いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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他には何も知らない。

▲足が弱いのもあって、できるだけ毎日歩くようにしている。
というてもスーパーや図書館のある所まで~歩いてる時間はせいぜい往復で40分くらいなんだけど。
朝から出るときも、お昼たべてからのこともあって時間はまちまち。
それでも、ここに越して来て十年もすぎると道中よく顔を合わす人(犬)たちがいる。それとなく軽く会釈する人も、お互いに「あ、またあの人や」と思いながらも(←たぶん)すーっと視線そらして通り過ぎる人もいる。
ただ偶然に会うて、その外見の他には何にも知らんのに。しばらく顔をみないと「どうしてはるんやろ?」と、ちょっと気になったりする。中には相方も知ってる(というかよく見かける)ひともいて。あの「赤い帽子のおじいさん」とか「エラソー」とか「ピンクの服の人」とか「笑ってる人」とか(苦笑)~勝手に名付けてウチの話に登場してもろてる。

▲道を歩いてて、知らない人に会うということが殆どなかった信州の頃の暮らしを、時々思い出しては、今のこの知らん人ばっかりの中で歩いてる自分~というのがなんとも不思議な感じがして。ふと立ち止まってみたりする。
次々人が追い越してゆく。スマホや携帯でしゃべりながら歩いてる人も結構いて。あれって、ふつうに話してるときより声が大きいなるのか~しゃべってはるのが(聞くつもりなくても)耳に入ってくるんよね。
「○○買ってかえろか?」「雨降り出しそうやし洗濯物とり入れといてね」~というような日常会話から「○○円も用意できるわけないでしょ!」とか「それは裁判で・・」「どない思ってるの?」「謝るつもりありません!」なんてはげしい口調の声も聞こえてきたりして、どきっとすることもある。日常は非日常でもあるなあ~とおもう。

▲昨日『あなたを選んでくれるもの』(ミランダ・ジュライ著/ 岸本佐知子訳 /ブリジッド・サイアー写真/新潮社2015年刊)という本を読んだ。
脚本家でもある著者は、書きかけの脚本に行き詰って、フリーペーパーに載ってる「○○売ります、買います」の広告を出す人たちに電話をかけ、インタビューを申し込んで、家を訪ねて話を聞く~ってことを思いつくんよね。

▲例えば【LA在住の某さん、ジャケットを売りに出す。ジャケットは革。そして黒のLサイズ】という広告に【わたしはこの革ジャケットの人の考えていることをもっと知りたいと思った。この人がどんなふうに日々を過ごしているのか、何を夢見、何を恐れているのか、知りたいと思った】というわけだ。
こういう「知りたい」「聞いてみたい」という欲求~わかる気がする。でも「気がする」のと、実際どんな人か何もわからない人に電話する、インタビューを申し出る、家まで会いに行く~というのは全くちがう。生半可な好奇心でできるもんやない、よね。

▲そして、この本は彼女がそうやって会うことに成功した(たいていはNO!だったらしい)12人のひとへのインタビューと写真で綴られた本なんだけど。
どんな展開になるのだろうと、終始どきどきしながら彼女の訪問記を読んだ。さすがに単身で~ということはなくてカメラマンのブリジッドとアシスタントのアルフレッド(←彼に来てもらうのは、はっきり「レイプ防止のためだった」と書いてある)と三人で。
このひとの他者にとびこんでゆく好奇心もやさしさも、そして冷静な眼も。すごいなあと思う。そして、合間に挟み込まれる彼女のこれまで~若いときのエピソードにも惹かれる。
【わたしは例によって早く着きすぎ、あちこち走りまわって道に迷い、おかげで例によって遅刻した。】なんていうのには、とても親近感おぼえたし(笑)
翻訳もいい感じで、ゆっくり大事に読もうと思ってたのに一日で読了してしまった。そして、いい本に出合ったときの読後はいつも同じ。しばらくぼぉーっとしてる。

▲そうそう、昨日この本を読んでいる間に、いつも楽しみにしているwebのインタビュー記事がアップされたと知りさっそく。今回は先日読んだ『断片的なものの社会学』の岸政彦氏。
この方もまた人に会いに行く、話を聞きに行く人。『あなたを選んでくれるもの』に重なるところがあってとても興味深かった。

▲曰く
【皆さん、ご自身では「語るに値しない人生ですよ。もっと成功した人に聞けばいい」と言われます。でも、語りを聞くと、ほんとうに、人それぞれの個別の人生というものがあります。】

【他人に自分の生い立ちや人生を語る、ということは普通のことではなく、とても特殊な状況における特殊な行為です。生い立ちを聞くのは、特殊なことであると同時に、「暴力的」なことだと思います。聞く方も語る方もしんどい。誰しもが自分の話を聞かれたいかどうかわかりません。】

(MANMO.TV #360 ”私たちはわかりあえない。だが他者を理解しようとすることをやめてはならない”→

▲さて、本にもどって。
売りに出されたものは、最初書いた黒い革のジャケット、インドの衣装、スーツケース~というフツーのものから、ウシガエルのおたまじゃくしやレパードキャット(ベンガルヤマネコ)の仔!まで。
時にその稠密な話は息苦しくもあり、長引く語りにはいつ引きあげたらええんやろ~と、著者になった気分でドキドキした。
【質問をさしはさむのは高速道路で合流するのに似ていたーーわたしはアクセルをぐっと踏んで、彼が言葉を切ったわずかな隙に割り込んだ。】(p125)
で、このあとの質問が「将来の夢は何ですか?」なのである(笑)すごい!
最後 ジョーの話は後日談もあって沁みる。本のはじめにあった”ジョー・パターリックと奥さんのキャロリンに”のその人だ。彼が売りに出したのは「クリスマスカードの表紙部分のみ50枚/1ドル」で。

▲ジョーを訪ねたあと【わたしたちはやっとのことで外に出ると、車の中でしばらくじっとしていた。だれもが無口で、そしてなぜかみんな泣きそうだった。アルフレッドは、これからはもっとガールフレンドに優しくするとか、そんなようなことを言った。わたしは自分が人生を十分に生きていないような気がした。】(p206)
そして彼女はその日のうちにもう一度ジョーに電話することになって。このあとの物語もまたじんとする。

何かに出会うというのは「あなたが選んだ」ではなく「あなたを選んでくれるもの」なのかもしれない。


*追記
その1)
この本の中で何度もでてくる脚本・映画『ザ・フューチャー』は2013年に日本でも公開されています。残念ながらわたしは観そこねたまま。
予告編→

その2)
知らない人との出会い〜といえば、この間ひさしぶりの邦画『滝を見に行く』→を観ました。前情報もなく、ただタイトルに惹かれてDVDを借りてきました。
舞台は信州~妙高高原やそうです。

紅葉をたのしみ滝をみて、温泉につかる~のを楽しみにバスツアーに集まったおばちゃんたち~ところが新米ガイド(この人だけ男性)がどこかに消えてしまい(迷い)山中に取り残されてしまいます。二人組で参加した人、ひとり参加の人~ストーリーは想像の域をこえませんが、みんなそれぞれに味があって~出演者は素人の方も多いようで。ああ、こういうタイプの人いてる、いてる~とか思いながら。

そういえば、上記リンク先、公式HPの「キャスト」のところに登場人物一人ひとりのキャラクターが、劇中には出てこない経歴までこまかく書かれてておもしろかった。たのしい作品でした。あとで監督が『横道世之介』の沖田修一さんやった〜と知りました。

その3)
きょうはこれを聴きながら。Beck Song Reader, Please Leave a Light on When You Go→
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# by bacuminnote | 2015-09-08 20:21 | 本をよむ | Comments(0)

もて余すことがだいじ。

▲今夏は前半の猛暑がうそのように、お盆あたりからすいーっと熱が引いたように涼しくなった。
そういえば、子どもの時分、お盆の間は川での水泳は休みだった。そもそもプールのない小学校だったし「泳ぐ」=「川に行く」で。お昼食べたら水泳、川から帰って昼寝〜っていうのがわたし(ら)子どもの夏休みの毎日やったし、大いに不満やったけど。

▲お盆に泳いだら「足ひっぱりに来はるさかいに 行ったらあかん」と祖父母に親、近所のおばちゃんまで皆に毎夏聞かされており。
けれど、盆休みには大阪やら町から家族づれが川に大勢やってきはるんよね。そんで田舎では見たことのない派手な浮き輪や、かっこええビニールのボートなんか持って、川原ではにぎやかにスイカ割りとかしてはって。「あの人らは引っぱられへんのやろか?」と話しながら、地元の子は自分らの遊び場所を奪われたかのように、そんな様子を橋の上からチュウチュウ食べながら、うらめしく眺めていたものだ。

▲ところがお盆があけると、楽しみに待っていた川も知らんまに水はじーんと冷たくなっており、それでも唇を青紫にして(苦笑)しつこく泳いでたら、上(かみ)の方からなすびやらきゅうりやら、お盆の供え物が流れてきたりして。いっぺんに気が削がれて、そそくさと水から上がった。
それから、先に川原で寝転がって温もってる友だちの背中に、色の出る石をみつけては墨みたいにねっとり摺って指で絵を描いたり、友だちの好きな男の子の名前を書いたりして、しばらくお日ぃさんの下で遊んで。そんで汗かくと又つめたい水に浸かった。

▲そんな田舎の のんびり夏休みを思い出しながら、塾の送迎バスを待ってる子らの前を通り過ぎる。
けど、行き先が塾とは思えないほどキャッキャッはしゃいで楽しそうやから。これはこれであの子らの夏休みのとくべつな時間なのかもしれへんなあ〜と思う。
ただ何度も腕の時計やスマホで時間チェックしてるのを見てると、気の遠くなるような長い、時に身の持って行き場のないほどの退屈な夏の時間を、あの子らがこれから先ずっと過ごすことないまま大人になってゆくのはなんかもったいないような気もして。
が、そんな夏休みもあと数日でお終いやね。

▲この間Twitterで夏休みの宿題の難関のひとつ、読書感想文のテンプレ(テンプレート。template「雛形」)というのが紹介されていて→。へえ〜ついにこんなのが出たんやなあ〜と興味津々見てみた。
これ、見てもらったらわかるように読んだ本の名前から始まって、何故この本を読んだのか、いちばん心に残ったところは、だれがどうしたところ・・と( )を埋めることで感想文が完成するようにできていて。ほほぉ〜わたしもここで本を紹介するとき、こんなふうに順序だてて書けばすっきり収まるんやろなあ〜と半ば感心。半ば放心〜。

▲かつてウチの子らも夏の終わりになって読書感想文に(←これだけちゃうけど)困り果てていたっけ。「ええかっこして書こうと思わんと、思ってること〜おもしろなかったら、どこそこがおもしろなかった〜って、そのまま書いたらええねんで。たった一行でもええ。変化球やのぅても直球や、直球〜」と、野球の「や」の字も知らんくせに(余談ながら「パ」と「セ」のちがいも未だにわからない)エラソーに言うてたりしてたんだけど。

▲わたしはといえば、本を読むのが好きだったものの、本当に好きな本の感想文は殆ど書かなかった気がする。そういう本に出会うと、わあーー。すごいなあ。よかったなあ〜くらいで(今でも・・)本閉じてしばらくはさすがのわたしも無口だ。
せやからね、ガッコの宿題には感想文を書きやすい本(!)を選んで、センセがOK出してくれるような作文を書く、やな子だったと思う。
やがてその「やな子」から抜け出そうと、自分のことばを探すようになったんだけど。言いたいことがいっぱい詰まってるときに限って、自分のことばの箱には「これ!」というのが見つからなくて。気持ちばかりが煮詰まってゆくのだった。

▲そうそう、いま『紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす』(武田砂鉄著/ 朝日出版社2015年刊)という本を読んでるところなんだけど、第二章「育ててくれてありがとう」(横には小さい文字で「親は子を育てないこともある」とある)
には、この読書感想文テンプレによく似た話が登場するんよね。タイトルから想像できるようにこれは結婚披露宴でよくある新婦が親にむけて読む手紙のこと。

▲これのサンプル文が結婚情報誌のサイトに出ているそうで。
曰くその手紙は3つの段落に分かれて「書き出し」「エピソード」「結ぶ」のそれぞれのカテゴリが何パターンもの文例から選べるようになっており、呼びかけの言葉や感動を呼ぶための注意事項などもていねいに書かれているらしい。「両親への手紙ぐらい自分で書けよ、と思う」と著者。嫌々提出させられる宿題やないねんからなあ〜とわたしも思う。

▲【子は親の生き写しではない。おおよその場合、親は子を育てるが、育てないこともある。多様性を、ありきたりの式次第や取って付けたような感動で踏み潰す動きに対して慎重になりたい。 「育ててくれてありがとう」にハンカチを濡らす前に、残りの一割に対して敏感でありたい。
そのためにも、つまり家族のパターンを確保するためにも、結婚式のスピーチ各種くらい、サラダバー的な他人任せの素材で作り上げるのではなく、ご自分の言葉でお願いしたい。
】(p31より抜粋)

▲・・・と、なかなかきびいしい。あ、「残り一割」というのは、この文章の前にいま流行り?の「2分の1成人式」(成人の2分の1の年齢である10歳を迎えたことを記念して各小学校で行われてるらしい)という行事に、ベネッセのアンケートでは九割近くの親が「満足」と答えてるのを受けて、満足していない一割の存在やその理由を【ジョン・レノンじゃないが想像してごらんなさい】と言うてるんよね。ていうか、「2分の1成人式」にも親への感謝の手紙が登場しそうで。いろんな問題を抱えていそうなこの行事についてもいつか書きたいと思ってたんだけど・・。
それにしても。
【ありきたりの式次第や取って付けたような感動で踏み潰す動きに対して慎重になりたい】には どきんとする。

▲そうそう、この前たまたま見たmanmo.TVというサイトの以前のインタビュー記事にも、立ち止まるところがあって。それは哲学者の野矢茂樹さんの発言なんだけど、いまここに書くのに見直したらタイトルがなんと『紋切り型の言葉をはみ出たものをだいじにする』だったのでびっくり。
インタビュアーの「うまく言えないで、言い淀んでしまうことがありますが、それは豊かさを感知している証でもあるわけですか?」という質問に野矢センセはこう応えてはるんよね。

自分の考えをはみ出たものは、自分の言葉の外にあるのだからうまくいえないのは当たり前です。
初めて恋愛したら、その気持ちをどう表現したらいいかわからないのは当然でしょう。それをドラマみたいな言葉でくくったら、きれいな言葉であってもつまらない。
自分の気持ちを持て余すことがだいじ。切り捨てないで抱えてじっと見ていると自分の言葉が豊かになっていくはずです。

(MANMO.TV インタビュー#301 より抜粋 →

「持て余すことがだいじ」に、はげまされる。




*長すぎる 追記 
その1)
上記リンクした『紋切型社会』の出版社の特設サイト→というのがあって、下の方に「育ててくれてありがとう」の章を読めるようになっていました。


その2)
今日読み終えた本を。
『わたしが子どものころ戦争があった 児童文学者が語る現代史』(野上暁編・理論社刊)装画は長谷川集平さん→8人の児童文学者がそれぞれの戦争体験を語っています。今、だからこそ子どもにも大人にも読んでほしい本です。

満州生まれ満州育ちだった1931年生まれのあまんきみこさんは少女時代を振り返り語ってはります。最後の一文「薄暗い世界にひとり蹲(うずくま)ってしまいます」に胸がしめつけられる。

「満州」は、日本の傀儡の国でした。
わたしたちはその地の暖かな日向の場所で過ごしたことで、そこにいるべきはずの人を寒い日陰に追いやったことを思わずにはいられません。知らなかった、見なかった、聞かなかった、子どもだったは免罪にはならないでしょう。むしろ、より罪深い場合さえあると思います。戦後七〇年といわれますが、いまだにそうした意味で心のおりあいがつかず、ときどき薄暗い世界にひとり蹲ってしまいます
】(あまんきみこ「少女時代を満州で過ごして」より抜粋)

最後は1950年〜戦後生まれの岩瀬成子さん。
自宅から米軍岩国基地が見えるという岩瀬さんがこう結んでいます。そう、日本の戦争は七〇年前に終わったものの「いまでも戦争と地続きのところ」にいるんや〜と思います。
「安保(戦争)法案」反対!

わたしの家からは基地が見えます。戦闘機の離発着が見えます。おそらく、日本の多くの人たちは、国内の基地がどうなっているのか、どう変わっていきつつあるのかあまり知らないのではないかと思います。
日本中の米軍基地の七〇%がある沖縄の人たちの苦悩はもっともっと深刻だと思います。
子どものころに戦争があったという過去の話ではなく、いまでも日常と地続きのところに戦争があるのです。七〇年前の敗戦以降、ずっとアメリカ軍は駐留し続け、ずっと戦争をしてきました。戦争はずっと続いているのだと思います。

(岩瀬成子「米軍基地のある町から見た戦争」より抜粋)

その3)
夏休みがおわり、また新しい学期が始まるときって(宿題ができてる、できていないに関わらず)
楽しみな子ばかりやなくて、重いきぶんの子どももきっといると思う。
わたしの子ども時代はガッコも親も「嫌なことから逃げたらあかん」の一点張りやったけど。そんで、その時は言い返せなかったけど。今なら「ちがう」ってはっきり言える。
「息のしにくい所」から「息のしやすい所」に、"逃げる"ではなく"移動する"〜という選択肢があること、大人たちは子どもに伝えてやってほしいと思う。そして、そういう場が(それが本やったり音楽やったりすることもあるよね)ひとつでもありますように。(前に書いたブログ「そのなかのひとつ」→

鎌倉市図書館・8/27のツイートを読みながら〜

その4)
あれも、これも、とすっかり長くなってしまいました。
今日はこれを聴きながら。
Jan DeGaetani - Ah! May the Red Rose Live Alway(Stephen Foster )→
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# by bacuminnote | 2015-08-28 09:57 | 本をよむ | Comments(0)

とおりすぎてゆく。

▲赤信号で立ち止まったら横断歩道のむこう~黒いかばんを斜めがけしたスーツ姿の若者が、細い顔の半分くらい口開いて大きなあくびをしてるのが見えた。・・・オツカレサマです。
今夏はこの場所であくびの人を何度も見かけた。ベビーカーの赤ちゃんとそのママ、塾帰りの小学生、部活の中・高生。サラリーマンからお年寄り。朝から晩まで一日中暑うて、夜もよく眠れへんし、ほんましんどい夏やったもんね。(←もう過去形にしてもええよね?)

▲このあいだ 盂蘭盆会(うらぼんえ)の法要でお寺にお参りに行ってきた。
12年前、義父の初盆のときは「どうぞ涼しい格好でお参りください」と寺報にあったとおり冷房はなく。それでも開け放たれた本堂に入ると、ひんやり風が通ってゆくのがわかった。青い羽根の扇風機が何台かゆったり回って、あちこちに団扇が置いてあった。
若い法務員さんらは障子戸のむこう 屈んで蚊取り線香に火をつけてはお皿にのせて配ってはって。暑い中 きびきび立ち動くその黒い法衣+白衣(はくえ)姿がなんともかっこよかったので、わたしはしばし見とれてた。

▲そういえば、先日若いお坊さんが『僧衣が黒いのは夏の暑さを引き立てるため。涼しい顔して歩いてやる。』ってツイートしてはって、思わず笑ったんやけど。
たしかに「夏の黒」は見た目はちょっと暑苦しいものの 近寄って見たら(!)紗や絽の透けた夏の法衣って涼し気なんよね。
そのむかし夏休みのたびに訪ねたお寺の友だちんちは〜あちこち部屋の戸やら窓やら開け放ち、風がすいーっと通り抜けてく。籐筵(とうむしろ)に簾(すだれ)、窓辺の風鈴、に加えて、衣紋掛の法衣がゆらゆらしてきれいやった。
そんなこんなを思い出しながら、靴を脱いでふと階段の上を見たら、本堂の障子戸がぜんぶ閉まっていた。いつからかクーラーが入ったんやね。

▲この日は明け方まで雨が降っていたせいか、日中も曇天で過ごしやすく、法要のあとは墓参に。
ふだんは閑散とした墓地だけど、お盆やしね、ひっきりなしにご夫婦で、家族連れで〜たくさんのひとがお参りに来はる。
いつもは高く積んである水汲み場のポリバケツもひしゃくも 残り少なくて、水を汲むにも順番を待つ。あちこちで話し声や笑い声が聞こえてきてにぎやかで。
だれもいないと心細く思うてるくせに、人が多いと「ここはひっそり静かなのんがええよなあ」とかなんとか。あまのじゃくだ。(←わたしのことです)

▲曇天とはいえ、草抜いたりそうじしてたら汗だくになって。帰りは駅まで歩くつもりが途中で足が痛くなってタクシーを拾った。
「今日はだいぶ暑いのんマシですなあ」
「いやあ、この間からの暑いのんには閉口しましたわ」
「朝起きても、疲れがいっことれてへん。仕事行くの嫌やなあ~って、まあ、そんなことも言うてられへんのやけど」
「明日は私も墓参りに行こうと思ってますねん」
60代くらいの運転手さん。どこのお花が高い安い〜というローカル情報まで交換したりして。
ふだんやったらワンメーターの短い時間にこんなにもしゃべることなんてないもんね。これもお盆やからかなぁ。

▲そうそう。
いつだったか、ある有名な方が亡くなられ事務所の発表に英語で" It is with sorrow that we announce the passing of 〜"と書いてあったんよね。
"die"ではなく"passing"(またはpass away)というのは日本語で「死ぬ」ではなく「亡くなる」という言い換えのようなものだと、そのとき知ったけど。「通りすぎてゆく」んやったらつらい別れも受け入れられそうな気がして。そんで、いつの日かわたしも風のようにとおりぬけ、あるいは静かに通りすぎていけたらええなあと思った。
その後「天国は駅かもしれず夏帽子」(阿部知代)という句に出会うて。「駅」という発想にふかく頷く。土肥あき子さんの解説もじんときます。

亡くなった方を悼むとき、残された者の悲しみより前に、病や老いの苦しみから解放されたことに安堵したいと思う。
自由になった魂の行方を思うと、少しだけ気持ちが明るくなる。天国とは、死ののちの出発点でもある。そこからさまざまな行き先を選び、もっとも落ち着く場所へと扉が開かれることを思い、作者はまるで駅のようだと考える。

仰々しい門のなかの最後の審判や、三途の川の向こうの閻魔様の裁きなどとは無縁の軽やかだった人の死に、駅とはなんとふさわしい場所だろう。何も言わず長い旅に出てしまった人に向けて明るく夏帽子を振ってみる。
前書に悼九条今日子。改札には夫であった寺山修司が迎えに来ていたかもしれない。「かいぶつ句集」(2014年6月・第77号)所載。(土肥あき子)
】『増殖する俳句歳時記』2014.8.05→


*追記
その1)
今夏は体調をくずしたり、よくなったと思ったら、膝痛になったり。ほんま冴えない夏でありました。
それでも、信州から友人がたずねてくれて。
久しぶりに明るいうちから「とりあえず生中で!」と乾杯。家族のために立ちっぱなしで粉だらけになって揚げて揚げて揚げまくるんやなくて(苦笑)座ったまま目の前で順番に揚げてもらう天ぷら食べて「もう一杯」とおかわりして、夜は布団並べて修学旅行の夜的時間もたのしかった。

お盆休みには息子2が友だちと帰ってきて〜若い子が加わるとぱっと食卓が(料理は見慣れた"いつものアレ"でも・・)華やいで。しゃべって食べてのんでしゃべって。うれしくええ時間でした。おおきに〜また来てや。

その2)
そんなわけで読んだ本のことも見た映画(DVD)のことも書けないまま。ブログもいつのまにか月2になってしもてますが。なんでもかんでも「また涼しいなってから〜」の今日このごろであります。

その3)
8.15ひこ・田中さんのツイートに加川良『教訓Ⅰ』のことが書かれていました。
「命はひとつ 人生は1回 だから命をすてないようにネ あわてるとついフラフラと御国のためなのと言われるとネ 青くなってしりごみなさい にげなさいかくれなさい」って、あの歌〜わたしはずっと加川良さんの作詞かと思ってたけど、上野瞭さんの作詞だったそうで。→

てことで、改めて『教訓Ⅰ』を聴いています。(下記utubeには上野瞭さんのお名前も出ています)
いや、でも、まさか、44年もたってこの歌をこんな思いで聴くことになるなんて。安保法案反対!


その4)
文化放送 アーサー・ビナードさん『探しています』〜記事だけでなく、ぜひインタビューのロングバージョンも聴いてみてください(新しいものはまだ音声アップされてないようですが)→
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# by bacuminnote | 2015-08-18 21:29 | 出かける | Comments(2)

8月の空の青。

▲暑い。
毎年のことながら言うて涼しいなるわけないのに、ちょっと動くたびに「暑う〜」「暑いなあ」と、だれに言うともなく口にしてる。
加えて「こんな暑いのは初めてや〜」というセリフも毎年恒例なんだけど(苦笑)
いや、ほんまに今夏の暑さは堪えるよね。
そして、この暑さやからね~冷たい料理がしみじみと旨い。けど、そうめんでも、焼き茄子でも、蒸し鶏も、お浸しも。そうだ、麦茶だって。
こういうのを冷たくして食卓に並べるまでには、つくる時は熱気もわぁーんな台所でふうふう汗かくことになるのであって。
.
▲そういえば、夏になると暑がりの義母が首にかけたタオルで汗拭いながら「ウチは“おさんどん”せんでええのんが夢やねん~」と言うて、義父好物のうどんを湯がいてはったんを思い出す。
けど、後年「夢」のように、台所に立たんでもようなってから 急に老けこまはった気がして。
暑い、暑いと言いながらも、その昔は息子の好きな鶏の唐揚げやら、わたしらの希望の小海老とお茄子の炊いたんやら、よう拵えてくれた。やっぱり料理のすきな人やったんやなあと思う。
 
▲この一か月ほどの間、そんな風にまだ元気やった頃の義母のことをいろいろ、いっぱい思い出していた。たのしいこともしんどかったことも。ひとつ思い出し始めると、すっかり忘れてたはずの記憶の箱は、まるで入れ子のそれ。次々思い出して。そしてそこには なんでか「ええかっこ」してない素の自分が現れて、どきんとする。
そっか~あのときは平気なふりしてただけやったんか・・と若い日の自分がいじらしかったり。一方では「ええかっこしい」にもほどがある、と自分に腹を立てたみたり。ひとり文句いうていうて、言い切った感すらあるのに〜(お義母さん、すんません!)そのあとで、思い浮かぶ義母は「ほれ、できましたで~」と、首にタオル、手には菜箸もって。いつも笑ぅてはるから。 せやから夏のだいどこでわたしはちょっとしょんぼりしてしまう。
 
▲先日『Wonder ワンダー』(R・J・パラシオ 作/中井はるの訳/ほるぷ出版)という本を読んだ。
この本〜読みながらも、本を閉じて他のことしてるときも、読み終えた今も、いろんなことを自分に問いかけ考えてる。 
表紙の目のさめるようなブルーはまさに8月の空の青だ。
だからか、どうかはわからないけど主人公の「ぼく」の名前はオーガスト(August)っていうんよね。表紙の真ん中には男の子らしい顔が大きく描かれてるんだけど、両耳と片方の目が描き込まれてるだけ。目の上には書名のwonderが眉毛のかたちみたいに書かれて、ただそれだけ。目を引く装丁だ。(あ、けど、あちこちで目にする「全世界40カ国で300万部以上売れた感動作」という紹介は苦手。あれで本を読みそこねる人もいるんちゃうかなあ・・とあまのじゃくは思う)

▲物語はオーガストの語りから始まる。
自分がふつうの十歳の子じゃないって、わかってる。といっても、もちろんふつうのことをするよ。アイスクリームを食べる。自転車に乗る。ボール投げをする。ゲーム機を持ってる。そういう意味でいえば、ぼくはふつう。たぶん。そして、ふつうの感情がある。心のなかはね。だけど、ふつうの子なら、公園に行くたびに、じろじろ見られることはないよね。

魔法のランプを見つけて、ひとつだけ願いをかなえてもらえるなら、めだたないありきたりの顔になりたい。外を歩くとき、じっと見られてさっと目をそらされないようになりたい。思うんだけど、ぼくはふつうじゃないのは、だれからもふつうだって思われてないからじゃないかな。(中略)

ところで、ぼくの名前はオーガスト。オギーと呼ばれることもある。外見については説明しない。きみがどう想像したって、きっとそれよりひどいから。

(Part1 AUGUST「ふつうってこと」より抜粋)
 
 ▲この始まりだけでわかると思うけど、主人公のオギーは先天的に「頭蓋顔面異常」があって、小さいときから何度も手術をくりかえしてきて、学校には行かなかったんだけど。十歳になって、中等部の一年目ってこともあり両親は「そろそろ」と学校に行くことを勧めるんよね。
両親と姉の明るくユーモアと何より深い愛情に包まれた家庭から、初めて知らない人ばかりの学校という場に出ることになって。もちろん両親が考えに考えて選んだ学校だから、校長も先生もいい感じなんだけどね。

▲それにしても「学校に行く」ことはオギーにとってものすごく大きなことであり、それは「送り出す」親や姉にとっても、学校の子どもや教師たちにも大きな波紋をよぶことになるんだけど。本を読みながら終始おもったのは、冒頭のオギーの語りにもでてくる「ふつう」ってどういうことなんだろ?ってこと。そして「顔」という自分で直接見ることのできない身体の一部について。

▲読了後 作者へのインタビュー記事を読んだら、執筆のきっかけを問われて、こう答えている。ちょっと長いけど、抜粋もふくめて書いてみようと思う。
著者はあるとき二人の息子とアイスクリームを買いに行き、上の子がお店に行ってる間、ベビーカーに乗った当時3歳の下の子と著者が待っていて。ふと隣をみたら女の子ふたりと母親らしき人。女の子のひとりは「頭部に骨格の障害のある子」だったそうで、著者の下の子はその子を見るなり大きな声で泣き始め。著者は「息子のためというよりは、女の子を傷つけたくなかった」から急いでベビーカーごと遠ざけようとして。そしたらそばにいた上の子の持っていたミルクシェイクをこぼしてしまい、さんざんな状況になってしまったとか。

▲【ベビーカーを動かそうとするわたしを見て、女の子の母親は「それじゃあみんな、そろそろ行かなくちゃね」と優しく穏やかな声で言い、その場から立ち去りました。その言葉は、わたしの心にグサッと刺さりました。 その日一日中、わたしは自分がとった行動について考えました。

あの親子は、毎日、何度も、同じような場面に出くわすのでしょう。それこそ何度も何度も。彼女たちはいつも、どのように感じているのだろう? わたしは、子どもたちにどう教えれば、次に似たような状況になった時、より良い対応ができるのだろう? 「じろじろ見ちゃダメ」と教えるのははたして正しいのだろうか、あるいはそういう考え方自体、もっと根深いものではないだろうか? 

そうしたいくつもの考えが頭の中をめぐり、わたしは、息子たちに良い態度を示す機会を逸してしまったことを後悔したのです。わたしがあの時すべきだったのは、下の子を遠ざけることではなく、女の子と、女の子の母親に話しかけることだったのです。仮に下の子が泣いても、それはそれ。子どもは泣くものです。彼には、彼のために、怖がることなど何もないよと言ってやるべきだったのです。単純に、わたし自身、ああした状況で、取り乱す以外にどうすれば良いか知らなかったのです 。
】(ほるぷ社ホームページ→作者のQ&Aより抜粋)

▲すぐ目の前に映像が浮かんでくるようで、若い日の自分に著者が重なるようで 胸がいたい。
とっさに取った行動に「そんなつもりじゃなかったのに」と悔いることがある。こうすればよかった、ああすればよかった〜とひとしきり後悔したあとに、もしかして自分の中に潜んでいたかもしれない意識や感情にふと気づいて、はっとすることもある。

▲そういうときいつも思うのは、どんなに悔やんでも、巻き戻して、やり直すことはできないから。大事なんは考えること。この「次」からのこと。
物語はオギーから姉のヴィアに、学校の友だちのサマーにジャック、ヴィアのボーイフレンド、ヴィアの友だちに・・と視点を変えて語られて、ひとつの出来事をそれぞれどんなふうに受けとめていたのか知ることになり、読み手もまた、一方向からではなく、いろんな方向から問われ考えることになる。

▲ある日飼い犬のデイジーが老衰で亡くなっちゃうんだけど、そのときのオギーとママの会話が心にのこる。
「ママ、デイジーはおばあちゃんといっしょかな?」
「そうね」
「天国にいるんだよね?」
「ええ」
「天国に行っても、みんな同じ顔かな?」
「わからないわ。同じとは思わないけれど」
「じゃあ、どうやって、だれがだれだかわかるんだろう?」
ママは疲れ切った声で答える。
「知らないわ。ただ感じるのよ。だれかを好きになるのに、目で見る必要はないでしょ?ただ自分のなかで感じるだけ。きっと天国はそんなふうなのよ。愛ってそういうもの。だれも愛する相手を忘れない
」】
(p305〜306「デイジーのおもちゃ」より抜粋)

▲そうそう、語りに親の章はないんよね。子どもたちだけ。
でも、子どもの語りからいろんな親の表情が見えてきて「親」として何度も立ち止まることになって。ああ、この本を読んだ人と早く話がしたいなあ。読んでみてください。

*追記
その1)
この間、ひょんなことから知り合った(というても実際に会うたことはない)息子1の友だちからポストカードをもらった。最後に【本を通してのつながりが広がっていくのはなんとも楽しいです】とあって。
彼女はたぶん「娘」のような年齢かなあ? 住んでるとこや、歳をこえて、何より「本」や「ことば」を通して「出会えた」ことがうれしくて、はがきを何度も読み返しました。
そしてそして今日は、イギリスの友(やっぱりまだ会ったことがない)からエドワード・リア『 The Owl and the Pussy-Cat 』のすてきなカードが届きました。彼女ともまた「本」や「ことば」つながり。youtubeで詩の朗読をみつけて(→)意味はあまりわかってへんのですが(汗)くりかえし聞きながら。とてもうれしい日となりました。

前にもここに書いたけど、再度。『偶然の装丁家』(矢作多聞著/晶文社刊)から一文を引いてみます。

本というのはふしぎなものだ。
近ごろは、本がきっかけで人と人がつながり、会話をしたりすることのほうが、本そのものよりおもしろいんじゃないか、と思うことさえある。人の奥にひそめられた物語は、何気ないようでいて、どれも多層的で豊かだ。
】(p265より抜粋)

その2)
暑いけど、なぜか本がすすみました。備忘録的に書いておきます。
『生きることのはじまり』(金満里著 /筑摩書房1996年刊)
『その時ぼくはパールハーバーにいた』(グレアム・ソールズベリー作/さくまゆみこ訳/徳間書店1998年刊)
『抵抗の証 私は人形じゃない』(三井絹子著/千書房2006年刊)

その3)
先日おもいたって幼なじみの住んでる町まで遠出。
おばちゃん二人は会えばソッコウ○ちゃん◎ちゃんの世界に。
しゃべって、手料理ごちそうになって、しゃべって笑うて。猛暑の中〜ちょっとくたびれたけど、
元気でました。
くたびれるのが嫌で出かけない、というわたしを、たまにはひっくり返そう!

きょうはこれを聴きながら。
Mogwai - Take Me Somewhere Nice→
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# by bacuminnote | 2015-08-04 14:30 | 本をよむ | Comments(9)

「のろのろいこう。」

▲雨音で目が覚めた。
いや、布団を蹴飛ばして足が冷えたからかもしれないけれど。
この、起き出すにはちょっと早く、二度寝するには遅い~こまった早起きに ため息をつきながら、枕元の電気スタンドを点けて本を開いた。

『冬の本』(夏葉社2012年刊)はこの間からの大掃除の最中、本の山がくずれて(泣)そのてっぺんにあった本で。何気なく手にとって、そのまま再読中。
この本、84人もの人たちが「冬の本」をテーマに2頁づつ綴ってはる。買ったときは夏葉社の本が出てうれしい〜というのもあって、ついつい駆け足で読んで「読了」のつもりでいたんやけど。

▲以後、思い出したように何となく手にとってはランダムに読み始め、また閉じる。ものすごーくお気に入りというわけではないものの(すまん)すきな書き手のんも、知らんかった人の文章も。読むたびに見えてくるものがちがって、小さな発見がおもしろく。それに自分の感じ方の変化もちょっと興味深かったりする。

▲こういう愉しみがあるから、本の整理(処分)はむずかしい(なやましい)。
そんで、こんな途中休憩ばかりが多くて、片付けはいっこうに進まないということになるのであった。
最近おなじように本の整理をしてるらしい友人がツイッターに"○年前の某誌にこんな作品が"とか "新聞のこんな記事が"~と、こころ引かれるツイートをいくつか発信してはって、わたしもいっしょに過去記事にとぶ。
そして、片付け始めたときより(今のほうが)エライことになってる部屋をながめつつ、彼女んちの本だらけの部屋を想像しながら一人笑うてる。いづこもおなじやねえ。

▲そうそう。
一連の大掃除の際、押入れ下に古新聞が敷いてあって、見たらなんと1967年10月9日の新聞だった。おどろいたのは、当時の新聞の文字の小さいことだけではない。(けど、ほんまに小さい〜)
一面は大きく前日の「10.8 羽田闘争」で京大生・山崎博昭さんが死亡したことを報じている。ベトナム戦争が続くなか、日本の首相が羽田空港から南ベトナムへ向かおうとしたこと〜日本がベトナム戦争に加担することを阻止しようとする学生たちの闘い〜とその後、本で読んだりして認識していたけれど。

▲紙面は「暴徒だ!もはや学生ではない」「狂った羽田デモ」という大きな見出しもさることながら「警官隊に投石する学生たち」というキャプションつきの写真と〜学生側を一方的に非難する記事は想像以上で、おどろいた。

▲1967年といえば、わたしは中1で。その頃はまだ「テレビや新聞で報道されることは正しい」と、無邪気に思い込んでいたように思う。2年生くらいになると、社会の授業でセンセが「一枚の写真もどっち側から撮るかで全くちがうものになり、見た人の判断も分かれる~」と言うてはったことに納得。「大きい声」が正しいとは限らない~と気付き始めた気がする。そして「小さい声」を聞き取るためにも「知る」ことがいかに大切ということも。
これは50年近くたった今まさに日々痛感している。

▲この古新聞におどろいたのはもうひとつ。
去年の秋だったかインターネットで、詩人の佐々木幹郎さんが山崎博昭さんと大阪・大手前高校の同期生で〜ふたたび戦争を繰りかえさないために〜「10.8山崎博昭プロジェクト」→の発起人の一人だと知ったところだから。

▲佐々木幹郎さんというたら、『詩のボクシング』で審査員のころ、屋台にてお酒のみながら終始くしゃくしゃの笑顔で、詩人というより大阪のおもろいおっちゃん然として、ユーモアたっぷりに感想を言うてはった印象が強かったから。プロジェクトの集まりのようすを動画でみて、そのきびしい表情にどきっとした。
そして、このとき佐々木さんが「最後に彼と生前、最後にかわした会話を、わたしはよく覚えています」と話されたことが、とても深く残っている。

▲ある日、大阪から京都へ行く電車のなかで佐々木さんが偶然 山﨑さんと会ったそうで。
『いま、何をしている?』というのが彼のわたしへの質問でした。その言葉が、絶えずこの50年間、甦ってきました。一番つらいときも、詩をやめようと思ったときも、『いま、何をしてる? 佐々木』という山﨑博昭の声が、しばしば聴こえてきました。それに答えるためにも書き続けるという、そういう思いで生きてきましたから(以下略)》(佐々木幹郎:発起人あいさつ より抜粋→

▲48年も前の新聞には、このほか「造成いそぐ万国博会場」の記事。
三百二十万平方メートルの敷地を八工区に分けて工事が進められている。(中略)梅雨明けから三ヶ月間、延べ一万八千台のブルドーザーやスクレーバーを昼夜兼行で動かし、基礎造成の六割を完了した》とあって、緑豊かな千里丘陵のそこだけごっそり削り取られた写真が大きく載っている。
なんか、どこかで、見たような光景だ。

▲さて、そろそろくずれた本や雑誌の山をなんとかせねば。
本棚に並んだ一冊一冊が、長屋の住人のようにつながりをもっていく。そのたくさんの本のあつまりが、またあたらしい一冊をえらばせる。読書というおこないは、自分にしか手にすることのない、小さな町のような本を編んでいくことだとおもう。
(『冬の本』〜「小さな町にて」北村知之p71より抜粋)

*追記
その1)
長い長い一ヶ月でした。(正確にいうと一ヶ月にはまだ足りない)
片付けをして一生分くらいモノを捨てた気分。で、うしろめたい気分が残りますが、ひとつ山をこせてほっとしています。
次はわが家の片付けですが、なんせ暑いことやし、ぼちぼち。
上記『冬の本』に、荻原魚雷さんの「冬眠居にて」というエッセイがあって。(p56〜57)

わたしは尾崎一雄から、弱っているときや寒いときは寝ていたほうがいいという人生の真理を学んだ。 寝ているうちに春が来る。 それまでは充電。のろのろいこう。 冬に怠けた分は、残りの季節でなんとか帳尻を合わせる方針だ。

(異議なし!「寒い」を「暑い」に、「冬」を「夏」に置き換えて、のろのろまいります・・苦笑)

その2)
きょうはこれを聴きながら。The Low Anthem play Apothecary (in Grand Central)→この駅は〜むかし、親子北米旅行の思い出の駅。

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# by bacuminnote | 2015-07-22 22:14 | 本をよむ | Comments(2)

赤いくちべに。

▲いつのまにか7月になっていた。
こんなにブログを書かなかったのはたぶん初めて。
ひとは器一杯になると いっときことばをなくすのかなあ。いや、ただわたしの器が小さいだけなのかもしれへんなあ〜とか思いつつ。
それでも少し、ほんの少しでも隙間ができると、それが水路となり、とたんに溜まってたものがことばとなって流れ出してきて。もやもやしてわからへんかったけど、徐々にことばになってくると「ああ、これやったんか」と妙に納得したり。

▲そうそう、水路って英語で"waterway"というんよね。「まんま」な単語やけど、口にだしてみると、なんか透き通った水が勢いよく流れるとこが浮かんできて、どこか新しいところに向かう力のようなものを感じて。今朝から何度もウォーターウェイと言うてみる。(←相変わらずたんじゅんです)

▲昨日久しぶりの図書館で何気なく本棚見てたら『口紅のとき』(角田光代著/上田義彦写真/2011年求龍堂刊)という本に出会った。
装丁も口紅を思わせる真紅にゴールドの網目?のゴージャスな感じが、わたしにはちょっと遠い感じやったけど。だから逆に気になって手にとるや 一気に読んでしまった。

▲目次には6歳から始まり12、18、29、38、47、65、79歳とあり、その歳ごとの女性の口紅にまつわる話が綴られている。途中紙質もかわって写真集のように口紅を塗る少女や女性の写真が数点はさみこまれ。ぜんぶで100頁ほどの薄い本で、ひとつひとつの話も短くてあっという間に読めるけど。本を閉じたあともずーっと物語が続いてるような感じがするのは、どこかで自身と口紅の物語を重ねてるからかもしれない。

▲口紅というたら、ホームに入居の義母から買い物をたのまれて一番困ったのは化粧品やったんよね。遠いむかし、わたしにもちょっとの間お化粧していた時期はあったんだけど、ケッコン式のフルメイク!(笑)を最後にお化粧はしていない。
その後は身近に化粧品をみる機会もないので、義母からファンデーションを、眉墨を、頬紅を買うてきて〜と言われても(希望の品番のないときにはかわりに)どんなものを選んだらいいのか、どのくらい値段を上下させていいものか、どこに行けば買えるか(昔みたいに化粧品は化粧品店だけで売ってるわけとちゃうし)さっぱりわからないのである。

▲いつだったかナイトクリームを頼まれたときは、化粧品売場の試用品に(ドラッグストアのハンドクリームを試すが如く)指をずぼりと入れたら(苦笑)制服姿の店員さんがとんで来て「お客様、それは困ります」と言われた(泣)
一瞬何のことかわからず焦ったけど。すぐに耳かきみたいなものを持ってきて、クリームをほんの少し掬ってわたし手の甲に少し落とさはったので、納得。その後は何言われても上の空状態で〜説明終わるのをまちかねて退場、なんてこともあったっけ。

▲中でもよく頼まれたのは口紅で。
これは他のものとちがってこの色の感じが似合うかな〜というのが わたしにもわかりやすかったんよね。けど、「また "口紅買うて来て" やてぇ〜」と相方が聞いてきては、「ええっ?この間買うたとこやのになあ〜」と二人してため息をついたりした。
それでも、いつもテーブルの上に置いてあった黒い手鏡を持って口紅をぬる義母を思うと頬がゆるんで。「おしゃれできるいうのは元気な証拠やし、ええやん〜」とまた買いに走るのだった。

▲さて、
本のはじまりの「6歳」は、お母さんが鏡台(←なんと懐かしい響き)の前に座るとき《わたしはその短い時間が、待ち遠しいのと同時に、こわかった。》という思い出。
少しばかり尻を持ち上げ、鏡に顔を近づけて、細い筆をゆっくり動かした。その段になると、お出かけできるうれしい気持ちよりも、ほんの少し恐怖のほうがまさった。そして、こころのなかで叫んだ。 ねえおかあさん、ねえおかあさん、ねえおかあさん、ねえ、私のおかあさん。
母がお化粧するときも出かけるときくらいで。鏡台の前に座る母はいつもの「おかあちゃん」じゃない気がして、なんだかドキドキしたり、口紅だけでぱあっと顔が華やいで別人みたいにおもったことをよく覚えている。

▲そういえば、
ホームで知り合ったhさんは、出会った頃すでに80を越えてらしたけど、通りすがりの人も かならず振り返るほど華やかでうつくしい人だった。
まだ親しくさせてもらう前は、わたしと相方も、当時小学生の息子まで、廊下やエレベーターで会うたびにぼーっと見とれていたものだった。
真っ白の短い髪に、赤いルージュが(口紅ではなくルージュと呼ぶこともまたhさんらしくて)とてもよく似あっており。センスのよい服装で颯爽と歩く姿に、わたしはよく「きゃあ、かっこいい〜。hさん、ちょっと回って見せて〜」なぁんて言うと「まあまあ、あなた、大人をからかったらいけませんよ〜」と笑いながらも、モデルのようにくるりと回って見せてくれる、そんなお茶目なひとでもあった。

▲5年ほど前になるだろうか。体調を崩されて、いつのまにかhさんの唇から色がなくなった。
部屋をおたずねすると「もうね、おしゃれもお化粧もなーんにもする気がなくなっちゃったのよ」と長いため息をついてはった。
それから、「あの赤い色みてると元気でるんだけどね〜」と冷蔵庫のほうを見る。扉にマグネットで貼ったマチスのポストカード『赤のハーモニー(赤い部屋)』はいつだかわたしが送ったものだった。そう、赤い色はわたしもなんか元気でる気がする。
そのころのhさんは以前の華やかさが水底に沈んでしまったかのようだったけれど。
しずかに長椅子に横になって昔話をぽつりぽつり話してくれる彼女を やっぱりわたしはすてきな人やなあと思ってみとれてた。

▲本の最後「79歳」は、まさに老人ホームに入居している79歳の女性の物語で。
スタッフの若い女の子にメーキャップされるというお話だった。79歳の「私」に顔を近づけて女の子が口紅をぬる。
いいよそんなにていねいにやらなくたって。こんなばあさんに、そんなにていねいにすることはないんだ。だれにも見せるわけでもないんだから。そう思うのに、女の子は、筆でゆっくりとくちびるの輪郭をなぞり、幾度も紅をつけて、ぬっていく。女の子の、ふっくらとした頬が目の前にある。桃のようにすべやかな肌。

▲ところが、紅をひいた自分を鏡でみると十代の私が映っている。やがて二十代の、三十代の自分・・六十代で「あの人」をなくした頃のことが浮かぶ。そしてゆっくり、鏡のなかに映った女は、現在の私になって。
皺の一本一本に、しみのひとつひとつに、私の過去がある。私の過ごしてきた日々は、すべて私の顔のなかにある。その日々を、赤いくちべにが美しく光らせている。》(p98)

▲あとがきのような「ちいさなドラマ」という文章は《くちべには不思議だ》から始まるんだけど。
ほんまに。ほんまやね〜としみじみ思う。
くちべにには、ほかのどんなものより、あざやかなドラマがある。そして、ひっそりとつつましやかなのに、ほかの何より饒舌だ。

赤いルージュの似合うhさんは二年ほど前に亡くなられたそうで。
お義母さんは淡い藤色の訪問着姿にローズピンクの口紅ぬってもろぅて、きれいで穏やかな表情で。でも駆け足で、遠いとこにいかはった。引き出しには前回余分に買っておいた口紅が一本残ってる。
わたし?わたしはこれからもお化粧しないで歳をかさねてゆくのかなあ。
いつか義母のあの口紅をつかうときがあるのかなあ。


追記
その1)
何が何だかわからないほど、ばたばたした(する)日々の中、もう一冊『断片的なものの社会学』(岸政彦著/朝日出版社12015年刊)を読みました。
本の帯に書かれた星野智幸さんの《この本は何も教えてはくれない。ただ深く豊かに惑うだけだ。そして、ずっと黙ってそばにいてくれる。小石や犬のように。(略)》が、ずっと思いの中にありました。そのことに、時に苛立ちながら、時に深く頷きながら、読みました。

その2)
いつからかyoutubeは めあての一曲聴いたあとも次々自動再生するようになって。
何を聴いてたのかも忘れて、あとの曲は適当に流してたんだけど、この曲になってこおりつき、なきそうになりました。
Simon & Garfunkel - The Sound of Silence→
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# by bacuminnote | 2015-07-08 14:50 | 本をよむ

きれいな風。

▲雨と強い風に古い雨戸がガタガタ揺れる音と、6月とは思えない肌寒さに昨夜は何度も目が覚めた。
それなのに、今朝は時計のアラーム音が鳴る前から起きてしまって。朝一番外を見たら、薄暗い庭で雨にうたれた緑がいっそう濃くなってじいっとこっちを見てるみたいで。ねぶそくの眼がびっくりして一気に開く。
こんな日の熱い珈琲はしみじみと旨い。

▲このあいだ『イタリアのしっぽ』(内田洋子著 集英社2015.5刊)を読んだ。
帯に「エッセイのような小説、小説のようなエッセイ」~とあったけど。共感。
内田洋子さんの本を読んでいると、イタリアの海辺や山の風景、料理やワイン、著者が出会った一癖も二癖もある人たちに「へえ」「ふーん」と外から眺めたり覗きこんだりしてるうちに、いつのまにか同じアパートのひとつ上の階に、あるいは同じ村に暮らしてる気分になっており。
最初はエッセイを「軽く」読んでいるつもりが、読み応えのある短編小説や映画を観たあとのようで。読後もけっして「軽く」はない。
そうして、一篇読むごとにだれかに語りたくなって。なら下手なおしゃべりよりは音読を、ということになって。この本も寝床で台所で、と相方に15篇の中から2篇「読み聞かせ」(苦笑)した。

▲内田洋子さんといえば「料理と人」の話がサイコーだけど、今回は全篇 動物と人とのかかわりが描かれている。犬、猫、馬にうさぎに蛍、タコまで。どこに行くにも四六時中 サルと一緒〜っていう青年も登場する。
動物を飼うきっかけもその種類もさまざまだけど、共通してるのはその人の支えになる家族の一員であり、時には「人間の家族」以上にかけがえのない存在となっていること。そして、人と同じように出会いのよろこびから、つらい別れまで。

▲「音読」した2篇は、ローマ郊外の小さな映画館を営む家に生まれ、子役・端役の後、ドキュメンタリー映画を撮るようになったマリーノが飼うタコの話(「釣り上げて、知る」)と、ミラノ郊外の不便な場所で、売れるあてのない大きな鉄の彫刻を創りつづけるエンリコとその息子と犬の話(「開いた穴」)だった。
ふたりとも、今はもう そこそこの歳ながら、その道で高名でもなく裕福でもないんだけれど。マリーノが映画の世界から海に飛び出して、やがて人ではなく海を撮るようになる過程も、つねに芸術と真摯にむきあう中で家族をうしない、再びべつの形で家族と「会う」ことになるエリンコにも、一筋縄ではいかないジンセイの深くあまく苦い味が、黙読、音読のあとも舌のうえに残っているようだ。

▲どの本を読んでも思うことだけど、彼女が人や動物やものに出会うて(でおうて)ゆく、そのときの状況もあとの関係性も、いつもとてもエキサイティングで興味深い。
偶然の出会いであれ、だれかの紹介であれ、何かと関わってゆく繋がってゆくことが…そのおもしろさ愉しさ、こわさや煩わしさもふくめて「出会うてゆく」ことが、ほんまにすきなんやろうなと思う。何よりむかう相手の扉をすーっと開けさせる何かが彼女にはあるんやろね。
そんでね、それを文章化するとき彼女は黒子に徹していて、カメラを通して対象を観てるような。しずかで抑えた筆致のなかに込められたものが、読んでるうちに圧縮ファイルが解凍してゆくみたいに「多弁」になってゆく気がする。

▲そうそう、この本の「あとがき」もよかった。
著者が幼いころの話だ。
神戸の祖父母宅ですごしたとき〜夕方になって須磨海岸を祖父と著者と犬で散歩しながら、砂浜でしばし遊ぶ時間。
夕刻のがらんとした砂浜に、大きな音で波が寄せてくる。
橙色に染まっていく海の西の端を見ながら、「大きくなって、あの向こうまで行けるといいね」祖父は言った。太平洋の洋をとって〈洋子〉と私に名付けたのは、祖父だった。


そうして海からの帰り道おじいちゃんは路地を折れ、一軒の玄関口で立ち止まり「シィッ」と犬と著者に目配せをしてその酒店でコップ酒を嗜むんよね。

海を越えて、もうずいぶんになる。
異国での毎日は、唸ったり、歯を剥き出したり、腹を見せたり、甘噛みしたり、遠吠えしたり、の繰り返しである。
伝手も所属する組織もなく、言葉は通じても気は許せず、ネタを追いかけての移動続きで、文字通り一匹狼のような暮らしをしてきた。

ある晩、帰宅し灯りを点けようとして、ふいに寂しくなった。
友人たちとの食卓でそれを話すと、数日後に中の一人から連絡があり、「小学校へ行くように」と言われた。
待っていたのは、生まれたての犬だった。須磨海岸から半世紀ほど経って、うちに犬が来た。

(p228〜230「あとがき」より抜粋)


*追記
その1)
6月はいろいろしみじみと もの思う月です。
ケッコン記念日も(36年!)
4年前のおなじ日に遠いとこにいってしまった 旧友のだいじなひとのことも。
そして、このあいだ彼女からとどいた娘ふたりに孫3人との写真は〜女6人のにぎやかな笑い声が
すぐそこに聞こえてきそうで。しんそこ うれしかった。

「六月を奇麗な風の吹くことよ」(正岡子規)

その2)
今日はこれを聴きながら。 
Balacade - Ghost Car→
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# by bacuminnote | 2015-06-20 10:52 | 本をよむ | Comments(2)

思いどおりにならん箱。

▲6月になったとおもったらここ数日急に冷えこんで、先日洗濯して仕舞ったばかりの綿毛布、レグウォーマー、上着に…と、冬物いろいろひっぱり出してくることに。
天も地も(人も)。ほんま どないなってるんやろね。
今日は終日いまにも降り出しそうなひんやり灰色の空で。薄暗い庭に日々繁殖のドクダミは濃い緑のなかに白十字が光って見える。紫陽花は白にピンクにブルー。淡いのんやら濃い色のんやら、つぎつぎ咲き始めて。この花に「水の器」という名をつけた人のことを考えながら、指先についたドクダミのにおいを嗅ぐ。

▲この間からiMacが不調の極みで。若い友の力を借りていろいろ試みるも「買い換えたほうが賢明かも」という結論になった。それで迷いに迷った末、長いこと使い慣れた(つもりの)Macから思い切ってwindowsに変えることにした。
やっとのことで新しいマシンを買って(レジで並びながらまだ迷ってたけど・・)いろんな設定が一通り終わったものの。あるトラブルが一向に解決せず、サポートセンターに何度も電話して尋ねたり、試行したりのあげく、まさかの再セットアップ~という展開(号泣!)
いっぽう、一日のうち何回も強制終了をくりかえし息も絶え絶えだったiMacが、新人(windows)がやって来たとたん、なんや張り切りだして。ただいま低め安定 けっこう活動中、の妙。
ふうう~パソコンはわたしにとっていつまでもラビリンスだ。

▲と、パソコンを使うようになって以来ずっと振り回されっぱなしなんやけど。この(いっこも思い通りにならへん)箱と窓のおかげで、どれだけ多くの愉しい出会いがあったことか。
そもそもの始まりは「パン工房麦麦(ばくばく)」のホームページの開設だった。
なんせ山の中の小さなパン屋のことで、少しでも販路を広げられたら、とホームページを開くことにしたんだけど。かんじんのマシンがない。予算も少ししかない。くわえて、パソコンの知識は皆無~のないないずくし。
ある日、友だちに電話でその計画を話したら、おつれあいの使ってないノートパソコンがあるから「そんなことなら、送ってあげるよ」と思いもかけずうれしい返事に飛び上る。すごーい!
そうして翌々日にはまだ新しいマシンが和歌山から信州のわが家に届いたのだった。

▲はやる気持ちで荷をほどいたあとは、黒い箱を前に唸る。
最初とりあえず原稿は自分で書き、あとの作成は村内でいち早くホームページを立ち上げてはった「ロッジ上天気」さんに全面的に助けてもらって(改めて感謝!)ホームページ始動。いまから17年前~1998年のことだ。
日々更新、いや、時々刻々と発信の今から思えばうそみたいな話やけど、そのころのお店のホームページって、どこもまだ更新回数が圧倒的に少なくて。とりあえず開設して、あとはそのまんま。いつ見てもパンフレットの様相~というところが多かった。でも上天気Kちゃんの「せっかくのインターネットなんだから、できるだけ回数多く更新した方がいいよ」の進言もあって、じゃあ、ウチは月三回「麦麦通信」をアップしようときめたんよね(←しつこいようですが、その頃はこれでもけっこう多かったのでした・・苦笑)

▲そうしてすこしずつパソコンの扱いにも慣れ、アクセスも徐々に増えたけど。ホームページを開いて「麦麦」がとつぜん有名になったとか、売上が劇的にアップした、ってことにはならなかった。でも、おかげでゆるゆるとながら各地から注文がきて、遠いところではなんとシカゴやウランバートル(モンゴル)からの注文もあって。(さすがに現地宛てというのではなく、日本のご実家に送るというご注文でした)それがきっかけでやりとりが始まったり。山の中の暮らしながらいろんな人たちと繋がって、エキサイティングやった。

▲そうそう、当時はインターネット接続もダイヤル回線で、一回線しかないウチでは電話とそのつど切り替えてたんよね。当然通信速度もめちゃ遅かったし、電話代を気にしながらネットに繋いでたので、ネットサーフィンなんてこともほぼなく。パンの注文の電話などかかる時間帯には使えなかったから、更新やメールの送受信は夜、もっぱら家族が寝てからのコドクな作業となった。

▲いつだったか、息子1の友だちが遠方から遊びに来てくれたときのこと。
駅に着いたら車で迎えに行く約束だったのに、時間になっても一向に連絡がなく、待ちくたびれて「おかしいなあ。どないしたんかなあ」と息子が言うたそのとき「もしや?」と、電話の切り替え器をチェックしたら案の定スイッチがパソコン回線のままで、通話不可状態になっていたのであった。きゃあ大変!えらいこっちゃ!
「待ちくたびれてる」のは息子の友だちのほうではないか。
大慌てで相方と息子らが駅にむかい、わたしはスイッチを電話に切り替えて自宅待機。まだ駅にいてくれてるかなあ?どうしてるかなあ?とドキドキ。なんせ彼が知ってるのは降りる駅とウチの電話番号だけなのである。

▲「ぶじ会えた」と駅から電話があって、胸をなでおろす。
N君いわく~公衆電話から何度電話しても繋がらないから。もしかしたらウチに「不測の事態」が起きて家族で留守にしてるのかも。それなら、とりあえずわたしらが帰ってくるまで待つしかない~と、途中、時間つぶしに町を散策しては又電話ボックスに戻る~ということをひたすら繰り返してくれたそうで。いやあ、なかなか冷静な判断、行動に感心・・・してる場合やないか(苦笑)
彼には、ただもう平謝り。それでも、何度もその話で盛り上がっては大笑いしたっけ。
携帯もない頃のなつかしい思い出だ。

▲それにしても。
みごとに何もわからないままの見切り発車で、周囲のひとたちにはほんまお世話になり。最初のマシンを譲ってくれたKさん、ホームページの基盤を作ってくれた上天気さんはもちろん、お客さんで岡山在住のウェブデザイナーTさんには 思うようにできなくて半泣きパニック状態のときも、何度もメールで丁寧にやさしく教えてくれはって、そのつど助けてもらった。「みんなそうして泣きながら覚えていくんですよ~」のことばにはほんと支えられました。この方はご家族で信州への旅のおりウチにも寄ってくれはった。パソコン教室も主宰されているらしく、きっと的を得た指導をしてくれはる、おもしろくてええセンセやろなあ~とおもう。

▲会ったことのないペンフレンドが、そこでは売ってないかも~と「困ったときに開く」ガイドブックを買って送ってくれたこともある。
お客さんから友人に~の三重県の種苗屋さんは自作パソコンを「さつまいもの苗」と書いた段ボール箱に入れてプレゼントしてくれはった。(←つまりHDがさつまいもの苗の箱に入ってる〜というスタイルのマシンで。わが家では「さつまいものパソコン」と命名〜笑)
Macに替えてからはSさんにいつもサポートしてもらい、修理までしてもらったし。ここに引っ越し後は若い友に頼りっぱなしで。ほんま、わたしらはいつも周囲のひとたちに助けてもらってばっかりやなあと、今これを書きながらしみじみ。あらためて、いっぱいいっぱいおおきにです。

▲さて、長いこと続いた悪夢(修行?)のような時間がすぎ、ようやく好きな本や映画の時間をとりもどして。ああ、シアワセ。さっそく観た映画(DVD)は『ショート・ターム』(原題:”Short Term 12” デスティン・クレットン監督)と『イロイロ ぬくもりの記憶』(原題:”Ilo Ilo" アンソニー・チェン監督)。とくべつに意識して選んだわけじゃなかったんだけど、たまたまこの2本は、若い監督が子どもと親以外のだれかとの関わりを描いた作品で、女性を描いた映画だとも思う。『ショート・ターム』はアメリカの映画。問題を抱えたティーンエイジャーをケアする施設の子どもたちとそのスタッフの、『イロイロ』の舞台はシンガポール。メイドとしてスペインからやってきた(そして、自分の赤ちゃんは母国で妹に預けてる)女性と、そこんちの一人息子(小学生)のお話。

▲想像どおりの展開といえば、そうなんだけど。状況や背景を変えても、何回観ても、わたしは子どもが(ひとが)自分のことをだいじに思ってくれるひとと出会って、かたく縮んだこころを柔らかくさせ、扉をすこぅしずつ開こうとする様子にうれしくて胸があつくなる。
そしてそのとき、解放されてるのは子どもだけやなく、向き合ってるひとだって救われてるんやろなと思う。

▲映画を観たあと、『ショート・ターム』の監督のインタビュー記事を読んだ。「なぜ、監督になろうと思ったのですか?」というありきたりな質問だったんだけど(苦笑)監督のじつにストレートな答え「ただ楽しかったからです」がいいなあと思った。

≪よく分かりませんが、ただ楽しかったからです。稼ぎがなくても、映画を作っていたのだと思います。
部屋で一人ずっと物語を書き続け、それが終わると大勢の人を集め、社交的な雰囲気の中で撮影に取り掛かります。そして撮影を終えると、今度は私ともう一人のスタッフで編集ルームに入り、作品を仕上げ、最後はまた皆で集まり映画を観る。私は映画制作における、このプロセスがとても好きです。≫"FASHION PRESS"監督インタビューより抜粋


*追記

その1)
今回書けなかった本~『べてるの家の「非」援助論』(2002年医学書院刊)
この本は医学書院「シリーズ ケアをひらく」の一冊です。以前読んで衝撃を受けた熊谷晋一郎著『リハビリの夜』2009年刊(以前ここにも書きました)もこのシリーズ~どちらも読みごたえのある本。

「べてる」とは 
≪ドイツに古くから障害を持った人々が受け入れられ、暮らしている同名の街(ドイツ名: ベーテル)があり、第二次世界大戦中、ナチスが「優れた人間のみが生きる権利がある」との思想から、障害者を抹殺しようとした時、住民が「彼ら・彼女らを連れて行くのならば、私たちも連れて行け」と、命懸けで抵抗した。1984年、浦河教会の牧師だった宮島利光がこのドイツのエピソードをもとに、「べてるの家」と命名。≫(名前の由来 Wikipedia→より抜粋)

その2)
今日はこれを聴きながら。ウクライナのキエフで活躍している4人組バンドらしい~ということしかわからないのですが。ふしぎな魅力。すきです。
DakhaBrakha: NPR Music Tiny Desk Concert
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# by bacuminnote | 2015-06-09 21:37 | 映画 | Comments(0)
▲暑い。
昨日図書館にあがるエレベーターを待っている間も(ここはいつも時間がかかる)扇子をぱたぱたしてはる人や、ノースリーブのブラウスの人、汗いっぱいかいてる小さい子にママがバッグから水筒取り出してはったりして。
壁に貼ってある図書館カレンダー眺めながら、もうすぐ6月やもんなあ〜と、なっとくの暑さをわたしもハンカチ出して拭う。
と、そのときママに抱っこしてもろた男の子と目が合ってにっこり。
いつのときも、シアワセなきもちになる瞬間だ。

▲かれは手にもったハンカチがどうもご自慢のようで、ひらひらして見せるので「何の絵かなあ?」と聞くと、それには答えず(苦笑)幼稚園の年少組ってこと。Tシャツに書かれたじぶんの名前を、一文字ずつ指さして、○○○〜と読み上げてくれる。
Tシャツの次はハンカチの名前を。そしてその後ご自慢のハンカチの絵〜ミキサー車のおはなしに。
そうしてるうちに、エレベーターが着いて乗り込んで。いつのまにかママの手から降りた男の子はわたしをみあげて話す。「あのね、それでね、おばあちゃん…」
と、そのとたん、ママが慌てて「わあ。すみませーん」と謝らはって。同時にたのしいひとときがおわって。じきエレベーターのドアが開いて「バイバイ」と手を振り合った。

▲「おばあちゃん」というたら(苦笑)この間旧友Yと「還暦同窓会」をした。
1月と2月の近い日に生まれたので、その辺りに(二人ともあまのじゃくやから高校の同窓会には行ったことがないけど)
二人で「還暦祝い」を、と話していたのだった。ところがこの年にはこの年頃のいろんなこと〜老親のことも、家族のことも、自身のことも あって、冬から春をすぎ初夏になってしもたんやけど。
相談の結果 Yんちに初訪問させてもらうことになって。で、その数日後「善は急げで、26日に来ぃひん?」とお誘いの電話。そんなわけで、久々の再会、遠出はとつぜん決まった。

▲とはいえ、新大阪→岡山は新幹線に乗ると、たったの45分なのであった。よしのに帰るより、よっぽど「近い」。わたしは日頃出かけることが少ないから、こういうときはかならず「遠足前の子ども」状態。留守の間の相方の食べ物補給もして、お風呂にも早々と入り。かばんの中身を点検して、入れたり出したり、加えたり。コーフンしてなかなか寝付けなかったのに、朝は目覚まし時計が鳴る前に起床…というおきまりの展開だ。
その日も朝からええ天気。ゴミ出しの日やったから、ご近所なかよしさんらに「行ってらっしゃーい」と海外に行くかのように(苦笑)見送ってもろて出発。

▲道中、予定より一本早い新幹線のほうが乗り換えに都合がいい〜とYからメールがきて、ホームを小走りで乗車したもんで(長いこと新幹線も乗ってへんから自由席が何号車か、とかすっかり忘れており)席に着くなりどっと汗が出た。
クーラーがよく効いて、ああええきもち。でも目ぇつむったら、ねぶそくの身ゆえ熟睡してしまいそうやなあ。博多まで行ってしもたらあかんしね〜持ってきた本(『べてるの家の「非」援助論』医学書院刊)を開く。2002年6月1日の発行やから、もう13年も前の本で。

▲「べてるの家」のことも、この本も、わたしらがまだ信州開田高原にいたころに時折聞いてはいたものの、なんとなく読みそびれていたのだった。
これ、何回も書いてるけど、ほんま人でも本でも映画でも、いろんな出会い方があって。幸せな出会いも、ときに不幸(苦笑)な出会いも。そしてそれは、何かのはずみに反転することも、全然違う方向に広がったり、飛んでゆくこともあって。
せやから「出会う」っておもしろいなあと思う。

▲少しして汗がひくと、こんどは肌寒くてカーディガンを羽織ろうとしたんだけど。三人席の真ん中で、両隣は足下にスーツケース置いてはって、思うように身動きとれず。
座席で腰浮かして、デカイ身を縮こませつつ(ツリそうになりつつ)袖は何とか通せたものの、身頃がなんか変てこになっており。
それでも、まあ寒いの凌げたらええか〜と思ってたら、
右隣の年上の(たぶん)女性が「あらあら、ぐちゃぐちゃになってるよ〜」と笑いながら直してくれはって。
それきっかけに話始める。

▲下関のご実家に帰るところだそうで。
そのむかしの夜行列車のこと〜いつも夜11時45分発に乗ったのよ。
母がいるときの下関と家、いなくなってからの下関と家はちがうんよねえ。なんていうか空気がちがうというのか、気配がちがうというのかなあ〜
お母さんはご健在?そう、いいわねえ。
今日はどこまで?お友だちとこ?いくつになっても友だちはとくべつよねえ。
たった45分の乗車の、10分にも満たない会話だったけど。旅の気分を味あわせてもろて。
「ほな、気ぃつけて」と岡山駅で下車。

▲改札のむこうで手をふる友だち。
何年ぶりかなあ。大阪に戻ってから一度来てくれたし10年近いかも。
久しぶりの再会のあいさつは「かわらへんなあ」だ。(←つねづね、おばちゃんたちのこの「決まり文句」には息子らから「あほらし〜」と笑われるのであったが)
この日はまず倉敷に寄ることに。
高1のおわりの春休みに、クラスメイト4人で倉敷や鳥取砂丘に旅行したのであった。このころ創刊したての『an an』にたしか倉敷特集があったんよね。それまでの旅行案内とはまるっきりちがう街歩きのガイドで、くまなくチェックして出かけたんよね。大原美術館に喫茶「エル グレコ」、蕎麦「あずみ」〜って、「まんま」やん〜やけど、友だちだけで旅行は初めてやったしうれしくて終始浮かれてた。

▲宿泊は倉敷ユースホステルで。ユースホステル〜というのがその頃の若者の旅のジョーシキで。
大原美術館にあやかって各部屋には画家のなまえがついており、わたしたちの部屋はたしか「ルオー」だったと思う。さっき調べたらここは《大原美術館分館や倉敷市庁舎なども設計した著名な建築家 浦辺鎮太郎が、蔵の街をイメージして設計した》建物らしい。
大人になってからは苦手だったユースホステル名物のミーティングも、16歳の少女たちには刺激的でたのしみに参加した気がする。
そうそう、翌朝チェックアウトのときカウンターに並べてあった会員証で、わたしと同姓同名のひとが宿泊してはることがわかって、記念撮影したり。
バックパックの大学生のお兄さんと知り合ってはしゃいだり。

▲まあ、そんな かいらしかった女子高生的旅の日を思い出しながら、友と倉敷のまちを歩く。倉敷はしっとりおちついたまちだけど。近頃はどのまちも、ほどほどに洗練されて、どこもよく似ており。それより何より、おば(あ?)ちゃんらは長いブランクの間の積もり積もった話だ。
11時前に岡山に着いて夕方4時に最寄りの駅へYのおつれあいのMさんが迎えに来てくれはるまで、みごとにしゃべり通し。

▲じつは彼女たちケッコン数年目の新婚さんで。でもそのやりとりを聞いてると、時にきつい冗談もとび出すものの、底には温かなものが流れてて おたがい素顔で「ええかんじ」に暮らしてはるのが伝わってきて。さすがジンセイの達人同士、長く暮らしてきたカップルのような貫禄もあって。
わたしも初めておじゃまするお家のように思えなくてリラックスさせてもろた。
リビングにはなつかしい薪ストーブ。さっきまで薪割りしていたというMさん〜道むこうには小川が流れその川辺で薪割り、とか。ええなあ。

▲お家には理系エキスパートなMさんの手があちこちに入り、歩くのを追うように電灯がついたり消えたり、どこからか時報が聞こえたり、人が入ってくると音が鳴ったり。
屋根の上には自作ソーラーシステムが、とぐろを巻いており(長いパイプに汲み上げた井戸水が200Lたまるようになっているらしい←お風呂用)夏には屋根の熱をとるべくスクリンプラー(これも井戸水を使って)から注水されるようになっていて。ほかにも床下や壁中にもいろんな技が内蔵(!)されてるらしい。
いやあ、どんな修理にもガムテープ一本ですましてるわが家(苦笑)からは考えられない「発明の館」であった。Mさんの本来のご専門の話も興味深く、その他にも驚嘆、賞賛、抱腹絶倒なおもしろいエピソードをいっぱい伺ったのだけど、ここで披露できないのが残念。
Yが彼のことを「とうちゃん」「センセ」と呼んでいるのにも納得。

▲夕食は料理プロ級なYが前日から「おいしいもん」をいっぱい仕込んで拵えてくれてあった。(大皿一枚ドーン〜なわが家とえらいちがい…)
そういえば、学生のころ住んでいた家(いまでいうシェアハウス)に、彼女が来て、ハンバーグとコンソメスープを作ってくれたことがあったんよね。
一緒に住んでいた友だちもわたしも、めちゃ無精モンで、台所も不便やったし(冷蔵庫がなかった、ということもあるけど)当時はご飯炊いてふりかけか海苔〜レベルの自炊やったから、おいしくて大感激したことを覚えている。

そうそう、仕事からもどった息子さんは小麦粒のリゾットを作ってくれはって、これもおいしかったぁ。
のんで、たべて、しゃべって、のんで。
このお家のなか〜Yがたいせつな存在なのだということをあちこちで感じて、とてもうれしかった。自分のたいせつなひとがたいせつにされてることを知るのは シアワセだ。

▲次の日、Yが「おかあさんがクミちゃんの声聞きたがってたし〜」と電話をかけて、久しぶりに「おばちゃん」と話す。
そのむかし、親とけんかして家出てきたわたしが Yの家に泊めてもろたこともあったそうで。
ううう〜そんな恥しい過去があったのか(すっかり忘れてた)ていうか、Yのお家にはしょっちゅうおじゃまして、ご飯をごちそうになってた。
考えてみたらわたしって、ちっちゃなときから大きくなるまで、いつも、どっかのお家でご飯食べさせてもろてるんよね。

▲自分ちが家族の温もり〜のようなものからは遠い家やったからかもしれんけど。
近所や友だちんちで「おいしいもん」「あったかいもん」ごちそうになって、 自分のすきまを埋めさせてもろてたのかもしれない。
いまさらながら、ご飯食べさせてくれたあちこちのお家の人たちに、こころからおおきに〜とおもう。
おばちゃんが言う「友だちはええもんやなあ。なかようしたってや〜」は、母がわたしの友に言うことばとおんなじや。娘をおもうきもちにじんとくる。

▲話しても話してもつきない話は、しかし、とくべつなことなど何もなくて。
しんみりと話したあとに突然、服の話。鏡のぞきこんで大爆笑したり。
古いアルバムみて若い自分らの写真に「かわってへん」ことはない(!)のを確認したり。
帰りは岡山駅までフウフふたりで送ってくれはった。
道中、ドライバー(夫)に「こっち行った方がええのに」とか何とか 文句つける妻(笑)の図は、漫才見てるみたいで、おもしろくて、ほほえましかった。
ありがとう。ええ同窓会。ええ旅でした。


*追記
その1)
『an an』の一年後に『non no』が出て、旅案内の特集の雑誌を片手に旅行するひとたちは「アンノン族」とか呼ばれ始める→


その2)

今日はこれを聴きながら。
Grand Funk Railroad初来日1971年7月のライヴ。
これ、Yと二人で今はなき難波球場まで行きました〜 下記utubeのコメントにも、わたしたみたいな人のコメント載ってるけど、初めての野外のロックライヴで(当時はコンサートって言うてた)帰り道じんじんする手(←叩きすぎて)で、道いっぱいにロックな人たちと歩いて夢のようでした。
音はよくないけど、当時の熱気がつたわってくる音源です→
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# by bacuminnote | 2015-05-29 13:35 | 出かける | Comments(0)

ひるねさめ。

▲ ええお天気の日が続くから。
青い空と夏みたいな陽気に なんか背中押されるように連日ドタバタしてる。客用冬布団を干して圧縮。こたつの上掛けに毛布、セーターにストール、手袋、帽子、スカートにずぼんの洗濯と片付け。あ、ダウン類もまだ残ってる〜ああ、しんど。

▲けど、家やと きつい洗剤は使わへんし気持ちいいし安上がりやし。とは言え、もう少し(もっと)洗濯量を減らすためにも、あれこれ着散らかすのはやめよう。そうして気に入った服を少しだけ、長くだいじに着よう。(と、衣替えの季節のたびに思ってる・・)

▲ この頃アイロンをよく使うようになった。相方もわたしもほとんど綿や麻の服で、前はシワも気にならなかったんだけど、いまは本体が(!)シワになりつつあるから、服はちょっとだけシワ伸ばし。いつもめんどくさいなあ〜と思いながら掛け始めるのに。途中から気分よく鼻歌〜やがて無心。
そうしてコンセント抜いたあとも余熱のあるうちに、とハンカチやらエプロン出してきて、当てたりしてる。

▲ そういうたら、中高生の時の制服 プリーツスカートは布地がテカるアイロンよりもっぱら「寝押し」だった。いつだったか若い人に言うたら「なに?」って顔されてしもたけど。敷布団の下にひだを揃えてスカートを置いて、寝ている間に自分の重みでプレス〜というじつにエコな方法だ。

▲ただし、眠くて ひだをきちんと揃えないでええかげんに置いた時や、ていねいに揃えたつもりでも寝相のせいで、朝起きたら折り線が新旧2本になってたり。プレスがききすぎて(!)畳の目が模様のようについてる朝もあったりするんやけどね。

▲ 几帳面なんだか、大雑把なんかよくわからん性格はこのころから変わってない。そうそう、ハンカチはお風呂に入った時ついでに洗って、アイロンがけのいらんように窓ガラスに貼り付けたっけ。これもまっすぐ貼ったつもりが乾くと菱型になってたりしたんよね。
「星空へハンカチ貼って生きむかな」(岡本眸句集『午後の椅子』)
ハンカチのむこうに星空か〜ええなあ。

▲ この間ひさしぶりに墓参にでかけた。
しばらく足も体も。あちこち不調で いつにもまして篭っていたのだった。
が、その日はぐっすり熟睡できて気持ちのいい朝やったから。朝いちばん窓開けて 青い空見上げて「よし、行こう」と思いついた。春の佳き日の「よし、行こう」が墓参というのがなんかアレやけど。まあええことにしよう。草抜き道具と軍手に、帽子、お茶とおにぎりとビスケットなど袋に入れて、いつものバスにのりこんだ。

▲ ところが外に出たら、ええ天気どころか真夏のような陽気で。バスにも窓越しにその熱気が伝わって暑いの何の。いつもなら席に着いてすぐ本を読み始めるのに、しばらくぼぉーっとしてたんだけど。そのうちきもちのいい風が入ってきて 珍しくうとうと 夢まで見て。「次は◯◯駅〜」のアナウンスに、びっくりして目が覚めた。

▲「昼寝覚電車戻ってゐるやうな」(原田暹)という俳句があるけど、一瞬「ここはどこ?」状態で焦る。口の周りを拭いながら、寝言とか言うてへんかったよね?と自問自答(苦笑)

▲ 昼前の墓地に着くと誰ひとりいなくて。マンガによくある「しーん」と書いた場面を思ってみたりしながら、ちょっと心細い自分(←見かけによらず あかんたれ)をはげます。
が、そんなことなどすぐに打ち消されるほどに、その日の陽ざしはお盆前の墓参のようで、ひと動きのたび汗だくになった。

▲洗い場は桜の木陰。ここにどっしりと しゃがみ込んで花入を洗ってると、すぃーっとええ風が吹いてゆく。ああ、ええきもち。ちょっと休憩のあと又もくもく草を抜き、水受けを洗って、墓石に水かけお線香あげて。ほな、また来ます〜と墓地を出る。

▲ 帰る道々わたしの頭の中はアイスとビールでいっぱいで。(でもいつだったか、帰途寄った たこやき&生ビールのせいで 酔うて 暑うて 。家に帰り着くまでひいひい言うて歩いたから)
駅に着くなりソフトクリーム !歩きながらアイス食べるおばちゃんのシアワセそうな顔いうたら(←たぶん)それから発車前の待ち時間におにぎり食べて、一息ついて。

▲持ってきた本を開いたものの バスの中で読む本やなかったかなあと、一旦閉じて。ああでもやっぱり、と又開いて読んだ。 『子どもが語る施設の暮らし2』(『子どもが語る施設の暮らし』編集委員会編・明石書店2003年刊)この本は題名の通り児童養護施設で暮らす(暮らした)子どもたちの聞き取りなんだけど、施設に入る前に児童相談所〜一時保護所での時間があったり、里親の元に行く子や、場合によっては教護院(児童自立支援施設)に行く子もいて。

▲ 子どもたちの生の声といっても、刊行からすでに12年もたってるから、「今」の状況とはちがうことも多いと思う。何より12年の間のこの国の変化といったら。子どもを取り巻く環境は良くなるどころか、どんどんひどいことになっている。
それでも、家庭内での虐待に苦しめられた子が「ここは大丈夫」と連れて来られた施設で、職員や先輩の虐待に会うた話も、家よりここ(施設)のほうが安心できた、という子のつぶやきも、里親に引き取られたけど、合わなくて施設に戻った子も。一方今も施設の職員が懐かしいという子や、教護院での生活は財産だった、という子もいて。
そのさまざまな経験談も、何の説明もなく施設に入れられた不満や、親への恨みも恋しさも、どこかの施設にいる子らの「今」にも重なるとおもう。
 
▲本の中で、施設を出て現在は親と暮らし始め美容学校に通ってるという子が「おとなたちに言いたいことがあります」とこう語っている。

やはり施設の職員はひとりの人間として子どもと向き合って、子どもの味方であって欲しいです。上司の言うことばかり聞いて、子どもの言うことを聞けないような人は問題外です。子どもが困っていることを受け止めて、ちゃんと解決してくれる人。そういうことをきちんと上司に伝えて、頑張ってくれる人。そういう職員がいないと、子どもは「何を言ってもだめだ」「結局は何も変わらない」とあきらめてしまって、何も語らなくなってしまいます。》(p70より抜粋)

東京都では「お金がかかるから」という理由で、施設を無くして里親を増やそうという動きがあるそうですが、よくない里親に引き取られた子どもの方がずっとかわいそうです。簡単に施設を無くすべきではないと思います。密室の虐待なども、ぜったい施設の方が少ないはずです。 
そもそも「お金がかかる」という理由が納得できません。ほとんど利用者のいない高速道路や建設物をつくったり、税金を私物化する役人や政治家がいる方がよっぽどお金の無駄遣いです。
子どもたちが施設で暮らさなければいけないのは、子どものせいではありません。おとなたちのせいなんです。だから、おとなたちにきちんと責任を取ってほしいと思います。

(p71より抜粋)

子どもたちにとって心から信頼できる職員や里親も、人間不信に陥るようなひどい職員や里親も、その両方存在するのが現実かもしれないけれど。どの子にも心安らぐ場がどこかにあってほしい。そして、子どもらにその「であい」はただの「運」任せであってはならないと思った。ここに書かれた職員へのねがいは、そのまま社会や政治への願いに繋がるよね。
最後の「おとなたちにきちんと責任を取ってほしい」が強く突き刺さります。

* 追記
その1)
児童養護施設に暮らす子どもを描いた本(『10歳の放浪記』『サラスの旅』『チャーシューの月』)や映画(『僕がいない場所』『少年と自転車』『冬の小鳥』)は前に ここで紹介しています。
リンク先など書いていますので、よかったらチェックしてみてください。→


その2)
今回書きそびれた本。『クララ先生、さようなら』(ラヘル・ファン・コーイ作 石川素子訳 いちかわなつこ絵 徳間書店2014年刊)
原題は"Klaraus Kiste"といって「クララの棺」という意味らしい。どきっとするタイトルだけど、訳者のあとがきにあるように《ファン・コーイの文章は、実にリアリティに富んでいます。しかし、あくまでも淡々としていて、センチメンタルなところがありません。それでいて、とてもあたたかで、ユーモアがあるのです。》まさにそのとおり。子どもだけでなく大人にも読んでほしい一冊です。

その3)
音楽の思い出はわたしのアルバムとそのまま重なります。
この間B.B.Kingが亡くならはったことを知り。その時々のことをいろいろ思い出しながらひさしぶりに聴き直したりしてます。

そういえば信州でいた頃、息子1が帰省したとき「おみやげに〜」とB.B.KingとClaptonの"RIDING WITH THE KING"というCDを買ってきてくれたことがありました。
その中の一曲  "Come Rain Or Come Shine Subtitulado "→

その4)
これを更新してる間に「大阪都構想」住民投票の開票がありました。
否決!よかった!!と、よろこんだあと考えこむ。
僅差で反対となったけど。僅差で賛成となる可能性もあったということで。
安易な多数決は怖い。どんなに時間がかかっても、議論に議論を尽くさなければ、と改めて。

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# by bacuminnote | 2015-05-17 22:03 | 出かける | Comments(4)
▲もともと弱い喉なのに、今はいろんなもんが飛んでるせいか、ここんとこ調子が悪い。前は耳鼻科にかかると「何か声を使う仕事してますか?」と聞かれたりして、一瞬「!?」となったっけ(さすがに「ただのしゃべりです」とは答えられへんかった〜苦笑)でも考えてみたら、もうずいぶん長いこと耳鼻科のおせわになっていないなあ。
最近の医院はどんな診療科でも一様に明るく清潔で、待合室も診察室も どこもよく似た内装だけど、昔の耳鼻科って耳鼻科独特の雰囲気があった気がする。とはいえ、ほな眼科や皮膚科とどこがちがうん?と聞かれても、あのルゴールの匂い以外には違いがうまく説明できないんやけど。

▲ ルゴールといえば、わたしはあれを喉に塗るのが得意やったんよね・・・まあ、そんなこと何の自慢にもならへんけど。いっぽう相方は子どものときから眼科通いが多かったから、目薬を差すのがうまい。「ひょっこりひょうたん島」の博士みたいな子どもの頃の彼が(笑)ひとり電車に乗って隣町の病院に通う姿を想像すると頬がゆるむ。
昔の子どもの医者通いは嫌々とはいえ、ハンコで押したように同じ毎日の中いつもとちがう場所に行って(時にはバスや電車に乗って)待合室の古いマンガ読んだり、ちょっとドキッとするような大人の週刊誌を(いまから思ったら大したことないんやけど・・笑)こっそり見たりするのも楽しみで。

▲なんでこんな話をしたかというと、この間読んだ「海の夜店」(『冬のプラネタリウム うらたじゅん作品集』北冬書房刊)というマンガの主人公の小学生タローは中耳炎やったから、で。というか、作者のうらたじゅん自身かつては耳鼻科通いの子どもやったそうで。
あの『ガロ』や つげ義春作品に初めて出会ったのが耳鼻科の待合室だった、というのが いかにもじゅんらしい、というか『ガロ』らしい(笑)というか。
そうして『ガロ』に反応できる中学生の感性もすごいと思うし、その頃すでに『ガロ』を購読してはった耳鼻科医ってどんな人やったんやろかなと想像してみたり、興味は尽きない。

▲マンガ「海の夜店」(『幻燈』2008年8号初出)はその少年タローが夏休みに母親と、おばあちゃんちですごす物語だ。すきだったおじいちゃんが亡くなったので、お家にはおばあちゃん一人が住んでいる。
盆踊りのおまつりに出かけた夜のこと。突然どこからか「まだ耳痛いん?私と一緒に踊らん?」という声が聞こえてくる。ふりむいたら誰もいてないんよね。
おかあちゃんに言うたら「空耳や。中耳炎のせいや」と、とりあってもらえない。

▲ つぎの日、おばあちゃんとおかあちゃんがお寺さんに出かける。一人で留守番することになったタローは、そのうち退屈して、外に出ると近所の女の子から「あそぼ」と誘われて。
しどろもどろに「で・・でも知らん子と遊んだらあかんて先生にいわれてる」と返事すると、女の子はフン!と笑うや「靴のかかと踏んで歩いてたら先生に叱られるで」返してくるんよね。この年頃の男の子の単純さと(笑)女の子のしっかりしてる その差がなんとも可笑しい。そうして、ここまで来ると、もう仲良くなるのに時間はかからない。

▲ タローは死んだおじいちゃんの話をする。
おじいちゃんが煙になって「空のうんと高くまで昇っていった」こと。「空の上にはまた海があるかもしれへん」と。すると女の子はこう言う。「空の上にまた海があるなら 海の底にはまた空があるかもしれんね・・
いやあ、なんてすてきな会話なんやろ。

▲二人で風船ガム噛んでふくらましたり、遊んでるうちに、いつのまにかタローは迷子になって。気が付くと派出所で泣いており。そこにおじいちゃんが迎えに来てくれて。二人手をつないで家に帰る途中にあの女の子に出会うんよね。どうやらおじいちゃんと女の子は幼なじみらしく・・・???と、読者も知らんまに うらたじゅんのワンダーランドの中にいて。
岡山弁(たぶん)がええ雰囲気かもしだして、だいすきな作品です。

▲ 子どもにしか見えないもの、聞こえないもの、感じることができないもの、ってあるんよね。わたしにもそういうアンテナはあった気がするけど、歳と共に錆びついてる。それやのに、うらたじゅんというたら、ええ歳になってもなお(笑)子どもと大人のその間に 時空をこえてするりと入ってくんよね。わたしは友が描いたものということを忘れて、子どもに、そして少女に戻って どきどきしたり共感して絵やマンガを読み終える。(そう、絵も「読む」)そして、あらためて友をほこらしく思うのだった。



*追記
その1)
うらたじゅん作品集『冬のプラネタリウム』は表題作ともう一作が書き下ろし。
あとは以前『幻燈』誌などで発表された作品が収められています。
表題作の絵が表紙カヴァーに。
初雪が 積もった朝 生まれて初めて キスをした」と、ちょっとどきんとするせりふが書かれています。
詳細は→

★うらたじゅん個展「絵のプラネタリウム」
〜作品集『冬のプラネタリウム』発売記念〜
5月9日(土)~20日(水)
南青山・ビリケンギャラリー  月曜日定休
営業時間12時~19時
うらたじゅん在廊予定 9日、10日 14時〜

その2)
今回書きそびれた本。
『STONER ストナー』(ジョン・ウイリアムズ著 東江一紀訳 作品社刊)
最初1965年に刊行されたアメリカの小説なのですが、その後著者がこの世を去った後は、ほぼ忘れられていた作品だそうです。ところが、2006年にNYの出版社から復刊され、その後フランスの人気作家による訳書が出てベストセラーに。やがて口コミで評判がひろがり、近隣各国で次々翻訳出版が・・・と、この本自体が物語のようでもありますが。

小説はとくに何か大きな事件があるわけでもなく、地方大学で一生を送った先生を描いた、静かで、とても味わい深い作品です。
わたし自身ストーリーだけを聞けば「ふーん」と思って、読まなかったかもしれないけど。
出だしから引き込まれました。そして久しぶりに「文学」を実感する、読書の時間でした。
読了後、布施由紀子さんの「訳者あとがきに代えて」を読んで、ここにも物語があったことを知りました。

その2)
今日は内田光子さんの弾くこれを聴きながら。
SCHUBERT D 959, Piano Sonata No 20 in A 2 Andantino →


その3)
『ふらんす堂通信』「しののめ集」東直子氏選。
今回の題詠は「千」〜佳作でした。
相方には「千」の使いかたが安直やなあ〜と笑われたけど。うれし。

「春うれひ千里の丘に立ってはる太陽の塔は今日も猫背で」(しずか)
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# by bacuminnote | 2015-05-06 22:05 | 本をよむ | Comments(2)

きょうだい。

▲ 日々寒かったり汗ばむようだったり。いつも季節のかわりめは こんな感じだけど。とりわけ今年のそれはかなりの気まぐれモンやったから。
そうそう、雨の日も多かったしね。わたしのまわりでも風邪をひいた人や体調くずした人の話をよく耳にした。かくいうわたしも低空飛行。
でも、やっと一昨日あたりから春らしい青空が続くようになって、ほんまうれしい。

▲ 洗濯物を干しに庭に出たら、いつのまにか つつじが赤いのも白いのんも満開で。梅の木を見上げると、新緑に光が透けてきれいやから。洗濯物干す手を何べんも休めては、その瑞々しいみどり色にうっとり見入ってる。
ふと足元みたら小さな青梅がいくつも転がっていておどろく。かわりめどころか季節はすでに「その次」へとむかってるんやねえ。

▲ 今日も朝からきもちよく晴れわたり、買い物に出たらものすごい人出。初めて、そろそろGWの始まりなのだ〜と気がついた。
こういう日はファミリーで買い物に来はる人が多い。そんで決まって子どもたちは、途中退屈のあげく きょうだい喧嘩となり最初は下の子が泣き出し、その後「お兄ちゃん/お姉ちゃん でしょ!」的に親に怒られて上の子も泣き出し、収集つかんようになってる〜という場面に何組か出くわす。
ウチの子らはうんと歳が離れていて、兄弟げんかはしたことがない、というか、けんかにもならんかったように思うけど。わたし自身は末っ子で 姉たちに可愛がられもしたけど、たまにイケズもされたり泣かされもした。

▲ その姉たちに、この間ひさしぶりに会うた。帰省中だった姉2が大阪に用事で出てくるというので「ほな、お昼ごはんでも一緒に」という話になったんやけど。二女、三女、四女の面子で会うのは何十年ぶりかもしれない(残念ながら姉1は仕事で来れなかった)。
子どもの頃から一番上の姉は大人しくて落ち着いており、姉妹げんかも専らこの三人だった気がする。

▲当たり前だけど、姉妹いうても、性格も好きなこともちがうし、大人になってからは仕事も、家族構成も生活のスタイルもちがうし。ちがうことだらけやのに。長いこと会うてなくても再会のその瞬間から別れるまで丸4時間ノンストップで しゃべって笑うて、又しゃべってしまうのは、やっぱり姉妹ゆえ、やろか。

▲ そういえば昔、この三人で夏休みに家で「歌合戦ごっこ」をしたことがあって。わたしが小学一年生の頃だったと思う。姉妹の中で姉3は歌がうまかったんよね。当時の十八番(おはこ)は「東京のバスガール」。興がのると、バスガイドさんみたく右手を肩あたりまで挙げるジェスチャー入りで盛り上がって拍手したっけ。

▲ わたしの番になって、歌では負けるからせめて歌合戦ぽく演出したかったのか、ただ高いとこがよかったのか(笑)ピアノ用のくるくる回る丸椅子の上に立って歌おうとしたのである。
が、椅子の上に上がったと思ったら、案の定バランス崩してあえなく落下(泣)唇を切って「血が出た」と大騒ぎして、この日の歌合戦は中断となった。
あとで、小さい妹のけがを姉たちはきっと親に怒られたんやないかなぁ、と今はすまなく思うけど。
当時は泣くだけ泣いて、あとはけろっとして誰からも怒られもせず、という末っ子は
せやから姉たちに「あんたは要領ええんやから」と(不本意ながら)恨まれることになるんやけど。

▲ たしか、翌日は登校日だったんよね。
わたしは下唇腫らしてガッコに行って、たぶんお決まりの「けが自慢」(苦笑)言い訳するわけやないけど、子どもの頃ってわたしだけやなく、日常とちょっと変わったことが起きると、みな友だちに自慢してたように思う。
今も微かに残る下唇の小さな傷あとを見ると、あの日、姉3の♪発車オーライ、明るく明るく走るのよ〜というよく通る声と、落下後びっくりした姉たちの「クミちゃん!」という大きな声と、ピアノの「ラ」の鍵盤にこぼしたジュースの(バヤリース!)オレンジ色の染みが浮かんできて、頬がゆるむ。

▲ さて、そんな遠い日を思い出しながら、お互いの近況報告をして、最後は親の話。親のええとこも、悪いとこも、遠慮なくいえる最強のメンバー(苦笑)は、きょうだいやもんね。
けど、口いっぱいに好きなことに言うたあとは、さびしそうな母の顔がうかんできたりして。ちょっと言い過ぎたかな〜と、うしろめたいよな気持ちになって。それは姉たちも同じとおもう。
しゃべってしゃべってたら、あっという間に「帰る」時間になって。駅でちょっと照れながらも、おばちゃん三人 大げさにハグし合って「ほな、また」と別れた。


*追記
その1)
東京のバスガール〜コロムビア ローズ→

その2)
この間から心身ともにしぼんだ風船みたいな数日やったんですが。今日ショッピングセンターや図書館で小さい子らの「きょうだいげんか」を見てるうちに、むくむくと元気がでてきました(苦笑)
子どもが体震わせて怒ったり、全身で泣いたりしてる姿って、ものすごくて力づよく感じて。なんか胸がいっぱいになりました。
そんなそばを選挙カーが何台も「よろしくおねがいします」と連呼して走って行ったけど、何よりこの子たちがたいせつにされる社会でありますように。

その3)
『父さんの銃』(ヒネル・サレーム著 田久保麻里訳 白水社2007年刊)という本を読みました。現在亡命先のパリで活躍するクルド人映像作家による自叙伝的小説。
p159と薄い本で、読みやすい文体ながら峻烈な作品。とても読み応えのある一冊でした。知らなかったことも多く、途中地図帳を開いたり。
今日はまだ紹介するのに体力不足だったんだけど。冒頭、主人公のぼく、アザドの語りの一節を書きうつしてみます。

祖父が語った話では、祖父はそもそも、自由な大地で、クルド人として生まれたのだった。そこへオスマン人がやってきて、「おまえはオスマン人だ」と祖父にいうので、祖父はオスマン人になった。オスマン帝国が崩壊すると、今度はトルコ人になった。トルコ人がいなくなって、〈クルドの王〉シェイク・マハムードが王国をきずくと、またクルド人になった、次にやってきたのはイギリス人だった。おかげで祖父は女王陛下の臣下になり、英語なんかもカタコトおぼえた。

イギリス人は、イラクという国をつくり、祖父はイラク人になった。でも、その〈イラク〉という耳なれない言葉がいったいなんおことだか、祖父にはさっぱりわからなかった。そして、最期に息を引きとる瞬間まで、イラク人であることを誇りに思ったことはなかった。これは僕の父親、シェロ・セリム・マライも同じ
』(p3より抜粋)

その4)
今日はこれを聴きながら。
Nobody Knows the Trouble I've Seen - Charlie Haden And Hank Jones-Steal Away→

その5)
旧友悪友楽友〜うらたじゅんの作品集『冬のプラネタリウム』がもうすぐ発売になります。なお、この本の出版を記念して 東京での個展『絵のプラネタリウム』は5月9日〜20日→
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# by bacuminnote | 2015-04-25 20:32 | 出かける | Comments(0)

ここやな。

▲ 4月10日。
今日も雨。一日中つめたい雨。しかも雨足はけっこう強くて、ざあざあという音が絶え間なく聞こえてる。朝の珈琲を温めなおしてストーブのそばで啜った。
窓の外は 雨に打たれた庭木の葉っぱがひらひら揺れて。ちいさくてまだ淡い緑色がかいらしい。
草も一雨ごとにぐんぐん伸び始めて、ああ春。
今時分の雨はいろんな花を催す(咲かせる)という意味から「催花雨(さいかう)」とも言うらしいけど。この、冷えて湿気、というのはしんどい人や痛いとこのある人に堪えるやろなあと思う。膝をさすりながらそう思う。
せやから そろそろ晴れてほしいなあ。

▲ そういうたら、京都へ出かけたこの前の日曜日も朝から雨が降っていた。久しぶりの京阪特急は、一瞬迷ったけど「やっぱり」と2階の二人掛座席に。これに乗ると小一時間の乗車もなんか旅行気分。始発駅で乗ったので まだまだ空席はあったけど、次の駅に停車すると一杯乗り込んで来はって たちまち埋まり、わたしのとなりにも青年が座らはった。

▲ わたしは持って来た読みかけの本〜『戦争ごっこ』(玄吉彦作/ 玄善允・森本由紀子訳 岩波書店)を読む。
「戦争ごっこ」っていうのは、「戦争」というものがある(あった)国には、たぶんどこにでもある子どもたちの遊びかもしれない。でもそれは必ず敵と味方に分かれるわけで。そうして勝ち負けがあるわけで。子どもたちは(というか、大人たちがそうやから)力のある方の「役」をしたがるわけで。
主人公の少年セチョルたちも植民地時代は「日本軍」と「米軍」、その後は「共産ゲリラ」と「討伐隊」・・というように「戦争ごっこ」の役割もそのつど変わる。
子どもの世界の力関係もまた その時代や社会や大人たちをときに残酷なほど投影しているんよね。
その日は、最後の第三章〜セチョルのクラスにソウルから避難してきた子どもたちがやってくる場面から読み始めた。

▲ ・・と横から何か声が聞える。
となりの青年が大事なものを家に忘れ物してきたらしく、「忘れてきた」「どうしよう」「ICカードを机の上に置いてきちゃった」「お金ないのに」と独り言を繰り返してはる。はじめはよく聞き取れなかったんだけど。ちょっと切羽詰まってる気もするし。でも、ICカードって何なんやろ?それ、なかったら困るんやろなあ・・・とわたしも落ち着かない思いで、本の同じ頁、おんなじところを行ったり来たりして。

▲ 次の駅に着くや否や青年はさっと席を立った。
空席を探してるようだったけど、すぐに空席は埋まってしまい、諦め顔でまた元のおばちゃん(!)のとなりに腰かける。
と、そのとき通路挟んでむこう側座席の小学生くらいの男の子がお父さん(らしき人)になんか電車の話をし始めたのが聞こえてきたんよね。
見ると、いつのまにか彼らの向かいの席が空いており。青年は待ってましたとばかりにそこに移動。どうやら彼は右側座席に座りたかったらしい。車窓から目当ての何かが見えるのかもしれないなあ。わたしがよしのに行くとき、川の見える席に移動するみたいに。

▲ 男の子と青年は向かう形で座ってるものの、男の子はお父さん相手にぽつりぽつりと電車のことを話してて、一方青年は車窓から外を眺めつつ、いつのまにやら男の子の話にも加わり始めた。
あれ?もしかして知り合い?と一瞬思ったけど、そうでもないみたい。でも突然話しかけてきた青年に、その男の子は戸惑ってる風でもなく、ごく自然に応えてる。鉄道について無知なわたしにも、二人とも電車好きだということはじきに伝わってきた。

▲ とはいえ、お父さんは子どもの話に黙って頷くだけやし、「鉄ちゃん」の二人も向い合って話して盛り上がる〜というのでもないんやけどね。「次は◯駅や〜」と男の子が言うと「この京阪特急”洛楽(らくらく)”は◯駅には停まりません」と青年が応える。横を通過する電車を見て(←あ、席移動はこれが目的やったのかな?)いまのは”◯千系”で〜と男の子が言うと、青年がよく似たべつの系統の電車話をしたり。途中通過の駅〜よど競馬場の説明から京阪の名物列車らしい「機関車トーマス号」に乗った話まで。かみあってるような、そうでないような。でも、そのやりとりがなんかええ感じやった。

▲やがて祇園四条に着いて(なぜか父子+青年の三人共ここで)降車するまで「鉄ちゃん」たちの話(未知の世界!)を隣でこっそり楽しませてもろた。
あ、読みかけの本は結局三章から先に進まんかったのと、ICカードの件はどうなったのか、わからへんかったけど。なんか落ち着いた表情で降りて行かはったし、ええ日曜日を!とおばちゃんは二階から(笑)「鉄ちゃん」たちをそっと見送った。

▲ さて、そうこうしてるうちに終点「出町柳」に到着。前日復習しておいた(おおげさ)地図を思い返しながら、駅近くの「かぜのね」にて息子2と彼の友だちと一緒にお昼ごはん。「はじめまして」の友だちと、それでもキンチョーの時間はあっというまに過ぎ、おいしくて和やかで愉しい時間。
その後三人で「トランスポップギャラリー」にて旧友うらたじゅんの個展『ミリオン通り』に。

▲ 何年ぶりかで会うウチの子の成長に「きゃあ〜◯ちゃん!」「ひゃあ〜◯ちゃん!大きいなって」という彼女の歓声(!)がひびくなか作品を観る。
このブログには、いつもあほなこと言うて笑うてる Jとして登場させてはいるものの、絵やマンガを描くときの彼女は別人。ちょっと近すぎてわからへんけど、なんかすごい人かもしれへんなあ〜と個展のたびに思う。

▲ そうそう、彼女の絵にも電車がよく登場するんよね。今回わたしが一番すきになった作品にも京阪電車が走ってた。→そして高架下を今にも くぐろうと、スカートのすそをひるがえし自転車で疾走する少女にぐっとくる。あの子はどこに向ってるんやろか。かっこいい。

▲うらたじゅんの描く電車とまちの風景はいつもどこかなつかしい。いつか行ったことがあるような。どっかで見たことがあるような。けど、電車は行き先のプレートがあってもどこに向かうのか、わからない。「なつかしさ」に気ぃとられてるうちに、遠く知らないとこに連れて行かれそうになる、そんなふしぎな時間。一枚一枚に物語があって。うまいこと言えへんけど、そこがうらたじゅんのすごいとこちゃうかなと思います。(京都のギャラリーでは4/12が最終日。この後、東京では5月に→

▲ギャラリーを出て、次にむかったのは西陣の古書店「カライモブックス」だ。(いつも籠ってるから、たまに出ると盛りだくさん!)「カライモ」は息子2の特別お薦め本屋さんで、通販でおせわになることはあったけど、前からいっぺんお店に行ってみたかったんよね。
本のある場所で嫌いなとこはないけど、ほんまにすきなとこ、っていうのは限られていて。それは棚の充実度や好みだけやなくて、いや、そういうのを見る前に扉を開けた瞬間「ここやな」って思う気がする。

▲「カライモブックス」は通りを歩いてきて、息子が指差す「そこ」の佇まいが目に入ったとたん「すき」とおもった。
そしてお店に入って、ゆっくり本をながめて手にとって、お店の人たちと話して「すき」は「だいすき」になった。ぜひまた訪ねてみたいです。
読みたかった本(『音楽未満』長谷川集平)も思いがけない本(『フロイスの日本覚書』松田毅一, E・ヨリッセン)にも出会えたしね。帰りは息子の友だちに改札口まで送ってもろて。
ほんまにええ一日やったなあ。
この日会ったひとたちみんな〜いっぱいおおきに!

*追記
その1)
『戦争ごっこ』はその後 読了。
児童書としてもすばらしかったけど、ぜひ大人にも読んでほしい読み応えのある作品でした。知らなかったこともたくさんあり、今はまだ読後の余韻の中でぼぉーっとしていて、ことばにできないでいますが、また日をあらためて書きたいです。

この本を読んだあと、以前読んだ『木槿の咲く庭』(リンダ・パーク・スー作 柳田由紀子訳)を思いだしました。再読するつもり。(この本日本で出版された本の表紙→よりアメリカでのものの方が本の主題に迫ってる気がします→

その2)
「カライモブックス」でみつけた『音楽未満』は絶版。ええ本やのに。残念。
知ってる曲も知らない曲も、聴いてみたくなります。

その3)
というわけで、今日は↑でも紹介されている この曲。
Arlo Guthrie - Hobo's Lullaby 
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# by bacuminnote | 2015-04-11 23:17 | 出かける | Comments(0)

さくら、さくらの道。

▲ 昨日今日の暖かさで近所の桜は一気に花開いた。
桜が咲くとその周辺までぱあっと華やいで、少ぅし残ってた冬も一掃、風景はすっかり春になる。
みんなが「さくら、さくら」と言うのが わたしにはちょっと かなんのやけど。(毎年同じこと言うてすまん→
うれしいような鬱陶しいような顔して(←たぶん)桜 、桜の道を歩いてたら、今日も道路脇にロングボディの引っ越しトラックが二台とまってた。花の季節は引っ越しの季節でもある。
あれして、これして、それから〜とてきぱき段取りを伝えてる社員風の人と、そのつど明るく軽く?(苦笑)「はーい」と返事してる学生アルバイト風の若い男子数名〜マンションの前の通りを台車で何度も行き来してはる。

▲明日はもう4月やもんね。
新入学に新学期。新入社員、新人、新生活・・・。「新しい」ことが、ええかんじで始まりますように。
その昔 下の子が小学校入学式の前日「ボク保育園に行かへんかったらよかったなあ。保育園に行ったらから卒園して、そんで次に小学校に入学するんでしょ」と真剣な顔して言うてたんをふっと思い出した。
「新しい」や「きらきら」が渦巻くなかで、どんより重い気分になってる子どもたちに(大人にも)4月の風がその子の窓をすこぅし開けてくれますように〜とおもう。

▲この間『おでんの汁にウツを沈めて』(和田靜香著・幻冬舎文庫2015.2刊)〜という本に出会った。「44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー」という副題のとおり作者 和田さんのコンビニ店員デビュー記なんだけど。表紙の「自分が揚げたアメリカンドッグをときどき買う」「おいしい」「ぜいたく」というキャプションつきの絵(作者の和田さんが描いてはるらしい)がおかしくて、かいらしい。
作者プロフィールを見ると、ラジオ番組への投稿から音楽評論家のアシスタント、その後音楽ライターに、とあって。思わずひゃあ〜と声をあげてしまう。

▲ せやかてね、その道って、昔のわたしのあこがれた道やったから。ラジオ番組にせっせとはがき書き、授業中も音楽(ロック)雑誌を教科書の上に置いて熟読していたし。おまけに名前がシズカさんとは。(俳句と短歌の某誌投稿欄に出すとき用に咄嗟につけた名前がシズカなのでした)他にも心配性で虚弱体質なとことか、ね。(←見かけによらず・・苦笑)いろいろ共感することがあり。数行のプロフィール読んだだけで、何だかもう他人とは思えなくて(笑)読む前から一人盛り上がるのであった。

▲ さて、和田さんの本業はライターなんだけど、CD不況もありレコード会社や雑誌からの仕事依頼が激減したことで心身ともに低迷。《倒れんばかりにヨレヨレと行った病院で主治医にポツリ「私、バイトした方がいいかな」と言うと、先生が我が意を得たりという口調で「うん、和田さんはバイトした方がいいよ。薬よりそれがいい」と断言するから、「じゃ、やることにする」と即答》しはったらしい。

▲ とはいえ、実行に移すまでには少しのあいだ逡巡。やがて「悩むより動け」とバイト募集の張り紙のあった近所のコンビニで働くことになる。
わたしは、そもそもコンビニのないところで16年余り暮らしていたし、ここに越してからも「コンビニ払い」と「メール便」(←今日が最後でした!残念!)くらいしか行かないので、置いてあるものもよく知らなかったんだけど。その扱い品目の多さから、営業時間の長さ(というかずーっと開きっぱなしなんやもんね)から考えても、お客さんの層は厚く、ゆえにいろんな人が集まってくる場所ということで。「考える種」のいっぱいある、なかなか奥深い場所のようだ。

▲ くわえて仕事の内容も、物品の販売や品出しだけではなく、表紙絵にあるような揚げものをしたり、お弁当をレンジで温めたり、公共料金の支払から通販の支払い、宅配便にメール便、店まわりの清掃・・といっぱいあって。
和田さんは初日《商品を袋に詰めることさえろくすっぽできないまま》たった4時間・3200円の賃金労働に心身ともにぐったりするんだけど。
自分を打ちのめしてくれるものに、初めて出会った》気がするのだった。そして店長マダム(と、和田さんが密かに呼ぶ)をはじめ「できるオバちゃん」「かわいいオバちゃん」「おしゃべりオバちゃん」「ロックオバちゃん」〜と、先輩パートのオバちゃんたちにサポートしてもらいながら徐々に仕事に慣れてゆく。

▲ ひとつひとつのエピソードがドラマチックで、和田さんのキンチョーしてる様子や その誠実な人柄も、だからこそのしんどさや切なさにも共感。で、そこに添えられた絵が又ええ味なんよね。
困ったお客さんの話にも、怒るばっかりやなくて何故そうなるのか〜と考える目や、コンビニで扱う食品について(おにぎりの味に食傷してしまった話など)素直な感想を書いてはって好感を持てた。

▲ この本には和田さんがバイトをしていた間(2009.10〜 2011.10)のことが書かれていて。大震災直後のコンビニの混乱ぶりの記録もあり、とても興味深く読んだ。
でも何より一番こころに残ったのは、ふだんやってくるお客さんとのエピソードだ。

大晦日に一人で買い物に来てお酒やらつまみを一人分買って 、「今日は紅白観見るよね?」なんて話ししかけてきてくれてからずっと親近感を持っている。 いつも白飯やおかずを一人分だけ買い「あっためてね」と言う。オバさんは間違いなく一人暮らしだ。 特段オバさんと何かを話すわけじゃない。「今日暑いね」「もうだめよ。年だからね」「これおいしいわよ」とか、そんなほんの一言を交わすだけ。 
でもオバさんが気のいい人なのも、どっかちょっと変わってるのも伝わってくる。オバさんが何の仕事をしてるとか、いや、もう仕事は辞めてるのかとか、何も知らないけど、そんなことはどうでもいい。

(p84〜第2章「コンビニのお客さんに考える」 )

▲ わたしは先日ここに書いた図書館の貸出カウンターのことを思い出していた。前はよくお年寄りが館員さんと言葉をかけあってはったんよね。今はまだ自動化したばかりでで「わからない」人が多くて、そばに付いて教えて貰ってはるけど。そのうちマシンに慣れてしもたら、誰にも一言もしゃべらんと帰って来ることになるんやろなあ。(いや、図書館って「しゃべる場所」ちゃうやろ〜と言われたら確かにそうなんだけど。市民図書館は子どものコーナーも含め、少しくらいはざわざわしてるのがええとわたしは思う)

▲ そういうたら、よく行くレンタルビデオの店でも、常連さんがカウンター前で、誰からも聞かれてへんのに「こないだからなぁ、風邪引いてしもて、しばらく来れんかってん」と家の中で篭ってた日々を語ってはったりする(笑)
連続ドラマを「今日は◯巻から5本借りる」とか言うて、従業員の若い子に「それ、もう観はったんとちゃいます?」と返されて大笑いしてるのを、順番待ちのわたしもつられて笑うたりする。

▲ 和田さんは言う。
私は仕事でいろんな有名人にインタビューをするけれど、そこで1時間とかする濃密なようでいて実は上っ面をなぞってるだけの話なんかより、オバちゃんと何気ない一言を日々積み重ねていくことの方がずっとずっと濃厚に思える。》(p85〜第2章「コンビニのお客さんに考える」 )


*追記
その1)
小学校の入学式から行きたくなかった息子2は、しかしその小学校でええ「校長センセ」に会うことになります。ひとがひとと出会うのって大きいこと。3年のときこの先生の異動を「離任式」で知った息子は式の最中に号泣したそうで。
離れるのがさびしくて号泣するようなセンセと出会えた彼も、校長という生徒たちからは ちょっとキョリのある立場で、子どもに号泣されたセンセも。ええなあ。シアワセやなあ〜と思う。

その2)
この間観た映画『円卓 こっこ、ひと夏のイマジン』(監督:行定勲)→
原作は(西加奈子さんの『円卓』)未読やったし、この主人公を演じてる子がちょっと苦手やったんで 観てなかったんですが、先日『西加奈子と地元の本屋』→という冊子を読んだら(とくに西加奈子✕津村記久子が語りたおす「大阪を書くことはほんまはしんどい?」)めちゃおもしろくて。ここにこの映画の紹介も載ってたのでDVDを借りてきました。

いまの小学生があんなディープな大阪弁しゃべってるんか〜わからへんけど。
観てる間じゅう子どもに戻った気分。こっこちゃんの世界に共感。おもしろかった。
それにしても。劇中子どもらがランドセルやらサブバッグやら何やら一杯持ってるのに、走る、走る。子どもって元気やなあ。
原作も読みたくなりました。(←そして、この文庫解説は津村記久子さん)

その3)
今日はこれを聴きながら
Jackie Oates - Waiting For The Lark (Live BBC Radio 2)→

その4)最後になりましたが。
友人うらたじゅんの個展がもうじき始まります。
http://junmilky.exblog.jp/
【京都】
出町柳・トランスポップギャラリー
「ミリオン通り」
2015年4月2日(木)~12日(日)

【東京】
南青山・ビリケンギャラリー
2015年5月9日(土)~20日(日)
詳細は後日


その5)
「春の夜 鬱という字の迷路かな」(しずか)
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# by bacuminnote | 2015-03-31 17:59 | 本をよむ | Comments(4)

一冊の本が。

▲十日ほど前には雪が降ったのに。
ここ数日の陽気というたら。まだ、もう一回くらい寒くなりそうやけど。ほったらかし庭(あいかわらず・・)の木瓜の紅い蕾も花蘇芳(はなずおう)の濃いピンクの蕾も少しづつやわらかくなって。ああ、じき春やなあと思う。
昨日はとうとうブラウスとカーディガンで買い物に出た。時々つよく吹く風もすっかり春のそれで迫力がない(笑)

▲だからか、道端にちっちゃなソックスが落ちてるのを二度も見かけた。
ぽかぽか日曜の昼下がり〜ベビーカーの子どもが足をこすり合わせるようにして、するするソックス脱いでるとこが浮かぶようで頬がゆるむ。
ぷくぷくの素足をベビーカーのバーの上にでーんとのせて、きもちよさそうに寝入ってるちいさなひとを見ると、ふんわりしあわせな気分になる。
「をさなくて昼寝の國の人となる」(田中裕明)という好きな俳句がある。
もっとも「昼寝」は夏の季語らしいけれど。春は子どもも大人もあくびと居眠りの季節だ。この間から何べんも横断歩道で信号待ちの向こう側〜大あくびの人を見かけるもん〜オツカレサマ。

▲ さて、買いもんの前に図書館に予約本が届いたので借りに行く。
この間から自動貸出システムとかいうのが始まり、わからなくておろおろしてはる年配の方に図書館員さんが横に立って説明してる。歳とってから新しいこと覚えるのは大変。「そうか〜」「ややこしいなあ」「かなんなあ」という声がもれ聞こえて、思わず「ほんまや!」と共感の声をあげそうになる。

▲ たしかに機械相手だったら「恥しい本」(ん?)も平気だ。(つまりプライバシーは守られる。)一冊づつバーコードを通さなくても、そこに借りたい本を重ねて置いただけで一瞬で全冊「読み取る」って、すごい!早い!
でもね、これ、なんとかビーム(苦笑)が出てるんちゃうやろか。なんか気になるなあ〜。
本を借りる時も返す時も、カウンターで館員さんとちょっとした挨拶や笑顔をかわしたり。本が人と人の間にあるのはええなあ、とつねづね思ってる。
検索や予約はコンピューターが入って、ずいぶん便利になったけれど。
ううむ。やっぱり「本の森」にマシンは似合わへん、と思うなあ。

▲ この日、カウンターの図書利用カードを作るコーナーで、4〜5歳の女の子が両親と一緒に「じぶんのカード」を作ってもらってるのを見かけた。館員さんから渡されたカードに「やったぁ!これで自分で借りれるんだよね」と小躍りして、さっそく子どもの本のコーナーに走る女の子。
お母さんもお父さんも「よかったねえ!」「すごいねえ!」と一緒に喜びあってる姿がほほえましかった。

▲遠い日、息子らがそれぞれ図書カード作った日の得意そうな笑顔を思い出して。そばで見ていたわたしはうれしくて、女の子と一緒に走り出したくなるようやった。
ああどうか、これからも本の世界は誰からも、何ものにも、じゃまされることなく、自由であってほしい〜と、入り口に掲げられた『図書館の自由に関する宣言』をあらためて眺める。

▲ この間『お手紙レッスン』という本を読んだ。P143の薄い本だからすぐに読み終えたけど、しばらく豊かなきもちの時間をすごす。本でも映画でも。読み(観)終えたあとのこういう時間がすきだ。
9歳の男の子マックスはおじさんにD.J.ルーカスという人の『でっかいいじめっ子なんかこわくない』という本をクリスマスにもらう。これがとってもおもしろかったので有名作家である著者にファンレターを出すんよね。

▲ で、その手紙にD.J.が返事をくれて、二人の文通が始まる。
マックスは「大きくなったら作家になりたい」って少年なんだけど《どうやって書きはじめたらいいのかわかりません。おかしくて、いろんなことがおこって、おもしろいキャラクターがたくさん出てくる話にしたいと思ってます。手をかしていただけませんか?》なーんて書く。一方D.J.も行き詰まっているときに、マックスとのやりとりでアイデアが湧き出したり。会ったこともない40ほど歳の差のある二人が創作について、家族や友だちのことを語り合う。この本はその書簡集だ。

▲ ふたりの手紙を読んでると、マックスの学校でのいじめのこと、自身の病気や亡くなったお父さんのことなど少しづつわかってきて。最初うすぼんやりとしたイメージだった二人の姿が、だんだんピントが合ってきたみたいに、近く感じるようになる。
そうして、最後は二人それぞれの作品を仕上げるんよね。
そうそう、本の表紙にD.J.ルーカス作と書かれた下に(AKAサリー・グリンドリー)と意味不明の表記があったんだけど。訳者千葉茂樹さん(この方の翻訳本はすきな作品が多いです)のあとがきによるとAKAとは「別名」のとか「またの名は」という意味のことらしい。つまり、この本はマックスとのやりとりをD.J.(最初ルーカスって名前から男性かと思ってたら、女の人だった!)が本にしたという体裁になっているわけ。

▲ 自分のお気に入りの本の著者に手紙を書く、と言ったら、この間観てきた映画『きっと、星のせいじゃない』の中にも、主人公の二人がアメリカから、自分たちの好きな本の作家のいるオランダまで会いに行く話が登場するんよね。(この映画〜原作本『さよならを待つふたりのために』がとてもよかったので、どんな風に描かれているのか気になって観て来ました。あ、この本については以前ここに書きました )

▲ そうだ!わたしもまた前に作家に手紙を出してお返事をもらったことがあるのだった。(そのときの顛末はここに書きました)昔は本のうしろに作者の現住所が載ったりしていたもんだけど、今はもうそんなことはどこにも書いてないので、わたしは出版社宛ての手紙に同封して、作者に渡してほしい〜とお願いしたのだった。その方(装丁家の坂川栄治さん)がわたしへの手紙に書いてくださったことはいつまでも忘れられない。ああ、やっぱり本は人から人に手渡されるものであってほしい。

一冊の本が送り手と受け手をつなぎます。まさにこの手紙がそうです
(坂川さんの手紙より)

*追記
これ書いてるあいだに、温い→寒いになりました(泣)
今日も昨日のつづきみたいな格好で出かけたらめちゃ寒かった。

その1)
『きっと、星のせいじゃない』予告編(例によってあえて英語版です。)→ 

これとは全くちがう世界なんですが、ずいぶん前に読んだ『悪童日記』→(アゴタ・クリストフ作 / 堀茂樹訳)〜とても印象深い作品だったので、映画化には関心があって観ました。
映画『悪童日記』予告編

その2)
古い本を整理してて見つけた(つまり、本の整理はこれでストップした・・苦笑)
『資本主義って何だろうか』→(リウスの現代思想学校3/山崎カヲル訳/晶文社1982年刊)リウスはメキシコの漫画家。表紙の子どものフキダシに「買うことが生きることなの?」にギクリ。もう絶版みたいなので図書館ででも。


その3)
日曜日の昼下がり〜というたらこれ。
Randy Newman - Dayton, Ohio - 1903→
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# by bacuminnote | 2015-03-23 16:49 | 本をよむ | Comments(0)

象の小川。

▲寒い。
いったん春めくと、からだも気持ちも一気に緩んでしまうからか、ここ数日の寒さが堪える。一昨日は晴れたかと思うと急に曇り、その後いっときは歩くのもこわいほど吹雪き始めて。いつものことながらこの時季の気まぐれ天気にはほんま泣かされる。
できるだけ「洗濯物は外で乾かしたい」派(!)のわたしはそのつど洗濯物を外に出したり入れたりしており。
そうして、洗濯干し器を移動させるたびに障子戸にコツンコツン当て、ゆえに障子は穴ふさぎの「桜」が派手に舞っているのであった(苦笑)

▲少しづつ散り始めた白梅のそばの山茱萸(さんしゅゆ)の黄色いつぶつぶが一杯ついているのに、この間気づいた。よく見ると はぜた花火のように小さく開花してるのも混じって、かいらしい。一枝切って一輪挿しにいれたら、ぱっとそこだけ春になったようでうれしい。
黄色い花がすきになったのは、信州暮らしのころ、まだ雪の残る軒下にクロッカスの黄色い花が咲き始めたときの感激が忘れられないからかもしれない。
春が近いことをしらせてくれる黄色はとくべつやもんね。

▲ 昨日は京都に住む息子2と途中合流で吉野に行って来た。
昨日の朝も前日の寒さをそのまま持ち越しており、外に出るやその冷たい風にきゅうと音がでるくらい(笑)縮こまりながら駅まで歩く。母にはお菓子や食欲のないとき用のフリーズドライの軽食。それに頭の体操プリント(!)を数枚と、あとネットでみつけた母が読みそうなコラムをプリントしたものも入れた。
道中電車の乗り換えがわたしは1回、息子は3回もあるので、前日時間調整して合流する電車を決めたんやけど。「ちゃんと早起きできたんやろか〜」と地下鉄の中でふっと思ったちょうどそのとき「ごめん。寝過ごした!一本後の電車に乗ります」メール。がーん。

▲ この日バッグに入れてきた本は『丹生都比売(におつひめ) 梨木香歩作品集』(新潮社2014年刊)この本、表題作ふくめ9篇の短篇がおさめられている。最初に表題作が単行本で出たとき(1995年)梨木本ということや、舞台が吉野と知って気になりながらも、このタイトルにひっかかって長らく手が伸びなかったんよね。というか、吉野というと、この本の背景にある「壬申の乱」のように「皇位継承」にまつわる争いの話がよく出てくるのが、わたしは かなんのであった(苦笑)
と言いつつも、その辺りの歴史をよく知らないのも確かで(この本はフィクションなんだけど)何となく読みたくなったのは、今がわたしにとって"読み頃"だったのかもしれない。たぶん本にも旬みたいなもんがある。

▲でも、政争の渦中にいた主人公も”闘う人”ではなく、繊細で心やさしい小さな男の子、草壁皇子で。光をあてる人が梨木香歩さんらしいなあと思う。
初めて父・大海人皇子から弓矢の手ほどきを受けたときも、異母兄弟である大津皇子は《生まれてこのかたずっと扱ってきたといわんばかりに、一度で見事に的を射た》のに、草壁皇子というたら弓を持っただけで(弓が山櫨の木でできているせいか)手がまっかにかぶれてしまい《そのことを心中深く恥じて》いるような。伯母に《この世が、どうにも肌に合わぬのじゃなあ》と同情されるような子で。

▲ 大人の目には姿の見えない〜もの言わぬキサという女の子とも、そういうやさしい子やから、であえたのだろう。
皇子は言う。《キサといると、語ることより語らぬことの方が、ずっと貴いことのように思えてくる》キサという名前は(彼女は何も語らないので)草壁皇子が目の前にそびえていた《象山(きさやま)のキサ、喜佐谷のキサ》から名づける。

▲ わたしにとっては、なじみ深いこの山や地名を目にして、もう長いこと行ってない宮滝付近の風景や「象(きさ)の小川」の流れがそれでもすぅーっと浮かんできて。そのことにどきんとする。
この辺りは万葉集にもよく出てくるところ。古典は大が五つくらいつくほど苦手で無知なわたしだけど(せやからね、まちがってもわたしに万葉集のこととか聞かんとって下さい)大すきなところで。ひさしぶりに寄ってみたくなった。

▲ この草壁皇子の醸し出す空気は他の短編にでてくる子どもたちにも重なり、つながるものを感じる。いや、この本だけではなく梨木香歩というひとが描く子どもの周りにはいつもこんな風が吹いて《涼しい鈴の音が立つ》ようで。胸をつかれるんよね。そうそう、本文中、吉野の山にも春がきた〜という場面に《そこここに春を告げる山茱萸の木が目立つようになりました》とあって、頬がゆるむ。

▲ さて、いつものように途中から川の見える席に移動し外を見ると、ちょっと前まで晴れていたのに、空はいちめん灰色で吹雪き始めたんよね。雪が舞い舞いしながら電車を追いかけて、吹き飛んでゆくようすに見入る。そのうつくしさに吸い込まれそうになる。
「花の吉野」と言われるけれど、わたしのすきなんはこんな日の吉野やなあと思う。人の姿のない川原、薄緑色の川のさざなみ、枯れ草に枯木も。そうして材木屋の煙突から立ち上る煙が見え始めると「ああ帰って来た」と思う。

▲ 激しく雪の降るなかホームに降り立って、そう言うたらあの子、こんどこそ間に合うたんやろね?〜と気になってメールしてたら、一台とまってたタクシーがお客さん乗せてすいーっと走り去ってしまった。仕方なく強風に飛ばされそうになりながらタクシー乗り場に立ってたんやけど、人も車も見えず。
♪Tombe la neige あなたは来ない〜(←なーんて歌うてる場合やない・・泣)
こんなことは初めてなので、駅員さんに聞きに行ったら「たまたま出払っただけで、そのうち帰って来ますやろ」と間延びした声が 切符売り場のガラス戸越しに返ってきて。「そのうち」って、どのうちよ?・・・と、もぞもぞ言いながらも元の場所で震えつつ立っていたら、ようやく一台戻ってきて乗車。よかった!

▲家に着いたら玄関口に「寒かったやろ。ようお帰り」と母がいて、その後ろ〜大きな壷には姉が活けた山茱萸が小さな黄色い花火いっぱいつけて 枝を伸ばしてた。まさかここでも春の黄色にあえるとは。
やがて一本遅れで息子も到着して。にぎやかに話す間にも窓の外は吹雪続けていた。話の合間、大きく窓を開けてみる。とたんにぴゅうっと吉野川の冷気が入って来て。暖房でほてった頬にそのつめたさが心地良い。
「ええなあ。川の空気そのまんまやなあ」と悦に入ってたら、うしろから「わかったし早う閉めてくれへん?」と言われてしもた。


*追記
その1)
母に地元の造り酒屋さんの歴史を紹介した蔵元さんによるコラムをネットでみつけたのでプリントして持ってゆく。
その中に当時蔵元さんのご先祖が大塩平八郎たちを匿った旨の記述があり。「大塩平八郎の乱」(←《江戸時代の天保8年(1837年)に、大坂(現・大阪市)で大坂町奉行所の元与力大塩平八郎(中斎)とその門人らが起こした江戸幕府に対する反乱》by wiki→)についてはガッコの歴史授業程度の知識しかなかったので、母にレクチャーのためにわか学習(苦笑)
飢饉は天災ではなく人災である》とは氏のことば。
上記wikiにも書いてありましたが、《奉行所に対して民衆の救援を提言したが拒否され、仕方なく自らの蔵書五万冊を全て売却し(六百数十両になったといわれる)、得た資金を持って救済に当たっていた》とか。もうちょっとくわしく知りたくなりました。

その2)
山茱萸 wiki→

その3)
この間から観たふたつの映画のローマ〜

ひとつめ『グレート・ビューティー 追憶のローマ』→
冒頭セリーヌの『夜の果ての旅』の一節が流れます。
《旅は有益だ。想像力を誘う。あとは幻滅と疲労のみ。(中略)すべて見せかけ、つまり小説、作り話。辞書にもそうある。しかも目を瞑れば誰にでもできる。そこは人生の彼岸》
セリーヌもプルーストも(いや、プルーストは出てきませんが・・)未読のわたしは、いきなりここで挫けそうになるのですが(泣) そうしてその後も「ああ、もうちょっとわかりやすい映画観たかったんだけどなあ」とか思ったりしてたんだけど(苦笑)エンディングまでたどり着いて(観て)ほんまよかった!

ふたつめ『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』→こちらはドキュメンタリーです。
ひとつめの映画が強烈だったので、その後に観たこちらは淡白な感じがしたけど。
救急隊員。アパートの老紳士とその娘、シュロの木に寄生した害虫の世界研究の植物学者〜よかったです。

その4)
きょうはニーナ・シモン。ボブ・ディランの曲のカバーです。
Nina Simone -''Just Like Tom Thumb's Blues''
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# by bacuminnote | 2015-03-12 20:09 | yoshino | Comments(4)

合わせないけど。

▲ 庭の梅咲く。
白いのは満開。紅いのんも見るたびに蕾がそぉっと開いてて、かいらしい。細い枝の合間から見える空の色〜青にも灰色にも、雨さえもよく合うて、ほんまきれい。
そして「馥郁(ふくいく)たる梅の香り」よ〜(←いっぺん使ってみたかった・笑)ああ、もうじき春やなあ〜とうれしくなる。いや、これが「じき」というわけにはいかんことくらい、もう十分わかってるつもりが。ぽかぽか陽気が二、三日続くと、つい期待してはあっさり裏切られることになるんやけど。

▲いつも春ちかくなると思い出す『家守綺譚』(梨木香歩著)の主人公 綿貫サンみたく《季節の営みのまことに律儀なことは、ときにこの世で唯一信頼に足るもののように思える。
ていうか、その自然や季節の営みさえ”人の手”で壊し、無茶苦茶にしてしまってるこの国に、もはや「信頼に足るもの」なんてあるのやろか。

▲ 昨日今日と急に暖かくなって、買い物に出たらダウンジャケットを腕にかけて歩いている人を何人も見かけた。それでもお陽ぃさんがちょっとかげるとたちまち冬に戻るから。わたしは開けていた上着のファスナーをあわてて上げる。そうやって何度かファスナーを上げ下げしながら歩いた。
首をすくめることもなく、背筋伸ばして颯爽と歩きたいとこだけど、残念ながらここんとこ膝の調子がもうひとつやからぼちぼち。

▲ ゆっくり歩いてると、ゆっくり歩いてる人たちがよく見える。
ベビーカーから降ろしてもらって、嬉々として、でもよちよち歩きのちっちゃい子とママ。どちらか足がご不自由なのか、かばうように腕組んで歩いてはるご夫婦(らしきカップル)は街路樹を見上げながら小鳥のなまえについて話してはる。
杖ついて、手押し車(シルバーカートと呼ぶらしい)押しながら途中何度も休憩のお年寄り。顔見知りの方が通ると「ちょっとぬくぅなってきましたねえ〜」と声をかけて。
ううーむ。閑人のくせに妙にせっかちなわたし。痛いとこがなくても、たまにはゆっくり歩こうと思う。

▲ ゆっくり、というたら、この間、建築家の井口勝文さんという方の講演を聞いて来たんだけど。イタリアで学び(おつれあいの画家・純子さんとも互いの留学中に出会ったそうだ)イタリアに通ううちに、古い家を探し始め、10 年後にようやく廃屋同然のすてきな「家」に出会い購入。以来、お金を貯めてはイタリアに飛び、地元の職人さんの力を借りながら15 年ほどかけて少しづつ改修してきとか。じつにゆっくりゆっくりのお話だ。

▲ その家は中部イタリアの山の中〜メルカテッロ・スル・メタウロという人口1500人の小さな町にあるそうで。美しい山と町。何かというと老いも若きも皆集まっておいしいものを食べて、ワイン飲んで〜スライドで町の写真を見ながらの講演はとても楽しかったんだけど。この日わたしの心に一番残ったのは、ハムでもチーズでもワインでもない。(←もちろん、これにはものすごくひかれるけど)

▲ この町では前述のようにいろんなお祭やイベントがあって、そのつど皆で準備のための話し合いをするのだけれど。井口さん曰く「彼らは”皆に合わせよう”という気が全くない」んやそうで。
それぞれが自分の意見を譲らないので、話し合いはいっこうに進まなくて長引く。
「日本やったらね、先ずそれぞれが皆に合わせよう、合わせよう〜とするでしょう」と井口さんは苦笑する。
でも、彼らはどんなに時間がかかっても話し続ける。

▲ ここで会場の人らの間に「そら、困ったことやなあ」的な笑いが起こるんやけど。井口さんは続けてこう言う。
「それがね、意見があわなくても、みなけっこう和気あいあいとして家族のようなんですよ。で、そうやってる内になんか話は決まってゆくんですよね〜」と。
しかし「簡単に人に合わさない、そういう気質が異国人である我々を受け入れてくれる。”ちがい”を受け入れてくれるんです」

▲ おお!それ、それ!とわたしは膝を打つ。
他人に擦り寄らない。
合わせないけど、だからといって決して排他的にはならなくて。それが自分と「ちがう」人を受け入れる基(もと)になる。差異を知る、学ぶことの意味。
ずっとずっと考えていることの答えに会ったようで、どきどきした。

▲なんでも「みんなと一緒」を求められてちょっと息苦しかった学校時代。
話し合いの会では「みんな好き勝手に言うたんでは話がまとまらないでしょう」と先生か生徒のだれかが必ず言い出して。
そりゃ学級会の時間はもうこれで終わりだけど。次の時間も引き続き話したらええやん〜とむくれてたっけ。何かちがうと もやもやしながらも、当時はちゃんと反論できなかった気ぃするけど。
そもそも話し合うって、いろんな人がそれぞれの意見を言うのが目的であって「まとめる」ためのものやないんよね。せやから、話し合いというのは時間がかかる。
そして、めんどうくさくても、人と人のかかわりの中でこの「時間」はとても大事と思う。くわえてその「時間」の教育もまた。

▲何より印象的だったのは、話し合いを町の人たちが楽しんではるってこと。「楽しむ」「楽しめる」ってすばらしい。
そういうたら、5年に一度くらいは大雪になるというメルカテッロで、町の広場に除雪した雪が積まれると、自然発生的に!若者たちが集まってきて雪でカウンターみたいなのを作って、ろうそくとお酒持ち込んでバール(bar)が始まってるとこや(←たのしそう!)ワインとハムとチーズだけで友だちの家に気楽に寄り合ってる写真も見せてもらった。
井口さんは「お客さん招くいうても、こんな簡単なものですよ。パンだけは家で焼いたものだったりするけど。日本でいうたら竹輪とかまぼこ切って並べて、酒、みたいなもんですよぉ〜」と笑ってはったけど。ええなあ。ええよね。「語り合う」のが何よりのごちそうなんよね。



* 追記 (すまんが 今回も長いです・・)
その1)
ネットで調べてたら動画がありました。
2011年5月明治学院での井口勝文さんの講演→「再生・メルカテッロの町家」

それから、井口氏はコーポラティブハウスを建てて住んではるのですが、そのことをめぐっての対談集も、おつれあいの純子(すみこ)さんが中心になって地域で新聞発行してはった話(1978年頃)とかも、おもしろかったです。(webで文字の大きさや色を変えてはるのが、読みづらかったのが残念)→

もうひとつ、大事なこと書きそびれてしまいました。講演の中で日本とイタリアのちがいの井口氏のお話メモから二点〜
「イタリアも日本の敗戦国。それで、敗戦後1970年までは同じような復興への道を歩んだけれど、この辺りを境にイタリアでは、このままでよいのだろうか〜と古い町を大事にしようと方向転換をした。しかし日本はそのまま高度成長、バブル経済へと突進。結果、町が見る影もなくなってしまった」
「イタリアでは古い家を壊さない。修理して修理して住む。だから町には修理屋さんがいっぱいいる」

その2)
最近読んだ本。
わたしにしたら珍しく東京創元社の本です。シーラッハは前に初めて読んではまってしまいました。
『禁忌』(フェルディナント・フォン・シーラッハ作 /酒寄進一訳/東京創元社2015年刊)「日本の読者のみなさんへ」と言う著者のメッセージが最後にあって、冒頭に良寛の句「裏を見せておもてを見せて散るもみぢ」が〜 
わたしにはなかなか難解でしたが、おもしろかった〜っていうか不思議な本。何てことのない文にも何か深い意味が潜んでるような気もして(謎解きとかいうのやなくて)レビュー読んでたら、何度も読み返してる〜という人がいて、納得です。

たとえば
主人公が写真家になる過程で 中古のハッセルブラッドで撮影する場面があるのですが、
彼はこのカメラが好きだった。写真を撮る側がモデルを直接見ないですむ。視線はミラーを介するので、それほど容赦ないものではない。
この「写真を撮る側がモデルを直接見ないですむ」という一文からも主人公の感じが伝わるようです。そういうたら、ハッセルは相方もカメラマンだったころ愛用しており、わたしはハッセルをのぞきこんでる姿がすきでした。パン屋になってずいぶん後に、ハッセルも他のカメラも売って パソコンや、えっーとあとは何買ったのかなあ。生活費になったんやったのかなあ(苦笑)

あと、もう一冊。
マンモTVのインタビュー‪に登場してはったフォトジャーナリスト林典子さん→の写真・文『キルギスの誘拐結婚』

その3)
この間何気なくyoutubeみてたときにメリー・ホプキンを発見。
この方の歌を聴いたのは中学生のころ。当時の田舎の中学生には音楽の情報源はラジオしかなかったし。その頼みのラジオも山間部でうまいこと入らへんかったりして。途中でザァーって雑音入りだして。ダイヤルつまみをグルグル回して、チューニング合わそうとするのにあかんときの、あの無念さというたら。(いま思い出しても、ううう〜ってなる)

Mary Hopkin -The Fields Of St. Etienne  →
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# by bacuminnote | 2015-02-28 00:53 | 本をよむ | Comments(0)

よだきぃ。

▲ その日は朝からうっとりするような 冬青空。
ええな。ええよね、こういう空〜と、うきうき。洗濯物いっぱい干して、息子が夜に帰ってくるというので、ついでにお布団も干して。用事で出かけなあかんけど午前中で戻ってくるし(大丈夫やよねと〜自分に言い聞かせ)大急ぎで支度してバスに乗った。
ぽかぽか陽気のこんな日は 車中あっちでもこっちでも居眠りのゆらゆら頭が見えて、ええな。ええよね〜と頬がゆるむ。

▲わたしは持ってきた文芸誌(『群像』2014年9月号→)を開く。目的は掲載されている『九年前の祈り』(小野正嗣)。芥川賞にはあんまり関心ないんだけど、受賞作の舞台が学生のころ何度も訪れた友だちんちのけっこう近くだと知って、すぐに読み始めたのに。何故だか なかなか先に進めなくて、そのままになっていたのだ。
けど、バスでも電車でも、その適度な振動と車内の雑音がええのか「乗り物読書」はいつも すすむんよね。加えて、この日は文中に旧友が昔しょっちゅう口にしてた「よだきぃ」(大分でめんどくさいなあ。だるいなあ〜というような意味の方言)が出てきたあたりから物語が近くなった気がする。

▲ 作品には地元のおばちゃんたちの会話が何度も出てくるから、他にも方言はいっぱい語られているんだけど。「よだきぃ」はわたしにとってちょっと特別。これ、彼女と彼女の地元の友だちも皆しょっちゅう口にしてたんよね。「よだきぃ〜」「よだきぃのぉ〜」と今これ書いてても、何かいうたらこのやりとりしてた友人たち(笑)が浮かんでくる。(そうそう、著者も彼女たちが通ってた高校の出身らしい・・・てことは、彼も高校生の頃はガッコ近くのあの書店〜夏葉社の『本屋図鑑』表紙に描かれてる"根木青紅堂書店"に通ってはったんやろか〜と想像したり・・・)
いつもせっかちで答えを急ぐ関西人(←わたし)とちがって、南の友たちはみな悠々としており。そのどっしりゆったりのんびり感に、若いころは時に苛立ったり、うらやましかったり。

▲何度も乗った電車〜日豊本線や、佐伯駅から彼女んちまで〜くねくねとリアス式海岸沿いを走る車の窓からみた海も重なって。海のない奈良県の山育ちやからか、その景色はいまもあざやかに残ってる。訪ねるたびに大事にもてなしてくれた彼女のご両親も、いまはもう亡くならはったけれど。長いことみていないあの海がしみじみなつかしい。

▲はじめに書いたように、最初この小説にはすーっと入っていけないものがあって、それが何なんやろ?とずっと頭の隅っこで思いながら読んでいたんだけど。
「よだきぃ」に出会ってから、ねっとりとした潮風を肌に感じながら、海辺の小さな町の急な階段や、狭い路地に突っ立ってるような。いつのまにかそんな空気の中にいて物語を「見て」いるような気がした。
受賞発表の日、著者が言うてはった(→)《小説は土地に根ざしたもので、そこに生きている人間が描かれると思うんです。あらゆる場所が物語の力を秘めている。それを切り取って書くことが、普遍的な力を持つと。》を思い出しながら、大分県南海部郡に(みなみあまべぐん/いまは佐伯市)そして海をもたないわたしにとっての「土地」にも。あらためて思いを馳せるのだった。

▲さて、思いのほか用事も早くすんで、行き帰りのバスで件の小説も読み終え、予定通りお昼前に最寄りの駅に到着。いやあ天気がいいと自然に姿勢もよくなるね。友人のブログでみて思い出した「アマリリス」♪ソラ ソド ソラソ〜ララソラ ソファミレミード〜なーんて、ええ調子で鼻歌うたいながら歩く。
朝早くからバタバタ動いておなかもすいたし、さっと買い物して帰ろう〜とビルの地下のスーパーに。野菜売り場にて、おひたしは菊菜か小松菜か、と迷ってたら、すぐとなりで「大根か丸大根か」と大根談義のおばちゃん二人がいてはって。くくっと笑いをこらえてたんだけど。
次の瞬間フリーズした!
「外、えらい雪降ってるんやろなあ・・」「せやろなあ」

▲ええっ!?ゆ、雪ふってるんですか・・・?
大急ぎで菊菜をつかんでレジに直行。走るように地上に出ると、あのまぶしいような冬青空が一変して暗く灰色に染まり、白い雪が舞っていた。
大変。早う帰らんと布団が、布団が・・と思いながら、いや、慌てて濡れた地面で滑ったらあかんと言い聞かせながら。急いでるようなゆっくりなような複雑な足取り(苦笑)でペタペタ音たてて(たぶん悲壮な顔して)歩いてたんだけど。
そのうちはげしく吹雪き始めたのを機に、布団のことはあきらめた(泣)


*追記

その1)
この間読んだ『ポケットに物語を入れて』は角田光代さんによる書評や文庫の解説によせた文章を集めたものですが。今これを書きながら、このことばを思い出しました

作家がある場所のことを書く、その言葉がその場所の持つ本質を、意識的でも無意識的にでもとらえてしまえば、それは古びない》(p27より抜粋)

その2)
観た映画(DVD)
ドキュメンタリー『椿姫ができるまで』2011年エクサン・プロヴァンスで上演されたヴェルディのオペラを、作り上げてゆく過程を撮った作品です。
音楽は広く好きだけど、オペラは「食わず嫌い」でしたが、何年か前に友だちが連れて行ってくれて「おいしい」ことを初めて知りました。
いや、でも、このドキュメンタリーはとくにオペラ好きじゃなくても、見応えのあるすばらしい作品です。
オペラって演劇なんやなあ〜と改めて思いました。舞台を作ってゆくことの、それぞれがそれぞれのパートで積み重ねるたゆまない努力も、何度も何度も繰り返す稽古の様子も、ほんま感動的です。
そうそう、映画のはじめにでてくる大道具さんの工具類に釘付け。すてき!おもわず画面の写真を撮りました。

その3)
ジェイク・バグ()のインタビューを何気なく読んでいたら、彼が《初めて‘好き’と思える音楽と出会った》というのがドン・マクリーンのヴィンセントやった、って書いてあって。ものすごく久しぶりに聴いたけど。ええなあ。
ヴィンセントとはVincent Willem van Goghのこと。最初の♪Starry Starry Night〜という歌詞はゴッホの「The Starry Night(邦題:星月夜)」という絵に由来するそうです。
Don McLean - Vincent →
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# by bacuminnote | 2015-02-15 20:58 | 本をよむ | Comments(0)

「ふりだしにもどる」

▲ なんとも重い気持ちで2月が始まった。
さすがの「しゃべり」も無口になり知らんまに用事の手をとめて考えこんでしまう。くわえて日頃は籠りがちなのに、めずらしく続けて外出したのがこたえたのか体調も冴えず、昨日は終日寝たり起きたりしてた。
それでも夜にはだいぶ元気になったので、借りて来てそのままだったDVD(『フランドル』監督ブリュノ・デュモン/2005年)を観たら、これが予想以上に重くて。またまた考えこんでしまった。

▲これは フランドル地方を背景に、寒村で暮らす若い男女と、その中の青年たちが戦場に就いてからの物語。主人公の女の子の奔放な性は、でも、そこによろこびがあるようには思えなくて。ただ肉体に向ってるだけで空虚だ。彼女の男友だちはやがて戦場に行くのだけれど。そこで青年たちの殺したり殺されたりも。あたりまえのように村の女性を襲う場面も。どの地における戦闘なのか、具体的なものは何も表現されず 全体が寓話のように描かれるものの、胸のあたりがずっと苦しかった。
映画は虚構の世界だけど、昔も今もなお現実にはこんなことが(あるいは、もっと大きな規模で)あちこちで繰り返されているし、また愚かにも再び始めようと目論む人たちもいて。人間ってほんまにどうしようもない生き物なんやなあと暗澹たる思いに陥る。

▲なんとか最後まで観終わったあと、以前読んだ辺見庸『永遠の不服従のために』の中で紹介されていた詩句を思い出していた。氏が埴谷雄高『罠と歯車』の中で出会ったというフルク・グレヴィルの戯曲「ムスタファ」の台詞だ。

おお、堪えがたき人間の条件よ。
一つの法則の下に生まれながら、他の法則に縛られて、
虚しく生まれながら、虚しさを禁じられ、
病むべく創られながら、健やかにと命ぜられて、
かくも相反する法則によるとせば、自然の意味とは、そも何か。


▲この本、わたしが読んだのはハードカバーだったけれど、いまネットで文庫版をみたら帯に《愚者として従うか 賢者として逆らうか》とあって、どきんとした。自分はどちらかと問われたら、まちがいなく愚者だけど従いたくはない。が、どうやって逆らうのか?どこまで逆らえるのか、と自問してまた唸る。まったく唸ってばっかりやな・・。

▲ 長いため息をつきながら、この間ついに60歳になってしもた。還暦とは生まれ年の干支に還るということらしいから、すごろくで言うたら「ふりだしにもどる」ってことやろか。
シミ、たるんだ皮膚、物忘れに集中力の欠如。足や膝や腰の弱さを思うと、若返るのはちょっと魅力やけど。ううむ、やっぱりわたしは振り出しになんか戻らず、いまのわたしで(が)いいと思いなおす。(←いや、だれも若返らせてはくれへんのですけどね)

▲ メイ・サートン著『独り居の日記』に出会ったのは息子2の保育園の保護者のための『豚豚(とんとん)文庫』の本棚だった。あいにく本が手元にないし、もう20年近く前に読んだので忘れていることのほうが多く(たぶん)古ノートのメモをたよりにこれを書いているのだけれど。
一番印象に残っているのは〜たしか、50歳をとうにこえた隣人が新聞記事にでる自分の歳を若くごかまして書かせた、という話を聞いたメイ・サートンが驚いてこう語るところ。
私は五十八歳であることに誇りを持ち、いまだに生きる夢だの恋だのと関わりあい、かってないほど創造力もあればバランスも保ち、可能性を感じている。肉体的な凋落のいくつかは気にならないことはないけれど、つきつめてみれば気にはならない

▲ とても印象深い本だったけど、当時はまだ40代の初めだったわたしが、どれくらい感じ入ってたのか今となってはわからない。ただ前回も書いたように、そのころは下の子のお弁当やおやつを限られた食材で拵えて毎日保育園に届け、パンの発送準備やお客さんへの手紙を書き(パン焼き仕事ができなかったのでせっせとお便りを書いて、パン屋とは思えん立派なペンだこ!ができていた)長い冬の雪かきや薪運びも、大変な毎日だったにはちがいないけれど。そして保育園で出会うお母さんお父さんは、わたしらフウフよりみな軽く十歳は若かったけれど。若く見られたい、などという思いが皆無だったのは、それでもまだ「若かった」からかもしれない。

▲ けれど今は彼女のいう《私から年齢を奪わないで下さい。働いて、漸く手に入れたのですから》が沁みる。(これは『ロバと詩人』という小説のなかで、ロバに語らせている台詞らしい)
ぜひ再読したいと思う。
そして、それはいつだったかあるサイトで読んだ”You’re not young”は成熟、ということばと重なる。(ここにも書きました→
まだまだわたしの中身は「成熟」から程遠いけど、自分なんかあかんあかんと言うてんと、背筋のばして前むいて歩こうと思う。
賀状にも書いたし、あちこちで言いふらしてるから(苦笑)またか〜と笑われそうやけど。この句がわたし(や、同世代の友たち)の 今年のテーマソングです。

御降り(おさがり)や もうわがままに生きるべき
(小沢昭一 句集「変哲」所収)

* 追記
その1)
本も映画もいっぱい書きたいことが溜まったままの今日このごろです。
とりあえず映画のことを備忘録代わりに〜
まず本文中に書いた『フランドル』についてはここで

『スリング・ブレイド』(ビリー・ボブ・ソーントン主演・監督・脚本/1996年アメリカ) がとてもよかったので、その繋がりから彼が出演している最近の作品『パークランド― ケネディ暗殺、真実の四日間 ―』を観て、引き続きケネディ暗殺への関心から『JFK』(オリバー・ストーン監督1991年)を。

その2)
『コーヒーをめぐる冒険』(原題はOh Boy)
も珈琲をのみそこねた青年の一日が白黒で描かれておもしろかったです。
劇中に流れる音楽もよかったな。
Tom Schilling - Fischer's Song 
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# by bacuminnote | 2015-02-04 13:41 | 映画 | Comments(2)
▲ 暮れからお正月にかけての「いつもとちがう」時間があるせいか、休み明けのしゃんとしない感じがずーっと続いてるせいか、いや歳のせいか。なんだか1月は長い。
この間は買い物に行く気もしなくて、お葱だけはたっぷり刻んで買い置きの豆腐で湯豆腐にしたら、相方が一口食べて「うまいなあ」としみじみ。二口食べては又「やっぱりうまいなあ。豆腐は」と言う。「たまに褒めたと思ったら、豆腐のことやんか〜豆腐作ったんはわたしとちゃうし」と言い返しながらも、じつ言うとわたしも同じことを思っていたんよね。

▲ 以前読んだ本に《嗜好とかいて「老人の口に旨い」》とあって。(上野千鶴子『ひとりの時間に』)「嗜」という字のみごとな読みにそのときは「うまいこと言わはるなあ」くらいに思ってたけど、今はもう心から納得。ってことは、つまりウチの食卓もだんだん「老人の口に旨い」ものに変わってきてる証拠やろか。

▲ この間ツイッターで「グルテンフリー・エキスポ」というイベントがカナダで開催されていることを知った。グルテンフリーとはグルテン(小麦に含まれるたんぱく質の一種)を含まない食品のことで。すごいなあ。そんなものが開かれてるんや、と驚いた。で、調べてみたら、以前は小麦アレルギーの人などを対象につくられたものだったのが、最近は健康や体質改善のためにグルテンフリーのパンやお菓子が欧米でも、日本でもちょっとしたブームらしい。

▲ そう言うたら、ここにも何度か書いている(→)1990年 親子三人でカナダ横断旅行の目的のひとつは(主に天然酵母の)「パン屋訪問」だった。事前に在日カナダ大使館にその旨手紙を出したら、各地のパン屋紹介の記事コピーとはげましのお手紙を送って下さって。その記事の中で一番気になったのがこの「グルテンフリー」のパンだったんよね。
そもそもパンに適してるのが強力粉といわれるのはその含有グルテンが多いからで、グルテンのないパンってどんなんやろう?と思ったのだった。

グルテン (gluten) は、小麦、大麦、ライ麦などの穀物の胚乳から生成されるタンパク質の一種。胚乳内の貯蔵タンパク質であるグリアジンとグルテニンを、水分の介在下で反応させると結びついてグルテンとなる。弾性を示すため、グルテン前駆体の2種のタンパク質を含む小麦粉を水でこねるとグルテンが生成され生地に粘りがでる。パン生地などが発酵した時に気泡が残るのも、生地がグルテンによって粘りをもっているためである。(中略)
小麦粉はタンパク質の含有量の多寡により強力粉、中力粉、薄力粉に分けられる。製パンなど粘りを必要とする用途ではタンパク質を多く含む強力粉が使われる
》(wikiより抜粋)

▲ 当時日本では乳製品・卵の入っていないパンを焼く店さえ少なかったので、ウチにもアレルギーをもつひとやその家族の方たちからよく問い合わせがあったけど、まったく小麦を使わないパンというのは知らなかった。
さて、あちこちのパン屋を訪ねたり、ときにその目的もすっかり忘れての(苦笑)長旅の終盤、バンクーバーでようやく資料にあったグルテンフリー、イーストフリー(←化学イーストを使ってないという意味)のパンを作ってる店を訪ねる。

▲やっとのことでみつけたと喜んで「自己紹介文のカード」(英語がおもうように話せないので、前もって友人に"日本の田舎で小さな天然酵母パンやをしています〜”というようなことを英文で書いてもらってた)をみせたら、なんと経営者が変わってしまっており。目的のパンには出会えなかったんよね。心底がっかりして店を出ようとすると、従業員さんが「あなたたちのいう、そういうパン売ってる店があるよ」と近所の自然食品の店まで案内してくれた。サンキュー!(←わたしらが自信をもって言えた言葉)

▲ 件のパンは玄米粉100%で焼いていて、パウンド型の小ぶりのパンながらずっしりと重く(←グルテンがないので膨らまないから重くなる)1kgの表示におどろく。
すごいパンやなあ。どんな人が焼いてはるんやろなあ。と言うてたら、連れて行ってくれたひとが「その店、海のそばのいい所にあるから一度行ってみたら?」とすすめてくれはって。
さっそく店の前の公衆電話から電話をする。わたしの英語が通じたんかどうかわからんかったけど(苦笑)「来てもOK」と言うてくれてはるみたいやったので、バスでかの地にむかった。(←1時間半もかかった・・・)

▲店主さんの話ではそのパンは、増えてきている小麦アレルギーの子どものために焼いているそうで。カナダでもナチュラルイースト(天然酵母)でパンを焼いている店はごく少数で、グルテンフリーのパンとなるとほとんどなくて、各地に発送しているとのことだった。
そのときは、アレルギー事情というのもよく知らなかったし、小麦の国カナダで小麦のアレルギーか〜たいへんやなあと単純に思ってた。(今ならもっとつっこんだ質問ができたのになあ、と詮ないことを思ったりするが)

▲さて、カナダの旅から帰り(移住を目論むも無理かも〜と悟り・・苦笑)わたしたちは翌年滋賀から信州に転居。
そしてその次の年には思いがけず二人目の子が生まれた。上の子のときから13年後の出産。ずっと親子3人と思ってたから「新人」の登場はうれしかった。
思いがけないといえば、二ヶ月過ぎた頃からこの子に皮膚炎が始まって、それは日に日にひどくなってゆく。
ある日、おもいきって大きなまち(松本)まで出て病院で受診したら「この月齢の子だと牛乳や卵が引き金になることが多いけど、この子はたぶん小麦だね」と言われたのだった。
まいった。なんせパン屋なのである。というか、ドクターによれば「だから、こそ」のアレルゲンというわけだった。

▲ 母乳だったので、まずは赤ちゃんもわたしもパン焼きの仕事場に入らないこと(つまり、わたしはベイキングの現場の仕事をしない)小麦を一切食べないことに。
それだけのことをしてもなお、職住一緒の環境だから(粉が舞っているので鼻から入る)母子とも小麦の摂取ゼロというわけにはいかない、らしい。
いやあ、もうこの頃のことは山盛り話すこと思うことがあって、今でも思い出すと胸がいっぱいになる。たぶん一番しんどい思いをした子どもも、ほかの家族もみんな、それぞれにほんまに大変な時間だったと思う。
でも、それゆえに知り得たことも、出会えた人たちとの深い温かなつながりもあって。それは今のわたし(たち)の芯のところに在りつづけてる。

▲ 小麦ってね、パンだけでなく、スパゲッティにうどん、ケーキに和菓子、ちょっと想像のつかないところでは醤油にまで使われており。小麦除去の食事は(ほかにも除去していたものも多かったから)なかなかきびしかったんだけど。その話はまたべつの機会に書くとして、きょうは本の話を。
田舎暮らしで近くに小さい子もいないし、冬の長いところだったから、外遊びの期間がほんとに短くて。何より痒いのをちょっとでも紛らわせてやりたくて、時間があると上の子も(かれは親のように弟の世話をよくしてくれた)わたしも絵本を読んでやった。

▲たくさんあった絵本も息子1が大きくなって殆ど人にあげてしまって手元になくて。友だちやパンのお客さんたちがお子さんの絵本(産着に布おむつも!)を送ってくれはった。
松本への病院通いの帰りには必ず市立図書館に寄って(村には図書館も本屋もなかったので)段ボールいっぱい借りて帰った。
ところが、それまで気にもとめなかったけど、絵本ってパンやお菓子の登場率がものすごく高いんよね。
今ざっと思い出せすだけでも『しろくまちゃんのほっとけーき』『からすのパンやさん』『おだんごパン』『ぼくのパンわたしのパン』『はんぶんあげてね』・・・そうそう『ぐりとぐら』の「かすてら」から、かの『アンパンマン』にいたるまで。そして、どの本も絵から文から、おいしそうなパンの焼けるにおいがぷーんと漂ってくる。

▲ けど、パンを食べたことなくても、ケーキの味を知らなくても、息子は「よんで、よんで」とこれらの本を繰り返し持って来てたから。
もしかしたら読みながら、辛かったのはわたしだったのかもしれない。ドクターのいう「小麦粉の舞う中で」妊娠中の仕事や、生まれてからも仕事するそばで寝かしてたせいやろか?妊娠中にパン食べ過ぎたんやろか?という思いもつねにあったし。
でも、根が食いしん坊やし、子どものためだけやなく、自分も食べたかったから(苦笑)小麦のかわりに雑穀粉や米粉、さつまいもやかぼちゃを使って、いろいろ工夫してパンもどきや、お菓子を焼いたんよね。

▲そのころ息子のお気に入りは雑穀粉+米粉のパンケーキ。
『しろくまちゃんのほっとけーき』を開きながら「ぽたあん どろどろ ぴちぴちぴち ぷつぷつ」「やけたかな」「まあだまだ」と一緒に声出して、フライパンで何枚も焼いたっけ。絵本にあるような小麦粉も卵も牛乳も使ってないから、ぺたんこのパンケーキだったけどね。焼きたてに 少しはちみつやメイプルシロップをとろーりかけて「おいしいなあ」「おいしいねえ」と食べた日がなつかしい。大人になった息子にその味の記憶はもうないかもしれないけど。今日これ書いてて、久しぶりにかれの小さいときのアルバムをみてたら、食べてるとこの写真が多くて笑ってしまった。って、わたしが写してるんだけど。たぶん何か食べてるときの顔がかわいくて、いとおしかったんやろなあ、と思う。

▲アレルギーいうてもね、ほんとうにさまざまで。皮膚炎として出る場合からアナフィラキシーみたいに皮膚から粘膜、呼吸器へと次々症状が広がってゆくものまで。
カナダで訪ねたパン屋さんみたいにグルテンフリーのパン焼いてはっても、同じ工房内で小麦使ったふつーのパン焼いてたら、それだけで反応起こす子もいるし、パンケーキの甘いシロップもだめな子もいてるしね。大人になった息子は今はパンもパスタもOKだけれど、食物アレルギーで食べたら「絶対あかん」ものは依然としてあるし。気を抜けないのは変わらない。

▲でも、でも。それでも言いたいです。
食べられるものが限られている子どもたちも、外食できない子どもたちも、せめてお家ではゆっくりたのしんで食べる時間をすごせますように。限られた食材でご飯つくったり、おやつ拵えたりするのは大変やけど、お母さんやお父さんも「おいしいもん」をたのしんで作って食べてほしい。そして何より、親が子どもとそんな時間をゆっくりもてる仕事や社会を、と願います。



*追記
その1)
食物アレルギーとは
「食物アレルギー」という言葉は、多くの場合は食べてからすぐに症状がおきる「即時型アレルギー」の意味で使われます。症状は、食べた直後から1時間後、遅くとも4時間以内に見られます。じんましんや紅斑(皮膚が赤くなること)、浮腫(むくみ)が一番多い症状ですが、咳・喘息発作、嘔吐・腹痛・下痢などが見られることもあります。血圧が下がって意識が遠のいてしまうアナフィラキシーショックが、一番重い症状です。》(アレルギー支援ネットワークHP→より抜粋)



その2)
「アトピー性皮膚炎と食物アレルギーはちがうの?」と、時々周囲の人から聞かれるのですが。
ここに小児科の医師がこたえた記事がありました《Q :アトピー性皮膚炎と食物アレルギーとは違うのですか?A:木村彰宏(いたやどクリニック 小児科部長)〜もぐもぐ共和国HP〜》→


その3)
カナダといえばこの方です。
Neil Young - Mother Earth (Live)→
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# by bacuminnote | 2015-01-23 23:28 | パン・麦麦のころ | Comments(5)

川の見える席に。

▲朝起きたらぽかぽか陽気で気持ちよかったから。そや〜今日は吉野に行こうと思い立った。
年末年始と母が不調だったので、帰省中の息子たちと一緒に会いに行くのをやめて、そのままになってたんよね。この間から電話で話してる感じでは、ぼちぼち元気になってきてる様子だったし。姉にその旨つたえ、電車の時間を調べて、やりかけの家事を終え大急ぎで支度。
先に予定のたつ楽しみもあるけど、日々調子のかわる母には「ほな、今から帰るわ」のほうが気楽かもしれへんし。

▲ ところが家を出て少し歩くと、空が薄暗くなってみぞれが降り始めた。今日はまちがいなくええ天気やと(勝手に)思い込んで折り畳み傘も玄関先に置いてきたというのに。
通りの人もみな首をすくめ足早に駅へとむかう。みるみるうちに空は灰色に染め替えられて、裸ん坊の街路樹がよけいに寒々として見える。
連休で忙しい姉へのおみやげに駅で豚まん・焼売・肉団子の三点セットとおやつ、母にはにゅうめんやお粥のおともになるもの、あとわたしが車内で食べるお昼のパンを買って電車に乗りこんだ。
膝の上においた豚まんが温うてぷんぷんにおう。(すまん)

▲三連休の初日で、吉野行き特急は4号車まであったけど(ふだんは2車両)車内は貸し切りみたいにがらがら。うれしいけど残念。(←ふくざつな郷土愛だ)
おなじ吉野郡出身のWちゃんに、吉野にむかってること伝えたくなってメールする。出かける前に読んだ彼女のブログのコメント欄にも『半日だったけど電車で行って帰ってきて幸せな気もちでいっぱいでした』と吉野行きの話があったんよね。
途中までは車両左側の座席に〜遠い昔に通ったガッコのグラウンドをなつかしく通り過ぎる。昔はそらで言えた道中の駅名もどんどん忘れて。けど、とつぜん読み方の難しい名前を思い出したりして、ね。そのとき得意顔のわたしは襟元でエンジのリボンを結んだ制服姿の高校生だ。

▲ しばらくしてWちゃんから「行ってらっしゃい!」のメールが返ってきた。電車はちょうど川の見え始めるあたりまで来ており「いま川の見える席に移動したとこ」と書く。それだけで、もう電車の進み具合から「腰浮かし気味のわたし」まで伝わるひとだ。
車窓に擦れるような竹林、灰色の空、にぶく光る川。河原に白鷺が一羽佇んでる。山はものしずか。それはほんま夢のように儚げでうつくしい。
冬の吉野、吉野の冬、 ええなあ。ええよなあ〜と窓にほっぺたくっつけて、うっとりしてる自分を、そんな田舎が大嫌いな「リボンの少女」はかつて想像もしなかったけれど。

▲ 降りる人はあっても新たな乗客もないまま、とうとうほんまに貸し切り車両になって、電車は川を見下ろしながらカーブカーブの線路を走る。前にも書いた気ぃするけど、この電車の軋む音、ブレーキ、ガタンゴトンという音聞くと「鉄子」やないわたしでも胸がきゅんとなる。
いつやったか、まだ信州にいた頃youtubeで吉野線の電車の動画のその音を聞いたとき、これ、これ、この音や〜と泣いてしもたことあったっけ。

▲ そうそうWちゃんがこの間彼女のブログで、子どもの頃のお正月がつらかった〜というようなこと書いてはって。パソコン前に乗り出すようにして読んだ。わたしもお正月やゴールデンウイークにお盆・・・と、みんなが楽しそうにしてる休みの時間が嫌いやったから。
Wちゃんもやったんか〜と、よしのの少女ふたりお正月にそれぞれのまちでしょんぼり座り込んでるとこ浮んでくるようで、切なかったり愛おしかったり。

▲とはいえ、おなじ郡内でもウチのほうが奥(いなか)で、歳もわたしのほうがだいぶ上やし、育ってきた時代背景も家庭環境も違う。
でもなんていうか、うまく言えへんけど、Wちゃんには吉野という地がもつ暗さの部分でいつもつよく共感してる。
ただ、子どもの頃や若いときそれに引っ張られたり、引きずったりしてたのが、お互いに(たぶん)年々それはかくじつに姿を変えてきてる気がする。明るくなった、とかやなく。暗さは暗さのままで。少しずつ ものが見え始めた、とでもいうような。そんな感じ。

▲パンと缶コーヒーがなくなった頃、最後のトンネルを抜けて駅に着いた。
冬はなんてさびしい単線の駅。
でも、冷たい風に足元からさらわれるようなこの場所、ここがすき。ホームの端っこに下車のわたし一人を駅員さんが寒い中じっと立って待ってはる。「ご乗車ありがとうございました」と深々お辞儀されて「ありがとうございました」とお辞儀して、改札口を出る。駅前はぱーっと空の広がるええ場所。いつのまにかみぞれはやんで 雲の間から青空が見えた。




* 追記
その1)
Wちゃんのブログ(三度笠書簡)→コメント欄のやりとりもあわせて読んでみてください。

その2)
例によって前起き長うて駅に「着く」とこで時間切れ(苦笑) 出てきたのがが遅かったから滞在時間は短かったけど、ノンストップでしゃべり続け(←わたし)笑ってハグハグ。帰り 二階の窓から身のりだして手を振る母に「気ぃつけんと落ちるがな〜!」と大騒ぎしながらw出発。
母からは葛湯と葛菓子を、姉からは「戴きもんやけど」とワイン(何気なくもらったのに、よく見たらいつも飲んでるのよりうーーんと上等でびびりながら開栓w)持たせてもろて。帰途、窓の外はまっくらで川も見えず。本を膝の上に開いたまんま爆睡。

その3)
今回書くつもりだった本 『路上のストライカー』→原題”Now is the Time for Running”(マイケル・ウイリアム作 さくまゆみこ訳 岩波書店2013年刊) は、またこんど書きたいと思っています。

その4)
車窓からみた吉野の川と山をおもいだしながら、これを何度も聴いて。沁みます。
Ketil Bjørnstad : Svante Henryson – Visitor →
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# by bacuminnote | 2015-01-12 14:39 | yoshino | Comments(4)

はつぞらへ。

▲ 買い忘れたものを買いに近所のスーパーに出かける途中どこからか、ぷ〜んとええにおいがして足が止まった。目の前のマンションのいくつも並ぶ窓のむこう、大晦日のだいどこ(台所)を想う。
この甘辛いにおいは「お煮しめ」やろか、それとも「鯛の子の炊いたん」か。(←大好物)料理人は年配の方かなあ。案外若い男性かもしれへんなあ〜とか考え始めると、無機質な四角い建物が とたんに体温をもち「家」になる気がする。

▲この間は恒例、相方旧友宅での忘年会だった。
「恒例」とキーを打つと一番に「高齢」と出たから「その通り!」とパソコンにむかって笑う。
せやかてね、今回は若い人ら(子どもやその子ども)の参加がなかったので、今年カンレキのこのわたしが最年少(笑)。
その気になれば会いにいける距離に暮らすのに、皆そろってモノグサ揃いで、ここんとこずっと一年に一回の再会だ。

▲昔は昼から夜遅くまで、なんぼでも食べて飲んで、しゃべっては飲んでたのが、うそのように、みな食べる量も酒量も減ってしもたけど。
にぎやかに、なつかしく、おいしくて、何よりええ時間だった。また、来年も、再来年も、何年でも。こうして会えるといいなあ〜と思いながら、帰宅不能な酔っぱらい一人(苦笑)を友人宅に残し、4人駅へと向かう。
空みあげたらお月さんがきれいで。友人が得意そうに話す「上弦の月とは?講座」を聞きながらゆっくり坂道を下った。年暮れゆくまちもきれいだった。

▲ この間レンタルショップの「海外ドラマ一枚無料券」でデヴィッド・フィンチャー監督というのに引っ張られて『ハウス・オブ・カード』というのを一枚借りて帰ったら、ツ◯ヤの思惑に、まんまとはまり(苦笑)とうとうシーズン2まで観ることになってしまった。
“house of cards”というのはトランプ(カード)で作った家、とか不安定な(危なっかしい)計画のことをいうらしい。「野望の階段」という副題の通り、ホワイトハウス入りを目指す下院議員のフランク(ケヴィン・スペイシー)が、その階段を登ってゆく物語なんだけど・・。

▲主人公はなかなかの冷徹な策士で。まさに目的遂行のためには手段を選ばず、したたかに周囲の人たちを思い通りに操ってゆくんよね。
昔はドラマはドラマ。現実とはちがうと思って観ていた気がするけれど、いまや現実は時にドラマを越えたりしてるから。困ったことにドラマのとんでもないような展開ですらリアルに響く。
2014年もまた政治に失望するさんざんな一年だったけれど。相方と「そういえば、政治の“政”ってどういう意味なんやろ?」という話になって、調べてみて愕然とした。

▲白川センセ曰く
正は城郭で囲まれている邑(まち)を責めて征服するの意味で、征服地の人びとから税をとることを征という。攴ぼく(攵)はうつ、むちでうつの意味である。政とは征服した人びとに税を出すことをむちで強制することをいう。(中略)もとは貢ぎ物や税金を取ることが、政治(まつりごと)、治めることのおもな内容であった
(『常用字解』白川静 平凡社 刊 p358より抜粋)

▲さて、年がかわらないうちに書きおわるつもりだったのに、途中何度も「だいどこ」を行き来してるうちに「来年」は「今年」になってしまいましたが(苦笑)
今年もどうぞよろしくおつきあいください。
そして、そして
今年こそ佳き年になりますように。いや、佳い年にいたしましょう。

初空へ今年を生きる伸びをして」(句集「変哲」小沢昭一)



*追記
今年いちばんに聴いたこのうた。
Tom Waits - Tom Traubert's Blues →
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# by bacuminnote | 2015-01-01 00:23 | 映画 | Comments(6)
▲ 朝、目が覚めると窓の外が明るかったから。
いちにのさんで飛び起きた。天気と元気は似たもの同士。洗濯機のピーピー合図にすぐ飛んで行って、広げてパタパタ皺をのばして、タオルやシャツをキレイに干す。きもちよく干した。
青い空にはまっすぐに長〜い飛行機雲。肌を刺すよな冷たい風は、ぼんやりした自分の存在を 細いけどしっかりした線で描いてくれるようで。ああ、あの飛行機雲の先に乗って遠く、行ったことのないところまで飛んでゆきたいなあ。

▲ お昼から買い物に出たら「よろしくおねがいしまぁーす」という声がどこからか聞こえてきた。選挙は(さんざんな結果で!)終わったのに、と辺りを見回すと、声を張り上げてるのは赤いジャンバー着た郵便局の女性だとわかった。
「年賀状はいかがですか〜」「お買い忘れはありませんか〜」「こちらで年賀状を販売しておりま〜す」と大きな声でくりかえしてる。

▲ すこし離れたブティックでは若い女の子がミニスカート姿で店の外に出て「sale」と書いたプラカードを持って「ただいま最大60%引きセールを開催中でぇ〜す」「どうぞ店内ご覧になってくださ〜い」と叫んでおり。
服屋サンでこんな呼び込みは、初めA店だけだったのに、最近はB店でもC店でも同じようなことをしてる。いや、(従業員が)させられており。そしてそのヤケ気味のカラ元気な絶叫には、こっちも気分がどーんとダウンする。

▲ もっとも、絶叫型商法(苦笑)は店の外だけでなく、店の中に入っても繰り広げられるんやけど。よく行くレンタルショップではスタッフが棚にDVDやCD戻しながら突然、ほんまどんなタイミングで言うてるのかは不明ながら「ただいま当店ではDVD5枚千円のキャンペーンを・・」とか、だれに言うでもなく急に声を上げ始める。
いつからこんなことが始まったんやろか。そういえば、長い田舎暮らしのあと大阪に戻ってきた頃、居酒屋で注文したときに大きな声で返ってきた「よろこんで〜」というのに家族皆びっくりした時のことを思いだす。

▲そんなこんなを思いながらの買い物帰りの道、下校中の中学生たちに会った。
横断歩道を渡ったところのちょっとした空き地があって、そこでよく女の子たち4〜5人がかたまって立ち話してて。こういうのわたしにも覚えがある。「バイバイ」って言いながらも何度でも話し込むんよね。
その日は二人の女の子が深刻な顔して話してた。「わたしらのこと陰でなんやかんやと言うてるんやから」というとこだけ大きく聞こえて、一瞬足と心が止まる。

▲この間『きみは知らないほうがいい』(岩瀬成子著/長谷川集平 絵/文研じゅべにーる)という本を読んだ。小学校5年のとき不登校だったけど、今はなんとか登校している米利(めり)って女の子と、同級生の昼間(ひるま)くんって男の子が主人公。
物語は米利が母親にたのまれて、肋骨にヒビが入って寝ているおばあちゃんちにおかずを届けに行く場面から始まる。自転車で行くつもりが雨になったのでバスに乗ることになるんだけど、その停留所で6年の春に転校してきた同じクラスの昼間くんに会う。

▲ 米利は昼間くんとはあまり話したことがない。だから、バスの中で二人並んで立って、他に言うことも思いつかなかったので、ふと「昼間くんはどこに行くの?」って聞くんよね。昼間くんは窓の方を見て、うーんと唸った後「それはね、きみは知らないほうがいいと思うよ」とナゾめいたことを答えるのだった。つまり、これがタイトルに重なるセリフってわけなんだけど。

▲ 昼間くんのこの大人びた物言いや、周囲の空気や気分に巻き込まれず、悪いと思ったことは悪い、ときっぱり発言するところが、同級生にはウザいと思われているようで。
米利は学校に行かなかった(行けなかった)5年生のときを思いだす。
あのとき、いつのまにか、気が付くと、わたしは一人だった。(中略)教室の海の中で、小さな島に一人取り残されている気がした。わたしはだんだんだれともしゃべれなくなった。だれもわたしに話しかけて来なかった》(p22)

▲自身のときも、子どものいわゆる学齢期にも、何度も何度も思ったけれど。
ほんま、学校って何なんやろね。米利の叔父さんは《狭い檻の中で飼育されているんだから、噛みあっちゃうんだよ》と言う。
米利と昼間くんはそれからも何度かバスで会って、やがて「わたしが知らないほうがいい場所」に米利も行くようになり、クニさんという路上生活者に会って。物語は思いもよらなかった方に展開してゆくんだけど。

▲ 米利の周囲の大人は、両親も母方のおばあちゃんも叔父さんも。米利を理解しようとしており、やさしくいろいろ言う。だけど、小さな島に取り残されている米利のところまで泳いでも行けなくて、浮き輪にもならなくて。大人の思いって、いつもなんかどこか 少しずれてるのかもしれない。
いまこれを書きながら「子の母」でもあるわたしは自分の「ずれ」について考える。そんでね、かつて息子らに言われた「自分だけはちがうと思ってるかもしれんけど。おかんもその辺のおばちゃんと同じやで〜」を思いだす。

▲岩瀬成子さんはそんな大人を子どもの眼でしっかり見据える。
おばあちゃんは戦争の話をするときは、いつもいばった声をだす。》とか、ね。ほんと、どきんとする。でも、それは否定というのでもない。うまくいえないけど、ごまかしがない、ということかなと思う。だからリアルに伝わってくる。おばあちゃんもクニさんも。そうして、もっともわかりにくい場所のことをわかりやすいことばで描ききってはる。すごいなあ。

▲《学校。考えてみれば、なんてことない場所だ。教科書を使って先生から勉強を教わるというのが基本で、あとは適当にみんなで仲よくしてればいいんだから、と思う。でも、クラスの一員になってしまうと、だれも「適当」になんて、できなくなってしまうのだ。小さな違いが表にあらわれるたびに、摩擦が起きる。摩擦はときには、だれかが血をながすまでつづく。》(p50)
そんな学校に最後のほうで米利はこう言う。

それはぐるぐると自然に起きる渦巻きのようなものだった。「いじめ」という言葉でいいあらわせない出来事があちこちで渦巻いている学校。それでも明るい光に照らされている学校。そして苦い汁でぬるぬるとしている学校。
学校よ、と思う。そんなに偉いのか、そんなに強いのか。そんなに正しいのか。
わたしは手でポケットの上をぽんぽんとたたいた。
》(p181)
この力強いことばに、胸がいっぱいになる。そうだ!と声をあげたくなる。

▲もうひとつ。
この本で、岩瀬成子さんの物語に、長谷川集平さんの絵はとてもだいじなはたらきをしている、と思う。暗くて愛おしい絵。子どもの眼がええんよね。最後の頁、夕闇のなか、米利が犬のベルと散歩してるところの絵がすきだ。
物語と絵のつよい力に引っ張られるようにして、この本 一気に読んでしまったけれど。こんどはゆっくりていねいに読もうと思う。もう一度。何度でも。

それから向きをかえて歩き出した。しゃかしゃか。ベルの足の爪がコンクリートにあたる音が聞こえる。しゃかしゃか。しゃかしゃか。
夕暮れの道を、ベルとわたしはいつもの散歩道へとむかった
。》(p182)

* 追記
その1)
この本を読み始めて主人公が米利(めり)と昼間(ひるま)って、ふしぎな名前付けてはるなあ、と。
読んでたら何かわかるかもしれへんと思ったけど、結局わからないまま最後の頁までいってしまいました。というか、途中からそんなことも忘れて一気に読了したのですが。そうそう、米利の叔父さんは以前は塾の講師しながら、いまはショットバーのバーテンダーをしながら小説を書いているのですが、彼の名前は義次郎。
ううむ〜この名前もまた何かあるのかな、と気になります。

その2)
きょうはこれを聴きながら〜surfaceof atlantic-Tea Garden →

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# by bacuminnote | 2014-12-22 20:39 | 本をよむ | Comments(0)

よるのびょういん。

▲ 今日はぽかぽか陽気で、歩いていても肩のへんが楽やなあと思う。身も心もきゅうと縮こまってしまうようなこの間からの寒さがうそのようだった。
図書館の帰り道、信号がかわるのを待つ間ふと空を見上げる。みごとな青色。ブルウスカイ。思わずほお〜と声がでる。ついでに?道むこうの高層マンションを1、2、3階・・と数え始める。けど、9階辺りでくらくらするのも、そのころにはもう信号が青になるのも、いつものことで。結局きょうも何階建てかわからないまま横断歩道を渡ることになる。

▲先日朝、めずらしく息子2からメールがあった。朝からどないしたんやろ?何かあったんかな?と心配しいしい見たら、なんのことはない。その日に大阪で『トークバック』の上映会があること。「すごいいい映画なんで、行けるなら行ってみて」〜という文面。
この映画のことは彼だけやなくネット上でも友人知人がよかったと書いてはったし、観たいと思いながらも上映の場が少なくて(遠くて)諦めてたんよね。
で、すぐに件の上映会を調べてみると、始まるのは夜7時からやし、しかも会場は行ったことのない場所。ううむ、行けるのか、わたし?・・と思いながら「考え中」と返したら「強くおすすめします」と、いつもはなかなか返ってこないメール(苦笑)がソッコウ届いた。
せやからね、観たいけど知らんとこに行くのが不安で億劫〜が、彼の熱心さに引っ張られ 思い切って未踏の地(←おおげさ)に夜の外出となった。

▲ 「まち」は おりしも夕方のラッシュ時で、たまに出て来たわたしは人の波にうまく乗れず、スムーズにとは言えなかったが、目的地の国立病院機構医療センターには予定より早く到着(予定よりだいぶ早く出てるんやから当たり前やん、という声もアリ・・笑)。
12月になると日が暮れるのがほんま早うて、辺りはもうすっかり暗く、病院はそこだけ白く光るように明るい。
いつ来ても夜の病院ってなんか緊張するなあ。そういえば、むかし子どもらのお気に入りの絵本にその名も『よるのびょういん』(谷川俊太郎・文/長野重一・写真/福音館書店/ 初版1979年)というのがあったんよね〜こわいような、行ったことのない「よるのびょういん」にどきどきする、あのモノクロの写真の緊迫感がよみがえってくる。

▲ いや、のんびり絵本のことを思うてる場合やない。しんとした病院の入り口あたりで会場に行くべくエレベーターを探してうろうろしていたら、若いやさしい看護師さんふたりに会うて。「一緒にそこまで行きましょう」と案内してくれはる。どうやら件の講堂は別棟にあるらしい。なんで病院で、かというと、上映会は「大阪エイズウイーク2014」のイベントのひとつで、主催は公益財団法人エイズ予防財団。共催がこの病院らしい。(と、チラシをもらって初めて知る)

▲ 映画はアメリカ・サンフランシスコの刑務所で始まった演劇のワークショップから誕生した女性アマチュア劇団『メデア・プロジェクト:囚われた女たちの劇場』のドキュメンタリー作品。(監督は坂上香さんという日本人女性だ)主人公は元受刑者とHIV/AIDS陽性者。薬物依存症、前科、DV、虐待、育児放棄、貧困、HIV /AIDS・・彼女たちのほんまにどう言うていいのかわからないほどどん底の生い立ちや生活、恋愛、人生が演劇を通して しだいに「沈黙」から「声」になってゆく。

▲ 彼女たちの経験に共通する「暴力の被害」に胸が詰まる。なんで、いつのときも、強いものは(あるときは女性にとっての男性。子どもにとっての大人。少数派に対する多数派・・・というように)は弱いものへと力を振りかざすのだろう。
彼女たちが社会の偏見や、自身のなかにある「恥」と思ってること、怒り、哀しみを少しずつ声にだし、やがて周囲のひとたちに語り、そして舞台の上で演じるようになるまでの時間が、ズキズキと疼くように痛くて。そして、たまらなく愛おしかった。それは彼女たちが「特別な存在」やなく、自分でもあり、わたしのすぐとなりにいる人たちと思えたから。

▲ 人がこころから信頼できる人とであうこと、彼女たちにとっての演劇のように、自分を表現できる手段とその仲間を得ることが、どれだけ弱っているものを支え、自分自身を取り戻す力になることか。
けど「であう」って、口で言うほど簡単やなく、いろんなことが重なって成し得るものやと思う。彼女たちも、最初刑務所というところで出会ったように「場」があって、そこにローデッサ・ジョーンズ(演出家)というすばらしい「人」が現れ、彼女たちの人生を取り戻すためのワークショップという「機会」があり、沈黙を破り始め、そこで「仲間」に会えたんやから。傷ついた人が快復するのにはいっぱいの時間といろんな「栄養」が必要だ。

▲ 《 talk back(トークバック)とは、「言い返す」、「口答えする」という意味で使われることが多い。しかし、本映画では、沈黙を強いられてきた女性たちが「声をあげる」ことや、人々と「呼応しあう」という意味で使われている。映画に登場するtalk back session(トークバック・セッション)は、上演後に持たれる質疑応答の場のこと。》
(『トークバック 沈黙を破る女たち』公式HPより)

▲この日の上映後も監督と会場の医療センターのソーシャルワーカーによるトークセッションや、観客からの「トークバック」もあったそうだけど、残念ながら遅くなるのでわたしは映画だけ観て帰ることに。
ああ、でも、思い切って観に来てよかったな。会場出てすぐ「強くすすめて」くれた息子におおきに〜とメール。そんで、そこには書かなかったけど、わたしはあの映画に感動して母親にすすめた子にちょっと感動していたのであった。

▲ さて、帰途9時半すぎやったか、たまたま乗った電車が女性車両で。その時間でもフツーに勤め帰り風の人が多くてびっくりする。しかも満席。つり革を握りながら、左隣の若い子のスマホの画面「コート特集!」とか、右隣りの年配の方が「いまでんしゃで」とメール打ってはるのとか(文字がめちゃ大きくて目に入る)向かいの座席で付箋いっぱいの聖書読んでる人とか。ああ、いろんな人がいてはるなあ、と。うまく言えへんけど、なんかじーんとしてしもたんは、まだ映画の余韻の中で漂うてたからやろか。


* 追記
その1)
このところいつになく行動的(笑)なわたしで、映画の数日前は演劇を。数日後には旧友の所属する混声合唱団のコンサートに行ってきました。音楽はけっこう広い範囲で聴くけど、正直なところ合唱はあんまり興味なかったんやけど(すまん)大きなホールの舞台で緞帳が上がり、後列中ほどに友人の姿を見つけたときに、うるっと来てしもて。あれ?こんなはずやなかったのに、と思うてる間に歌が始まって、彼女の気持ちよさそうに歌う姿に、ほんまに泣いてしまう。
壇上の友はいろんなものから解放されており。「歌う」を全身で愉しんでおり。キレイで、めちゃかっこよかったんよね。

わたしの年頃は「更年期」というからだの大きな変化があり、成長した子どものことで(これはこれで心配事がある)老親のことで、加えてオットとも若いときみたいに足並みが揃わんようになったりして(いや、もともと二人は一人とちゃうから、足並みは揃わなくて当然やのに。子どものことや仕事のことで長らく二人三脚的歩行をしてると、そのうち自分の足やと思ってたんが相手のそれやったり、また反対のこともあったり、と)ややこしい、ムズカシイ季節やから、ね。
そんななかで、友だちがすきなことをずっと手放さないで これまで来たことが誇らしく、うれしかった。歌ってる姿がすばらしかった。そんでね、「わたしも」と力がわいてくるようやった。

その2)
さて、もうじき選挙です。
信じられんようなことが、次々すまし顔で通ってゆき、まるで出来の悪い映画見せられてるようでもあり。映画やったら途中で退席できるけど、まちがいなくこれは現実であり、映画館の外もまた現実で。ずいぶん前に読んだ『茶色の朝』 という本を思い出して、ほんま怖いです。(ここにもすこし書きました。よかったら読んでください。)
最高裁の裁判官の国民審査投票みたいに「やめさせた方がよいと思う」候補者に☓印をつける選挙やったらいいのに、とか思いながら。今はそれがかなわないから、頭ん中で大きな☓印つけてる党や候補者以外に、投票してきます。

その3)
映画『インサイド・ルーウィン・ デイヴィス 名もなき男の歌』〜主人公のルーウィン(オスカー・アイザック)のうたう歌がなかなかよかった。そうそう、出てきた猫のなまえはユリシーズ。
Oscar Isaac - Hang me, oh hang me→

映画のモデルといわれているデイヴ・ヴァン・ロンクのうたう "Hang me, Oh Hang Me"〜ええなあ。→
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# by bacuminnote | 2014-12-10 14:08 | 映画 | Comments(0)

浮き輪は音楽と本で。

▲ いつも冷蔵庫のドアに貼ってる来年用のカレンダーを買う。もう何年もずっと同じものを使っているから、もしかしたら前の年のと替わってても気がつかないかも、ってくらいに相変わらずな わが家の日常なんだけど。
それでもね。
やっぱり少しの変化はあって。汚れたカレンダーをぱらぱら見ていると、数字の横に乱暴に書き込んだ文字が目に留まる。家族の誕生日、お米が届く日。息子に仕送りの日、友人が訪ねてくれた日、めずらしく遠出した日、とかいうのに混じって不燃ゴミの日から図書館の休館日まで。
過ぎていった時間の小さな束がなんだかとても愛おしく思えるのは、そろそろ年が暮れてきたから?いや、それとも歳のせいやろか。

▲ この間中学校のカンレキ同窓会というのがあって、これまで同窓会には無縁だったけど初めて出かけてきた。
首からぶら下げた名札をたよりに、長い人では45年ぶりの級友との再会は、皆おおきな歓声付きで。名前がわかったとたん、おばちゃんもおっちゃんも一気に中学生に戻るとこが可笑しいし、かいらしいよね。ええ感じに歳重ねたあの子にカンパイ。すっかり雰囲気のかわったあの子にもカンパイ。
わたしは当時自分では憂い顔のブンガク少女のつもりが(笑)外目には、ただただよく喋り、いつも笑ってる子やった、とわかって(それやったら、今とかわらんやろ?という声も聞こえてきそうやけどw)ちょっとがっかりして、それからちょっと安心もした。

▲中学生くらいといえば、世の中のことが少しはわかってるくる年頃でもあり、大人の建前や本音も透けて見え始め。わたしは親やセンセにも反抗して口いっぱいのことを言う一方で、思うようにクラブも勉強もすすまんかったり、自分の容姿や性格が嫌やったり、と思いだすのはマイナスなことばっかりだったから。
そういうたら、わたしのすきな本のジャンルはY.A(ヤングアダルト)なんだけど。Y.Aの定義とはtwelve up〜つまり12歳より上の子たち、といつだか 翻訳家の金原瑞人さんが書いてはった。
大人からみたらまだまだりっぱに子どもで。けど、子どもにしたら、子ども時代から少しづつ、確実に離れてゆく年頃なんよね〜ムズカシくてあほで(苦笑)感受性がぴりぴりしてて、ときどきつらくって。でもおもしろい年頃。せやから、ほんまもんの大人になった今も(笑)わたしはYAの物語がすきなんやと思う。

▲もうひとつ。同窓会でうれしかったのは、この歳になっても十代半ばのつづきみたいに、グレイトフル・デッドやニール・ヤングの話ができる子ら(←「子」はないか・・苦笑)に再会できたこと。自分の中のことばにならない思いや考えに、アップアップしてた頃、つめたくて深い海に投げ込まれた浮き輪はいつも音楽と本やったし、ね。
いまも続けてるというバンドの話も、NY出張帰りに楽器店に走ったという話もサイコー。「キミらも変わらへんなあ」とわくわくした。

▲ そうして、集まりのあと一緒にウチに泊った小学校の頃から友人mとはもう喋っても喋っても、どこまで喋っても尽きない話に声をからした。
長いブランクの間にそれぞれが歩いてきた道にはどこにも共通点はないのに。
山や川のはたで大きいなった者同士(ついでに mとわたしは"大きいモン同士"でもある)からだの底に流れてる川は、それぞれの家の窓から見えた同じ吉野川なんやなあ、としみじみ。それがおもしろぅて、そんでうれしかった。

▲ そんな濃密な時間のあと、しばらくぼんやりとしたり ちょっと体調崩したりしてたけど、またいつもの生活、いつもの時間がもどった。
その間(かん)読んでいた本(『わたしの心のなか』シャロン・M・ドレイパー著 横山和江訳 すずき出版)の主人公はじき11歳になる女の子で。彼女メロディはわたしやmがかつてそうだったように、心の中に、家族のこと友だちのこと、かっこいい服や音楽・・・溢れるような思いを抱く少女なんだけど、ちがうのは彼女はそれを「話す」方法を持っていなかったこと。

▲ メロディは脳性麻痺ゆえに歩くことも言葉を発することもできない。それで(というか、それだけを根拠に)周囲の多くの大人たちはメロディが何も考えていないように思ってる。彼女が内面で苦痛に思ってることも、周囲のひとへのありがとうも、すべては発言されないとなかったことにされている。
でも、ママやパパはメロディの「主張」を感じている。やがてママ・パパの仕事で都合がつかなくなったとき、近所に住むヴァイオレットが駆けつけてくれて。以後ときどきメロディの世話をしてくれることになる。彼女はメロディが生まれて病院から家に帰ってきたとき、最初に会いにきてくれた人で、ママ曰く「ほかの赤ちゃんと同じように抱っこしてくれた」はじめての人だ。

▲ パパの言う「この子の潜在能力を、発揮させてやりたいんだ」っていう言葉にヴァイオレットは「ちょっと、やだわ!」って即答の後こう言う。
障害のある子について書かれた本で出てくるような、そんな感傷的な言葉にとらわれちゃだめよ。メロディは学ぶ力のある子だし、わたしのそばにいれば学べるわ!
そうしてメロディが六歳を過ぎたころ彼女が必要なものに、ヴァイオレットがようやく気づいてくれる。それは彼女がケーブルテレビのチャンネルを変えて、スティーヴン・ホーキングのドキュメンタリー番組を見せてくれたことから始まる。

▲ホーキング博士はALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気で、歩くことも話すこともできなくなった理論物理学者だ。番組を観終わってヴァイオレットはメロディがホーキングと少し似てると思わない?と聞く。
メロディはボード(文字盤)の「必要」を指さしてから「読む」を示した。「必要」「読む」「必要」「読む」と。
それからヴァイオレットは車いすにはりつけてあった言葉を全部とりはずし、テーブルいっぱいに「ものの名前や人の名前、よく使う質問、いろんな分野の名詞、動詞、形容詞をはりつけて」くれたので、メロディは「文章に近いものを組み立てられるように」なり。これまで考えられなかったコミュニュケーションがとれるようになってゆく。

▲やがて、それはメロディ専用のコンピューターにと替わり、思っていることをマシンを使って「話せる」ようになるんよね。そのマシン(メロディはお気に入りの曲から「エルヴァイラ」って名付ける)を通じて、インクルージョンクラスへの参加やクラスメイトとの交流も増える。
それで楽しいことも一気に増えるけど、ひどいことをいうクラスメイトもいて。
メロディは家でいるときそのエルヴァイラに言葉を登録する。一文字ずつ押してたら時間がかかるので予想されるフレーズは予め登録しておく、ってわけだ。で、いちばん質問の多い「どこか悪いの?」「具合悪いの?」「痛いの?」「なおるの?」にはふたつ答えを用意するんよね。
心から心配してくれる人に対しては《わたしには痙性四肢(けいせいしし)まひ、またの名を脳性まひがあります。そのせいで体に不自由さはありますが、心は自由です》そしてクレアやモリー(差別的なことを言う子たち)みたいな人たちには《だれにでも障害はあるでしょ。あなたのは?

▲ そうしてメロディが8歳のときに妹ペニーが生まれる。自分ができたらいいな、と思うことを赤ちゃんのペニーがかんたんにできるのを見て、時々メロディはむかむかするんだけど、やっぱりかわいい妹にちがいない。
彼女の出現で両親はもっともっと忙しくなって、けんかも増えるんだけど。何度も何度もけんかしながら、でも娘たちの前に「戻ってくる」ふたりがいい感じ。そんなふたりを見てるメロディもまた。
ママとパパはキッチンで抱きしめあい、ふうっと息をついて、時間ぴったりに家を出る

▲その後、学校から「ウィズ・キッズ・クイズ大会」というのにメロディも参加することになって。高得点をあげることで、次の大会に・・という話になってゆくのだけど。
終盤ショッキングな事件がふたつ起きる。
リアルな世界で「思いもしなかったことが起きる」のは当たり前のことで。それは子どもの世界であっても、障碍をもってる子どもの上にも、起き得ることだから。ショッキングなできごとを前にして、もう一度読者(わたし)はきれいごとじゃない現実、自分ならどうする?という問題に向き合わされることになる。10歳の女の子になったりその母親になったり、立場で見えてくることも押し寄せてくる感情もちがうんだけど。ああ、でも、でも、やっぱりまだ「別の、他の、展開があったんとちゃうかなあ」と今も考えて続けてる。
メロディのこれからの物語も読んでみたいな。

言葉が、わたしのまわりに舞い落ちてくる。ひらひらひらひらと、まるで雪のように。どのひとひらもこわれやすく、ちがう形をしていて、手にふれる前に消えてしまいそう。》(p325より)

二歳になるころには、記憶のすべてに言葉がともない、言葉は意味をもった。
 でも、それは、わたしの頭のなかだけのこと。
 生まれてからずっと、たったひとつの言葉すら話したことがない。
 わたしはもうすぐ十一歳になる。

 (p326より)





*追記

その1)
すずき出版のこのシリーズ→はええ本、読みたい本が多いです。(いまは『はじまりのとき』を読んでいるところ)
そして、この本はせりふがいきいきしてよかった。(翻訳もすばらしいということかな)
ヴァイオレットのいう「メロディには人をひきつる、すばらし物語があるわ」とかね〜ひきつけるのが「力」やなく「物語」というのがええなあと思いました。

そうそう、本の最後に「鈴木出版の海外児童文学 刊行のことば」〜この地球を生きる子どもたちのために〜があって。最後にこう書かれている。”共通の家(ホーム)”というのにじんときます。

本シリーズによって、子どもたちは人間としての愛を知り、苦しみのときも愛の力を呼び起こし、複雑きわまりない世界に果敢に立ち向かい、生きる力を育んでくれることでしょう。そのとき初めて、この地球が、互いに与えられた人生について、そして命について話し合うための共通の家(ホーム)になり、ひとつの星としての輝きを放つであろうと信じています。

その2)
この本に何度かでてくるホーキング博士〜ちょうどレンタルショップでDVD『ホーキング』をみかけたのでさっそく。こんな風に本からいろんなことが「始まる」のがすき。 

予告編→ホーキングが「閃いた」ときの場面は(その何たるかが、わからないわたしでさえ・・苦笑)感動。


その3)
この本を読みながら、以前読んだ『リハビリの夜』(熊谷晋一郎著)のことを思い出していました。
今年初めここにも書きました。→
「障害」という体験は、ある社会の中で多数派とは異なる身体的条件をもった少数派が、多数派向けに作られた社会のしくみ(ハード、ソフトの両方)になじめないことで生じる、生活上の困難のことである。』(熊谷晋一郎『リハビリの夜』p83「脳性まひリハビリテーションの戦後史」より抜粋)

最近 佐々木千津子追悼文集『ほぉじゃのぉて』と言う冊子を知人からもらって読みました。佐々木千津子さんは、生後1週間で脳性マヒになり、20才の頃コバルト照射による不妊手術を強制的に受けさせられたそうです。この冊子の中に佐々木さんのドキュメンタリー映画『ここにおるんじゃけぇ』の紹介があって。
この映画の英題が"Yes, Iam here" ずーんとくるタイトルです。→

その4)
なつかしい友だちに会うたことやし、今日はなつかしい人がいっぱい出てるこれを聴きながら。
The Last Waltz (The Band) -I Shall Be Released - 1976→

それから、いまのニール・ヤング。年取ったニールもいい。とってもいい。
Neil Young- When I Watch You Sleepin'

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# by bacuminnote | 2014-11-30 18:59 | 本をよむ | Comments(0)

11年。

▲ なんだか急に冷え込み始めた朝、俵万智さんの『「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ 』がツイッター上に何度も流れてきた。RT(リツイート)してはる人が多いのは、そんな「あたたかさ」が恋しい人?それとも今その「あたたかさ」の中にいる人やろか?
そんなTLみながら浮かんできたのは「誰か居るごとくに今朝の寒さ言ふ」(岡本眸『卒業歌』)という俳句。じんとくる一句だ。

▲ そういえば母が一人で暮らしていた頃「寒いときの方が独り言が多い気ぃする」〜と言うてたなあ。冬は「一人鍋に決めてるねん」と友だち。寒いとひとりは堪えるけど、温もると元気がでると言う。
ウチも冬は鍋の出番が多いけど、いつかわたしらも一人になるんやな、と日々届く「年賀欠礼」のはがきにおもう。
寄せ鍋やいづれひとりとなるふたり」(宮武章之 私家版句集『松山城』)

▲ きょうは相方のお父さんの命日だ。あの日(→)からもう11年になる。息子2にメールしたら「ぼくは、ちょうど人生の半分長野で、もう半分が関西って感じになるんやね」と返って来て。この子は信州生まれ信州育ちって思ってたけど。そうか〜もう彼のジンセイの半分が関西になったんか、となんかしみじみ思いながら、ぽかぽか陽気の日曜日いつものバスで、お茶もってビスケットもって、本持って、お墓のあるまちまで冬の遠足。

▲ 日曜日ながら、お昼時だったから墓地にはわたし一人で、なんだか心許ない。
腰をかばいながら(その前日鍼灸院でみてもろたとこやったし)しゃがんで花入れを洗ってたら、70代くらいのご夫婦が来はって「こんにちわ」「今日はええお日和ですねえ」「ごくろうさん」。交わすことばは決まってるんやけど。いつものことながらほっとするような時間だ。
さっき書いた岡本眸さんの句に「墓掃除一途になつてをりにけり」というのがあるけど、草抜きしてたらすっかり夢中になって腰のこと忘れてて、いかんいかんと切上げた。

▲帰りはゆっくり歩く。いつもの喫茶店の前を通ると白い張り紙。あれ?臨終休業かなと思ったらなんと閉店のお知らせだった。それで驚いてるわたしも入ったことないんやから「さみしい」なんて勝手なこと言えないけど。やっぱり何も思わずに通り過ぎることはできない。もう一軒シャッターの降りた小料理屋さんは「諸般の事情で」もうちょっと待っててくださいね〜とあって。「諸般の事情」がどうか早く解決しますように、と思う。

▲ 駅までの道はそのまま商店街で、ご多分に漏れずここでもシャッターの降りてる店がいくつもある。
その昔、義父と義母によくここに連れて来てもらった。お魚の新鮮な店。お肉やさんのコロッケ。海苔と昆布。買い物の最後にはいつも義父の好物のうどん玉をいくつも買った。引っ越してもなお、長らく暮らしたまちに、時々たまらなくなって買い物に行く義父母だったから。帰りは一杯ビニール袋かかえて車に乗り込んだ。

▲ 駅前に着いたら、高校生か大学生のロックバンドが演奏しており。聴衆は少なかったけど、友だちらしき女の子たちが音楽に合わせて踊ってた。
ちょうどうまい具合にバスが入ってきて、乗りこんだら行きと同じ女性のドライバーだった。持ってきたビスケットはとうになく(苦笑)ペットボトルに入れてきた朝の残りの珈琲をのみながら、本を読む。この間読み終えたから再読。東直子さんの『いとの森の家』(ポプラ社)
「いと」とは福岡県糸島のことだと知ってすぐに買った。糸島には友だちがいて(糸島を訪ねたときのことはここに書きました→)山の中のとてもすてきなところで暮らしてる。

▲けれどこの本に惹かれたのは、糸島だけでなく、主人公の少女が会うおハルさんという女性。フィクションなんだけど、このおハルさんこと白石ハルさんという女性は実在の人物らしい。《福岡の受刑者の慰問をし、たくさんの手紙を交わしたことで知らせる女性》やそうで。主人公の少女が福岡のまちから引っ越して一年間だけ暮らした糸島の山の中の家での生活を縦軸にそこで出会った友だちやその家族、おハルさんとのことが綴られてゆく。
まちから田舎暮らしというのは、わたし自身もじゅうぶん体験してるから、うんうん頷きながら読んだけど、田舎に在っておハルさんという人との出会いはとても大きかったやろなあ、と想像する。

▲ 時代背景は著者の年齢からすると1974年頃だろか。銀行員の父、母姉と福岡市内の静かな住宅街にある団地(社宅)に住んでいた一家は、あるときお父さんの発案で「いと」と呼ばれる田舎に家を建てることになる。
「さあ、今日はいとへ行くぞ」父も母も、そこを「いと」と呼んでいた。日曜日になると、たびたび「いと」に連れていかれた。家族五人で行くこともあれば、姉と私だけがついていくこともあった》(p22)
子どもの意見を聞かず田舎暮らしに入ったのはわが家もおなじで(いや、そういうことを書いた本ではないんだけど)何でもない文章の中にも、「行くぞ」というお父さん、「連れていかれ」「ついていく」子どもに、ちょっとどきり。

▲ せやからね、主人公の加奈子や姉が 最初はまちでの暮らしとのギャップに、とまどいながらもじきに「いと」での暮らしの愉しみをみつけて、ほっとする。
そうして、そんな中出会うのがおハルさんだ。森の家に一人で住むおハルさんはアメリカ帰りで、田舎ではめずらしいクッキーやケーキを焼いてくれる、おちゃめでハイカラなおばあちゃんだ。
そのおハルさんがなんで死刑囚の人に手作りのお菓子を持って会いに行ったり、手紙を書いたり、そればかりではなくお骨までをお家で預かったりするのか。加奈子も友だちの咲子ちゃんもおハルさんに話を聞きながら、子どもなりにいっしょうけんめい考える。

▲ おハルさんが加奈子たちに教えてくれた死刑囚の人たちが残した俳句。
冬晴れの天よつかまるものが無い
最初読んだときノートに書き留めた。冬の青空の日だから、よけいにずんとせまってきて胸のあたりが苦しい。
けど、おハルさんのことを好きなひとばかりではない。友だちの高子ちゃんちのおばあちゃんは、よく思っていないことを加奈子たちの前ではっきり口に出して言うんよね。

▲ 子どもたちがおハルさんの楽しさとやさしさに惹かれるきもち。波立つきもちも、わからなさも又いとおしい。
まだ子どもだからわかってないのでなく、まだ子どもだから見えているものがある。すっかり大人になってしまったわたしは、おハルさんのことばを反芻する。
ありがとう、かなちゃん。あなたには、残酷なできごとが起こりませんように。しあわせな人生でありますように。》(p218)
私は、たくさんの人が踏みつけていった雪の上を、さらに踏みつけて歩いたの》(p221)

▲ そうそう、なぜ加奈子たち一家「いと」での生活が一年間だったか、は本で。
子どもに戻ったり、親のきもちで、いきつもどりつ本の世界に没頭してるうちに、バス停に着いた。と、くうう〜と大きな音がして焦る。時計みたら2時過ぎ。ハラヘッタ。やっぱり今回も〆はたこ焼き屋で。



*追記
その1)
文中にでてきた俳句は『異空間の俳句たち』(異空間のはいくたち編集委員会/海曜社)から引用されたものだそうです。

その2)
東直子さんは小説や絵本も書いてはりますが(この本の装画も著者によるもの)歌人です。
このあいだ某誌で東直子さんが選者の短歌投稿欄がはじまったので、おもいきって出してみたら、自信作はあかんかったんやけど(苦笑)ひとつは佳作に選ばれました。うれし!
郵便受けに届いた封筒を家に入る前に、立ったままで開けて「うしろから読む」〜ドキドキ感は高校生以来なり。

「となりの子花を数える声やんで九月の朝顔青いのひとつ」(しずか)←俳句と短歌のとき用のなまえ(笑)

その3)
今日書けなかった本。
写真で読む『水俣を忘れない』桑原史成(草土文化)→

『おとうさんといっしょに』『おとうさんといっしょに おばあちゃんのうちへ』『きよぼう きょうは いいてんき』三冊とも白石清春さんの文、西村繁男さん・いまきみちさんの絵(きよぼう・・の絵は西村繁男さん)福音館の絵本です→


その4)
今日はこれを聴きながら。いつもいつまでもすき。
Neil Youg -Plastic Flowers→
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# by bacuminnote | 2014-11-18 22:52 | 本をよむ | Comments(0)

ビュウと音たてて。

▲ この間友だちと会った。
同じ大阪に居ながら、なかなかゆっくり会うということができない。とはいえ、今はツイッターやブログで見かけては「お、元気にやってるんやな〜」とわかるから(ていうか、わかった気になって)長く会ってなくても、さみしいとか思わないけど。
でも、やっぱり実物(ほんまもん)はちゃう(笑)
笑ったり、すねたり(!)すぐに反応あるし。いや、逆に顔見てるだけでしゃべらんでも通じるものがあるというのが、ふしぎ。おもしろいなあと思う。

▲ さて、方向オンチに加えて、優柔不断なJとわたしゆえ、いつ、どこに行ってもたいてい珍道中となるんよね。この日は講演会に行くのが一番目的で、その前にちょっとしゃべろか〜ということになって、時間よりだいぶ早目にI駅で待ち合わせたのはいいんだけど。その後どこでお昼ごはん食べるか決まってなかったので、駅周辺の階段やエスカレーターを上がったり下ったり。
さんざん歩きまわったあげく、駅出てすぐのうどん屋さんにてきつねうどん二人前〜なり。
それでも、小雨まじりのこの日に熱々のうどんはおいしかった。(Jは猫舌やからさましてから食べてたけど・・笑)
加えて、わたしらよりセンパイと見受けられる女性たちがカウンターの中で、白い長靴履いてきびきびと立ち働いてはる姿がええ感じやった。

▲ うどんの後は場所かえて珈琲。
Jが持ってきてくれた『マーガレット手帳』(1965年版)を見せてもらう。これ、少女マンガ『マーガレット』(集英社)から当時発でたもので、たしか『週刊マーガレット』に付いてるシール何枚かにプラス200円で買えたのだと思う。
マンガ家のわたなべまさこさんがイラストやカットを描いてはって、間に日記のページとファッションの写真とか入ってて。どれも見覚えがあってなつかしかった。

▲ この手帳がほしくて大阪と吉野に住む少女ふたり、それぞれにせっせとシールとお小遣い貯めてたんやろね。Jは「1月9日 わたしはとうとうこの手帳を手にいれた」と 大真面目に手帳に書きこんでて、笑うてしもたけど。
”じぶんだけのひみつのノートをもつ”それは、なんとすばらしいことでしょう。なんだか、ちょっと大人になったみたいで、胸がときめくかんじですね》と、わたなべまさこさんが書いてはって。その「ひみつのノート」っていうのに、どきどきしてた大昔の自分たちが可笑しくて、そんで、いとおしい。

▲ 昔話にひとしきり笑ったあと、バスで講演会会場の茨木市立中央図書館にむかう。
長いこと連絡しなくても平気なくせに(苦笑)いったん話し始めると、あれもこれも、と話は尽きることがない。
二年前このバスに乗ったときは、思いもかけず作家の山田稔さんがわたしのあとから乗って来はって、一人あわあわ、そわそわ(苦笑)したんよね(その日のことをここにも書きました→)そして、この日の講演の演者はなんとその山田稔さんなのである。

▲ 同館内にある富士正晴記念館の特別講演会というのが毎年あって、今回山田さんの演題は「富士さんについて、いま思うこと」。講演はきらいで引き受けることが殆どない、という山田さんの講演やからか、ちょっと席外して戻ったら満席になっていた。あとで聞いた話では定員80人のところ100人の参加があったらしい。
山田さんは(センセイと呼ばれるのが嫌やそうで。そういうところも山田稔作品にあらわれていると思う)しずかに富士さんの生い立ちや来し方を語り始めはった。

▲いちばん心に残ったのは魯迅の話だ。
富士正晴の『植民地根性』というエッセイから。
ある公園の前に「犬とシナ人は入るべからず」という立て札が立っている。魯迅はけんかする力がないから、その立て札を抜き捨てることが出来ない。そこで彼はステッキを振り上げ、立て札を力一杯叩くだけだ。

この魯迅のステッキがいつもわたしの頭の中でビュウと音を立てている気がする。そして、その音は、魯迅のこころの中で絶望的に聞こえたように、わたしの中でも絶望的にひびいているのかもしれない。しかし、ステッキはビュウとひびかなくてはならない。一人一人の国民の頭とこころの中でビュウ、ビュウとひびいていなくてはならない。
『富士正晴集』戦後エッセイ選 7 影書房p10より抜粋)

▲この部分を読み上げはった後「まさに今の日本の状況に重なります」と言う山田さんの細い声がよけいに沁み入るようで。しばらく耳元に、そのビュウビュウという音が聞こえてくるようだった。

それの養成法は割合楽である。絶対の権力を行使すればよい。強力さを絶対と思いこませればよい。すべての発言が命令の形をとればよい。上品な様子をしたければ、おすすめの形をとればよい。忠告・希望・期待、そうした甘味をちょっぴり微笑ませればよい。背後にキラメク強力な武器がこわいから、微笑は恩恵とすら見えてくる。そこまで来れば奴隷・植民地根性はほぼ十分な完成をとげたと云うことが出来るのだ》(同書p10〜11より抜粋)
わたしが生まれた1955年『思想』に書かれた富士正晴のこのエッセイを、2014年の今読んで 背筋が凍りつくような思いをしてることが怖い。とても怖い。

▲ 山田さんは富士の本を読むのには気力が要る、とおっしゃってたけれど、軟弱なわたしなんかは前述のエッセイだけでも打ちのめされそうやな、と思う。でも、たのしいエピソードもいくつか紹介してくださった。
富士正晴の「学校嫌い」の話には笑ったり、共感したり。いや、それでも三高に合格する氏の秀才ぶりを思ったりするのだけれど。
曰く《勉強なんかさほど重大ではないかもわからん。大学校は上へばかり卒業するものとちごぅて、横へ卒業する仕方がある。》結局、富士は三高文科(いまの京大)を中退することになるんだけど。「横へ卒業」というのがええなあと思う。

▲ 最後に「川は流れるが杭は残る。流れの中に残る「杭」としての富士さんの中に、たえず魯迅のステッキの音が響いていたのではないだろうか」ということが山田さんが「富士さんについて、今思うこと」だと。
わたしは前々回の講演の前に『富士さんとわたし 手紙を読む』(山田稔著 / 編集工房ノア)を読んだのと、その折記念館でであった詩がきっかけで『心せかるる』を読んだきりだったけど、お話を聴いて他の本も読みたくなった。

▲講演のあとの懇親会にもJのおかげで参加。山田稔さんがテーブルを回って来てくださり、なんと氏の向かいでお話できるという夢のようなひとときをすごした。
けど、ほんまの夢やったら、すらすら話せたんやろうけど、現実は緊張とビールによる弛緩がごちゃ混ぜとなり(苦笑)つまらんことをペラペラしゃべった気もして。あこがれの人の前では閉じた貝のように寡黙になるか、もうやめとけ、というほど饒舌になるか、ほんま難儀な性格である。それでも山田さんはていねいに応えてくださって、ありがたかった。(が、それゆえに、再び凹むのであったが・・)

▲ とか、思ってたら山田さんの真横の席だったJも「何かしゃべらなあかんと思って、焦ってしょうもない話をしたり、ちょっと自己嫌悪に陥りそうになった」そうで。
お互い舞い上がったり、凹んだりの一日で。ああ、けど友よ〜ほんま有意義で、そんで愉しい時間やったね。
富士正晴らが戦後島尾敏雄らと始めた かの『VIKING』は東京の文壇に出てゆくための文学誌ではなく「存続することを唯一の目的とする」同人誌で、発行は月一回。今はもう767号やそうな。
帰途、その日出会ったひとたちのこと、聴いたり話したいっぱいのことを思い返しながら、「続ける」ことの力を思いながら 夜道を歩いた。
しかし、なんやかんやとよう歩いた日で、家に帰ったら歩数計は11795歩。人形がバンザイをしていた(一万歩こえると歩数計の人形のバンザイマークが出現するようになってる・・笑)
家に着いたら緊張がとけたのか、急におなかがすいて、おでんの温め直しにワインを少し。ええ夜でした。


*追記
その1)
『富士正晴集』この本の出版社影書房の松本昌次氏が(2014.11.1)レイバーネットに「富士正晴と言う人がいた」という文章を書いてはります。→

図書新聞2014.5.17 『富士正晴集』書評 鈴木慎二氏(BOOKS隆文堂)→


その2)

今日はこれを聴きながら。
Jennifer Castle "Nature"→
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# by bacuminnote | 2014-11-07 21:44 | 本をよむ | Comments(0)

ハラタッタ。

▲久しぶりに怒ってしもた。
日頃おだやかな性格ながら(ほ、ほんまか?)たまにバクハツすると、しつこいらしい(←同居人の弁。苦笑)
けっこう気短かのくせに「あかんたれ」が災いして、いつも怒るタイミングを逃す。一人悶々とした後「まあええか」と思って通り過ぎるも「そら、やっぱり、きちんと怒らなあかんで」と呼び止める自分もいて。けど、たいてい気がついた時に列車はすでにむこうの方を走ってゆく(泣)

▲ いや、昨日はちょっとほんまに腹が立って(←しつこい)持って行き場のない思いをだれかに聞いてもらいたくて、あの人やこの人に電話するも何故だかみーんな外出中。くわえて相方も留守で。ああ、ハラタツ、ハラタッタと、外はまだ明るかったけどビールをのんだら、カッカするきもちはそのまんまでからだだけ冷えた。
それから、洗いもんをした。ガチャガチャ音たてて黙々とお茶わんや鍋を洗った。
と、そのとき。あ、あの本!とおもいだして、洗いかけのお茶わんはほったらかしたまま、あわてて袋からとり出した。それはその日のお昼に図書館で借りて来た『ピーター』(バーナデット・ワッツ作 福本友美子訳)という絵本だ。

▲表紙をめくると「おとうとのピーターへ」とある。
ピーターのお家は祖父母と両親、二人の姉とピーターの7人家族。両親が働きに出てる間、家の中のことはおばあちゃんが、家の外〜庭や畑や鶏の世話はおじいちゃんがしてくれる。
夏のある日、お母さんの誕生日が近づいて姉たちは贈り物の準備をはじめてる。ケイティは絵を描き、アンジェラはケーキをつくるつもりだ。
さて、弟のピーターは何を贈っていいのか見当がつかない。姉の贈り物計画に加わろうとすると「だめよ。うまくかけないでしょ」とか「だめよ。たな(の小麦の袋に)てがとどかないでしょ」とか言っわれて追い払われて。ああ、わかる。わかるなあ。末っ子の悲哀(苦笑)

▲ピーターはアンジェラにたのまれた卵を 庭にいるおじいちゃんのところにもらいに行くんだけど。そしたら、おじいちゃんにもママの誕生日にピーターが何を贈るつもりか?と尋ねられるんよね。

ピーターは かたをすくめました。なみだが でそうになったので、キャベツのはたけに ひざをついて、はっぱについたあおむしを とるふりをしました。
「アンジェラに たまごをもっていきなさい。おじいちゃんは、はたけでマメをとっているから、あとで おまえもおいで」と、おじいちゃんは やさしくいいました。「うん、ぼくも いっしょにとる!」とピーターは いいました。


▲ このページの絵はひまわりと輝くお陽ぃさんのイエローとオレンジ色に染まってきれい。
けなげにもピーターは青虫捕るふりして泣くのをがまんしてるというのに。「がまんのコップの水」があふれたのは読んでるわたしの方だ。
次の日もよいお天気で、ピーターはおねえちゃんたちに外で遊ぼうよ〜と誘うんだけど、口をそろえて《あたしたち いそがしいの。ママのたんじょう日は あしたなのよ!》と返される。
いかにも、おしゃまなおねえちゃんたちの口ぶりが聞こえてきそうだ。
意気消沈したピーターはおじいちゃんに《ママに せかいでいちばんきれいな木をあげたいの。でも、どこにあるかわからない……》と言う。

▲ 「だいじょうぶだよ!」と、おじいちゃんは小石を植木鉢にしきつめ、庭の奥に行って土の中から「ちいさな くろい ぼうのようなもの」を掘り出して植木鉢に土と共に入れてくれるんだけど。これ、ただの棒っきれを土につき差しただけにしか見えなくて。ピーターは「こんなもの、だれにも みられたくない」とマメのつるの裏に隠してしまうんよね。
そうして、とうとう誕生日のその日がきて、庭でおねえちゃんたちはおいしそうなケーキや絵をママに渡す。ピーターはなんにも渡すものがなくて。ただママのそばに行ってママの顔をみつめるだけ。でもママはにっこり笑って抱きしめてくれる。

▲ やがて秋がきて。
ママと一緒にピーターが庭の落ち葉を熊手でかき集めてた時のこと。なんとママがあの植木鉢を見つけるんよね。ピーターはむきになって《なんでもない。ただのぼうだよ。ママのたんじょう日に、せかいいちきれいな木をあげようとおもったのに!》と泣く。
するとママは「これはぼうじゃない。木のあかちゃんよ」と、台所の窓からみえる畑に植え替えるのだった。

▲ さて、季節は冬になって。ピーターの家のまわりはあたりは真っ白な雪景色。
木のあかちゃんはどうなるのか、どんな花をさかせてくれるのか。(このつづきは、ぜひ本を手にとって読んでほしいです。)文章だけでなく、ていねいに描き込まれた家や庭や動物たちもまた物語を持っている。
子どもが泣いたり笑ったりすねたりしながらゆっくり育ってゆくように、「ただの ぼう」も時間をかけてママへのすてきな贈り物になり、家族みんなの愉しみになってゆく。
最後の頁には現在の三姉弟のことがさらりと書かれていて。ほんとうの話なのか、これも物語の続きなのかはわからないけれど。最初の「おとうとのピーターへ」を思い出して、泣き虫の末っ子がこの後どんなふうに成長したのか、あれこれ想像したりして。
気がつけばわたしのきもちはしずかに そしてほかほかになってたよ。 ありがとう、ピーター。


追記
その1)
バーナテッド・ワッツさんのサイト→

その2)
洗いモンをしながら思い出していた短歌↓
《怒りつつ洗うお茶わんことごとく割れてさびしい ごめんさびしい》
(東直子『青卵』)
かっかしてたけど、途中できもちが絵本へと移ったおかげで、お茶わんは割れなくてよかった(苦笑)

そして本を読んだあとに、ようやく幼なじみと電話が繋がり、堰を切ったようにしゃべってしゃべって。泣き笑い。
mちゃん、おおきに。
そうこうしてるうちに、ハラタッタはハラヘッタに移行(笑)

その3)
ハラタッタがなければ書こうと思っていた『ぼくはアメリカを学んだ』(鎌田遵 著/ 岩波ジュニア新書)や『言葉と歩く日記』(多和田葉子著 / 岩波新書)はまたこんど。

その4)
今日はこれを聴きながら。
Essie Jain "I'm Not Afraid Of The Dark" (Wanderer Session #29)→
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# by bacuminnote | 2014-10-27 22:34 | 本をよむ | Comments(0)
▲ 一昨日は大きな台風が来るというので、夕方から雨戸ぜんぶ閉めてしもたから。家の中は真っ暗で。そんなとこに、雨もあんまり降らない内からケイタイに緊急エリアメールの着信音が響いてドキン。《自主的に避難したい方のために、どこどこのホールを避難所として開設・・・》と知らせてきた。
けど、恐れていた「来客」はその後、雨降りにはなったものの植木鉢を飛ばすことも、雨戸を激しく叩くこともなく、思いの外あっさり通りすぎて。「大したことなくてよかった」と思わせる為〜みたいな(こういうのがほんまに適切な天気予報なのか、考えつつ)暗いままの長い夜となった。

▲ この間シネ・ヌーヴォという映画館に行ってきた。ふだん家から半径1km圏内で過ごしてるから。たまに「圏外」に出かけると街も人も、刺激的でおもしろい。
乗り換え駅で電車が来るまでベンチに座ってると、いきなりどすんと右横に座った40代くらいの男性はコンビニ弁当(たぶん)を袋から取り出すと、猛烈な勢いで食べ始めた。まだお昼には一時間ほどあるけど「昨夜から何にも食べてません」モードで、その人は唐揚げもポテトサラダもレタスもご飯も皆一緒くたに頬ばってはる。
左横の女性は鏡みながら目を重点的にメイクアップ中。その前に立つビジネスマン3人は億のつく数字入り会話を「かぼちゃ一個でその値段は高いで」的ノリで。
そうこうしてる内にホームに電車が入ってきた。ところが横の方はちょっとペースダウンしたものの、まだお食事中。電車乗るのか乗らへんのか気になりつつ、とりあえずわたしは乗車(苦笑)。なんか映画観に行くまえに、すでに映画が始まってるみたいでわくわくする。

▲ シネ・ヌーヴォに行くのは二回目だ。
去年3月、大阪アジアン映画祭で『日本の悲劇』(小林政広監督)を観に行った。そういえば、このとき行ってきたことを告げると、何人ものひとに「わあ。一人でよう九条まで行って来たねえ」とびっくりされた。いや、同じ大阪府下だし、それほど遠距離でもないんやけど。どれだけわたしが方向オンチ+出不精か、ってことやね。
そのときは映画館までの地図を前もってノートに書いて(コピーするより書くと頭に入る←たぶん)始まる2時間前に家を出て行くわたしに 相方が「ん?シネ・ヌーヴォーって大阪やったよな?」と聞き直してたっけ(苦笑)
そして、手書きしてしっかり頭に入ってるはずの地図やったのに、道中二回も迷いそうになったのであった。駅から「徒歩3分」ってホームページに書いてあったのに。

▲ でも、今回は大丈夫〜と自信満々家を出た。九条駅の長い階段をおりて商店街の前に立つと、記憶が蘇り道幅の広い商店街を行く。あ、あの洋品店は(←ブティックというより)帰りに寄ったとこや〜とか思い出しながら歩く。
『日本の悲劇』はこの映画祭での上映が日本初公開。どうしても観たかった。タイトル通り重くて深いテーマの作品だけど、ふっと自然に頬が緩む場面もいくつかあって。一瞬張り詰めた劇場内の空気が皆の小さな笑い声で満ちた。白黒で(いっときだけカラーになる)音楽のない映画ながら、生活の音がラジオドラマを聞いてるようでもあり。どんな小さな音や吐く息さえも聞き漏らすまいと耳をそばだてていた。

▲上映後あこがれの監督の舞台挨拶のあと質疑応答の時間は、映画青年たちの「撮る側」の質問が多かった。おばちゃんは聞いてみようかなと思ったことも聞けず、出口近くで監督にサインしてもらってる人の列にも並べず(本やCD、その他いろいろ持って行ってたけど・・苦笑)。ええねん。ええねん。ちょっと離れたとこで眺めてるのがファン〜とかなんとか。自分で自分に言い訳しながら館を出た。
それでも、初めてのところに一人で来て(←おおげさやなあ)観たかった映画を観ることができたという満足感で、なんだか晴れ晴れとした気持ちで商店街を歩いた。そうして件の洋品店の前を通り、表のセール品の中にグレイのスカートをみつけて。ふんぱつ。

▲そんなこんなを思い出しながら、喫茶店とパチンコ屋の角を曲がり、直進して。前はここで次の目標の薬局が見つからなかったんだけど。今回もちょっと迷いつつも・・・あ、あった。着いた!
早く来すぎたから、待合のコーナーはわたし一人で。持ってきたパンと珈琲で早めのお昼。緊張のせいかお腹がすいてたんよね。がつがつ頬張ってぐいぐい飲んで、ふっと、さっき猛スピードでお弁当食べてた人が浮んで、思い直してゆっくり噛んで食べた(笑)

▲ この日観たのは『シュトルム・ウント・ドランクッ』(山田勇男監督)
友だちがワンシーンだけど出演しているんよね。彼女から、たったひとつの台詞「十五円五十銭」を何度もくりかえし練習してること、関東大震災関連の本を何冊も読んだことなど聞かされており。
映画を観るのはたのしみでもあったけど、古い、身内のような子やから、なんか照れくさいような、心配なような気持ちで、登場のシーンになるまで落ち着かなかった。まるでわが子の出番をドキドキして待つお母ちゃんの気分やね。

▲ ところが「朝鮮あざみの女」(彼女の役名)は怖れで凍りつく女のひとの表情を、そのみじかい時間の中で微妙に変化させてとってもよかった。
いや、彼女はマンガ家でありイラストレーターであって、役者やないんやけど。あそこに映ってるのは、アーティスト「うらたじゅん」だなと思った。
・・と、「友だちの出演」に気を取られ、物語の中に深く入りそこねた気がするものの、場面 場面の印象は深い。
映像もきれいでよかった。くわえて、それにかぶさる音(効果音というのかな〜人が動き出すのに馬が走り出す音がしたり、マッチ擦る音が大きく聞こえたり)もことばのない詩のような感じがして いまだ耳にのこってる。音楽もいい感じ〜最後のほうでジンタらムータ with 黒色すみれの『ワルシャワ労働歌』が流れるシーンがすき。

▲クレジットのあと、もうおしまいと思ってたら《瞼は黒いスクリーンである》という言葉が現れて、どきっとする。照明が灯って場内がぱっと明るくなり、周囲の人たちの立つ気配を感じながらもそのまま座ってた。そうだ。忘れないうちに、とノートを出して書き留める。山田勇男監督のことばだった。
はっとして辺り見渡したら場内わたし一人になっていた。慌てて席を立つ。表には次の回の人たちが並んではった。

▲ 帰りは すいすい。(あたりまえ)
映画館に行く道中もすきだけど、帰り道はもっとすき。余韻のなかであれこれ思う時間。思いをことばにするんやなくて、思いを漂わせてるみたいな時間。
そんで、行くときは田舎からでてきたお母ちゃんみたく、きょろきょろしてたくせに、帰りは「まちの空気」にちょっと馴染んできて本を開く。『トリエステの坂道』(須賀敦子は表題作がすきで何度も読む。著者がミラノから夜遅い空の便で、勝手のわからないトリエステにひとり旅の話に自分をかさねる。(おおげさやなあ)
文庫で20頁ほどやからすぐに読み終えて、また映画のことに思いをはせる。
家に帰ったらおなかがすいて、相方とバゲットにハムとチーズ挟んでビール!〆はこれ(やっぱり)わたしの秋の遠足〜ええ一日でした。



* 追記
その1)
『シュトルム・ウント・ドランクッ』のメイキング←ここにジンタらムータ with 黒色すみれの『ワルシャワ労働歌』のシーンも。

その2 )
この間ツイッターで小林監督がトリフォーが来日したときのエピソードを書いてはった。
トリュフォーの時もそうだった。もう30年も前の話。パレスホテルのカウンターで、お土産と手紙を渡してくださいと言ったらカウンターの人が部屋に電話してくれて、今いらっしゃいますよ。直接渡したらどうですか?と言われビビって、走って退散した(略)
このきもち、とてもとてもよくわかる気がする。
そして、去年その小林監督の前からそぉーっと退散したときのこと、ふっと思い出していました。

その3)
『日本の悲劇』については北の友、番場早苗さんがブログ『陸繋砂州』ですばらしいレビューを書いてはります。→

その4)関東大震災というとこの本が深く残っています。
『九月、東京の路上で』(加藤直樹著 ころから刊)

その4)
今日はこれを聴きながら。ギリシャのバンド。この画像の写真の少女はうらたじゅんの絵の世界のようでもあります。タイトルがvagabond(さすらいびと)というのもね。
One Hour Before The Trip ~ Vagabond →
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# by bacuminnote | 2014-10-15 11:54 | 映画 | Comments(0)
▲ 若いときは田舎ぎらいだったわたしも、今は目をつむれば自然に吉野の山と川がうかぶ。パン屋を始めた滋賀・愛知川で暮らしたあとは、車中から近江富士が見えると「ほぉ〜」と声がでて思わず立ち上がりそうになって。
信州・開田高原での13年近い日々には「おやま」(御嶽山のことをこう呼んだ)はいつもそばにあったから。その姿はくっきりと自分の中にきざみこまれてる。

▲ 郷愁のおもいに傾きやすいのは歳のせいやろか。いや、年齢や、好きとか嫌いとかの前に、山も川もあたりの空気もみな。わたしのからだの中の深〜いとこまで染みこんでいるんやろなと思う。
そして、そのどちらも身近にない街暮らしをしている今、ときどき河童のお皿がからっぽになったみたいなきもちになる。

▲先月末から日に何回も「御嶽山」のニュースや写真をみてそのつど胸がつまる。
噴火のその日と翌日と、ふだんは連絡してこない息子ふたり(!)からも電話やメールがあって。何度も引っ越しているけれど、あの子らにとっても開田はたいせつな故郷のひとつなんやなあと改めて思った。
かの地の友人たちからそれぞれに近況と「大丈夫」の返信が来てひとまず安堵のあと、でも、やっぱり気持ちはずっと落ち着かない。
かつて麓の村から毎日のように眺めてた、つねに思い出の背景にあった穏やかな「おやま」の、もうひとつの顔。改めて山は(も)生き物と思う。でもどうか早く鎮まってくれますよう。そして、亡くなられた多くの方々にはただもう手をあわせるばかりです。

▲ どきどき、ざわざわした思いのなか、しらんまに九月は終わり十月になった。
そろそろ扇風機がじゃまになって、片付けようかと思ったら、夏が戻ってきたみたいに暑い日もあって。よけいに身の持っていきどころがないような、宙ぶらりんな毎日だ。
そんな中〜9月1日から始まった毎日新聞(大阪本社発行版)連載童話『蝶々の木』(岩瀬成子 文 / 長谷川集平 絵)も30日で最終回となった。
だいすきな岩瀬さんと長谷川さんのコンビの作品。でも新聞は購読していないので、図書館で読むか〜と思ってたんだけど。図書館に行くと新聞コーナーはいつも満席で。そしたら、ご近所さんが「一日分やったらあっという間やろ」と、4〜5日分まとめて郵便受けに入れてくれることになった。(感謝!)

▲ 物語は夕方 川辺にひとり腰をおろし、川を眺めながら主人公の麻里生が泣きべそかいてる場面から始まる。
川面はつるつると平らで、川は流れていないように見えた。たが、じっと眼をこらしていると、ゆっくりと水は移動していた。 日が暮れかかっていた。ぼくの背後の土手に立っている大きな木の影がうっすら川面に写っている。僕もその影の中にいた。

弟が自分のジグソーパズルを無断で持ち出してるのをみつけた麻里生は、いきなり弟を殴ってしまうんよね。
泣いてる弟の肩を抱きながら母は麻里生を怒る。「どうしてそんな子になったの」「四つも下なのに」「6年生にもなって」と自身も泣きながら。それで、麻里生は家を出て来たというわけだ。

▲兄弟姉妹がいてたら、どこにでもありそうなエピソードだけど。この背景には両親の離婚、厳しい父に勉強も運動も、厳しく叱咤されてすっかり萎縮してしまってる麻里生がいる。
岩瀬成子の描く子どもの物語は、読んでるうちに子どもになって。こんな歳になっても自分の中に「子どものころのわたし」が居ることに気づいてどきんとする。

▲ わたしの生家のとなりは化粧品屋さんだったんだけど、ウチの裏に出るとそこんちの裏の木戸があって。
わがままで短気な父親がつまらないことで(←たぶん)怒って、手を上げそうになったりすると、末っ子で要領のいい(と、姉たちから言われてた)わたしは、とっさに裸足で裏に走って隣んちに逃げこむのだった。
隣のおばちゃんには子どもがいなくて、よく可愛がってくれはったんよね。とつぜん裏口から勝手に入って来る隣の子に「あんた〜またお父ちゃんに怒られたんか?」と言うて、おばちゃんは足の裏を雑巾でふいて家に上げてくれた。

▲その後は「まあ、これでも食べ」とお饅頭の皮(近所の和菓子屋さんで薯蕷饅頭の皮の余ったのをよくもらった)やら、おせんべいやら「よばれて」、ガッコや友だちのこと家族の話、いろいろぺちゃくちゃとおしゃべりのあと、機嫌よく家に帰ろうとして、履物がないことにはっと気づき。せやった、せやった。お父ちゃんに怒られてここに逃げてきたんや〜と思いだすんよね。
いかにもわたしらしい(苦笑)とぼけた話だ。

▲病気をくりかえしたこともあるだろうけど、晩年は穏やかで好々爺然とした父で。
わたしは抱っこしてもろたり手を繋いだ記憶もないけど、ウチの息子1がちっちゃかった頃はチャンバラごっこの切られ役から五目並べの相手まで、嬉々としてやっていた。
さいごは肺癌でさんざんしんどい思いして逝ったお父ちゃんやったし、入院中はいっぱい話もしたし。それに苦労かけた母に何度も「おおきに」と言うてたし。
せやからね、子どもの頃のことはもう許したる!と思ってはいるけれど。
昔はどこの父親も多かれ少なかれ、そんなもんやった〜と言う人もいるけれど。
弱いものを力で抑えつけるなんて、絶対にしたらあかんこと。
眼ぇ大きいして小さい子ども相手につまらんことで 手ぇあげたりカンカンに怒ったそのときの父の怖い顔は、今でも忘れることができない。

▲ 麻里生もまた、父親から受けた厳しい叱咤にふかく傷ついてる。ウチみたいに単純なことで怒られると、悪いのはお父ちゃんや!と決めてかかれるけど(苦笑)
麻里生の父親は「おまえのため」と、自分が「良い」と思い込んでいる方向に誘導しようとする。そのつど麻里生は自分はだめなやつ、と落ち込みながらも「なぜ?」と思う。思うけれど、きちんと反論する術もなく、結局父親の言いなりになって もやもやしたものを抱え続けている。

▲それなのに。
自分の弟を同じように殴ってしまうんよね。そして《台風の雲のような怒りの渦巻きはどんどん大きくなって》《おまえはすぐに泣くんだから。泣けばすむと思ってるのか》と、おびえる弟を追い詰める。
こんな場面を読むと胸や胃のあたりがきゅうと縮みそうになる。
でも、彼にも言い分はあって。弟が勝手に持ちだしたパズルは、両親が離婚するまで住んでたまちの学校の友だちが麻里生にくれたものやったんよね。それに父親が厳しかったのは兄のほうだけで、弟に手をあげることはなく。

▲ 物語に登場するのは、この一家以外にもうひとり黒田君という麻里生の友だちがいて。この子《学校の黒田はどことなくぼんやりしている。だるそうな感じというか。内気なタイプではないが、一緒にふざけていたかと思うと、すーっと、いつのまにか1人離れて窓から外を観ていたりする》子なんだけど。
彼の存在が(じつは彼にも「家庭の事情」というものがある)、なんか特別なこと言うたり、したり、するわけやないものの、かたく縮こまった胸をちょっとやわらかくしてくれる。

▲ そんなある日別れたお父さんから「会いたい」と麻里生に連絡があって・・・。麻里生はどうすべきか考える。弟や黒田君に話したり、母に報告しながらも考えて、結局会うことになって。
この間(かん)にも、子どもは少しづつ成長してるんよね。思いきって自分がつらかった時の話をしても、お父さんはちっとも「ほんとのところ」がわかってなくて。相変わらず「子どものため思って」厳しくしてきた、と思い込んでる。
だけど。大きくなり、変わってゆくのは子どもたち。

▲最後、麻里生が弟に導かれて公園の中〜蝶々の木の場面がいい。
「来て」と弟は言って、腰をかがめて木の下へともぐり込んでいった。ぼくもあとにつづく。
2人で木の根元に腰を下ろして上を見あげた。
木の葉の隙間を通して蝶がひらひらと木の周囲を飛んでいるのが見えた。


岩瀬成子さんは、大人にたいして、友だちにたいして、考えれば考えるほど言葉にできないもどかしさに、足踏みしてる そんな子どもを描くのがうまいなあとおもう。
長谷川集平さんの絵も子どもの奥深いところがふっと見え隠れするような表情に、毎回どきどきして。「挿し絵」というより、もうひとつの物語のようで惹きつけられた。

▲ そういえば。
川で毎日遊んだ子どものころ。向こう岸近くに大きな岩があって、そこまで泳ぎ着くのが小さい子が大きい子の仲間入りするというか、ひとつ上に進む目標みたいなものだった。
みんなそれぞれ川の流れを目算して川上のほうから流されながら、その岩を目指すんだけど、思いの外流れは早く、水は冷たくなって、どんどんちがう所に流されてしまいそうになるんだけど。

▲ そのとき、ふと先を見ると年上の子が川の中で立ってるのが見えて。あれ?とうてい背の立たない深さなのに、と思ったら、川面からは見えないけど、川底に岩があってそこに立っていることに気づいた。こわごわ立泳ぎしながら足先で探る。岩は小さくてぬるぬるしており、足にしっかり力を入れて立ってないと流されそうになるんだけど。
もうちょっと先の大きな岩まで泳ぐのに、ちょうどいい休憩地点だったんよね。
『蝶々の木』を読んでいて、その岩のことを思いだした。
岩瀬成子さんの物語が、けっして子どもに媚びることがないのに、そのきびしさに流されたり 沈んでしまわないのは、あの川底の岩みたいなものをそっと置いてくれてるからかもしれない。


*追記

その1)
今日はこれを聴きながら。Brian Eno - By This River→


その2)
この間友人から電話。「ごめん、ごめん。4日も前にメールもらってたのに。本ばっかり読んでて気ぃつかんかったんよ」とのこと。こういう感じ、わかるから頬がゆるむ。彼女をそんな夢中にさせたのは前回ここで書いた内田洋子さんの本とわかって、もっと頬がゆるむ。(ゆるみっぱなし・・)
本のこと書くとき、なるだけすばらしい読書評は読まないようにしてる(苦笑)
せやかてね、そういうの読んだら、わたしなんかが書くことは何にもない、って思ってしまうから。
けど、こんなふうに、わたしにもだれかに何か「手渡せた」と知ることが たまにはあって。
うれしい。ほんま うれしいです。おおきに。


その3)
岩瀬成子さんの本のことは、ここでもよく書いています。
以下、とりあげた書名とブログアップの日付を書いておきます。
『オール・マイ・ラヴィング』2010.12.20
『ピースヴィレッジ』2012.01.09
『なみだひっこんでろ』2012.06.17
『くもり ときどき 晴レル』2014.08.18
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# by bacuminnote | 2014-10-04 09:34 | 本をよむ | Comments(0)