いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2016年 09月 ( 3 )   > この月の画像一覧

会ひたき人に。

▲久しぶりに母の顔を見に。
母の体調、わたしの足調(苦笑)、温くうなってから、涼しいなってから、とか何とか。お互いにいろいろ言うてるうちにあっという間に半年(以上)経ってしまって。
しょっちゅう電話で長話してるしね、そんなに時間がたってるとは思いもしなかったんだけど。
今回はわたし以上に「おばあちゃん」に会うのんは、ひさしぶりの息子2も途中合流しての吉野行きとなった。

▲「秋晴れや会ひたき人に会ひに行く」(西村麒麟) ~なぁんて思ってたのに、この日もあいにくの雨。
しかも家を出るときはけっこう強い降りだったけど、ジッカのある駅近くになると、灰色の雲と雲のすきまから少ぅし青空が見え隠れし始めた。
近鉄特急は吉野に近づくと、カーブの多さもあってキューガタンガタンと、特徴のある電車の音が響くんよね。線路際にも、線路内にも、彼岸花の束がぽつぽつ~敷石の茶色や灰色に、彼岸花の赤が妙に映えて、そのうつくしさにどきっとする。
駅に着くと、迎えに来てくれた姉が車から降りて「こっち、こっちやで」と大きく手を振ってる。 Y姉ちゃん、ただいま~。

▲川沿いの道を走りながら、前回ここに台風のことを書くのに、ネットで見た伊勢湾台風の被害の写真を思い浮かべてた。
あのころ(というかわたしの子どものころ)から思えば、うんと水量の減った吉野川は、川原がどんどん広くなって。ああ、この橋もあの橋も崩壊したんやなあ~と改めて、しずかで寂れた感じの川に見入る。

▲お昼は息子とふたりで、焼き鮎ずしとおかいさん(茶粥)を食べた。
ふたりとも好物の焼き鮎ずしはもちろん、久しぶりのおかいさんがしみじみと旨かった。
ふだんは無愛想な息子やけど(!)このときは終始えがおで、何べんも「うまい」「おいしい」と言い合うては、おかわりした。

▲ウチにもかつて母が縫ってくれたサラシの「ちゃんぶくろ」(茶袋)がある。いま吉野に住んでる人たちだけやなくて、郷里が吉野の人はどのお家にもあるのとちゃうかなあ。
この袋に番茶(粉茶)を入れて炊き出すから、使うごとに深いええ茶色に染まるんよね。息子が小さかったころもよく拵えたっけ。
子どものころから食べてきたもんの記憶って、ふしぎやね。長いこと食べてなくて、すっかり忘れてても、口にすると一気にからだじゅうのスイッチ入るみたいな。
また、ちゃんぶくろ出してきて拵えよう。

▲家に入ると、母が立って迎えてくれた。きっと今か、今かと、待ってたんやろね。
息子2は母が70のときに誕生したラスト(!)10人目の孫で。お産のあと厳寒期の信州・開田高原に、しばらく手伝いに来てくれたときのことは、今でもよく母の話にでてくる。
曰く、えらい寒かったなぁ。-20℃越えた日もあったなあ。雪もすごかったし。薪ストーブのそばから離れられへんかったなあ・・・。(←思い出のほとんどが「寒かった」~よっぽど堪えたんやろね)
48で初めて「おばあちゃん」になってからも、母はつねに、ずっと、先頭に立って仕事して来たから。なかなかできなかった「孫の沐浴」もこの子のときには毎日してくれたのだった。

▲ふだん電話でしゃべってると、頭も口も冴えわたってるけど(苦笑)、じっさい会うてみると「会わなかった七ヶ月分」母は歳をとっていて。ちょっとせつなかった。(もっとも、わたしだってプラス七ヶ月分だが・・)
部屋に入ると、作ったもの書いたもの描いたものが一杯あって。
ふと、棚のところに貼った半紙が目に入る。書道のすきな母がいつも何か書きつけていて、たしか前に来たときは芭蕉の俳句だったんだけど。

▲今回は、また新しく書き直したみたいだ。
ん?あれ?これ、どっかで・・・ひゃあ!!そして、ごていねいにこの駄句の作者の名前まで最後に書いてあって。
前に電話で「わたし今日こんなんつくってん」てな感じで、調子にのって言うたんやろけど。まさかそれを書き残してたとは。まさか芭蕉大センセのあとに、こんなもんが登場するとは。びっくりしたなあもぉ。
なんちゅう親バカぶり(苦笑)。ほんで、もうほんまにあほらしすぎて、大笑い。

▲わたしが姉フウフとしゃべってる間、母は孫に漢字ドリルを見てもろて。(母の方が息子よりよう知ってると思うけど・・)それから息子のガッコの話をうんうん頷いて聞いている。若い子の話聞くのが好きやからね、母のうれしそうな顔をちらちら見て、わたしもうれしかった。

▲とはいえ、母に会うたら、あれしよう、これしたろ~と思ってたこと、いっこもできんまま電車の時間がきてしもた。帰りは義兄が駅まで送ってくれることになって、外に出たら雨がぱらぱら降り始めてた。
車窓からみえる川と辺りの山々が黒くさびしくて、わびしくて。そんで、きれいやった。
おおきに。また(帰って)来ます。つぎは晴れた日に。




*追記
その1)
息子とは会うなり、この間観た映画『怒り』の話に。そもそも、こわがりのわたしが殺人事件をもとに・・とかいうストーリーそのものが、ふだん観ない映画のジャンルなのですが。
パンフと原作本(上下二巻)持って来てくれたので借りて、帰り、息子が別の線に乗り換え、一人になってから読み始めました。

映画を観たあとに原作本読むのと、本読んでから映画観るのとでは、おもしろさがちがうよね。
監督がどの場面をカットしたのか、ふくらませたのか、とても興味深く。この上下巻の長編を一本の映画(それでも2時間20分と長いですけど)にまとめる力もセンスも。出演者の演技ももみなすごかったし。もちろん、すべての基になってる原作の(ことば)の力も。
何を今更と言われそうやけど、いろんな「表現」が詰まった「映画」の世界を、あらためて思いながら読んでいます。

『怒り』は東京、千葉、沖縄と三ヶ所でそれぞれのストーリーがあるのですが、どれもが一話でも作品として成り立つ深さがあり。そのどれもが底に怒りや痛みが在って。知らんふりができなくて。おまえはどうなんだ?と突きつけられてるようです。
とりわけ沖縄編のことは今もなお。

帰途バスの車窓から見える景色が、行きとちがって見えたのは、時間の経過だけやなくて、映画を観たあとやからやね。
長時間おなじ姿勢で座ってると膝と腰が堪えることもあって、いつもはDVDやけど。
映画館の帰り道のような時間は、映画館に行かないと得られへんよなあと思いながら。
また、行ってみよう。(ところがバス一本出いける映画館にはわたしが観たいのんが、なかなか掛からへんのです~無念じゃ)

その2)
『選んだ理由』(石井ゆかり著 ミシマ社刊)→
石井ゆかりさんによるインタビュー集。
【どういう仕事に就くか、誰と一緒に生きるか、どこに生きるか、どう生きるか、誰もが、人生で幾度も選択を重ねていく】(同書p3より抜粋)

一番印象に残ったのは写真家の「吉田さん」(Akihito Yoshida→)の巻。

【多くの人が、「やりたいこと」を探す。「何がやりたいか解らない」と悩んでいる。でも、本当に見つけていなければならないのは、「やりたくないこと」なのかもしれない。自分の中の「NO」を知っていることが、羅針盤となることもあるのだ。】(同書p132より抜粋)

番外編いれて8人の「選択」を、わがジンセイの幾度もあった(苦笑)選択期を思い出しつつ、おもしろく読みました。


その3)
今日はこれを聴きながら。
Gallo Rojo - Sílvia Pérez Cruz→
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by bacuminnote | 2016-09-30 23:42 | yoshino | Comments(4)

大きな硝子戸から。

▲朝、目がさめたら窓の外が薄暗かったので。
えっ?もう夕方なん!?と、ねぼけて一瞬あせった。けど、じっと耳をすますと幹線道路を走る車のしゃーしゃーという音にぽつぽつと雨音が重なり。昨夜みた台風のニュースを思いだしてなっとく。湿気て重たい雨戸をいちにのさんと勢いつけて開ける。

▲窓の外~雨にうたれた木々と草ぼーぼーの庭はじつに緑あざやかで、なんやズームアップしたみたいにせり出して見えて。灰色の空の下、大きくなった緑たちが今にも歩き出しそうで、どきんとする。
そうして、あらためて、植物は生き物やなあとおもうのだった。

▲川のそばで大きいなったから、台風は思い出というより、いつもその背景のようにわたしの中に在る。雨が降りはじめ、急に空が暗くなり、そのうち雨脚が強くなって、ガッコは給食を食べて早帰りの集団下校になるんよね。その時点では、午後からの授業のないことを子どもらは、無邪気によろこんで列に並ぶんやけど。

▲家に帰ると、親も従業員の人らも台風で家業は暇かと思うのに、なんやバタバタしており。うれしかったはずの早帰りやのに、わたしはじきに退屈を持て余し、放課後に対戦のやくそくしてたドッジボールができんかったことばかり思ってた。

▲当時旅館やったウチは、台風が近づくと、川辺に繋いである鮎舟が流されんように、河川敷に上げるのが定例で。(このことは前にもここで書きました)10人乗り、16人乗り、20人乗りの舟と鮎漁用の舟と合わせて5隻。川辺にあった大きな欅の木2本に、太い麻縄で繋ぐんやけど、小さい舟も引き上げるとなると力持ちが10人がかりやったそうで。

▲そうは言うても、台風前の(どこのお家もたいてい川べりで慌しいときに)その10人余りの人を集めるのが大変やったようで。そのたびに「無理言うてすんまへんなあ。ほんま、すんまへん」と、船頭さんしてもろてる人たちに、電話にむかって何べんもお辞儀してた母の姿が浮かんでくる。

▲旅館は川に沿うように客室が並び、途中長い渡り廊下の間に大浴場や娯楽室があって。その廊下の行き止まりには二階建て~上下三室ずつの客室があったんだけど。
いつだかの台風がきたとき、母たちが舟の引き上げに外に出ている間(たぶん、じっとしときや、と言われたんやろけど)わたしはそこの二階の踊り場に走ったんよね。

▲川に面した大きな硝子戸からは、眼下に怒り狂ったように、ごぉごぉ音たてて波高く流れる濁った川が間近に見えて。倒れた木や、大きな枝、畑の作物、一斗缶に箪笥や自転車まで流れてきて。
夏じゅう泳いで遊んだときとはまるで違う川のその顔つきも、覗き込んでたら飲み込まれそうな濁流も、しんそこ怖かった。

▲わたしの記憶では、これまで台風でジッカやご近所さんが大きな被害をうけるということはなかったと思う。ただ伊勢湾台風のときは橋が崩落し、町なかの家の崩壊もあって、それは大変やったらしい。そのときわたしは四歳で、家の中でも外でも大人たちがバタバタしてた様子の記憶しかないんだけど、ずいぶんあとになって当時の写真をみて、改めてその被害の大きさに驚いた。

▲さっき、これを書くのに確かめたいことがあって、母に電話したら、当時の舟や船頭さんのこと客室の位置やなまえ・・・と、具体的な数字まですぐに返ってきてびっくりする。「すごいなあ」というと「そら、わたしの命みたいなもんやからなあ」と言うて、すぐにそのせりふが恥しくなったのか「あはは」と照れ笑いしてたけど。

▲「いのち」と聞いたんは初めてだったので、そうかぁ、としみじみ思う。
相手(つまり、わたしの父親)のこともロクに知らずに、お見合いのあと一回か二回会うただけで、親や周囲の勧められるままにした結婚はイコールそのまま「嫁ぎ先」の働き手で・・。それでも当時は多くのひとがそんな結婚やったのかもしれないけれど。

▲そういえば、相方のお母さんもまたそんな一人で。
「わたし節分に結婚したんやけど、それまでいたお手伝いさん、おヨメさんが来るから、いうて1月いっぱいでお家に帰らさはったらしいんよ。わたしは正味お手伝いさんの代わりや。結婚式までおとうさん(相方の父)とも2回しか会うてへんし、式までに顔も忘れてしもてたし・・」と笑いながら、よくこぼしてはった。

▲この間(というても、もう先月末のことになるんやけど)『屋根裏の仏さま』(ジュリー・オオツカ著 岩本正恵・小竹由美子訳 新潮社2016年刊)という本を読んだ。これは母や義母より一世代~二世代前の20世紀初頭「写真花嫁」としてアメリカに渡った日本人女性たちの話で。写真だけをたよりに長い船旅を経てアメリカに暮らす日本人男性の元にむかうのだった。

▲どの男性も送ってきた写真はかっこよくて。
船内で「わたしたちは」少女のように(じっさい初潮もまだむかえていない十二歳の女の子もいた)その写真を見せ合ってはしゃぐ。
「彼らはハンサムな若者で」「故郷の兄や父に似ていたが、もっと身なりがよく、グレーのフロックコートや仕立てのよい三つ揃いのスーツを着て」「家の前の車回しでT型フォードにもたれて」写真におさまってた。

▲夢みるようにアメリカでの暮らしを語り合う「わたしたち」は、やがて写真のその人とはまるで違う「ニット帽をかぶり、みすぼらしい黒い上着」を着た中年男性たちにサンフランシスコで迎えられることになるんよね。
写真は他人のだったり20年も前のものだったりしたわけだ。そして、すぐに労働の日々が始まる。

▲そうそう、この本は「わたしは」ではなく「彼女は」でもなく、終始「わたしたちは」で語られている。
「写真花嫁」たちが口々にその結婚を、夢を、渡米してからは、いきなり「奪われた」ことを、労働の苦しさを、言葉のわからない悔しさを、絶望を、「わたしたちは」と語るんよね。

▲何度もくりかえされる「わたしたちは」が、あるときは朗読劇のように、詩や音楽のように。そのうち深くかなしく響くようになる。
ときおりテルコ、フミノ、ルリコ、ミツエ・・と「わたしたち」の中の名前がでてくるのに、ちいさなつぶやきもため息もきこえてくるようなのに。
「わたし」はやっぱり不在なのだ。

▲そうして「わたしたち」にも子どもが生まれ育ち、貧しいながらも自分たちの家をもつ。
「子どもらはわたしたちが悲しげにしていると心配してくれた。」「わたしたちの膝が痛んだり、月の障りだったりすると、わたしたちが言わなくても察してくれ」「子犬のように、わたしたちといっしょに寝た」「アメリカに来て初めて、わたしたちはベッドで誰かが隣にいるのを嫌だと思わなかった」

▲子どもらはわたしたちが決して発音しえない「R」と「L」だって難なく言えるようになる。
【ひとつ、またひとつと、わたしたちが教えたかつての言葉は子どもらの頭から消え始めた。子どもらは日本語の花の名前を忘れてしまった。色の名前を忘れてしまった。お稲荷さんや雷さまや貧乏神の名前も忘れてしまった】
ある女の子は自分をドリスと呼び、ある女の子は自分をペギーと呼ぶようになる。
【エツコは学校の初日に担任の男性教師、スレイター先生から、エスターという名前をもらった。「先生のお母さんの名前なのよ」と彼女は説明した。その言葉にわたしたちは「あんたの名前だってそうよ」と応じた。スミレは自分のことをヴァイオレットと呼んだ。シズコはシュガーだった。マコトはまさしくマック。】
(同書「子どもら」p88より抜粋】

▲夫や子どもに思うことはあるものの、仕事も暮らしもなんとか土地に根付きはじめたころ、戦争が始まり「ひと晩で、隣人がわたしたちを見る目が変わった」
やがて、わたしたちは集団移動を迫られることになって。
最後の章「いなくなった」では「わたしたち」がいなくなった町で、彼女たちにかわって町のひとたち(白人たち)が「わたしたちは」と語り始める。
【わたしたちが知っているのは、ただ、日本人たちはどこか遠くのある場所にいて、たぶんこの世ではもう二度と会えない、ということだけだ】(同書「いなくなった」p157より抜粋)

▲表紙カバーの絵がとても愛らしい。
たんぽぽ、アザミ、鈴蘭、菫、れんげ草・・・これ、たぶん「わたしたち」が子どものころから親しんだ野の花たちなんだろな。何も知らずに海を渡った少女たちのようで、その可憐さがよけいにせつない。


*追記

その1)
いま又台風16号が接近してるようで。どうか無事通過してくれますように。

その2)
前回のブログ書いたあとも、膝が不調やったり(ようやく回復しました!)バタバタして、新しい本が読めない(読了できない)ままでしたが、
観たDVD(このまえ書けなかった分も)を備忘録的に。

「人生は小説より奇なり」→
「リリーのすべて」→

このふたつはたまたま、ゲイのカップルの話とトランスジェンダーの話でした。
「性別」(という観点というか、捉え方)って何のためにあるのやろ?と思いました。

「火の山のマリア」→
監督はグアテマラ出身のハイロ・ブスタマンテ~公用語のスペイン語は国民の6割程度が使って、残る4割は主人公一家のように先住民の言語らしい。
公用語が話せないことによる不利益。けどスペイン語は彼らの母語じゃないんだものね。

「スポットライト 世紀のスクープ」→ 
劇中印象にのこったことば。
「これ(文書)を記事にしたら、誰が責任を取るんだ?」
「では、記事にしなかった場合の責任は誰が取るんだ?」

「恋人たち」(橋口亮輔監督)→
長い(140分)映画でした。この監督の映画はいつもひとへの視線がほんまやさしくてせつない。ちょっと考え中のこともあるんだけど。
主役の篠原篤も成嶋瞳子もよかった。重い映画ながら、黒田大輔のちっちゃい目と恥しそうな笑顔、「笑うことだいじだよ」ってせりふも。それから、さいごの空の青も。しみました。

「カミーユ、恋はふたたび」→
40歳がとつぜん16歳の高校生にタイムスリップ~とかいうと、なーんだ、よくあるストーリーか、と思うかもですが。これが、よかったんです。(音楽も!)
若いってサイコー。けど歳とるのも、なかなかええもんや、と思います。

ドキュメンタリーは
「99分、世界美味めぐり」
実はこれ、途中でやめようかと思うほどでした。
ただ一箇所、料理人の作るある料理が気に入らない客が「不味い!」と言うとシェフが「あんたにはね」と返すとこがおもしろかった。 え?それだけ?←はい(苦笑)
ウチのお義母さんは、お義父さんや相方に料理をけなされると「そうでっか~ウチには美味しおます」とさらりと返してはったんを思いだしました。
この「ウチには美味しおます」と堂々と返すの痛快やなあ~と、いつも思って聞いてたんだけど。わたしはこの歳になっても、なかなか義母のようにはいきません。

「美術館を手玉に取った男」
2011年にアメリカの多くの美術館に展示されている絵画が贋作であることが発覚。画家は全米20州に渡り46の美術館を30年間騙し続けてきたんだけど、彼は作品を「売る」のではなくすべて「寄付」してるんよね。

その3)
今回も長くなりました。
最後までおつきあいしてくれはって、ほんまおおきにです。
今日はこれを聴きながら。
Beirut - Cheap Magic Inside - Cliquot→

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by bacuminnote | 2016-09-18 23:10 | 本をよむ | Comments(2)

ゆっくり時間をかけて。

▲通勤客の多い時間帯に電車に乗るのは久しぶりだった。
地下鉄から近鉄南大阪線に乗り換えて半時間。タクシーで15分余り行くと、なつかしい田園風景がひろがって思わず「わあ!」と声が出た。
朝の大阪は今にも降り出しそうな曇り空やったのに。
空は広くてベビーブルーで。そんな中に浮かび上がる低い山の連なりと、いちめん田圃の緑も。みな、ほんまにうつくしい。

▲そのカンゲキの声に、運転手さんが遠方から来た客かと、あの山は、この山はねぇ~と大和三山(香具山かぐやま/畝傍山うねびやま/耳成山みみなしやま)をていねいに案内してくれはったから。
ついつい郷里は「この近くですねん」と言いそびれてしまったんだけど。
制服姿のころは、ただ「田舎」の一言で片付けてた風景を、こんなきもちで眺める日が来ようとは。歳を取るのもええもんやね。

▲ああ、それにしても。
きゅうくつな喪服も(そのうち買い換えようと思いながら30年。体重はそのままでも体型は年寄り化するのであった)めったに履かないストッキングも、いつもより小さめのバッグやハンカチも、靴も、ぜんぶ。
家で篭ってることの多いわたしには、何もかもが非日常で緊張する。
せやからね、早いうちにお手洗いに行っておこうと思ったんだけど。
斎場近くのそれは「和式」しかなくて、びっくりしたりがっかりしたり。

▲いまのわたしは膝が痛くてしゃがめないのである。
周囲をみわたせば、高齢の方も杖をついている方も何人もいてはるのに。大きな公営葬祭場なのに。それほど古い施設ではなさそうやのに・・・と、憤りつつ、痛い用足しとなった(泣)

▲わが身となって、気がつくことっていっぱいある。
駅の階段は構造上仕方ないにしても、エレベーターはたいてい駅構内の端っこにあって、そこにたどり着くまでが大変だ。
大きい駅になると、そのエレベーターを「乗り継ぐ」ことにもなって。それでなくても方向音痴のわたしは、やっと見つけたエレベーターで階下におりたのに、乗り継ぎエレベーターが見つけられず、こんどはまた長い階段を登ることになって・・・ほんま、泣くで。
街は元気で健脚なひとたち用につくられているんやなあ、と「痛」感する。

▲故人はわたしにとって、あまり近しいひとではなかったのだけど、ご家族や、わたしの近いひとたちが嗚咽してるすがたに胸がいっぱいになる。
それでも、和やかに談笑してはるときもあって。
こんなふうに、遺された者たちは泣き笑いをくりかえしながら、大事な人とゆっくり時間をかけておわかれをしてゆくんやなあ~と去年の義母の葬儀を思いだしていた。

▲帰りも姉とタクシーで駅まで。
一緒にお昼ごはん。この間会ったとこやのに。話は尽きない。
おなか一杯食べて、しゃべって笑うて、しんみりして。コーヒーフロートも注文して。ここでは安心して洋式トイレにも行った(苦笑)
結局姉にごちそうになって(m姉ちゃん、いつもおおきに!)「階段気ぃつけや」と見送ってもろて「ほな、またな」とそれぞれのホームにわかれた。

▲この日のおともは軽い文庫本。『陰翳礼讚・文章読本』(谷崎潤一郎著・新潮文庫)。どちらもずいぶん前に読んだけど、先日ツイッターでこの新刊に読んだことのない「文房具漫談」が収められてるというつぶやきに、それなら~と買った文房具好きなり。
この「文房具漫談」8頁ほどの短い文章なんだけど、ペンや万年筆嫌いの谷崎が筆、紙への、それはこと細かなこだわりぶりが可笑しい。
これは筒井康隆氏による「解説」と共に買うてすぐに読了。

▲カバーには【文豪の美意識と創作術の核心を余さず綴る、名随筆を集成】とあって『陰翳礼讚』のあとには『厠のいろいろ』が続くんよね。
「厠で一番忘れられない印象を受け、今もおりおり想い起こすのは」と始まる厠の話は「或る饂飩屋へ這入ったときのこと」とあり、この店、なんとわたしの生まれ育った町にある店だと書かれているのであった。

▲曰く、急に催した谷崎がその饂飩屋で案内を乞うと「家の奥の、吉野川の川原に臨んだ便所」で、一階が二階になって、下にもう一つ地下室が出来ている・・という川沿いの特徴的な建ち方の家のトイレ(二階にある)は

【跨ぎながら下を覗くと、眼もくるめくような遥かな下方に川原の土や草が見えて、畑に菜の花が咲いているのや、蝶々の飛んでいるのや、人が通っているのが鮮やかに見える。つまりその便所だけが二階から川原の崖の上へ張り出しになっていて、私が踏んでいる板の下には空気以外に何物もないのである。】(「厠のいろいろ」p67~68より抜粋)

▲ええっ~!?菜の花や蝶々が飛んでるのが見える川沿いの家のトイレって!そんなスタイル、祖父母や親からも聞いたことないよぉ~と失笑しつつ。
「けど、それって、どこのうどん屋さんやろ?」と、長いこと歩いていないジッカの周辺を一軒一軒思い浮かべたりして。
そういえば、以前これを読んだときも、同じように「どこやろ?」とさんざん考えあぐねたことを思いだして、電車の中で「わたしもあほやなあ」と笑ぅてしもた。

▲そうこうしてるうちに、あべの橋に到着。
ここからの乗り換えは、エスカレーターもトイレの場所もよくわかってるから安心。
このごろは駅構内の見取り図もネットで検索できるようになってるけど、平坦な道ですらわからないわたしには、あの 何階かに渡って描かれた立体図は、ほんまにちんぷんかんぷんなのであって。
だから、せめて構内のエレベーターやエスカレーター、トイレの案内はもっとわかりやすいものにしてください!

▲乗り換えの後は「文章読本」をうんうん頷きながら。
けど、朝が早かったからか、しらんまに爆睡して~気がついたら降車駅のひとつ手前だった。やっと着いたなあ。
「クミはどっか行くたび大冒険やなあ」と友だちに笑われるけど。ほんま旅がおわった気分!ああ、早う家に帰って、ストッキング脱いで、楽な服に着替えて、ほんで冷えたビールをのもう。

*追記
その1)
何度もトイレの話、厠の話ですみません。
件の公営葬祭場~気になって、いまネットでHPにあった見取り図をみてみました。
そうしたら別棟「待合ロビー」には、車いすマークのトイレが一箇所ありました。ということは、その棟にあるトイレは洋式かも。ここには授乳室もあるようで。ああ、よかった!・・と、ちょっとほっとしました。
もしかしたらこの棟だけ新しく増設したのかな。

ただ、斎場からそこに行くのにはけっこうあるし(健脚な方なら問題ないキョリかもしれないけど)何より道中 階段もあって。
階段を避けようとすると、敷地内をぐるりと大回りということになりそうです。

その2)
今回また書きそびれた『屋根裏の仏さま』(ジュリー・オオツカ著 岩本正恵 小竹由美子訳 新潮社刊)→はまたこんど。(早う書かんと忘れてしまいそうや・・)

絵本『ちっちゃいさん』(イソール作 宇野和美訳 講談社刊)→ も 『絵本といっしょに まっすぐまっすぐ』(京都"メリーゴーランド"店長/鈴木潤著 アノニマ・スタジオ刊)→も、とてもいい本でだいすきになりました。
どちらも若い(若くなくても♡)友人に贈りたいすすめたいとおもう本でした。

その3)
観た映画(DVD)
『リップルヴァンウィンクルの花嫁』→(岩井俊二監督)
劇中でてくるせりふで「この世界はさ、本当は幸せだらけなんだよ」が、せつなかった。

そういえば
この公式HPのバックで流れてる『 歌の翼に』( 作曲:F.メンデルスゾーン 編曲:F.リスト )は、むかし友だちの結婚式のスピーチのBGMにした曲で。元演劇部の友人にわたしの原稿を朗読してもらって録音して、当日流してもろたんよね。

今思えばこの曲に結婚のお祝いのスピーチって「まんま」やなあ~と恥しくなるけど。その日の新婦も新郎もとてもとてもよろこんでくれて、うれしかった。
その彼がなくならはって、もう4年になります。劇中この曲が流れるたびに、あの日のふたりを思いだしてなつかしくせつなかったです。

『「僕の戦争」を探して』
「僕の戦争」というのは、リチャードレスター監督が、ジョン・レノンを起用した映画のことやそうで。その「僕の戦争」の撮影が、スペインのアルメリアで1966年に行われて、ビートルズファンの英語教師が、ジョン・レノンに会おうとロケ地まで旅に出かけていく間にいろんな人に出会う話。
邦題のイメージとは全然ちがってたな。よかった。
ちなみに原題は
Vivir es facil con los ojos cerrados英題はLiving Is Easy with Eyes Closed
予告編(字幕なし)→

その4)
今日はこれを聴きながら。
秋になったらどこかに行きたいなあ。

Lisa Hannigan - Lille en Francais→

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by bacuminnote | 2016-09-07 20:09 | 出かける | Comments(4)