いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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▲「大足は大きく育つ昼寝かな」(火箱ひろ)
子どもの頃、すぐに靴やサンダルが小さくなって母に言うと「えっ?このあいだ買(こ)うたったとこやん」とため息をつかれたクチで。この句を読むたび、大足で大きく育ったわたしは笑うてしまう。

▲むかし、友だちの下宿に遊びに行ったとき、上り口でわたしの靴をみた大家さんに彼女が「ウチは男子禁制です」と、とがめられたこと。
相方と訪ねた知人の家で帰り際、お家の方が靴を揃えて大きい方を相方の、小さい方をわたしの前に差し出さはったこと。(←こういうことしょっちゅうある。大体なんで男物は大きく女物は小さく、なんやろね?お茶碗でもお湯のみでも傘でも杖でも・・・)

▲若いころはスニーカー以外にサイズの合う靴がなかなかなくて。
ガッコの上履き用バレーシューズをダイロンで染めて履いて(色止めがうまくできてなかったんやろな)雨に合うと足がバレーシューズ型に茶色に染まったこと・・・とかね。もう足や靴の思い出はいっぱいあって、どれも苦笑モンなんやけど。

▲まあ、大きいのはいいとしても、
そのほかに何かと不調の多いわが足ゆえ、日頃からひとの歩く姿や靴~靴の形や底の減り方とか、杖を持つようになってからは杖をついてはるひとも気になって。ついつい目が足元へと行くんよね。
前を歩くサラリーマン風の若い子、あの靴底の減りようは営業やろか?暑いなか大変やなあ(・・と言いながら自分ちに来る各種勧誘の♪ピンポーンには出なくてすまんが)
あの女の子、まだちっちゃいのにヒールのあるサンダル履いて足だいじょうぶなんかなあ?とか。

▲リハビリ科の待合室では、こだわりの靴を履いてはるひとも多くて。痛いとこもツライとこもあってのチョイスなのは間違いないけど。プラスその人らしさも出てる気がして興味深い。前からときおり街なかで見かけて、かっこええなあと密かに注目してた女性も来てはって、親指の下あたりの革の出っ張りと剥げ方にわたし同様に大足で外反母趾らしいと知って親近感おぼえたり。

▲このあいだ待望の内田洋子さん新著『ロベルトからの手紙』(文藝春秋刊)が出て、いま読んでいるところなんだけど。出版前にネットで書影を見たときに、その足部だけの彫刻にどきんとした。
それはちいさな足(先)の木彫が、踵(かかと)を少しあげており。足首のあたりには天使のような羽がついていて。(足が)飛び立とうとしてるようにも、いや、つま先がしずかに着地したところにも見えて。

▲これまでの内田本の装幀とはちがう趣だったこともあって、気になっていたら「あとがきに、かえて」と、内田さんがこの木彫の作家・田島 享央己(たじまたかおき)氏に宛てた手紙が掲載されており。
曰く、内田さんが帰国中に偶然、千葉県立美術館で田島さんの作品『Left alone』(ひとり、残されて)と出会い感動したこと、本の表紙カバーのために作品を創っていただきたい。
【彫っていただきたいのは、『羽のはえた足』です】とあった。イタリアで仕事をして38年目、組織に属せず一人で働いてきた内田さんが<守り神>と思い頼りにしてきたのが、ヘルメスだったから~とのこと。

▲帯の惹句にもあるように、今回の本は<イタリアの足元>の話、のようで。
足に関心大のわたしは読む前からそわそわする。
この方のエッセイは、偶然にしろ必然にしろ、イタリアで出会った人たちや料理や食材、動物や船、街のことがいつも綴られて。その一篇一篇は短いけれどけっこう濃密だ。
せやからね、いつも一気に読みきってしまいそうなのを、ちょっとこらえて、できるだけゆっくりたのしむことにしてる。

▲今日はお盆明けで待ち人の多いリハビリ科の長椅子に座って。
なかなか順番が回ってこなかったこともあって、つい何篇か読んでしもたんやけど。そのなかのひとつ『二十分の人生』のことを書こうとおもう。
ミラノの内田さんの自宅の前にある大きい広場は、その昔ハンニバルがアルプス越えをする前に休憩した、という伝説のあるところやそうで。

【その門を中心にして、広場は周囲を抱き込むように円形に広がっている。同心円状に内環や外環状道路が走り、さらに、市の中心部と郊外を結ぶ大通りが垂直に交わっている。何本者道路が錯綜し、四六時中、車と人の流れは途切れない。蜜に集まってきては散っていく、蟻の群れを見るようだ。
渡って待ち、待って、渡る。

路上から広場は見渡せるのに。横切って向こう側へ行くには、合計六ケ所もの横断歩道を渡らなければならない。そのうえ信号がうまく連動していないため、もたもたしていると広場一つに十分以上かかることになる。寒いなかの信号待ちは辛い。】(p69)

▲このややこしい道路状況の中(←こういうの大の苦手なわたし。
何度読み返すもイマイチわからへんので(苦笑)この部分を相方に音読して紙に地図のようなものを描いてもろて、ようやく理解。)
その日は午前九時を回ったのに、やっと零下五度という寒さで(←ミラノって寒いんやなあ)内田さんは早いうちに用事をすませてあとは家でこもってすごそうと、家を出る。
そして信号が青になるや、急いで渡ろうとすると「すみませんが、いっしょに渡ってくださいませんか」と背後から声をかけられるんよね。
「途中で信号が変わってしまうのが、恐ろしくて」と、その高齢の女性は杖を持ち上げてみせる。

▲そのお年寄りは「薄茶色のウールのコートにボルドー色の毛糸の帽子」「着古したコートは誰かからのお下がりなのか、肩が落ち、長過ぎる袖が手の半ばまで覆って」いる。足元をみれば「薄いストッキングにローヒールの革靴で、骨張った膝下が寒々しい。凍った道に足を取られないように、用心深く杖を小幅に出しては足を引きずるようにそろそろと歩く。」

▲内田さんは右腕を貸して歩き始めたが、他の人たちはとっくに渡りきってしまったのに、二人はまだ道の中ほどで。じきに信号は黄色になり、内田さんは彼女を持ち上げるようにして両側の車に「辛抱勘弁」と目配せしながら、ようやく残り半分を渡り終えるんよね。
と、「すみませんが、もう一本、この先の道もお願いできますでしょうか?」と杖で前方を指しながら言う。

▲83歳だというその女性が、道中、ときに歩くよりも熱心に語る無職で引きこもりの息子の話に、なぜいまもストッキング一枚の足を寒風にさらして、通りを渡り家政婦の仕事に出るのか~はじめはぼんやりしてた像も少しずつ焦点があって、そのうち輪郭がはっきりしてくるんよね。ああ、そうやったんか~と。
気まぐれに点けたテレビで、途中から見始めた映画のように、わかったことも、わからないままのこともあるんやけど。
二人は信号を何度もやり過ごし「結局、最初の信号を渡ってから二十分が経っていた」で、話は終わる。

▲内田本には、こんなふうに偶然会ったひとと話したり、手助けしたり、その方と思いもよらないところで再会したり、というエピソードがよく出てくる。
つい今しがた出会ったばかりの人の人生の一端に内田さんがかかわり、そして読者もその風景のすみっこにいるような、そんな感じ。そして読むたびに内田さんのイタリアでの時間、人の繋がりのひろさ、よく利く鼻と(!)好奇心と、何より生きてるものへのふかい愛情を思う。

▲彼女のような手助けはとうていできないけれど、通りがかりのひとと話す、といえば、わたしもよく道をたずねられる。
「自分(大阪弁でyou)みたいな方向音痴に道聞くやなんて、見る目ないなあ」とか「おばちゃんが一人ひまそうに歩いてるからやろ」と相方は笑うけど。
だれかと一緒にいるときでも、何故かわたしにむかって「ちょっとお尋ねしますが」と、声をかけられるんよね。そんなことがしょっちゅうあると「自他ともに認める方向音痴」のはずが、「他」からは、わたしの頭の上に「道案内」の看板でも見えるんやろか(笑)とおもったり。

▲先日は券売機前で、年配の女性から「すみません。プリペイドカードの買い方がわからなくておしえて下さい」といきなり五千円札を手渡されてびっくりした。
道案内は下手でも、これくらいならと喜々として(←たぶん)次からは一人でも買えるようにゆっくり説明してたんよね。
すると、隣の券売機前で長いこと何やらやってはった方も「へえ、そうやってするんですか~」と覗き込みに来はって。
時間にしたら、ほんの数分のことだったけど、ふたりの知らん人に「ありがとう」「おおきに」と言うてもろて、券売機教室(笑)はぶじ終了した。

▲駅で、本屋で、スーパーで、パン屋で、喫茶店で、医院の待合室で。そのとき限りの会話から「そんなことまでわたしにしゃべらはってもええんですか?」というような身の上話まで~知らんひとから話しかけられることが多いのは「そら、あんたの顔に ”しゃべって~”って書いてあるねんで」と母は笑って言う。・・・せやろか。
ひととひとの繋がりはときにわずらわしいこともあるけど、おもしろい。

【行き詰まると、散歩に出かける。公営プールへ行く。中央駅のホームに座ってみる。書店へ行く。海へ行く。山に登る。市場を回る。行く先々で、隣り合う人の様子をそっと見る。じっと観る。ときどき、バールで漏れ聞こえる話をそれとなく聞く。たくさんの声や素振りはイタリアをかたどるモザイクである。生活便利帳を繰るようであり、秀逸な短編映画の数々を鑑賞するようでもある】
(『ジーノの家』(内田洋子著 文春文庫刊)「あとがき」より抜粋→

*追記
その1)
駅の券売機、図書館やレンタルショップの自動貸出機、トイレ・・・と新しく登場したものでわからないことは
いっぱい。でも、だれでも簡単に使えるものでないとね。
前にも一度書きましたが、再掲。

『ユニバーサルデザイン7 つの原則』

誰でも使えて手にいれることが出来る(公平性)
柔軟に使用できる(自由度)
使い方が簡単にわかる(単純性)
使う人に必要な情報が簡単に伝わる(わかりやすさ)
間違えても重大な結果にならない(安全性)
少ない力で効率的に、楽に使える(省体力)
使うときに適当な広さがある(スペースの確保)


その2)
靴といえば何かのたびに思い出す『ユルスナールの靴』(須賀敦子著)のプロローグ。
【きっちり足に合った靴さえあれば、自分はどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。】
(同書p11「プロローグ」より抜粋)


その3)
この間からひとり時間が結構あったのでDVD三昧のときをすごしました。
いつもはキホン一日一枚にしてるんよね。でないと、頭のなかがごちゃまぜになるから。
若いころ映画館はキホンが3本立てで、5本とか、ときにオールナイトとか観てたけど、いまでも覚えてる作品が多いのに。

先日も息子2に「最近なんかええのあった?」と聞かれて、相方とやっとのことで思い出して『裁かれるは善人のみ』と答えたのはいいけど、どんなストーリーやったか二人ともまったく思い出せず。
「ネット検索はせんと自力で思い出す・・」とか相方が言もんで(苦笑)、二人うんうん唸って、そのうち「ロシアの映画」「海辺の家」「タルコフスキーに通じるもの」とかなんとかキーワードを切れ切れに思いだしたんやけど。

ちょっと前にその映画のことで、ああでもないこうでもないと二人で感想大会wしたとこやのに。同じアンドレイ・ズビャギンツェフ監督のずっと前にみた『父、帰る』を再度観たりもしたのに。
「深く青い海。浜によこたわる白骨化したクジラ。ウォッカと煙草。わかったこともわからないままのことも。ぐるぐる。」とツイートもしたのに。まったく・・・。

その4)
レナード・コーエンが新しいアルバム「You Want It Darker 」を発表したらしい。
若いときのレナード・コーエンもすきやったけど、歳とってからの彼はまたとくべつ。秋には82歳だって。

きょうはこれを聴きながら。
Leonard Cohen - Samson in New Orleans

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# by bacuminnote | 2016-08-17 09:36 | 本をよむ | Comments(8)

風倒木。

▲本の少ない家だった。
父が読む活字いうたら新聞と株と、たまに仕事(料理や旅館)の本。それから旅行業者から送ってくる雑誌くらいなもんで。
あ、でも、この雑誌のなかの一冊『あるく・みる・きく』は、ほんまにすばらしくて。これをまだ小学生のわたしに「読んでみ~」と奨めてくれた父(←たまにはええこというやん)には感謝してる。

▲田舎で生まれ育って「井の中の蛙」のわたしに、日本のなかにもいろんな地方があり風土と暮らしがあること、たまに外国編もあって、世界の広さもおもしろさも知ることにもなって。
以来「近ツ」(発行元の近畿日本ツーリストのことを業者間ではこう呼んでいた)から茶封筒が届くと、わたしが一番に見る(読む)ようになった。が、この雑誌、かの宮本常一氏の発行したものと知るのは、大人になってからなんだけど。

▲あかん、あかん。また話が横道にそれてしまうから「本」に戻して。
母に至っては、わたしが物心ついてから、ゆっくり座ってご飯を食べてるとこ見たことないくらいに、仕事仕事のひとやったから。本どころではなかったはずで。かつてブンガク少女やった頃に読んだという古びた数冊が本箱にひっそりと並んでたのをおもいだす。

▲せやからね。
なぜか姉妹のなかで四女のわたしが本好きとわかると、母はこと本代だけは、いつも惜しまず出してくれた。
そうはいうても、ちいさな町のことで本屋さんに自分が読める(読みたい)本がいっぱいあったわけではなく。
でも小学校五年生になると、それまでは学級文庫という教室内にある本箱だけだったのが、ようやく校舎の一室に図書室ができたんよね。

▲できたての図書室は、今から思えば本の数も少なかったけれど。床から天井近くまである背の高い本棚がならぶ「本の部屋」は衝撃的で。もう、うれしくてうれしくて。クラスの図書委員というのには、迷わず立候補の挙手をした。
学級文庫とはちがって、図書室の本はただ並べてあるのやなくて、ある決まり事に基いて「分類」してるってことを初めて知ったのもこの年やったと思う。なんせ町に本屋さんが一軒あるだけで、図書館なんてないし、行ったこともなかったし。

▲そうそう、その図書室ができた年あたりに「親子読書運動」というのが起こって、「毎日20分親子で本を読む」という宿題が出始めたのだった。
「週間読書カード」というB5サイズを横にしたちょっと厚紙の用紙があって、親子で本を読むと日にちの下に◯をつけ、自分だけで読んだときは△、読まなかったら☓・・・と記入(たぶん)。最後に親のハンコを押してもらい、1週間の感想を親子それぞれ書く、と、そんな感じのカードやったように思う。

▲はりきってなった図書委員でもあるし(これの回収も委員の仕事やった)とにかく、初めのうちは、それでも母にうるさくつきまとって、本を読んで聞いてもらうという「親子読書」を何度かしてたけど。
そもそもそんな時間が母にあろうはずはなく(そしてなぜ「母子」なのか?とか当時は考えもしなかったから当然父に声をかけることもなく)
宿題を忘れることはあっても(!)本を読まない日はなかったけど、ほとんど毎週自分でええかげんに(ときに母の字をまねて親の欄まで)記入して、自分でハンコ押してた。
「本はすきやのに。ほんま、こんなもん誰が考えはったんやろ」と苦々しくおもってたんだけど。

▲なんとこの主唱者は椋鳩十氏であったことを『移動図書館ひまわり号』(前川恒雄著・夏葉社刊)で知った。
あとで調べてみたら【1960年代初めに鹿児島県立図書館館長であった椋鳩十(むくはとじゅう)によってはじめられた「母と子の20分間読書運動」,1960年代後半からの子どもを対象とした親子読書運動】とあって。
その後この読書運動は全国に波及したそうで。
せやったんか~「こんなもん」を考えはったんは、あの椋鳩十さんやったのか~

▲前川氏は椋鳩十氏を「日本で最もすぐれた県立図書館長の一人」とみとめ、教えを受けたことも多かったとしつつ、しかしこの運動には「ついてゆけないと感じていた」らしい。
わたしは子どもながらに、ずっと胸にのこってた「ふまん」を何十年もたって、やっと理解してもらったような気がした。
曰く
【家庭で親が子とどう向き合うかは、他人が口をさしはさむことではなく、子供がどんな本をどう読むかは、子供自身がつかんでゆくべきで、運動として強制する性質のものではない、と今でも思っている】(同書p62より抜粋)

▲いや、けど、一方ではそうとわかって、よけい納得いかず(椋さんが考えてはったことを知りたくて)もうすこし調べてみる。
わたしにとっての椋鳩十さんとは児童文学作家であり、その功績をたたえて設立された椋鳩十児童文学賞の第一回授賞者はひこ・田中さん(ファンです)の『お引越し』で、第二回は森絵都さん『リズム』とだいすきな作品でもあり。
でも考えたらそれしか知らなかったんよね。

椋鳩十氏(1905年 - 1987年)は小学校や女学校の教員をしながら作家活動をして、敗戦の2年後42歳から定年で退職するまで鹿児島県立図書館長をつとめはったらしい。教員や作家がそういう役職につくことは、珍しいことでもないのだろうけど、氏の活躍ぶりはいろいろ波紋をなげ。
例えば、県立図書館が図書を購入し、市町村立図書館やサービスセンターに貸し出すという県と市町村による図書館運営を推進したそうで。椋氏がはじめたこの運営は「鹿児島方式」とよばれて、後の図書館ネットワーク構築に大きな影響を与えたらしい。

▲敗戦後、子どもをとりまく環境をうれい、教科書以外の本も読む機会を・・ということで、「母と子の20分読書運動」を1960(昭和35)年に提唱。
子どもが読むのをかたわらで静かにお母さんが聞く、というだけやなく、ときにはお母さんに読んでもらって子どもが聞くのもよし。それに20分にこだわらなくてもいい。
親子で本の時間を共有するたのしみ。本は「母と子が共同で読む本」と「子どもが自由に黙読する本」と二種類ある・・・ということも言うてはったらしいんだけど。

▲こういう提唱者の思いは5年たって、奈良県の山間部の小学校に届いた頃には「形」だけが残ってたのか。いや、母校でも、わたしみたいに(あるいは「母」に限定された呼び方に)「こんなもん」と思ってた子どもだけではなく、この親子読書でええ時間をすごした子ども(親)もいたのだろうとは思う。

▲さて『移動図書館ひまわり号』のことに戻って。
この本は1988年筑摩書房から出た本を夏葉社が先月復刊したもので、筑摩書房刊のものは、以前岡崎武志さんが講演会で熱く語ってはったのを聞き(講演会の日のことはここにも)、すぐに図書館で借りて読んだ。(このときは何故か「親子20分読書運動」の記述のこと気がつかなかったんよね)日野市でたった一台の移動図書館から始まり、日本中の図書館に影響をあたえた、前川さんや職員たちの「たたかい」の記録だ。

▲この本を読んでいるとき、何度も自分と図書館のことを思ってた。
ケッコンして、やがて街から田舎暮らしへと移行してからは本屋からも図書館からも遠ざかってしまった。引越し先はどこも図書館のない町(村)で。それでも本を借りることのできる場所をそのつど、役場(教育委員会の管轄だった)に出向いて聞いたりもした。

▲どこでも一応「図書室」やそれに準ずるものは用意されていて。聞くとすぐに子どもを連れて訪ねてみたけど。「あかずの間」のような部屋を開けるとカビ臭く、薄暗いなか電灯のスイッチを入れる。古びた◯◯全集があるかと思うと、となりに「ん?」と思うような流行り本が混じってたりして。棚の隅には未整理の(たぶん)段ボール箱が積み重ってたり。「ごゆっくりどうぞ」と職員さんがにこやかに鍵を手渡してくれたけど、長居しようとおもえる場所ではなかった。

▲いまのようにネットで簡単に本が入手できる時やなかったし、それにもちろん経済的な問題もあり「読みたい本すべて買う」わけにもいかなかったし、図書館のある町がしんそこ羨ましかった。
滋賀県愛知川(えちがわ)のころは、はるばる大津まで遠出して県立図書館に一ヶ月に一度行ってたけれど、それよりうんと近い隣市の八日市(現・東近江市)の図書館は市外の住民にも貸してもらえると知った。

▲親子三人で、八日市にかけつけた日のことは忘れられない。
庭には高さ15mほどもあるメタセコイアがうつくしくそびえ立っており、息子が何度も木登りを楽しんだ低木(なまえ失念!)があり、中に入るや明るくて広いフロアには低めの棚が並んで、これまでの図書館の重厚な雰囲気とはまるで違って、開放的でびっくりした。

▲以来、車で、ときに自転車3台つらねて図書館通いが始まった。
そうそう『移動図書館・・』の著者前川恒雄氏は、日野市での活躍の後、1980年滋賀県立図書館館長となって、滋賀県の図書館を活性化した方で。この八日市図書館もその振興策を受けて1985年に新しくスタートしたそうだ。館長の西田博史さんを中心にスタッフのひとたちも皆さんほんとうにすばらしかった。

▲1階入り口の壁面では企画展があって、今これを書きながら思いだしたんだけど、当時わたしが毎月出していた手書きコピーの通信「ばくばく」も家族新聞の企画展のおり展示してもらったことがあったっけ。
2階にはギャラリーや珈琲をのむコーナーや本のリサイクルコーナーもあって。行くと親子バラバラにすきなところに散らばり長居したものだ。
そうそうギャラリーのなまえが「風倒木(ふうとうぼく)」というんよね。

【森や林の中を歩くと、風に倒された巨木が横たわっていますが、これを風倒木といいます。これは永い年月を経て徐々に土に同化し、やがて次世代の森を育てる土壌ともなります。画一管理された人工林には存在しません。
風倒木があるということは、多産で自由豊穣な森であることを示します。これからの人間社会もこの森のように多様で豊かなものにしていきたいという願いが込められています。】
(風倒木ギャラリー 八日市図書館HPより)

▲椋鳩十さんの運動も、前川さんや、西田さんがしてきはったことも、風倒木みたいやなと思った。
それやのに。
有名無名にかかわらず多くの図書館人たちの変革をよびかける声、その熱い思いや、こつこつ積み上げてきたもの、ようやく豊かになってきた土壌の上に建った図書館がいまは「退行」しつつあるのは何故か。

▲『移動図書館・・』のあとがき「復刊に際して」で前川氏が、かつての日野市の職員に【一人一人の手を取ってお礼を言いたい】を綴ったあとこう言うてはる。

【ここで強調したいのは、職員がどんな苦労もいとわず働いてくれたのは、何といっても利用者が喜んでくれたからである。自分のしている仕事の意味が、利用者の笑顔によって示された時、職員は充分の力を発揮する。私が最も感謝しなければならないのは、日野の市民である。その上で職員が仕事に打ち込めるためには条件がある。それは職員の身分が安定していること、将来に希望がもてること、つまり非常勤職員ではないことである。】(p251)

【数年前から、図書費が全体として削られ、職員の中、非常勤職員が六割に達するまでになっている。(中略)だが、現在、図書館最大の問題は委託である。政府は指定管理者制度をつくり、委託を勧め、マスコミもこれを後押しした。委託された図書館では、職員は殆ど非常勤であるから、使命感は喪われ、長期の展望をもっての仕事はできず、職員は育たない。】(同書p253より抜粋)

▲この本ぜんたいに流れる前川氏の誠実さと怒りに共感する。
かつて某市会議員が著者に言ったという「みんなをあんまり賢くしてもらうと困るんだよなあ」(p152)を思い出す。権力をもつ者が怖がってるのはこれやよね。

【人々が賢くなり知識を持つことを恐れる者たちが、図書館づくりを陰から妨害する。自分の貧しい精神の枠内で人々を始動しようとする者たちが、図書館の発展を喜ばず、人々を図書館から遠ざける。】
(p152より抜粋)

そして、いま、この「図書館」というのを「政治への関心」に置き換えてもまた、と思うのだった。



*追記
その1)
滋賀から信州への引っ越しが決まったとき、荷物を少なくするため、というのもあって、
相方とわたしの本の中から八日市図書館になさそうなものを選んで、車で何度か運んで、貰ってもらいました。
引っ越し前にいただいた館長と職員全員の寄せ書き ”新しい旅立ちの門出をお祝いいたします”は、たからもの。
西田館長が「本屋も図書館もない村で活字中毒が治るといいですね」と書きつつ「開田村から一番近くの図書館は楢川村ですよ」と教えてくれはったのですが。
あれから25年。あいかわらず活字中毒は治らず。はからずも今は図書館のあるまちに住むようになって、案の定ヘビーユーザーで。だからこそ「退行」は許せません。


その2)
おもしろかった本。
『くらべる東西』→まあ、西と東だけやなく(←「西」が先にくる関西人・・苦笑)各地いろんな流儀があって。その「ちがい」よりも、何故そういうことになったのか、というとこが興味深いです。
まさに『あるきみるきく』の世界やよね。

その3)
きょうはこれを聴きながら。
LOLA ARIAS Y ULISES CONTI - LOS QUE NO DUERMEN - TRAILER→
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# by bacuminnote | 2016-08-03 14:16 | 本をよむ | Comments(4)
▲誕生日がきて、母はこのあいだ93歳になった。
あちこち痛いとこや、ツライとこもあるようだけど、なんとか元気に暮らしてる。
病院に行っては(「痛い」「しんどい」とお医者さんに訴えても)「まあ、けど◯◯さん、もう歳やからなあ」とソッコウ返されて「ちゃんと話聞いてくれはらへん」とぷりぷり怒ってる。(そのわりには、医師には遠慮して「怒る」なんてとてもできない世代でもある)

▲おもしろいもの見つけると「買う」のではなく、まずは、家にあるもんを使って自分で考えて「つくる」のがうれし、たのし~の工作好き。
最初はまねっこでも、そのうち、けっこうちゃんとしたものを作って「え?ほんまに自分で作ったん?」と娘にびっくりして(ほめて)もらうのがすきなひと(笑)

▲けど、いつやったかの工作~古いハタキの竹の棒を使った鉛筆接ぎ器には、さすがに辛口の娘(!)も唸った。短くなった鉛筆を捨てられないのも母らしいけど、竹の空洞部に鉛筆を差し込む、というありそうでなかったアイデア(笑)と、あの歳で竹の棒をノコギリで切るやなんてね(ノコギリなんて、わたし 何十年も持ったことないし・・)参りました。

▲そんな母の誕生日に、毎日一ページずつ、っていう漢字ドリルと、きれいな一筆箋やはがき(もう長い手紙は書けないというので)、ピンク色のファイルなど文房具セットを贈った。
ドリルが一日一ページでは物足りない(!)きれいなものかいらしいものに心ときめかせる母よ。オメデトウ。

▲そして、今日もまた夕ご飯拵えながら電話。
「暑いなあ」から始まって、お互いの痛いとこの話。それから、わたしがいま読んでる本のことや、今日は沖縄・高江で起こってることの話もした。以前は話の中にわからないことばが出てくると「ちょ、ちょっと待って。いまメモするし。もう一回言うて」と、即 書きつけてたようだけど。この頃は「そうかぁ。もうわたしには何が何か、ようわからんわ」と、ため息をついてる。(←それはわたしも一緒。ほんまむちゃくちゃやもん)
あ、そうそう。昨日旧友Jに会うたことも、もちろん報告する。

▲そのむかしは「あんたも、あんたの友だちも、みな変わってる」とつめたい母(苦笑)やったけど。わたしや「変わってる」と称された(すまん)友だちもみな歳とって、それなりに落ち着いたからか、この頃は「そら、まあ、ちょっと変わってるけど。みな、かいらしい、ええ子や」と評価が変わったんよね。
で、Jはその「かいらし、ええ子」の筆頭ってわけだ(笑)

▲友だちといえば、母にはいまも交流のある小学校と女学校時代の友だちが二人いて。
「あの子ら(←いつまでも少女!)かれこれ80年ほどのつきあいですわ」~なぁんてすまし顔で言うてるのを聞くと「おお80年 !! すごい~」と思う。
わたしも旧友たちとのつきあいをいつの日かすまして誰かに告げてみたい。
「わたしら、もうかれこれ80年ですねん」ってね。

▲いや、そうはいうても、80年になるにはまだ40年もあるのだった。すると母が笑いながら返してきた。
「そんなん~40年ぐらい じきでっせ」

▲さてさて。
このごろ朝早く目が覚めると、寝床でそのまま本を読んでいる。蝉の鳴き声はにぎやかやけど、小鳥の囀りも、涼しい風も心地いい。
今日はそんな寝床読書の『湯かげんいかが』(森崎和江著 東京書籍1982年刊) をようやく読み終えた。

▲著者が生まれた朝鮮でお風呂の思い出、まだお風呂に浸かるというのが贅沢だったころの話、炭鉱町や農村での共同風呂の話・・・。
とりわけ心に残ったのは著者がまだ炭鉱をよく知らなかった(昭和)三十年初期のころ。炭鉱住宅地の共同ぶろに知り合いに連れて行ってもらったときの話で。

▲お風呂の中で「女たちは誰も彼も恰幅がよく、よくしゃべる」大音響の湯けむりもあって、彼女は知り合いともろくに話もできず、落ち着かない。
そのうち、そのひとが湯を汲んできてくれたものの、どの辺でしゃがんだらいいものやら~それさえわからず、とりあえず湯桶のそばにしゃがんだとき。

▲【突然、ざぶりと背に湯がかけられた。
「洗うちゃろう。背中は自分ではよう洗えんもんね」
よくひびく声だった。肩に手をそえ、
「人にこすってもらうと気持ちよかもんね」
泡立つタオルでごしごしと洗われ出した。連れ立って来た女ではない。彼女は湯舟に入ったところだった。わたしはふりかえることもできずに、「すみません」と言った。
しっかり力をいれて、ていねいに洗ってくれる。脇腹も腰もお尻までごしごしとタオルは泡をとばした。
「洗うのも要領のあるもんね。撫でるごとそろそろ洗うたっちゃ音は出らんばい。音の出らにゃ気持ちようなかもんね」】(同書p36「わたしのふろ」より抜粋)

▲やがて、そのひとは石鹸の泡を流してくれて、やっと著者が首をまわし、こんどはわたしに洗わせて、と言ったら
【「よかよか、あたしゃもう洗うてもろうた、上がるとこたい」すたすたと上がり湯へ行った。】 (同書p35~37より抜粋)

▲【老いた人びとの話を聞いてわかってきたのは、大半の人びとが住み慣れた村を糧を求めて出て、各地の炭鉱を転々としていたということだった。(中略)
いわば、古い村と別れて。人びとのいやがる地底の苛酷な職につき、各地から集まった者で新しい村を作り出したわけだった。第二に村づくりには血縁地縁の論理とは別のものが軸になっていたのだ。その論理を越えて直接個人の人間性にふれることがここでは大事だった。湯に沈んでるわたしの心はいつまでも大きくゆれていた。あの人はわたしにたいへんなものを残して消えた。】(同書p39より抜粋)

▲読みながら、わたしも著者の横で、半ばおろおろ、半ばそわそわしながら共同風呂の隅っこにしゃがみこむ。わんわん響く女たちのおしゃべりの声も、湯気でくもった浴場も。脱衣場で裸で走り回る子どもらの姿も、すぐ目の前に浮かぶようだった。

▲そういえば。
信州で暮らしてた頃、大阪から相方の両親が訪ねてくると、きまって村営の温泉に皆で出かけたんだけど。
いつだったか女湯に義母とふたり入って、蛇口のまえで横に並んで顔を洗ったあと、からだを洗おうとタオルに石鹸をつけたとき、義母がとつぜんわたしの後ろにまわって「背中流したろ」と言わはった。

▲森崎さんやないけど、そういうときって、とっさにお礼のことばは出てこないもんで。何よりも、びっくりしたのと、恐縮する気持ちの方が先で。わたしも(森崎さんのように)「すみません」と言うのがやっとだった気がする。わたしはまだ三十代だった。
こういう場面では「おかあさん、背中ながしましょうか」とか、わたしが先に言うもんなんやろか?それって小津の映画の頃の話ちゃうん?(そもそもそんな場面が小津の映画にあるのか?)・・・と瞬時に頭の中が!?でいっぱいになったんだけど。

▲されるがままに、ごしごし大きな背中(!)を洗ってもろて、そんなことは、子どものとき以来かもしれなくて。とてもきもちよかったんよね。
「ひとに洗うてもろたらきもちええやろ」と義母が言うて。ほんまやなあと思った。
仕上げにざあざあとお湯をかけてもろて、
「ほな、こんどはわたしが」と、義母の後ろにまわったのだった。

▲去年誕生日の1週間前に遠いとこにいかはった義母もまた、7月は誕生月だった。
ケッコンしてから毎年7月になると、いちばんにカレンダーにふたりのおかあさんの誕生日◯印をいれてたんよね。
35年の間には(あたりまえのことながら)うれしいこともつらいことも、ほんまにいろんなことがあったけど。
あの日 背中流してくれはったことわすれません。おかあさん ありがとう。


*追記
その1)
森崎和江さんプロフィール~藤原書店HPでの紹介

その2)
この間図書館で借りてきた本。
母と子でみる『「白バラ」を忘れない 反戦ビラの過去と今と』(早乙女勝元 著・久保崎輯 絵 草の根出版会2009年刊)【「白バラ」とは、学生たちによるナチス・ドイツへの抵抗運動のビラの名で、その運動グループの呼称です】表紙の絵はゾフィー・ショル。

この本のシリーズ「愛と平和の図書館」は、とてもいい本揃いです。こういう本に会うと、いつも思うことは、出版の本来の目的である、子どもたちに読ませたい、読んでもらいたい~という思いは、どうやったら届くのかなあ~ということです。
子どもではないおばちゃんが借りてきてすんません~と思いながら。((←これは古書店のHP、目録です)

以前観た映画『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々』を思いだしています。
予告編

その3)
『移動図書館 ひまわり号』(前川恒雄著)が夏葉社から復刊されましたこの本のことはまた次回書きたいと思います(つもり)

その4)
沖縄・高江~
琉球朝日放送・報道制作部(7.22 18:35)のこの記事(とくに一番下の動画)ぜひ→

その5)
きょうはこれを。
わたしも、このなかに入って風にふかれながら聴きたい。
Patrick Watson - Piano des villes, piano des champs→

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# by bacuminnote | 2016-07-23 19:38 | yoshino | Comments(2)

わたしにとっての体力。

▲朝からすでに、むしむしと暑い。
昨夜は心身ともにぐったりして、いつもより早く床についたから・・・もしかして、ひょっとして、あれから、何か変化があったかもしれない、と目覚めてすぐネットニュースをみたんだけど。
現実は悪夢より悪夢で。朝いちばん長いため息をついた。

▲それから雨戸をあけ、窓をあけ、深呼吸して、珈琲を淹れて。
ゴミ出しに外に出たついでに、半ばヤケになってその辺の草を刈る。
いつだったかある作家が【私にとっての体力は深く考え考えて、考えつづけられるかという体力】と、言うてはったのをぼんやりと思い出しながら。鎌を振る。
けど、長いこと砥いでない鎌やから、うまく刈れなくて。道具は手入れを怠ったらあかんのよね。「体力」が独りでにつかへんように。

▲最近よく眠れないのに(←相方には「鼾かいてよう寝てはりまっせ~」と笑われてるが)けっこう早く目が覚めたりするもんで、朝はしばらくぼぉーっとしてる。
昨日はパソコンを立ち上げるときに、いつもは考えなくても指が覚えてるパスワードが突然どっかに飛んでゆき(!)あせった。
この間はデパ地下で、若い白衣姿の店員さんが追いかけて来はって「何?なんなん?」と思ったら「これ、落とされましたか?」と声をかけられびっくりした。そのちょっと前にバッグの中のハンカチ出そうと、ごそごそやってたとき、日除けの手袋を丸めたんを落としたらしい。

▲で、そのすぐ後のこと。
こんどはわたしが、セルフレジの台で横にいた方が日傘を忘れていかはったのに気づき、呼び止める。
「わあ。ありがとうございます。あかんねえ。暑うてぼぉーっとしてばっかりや」
「ほんまにねえ。わたしもさっき落としモン拾ってもろたとこですねん」と笑い合う。
いや、暑さのせいばかりではない気もするけど。お互いに(苦笑)

▲「拾う」というたら、先日読んだ『キジバトの記』(上野晴子著 海鳥社刊)の中に、こんな一篇があった。
著者が術後も不調のため一年通った病院から離れることに決め、かつて(ご自身がまだ病気になる前に)ホスピス研究会で何度か行ったことのある病院へとむかう。

▲紹介状もなしに訪ねた著者を、しかしホスピス長の医師はあたたかく迎えてくれる。
以前セミナーの壇上に仰ぎ見た先生だ。そして丁寧な診察が終わって。
【身づくろいをしている私の足元に小さなボタンがころがっているのを見つけられた先生は身をかがめて拾い上げ、私のではないかと聞かれた。そんな何気ない振る舞いにも先生のお人柄はうかがわれて心が和んだ】
(本書「身も心もおゆだねして」(p179より抜粋)

▲なんということのない診察室でのできごとだけれど。
ひとへの信頼感って、たぶんこういう小さなことの中にも芽生えるんやろねえ。そして、この日の著者の胸のうちをおもうと、ただ本を読んでいるだけのわたしまで灯りが、ぽっとともったようなきもちになるのだった。

▲この本は著者上野晴子さんの夫・上野英信氏亡き後、それまで夫に禁じられていた「書く」ということを始め、「筑豊文庫」や夫のことを綴ったエッセイ集で。きびしい内容の中、はりつめたものがふっと緩む一篇だ。
先日一人息子の上野朱(あかし)さんの『蕨の家』『父を焼く』を読んだあと、ずっと気になっていたこと~男女の区別なく、ほかの人の作品には惜しみなく協力したらしい英信氏が、なぜ妻に文学(短歌)を禁じたのか。何より、それを晴子さん自身が何故受け入れたのか~と、読み始めたんだけど。

▲結局、この本にも明快な答えはなくて。というか、はっきりしないからこそ晴子さんの自問自答が長いあいだ熾き火のように在り続けたのだろうとも思う。
ちょうど上野英信夫妻と同世代になる相方の両親やわたしの親~その夫婦のありようを思い返してみると、今からは考えられないような暴力的なことも、妻というのは「そういうもの」として扱われていた時代なのかもしれないけれど。
「書き始めた」晴子さんの炭火は真っ赤に熾る。
見かけの「女らしさ」にうっとりしてる男たちへのきびしい視線というたら。

【私が生き延びてこられたのは、どんな時にも彼の仕事に対する信頼と敬意が薄れなかったことと、いつのまにか私が複眼を備えて、ものごとを多層的に見るすべを身につけたためではないかと思う。(中略)

笑止なのは私の精神の纏足状態ともいえるいわゆる「女らしさ」に対して、男性の多くが快い印象を抱くらしいことであった。私はその反応を尺度にしてひそかに彼等を測った。

夫の「ないものねだり」と完全主義は増大するいっぽうで死ぬまで変わらなかったけれども、自分自身にも向けられたその渇きこそが彼の生命の原動力であり推進力であったことを私は認めることができる】
(本書「二月」p48~49より抜粋)

▲そして、そんなお母さんのことを息子の朱さんはこう綴る。

【来客の前で父にからまれ罵倒され、唇を噛みしめて台所に引き下がってきた母が「あたし法王の驢馬になるんだから」とつぶやくのを皿洗いの小僧の私は何度か耳にした。ドーデの『法王の驢馬』に描かれる驢馬が忍従の内に密かに蹄を磨き、ある日ついに相手を空高く蹴り上げる姿にあこがれていたようだ】
(本書 「驢馬の蹄」上野朱p199より抜粋)

▲いっときはげしく燃えた火はやがてまた静かな熾火となり。
1997年英信氏の死から十年たって「いろいろあったけれどなかなかに楽しい人生だった」と言う言葉を残して晴子さんは小さなボタンを拾い上げて尋ねてくれた医師の、あのホスピスで亡くなる。
そうそう。
かの松下竜一さんが生前「上野英信に真正面から立ち向かうのは気後れがするが、晴子を描くことで英信を浮き彫りにしたい」と取材をすすめてはったそうで。
叶わぬこととはいえ、ああ、それ、ほんまに読みたかったなあと思う。


*追記
その1)
朝日新聞に以前載った記事がwebにあがっていました。
”「キジバトの記」 上野英信と晴子―福岡・筑豊”→(朝日新聞2006・7・8 文・今田幸伸)

その2)
選挙後の報道あれこれに、かっかしたり(←なんで選挙前にそれをやらへんのよ!!)気分がダウンしてるとき、ツイッターに毎日新聞の日曜版の漫画「毎日かあさん」西原理恵子の画像が貼られていて、頬がゆるみました。→
(web毎日新聞でも、そろそろアップされるんちゃうかなあ?→

おばあちゃんがひとり暮らしになって最初にしたこと→「夕食なしのパフェとだんごの一気食い」ええなあ!
そんでね、思うんやけど。
ケッコンしてても、お母さんにこんな時間がもてたら(いや、パフェとだんごのことだけやなく!)ほんま、もっとよかったのになあ。
『キジバトの記』を読んだあとでもあり、いろいろ考えさせられます。

その2)
この間から観た映画(DVD)2本、どちらも戦争がもたらすもの、とても重かったです。
観た後、だれかのせいとか言いながら、人間って、実はほっといたら差別も虐殺も平気でやってしまえる、とんでもない生き物かもしれないと思いました。
せやからね、そんな自分の「とんでもなさ」をいつも自覚して「暴走」してしまわんように、気ぃつけて、気ぃつけていかんとあかんのやなと。

そのためにも、そんな人間が今までやってきたこと、やってしまった残酷なこと、ちゃんと見て、学んで、考えて、話す、伝える・・・という「あたりまえのこと」を、ずっとずっと「続けなければ」あかんのやと思いました。
歴史を自分の都合のええとこだけピックアップしたり、なかったことにしたり・・・してたら「暴走」が始まるよね。(もう始まってるかも)
心せねば。

『サウルの息子』→(原題:SAUL FIA/SON OF SAUL 監督:ネメシュ・ラースロー)アウシュビッツの話です。イヤホンつけて観たから、よけいに台詞の後ろから聞こえてくる音がなまなましくずっと緊張してた。撮し方もあって心底しんどかった。エンドロールのバイオリンとその後の雨音にやっと呼吸が楽になった気がします。その曲のこと知りたくて何回も巻き戻してみたけど不明。

『消えた声が、その名を呼ぶ』→ (原題:THE CUT 監督:ファティ・アキン)【100年前オスマン・トルコで起こった死者100万人とも150万人とも言われるアルメニア人虐殺】をめぐる物語。

そして、この2本の後に、アイスランドの映画というだけで(北欧の映画すき)観た『ひつじ村の兄弟』→(監督:グリームル・ハゥコーナルソン原題:Hrutar) パッケージの写真に、ほのぼのした兄弟物語かとおもいきや、なかなか深いテーマを扱ってて、とてもいい映画でした。

原題~英語ではRams って、あのラム肉のこと?いやあのラムは”L”から始まってたよなあ~と思って。調べてみたら、Ramは雄羊(去勢していない)のことでした。となると、映画のテーマは?・・と、またまた考え中。
羊って英語でいろんな呼び方があるんですね。知らんかった。→

その3)
今日はこれを聴きながら。
「不屈の民」変奏曲 ~ケッコンしたての頃(大むかし!)出たばかりのこのレコード買って、二人で何度も何度も聴いてたこと思いだします。
この曲の原題 ”The People United Will Never Be Defeated!”は
”団結した民衆は決して敗れることはない”
久しぶりに聴いたけど、すばらしい。いま、思いをこめて。

Frederic Rzewski 「不屈の民」変奏曲-高橋悠治 →
全曲→
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# by bacuminnote | 2016-07-11 16:07 | 本をよむ | Comments(10)
▲お昼すぎからぽつぽつ降り始めた雨は、しばらくしてすごい勢いの降りになって。その後、たったいま水のストック切れました~とでも言うようにぴたりと止んだ。
雨の間はひんやりして、足元がひえるからレグウォーマーまで履いてたのに。窓の外、たっぷりシャワー浴びた緑たちもまた涼し気やのに。
雨あがりのあとの蒸し暑いこというたら、雨よりもうっとうしい。

▲こんな天気の日は母がため息つきながらすごしてるかもなあ~と、炊飯器のスイッチをいれて、お湯をわかしつつ、電話をかけてみる。
案の定、開口一番「わたしな、もう、いよいよお呼びがかかりそうやねん」と来た。
「え?誰から?お父さん?(笑)」
「いや、あのひとはあっちに行ってから知らん顔や。夢にも出てけーへん。もお。ほんまになあ・・・」(と積年のうらみ、つらみから、何故か父をほめたたえる話まで)
「まあ、ええやん。そう急かんでも。まだゆっくりしていきぃや。早う行ったら寂しいやん」
「そやなあ。あんた一緒に連れて行くわけにいかんしなあ・・・」
「あかんあかん。わたしはあかんで。連れていかんといてや。まだ若いもん!」

▲・・・とかなんとか(自分でもこけそうになるようなことを)言うて、湿った風は、笑いで吹き飛ばす(飛ばせたつもり)
「ほな、今日の講話はこの辺で。ご静聴ありがとうございました」
「はい、はい。わかりました。ええお話おおきに」
と、いつも通りお決まりのせりふの後もう一回「あはは。あほらし」と笑うて受話器おく。

▲母が凹んでるときに、もりあがるのは昔話と「今(母が)若者やったら~」という話だ。自分のすきなこと、すきな勉強、すきなひと、何もかも「なかったことにして」生きてきた時代のひとやから。
「お医者さんかなあ、看護師さんかなあ、センセかなあ。あはは~言うだけやったらなんぼでも言えるなあ」と笑う母に「今からでもどうや?」と返しながら、いくらなんでも93では無理やけど、あのガッツと負けん気の強さやから。若かったら結構本気出したりして~と想像してひとり笑ったあと、母の「なかったことにして」きた時間をおもうのだった。(そして、それゆえに、わたしがいるわけなのだが・・・)

▲ちょっと前に『七十二歳の卒業制作』(田村せい子著・岡本よしろう画/ 福音館書店2016年刊)という本を読んだ。
副題は「学ぶこと、書くこと、生きること」。本を手にしたとき、カバーにあった【たったひと月しか通えなかった中学校、家計を支える働き手として、さまざなは職を転々とした日・・・】に、もしや母世代?と思って後ろの著者プロフィールをみておどろく。1942年生まれとあったから、計算したらわたしが生まれたころ(つまり敗戦後10年)中学入学の年令なわけで。
中1いうたらこの間まで小学生。そんな子どもが家計を助けるために住み込みで働いてたのか~とショックだった。どうりで表紙絵の女の子が両手でしっかり持つ出前の「おかもち」が大きく見えるはずである。

▲タイトルの「七十二歳」はそんな著者が68歳で入学した大学を卒業した歳。専攻したのが児童文学の創作ゼミだったので卒論が「卒業制作」というわけで。
第一部「君子・その時代」が卒業制作から、二部「青春の情景」は在学中の創作ファイルから短編が収録されている。

▲著者の田村さんが記憶にのこる幼いころ~戦争中の防空壕の話から初恋の思い出まで~本編は「そのころ」の風景やまちのにおい、近所のおばちゃん、おっちゃんの服装まで浮かぶようで、あっというまに読み終えた。胸のつまるような子どもには重い経験も、著者のもちまえの明るさと賢さで前むいて歩いていく様子に、読んでるわたしもいつのまにか笑顔になっており。しんどいことも笑いに転化しまう大阪弁のおもしろさと、それから切なさを改めて。

▲そうして『作者あとがきーー「私は、気がすんだのです」』(14頁の長い文章)には、かけ足の読書から、一気に減速。いろんなことを考え思いながらの深い時間となった。
ここには、田村さんが末娘さんの大学進学と夫の定年で「やっと自分の番が来た」と思ったこと。その後、夜間中学、定時制高校に。ここで教育実習に来たこの高校の出身の女子大生に話を聞いて、ついには(彼女と同じ女子大の)学生となる経緯が語られているんだけど。

▲68歳からの大学生活は心身ともに楽しいことばかりではなく(じっさい必修の体育で腰痛になったり、持病で毎週点滴を受けたり・・)

【私は何をしているのだろう?何のために、こんな大変な苦労をして勉強を続けているのだろう?この年齢で、この先就職するわけでもないのに大金をはたき、家族に不自由をかけ、若いクラスメートの足を引っぱり、周囲にさまざまな迷惑をかけてまでーーと、よく思ったものです。
その答えが、三年・四年のゼミで文章を書く経験を積み、その総仕上げとしての卒業制作をまとめていくうちに、ようやく見つかったような気がしました。――そうだ、私はこの「君子・その時代」を書くためにここまで来たのだ。】

▲それが、「あとがき」の副題「私は、気がすんだのです」に繋がるんやろね。
そういえば自分にとって「書く」ことの原点をおもうとき(とか、いうと大げさやけど)いつも思い出す小川洋子さんのだいすきな(そして、だいじにしている)一文があるんよね。それは彼女の初の長編小説『シュガータイム』のあとがきで。

【どんなことがあってもこれだけは、物語にして残しておきたいと願うような何かを、誰でも一つくらいは持っている。それはあまりにも奥深いものである場合が多いので、書き手は臆病になり、いざとなるとどこから手をつけていいのか分からなくなる。そして結局長い時間、それは心の隅に押しやられたままになっていたりする。】
(中略)
わたしがどうしても残したいおきたいと願う何かが、読んでくださった方々に少しでも伝わればありがたい。この小説はもしかしたら、満足に熟さないで落ちてしまった、固すぎる木の実のようなものかもしれない。それでも皮の手触りや、小さな丸い形や、青々しい色合いだけでも、味わってもらえたらと思う。いずれにしてもこの小説は、わたしがこれから書き進んでゆくうえで、大切な道しるべになるはずだ。】

▲この作品はいまの小川洋子的世界からおもうと、まだちょっとおとなしくて(苦笑)ものたりなさを感じる人もいるかもしれないけれど。
でも、この後「固すぎる木の実」は陽をあび雨にうたれ、やがて芽を出し木になり、たわわに実をつけて。
ていうか、すでにこの作品のなかにそういう気配はあり。わたしのすきな一冊だ。

▲そうそう、だいじなこと。
田村さんが「書いた」大きな意味はもうひとつあって。おなじく「あとがき」にこんな風に綴ってはる。

【私の年代で、中学校に通えなくなり、その後復学して卒業する機会に恵まれなかった人が、なんとまだ全国に百数十万人もおられるのです。その理由の多くは、成人の入学できる夜間中学校のある都道府県・市町村がごく限られていることです。地方に住む多くの未就学者が、通学できないまま断念せざるをえないのです。
(中略)
私の書いたものを、ひとりでも多くの方に読んでいただきたい。そしていまだ向学心がありながら、勉学への思いを果たせない人がたくさんおられることを知っていただきたい、と切に思っています】

▲こういう話をすると、いまの時代、学校に「行ける」環境にありながら「行かない」「行けない」子は「ぜいたくな悩み」~とか言う人がいるけど、それはちがうとはっきり応えたい。
田村さんも書いてはる。子どもにとって【義務教育とは「権利」で、その権利を侵害された多くの場合において、それは子ども自身のせいではありません】
大事なんは、子どもらが学校に行く権利(自由)、学校に行かない権利(自由)をだれからも侵害されない、ということやと思う。

▲ずいぶん前のことだけど、識字学級の話で『ひらがなにっき』(長野ヒデ子 作・絵/ 解放出版社)という、ええ本読んで、本の感想や学習権について調べたこと、ここにも書いたんだけど→)再掲してみます。
「学校」という場でも、べつの場所やとしても、いわゆる学齢期であれ、何歳であっても。そしてお金がなくても。
「学びたいひと」に「学びの場」がありますように、とつよく願います。

学習権とは
【読み書きの権利であり、
問い続け、深く考える権利であり、
想像し、創造する権利であり、
自分自身の世界を読みとり、歴史をつづる権利であり、
あらゆる教育の手だてを得る権利であり、
個人的・集団的力量を発揮させる権利である。】
ユネスコ学習権宣言  1985年3月29日採択
 (子どもの権利条約をすすめる会訳)


*追記

その1)
この本のあとがきのあとにある田村さんのゼミの先生、富安陽子さんが最後に寄せてはる解説も、とても温かくてよかったです。
2011年4月「児童文学作品制作」の最初の講義で「ずいぶんとお年を召したおばさんが、きちんと背をのばし、教室の最前列の席」にすわってはったこと。
最初は「作文」だったものが、しだいに「作品」に~「ひとに読ませる文章へとみるみる変わっていった」こと。

【苦しいことや、つらいことや、納得のいかないことを文章にするとき、人間は自分を取り巻く現実を客観視しようとします。そのときやっと人は、自分の過去や、そして自分自身と向き合えるのだなと思いました。】(p253「解説ーーせい子さん奮闘記」より抜粋)

その2)
この間から読んだ本~
上野英信氏のことを息子の朱さんが綴った『父を焼く 上野英信と筑豊』(岩波書店2010年刊) 『蕨の家 上野英信と晴子』(海鳥社2000年刊) それに今は妻・晴子さんが書いた『新装版 キジバトの記』(2012年刊)を読んでいるところです。
じつはさっき、このブログの下書きがすっかり消え(勝手に消えたわけやなく、わたしがうっかり消してしもたんですが・・泣)自分のそそっかしさには、ほんま、しんそこ意気消沈。
また、元気のあるときに書いてみます。

その3)
ここ数日は本読みの時間多くて、映画(DVD)は一本観ただけですが。『独裁者と小さな孫』→ (原題:The President 監督モフセン・マフマルバフ)
は、クーデターが起き大統領が幼い孫と逃亡の旅に。羊飼いや大道芸人に変装して、あちこちに逃げるんだけどね。
民衆から搾取したお金で贅沢三昧な暮らしをし、罪なき人を拷問にかけ、処刑して。「独裁者」にさんざん苦しめられてきた多くの民に、行く先々で遭遇することになって・・・。 孫の子役の子がよかったです。
いやあ、これ映画の話だけやなくて、自分のやってるあほうなこと、残酷なこと(政治)がわかってない政治家は、ここそこにいて。
せやから、よくよく考えて、選ばないとね。

その4)
今日はこれを聴きながら。
とおくちかくに、子どもたちの声。しずかに、しみいるピアノの音。

Bill Evans _ Children's Play Song→
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# by bacuminnote | 2016-06-30 15:37 | 本をよむ | Comments(2)
▲目が覚めたら昨夜のじゃじゃ降り(←ついさっきまで知らなかったけど、関西弁らしい。土砂降りのことです)の雨があがってた。でも窓を開けたら薄曇りの空で。用意してた灰色のスカートはなんだかうっとうしくて~水玉模様のんに着替えたら、気分まで明るくなった。
「えんそく」前でコーフン気味の鏡の中の自分に、あ、そういえば、この服 去年の今ごろ倉敷に行ったときと一緒やな~と気がついて一瞬しんとする。

▲旧友と高1の春休みに旅した思い出の倉敷のまちを歩いて。45年前とおなじ橋の「鯉のえさ100円」のそばで、通りがかりのひとに頼んで二人並んだ写真を撮ってもらった。
あれから一年。かけ足で遠いとこにいってしもた友のことを、でも、あの日しゃべってはおなか抱えて笑い、食べては笑って。あちこちのお店をひやかして。会ったとたん高校生にもどってすごした華やかで、あかるい時間と「クミちゃん相変わらずおもしろいなあ」と言うてくれたその笑顔を思いだして、頬がゆるむ。
うん。このままで出かけることにしよう。

▲さて。
「えんそく」の行き先は滋賀県長浜のまちにある「さざなみ古書店」さん。
主のkさんとはツイッター繋がりで。なんとこの日はじめてリアルにお会いすることになったんよね(どきどき)
滋賀県は琵琶湖を中心に湖西、湖東、湖南、湖北と呼ぶんだけど、目的地の長浜は湖北。西から行くと米原をまだ越えたところ。

▲この「米原」を越えるというのは、大阪から行くとき冬は雪深い地というイメージがあり(じっさい冬場は車ならスタッドレスか、チェーン必携というような)東から来るひとにとっても「米原」あたりから景色がかわる・・・という場所でもある。
そうそう、歌人の河野裕子さんがまさに「米原を過ぎる頃」というエッセイに、東京から新幹線で西下する時のことをこんなふうに書いてはる。

【かんからかんと広くて山も何もない乾いた関東の風土から、どんよりと空が低く垂れ、雑木林、畑の有様などどことなく複雑な色合いに変わり、白壁の多い家が見えてくるのは米原を過ぎる頃からである。
山の稜線のあたりだけ鈍い光をふくみながら、かすかに明るい空のやわらかなものぐらさは、やはり関西のものだと思う。このものぐらさに会ってやっとホッとするのである。】(『たったこれだけの家族』→河野裕子 中央公論社刊p175より抜粋)

車窓にぴったりくっついて、走る景色に見入ってはる様子が浮かぶようで、のちに河野さんが滋賀は湖南の石部町で育った方と知って「やっぱり」と頷く。

▲そしてわたしたちが1987年に「パン工房 麦麦(ばくばく)」を始めた愛知川(えちがわ)は湖東の旧中仙道沿いの小さなまちだった。
この愛知川で4年、開田村で12年余りのパン屋生活は、義父の死を機に お終いとなったんだけど。ここに戻って来て先月でもう12年もたってしもた。

▲田舎からまちの暮らしに。「パン屋のおばちゃん」から、前に◯◯の、が付かない「おばちゃん」になって。その大きな暮らしの変化も、当初感じた「居場所のなさ」もそのうちなくなり、今はここが「わたしのまち」になっている。前のこと思い出してるより、今のことを~ケッコンして7回の転居で「住んだとこになじんでたのしむ」が自然に身についたのかもしれへんな、とおもうのだった。

▲ところが、この間『ガケ書房の頃』(山下賢二著・夏葉社刊)という本を読んで、忘れそうになってた「店」の記憶が波のように押し寄せてきて、動揺してる自分にちょっと驚いている。
この本は京都で、そのユニークな外観も、本揃いからイベントでも、注目され愛された本屋「ガケ書房」をやってはった山下賢二さんというひとの本で。本屋通いの「しゃべらなかった」子ども時代の話から、いろんなバイトや仕事を経て、やがて本屋になり、そして閉店してまた新しいことを始めはった話で。

▲本とパンでは、それに「売る」と「製造」でもちがうんやけど、開店する前の話も、軌道に乗り始めたころのことも。うれしいお客さん、困ったお客さん。やめる、と決めたときのことも。
「そうや!ほんま。そのとおり!」と本読みながら、何回も声をあげてしもたほど。
わたしは旅館と「店の子」で大きいなって、そんな店がいやで仕方なかったのに、ケッコンの相手はカメラマンやったのに、なんでか二人で「店」を始め、そして「店」をやめて。

▲一方、北九州から長浜の地をえらんで古書店をひらき、滋賀県民となったkさんもまた本がすきなひとだけど、グラフィックデザイナーで。(この仕事に終わりはないと思うので「元」はつけないでおきます)
訪れた人たちのリポートをネットでは何度も見てたけど、「そのひと」にも「その本棚たち」にも会ってみたかったんよね。そのくせ、根が生えたような出不精に、加えて昨年末からの膝痛で、「ほな、行きます!」まで、えらい時間かかってしもて。
けど、思いもかけず『ガケ書房のころ』で火がついて(!)「よし、明日行こう」と決めたのだった。
(やっとの決心の「明日」だったが”「明日」は雨みたいやけど、あさっては晴れそうやから”とkさんに進言されて「あさって」に変更←正解であった)

▲前夜、kさんから電車(新快速)は「前4両に乗ってね。米原で、あとの車輌は切り離されてしまいますよ~」と教えてもらってたものの、ホームに立ってると急に不安になって(苦笑)メールにて確認。3両目に乗車する。
ホームは閑散としてたのに、乗車したら思いのほか乗客が多くて、杖もって来たとはいえ座る席がなくてちょっと焦る。ようやく京都でごっそり空席ができ腰おろして、やっと旅気分になって本を開く。
そうしたらこの本(森崎和江著『湯かげんいかが』1982年東京書籍刊)がすばらしく、しばし電車の中だということも忘れて夢中になって読む。

▲と、窓の外がなんや明るくなった気がして顔をあげ、車窓から外を見ると、いつのまにか空も晴れわたり、一面青い田圃がパッチワークみたいに広がって。すごーい。きれい。これや、これ。なつかしい江州米(ごうしゅうまい)の風景だ。
そのころから車内アナウンスに「よく知ってる駅」の名前が出始め、河野さんやないけど、窓に体ごとくっついて走る景色の中「最寄りの駅」を見逃すまいと、目を凝らす。近江八幡~安土~能登川~稲枝~河瀬~彦根・・そうだ!稲枝!この駅から、小学生やった息子1と電車にのって京都によく映画観に行ったんよね。

▲電車はやがて、問題の米原に。
車両切り離しのアナウンスが何度も流れて、確認のため車内の掲示板みたら3号車に乗ったのに10号車って書いてて、どきん。おかしいなあ。たしか3号車やったはずやのに。
「切り離されたら、長浜に着きません(笑)」とkさんからメールもらったのに。どないしょう~と前席の60代くらいのご夫婦に頭の上から(!)「すみません。あのー長浜行きたいんですが、この車両で間違いないでしょうか?」と尋ねる。
「あ、はい。行くと・・思いますよ」というお返事に、「思います」ではアレやけどなあ、と思いつつ(苦笑)お礼を言うて着席。(その後「行くよなぁ、これ」「い、行くはず」とご夫婦で話してる声が漏れ聞こえてきた・・)

▲相変わらず、電車に乗っても方向音痴(!)でなさけないぞ、わたし・・・とがっかりしてるうちになんか窓の外がぱーっと光が差したような気がして、腰を浮かす。
わあああ!こんどは田圃やなくて、うみや。うみ。琵琶湖が見える!(近江のひとたちは「うみ」と呼ぶんよね)深い青色、淡い青色に、そして、さざなみがうつくしく、いとおしい。

▲どこでも「水」が見えると、もう座ってられへんタチなので、杖ついてよっこらしょと立ち上がって、揺られながらよく見えるドアの前に移動。
ええなあ~とうっとり眺め入る。愛知川のころ、夕ご飯前に親子で「うみ」までよくドライブしたんよね。
少しして「ながはま~ながはまぁ。この電車のドアは手動です。ボタンを押すとドアが開きます・・・」のアナウンス!そっか~手動なんや。そら冬に開けっ放しになったら寒さがハンパやないもんね。

▲駅の改札口むこうには、kさんが待っていてくれた。
初対面の合言葉は「いわしのヘレン」(ツイッターで誰かが居酒屋の手書きメニュウ「いわしのへしこ」の文字が「いわしのヘレン」に見えて注文~という話でもりあがった時、初めて会うときの合言葉はこれ、と決めた・・笑)
というても、わたしはたびたびネットの紹介記事と写真見てたから、ハットの似合う涼し気できれいな人がkさんとすぐにわかったけれど。

▲「さざなみ古書店」はお店の佇まいも、お店のレイアウト~壁にかかった額も(彫刻家・舟越桂のリトグラフ「羊歯のにおい」1993年作)アフリカの布も、おもちゃも、そして何より棚の本たちや入り口に置いてるフリーペーパーに至るまで、さざなみkさんのグッドセンスに満ちていて、その「こびない」セレクトがかっこいいし、ええなあと思う。

▲靴をぬいで上がるこのお店は、せやからね、ええ本いっぱい持ってる友だちとかセンパイの部屋を訪ねてるような気分で。帰りたくない、居心地のよさがあって。
檻の中のクマのごとく、のそのそ店内を動きまわるわたし。で、迷って迷って、重いものはリュック持って来なかったし・・と、絵本の候補を二冊選んだのだけど。
kさんは「あなた絵本とかいっぱい持ってるでしょ。荷物増やさないようにしないと」と、なんだかつれないのである。

▲「そ、そんな持ってへんし・・・」と、ぼそぼそ返しつつ、ちょっと不満気に、目の前に積んだ本たちを見たとき(店内には、主だった棚のほかに、足元や小さな棚に、とあちこちに小さなひみつの花園があるのだった)一冊の地味な絵本と目があった!『劉連仁(りゅうりぇんれん)物語―当別の山中から』(しみず みきお 著/おおさわ つとむ イラスト/響文社2009年刊)
「わあ、これ。この本にしよう」というて本から目をあげると、にこにこ顔のkさん曰く「うん。それはなかなかない本だから。あなたにもってかえってもらえてよかったぁ」
ほんまに本のすきなひとなんやな~と改めて。

▲それにしても。
「いわしのヘレン」のあとは「はじめまして」のはずが、いきなり学生時代の友だちに会うたみたいに話もこころも弾んで。おなじ女きょうだいで育っても、長女と末っ子、性格もちがうんやけど。底にながれるもの、本とおいしいもんへのあい、と、それから「ひとがすき」はおなじかも。

▲kさんのお部屋には窓のすぐ下には川が流れてて、のぞくと小鮎が泳いでるのが見えるんよね。
・・・と思ったら鴨がすいーっとやってきて。しーんとしずかな中、ときおりさかなたちのダンスのぴしゃぴしゃ~という音がきこえて。
もうね、川育ちにはたまらんシチュエーションで、kさんと乾杯したビールの旨かったこというたら。
kさん、愉しい「えんそく」の、ほんまええ一日でした。おおきに。



*追記
その1)
こんだけ書いて、まだ追記か~ なんですが、相変わらず要領の悪い筆運びで。
本題に入る前に、走り過ぎてダウンみたいなブログですみません。

さざなみ古書店を紹介ブログはもういっぱいあって、どこのんをリンクはろうかと迷いましたが。→こことか。

その2)
『ガケ書房のころ』で火がついた「店」熱のあと、著者・山下賢二さんのホホホ座による『わたしがカフェをはじめた日』→を読みました。ホホホ座さん曰く【京都で一人でカフェを切り盛りする女性店主たちの開業まで
を男性目線から聞いた特殊インタビュー集】これが、またおもしろかった。もうちょっと若かったら(つまり足腰にまだ元気があったころなら)お店したかったかも。

それにしても、大のつくほど嫌いやった(と思ってた)「お店」やのに、わたしけっこうすきやってんなあ~というのを、『ガケ書房・・・』や『わたしがカフェを・・・』で、気づく読書でありました。
あ、そういうたら、『ガケ書房・・・』のことでホホホ座のブログにこんなことが書かれていました。
【もう1つだけ書かなくてはならないことがあります。美談みたいになってしまってはマズいのですが、当初、本のあとがきに書こうと思っていたことが原稿オーバーで掲載できなくなってしまったので、ここにだけ書いておきます。】
大文字で紹介、書きたいとこやけど、夏葉社さんってたぶん小文字の、めちゃええひとやと思うので、ここにこっそり→


その2)
道中読んでた森崎和江の『湯かげんいかが』(1982年東京書籍刊)は、おふろにまつわる随筆集です。
すぐにのぼせるから「からすの行水」なんやけど、お風呂は大すきです。
この本の序文「ゆげのむこうの」には、著者が14歳の頃、長く病床にあったお母さんを、お父さんがお風呂に入れたときの話が綴られています。出かける前に、旧友のこと思ってたこともあり、↓このくだり読んで、車中ないてしまいました。

【湯上がりの母がにっこりして言った。「ああいい気持ち。とてもしあわせ。もういつ死んでもいいわ」
母は立つこともかなわなくなっていたから、父が抱きかかえて寝床へ連れ返ったのだが、細くなった腕を父の首にまわし運ばれて来た母が、そう言いつつ手を放した時のさわやかな表情が思い出される。母は三十五歳だった。亡くなる半年ほど前のことで父と母との、別れの儀式のようにわたしは思い、父がなんと答えるかを聞かぬまま、母のそばから立って湯殿へ行った。湯の入ったままの洗面器が洗い場にぽつりと置かれているのを見た。父は引き返して来てひとりあったまったようであった。別れを知り合っていた二人が、重く暗いけはいを立てせることがなかったのは、子のわたしには救いだったが、父も母も、湯のぬくもりにくるまれてよみがえるもののあることを、別かれていくいのちのむこうに感じ取りでもしたように、軽く、さりげなかった。秋の昼まのことだった】
(p7~8より抜粋)
*森崎和江著者紹介(藤原書店のHPより)→

その3)
『劉連仁(りゅうりぇんれん)物語』を読んで(この本、絵本も、付いてる資料集もよかった)もう少しくわしく知りたいなと思ってたら『生きる 劉連仁の物語』(森越智子著 童心社2015年刊)→という本が出てることを知りました。

その4)
ああ、ほんまに長いブログになりました。
さいごまでおつきあいくださって、おおきにです。

今日はこれを聴きながら。
Vessel - The Clearing→
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# by bacuminnote | 2016-06-19 16:04 | 出かける | Comments(6)
▲暑すぎや~寒すぎるわ~とぼやいてたら、知らんまに6月になっていた。(一年の半分がこんなに早うてええんか・・)日々くるくるかわる天気に、身も心も、干した洗濯物も~ 外に出したり中に入れたり。ほんま何かとややこしい。
そして、ついに梅雨入りときた。

▲昨夜から降りだした雨は一旦あがったものの、朝から又ぽつぽつ降り始め、駅にむかって歩いてるうちに本格的な降りとなって。
こんな日はきっと空いてるやろうと思った整形外科の待合室は「こんな日やから痛む」患者さんで埋まってた。

▲リハビリの順番を待っていると、理学療法士や柔道整復師のスタッフと患者とのやりとりが、途切れ途切れ耳に入ってくるんよね。
痛いとこ、具合の悪いとこの話から始まって、家庭でもできる運動の指導や掛け声。長く通ってる人はそのうち、天気の話から野球に相撲に自分語り。

▲仕切りのないフロアのあちこちで(他人に聞かれても差し支えのない程度の)家族への愚痴や不満、ときに「ウチの子(孫)が・・」的自慢話も。
そういうたら、デイサービスに行ってる母も皆とするのは昔話と家族の話って言うてるもんなあ。
なんか問題やなやみごとがあるにしても、自慢にしても(苦笑)家族の数だけ家族の話と事情があるわけで。
せやからあちこちでエンドレスに繰り返されるんやろなあと思う。

▲この間おもいたって『海よりもまだ深く』(是枝裕和監督)という映画を観てきた。映画館に行くのも、邦画も、それに友人と行くのも、ひさしぶりのことだった。
東京のある団地が舞台の、家族の物語だ。

▲団地といえば、かつてこのまちが「ニュータウン」と呼ばれ始めたのと団地の誕生は同時期。
でも、わたしらがここに越して来たすぐ後くらいから、どんどん潰され(引っ越し当初はまだ「マンション建設反対!」の看板もあり、退去せず残って住んでる人もいてはった)そのうちに高層のマンションがいくつも建って。まちはどんどん変わって。いつしかその前を通っても前の団地が思い出せないようになってしまった。

▲映画ではその古い団地の4階に、子どもらが大人になり出て行き、夫が亡くなり妻が一人で住んでいる。裕福でもなく、4階までの階段もきついが、気楽な一人暮らしだ。
息子の良多はかつては文学賞もとったのに、今は書けなくて。生活のため興信所の探偵業。「作家として取材のためにやってる」とコトあるごとに言うて物悲しい。そしてお金が入ると一発当てようと競輪に走ってしまうんよね。
で、良多のその不甲斐なさゆえに離婚した元妻と小学生の長男。それから、ときどき母のもとを訪ねて、おかずを拵えてもらっては持ち帰る姉(笑)を中心に、物語が綴られてゆくんだけど。

▲映画館に行ったその日はたまたま1日(ファーストデイ)の水曜(レディースデイ)でだったので、わざわざ「シルバー申請」(苦笑)しなくても割引料金であった。
そのせいか、平日の朝イチだったのに、中高年以外のお客さんもけっこう入っていて、劇中なんどもそのセリフの絶妙さに、場内のあちこちでくすくすと笑いが起き、その空気がなんとも心地よかった。
いっしょに行った隣席の友人だけやなくて、前や後ろの知らない人らといっしょにこの映画のなかに入ってるような、そんな気がして。

▲せまいベランダで母親が水をやる鉢にはミカンの木で~子どものころ良多が給食のときのミカンの種を植えたもの。息子の横で、すっかり大きくなった植木に水をやりながら、母親がひとりごとみたいにぼそっと言う。
【花も実もつかないんだけどね、なんかの役には立ってんのよね~】

▲ほかにも暗くなかったらノートに書き留めておきたいせりふや場面がいくつかあって、残念やなあと思ってたら、劇中 良多が自室の原稿用紙が(←原稿用紙に手書き派やったんか~とか思いつつ)散らかる机の前に、その日、興信所の仕事中に会った誰かの発したことばで、ぴんときたものを書き留めて、壁に貼り付けており。そんなことばのポスト・イットでいっぱいになった壁に、ぐっとくる。
そう。だれかが吐いたことばひとつから、物語は始まってゆくんよね。

▲たまたま台風の夜、おばあちゃんちに集まった元家族。良多と帰りそびれた元妻と息子、そして母親4人が団地ですごす一夜。カレーうどん食べてお風呂に入って、なんてことのない時間がていねいに描かれる。
やがて夜が明けて台風がとおりすぎると、物語は又なんてことない顔でおわりをつげる。
けど、みんなの胸のなかをたしかに風はすいーっと通り抜けてったんよね。だから清々しい朝。
まあ、問題はいっこも解決はしてへんのやけど。

▲是枝監督でおなじ配役(母・樹木希林 息子・阿部寛)では、だいぶ前の作品になるけど『歩いても歩いても』もいい映画だった。物語としては、わたしはねじれ具合がこっちのほうがすき(そのかわり、つらくもあるのだけど)。(ここにちょっと書いています)そうそう、この映画の予告編の最後に川上弘美さんのコメントが流れてて、じんとする。

これは『海よりもまだ深く』でもおんなじ。
底に流れてるのは、やっぱり、かぞくへのあい(例によって漢字にするのはてれくさい)なんやろね。たぶん。
あ、それから、良多はあのあと小説を書き始めると思うなぁ。
こんどこそ、きっと書きあげると思う。

【生きているって、なんて厄介なことなんだろう。
なんて面白いことなんだろう。
なんて、かなしいことなんだろう。
そして、なんて、うつくしいことなんだろう。】(川上弘美)


*追記
その1)
思い返してみたら是枝作品→はけっこう観ていて(未見は2作品やった)どれも音楽もいいです。

そうそう。↑で書きそびれたことひとつ。
映画みる前に、どこかのサイトで監督のインタビュー記事読んだのですが、
そこに監督が団地の生活感をリアルに出すため、お風呂の場面では昔式の浴槽(上置き式で横にガススイッチのついてるの)
を探して、点火するときの「カチッ」という音出したかった~と言うてはって。

わたしもかつて文化住宅やアパートに住んだときあのタイプの浴槽だったので、とてもなつかしく。
どんな風に「カチッ!」を使わはるんやろ~と「お風呂に入る」場面になると注意深く(苦笑)観て(聞いて)たんですが。

「カチッ!」が登場したのは、風呂場で点火するその音が 居間で聞こえてる~という、それだけでした。
いやあ、ああいうのは映画やなあ~文章では表現できひんよなあ。あのかんじ、すごいなあと思いました。

その2)
この映画のあとに観たのが(DVD)『ボーダレス 僕の船の国境線』(原題・BEDONE MARZ アミルホセイン・アスガリ監督)は、家族から離れている、離れてしまう子どもや兵士の物語でした。

国境沿いの立入禁止区域に放置された船に住むひとりの少年は孤独なんだけど、魚や貝をとり、たくましい生活者です。ある日突然国境の反対側から少年と同じ年くらいの銃をもった少年兵が乗り込んできて。
次にはアメリカ兵がまよいこんでくる。
ペルシャ語、アラビア語、英語をそれぞれに話す3人と赤ちゃんだけ。
最後まで言葉は通じないままなんだけど、緊迫したなかでふっと空気が緩むのは赤ちゃんの存在と、これもやっぱりひとへの愛かなと思いました。

その3)
『海よりもまだ深く』の主題曲 ハナレグミ – 深呼吸 を聴きながら。
(Music Video Short ver.)うたは2'10"~そうそう、ここに出てくる良多の職場の後輩(池松壮亮)もよかったな。→

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# by bacuminnote | 2016-06-08 00:43 | 映画 | Comments(4)
▲母に電話しよか、とおもうのはたいてい夕暮れ時だ。
買い物にも行って、洗濯物とりいれて、お米もしかけて。ちょっと一杯(!)を始めたころ。
母の方は、デイサービスに行って来た日なら、帰って来てごろんと横になってひと息ついてるころ。どこにも行かない日は、あーあと退屈している時間帯。
せやからね。

▲その時分ねらって、だいどこでお湯沸かしながら煮物しながら「今日はええ天気やったなあ」「暑いなあ」「で、どない?」とか~そばにいるみたいに話しかけて。
返ってくる第一声がその日の母の調子を現している。
「まあまあでっけどな。なんとかやってますぅ」と明るい声のときも、「それがなあ、あかんねん」から始まって、あとは堰を切ったように体や足腰の不調や日々の愚痴のエンドレスな日もあって。「かけんといたらよかったなあ」とおもうこともあるんやけど。

▲そんなときにも話題が吉野の料理のことになると、このかた、とたんに声のトーンが上がるんよね。受話器のむこうで、“ごろーん”から“しゃきーん”に~きっと背筋まで伸びてるんやろなあ、と母のはりきりようが浮かんできて、わたしもうれしくなってくる。

▲そうして改めて、やっぱり長いこと厨房に立ってきたひとやなあと思うのだった。(→)この間はツイッターで思いもかけず「ゴリの甘露煮」の話が出たので、さっそくその話を。
わたしの生まれ育ったまちにも、昔は川の魚を専門にとる人が何人もいてはって、鮎やゴリキ(「ゴリ」のことを吉野ではこう呼んでいた)がとれると、ウチや他に当時は何軒もあった旅館に売りに来はった。

▲「ゴリキは死んでしまうと味もおちるし、炊いてもぺしゃんとして身が割れるし、活きている間に炊かなあかんから、忙(せわ)しないことやった」と母は懐かしそうに話し始める。
バケツから笊にあげたゴリキはぬめりをさっと水で流し、調味料がくつくつ煮立ったとこに一気に投入。これ書いてるだけでも、そこらじゅうに甘辛いええにおいが広がるようで、魚好きのわたしはごくんとつばをのむ。

▲ゴリキの甘露煮や山蕗の佃煮に、とよく使っていたこの古い大鍋(直径50cm~深さ30cm近くある。いまもゲンエキらしい)も、その前に立つ母の姿も、よく覚えている。
いつもあれもこれもしながらの作業やからね、たまに焦げ付いた大鍋が水はって流しに長いこと置いてあったりもして。
鮎料理では氷割るのにアイスピックで手ぇ突いたり・・。病気で寝込むことはなかったけど、そそっかしい母はケガもよくしていた気がする。

▲娘時分はろくに包丁も持ったことのない「オットリした性格やった」(自称)らしいけど。ほんまやろか。
ぴんぴん跳ね回る大きな鯉やうなぎまで料理してたのに、よく大怪我しなかったことやと思う。何より、母ひとりに忙しい思いさせて父(調理師やのに)は、いったい何しててんやろ?と、昔話に登場するたびブーイングの的は亡き父となるのであった。

▲さて、
その日は相方と夕飯食べながら、さきに電話で聞いた母のゴリキ話から、わたしの子ども時代、吉野川周辺が賑やかやった夏の話になって。
夕方から出る鮎舟も、(→)そうそう鵜飼もしてたことがあったんよ~というと、「鵜ってたいへんやのに誰が世話してはってん?」と相方。そういうたら、誰にでもできることやないよねえ~ということになって、再び母に質問の電話をかけた。

▲「わたしにわかるかなあ?」とか言いながら、どんどんパワーアップして頭もフル回転の母。
当時商工会が中心になって吉野川で鵜飼を始めようということに。最初は岐阜・長良川から鵜と共に鵜匠に夏の間滞在してもらっていたことなど話してくれた。
高度成長の波もあり、春だけでなく夏にも吉野を訪れる観光客も多くて。そのころは何か新しいことをやってみようという気概に町全体が満ちてたんやろね。
そうして亡き父もそんな人たちの中の一人で、アイデアを出してはいろんな交渉に走り回ってたらしいと知る。(せやったんか~おとうちゃん、ええとこもあったんや)

▲結局5年ほどで鵜飼はおわったみたいやけど、鮎舟はその後もしばらくの間続いていたと思う。ウチが旅館をやめたのは(→)もう少し後のことになるんだけど。そして、それからも厨房のひとであり続けたんだけどね。
「どっちにしても、みんな昔話になってしもたなあ」と母がさみしそうにわらう。
働いて働いて、座ってご飯食べてるところを見たことがないほど、忙しくしてきて、「昔はよかった」なんてことはない、と思うのに。

*追記
その1)
これを書く前にちょっと調べてたら「ゴリ」と各地で呼ばれている魚にも色んな種類があることを知りました。
広島市水産振興センターのサイト『ゴリと呼ばれる魚たち』→によると、吉野川(川底)にいたのは”カワヨシノボリ”という魚のようです。

「ゴリ」はその漁法(むしろやかごを仕掛けた方向にゴリを無理やり追い込む漁)から「ゴリ押し」の語源になったとも言われているらしい。
食べるばっかりで(!)こういうこと全然知らんかったなあ。
そして、
ひとつわかると、またひとつわからないことが出てきて。
おかあはん、せやからね。聞きたいこともいっぱいあるし、まだまだ元気でいて、夕方の電話の相手してください。

その2)
郷土の料理というと『聞き書き 奈良県の食事』という本を(そして、その本の中にジッカから資料提供していることも)三度笠書簡のわこちゃんに教えてもらいました。
吉野の鮎漁(あい、と地元では発音)のページに載ってるおっちゃんは、子どものときからよく知ってる方で、久しぶりになつかしく眺めました。

そういうたら、手元に『大阪府の郷土料理』→(上島幸子・東歌子・西千代子・山本友江 著 同文書院1988年)という本があります。
帯には【”まあ、おいしそうやこと”  先人の心と技と知恵が生んだ味を、多くの人から掘り起こし、科学して伝えたい! 】とあって。こういう感じの本に「科学して」とあるのに、びっくりしつつ、しびれます。

今回改めてゆっくり開いて、そのていねいな説明ときめ細やかな取材におどろいています。
大阪いうたら、たこ焼きとお好み焼きやと思われがちですが、なかなか、さすが食の大阪~知らんかったこともいっぱいで、上記の聞き書きの本と共に、とても興味深い一冊です。

実はこの本、著者のおひとりは、わたしが十代のおわりに京都で下宿していたお家の方です。そのころも大学に時々教えに行ってはる、と聞いていましたが。当時小学生だったお子さんやおじさんが寝てからも、夜おそくまで、おばさんの部屋に灯りがついていたのは、講義の準備や研究をしてはったんやなあ。

その頃、はねっ返り娘でわるいこと(ん?)ばっかりしては、おばさんを怒らせたり ひやひやさせてたわたしでしたが、いつも温かくだいじにしてもらいました。そしてその後も「忘れられへん子やった~」(!)と、この本が出たときも贈呈してくださったのでした。感謝。
長いこと連絡してないけど、おたよりしてみよう。

その3)
今回書けなかったけど読んだ本のメモ。
『村に火をつけ、白痴になれ  伊藤野枝伝』(栗原康著 岩波書店2016年刊)→
『群像6月号』群像新人賞「ジニのパズル」(崔 実(チェ・シル))
『ハイスクール1968』(四方田犬彦著 新潮社2004年刊)

その4)
この間みつけた絵本(だいすき!)『ぺろぺろキャンディー』(ルクサナ・カーン 著 ソフィー ブラッコール絵 もりうちすみこ訳 さえら書房刊)の原本の朗読。かわいい!
”Big Red Lollipop”→


その5)
いつものことながら、だらだら長くてすみません。
今日はこれを聴きながら。
Ry Cooder - How Can A Poor Man Stand Such Times And Live →

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# by bacuminnote | 2016-05-26 16:08 | yoshino | Comments(6)
▲窓の外は、緑、緑、緑で。ああ、ほんまにええ季節。
洗濯物干す手休めては何度も木々を見上げる。
♪濃いも薄いも数ある中に~は紅葉のうたやけど、緑もまた。
「目がまはる青葉がまはる空まはる」(火箱ひろ)

▲その昔まだグーグルマップに航空写真しかなかった頃、以前暮らした開田高原や、ジッカの辺りをみたら、みごとに一面深い緑で。あまりに緑だけやったんで、思わず笑ってしもたんよね。
山があって川があって、自然がすぐそばにあって。
そんなこと、なんか当たり前のことのようにして大きくなって。さいわい、開田もよしのも、今も緑のなかに在るけれど。

▲いらんもん仰山建てて。地震もおかまいなしに「再稼働」企てて。経済優先の社会は相変わらず「だいじなもの」をどんどん壊してゆく。
日々、手を変え品を変えては 耳に入ってくるこの国の政治家の「とんでもなさ」には煮えくりかえる思いがする。どっちむいても税金を私物化して、表でも裏でも(!)好き放題使い放題って話ばっかり。

▲そういうたら、さっき何気なくみたウェブサイトで、茹で卵の輪切りの黄身と白身のバウンスがきれいに出るように、とかまぼこ状の茹で卵(←とは呼べないと思う)という商品の紹介記事を読んだ。
普通の茹で卵の輪切りのように無駄(!)がでてこない(という)この商品はコンビニのサラダや外食産業で使われてるらしいんだけど。(製造課程の動画→
もっとショックだったのは、こんなものが「便利」とか「業務用ではなく家庭用にもほしい」とかいう書き込みで。
この国もこの世界も、ほんまにどうなってゆくんやろなあ。

▲この間『シャーリー&ヒンダ ウォール街を出禁になった二人』(原題"Two Raging Grannies” ホーヴァルド・ブスネス監督)というドキュメンタリー映画(DVD)を観た。
アメリカはシアトルの小さなまちに住む二人はシャーリーが92歳、ヒンダが86歳の仲良し。二人とも電動車椅子ユーザーで、車椅子二台前後並んで出かけてゆく様子はなんともほほえましい。
が、二人を「ほのぼの」だとか「おばあちゃんが」なんて表現したら、しっぺ返しをくらうほど、二人とも好奇心も向上心も旺盛でその行動力といったら。

▲予告編の冒頭にもあるように、二人は経済成長に疑問をもつんよね。
「経済成長は必要なのか?」という問いに「どうすればいいか分からない」とシャーリーが言えば、間髪をいれずヒルダが「”分からない”としか言えないの?もう(“分からない”は)聞き飽きたわ」と、なかなか手きびしい。
そもそもは孫がラジオでホームレスのひとの話を聞いた、というので孫に家をなくした人の話をどんな風にすればよいか、ってところから始まるんだけど。

▲これが単なる茶飲み話で終わらないところが、この二人のすばらしい(おもしろい)ところで。
この疑問を解決すべく大学に聴講に行って、講義中の教授に質問しては怒られ、あげく「退出してください」と通告されて。
この映画、ドキュメンタリーながら、ちょっとドラマのようでもあり。場面によっては「あれ?」と思うところもあるんだけど。この講義場面では学生たちがシャーリーの質問や、それに対する教授の「退出せよ」にも、そもそも同じ教室の彼女たちの存在にもいっさい無関心なのが気になった。あんなものなんやろか。

▲その後、キャンパス内の大学生に意見を聞いてみたり、経済アナリストのもとに向かったり。
その合間に膝の手術を医師から勧められるヒルダのエピソードが挟まれ、まさに今膝痛を抱える者としては身につまされる。
ヒルダの死ぬ前に「もう一度NYに行ってみたい」っていうのと、二人の解決しない経済への疑問とが重なり。ついにはNYに、ウォール街へと話は発展するんよね。

▲シャーリーの息子(or義理の息子かも)に、NY行きを告げたとき、彼が「いいねえ。相棒とNYか?」って言う場面があって。ええなあ。ええよね。若いひとに羨ましがられるのって。
90歳近くなって友だちと飛行機に乗って遠出。しかも行き先がNY行きやなんて。かっこいい。
そして、やんちゃな二人はついにウォール街へと乗り込んでゆくんよね。ここからがドキドキするところだけど、これから観るひとのためにもがまん。とにかく、二人が行く道は多難だ。
でも、シャーリーが言う。
「わたしたちは種をまくのよ」

▲たまたまなんだけど。
この映画を観た翌々日に、旧友のj が久しぶりにウチに来て。
彼女にこのDVDを観てもろてる間に夕飯の仕度を~と思ってたんだけど。jの反応が気になって、何度も台所から移動して彼女の横で立ちながら鑑賞(苦笑)結局椅子運んできて、一緒に笑うたり茶々を入れたりしながら、わたしも最後まで観てしまった。

▲経済問題を考える二人、っていうより(いや、そのことはとても大事なんやけど)歳とってもなお「わからないこと」をそのままにしない、いい加減にしない二人。
「あなたといると時々疲れるわ。何度も同じことを言うんだもの」とか、結構キツイことを言い合ったりしながら(きれいごとだけのつきあいやないとこも共感)二人ともユーモアがあってチャーミング!
そんでね、老いてゆく体や気持ちに、掛ける言葉もお互いちょっと荒っぽくて。
だからこそほんまにお互いをだいじに思って寄り添ってる感じに、じんときた。

▲せやからね。
わたしらもまた(あの二人ほどの勇敢さは持ちあわせてないけど・・)好奇心と向上心をもち、時に(いつも?)あほなこと言うて、笑うて、これからも長くたのしくやってゆきたいと思った。
何より、この映画をいま彼女と観ることができてよかったな。

▲・・・てなことやってたせいで、案の定(というか、やっぱり)料理もちゃんと拵えることができなかったけど。
ええかっこしても始まらへん四十余年の仲やしね。
いつも通り あり合わせのおかずと持ってきてくれたワインで乾杯。
つもりにつもった話は、あっちにとび、こっちにとび。
思いきり笑うたり、郷愁と感慨にふけってるうちに、戻るべき「始点」もわからへんという、相変わらずのおおぼけぶりだったけど。
「おやすみ」と言う前までしゃべって。ええ夜でした。
冬の句やけど、冒頭とおなじく火箱ひろさんの一句を思い出しながら。

「歯が大事友だち大事冬林檎」 (火箱ひろ)


*追記
その1)
この映画公式HPには、アラナイ(アラウンド90歳)のおばあちゃん【シャーリーとヒンダは大金持ちでも、ビジネスマンでもない、ただのおばあちゃん。当初は「買い物に行くくらいしか思いつかない」といっていた2人が、好奇心の赴くまま質問を重ねるたびに、どんどん知識を吸収し成長していく】って風に書いてるけれど。
二人はそんな「ただのおばあちゃん」(というと語弊があるけど)ではないです。→プロフィール(HPのCAST&STAFFのところ)

もちろん、何かのきっかけで「突然」目覚めることはあると思うけれど。
やっぱり、若いころから「考える」あるいは考えたことを「話したり書いたり」のレッスンは必要、と改めて思う。
どんなことにも「何故?」と疑問を持つ。わからないことを自分で考える。誰かに話す。聞いてみる。考え続ける。そして、行き着くところは「教育」かなと思う。(やっぱり!)
とりわけいろんな環境下の子どもたちが集まる公教育で(もちろん、それが合わない子どももいるんだけど)こういうレッスンを積み重ねてほしい、と願います。

その2)
『シャーリー&ヒンダ』と一緒に借りてきたDVDが同じくドキュメンタリー映画の『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』→ シカゴで暮らす青年ジョン・マルーフが、オークションで大量の古い写真のネガを380ドルで落札。彼がその一部をブログで紹介するとたちまち評判になり。15万点以上もの優れた作品を撮りながらも、1枚も発表せずに亡くなった女性ヴィヴィアン・マイヤー。謎につつまれた彼女が歩んだ軌跡や、知られざる素顔を追っていくのですが。

ヴィヴィアン・マイヤーの持ってるカメラ~ローライフレックスは亡き父も持っていて、なつかしかった。
映画のなかで「ローライフレックスは一種の隠し撮りカメラだ」と言ってた人がいて。それは、普通のカメラとちがって、撮影者は被写体に真正面から向き合うのではなく「覗きこむ」から。
そういうたら、相方のカメラはハッセルブラッドでした。
わたしは(撮影者がローライとかハッセルとか)覗き込んでる時の姿~あの四角のなかの被写体をみている感じが好きでした。

その3)
このまえ図書館で『こどもたちはまだ遠くにいる』 (川本三郎編 筑摩書房1993年刊)→という写真集を借りてきました。(残念ながら絶版みたいです)

子どもを写した写真集だけど、たいていは(複数で写っていても)ひとりぼっちの写真ばかりです。白黒やし、笑ってる子の写真はほんのすこし。いわゆる子どもの幸せそうな写真はほとんどなくて。
編者の川本三郎が「家族のそとにいる子ども」と書いてはる、そんな子どもの、表情をとらえた写真集です。
以下、本の最後に収められた「純化する子どもたち」という川本氏のエッセイより抜粋。

【家族の外にいる子どもたちをとらえるということは、単に、不幸な子どもをドキュメンタリー的に記録することではない。それは、子どもを、家族、親といった帰属するところから解放することである。
大人ー子ども、親ー子ども、といった通常の対関係から子どもを帰属するところから解放することである。
強力な対関係をなくした子どもは、はかなげに、しかし、自由に風景のなかを浮遊しはじめる。】

【ここに紹介する子どもの写真は、そういう距離を自覚した、冷たい写真である。理解や愛情や同情よりも、むしろ、言葉ではもはや語りかけようとはしない子どもを、畏敬の念を持って凝視し続けた写真である。子どもたちが凝視の一瞬のあと、こちらに近づいてくるのか、向うへ去ってしまうのかは、おそらく誰にもわからない。】

その4)
jと十代の頃のこと話して、いろんなことおもったり思い出したり。若いっていたい。けど。イキテテヨカッタ。
きょうはこれを聴きながら。だいすきなworld's end girlfriendの演奏で。
world's end girlfriend - 深夜高速 feat.湯川潮音→
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# by bacuminnote | 2016-05-14 18:13 | 映画 | Comments(0)

忘れない。

▲毎日ハンコで押したような暮らしやから、ときどき昨日と今日の違いもええかげんで。
「そろそろ雨戸閉めてや」
「おっ?さっき閉めたぞ」
「まだ開いたままやで」
「あ、そうか・・あれは昨日のことやったんかぁ」
~先行き不安なフウフなり。

▲そういうたら、前やっていたブログのサービスで「去年の今日あなたはこんなブログ書いてましたよ」的なメールが届く。
「ほんまおせっかいやな」とか思いながらもついつい読んでしまうんやけど(苦笑)
毎年おんなじようなこと思って(書いて)ることがわかって、しみじみと恥しい。
けど、ついでにそのまま続けて他の日のんも読んでみると、毎日は同じようでも、まちがいなく一日一日はちがっていて。
そのうち 書いてることに「時間」を感じて、びっくりしたりやるせなかったりうれしかったり。どきんとする。

▲去年 愉しいなつかしいひとときをすごした友が、今はもう遠いとこにいってしまっており。
前は平気で歩いて行った場所に、気軽に行けなくなって。
この前まで若い友人のおなかのなかにいた子は、すがたをあらわして、そのちっちゃな足で元気に宙を蹴る。
本を読んで、あるいは映画を観たり講演を聴いたりして、あのときはあんなに真剣に考えていたはずのことが、いつのまにか色褪せてることに気づいて、そんな自分にがっかりする。

▲忘れてしまいたいこと、忘れないこと、忘れたらあかんこと。
忘れることで、何とかやってゆけることも、つらくても忘れないで「次に」伝えていくべきこともあって。
それは先日から観た映画や読んでいる本の主題と重なり。
「忘れる」「忘れない」の間を行きつ戻りつ、蹲(つくば)って考えているところ。

▲最初に『顔のないヒトラーたち』という映画の題名を見たとき、不遜にも観なくても(内容の)想像つくなあ~とか思ってしまった。
だからとくに予備知識も入れずDVDを借りてきたら、予想外のことがいっぱいあって唸る。
時代背景は戦時中ではなく、敗戦後十数年たった西ドイツで。
今から考えるとちょっと信じがたいけれど、当時アウシュビッツの存在も、そこで何があったかも知らない人も多かったらしい。そして、知っている人でも、ホロコーストを直視するってことは、自分の家族や友人を糾弾することにもなりかねないと沈黙を選び・・・。

▲1958年フランクフルト~正義感と野心に燃えている若き判事のヨハンは、現実には交通違反の処理に明け暮れて、うんざりしているのだけれど。
あるときジャーナリストのグルニカから元ナチス親衛隊のSSだった人が現役教師をしているという話を聞いて、関心を持ち始めて調べるんよね。グルニカの言うとおりそのひとは教師をしており、明らかに規則違反と、ヨハンは文部省にその旨報告する。
そしてグニルカに、件の教師の罷免を伝えるんだけど、彼は相手にもしないんよね。つまり、そんなことは紙の上だけのことで現実は何にも変わらない、ってこと。実際、教師は今まで通り学校にいるのだった。

▲その後、ヨハンは上司の引き止めにも耳をかさず、グルニカ、それに彼の友人である元アウシュヴィッツ収容所にいたユダヤ人シモンと、検事総長バウアー(彼もまたユダヤ人で長い間収容された経験をもつ)の四人、ヨハンの同僚たち(この二人が地味ながらええ感じ)がフランクフルト・アウシュヴィッツ裁判が行われるまで大奮闘するんだけど。

▲劇中で描かれる元SSは、どこにでもいるドイツの普通のひと。ごく普通の夫であり、父親であったわけで。
検事正フリードベルクは、ヨハンに「君のせいで若い世代が父親に犯罪者だったかと問い詰めるのか?」と迫るんよね。そしてヨハン自身も尊敬していた亡き父親の過去にむきあうことになる。

▲けれど「時代がそうだった」「仕方なかった」で納得したら、過ちは繰り返されるのだいつか。きっとまた。
やがて彼らの懸命な働きが実をむすび、1963年ついに西ドイツのフランクフルトでアウシュヴィッツ裁判が開かれることになって。
ドイツの歴史認識を変えたと言われているこの裁判はドイツ人の手で、当時アウシュヴィッツ収容所で働いていたドイツ人を裁いた初めての裁判で、その残虐な行為を初めて西ドイツ社会に広く知らしめたこと、と大きく評価されているそうだ。

▲くりかえし、くりかえし描かれるドイツの負の歴史。
一方でおなじ敗戦国でも「戦争中はだれもが、どこの国でもそうだった」とうそぶいてる国・・・一体この違いはどこから来るのだろう。

映画公式HPにあった2015年1月ナチス虐殺の被害者の追悼式典でのメルケル首相のスピーチのなか「過去を記憶していく責任」という言葉が突き刺さる。

【ナチスは、ユダヤ人への虐殺によって人間の文明を否定し、その象徴がアウシュヴィッツである。私たちドイツ人は、恥の気持ちでいっぱいです。何百万人もの人々を殺害した犯罪を見て見ぬふりをしたのはドイツ人自身だったからです。私たちドイツ人は過去を忘れてはならない。数百万人の犠牲者のために、過去を記憶していく責任があります。】

*追記
こっちのほうが長くなりましたが。

その1)
ずいぶん前読んだ『朗読者』で主人公の法学生のマイケルが傍聴する(ハンナと再会する)裁判もこのフランクフルト・アウシュビッツ裁判。映画もとてもよかった。ただ、(予告編→)ドイツ人なのに英語やったのが残念でした。(とはいえ、どっちにしてもわたしは日本語字幕頼りの鑑賞なのですが。この物語はやっぱり英語やなくドイツ語やろ、と思う)

その2)
いま読んでいるベラルーシの作家、スベトラーナ・アレクシエーヴィチの『チェルノブイリの祈りーー未来の物語』(岩波現代文庫)にもまた「忘れたい」「忘れてはいけない」ということばが何度も出てきます。

以前、神田香織さんの講談(DVD)でこの本の一部を聴いたんだけど。(→
チェルノブイリの原発の事故については当時から今まで、何度も読んだり聞いたことがあり、わかってるつもりのことも、神田香織さんの迫力ある講談での「語り」は当事者から話しかけられてるようで。終始息詰まる思いで聴きました。

この講談は本のはじめに収められた「孤独な人間の声」というタイトルの話で、原発の事故後すぐに火災現場にむかった若い消防士の妻が語っていて。
ふつうの火事だと呼び出され、警告もなくシャツ一枚で出動した彼のこと、おなかに赤ちゃんを宿してることを隠して夫の看護に通い詰める話・・・は、本で読んでも重くてつらかった。

文庫解説に広河隆一氏がこう書いてはります。

【チェルノブイリ事故や戦争など大惨事はすべて、おぞましいもの、言葉で記録したくないもの、理解不能なものをはらむ。それらの記憶を言葉で浄化し、伝えることができるようになるまでには、どれくらいの月日がかかるのだろうか。言い換えれば、大惨事の持つ固有の深い意味が理解され、それが記録に残されるまでには、どれくらいの月日が必要とされるのだろうか。】(解説 p306より抜粋)

その3)
このほかに観た映画→『アクトレス』劇中、演劇のセリフの稽古する場面が(現実とないまぜになって)でてくるのですが、これがけっこう観ている(聴く)側にとって緊張を強いられるんやけど。その緊張感もよかったです。
ジュリエット・ビノシュのマネージャー役クリステン・スチュワートが魅力的。

『岸辺の旅』(黒沢清監督。原作はだいすきな湯本香樹実さん)→
この映画もまた「忘れる」「記憶」が底辺に流れる作品です。三年も失踪していた夫(すでに亡くなってる)が
ある夜とつぜん妻のもとに帰ってきて、三年の間すごしたあちこちを二人で旅する物語です。

上映時観てきた友人に見せてもらったパンフレットの湯本香樹実さんの文章は、ご自身が原作者でありながら(いや、原作者ゆえに)映画という「表現」をとても冷静にそして何より愛情を持って観てはることを感じる一文でした。しみます。

【映画『岸辺の旅』は、そんな見送る者と見送られる者の間の、特別な、やさしくも不穏な時間を、このうえなく親密なものとして描いています。隔たった者どうしがどれほど互いに互いを委ねられるかーーそれが親密さというものならば、生者と死者、あるいはこれから旅立とうとしている人と、それを見送る人・看取る人のあいだには、抜き差しならない親密な、「もうひとつの旅の時間」が生まれるにちがいありません。】
(パンフレット/湯本香樹実「死んだ人のいない家なはない」より抜粋)

映画とは関係ないんだけど。
このまえ詩人の伊藤比呂美さんのおつれあい(Harold Cohen氏)が亡くならはった旨ご自身のツイッターに書いてありました。
自分のなまえを呼ぶ声はとくべつと思う。せつない。

【Thank you you so much to every one!! He had a wonderful life. I can still hear his voice calling, Hiromi--Hiromi--- from his studio.】
4.28 (原文ママ)

その4)
きょうはこれを聴きながら。egil olsen - she and him (and i)→
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# by bacuminnote | 2016-05-05 20:10 | 映画 | Comments(6)

 I'm here.

▲ネットの地震情報をみるたびに新たな記載があって、そのつど胸の潰れる思いでウインドウをとじる。どうか、どうぞ、一日も早く鎮まってくれますようにと祈るようなきもちで過ごしている。

いま「祈るようなきもち」と書いたけれど、「祈る」ってどういうことなんやろ。無力な自分が最後にできること? けど宗教をもたないわたしは何にむかって祈ってるんやろ?・・と、時々わたしの中で、ことばがぐるぐる回る。

▲この前読み始めた『小さな本の大きな世界』(長田弘 著 /酒井駒子 絵/ クレヨンハウス刊)は長田弘さんのおすすめの本145冊についてのエッセイで。その中に『いのり 聖なる場所』(フィリモン・スタージス 文 /ジャイルズ・ラ・ロッシュ 絵/さくまゆみこ訳)という絵本についての1篇があった。

▲この絵本は前に読んだことがある。世界のあちこちにある 祈るためにひとが集まる聖なる場所(28ヶ所をペーパークラフトで再現)を訪ねてゆくんよね。
「何百年もかかって、きずきあげた聖堂」もあれば「かんたんには行けない教会や寺院」も、「町の中の会堂で」祈る人も、満点の星の下だってある人にとっては祈りの場所となる。

▲長田弘さんはこの絵本についてこんなふうに語ってはった。
【それでいながら、なぜ、このようなうつくしい祈りの場所をもつこの世界に、いまなお、戦い、争い、災い、破壊、流血、苦しみ、悲しみが絶えないのか。この不条理な世界に建てられた聖なる場所をたどるうつくしい絵本をひらくといまさらのように、祈るとは「みずからを問う」こと、それも「みずからを深く問う」ことにほかならないのだということに気づきます。】 (p29より抜粋)
「みずからを深く問う」ということばに、頷きたちどまる。

▲地震の報道を目にすると、避難所でのあらゆる問題(一箇所に人が大勢集まるということだけでも、種々問題が起きるのは想像できるのに、災害時に、となると想像をこえる場面がいっぱいあると思う)を挙げた記事にいろんなことを思う。
何かの告知の仕方ひとつでも、目に見える、見えない、病気や障碍を持つ人への配慮が足りていないことを知って。
ふだんいかに多数派的思考の中で、さもそれが当然のように暮らしてることに気付かされる。

▲たとえば、うちには食物アレルギーをもつ家族がいるので、わたしは災害時には避難所で配られる食べ物のことが気になる。とりわけ小さい子どものこと。食べられるものがあるのか?周囲の理解は得られてるだろうか?わがままだとか、「ちょっとぐらいなら大丈夫」とか、言われてないだろうかと。
それに今はわたし自身が膝痛で、床に寝たり、椅子のないところで座るのができなくなってるし、夜中にトイレに立つことも多く。そういうことで困ってる人いてはるやろなあと想像する。

▲たぶんこんなふうに自分や家族、友人といったごく身近な人たちの経験を通して、ひとは他者のしんどいとこや痛みや不便さをも想像していくのだろうと思うけれど。
そういう想像の及ばないことがまだまだいっぱいあるのだと、今回も気づくことになった。そして、それは何より当事者や周囲の人、支援者の発信ゆえ(感謝)~伝えてもらって初めて知ること、ほんま多いです。

▲そんなことを思いながら、洗いもんしてたら注文していた本(『恋の相手は女の子』室井舞花著 岩波ジュニア新書刊)が届いた。
表紙には背の高い女の子と帽子をかぶった背の低い女の子が白いドレスにブーケ持ってるかわいい絵。
前述した読みかけの本もあるし、あとでゆっくり読もう~と思いながらパラパラ見てるうちに結局「せなあかんこと全部」ほったらかしたまま読了(苦笑)

▲タイトル通り、恋の相手が女の子だった女の子が語り手なんだけど。
初恋の話から教科書に書いてあった「思春期には異性に関心をもつ」に、わたしはまちがってるのか、わたしは何者?とひとり悶々となやんで。やがて大学をやめてピースボートに乗船。そしてカミングアウト。

▲苦しみながらも、すこしづつ解きはなたれてゆく様子が、嘘のない、ときに不器用なほどまっすぐなことばで綴られて。
そのつど泣きそうになったり、うれしくて声あげたり。
読みながらわたしは舞花さんの同級生になり、友だちになり。母親になり、親戚のおばちゃん的視線になったりする。

▲舞花さんほんま、よく書いてくれました。(会うたこともないけど)ありがとうと言いたいきもち。
セクシャリティの問題だけやなく(もちろんこのことはこの本のだいじなとこなんだけど) 他者(多数派)と「ちがう」ことに自信なくしたり、自分を見失いそうになってる子どもたち(大人も!)に、この本が届くといいなあ。どうか届きますように。
せやからね、この本が岩波の”ジュニア新書”から出たことがとてもうれしい。(さっそく図書館にもリクエスト票を書きました)
そして、その意味では子どもらにとって近いキョリにある教科書にこそ、多様な性や家族のあり方が取り上げられるべき、とも思う。

▲3年前にはパートナーの「ぶいちゃん」と「新郎のいないウェディングパーティー」を開いた舞花さん。(表紙の絵はそのときのものらしい)
ふたりでセクシャルマイノリティの生きる風景の写真展を友人たちと企画したり、「学習指導要領」にその存在を配慮した内容を盛り込んでもらうための署名キャンペーンをしたり、とたのもしい。

▲いつのまにか薄暗くなった部屋で、本を閉じて、これを読む前に洗いもんしながら思ってた~避難所におけるマイノリティのことをふたたび考えた。
「知らないこと」「ちがうもの」を知ること。知ったら知らん顔をしないこと。

【「ここにいるよ」と言わなければ、「いないもの」になってしまう。話しつづけなければ、だれにも伝わらない。】
(p64第二章「私自身が変化になる」 より抜粋)

▲そうそう、ふと見た本の帯に「女らしくでも、男らしくでもなく、わたしらしく生きたい」のことばの下に風見鶏の絵があって。
方位計にはNSEW(東西南北)ではなくLGBTと書かれてあった。
おお~と一気に頬がゆるむ。
そう、いろんな方位があって、わたしらはどこにだって行けるんよね。


*追記
その1)
この本には用語集や最後におすすめの本や映画なども書かれていて、ええなあと思いました。ここから広がってゆくものもある、よね。本文中のリンク先(岩波ジュニア選書のサイトの、この本の書影をクリックすると、くわしい解説が読めます。ぜひ)

用語集には↑で最後に書いたLGBTについては
(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダーの英語の頭文字。セクシャルマイノリティの総称として使われることも多い)

その2)
この本を読んだあと、たまたまネットで【ことしもまた、新たなえにしを結ぶ会'16】 第3部 の様子をyoutubeで観ました。以前読んで衝撃をうけた『リハビリの夜』(ここに書きました)の著者・熊谷晋一郎氏のスピーチを聴いてみたかったのですが→(2:31~2:40のあたり)さっきまで考えてた「ちがい」の話から始まって!
「ちがい」の過大評価と過小評価~そして熊谷さんが研修医のころのエピソード。ぜひ。

で、熊谷さんの話を聴いたあと、そのままにしてたら「EMA」のメンバーのスピーチが始まりました。EMAとは【Equal Marriage Allianceの略で、平等な結婚、つまり同性結婚が認められる社会を目指すという意味】やそうです。
ホームページ→には同性婚についてQ&Aなどとても丁寧に書かれています。
思いがけず、というか、自分の中にひとつ何かがうまれると、次々いろんなことがリンクしてゆくのは、ほんまエキサイティング!


その3)
せや、せや。書き忘れてました。
『小さな本の大きな世界』がええなあと思うのは、長田弘的選書、すいーっとええ風ふいてゆくような文章と。それから「掲載の書誌データは、すべて著者の蔵書に基づきます」っていうのです。
読んだ本や持ってる本があると、きゃあとさけび(ミーハー)それがだいすきな一冊やとおおさわぎしてます。『あんこの本』(姜尚美著・京阪神エルマガジン社刊)とかね。→


その4)
きょうはこれを聴きながら。
Radical Face- 'Welcome Home'→
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# by bacuminnote | 2016-04-24 16:37 | 本をよむ | Comments(0)
▲久しぶりに風邪をひいて寝こんだ。
熱もなく咳もなく、くしゃみ鼻水だけが延々続くだけなのに(だから、最初は花粉症かと思ってたんだけど)からだの芯に力が入らず、ついつい「ああ、しんど」と口に出る。このこらえ症のなさは歳のせいやろか。そして、「弱り目にたたり」(苦笑)というわけで、何年ぶりかで眼科に。「風邪とアレルギーも両方ですねえ」とのこと。だぶるぱんち!

▲それでも、しんどいと思ったらすぐに横になれる(いま)は、ほんまにありがたい。パン屋やってたときも、子どもが小さかった頃も「しんどい時に寝る」という当たり前のことが、なかなかできなかったもんね。ただ、自分ちが仕事場のわたしは、一仕事しては寝る。また起きて仕事、ということもできたんやけど。

▲おなじ自営業でも母はわたしが子どものころ、それがかなわなかったのか、寝込んでた記憶は一、二回しかない。
風邪ひいてガッコ休んだ日。お昼すぎになって熱が少しさがってくると退屈で、こっそり起きだして本を布団の中にもちこんだり、「おかいさん」(吉野の茶粥)ではお腹がすいて台所をウロウロして母にみつかると、「早う大人しい寝てきなはれ」と怒られた。
そんで、ひとりごとみたいに「あああ、わたしも誰かに早う寝てきなはれ~っていっぺん言うてもらいたいわぁ」と笑いながら、また仕事にもどってゆくのだった。

▲いま同じように内でも外にでも仕事をもち、子どもが小さい家のお母ちゃん(お父ちゃん)に思いを馳せる。
最近は同世代の友だちらが「娘が、孫が・・」と病気のときの助っ人に活躍してる。「おばあちゃん」が来てくれて、ほっとしている若い家庭が浮かぶようで。ほんまによかったなあ~と思う。
その一方で、頼れる人がそばにいない家庭では、やっぱりお母ちゃん(お父ちゃん)はしんどくても休めないんやろなと胸がいたむ。

▲むかし(前に一回ここにも書いた気がするけど)若い友だちに聞いた彼女のママ友の話。
保育園は子どもが37度をこえると預かってもらえないから、朝、解熱剤で一旦熱を下げて登園する。うまくいけば、一日熱は下がったままで親は仕事ができる。解熱剤の薬効がきれて(ちょうどお昼ごろ)熱が上がって園からの呼び出しがあっても、午前中の仕事を終えたあとだと「早退」もしやすい~と。

▲びっくりするわたしに彼女は言う。
「でもね、近くにおばあちゃんや子どもみてくれる人もいないとか、いても仕事もってたりすると、そうするしかないんよ」
おかしいよね。ていうか、この国の子どもをとりまく環境は(も)おかしいことだらけ!
保育園が足りない、保育士が足りない、だけやなくこういうときのサポートする仕組みもなくて。

▲そんなことを思いながら、そろそろ暑く感じ始めた冬布団の中で、かっかしたり、ため息ついたりしているうちに寝入っては目覚めをくりかえして。
夕方洗濯物をとりいれるのに庭にでたら、お隣の八重桜が知らんまに満開になっていて、濃いピンクのぼんぼりが細い枝には重たそうなくらい一杯で。
バスタオルやパンツを腕にかけたまま、しばらくぼぉーっと見上げてた。

▲そういえば、吉野山にお花見に行くというてた友人二組はそろそろ下山の頃かな。
今年の吉野の桜は早くて、そろそろ散り始めてるみたいやけど、日曜日やし、ええお天気やし、すごい人出なんやろなあ~と心配になる。
どこでもハイシーズンの観光地って、ええかげんな接客とか、がっかりすることがよくあるから。
「吉野に桜見に行こうと思うんやけど」と友人知人に声かけられるたびに「春はやめといたほうがええと思う」と水をさすわたし(苦笑)すきなひとの一番ええとこを、友だちには見てもらいたいきもち、やろか。

▲夜になって、一組目からメール。
「強烈な人混みの中。せやけど、きれいやったから大満足です」「次は静かな季節に山々を楽しむ歩き方をしたいです。ほんまにええとこやね」
山歩きの好きな友人らしい文面に、そして「大満足」「ええとこ」に頬がゆるむ。
しばらくすると、もう一組の若い友人のメールとツイートにも、人は多かったけど行ってよかった感満載で、ほっとする。

▲彼女のツイートには駐車場でのエピソードが写真つきで紹介されていて。
ワイパーに挟んであったという手書きのメッセージ。これが一台づつにあったそうで。
「お帰りなさい。お先に帰らせていただきました。(中略)お車を出したあとロープを元に戻しておいてください。本日はありがとうございました。お気をつけてお帰り下さい。スタッフ一同」
メールにはその日出会った吉野の人らがみな親切であけっぴろげでいい感じやった~とあって。

▲直接ではないけど関係者でもある旧友に知らせたくてさっそくメールする。
観光にかかわる家業のもとで大きくなって、お客さんに当たり前と思うことをしただけでも、うれしい反応を聞くと、「よかった!」と思うから。してもらって「うれしかったこと」はちょっと照れくさくても思い切って「伝える」ことにしてる。
彼からはすぐに「うれしいメールありがとう!」と山の桜の動画付きで返事があった。(わたしまでお花見させてもろた。おおきに。)

▲そういえば、前に『ひとりの午後に』(上野千鶴子著)で、著者のふるさと金沢への思いを読んで、共感したことを思い出した。(ここにも書きました)
【とりわけ金沢という街は、過去が澱(おり)のように溜(た)まって、変化を拒む土地がらだ。ものごとが堆積し発酵する、腐臭すれすれの匂いがする。】

ふるさとゆえにきびしくどこか屈折した眼でみてた地。わたしも六十すぎて、絡まった糸がようやく少しづつ解けてきたんやろか。遠くのひとにほめてもろて、うれしいはずかしいうれしいきもち。

▲そうそう。駐車場のことおしえてくれた彼女は、なんと某所にてわたしの姉と会う(もちろん、その時はどちらも「わたし」つながりとは つゆ知らず)というサプライズまであって。あとでわかってびっくりしたり大笑いしたり。
そんなこんなを相方やら別の友人やら、姉に母に、としゃべりまくって、久しぶりに吉野、吉野の時間なり。

▲そして、ふっとおもう。
もし「わたし」を介して会えるんやったら、この春遠いとこにいってしもた友だちが、もっと前のやっぱり春に 駆け足でいってしもた友だちとあえたらええのに。「あの子は食い意地はってるわ、しゃべりやわ、で、どうしようもなかったな」と、はじめましての挨拶もそこそこに、空からわたしのことクサして笑うてビールで乾杯してくれるとええのに。
春はいつもにぎやかでさみしい。
「花びらの空に遊びて降りて来ず」 
(長谷川櫂句集『吉野』櫻花壇(六))



 *追記
その1)
よしのの時間といえば、ちょうど同じころ旧友と前登志夫さんの話に。そういえば桜の今ごろ亡くならはったんでした。(→ここに書きました)

その2)
きょう書くつもりで、書き始めたブログやったんですが。時間切れ(苦笑)
高山なおみさんの本三冊。
料理研究家という肩書ゆえに、これまで素通りしてたけど(!)料理とひとの話はどれも著者の誠実な(たぶん)ひとがらがにじみ出て。うそがない。このひとの拵えるごはんは旨いやろなと思いました。
『フランス日記』『帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ。』『たべる しゃべる』

その3)
おなじく書きそびれたけど、観た映画(DVD)
『マルガリータで乾杯を』かんたんによかったぁ~と言える内容じゃないんだけど、若い女の子の(前に「障がいのある」という説明がつかなくても)きもちに同調したり反発もしたりしながら~(もちろん差別や偏見に立ち止まって考える作品でもあるのだけれど)これは青春映画やなあと思いました。若いって、時に残酷でエキサイティングで、やわらかでもあり、カチンコチンであり。おもしろくてせつない。

予告編(例によって、日本語字幕ない版です→英題は”MARGARITA, WITH A STRAW”
「脳性まひ」のことは以前読んだ『わたしのこころのなか』ここに書きました)や、映画では『オアシスby wiki(イ・チャンドン監督)が印象深く残っています。この映画もう一回観てみたい。

その4)
その3で書いた映画をみたあと、”マンモインタビュー”を読んだらたまたま車いすユーザーの方でした。入院中の子どもの教育のことなど、当事者の発言ゆえ、知らなかったこともふくめよけいに響きます。

樋口彩夏さん「思いを率直に伝えれば、必ず伝わり変化する」→

その4)
きょうはこれを聴きながら。
Nina Simone - The Amazing Nina Simone - 05 It Might As Well Be Spring →

JUNE TABOR - He Fades Away→
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# by bacuminnote | 2016-04-13 23:30 | Comments(0)

「自由に生きる」

▲桜咲く。
ずっと桜がすきやなかったけど、最近は駅までの道中、何本かある桜の木の前を通ると自然に足がとまる。茶色の小さな蕾が少しづつふくらんでくるさまに見とれ、花が開いたとよろこんでいる。
すなおに桜の木だけを見ることができるようになるまで、えらい長いことかかってしもたのも、今でも「お花見」はパスしてしまうのも、生まれ育った環境ゆえやろか。
けど最近は「名勝・吉野の桜」(!)もいつかゆっくり見てみたいとおもうようになったんよね。
「身の奥の鈴鳴りいづるさくらかな」(黒田杏子)

▲この間二日つづけて京都・西陣に行って来た。
帰って来れない距離ではないものの、膝痛のことも考えてめったにない贅沢!と「ひとり京都泊」を思いついた。
わあ、久しぶりの京都や。どこ泊まろ?そのむかし一回だけ泊まったホテルフジタ。ベッドに横になった位置でちょうど鴨川が見えるんよね~よかったなあ。それから京都駅八条口にあったあのホテル、あそこは昔従兄弟が勤めてて何度か(ただで)泊めてもろたなあ・・とか。舞い上がって夢想するとこまではよかったんやけど。

▲そうそう、ホテルフジタは2011年に営業終了してたんやった。
八条口のあそこも変わったし。その上ちょっと調べてみて、どこもまず宿泊費の高いのにおどろき(長いこと出かけてないからウラシマタロウ状態!)つぎにどこも満室なのにおどろいた。

▲京都、春休み、土曜日、桜の開花・・と条件がそろっては、ホテルも、それに「近頃は山ほど出来てるで~」と聞く町家のゲストハウスも軒並み とうに満室。
友人J曰く「クミ、そら無理やで。このシーズンはな、世界中の人が京都に来てはるねんで」・・・というわけで、結局、京都寄りの大阪に住む友人M宅に頼んで泊めてもらうことになった。(おおきに!)

▲日頃こもりがちやから、たまの外出~しかも泊まりがけとなると、持ってゆくものの準備、電車から地図まで確認の上に確認して(!)周りの人らまで巻き込んで「ちょっとそこまで」のつもりが「月旅行か?」というほど大騒ぎになってしまうのもいつものことで。(すみません!)けど、おかげで二日とも愉しくおいしくおもしろく、ほんまにええ時間を過ごすことができて、出かけてよかったなあと、今なお余韻のなかでぼぉーっとしてる。

▲で、今日書こうと思うのは二日目の山田真さんのお話の会のこと。
わたしの子育て期は息子1の前期と13年後誕生の息子2の後期に分かれるんだけど(苦笑)。前期のころわたしや友だちにとっての育児書といえば松田道雄さん。後期は山田真さんやったと思う。

▲とりわけ乳幼児期の悩みのつきない頃『母の友』(福音館書店)の連載記事や毛利子来(もうり・たねき)さんらと共に発刊の『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』(ジャパンマシニスト社)や著書で、山田さんの別名「ワハハ先生」の明るさと「みんな好きなようにやればいい」的セイシンには、なんども助けられた。そうそう、氏の『はじめて出会う小児科の本』は友人や姪・甥への出産祝いの定番となった。

▲だから、わたしの中では山田真さんっていうとまず「小児科のセンセ」のイメージなんだけど。この方じつは小児科医としてだけでなく、「障害児を普通学校へ・全国連絡会」の世話人であり、森永ヒ素ミルク、水俣病、スモン病と、公害や薬害の被害者支援にかかわり、最近では福島での医療相談会や西東京市内での市民放射能測定所の運営にも・・とじつにいろんな活動をしてはる。けど、つねに根底に流れてるのは小さいもの、弱いものへの共感、それに「ワハハ先生」とよばれる明るさとユーモアなんよね。

▲そんな山田さんが、京都で、しかもカライモブックスで(←親子共々大好きな古書店+ファミリーです)お話会、というスペッシャルな企画。
山田さんの講演は2006年に『インクルーシブ教育を考えるシンポジウム』を聴きに行って以来~何より今回は大きな会場の講演ではなく、本の森に囲まれた中、間近で「お話」が聴けるということでとても楽しみにしていた。会のタイトルもカライモさんらしく『ワハハ先生、山田真さんの声を聞く~水俣・森永ミルク中毒・福島・こどもなどなど、ワハハと』。

▲さて、友人宅で泊めてもらった翌朝(つまり二日目の朝)Mのジッカに寄って、何年ぶりかに彼女のお母さんに会った。
その昔は第一線でバリバリ仕事してはって、会うと緊張するお母さんだったけれど、今は「センパイ!」と呼びたくなるような近しさを感じた。80過ぎても背筋はすっと伸びきりりとしてはるんやけど、笑顔がまぁるくて。なんだか母が重なって愛おしいようなきもちで、思わずハグしあった。

▲そんなうれしい再会のあと、Mが駅までやなく、いっそ京都まで送ってってやろうと言うてくれて。思いもかけず京都までドライブと相成った。
市内に入り、本願寺の前あたりを通ると、なつかしさがこみあげてくる。暮らした時間も過ごした時間もほんの数年なんだけど、十代の終わりからの数年という時間はその後の自分にとても大きいものを残してるんやなと改めて。そして傍らナビを見ぃ見ぃ、京都の町なかの一方通行の道を避けながら運転してくれてる友もまた、そのころに出会ったんよね。

▲それにしても、J曰く「世界中のひとが集まってる」とこやし、渋滞が気になってたんだけど、思いの外早く目的地・西陣に到着。Mもすべりこみで参加できることになり二人近くのコンビニでトイレ休憩。
車椅子も入れる大きなトイレと普通のトイレ2つあって、ええなあと思った。(というか、これがあたりまえの設備なんである)
やがて時間になってカライモブックスに行くと、三々五々ひとが集まってくる。あれ?どこかで見たひとやなあ・・と思ったらコンビニのトイレ待ちにて出会った方。カライモさんに「あれ?お知り合い?」と聞かれて「いま、ついさっき、そこのトイレで」「って、ほやほややなあ」と言うて笑い合う。はじめての人が多いなか空気が緩む瞬間だ。

▲そうして、山田さんのお話が始まった。
最初に悪者扱いされているピロリ菌にも良い働きをしている面がある~という話から。理系の話はまったく頭がついていかないので、正確に再現するのはムズカシイんだけど(すみません)
ウイルスや細菌も共生しようと努めている、ということ、身体にとって悪いものを撲滅するという考え方は身体を人工的につくりかえてしまう・・という話にも深く頷く。これって優生思想に繋がるよね。

▲医学の限界、ということで、病気との因果関係について。
事故でも公害でも、つねに被害者は因果関係の証明を求められるけれど、病気と何かの因果関係の証明はとても困難だということ。そして、その困難さを武器に「つねに」加害者側は被害者を切り捨てる、ということ。

▲見てわかる怪我は証明しやすいけれど、「痛い」「だるい」「かゆい」といった感覚の問題は、なかなか証明できないものだ。
「子どもなんかはこれで大人に怒られたりするんだよね。痛いとか言ってるけど、ほんとは何ともないんでしょ。学校行くのが嫌なだけなんでしょ~みたいにね。」
山田さんはこんなたとえも紹介してくれはった。
「元々頭痛持ちのひとが風邪を引いて、熱もあって、転んで頭を打って、頭痛なんだけど。さて原因はなに?」という話。これは放射能の被害を考えるうえでも、必ず問題になること。
かつて水俣病が森永ヒ素ミルク中毒がそうだったように。

【今、わたしには、空襲被害者も、水俣病患者も、福島をはじめとする原発被災地の住民も、同じように見える。「国の政策のために国民は一定の犠牲は耐え忍ばねばならない」とする論理によって切り捨てられるのである。

思えばわたしの医者になってからの四十数年は、切り捨てられようとする人たちとともに生きた年月であった。その年月を今ここでふり返ることが、一部の市民に痛苦を負わせ、切り捨てることで生き延びるという、この国の歴史を断ち切るための一助になれば、と心から願う。】
『水俣から福島へ 公害の経験を共有する』まえがきより抜粋(山田真著 岩波書店2014年刊)

▲そうそう、山田さんの隣には娘の涼さんが座っていて。ときどき「父親」に一声かけはって、そのつど会場は温かな笑いにつつまれる。涼さんには障碍があって、今回は山田さんと介助者のOさんと共に京都入りしはったらしい。父娘仲よく話してたかと思うと、とつぜん山田さんがやり込められてたり、のようすがとてもええ感じで。

▲そういえば、以前和歌山で山田さんの講演会があったとき、その企画にかかわった友人が言うてたこと。「講演がおわって、山田さんを懇親会にお誘いしたら、”今日は食事当番なので”とあわてて帰らはったんよ。残念やったけどみんなで拍手喝采した」
かっこええな、山田さん。

▲お話の会が終わっても、山田さんを囲んだり、参加者どうしで話をしてはったりしてたけど、残念ながら渋滞にまきこまれないうちに、とわたしたちは退場。
山田さんが最後に言うてはった「つらい展開だけど、無駄と思っても、むなしいと思っても、あきらめないで発信し続けるしかない」をパラパラ小雨がウインドウを濡らすのを眺めながら、何度も何度も思い返しながら、帰途についた。
みんなのおかげで、ええ月旅行(笑)でした。



*追記

その1)
山田真さんに初めておたよりをもらったのは1998年のこと。
それまで小児科医としての山田さんしか知らなかったんだけど、あるとき東大医学部闘争のことを書いたコラムを読んで、おどろいたことも感じ入ることもあり、短い感想を掲載紙に送ったのが最初でした。
(この1960年~1973年のことを書かれた『闘う小児科医 ワハハ先生の青春』→ジャパンマシニスト社2005年刊 はおすすめです)

何回かはがきのやりとりがありご著書をちょうだいしたり、その後は年に一度年賀状だけのつながりですが、考えてみたらもう18年にもなります。
先日いただいた賀状を出してきたのですが、これだけ見ていても山田さんという方がどんなひとなのかよくつたわってきます。
これからもどうかお元気に動きつづける「ワハハ先生」でいてほしいです。というか、ワハハ先生もゆっくり休めるような世の中にならないとあかんのですよね。

「つらい世の中ですが“明けない夜はない”ことを思って力を尽くしたいと思います」
「段々いやな世の中になりますが若者たちを信じましょう」
「悪しき世を笑いとばして生きていくのもなかなか大変です」
「福島の子どもたちのために少しでも力になればと動き回っています」
「福島を忘れないためになにができるか考え続けています」

その2)
カライモブックスで買った本『水俣から福島へ』にサインしてもらいました。
なまえの横に書いてくれはった「自由に生きる」がずんと響きます。

これは、山田さんとパートナーで同じく小児科医の梅村浄さん、おふたりのインタビュー記事→

 その3)
ひさしぶりに聴くLhasa De Sela - Is anything wrong(live Sunset -2009)→ 
しみる。
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# by bacuminnote | 2016-03-31 19:20 | 出かける | Comments(4)

てわたす。

▲冬眠からさめたクマみたいに のそのそ、そわそわと動きまわってる。いつもは白いカレンダーも2月3月と丸印とかきこみがいっぱいで。(←どないしたん?)
ここんとこ続いて近く遠くからひとが会いに来てくれ、わたしもまた珍しく出かけて(この間はなんと東京まで行って来た)。
友だちにそのことをつたえたら「やっぱり(ひとには)会わなあかんね~」とすぐに返事がきて。うんうんと頷く。

▲SNSやメールのたのしさも便利なことも、今や「なくてはならないもの」になってしもてるけど。じっさいに会うて顔見て話すと、いっぺんにキョリが縮まるもんね。そういうきもちの高揚も愉しさも、あ、それから時にしんどかったりするとこも。全部ひっくるめて「会う」ということなんやろなと思う。
一方で、会ったことはなくてもたしかに繋がってるだいじなひともいて。

▲とにかく、そんなこんなで、初めてのひとにも、久しぶりのひとにも出会えたんがうれしくて、食べ(すぎ)のみ(すぎ)しゃべり(すぎ)、くわえて睡眠不足がつづき、案の定体調をくずしてしまった。
根っこがひと好きやしね。ひとが集まると舞い上がり、あげくコケてしまうのはちっちゃいときからで。「あんたはすぐ調子にのるんやから~」と母のためいきが聞こえてくるようやけど。

▲ただ、前に書けなかったことを書けないまま休憩ばっかりしてたら、どんどん忘れてゆくなあと思いながら、今日は整形外科の帰りに図書館に寄ってしまった。これって、なんか試験前に本屋に行ったり、レコード屋に寄ったりと変わらへんね。
そんで、家に帰ってご飯たべたら、ちょっと横になるつもりが借りてきた子どもの本二冊を読むことになって(・・やっぱり)そしたら二冊ともすごい本で。

▲一冊は『ボタ山であそんだころ』(石川えりこ作・絵 /福音館書店2014年刊)
ボタ山とは「石炭や亜炭の採掘に伴い発生する捨石(ボタ)の集積場」のこと。炭坑の町に生まれた「わたし」は小学3年生。たぶんこれは著者の子ども時代~1965年頃のお話だと思う。
「わたし」が3年になってはじめての友だちがけいこちゃんという鉄棒もボール遊びも得意な女の子。二人とも父親は炭鉱で働いているんだけど、読んでいくうちに住んでるところも仕事も違うんやろなあと思い始める。

▲初めてけいこちゃんちを訪ねた日のこと、ふだん「わたし」が親から禁止されてるボタ山のてっぺんに登ったり「どろの川」(石炭を洗った黒く細かい泥の混じった水で川が黒く濁ってる)のブロックを飛んで川向うまで行ったり。どれも「わたし」にとって親にはひみつの初めての挑戦だ。そのときの白黒の絵の迫力というたら。読んでるわたしも(著者と同じ年生まれだ)子どもの時間に戻って一緒にドキドキする。

▲ある日、事務員さんが青い顔して各教室を回って、先生に紙キレを渡してゆく。教室の外では炭鉱のサイレンが鳴り響き、何台もヘリコプターが轟音を響かせ炭鉱の方にむかって行く。けいこちゃんも「しめわすれたランドセルのふたをゆらしながら」他の何人かの子どもたちと校門に急いで走ってゆく。

▲そういえば映画『海炭市叙景』にも、授業中に名前を呼ばれた兄妹がランドセルを背に、心細そうに廊下で立っている場面があったっけ。何度思い出しても胸がしめつけられるシーンだ。
落盤事故やガス突出事故で、あるいは海難事故で突然親を亡くす子どもたち。
この絵本の最後「あとがき」みたいな感じで、著者が子どもの頃「となりの家」のおじちゃんが酔っ払うたびにくりかえし語った話が書いてあった。

【えりちゃん、おぼえときよ、わすれたらいかんよ。山野炭鉱でガス爆発事故が起こった昭和40年6月1日、237人の炭鉱夫が亡くなったんよ。そのとき、237人の夫のいない人と237人のお父さんにいない子ができたんよ。えりちゃん、おぼえておきよ。大事なことばい】
 (三井山野炭鉱 by wiki→)

▲色とりどり鮮やかな絵本の並ぶ本棚で、黒と白の地味な絵本だけど、子どもが手を伸ばさないかもしれないけれど、それなら先ず大人が手にとって読んで、子どもに手渡してほしいと思います。ぜひ。

▲もう一冊は『日ざかり村に戦争がくる』(フアン・ファリアス作 宇野和美訳 堀越千秋絵 福音館書店2013年刊)
そう前回書けなかった講演会の話者、宇野和美さんの翻訳。(ああ、やっとここまでたどり着いた!)
この本1930年代にスペインであった内戦を背景にした物語なんだけど。「日ざかり村」というなんだか日向のにおいのするような村のイメージに、見開きの【戦争にはじめてはない】(ベルトルト・ブレヒト)がいきなり刺さる。

▲幹線道路から外れたところにある日ざかり村は【あまりにちっぽけで、あまりにへんぴなところにあったので、戦争をしかけた将軍の目にとまらなかった。けれども、戦争はあった。戦闘はよその町であった。】
それなのに、いつのまにか【たばこの値がちょっぴりあがったり、新聞がこなくなったりり、バスが二日遅れたりという、いまいましいできごととともに戦争は村にやってきた】(p26)

▲音もなく小さな村に忍び寄って、気がついたら村ごとごっそり侵食してしまう「戦争」を、抑えた筆致で(詩的で声にだして読んでみたくなるような独特の文体がいい感じで)くわえて堀越千秋さんの絵もしずかで不穏な空気をはらんでおり、だからこそ、よけいに戦争の怖さにこころが凍りつくようで。

▲村の人たちの暮らしぶりや、村人一人ひとりの性格や雰囲気が伝わってきて、短いのに密度の濃い一冊で、読後しばらくぼーっとしてしまった。
本のうしろにある「訳者あとがき」が、とてもていねいで(前に読んだ宇野さん訳の本もそうでしたが)政治のこともわかりやすく書かれており、物語の背景を知る手助けをしてくれる。
どうかこの本が子どもにも大人にも届きますように。

【私がこの作品と出会ったのは、、今から十五年以上前のことでした。何年も翻訳したままになっていたこの作品がこうやって出版され、日本で読んでいただけるようになったのは何よりの喜びです】(訳者あとがき 2013年夏)

▲さて、先日の講演会は、図書館にあったチラシ(「スペイン語圏の子どもの本へのいざない 多様な子ども時代に目をむけて」)で知ったのだけど、最初はチラシに挙げられた訳書に知ってる本がなくて(あとで見たら一冊あった)「ふうん」くらいに思って(すみません!)かばんに入れっぱなしになってたんだけど。
ふと気になって調べてみたら、宇野さんの翻訳と知らずに(というか、とくに意識せず)読んでいた本があって(『雨あがりのメデジン』『フォスターさんの郵便配達』『むこう岸には』『ペドロの作文』)そのどれもが深く残っており。なかでも『雨あがりのメジデン』はここでも前に感想を綴ったことがあるのを思いだして「ぜひ行きたい」と思うようになったんよね。

▲先着40名ということでだったので、その日は朝からそわそわ。早めに家を出たら、早すぎたみたいで、会場設営もまだで。(せっかち・・・)
主催が子ども文庫連絡会だったからか、文庫活動してはる関係者の方が多かったように思う。みんな顔見知りみたいに話してはって。こういうときは「ほんまに来てよかったんかな」とかちょっとコドク。でも、宇野和美さんのプロフィールの大阪生まれというのにリラックスして(笑)時間になるのを待った。
この日宇野和美さんのお話で一番残ったのが「手渡す」ということば。
翻訳という仕事は出版社から依頼を受けてするものもあるけど、大半は自分が発掘した本を出版社に持ち込むことから始まるそうで。

▲それが、出しても出しても「没(ぼつ)るんですよねえ~」と自嘲気味にわらう宇野さん。
「これを訳したい」という本を見つけて、出版社(編集者)に持ち込んだあとは、社内の企画会議にかけられ、ようやく本が出版されると、それが書店に並びあるいは図書館におさめられ、読者に。または文庫活動で読み聞かせの後子どもの手に。
手渡して、手渡されて、自分のとこまで届くんやなあ~とお話を聞きながら(ここでも以前引用したことがあると思う)詩人の長田弘さんのことばを思いだしていた。

【対話というのは手わたす言葉だ。翻訳もそうだ】
【翻訳というものの根っこのところにあるのは対話だ。翻訳はいわば一つの言葉ともう一つの言葉のあいだの対話の記録だ】
(長田弘著『自分の時間へ』より抜粋)

▲宇野さんのお話からもうひとつ。
【子どもの本ってどこの国に行っても、子どもがいるかぎりあるもんだと思っていたけれど。子どもの本があるのは豊かで平和な国】 【貧困から抜け出すために本を届ける】 もひびく。
ハンドアウトには宇野さんの訳書が6つのテーマに分けられてたんだけど(1.戦争・独裁 2.対立と和解 3.故郷を離れる 4.貧困 5.家族 6.友だち)とりわけ戦争や独裁政治の中での出版の困難さや、貧困ゆえに本が子どもに本が届かない現実など、本があって当たり前の暮らしをする中で(しかしこの国もまた近い将来そうなるかもしれないという恐れとともに)改めて本と政治について考えているところ。

▲お話を聴いて、教えていただいた(読みたい)本のメモでいっぱいになったノートを閉じ、感想を伝えたいなあと思うも、タイミングとわたしの度胸(!)が合わず、あっというまに閉会となった。
次回の講演の打ち合わせをしてはる宇野さんの背中をみながら、わたしのすぐ横の司会の方に、感想を託して帰ろうとしたら「あらあ、せっかくやから直接宇野さんにお話しはったらよろしいやん。ちょっと、宇野せんせー」と声をあげはったので、赤面(←あかんたれです)
でも、おかげで『雨あがりのメジデン』のことを書いたブログと、長田弘さんのことばを「手渡せた」気がして。
みたされたきもちで帰途、スキップして(あ、きもちだけ!)デパートで旨いソーセージをふんぱつして、バゲットと一緒に買うて帰った。ええ一日でした。


*追記
その1)
山野炭鉱のことを調べていたら、その日のNHKニュースアーカイブの映像がありました。→
ニュースのなかアナウンサーが ”・・・と、事故が相次ぎ、そのつど不安体制の確率が叫ばれながらも、またこのような事故が繰り返されてしまったのです”と言うのを聞きながら、原発再稼動のことを思っています。

その2)
書ききれなかったこと。
宇野さんとスペイン語のことについてのお話で、びっくりしたのはスペインへの留学が宇野さん39歳のとき、しかもお子さん三人連れての留学だったそうで。

【渡航の目的は留学だった。夫ではなく私が、10月から2年間、バルセロナ自治大学大学院に籍を置くことになったからだ。
「3人の子を連れ、夫を日本に残してスペインに留学」と言うと、渡航前も、滞在中も、帰国後も、たいがいの人が仰天した。無理もない。普段ほとんど子どもがらみで接している近所の母親層の目にも、私が3人の子持ちであることを知っている仕事関係の知人の目にも、私は留学の可能性から最も遠くにある人間だっただろうから。】
(宇野和美さんブログ「訳者の言いわけ」~カテゴリー「バルセロナの日々」より抜粋)→
 
いつだかも、ここで若いとき留学したかったなあ、などとお気楽な後悔(苦笑)を綴った気がするけれど。恥しい。結局は「できる」条件(もちろんこれは重要だけど)より、「学びたい」という強い意志と行動力なんやなあと痛感しました。
この留学のお話は宇野和美さんのブログで↑書かれています。続きが待ち遠しいです。そして、いつか本になるといいなあ。本にして下さい!


その3)
あ、『ポー川のひかり』 とうとう書けずじまいでした(泣)
観た映画(DVD)メモ 『コングレス未来会議』(アリ・フォルマン監督)と 『ジプシーのとき』(エミール・クストリッツァ監督)

東京では、帰途たべるpaulのカスクート以外 唯一の買い物は『小鳥来る日』(平松洋子著)でした。

その4)
今日はこれを聴きながら。
音楽ってええなあ。
Gaelynn Lea: NPR Music Tiny Desk Concert→

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# by bacuminnote | 2016-03-19 15:02 | 本をよむ | Comments(2)

しっかりしなはれ。

▲目が覚めたら、外がぱあっと明るくてええお天気で、電話してみたら母も元気やったし(←体調は「日替わり定食」やそうで)それにデイサービスにも行かない在宅日。肝心のわたしの足もまずまず・・・と各種条件が整ったので(!)大急ぎで洗濯物干し終えて、ちょっとおしゃれもして出かけることにした。1月に友の個展を見に行って以来のドキドキ「遠出」である。

▲久しぶりの電車やから、地下鉄のなかで目をつむって乗り換え駅のエレベーターやエスカレーターの位置を思い起こす。
エレベーターはたいてい広い駅構内の端っこで、そこまで行くのにくたびれるし、降りてから目的のところまで歩くのがまた大変。一方エスカレーターは大きな駅だと設置場所がいくつかあるんやけど、上りと下り両方あるとは限らなくて。「上り」しかないところが多いんよね。

▲わたしは膝痛になる前は「上り」が堪えたけど、いまは「下り」がつらい。
ネットで検索してみたら、上りより下りが大変、エスカレーターの「下り」がないのは困る~という人がけっこう多くて、「そうそう!」とパソコン画面にむかって共感の声をあげている。

▲けれど、多いというても、足の弱いひと、障碍や病気をもつひと、それにお年寄りは「健常者」にくらべたら少数なわけで。
ネットに複数あがってた”エスカレーターというのはキホン健常者の「階段の上りはキツイから」という考えで設置されているのだろう”~という意見にも、なっとく。
もちろん「上り」がつらい人もいてはるんやから、両方必要です。

▲くわえて思うのは、その場所(表示)が とてもわかりにくいこと。
わたしが方向おんちというのもあるけど、それでなくても移動困難な人が右往左往して探すことになるんよね。そして、こういうところにも、駅が(会社が、この国が)どんな乗客(ひと)を一番に考えて動いているかというのがよく現れていると思う。

▲車いすで行動している知人の話、姉や友だちが孫のベビーカーを押すようになって、駅や施設のエレベーターの不便さに改めて気づいたと、言うてるのを耳にして。自分もまた杖ついて出かけて(はじめて)見えてきたことも多い。けど、どんなことも、自分の身に起こらないとわからへんというのでは、経験が追いつかへんから。
そこは想像力をはたらかせないと、と思う。そしてその想像力の元は何かひとつでも「深く」「知る」(知ろうとする)ことから始まる気がする。

▲さて、乗り換え駅に着いて、いつものようにシュークリームや天ぷらを買うて特急電車に乗り込んだ。
がらーんとした車内。この時期によしの方面に観光で行く人はいてはらへんのやろね。桜の季節より紅葉のころより、いま時分の山や川の方がええのになあ~と「元・地元民」は右側窓際(川が見える)の席につく。
よく効いた暖房のなか、さっき買ったごぼ天、白天、しょうが天に小海老寄せ・・揚げたて天ぷらのにおいがぷーんとする。

▲発車してすぐに、後ろの席からはリズミカルな鼾が聞こえ始め、斜め向こうのカップルは職場の話から芸能人の近況(苦笑)経済の話、と幅広くてたのしそうだ。
わたしはもってきた『ミラノの太陽、シチリアの月』(内田洋子著・小学館刊)を開く。再読やのになんか初めての気分で読み始める。
ていうか、この方の本は何故か読むたびに初めて「話を聞いている」感じ。もちろん聞いてる(読んでる)うちに、うすぼんやりとした絵がだんだんはっきりして、そうそう、そういう話やったな~と思い出すんやけど。しばらくすると又「お話」を聞いてみたくなるんよね。

▲途中停車駅で、はっと顔をあげると試験だったのか、平日の11時すぎなのにホームは制服姿の高校生であふれていた。
紺のブレザーに、ころころした金ボタン、ちょっと縦長の襟の白いブラウスにはエンジのリボンが結ばれて。ボックスプリーツのスカートがホームをぬける風でめくれて、女の子たちがさわいでる。

▲きゃっきゃっ笑う声が車窓のむこうから聞こえてくるようで。そんで、そんな中にかつての自分や友だちの姿が一瞬見えた気がして、どきんとする。
あんなにきらってた「ガッコ」や「制服」やのに。(そして、いまも「制服」はきらいやけど)なんだか胸がいっぱいになって。そんな自分にちょっと戸惑うてるうちに電車は又ガタンガタン揺れながら進み始めた。

▲そのうちカーブや揺れと軋む音がはげしくなって、トンネルをぬけて故郷の駅に着く。
暖かな車内から降りると、ホームは冷凍庫を開けたみたいにつめたくて、足元から一気に冷えがのぼって。ああ、よしのに帰ってきたなあと思うのもいつものこと。
改札を出ると、姉が車の中で身をよじってこっちに大きく手を振っているのが見えた。まえに贈った赤いカーディガンがよく似合ってる。

▲普段はあまりやりとりしてないのに、喋り出したらとまらないのはやっぱり姉妹ゆえ?母に聞かれて困るということもないんだけど、家に着いてもなお車の中で二人話し込んで。
「あ、早う降りんと、お母さんが遅いなあ~ってやきもきしてるで」と笑いながら、やっと車から出る。

▲夏がくると母は93になる。
ここ数年よしのに行くとき、母とはこれが最後かもしれへんしなあ~とか、ふと思ったりするんだけど。
実際会うと元気づけるつもりが、その好奇心と向上心にうちのめされ(苦笑)
「あんたら、まだ若いねんからしっかりしなはれ」と 負けん気のつよい女の子がそのまんま93になったみたいな母に ハッパかけられて帰ってくることになるんよね。

▲女三人話は途切れることなく・・・予定より2本遅らせたけど、あっというまに帰る時間になって。
「ほな、またな」と母とハグ。「また」「こんど」が長くつづきますように~と思いながら姉の車で駅に。
夕暮れどきの川がしみじみとうつくしい。
駅のホームの椅子は氷みたいに冷たかったけれど、母や姉がなんべんも言うてた「よう帰ってきてくれたなあ」という声が耳元に残ってて、「家」をおもう。
そして、そうか~電車が来るのを待ってるここもまた「ホーム」やなあと思う。

▲やがて単線の駅に似合わないぴかぴかの特急電車がきて。
しばらく、ぼーっと窓の外を眺めてまた本を開いた。
見開きにあったことばは、そのまま内田洋子のエッセイの、というかジンセイそのもので。電車の揺れも軋む音も本読みの背景のような気がした。

”Il sole le nuvole, la luna sul mare.”
「雲間からも日は差し込み、闇を照らす月もある」


*追記

その1)
じっさいは駅の「ホーム」はプラットフォーム (platform) で、ホーム(home)とは関係ないんですけどね。
電車が発車して帰ってくるのは、なんかhomeみたいやなとおもったのでした。
(「鉄道駅において旅客の列車への乗降、または貨物の積み下ろしを行うために線路に接して設けられた台である。日本では多くの場合、「プラットホーム」、略して「ホーム」と呼ばれる。古くは歩廊と呼んだ。」by wiki)

その2)
ふだん根が生えたみたいに出不精なのに、このよしの行きの後、長いこと観たかったイタリア映画『ポー川のひかり』(エルマンノ・オルミ監督・脚本)の上映会が近くの公民館であることを知って出かけ、翌日は翻訳者・宇野和美さんの講演「スペイン語圏の子どもの本へのいざない」を聴きに行く、という行動派に(笑)
もしかしたら、よしので母にハッパかけられたからやろか?
このふたつのことはぜひ書き留めておきたいので、次回かならず(と書いて忘れれんようにしよう)


その3)
それから映画(DVD)もいくつか観ました。このどれも伝えたいことだらけやから、近いうちに書きます(つもり)
『さよなら人類』
『ぼくらの家路』
『明日へ』

その4)
きょうはこれを聴きながら。
Laurent Petitgand - Parfums (Version gastronomique)→
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# by bacuminnote | 2016-03-05 10:44 | yoshino | Comments(2)
▲この間から庭の梅が白いのも紅いのんも満開で。
なんでか今年は特別かいらしくて、日に何べんも外に出て眺めてる。
あげく めったに使わないデジカメで(←ゆえに充電から始めて)写真撮って、友だちに送っては花じまんして。
案の定「どないしたん?」と笑われてるんだけど。

▲そういうたら、相方も昨日「ネジ買いに」ホームセンターに行って、つるバラの小さな鉢を買うて帰って来てびっくり!花なんて買ったの、生まれて初めてちゃうんかなあ。何より、フウフでずっと「花より団子」だったはずが。
ふたりとも、どないしたん?(笑)

▲相変わらず絶望的なニュースばっかり耳に入ってきて、ほんま、いやになるけれど。
ふと見上げた空の青が、すきとおって引きこまれそうやったり、洗った布団カバーが一日でからりと乾いたことや、ええかげんに拵えた煮物が結構おいしかったり。遠いとこから便りが届いて。そんで、靴箱の上のつるばらの鉢と目が合うたりすると、顔上げてちょっと背筋も伸ばしてみて。前むいて歩こか~という気になる。
春も近いんやしね。

▲前回「追記」にも書いた『イタリアからイタリアへ』(内田洋子著)を昨日読み終えた。
このかたの文章はとても緻密。それなのに無駄がないから読みやすくて、一晩のうちに読んでしまいそうな気がするんだけど。
なぜかふしぎに走れないし、とばせないんよね。
丁寧な描写に(うまいなあ、すごいなあと)魔法にかかったみたいに、立ち上がってくる映像と文章を被せながら、ゆっくりだいじに(ブレーキ踏みながら)読んでるからかもしれない。いや、何よりすいーっと流れるようでいて濃密やからか。

▲今回は著者がかつて留学したイタリア南部~ナポリの街、学生時代のことが詳しく語られて、とても興味深く読んだ。
以前イタリア好きの友人に内田本を奨めたとき、内田さんの年齢からみても(1959年生まれ)留学先を北のローマやミラノではなく、ナポリに決めたっていう辺りからそもそも「ただものやない気がするわ」と彼女が言うてたんやけど。
わたしはイタリアに行ったこともないし、北と南の雰囲気のちがいも知らないし(大阪のキタとミナミやったら、ちょっとはわかるけど・・)彼女の指摘に「へえ、そうなんや」とたよりない返事をしてたのだった。

▲この本で留学の目的が卒論のためで、その卒論も文学や美術・音楽ではなくて「南部イタリア問題」というのを知り、納得。
【一般に<南部イタリアの問題>というとき、戦後イタリアが復興していく際に、欧州他国に近い北部イタリアを優遇して諸政策が進められ、南部が発展から取り残されてしまったことを指す。】(p81第三話「不揃いなパスタ」より抜粋)

▲学生時代の彼女は【駆け足の観光旅行で回った都市部のローマやミラノでさえ、同じ国とは思えない考え方や暮らし方の違いがあった。鉄道も通っていないような半島の突端や内陸部、国境の山岳地帯や島嶼部には、いったいどんなイタリアがあるのだろう】(p90)と思うんよね。(*島嶼部(とうしょぶ)とは大小さまざまな島のこと)
そういう目のつけどころもまた内田洋子らしい。
そして、そのためには【現地の現状と背景を調べ、自分なりに考察することである。行って、見て、聞く。】と、実に潔い。

▲しかし、そんな若者が勇んで住み始めた町は、想像を遥かに超えて混沌としており。
【慢性の不況に町は荒み切っていて、少しも気を緩められない気配が漂っていた。公共の設備から民間のサービスまであちこちに不備が目立ち、何をするにも過分に時間と気力が要った。】

▲「行って、見て、聞く」といえば、研究のために南部出身のクラスメイトの実家を訪ねてゆくくだりも、おもしろかった。当たり前だけど、その家、その家の家族がいて、そこん家(ち)の空気と、もてなしがあって。家族全員、犬までもが玄関に勢揃いして迎えてくれ。「まだ若いのに、よく一人でナポリまで・・・」と、初対面の著者を涙目でいきなり抱きしめるマンマ!
遠く日本からの留学生の訪問にコーフン気味の家族のようすがうかぶようだ。

▲やがて彼女はイタリアでの滞在許可証をなんと滞在の終わる直前に受け取って!(その頃のナポリではこういうこともアリやったそうで)留学の一年を終え、日本に帰る。(←あっけなくてすみません。その間のエピソードはぜひ本で!)
同級生たちはみな早々と就職先を決める。
たとえイタリア語を必要とされる勤め先でなくても「大学は大学。社会人になるということは、また別でしょ」と、誰も気にするふうもなく。

▲だが、彼女は決心する。
【イタリアと無関係の生活に入ることは、まるで旧友を置き去りにするような気がした。
安穏とした暮らしか、毎瞬が車線変更のような波乱万丈か。
私は後者を、一筋縄ではいかない旧友との道行きのほうを選んだ。】
(p135 第四話「暮らすと見える」より抜粋)

▲いまこれを書きながら、彼女のエッセイのおもしろさはその「毎瞬の車線変更」や「一筋縄ではいかない道行き」と、そのせいで(おかげで)出会えたあちこちの人たちと、彼らとすごした多くの時間ゆえやなあ、と改めて。
いつだかインタビューで、俳句に接し【「読者の気持ちがあって完結する書き方」があることを知った。通信社業に長く携わる者としての「材料、部品を提供する」という気持ちも、常に頭にある。】と語ってはったのをおぼえている。
つねに自己顕示はなく、「ひと」は描くけれど自身のことは決して多く語らない~のも、それゆえのことだろか。

▲そうそう
あとがきに旅をつづけてきた彼女ならではの一文がある。
読み返しながら、年々重くなってる気もする「わたしの鞄」を思っているところ。

【しかし、鞄の中身は自分のあり様そのもの、とやがて気がついた。旅の鞄が重いほど、世間に不慣れであり臨機応変に処せないという証拠だった。
いっそ身一つで。
荷を減らすと不便さに往生したけれど、代わりに知己が広がった。人に尋ね、手を借り、返礼に再訪し、点はつながり線となった。無数の旅を経て、線は四方八方へと延びている。ぷっつり途切れてしまった線もあれば、交差しながらえんえんと続くものもある。】(p273あとがきより抜粋)


*追記

その1)
内田本にはよくバールが登場します。
バール(bar)とは、イタリア、スペインなどの南ヨーロッパで軽食喫茶店、酒場のことやそうで。
第八話「巡り巡って」のなか すきな場面~ええなあ。こういうの。

【夕方になると、一日の終わりに乾杯するためにバールに立ち寄る。同じ時刻には、同じ顔ぶれがいる。毎度、注文するものも同じである。互いに名前も素性も知らない。尋ねたりすることもない。一杯飲んで、「それではまた」。素っ気ないのが一番の気遣いだ。近しいようで遠い者同士が、カウンターに並んで一言二言、交わす。その日のミラノをつまみ食いする。】(p266)


その2)
フィガロジャポンのウェブサイトに内田洋子さんの連載コラム「イタリアの引き出し」があります。
ここから始まり、最新号はもう136回です。

その3)
まだ読み始めたばかりですが、光文社古典新訳文庫『虫めづる姫君 堤中納言物語』(作者未詳)の訳者は詩人 蜂飼耳さん。このシリーズは「いま、息をしている言葉で、もういちど古典を」という方向性で始まったらしく。
コテンは大がいくつもつくほど苦手なわたしにも(数学も物理もあかんかったけど、古典も同じくらい「できない」生徒でした)たのしく読めそうです。
下記のインタビューを読んで「その気」(笑)になりました。
光文社HP
『虫めづる姫君 堤中納言物語』の訳者・蜂飼耳さんに聞く →


その4)
今日はこれを聴きながら。
いつだったか出先の駅ホームで、グレイトフル・デッドのレコードジャケットのTシャツ着てる若者がいて、びっくりしたのとうれしかったのとで、わあ!と声あげてしまいました。
もし、そのとき電車がこなかったら、かれに走り寄って話しかけに行ったかも(←電車が来てよかった? 苦笑)
おばちゃんも十代のころそれ聴いてたんよ~って。
Grateful Dead - It Must Have Been the Roses →
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# by bacuminnote | 2016-02-24 22:23 | 本をよむ | Comments(4)

手。

▲せや、せや、あれ~と思いだしてお年玉付き年賀状を繰る。
この頃は、もうほとんどの人が「年賀状ソフト」を使っての賀状ながら、添えられた一行の手書き文字にも「その子」(いくつになっても友だちは「あの子」「その子」)が現れて。
まだパソコンもケータイも、ワープロさえなかった頃にやりとりした手紙や、もっと昔、ガッコのころ写させてもろたノートの文字と、当時の「その子」がかぶって。
スイッチが入ったみたいに、忘れていたような小さなできごとがひょいと浮かんできたりして。
残念ながら「お年玉」の当たりは一枚もなかったけれど(一枚も!)ぽかぽか陽気の週末の朝のええ時間だった。

▲この前『”手”をめぐる四百字』(季刊『銀花』編集部編2007年刊)という本にであった。
副題には「文字は人なり、手は人生なり」とあって、手に取ると見返しの「手」の写真にどきんとする。ひとつは藍染めの古布に刺し子してる手、ひとつは器に泥を塗る手。どちらも、長年働いてきはったと思えるその手がとてもうつくしい。
「手」をめぐる四百字のエッセイは各界五十人のひとたちによる肉筆原稿(コピー)で綴られており、とてもとても興味深く読んだ(眺めた!)。

▲若い頃あこがれて真似たりした作家スタイル(!)太字万年筆文字のひと。『書きかた』の宿題みたいに几帳面な字、一度みたら忘れられないクセのある字、原稿用紙のマス目を豪快にとびだす文字あり、達筆あり・・・で、じつに五十人五十色の書き文字がおもしろい。
でもほんまに「文字は人なり」やろか~ちょっと考える。昔ならともかく、丸文字が流行ったり、いまの若い子の字も皆よく似ている。

▲「読めない”達筆”より没個性でも読みやすい今の子の字がいい」という意見も、ある意味なっとく。
それでも、自筆というのは惹かれる。
この本には作品からは想像できない文字のひともいて「素」はこの字のように朴訥なひとなんやろか~などと勝手な想像をするのも愉しかった。

▲「手をめぐる四百字」といえば、いまこれを書きながら思い出したことがある。
もう8年ほど前の春のことだ。
いつも行く図書館の入り口にあった催しの案内チラシが置いてあるコーナーで、大阪文学学校というところの入学案内チラシが目にとまった。

▲かの田辺聖子さんも作家になる前に学んではったという学校・・ってことはチラシにもあったし、その前年に放映していた朝ドラ~お聖さんの自伝的な物語『芋たこなんきん』にも登場してたしね。
そう言えば、と若い頃友人が通っていたことも思い出したりしながら、チラシを大事にかばんに入れて持ち帰った。

▲わたしが惹かれたのはそこにあった春休み中の「一日体験入学(無料)」というのであった。
シュフやし(無料)というのも魅力だった、けど。
何より信州から大阪に戻って5年が経とうとして、下の子の進学も決まり「そろそろ動こう」と思っていた時だったし。
けっこう交通の便のよいところに住みながらも、ロクに電車も乗らない出不精&方向音痴が、かなり思い切っての外出(おおげさみたいやけど、ほんまです)は、その日が三回あった体験入学の最終回だったことや、息子が「行っておいでよ」と言うてくれたんも背中を押してくれて。

▲いつものことながら、初めてのところにでかけて行く時は、ものすごく緊張して。
地図みて相方に教えてもろたり(というのも、文学学校のある街はパン屋になる前 彼が修行したパン屋のあるとこだったんよね)何度も電車の乗り換えを調べては「お、明日はNY行きか?」とからかわれるのであった。
当日、都会の人混みをかきわけ乗り換えて谷町に。

▲古びた雑居ビルの三階に上がると、掲示板に同人誌や本がぎゅうぎゅう詰めの本棚、古い机と椅子・・と、その昔の大学の部室みたいな雰囲気の一角があり。カルチャースクールのような洗練された(←しらんけど。イメージです・・笑)教室ではないけど、ほっとするようなそれでいて緊張感のある空気が流れて、気に入った。

▲その日教室に集まったのは、文字通り老若男女、十人ほどだっただろうか。最初はここで学んでいる人による原稿用紙四枚の作品を読んで合評。そのあと、チューター(ここでは「センセ」ではなくて「チューター」と呼ぶ)から出された課題に、皆の口から「おお~」というため息のような声が漏れた。

▲それは「自分の手がしたことで悪いこと(後悔していること)を書いてください」だったんよね。
子どもが小さかったときに、つい手をあげてしまったことを悔いるひとが何人か、あとは手を怪我したことを書いたひと。わたしは何を書いたのか、子どものこと書いた気がするんだけど思い出せないでいる。
というのも、ある方の発表が衝撃的だったからかもしれない。

▲銀行に長年勤めてはったという女性が曰く、
期限が来ても返金のないお家に催促の電話をするのが、融資の部署でいた自分の仕事で。その電話するときの黒電話のダイヤルを回す(自分の)手~というのであった。

▲すごいなあ。
まるで映画を観ているように、一昔前の銀行の制服を着て黒電話の前で、まだ若かった彼女が付く抑えたしかし長いふううというため息から、ダイヤルを回す じぃーじぃーという音まで、耳元に聞こえてきそうで。
ただ「自分の手」を語るだけでも、十人十色の(いや、それ以上の)経験と思いがあることに、ドキドキするようで、「一日」だけでなく 「一年間」家の外の空気にふれてみたくなったんよね。
「手」が導いてくれた機会やったと思う。

▲あらあら「手をめぐる四百字」から、えらい横道にそれてしまったけど、この本にもじつにいろんな手が登場する。
「手を合わせる」「おしゃべりな手」「傷めた手」「こぶし」「六十の手習い」「触れる」と六章。
そんななかから最後に永六輔氏の「寺育ち」を書き写してみます。

【寺育ちーーということは 子供の時から合掌する暮らしだった。
その合掌の形が氣になったことがある。
日本人の合掌は手の位置がそれぞれ無雑作なことが多い。
例えば仏教国カンボジャのシャヌークさん。
その合掌の手の位置が状況によって違う。
頭上で合掌するのは仏前。
口元で合掌するのは国民の前
そして身近な人々には胸の前。
それぞれ使い分けられている。
神道の場合 柏手をうつには胸の前が一番確実に音の出る位置だろう。
ロックコンサートの若者達は 頭上で手を打っていることが多い。
鯉を集めるのも 女将さんを呼ぶのも合掌した手を打ち鳴らす。
合掌が武器を持てない平和な姿であることは確かである。  永 六輔 】


*追記

その1)
本の中で残ったうたふたつ。

「手が好きで やがてすべてが好きになる」 (時実新子さん『たばこを挟んだ指』より)

「てのひらというばけものや天の川」 (永田耕衣さんは、この句がタイトルでした!)


その2)
文学学校はその日 一日入学のクラスが終わって、皆で近くの喫茶店に繰り出してひとしきり話したあとも、ひきつづきチューターと参加者の数人とで花見にまで行く展開に。
「読む」も「書く」も好きやったけど、若い頃もクラブやサークルにも加わったことないし、大人になってからも「同人」などにも無縁だったので、仲間に会えたようなそんな気分でその日はちょっとコーフン気味でした。

予定外のコースに帰るのが遅くなったけど、相方も息子も「ゆっくりしてきたらええやん」と言うてくれて。
帰途(念入りに調べて行ったのに、違うとこに寄ったもので、電車を間違えないよう)内心はらはらしながらも、薄暗くなった道をひとり歩きながら、つめたい風がほてった頬にきもちよかったのが忘れられません。

そうして、迷ったあげく週一回。一年間入学することにしたのでした。

その前年、わたしは銀の雫文芸賞(極貧の生活の中「書く事」を支えに戦後生き抜いてこられた雫石とみさんによる「雫石とみ文芸賞基金」がこの年終了、ということで最終回の募集だった)で、思いもかけず優秀賞をいただき賞金をそのまま入学金にあてたのでした。
古い話で恐縮ですが、雫石とみさんのことを知っていただきたくて書きました。

ここで(個人の方のブログですが)山根基世さんによる雫石とみさんについての講演が聞けます。ぜひ→


その3)
きのう待望の内田洋子さんの新刊『イタリアからイタリアへ』(朝日新聞出版2016年刊)を買いに本屋さんに。ほしい本がご近所書店にあったときは、ほんまうれしい。

『柔らかな犀の角』(山崎努著)にあった大すきな一文↓
【一刻も早く手にしたい本があって書店に向かう。気が逸(はや)って急ぎ足になる。読書の快楽はもうそのときから始まっている。歳甲斐もなく、というか歳のせいというか、息を弾ませて店に入る】


その3)
今日はこれを聴きながら。
Gareth Dickson - Two Trains →

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# by bacuminnote | 2016-02-13 15:13 | 本をよむ | Comments(0)
▲めずらしく相方が風邪ひいて寝てる。
彼がしんどいときに「~いらん?」「~しよか?」と、わたしはついつい構いすぎるらしく。
「しずかに休んでいたい」ひとを苛立たせては、あげく けんかになったりして(しんどいときやのに)
せやから今回は「~してほしい」と言われるまで、先走らず、大人しくしてるんやけど。
わたしは「構ってほしい派」なので(苦笑)寝込んだときは「~しよか?」「なんか食べたいものあるか?」とつぎつぎ聞いてくれるの大歓迎です。

▲子どものころは風邪ひいたり、扁桃腺はれたり、あたまいたでガッコ休むと、日頃超多忙な母が枕元に、体温計と一緒にサイダーとドロップ缶を丸盆に置いてくれて。
ときどき「かげんはどうや?」と、濡れた手を割烹着で拭きながら部屋を覗いてくれて。
ついさっきまで水仕事してたのだろう、つめたく湿気た手をおでこにのせて「ああ、まだもうちょっとやな」と言うと、すぐまた仕事に戻ってしまうんやけど。
襖の開く音がすると、うれしかった。

▲欠席の日の午後、少し体調がもどって布団の中で「今ごろ、運動会の練習(←きらい)とかやってるのかなあ」とガッコの様子を想像しつつ、布団でごろごろしながら、本がなんぼでも読める時間はサイコーで。
何より「びょうきの日」には母が気にかけてくれるのが、ヨロコビであり。

▲ガッコが嫌、というわけでもなかったんやけど。
家にいたかったからか、ときには仮病をつかったこともあったんよね。
豆炭あんかに体温計近づけると、思いのほか早く体温計の水銀がいちばん上の方まで伸び上がって。焦って、あわてて、腕が抜けるかとおもうほど体温計を振りに振って(これ、苦手)
ようやく37度2分位まで(←大げさにならず、さりとてスルーもできないビミョウな数値!)下げたところを母に見せ、ガッコを休んだりした。

▲せやからね。
自分の子どもにはそんな寂しい思いさせたくないとずっと思ってきたけれど。
そういうのって、逆に子どもには疎ましかったりして。繋いだ手をあっさりふりほどかれたりして、ね。
まあ、それは、それでよかったと思ってるけれど。
親子というのは、ほんまムズカシイ。

▲この間『きみはいい子』という映画を観た。
原作(著)を読んだときにはすでに映画化のニュースを聞いてたんだけど、これ、映画はきついよなあ~と思ってた。
でも、すきな監督(呉美保さん)の作品でもあり、公開された予告編をみたら、いきなり小さな女の子を若いママがはげしく怒りながら叩く後ろ姿が映って。映画やからね、ほんまに叩いてるはずはないにしても、この子役の子、精神的にだいじょうぶやったんやろか?ママの役も(尾野真千子さん)辛かったやろな。
ああ、わたしには無理かも~と逡巡してるうちにいつのまにか忘れてしまっており。

▲それからしばらくたってDVDになっているのを、レンタルショップで他のものを借りて帰ろうとしたとき、たまたま見つけて(例の「目があって」というあれです)迂闊にも予告編のこと忘れて借りて帰ったのであった。

▲で、観たら、さいしょの予想通りに、つらかった。
子どものつらい時間をみるのは、しんそこつらいから。
でも、きつかったのに、観てよかったなあと思えたのは登場する(原作に、映画に)子どもらの力。そして、同じく大人たち(むかしはみな子どもだったひとたち)の力かなあ、と思う。
何かが解決したわけでもないけど、観終わって、それぞれが前むいて立ってる姿がちゃんと想像できたし。

▲本では5つの話を、映画では3つのエピソードを同時進行で描いてる。
娘を傷つけてしまうママ。そしてそんな母娘が行く公園に集う近所のママ友や子どもたち。
いろんな子どもと親がいて(←そんなん、あたりまえなんだけどね)苦悩する新米教師。
認知症が始まりかけてる一人暮らしのお年寄りと障碍がある小学生。
外からみたら「なんてことのない」家庭も、一歩二歩と、歩を進めるといろんなものが見えてくる。

▲だから「(歩を)進めない関係しか持たないことにしてる」と言うてた人に、むかし会ったことがある。
傷つけない、傷つかない関係は、その人にとって身を守る方法だったかもしれないけれど。
ウインドウ越しに料理を眺めてるように、いつまでも減らない料理からは、見た目以上のものって 伝わってこないんと ちゃうかなあ。

▲相手に手の届くキョリ。相手の体温を感じるキョリ。
映画では「抱きしめる」というのがキーワードになっていたけど、手をつないだり、ハグ(hug)は相手にも自分にもぽっ~とあかりを灯してくれる。
虐待もいじめも学級崩壊も独居老人の孤独も障碍児を育てるシングルマザーも。
現実の問題は複雑でそんなことぐらいでびくともしないかもしれないけれど。
真っ暗な道だって、足元を照らしてくれる小さな灯りがあれば、きっと前に進めると思うから。
何を甘いこと言うてるねん~と言われるかもしれないけど。それぐらいは信じて歩きたいと思う。

▲そうそう、
劇中、虐待してしまうママにママ友の一人が、子どもの頃近所のおばあちゃんが自分のことを見ると「べっぴんさん」と言ってくれてうれしかった~と言う場面があったんだけど。(原作ではタイトルも「べっぴんさん」)
これは、著者が田舎で(四万十川の近くで大きくなったそうです)近所の人らによく言われたことばでもあるんやそうで。

▲こういうの、わたしにも覚えがある。
父は「ウチの娘はみなぶさいく~」と言うて憚らない けしからん人(!)やったけど。
近所のおばちゃんらがいつも「あんたは笑顔よしやなあ」と言うてくれるのが、ほんまうれしかったんよね。
わたしの子ども時代の写真が、どれもみな思いっきり笑うて写ってるのは、そのせいやろか。

愛読していた『子どもとゆく』誌が掲げていたことば。
「なにより大切なのは子どもが元気で楽しくいること」



*追記

その1)
このあと観た映画『秘密と嘘』(マイク・リー監督)も、読んだ本『みんながそろう日』(ヨーケ・ファン・レーウェン&マリカ・ブライン/作野坂悦子/訳平澤朋子/絵 鈴木出版2009年刊)
『人生最後のご馳走~ 淀川キリスト教病院ホスピス・こどもホスピス病院のリクエスト食』(青山ゆみこ著 幻冬舎2015年刊)も、ある意味「親子」や「家族」の物語でした。
どれもおすすめです。
『秘密と嘘』はレンタルショップにもなく、ここで買いました→

その2)
誕生日、姉に何がほしい?と聞かれて今年はウイスキーをリクエストしました♪
旨い~シングルモルト。
シアワセの琥珀色をながめながら、開高健氏の名コピー(サントリーオールド~1970年頃?)を思い出しています。
かっこいい。
わたしもウヰスキーのにあう かっこいいばあさんめざそう。
そして(今年こそ)佳い一年になりますように。 乾杯!

【跳びながら一歩づつ歩く。
火でありながら灰を生まない。
時間を失うことで時間を見出す。
死して生き、花にして種子。
酔わせつつ醒めさせる。
傑作の資格。
この一瓶。】 (開高健)

その3)
上記『子どもとゆく』リンク先の「読者のおたより」
「長野県・女」とは、わたしのことです(笑)

その4)
今日はこれを聴きながら。
Drombeg - The way love emerges→

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# by bacuminnote | 2016-02-02 17:52 | 映画 | Comments(4)

すこし背中はまるい。

▲ここしばらく徒歩15分の圏内から離れたことがなかったんだけど、この間おもいきって電車に乗って出かけてみた。考えてみたら「圏外」に出るのは(苦笑)去年の11月末以来。
今回の目的地は途中一回乗り換えがあるものの、構内のエスカレーターもすぐ近くにあるし、そこには前にも行ったことがあるし。何より「改札出てすぐ」という場所やから、さすがのわたしも迷いようがないし、ね。

▲さて、乗り換えの時間をいれても30分ほどの電車の時間ながら、久しぶりの「おでかけ」レッスンワンに、そわそわ。少しのあいだ見慣れた景色を、初めて出会うたみたいに車窓からじいっと眺めて。が、そのうち勘をとりもどして(!)持ってきた本を開く。ああ、これ、これ。この感じ~とひとりにやにやする。
電車の中で本を読むのも、本を読んでるひとを見るのもすきだ。

▲その日は何回目かの須賀敦子の『遠い朝の本たち』を読む。帰りは荷物重くなりそうだから、文庫本にしたんだけど。
右脇で杖を挟みながら、両手で本を持つと、ページを繰るのがけっこうムズカシイ。杖もつ手を左右交替してみたり、本や杖を落としたり(!)ドタバタしてるうちに乗り換え駅に着いてしまった。ふうう。

▲その日むかったのは大阪・水無瀬(みなせ)というところにある長谷川書店さん。
じつは昨年末に旧友うらたじゅんが以前『くぬぎ丘雑記』(川崎彰彦著 宇多出版企画2002年刊)に描いた挿絵の原画展開催にともなって、この本の出版者でもある宇多滋樹さんとうらたじゅんが 「川崎彰彦さんの思い出を語る」というたのしみな企画もあって。

▲「駅改札出てすぐ」という、わたしみたいな方向音痴には願ったり かなったりの会場(が、しかも、ええ本いっぱいのお店であることも)うれしく、早々と予約を入れた。
ところがその後すぐあとに、足の不調。いや、けど、その日までにはだいぶ時間もあるし、きっと治るやろうから、と思ってたのであるが。今日もあかんかったなあ、明日はどうやろ・・と思いつつ、とうとうキャンセルすることになった。

▲当日参加したひとたちが、たのしそうな様子をアップしてるのをネットでみて、友人も、それに会ってみたかった人も集まってはったことを知り、盛況ぶりがうれしかったものの、行けなかったことがよけいに悔しかった。
ふだんから「チョ~」がつくほどの出不精だけど。
「行かない」と「行けない」はやっぱりちがうよなあ~と、膝さすりながらちょっとすねたり凹んだり。
ただ、うれしいことに”川崎彰彦『くぬぎ丘雑記』の挿絵と思い出鉛筆画展" は1月15日までやっていたので、なんとか最終日までには行きたかったんよね。

▲長谷川書店に来たのはその日で三度目。
ここは外から見たら、ごくごくふつーの駅前の本屋さん。週刊誌に月刊誌、ベストセラーに実用書などがところ狭しと並ぶ。ところが店入って左端に、その前に、レジ台の横の下、そして奥に進むと、また左に、そのまわりに、と「たからもの」が、ふつーの顔して並んでるのであった。

▲そして、その「たからもの」の近くに、うらたじゅんの絵がとても自然なかんじで飾ってあって。
展覧会というよそゆき風ではなく、本の森のなかで、じゅんの描くどんぐりも小鳥も猫もフクロウも~前からずっとそこに住んでたみたいになじんでおり。
ああ、間に合ってよかった。思い切って出て来てよかったなあと、そばにあった木の椅子に腰かけて、もう一度もう一度と眺めた。
(おとこまえのお店の方が、「どうぞ椅子に座ってゆっくりごらんくださいね」と、やさしく声かけてくれはって。おばちゃんまいあがるの巻~笑)

▲そのあと「棚」から呼ばれたように二冊の本を手にとる。一冊は『マローンおばさん』(エリナ・ファージョン作 エドワード・アーディゾーニ絵 阿部公子・茨木啓子訳 こぐま社1996年刊)という小さな絵本。おもわず「わあ」と声がでた。かつて友だちに贈ったときは初版だったけど、以来19年ぶり。18刷りになっててびっくりしたり、うれしかったり。

▲森のそばでひとり貧しく暮らしていたマローンおばさんのもとに、すずめや、ねこや、きつねたちが訪れる。マローンおばさんの口癖がええんよね。
「あんたの居場所くらい、ここにはあるよ。」
ここで、じゅんの絵をみている時間にこの本に再会できたことにじんとくる。

▲もう一冊は『背中の記憶』(長島有里枝著 講談社文庫2015年刊)有名な若い写真家らしいけれど、恥しながら写真もこの本(文庫化される前は2009年に講談社から出版)のことも知らなかったのに。なんで手が伸びたのかなあ。
本屋さんや図書館ではたまにこんなふうにことがあるから、おもしろい。

▲そうそう「背中」「記憶」というタイトルに、そのときぱっと浮かんだのは母の背中だった。
厨房での母。鮎に金串をさして焼き、大鍋で山吹を煮て、ごま豆腐を練り、炊きあがった5升釜のご飯を飯台に移し、鮎の腹出しをして塩漬けする母。思い出す現役時代の母の後ろすがたは、いつも下を向いて仕事してきたせいか、すこし背中がまるい。

▲・・・と、母のことを思いながら、何の予備知識もなく手にしたんだけど、なんかしら「予感」があって、まよわず『マローンおばさん』と、それからずっとほしかった川崎彰彦さんの『夜がらすの記』(編集工房ノア1984年刊)といっしょに買った。まだまだ他にもほしい本がいっぱいあったけれど、重い荷物をもって杖ついて歩くのは自信なくて断念。だれかが「棚ごと持って帰りたかった」とツイッターに書いてはったけど、わかる。

▲そうそう『おひさまゆうびん舎』という古書店の小さなコーナーもあって、ここにすきな絵本~ナバホ・インディアンの少女アニーと、死を間近にした祖母との物語~『アニーとおばあちゃん』があったことも、とてもとてもうれしかった!

▲用意してきたリュックに本を入れて帰途に。
電車の中で読み始めた『背中の記憶』は、なんと著者が古書店で思いもかけずアンドリュー・ワイエスの本に出会うところから始まるのだった。

【はじめて訪れる古書店で、ワイエスのような作家の本に出会うことは、知らない土地をあてどなくぶらぶらしていて、ばったりと幼馴染みに出会うようなものだ。】(p11)

つい、さっきまでいた本屋の空気を身にまとったまま、こんな文章に会えるやなんて。
そこからはもうノンストップ。おじいさんのように股のあいだに杖をはさんで(笑)夢中で読んでたら、もうちょっとで乗り換え駅を通りすぎてしまうとこだった。

▲そうそう。
この本は「講談社エッセイ賞」を受賞したエッセイなんだけど、あとがきで彼女がきっぱりと(←たぶん)「エッセイと呼ぶことに抵抗がある」「記憶は事実たりえない」と書いてはって、共感。

【写真と同じように身近な人々を題材としているが、わたしの撮ったセルフ・ポートレートや家族写真が、本人や本人の生活の真実を語ることがないように、ここにあるのも、わたしが実際に経験したはずの出来事とはまた別の物語である。】(p248)

▲この作品を著者は、子どもがまだ小さいころに、子どもが寝たあと珈琲をのみながら執筆して、翌朝は保育園に遅刻して先生を困らせた~というエピソードがあって。そんな夜更けのダイニングテーブルが浮かんでくるようで。
今回 本の内容は著者と祖母をめぐる家族の物語、というほかは書かないでおこうとおもう。もしすでに読んだひとがいてはったらその人と。ここを読んで、読もうと思った人と、いつかこの「物語」のことや、みんなそれぞれが持ってる「物語」について、話がしたいです。

▲長島有里枝さんの文章には写真家ゆえの「眼」の精巧さがあって。(そういうたら相方と話してるときにも、その「眼」に、はっとすることがある。カメラマンだった時間はすでに遠く、昔のことなのに。ものを観る「眼」はそのまま残ってるんやなあと思う)
それは決して甘くなく、せつないとかなつかしいとか暖かいとか、ありきたりなことばを拒否するきびしさのようなものがあって。改行の少ない文章に、その記憶の束に、時に息苦しく、おぼれそうになったけれど。
会えてほんまよかったです。

【パッケージに小さな金色の星で7と書かれたマイルドセブンを右手でふかしながら、左手の指先に軽く体重をかけ、たまに右や左に足を崩す。腰のあたりで、疲れたように首をかしげるエプロンの蝶々結びを、その下のくるぶしの、畳で生活する人特有の赤黒くてかさかさした座りだこを、張りを失って柔らかくなった二の腕と肘の皺を、眺めては触りたい気持ちに駆られた。子どものわたしには存在しないそれらは美しかった。伸びた背筋、吸い殻につくほのかな赤い口紅の色と、きちんとセットされた髪は、母とは違う女の人を連想させた。そこには遠回しに人を寄せつけまいとするよそよそしさと、誰かに声をかけてもらうのを心待ちにしている子どものような、おくてな人恋しさが同時に同居していた。】
(『背中の記憶』表題作p25~26より抜粋)


*追記

その1)
『くぬぎ丘雑記』も 『夜がらすの記』も残念ながら絶版です。図書館などでさがしてみて下さい。
『夜がらすの記』については画家・林哲夫氏が以前ブログ”daily-sumus2”に書いてはりました。→


その2)
いやあ、それにしても。
写真家の文章、絵描きの文章、音楽家の文章、映画監督の文章~うっとりです。

その3)
このひとのうたう”Across The Universe”がすきでした。
かなしい。

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# by bacuminnote | 2016-01-22 18:43 | 出かける | Comments(0)

森があればじゅうぶん。

▲温い。
年が明けて十日になるのに。こんなんでええのかなあ~と思いつつも、この時季に外に干した洗濯物がけっこう乾くのも、それに「いたいとこ」ある身にはありがたい陽気なんだけどね。

▲今日もええ天気で、杖つきながらゆっくり歩く。時々休憩。立ち止まって空を仰ぎ、道むこうの建設中のビル~高いとこで作業する人たちを眺め。
平日だとおさんぽ中の保育園児一団がわあわあ、それはにぎやかに通り過ぎるのを見送る。
昨日観た映画のいち場面、読んだ本のひとつのことばについて考える。
いつも歩いてる道なのに。どこがちがうのかな。たぶんこの「ゆっくり」とお陽ぃさんのおかげやね。
いたいのんが治っても、いまのこの「速度」をおぼえておこうと思う。

▲そういうわけで、今日歩きながら考えてた映画のことを書くことにした。
それは『パプーシャの黒い瞳』というポーランドの作品で。
パプーシャとは「ジプシー」のことばで「人形」という意味らしい。
黒い瞳のうつくしいこの少女はある時、木の洞に泥棒が隠したと思われる盗品を友だちと見つけるんよね。
その中に新聞か本の切れ端のようなものがあって。それはわたしから見たら、ほんまゴミのような紙切れなんだけど、パプーシャは大事にポケットにしまう。

▲そこにはジプシーが「ガジョ」(よそ者)の呪文、と忌み嫌う文字が書かれており、文字を読めないパプーシャは(ジプシーは書き文字を持たないそうだ)それが気になってならない。
何度も出しては眺め、眺めてはまたポケットにしまう。
「文字を知りたい」と思うきもちが抑えられなくて、彼女は町の小間物屋さんのおばさんにしつこく頼んで、なんとか読み書きを教えてもらうのだった。

▲そうして十五歳で演奏家の伯父さん(つまり父親のお兄さん!)と意に沿わぬ結婚後しばらく経ったある年、一族のもとに楽器修理屋のポーランド人がひとりの男性~フィツォフスキを匿ってほしいと連れてくるんよね。
この「ガジョ」との出会いは、パプーシャに大きなものをもたらすことになる。
フィツォスキは詩人で作家で、訳あって政府から追われる身だった。
彼はパプーシャがある日ふと口にしたことばに驚いて「君は詩人だ」と言う。

▲詩が何かわからないパプーシャ。彼はこう答える。
「詩とは、昨日感じたことを、明日思い出させてくれるもの」
パプーシャは言う。「ジプシーのことばでは昨日も明日も”タイシャ”よ」
文字をおぼえて以来、小さな紙切れに、改行もなくことばを綴っていたパプーシャの「詩」に、彼は才能を見出すのだった。

▲物語は時系がばらばらなまま、遠く、近く。もつれた記憶の糸が少しずつほどけてゆくときのように、行きつ戻りつ進んでゆく。
やがてフィツォフスキの逮捕状が取り下げられワルシャワの街にもどってゆくことになって。別れるとき、彼は「詩を書いたら送って」~と自分の万年筆をパプーシャに手渡す。

▲そのころ(1949年)ジプシー定住化政策が施行されて。
ジプシーは旅をしてはいけない、子どもたちは学校に行かなければならない、みんな仕事に就くことを義務づけられる。
音楽会の途中、警察が彼らを一斉に牢の中に閉じ込めるんだけど。その理不尽な扱いに怒ったあと、誰からとなく演奏が始まるんよね。心わきたつようなジプシー音楽。
盛り上がる牢の中。演奏を止めようとする牢の外の警官が、逆に閉めだされてるようにも見えて。とても印象深い場面だった。
彼らは言う。
「大地で育ち、大地で寝て、大地で食う。家など要らない。森があればじゅうぶん」と。

▲映画は全編モノクロで、ひとつひとつの場面も絵画のようで。詩的なうつくしさに満ちていて。とりわけ暗闇のなか燃える焚き火が心に残っている。
ジプシーで初の詩人といわれるパプーシャこと、ブロニスワヴァ・ヴァイスも 彼女の才能を見出し彼女の詩集を出版したイェジィ・フィツォフスキも実在の人物だそうな。

▲パプーシャが文字をおぼえたことで知った世界の広さ。
でも本が出版されることでコミュニティーから閉めだされてしまう彼女。
刷り上がった詩集が山と積まれた倉庫で、自分のことばが一枚の紙切れを越え、三千冊の本になってしまったことを、それがかんたんに消してしまえないことを知ったときのパプーシャの茫然とした表情がわすれられない。

▲「詩はひとりでに生まれて消えるもの」「読み書きさえ覚えなければ幸せだった」というパプーシャ。
機械化が手仕事を奪うように、ひとが何かを得るとき何かを失う~というのは避けられない問題かもしれないけれど。
文字を獲得することの意味を、あらためて考えている。
彼女は文字を覚えないほうがよかったのだろうか。



*いつも長い追記。きょうはもっと長い。

その1)
「ジプシー」という呼称については差別語であることを前に知って、どう書くべきか考えましたが、映画では「ジプシー」と使われていたので、今回そのまま書きました。

この呼称についてすこし調べてみましたが。(というか、ネットで「少し」見ただけでも)問題はとても複雑です。
以前わたしは「ロマ」と呼ぶのがいいのかと思っていたけれど、「ロマ」ではない自集団を表す総称を持つ集団もあるらしく、「ロマ」を総称とするのには問題があるらしく。
歴史的に「ジプシー」と呼ばれてきた人々の呼称をめぐって、現在なおさまざまな議論があるようです。

呼称だけでなく「ジプシー」について、その歴史もふくめ、自分がいかにステレオタイプな知識しかないことに、調べるたび知るたびに痛感します。そしてジプシーを取り巻く問題は(知れば知るほど)複雑です。
監督がこう語っています。

【どの社会に住んでいるジプシーも、生活条件は様々です。
映画では社会の片隅に置かれた貧しいジプシーの人たちが定住を迫られる場面も描きましたし、それから自動車に乗って、外国を行き来する豊かなジプシー、愚かなジプシーも賢いジプシーも描きました。
その状況は変わりません。ひとつの尺度で、ジプシーはこうだということはできません。なかには百万長者もいますし、貧しい人もいるということです】
(映画ドットコム/ ヨアンナ・コス監督に聞く→)

監督へのインタビュー記事はここにも→『骰子の眼』

この映画は2014年12月に死去したクシシュトフ・クラウゼと妻で脚本家のヨアンナ・コス=クラウゼの共同監督作。
あとで知りましたがクシシュトフ・クラウゼは『ニキフォル 知られざる天才画家の肖像』の監督でもありました。この作品ももう一度観たいなと思います。

その3)
パプーシャの詩の才能を見出したフィツォフスキという人も、興味深い人物です。

【1924年9月4日ワルシャワで生まれたフィツォスキは、第二次世界大戦中ナチス占領下のワルシャワで地下抵抗運動に加わり、ワルシャワ蜂起にも参加。ドイツの補寮収容所で生き抜き、戦後、祖国にもどりました。】

この紹介文、じつは ジプシーむかしばなし=1『太陽の木の枝』(フィツォスキ再話 福音館書店)の訳者によるあとがきから。
訳者はあの内田莉莎子さん、画はあの堀内誠一さん!
(わたしが今読んでいるのは1968年刊 第四刷のぶんです。上記リンク先は2002年刊文庫版です)


もう一箇所、内田莉莎子さんによる「あとがき」から引いてみます。

【民話というのは、各民族それぞれの特色はもちろんあっても、似かよったものが多いのですが、この本のジプシーの民話は、全然といっていいほど、ほかの民族のものに似ていません。
ジプシー社会の価値判断が一般の社会とあまりにも違っているためでしょうか。
物質的な富にたいして恬淡(てんたん)としていて、自由をなによりも尚び、地上で最高の宝ものは旅することとする、誇り高いジプシーの心が、どの物語にもあふれています。】


その4)
「ジプシー」を描いた映画でわたしが観たのは『ガッジョ・ディーロ』→や『耳に残るは君の歌声』→→どちらも音楽がすばらしく、サウンドトラック盤を買いました。

きょうはその中から(予告編にも少し映ってる)Gadjo Dilo - Tutti Frutti Te Kelas→を聴きながら。
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# by bacuminnote | 2016-01-11 14:49 | 映画 | Comments(2)
▲朝からええお天気。洗濯物干すのに上着なしでも平気で。
大きくひとつ深呼吸。ふと見やった梅の木の下あたり~枯れた草の陰に「千両」をみつける。てっきり自分ちにはないと思ってお隣さんからもらって生けたとこやけど。実(み)はお隣さんの方が色鮮やかだけど。
冬のちいさな赤い色はかいらしい。蹲って見てたら、背中にお陽ぃさんがぽかぽかと温うてきもちいい。

▲モノレールがそんな冬の青空を横切ってゆっくり走ってゆき、ああ、この長閑な空気は大晦日というより11月のよく晴れた日の午後のようで。
「迎春」モードでいっぱいの食品売場の昨日の喧騒が、なんだか夢のなかのできごとみたいに思える。

▲昨夜は東京からふたり組と、京都からひとり帰ってきたんだけど。
いつも早い時間からのんだり食べたりしてるロー(low?)夫婦は、彼らの到着が待ちきれず、塩抜きしたばかりの数の子をちぎり、ねかしてあった黒豆も起こしてきて(笑)アテに切った長芋もチーズもサラミにも手をつけ、ウイスキーやワインをのむうちにふたりでぜんぶ食べてしもた。
やがて全員そろって。
みんなで食べて、のむ、のむ(え?また? というツッコミには返すことばもない只今減量中の身)時間のたのしくうれしいこと。

▲その昔ここに帰省すると、義母はきまって早起きで。
一人だいどこに立ち、数の子の塩抜きしたり、お煮しめ拵えたりしてはったっけ。二番目にわたしが起きてくると「ほんなら、縁側から始めまひょか」と窓ガラスをふたりで表と内に分かれて拭いた。
自分んちは掃除もできんまま慌ててここに来たのに~と若い「ヨメ」は内心ちょっと不服に思ったんだけど。
「あんたは背ぇ高いし、ウチの手の届かんとこも拭けるし助かるわ~」と言われて、張り切って背伸びしぃしぃ窓ガラス拭いたっけ。

▲掃除が終わると、義母が予約してあった練り物~焼き通しに伊達巻、梅玉、に梅の花・・・をとりにデパ地下に行った。当時田舎暮らしだったわたしは久しぶりのデパートが珍しくて、うれしくて、地下の用事が済んでからも上階であれこれ見てしまい。帰りがすっかり遅くなって「今頃まで何してたん?」と皆に呆れられたものだった。
で、帰ってきたら、夕飯と年越しそばの支度。バタバタと、駆け足で、だいどこの大晦日は忙しく暮れてゆくのだった。

▲「何もせんでもええって言うてるのに~」「忙しないから、ちょっと座らんかい」と、夫や息子(わが相方)に言われながらも、いつも先へ先へと「食べること」の支度をしてはった義母。
昨日、デパ地下のかまぼこ屋さんで義母の好物の伊達巻や梅玉、鱧ちくわをみてたら、胸がいっぱいになる。「いつものあれ買うてきてや~」というひとは もういてはらへんし。

▲今朝起きたらわたしが一番で(苦笑)ポットの口すれすれまで珈琲をいっぱい淹れて。みんなが起きてくる前にひとり黒パンをかじりながら本を読む。
『だれにも話さなかった祖父のこと』(マイケル・モーパーゴ文 ジェマ・ オチャラハン絵  片岡しのぶ訳 あすなろ書房2015年刊)
表紙の半分はブルーグリーンの水面。船から釣り糸を垂れる漁師。上半分はオレンジ色の炎。

▲二年に一回くらいクリスマスに、お祖父ちゃんはイングランドの西のはずれシリー諸島からひとりやって来る。無口でにこりともしない祖父の訪問は、「わたし」にも両親にもうれしいものじゃない。祖父の娘である母は「わたし」にいう。
【お泊りのあいだ、お祖父ちゃんを怒らせないこと。おもちゃを散らかさないこと。お祖父ちゃんはうるさいのが好きじゃないからテレビはまあり観ないように】
何より「最悪の注文」は「お祖父ちゃんをじっと見ちゃいけない」だった。

▲ところが、子どもにとって「見ちゃいけない」はよけいに好奇心を刺激するんよね。「わたし」は最初「こっそり」見て、そのうち「じっと」見る。

【祖父が戦争でどんな目にあったか、すこしは教えられていたから、祖父の濃い青い目に、祖父のくぐりぬけた苦しみが見えた。その目が、めったにまばたきしないことにも、わたしは気づいた。夢中になって見ていると、母のきつい視線を感じてはっとわれにかえる。テーブルの下で父に足を蹴られることもあった。】

▲そんな「わたし」が夏休みに初めてシリー諸島までひとりで祖父を訪ねてゆくんよね。自分たちが暮らすロンドンとは何もかも大違いの島に「わたし」は魅せられる。
一人しずかにつましく暮らす祖父。
最初は緊張気味だった「わたし」も日に日に島も祖父の家もすきになって。大きくなると、祖父に誘われて漁に出ることもあり、そのうち祖父も語り始める。

▲かつて彼の身に起きたこと。そして妻や娘が目をそらしたこと。
表紙の炎のオレンジ色は、最後のページで夕焼けの空のオレンジ色になって、物語はおわる。
暮れの日にふさわしく、しずかに、ひとり。とても佳い読書の時間となりました。
ぜひ本を手にとってみてください。

▲さてさて
今年もかわりばえのしないブログでしたが、近く遠くの友だちが読んでくれはって、ほんまうれしい。おおきにです。
相変わらずサイテーなことばっかりの政治や社会だけど、ちっぽけな「自分」というアンテナでも、錆びつかないように、「知る」ことも「見る」ことも、そして「怒る」ことも、諦めることのないように、と思います。

▲そういうたら、先月からの膝痛で、読んだ本に【ひざの痛みがよくなっても毎日1セットの筋力トレーニングだけは一生続けるようにしましょう】とあって。「一生」ということばに思わず後ずさりしそうになったんだけど。
アンテナの手入れも一緒かもしれません。今だけ、じゃなく一生続けないとあかんのやなあ、と。

▲休み、休み、これを書いてるうちに、もう夕方。窓の外は暗く、いつのまにかつめたい雨が降り始めています。(てことは、今夜も鍋で決まりやね~)
「その前に一本つけよ晦日蕎麦」 (鷹羽狩行)

みなさま どうぞよいお年を。


*追記

その1)最近観た映画(DVD)で印象深かったのは二作品とも、以前からすきな監督のものでした。
今回もまた。

「マミー」(グザヴィエ・ドラン監督)→ 
「真夜中のゆりかご」(スサンネ・ビア監督)→

その2)
今日はこれを聴きながら。
この間観た映画(『少年は残酷な弓を射る』 ~原題は『We Need to Talk About Kevin』)のラストシーンに流れた曲。
映画はこわかったけれど、流れる音楽はどれもやさしくて。だからよけいに考えこむのでした。原作も読んでみよう。

Washington Phillips - Mother's Last Word To Her Son (1927)→
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# by bacuminnote | 2015-12-31 17:58 | 本をよむ | Comments(0)

元・子ども。

▲よく晴れた日の朝10時頃に消防署の前を通ると、日除け付きの帽子が赤いのやら青いのやらがずらり~たこ焼きみたいに(!)並んでるとこに出くわす。
園児たちは消防車のそばに立った署員のおにいさんが何か言うたびに(どんなこと言うてはるのか聞こえないけど) わあ!とおっきな声をあげて。その様子がおもしろくて、かわいらしくて、つい足が止まる。

▲ちいさい人たちの「見学」のない日でも、時々、ポンプや車の備品を点検してたり、はしご車をするする高く伸ばしたり、時間内に梯子を登る訓練をしてはったりして、これまた足が止まる。
わあ!すごい。すごいなあ~とわたしも園児なみに口をあんぐり開けて(たぶん)梯子の先を見上げてる。
立ち止まってるのは、たいてい子どもとママか、老人で。そういう「なかま」をしばし眺めてるのもたのしい。(ヒマジンやなあ) 
何より子どもらの「かっこいい!」と見上げる人らが「ぶき」を持たず、制服は迷彩柄ではなく、車が「せんしゃ」でないことに、安堵する。

▲そういえば見学の子どもらの口から漏れるのは、たいてい「じぷた」や「のっぽくん」。『しょうぼうじどうしゃ じぷた』は、いつまでも人気者やなあ。
この絵本、初出は1963年福音館書店『こどものとも』。のち1966年に「こどものとも傑作集」の一冊として発刊されたらしいから、御年51歳なり。すごい!

▲ウチの息子らもだいすきな絵本で、何度も何度もせがまれては読み(そういうたら「読み聞かせ」という言い方にはずっとひっかかってます・・)子どもらも文字を識ってからはもちろん、まだ字が読めない頃も、すっかりおぼえたお話を一字一句違わず「読んで」いたし。
ああ、あのころ近所にこんなんがあったら、どんなに喜んだやろなあ~と思いながら、目の前のリアルな赤い車に釘付けのちいさい人たちを眺める。

▲じつ言うと、最初わたしは「じぷた」や「はたらくくるま」系の絵本があまり好きやなかったんよね。
子どものすきな絵本と親がすきなそれとは時々ずれる。それでも「じぷた」みたいに、何度も読んでるうちに引きこまれたものもあるし、どこが気に入ってるんかなあ?と思いながら読んだ本も何冊かあって。

▲んなもん、年もちがうし経験もちがうし(!)好みはちがって当たり前なんやけど。
子どものきもちで~とか言うても、いくら「元・子ども」と胸をはってみても(苦笑)一旦とび出したら戻れない世界ってあるんよね。きっと。
でも時々はいっしょに絵本の空を跳べた気がする。
「とっぴんぱらりのぷう」とか「チョキン、パチン、ストン」と、本を閉じるまで~寝床で、だいどこで、薪ストーブのそばで。子どもと本を読んでる時間はしみじみとシアワセやったなあ~と今更ながら思う。

▲ウチは上の子のときから13年後に下の子が登場したので、二人とはいえ、けっこう長い間子どもの本の中ですごすことができた。
とりわけ信州の山ん中で生まれ育った息子2は、からだが弱かったり、近くに子どもがいなかったこともあって、遠出して借りてきた図書館の本を、長い冬のあいだ ほんとによく読んだ。

▲それなのに、そのころ読んだ本の話をすると息子はちっとも覚えてなくて。
保育園でも小学校でも「○君は本が好きだもんねえ~っていつも周囲から言われてたけど、あれ、わたしが好きやっただけかもなあ」と言うと 「せやなあ~読んでもらうのが好きやっただけかも」とあっさり返ってきて(苦笑)
まあ、そんな子も大人になり、いつも本がいっぱい入った重たいバックパック下げて帰ってくるけど。
「べつに今もそんな好きちゃうし」とか ヘリクツ返してきそうやけど。

▲年の暮れ、寒い夜~
本を読むのが好きな子も、読んでもらうのが好きな子も、物語の空をびゅんびゅんとんでください。
そして時々は本を読んでくれる人もいっしょに連れていってあげてね。

この時期はやっぱりこの俳句で。
「子へ贈る本が箪笥に聖夜待つ」 (大島民郎)


*追記

その1)
”ロー夫婦”二人暮らしとはいえ毎年クリスマスのころには、クリスマスの、新年には新年っぽい飾りものをしてたんだけど。今季は華やいだ気分になれなくて、何もしていません。
それでも、ご近所友が庭の千両を採りにおいで~と言うてくれはるので、いただくつもり。
濃いオレンジ色の実がグリーンに映えてキレイで、なんだか小さな希望の灯りのようにもみえるしね。

希望~といえば、以前読んだ 『きぼう こころ ひらくとき』(”HOPE IS AN OPEN HEART” ローレン・トンプソン作/千葉茂樹訳/ほるぷ出版刊) (”HOPE IS AN OPEN HEART” ローレン・トンプソン作/千葉茂樹訳/ほるぷ出版刊)という絵本を今おもいだしています。


「きぼう それは、ほとばしりでる いかりの ことば。 
はきだすことで、わかることもある。」

「きぼう それは、だれかに たいせつにされていると 知ること。
じぶんにも たいせつなひとが いると知ること。」

「きぼう それは、はいいろの くもの うえの あおぞら。
ふぶきの あとの まぶしいゆき。」


その2)
足がいまいちで、なかなか思うように動けず時々凹んだりするのですが、いやいや、こういうときこそ「沈思黙考」です(←果たして、このわたしにできるかな? 笑)

今朝から読み始めた『哲学な日々 考えさせない時代に抗して』(野矢茂樹著 講談社刊)→に「立ち止まる脚力」という一文があって、いま立ち止まっているところ。


【哲学は、「いったいこれは何なんだ」と、自分のやっていることを問い直す。人はしばしば、いや、個人よりも会社や国の方がそうだろう、立ち止まって問い直す余裕を失うほどに前のめりになる。こんな危険なことはない。

なにも哲学の問いを問うべきだとは言わない。
だけど、立ち止まって自分を問い直す哲学の姿勢は身につけてほしい。大学で哲学を教えることの意味もそこにある。実のところ、ぐっと足を踏ん張って立ち止まるというのも、相当に脚力がいるのだから。】 (p23 より抜粋)

大学に文学部不要~とかいうてる人らこそ哲学を学んでください。

※野矢茂樹さんのインタビュー記事 →

その3)
例によって書けなかった本。ツヴァイク短篇選『チェスの話』(みすず書房)

その4)
きょうはこれを聴きながら。
Benjamin Clementine - Condolence

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# by bacuminnote | 2015-12-23 11:51 | 本をよむ | Comments(0)

「ひとりの領域」

▲夜半から降り始めた雨は、こわいくらいの勢いで朝まで降って。いつまで続くんやろ~と思ってたら、起きて珈琲のんでるうちにぱたりと止んで。お陽ぃさんが燦々とかがやき始めた。
重い緞帳が上がったみたいに暗い空がぱあっと明るくなって。さあ今のうちに洗濯、洗濯・・と思ったら、洗濯機が止まった頃からまた暗転。気温はけっこう高くてぬるい風がふいて、なんだかきもちわるい。
ほんま、どうなってるんやろねえ。天も地も。あ、何より人も、人のすることも、やね。

▲買い物に出るのはやめにして、この間からの膝痛で(継続中)たまった家事のあれこれをしていたら、郵便局のバイクの音がして。なんか授業の終業ベルのごとく(苦笑)即片づけもんをほっぽって、その日初めての外に出た。
空はうすぼんやりして、昼なのか夕方なのか、わからなくなるような不思議なあかるさ。
郵便受けに手を入れると、ピザやら住宅やらのチラシに混って、本が入ってそうな厚紙封筒があった。あれ?たしか何も注文してないはずやけどなあ~と差出人を見たら、なつかしい滋賀のSさんからだった。

▲おもいがけず送ってくださったSさん初の歌集『雫のかたち』(現代短歌社)。封を開けるやさっそく読み始めて、とにもかくにも、お礼の手紙を~と思ったんだけど。その短歌にこめられたSさんの日乗に胸打たれ、たまらなくなって久しぶりに(たぶん20年近くぶり!)住所録を繰り電話する。
きっと、あちこちから「祝・出版」の電話が続いてるんやろなあ。ずっと話し中。これはちょっと長くなりそうかも~と、いったん受話器をおいて再度本を開く。

▲Sさんは滋賀・愛知川(えちがわ)でパン屋をやっていたころに知り合った方で、隣町に住んではったんだけど。お家からは車で10分ほどかかるから、パンを買いに来てくれるのはいつも運転できる娘さんのA子さん。
このA子さん、黒い細身のジーンズの似合うそれは魅力的なひとで。来店のたびに相方と「チャーミングやなあ、かいらしなあ」と話してたんよね。

▲あるとき、相方と思い立って(+思い切って)中古のピアノ(←これ、なかなかええ音やった)を買ったんだけど、ちょうどその頃彼女がピアノ教師で、ご自宅でも教室してはる、と知って。よし、家族皆で習いに行こう!と即決。おねがいしたら快諾してくださって通うことになった。

▲一方、お母さんのSさんとわたしは別ルートでも(!)知り合うのである。(パンが先か、どっちが先だったか忘れてしまったけど)それは朝日新聞・家庭面「ひととき」という投稿欄で、当時30代前半のわたしは子どものガッコや教育への疑問やら不満やらを、投稿して何度か掲載されたんだけど。その「ひととき会」(掲載者の集まり)で、Sさんは大先輩。わたしはパン屋で忙しかったこともあり、会そのものへの参加はほんの二回くらいだったけれど、Sさんとのおつきあいは続いた。

▲ひとがひとと出会い、親しくなっていくときって、あれもこれもと、こんなふうに幾重にも偶然がかさなってゆくんよね。
そうして、念願かなってA子さんにピアノを習い始め(わたしは子どものとき以来。相方と息子は初めての経験)それはもうほんまに楽しくて。
レッスンに行くたびA子さんの模範演奏にうっとり。それにレッスンが終わると毎回Sさんがおいしいクッキーやケーキを焼いて出してくださって、うれしいお茶の時間。

▲あのころのこと思い出すと、いまも頬がゆるむ。
親子三人(←息子2はまだ登場していないから)夕ご飯のあと慌てて準備して車に乗り込んで。練習するのに何度もピアノを取り合いになって。一時は本気で「もう一台ほしい」と思ったくらい。
そんな話をすると口の悪い友人が笑って「心配せんでも、そのうち一人減り、二人抜け、ちょうどようなるって」というので「そんなことはぜったいない!」と憤慨してたんだけど。

▲そのうち相方ひとりがピアノの前に長時間すわるようになり、残りふたりは「レッスンに行った日が練習日」になって。(これは、わたしの子どものころとおんなじパターン!)
何でもそうやけど、一つ目の山は「初めて」という強力なパッションで、けっこう楽しく登ることができるものの、二つ目、三つ目になると体も疲れてきて、何より「そう簡単にはいかない」ことも少しはわかってくるんよね。

▲やがてわたしたちは信州に引っ越すことになって。ピアノのレッスンもおしまいになった。
でもふしぎなことに、信州での住まいが決まったのも、また(べつの)ピアノが結ぶ縁だったし。くわえて浜松の方から、グランドピアノを譲っていただくという新たな縁もあって。
相方のピアノの腕はあいかわらずやけど(苦笑)ピアノはわが家にいろんなであいを運んでくれる。

▲そんなことを思い出してるうちに、ようやく電話がつながった。
視覚障害者への音訳ボランティアを長年して来はったSさんの美声はちっとも変わらず。とても80を過ぎているようには思えない。話し始めると一気に20年前~ひととき会の方とふたりで開田高原を訪ねて来てくださった頃に飛ぶ。
そして近況報告も20年分ダイジェストで、しゃべるわ、しゃべるわ(←わたし) 笑うわ(←二人)で、なつかしく楽しいひとときであった。

▲「消極に従順に生きて来たりしも歌のみはわがひとりの領域」
歌集さいごの方に収められたこの歌のまえで、しんとしたきもちで佇む。
82歳のSさん~この世代の女のひとたちはまだまだいろんなことを、ぐっとのみ込んで、のみこんで生きてきはった世代と思う。それでも、よくぞ自分「ひとりの領域」をもち続けてきてくれました~と40年間の短歌をまえにそう思う。

▲先日ツイッターで北の友が【『現代詩手帖』12月号で、展望の八木忠栄さんの“「天ぷら」は盛んに煮えている”で取り上げられてた細田傳造(でんぞう)さんの詩集『水たまり』が気になっていたら、代表詩選に詩集名になった詩が載っていた。胸に水たまりができた。】と、「気になる」ツイートをしてはった。

▲そしてその後、詩集『水たまり』を注文したこと、細田さんは65歳から詩を書きはじめたらしい、ということ。大阪文学学校の通信講座で一年学んだとか→。(わたしも一年行きました)知らせてくれて。
何かを始めるのに「遅すぎる」はないよねえ~というようなやりとりをしたんだけど。

▲そういえば、とわたしも『ふらんす堂通信』145で紹介されていた「丸山豊記現代詩賞」受賞の若尾儀武さん『流れもせんで、在るだけの川』という詩集や、氏が「総ての仕事を辞めて、六十五歳から横浜にある詩の実践教室で詩を書き始めた」と書いてはったのを思い出し、さっそく彼女に知らせて、お互いにその詩を手紙にて交換したところで。

▲「すき」に年齢はない。
集中力がない、才能がないとか、凹んだり、しゃがみ込んだり。壁も山もエンドレスだけど。
わたしも「ひとりの領域」をだいじにしたいと思う。いくつになっても。

「皿洗ひつつ思ひ惑ひぬ家(いへ)か家(うち)か今日の音訳の始めの語句を」
「饒舌の日のはざまにて黙(もだ)深き一日のありておのれ保てり」
「音立てず歩みひそかにもの言ふわが家に七日を過ごしし母は」
「ダイオードの光は雫のかたちして遠来し街の駅は華やぐ」

Sさん、歌集『雫のかたち』 出版おめでとうございます。
「ひとり」から発せられた短歌が 多くの人のもとに届きますように。


*追記
その1)

『介護民俗学へようこそ 』読了後、おなじ著者による 『驚きの介護民俗学』(医学書院刊)を読んでいるところ。こっちの方が先に出た本。
きょうも整形外科のリハビリ室で待ち時間に読んでたら、とおくちかく耳に入ってくる会話が、本とリンクするところがあり。なんだか映画みてるような気分でした。しかも自分もその中にいてる~というような。

最近同じ年頃の友だちとしゃべってると、ものわすれや、こけた、つまずいた~わたしみたいに痛いとこ、動きにくいとこの出てきたひとや、病気の話がよく出てくるようになりました。
いまはもう着てるものは若い子とそれほどかわらなくなった60代だけど。
身体年齢はやっぱり相応なのやなあと思います。
もうアウトサイドからではなく、インサイドで、「老い」について老いと社会について考えるとこに来てるんやなあと痛感。
駅のエレベーターが遠いとこにあるとか、喫茶店や居酒屋の椅子の座り心地とか~いろいろせっぱつまってきました。


その2)
トム・ヨークが出てるというので観た”Pathway to Paris”の(国連気候変動パリ会議の開催に合わせてパリのル・トリアノンで行われたもの)動画で、パティ・スミスがうたうイマジンにじーんときました。
若かったときの彼女とは別人みたいだけど、歌い始めるとやっぱりパティ・スミス。かっこいい。

Patti Smith-Imagine- (Pathway to Paris) 4th dec 2015→

パティ・スミス『ドリーム・オブ・ライフ』(2008年発表のドキュメンタリー映画)の予告編→

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# by bacuminnote | 2015-12-12 20:23 | 本をよむ | Comments(0)

走るということだけで。

▲ふだん家からせいぜい半径1.5km圏内ですごしてる(完結してる?)わたしが、今月は行かなあかんとこも、会いたい人も、行きたいとこもいっぱいあって、ついでにしなければならないことも山盛りで。実によくはたらき、よく出かけた。とはいえ、先月末にはぎっくり腰もやってしもたし、わたしにしたら、日ごろの何倍も動いてるしで、足腰には気ぃつけなあかんなあ~と思ってたら、案の定この間ひざに来た。

▲痛いとこがあるのは、ほんま つらいよね。
病気が原因の痛みはもちろん、頭痛に腹痛、歯痛に腰痛。それが指先のほんの小さな切り傷でも。
そこから糸を引いてからだ全体にひびく気がする。
外出が続いて疲れてるところに、気温がぐっと下がり始めたのも堪えたのかなあ~椅子やベッドから、痛くて立ち上がれず難儀した。

▲えらいこっちゃ~と、亡き義母の杖(←こんなときのために置いてあった)を出してきて、立ち上がるときも、家の中の移動のときも、お婆さんみたいな恰好で、そろ~り小さく一歩踏み出すわたしを見て、ちょうど介護の本(六車由美著『介護民俗学へようこそ!』)を読んでいた相方がぼそっと「なんかリアルやなあ」とつぶやく。

▲そういうたら電話のたびに、足が痛い、腰が痛い、おなかが痛い、と・・・「痛い」を言わない日のない母に「まあ、そんなこと言うてんと~」と、わたしが話を変えようとするのは、はげますつもり、というより毎度痛いとこの話がちょっと「かなわんなあ」とおもってる自分がいるのも確かで。それは聞いたって、どうしようもない、どうもしてあげられへんし、と思うからであって。

▲せやからね。
今回もわたしはできるだけ家族や友だちに「痛い」って言わんとこ~と思ってたんやけど。なんとまあ(もしかしたら母以上に)こぼしてる気もして。しかし、そのつどやさしく応えてくれる周囲に、ほんま心からおおきにです。
そんなわけで、これからは母の「痛い」にも、ソッコウ封じてしまわずに、ときには「つらいなあ」とやさしく聴く側にまわろ~とただいま神妙におもっているところなり。

▲そうそう、このあいだ久しぶりに映画を観に行った。
あ、まだ膝痛が出る前のこと。(けど、これ、ほんの一週間前やのに。映画館に行ったんが遠い日のことに思えてしまう)
ウチから近いところのシネコンはたいていファミリー向けか、流行りの若いタレントの出てる邦画、もしくはハリウッド映画で。観たい映画はたいてい大阪の中心地(←にがて)に出ないと掛かってなくて、いつもDVDになるまでがまんしてるんだけど。
その日ふとシネマ情報をのぞいたら、めずらしく気になってた映画のタイトルが上がってるのを発見。お昼時の上映だったので、即サンドイッチを~いや、おにぎりの方が早い!と拵えてお茶もって、バスに乗りこんだ。

▲ここに来たのは“読んでから観た” 『きっと、星のせい』(原作は(『さよならを待つふたりのために』)以来。
館内はそのときから、ずいぶんレイアウトが変わって、チケットを買うカウンターもなくなりマシンがずらり並んで、焦る。
そういうたら、図書館でも、レンタルビデオの店でも最近は自動貸出機が並ぶようになったんよね。

▲「どうやればいいのかなあ?」というおばちゃんのおろおろぶりを見てはったのか、スタッフのお姉さんが横についてくれる。
ふんふん、ほぉー。なるほどね~いまはまだ、こういうの何とか頭に入るけれど、次ここに来るまで覚えてられへんやろなあと思いながら、ぶじ?チケット購入。

▲さて、映画が始まるまであと10分。間に合ってよかったぁ。
開場は上映10分前らしいから、ちょうどいい。中でおにぎり食べて待ってよ~と思ったそのとき、まるでわたしの心の中をのぞいてたかのように「当館では当館販売の食品以外の持ち込みはお断りしています~」のアナウンス。

▲ひぇ。そんなん言われたらなあ~とすみっこの長椅子に座って、ごそごそおにぎりに巻く海苔出して来たりして。なんか所帯じみてる?
いや、けど、売店には食べたいものがないのである。何よりあのポップコーンとキャラメルのキョーレツなにおい~あれ、なんとかならんのか・・とか思いつつ、おにぎりを頬張る。

▲さて、めあての映画はフランスの『エール!』という作品だ。
主人公のポーラはフランスの田舎町で酪農を営む両親と弟と暮らしている女の子。ほかの家族は耳が聞こえないので、彼女が「耳」となって、仕事関係の話を業者に電話したり、病院で受診する親のちょっと恥しいやりとり(!)も間に入って医師に通訳したりする。それだけじゃなく、牧場の仕事もよく手伝って一日フル回転。

▲映画のはじめに朝食の場面があるんだけど、日常の音がうるさいほど大きく聞こえるんよね。(たぶん、わざと大きくしてる気がする)
料理の載ったお皿をテーブルに置く音、お皿を洗う音、ドアを閉める音~つまり、こんな音もポーラひとりだけに「聞こえてる」という表現なのかもしれないけれど。
「聞こえる」「聞こえない」にかかわらずバタバタと荒っぽい動作の人も、しずかな立ち振る舞いの人もいて。
どうも、いらいらしてるときは大きい音たててるらしいわたしは(←相方によると)東直子さんのこの短歌をおもいだしていた。
「怒りつつ洗うお茶わんことごとく割れてさびしい ごめんさびしい」 (『青卵』)

▲ある日、ひょんなことからポーラはコーラスのクラスを受けることになって。とつぜん歌うことに目覚める。そして日を追うごとに才能は芽をだし開花してゆくんよね。
学校の帰り道、自転車で走りながら大きな声できもちよさそうに歌う彼女の表情のすてきなこと。
いち早く彼女の才能に気づいた音楽の先生はパリの音楽学校のオーディションを受けることを薦めるんだけど・・・。

▲このポーラって子がとても自然体で感じのいい子なんよね。
ちょっと太めというとこも大いに気に入った(笑)
この頃どんな映画観ても、たいてい思春期の子らがみな細身なんやもん。それはそれで雰囲気もあるし、かっこいいし、個人的羨望(!)もあるんだけど。

▲ポーラが自転車で(家から学校まで遠いようで。自転車でまずスクールバスのバス停まで行く)けっこうアップダウンのある道のりを力強くペダルをこぐ姿に、うっとり眺め入る。おもうことはただひとつ。
ああ若いってええなあ。
この子が疾走するシーンも。
もう「走る」という場面だけでじゅうぶんにカンゲキしてるわたし。

▲ポーラの家族も皆ええかんじ。
それぞれが時々自分中心やったりするのも、そのことでぶつかるのも、どこの家でもよく似たようなもんだけど。何よりオープンなのがええなと思った。笑ったり泣いたり怒ったり、つねにテンションの高いお母ちゃんも、そんな彼女をしんそこ愛してる(でも、けんかもよくする)お父ちゃんも。おませな弟も。

▲思いもかけなかった娘の「家を出てゆく」話。
今まで娘の果たした役目はだれがしてくれるの?彼女の歌も聴くことができない~「何よりまだ小さいのに心配」と大泣きの母親に父親が言う。だれか人を雇おう。早くにそうすべきだった。君は、娘より、娘のいない生活を君自身心配なんじゃないか~って。
こういうきもちはわたしにも覚えがあってズキン。

▲物語は、娘の進学と恋。村長選に出ることになったお父さんや弟の恋?も描かれて。作品としては、ちいさな不満もいくつかあったんだけど。
わたしにはポーラの「走る」「歌う」がサイコーやったから、まんぞく。
そして、登場人物の3人が聞こえなくて話せないので、ほとんどのシーンに手話が出てくるんだけど。手話って、「話す」代わりのことばなんかじゃなくて。表情ゆたかなもうひとつの言語なんだなあ~とあらためて。そして、ポーラの両親のおしゃべりなこと!弟の手話もユーモアたっぷりで。

▲そうそう、音楽の先生もよかったな。ちょっと変わってるけど「音楽がすき」っていうのが全身に出てるかんじ。もう長いこと忘れてた高校のセンセを思い出した。音楽は数少ない(!)すきな授業のひとつだったんよね。神経質そうな人だったけど、「音楽がすき」があふれてたし。それまで(この前の小学生の通知簿の「歌う」が×だったように)声が低くて皆と同じキーでは歌いづらかったけど、試験のときにはわたしのキーに合わせて伴奏してくれはったし。それがきっかけで「開花」してたらそれこそドラマやけど。残念ながらそれはなかったな(苦笑)

▲すっかり映画の中に入り込んで、笑うたり、泣いたりしてる内にあっというまの105分。
館内はわたし入れてたった7人。みなさん女性でシニア料金対象者だった。(←たぶん)
映画館に行った日は、途中食べたもの、飲んだもの、出会ったひとも光景も風景も~何より出不精のわたしが「外に出た」感満載の新鮮味あふれる(おおげさ)1日やから、その映画のことはDVDとはちがったカタチでいつまでもよく覚えてる。

▲帰途、うっかりエレベーターの場所を通り越してしまい、長い階段にふうう。
踊り場で一息ついて空見上げたら、わあ!きれいな青色。火照った肌にちょっと冷ための風がきもちよく、ポーラの疾走をイメージしながら(笑)少女のきぶん。
ええ映画時間でした。


*追記
その1)
ポーラのように、聞こえない親をもつ子どもたちを「コーダ」と呼ぶそうです。
以前『コーダの世界 手話の文化と声の文化』(澁谷智子著・医学書院刊)という本を図書館で借りたことがあります。残念ながら読みかけたところで返却日がきてしまい、その後続きを読まないままになっているのですが。また読んでみたいと思っています。

映画『エール!』~いつものことながら、日本版予告編はよけいな(すまん)説明が気になって(わたしにとって意味のわからない)仏語版のほうがええ感じです。
最初に観るならこの予告編を→
つぎに公式HPをおすすめします。→
原題は”La Famille Bélier” (ベリエ)という家族の物語、という意味らしい。
それがなぜ邦題「エール」になったのかなあ?「エールを送る」のエール?
いろいろ調べてたら、フランス語で歌は「air」だとか。

その2)
思春期というたらね、この前読んだ『大人になるっておもしろい?』(清水真砂子著 岩波ジュニア新書2015年刊)の中に「毎日歌壇」で著者がであった短歌ふたつ紹介してあって。
ふたつともわたしにも又「おぼえのある」シーン。ノートに書き留めました。

「挨拶をしなくなりたる少女いて成長とはかく黙すことなり」
(嶋田武夫~毎日新聞2012.2.5)

「愛だけがわたしをすくうと思ってた今日手にとった本を読むまでは」
(李祐実~毎日新聞2010.4.18)


その3)

上記『介護民俗学へようこそ!』は相方読了後いまわたしが読んでいます。
大学で民俗学を研究していた著者が、様々な理由で大学を退職して介護の世界で働くようになるのですが。
「利用者さん」(この呼び方には何かどっか、ひっかかるんだけど。介護の世界ではみなさんこう仰るので、それに倣って)が語る子どもの頃のことや、社会人として活躍していた頃の話に著者は民俗研究者としての好奇心を刺激され、聞き書きを始めたそうで。

そこから昔食べたもの、拵えたもの、の話をきっかけに、みなそれぞれの来し方を語り始め、それに反応してまた別のひとが語り始め、グループホームの空気がなごやかになって。
ひとは誰にでも歴史があって。華やかな時代も、なかには誰にも聞かれたくない、話したくない時代もあるかもしれないけれど。それもふくめてそのひと自身なわけで。
あたりまえやけど、紙に書かれた生年月日と家族構成、病歴だけでは「そのひと」を語るのはあまりにも大ざっぱすぎるわけで。

ひとに話を聴く、まただれかに自分のことを話す、という(ひとの営みからしたら、ごくフツーのことだけど)ことのおもしろさと力をあらためて感じています。

この本、まだ途中やから、読了後書きたいと思いますが
読みながら、いま週2回デイサービス通いを楽しみにしている母のことを何度も思っています。

そうそう、義母の杖は長身のわたしには短すぎるので、のちに友人が背丈に合わせられるのを貸してくれました。で、昨日は相方が今後のために~と、わたし用のを買ってきてくれました。

その4)
きょうは劇中「ポーラ」のうたうこれを聴きながら。
Louane Je vole paroles →
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# by bacuminnote | 2015-11-29 12:06 | 映画 | Comments(0)

いつものバスで。

▲ごそごそ起き出す物音に目が覚めた。
まだ時計は鳴っていないけれど、障子戸のむこうが明るい。
相方が出かけるというのでわたしも起きて、ついでに二人分のおにぎりを拵える。天気予報をみたら、なんと晴天率100%~せやろねえ。空の青さがちがうもん。「結局起こされてしもたやん」感も忘れるきもちのよい朝。

▲湿った二日分の洗濯物も、今朝洗ったのもぜんぶ。庭いっぱいに干して。
空みあげて深呼吸ひとつ。なんだか若返ったよ~便乗早起きも三文の徳なり。
そんで明後日は雨、との予報に、急きょ墓参に行くことにした。
そのうち相方も出かけてゆき、さあ、お茶を入れたらわたしも出発~と思ったら、相方から電話がかかった。
どうやらどこかの駅で朝早くに人身事故があったらしく。ダイヤが乱れてるそうで駅も混乱状態とか。「いつになるかわからへんし、もう家に帰るわ~」とのこと。

▲おにぎり持ってどこかに出かけたくなるような、今日のこんな秋晴れのもと、一方には闇の中でうずくまってるひとも。自ら死に向かうひともいて。
あるいは遠い国々で、理不尽な死をむかえてる多くのひとたちもいて。胸が痛い。ああ、けど、痛いからめそめそするんやのぅて、しっかり目ひらいてその背景にあるものを考えないと。落ち着いて。冷静に~と呪文のように独り言。

【ものごとを広く考えることが「知」であり、その結果も「知」であるとすると、その出発点の「考える」ことの中身はつまるところ、ものごとを疑うことではないかと思うんですね。疑ったうえで筋道を立てて考えることが、「考える」ということではないかと。そのえっかが降り積もると「思想」というものになる。】
(『GRAPHICATION 』2008.5「専門主義から総合知へ」池内了:赤木昭夫対談より赤木氏のことば)

▲いつものバスが来て、いつもの席(ここは前方の空間がほんの少し広いのでたすかる)に座って、さっそく持ってきた本『大人になるっておもしろい?』(清水真砂子著 岩波ジュニア新書2015年刊)を読み始めた。
Kさんへの手紙として書かれたこの本の第二信は「怒れ!怒れ!怒れ!」と「怒」と「!」が三つも続いてるんよね。(苦笑)
けんかはいけないことだろうか?という問題提起のあと、子どもらがけんかになりそうになると、周囲の人たち、とりわけ大人は止めに入る。その結果、子どもたちの「ごめんね」と「いいよ」の氾濫になる~と、あるとき著者は学童保育に携わってきた友人に聞いたそうで。

▲そうそう。
息子が小さかった頃もこの「ごめんね」「いいよ~」の掛け合いをよく見聞きした。たいていは「ごめんね」の子も「いいよ~」の子も、ほんまに謝ったり、ゆるしたり~というより、決められたお芝居の台詞を棒読みしてるみたいで、何かいやな感じがした。でも、そこは子どものことやから?すぐまた何事もなかったみたいに、遊びに戻ってゆくんだけど。だったらあれはコーフン気味のこどもをいっときクールダウンさせるためのものやったんかなあ~いや、けどなあ・・・。

▲幼稚園や保育園で働いている著者の若い友人たちは
【私たちが言わせてるのかもしれません。「ごめんね」というほうも「ごめんね」と言われて「いいよ」と応じるほうも、どちらも納得していないのに】と言い出して。著者もまた【私たちはもしかしたら、ちょっとしたケンカにも耐えられなくなっているのかもしれないと】と思うのだった。

▲その後、著者が夫と出会い十年後いっしょに暮らし始めたときのことが書かれていて。
曰く【共同生活がスタートしてまず彼が言ったのは「我慢しない、忘れない、はぐらかさない。この三つを大切にしたい」ということでした。】(p26)
で、この中でいちばん難しかったのが「我慢しないということ」だったそうで。

▲そういうたら、ケッコンしてまだ数年のころ、年上の友人に たとえ夫婦げんかになるとわかってても、自分が納得いかないことは「納得いかへん」、相手の言うことがわからへん、おかしいと思ったら「わからない」「おかしい」とはっきり言わんとあかんよ。黙って我慢ていうのが一番あかんねん。それって問題が積もってゆくだけやからね~と言われたことがある。

▲そのときは何を今さら~と思ったんだけど。
その大切さがよくわかるようになったのは、あれから何十年もたって、「怒る」のも「納得いかへん」と言い返すことも、ものすごくエネルギーのいるめんどくさいことで、後々けんかが長引くこと思えば「まあ、このくらいええか」と思いを飲み込んで、時にあきらめたりすることもおぼえたから、かもしれない。
(それでも周囲にはあきれられるほど今なお相方とは議論もけんかも、たのしい話もいっぱいするけれど)

▲著者は「これはかなりきつい言い方であると思う」としながらもこう語る。
【夫婦であれ、親子であれ、教師と生徒であれ。対等でなければ、我慢することを選ぶ以前に、我慢することを強いられてしまいます。でも、我慢することを強いられる状況を、もし黙っていつまでも受け容れるとしたら、それは受け入れることを選択した側にも責任の一端はあるでしょう】(p27)

▲しかし、この対等な関係というのはどうしたら生まれるのか。
夫婦はともかく、親子や教師と生徒。それに兄弟姉妹でも。人間関係でシーソーが平衡を保ったような状態なんか、おそらくあり得ない。
相手より力を持っている者がそれを自覚していないと、対等な関係なんて築けない気がする。ああそうか~生まれるではなく築いていくものなのかも。そのためにも「我慢」より話して(ぶつかって)いかんとあかんのよね。

▲・・・と、そんなこんなを考えてたら、ほんの数ページしか読んでないうちに、もう終点に着いてしもた。
この日はお天気のせいか墓地には三々五々~夫婦で家族で、お参りに来てはる人がいてにぎやかで。じゃあじゃあ花入れ洗う水道の水がお日ぃさんに照らされてキレイ。ほんま墓参日和やね。
「きょうはええ天気ですなあ」
「お水がきもちいいですねえ」
義父の命日は明後日。あれから12年。
今年は義母も義父のもとへと旅立って。変わらないもの、変わったもの~この12年間をしみじみとおもいながら帰途ゆっくりゆっくり歩く。

▲変わらないものといえば。
今秋ジッカに帰ったとき母が「ええもん見せたろうか」と戸棚から茶封筒を出してきた。
何がでてくるのかと思ったら、なんとわたしの小学一年から四年までの通知表で。何故わたしの四年間(だけ)の通知表が母の手元にあるのか不明だけれど。

▲とにかく、黄ばんだそれらを開けてびっくりした。
もうちょっとデキがよいかと思いこんでたんだけど(苦笑)ちっともそんなこともなくて。記憶というのはじつにええかげんなもんである。
で、こんなんを母のもとに放置しておくのもアレなんで、この間おくってもらったんよね。

▲成績の件は横に置いておくとして。
備考欄に書かれたセンセの所見がめちゃシビアでのけぞる。
曰く
「考える力が足りない」「明朗であるが何事も大ざっぱすぎる」「文字が乱雑である」「何事も粗雑で早合点することがある」「じっくりと思考することなく先を急ぎすぎて失敗をする」
やさしかったあのセンセ、このセンセがこんなことを、たった9×1.8cmの欄に(←いま測ってみた)ぎゅうぎゅう詰めに書いてはったのか~
「歌を歌う」と「運動の技能」に×が多いのも、傷つくなあ(苦笑)

▲いやあ~小学生低学年やのに、なんでこんなことまでセンセにわかるんよ?ひどいよなあ~と相方に言うたら、そんなん(わたしを)見てたらエラわかりやろ~と返される。
はいはい。小学生のころからいっこも変わってへん、ってことですか~。

「いつまでも子どものやうで猫じやらし」(しずか)  


*追記

その1)
宮地しもんさんの『f 字孔』(エフじこう)という歌集を買いました。(ふらんす堂2014年刊)
チェロを聴くのがすきやのに、この本にであうまで f 字孔ということばの意味をしりませんでした。

【f字孔とは、弦楽器の胴体にあいているアルファベットのfの形をした孔のことです。なかをのぞくと、楽器の表板と裏板をつなぐ魂柱(こんちゅう)という木の棒が立っているのが見えます。

魂柱は楽器にとって非常に大切な命のようなものです。
  *

ふたりの子どものことばかり考えている歳月に、放っておいた私のチェロの魂柱は、いつのまにか倒れてしまっていたのです。工房の職人さんに修理をしてもらい、ふたたび音を奏でることができるようになりました。

以来、この穴に顔を近づけては、うすぼんやりとした空間をのぞきこむことがくせになりました。
とても大切なのに触れることはできず、ぼんやりとしか見えない。
このf字孔を歌集のタイトルにすることにしました。】 (あとがきより)

「f 字孔のぞけば暗き空間よ 空のつくものなべて大切」

「なぜここに青いすべり台があるのだろう こんなさびしい雪の野原に」

「世界少し傾ぐ気がせり 子が部屋の内より鍵をかくる音して」

「西空にひとはけの雲今日われは怪我したこどものように過ごしぬ」


その2)
まだ読んでいる途中なのですが。
『思い出袋』(鶴見俊輔著 岩波新書2010年刊)で立ち止まった一説。

【人は、幸運に恵まれていれば、言葉をおぼえる前に、言葉にならない音としぐさのやりとりをたのしむ楽園の時代をもつ。】
(同書 "金鶴泳「凍える口」と日本"より抜粋)

その3)
こまったことにいつも追記を書くころになって、あれもこれも書きたかったこといっぱい浮かんできます。
でも、まあ、これを聴きながらこのへんでおしまいにします。

Oliveray (Nils Frahm & Peter Broderick) - Dreamer
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# by bacuminnote | 2015-11-17 19:02 | 出かける | Comments(0)

冬となる。

▲「かくれんぼ三つかぞえて冬となる」(寺山修司)
この句を読むと、子どもの頃かくれんぼしてる途中、友だちんちのお母さんやお姉ちゃんが「ご飯やで〜早う帰っておいで」とつぎつぎ呼びに来て。
呼びに来ないウチの子がとり残された 晩秋の夕暮れどきがうかんでくる。
「わたしらだけで、もう一回しよか」と鬼になって。
電信柱に寄りかかって、目に当てた片腕を外したら、ほんの十(とぉ)ほど数えただけやのに。びっくりするほど辺りは暗くなってたんよね。

▲冬の始まりはいつもかけ足だけど~今年は早う来はった気ぃするなあ。まだ三つもかぞえてへんのに。
とにかく、わたしは先週ぎっくり腰(また)やってしまったたところだし、あわてて上から下まで冬仕様に替えて、レッグウォーマーにひざ掛け、ショールも出して「冬」に備える。
そんなわけで、
夏場は暑うて敬遠してた火のそば~夕方湯気のたつ だいどこで煮物炊きもんの番しながら、ときどき味見たりしながら、ちょっとのみながら本を読んで。寒いのは かなんけど、ああ、ええ季節やねえ。

▲このあいだ図書館に行ったら、出入口の掲示板に長いこと外したままになっていたプレート「図書館の自由に関する宣言」が元の位置に掛けられていて、うれしく、改めてゆっくり眺め入る。

第1 図書館は資料収集の自由を有する。
第2 図書館は資料提供の自由を有する。
第3 図書館は利用者の秘密を守る。
第4 図書館はすべての検閲に反対する。
図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。

▲この図書館に通い始めて(つまりここに引っ越してきて)もう10年以上になったけど、帰りのエレベーターを待ちながらこれを見るのが癖のようになっていたから。
何週か、そこだけぽっかり空いた掲示板見てたんだけど、ある時ふと、もしかしてなんか訳あって外さはったんやろか~と気になって(なんせ、もう油断も隙もない昨今のセイジやし)
館員さんに思い切って尋ねてみると「いえいえ、単に壁から落ちただけですので、そのうち掛けますね」とのことで安堵。(まあ、実際に掛けられたのは「そのうち」からだいぶたってからやったけど)【図書館の自由の状況は、一国の民主主義の進展をはかる重要な指標】(上記 宣言より)だし、ね。

▲そういえば、これが改訂されたのが1979年で(採択1954年)。
改訂版には【「図書館は利用者の秘密を守る。」が新しい第3宣言として加えられ、旧第3宣言は「すべての」の次に入っていた「不当な」が削除され第4宣言に改められた。「不当な」の文言がなくなったのは“正当な”検閲というものは存在しないため。】(by wiki )には大きく頷く。すばらしい。
ただ、ひとつ疑問に思ったこと。
改訂前の原案(1954年 主文のみ採択)→に主語は「民衆」と書かれているのに、改訂版では「国民」になっているところ。なぜ変えたのだろう。図書館の利用者は「国民」だけやない〜ひろく民衆のためのもの、と思うのに。

▲さて、
この市に図書館が誕生したのは1945年3月だったとか。つまり今年は開館70周年ということで。
このときは市役所に併設という形だったそうだけど、3月といえばまだ戦時中のこと。一体どんな本が並べられ、どんな人たちが借りていたのだろう〜と思うと興味深い。
やがて60年代後半より市内のあちこちに子ども文庫が誕生し、70年代はじめには今わたしが暮らすまちでも図書館設立への運動が始まり、ようやく1978年に開館となったらしい。

▲当たり前のように日々利用しているまちの図書館だけど、ここに至るまでは 多くの人たちの熱い思いと地道な運動があってのことだったんよね。
ところが、ここ数年は市政の財政面での予算カットとか、図書館の司書はただの貸出係みたいにしか考えてないどこやらの市長とか、あるいは問題になってる公立図書館の民間委託とか・・・図書館をめぐる環境は少しづつ、でも確実に劣化しているような気がする。

▲そんなこんなを思ってたら某出版社社長が「本が売れぬのは図書館のせい」〜みたいなことを言わはったとか。→(web朝日新聞)
人気の新刊本だからといって、十数冊も同じ図書館で買うのにはわたしも前からおかしいなあと思ってたけれど。

▲図書館で借りて、もう一度読みたくて書店で買う〜というのはよくあること。わたしは図書館で読んでよかったから、友だちへの贈り物にその本をえらぶ〜ということが多い。
図書館で借りたり、新刊書店で、絶版本を古書店で買ったり。あるいは友だちに既読本をもらったり、あげたり。贈ったり贈られたり。
本と出会う場所も、手にする方法もいろいろあって(あるから)たのしい〜 
ていうか、こんなことわざわざ書かなくても、みんなそんな感じで読みたい本を「ここ」だけやなく「あちこちで」手にしてるんやないかなあ。
(ただ、アーティスト(に限らずだけど)の生活保障というか、支援する制度は必要だと思う)

▲図書館話に熱くなってたら、本のことが一番最後になってしもたけど。
その図書館で『ああ、そうかね』(山田稔著 京都新聞社1996年刊)にこの間出会った。
本屋でも図書館でも「これが読みたい」と目的のものを探しに行って、いつのまにか隣の棚の本が気になったり・・のおもしろさは辞書でことばを調べてるときに似ているなあとおもう。
全然関係のないことばでも隣に並んでるのを読むと、へえ〜と興味がそっちに行くときみたいに。
そしてこの本も偶然のうれしい出会いだった。

▲山田稔さんの本は何冊か読んでるけれど、これは知らなかった。それにタイトルにも惹かれたので迷うことなく借りて帰って、道中にさっそく読み始める。
道中って、家から図書館までちょっとの間なんだけど、たまに足やすめに木の下で立ち止まったりするんよね。
これは京都新聞夕刊に「現代のことば」として氏が連載してはったのに数篇加えたものやそうで。
だから、だいどこで湯をわかしながら夕刊をひろげて読む気安さがあって、一篇が樹の下読書(!)にもちょうどいい長さだった。

▲いや、でも、短いとはいえ山田稔さんの文章やから。ユーモアとウイットに富んだ そして山田さんの住んではる京都風に言うたらちょっとイケズな(苦笑)視点もあって、とてもおもしろく、深く。さーっと読み終えてしまうにはもったいないエッセイ集だった。(せやから、新聞連載が本になったんやろなあ)

▲気になった表題作「ああ、そうかね」は1993年に書かれたもので。京都で開催された小津安二郎生誕九十周年記念映画祭で、氏が戦前のサイレント映画にしぼって観に行かはった話。
これを読んでからずっとわたしの耳元に笠智衆の声が聞こえてくるようで。ああ今もこれを書きながら、また頬がゆるむ。

【サイレントといういわば技術的に強いられた言葉の制約を、トーキー時代になって小津安二郎は寡黙の美学として積極的に活用した。
小津の映画は比較的セリフが少ない。笠智衆の真骨頂は黙って坐っていることにある。たまにこう言うくらいだ。
「ああ、そうかね。そういうもんかね」】(p151より抜粋)

▲そうそう、この本のことをツイートしたら小林政広監督が【懐かしいお名前に思わず反応して】【『コーマルタン界隈』が好きで、若いころあれを映画にしたいと思いました。】とリプライくれはった。
パリ滞在中「コーマルタン」を探したこともあったとか。『ああ、そうかね』を読みたかったけど残念ながら地元図書館にはなかった〜とのことで『旅のなかの旅』を読まはったらしい。(この本のことは昨年11月山田稔さん講演会後の会→で、たまたまわたしのテーブル前に座らはった!山田さんに本の中の一話についてお話を伺った本でもありました)

▲そして、数日後 ふたたび小林さんからツイートが。
こんなふうに本が人をよび、人が本をよび、つながってゆくのはうれしい。
ほんまにうれしい。

【今「旅のなかの旅」読み終えたところ。
もう35年前に旅した粉雪舞うインバネスの町を、マルセイユのユースで同室になった誇り高きベルベル人のことを思い出したり。
山田稔さんの旅は思索の旅か? ひとり珍道中の中、あたたかな観察眼が素敵だ
‪cumin‬さん思い出させてくれてありがとう、】
(小林政広監督のツイートより)

*追記

その1)
母からこのまえ手紙が届きました。
前日電話で話してたとこやからびっくりして開封したけど、とくになんてことのない手紙で、ほっとしたり、なんかおかしかったり。

「足の痛みはいかがですか。辛いでしょう。なるべく無理のない様にして下さい」
「あなたからのお電話は私にはよりどころであり、又勵みです。もう少しおつき合い下さいね」
と、むすばれており。
「勵み」という漢字を娘は読めんやろなあ〜と思ったのか(はげ)と書き加えてあったので笑ってしまいました。
じっさい「励」の旧字〜よう読まんかったけど。

便箋一枚きりの手紙は、でも、とても92歳とはおもえない、さらさら流れるようなきれいな字で書かれており(←親ばかならず 子ばかですみません)
たまには褒めてやろうと(笑)電話したら、ふふふと笑ったあと、なんか秘密を打ち明ける少女みたいに ちいさな声で「ほんま言うたらな、あんなん一枚書くのに、何枚も何枚も書き直したんよ〜」

せやったんか〜
おかあはん。
まだまだ、ながく。ながくおつきあいしましょうぞ。

「母よりの用なき便り柿の秋」(西山春文)

その2)
例によって書けなかった本の話。
干刈あがた『十二月 ドミドミ ソドドドド』(野上暁篇『冬のものがたり』所収)は
「ドミドミ ソドドドド  レレレレ ミミミミ
 ドミドミ ソドドドド  レレミレ ドミド・・」という音階から始まるんだけど、これ、聞き覚えあるなあと思ったら
やっぱり。バイエルの練習曲8番でした。→
なつかし〜い。音楽は子どものころから聴くのがだいすきだったけど、ピアノはいっこも練習せんかったので、ずいぶん長いことバイエルから
卒業できなくて、センセにあきれられてたなあ。

この話は『野菊とバイエル』に入ってるらしいので(前に読んだけどすっかり忘れてた)読み返してみようと思います。
主人公の女の子が自分のことを「オレ」と言うてるんが印象的でした。(若い女の子が自分のことを「ボク」とか言うのとはちがって)
信州で暮らしたころ、近所のおばあちゃんは「オレ」と言うてはったんをなつかしく思い出します。

その3)
今日はこれを聴きながら〜お酒はたのしんで のも。
Koudlam : 'Alcoholic's Hymn'→
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# by bacuminnote | 2015-11-04 15:15 | 本をよむ | Comments(0)

"such a gorgeous day !"

▲その日は見上げるたびに「おお」と声が出るような空の青で。
ちょうど何日か前に、若いころシアトルで暮らしてた友だちから、
"雨の多いシアトルで 青空にきもちのよい風の吹くような日には、道で会ったひとに"such a gorgeous day!"と言うんです。知らない人にでも。大阪のおばちゃんみたいやね(笑)" と、メールがあって。
それ、それ。
道で会う人ごとに「ええ天気ですねえ」と、声をかけたくなるような真っ青な空、穏やかな風。ゴージャスデイ!
じつは前の晩 よく眠れなくて、朝方はぼぉーっとしてたんだけど、このお天気のおかげでしゃきーん~となった。 天気と元気はつながってるよね。

▲その日の待ち合わせは空港内の喫茶店。
道中 今日初めて会うLさんとの出会いを ふと思い返してみる。
イギリスに暮らすLさんとはお互いのブログを通じて、親しくなったのだけど。それって、いつのころからだったろう?
きっかけはkちゃんのブログのコメント欄なんだけど。さかのぼって考えてみるに、Lさんもわたしもどうしてkちゃんとこに行ったか、というと
じつにいろんな偶然が重なって、のことで。
しみじみと出会いの妙をかんじる。

▲そうして知らんまに知り合った(笑)Lさんとはいつのまにか、たまにスカイプで(←彼女におしえてもらった)むこうがお昼、こっちが夜の時間帯に話したり、
時にメールや手紙をやりとりするようになった。どれも頻繁に、というのでなく「思い出したころに」なんとなく、ゆるーく。そして、いつも本の話で始まる。

▲母にLさんの話をすると「へえ。すごいなあ。そうでっか〜えらいもんやなあ。へえ。外国に住んではる人とパソコンで知り合うて、ほんでパソコンで話するんでっか?」と目を丸くする。〜びっくりする母の顔をみるのはたのしい(笑)
いや、ほんま、ちょっと前やったら考えられんことやよねえ。

▲根が生えたみたいに家でばかりいるわたしが、ネットで近く遠くの人たちと知り合って。
それが「オン」でも「オフ」であっても。
さいしょ「会えた」のはネット上ってことで。
いまのわたしは行動範囲がうんと狭く、ブログにも毎回おなじようなことしか書けなくて。アクティブな人の弾むようなブログを見るたび、読むたびに、そのことにちょっと凹んでたりもするけど。
それでも「書くこと」で、ひとにも、そのひとの好きな本や音楽や映画にもつながってゆけるのは、何より贈りもんみたいなもので。つづけてきてよかったなあとおもう。

▲さて。
空港の件の喫茶店は「英國屋」というなまえであった。
英国から来はるひととの待ち合わせには、あまりに「まんま」で笑える。
いや、ほんま言うと笑えないくらいわたしはキンチョウしていたのである。
スカイプで何時間も、何回もしゃべっても、いつも「画像なし」の設定で、写真の交換もしたことないから。
わかっているのは声。それから文章とおしゃべりから感じる雰囲気だけ。
わあ〜なんかどきどきするなあ。

▲そうそう、もうひとつの「どきどき」は、Lさんの英国人のおつれあいと、わたしの中1レベル英語でどう話したらいいのか。
初めは "nice to meet you"やろか?~とか。その悩みも英語力も中学1年生である(苦笑)
それなのにやっぱりなんか自分でしゃべってみたい「人好き」おばちゃんだ。
そうだ。
おつれあいもまた音楽好きな方やと言うてはったし。わたしも音楽はukのんが好みやし。あ、けど、この頃忘れっぽくていきなりミュージシャンの名前出てこーへんし、ノートに書いておこう。

▲・・・と、前夜おもいつくまま、高校生のころ聴いてたエルトン・ジョンからピンクフロイド、キング・クリムゾンにエマーソン・レイク・アンド・パーマーにソフト・マシーン・・・ちょっと前やったらRadiohead にBlurや Mogwaiもかな・・・あ、せや。アイルランドのんもすきなのが多いし、書いておこう~とか思い始めると、もうどんどん目が冴えるのであった。

▲そういうたら昔、海外旅行で同じ宿になったアメリカからの若い子と互いの国の知ってる単語を言い合ったっけ。
わたしはアメリカのミュージシャンに作家(その頃のことやから、アップダイクとかサリンジャーとかやったと思う)の名前。
むこうはお決まりのSUZUKI、HONDA 、TOYOTA から始まって、ミシマにカワバタ、映画監督のクロサワとか、なんかそういうの。そんな些細なことでも、一瞬でも「通じた」実感はうれしかったんよね。

▲あれやこれや思うてるうちに空港に。
airport〜空の港ってええよね。ことばも場所もすきで、家からけっこう近いこともあって、飛行機には乗らへんけど(!)ここには たまに来るんよね。
ぶじ「英國屋」にも着いて(空港は広いしね〜前もって空港内マップを念入りに何度も確認。当日はカウンターのおねえさんにも教えてもろて)店の前で立ってる方がわかりやすいかも~と思ってたんだけど、そのうちに到着ゲートにひとが溢れだしたので「いかんいかん、席とっておかないと 座れへんかも〜」と先に入店。

▲テーブルから人の往来をキョロキョロ(どきどき)眺めてたら、少ししてひとりの女性がやさしい笑顔で近づいて来られて「cuminさん?」「は、はい!」と起立するわたし。
てっきりご夫婦で登場~と思い込んでたんだけど(←相変わらずそそっかしい)今回はスケジュールやチケットの関係でLさんお一人の帰国となったらしく。
大阪弁でOKとわかったとたん、残念と安堵で肩のちからがぬける。で、もちろん最初は本の話。
つづいてイギリスと日本〜音楽、政治の話、若いころのこと・・・しゃべってもしゃべっても話は尽きず。予定よりはるかに長く(長旅で疲れてはったやろうに。すみません)たのしい時間となった。

▲とうとうバスの時間がきて。
Lさんがバスに乗らはるのを見送って、来た道をゆっくり思い返しながら(なんとか迷わず)わたしも駅へとむかう。
空はいつのまにか淡いブルーにと色を変え、肌寒くてショールを肩に巻く。
Lさんは思ってたとおり知的でおもしろく、加えて(わたし同様に)あわてんぼさんだとわかって、うれしかった。

▲家に帰って、郵便受けを開けたら広告に混ざってエアーメイルが届いていた。
フィラデルフィアの大学の博士課程で学んでいるというsちゃん(会ったことはない)やっぱりここを読んでくれてはるひと。
大学で、日々の課題はとても大変らしいけれど「知的な刺激にあふれたこの場所がなかなか心地よい」とあって。
ええなあ~とおもう。その若さやパッションがまぶしいようで。sちゃん、とおく大阪から声援をおくってるよ。
それにしても。
ああ、なんていい一日〜。おおきに。 gorgeous な一日でした。



*追記
その1)
知ってる単語を言い合う〜で思い出したのがピエール・バルーの『Le Pollen 花粉』というアルバムの表題作→
ピエール・バルーと高橋幸宏(いま調べたら、もうひとりJAPANのデビッド・シルヴィアンとありました)順番に好きな人の名前を挙げてゆくんよね。

これを聞き取るのもたのしくて何度もくりかえし聴いたっけ。
ジャン・コクトー  グスタフ・マーラー   ヘンリー・ミラー  ヨーゼフ・ボイス  ルキノ・ヴィスコンティ エリック・サティー  藤田嗣治  ブライアン・イーノ ・・・と途中つまったのかコクトーの名前がもう一度でてきたり!たのしそう。最後の歌詞は「そして全ては僕たちを培ってきた花粉」という意味だそう。

このピエール・バルーの「花粉」といえば、以前印象にのこる彼の文章が あるブログで紹介されていたので孫引きですが(加えてちょっと長くなるけど)書きうつしてみます。


【私は今でも絶えず知らない人に話かける。それが未知の扉を開くことに他ならないから。
どこにどんな人がいるかわからないではないか。いつも言うのだが、恥ずかしがるというのは知的怠惰のひとつでもある。
怠け者になってはいけないと自分に言い聞かせる。

花粉が飛んで芽を出すように、どこでどんな一言があなたを冒険に誘うか、また、あなたの一言が誰の心に一粒の種を蒔くか。
すべては他人への一言から始まる。
私はいつも赤の他人に救われ、多くの人のお陰で今の自分ができあがった。

***

ヴァン・ゴッホやアルチュール・ランボーの天才を褒め称えるのもいいが、
私が興味あるのは毎日、駅やカフェですれ違う人々だ。私と同じ時代を生き、同じ空気を吸っている人々。
彼らの中にゴッホも北斎も必ずいる。知らないだけなのだ。
五感を開いて、未知のものに向かって、いつもスタンバイでいよう。
過去の天才の放った『ポレン(花粉)』は私たちを養ってくれたが、私たちもまた花粉を飛ばす。
花粉は肥沃の大地があれば、必ず芽を出し根を張る。
出会いがすべてだ。 】 
 ピエール・バルー  『サ・ヴァ、サ・ヴィアン 目をあけて夢みる者たち……』より 
*以上ブログ"people"より写させてもらいました。



その2)
膝が腰が・・というてたら、ほんまどっこも行けへんしなあ。わたしにはたまにちょっと「無理する」ことも必要かも〜とこの間、朝になって思い立ち ひさしぶりのみんぱくゼミナールに。
興味ふかい言語学のお話『言語の遺伝子をたどる〜ことばの変化と人の移動』〜話者はみんぱく(国立民族博物館准教授)の菊澤律子さん。
この方の講演は以前にも聴いたことがあって(このときの話は→)とてもおもしろかったので。

そして、この講演と今読んでる『べつの言葉で』(ジュンパ・ラヒリ著 中嶋浩郎訳)のことを一緒に書くつもりが、案の定 時間切れ(苦笑)。次回(たぶん)。

とても有意なたのしい外出だったけど、帰り道はやっぱり足ひきずってふうふう。
「無理」の加減はムズカシイ。
帰途 わたし、けっこうまなぶの好きかも・・とか、若かったらなあ〜とか 詮ないことをふと思ったりしたけど。いや、いや。若かったら、またべつのものに走るんよね。きっと。(←経験済み)

その3)
きょうはこれを聴きながら。
‪M. Ward - Involuntary‬→
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# by bacuminnote | 2015-10-22 11:21 | 出かける

渡るのをまっている。

▲秋は一年中でいちばん好きな季節だけど、なんや ぼんやりしてる間に気がついたら冬になってしまってるのは、ゆったりきもちよくぼんやりできる季節(!)やからかもしれへんなあ~と、ノーテンキなこと思いながら、まだ片付けていない扇風機や夏服に無言で急かされながら。
見て見んふりをして(苦笑)熱いほうじ茶をすする。ああ、おいし。
「秋立ち、秋欄(た)て、秋仕舞う」〜やからね。
「ぼんやり」は捨てがたいけど、後回しにしてばかりいるあんなことやこんなこと、ええかげん始めないとわたしが「冬」になってしまう、とおもう秋ナリ。

▲このあいだ買い物の帰り、本屋さんと図書館に寄った。(いつものコースだが)
絵本のコーナーに 『淀川ものがたり お船がきた日』小林豊 文と絵/2013年岩波書店刊)があったので買う。
友人の孫に、若い友人に・・とおくって、今回はやっと自家用。でも、すぐまたどこかに旅立つかも。手から手に、本とひとがつながってゆくのはうれしくて、何より愉しい。

▲この本は300年ほど前の江戸時代〜大坂のまちに唐国(朝鮮)から役人をはじめ、学者、画家、医師、僧侶、軍人から音楽隊、芸人まで、総員500人もの人たちが「通信使」として船をつらねてやって来たときのお話だ。
その日、トメと市という男の子たちも大人にまじって船見物するんだけど、この船は対馬から瀬戸内海を海路で、大坂から淀までを川船で、その後江戸までを陸路で、沿道の大歓迎をうけながら往復したそうで。
異国の人を見たこともない人たちも、それどころか「川のむこうぎしだってしらん」この子らにとっての異国の人たちと船、そしてその音楽も踊りも、どんなにか驚き、コーフンしたことやろう〜と想像するだけで、わたしまでどきどきしてくる。

▲「しらん」といえば、しかしこんなふうに自分のよく知ってる町でも朝鮮の人々との交流があったなんて、わたしもこの本で初めて知ったんよね。
船見物の群れのなかには、【さきの太閤さんの壬辰のおり、朝鮮国よりつれられてまいった者の末で 百年もむかしのこと、もはやかえるところもなき身でござる】という「平蔵さん」とその一行もいてはる。(1592年豊臣秀吉(太閤)ひきいる日本軍は朝鮮に攻め入った。文禄・慶長の役。朝鮮では壬辰倭乱という)
一頁ごとに細かく描き込まれた絵のなかには、そのころの人たちの暮らしや空気まで立ち上がってくるようで・・読むたび見るたびにだれかに薦めたくなる一冊だ。

▲図書館では同じ作者の『えほん 北緯36度線』(1999年ポプラ社刊)を借りる。この絵本を見て一瞬「北緯38度線」かと思ったんだけど、38度ではなく36度だ。
見開きには地図が書いてあって、その上に北緯36度上に赤い線が引かれており、著者の手書き文字で「ぼくの36度線地図」とある。
へえ、おもしろいなあ〜と地図のにがてなわたしも、興味津々眺め入ってしまう。こんなふうに地図を見た(考えた)ことがなかったなあ。ひさしぶりに地球儀の埃をはらって、くるくる回してみる。

▲お話は【ゆうぐれどき、大きな鳥は、まちの時間のなかからあらわれて、ぼくたちを、ちょっとした「たび」にさそいだす】と始まる。
日本から中央アジアに~つまり36度線上のさまざまな土地で暮らす人々を訪ねる旅というわけだ。
そもそも緯度も経度も〜東西南北すらよくわかっていない地理おんちのわたしだけど、こういう旅はたのしそう。
東京(ここが、おおよそ北緯38度らしい)から西へむかい、海をこえ、着いたところは韓国~キョンジュ(慶州)あたり。どこか日本のお家に似てるけどちょっとちがう。時刻は東京とおなじ19時30分。家に灯りがともり夕ご飯を食べてる様子はどこもいっしょ。今日一日のことを話す声、笑い声が絵の中から聞こえてくるようで、頬がゆるむ。

▲つぎのページになると、まだ明るい街角が描かれてる。
道端で子どもが遊んで。時刻は18時30分。煉瓦づくりの家は中国~ルオヤン(洛陽)かシーアン(西安)かな?
そういえば、前に観た映画『胡同(フートン)のひまわり』にも こういうお家出てきたなあ。「四合院」と呼ばれる伝統的な住居。中庭ではやっぱりここでも家族が大きなテーブルを囲み、夕ご飯を食べている。
庭に揺れる色とりどりの洗濯物。鶏がえさをついばんでいる。
ページをめくるたびに、こんどはどこに飛んでゆくのかなあ、とわくわくする。そして、何度となく見返しの「北緯36度線地図」に戻っては、地名を確認。地図帳と虫眼鏡(!)も出してきた。

▲砂漠の果てにはうつくしい村。
つぎの頁には、戦争の傷跡、爆撃で破壊された建物。銃を掲げる兵士たちのそばを母子が手をつないで歩く。それでも広場では子どもたちがケンケンしたりひき車を引いて遊ぶ。木の枝に架けたブランコを女の子がこいでいる。
べつの頁には難民キャンプも〜ここでも子どもたちは元気にボールを蹴り、地面に何か書いて、遊んでる。

【きっと 大きな鳥は しっているのだ。 にんげんが、じめんに 線をひき、その線を、なんども ひきなおすことを。その線をこえて生きることの、よろこびを。】

▲行く先々で人々の暮らしが、その営みが描かれて。そのあたりまえさに胸をうたれる。どこに在ってもみんないっしょ。
だいじなことはごくシンプルなこと。ごはんを拵えたべて、仕事をして、子どもたちは遊び学ぶ。
旅のおわりは地中海と大西洋を隔てるジブラルタル海峡~ここは東京が夜になったばかりのころ、ま昼(12時)をむかえるんよね。
【東と西がであう海 太陽は、ちょうどぼくたちの まうえだ。】

そうして「ぼくたち」は地球をひとまわりして、また東京にもどってくる。
【こんにちは、たくさんの ともだち】
【いつかきっと、きみに あいにいくよ】

▲前述の『お船がきた日』のあとがきに作者がこんなふうに結んでいる。

【通信使との交流は、トメや市のような川のむこう岸さえ知らない人たちが、よその国を知り、思い描き、理解するための橋を渡してきたのです。時代の波は、幾度もこの橋を危険にさらしてきました。しかし、いまもこの橋はあります。わたしたちが渡るのをまっているのです。】


*追記
その1)
『胡同のひまわり』予告編→

その2)
今回紹介できなかった絵本がもう一冊。おなじく小林豊さんの『ぼくの村にジェムレがおりた』(理論社2010年刊)この本の見開きもまた地図が描かれています。この本は「大地とくらす ぼくの村」シリーズの一冊。

【人はむかしから、世界じゅうでその土地に合ったくらしをきずいてきました。今、気候の変化や、国のつごうなどでそのくらしが変わろうとしています。そんな中で、子どもたちは、今を生き、あしたを生きようとしています。】(本書カバーより)


その3)
この間あまり期待せずに(苦笑)観た『はじまりのうた』が、とてもよかった。人と人の間に音楽があるのはすてき。
劇中、夜の街をミュージシャンの主人公グレタとプロデューサーのダンがお互いのプレイリスト聴きながら歩くシーンがすき。
恋人がイヤホンを片耳ずつ、みたいに甘くなく、近すぎないキョリで、それぞれのイヤホンでグレタとダンが同じ曲を聴いて(二股のイヤホンジャック使って)ノッてる〜っていうのがいいなあ。

というわけで、今日はこのサウンドトラックを聴きながら。
Keira Knightley | "Tell Me If You Wanna Go Home" (Begin Again Soundtrack) →
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# by bacuminnote | 2015-10-13 00:18 | 本をよむ | Comments(0)
▲目が覚めたら、障子戸を通して白い光が入ってきてた。
さすがの怠けモンも、こういう日は朝からてきぱき〜青空に背中押されるように動き出す。
お湯わかして珈琲淹れて。ご飯炊いて出かける相方におにぎり。
一昨日、昨日とできなかった山盛りの洗濯物も〜
洗濯カゴ持って 縁側から見上げた空があまりにきれいやったから、サンダルをつっかけるのももどかしく庭に出るも、なんとサンダルの中は雨水が一杯たまっており(!)履いたばっかりのソックスがぐしょ濡れになった。

▲あんなに夜じゅう激しい雨風やったのに。
青空にうきうきして、ほんの数時間前のことをすっかり忘れてしまってる。
元々ぼんやりしてるせいか、歳のせいか(その両方やろな)最近なんでもすぐに忘れる。
いや、この「忘れる」があるから生きていける気もしてるけれど。
「忘れたらあかん」こともいっぱいあるのを、ほんま心しなければ。
「天高くみんなで道をまちがえる」(火箱ひろ) 〜なんてこと、ないように。

▲昨日は映画『岸辺の旅』が全国で封切りになったらしく、Twitterのタイムラインにはこの映画の監督・黒沢清さんや、原作者・湯本香樹実さんの名前もでてきて。
この作品は『文學界』で発表当時読んでおり(湯本ファンです)黒沢清監督がどんなふうに描いてはるのか気になってるんだけど。
あれこれネットでみてたら、思いがけず同じ湯本作品の、そしてわたしが一番すきな『ポプラの秋』も映画化されて(大森研一監督)先月から上映が始まってることを知っておどろく。予告編みてたら たまらんようになって、本棚から『ポプラの秋』を抜き出す。手にしたとたんその場に座り込んで、結局最後まで一気に読んでしまった。

▲なんべんも読んでるくせに、毎回泣いたり笑うたり。湯本さんは年寄りと子どもを描くの〜うまいなあ。たちまち付箋だらけになった文庫本を抱えて。
ああ、もうこんな時間に。(夕飯支度どうするつもり?今日はあるもんですまそ〜と自問自答。苦笑)やっぱり、この本はわたしにとってだいじな一冊だ。

▲お父さんが亡くなった後、心身ともにおちつかないお母さんに連れられて、じきに七歳になる千秋は毎日のように、あてもなく電車に乗って、降りて、歩くんよね。
ある日みつけた大きなポプラの木のそばに建つ「ポプラ荘」というアパート〜ここに引き寄せられるように何の縁故もない町に越してくることになって。

▲階下には、不気味で近寄りがたい大家さん(おばあさん)が一人で暮らしてる。上の階には千秋母子、タクシーの運転手・西岡さんと、衣装会社に勤めている女性の佐々木さんの三組だけ。
隣人、西岡さんと佐々木さんのキャラクターもええ感じなんやけど、なんといっても一番魅力的なのは階下のおばあさんで。大人になった千秋が思い出して曰く

【正直な話、私はおばあさんに対してこわいもの見たさに似た興味も感じていないわけではなかっが、「こわいもの見たさ」と言ってしまうにはあまりにも、「こわい」と「見たさ」の釣り合いが悪かった。おばあさんは、とにかくこわかったのだ。】と。

▲そういうたら、子どもの時分わたしにも近所にこわいおじいさんやおばあさんがいたことを思いだす。いや、もっと身近にも。ウチのおじいさんだって相当こわいひとだった。
大きくて(昔の人やのに180cmはあった)いっつも灰色の服着て、眉間に皺寄せて角火鉢のそばに座って火箸持ってる〜イメージがあって。だれとでも話したくてしょうがなかったわたしも、この人には余程のことがない限り話をしに行かなかった気がする。

▲そんでね、おじいちゃんの部屋の箪笥の一番上の引き戸には、いつも河道屋の蕎麦ぼうろか泉屋のクッキーの缶があって。それ狙って姉たちとこっそり貰いに(取りに)行くんだけど、一枚だけと思うのに、めちゃおいしくて。「おじいちゃんって、こんなおいしいもん一人で食べてはるねんなあ。 わたしらにはいっこもくれへんで、ケチやなあ〜」と、ヒヤヒヤしてるわりには大胆にも、もう一枚もう一枚と、踏み台から手を伸ばしてたんよね。

▲だから。
一番上の姉はその戸棚のお菓子を自由に食べてたことや、大阪にいる(わたしよりはうんと年上の)孫たちや、その母親(娘)に、仕事で大阪に出かけた帰り ぱりっとキマった格好で寄って、おいしいものや服を買って届けてはった〜という話をあとで聞いて、ものすごくびっくりした。
わたしにはケチでこわい人やと思ってたけど。おじいちゃん、やさしい、ええとこもあったんやなあ〜べつに全身が「ケチ」と「こわい要素」(笑)で埋まってたわけちゃうねんなあ〜と小学生なりに納得したことを覚えている。
今やったら、聞いてみたい話も言うてみたいことも、いっぱいあって、けっこう仲よくできたかもしれんけど。そのときには、たしかに壁があったんよね。

▲さて、
千秋のお母さんはようやく仕事を見つけて、千秋もまた学校に行き始めるんだけど。
お父さんの死や、新しい生活の中、お母さん自身もまだまだ不安定だったこともあって、千秋は
【寝る前にランドセルの中身を三度調べ、朝起きてから家を出るまでに、また点検しなくては気が済まなかった。(中略)重すぎる荷物に背中を丸めて、毎日同じ道を行き来する私の姿は、守銭奴の老婆みたいだったにちがいない】と。
そうこうしてるうちに、朝になると熱を出すようになって学校に行けなくなる。はじめは仕事を休んでそばについてくれてた母もそんなには休めなくて。そこで階下のおばあさんが日中 千秋のことをみてくることに。

▲人と人の壁は、たぶん、こんな風に思いもよらなかったことがきっかけ崩れてゆく。いや、わたしと祖父のように崩れないまま別れてしまうこともあるけど。
そんなわけで、最初、入居のさいには「子供お断り」と言うてた大家のおばあさんが千秋を母が帰ってくるまで自室に寝かせておくことになるんよね。

▲千秋の目がとらえた年寄りの暮らしぶりが、とてもおもしろい。
おばあさんのポパイみたいな顔(!)や、部屋のしつらい、におい。一枚しか開けない雨戸~その薄暗い部屋も。おばあさんが「うちの先生」と呼ぶ長い白髭のおじいさんの遺影、入れ歯、毎日のように食べてる蕪のみそ汁、好物の「西川屋の大福」「栗羊羹」。それから、金の把手のついた黒い箪笥〜そこに入ってる(らしい)おばあさんがあの世まで届けるってことで、いろんな人から預かってる手紙も。

▲そうして千秋も死んだお父さんに手紙を書いておばあさんに託すようになるんよね。
三通目までは「おとうさん、おげんきですか。わたしはげんきです。さようなら」としか書かなかった(書けなかった)んだけど、その後は自然にいろんなことを書きはじめる。
こんなふうに話したら、老人と子どもの ほのぼの暖かな交流の話〜と聞こえるかもしれないけど、そうやないんよね。温かさと冷たさと。湯本香樹実さんの描く老人と子どもには、いつもうそがない。だから好き。

▲そうそう、西岡さんの離れて住む息子が冬休みに来て、千秋と友だちになってくところもいい。
西岡さんが起こしたトラブルのことで、おばあさんが示談に出て行くとき【樟脳のにおいのする着物をひっぱり出して着替え、入れ歯をはめるべきかどうか少し迷ってから、入れ歯なしのまま出かけて行った】とこなんかも、ね。
ああ、好きな場面あげたら、次々と ぜんぶしゃべってしまいそうやから。ぜひ読んでほしいです。
おばあさんと女の子というたら、梨木香歩さんの『西の魔女は死んだ』に通じるものもあるけど、決定的なちがいはポプラ荘のおばあさんはキホン子ども嫌いなとこ(笑)

▲物語はこのおばあさんの訃報に、大人になった千秋がポプラ荘を訪ねる場面からはじまり、お葬式でなつかしい人たちと再会し、手紙を読み、空の高みを見つめてるところで終わる。
それにしても。
思いがけず「得た」ええ読書の時間やったなあ。きっかけをくれはったsさん、ありがとう。わたしもまた、秋の空みあげて「書く」ことの意味を、その時間がつくってくれるものを、いま、もう一度、思っているところ。


*追記

その1)
きっと前にもこの本のこと書いてるだろうな、と探してみたら、意外にも一回だけでした。今回書けなかった「あとがき」について書いています。→

映画『ポプラの秋』公式HPによると 監督は学生時代にこの作品に出会い「今まで幾度となく読み返し、”一字一句”暗記している大好きな小説」とか。
わたしは「観てみたい」と「観るのが不安」を行き来してるところ。

『岸辺の旅』湯本香樹実さんへのインタビュー記事がよかったです。→「本の話web」



その2)
この急な読書で(苦笑)今回書くつもりだった『シェフを「つづける」ということ』(井川直子著 ミシマ社刊)書きそびれましたが、また、こんど。

それから映画(DVD)『パレードへようこそ』と『間奏曲はパリで』もよかった。

『パレードへ・・』の中〜炭鉱組合の人が“LGSM(炭坑夫支援レズビアン&ゲイ会)”のメンバーに応援してくれることへの感謝のスピーチが心にのこっています。
【自分よりはるかに巨大な敵と闘っているときに、どこかで見知らぬ友が応援してると知るのは最高の気分です。ありがとう。】

その3)
今日はこれを聴きながら。
egil olsen - ooo this happened (on a cold summer night at ocean sound recordings)→
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# by bacuminnote | 2015-10-02 19:57 | 本をよむ | Comments(3)

みずのおと。

▲庭で洗濯物を干した後、何となくそのまましゃがみこんで足元の草抜きをする。
頭の中はこの間から考えてることがオートリバースのテープみたく(←古い? )ゆっくりsideAからsideBに。そしてまたBからAに~をくりかえし。抜いた草の小山が知らんまにいくつかできていた。お日ぃさんに照らされて背中がぬくい。

▲それから、膝と腰をかばいながら「よっこいしょ」と立ち上がる。見上げた秋の空はまぶしくて青くて、くらくらするようで。カラスが時々思い出したようにカアカアと間延びした声で鳴いてる。
ここだけ、
ここだけを切り取ったら、ヘイワでのどかな九月の、シルバーウイークとやらの休日の朝だ。

▲それにしても、国会での(いや国会内外での)「汚い手」はこれまでのやり口を見て十分予想はしてたけど。それ以上の暴挙だった。そして、彼らと一緒になって都合のいいところだけ報道するマスコミ〜とりわけNHKに(何ヶ月ぶりかでスイッチ入れたテレビで)改めてイカリ、絶望する。

【公共放送NHKは、“いつでも、どこでも、誰にでも、確かな情報や豊かな文化を分け隔てなく伝える”ことを基本的な役割として担っています。
そして、その運営財源が受信料です。NHKが、特定の勢力、団体の意向に左右されない公正で質の高い番組や、視聴率競争にとらわれずに社会的に不可欠な教育・福祉番組をお届けできるのも、テレビをお備えのすべての方に公平に負担していただく受信料によって財政面での自主性が保障されているからです。】
(NHKオンライン「よくある質問」なぜNHKは受信料を取るのか?より)

▲「公共」「公平」「公正」って連発してるけど、意味わかってるんやろか。あまりに現実離れしたこの返答は、看板だけ「自由・民主」を掲げる与党みたいやな。(ていうか、この「自由」って「何でも自分らの自由にできる」の「自由」やったのか・・)言葉を汚さんといてほしい。
中継を見てるだけでもすっかり消耗してしまったけれど。
これで終わったわけやなく(「暴挙」がそのまま「暴走」へと繋がらんように)知ることも考えることも怒ることもずっと続くんやし。忘れない。
しゃきっとしようと思う。

▲先週の日曜日のこと。
ひさしぶりに母の顔を見に出かけた〜考えてみたら年始以来のよしの行き。
前日、母と電話でしゃべってたら、きょうは玄関マットで足すべらせて、ずるーっと寝そべるみたいになってこけてん~と言うてたので、そのことも気になったし、足の調子もまあまあいけそうやし(←わたしの)例によって前夜「よし、行こう」と決めた。

▲今年は家族の病気や死。友人やその家族の、病気、死・・とほんまにいろんなことが続いて。
あ、そうだ。しんどいさびしいことばかりやなくて、新しい命の誕生の知らせもこの間から続けてふたつあったんよね。
「おばあちゃん」になった友人たちから届いた写真には新生児のあまいにおいが立ち上がってくるようで、その清らかさ、かいらしさに胸がいっぱいになった。
この子らのためにも、ほんま、大人はしっかりせなあかんよね。

▲さて、いつものようにデパート地下であれやこれや食べるモンを買って、電車にのりこむ。
秋晴れの日曜日やのに、乗客は思ったより少なくて。
うれしいような、がっかりするようなきもちは、わたしのきょうどあい(←気恥しくて漢字変換不可)ゆえか。荷物を空いた隣席に置く。
通路隔てて斜めむこうの席は女性二人の旅行のようでにぎやか。コーフン気味の空気が、こっちまでつたわってくる。

▲パソコンからプリントアウトしたという紙束をパラパラ見ながら、吉野山ではあそこに行って、ここでお茶して、お昼はどこそこに・・と盛り上がってはるんやけど、出てくるお店の名前がちっともわからず。全然知らんとこの話を聞いてるみたいで(って、勝手に聞いてるだけですが)ちょっとさびしい。
そういえば、長いあいだ山には(地元では吉野山のことは「山」という)行ってへんことに気づく。祖母の法事以来やから、もう5年になるんやなあ〜と吉野建の三階(ここが玄関)の部屋から見下ろした桜の紅葉がみごとやったことを思いだす。

▲家に着くと母が満面のえがおで「おかえり。よう帰って来てくれたなあ」と言う。
ジッカに「帰る」と、いつまで言えるんやろか〜と道中、川を眺めながらふと思ったんだけど。いつの日にか母不在となっても、やっぱりここは「帰る」場所のひとつやなと思いながら「ただいま」と答えた。すべってころんで〜は大したことなかったようで、ほっとする。
窓の外の景色はいつもかわらない。子どもの頃、しょっちゅう登っては駆け下りて遊んだ山があって、おなじく遊び呆けた川が流れてる。

▲最近ではグーグルマップでストリートビューも見れるようになったけど、以前は地図と航空写真だけで。この辺りは緑緑緑やったんよね。
とはいえ、ここはまだよしのの入り口。まだまだ「ええとこ」は奥に行けば行くほどなんぼでもあって。けど、いっつもこの窓から見える山と川と、それからだいすきな庭の桜の木と、何より母や姉の顔をみてまんぞくして帰って来るから、これ又長いこと行ってないなぁ。

▲今夏、母は92歳になった。
いっときは、あれもできんようになった、これもできんようになった〜と泣き虫になってて心配したけど、いつのまにか好奇心旺盛〜「知りたいこと」に突進してゆく母(!)にちゃんと戻ってる。
机の上にはいつだかわたしが送った『365日で味わう 美しい季語の花』(金子兜太監修)が開いてあった。前から母に一日一句を薦めてるんやけど(一日一句やて〜よう言うわ、と自分でつっこむ)なかなか「浮かばへん」という。
どうやらイメージする俳句が「稀代の俳人」のそれであるらしく。
「そんなすごい俳句つくろうと思ったら、おかあさん(生きてる間に)間に合えへんで」と娘は憎まれ口を叩きつつ、もっと気楽に。例えばこんな感じで、と先日わたしが某誌に投稿してみた句をよんでみたらソッコウ「えっ??そんなんでええの?」と返って来て絶句(苦笑!)
「そんなん」で、エラソーに俳句俳句いうてすんませんなあ。

▲まあこんな母なんやけどね。
電車の時間になって「もうええ」というてるのに、階下まで降りて来て、姉の車が出てもなおそこに立っていて。わたしは「ほな、また」とわざと素っ気なく手を振り返す。帰りはいつもせつない。
大阪にむかう電車は登山スタイルのグループがいっぱいで、車中撮ってきた写真をスマホで見せ合い、送り合い、お菓子の袋を回してはって。つい となりに手を伸ばしそうになる(笑)
いや、お昼が中途半端になったからおなかが空いてきたのであった。夕飯にでも、と姉がもたせてくれた巻きずしを早くもとり出してつまむ。

▲この日お伴の本は『岸辺のヤービ』(梨木香歩著 福音館刊)。
これ、近頃ではめずらしい函入りで。本が届いた日、そわそわと函から本を取り出した。本文も挿絵(小沢さかえ)や活字や装幀(名久井直子)も、なんだか昔の児童書風。それに文体も子どもの頃に読んだ翻訳児童書みたいで、なつかしい感じ。けれど、梨木香歩さんの本は読むたびに、いつも新しいなあと思う。
「永遠の子どもたちに。」という献辞にどきんとする。
で、読んでみて、ほんとうにそういう思いの詰まった本だった。

▲主人公は二足歩行のハリネズミみたいなふしぎな生き物、クーイ族のヤービ。そしてフリースクールの教師をしている〈わたし〉はマッドガイド・ウォーターに浮かべたボートの上でヤービと出会うんよね。

【クーイ族のなかには、一世代のに一人くらいの割合で、「異種間交流」の可能な特殊な個体が出てくるのだそうです。なんであれ、ヤービがその「特殊な個体」であったことはまちがいないようで、そのことはわたしにはかりしれない幸福をもたらしたのでした。】(「岸辺の出会い」p17)

【ヤービはそういう男の子なのでした。ちょっと落ち込んでも、しばらくたつとかならず、何か説明のつかない、いのちの力のようなものが、体の奥深くからわきあがってくるようなのです】
(「しゃべるカワアイサの古巣」p220)

壮大なファンタジーものはどっちかというとにがて。でも、小学生のころ自分がコロボックルになった気分で何度も読んだ『だれも知らない小さな国』(佐藤さとる)や、このヤービの世界は読んでいると、前のめりになって、いつのまにか物語の中に入り込んでる。

▲とくに、この本はタイトルにあるように岸辺の物語で水がそばにあって、川育ちのわたしは「水」に惹かれるようにして読んだ。ゆっくりだいじに読もうと思ってたのに、帰途の電車の中で読了。
ふううっと、まんぞくのため息をついて車窓から夕暮れ時のうすぼんやりとした景色を眺める。吉野川はとうに見えなくなっていたけど、読んでいる間じゅうずっと水の音が耳元でちいさく流れてた気がする。

▲翌日だったか著者へのインタビューを読んで梨木さんが【どんな時も自分の中に絶えざる水の音がする。そんないのちの奏でる水音に耳を傾けるようにして、この物語は生まれた。】と書いてはったのを読んで、思わず声をあげる。そして、なっとく。なんだかその水が自分にも流れこんできたみたいで。うれしかった。
子どもの頃のわたしに読ませてやったら、どんな顔するやろ。


*追記
その1)
この間古い雑誌を整理してきて、そのまま座り込んで読書。(そんで、整理前よりひどい状況に・・というのもいつものパターンなり。苦笑)
富士ゼロックスの広報誌『GRAPHICATION No.156』(2008.5)「専門主義から総合知へ」池内了氏と赤木昭夫氏の対談で赤木氏が言うてはったこと。「ものごとを疑う」「筋道を立てて考える」ことの大切さをあらためて。

【ものごとを広く深く考えることが「知」であり、その結果も「知」であるとすると、その出発点の「考える」ことの中身は、つまるところ、ものごとを疑うことではないかと思うんですね。疑った上で筋道を立てて考えることが、「考える」ということではないかと。その結果が降り積もると「思想」というものになる】

この雑誌長いこと無料でたのしませてもらったけど、今回で「紙の雑誌」はおしまい。次回からは電子版になるそうだ。もうだいぶ前に林さかなさんが紹介してはったので知って、以来 友人知人に会うと薦めて、行く先々にこの雑誌がある〜みたいな感じやったけど。ほんま残念です。
*林さかなさん編集発行の「子どもの本だより」メールマガジン→

その2)
長くなりますがもうひとつ。
この前大阪大正区の『エイサー祭り』の冊子を読んだんだけど、中に山之口貘の見たことのない詩が掲載されていて、深く残ったので書いてみます。
あとで出典をしらべたら思潮社から2013年に出た『新編 山之口貘全集』第1巻(詩篇)→の中「既刊詩集未収録詩篇」に収められていることがとわかったので、図書館で借りてきました。(この本の発行は知ってたけど、高くてよう買わんかったのでした・・)
1918年(大正7)〜1921年(大正10)獏さんが15歳〜18歳の間に書かれた詩のようです。


「私は歌はねばならない唄を」     山之口貘

私(わし)は歌はねばならない唄をうたつてゐる
古沼からは淡い綠(みどり)色の光の音がきこえ
樹々の葉は彼等の金色の幽かな聲でうたひ
西(いり)の空は眞紅(まつか)な口紅を染めてうたひ
黄昏に
雲のうへで惡魔(たれ)かゞこそこそ笑ひ
水底からつめたい女の顏があらはれ
樹々の葉裏には美女の玉の小指が吊るされ

あゝ私(わし)がひそかに彼等を見るとき 悪魔(たれ)かゞ私(わし)の胸に耐え切れない寂しさをながしてゐる

だけどあゝ私(わし)は歌はねばならない唄をうたひ
私(わし)は是非訪ねゝばならぬ――私(わし)は私(わし)の歌ふてゐる唄を立ち聞きしたたつた一人の聽人(きゝて)を。


その3)
きょうはこれを聴きながら。さいごまで読んでくれはっておおきに。

このアルバム(よかった!)のタイトルは「わたしたちの欠点のなかにあるきらめき」Chantal Acda 〜"The Sparkle In Our Flaws"
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# by bacuminnote | 2015-09-22 13:19 | yoshino | Comments(0)