこもツライとこもあってのチョイスなのは間違いないけど。プラスその人らしさも出てる気がして興味深い。前からときおり街なかで見かけて、かっこええなあと密かに注目してた女性も来てはって、親指の下あたりの革の出っ張りと剥げ方にわたし同様に大足で外反母趾らしいと知って親近感おぼえたり。

▲このあいだ待望の内田洋子さん新著『ロベルトからの手紙』(文藝春秋刊)が出て、いま読んでいるところなんだけど。出版前にネットで書影を見たときに、その足部だけの彫刻にどきんとした。
それはちいさな足(先)の木彫が、踵(かかと)を少しあげており。足首のあたりには天使のような羽がついていて。(足が)飛び立とうとしてるようにも、いや、つま先がしずかに着地したところにも見えて。

▲これまでの内田本の装幀とはちがう趣だったこともあって、気になっていたら「あとがきに、かえて」と、内田さんがこの木彫の作家・田島 享央己(たじまたかおき)氏に宛てた手紙が掲載されており。
曰く、内田さんが帰国中に偶然、千葉県立美術館で田島さんの作品『Left alone』(ひとり、残されて)と出会い感動したこと、本の表紙カバーのために作品を創っていただきたい。
【彫っていただきたいのは、『羽のはえた足』です】とあった。イタリアで仕事をして38年目、組織に属せず一人で働いてきた内田さんが<守り神>と思い頼りにしてきたのが、ヘルメスだったから~とのこと。

▲帯の惹句にもあるように、今回の本は<イタリアの足元>の話、のようで。
足に関心大のわたしは読む前からそわそわする。
この方のエッセイは、偶然にしろ必然にしろ、イタリアで出会った人たちや料理や食材、動物や船、街のことがいつも綴られて。その一篇一篇は短いけれどけっこう濃密だ。
せやからね、いつも一気に読みきってしまいそうなのを、ちょっとこらえて、できるだけゆっくりたのしむことにしてる。

▲今日はお盆明けで待ち人の多いリハビリ科の長椅子に座って。
なかなか順番が回ってこなかったこともあって、つい何篇か読んでしもたんやけど。そのなかのひとつ『二十分の人生』のことを書こうとおもう。
ミラノの内田さんの自宅の前にある大きい広場は、その昔ハンニバルがアルプス越えをする前に休憩した、という伝説のあるところやそうで。

【その門を中心にして、広場は周囲を抱き込むように円形に広がっている。同心円状に内環や外環状道路が走り、さらに、市の中心部と郊外を結ぶ大通りが垂直に交わっている。何本者道路が錯綜し、四六時中、車と人の流れは途切れない。蜜に集まってきては散っていく、蟻の群れを見るようだ。
渡って待ち、待って、渡る。

路上から広場は見渡せるのに。横切って向こう側へ行くには、合計六ケ所もの横断歩道を渡らなければならない。そのうえ信号がうまく連動していないため、もたもたしていると広場一つに十分以上かかることになる。寒いなかの信号待ちは辛い。】(p69)

▲このややこしい道路状況の中(←こういうの大の苦手なわたし。
何度読み返すもイマイチわからへんので(苦笑)この部分を相方に音読して紙に地図のようなものを描いてもろて、ようやく理解。)
その日は午前九時を回ったのに、やっと零下五度という寒さで(←ミラノって寒いんやなあ)内田さんは早いうちに用事をすませてあとは家でこもってすごそうと、家を出る。
そして信号が青になるや、急いで渡ろうとすると「すみませんが、いっしょに渡ってくださいませんか」と背後から声をかけられるんよね。
「途中で信号が変わってしまうのが、恐ろしくて」と、その高齢の女性は杖を持ち上げてみせる。

▲そのお年寄りは「薄茶色のウールのコートにボルドー色の毛糸の帽子」「着古したコートは誰かからのお下がりなのか、肩が落ち、長過ぎる袖が手の半ばまで覆って」いる。足元をみれば「薄いストッキングにローヒールの革靴で、骨張った膝下が寒々しい。凍った道に足を取られないように、用心深く杖を小幅に出しては足を引きずるようにそろそろと歩く。」

▲内田さんは右腕を貸して歩き始めたが、他の人たちはとっくに渡りきってしまったのに、二人はまだ道の中ほどで。じきに信号は黄色になり、内田さんは彼女を持ち上げるようにして両側の車に「辛抱勘弁」と目配せしながら、ようやく残り半分を渡り終えるんよね。
と、「すみませんが、もう一本、この先の道もお願いできますでしょうか?」と杖で前方を指しながら言う。

▲83歳だというその女性が、道中、ときに歩くよりも熱心に語る無職で引きこもりの息子の話に、なぜいまもストッキング一枚の足を寒風にさらして、通りを渡り家政婦の仕事に出るのか~はじめはぼんやりしてた像も少しずつ焦点があって、そのうち輪郭がはっきりしてくるんよね。ああ、そうやったんか~と。
気まぐれに点けたテレビで、途中から見始めた映画のように、わかったことも、わからないままのこともあるんやけど。
二人は信号を何度もやり過ごし「結局、最初の信号を渡ってから二十分が経っていた」で、話は終わる。

▲内田本には、こんなふうに偶然会ったひとと話したり、手助けしたり、その方と思いもよらないところで再会したり、というエピソードがよく出てくる。
つい今しがた出会ったばかりの人の人生の一端に内田さんがかかわり、そして読者もその風景のすみっこにいるような、そんな感じ。そして読むたびに内田さんのイタリアでの時間、人の繋がりのひろさ、よく利く鼻と(!)好奇心と、何より生きてるものへのふかい愛情を思う。

▲彼女のような手助けはとうていできないけれど、通りがかりのひとと話す、といえば、わたしもよく道をたずねられる。
「自分(大阪弁でyou)みたいな方向音痴に道聞くやなんて、見る目ないなあ」とか「おばちゃんが一人ひまそうに歩いてるからやろ」と相方は笑うけど。
だれかと一緒にいるときでも、何故かわたしにむかって「ちょっとお尋ねしますが」と、声をかけられるんよね。そんなことがしょっちゅうあると「自他ともに認める方向音痴」のはずが、「他」からは、わたしの頭の上に「道案内」の看板でも見えるんやろか(笑)とおもったり。

▲先日は券売機前で、年配の女性から「すみません。プリペイドカードの買い方がわからなくておしえて下さい」といきなり五千円札を手渡されてびっくりした。
道案内は下手でも、これくらいならと喜々として(←たぶん)次からは一人でも買えるようにゆっくり説明してたんよね。
すると、隣の券売機前で長いこと何やらやってはった方も「へえ、そうやってするんですか~」と覗き込みに来はって。
時間にしたら、ほんの数分のことだったけど、ふたりの知らん人に「ありがとう」「おおきに」と言うてもろて、券売機教室(笑)はぶじ終了した。

▲駅で、本屋で、スーパーで、パン屋で、喫茶店で、医院の待合室で。そのとき限りの会話から「そんなことまでわたしにしゃべらはってもええんですか?」というような身の上話まで~知らんひとから話しかけられることが多いのは「そら、あんたの顔に ”しゃべって~”って書いてあるねんで」と母は笑って言う。・・・せやろか。
ひととひとの繋がりはときにわずらわしいこともあるけど、おもしろい。

【行き詰まると、散歩に出かける。公営プールへ行く。中央駅のホームに座ってみる。書店へ行く。海へ行く。山に登る。市場を回る。行く先々で、隣り合う人の様子をそっと見る。じっと観る。ときどき、バールで漏れ聞こえる話をそれとなく聞く。たくさんの声や素振りはイタリアをかたどるモザイクである。生活便利帳を繰るようであり、秀逸な短編映画の数々を鑑賞するようでもある】
(『ジーノの家』(内田洋子著 文春文庫刊)「あとがき」より抜粋→

*追記
その1)
駅の券売機、図書館やレンタルショップの自動貸出機、トイレ・・・と新しく登場したものでわからないことは
いっぱい。でも、だれでも簡単に使えるものでないとね。
前にも一度書きましたが、再掲。

『ユニバーサルデザイン7 つの原則』

誰でも使えて手にいれることが出来る(公平性)
柔軟に使用できる(自由度)
使い方が簡単にわかる(単純性)
使う人に必要な情報が簡単に伝わる(わかりやすさ)
間違えても重大な結果にならない(安全性)
少ない力で効率的に、楽に使える(省体力)
使うときに適当な広さがある(スペースの確保)


その2)
靴といえば何かのたびに思い出す『ユルスナールの靴』(須賀敦子著)のプロローグ。
【きっちり足に合った靴さえあれば、自分はどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。】
(同書p11「プロローグ」より抜粋)


その3)
この間からひとり時間が結構あったのでDVD三昧のときをすごしました。
いつもはキホン一日一枚にしてるんよね。でないと、頭のなかがごちゃまぜになるから。
若いころ映画館はキホンが3本立てで、5本とか、ときにオールナイトとか観てたけど、いまでも覚えてる作品が多いのに。

先日も息子2に「最近なんかええのあった?」と聞かれて、相方とやっとのことで思い出して『裁かれるは善人のみ』と答えたのはいいけど、どんなストーリーやったか二人ともまったく思い出せず。
「ネット検索はせんと自力で思い出す・・」とか相方が言もんで(苦笑)、二人うんうん唸って、そのうち「ロシアの映画」「海辺の家」「タルコフスキーに通じるもの」とかなんとかキーワードを切れ切れに思いだしたんやけど。

ちょっと前にその映画のことで、ああでもないこうでもないと二人で感想大会wしたとこやのに。同じアンドレイ・ズビャギンツェフ監督のずっと前にみた『父、帰る』を再度観たりもしたのに。
「深く青い海。浜によこたわる白骨化したクジラ。ウォッカと煙草。わかったこともわからないままのことも。ぐるぐる。」とツイートもしたのに。まったく・・・。

その4)
レナード・コーエンが新しいアルバム「You Want It Darker 」を発表したらしい。
若いときのレナード・コーエンもすきやったけど、歳とってからの彼はまたとくべつ。秋には82歳だって。

きょうはこれを聴きながら。
Leonard Cohen - Samson in New Orleans

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by bacuminnote | 2016-08-17 09:36 | 本をよむ | Comments(8)

風倒木。

▲本の少ない家だった。
父が読む活字いうたら新聞と株と、たまに仕事(料理や旅館)の本。それから旅行業者から送ってくる雑誌くらいなもんで。
あ、でも、この雑誌のなかの一冊『あるく・みる・きく』は、ほんまにすばらしくて。これをまだ小学生のわたしに「読んでみ~」と奨めてくれた父(←たまにはええこというやん)には感謝してる。

▲田舎で生まれ育って「井の中の蛙」のわたしに、日本のなかにもいろんな地方があり風土と暮らしがあること、たまに外国編もあって、世界の広さもおもしろさも知ることにもなって。
以来「近ツ」(発行元の近畿日本ツーリストのことを業者間ではこう呼んでいた)から茶封筒が届くと、わたしが一番に見る(読む)ようになった。が、この雑誌、かの宮本常一氏の発行したものと知るのは、大人になってからなんだけど。

▲あかん、あかん。また話が横道にそれてしまうから「本」に戻して。
母に至っては、わたしが物心ついてから、ゆっくり座ってご飯を食べてるとこ見たことないくらいに、仕事仕事のひとやったから。本どころではなかったはずで。かつてブンガク少女やった頃に読んだという古びた数冊が本箱にひっそりと並んでたのをおもいだす。

▲せやからね。
なぜか姉妹のなかで四女のわたしが本好きとわかると、母はこと本代だけは、いつも惜しまず出してくれた。
そうはいうても、ちいさな町のことで本屋さんに自分が読める(読みたい)本がいっぱいあったわけではなく。
でも小学校五年生になると、それまでは学級文庫という教室内にある本箱だけだったのが、ようやく校舎の一室に図書室ができたんよね。

▲できたての図書室は、今から思えば本の数も少なかったけれど。床から天井近くまである背の高い本棚がならぶ「本の部屋」は衝撃的で。もう、うれしくてうれしくて。クラスの図書委員というのには、迷わず立候補の挙手をした。
学級文庫とはちがって、図書室の本はただ並べてあるのやなくて、ある決まり事に基いて「分類」してるってことを初めて知ったのもこの年やったと思う。なんせ町に本屋さんが一軒あるだけで、図書館なんてないし、行ったこともなかったし。

▲そうそう、その図書室ができた年あたりに「親子読書運動」というのが起こって、「毎日20分親子で本を読む」という宿題が出始めたのだった。
「週間読書カード」というB5サイズを横にしたちょっと厚紙の用紙があって、親子で本を読むと日にちの下に◯をつけ、自分だけで読んだときは△、読まなかったら☓・・・と記入(たぶん)。最後に親のハンコを押してもらい、1週間の感想を親子それぞれ書く、と、そんな感じのカードやったように思う。

▲はりきってなった図書委員でもあるし(これの回収も委員の仕事やった)とにかく、初めのうちは、それでも母にうるさくつきまとって、本を読んで聞いてもらうという「親子読書」を何度かしてたけど。
そもそもそんな時間が母にあろうはずはなく(そしてなぜ「母子」なのか?とか当時は考えもしなかったから当然父に声をかけることもなく)
宿題を忘れることはあっても(!)本を読まない日はなかったけど、ほとんど毎週自分でええかげんに(ときに母の字をまねて親の欄まで)記入して、自分でハンコ押してた。
「本はすきやのに。ほんま、こんなもん誰が考えはったんやろ」と苦々しくおもってたんだけど。

▲なんとこの主唱者は椋鳩十氏であったことを『移動図書館ひまわり号』(前川恒雄著・夏葉社刊)で知った。
あとで調べてみたら【1960年代初めに鹿児島県立図書館館長であった椋鳩十(むくはとじゅう)によってはじめられた「母と子の20分間読書運動」,1960年代後半からの子どもを対象とした親子読書運動】とあって。
その後この読書運動は全国に波及したそうで。
せやったんか~「こんなもん」を考えはったんは、あの椋鳩十さんやったのか~

▲前川氏は椋鳩十氏を「日本で最もすぐれた県立図書館長の一人」とみとめ、教えを受けたことも多かったとしつつ、しかしこの運動には「ついてゆけないと感じていた」らしい。
わたしは子どもながらに、ずっと胸にのこってた「ふまん」を何十年もたって、やっと理解してもらったような気がした。
曰く
【家庭で親が子とどう向き合うかは、他人が口をさしはさむことではなく、子供がどんな本をどう読むかは、子供自身がつかんでゆくべきで、運動として強制する性質のものではない、と今でも思っている】(同書p62より抜粋)

▲いや、けど、一方ではそうとわかって、よけい納得いかず(椋さんが考えてはったことを知りたくて)もうすこし調べてみる。
わたしにとっての椋鳩十さんとは児童文学作家であり、その功績をたたえて設立された椋鳩十児童文学賞の第一回授賞者はひこ・田中さん(ファンです)の『お引越し』で、第二回は森絵都さん『リズム』とだいすきな作品でもあり。
でも考えたらそれしか知らなかったんよね。

椋鳩十氏(1905年 - 1987年)は小学校や女学校の教員をしながら作家活動をして、敗戦の2年後42歳から定年で退職するまで鹿児島県立図書館長をつとめはったらしい。教員や作家がそういう役職につくことは、珍しいことでもないのだろうけど、氏の活躍ぶりはいろいろ波紋をなげ。
例えば、県立図書館が図書を購入し、市町村立図書館やサービスセンターに貸し出すという県と市町村による図書館運営を推進したそうで。椋氏がはじめたこの運営は「鹿児島方式」とよばれて、後の図書館ネットワーク構築に大きな影響を与えたらしい。

▲敗戦後、子どもをとりまく環境をうれい、教科書以外の本も読む機会を・・ということで、「母と子の20分読書運動」を1960(昭和35)年に提唱。
子どもが読むのをかたわらで静かにお母さんが聞く、というだけやなく、ときにはお母さんに読んでもらって子どもが聞くのもよし。それに20分にこだわらなくてもいい。
親子で本の時間を共有するたのしみ。本は「母と子が共同で読む本」と「子どもが自由に黙読する本」と二種類ある・・・ということも言うてはったらしいんだけど。

▲こういう提唱者の思いは5年たって、奈良県の山間部の小学校に届いた頃には「形」だけが残ってたのか。いや、母校でも、わたしみたいに(あるいは「母」に限定された呼び方に)「こんなもん」と思ってた子どもだけではなく、この親子読書でええ時間をすごした子ども(親)もいたのだろうとは思う。

▲さて『移動図書館ひまわり号』のことに戻って。
この本は1988年筑摩書房から出た本を夏葉社が先月復刊したもので、筑摩書房刊のものは、以前岡崎武志さんが講演会で熱く語ってはったのを聞き(講演会の日のことはここにも)、すぐに図書館で借りて読んだ。(このときは何故か「親子20分読書運動」の記述のこと気がつかなかったんよね)日野市でたった一台の移動図書館から始まり、日本中の図書館に影響をあたえた、前川さんや職員たちの「たたかい」の記録だ。

▲この本を読んでいるとき、何度も自分と図書館のことを思ってた。
ケッコンして、やがて街から田舎暮らしへと移行してからは本屋からも図書館からも遠ざかってしまった。引越し先はどこも図書館のない町(村)で。それでも本を借りることのできる場所をそのつど、役場(教育委員会の管轄だった)に出向いて聞いたりもした。

▲どこでも一応「図書室」やそれに準ずるものは用意されていて。聞くとすぐに子どもを連れて訪ねてみたけど。「あかずの間」のような部屋を開けるとカビ臭く、薄暗いなか電灯のスイッチを入れる。古びた◯◯全集があるかと思うと、となりに「ん?」と思うような流行り本が混じってたりして。棚の隅には未整理の(たぶん)段ボール箱が積み重ってたり。「ごゆっくりどうぞ」と職員さんがにこやかに鍵を手渡してくれたけど、長居しようとおもえる場所ではなかった。

▲いまのようにネットで簡単に本が入手できる時やなかったし、それにもちろん経済的な問題もあり「読みたい本すべて買う」わけにもいかなかったし、図書館のある町がしんそこ羨ましかった。
滋賀県愛知川(えちがわ)のころは、はるばる大津まで遠出して県立図書館に一ヶ月に一度行ってたけれど、それよりうんと近い隣市の八日市(現・東近江市)の図書館は市外の住民にも貸してもらえると知った。

▲親子三人で、八日市にかけつけた日のことは忘れられない。
庭には高さ15mほどもあるメタセコイアがうつくしくそびえ立っており、息子が何度も木登りを楽しんだ低木(なまえ失念!)があり、中に入るや明るくて広いフロアには低めの棚が並んで、これまでの図書館の重厚な雰囲気とはまるで違って、開放的でびっくりした。

▲以来、車で、ときに自転車3台つらねて図書館通いが始まった。
そうそう『移動図書館・・』の著者前川恒雄氏は、日野市での活躍の後、1980年滋賀県立図書館館長となって、滋賀県の図書館を活性化した方で。この八日市図書館もその振興策を受けて1985年に新しくスタートしたそうだ。館長の西田博史さんを中心にスタッフのひとたちも皆さんほんとうにすばらしかった。

▲1階入り口の壁面では企画展があって、今これを書きながら思いだしたんだけど、当時わたしが毎月出していた手書きコピーの通信「ばくばく」も家族新聞の企画展のおり展示してもらったことがあったっけ。
2階にはギャラリーや珈琲をのむコーナーや本のリサイクルコーナーもあって。行くと親子バラバラにすきなところに散らばり長居したものだ。
そうそうギャラリーのなまえが「風倒木(ふうとうぼく)」というんよね。

【森や林の中を歩くと、風に倒された巨木が横たわっていますが、これを風倒木といいます。これは永い年月を経て徐々に土に同化し、やがて次世代の森を育てる土壌ともなります。画一管理された人工林には存在しません。
風倒木があるということは、多産で自由豊穣な森であることを示します。これからの人間社会もこの森のように多様で豊かなものにしていきたいという願いが込められています。】
(風倒木ギャラリー 八日市図書館HPより)

▲椋鳩十さんの運動も、前川さんや、西田さんがしてきはったことも、風倒木みたいやなと思った。
それやのに。
有名無名にかかわらず多くの図書館人たちの変革をよびかける声、その熱い思いや、こつこつ積み上げてきたもの、ようやく豊かになってきた土壌の上に建った図書館がいまは「退行」しつつあるのは何故か。

▲『移動図書館・・』のあとがき「復刊に際して」で前川氏が、かつての日野市の職員に【一人一人の手を取ってお礼を言いたい】を綴ったあとこう言うてはる。

【ここで強調したいのは、職員がどんな苦労もいとわず働いてくれたのは、何といっても利用者が喜んでくれたからである。自分のしている仕事の意味が、利用者の笑顔によって示された時、職員は充分の力を発揮する。私が最も感謝しなければならないのは、日野の市民である。その上で職員が仕事に打ち込めるためには条件がある。それは職員の身分が安定していること、将来に希望がもてること、つまり非常勤職員ではないことである。】(p251)

【数年前から、図書費が全体として削られ、職員の中、非常勤職員が六割に達するまでになっている。(中略)だが、現在、図書館最大の問題は委託である。政府は指定管理者制度をつくり、委託を勧め、マスコミもこれを後押しした。委託された図書館では、職員は殆ど非常勤であるから、使命感は喪われ、長期の展望をもっての仕事はできず、職員は育たない。】(同書p253より抜粋)

▲この本ぜんたいに流れる前川氏の誠実さと怒りに共感する。
かつて某市会議員が著者に言ったという「みんなをあんまり賢くしてもらうと困るんだよなあ」(p152)を思い出す。権力をもつ者が怖がってるのはこれやよね。

【人々が賢くなり知識を持つことを恐れる者たちが、図書館づくりを陰から妨害する。自分の貧しい精神の枠内で人々を始動しようとする者たちが、図書館の発展を喜ばず、人々を図書館から遠ざける。】
(p152より抜粋)

そして、いま、この「図書館」というのを「政治への関心」に置き換えてもまた、と思うのだった。



*追記
その1)
滋賀から信州への引っ越しが決まったとき、荷物を少なくするため、というのもあって、
相方とわたしの本の中から八日市図書館になさそうなものを選んで、車で何度か運んで、貰ってもらいました。
引っ越し前にいただいた館長と職員全員の寄せ書き ”新しい旅立ちの門出をお祝いいたします”は、たからもの。
西田館長が「本屋も図書館もない村で活字中毒が治るといいですね」と書きつつ「開田村から一番近くの図書館は楢川村ですよ」と教えてくれはったのですが。
あれから25年。あいかわらず活字中毒は治らず。はからずも今は図書館のあるまちに住むようになって、案の定ヘビーユーザーで。だからこそ「退行」は許せません。


その2)
おもしろかった本。
『くらべる東西』→まあ、西と東だけやなく(←「西」が先にくる関西人・・苦笑)各地いろんな流儀があって。その「ちがい」よりも、何故そういうことになったのか、というとこが興味深いです。
まさに『あるきみるきく』の世界やよね。

その3)
きょうはこれを聴きながら。
LOLA ARIAS Y ULISES CONTI - LOS QUE NO DUERMEN - TRAILER→
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by bacuminnote | 2016-08-03 14:16 | 本をよむ | Comments(4)