いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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図書館からの帰り、うしろで道を尋ねる声がした。
はっとして振り返るも、わたしに聞いてはるんやないとわかって、ほっとしたり。ちょっと物足りなかったり(←しょっちゅう聞かれる身としては。笑)・・・で、つづいて
「えーっと、そのときはね、救急車やったもんですから、病院の場所とかようわからへんでねえ・・・」という声が聞こえてきて。

ことばの端々から察するに、救急搬送されたご家族を見舞うため病院に行く途中、道に迷わはったみたいで。
「そうですねん。もう大丈夫なんですけどね・・・ああ、そうですか。ようわかりました。ありがとうございました」と明るい声が聞こえて、知らないひとのことながらよかった、よかった。

見上げると、きもちよく晴れわたった空がほんまにキレイ。
とはいうても、3月の風はつよくて、つめたくて。家を出るとき、ぽかぽか陽気をイメージして、マフラーをしてこなかったもんで、寒いこというたら。
けど、すぐそこに春が待ってるからね。ま冬の寒い日とはちがって、首すくめながらも気分は明るい。


袋をもちあげると微かににおう桜餅に「帰ったら、とりあえず熱いお茶にこれやなあ」と足取りも軽く歩いてたら、うしろの方で「あのーすみません。ちょっとお尋ねいたします。◯◯病院に行きたいんですけど・・」と聞き覚えのある声が。ん?振り返るとさっきのおばさんだ。

つい今しがた「はい。ようわかりました」って言うてたのに。又べつの人にもういっぺん聞いてはる。いやいや、笑うたらあかん。親切に教えてくれはったひとにお礼を言いつつも、あんまり理解できてないこと~わたしにもある。かの変哲サン(小沢昭一氏)だって「道問いてわからぬもよし春一日(ひとひ)」と詠んではるもんね。

▲つぎ又迷うてはったら、こんどはおせっかいでもこっちから教えてさしあげよう(方向音痴でもこの辺のことならわかる)と思うてるうちに、分かれ道に来てしもて、横断歩道を渡ったんだけど。ふと振り返ったら道向こうに、件の病院にむかってはるのが見えた。

▲さて、この間また京都に行って来た。
先週のうらたじゅん個展と、2週続きの遠出だ(おおげさやなあ)。今回は西本願寺~大谷さん(大谷本廟)まで。
菩提寺からの団体納骨で、朝早く隣市にあるお寺に集まって本堂でお参りの後、バスでみんな一緒に京都にむかう。(ゆえに迷う心配はない)

ウチはわたしが代表で(!)参加したんだけど、老若男女二十名ちかく集まってはるファミリーもあって、バスの中はお菓子や飴ちゃん、おせんべいが行き交ったりして、さながら春の遠足のような賑わいだった。
「なんや~ウチとこは、あんた一人かいな~?しゃあないなあ」と、遠いとこからお義母さんが呆れたように笑うてはる気がして。苦笑。

バスは満席で、空いていたわたしの隣席には法務員さん(ご住職のお手伝いをする僧侶というたらええのかな)が座らはった。
今はまだ法衣よりスーツのほうがよく似合ってる若いお坊さんが、本を読んでいたわたしに「何読んではるんですか?」と声をかけてくれた。(一人参加で、なんかさびしそうに見えたんやろか)
読んでいた本というのがたまたま
『宗教って、なんだろう?』 (島薗進著 平凡社2017年刊)だったこともあって、それを機に隣同士ぽつぽつ話し始めた。

ちょうどウチの息子くらいの年格好の好青年で、しゃべってるうちに次々と聞いてみたかったことも浮かんできて、いろいろと質問させてもろた。(こんなおしゃべりなおばちゃんに声をかけて、えらいことした~と後悔してたかも。笑)

なぜ僧侶になろうと思ったのか?から始まって、僧侶(住職)になるには、どういう過程(試験や学習)が必要なのか?とか。彼が大学卒業後通ってたという仏教の専門学校のこと。

お坊さんにかぎらず、常々若い人と仕事について関心があるので、よく行く美容院や服屋さん、整形外科でも、話せるような雰囲気と時間があると、若いスタッフにそんなことをちょっと聞いてみる。こちらからは立ち入ったことは聞かないようにしてるけど。
声をおとして「安い」給料(給料の話が出るときは、ほぼ「安いんです」という展開だ)や待遇のこと、家族やつきあってるひとのことを聞かせてくれることもある。
隣席の法務員さんは想像通りお寺の息子さんで、ごく自然に僧侶になることを決めたそうで、三人兄弟みな同じ道にすすんだとか。

膝の上に出したままの本の「宗教」の文字に、そういうたら「宗教や、◯◯宗の「宗」って、どういう意味ですか?」と尋ねてみる。
曰く、

「ほかにも説はあるかもしれませんが、「宗」は「むね」とも読み、むねというのは「旨」や「胸」「棟上げの棟」といったように、おおむね、中心になる、大事なものとしての意味があるので、そういう教えという意味やと思います。」とのことだった。ほほぉ、そうやったのか~

あんまりしゃべっても、と切りのいいとこで本読みに戻ると、即ポケットからスマホ出してきてはった。(おばちゃんにつきあわせて申し訳なかったです)さて、この本はタイトルにあるように「宗教ってなんだろう?」を始めとする問いかけに著者が答えるという形式になっていて、そのやりとりも絶妙でおもしろい。

▲宗教とはどんなふうに生まれたのか、生贄とは?ブッダはなぜ出家したのか?権力者が宗教を庇護しはじめたのは?というような質問から、宗教って「平和と友愛」「寛容と平等」といった理想があるのに、なぜ暴力的要素がいまのように表に出るようになったのか?
宗教は暴力を超えられるのか?(←このあたりが一番知りたいところ)
「家族はエゴのはじまり」なんていう非常に気になる項目まで。じつに刺激的な展開で。

▲これ「中学生の質問箱」シリーズの一冊なんだけど、中学生にはまだちょっと難しいかもしれないな。(いや、わたしの理解度が中学生に届いてへんのかも~)ただ、難しくて嫌になる本やなくて。そうすんなりとは頭に入らないんだけど、行きつ戻りつ、なんども立ち止まり考えながらの読書は、だからこそたのしい。おすすめです。

そんなわけで、ノッてきたもんやからそのままずっと本の続きを読んでいたい気分だったけど、バスはじきに西本願寺に到着。座ったままだと却って膝によくないので、すこし歩いて参詣。境内のブックセンターに。町の書店にはまず見かけないような本がいっぱい並んでて、おもしろかった。

そして再びバスで、いちばんの目的の大谷本廟へ。ここに来るのは義父の納骨以来だから12年ぶり~パン屋やめて信州から大阪にもどってもう13年やもんね。早いなあ。

「正信偈」(以前ここにも書きました)を読経の間 はじめて義母と会ってからの36年をおもう。

うれしかったことやたのしかったこと。腹のたつことつらかったことも。謝りたいこともみな。いろいろいっぱい。ぐるぐる思いだしてなきそになったり頬がゆるんだりして合掌。


*追記

その1)

バス中で質問した「宗」でしたが、本のあとの方にも『「宗教」の語源』という項目がありました。曰く、日本語の「宗教」という言葉は、仏教のなかにあった言葉やそうで。
【西洋語のreligionに「宗教」という訳語をあてる前に、「奉教」とか「信教」「教法」「法教」「聖道」「宗門」「宗旨」とかいろいろと他のアイデアもありました】
【「宗」は「おおもと」ということです。「教」は言葉にしたteaching(教え)で、「宗」の方は「おおもとの大事なもの」「真理」、まあ「法」(ダルマ)に近い、それを言葉に表したのが「教」となります。】(同書p160~161より抜粋)

とはいえ、こういう語源についても島薗氏ひとりでも論文集が一冊つくれるほどやそうで。【そもそも西洋のreligionという言葉自体にも適切な用語かどうかの議論があって、今でももめています。それを日本語にあてはめる段階でまた問題が生じたということです】・・と、ややこしい(苦笑)いやあ、この本図書館で借りてきたんだけど、買ってじっくり読みます。


その2)
このバスの京都行きは、大谷本廟のあとは精進料理をたべて帰阪~ですが、途中下車OKなので、わたしはお昼はパスして河原町まで出て、久しぶりの本屋さん「メリーゴーランド」へ。

五条坂から祇園のあたりまで、なつかしい町並みは、しかし裏の通りでさえお店ができてたり、ひとも多くてびっくりしました。
もうわたしの知ってる京都やないなあ(まあ、40年もむかしのことやから当然といえば当然ですが)
「メリーゴーランド」でゆっくり本を見るつもりが、足が(それに空腹状態も!)このころになると限界で、松林誠原画展をみて店主の鈴木潤さん(←日記いつもええかんじ!)の書かはった『絵本といっしょにまっすぐまっすぐ』 (これで三冊目♡)をご本人に包んでいただいた後ようやくランチタイムに。(もう1時過ぎてたのにどこも満杯。京都なんであんな人多いのん?泣)


その3)

このほかに読んだ本で印象にのこってるのは『脳が壊れた』 (鈴木大介著 新潮新書2016年刊)いまAmazonで見たらベストセラー一位になってました。
41歳で脳梗塞に襲われたルポライター自身によるルポで、おもしろかった~なんて言うてええんやろか、と思いますが。

カバー見返しにある【持ち前の探究心で、自分の身体を取材して見えてきた以外な事実とは?前代未聞、深刻なのに笑える感動の闘病記】の通りやとおもいます。当事者感覚を言語化する、というのってほんまに貴重なこと。おすすめです。


その4)

あと、まだ読み始めたところなんですが田中慎弥氏『孤独論 逃げよ、生きよ』(徳間書店2017年刊)は『共喰い』で芥川賞受賞の会見のとき「もらっといてやる」と会場をわかしてはったあの方です。
かつて大学受験に失敗したのをきっかけに15年近く引きこもってた、という著者は
【本書でわたしは、日々働きながらもどこかでもやもやと煮え切らない思いを抱えている人に向けて、孤独である」ことの必要性を述べてみたいと思います。いまの世の中、放っておけばいつしか奴隷のような生き方に搦(から)め捕られてしまう。だから、意識的にそこから逃げ出していかなければならない】(「はじめに」より抜粋)と、副題にあるように「逃げよ」と挑発します。

第一章はその名も「奴隷状態から抜け出す」というもので、最初にこのことばが引いてあります。
「自らを尊しと思わぬものは奴隷なり。」(夏目漱石) 

                   

その5)

きょうはこれを聴きながら。

Sally Seltmann - Book Song

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by bacuminnote | 2017-03-19 00:37 | 出かける | Comments(2)

たぶん、もうじき。

▲ここ二、三日とはうってかわって今日は寒い朝になった。
庭に散った梅の花びらが風でひらひらして。朝いちばん山茱萸(さんしゅゆ)をひと枝切って一輪ざしに入れる。ちいさい黄色の蕾が「モウジキハル」と告げてくれるようで。いとおしい、かいらしい。
でもじっさいには「モウジキ」は、なかなかで。まだまだ行きつ戻りつの「ハル」なんやろうけど。

この間の土曜日、友人の個展 に京都まで出かけた(→うらたじゅん個展「少女手帖」この頃はその日になるまで予定がたてにくいので、相変わらず手帖は白いとこばっかりなんだけど。朝起きて足さすってみて窓あけて青い空みて「さ、行こか」と自分に声かける、そんな気儘な一人の外出もけっこうええもんで。

京都には山田真さんのお話会atカライモブックス)以来やろか。
ついこの前のことのように思ってたけど手帖を繰ったら、なんと一年も前のことで驚いた。早いなあ。一日一日ほんまにゆっくりぼんやり(!)暮らしているのに。なんで一年はこんなスピードで過ぎてゆくのか。なんかもひとつ納得いかへんけど。

ほんで、この調子やったら「一生」というのも、あっという間かもしれへんから。会いたいひとに会い、行きたいとこに行っとかなあかんなあ~とか思いながら地下鉄から京阪電車に乗り換え。
つい目の前の階段を「これくらいやったら大丈夫やろ」と上って、これでお終いかと思ったら、もういっぺん階段があるのすっかり忘れてた(泣)

▲それで懲りたしね、京阪ではエレベーターでホームに下りた。(ほんまに駅は上ったり下りたり、ややこしい)
ホームで並んで待ってたら、2階建て特急電車が到着した。
車内清掃が終わって扉が開き、人の流れのままだだだっ~と乗車すると、なんかわからんうちに階段を上って2階席に行ってしもて(苦笑)

で、2階はちょっと旅行気分やなあ。どこに座ろうかなあ、と迷ってるうち、あっという間に席が埋まってしまい。いま上ってきた階段をまた降りて一階席に移動。足がいたくならへんように、と気ぃつけてるつもりが、ほんまに何をしていることやら。

とはいえ始発駅。まだまだじゅうぶんに空席はあり、ゆっくり腰おろして、バッグから本をとりだす。終点までは一時間ほどあるから、重たいけれど『ボローニャの吐息』(内田洋子著)を持って来た。

この本まだ買ったばかりなのに、しっかりシミ付きで。というのも届いた日に珈琲をのみながら読み始めよう~と本とカップをパソコンのそばに置いたとたん、ひっくり返してしまったのである。

▲咄嗟に本を持ち上げ、ティッシュペーパーで拭きながら、いや、あかん!パソコンが先や!とオロオロ。机の上、散らかってたメモやらノートやらみな水没。布巾を取りに立つ余裕もなく、ひたすらティッシュでカップ一杯分の茶色い液を拭く(というか、吸う)。
幸いパソコンはなんとか無事だったものの、マウスが壊れてしもたり、読む前から本に派手に茶色のシミつくるわ・・で。図書館の本とちがってよかったものの、ほんま何をしていることやら。(こんなんばっかし。泣)

▲内田本は『ロベルトへの手紙』が去年出たばかり(この本のことはここにも書きました)尽きることのない「種」は、著者の人やものに対する好奇心や、向学心、そのおおらかな愛と行動力がハンパないからやろなあと思う。

あたらしい本が出たらすぐに読む。そのうち忘れてはまた初めて会ったみたいに読んで。はじめから、途中から、最後まで通して、なんとなく開いたとこだけ・・と気の向くままに読むのが、内田本とわたしのつきあい方。須賀敦子の本もそんなふうにして、いつも傍にある。
そして、前々から行きたいと思ってたのに、ぐずぐず思案してるうちに、足の不調で、行けないままのイタリアに、たっぷりと思いを馳せる。

さいしょの話は「ミラノの髭」~著者はある日、中学生の友人ラウラから美術館行きを提案される。連休でラウラの友人たちは出かけていない、共働きの両親は夕方まで帰ってこない、そのかん面倒をみている妹弟もその日は誕生パーティーによばれていない・・ってことで、著者に声がかかったらしいのだけど。そのネットワークの広さは著者の仕事柄もあるとはいえ、そっか~中学生からも「誘われる」ひとなんやなあ~としみじみ。

最初は彼女の母親と「バールや信号待ちで頻繁に顔を合わせるうちに」「目礼から挨拶、立ち話からコーヒー、日曜の公園での散歩」と親しくなる。

ここまではありそうな話だけど、あるとき子守りや家事手伝いを頼んでる女子大生が試験前で来れなくなって「しばらくの間、ラウラの妹弟をうちで預かることになった」というあたりは、内田本を読んだことのあるひとなら「おお、またか~」と思うにちがいない。この方、困ったひとを放っておけないほんまに面倒見のよいひとなのである。

まあ、そういう経緯でラウラともなかよくなったんだけど。

で、そのラウラに誘われる数日前の午後のこと。

著者の家にやってきたラウラは
【天板がガラス製のテーブルの下に入るように言う。そして台所からエスプレッソマシーンや茶碗、皿、ジャム瓶を持ってきて、テーブルの上に並べ置く。ぺたんと床に直座りし、一列に並べた物を見ている。おもむろに仰向けに寝転がってテーブルの下に潜り、私を隣に誘った。

「横から見て、上から見て、下からも見る。見えないところも想像し、触れ合ったときに鳴る音を考える。それからスケッチするのが、今日の宿題なの」

いっしょにエスプレッソマシーンの底や皿の裏側を見る。瓶の底から、ジャムの隙間の向こうに居間の本棚が歪んで見えている。いつもそこにあるものなのに、初めて見る光景だ。使い古した日用品にも、それぞれ見慣れた顔と秘した裏の顔がある。「全部合わせて、一つなのねえ」ラウラは天板の下に寝転んだまま、しきりに感心している。】(同書p12より抜粋)

そうして後日ラウラが再びやってきて、学校に提出した二枚の絵を見せてくれるんよね。一枚は内田さんちの台所の物を題材にした静物画、もう一枚はピカソの作品の模写。つまり「横から見て、上から見て、下からも見る。見えないところも想像」はキュビズムを知るための予習だったという。

「人間もあちこちから見て初めて、その人がわかるのね」というラウラに内田さんはおもう。
【突然、周囲の物々や人々が表裏をさらけ出して目の前に迫ってくるような気がして、中学校の美術の授業に畏れ入る】

【毎日の登下校の道がそのまま古代ローマへの道であり、ルネサンスの残り香が漂う広場でボールを蹴っているのである。目の前で幼い子が躓いた石も、古代ローマの一片なのだ。】(p14より抜粋)

▲中学校の美術の授業といえば、薄い教科書の「単元」のところを開き、最初に「模範作品」を見て、センセに言われたように静物画を、風景画を、ポスターを・・と時間内に描いて、描けなかったら持ち帰って宿題やったなあ。それでもわたしは「自習」っぽいその時間は嫌いやなかったんだけど。
中3のとき教育実習で、美術のセンセとしてやってきた姉2が「教科書通りでいっこも、おもしろない」とぼやいてたのを思い出す。

さて、
20頁余りのエッセイなのに本題の「ミラノの髭」までたどりつけなかったんだけど(苦笑)内田洋子のエッセイは思わず声に出して読みたくなる(読みやすい)文章なのに、読むのはけっこう時間がかかる。投げられたボールをただ受けるだけじゃなくて、ついつい、あれこれ思ったり考えて、行きつ戻りつしてしまうから。

このことについては、以前webのインタビュー記事で内田さんが【かつて、俳句に接し「読者の気持ちがあって完結する書き方」があることを知った。通信社業に長く携わる者としての<材料、部品を提供する>という気持ちも、常に頭にある。

と語ってはるのを読んで、ああそういうことかも~と納得した。

はっと気がついたら、どこの駅だったか若い女性が乗ってきて隣りの席に。すぐにバッグから本を出して読み始めた。何読んではるんかなあ~と、気になりつつも不明なまま(苦笑)終点「出町柳」に到着。

ギャラリーはここから徒歩23分だ。
いつもより一枚薄着で来たけど、ちょうどよく。ぽかぽか陽気の中、すれちがったベビーカーのあかちゃんのぷくぷく白い素足がきもちよさそうだった。

ギャラリーに着くと、ウインドウ越しにJが軽やかな春色のスカート姿で、加えてちょっとよそゆきの面持ちで(!)お客さんと談笑してるのが見えて頬がゆるむ。で、ここまでは旧友J。

今回は「少女手帖」というテーマだそうで、もらったDMの絵も辛夷の花や道端にはたんぽぽが描かれており。扉をあけたとたんパステルカラーの中の少女たちに囲まれる。作品を観ているうちに、わたしのなかで友だちのJは知らんまに「うらたじゅん」という漫画家/イラストレーターに切り替わる。

▲パステルカラーの・・・なぁんて書くと「やさしい」「なつかしい」「せつない」という常套句が浮かんでくるけど。そういうのに騙されたらあかん。目を凝らすと彼女の絵には「ふしぎな時間」への入り口があって。少女たちの弾む声も、ぎゅっと結んだ口も。跳ねて走って、佇んで。ときどき、カッパやクマもすまし顔で登場して。そういうとこがすきやし、そういうとこがうらたじゅんの世界やな~とおもう。

そうそう。
話題にのぼるたびに絶版がほんとうに残念だった うらたじゅん作品集
『嵐電』(北冬書房刊)が近々重版~というニュースを聞いて歓声をあげる。うれしいです。

ギャラリーでは、オーナーのY氏とベイキングの話もして(ご自分でバゲットを焼いてはるそうで。ええなあ。)以前からいっぺん会いたかったツイッター友Nさんとも偶然会えて、久しぶりのひとにも、若いころ会ったきりのひとにも会えて。

べつの友人とお昼を食べに入ったカフェでは、隣席に久しぶりの友だちが居てカンゲキのハグ!
ふだんこもってるわたしには一年ぶりくらい人に会うた気分で。
おおきに~「少女手帖」のおかげで少女な時間でした。


*追記 

その1)

個展は今からやと7日(火曜)のお休みのあと、12日(日曜)までopen 。
うらたじゅん在廊は1112日(両日とも14時~18時)やそうです。

お近くの方は(そうでない方も!)ぜひ。


その2)

今回はパソコンの珈琲掛け(泣)で、パニックって、借りてきたDVDも

ほとんど観ていないという(あり得ん!)状況wです。

観たのは『ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ』一本だけ。


その3)

きょうはエヴァンス聴きながら。

Bill Evans Trio - It might as well be Spring


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by bacuminnote | 2017-03-06 19:37 | 出かける | Comments(5)