いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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▲ 一昨日は大きな台風が来るというので、夕方から雨戸ぜんぶ閉めてしもたから。家の中は真っ暗で。そんなとこに、雨もあんまり降らない内からケイタイに緊急エリアメールの着信音が響いてドキン。《自主的に避難したい方のために、どこどこのホールを避難所として開設・・・》と知らせてきた。
けど、恐れていた「来客」はその後、雨降りにはなったものの植木鉢を飛ばすことも、雨戸を激しく叩くこともなく、思いの外あっさり通りすぎて。「大したことなくてよかった」と思わせる為〜みたいな(こういうのがほんまに適切な天気予報なのか、考えつつ)暗いままの長い夜となった。

▲ この間シネ・ヌーヴォという映画館に行ってきた。ふだん家から半径1km圏内で過ごしてるから。たまに「圏外」に出かけると街も人も、刺激的でおもしろい。
乗り換え駅で電車が来るまでベンチに座ってると、いきなりどすんと右横に座った40代くらいの男性はコンビニ弁当(たぶん)を袋から取り出すと、猛烈な勢いで食べ始めた。まだお昼には一時間ほどあるけど「昨夜から何にも食べてません」モードで、その人は唐揚げもポテトサラダもレタスもご飯も皆一緒くたに頬ばってはる。
左横の女性は鏡みながら目を重点的にメイクアップ中。その前に立つビジネスマン3人は億のつく数字入り会話を「かぼちゃ一個でその値段は高いで」的ノリで。
そうこうしてる内にホームに電車が入ってきた。ところが横の方はちょっとペースダウンしたものの、まだお食事中。電車乗るのか乗らへんのか気になりつつ、とりあえずわたしは乗車(苦笑)。なんか映画観に行くまえに、すでに映画が始まってるみたいでわくわくする。

▲ シネ・ヌーヴォに行くのは二回目だ。
去年3月、大阪アジアン映画祭で『日本の悲劇』(小林政広監督)を観に行った。そういえば、このとき行ってきたことを告げると、何人ものひとに「わあ。一人でよう九条まで行って来たねえ」とびっくりされた。いや、同じ大阪府下だし、それほど遠距離でもないんやけど。どれだけわたしが方向オンチ+出不精か、ってことやね。
そのときは映画館までの地図を前もってノートに書いて(コピーするより書くと頭に入る←たぶん)始まる2時間前に家を出て行くわたしに 相方が「ん?シネ・ヌーヴォーって大阪やったよな?」と聞き直してたっけ(苦笑)
そして、手書きしてしっかり頭に入ってるはずの地図やったのに、道中二回も迷いそうになったのであった。駅から「徒歩3分」ってホームページに書いてあったのに。

▲ でも、今回は大丈夫〜と自信満々家を出た。九条駅の長い階段をおりて商店街の前に立つと、記憶が蘇り道幅の広い商店街を行く。あ、あの洋品店は(←ブティックというより)帰りに寄ったとこや〜とか思い出しながら歩く。
『日本の悲劇』はこの映画祭での上映が日本初公開。どうしても観たかった。タイトル通り重くて深いテーマの作品だけど、ふっと自然に頬が緩む場面もいくつかあって。一瞬張り詰めた劇場内の空気が皆の小さな笑い声で満ちた。白黒で(いっときだけカラーになる)音楽のない映画ながら、生活の音がラジオドラマを聞いてるようでもあり。どんな小さな音や吐く息さえも聞き漏らすまいと耳をそばだてていた。

▲上映後あこがれの監督の舞台挨拶のあと質疑応答の時間は、映画青年たちの「撮る側」の質問が多かった。おばちゃんは聞いてみようかなと思ったことも聞けず、出口近くで監督にサインしてもらってる人の列にも並べず(本やCD、その他いろいろ持って行ってたけど・・苦笑)。ええねん。ええねん。ちょっと離れたとこで眺めてるのがファン〜とかなんとか。自分で自分に言い訳しながら館を出た。
それでも、初めてのところに一人で来て(←おおげさやなあ)観たかった映画を観ることができたという満足感で、なんだか晴れ晴れとした気持ちで商店街を歩いた。そうして件の洋品店の前を通り、表のセール品の中にグレイのスカートをみつけて。ふんぱつ。

▲そんなこんなを思い出しながら、喫茶店とパチンコ屋の角を曲がり、直進して。前はここで次の目標の薬局が見つからなかったんだけど。今回もちょっと迷いつつも・・・あ、あった。着いた!
早く来すぎたから、待合のコーナーはわたし一人で。持ってきたパンと珈琲で早めのお昼。緊張のせいかお腹がすいてたんよね。がつがつ頬張ってぐいぐい飲んで、ふっと、さっき猛スピードでお弁当食べてた人が浮んで、思い直してゆっくり噛んで食べた(笑)

▲ この日観たのは『シュトルム・ウント・ドランクッ』(山田勇男監督)
友だちがワンシーンだけど出演しているんよね。彼女から、たったひとつの台詞「十五円五十銭」を何度もくりかえし練習してること、関東大震災関連の本を何冊も読んだことなど聞かされており。
映画を観るのはたのしみでもあったけど、古い、身内のような子やから、なんか照れくさいような、心配なような気持ちで、登場のシーンになるまで落ち着かなかった。まるでわが子の出番をドキドキして待つお母ちゃんの気分やね。

▲ ところが「朝鮮あざみの女」(彼女の役名)は怖れで凍りつく女のひとの表情を、そのみじかい時間の中で微妙に変化させてとってもよかった。
いや、彼女はマンガ家でありイラストレーターであって、役者やないんやけど。あそこに映ってるのは、アーティスト「うらたじゅん」だなと思った。
・・と、「友だちの出演」に気を取られ、物語の中に深く入りそこねた気がするものの、場面 場面の印象は深い。
映像もきれいでよかった。くわえて、それにかぶさる音(効果音というのかな〜人が動き出すのに馬が走り出す音がしたり、マッチ擦る音が大きく聞こえたり)もことばのない詩のような感じがして いまだ耳にのこってる。音楽もいい感じ〜最後のほうでジンタらムータ with 黒色すみれの『ワルシャワ労働歌』が流れるシーンがすき。

▲クレジットのあと、もうおしまいと思ってたら《瞼は黒いスクリーンである》という言葉が現れて、どきっとする。照明が灯って場内がぱっと明るくなり、周囲の人たちの立つ気配を感じながらもそのまま座ってた。そうだ。忘れないうちに、とノートを出して書き留める。山田勇男監督のことばだった。
はっとして辺り見渡したら場内わたし一人になっていた。慌てて席を立つ。表には次の回の人たちが並んではった。

▲ 帰りは すいすい。(あたりまえ)
映画館に行く道中もすきだけど、帰り道はもっとすき。余韻のなかであれこれ思う時間。思いをことばにするんやなくて、思いを漂わせてるみたいな時間。
そんで、行くときは田舎からでてきたお母ちゃんみたく、きょろきょろしてたくせに、帰りは「まちの空気」にちょっと馴染んできて本を開く。『トリエステの坂道』(須賀敦子は表題作がすきで何度も読む。著者がミラノから夜遅い空の便で、勝手のわからないトリエステにひとり旅の話に自分をかさねる。(おおげさやなあ)
文庫で20頁ほどやからすぐに読み終えて、また映画のことに思いをはせる。
家に帰ったらおなかがすいて、相方とバゲットにハムとチーズ挟んでビール!〆はこれ(やっぱり)わたしの秋の遠足〜ええ一日でした。



* 追記
その1)
『シュトルム・ウント・ドランクッ』のメイキング←ここにジンタらムータ with 黒色すみれの『ワルシャワ労働歌』のシーンも。

その2 )
この間ツイッターで小林監督がトリフォーが来日したときのエピソードを書いてはった。
トリュフォーの時もそうだった。もう30年も前の話。パレスホテルのカウンターで、お土産と手紙を渡してくださいと言ったらカウンターの人が部屋に電話してくれて、今いらっしゃいますよ。直接渡したらどうですか?と言われビビって、走って退散した(略)
このきもち、とてもとてもよくわかる気がする。
そして、去年その小林監督の前からそぉーっと退散したときのこと、ふっと思い出していました。

その3)
『日本の悲劇』については北の友、番場早苗さんがブログ『陸繋砂州』ですばらしいレビューを書いてはります。→

その4)関東大震災というとこの本が深く残っています。
『九月、東京の路上で』(加藤直樹著 ころから刊)

その4)
今日はこれを聴きながら。ギリシャのバンド。この画像の写真の少女はうらたじゅんの絵の世界のようでもあります。タイトルがvagabond(さすらいびと)というのもね。
One Hour Before The Trip ~ Vagabond →
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# by bacuminnote | 2014-10-15 11:54 | 映画 | Comments(0)
▲ 若いときは田舎ぎらいだったわたしも、今は目をつむれば自然に吉野の山と川がうかぶ。パン屋を始めた滋賀・愛知川で暮らしたあとは、車中から近江富士が見えると「ほぉ〜」と声がでて思わず立ち上がりそうになって。
信州・開田高原での13年近い日々には「おやま」(御嶽山のことをこう呼んだ)はいつもそばにあったから。その姿はくっきりと自分の中にきざみこまれてる。

▲ 郷愁のおもいに傾きやすいのは歳のせいやろか。いや、年齢や、好きとか嫌いとかの前に、山も川もあたりの空気もみな。わたしのからだの中の深〜いとこまで染みこんでいるんやろなと思う。
そして、そのどちらも身近にない街暮らしをしている今、ときどき河童のお皿がからっぽになったみたいなきもちになる。

▲先月末から日に何回も「御嶽山」のニュースや写真をみてそのつど胸がつまる。
噴火のその日と翌日と、ふだんは連絡してこない息子ふたり(!)からも電話やメールがあって。何度も引っ越しているけれど、あの子らにとっても開田はたいせつな故郷のひとつなんやなあと改めて思った。
かの地の友人たちからそれぞれに近況と「大丈夫」の返信が来てひとまず安堵のあと、でも、やっぱり気持ちはずっと落ち着かない。
かつて麓の村から毎日のように眺めてた、つねに思い出の背景にあった穏やかな「おやま」の、もうひとつの顔。改めて山は(も)生き物と思う。でもどうか早く鎮まってくれますよう。そして、亡くなられた多くの方々にはただもう手をあわせるばかりです。

▲ どきどき、ざわざわした思いのなか、しらんまに九月は終わり十月になった。
そろそろ扇風機がじゃまになって、片付けようかと思ったら、夏が戻ってきたみたいに暑い日もあって。よけいに身の持っていきどころがないような、宙ぶらりんな毎日だ。
そんな中〜9月1日から始まった毎日新聞(大阪本社発行版)連載童話『蝶々の木』(岩瀬成子 文 / 長谷川集平 絵)も30日で最終回となった。
だいすきな岩瀬さんと長谷川さんのコンビの作品。でも新聞は購読していないので、図書館で読むか〜と思ってたんだけど。図書館に行くと新聞コーナーはいつも満席で。そしたら、ご近所さんが「一日分やったらあっという間やろ」と、4〜5日分まとめて郵便受けに入れてくれることになった。(感謝!)

▲ 物語は夕方 川辺にひとり腰をおろし、川を眺めながら主人公の麻里生が泣きべそかいてる場面から始まる。
川面はつるつると平らで、川は流れていないように見えた。たが、じっと眼をこらしていると、ゆっくりと水は移動していた。 日が暮れかかっていた。ぼくの背後の土手に立っている大きな木の影がうっすら川面に写っている。僕もその影の中にいた。

弟が自分のジグソーパズルを無断で持ち出してるのをみつけた麻里生は、いきなり弟を殴ってしまうんよね。
泣いてる弟の肩を抱きながら母は麻里生を怒る。「どうしてそんな子になったの」「四つも下なのに」「6年生にもなって」と自身も泣きながら。それで、麻里生は家を出て来たというわけだ。

▲兄弟姉妹がいてたら、どこにでもありそうなエピソードだけど。この背景には両親の離婚、厳しい父に勉強も運動も、厳しく叱咤されてすっかり萎縮してしまってる麻里生がいる。
岩瀬成子の描く子どもの物語は、読んでるうちに子どもになって。こんな歳になっても自分の中に「子どものころのわたし」が居ることに気づいてどきんとする。

▲ わたしの生家のとなりは化粧品屋さんだったんだけど、ウチの裏に出るとそこんちの裏の木戸があって。
わがままで短気な父親がつまらないことで(←たぶん)怒って、手を上げそうになったりすると、末っ子で要領のいい(と、姉たちから言われてた)わたしは、とっさに裸足で裏に走って隣んちに逃げこむのだった。
隣のおばちゃんには子どもがいなくて、よく可愛がってくれはったんよね。とつぜん裏口から勝手に入って来る隣の子に「あんた〜またお父ちゃんに怒られたんか?」と言うて、おばちゃんは足の裏を雑巾でふいて家に上げてくれた。

▲その後は「まあ、これでも食べ」とお饅頭の皮(近所の和菓子屋さんで薯蕷饅頭の皮の余ったのをよくもらった)やら、おせんべいやら「よばれて」、ガッコや友だちのこと家族の話、いろいろぺちゃくちゃとおしゃべりのあと、機嫌よく家に帰ろうとして、履物がないことにはっと気づき。せやった、せやった。お父ちゃんに怒られてここに逃げてきたんや〜と思いだすんよね。
いかにもわたしらしい(苦笑)とぼけた話だ。

▲病気をくりかえしたこともあるだろうけど、晩年は穏やかで好々爺然とした父で。
わたしは抱っこしてもろたり手を繋いだ記憶もないけど、ウチの息子1がちっちゃかった頃はチャンバラごっこの切られ役から五目並べの相手まで、嬉々としてやっていた。
さいごは肺癌でさんざんしんどい思いして逝ったお父ちゃんやったし、入院中はいっぱい話もしたし。それに苦労かけた母に何度も「おおきに」と言うてたし。
せやからね、子どもの頃のことはもう許したる!と思ってはいるけれど。
昔はどこの父親も多かれ少なかれ、そんなもんやった〜と言う人もいるけれど。
弱いものを力で抑えつけるなんて、絶対にしたらあかんこと。
眼ぇ大きいして小さい子ども相手につまらんことで 手ぇあげたりカンカンに怒ったそのときの父の怖い顔は、今でも忘れることができない。

▲ 麻里生もまた、父親から受けた厳しい叱咤にふかく傷ついてる。ウチみたいに単純なことで怒られると、悪いのはお父ちゃんや!と決めてかかれるけど(苦笑)
麻里生の父親は「おまえのため」と、自分が「良い」と思い込んでいる方向に誘導しようとする。そのつど麻里生は自分はだめなやつ、と落ち込みながらも「なぜ?」と思う。思うけれど、きちんと反論する術もなく、結局父親の言いなりになって もやもやしたものを抱え続けている。

▲それなのに。
自分の弟を同じように殴ってしまうんよね。そして《台風の雲のような怒りの渦巻きはどんどん大きくなって》《おまえはすぐに泣くんだから。泣けばすむと思ってるのか》と、おびえる弟を追い詰める。
こんな場面を読むと胸や胃のあたりがきゅうと縮みそうになる。
でも、彼にも言い分はあって。弟が勝手に持ちだしたパズルは、両親が離婚するまで住んでたまちの学校の友だちが麻里生にくれたものやったんよね。それに父親が厳しかったのは兄のほうだけで、弟に手をあげることはなく。

▲ 物語に登場するのは、この一家以外にもうひとり黒田君という麻里生の友だちがいて。この子《学校の黒田はどことなくぼんやりしている。だるそうな感じというか。内気なタイプではないが、一緒にふざけていたかと思うと、すーっと、いつのまにか1人離れて窓から外を観ていたりする》子なんだけど。
彼の存在が(じつは彼にも「家庭の事情」というものがある)、なんか特別なこと言うたり、したり、するわけやないものの、かたく縮こまった胸をちょっとやわらかくしてくれる。

▲ そんなある日別れたお父さんから「会いたい」と麻里生に連絡があって・・・。麻里生はどうすべきか考える。弟や黒田君に話したり、母に報告しながらも考えて、結局会うことになって。
この間(かん)にも、子どもは少しづつ成長してるんよね。思いきって自分がつらかった時の話をしても、お父さんはちっとも「ほんとのところ」がわかってなくて。相変わらず「子どものため思って」厳しくしてきた、と思い込んでる。
だけど。大きくなり、変わってゆくのは子どもたち。

▲最後、麻里生が弟に導かれて公園の中〜蝶々の木の場面がいい。
「来て」と弟は言って、腰をかがめて木の下へともぐり込んでいった。ぼくもあとにつづく。
2人で木の根元に腰を下ろして上を見あげた。
木の葉の隙間を通して蝶がひらひらと木の周囲を飛んでいるのが見えた。


岩瀬成子さんは、大人にたいして、友だちにたいして、考えれば考えるほど言葉にできないもどかしさに、足踏みしてる そんな子どもを描くのがうまいなあとおもう。
長谷川集平さんの絵も子どもの奥深いところがふっと見え隠れするような表情に、毎回どきどきして。「挿し絵」というより、もうひとつの物語のようで惹きつけられた。

▲ そういえば。
川で毎日遊んだ子どものころ。向こう岸近くに大きな岩があって、そこまで泳ぎ着くのが小さい子が大きい子の仲間入りするというか、ひとつ上に進む目標みたいなものだった。
みんなそれぞれ川の流れを目算して川上のほうから流されながら、その岩を目指すんだけど、思いの外流れは早く、水は冷たくなって、どんどんちがう所に流されてしまいそうになるんだけど。

▲ そのとき、ふと先を見ると年上の子が川の中で立ってるのが見えて。あれ?とうてい背の立たない深さなのに、と思ったら、川面からは見えないけど、川底に岩があってそこに立っていることに気づいた。こわごわ立泳ぎしながら足先で探る。岩は小さくてぬるぬるしており、足にしっかり力を入れて立ってないと流されそうになるんだけど。
もうちょっと先の大きな岩まで泳ぐのに、ちょうどいい休憩地点だったんよね。
『蝶々の木』を読んでいて、その岩のことを思いだした。
岩瀬成子さんの物語が、けっして子どもに媚びることがないのに、そのきびしさに流されたり 沈んでしまわないのは、あの川底の岩みたいなものをそっと置いてくれてるからかもしれない。


*追記

その1)
今日はこれを聴きながら。Brian Eno - By This River→


その2)
この間友人から電話。「ごめん、ごめん。4日も前にメールもらってたのに。本ばっかり読んでて気ぃつかんかったんよ」とのこと。こういう感じ、わかるから頬がゆるむ。彼女をそんな夢中にさせたのは前回ここで書いた内田洋子さんの本とわかって、もっと頬がゆるむ。(ゆるみっぱなし・・)
本のこと書くとき、なるだけすばらしい読書評は読まないようにしてる(苦笑)
せやかてね、そういうの読んだら、わたしなんかが書くことは何にもない、って思ってしまうから。
けど、こんなふうに、わたしにもだれかに何か「手渡せた」と知ることが たまにはあって。
うれしい。ほんま うれしいです。おおきに。


その3)
岩瀬成子さんの本のことは、ここでもよく書いています。
以下、とりあげた書名とブログアップの日付を書いておきます。
『オール・マイ・ラヴィング』2010.12.20
『ピースヴィレッジ』2012.01.09
『なみだひっこんでろ』2012.06.17
『くもり ときどき 晴レル』2014.08.18
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# by bacuminnote | 2014-10-04 09:34 | 本をよむ | Comments(0)
▲ 朝、窓を開ける手を途中でとめたのに。さっき取り入れたお布団は、もしかしたら夜あつすぎるんやないか、と思うくらいにほかほかで。この青空にこの雲と陽気ときたら、青いみかんに栗と梨の三点セットで返球したい。
運動会はすきやなかったのに、あの秋のお陽ぃさんのもと 砂埃のなかゴザ敷いて食べるお昼の時間はちょっと痛いようななつかしい思いでいっぱいになる。

▲ 前にも書いたけど、わたしんちのお弁当は、忙しい家業の合間に母が大急ぎでこしらえたのがわかる作りたてで。湯気のでるようなそのご飯やたまご焼きはおいしくて「あんたとこは熱々でええなあ〜」とうらやましがる友だちもいたけれど。
昼休みの音楽が流れるなか、みんな一斉に運動場から親の待つ観覧席へと走ってく。わたしの他にも家のひとが来るのを待ってる子も何人かトラック内にとりのこされて、そのうちあちこちに散らばって待つ。

▲「お母ちゃん、まだなんやろ?ほらここ座って一緒に食べ」と近所のおばちゃんに言うてもろたりすると、余計にかなしくて泣きそうになってたんよね。
ところが、大きくなってから聞いたら、そういうときわたしは泣きべそかくどころか大喜びでちゃっかり、ゆで卵や梨を"よばれて"いたことが判明。(ごちそうになることを、吉野では「よばれる」と言う)
記憶というのもええかげんなもんやな、と苦笑する。けど、泣きそうになってる自分も「ここにおいで」と言うてもろて、にこにこ応えてる自分も、たぶんその両方がわたしなのだろう。

▲運動会だけやなく、ふだんでも「まあ上がっていき」「食べていき」と誘われては、みんな一緒の食卓がうれしくて、ほいほいよばれる子どもやった気がする。家はいつも忙しくてさみしい時間も多かったけれど、近所の人らは皆やさしく温かくええ子ども時代やったなあと思う。
それでも。また秋がきて運動会になると、朝、プログラム一番の入場行進からロープの張ったすぐ前の席に座って見に来て、手たたいて応援してはる友だちんちがやっぱりうらやましかったんよね。

▲ そんなこんなで、運動会の思い出から、手をまっかにして熱々のご飯でおにぎり拵える母を思ってたら、その母から梨が届いた。
ふるさとの廿世紀梨。去年の今時分は、これまでになく母は体力も気力もダウンしており。「梨、送るのんも、これが最後や」とこぼしてた。いつもなら「毎年そんなん言うて」と茶化すそのせりふが、笑って流せない雰囲気で。
ちっっちゃいときから梨がすきな息子1にも送ってくれるんだけど、去年は彼の住所を電話で尋ねてきて、ゆっくりゆっくり答えても、何度も聞き返してきた。途中もれ聞こえる「はあ〜」という細い長いためいきが、せつなくて。受話器おいてから泣いてしもた。

▲ところが、今年は一回読み上げただけで「よっしゃ。ちゃんと書けました。ほな、送っときます」とあっさり言うので「復唱して」って言うのも忘れてしまったほど。
息子1にその旨つたえたら「おばあちゃん、もう、去年で梨は終わりにするんやなかったん?」と言うので「元気になって、まだ長生きできそうやから、今年も送ってくれるんやて〜」と笑いあう。
どこにでも、何でも売ってて、かんたんに手に入る時代やけど。そうやって91歳の母が手配して送ってくれる吉野の梨を今年もおいしく食べられて、ほんまうれしい。おかあさん、ありがとう。来年も再来年も、これからも。元気でいて梨送って来てや〜

▲ さて、この間からずっと読んでいる内田洋子本。もう一冊が来るのを待ってる間『イタリアの引き出し』という本を読んだ。これは他のにくらべて短くて写真も入ってる軽い読み物〜といったwebでの連載をまとめた一冊。
そのうちのひとつのお話が印象にのこった。小学校に入学したばかりの6歳の子どもたちの国語の授業を見る機会を得た内田さん。子どもたちにとって初めての授業で、センセがまず「教科書を開いて〜」と言わはるのかと思ったら、「さあ立って」と子どもたちを促し、教室を出て廊下を歩き奥の部屋へと入るんよね。

床張りのその部屋は、天井までの大きな窓が並び、そこから薄く緑に染まった木漏れ日が室内に差し込む居心地のよい場所だった
そう。初めての国語の授業は図書室に行くこと。センセがどうやって本を選ぶか、問いかける。子どもたちは口々に応える。表紙の絵。題名。アニメ映画になったもの・・・。

▲ 《教師は笑って皆の声を聞き、そしてそばにあった一冊の本を取り、顔の前へ持ち上げて開いて、目を閉じた。開いた本の中に顔を埋めるようにして、「本の匂いを嗅いでごらんなさい。好きな本は、いい匂いがするものよ」そう言って、本の中で教師は大きく息を吸い込んだ。》(P81「好きな本の見つけ方」より抜粋)

子どもたちが、それぞれに棚から取り出した本を開き 顔近づけてくんくんして、となりの子の本と匂いを比べっこしてる様子がうかぶ。においがする、しない、と、わあわあ言うて、はしゃいでるんやろなあ。そのさわがしい声までが聞こえてくるようで、頬がゆるむ。
目には見えない「におい」にみちびかれて、本という扉を開く〜思いもしなかった本の世界への入り口だ。

▲はて。わたしは6歳の頃、どんなふうに本を選んでたのかなあ。
わたしの通ってた小学校に図書室はなくて、教室に小さな学級文庫があったきりだった。当然?町の図書館もなかったし(今もないらしい)県立図書館なんていうのはものすごく遠くて、とうてい子どもが行ける場所ではなかったし。まちには本屋さんが一軒あるだけやったんよね。(それでも、ここに行くのはたのしみだった)
五年生のときだったか、やっと図書室ができた。本だらけの部屋もうれしくて、床から天井近くまである本棚も、それが棚ごとに「分類」されていることも初めて知った。

▲そうそう、図書室に何度でもいけると思って図書委員というのに「りっこうほ」もしたっけ。いま思えば本の少ない図書室だったけど。以来 わたしにとってそこは「とくべつな」場所になった。
そのころは本を選ぶというよりは、少年少女世界文学全集とか偉人伝とか、順番に読んで読んで。いっぱい読んで。図書カードが何枚にもなるのが単純にうれしく、よし、この棚制覇(笑)みたいに得意になってたんやろなあ。かなりの本読んだはずやのに、あんまり覚えてないのはそういうわけだ(苦笑)

▲そういえば何年か前、まだ万博公園内に国際児童文学館があったとき(建物は今もそのままさびしく建っているけど、本や資料は大阪府立中央図書館に移行)訪れたその日はたまたま『赤毛のアン』の企画展をやっていて(いま調べたら2008年『村岡花子と赤毛のアン展』)展示された本や資料を何気なく見てたんだけど途中「わあ!」と声あげてしまった。小学生の時に読んだ講談社の少年少女世界文学全集の一冊や『アンの青春』→があったんよね。この本持ってた!子どもの頃の本は全然手元に残ってないし、もうすっかり忘れていたけれど。見たら思いだすもんなんやねえ。展示のむこうに、本を読んでる小学生のわたしがいるようで、胸があつくなった。



*追記
その1)
『イタリアの引き出し』web版→

その2)
装丁、作家、興味のある分野、そしてにおいも。何がきっかけで本を読むようになるかは、人それぞれだけど。
本の森で、道を聞けば地図を開き、途中にある木や出会いそうな動物、咲いてる花のなまえを教えてくれる、いろんな行き方があることを示してくれる、そんな道案内してくれる人の存在はとても大切。

一昨日毎日新聞で大阪の府立高校の二割が開かずの図書館なのは《2009年に行政改革で専任の学校司書が廃止され、業務を割り振られた教職員の手が回らないのが理由》〜と報じられたことについて→()どこかの市長は《図書館司書を配置するくらいなら、クラブ活動指導員を置く》とか《高校生にもなって~自分たちで管理させればいいんですよ》とか言うてはったけど。(2014.09.22市長ぶらさがり会見)
彼は図書館司書のことを(しかも「としょかんしょし」と何度も言い間違えてるし)本の貸出返却係みたいにしか思ってないんじゃないかなあ。いっぺん図書館に行って、司書とはどんな仕事なのか中学生と一緒に「職場体験」でもして学んできてください。

その3)
梨といえば日野草城の句に『ともに居て梨剥けば足る恋ごころ』というのがあります。
もはや「恋」などと字を書くこともなくなって久しいけど(笑)、梨を剥くあいだのしずかな時間。
甘いようなすっぱいような、清々しい匂いと“しゃりしゃり“いう音には、いつもなんか物語をかんじます。
もうひとつすきな梨の句。
「友の子に友の匂ひや梨しゃりり」(野口る理)

その4)
今日はこれを聴きながら。→p:ano - all of november most of october ‪
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# by bacuminnote | 2014-09-23 09:05 | 本をよむ | Comments(0)
▲昨日用事で帰ってきた息子2が朝早く出る、というので、今朝はいつもより早くとび起きた。
しっかり朝ごはん食べて「ほな、行ってくるわ」と息子が発ったあと、いつもの倍の洗濯物を洗濯機に放りこんで。それから台所の小さい丸椅子でぬるくなった珈琲をのんだ。
あれ?チョキチョキ、チョッキン・・・リズミカルな音がお隣から聞こえる。朝のまだ少しひんやり空気がのこる中、植木屋さん二人の規則正しい鋏の音がひびきあって すがすがしい。もっと聞きたくて窓から顔をだす。見上げた空はうす青で、綿菓子をちぎったような雲が空いっぱいひろがって。ああ、そろそろ秋やねえ。

▲ 夏の間じゅうこもってたけど、気温が下がってくると同時に体力気力も少しづつアップしてきたようで、わたしにしては珍しく外出が続いた。
その内一回はとなりの県まで(←おおげさ。海外にでも行ったみたいや。笑)映画を観に出かけた。先日『そこのみにて光輝く』(呉美保監督)がモントリオール世界映画祭で最優秀監督賞受賞のニュースをネットで見て。この映画、原作者は前に観た『海炭市叙景』と同じ佐藤泰志で、小説も印象深く残っていたことや、監督も俳優陣も気になって観たかった作品だった。
でもロードショーは行けなかったので、DVDになるのを待つしかないなあ〜と思ってたんだけど。何気なく劇場情報をみたら、関西では宝塚市の映画館が1週間限定で上映中とあっておどろく。
 
▲ で、さっそくその映画館のこと調べたら、兵庫県というてもそれほど遠くもなさそうで。何より駅前ビルというのに惹かれる。歩くキョリも短いし、さすがの方向音痴も迷いようがないもんね(笑)せやから、わたしにとっては、大阪の中心部の映画館に行くより近いかもしれないわけで。よし、行こう〜と即決。翌日お昼からの上映に出かけることにした。
阪急電車に乗るのは久しぶりだった。平日の昼前という時間帯もあると思うけど、この沿線の長閑な車内は、外出慣れしてない者にはゆったりと居心地よくて。遠足の子どもみたいにしばし窓の外を眺めたあとは、持ってきた本『ジーノの家 イタリア10景』を開いた。

▲ この本はイタリア在住30余年の内田洋子さんのエッセイ集。
水色一色の楚々とした装丁なんだけど、内容は濃密。といっても、特別な人が出てくるわけではなく、イタリアに暮らすふつうの人たちの中に、ほんの少し見え隠れするドラマの糸を内田さんは海や山、そして街を描きながらすこしづつ引っ張ってくる。いや、そこに強引さはないんよね。あるのは内田洋子の並外れた好奇心の強さ(笑)と人懐っこさ、やさしさ、それから行動力。(←すばらしい!)

▲ かたく閉まってた いくつもある古い扉がパタパタと自然に開いていくように、人と人が出会う。旨いもん拵えて食べてワインをのんで、語り合う。その内はじめは何の関係もなかったような点と点がつながり、物語を紡いでゆくおもしろさ。たのしさ。この本もまた一つ一つが映画を観ているようだった。
写真に写った顔はカメラを構える人との関係を写す、ってよくいうけど、このエッセイ集は内田さんと出会った人たちとの関係を見るようでもある。

▲ ・・とすっかり心は地中海やワインにとんでるうちに、電車は目的地に到着。
売布(めふ)神社駅は想像以上に小さな駅で「宝塚」の華やかなイメージからは遠いまちに驚いたり、ほっとしたり。根っこが田舎の子やからね、都会はすきだけど、落ち着くのはこういうところ。
さて、5Fの映画館に。ここは《宝塚市が設置する全国的にも珍しい公設民営映画館》やそうで。50席の館が二つあって。ひとつはロードショー館、ひとつは名画座になってるそうで。ロビーには小さなカフェ(その名もバグダッド・カフェ!)があって壁際には本や映画のチラシが並び、バックにノラ・ジョーンズの歌が流れてた。近ごろのシネコンとは違って、そう、この前閉館してしまったあの小さな映画館とおなじ空気が流れてる。
映画が始まる前に、とトイレに行ったら「水は井戸水を使用しています」と書いてあってびっくり。というのも、このビルは震災復興事業として建てられたそうで、HP にはその目的のひとつに「防災対策としての映画館(非常時の避難所として)」と挙げられている。

▲ いつもどれくらいお客さんがあるのかわからないけど、この日は受賞発表の翌日ということもあってか、ほぼ満席だった。
映画は函館が舞台で、劇中なんども海や海辺が映し出される。山と川育ちのわたしにとって海はあこがれ。でも、海でも川でも、都会でも田舎でも。遠くから眺めるそれと、間近にあるそれでは 見えてくるものも 思いの深さも変わってくるんよね。
海岸には流木や貝殻だけでなく、瓶やプラスチックの欠片から正体不明のゴミまで、いろんなものが打ち上げられて。そして、そんな海辺に主人公の達夫が出会った姉弟とその両親が暮らすあばら家が、おんなじように海から打ち上げられたみたいにぽつんと建ってる。

▲映画のテーマは深くて描かれる現実も重いんだけど、弟・拓児の無邪気な明るさや、姉・千春と達夫がおもいがけず見せてくれる笑顔や、穏やかな海ながら波の音が耳に届く場面に、ふっとやさしい風が吹くようにすくわれる思いがした。
けれど物語は終盤になっても問題は何ひとつ解決してなくて。もともと大変だった現実が、またもうひとつ問題を抱えてゆくことなるんだけど。ラスト〜やっぱり、どこでもないあの海辺で、達夫と千夏が光の中に立つシーンに、ああ、この人らは生きてゆく、と思った。

▲ 映画はやがてエンドロールに。俳優、監督、脚本、撮影、音楽、照明、編集・・・と、映画の製作にかかわった多くの人のなまえが流れ始めた。帰り支度をする人、早々と席を立つ人もいて。館内はざわざわして「映画」から「現実」に引き戻されてゆく。
スクリーンにクレジットは続き・・そんな中わたしの知っている名前が見えて。思わず立ち上がりそうになった。函館で若いころから佐藤泰志の文学に接し、愛し、研究し、長く、地道に、推してきた人たちのひとり。そして佳き友。

まっすぐにしか走れなかった短い作家人生ではあったけれど、佐藤泰志の遺した光は、いまも誰かに届いている。どこかを照らしている。
「海と砂と夏のアジサイ」番場早苗 (『佐藤泰志 生の輝きを求め続けた作家』河出書房新社 所載)


*追記

その1)
イタリア、といえば須賀敦子。思い出すと読み返す大好きな書き手だけど。内田洋子の本にであって、初めて須賀敦子の文章を読んだときのコーフンがよみがえってくるようです。
なんで今まで気付かなかったのかなあ。

わたしは最初 講談社『本』で内田さんが近著『皿の中に、イタリア』を語るエッセイを書いてはったのを読んだのがきっかけ。それに惹かれて『皿の中に、イタリア』を読み、つぎに今回の『ジーノの家』、そして『ミラノの太陽、シチリアの月』と熱にうかれたように続けて読みました。いつもは本を読むとき付箋を横に置くのに、三冊ともとうとう一枚もつかわずに読了。読んでるうちに何度か登場する人に気づいて「あ、あの人のことやなあ」とか想像するのもたのしい。つぎは『カテリーナの旅支度 イタリア二十の追想 』を。

その2)
この映画館「シネ・ピピア」のHP(文中にリンク)に書いてあったんだけど、
宝塚市は宝塚映画撮影所・宝塚歌劇があり、小津安二郎、成瀬巳喜男、木下恵介作品など生まれた街でもあるのに、市内には最盛期に数館あった映画館が、ここがオープンするまで30余年1館もなかったとか。
多くの名作がつくりだされた歴史を持つ街として、こんなにさみしいことはありません》と市民の間に「映画館を」という運動が始まったそうです。

映画は娯楽であるとともに文化です。また世界と接する窓でもあります。世界中の多様な優れた作品を見ることで、逆に私たち自身を見つめ直し、真の豊かさとは何かをともに考えてゆきたいと思います。》(シネ・ピピアHPより)

なつかしい『バグダッド・カフェ』予告編

その3)
きょうはこれを→28 Paradise - Peter von Poehl
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# by bacuminnote | 2014-09-11 13:30 | 映画 | Comments(0)
▲朝いちばんに珈琲を淹れたあとは、続いてヤカンいっぱい番茶をわかす。その熱気が暑いとぼやきながら、ヤカンごと洗い桶で冷やす〜というのがこの夏の朝の日課で。今日もお湯をわかしながら珈琲を飲んだけれど、湯気たちのぼる台所がちょうどよいくらいに 肌寒い朝だった。
もしかしたら、このまま秋になるのか、じき又「残暑」に戻ってゆくのか、わからないけれど。夏の間じゅう「しんどい」ことも「できない」ことも、言い訳はぜーんぶ「暑さのせい」にしていたもんで。この涼風のここちよさがうれしい反面「もう文句は言わせへんからね」と夏から言い渡されたみたいで。ちょっとこまってる。

▲この間いつもの書店に寄ったら“お気に入り棚”の前で書店員のnさんがいてはった。「おひさしぶり〜」の挨拶のあと「じつは」と今月いっぱいでこの店の勤務が終わること、来月からは別の支店に異動がきまった旨聞いておどろく。
3年前のこと。
この書店にはよく寄っていたのだけれど、長居するのはたいてい絵本や児童書のフロアで、ある日ぶらりと入った階上の「文学」の棚に『昔日の客』(関口良雄著・夏葉社刊)を見つけてびっくりした。
じつはその本、ここに置いてあるはずがないと(ごめんなさい!)善行堂ネットショップで購入。でも近くのお店に置いてはるんやったら、次に出た夏葉社の本〜『星を撒いた街』は迷わずここで、と決めた。

▲ 発行のその日がきて、うきうき出かけて行ったら、果たして目当ての本はまだ入ってなくて、がっかり。(←知らんかったけど、本の入荷システムってけっこう複雑なんよね)でも、そのとき応対してくれた若い女店員さんが感じよくて。7日頃(入荷)というのを「七夕さんの頃には入ります」という言い方 しはったのも印象的で。そして、彼女が入荷日の確認をとりにレジに行って、一緒に登場しはったんが、担当のnさん。

▲ レジからこっちにむかいながら「え?どこ?どの人?」というnさんの声が聞こえて、こんなことでわざわざ出てきてくれんかってもええのに、と恐縮しつつも頬がゆるんだ。
とにかく、みじかいやり取りの中にも 書店員さんの「本が好き」がじんじん伝わって(←においでわかる)その日、本は買えなかったけど「ええ棚」発見!と、はずむような気もちで家に帰った。
で、さっそくその旨ツイートしたら、夏葉社の島田潤一郎さんが《もしかしてそれは△書店さんではないですか?文芸担当の方が弊社のことをものすごい応援して下さっています。違っていたら、すいません…》とお返事。

▲えーっ!!わたしのツイートに書店名は一文字伏せ字にしてたのに。大阪というだけで、すぐにどこの書店かわかるやなんて。島田さんってすごいなあと思った。一人出版社で、注文受けるのも書店への営業も自分で歩いて回ってはるからやろか。いや、やっぱりこのひとも又誰よりも「本が好き」やからかもしれへんなあ、とちょっとドキドキしながら「もしかして、のそのお店ですよ〜」と書いたら、その後
《鳥肌ものです。その担当氏は本当に、本を愛されている方です。その方がいらっしゃる限り、△書店さんの棚は、文学ファンの期待に応えてくれはずです》とつづきリプライがあったんよね。

▲ いやあ、それにしても。
本がつないでくれた人やものが、これまでどれくらいあったことやろ〜しみじみと思いながら買った本(息子1の誕生日プレゼント)を手に映画館にむかう。
こことも又今月いっぱいでお別れなのだ。以前から「もしかしたら・・」という噂は何度か聞いたこともあったけど、ついに閉館がきまったという。
90席のこじんまりした試写室みたいないい感じの部屋。かかる映画もすきな作品が多かったし。方向音痴のわたしが迷わず一人ふらりと入れる唯一の映画館だったんよね。
ちょっと早かったからか、館内はわたしともう一人だけで。いくらなんでも二人はさみしいなあと思いながら、いつも通り前から7列目左から三番目の席に腰を下ろす。

▲この前きたときには『ハンナ・アーレント』を観たんだった。そういえば『海炭市叙景』もここで(そのときのブログ→)。相方は最近タルコフスキー特集を観て来た。信州のころは映画館が遠すぎて連れて行ったことなかったから、息子2が11歳にして映画館デビュー(笑)したのもここだったんよね。・・と思いにふけってるうちに次々お客さんで席が埋まった。多分これまでわたしが来た中でいちばん多い観客数。その賑わいがうれしくて さみしい。
おとなりの女性二人組も、いつもこんなに入ってるとよかったのに。あんなん観たねえ、☓☓もここやったねえ。さみしなるねえ〜と話してはるのが聞こえて。ほんまにねえ〜

▲ この日観たのは『おじいちゃんの里帰り』(予告編→というドイツ映画。
1960年代半ば家族の将来のためにトルコからドイツへと単身移住したおじいちゃんのフセイン。やがて家族も呼び寄せ、その家族も独立して、ある日フセインは子どもも孫も、家族全員集まった席で「みんな揃ってトルコに行こう」と提案〜(というか、半ば強引に押し切るんよね)一見なんということもなく、平凡な家庭だけど、その実みんなそれぞれに問題は抱えており。息子らは失業や離婚の問題を。孫のチェンク(6歳)は父がトルコ人、母はドイツ人。おじいちゃんは「おまえはトルコ人」と言うけれど、学校でトルコ対ドイツのサッカーの試合の応援をめぐって友だちとけんかになって。「いったい自分は何人なの?」と悩み始めてる。おじいちゃんのことが大好きな大学生の孫娘にはイギリス人の恋人がいて妊娠していることがわかり、悩んでいる最中で。

▲ そんな中でおじいちゃんの「トルコに行こう」という誘い。しかも「トルコに家を買ったから」と言い出すんよね。おじいちゃんの故郷はトルコでもイスタンブールのような都会ではなく、ドイツから3000キロも離れたアナトリア地方という田舎なんだけど、そこの黄色いおんぼろバスにみんな乗って旅に出る。
映画はこの一家のむかし〜トルコでの暮らしからドイツに移住してからの、生活習慣、言語や文化のちがい、とまどいを、現在の生活を交互にユーモラスに時に皮肉もこめて描く。
戦後の労働力不足にドイツで「ゲスト労働者」と呼ばれた人たち。まるで家畜のような入国前の身体検査の様子がニュースフィルムで流れる。いまのドイツにおけるトルコ系移民への労働問題や差別の深刻な問題は劇中には出てこないんだけど、合間に挟まれたそんな映像に深い問題がかいま見える。

▲ そうそう。トルコでは旅立つ人を見送るとき、うしろから水を道端に撒くんよね。これは水が蒸発するぐらい、早く戻ってくるようにという意味があるそうで。映画でもフセイン一家がドイツに移住するとき、トラックの荷台に家族5人と荷物積んでの旅立ちに、近所の人たちや親しい友だちが水の入ったバケツを持って集まってきて、水を撒くシーンがあって胸がつまった。
さて、8月もあと3日。映画館の閉館も、本好きのひとの異動も。さみしいけれど。心のなかで、映画で観たように水撒いて見送りたいなとおもう。
すぐまたもどってきてくれますように。


*追記
その1)
今日の新聞(web)によると、この映画館の閉館で《フィルムで上映する主要な映画館は、府内から姿を消す。》《愛知や三重、徳島などからも熱心な映画ファンが足を運んだ。》とあった。

その2)
トルコとドイツといえば、前に観た『そして、私たちは愛に帰る』(ファティ・アキン監督)がとてもよかった。この間思い出して又観たところです。

その3)
今日は本屋さんのことだけで、本のこと書けなかったけど、この間図書館で借りた『1969新宿西口地下広場』という本にドキュメンタリー映画『'69春~秋 地下広場』(大内田圭弥監督)のDVD付録がついていて、先にこれを観ました。1969年2月頃から、毎土曜日に新宿西口広場に始まった「フォークゲリラ」を中心に広場の人びとを記録したものですが。
深く残ったのがその名も「広場」という言葉でした。ここに集まった人たち、学生も労働者も、サラリーマンも、皆よくしゃべってる。運動に反対にしろ賛成にしろ、みな真剣に議論しており。そして、そのうち取り囲んでる人らも加わって。それがごく自然な感じで広場のあちこちでみられ、驚きました。ナレーションにこんな一節が。

昔、ギリシャに広場があった。人びとはアゴラと呼んだ。事が起きるたび、人びとは家の中から外に出てアゴラに集まり、それぞれの心ぶつけあったという。対立する意見が、ありのまま闘わされたにちがいない。たくさんの人びとが、それを聞き、参加していったにちがいない。全体の意思はそこで決められた

アゴラは自立する人たちによってつくられたのであろう。アゴラは、自立する人たちを新しく生み出していったのであろう。広場は人間たちが創るものだ
(同書p143映画『採録シナリオ』大内田監督本人による〜)

その3)
今日はこれを聴きながら。
King's Daughters & Sons - Lorelei
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# by bacuminnote | 2014-08-29 12:20 | 映画

通り過ぎるために。

▲ まいにちまいにち暑い。
それでも時々ざーっと俄雨が降っては地の熱を鎮めてくれて、ふうう〜っとひと息つく。じきにまた「待ってました」とばかりにお陽ぃさんがぎらぎら照りつけ始めるんやけどね。そうして草の元気のええこと言うたら。あちこちに葦簀(よしず)や日除けを吊るしたのたのをええことに、極力まどの外は見んようにしてる(苦笑)
そんな中先週お墓そうじに行ったあと、週明け辺りからどうも調子が出ず、寝たり起きたり、読んだり、寝たり(!)の時間をすごした。
おかげでだいぶ回復したけど、大阪に戻って10年目にして初めての夏バテにちょっと弱気の今日このごろ。

▲ さて、その墓参に行った日のこと。
台風の前だったからか、朝はけっこう涼しくて。よかったぁ〜今のうち、暑くならへんうちにちょっとでも早く、と思っていたところ 予定より一本早いバスがまだ停車しており。ラッキーと〜慌ててダッシュ。
バスはわたしが乗車するなり発車したから。ひょっとしたら運転手さん バックミラーに「ヨロヨロ必死でむかってくるおばちゃん」が見えてたのかもしれないな(笑)
そんなわけで、走ったあとの火照ったからだに、いつもなら寒いクーラーも気持ちよく、これで予定より半時間は早く着く〜と気分上々持ってきた本を開く。

▲ 水色のかわいらしい装丁のその本は岩瀬成子さんの『くもり ときどき 晴レル』6人の子どもたちの話〜6つの短篇集だ。
ひとつめは「アスパラ」 アスパラっていうのはね、アスパラの好きないとこの冬二(ふゆじ)に「わたし」がつけたニックネームなんだけど。山盛りにゆでた緑あざやかなアスパラを1本1本「ぽくぽくと」マヨネーズつけて食べてる少年のすがたが浮んでてきて。物語が始まったばかりだというのに、わたしはせつない気分になった。

▲ 子どもが自分以外のだれかのことを思うきもち。けど、その思いの届け方もよくわからなくて、かんがえたり、思ったりして。
ある日、「わたし」は自分とはまるでちがうアスパラの家庭環境に同情する気もちが湧きかけるんだけど。こんなふうに思い直すんよね。

わたしはその落とし穴には落ちないように気をつけた。気もちの落とし穴に。
すぐに泣いたり、だれかをかわいそうに思うのは気もちの落とし穴で、罠みたいなもんだから、やすやすと罠にはまってしまってはいけない。いい人ぶるのは、いやだ。
》(p25)

▲ この一節で、会ったこともない本の世界のこの女の子が見えるような気がした。
そして、いつも、どんなことがあってもにこにこしてるアスパラが切ない。そんな《アスパラもそのうち、わたしと同じ五年生くらいになったら、悲しいことで泣けるようになる、と思う。自分のことで泣けるようになる、と思う》(p31〜32)と言いながら、アスパラが泣くときはそばにいてあげたい、守ってあげたいとおもう「わたし」もいとおしい。

▲アスパラを食べるたびにこの物語を思いだすことだろうな〜と 読後のなんともいえないきもちに浸っていた、そのときのこと。車中で”終点A駅には〜“というアナウンスが耳に入って、思わず飛び上がる。
わたしの目的地はまだもうちょっと先のB駅で。いつも墓参のとき乗るバスは終点がB駅のはず。
信号待ちを狙って運転手さんに聞きに行ったら「はい。このバスはA駅止まりですよ。B駅に行かはるんでしたら、電車に乗り換えが早いし安いです」と、にっこり。
ええ!?この前乗ったときはこの系統でもOKやったのに。いつのまに路線変わってしもたんよ!とびっくりしたけど、運転手さんの愛想のよさと運転中ということもあり、おとなしく下車仕度。ふうう。読書の余韻もいっぺんに飛んでしまった。

▲ やがて回り道のすえ目的のB駅に着いて、お花を買ってタクシーに乗り込む。
いつもは閑散としている墓地も、お盆前ということもあり、あちこちに草抜きする人、墓石をきれいにしてる人がいて。草払い機のぶーんぶーんという音が響いて、暑さ倍増。
洗い場でしゃがんで花入れを洗うてるだけで、汗がぽとぽと流れる。横で同じように洗い物してはる人と「きょうも暑いですねえ」「ほんまにねえ」「せやけど、暑うならんとお盆は来んさかいに」「ほな、お互い熱中症に気ぃつけて」と。知らん人との会話はいつもお決まりやけど。なんか ほっとするんよね。

▲ お墓でひとり黙々草抜きしているとなぜか俳句がうかぶ。
そういえば信州でいた頃、雪かきの合間スコップを置いて、ごっついスキー用グローブを指折って五七五七七(←当時いっとき短歌にはまってた)なんてやってたなあ、と思いだす。一面真っ白の世界にいると、どんなことばも光ってみえて(!)一人悦に入ってたもんやけど。
夏のお墓はあまりに暑過ぎて光らへん(苦笑)いや、そんなことより早いとこすませて帰ろう〜と気を取り直して草抜きしていたら「すんまへん。ちょっとうしろ、通りまっせ」と年配のご夫婦。うしろに人がいるなんて。まったく気がつかなかった。「いやあ、道ふさいでしもぅてすんませーん」と立ち上がるや、「あれ?△△さんのお家の方でっか?」とおじいさんが振り返って言わはる。
それからちょっと先の墓石をまるでお家みたいに指さして「わたし、あそこの◯◯ですねん」と。指の先の「◯◯家」の文字に、そういえば相方の祖母や親から聞いたことある名字、と気づく。こんな会話もまた「ここ」ならではのこと。

▲ お茶もいっぱい飲んで、着替え持ってきたらよかったと思うほど汗びっしょりかいて、予定終了。いつも帰りは徒歩。でも、この日の駅までの道の長かったこと。ああ、駅に着いたら、とりあえずソフトクリーム、かき氷、いや生ビールかなあ・・と、励ましながら歩くも(笑)駅では果たしてまたもや予定より一本早いバスが。
というわけで、こんどは行き先を確かめて乗車。どすんと座席に腰掛けて、しばし呆然。空いてたこともあって持参のパンとお茶でかんたんランチ。からだの火照りが少し収まってから、本のつづき。

▲ ふたつめは「恋じゃなくても」というお話。
毎週金曜にガッコ休んでる桃井さんを登校途中にみつけた「ぼく」が、中学校そばまで来ながら、ガッコには行かず桃井さんのあとをつけるんよね。わたしはもうこの段階でわくわく(笑)みんなおんなじ制服着て、おんなじ交差点で横断歩道渡ってガッコに行くのに。自分だけそこをスルーして違う道を行く、ってかっこええ。じきに桃井さんは「ぼく」に気づいて話をする。
桃井さんは一年の一学期と二学期は登校したり休んだりで、三学期は全休だったと言う。二年になってからはまた登校するんだけど《金曜日だけは休むことにしてるんだ。べつに毎日学校に行くと決心したわけじゃないんだよ、と自分に知らせるためにね》(p50)と言う。

▲ いいなあ。このかんじ。岩瀬成子の描く子どもはかんたんに、そのきもちわかる、とは言わなくて。
よくわからない理由だけれど、でも、桃井さんは自分の気もちを他人にすべてわかってもらいたいと思ってるわけでもないんだろう、たぶん。そういうことも、ぼくは最近、考えるようになった。誰かが言った言葉に言葉どおりの意味がくっついているわけじゃない、ということ。人は思ってもいないことを言ったり、ほんとうみたいな嘘だってつくし、言いたいことはどこか別のところに置きっぱなしにしていたりする。》(p50)


▲ そうやって話してるうちに「ぼく」は桃井さんがいじめにあってたと知る。
冗談っぽい言葉でしかないんだけど、刺は心にずばずば確実に刺さって、しだいに毒が効いてくるの。心ってやわらかいものでできているんだと思う》(p52)
ほんまやね。
桃井さんは歩きながらよその庭木を指さして「あれは金木犀」とかこれはモクレンで、あれはニシキギ・・とか言うんよね。「ぼく」が名前を言えるのは松だけやのに(まるでわたしみたいやな)
それから、ふたりはコンビニでプリン買って公園で食べるのだった。
そうそう、だいじなこと書き忘れていた。桃井さんが履いてた靴はローラーシューズ。学校の前を滑って通り過ぎるために。かっこいいぞ、桃井さん。

▲ ほんまいうと、帰り道はその場で寝転びたいくらいにくたびれてたけど。この本読んでさわやかな緑の風がふきこんできたみたいに、元気がでてきた。アスパラと「わたし」、桃井さんと「ぼく」ありがとう。そういう子どもたちを描く岩瀬成子さん、いいなあ。すごいなあ〜とバス降りて、たこ焼き屋に直進。「たこ一枚・・・あ、生ビールもひとつ、ね」


*追記
その1)
あつあつのたこ焼きとビール飲んだとこまではサイコーやったんですが、あとが暑くて、これまた家までの道の長かったこと。(あ、いま数えたら本文中に「暑い」が7個もあった。あつくるしい文章ですみません。あ、たった今気づいたのですが。暑いという字は"日"の下に"者"と書くんですよね〜改めてなっとく・・笑)
そして、この翌々日あたりからダウンすることになるのでありました。


その2)
この本のタイトルみて、ぱっと浮かんだのは以前観たイギリス映画『人生は、時々晴れ』(マイク・リー監督)
いつもじゃなく、時々しか晴れない空。だから、ジンセイはしんどくておもしろいのかもしれない。

その3)
今日はこれを聴きながら。
もうほんと長いこと泳いでないから、泳いでみたい。プールでもいいけど、やっぱり川がいいなあ。流れにのってすいすい泳ぐ。腕をすーっと前に伸ばす。指と指の間、透明の水が流れて、お陽ぃさんに照らされてキラキラ光るんよね。

Breathe Owl Breathe - Swimming
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# by bacuminnote | 2014-08-18 11:45 | 本をよむ | Comments(0)
▲ 一昨日中学校の同窓会の案内が届いた。
卒業して早や45年ってことで、いわゆるカンレキ同窓会っていうアレである。
つらなる幹事サンの名前を見ていたら、卒業以来いっぺんも会ってへん「子」(←苦笑)がほとんどやのに、ちょっと間があった後、じわじわと白い布に記憶の絵の具がにじみ始め。

▲やがて、そのころの顔がぱっと浮んで。あとはクラブから通学方法まで(町内1つに統合された学校だったので、徒歩・自転車・バス通学に分かれていた)するすると思い出して。えっ?そんなことまで覚えてたん?と自分でツッコミを入れたくなるような、細かなことまでを思い出したりして。夕飯の仕度をしながらひとり笑ってしまった。

▲そのくせ、出欠のはがきに3年のときのクラスを記入する欄があったけれど、自分が何組やったか覚えがない。中学校に限らずこれまで同窓会というものに行ったことがないし、卒業アルバムは滋賀→信州の引越しのとき詰めたままの段ボール箱を、信州→大阪の引越し準備で久しぶりに開けたら、カビですごいことになっており、迷ったすえに相方の分もあわせて全部処分してしもたしね。

▲最後に見納めたそのアルバムのわたしは、腫れぼったい目で写ってた気がする。たしか写真撮影の前日、担任のセンセとけんかして(苦笑)くやしくて家に帰ってから又親とけんかして大泣きしたんよね。何が原因だったのか肝心なところは思い出せないんだけど。
とにかく、ガッコにもセンセにも親にも「それはちがう」と言いたいことがいっぱいあって。そして何にもできない自分自身にも腹をたてていた。

▲ 通学鞄にはいつも本が入ってた。
帰りのバスが川沿いの道に出ると、本を膝の上に置いて、見飽きてるはずの川を窓に顔くっつけるようにして見入ってた。一方で、家にあるアルバムのわたしは、どの写真もみな 友だちと大きな口開けて弾けるように笑ってる。親やセンセに反抗するわたしも、賑やかにしゃべりまくるわたしも、ひとりしずかに本読んでるわたしも、当たり前やけどぜんぶわたしなんよね。

▲ 先月『偶然の装丁家』というとてもおもしろい本を読んだ。(これは晶文社から出ている「就職しないで生きるには21」シリーズの一冊で、同シリーズ夏葉社の島田順一郎さんの『あしたから出版社』もおすすめ〜)
著者の矢萩多聞さんの紹介に《1980年、横浜生まれ。画家・装丁家。中学1年で学校を辞め、ペンによる細密画を描きはじめる。95年から、南インドと日本を半年ごとに往復し・・》とあったのを読んで興味をもった。

▲ウチの上の子と同じ歳で、中1で学校をやめ、その後も学校に行くことなく、仕事をしているというとこにも共感。
でも、こういう刺激的なプロフィール読んだら「インドに行ったら、うちの子にも何かいい道開けるかも」っていう親があらわれるんちゃうかなあ、って思ったら、やっぱり著者にそういう質問をする人が少なからずいるらしい。

▲ここ十年ほどの間で不登校への世間の風当たりもずいぶん和らいだと思うけど、相変わらず学校行ってない子は、学歴のかわりに何か特別な才能や感性を持ってへんかったらアカンみたいな〜空気はつよく感じる。「ガッコも行かせないで、将来どうするつもり?」と、親は親で周囲や世間からチクチクと圧力かけられるから。気持ちはわからんこともないけど。

▲だからって、◯◯に行けば何もかも解決、なんてことはないわけで。
学校に行っても、行かなくても。
ひとによって「学び」の場はそれぞれなんよね。そこに尽きる気がする。

▲ ただ、著者が「学校に行かなかった」ことや、インドで暮らしたことで得たのであろう視界の広さや、何かに追われることのないゆったりとした時間の感覚というか、それは本当にかけがえのない体験だと思う。
そして、ある日、学校に行かない決心をした子どもも、その決意を尊重し やがては親子でインドで暮らしてみるってことをやってしまう親もすごいなあと思う。
いつだって、なんかを変えるとき、いろいろ「できない」理由をつけて ひるむ人の方が圧倒的に多いから。

視界がひらけた、風通しのよい場所があるからこそ、子どもの「想像」は生き生きとしていられる。個性や才能という名前で塗り固められ、とじられた堅い殻のなかにはなにも生まれない。「想像」はやわらかな呼吸のように、自分と他者の間を行き来する。いのちそのものといってもいい》(本書p271 五「日本で暮らす」)

▲ さて、タイトルにあるように矢萩さんはいつのまにやら装丁家になるわけだけど、この本のおもしろいのはそんな彼の来し方だけでなく、本づくりの話も。

本は書いた人が亡くなっても、存在しつづけ、著者の生きた証となる、目に見えないものが文字になり、人が動かされ、本のかたちがつくられ、大きなうねりを生む。まるで本づくりそのもが大きな生き物のようにも見える》(p142 四「本を作る仕事」)

ああ、でもやっぱり「偶然の装丁家」というより、家族や出会った人たちや、インドに日本の風景や食べ物、大小いっぱいのパーツで、できあがった絵のようなものかもしれないな。そんでその絵は生き物。これからもどんどん変化し続けるんやろうな。

▲彼と同じ絵はだれにも描けないし、まねしても仕方ない。何より自分には自分の絵が描けるもんね。
いわゆるYAの本ではないけど、新しいドアの前で立ちすくんでるそんな十代の子に読んでもらいたいです。







*追記
その1)
心に残った文章ふたつ。

本というのはふしぎなものだ。近ごろは、本がきっかけで人と人がつながり、会話をしたりすることのほうが、本そのものよりおもしろいんじゃないかと思うことさえある。
人の奥にひめられた物語は、何気ないようでいて、どれも多層的で豊かだ。
》(p265 五「日本で暮らす」)

音楽でも映画でも料理でも、その瞬間にしか味わえないライブなものって、すぐに言葉にはならない。「かっこいい」「感動した」「おいしい」とか、感嘆符のような言葉は出たとしても、その瞬間感じたことは時間を経ていくなかでようやく言葉と結びついていくものだ。最初になんとも思わなかったのに、時間を経てボディーブローのようにじわじわ効いてくることもある。
そういった時間経過の妙が、リアルタイムで何かを発信していくことで損なわれてしまわないか。ぼくは日頃からほんとうに心動かされたときは、言葉にはしないでおく努力をしている。何かに書いてしまうと、客体化されて、余韻の伸びしろが切り落とされてしまうような気がして、言いふらしたいのをぐっと我慢する。

(p219 五「日本で暮らす」)


その2)
今日はなつかしいこのうた聴きながら。
Janis Ian - At Seventeen (Live, 1976)

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# by bacuminnote | 2014-08-05 09:49 | 本をよむ
▲暑いのは苦手やから。家事と買い物と、図書館や郵便局に行っただけで、夜店で買って何日かたった水風船みたいに(苦笑)だらしなくしぼんで。やらなアカンことも、しようと思ってる あんなことも、こんなことも。もう全部「また明日にでも」をくりかえしている。
そしたら、今日どっかのガッコの掲示板の写真をネットでアップしてあって。
いわく《「明日からやろう」を40回言うと、夏休みは終わります》
とうの昔に「早う」「早う」と親やセンセに急かされたり、怒られることもなくなったし、◯日までに提出なんてことにもすっかり縁がなくなったけれど。ぼぉーっとしてるうちに暦を一巡する、もうそんな年頃になってきてるんやから。夏休みどころかジンセイ終わらんうちに「あんなこと」ぐらいは(「こんなこと」まで及ばずとも)しようと、いつになく神妙におもうのだった。
というわけで、たった10日いっぺんのこのブログ更新もずるずる伸ばし気味の今日この頃。まずは「ここ」から始めよ。暑いけど。しぼんだ風船やけど(苦笑)

▲先日『キューティ&ボクサー』という映画(DVD)を観た。NY在住のアーティストのギュウちゃんこと篠原有司男とその妻で同じくアーティストの乃り子さんの日々を追ったドキュメンタリー。
8年ほど前だったと思うけど、キリンプラザ大阪であった篠原有司男展に相方と息子2が行って来たんよね。現代美術に関心のある相方はともかく、当時小学生だった息子がギュウちゃんのオートバイの彫刻を気にいって「おもしろかった。おかあも来ればよかったのに」と言うてたのが残ってたから。ぜひ観たいと思ってた。

▲ ギュウちゃんはその展覧会のときすでに70をこえてはったと思うから、もう80くらいかなと思ったら、81歳になってたけど、ものすごくエネルギッシュ。一方白髪ながらお下げ髪の永遠の少女のように愛らしく、かつ辛辣で正直、魅力的な乃り子さんは彼より21も年下の60歳。
映画はいきなり家賃を捻出する話や雨漏りする家を映し出して、びっくり。
せやかてね、有名なアーティストが住んでるNYのアトリエ兼住まいが、まさか雨降りにバケツが必要で、そんな家の家賃の支払もままならない、なんて思いもしなかったから。

▲1972年美術を学ぶべくNYに来た19歳の少女は、当時すでに前衛美術家として有名になっていたギュウちゃんと出会い、たちまち恋におちてその後息子を出産。
いつのまにか美術学校からも画業からも離れて(そのことで、ジッカからの仕送りも絶たれ)文字通り生活におわれる日々。生活感に疎く、はちゃめちゃでおもしろいけど、強い自己主張〜でもどこか憎めないギュウちゃんの言動は、まさに芸術家なのだ。

▲ この二人「人の言うことを聞かないのが若さを保つ秘訣」なぁんて笑う天真爛漫な夫の発言に、即、妻のするどいツッコミが入って。夫婦漫才みてるみたいで、深刻な話にもついつい笑ってしまうけど。
次の瞬間、異国で小さい子を抱えての生活苦と、夫の良きにつけ悪しきにつけ「はみ出し」のパワーに、若かった乃り子さんの苦労を思うと胸がぎゅうとしめつけられるようだった。
映画の中で乃り子さんが言うんよね。
「ヴァージニア・ウルフが言ってるでしょ。「女性が何かしようと思ったら、少しばかりのお金と鍵のついた部屋が要る」って。

▲21も年上で、いつも自分にとって「先生だった」ギュウちゃんが恋人になり、夫になり、息子の父親になり。彼のマネージャーとして、制作のアシスタントとして奮闘して、映画の中でもときどき不機嫌な乃り子さんが、なんかちょっと痛々しくせつなかったんだけど。
中盤から彼女は画家としてふたたび動き始める。
自分だけの表現を得て〜自分の分身であるヒロイン“キューティー”に託してギュウちゃんとのこれまでを”キューティー&ブリー“という物語をドローイングで綴ってゆくんよね。一人は二人になって、やがて三人に。生活はたのしくて、苦しくて。コミカルな雰囲気のなかにも、キューティーの「わたしの自由を奪わないで」という叫びが聞こえてくるようで。共感。そして、そして、描いてる乃り子さんの横顔のかっこいいこと。

▲監督は最初ギュウちゃんを前面に出して撮るはずだったらしいけど、このあたりから乃り子さんの動きや正直なつぶやきがどんどん加わり、観ているわたしも「そうだ!そのとおり!」とついつい前のめりになる。
乃り子さんが言う。《あなたはわたしを無料のシェフで、秘書でメイドだと思っているんでしょう。あなたにお金があったらアシスタントを雇うわよね。でもお金がないからわたしと一緒にいるのよね
辛辣なこのセリフを、でも乃り子さんは新聞か雑誌を読みながら(読んだふりしながら?)下むいて、ちょっとすねた少女のように英語で話すんよね。
じっと聞いていたギュウちゃん、やおら彼女の膝をポンポンたたいて、にこにことこう応えるのであった。
”I need you “

▲完成した映画を観てギュウちゃんは「ギュウちゃんのアートの秘密に迫るといった肝心のところがなくて、興味なかったね」とがっかりしてはった。
いかにも「らしい」感想(笑)おすすめです。
そして、前回追記にも書いたけど、やっぱり共に暮らす人と「話す」ことのたのしさと大切さ。しゃべってもしゃべっても、しゃべっても。それでもほんとうにわかりあえることなんて、一生ないのかもしれないけど。


*追記
その1)
ヴァージニア・ウルフのこの本読んでみたいです。
「女性が小説なり詩なり書こうとするなら、年に500ポンドの収入とドアに鍵のかかる部屋を持つ必要がある」(『自分だけの部屋』みすず書房→

その2)
というわけで、またまた本のこと書けなかったなあ。
とりあえずリンクだけしておきます。
『あしたから出版社』(島田潤一郎著 晶文社)
『偶然の装丁家』(矢作多聞著 晶文社)
『桜は本当に美しいのか 〜欲望が生んだ文化装置』(水原紫苑著 平凡新書)
『フォトグラフ』(エマニュエル・ギベール著  ディディエ・ルフェーヴル 原案・写真 )

その3)
きょうはこれを聴きながら。
Andrew Bird - Lull 
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# by bacuminnote | 2014-07-23 22:17 | 映画

いつのまにか空は。

▲ 子どものころのある時期ぐんぐん足が大きくなって、運動靴も上履きもすぐに窮屈になった。
で、学年どころか、ときには学期が変わるたびに足の指が痛くなって母に言うと「えっ?この間買うたとこやないの。もう入らへんようになったんか?」とたちまち渋い顔をされた。そうして「こんどは、もっとちゃあんと大きい目の買うて来なはれや」とつよく念をおされるのだったが。「もっと」「ちゃあんと」って言われてもなあ。当時はそれ越して成長する季節やったんよね。たぶん。きっと。

▲ 「足の大きい子は背ぇも高ぅなるで。あんたとこはお父ちゃんも背ぇ高いよってになあ〜」と靴屋のおっちゃんが、そのつど同じことを言いながら靴を箱に入れてくれたのを思いだす。
もしかして♪あほの大足 まぬけの小足 中途半端のろくでなし〜とおしえてくれたんは、このおっちゃんやったんやろか。大きいても小さくても、みんなそれぞれの寸法があって。どれも大したちがいはない、ってことやね。

▲まあ、そんなわけで足も背丈もその調子ですくすく伸びて、やがては横幅もすばらしく成長(苦笑)することになるんだけど。それはともかくとして。
若い頃はええカッコして、デザイン重視でサイズより小さい靴にむりやり足を合わせたせいもあるのか(その頃大きいサイズいうたら、紳士用かスニーカーしかなかったんよね)ここ十数年は足・膝・腰の故障が多くて、何よりどこにでもすいすい歩いて行けないのがつらい。

▲せやからね、須賀敦子さんの『ユルスナールの靴』(白水社刊)を初めて読んだとき、その冒頭の一文には
しんそこ共感した。もちろんこれは子ども時代すぐ小さくなるからと、大きめの靴をはかされて「いつもぶかぶかで、ぴったりのサイズになるころには、かかとの部分がぺちゃんこにつぶれたり、つま先の革がこすれて白くなっていたりした」という須賀敦子さんのエピソードに、ご自身の内面的な思いを重ねた深い一文なのだけれど。

きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。行きたいところ、行くべきところ、ぜんぶにじぶんが行ってないのは、あるいは行くのをあきらめたのは、すべて、じぶんの足にぴったりの靴をもたなかったせいなのだ、と。
(『ユルスナールの靴』”プロローグ”より抜粋)

▲わたしも歳とって、いまはもう「ぴったりの靴」に会えたけどかなしいかな、いっぺんに長くは歩けないんよね。
でも、少しずつやったらなんとか大丈夫なんやから、と最近 夕ご飯が早くすむとさっさと後片付けをして、家の近くをぐるりと一周・・・夜の散歩に出るようになった。
キョリも時間もほんのちょっとなんだけど、まだ空にうす青の残る時間から歩き始め、歩いているうちに夜のまちになるその変化がとてもおもしろく、そして、きれいんよね。
昼間はただ箱を積んだだけに見えるマンションも、夜になると窓がぽっと明るくなって。そこに暮らしがあることを感じる。そして、何よりのたのしみは、夜風のここちよさと、風にのって運ばれてくる夕餉のにおい。揚げものや炒めもの、カレー、たまに懐かしい煮物のにおいもして。開け放たれた窓からもれ聞こえる 泣いたり騒いだりのちいさいひとたちの声もまた。

▲途中通る消防署のおにいさんたちは赤い車の並ぶ前で、息切らして夜のトレーニングをしてはる。
保育所帰りの母子が立ち止まって見入る。早く帰りたいママのそばで子どもが声をあげる。わたしの耳にも届いた「じぷた」という声に、むかしはかわいらしかった(!)息子たちの顔がうかんで いとおしい。
お年寄りが犬に引っ張られるように通り過ぎ。腕に何やら巻きつけて完全装備で黙々走る男性。こんな時間から塾にむかう子どもたち。バスから降りた若い女性は両手にスーパーの買い物袋下げてマンションに向かって小走りしてはって。そのほそい背中におかえり〜おつかれさま、とつぶやく。
いつのまにか空は群青色だ。




*追記(追記の方が長くなった・・)

その1)
この間から買った本も図書館のリクエスト本も次々届き、読む読む読むの日が続いて。
どんなことでも「追われる」のが苦手なので、読むべき本がたまってきたとき、借りた本を読めそうにないと思ったら返却日にまだ日があっても即、返すことにしています。

そんなわけで、一昨日は前回ここに書いた『こんな夜更けにバナナかよ』の続きで読み始めた同じ渡辺一史氏によるルポルタージュ『北の無人駅から』(魅力的な本ながら900頁もある)を未読のまま返しに図書館に行ったのだけど。返却カウンターの前に一旦は並んだものの、返す前にこの本のために書いたというとこだけでも読んでおこう、とそばの椅子にちょっと腰掛けたんよね。

そしたら、やめられなくなって。途中すわり心地のいい椅子に移動して〜図書館の帰りにするつもりの用事も却下して(苦笑)結局、上・下200頁余りを読むことに。(第5章 キネマが愛した「過去のまち」【留萌本線・増毛駅(上)】第6章 「陸の孤島」に暮らすわけ【留萌本線・増毛駅(下)】)とりわけ6章の「雄冬」の話が深く心に残りました。

「陸の孤島」ってことばには「中央」から置き去りにされた感があって、抵抗かんじるんだけど。わたしにとって行ったことのない「雄冬」という北の地は、海と山のちがいこそあれ、かつて暮らした信州・開田村での時間と重なります。
そうして、取材の大変さに、ワタナベさんを泊めてくれる宿は見つかるんやろか?ちゃんと話を聞いて帰れるんやろか?と、いつのまにかライターの母になった気分で(!)心配でどきどき。
考えてみたら、人の人生を問うようなこと、見ず知らずの人にそう簡単に語ってくれるわけ、ないよね。ルポルタージュを書くというのは、そういう人の懐にとびこんでゆく、とびこむことを許してもらうような行為なんやなあ、と思いました。ワタナベさんの地道な取材とそれに応えてくれた人たちに胸があつくなりました。
そんなことも含めて読み応えのある本です。

最後のほうで、何故この地に住み続けるのか問いに、年長者ばかりでなく年若い漁師にとってさえ《雄冬の海は他とは交換できない海だった。》という一文は衝撃でした。
ぜひ、また機会をつくってこんどこそ全編読んでみたい本です。

その2)
今日はこれを聴きながら。

忌野清志郎&仲井戸麗市 - 夜の散歩をしないかね


その3)
先日『ビフォア・ミッドナイト』 をDVDで観ました。
このシリーズの三作目ってこともあり、もうそれだけで十分かも、と正直なとこ あまり期待してなかったけど。
主人公ふたりの歳とった感(これを「劣化」というひともいるけど、わたしはそうは思わない)が、ええかんじ。
いろんな人が出てるけど、映画はほぼ二人の会話。アイを語り合ったかと思うと過去にさかのぼってのフウフげんか。しゃべってしゃべってしゃべり尽くす。
しずかなフウフに、ずっと憧れてきたけど。わたしには無理かな〜と最近ようやく思う。ていうか、やっぱりフウフは(いや、フウフだけでなく共に暮らしてゆく者として。親子でも、恋人でも友だちでも)思ってることは喋って、喋って、喋らなあかんとおもう。人と人・・ちがう者同士が近づいて、理解し合うためにも。(なかなかムズカシイんやけどね、これがまた。)


その4)
そうそう。このブログ(ブログ人)のOCNがブログサービスから今秋撤退する旨連絡がありました。サービズが始まって10年やそうですが。かんがえてみたら、この"bakubaku"も開始が10年前の2004.7.17で。
長いことおせわになりました。いま引越し先を考え中。
いやあ、しかし10年かぁ〜
いつも同じようなことばっかり書いてる気がします。(すまん)
それに「字が多すぎ」「字が小さくて」読みづらい、写真を入れてみたら?・・・と、始めた頃から今に至るまで、友人知人からなんども声が届きながら、聞こえんかったふりでして10年。(すまん)  
こんなわたしとbakubakuですが、これからも ゆるゆるとよろしくおつきあいください。
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# by bacuminnote | 2014-07-14 19:54 | まち歩き

大きな石。

▲7月になった。
そのはじまりの日、首相記者会見を煮えくり返る思いで観る。
「命」も「平和」も「幸せ」も、あの人の口に乗ると なんと軽くて、安っぽく、嘘で汚れたものになってしまうことか。質疑への応答ですらモニターやプロンプターに映ってるのを読んでるんやから、聴衆に届くはずもないし。そもそも「届ける」気など端からないのかもしれない。何をしゃべっても空疎。
そうして、長年洪水をせきとめていた大きな石は、とんでもない人らの手でいとも簡単に横に追いやられてしまった。許せん!許しません!

▲ 先月末、いつものように10日にいっぺんのこのブログ書き始めてたんだけど、いろいろ考えこんで悶々としてるうちに7月1日になり。言葉が出なくなってしまった。
考えあぐねるときほど、書いても書いても言葉のほうから「これでええんか?」「こんなんでええつもりなんか?」と問われてる気がして。その場に蹲ってしまうのはいつものことだけど。今回は唸り声しか出んかった。

▲この間(かん)少しずつ読んでいた本があって、ようやく今日読み終えた。いい本に出会うと、本を閉じたあとしばらく密度の濃いことばや思いでからだじゅう一杯になって。
これはこれで、またしても無口になってしまい・・・(苦笑)でも、でも。やっぱり伝えたいから「こんなんでええんか」と問いながら、書いてみようと思う。

▲その本とは『こんな夜更けにバナナかよ』(渡辺一史著/北海道新聞社2003年刊)〜表紙にはバナナが一本描かれている。だいすきなヴェルヴェット・アンダーグラウンドのアルバムのバナナ(byアンディ・ウォーホール)みたいなインパクトはないものの、そのタイトルのおもしろさと白一色のバックに黄色いバナナの絵には心惹かれるものがあり、もし出版のころ本屋さんで出会ってたら迷わず手を伸ばしてたなと思う。

▲でも今回わたしがこの本を読んだのは、ひょんなきっかけから。
以前からタイトルだけは何回か目にしてたんだけど、その後読んだ『カキフライが無いなら来なかった』(せきしろ・又吉)という現代短歌の本と、タイトルの面白さという共通項でわたしの記憶の箱では「現代俳句」と勝手にジャンル分けしてしまって・・(苦笑)。
しかも、恥しながら(短歌の本はとりあえず)読んだからもうええか〜とスルーしていたのであった。

▲ ところが、先日またしても某所でこの書名を目にして、初めて副題が「筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」と知り、自分のあまりの思い違いと北海道新聞社刊というのにも惹かれて、予備知識もなく読み始めた。

▲鹿野さんは筋ジス(全身の筋肉が徐々に萎縮してゆく)という難病で、24時間複数の人の介助によって自宅で(ある時は病室で)暮らしていて、この本はその多くのボランティアとの交流の記録だ。著者の渡辺さんも取材するうちにボランティアとして時々介助に入る。キレイごとではすまされない生身の人間同士のぶつかりあう音、怒鳴り声もささやきも。お腹の底からの笑い声も聞こえてくるようで。

▲ 現場のリアルな空気に、時々わたしは「そんな話まで聞かせてもろてええんですか」という気持ちになって落ち着かなかったり。けど、だからこそ見えてくるものもあって。介助する人、される人。障碍をもつひと、もたないひと。男と女。強いひと、弱いひと。親と子。その関係性や、人間の醜いところ、小さいところ、愛おしいいところがじんじん伝わってくる。ふっ〜と自然に頬が緩む場面もまた。
そして読者のこの戸惑いはそのまま(いや、それ以上に)書き手の渡辺さんの苦しい自問でもあり、じっさい何度も筆を置き、立ちすくんでは その苦悩や疑問も綴ってはる。

▲この本の主人公である鹿野靖明さんがどんな人かというと
できないといえば、この人には、すべてのことができない。かゆいところをかくこともできない。自分のお尻を自分で拭くことができない。眠っていても寝返りがうてない。すべてのことに、人の手を借りなければ生きていけない。》(p5)

▲35歳のとき、呼吸筋の衰えによって自発呼吸が難しくなった鹿野さんは気管切開をして人工呼吸器を装着することになり。以来、1日24時間、誰かが付き添って、呼吸器や気管内にたまる痰(たん)を吸引しなければならない状況になる。

▲そのころ人工呼吸器をつけた人は、病院生活以外は考えられなかったらしい。でも鹿野さんは子どものときの病院生活の辛い思い出があったこと、知的障碍を持ち施設で暮らす妹もいて両親に負担をかけたくなかったこともあって、ケア付き住宅での自立生活を選ぶ。

▲ 「自立」といえば、鹿野さんがまだひとり暮らしする前〜施設にいた頃、アメリカで世界的に知られる「自立生活センター」でカウンセラーをしていたエド・ロングさんの来日に伴って、仲間で講演会を企画するんだけど。ある日、鹿野さんが、同じく筋ジス患者であるロングさんに「自立」について尋ねる。「エドさんにとって、自立とはどういうことなんですか」すると、こんな答えが返ってきたんよね。

自立とは、誰の助けも必要としないということではない。どこに行きたいか、何をしたいかを自分で決めること。自分が決定権をもち、そのために助けてもらうことだ。だから、人に何か頼むことを躊躇しないでほしい。健康な人だって、いろんな人と助け合いながら暮らしている。一番だいじなことは、精神的に自立することなんだ》(p175)

▲ とはいえ、重い障碍を持つ人にとっての「自立生活」は簡単ではない。24時間の介助者を探し、スケジュールを組む大変さに加え、痰の吸引もふくめ在宅で介助する人にはある程度 専門的な知識や技術も求められるわけで。
鹿野さんはボランティアも「広い意味での家族」と定義付けることで、ボランティアに痰吸引を指導するんよね。(なにか事故があっても責任を問わない、という但し書きつきで)でも、すぐにうまく出来る人も、中には下手な若い子もいて。指導して慣れてくれても、学生は長期休みには帰省したり、いずれ卒業してゆき。多くの人たちが鹿野さんちで介助経験をし、またどこかに行く。

▲そうそう、最初に印象深かったタイトルのバナナの話はこういうことがあったから。
ある日の深夜、病院の簡易ベッドで眠っていた国吉は、鹿野の振る鈴の音で起こされた。「なに?」と聞くと、「腹が減ったからバナナ食う」と鹿野がいう。
「こんな夜中にバナナかよ」と国吉は内心ひどく腹を立てた。しかし、口には出さない。バナナの皮をむき、無言で鹿野の口に押し込んだ。二人の間には、言いしれぬ緊張感が漂っていた。

▲「それに鹿野さん、食べるスピードが遅いでしょ。バナナを持ってる腕もだんだん疲れてくるしね。ようやく一本食べ終わったと思って、皮をゴミ箱に投げ捨てて……」
 もういいだろう。寝かせてくれ。そんな態度を全身にみなぎらせてベッドにもぐり込もうとする国吉に向って、鹿野がいった。
「国ちゃん、もう一本」
 なにィ!! という驚きとともに、そこで鹿野に対する怒りは急速に冷えていったという。
「あの気持ちの変化は、今でも不思議なんですよね。もうこの人の言うことは、なんでも聞いてやろう。あそこまでワガママがいえるっていうのは、ある意味、立派。そう思ったんでしょうか」
》(p32第一章”ワガママなのも私の生き方”)

▲ そういえば、この本の中になんべんも「ワガママ」ってことばが出てくるんよね。つまり、それは鹿野さんはワガママな人だ〜ってことで(笑)。
でも、考えてみれば誰でもキホン、ワガママなんである。生きてゆくために必要な痰の吸引や、体位交換、食事介助、ガーゼ交換などは当然のことで、でも健常者なら簡単にできる《気分しだいでテレビのチャンネルをパチパチ換えたり、CDを入れ換えたり、ファミコンに熱を上げたり、夜中に突然腹を減らして何か食べたり、ということも当然のことながら介助者がサポートしなければならない》(P315 第六章”介助する女性たち”)

▲著者はいう。
まずは、自立したいという障害者の「ワガママ」をワガママでなくするための、基本的な社会の保障制度をしっかりと確立する必要があるのだと思う。第三章でも述べたように、「障害者の自立とそれを支える地域のケアシステムづくりは、障害者のためだけでなく、社会のために必要」なのだ。》(p350 第六章)

▲ 本の出版を楽しみにしていたという鹿野さんは、本の完成を間近に控えた2002年8月12日42歳で逝ってしまう。
本文の間にはさまれた写真がとてもよかった。鹿野さんちで怒ったり、笑ったり、やっぱりに根っこのとこには愛とユーモアがあったんやなあ〜とおもえる写真ばかりだった。これもボランティアだった高橋雅之氏によるもの。

▲1日の夜は、この本を読んでる間じゅう ことばについて思ってた。
以前に読んだ長谷川摂子さんの『とんぼの目玉』(未來社刊)の中にこんな一節があった。
言葉自体として「美しい言葉」とか「正しい言葉」は存在しないのだ。すべてその言葉を使う人間と人間の関係のありようで美しくも醜くもなる。》(p134)
そうだ。会見のあの人のことばが醜かったのは、人と人の関係のないところで借り物のことばをただ並べてたからだろな。


*追記
その1)
やっぱり「心あまりて言葉足りず」でしたが、いろんな考える種のある本でした。ぜひ。
そうそう、知らなかったけれど、この本 第25回講談社ノンフィクション賞、第35回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作らしい。著者のサイト→本書にあった写真も掲載されています。

山田太一さんはこの本を別の角度(尊厳死)から語ってはり、考えさせられます→

その2)
自分の行動力のなさや無力さに しおれてますが、ついさっきのこと。古いノートに高村薫さんのこのことばをみつけ、背筋がぴんとのびた気分です。
私にとっての体力は深く考え、考えて、考え続けられるか、という忍耐力

その3)
前にも書いたことのあるボブ・ディランのうたによる絵本『はじまりの日』"Forever Young"はアーサー・ビナードさんの訳でこんなフレーズがあります。すきです。

"May you have a strong foundation
流されることなく 
When the winds of changes shift
流れをつくりますように"

これはPete Seeger がうたう "Forever Young

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# by bacuminnote | 2014-07-03 22:01 | 本をよむ

わたしのよしの。

▲ 夕ご飯の後、たいていはその勢いで 食器さっさか洗って拭いてざーっと後片付けをしてしまう(この「さっさか」「ざーっと」ゆえ、かつて息子2が食器拭き係やった頃「おかあ、汚れ落ちてへんで」と戻されたことがよくあった・・)。今は相方と二人やし、食事内容もシンプルやし(苦笑)そんなに時間もかからないし。
で、あとは寝るまでゆっくりする。

▲早い夕飯のあと、少しづつ空の色が濃くなってゆくのを窓越しに眺めつつ、すきな音楽聴きながら本を読む(あるいはDVDを観る)だいじな時間だ。窓を閉めきってた冬には聞こえなかった街の音が、夕方のひんやりした風といっしょに入ってくる。たまたまモノレールが走ってゆくのに気づいたときは、つい立ち上がって窓辺にはりついて。わたしが電車に乗った時そうするように、車窓から誰かこの家の灯りを見てるかなあ~と、手を振りたいような気分になる。

▲ 日曜日、思い立って吉野に行ってきた。
先週くらいから、久しぶりに行こうかな~と思いながら、電話で母のようすをそれとなく伺い、よろこびそうな物をちょっとづつ買いためてみたり。相方の予定を聞いてみたり。そんな「準備」ができたら前夜に「明日行こうかなって思ってるねんけど」と電話してみる。そうして当日朝、電車のホームから「今から乗るし、ね」と伝えて。なんか まどろっこしいけど。あんまり早い約束は時間までに母がくたびれるのがわかってるので、これくらいがちょうどいいように思う。

▲この間『父の生きる』(伊藤比呂美著・光文社刊)を読んでたら~あ、これはカリフォルニアに住む詩人の伊藤比呂美さんが熊本でひとり暮らしのお父さんを、遠くアメリカと日本を何度も行き来し、いろんな人の助けを得ながら介護する三年半の記録なんだけど~こんな一節があって頷く。

《「こんどあんたがこっちに来るときはさ」と父が言った。
「こうやって早いうちにいつ来るって教えないでさ、おれに言わないでおいて、明日行くよって突然言うようにしてもらいたい。そうでないと、いつ来るって知ってから、待ってるのがばかに長くってしょうがない」と。
》(2012.3.27 カリフォルニア)
もう誰かのところに行くことはなくなって、誰かが来るのを待つ時間、というのは長いんやろなあ。

▲さて、 "ハルカス"で湧く日曜日の天王寺周辺のものすごい人の波の中をぬけ、例によってデパ地下であれやこれや買って特急電車に乗り込む。
通路挟んでわたしの横は70歳くらいのご夫婦らしきカップル。まだお昼にはだいぶあるのに、手作り風のお弁当をひろげ、缶酎ハイを開け、盛り上がってはる。
ときどき二人声あげて笑ってほんまに楽しそう。それにしても、あの年頃で途切れることなく話してる夫婦って、ええよなあ~と、聞くともなしに笑い声に耳を傾けてたんだけど。
もしかしたら恋人同士なのかも。いや、それなら尚よし。ええ休日を!と降りるときもなんか話して笑いながら、二人並んで歩く後ろ姿をみながらおもう。

▲ やがて、わたしが降りる駅に着いて。いつものことながら駅に降り立つと、緑のにおいがつめたい山の風にのって、からだの中を通りぬけてくようで。「ああ、帰って来た」と思う。
単線の長閑な駅だけど、むかしは駅前から大台ケ原()行きのバスが出ていて、大きなリュックを背負った登山客も一杯やったんよね。駅前には売店に食堂も何軒か並んで、今からは想像できないくらいに賑わってたのになあ。

▲それでも川べりの道を走ると、色とりどりのテントや車が見え始め、河原でバーベキューしている家族連れがたくさん見えた。「にぎやかですねえ」と言うと、タクシーの運転手さんがぼやく。「せやけどね、あの人ら、ちょこっと、ここのコンビニで物買うくらいで、あとはゴミだけ残して帰らはる。鮎釣りの人も減ったしねえ・・・」
タクシーに乗るたび運転手さんはちがうけど、たいてい同じ話して、「ほな、ごゆっくり」「おおきに」と降りる。

▲ 一昨年、昨年と母は不調つづきで、本人がいちばん辛かっただろうけど、一緒に暮らす姉はもちろん、離れて何もできないでいるわたしらも重たい時間だった。
前述の『父の生きる』とは、父と母の違い、一人っ子と四姉妹のちがいはあるけど、年老いた親のきもち、娘の思いに、「そう、それ。そうやよねえ」と思うところが一杯あって。そのつど、一緒に怒ったり、しんみりしたり、切なさに胸がつまったりした。

▲とりわけ、伊藤さんがカリフォルニアにいるときは毎日お父さんに電話する、その様子に共感するところが多かった。話してても楽しいときばかりじゃないもんね。当たり前だけど、離れていると電話の前にどんな状態だったかわからない。こっちがうれしいことがあってごきげんなときでも、向こうは不調なときもある。会話が続かないときだってあるし、同じことの繰り返しの日も。

▲だから次のこの一節には苦笑い。
せやかてね、結局気になって、あまり日を置かずにこっちから又電話してしまうんやから。
《「今晩はもう電話したくない。明日もしたくない。しばらく電話しなければ父もなつかしくなって話したいと思うだろうか。しかしそこに何の保証もないから困っている。話したいと思わないかもしれない」》(2012.3.8カリフォルニア)

▲いちばんせつなかったのは、この一節。
「今日仕事がおわったからほっとしてるの」と私が言ったら、
「おれは終わんないんだ」と父が言った。
「え?」とつい聞き返したら、
「仕事ないから終わんないんだ。つまんないよ、ほんとに。なーんにもやることない。なんかやればと思うだろうけど、やる気出ないよね。出ないんだよね。なんにもやる気が出ない。いつまでつづくのかなあ。ま、心配ないよ。へんな話だけど、あんたから電話かかってくると、おしっこもれそうになる」
「むかし、おとうさんに算数教えてもらってるとき、すぐトイレに行きたくなって叱られた、あれと同じようなものね。トイレ行った方がいいわよ、また明日ね」
「じゃ明日ね。ありがとう」
》(2010.10.12カリフォルニア)

▲わが母のことに話をもどすと、今年に入って息を吹き返したみたいに元気になった。一昨年の膝の手術や昨年の思いがけない入院、転院などが想像以上のストレスになって、退院後も尾を引いていたのかもしれない。
いまは趣味の手芸や字を書くことにも、意欲が戻ってきたようで。歳相応にあちこち痛いとこも抱えてるものの、ずいぶん若返った。
最近は「オリンピックの年まで・・・」なーんてことばが母の口から出てきたりして。
「ええっ?東京オリンピックのこと?言うとくけど、わたし、それには反対やからな。・・・けど、2020年いうたら、あと5~6年やし。お母さん、まだいけるんちゃうか~」と冗談返せるほどになった。

▲ この日はわたしが着なくなった白い綿レースのブラウスを持って行ったら、喜んでさっそく着替えて、ついでにデイサービスに着てゆく服をコーディネートして、ファッションショーで(笑)もりあがる。
明日何着ていこか~と思う気持ちがもどってきたのは、なにもかも「今日」でおしまいにしたい、などと思ったりした人が、又明日のことを考えられるようになったってことで。

▲これから先のことはわからないけれど。でも、とりあえず、たったいま、の母の笑顔がしみじみとうれしい。《いつか死ぬ。それまで生きる。》と本の帯にあったけど。
母の生きている時間が、ちょっとでも長く愉しいものであってほしい。

▲ ジッカの二階には大きな窓があって、窓いっぱいに庭の古い桜の木が見える。
薄曇りの空をバックに葉っぱの緑が際立って、さわさわ、さわさわ、しずかに揺れて。川のざーざーがずーっと聞こえてる。ああ、これ。これ。この音が「わたしのよしの」と思う。
帰りは姉に車で駅まで送ってもらう。忙しい間のわずかな時間だったけど、姉とも喋って笑って。映画みたく大げさにハグしてわかれる。

▲駅のホームの隅っこ。トンネルに近いところに立って電車を待つ。ここはわたしの一番すきな場所。
思春期以降は息詰まるばかりに緑深いここから逃げ出したくて、トンネルのむこう 点のように小さく見える明かりが希望だった。
ここを抜けたら、抜けさえしたら、と思ってた。そうしたら、何かべつの、もうひとつの世界が待ってる気がしてたんよね。
果たしてトンネルの先にはやっぱり知らなかった広い世界があって、ええことも、おもしろいことも、そしてしんどいことも、いっぱいあって。でも、いまも、ここはわたしにとって とくべつな場所やなと思う。


*追記
その1)
今回もまた書きそびれたことがいっぱいあります。
ドキュメンタリー映画『アイ・ウェイウェイは謝らない』や、梨木香歩さんの新著『海うそ』のこと。これはまた次回にでも、と思っています(つもり)

その2)
『父の生きる』に思いがけずパティ・スミスの「ラジオ・エチオピア」がでてきて、音量あげて聴いたあと、この曲思い出して聴く。
Patti Smith - This Is The Girl 

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# by bacuminnote | 2014-06-19 00:12 | 音楽 | Comments(0)

それは たからもの。

▲ ストーブもしまわないまま、あまりの暑さにあわてて扇風機を出してきたのに。
昨日今日の風の冷たいこと。両手でカップをつつみ熱いお茶をゆっくりと飲んだ。
雨あがりの庭はうす暗くて、昼間なのに夕暮れ時のようでもあり、日々繁殖中の濡れた緑たちが妖し気に光ってきれいで。そうやってしばらくぼぉーっと立っていたら、いつか読んだ梨木香歩さんの小説みたいに、庭の木々が ひそひそ話してるような気がしたり。
「どくだみや 真昼の闇に 白十字」(川端 茅舎)

▲ 六月は思い出ふかい月である。
毎年、その日にはカレンダーに赤丸つけて、それとなく?アピールしてるものの、誰も気づかないままで。そのうちわたしもケッコン記念日なんて忘れてしまうかもなあ~とか思ってたんだけど。
二年前。ちっちゃい時からの友だちの夫君が亡くならはって。その日は忘れられない日になった。
昨夜ひさしぶりに友に電話して、また六月が来たなあ。やさしかったなあ。ほんま ええ人やったなあ。かっこよかったよなあ~と彼のことをひとしきり話す。けど、ただひとつ。なんぼなんでも、遠いとこへ早うにいきすぎや、と電話のむこうとこっちでめそめそして。それから、いつものようにあほな話して大きい声でわらって。「ほな、またな~」と切ろうとしたら「ありがとう」と言われて堪えてたものがながれた。

▲ 一昨日『いとしきエブリディ』(”Everyday”)というイギリス映画(DVD)を観た。物語は朝早く起きて、お母さんのカレンが子ども4人(長女8・長男6・次男4・次女3歳)ぞろぞろ連れて田舎道を歩いて、歩いて。そんでバスに乗って、電車に乗って出かけるところから始まる。
そんな遠いとこにいったい何しに行くのかなあ、と思ったら「塀の中」のお父さん(夫・イアン)に会いに行くんよね。

▲ 監督(『ひかりのまち』のウィンター・ボトム)はこの映画の完成まで5年かけたらしい。父母役は俳優が演じてるけど、子どもたちはほんまの姉妹兄弟の4人やそうで。お家も彼らの暮らす家。だから、彼らの5年間がまるでドキュメンタリーのように流れて、「父不在」の中での子どもらの成長のようす、その間のカレンの奮闘や迷い。小さなよろこび、苦しみが淡々と描かれて胸がつまる。
けど、このお父さんていうのがほんまに子どもや妻が愛おしくてならない、って感じなんよね。なんで、ここに居るん?と思ってみていると(映画では直接言及されてないけど)どうも麻薬密売みたい。

▲ とにかく、カレンは4人の子ども抱えて暮らしてゆくだけでも大変。昼間はスーパー、夜はパブで働く。それでも、休みには子どもを連れてまた遠路、夫に会いに行くんよね。そうして仮出所の日、それはそれはたのしそうな一家。二人もまた久しぶりに恋人に戻って愛しあう。ところがイアンは刑務所に戻るときにハシシを持込んだのが見つかって。次の回の面会はガラス越しに。カレンの落胆と怒りと不安は、一時べつの男性へと傾くことにもなるんだけど。
子どもたちも成長して、父親不在の意味を知り、友だちに父親のことを言われたり。とりわけ上の二人はただ無邪気にお父さんに会いに行ってた頃とは変わってくる。
それでも、カレンも子どもたちもイアンのことが好きなんよね。

▲ お父さんが長いこと刑務所にいる、というのはそうあることではないけど、子どものいる家庭の生活はどこに在ってもよく似たもので。なんてことのないフツーの毎日とお父さんに会いに行く日が交互に描かれる。
ちょっとハラハラする場面もあったけど、それに、これから先どうなるのか心配はあるけど、とりあえず家族6人一緒に暮らせるようになったところで、映画はおわる。

▲劇中 両親が抱き合いながらダンスしてるのを、ちょっと照れたような恥しそうな、でもうれしそうに子どもらが眺めてた場面が今も心に残っている。
というのもね、その昔、家庭を思うことの少なかった若い頃の父が、なぜかクリスマスには家にいてケーキを切り、ワイン(というても下戸だったので赤玉ポートワイン)を皆のグラスに少しづつ注ぎ、応接間で(←こんな呼び方の部屋があった時代・・)レコードをかけると、母とダンスをし始めたんよね。子どもらはそんな二人がうれしくて、恥しくて。下向いたり、チラチラ見たりしてるうちにレコードは終わってしもたんやけど。
わずか数分のそのできごとを、わたしはその後 何度も何度も記憶の箱から宝物を取り出すように思い出していたから。映画の中に入ってあの子どもたちの横にすわってる気分だった。

▲ さて、その次に観た映画も子どものきょうだいの話だった。
ドキュメンタリー『三姉妹 雲南の子』(”Three Sisters”)この映画は中国の雲南省という標高3200mの高地、どこまでも段々畑が広がる小さな貧しい村に10・6・4歳の三姉妹が子どもらだけで暮らしている。お母さんは家出して行方がわからない。お父さんは生活のため出稼ぎに行っている。
10歳の長女インインは母親がわりに妹らの世話をしてるんだけど、食べることは主に近くに住む祖父と伯母の世話になってる。でも伯母さんからは厄介者扱いされてることが画面のあちこちに見えてつらい。

▲そうして子どもに課せられた仕事の多いこと。
豚と羊、鶏の世話。畑仕事。着のみ着のままで、顔も手も真っ黒。ただ黙々と草を刈り、羊を追い、家畜の糞を拾い(燃料か肥料だろうか)、松ぼっくりを大きなカゴ一杯集める。(松ぼっくりは松脂が多いので燃料用に使うらしい)インインの性格もあるかもしれないけど、ほんまに笑う場面がないんよね。

▲ 一回だけ笑顔がみえたのは、おなじように母親が家出して親戚で世話になってる友だちの男の子と糞拾いしてるとき。「あとであんたの家に遊びに行っていい?」とか冗談を言って(じっさい、このことばが冗談にしか聞こえないほど、そういう余裕のない生活なのだから)笑ってて、ちょっとほっとした。
でも、あとは、もうずっと仕事。
唯一学校だけがインインにとって「子ども」でいられる場所かもしれないと思った。でも、家に帰って勉強をしてると、祖父(66歳)は外から大きな声でインインを呼び「勉強なんかして。もし誰かに羊を盗まれたらどうやって暮らす?」とつめたく言い放つ。

▲ やがてお父さん(32歳)が出稼ぎから戻り、まちに子どもらを連れてゆく相談を祖父とするものの、結局下の二人を連れてまちで再婚?という展開に。インインは祖父と二人暮らしとなる。
なんて言ったらいいのか。それでも人の温もりが、とか動物との交流がとか、子どもたちのきれいな瞳が、とか。そんな観てる者がかんたんに救われるようなもの(!)は何もないのである。ただ、働いて食べて寝て起きて、また働く。土間しかない家、湿ったワラの寝台。高地やからね、しょっちゅう風の音がひゅひゅう聞こえる。インインはたびたび咳をしてる。冬になったら、どれほど寒いことだろう。

▲ 2時間33分。ナレーションも音楽もないけど、そんなに長く感じなかったのは、それでも人が生きて暮らしている、という生物としての強い生命力、現実に圧倒されるからか。
あるいは、もうちょっとしたら何か、小さくても、光の感じられる結末になるかもという希望ゆえか。でも結局その願いはかなわず、映画は終わる。
最後のほうで次女のチェンチェンがどこで覚えてきたのか♪私のママが一番ステキ ママの子はなんて幸せ~と歌ってたのが、かなしかった。とうとう着替えられることのなかったインインの泥だらけのパーカーの”Lovely Diary”というバックプリントの文字が忘れられない。

▲ あとになって、この映画を撮るきっかけとなった監督のエピソードを読んだ。
監督がある作家の墓参帰りに長江上流域を通りかかったら、家の前で泥まみれで遊ぶ三姉妹に出会って。話してかけてみると三人だけで暮らしてるという。家に入ると想像をこえる貧しさで、それでもインインが家で唯一の食糧のじゃがいもを煮て出してくれたそうで。
映画の中では妹たちの母親役、子どもとはおもえない働きをして「しなければならない事」に追われるような暮らしのなかで、通りすがりの人にじゃがいもを煮るインインに、胸が詰まる。そんなきもち(余裕)があったことを知って、うれしい驚きだった。








*追記
その1)
いやあ、いろいろ考えることの多い二本の映画でした。どちらもDVDレンタルしているので、ぜひ。
じつはもう一本『マイネームイズハーン』("My Name Is Khan")というインド映画を(”みんぱくワールドシネマ" ~映像に描かれる〈包摂と自律〉ー多文化を生きるー)観てきたことを書くつもりが、例によって書ききれませんでした。日本未公開の映画ですが、DVDは発売されているようです。この作品も162分とけっこう長尺+上映後研究者のレクチャーありで。翌日腰痛なり。でも、ここの映画会ではいつも「考える種」をいっぱいもらって帰ります。

ここを読んでくれはる方はもうお気づきかと思いますが、わたしは外で映画を観ることが少ないです。それは腰痛やら方向オンチや、まあその他にも個人的理由があるのですが。かつての田舎暮らしの経験もあって、なかなか映画館に行けない人にもDVD なら観る機会もできるかも~という思いもあります。

その2)
今回はじめに書いた梨木香歩さんの本とは『家守綺譚』ですが、いま読んでいる新著『海うそ』は人文地理学者が南九州の島に赴いて、の話。最初から梨木香歩の世界にひきこまれます。が、ゆっくり読んでいます。うまいこと言えへんのですが「早う読んだらあかん」的(苦笑)チカラが働く本やから、と思います。

その3)
長くなってしまいました。
最後までおつきあいくださっておおきにです。
きょうはThe Smiths - ASLEEPを聴きながら→
動画の映像にもあるように、これは映画『ウォールフワラー』("The Perks of being a WallFlower")でも流れてたなつかしい曲。
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# by bacuminnote | 2014-06-08 10:38 | 音楽 | Comments(0)

空も、すがしき。

▲ もうじき6月やというのに、家の中はひんやりとして、いつまでも冬とあまり変わらない格好ですごしてる。せやからね、出かけるときは必ず上着1枚減らして、レッグウォーマーも外して(←あたりまえ)行くんやけど。ちょっと歩くともう汗ばんで、明日こそ、もうちょっと薄着にしようと思うのであった。
街ゆくひとの夏服の爽やかさに思わず立ち止まり、振り返っては眺めてる。
すゞかけもそらもすがしき更衣』(石田波郷)
そんなわけで、たいてい買いもんの帰り道は ふうふう言うて、さっき通ってきた居酒屋の生ビールのポスターがちらちら浮んで「とりあえず生中(なまちゅう)!」なーんて注文するとこを夢想しながら(←我ながらあほらし・・)坂道をのぼってる。ああ、しんど。

▲この間 とあるインタビュー記事を読んでいたら「優勝劣敗」という熟語がでてきて、はっとする。見慣れぬこの言葉は、しかしその昔わたしが通った小学校校歌に出てきた忘れられない言葉。
壊されて久しいけど、小学校は古い木造のお寺みたいなものすごいりっぱな校舎で、とりわけその広ーい瓦屋根はすばらしくて。放課後ガッコ裏の山に登っては子ども心にもすごいなあと思ったものだったが。
校歌もまた古かったのである。
曲調も軍歌とか寮歌みたいで、歌詞は子どもにはまったく意味不明だった。わたしは入学前から姉3人に教えてもろたり、母と授業参観に着いて行ったりもして、何度も耳にはしてたけど。まるで外国語のように響いていたんだろうなと思う。

▲ いつやったか、姉たちと集まったとき、この歌の話になったものの誰一人正確には覚えてないことが判明(苦笑)
金峯の峰は雲を吐き 吉野の流れ岩をかむ 天地自然の活動は 千秋万古たゆみなし これぞ我等の教訓(おしえ)なる いざや学ばんもろともに
「くもをはく」も「いわをかむ」も、小学生には難しすぎ~「せんしゅうばんこ」なんていうのになると、わたしは「選手の番号」と、なんとなくゼッケンを想像していたんよね。姉たちも然り。みな自分の中のイメージに頼って歌ってたみたいで大笑い。
そういえば『野ばら』の歌詞を長いこと「野中のばら」ではなく「夜中のばら」だと思ってたという向田邦子さんの有名なエッセイがあったっけ。

▲さて、前述の「優勝劣敗」がでてくるのは二番目。これはもっと難易度が高くて。
世界の事物何ものか 日進月歩ならざらむ 我等優勝劣敗の 競争場裡にたたんもの いかでおくれを取るべきか いざや きたえん心身を
今これを書きながらも、こんな歌詞を意味もわからないで小学生が歌ってたんやなあ~と複雑な思い。調べてみたら小学校は明治のはじめに開校。この校歌は1917年(大正6年)に制定されたらしい。つまり第一次世界大戦(1914~1918)の間のことと知って、唸る。

▲ちなみに「優勝劣敗」とは「力の強い者が勝ち残り、劣っている者が負けること。特に生存競争で強者・適者が栄え弱者・不適応者が滅びること」(大辞泉)とあって、再び唸る。
記念文集を読むと、この難解な歌詞の校歌がなつかしいと書いてる昔の卒業生が何人もいてはって。わたしの祖父も父も、叔父叔母たちもみな、わたしが子どものときのように、やっぱり(意味もよくわからずに)無邪気に歌ってたんやろなあと思う。

▲ところが、六年のとき学校は統合されて新しい校歌が誕生するんよね。(よかったぁ・・)
こんどの歌は曲調もまったくちがって歌詞もまた 竹中郁さんによる明るい歌だった。それで、統合された三校合同の校歌発表会で六年生が合奏することになって。
わたしは「おはよう、みんな~はげもう、みんな~」というところがすきで、ガッコ帰りに友だちと歌ったり、家でも何度も自分のパート練習したことを思い出す。発表会のあともしばらくピアノで弾いたり歌ったりしてたんやけど。
それでも六年生の一年間だけのことやったからか、いま覚えてるのは「おはよう、みんな~」のとこだけなんよね。ほんま、記憶ってどうなってるんやろなあ。
ユウショウレッパイの方はいっこも忘れてへんのに。




*追記 相変わらず長くてすまんです。

その1)
この間ふとカレンダーみてびっくり。25日で、パン屋やめてここ大阪に越して10年。わあ、もう10年にもなるのか~考えてみたら引っ越してきたとき、わたしはまだ40代だったんよね~(最後の年とはいえ)
「パン屋のおばちゃんから、ただのおばちゃんになります」・・なぁんて書きながら、なんか、ずっとすわりの悪さの中にいて。"Who am I ?" をくりかえしてた。夢中で小説を書いた、書こうとした時間もあった。(←過去形にしてええんか?・・)義母のことにいっしょうけんめいやった時もあった。子離れにあえいだときもあった。そんなこんなの うろうろ落ち着かん10年やったけど。どの時間もなかなかええ時間やったなと思う。何より、どこに在っても
いつも温かい隣人と友にめぐりあえて。そしてこの10年間ネットを通してであった人たち。じっさいに会えた人も、まだ会えないままの人も。世界ひろがりました。おおきにです。
さて、来年は暦がひとまわりの年。おばちゃんは、どんな道歩いてゆくんやろ~。

その2)
例によって書きそびれた本のこと。
絵本
『古くて新しい椅子~ イタリアの家具のしゅうりの話』
(中嶋浩郎 文/ パオラ・ボルドリーニ 絵/ 福音館書店)
イタリア・フィレンツェに住む10さいのマルコは、身長が伸びてきてこれまで使ってた机が小さくなります。
お父さんは、家にマルコにピッタリの机があるよ~とものおきにマルコを連れて行き、こわれた時計やおもちゃや埃をかぶったテーブルの中から、古い机と椅子をみつけ運び出します。椅子にはってあるワラはボロボロ。机の引き出しもひとつ足りないし、足は欠けてるのもあって。もちろん塗装もすっかりはげています。
お父さんは家具修理の職人パオロさんのところをたずねます。

さあ、そこで机は(読者が想像通りに)よみがえるわけですが、こんなだろうなとその過程を想像するのと、見るのとは大違い。もちろんわたしら読者は直接見ることはできないんだけど。
伝えられた、伝えられてゆく技術に、ひとつひとつの行程に目を見張ります。
そうか~椅子のワラはこんな張り方をするんだ~ 引き出しの把手は(これは金具職人のランベルドさんちに持ち込まれるのですが)こんなふうに作られるんだ~と、その「再生」のさまは感動的です。

椅子やないけど、姉にもらった麻のスーツ(20年近く前のもの)の上着が小さくなった(いえ、わたしが大きくなった!)のと、デザインがちょっと古くなったので、この間リフォームやさんに持って行きました。ここでは古いけど大事にまだまだ着たい服をなんども再生してもらっています。いつもながら丁寧な仕事で、ジャケットは生まれ変わり。感嘆。こういう腕をもつひとに、不器用を絵に描いたようなわたしはしんそこ憧れます。すごいなあ。すごいなあ~と思いながら、うれしくて、袋いれてもらうの断って、ちょっと暑かったけど(苦笑)着て帰りました。

その3)
今回書いた校歌のことを考えるきっかけは「蛍の光」の三番以降の歌詞を知ったこと。→wiki 「歌は世につれ世は歌につれ」っていうけれど。
かんたんには、つれられていったらあかん、と思う。

その4)
詩の意味、ということで、前に書いた「朗読」のことを思い出しました。 ↓ブログ最後のほう、辺見庸氏『永遠の不服従のために』の辺りから読んでみてください。

その5)
今日は繰り返しこの歌聴いて、ちょっとセンチメンタルな時間。
Over The Rhine - All My Favorite People
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# by bacuminnote | 2014-05-28 20:39 | 音楽 | Comments(0)

五月はえんそく。

▲ その日は朝から薄暗くてひんやり。ごみ出しに行って、ご近所さんに「お昼からは雨降るみたいやよ~」と聞いて「ほな、今から」と思い立って出かけることにした(笑)
閑人なんやから、わざわざ雨の降りそうな日に行かんでも~という声が聞こえてきそうやけど。
予定とか約束とか苦手なほうやから 朝起きて気分がよくてお昼に食べるもんが何かある日(昼の支度せんでもええ日)1人ふらっと出かける~というのが気楽ですき。でも、そんなんやから行き先は近所。つまり、例によって「あそこ」ってことになるんやけどね。

▲ 今回の目的はみんぱく(民族博物館)やなくて 大阪日本民芸館。ちょうど割引券もあったし、折りたたみ傘とクラッカーと白湯(←この日はお茶沸かす時間がなくて!珈琲淹れたのこりのお湯があったのを・・・苦笑)もって、出発。
わたしのイメージでは平日やし、今にも降り出しそうな曇り空、人も少なくてしずかな万博公園~やったんよね。でも、家を出て駅に着いた地点で読みが甘かったことに気づく。そう。5月は「えんそく」の季節であった。

▲ 電車の中でも、駅下りてからも、いくつもの子どもの団体さんに会う。黙ってる子はおらんのか?というくらい皆口々になんかしゃべったり叫んだりしてる。
そんな小学生に囲まれるようにして、ぞろぞろ駅の坂をくだる。その昔はいつも人がいっぱい並んでた遊園地前~閉園の後は農園?になり、いまはそれもなくなり更地になってひっそり閑として。
売店の前を通ると、ソフトクリームの看板に子どもらはお決まりのセリフを大きな声で言う。「センセ。アイス買(こ)うてー」。ここ、帰り通るときには、水筒も空になって「センセー。ジュース買うて~なぁ」に変わるとこでもある(笑)
今にも走りだしそうに、うれしいてたまらん、という子や、つまらんそうに たらたら歩いてる子。うるさい男子におこってる女子。そんな弾けるような若い空気(ちょっと若すぎるけど)を吸うてたい気もしたけど、だんだん耳がきんきんするので、コースからはずれるおばちゃん。

▲ とはいえ、入園するや幼稚園、保育園、小学校、それから中高年各種小団体さんやら結構な人出。それでもそれ以上に公園は広いから、みなさんあちこちに散らばってゆく。
そうそう、この時期はバラ園の季節でもあった。色とりどりの薔薇の間、写真撮ってはる方の間をぬって歩く。パークロイヤル、フラワーガール、マスケラードにペール・ギュント、ゾリナに天津乙女。毎年のことながら、薔薇のなまえはおもしろい。

▲ふと、バラ園の前のモニュメントで足が止まる。何べんも来てるのに、こんなのがあることすら気にもとめてなかったんよね。寄附した団体の名前と「平和を求める人類とその平和の為にこれを捧ぐ」とあって、聖書から一節が(イザヤ書2章4節)引かれ刻まれて。
こうして彼らは そのつるぎを打ちとかし、 すきとし、 国は国にむかって つるぎをあげず 彼らはもはや戦いの ことを学ばない』(英文も別の面に→”And they shall beat their swords, into plowshares, nation shall not lift up swords against nation, neither shall they learn war anymore.”)
兵器を農具に~というこの話をノートにメモしながら、いまやったら剣を打ち溶かしてる間に、だれかがまた新しい兵器作って売りに来るような世界やなあ、と思ってしまう。

▲ さて、ようやく民芸館に。
ここはいつ来てもひっそりしてる。この日もわたし一人だった。係員さんに「どうぞごゆっくり」と言うてもろて、そのとおりゆっくりと鑑賞。
特別展『インドの染織と絵』は3月8日から始まってるので、前から気にはなっていたんだけど、インドの染織というたら「あんな感じ」やろなあ~などと自身の安直なイメージで「まあええか」的に思ってた。
チラシの冒頭に柳宗悦氏のことば「工藝にはそれぞれの故郷があるではないか。異なる種類や変化やその味わいには、異なる故郷が産むのである」(『工藝への道』)が紹介されており。インドいうてもその広い国土には自然環境も宗教も民族も慣習も文化のちがいを持つ人たちが暮らしているわけで。「あんな感じ」などと簡単に括れるものではなく、じつに多様で、その細かな手仕事で描かれる素朴なくらしぶりにじーんとくる。
何より。頭の中で「思うてる」のと、実際足をはこんで「観る」のとではちがうよね。来てよかった。

▲サリーもフルカリ(インド北部の「フル=花」「カリ=仕事、刺繍」の意味を持つ布。女性の被布)もすばらしかったけど、わたしが惹かれたのはカンタと呼ばれる刺し子。日本のそれと同じように使い古した布にべつの布を重ねて、補強のために縫って、身近な動物や花をモチーフに刺繍してるんよね。これが物語のようで、絵本読んでるみたいで、あれこれ想像しつつ長いこと眺めてた。
ワルリ族の描くワルリ画というのも絵のモチーフがたのしかった。絵の具は白一色。あとで学芸員さんに質問したら昔は米粉を溶いたものを使って、祈願をこめて家の中の壁に描いたそうで。生活の中に、いのりと共にある絵画、というのがいいなあと思った。
ゆっくり鑑賞後は、砂漠地帯でミラー刺繍(鏡を縫い込んだ刺繍)をするラバーリーの女性たちのビデオを見て、その細かな手仕事と美しさにうっとりしながらも、女の子たちが早くに結婚する(させられる)ことや、急速なインドの社会変化のことなどいろいろ考えながら、席を立ったら、若いひとがサリーの前でじっと見入ってる。よかった。こんなええとこに、わたし一人きりでは もったいなさすぎます。

▲帰リ道、ぽつりぽつり雨が降り始めた。
さすがに(わたしにしたら限度越えの一万歩)足がちょっと痛かったけど、わずらわしいマスク(花粉症)も外して、緑緑緑の道をゆっくり歩く。途中「この木はなんでしょう?」というプレートがあって。前来たときもここで立ち止まって「正解」を見たんやったなあ~と思い出しながら、木や葉っぱをみて「あ、サンシュユ(山茱萸)!」と声だして返答。プレートを開けると「さんしゅゆ」とあって「正解~」と自分で言うとく。(笑・・あほらし。前も書いたようにウチの庭にもあるのです)
あ、そういうたら、この雨で遠足組はどないしてるんやろなあ?と思いながら、わたしの楽しい「えんそく」は空腹と(クラッカー食べそびれて)足ひきずっての帰り道となった。センセ、アイス買うてーな。


*追記  今回は(も?)長いですがぜひ。

その1)
家に帰ってから、例の聖書のことばをネットで調べてみました。
このイザヤ書2章4節は、宗教や文化を超えて世界平和の理想を表す言葉としてよく知られ、NYの国連本部前にもこの句に基いたモニュメントが置かれているのだそうです。
たまたまみつけたキリスト教会(札幌北部教会)のHPの中で「剣を鋤に、槍を鎌に」という題でイザヤ書のことと、憲法制定後文部省がつくった教科書『あたらしい憲法のはなし』の一節を紹介していました。

そういえば、この本の「六 戰爭の放棄」の絵は大きな釜で軍用機を燃やして、そこから電車や船や消防車が出てきて、まさに「剣を打ちとかし 鋤とし」です。
青空文庫やその他のところでも全文読めますので、今こそ、ぜひ。→青空文庫
以下すこし長くなりますが「六 戰爭の放棄」から引用してみます。

(略)そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戰爭をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戰爭をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
 
もう一つは、よその國と爭いごとがおこったとき、けっして戰爭によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。また、戰爭とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戰爭の放棄というのです。そうしてよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。
みなさん、あのおそろしい戰爭が、二度とおこらないように、また戰爭を二度とおこさないようにいたしましょう。
】 『あたらしい憲法のはなし 文部省』~六 戰爭の放棄~ より抜粋


その2)
今回紹介しそびれた本 『ヨハネスブルクへの旅』(ビヴァリー・ナイドゥ作 もりうちすみこ訳 橋本礼奈画 さ・え・ら書房008年刊)
作者は1943年イギリス領南アフリカ連邦に生まれます。白人家庭に育って、黒人の召し使いが、子どもをもつ母親でありながら家族と離れて暮らしてることにも 疑問を持たずにすごしてきたそうです。
大学に入って差別の実態に気づき、反アパルトヘイト運動に。1964年に56日独房に監禁されたそうです。

この本が南アフリカで出版禁止になったことに怒った11才の少女が、著者に送ったという手紙が訳者あとがきに紹介されていました。
わたしたち子どもだって、この世界でおこっているほんとうのことを学びたい。どうして、それを制限するのでしょう?わたしたちが早く知れば知るほど、わたしたちは知性的な強い人間になる。それが、この世界を平和にする方法なのに

子どもの本で文字も大きくてすぐに読めるけど、内容は重く深いです。表紙の絵がとてもいいです。こちらもぜひ。


その3)
Sweet Sweet Moon のなが~いタイトル
"I See Things That You Don´t See And That Is Blue, Blue, Black And Dylan"
これ何バージョンかyou tubeにアップされてるのですが、これは彼らの演奏をスカイプでみてる各地のファンの顔が。めちゃ楽しい。皆ええ顔~ていうか、音楽はひとのきもちをつなぐよね~ →
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# by bacuminnote | 2014-05-18 16:33 | 音楽 | Comments(0)

あんたのいらんもん。

▲ 今日は朝起きたときからひんやりして、家の中では寒いくらいだったので薄いセーターで出かけたら、暑いナンのって。せやからね、向こうから歩いてくる若い子の白い半袖シャツがなんともまぶしくて、清々しくて。思わず振り返って眺めてしまった。
ビジネスマンも腕に上着をかけて歩いてる。赤ちゃんはぷくぷくの足をベビーカーのバーにどーんと のせて昼寝の国のひと。歩道のほぼ真ん中で日傘さしながら立ち話も長いおばちゃんたち。木陰のベンチで遅いお昼ごはん食べてはる作業服の若い子。隣のベンチは本を読むひと。
空の青も、雲の白も、樹々の緑も、あちこちで咲きほこる花たちも。そして、うっとうしいマスクも(花粉症なり)。ああ、春やね。
「しゃぼん玉 尼僧の列を 乱しけり」(土肥あき子句集『鯨が海を選んだ日』所収)

▲ この間『トラブゾン狂騒曲』というドキュメンタリー映画を(DVD)観た。監督は在ドイツ、トルコ系移民二世のファティン・アキン。このひとの『そして、私たちは愛に帰る』や『ソウル・キッチン』がとてもよかったので、前知識もなく見始める。
副題の「小さな村のゴミ騒動」には、小さな村でのちょっとしたドタバタ騒動~みたいな、なんだかほのぼのした印象があるけど。まちがいなく“怒り”の映画だと思った。(←ほめことばです)

▲ 映画は最初に みどり、みどり、みどりの丘陵地帯を映す。これがほんまにすばらしくて。どこまで続くの~と思うくらいに緑(茶畑)にあふれてる。
このトラブゾン地方の村チャンブルヌはトルコの黒海沿岸にあり、監督の祖父母の故郷なのだそうな。監督は『そして、私たちは愛に帰る』の撮影時にこの美しい村を訪れ、ゴミ処理場建設の話を知って衝撃を受け、2007年~2012年まで5年かけて撮影したという。

▲で、そのゴミ処理場はチャンブルヌの銅鉱山の採掘場跡地に建設されることになり、地域の人は皆猛反対。すごいと思ったのは市長も環境安全基準を満たしていないこの計画には、建設許可を出さなかったこと。いや、それで当然なんだけど。そうでないことの方がわたしたちの国には多いから(苦笑!)毅然として反対の意見を言う市長におどろいた。けど、政府は市長を提訴。結局裁判で負けてしまって、仕方なしに許可を出すことになってしまう。

▲ 条例ではゴミ処理場の建設は住宅地から1km離れなければならない、となっているのに。設定の距離は1kmでも、ここに但し書きがついていて、丘陵・傾斜地その他の地形を含む場合は1kmより短い距離は許容されることになっており。こういうのって、ため息つくほどによくある話だけど、むこう側に都合よく、いくらでも「自由に解釈、操作」されてしまうんよね。まったく・・・。で、結局50mか100m以内にある家が「住宅地」という分類から外れ「柔軟な」法の解釈のおかげ?で建設は「合法的に」始まる。
ところが、この建設というのがものすごく杜撰で。こんなことでいいのか?と疑問を持ち抗議する人もいるんだけど。やがてゴミが捨てられ始めると、案の定ひどい悪臭。住民が臭いというと、芳香剤を噴霧~というその場かぎりの処置しかしなくて・・・こういうの、どっかで聞いたような話やよね。

▲ 現場の係員は抗議をうけて言う。「まあ徐々に収まるだろ」「なんとかなるだろう」
が、そのうち汚水は滲み出し、ある日大雨が降って、水はあふれて海へと流れていく。政府も施設側も「こんな大雨が降ることはこれまでなかった」「ここまでの雨は予測できなかった」という。視察の政府の役人たちはスーツ姿で現場に来て、遠巻きに処理場を見ながら鼻をハンカチで押さえるばかり。
それどころかゴミの山を見て知事は「これで海岸はきれいになったことだろう」「ゴミ廃棄場はどこかに必要なんだから」とうそぶく。
そういえば、昔、行った和歌山の山中にゴミ捨て場みたいになってる場所があり。そこに地域の方が立てはったのであろう立て札があった。その文句がふるっていていつまでも忘れられないでいる。
いわく「あんたのいらんもん、わしもいらん」

▲汚されたのは海だけではない、美しくみごとだった茶畑に、ゴミ処理場に集まるものすごい鳥の群れが糞を落としてゆくんよね。お茶が台無しだと憤る生産者。一方製茶工場では「だいじょうぶ。問題ない」とその茶葉を使う。
そして相変わらずの悪臭。住民は怒る。女たちが知事や役人に詰め寄る。たぶん、これまでのしずかで平和な生活にはなかったかもしれない「抗議する」という行為。

▲そうそう、子どもたちが施設見学に行って二酸化炭素排出のことメタンガスのことなど、質問する場面は拍手したい気分だった。しかし職員はそれに満足に答えられなかったんよね。「学ぶ」「知る」ことで、疑問は次々出てくる。
それに対して大人たちはごまかさず、誠意をもって応えなければ、と改めて。
終始 原発事故その後のことを重ね 唸り 考えながらの映画だった。原題は「Der Mull im Garten Eden」~エデンの園のゴミ。

*追記
その1)
ドイツ版予告編。日本版とちょっとちがいます。→

その2)
「そして、私たちは愛に帰る」予告編→

その3)
ひさしぶりに聴く。Portishead - Roads→
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# by bacuminnote | 2014-05-10 00:50 | 音楽 | Comments(0)

のんびり進んでいく。

▲ まだストーブも仕舞ってないし、冬物の洗濯も済んでないのに。カレンダーは「赤い字の続く」頃になった。もう1年の3分の1が過ぎた・・ってどっかに書いてあったけど。ほんまやねえ。早いなあ。
わたしは毎日が日曜日のようで水曜日のようやから(←とくに水曜に意味はない)GWもフツーの日なんだけど。桜が散って、みどりみどりの季節になって(すき)、立橋から見える「笑ふ山」に山育ちは おおいに笑ふ。
そういうたら子どものころ「本ばっかし読んでたら、眼によぅないから。せいだい山でも見ときや~」って(※せいだい→関西弁で ”精一杯”というような意味)おばあちゃんによく言われたけど。
ただ山々をぼぉーっと見るやなんて。子どもにそんな暇はなかったのである(笑)

▲ 人混みが苦手なので、今日の買い物は早いうちに、と出かけたら、スーパーもデパートもちょっと拍子抜けするほどガラガラで、さっさと用事すませて帰ってきたんだけど。帰り道、街路樹の下で高齢の女性二人が傍らに「ガラガラ」(←ショッピングカートのことをわたしらおばちゃんはこう呼ぶ)置いて、立ち話してはった。
「今日はもう温い、こえて暑いくらいですなあ」「ほんま。せやのに朝晩は冷えるし。何着てええんか わからしませんねえ」の あとは、何の話か、きゃっきゃ、声あげて若いコみたいに笑うてはる。
落ち葉の始末が大変やからと、ばっさり腕を落とされたかのようなゆりの木の、その短すぎて哀しくなる枝にも新緑は萌え、数少ない葉っぱが ひらひら風に揺れている。
「新緑やうつくしかりしひとの老」(日野草城)

▲ 家の近くのマンションにはまた引越しのトラックが何台か停まってた。新学期前のラッシュ状態が一旦落ち着いて、第二弾はこの連休やろか。
かくいうわたしらも、大阪に戻って今春で10年。引越しの大変さは もうこりごりと思うてるのに、今日みたいにええお天気でみどりの風ふく日は、ちょっとこころ動く。
いつの引越しのときも手伝ってくれた友人たちからは「もう(年取ってしんどいし)あかんで」と言われてるんやけど(苦笑)。それでも、前は時おり相方と「こんど引っ越すとしたらどこがええか?」なんて言うて、お魚のおいしいとこがええなあ。福岡やろか、いや、金沢も函館もええなあ。わたし街のかんじは京都がええわ~とか、勝手きままな話をしてたもんやけど。ここ数年は笑いながらのそんな話は出てこなくなった。
自分で望んだ引越しも。やむをえない引越しも。
みんな、新しい地でもたのしい出会いが待っていますように。

▲ このあいだ、その名も 『お引越し』(ひこ・田中 著 / 福音館書店刊)という本を読んだ。初版のときに読んで、そのうち相米慎二監督の映画『お引越』を観たので(そして、この印象がけっこう強く残っていて)その後再読したときも、いつのまにか脳内イメージが主人公のレンコは子役の田畑智子サンになってしまってた気がする。それでも、この本にはいろいろ楽しいしかけがあり(見開きにレンコの両親の婚姻届のコピーがあって、こういうの見たことのない子どもも大人も、制度としての結婚を考えるきかっけになる気がしたし。その日付がショーワならず元禄49年になってたり、文中に手書きの文字も挟み込まれてたり、というのも新しかったし)何よりわたしにとって、これまでの子どもの本とはちがう~大きなであいの一冊だった。
この福武書店版のあと講談社から文庫がでて、今回は福音館書店から。表紙も奈良美智の大きな眼の少女にかわり、11歳だったレンコと親友二人が35歳になって語る「あと話」というのも加わって、なんか初めての本にであったみたいにどきどきしながら、本を開いた。

▲最初のページには「今度、お家が二つになります。」と一行。
両親が離婚することになって、とうさんが家を出てゆくお引越しの日(そういえば、これもなぜか水曜日なのだった)から物語は始まる。わたしの持ってる本は初版発行の年の3刷だけど、たまたま初版発行のその日は息子1の10歳の誕生日で。主人公のレンコは11歳だったし、親の年齢は5つほど上やったものの、舞台は学生の頃すごした京都のまちでもあり、いろんなこと重ねては頷いて読んだんよね。
だから、今回は自分の24年分の加齢もあるし、物語をお母ちゃん(おばあちゃん?)的に「眺める」感じになるのかなあ~と思いきや、意外にも子どものレンコに一気に入ってしもた。

▲今更ながら、本(小説)というのはふしぎやなあと思う。
読んだときの年齢はもちろん、そのときの心情も相まって、同じ本読んでるのに、しかも時代背景やら言葉使いの流行やらは、確実に古くなってるはずやのに。わたしはいきなり11歳の女のコになって物語に参加してた。
で、本読んでいて、とつぜん思い出したんやけど。むかし、父のあまりの自己チューぶりに姉たちと「せまいアパートでもええから、お父ちゃんなんかほっといて、お母ちゃんと皆で家出しよう」と額よせあって話したことがあったんよね。
田舎のことで、アパートも見たことがなかったし、どんなものかも(とくに末っ子のわたしは)わからなかったはずやけど。旅館という全く「家」らしくないところで育ったから「狭いとこでみんな一緒」というのに何かぐっときて。姉たちの険しい顔をちらちら見上げながらも、わたしは遠足の相談してるみたいにワクワクしてた。

▲ レンコは一人っ子やから、そういう相談をする相手が家にはおらんわけで。
そのぶん親二人のことを一人で受け止めてる。せやからね、そのしっかりぶりが頼もしくもあり、時にちょっと切なくもある。けど、家出(姉妹会議だけに終わったが・・)を遠足みたいにおもってた間抜けな妹(←わたし)も、その後姉たちが進学で家を出て行って「青春を謳歌」してた頃、「二人」のことを小~中学生のわたし一人で受け止めて悶々としたりバクハツしたりすることになるんやけど。まあ、そんなことはともかくとして。
今回さいごにあった「あと話」を読んで、そんな子どもゆえの健気なとこも生真面目さも。自分勝手なとこも呑気なとこも。それから思春期のしんどいトンネルもなんとか通り抜けて、大人になった主人公と友だちのその後に、ほぉーっと長い息をついた。レンコも友だちも、それぞれ自分の道しっかり歩いてる。そういうたら、ウチの10歳やった息子も今夏34に~相変わらずいっこも何も言うてこーへんけど。みんな、ほんまに大きくなりました。

京阪電車は、とうさんのお引越しの日と反対方向に走ってるの。 
あれから私の背はあまりのびてないみたいで、やっぱりまだつり革には手が届かない。
成長期っていうのはのんびり進んでいるの。

(お家が二つになって、レンコが初めてとうさんのお家に行く日に。)


*追記
その1)
本文中に出てくる「とうさんのサンショじゃこ」が気になって、久しぶりに「山椒昆布」炊きました。実山椒は去年のをさっと塩ゆでして冷凍したもの。炊いてる間も、その後もしばらく家中にサンショと昆布のええにおいがして。
おいしかったぁ~(お弁当箱いっぱいこしらえたけど、もうない。おいしいもんは早うなくなるんよね・・)
ひこ・田中さんの本にはおいしいもんがよく出てきます。レストランで、というより台所で拵えるもの。せや、こんど"白葱の豚肉巻き"やってみよう。


その2)
そういえば、この頃映画のことを全然書いてへんなあ~と気づきました。相変わらず映画館には行けずDVDで観ることになるのですが、よく観ています。最近観たもの(レンタルショップでは「最新作」)をちょっと書いてみます。

『危険なプロット』←フランソワ・オゾン監督。なかなかおもしろかった!
『大統領の料理人』←『バベットの晩餐』もそうでしたが、女性の料理人のきびきび立ち働く姿かっこいいです。
『そして、父になる』←是枝監督。親子って何なんやろね。わたしは一緒にすごした「時間」がだいじって思う。

『わたしはロランス』←ロランスと恋人フレッド。30歳の誕生日にロランスは 自分のからだが(性を)間違って生まれてきた~と告白。そもそも性別って何?と思うし、考える(いまもずっと考えてる)。168分と長い作品でしたが、音楽もとてもよく、時間を感じませんでした。このことはゆっくり書きたいです。
どんな映画も予告編はいつも日本版と元のをさがして観るのですが。タイトルも含め「ちがい」がとても興味深いです。
日本版にはなかった場面→ある日、女性の服装で出勤したロランスに同僚が聞く"Is it a revolt?"
ロランスは応える"No, Sire...It's a revolution"

US版(英語字幕)予告編→ 
日本版公式サイト→

その3)
というわけで、今回は『わたしはロランス』で流れていたこれを聴きながら。
craig armstrong - let's go out tonight →
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# by bacuminnote | 2014-04-28 17:06 | 音楽 | Comments(0)

道問いて。

▲ 歩道橋で立ち話してはるお年寄りをよく見かけるようになった。
顔あわせて第一声は皆さん「ぬくなりましたなあ」~ちょっと前までこの橋の上は風がほんまに冷たくて。わたしなんか知った顔に会うても「こん・・・ほな・・」(←こんにちわ。今日も寒いねえ。ほなまたこんど~の略・・苦笑)と、おたがい口開けるのも寒い~というように早足で橋をわたってたんやけど。

▲今日みたいな ぽかぽか陽気の日には 長い橋のあちこちに老いも若きも「立ち話組」。
その横をぎこちないスーツ姿の新入社員の若い男女が茶封筒持って、忙しなく通りすぎてゆく。
春やなあ。

▲ もう何度も書いてるけど、わたしは道をたずねられることが多くて。前述のようなニューフェイスさんから年配の方まで。だいたいは家から駅に行く途中に声かけられるから、尋ねられる建物もその間にある会社のビルだったり、駅やその近くのホテルなんだけど。家に帰って相方に「今日も道聞かれてなあ・・」って報告すると「いやあ、その教え方では、その人わからへんかったんと ちゃうか~」とか言われて、がっかりする。(←いや、がっかりしてはるのは、わたしなんかに道聞いた人のほうかもしれんが・・)

▲10年も暮らしてる街とはいえ、なんせ方向おんちの道案内やからね。よくいえば教え方がていねいすぎる。悪くいえば、情報が多すぎて、要領を得ない、かんじんなとこがわかりにくいのかも、と自己分析の後ため息ひとつ。
せやからね、小沢昭一さんのこんな句にあうと、しんそこ救われたようなきもちになる。
道問いてわからぬもよし春一日(ひとひ)」(変哲)

▲ でも、言い訳するわけやないけど。
知らん人と接することのなくなったこんな世の中で、いまや道聞いたり教えたり、教えられてもわからへんかったり(苦笑)って(セールス以外で)数少ないコミュニケーションの場やよなあ、と思う。

▲このまえ読んだ『101年目の孤独』(高橋源一郎著 岩波書店~101は漢数字”一〇一”です))のまえがきに高橋氏が電車の中でみかけたエピソードが綴られていて。臨月に近い大きなお腹をしたお母さんが立ってるのが見えたけど(高橋氏は立ってはったみたい)座ってる乗客はみな、見て見ぬふりなのか、あるいは携帯電話の画面に夢中で気がつかなのか。がまんできんようになってタカハシさんが文句を言おうおしたとき、
その電車の隅っこの方に座っていた(たぶん)フランス人のバックパッカーが、ずっと遠くから走ってきて、そのお母さんに「スワッテクダサイ」といったのでした。

▲ と、まあ、「そんなニッポンという国でのお話」がこの本に収められている。
タカハシさんはいろんな場所を訪ね歩く。
ダウン症の子どもたちのアトリエ、身体障碍者だけの劇団『態変』、非電化工房、テストも宿題もクラスもない小学校。それからタカハシさんの故郷・尾道。そうそう、いわゆる「ラブドール」の製作所なんてとこにも行ってたなあ。番外はイギリスにある子どもホスピス、マーチン・ハウスへ。
あと「長いあとがき」には、原発に反対する運動をもう三十年も続けている山口県祝島のお年寄りたちのこと、福岡市にある「宅老所よりあい」を訪れたことを綴っている。

▲ところで、この本、装幀の感じも内容も氏のこれまでのイメージとちがう気がする。
初のルポルタージュということだけど、そもそも訪ねはったところもちょっと意外な感じがしたんだけど。読んでるうちに、そんなことはどうでもよくなって興味深く読み進めた。何よりそれぞれの場で、彼の視線のやさしいことに「タカハシさんって、けっこうええ人やなあ」と思うのだった。(一体どんなイメージ持ってたん?と言われそうやけど・・苦笑)

▲最後の章で、イギリスの「子どもホスピス」を訪れる前に、タカハシさんは ”わたしが、マーチン・ハウスという「子どもホスピス」行きたいと思った理由 ”という一文を寄せている。ここでくわしく書くのはやめるけど(道案内のごとく説明しずぎはあかんみたいやし・・)息子さんがまだ小さかったときにかかった大きな病気が契機のようだ。「この経験はわたしを変えたように思う」とあって、ああ、そうだったのかと深く頷く。

▲ 自分のだいじな人、ましてやそれが小さい子であれば尚更のこと、重い病気や怪我をしたら、息が詰まるような心配や苦悩。それゆえに「生きている」ことへの思いやよろこびもまた。それはタカハシさんが言わはるように ひとを「変える」と、わたしも思う。
「弱い」といわれる人のこと、いや、そもそも「弱い」って何なんやろ~と本を読んでる間ずっと考えていた。

▲ 今日ネットニュースで「国土交通省の協議会が三月、電車内などでベビーカーを畳まなくてもよいとする共通ルールを決めたことを受け、鉄道各社が対応の検討を始めている。」(東京新聞web)って書いてあったけど。そんなこと、わざわざ共通ルールにしないと、赤ちゃん連れと他の乗客はうまくいかんのか、と暗澹たる気持ちになった。
いや、それくらい都会の人たちはみな仕事と時間に追われて、他人のことを思う余裕をなくしているのかもしれない。

▲そういえば、友人が若いころ暮らしたオーストラリアで、上の子の手を引きながら下の子のベビーカーを押していて、バスや電車や、いろんなところで、自分一人でベビーカーを持ち上げたことがなかった~と話してくれたことがある。
親子を見るなり、何も言わなくても周囲の人たちがごく自然に集まって来て、手を貸してくれたそうで。「それがね、ちっちゃい男の子までさぁーっと走って来てくれるのよ」と友人はうれしそうにわらう。その国の人にも、よその国から来た人にも、困ってる人に差し伸べられる手。わたしも話を聞きながらしあわせなきもちになった。

▲ 「ところが、ね」と彼女の声のトーンが低くなる。「日本に帰ってきたら、みんな知らん顔だった」・・・やっぱり。そういうことやったんか~幼い子どもさえも、だれかの手助けをしているという小さな誇りとよろこびの画面がいっぺんに真っ暗になったようだった。
当たり前に助けあってる姿を見て育つ子どもが大人になって、自然に「行動」できるようになるのだとしたら、大人たちがみな知らん顔の中で育った子どもはどんな大人になるのだろう。

《ゆっくりと坂を下りてゆく社会がある。ほんとうは、わたしたちが生きているこの国全体が、そうやって「下りて」いるのかもしれない。けれども、わたしたちは、その事実を認めようとはせず、いまも、かつての「経済成長」の夢を見ようとしている。まだ「上へ」行けるのだ、と考えようとしている。》

《「弱い人」をその中に包み込むことのできない共同体がいちばん「弱い」のだ。》


(『一◯一年目の孤独』~「長いあとがき」より)



*追記

その1)
本文中『電気の哲学者』として紹介されている「非電化工房」の藤村靖之さんは、かつて企業人として活躍していた頃、取得した特許は七百件くらい会って、重役や取締役並みの高給。世の中も「高度成長」の真っ只中。氏もまた得意の絶頂やったそうな。で、そんな藤村さんの大きな転機のきっかけは息子さんのぜんそく、だったとか。

よし、これでわかった。環境と子どもの安全と、心の豊かさ、この三つを犠牲にして高度成長と物質的な豊かさは成り立ってきたんだ。つまり、こっちを下げて、あっちを上げてきたのか。じゃあ、いままでしてきたことの罪滅ぼしに、こっちを上げることを、環境と子どもの安全と心の豊かさ、それだけをやろうと思った。それで会社に、明日からテーマを変える、と宣言したら、もののみごとに、そんな寝ぼけたことはどうでもいい、いままで通りでいいじゃないか、儲けることをやってくれって、いわれたんです。1983年のことでした。

その2)
水道の民営化のニュースを苦々しい思いで見ながら、以前観た『ザ・ウォーター・ウォー』という映画を思い出しています。欧米企業の水道事業の独占によって、水道代が200%に値上がりした、ボリビアの「コチャバンバ水紛争」(wiki→)を元にした作品。この映画のことは去年ここにも書きました。文中予告編へのリンクもあるので見てみてください。

その3)
なんだかしんどい話がつづきましたが。
赤ちゃんとベビーカーというたら、すきな一句を。(「昼寝」は夏の季語やそうですが)
ちらと笑む赤子の昼寝通り雨』(秋元不死男)


その4)
今日はこれを聴きながら(前にも貼った気がするけど)~
JUNE TABOR - Waiting For The Lark

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# by bacuminnote | 2014-04-17 13:09 | 音楽 | Comments(0)

机の前に。

▲ 朝早く携帯のメール着信音で目が覚めた。
寝ぼけ眼で目覚まし時計を見たら、アラームが鳴る4分前。このちょっとが眠いんよね~
けど、差出人は今日退院することになっている友だち。早朝からそわそわしてる姿が目の前に浮かんでくるから。「こんな朝早うに何やねん?」な気持ち(苦笑)が一気に飛んで、頬がゆるむ。

▲ 曰く、昨日はホスピタルパークの最後の散歩したこと。昨日も今朝も6時すぎに病棟の14Fに上がりモーニングコーヒー。それなりにたのしい「別荘生活」やったけど「早く机の前に戻りたい!!」とあって鼻の奥がつーんとする。
「食っちゃ、寝て、散歩~の別荘暮らしみたい」と入院中はさかんに言うてたんやけどね。戻りたい場所は “やっぱり「机の前に」というキミがすき”~なぁんて、まるで告ってる中学生みたいな(笑)はずかしいメールを返してたら、アラームの電子音が鳴ってドキッ。
風はつめたいけれど。昨夜の雨もあがって、お陽ぃさんが差し始めて。うれしいええ朝に、わたしもいま机の前にすわってこれ書いている。

▲ この間『私が学校に行かなかったあの年』(ジゼル・ポター絵と文/おがわえつこ訳/せーら出版2004年刊)という絵本を読んだ。手にするのは何回目だろう。タイトルもさることながら、この人の絵には、いつもなんか呼びとめられる。原題は ”The Year I Didn’t Go to School”
フィレンツェ、スポレート、アッシジ、ローマと、7歳のアメリカの少女がまる1年学校へ行かず、両親と妹の家族4人だけの人形劇団(このなまえが「ミスティック・紙のもうじゅう座」っていうのだった。おもしろい!)でイタリアを巡業した思い出を綴っている。絵本の帯のことば「できごとは 忘れないように ぜーんぶ 日記に つけた」というのは著者のことばかな。

▲ 主人公の「わたし」はアリスとフラー(祖母と祖父のことを名前で呼んでるんよね)と別れることが悲しい。空港でおどけて踊ってみせるフラー(このおじいちゃん、おもしろくてやさしくて。なんか小沢昭一さんみたい)だったけど、「わたしは 下をむいて 自分のくつを みつめたまま、のどにつかえた 大きなかたまりを のみこんだ。だから、わたしが 旅で出るのを、こわがっているなんて、だれも気がつかなかったと思う。」無邪気に手をあげて二人にバイバイする妹とはちがって、後ろを振り返ることのできない「わたし」の姿(絵)が、かわいくて、せつない。

▲ やがて、これまで かいだことのないにおいでいっぱいの外国のまちに着いて。巡業用に買った古いトラックに旅行トランクをつみこんで一家の旅が始まる。ショウをおこなう許可をもらえなくて、やむをえず離れた町や、サーカスの人たちと一緒の宿舎の夜。
そうそう、劇には子どもたちも出演するんだけど、出番なのに寝てしまって泣きべその妹にかわって突然「わたし」が舞台にあがって、とんぼがえりをうってみせたこと。この日、お客さんが「あなたがたは、わたしがこれまでみたなかで、いちばんちいさくて、いちばんゆうかんな女優さんよ!」と褒めてくれたこと。

▲ショウが終わると、姉妹でお金を集める帽子をまわす。”グラーツィエ グラーツィエ”って、小さな姉妹はは小鳥がさえずるように、なんどもくりかえす。
そうやって、集まったコインを数えるとパパが言う「さあ、これで、たっぷり食べられるぞ」ってね。
みんなで出かけたレストランで紙のテーブルクロスに「わたし」は覚えたイタリア語と絵を描くんよね。
「イオ ソーノ ジッゼラ~わたしはジッゼラです」「リ スパゲッティ コン ブッロ~バターであえたスパゲッティ」「ウチェッリ~鳥」それから、ふたりの女の子の絵の横には「ドゥエ バンビーネ」って風に。

▲「わたし」は小さいときから絵を描くのが好きやったんやろね。本文中の絵は大人になった著者が描いてるけど、本の見返しには当時の絵や文字や日記に貼り付けたきれいな包装紙やシールのコピーがあって、そのたのしいことといったら!
どこに行くにもペンや色えんぴつの入った筆箱持って、気に入った包装紙はシワをのばして、きっちり畳んでバッグにしまう女の子が浮かんでくる。
そういえば、その昔はきっとこんな女の子だったんやろなと思う朝のメールの友人が、このあいだ病院からスケッチブックの1ページやぶいて切手貼った ”絵のたより”を送ってきてくれたんよね。

▲ さて、一年がたち一家はまたイタリアにもどってくるんだけど、その前の夜~「わたし」はなかなか寝付けない。毎朝まどの外にちがうけしきがあることや、あたらしいにおいをかぐこと、ジェラートを食べられなくなると思うと、さびしくて。
そして「これからもどっていかねばならない学校は、かぎりなくとおく、たいくつで、しんどく思えた。けれど、アリスとフラーにあうことは、まちきれなかった。
この場面は本のタイトルにもある「学校」ってことばが唯一でてきたところ。もの思うてる「わたし」にはもうしわけないけど笑ってしまった。そっか~せやろね。この子にとってイタリアでの時間は「学校」ですごすより、うんと刺激的で、自分もりっぱに「紙のもうじゅう座」の座員で、いろんな人と、いろんな町と食べ物とにおいに会えて。そして家族がずっと一緒にすごした時間やから、ね。

▲飛行場には自分のことを忘れてしまってないかと心配だったフラーとアリスが出迎えてくれた。涙を浮かべながら、またへんてこなダンスを踊ってくれたフラー。アリスは「わたし」を、かたくだきしめてくれる。
いろんな家庭があって、いろんな仕事があって、子どもは小さければ小さいほど親の意向には逆らえず、ただ付いてゆくしかないんだけど。一年間、同じ年の子たちと一緒に学校に行けなかった「わたし」はかわいそうな子どもなんやろか。こたえはこの絵本のなかに、いや『私が学校に行かなかったあの年』という絵本そのものだと思う。

追記

その1)
ジゼル・ポターの絵で『子どもたちに自由を!』という絵本があります。これはトニ・モリソンとその息子スレイド・モリソン作、訳は長田弘~みすず書房の「詩人が贈る絵本シリーズ」の一冊。
表紙絵は原題”The Big Box”のとおり、三人の子どもたちが大きな箱から顔を出しています。この絵本の始まりは、トニ・モリソンの息子のスレイドが、学校で「あなたはじぶんの自由を大事にしていない」と注意されて傷ついたことだったそうです。「じぶんの自由」って何なのでしょう?こちらもぜひ。
あともう一冊『おばあちゃんのちょうちょ』もおすすめ→(バーバラ・M・ヨース文 ジゼル・ポター絵 ふくもとゆきこ訳BL出版)

その2)
学校といえば、昨日『世界の果ての通学路』という映画の予告編を観ました。
タイトル通り延々遠い道のりを歩いて、馬に乗って、毎日学校に通う4つの国の子どもたちのドキュメンタリー。朝、学校に行くとき「象に気をつけて」とお父さんに送られるケニアの兄妹。アトラス山脈の絶壁をゆくモロッコの女の子たち。アルゼンチンの兄妹は馬に乗ってパタゴニアの山々を。インドの男の子は足の不自由な子の車椅子を押しながら・・みなそれぞれ気の遠くなるような時間をかけて登校するんよね。スリリング!そしてみんなたくましく、かわいくて、ほんまにええ顔してる。

ただ、かんじんの本編をまだ観てないからわからないけど、こういう作品を観て、今この国で、通える環境にあるのに「行かない」ことは、わがままだとか贅沢だとか、という結論に単純に結びつける人がいるんじゃないかなと、気掛かりです。なぜちがうのか、どこがちがうのか、子どもにとってのしあわせとは。そもそも「学校」とは?・・たった2分足らずの予告編からでも、いろいろ考えこんでしまいました。
そんな中、公式HPにあるコメント欄に絵本作家の五味太郎さんふが、「らしい」コメントを寄せておられて、笑い、共感!

「通学」に意味がある。時間がかかるところに意義がある。簡単じゃダメだね。僕は800mに一時間かけていた。だから立派な人間になった。通う先の学校にはたいした価値はないものなのさ。あとでわかることだけど。』(五味太郎)

もうひとり『ソトコト』編集長の指出一正さんはこんなふうに語ってはる。
通学路はこんなにも輝いている!あたたかい家族のいる家と、未来へ続く学校のあいだ。僕らも彼らと一緒に歩いてみたい。通学路は直線じゃない。それは人生も一緒だ。子どもたちは家だけでなく、学校だけでもなく、こんなに輝く「学び場」をもっている!

私たちはどんな地球を子供たちに残してやれるだろうかとよく考える。だが、私たちは地球に、どんな子供たちを残していくのだろう』(ピエール・ラビ ~農業従事者であり、作家、思想家) ~映画公式HP より。

※MANMO.TV 多賀谷浩子さんの映画評→
4月12日より公開やそうです。観たいです。

その3)
子どもの声が聞こえる中しずかに始まるピアノ~ええかんじ。
Bill Evans‪-Children's Play Song‬
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# by bacuminnote | 2014-04-06 21:18 | 音楽 | Comments(0)

さんしゅゆのきいろ。

▲大きな雨音で目が覚めた。
窓の外が薄ぼんやりと明るいのを確かめて、目を瞑ってみたけど眠れへんかった。きのう読んだ本、姉と電話でしゃべったこと、ホスピタルパーク歩くのが日課っていうあの人はがっかりしてるんやろなあ~とか。とりとめもなくあれやこれや思っていたら、それでもいつのまにか寝入っており。ふたたび雨音で目が覚めて、いちにのさんで起き上がった。

▲今日は洗濯日やのに。(洗濯はキホン二日に一回)「昨日はあんなにええ天気やったのになあ」と溜息つきながら庭の洗濯干し器を家の中に移動。
すっかりはだかんぼうになった梅の木にかわって、いつのまにか山茱萸(サンシュユ←恥しながらこの間まで知らんかった)のひかえめな黄色が雨の中、なんだかいとおしい。
あと一週間で4月やのに、ストーブと膝掛けの朝。外はつめたい雨ふりつづく。

『さようなら、オレンジ』(岩城けい/ 筑摩書房)という本を読んだ。ずいぶん前に図書館に予約してたもののなかなか来なくて、そのうち何故読みたかったのかも忘れてしまってた。だから、図書館のカウンターで手渡されたとき、オレンジ色のその装幀がちょっと好みやなかったので(すみません)なんでリクエストしたんかなあと思いながらバッグに入れた。

▲図書館のあと買い物をして、家に帰って、買ってきたものを冷蔵庫に入れて、洗濯物かたづけて。お米研いで、菜っ葉ゆがく大鍋にお湯沸かしながら、台所の丸い小さい椅子にすわってワインと相方の焼いたグラハム一切れかじり。「せやせや。あれがあった」と件の本を出して読み始めたんだけど。

▲ とまらなくなった。
日本人が書いた本だけど、舞台が外国ということもあって翻訳小説のようでもあり、映画を観ているようでもあり、物語の中に引き込まれる。ぱっぱとご飯つくって(苦笑)かけこむように食べて、大急ぎで片付けて、またつづきを読んだ。

▲『さよなら、オレンジ』は、オーストラリア(と思われる)田舎町が舞台。「追い立てられるようにして」「新しいすみかを吟味しているひまはなく」「生きる、それがなによりも優先され」アフリカから一家でここにやってきた難民のサリマは、いつのまにか帰ってこなくなった夫にかわり女手ひとつ、言葉もわからない国で働き息子ふたりを育てている。

▲ 職場は夫が辞めたスーパーの肉や魚の加工部門。朝の三時前には家を出て、白い作業衣に血を染ませながらひたすら肉や魚を捌く。あるとき、捌き方の教育係が彼女にたずねる。朝三時前に歩いてスーパーにむかうあんたをだれが見送ってくれるんだい?と。
だれもいなかった。息子たちは同じ住宅に住む友だちに連れられて学校に行く。彼女は「お月さま、霧」と答える。そうしたらその人がこう言うんよね。

そうかい。ひとりじゃないんだね。よかった
サリマはだれかに「こんなにやさしい言葉をかけられたのは生まれて初めて」で。
だから、この教育係を喜ばせたい「この女の望み通りに上手にむだなく、すべてを捌いてみせたい」と思うようになる。

▲必要最低限の言葉は習得できたし、職場には同じように国を離れた仲間がいる。けれど、サリマはここの言葉を理解するために、仕事の合間に学校へ行くことを決心する。
難民や移民には無料で英語の勉強ができる、と移民局の人が言ってたのを覚えていたけれど。夫がいるときは「女はバカだ」と言い続けていたし、息子たちの宿題のノートを横目に質問しても「母さんは英語なんて読めないじゃないか」とはねつけられて。

▲でも「いままで知っている苦しみはおそらく、自分がいかに駄目な人間かと思い知ることだったけれど、そんな自分にいつまでも馴染めなかった」から。「この尖った言葉をきれいに捌いてやろう」とサリマは決心するのだった。(尖った言葉というのは、ブロック体で書かれた角張ったアルファベット)

▲初級も中級も上級もなくごちゃ混ぜの教室で、サリマは自分と同じく英語を母語としない人たちに会う。一人は地元の男性と結婚して30年になるイタリア人女性、もう一人は大学で研究をする夫と当地に来た日本人女性。この二人は「お金や時間で解決できないなにかを求めているように」見えたんよね。

▲実はこの本にはもうひとりの主人公がいて、それがこの日本人女性(サユリ)で。
サリマの物語のあいだにこのサユリが恩師ジョーンズ先生に宛てて近況をしらせる手紙が挟まれて、自身のことや、彼女の眼からみたクラスメイトの印象が描かれる。この辺りの小説の仕掛け(というのかな)に、ちょっと戸惑ったけど、ばらばらに見えたピースも集まってくるとその全貌が少しずつ見えてくる。

▲ 教室ではなかなか英語は上達しなかったサリマだったけど、家に持ち帰ってアルファベットの書き取りや単語の穴埋め問題を、息子たちにばかにされながら、夜遅くまでかかって解く。
慣れないことに骨を折りながらも、知らない事への恐怖が知ることの喜びにかわるのを夜の静けさのなかで味わった
そうして、ある日の夕方サリマはスパゲッティを茹でていて、袋に印刷された「調理方法」が目に入る。そう文字がちゃんと読めたのだ!サリマの飛び上がらんばかりに喜ぶ姿がうかぶようで胸がつまる。
この前ここに書いた故アリス・ソマーさんのことばを思い出す。「学んで知るということは、誰にも奪われない財産を蓄えること。

▲ さて、日本では大学も卒業し英語の「読み書き」のできるサユリと、母語は部族語で、アラビア語も習ったことはあるが、学校には満足に通えなかったサリマとは、語学における能力の差は大きく、やがてサユリはその能力ゆえに大学内にある英語クラスを勧められ、二人は会う機会をなくすんだけど。あるアクシデントがあって(これは書かないでおく)思いもかけず彼女がスーパーでサリマの下で働くことになる。

▲そうそう。だいじな人を忘れていた。サユリのアパートの階下に住むトラックの運転手。彼は上半身に刺青の迫力満点の大男なんだけど、サユリがなやまされるべつの部屋のドラマーの騒音に一喝してくれたのがきっかけで、頼まれごとをもちかけられる。階段に新聞紙ひろげて座って、そこで新聞を読んでほしい、って。「音読」はその後も続いて、あるときは別れた妻と暮らす息子が読んでいたという『シャーロットのおくりもの』を。大きなからだのくせに涙もろい彼は「俺の息子はこんないい本をひとりで読めるのか」と言うてチャプターごとに泣くんよね。

▲ ことばって何なんやろ。
この本を読んでる間も、いや、前からこの問いかけはずっとあるんだけど。日頃、あたりまえみたいに母語をつかい、いや日本語しか使えないから余計に、考えてるつもりがいつのまにか忘れてるし、日本で暮らしてるから忘れてたって何の支障もなく日常は過ぎてゆく。でも、自分の母国語や母語(母国語が母語とは限らないのだ・・)を意識せざるを得ない状況や環境にあったとき、その問いかけの意味はとてつもなく大きいし深い。本書最後にサユリが母語を「祖国からたったひとつだけ持ち出すことを許されたもの」と語っていてどきんとした。
この本が第29回太宰治賞受賞作品だと、あとになって知った。著者は「受賞のことば」をこんなふうに書いてはった。

これから先永く異邦人でいなければならないと知ってから、足下のおぼつかなさを庇いながら歩くたび、たえず靴の底に入った小石のように私を苛んだのは、日々、異国語に吸い上げられていく母語、私という人間の軸である日本語が瘦せ細っていくことでした。
 多民族、多文化を背景にさまざまな価値観が息づく国に住み、英語特有の論理的思考を大事にする語順や表現のなかに、実直さや明確さを掘り起こしていく楽しみを見つけつつも、静かな低音のように終始一貫して私を貫く言葉は、やはり日本語でしかありませんでした。そこには深い霧につつまれたような模索の時間があり、迷い、羨み、失望することを繰り返してきました。
」(全文はここで→

▲p160あまりの薄い本で天地の余白も大きくて、あっというまに読んでしまったけど、 書かれてることも問いかけられることも深くて、重層的で。その「構成」に至っては本を閉じてからも考えてて(いまも続行中)容量の小さな頭をなやますことになった。
そして今朝はもう一度読み返し始めたんだけど。いやいや、そんなリクツは横においやって。本を閉じてからもなお登場人物が自分のなかでいきいきと動きまわってる。ほんまええ本読みの時間で。
外国での暮らしの経験のある友だちや知人(現在暮らしてるひとたちも)のことを思いながら、彼女たちの話をあらためて聞きたくなった。


*追記

その1)
■は、母語についてあるいは、母語以外の言語で書かれた本のことを書いた拙ブログです。
ジャミル・シェイクリー
イーユン・リー
母語がちがうカップル『いつもふたりで―Happy Old Two』

その2)
ブログ書いてるあいだじゅう雨。これを聴きながら。今日はどこにも出なかった。
Svante Henryson (cello) - Ketil Björnstad (piano)
Reticence

その3)
文中に書けなかったんだけど、ていうか、書き過ぎたらまだ読んでないひとのたのしみが半減するかも、とやめたのですが。やっぱり、これは引いておきたいので書き加えることにします。
サユリがスーパーの生鮮食品加工の求人をみて店員に尋ねたとき、自分の「言葉遣いとアクセントを耳にして、嫌な笑い方」をされたことについて、ジョーンズ先生への手紙に書かれた一節。

英語がこれほどまでに権力をもった現状において、この巨大な言葉の怪物のまえに、国力も経済力も持たない言語はひれ伏します。しかしながら、二番目の言葉として習得される言語は必ず母語をひきずります。私たちが自分の母語が一番美しい言葉と信じきることができるのは、その表現がその国の文化や土壌から抽出されるからです。第一言語への絶対の信頼なしに、二番目の言葉を養うことはできません。そうして積み上げられた第二言語(私たちESLの学生にとっては英語)に、新しい表現や価値観が生まれてもよいのではないでしょうか。どんなにみっともなく映っても、あのような嫌な笑い方の報いを受けるべきではありません
(p77より抜粋)

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# by bacuminnote | 2014-03-26 16:17 | 音楽 | Comments(0)

バスの春。

▲ 今日は天気予報が外れてぽかぽか陽気の午後になったので、春物のコートを着て出かけたんだけど。まだまだ風はつめたかったなあ。それでも背筋伸ばして ぱかぱか大股で歩いてるうち、温もった頬にその風もここちよくて。あわてて飛び乗ったバスの暖房が暑いくらいだった。あんまり早足で歩いたせいで、思ってたのより一本早いのに乗ってしもたから、バスはすでに満員で、座るとこないまま出発。

▲乗降口の冷たいポールをつかんで、息上がったまま扉の外を見る。わあ~この位置から見る景色は新鮮。バスで立ってるのなんて久しぶりやしね。
そういうたら、中学生の頃は(←いきなりえらい昔話に飛ぶ)バス通学で、わたしの住んでたとこは ぎりぎりバス通学が認められている地域やったから。わたしが乗る頃にはすでに席は埋まってて、いつもガッコまで立ったまんま。
ガッコに着くまでの間すきな子が鞄持ってくれたとか、バスが揺れて肩や手が触れたとか、言うてどきどきしてたことが、このわたしにもあったんよね~あはは。かいらしかったなあ。可笑しいなあ、って一人笑ってるうちに(←あやしいおばちゃんだ)目的の停留所に着いた。

▲ ここの病院は大きくて、コンビニにカフェや食堂、うどん屋に郵便局、医学書書店に美容院に理容院まであって。患者さんも職員も見舞いの人もいっぱいいてはって、まるでひとつの街のよう。元気でいると忘れてしまってることを思ったりしつつ、目的地に着いてなお道に迷うわたし~(苦笑)
ようやく病室に到着すると「おお。来てくれたんか~」と手をあげる友人。はつらつ笑顔にこっちが元気づけられる。

▲「ちょうど散歩に出ようかと思ってたとこやし」というので、デイルームに移りコーヒーを飲む。大きな窓越しにぽかぽか陽ざし。家族が来てにぎやかなテーブルあり、テレビに映るくだんの記者会見を見ながらお菓子食べてる人、電話で病状の報告をしてる人、ひとり窓の外をずーっと見てる人。
パジャマを着てなかったら、いつもとかわらない友人と、やっぱりいつものように、真剣な話も冗談も混ぜこぜ~話は自由自在(笑)あっち行ったりこっち行ったり。笑うて笑うて「ほな、またな」とわかれた。

▲ 病院からでたら、外の寒いこと寒いこと。
帰りもうまい具合に発車前のバスが停まっていて飛び乗る。この間からの心配が少しづつ溶けて、肩のあたりの力が抜けてくのがわかる。「ああ、よかったよかった」とおばあさんみたいに独り言いいながらぼーっと窓の外を眺める。小さい子とママ、学生、おばちゃん(わたし)にお年寄り。車内はええかんじに空いてて、温くてのんびり空気。五七五と指折りながらいねむりしそうになる。「バスの春 ツギトマリマスと子が真似て」

▲ さて、駅に着いて、買い物前に図書館に寄る。リクエストしていた 『モーツアルトはおことわり』(マイケル・モーパーゴ作 / マイケル・フォアマン絵 / 岩崎書店刊)がとどいてた。さくまゆみこさん訳の本は迷わず手がのびる。原題は ”The Mozart Qustion”ブルーが基調のきれいな絵本だった。
家に帰って買ってきたもの冷蔵庫に入れ、洗濯物入れて、お米しかけて、菜っ葉茹でる鍋に湯を沸かし、丸椅子に腰かけてワインとパン一切れ(相方の焼くグラハムブレッド)かじって、本を開いてみる。

▲物語の語り手である「私」は現在作家のようで。彼女がまだ若く、新聞社に入って三週間しかたってない新米の記者時代のときの思いがけない仕事の話から始まる。
世界的なバイオリニストのパオロ・レヴィへのインタビューに 怪我した上司にかわって、ロンドンからヴェニスまで行くことになった「私」。一年以上も説得しつづけて、ようやくOKをもらったというインタビューに、上司は「モーツァルトの件についての質問だけはしない約束よ。だから、それはきかないでね。わかった?うっかりきくと、インタビューが中止になるわよ」なんて言うんだけど。「私」はどういう意味か聞き返すこともできないまま、どきどきしながらヴェニスに飛ぶことになる。

▲ レヴィ氏の家に着くと彼自身がミントティーをいれてくれる。「私」は前もって何頁にもわたってノートをとり、質問だって何十個も考えてきたのに、本人を前にして何をどう言っていいのかわからなくなり。つい「あの、モーツァルトの件についての質問はだめだと言われました。どうしてかは知りませんし、モーツァルトの件そのものが何かを知らないので、質問のしようもありません」なんて「言うべきでないと思ってることを、べらべらと口走って」しまうんよね。しかも、そのすぐ後に、バイオリンを弾くようになったきっかけを問うてしまう。プライベートな質問もNGって上司に言われてたのに。
不機嫌そうに目をつぶってしまうレヴィ氏。「出て行け!」と怒鳴られるかもと思ったのに、彼は「秘密は嘘と同じだと言う人もいる。とうとうその嘘をやめるときがきたようだな」と「私」に父親のことを語り始める。

▲ レヴィ氏が子どもの頃、お父さんは床屋だった。
でも、ほんとは素晴らしいバイオリニストだったことをお母さんから聞かされるんよね。けどお父さんがリズミカルに鋏を動かしてるとこは知ってても、バイオリンなんて弾いてるとこ見たこともないし、第一何故いまは弾かないのか、お母さんに聞いても涙を浮かべるばかりで教えてくれなくて。
何度も聞いてるうちに、とうとうお母さんはたんすの上にかくしてあったバイオリンを見せてくれる。楽器に魅入られた彼はある日の夜、窓の外から聞こえるバイオリンの音に惹きつけられて、パジャマのまま音のする橋のたもとに出ていくんよね。そして、そこでバイオリンを弾いているおじいさんバンジャマンに出会う。

▲ ここは、わたしがすきな場面。
その昔、ケベックに行ったとき宿で、夜が更けてからも窓の外、ストリートでだれかが演奏してる音楽が近く遠くにきこえてきて、パジャマ姿の息子と階下に降りて行ったときのことをふっと思い出した。
そうしたら、あとがきに著者がこの本を書いたきっかけのひとつに、ある晩ヴェニスの橋のたもとで、男の子が三輪車にまたがってパジャマ姿で、辻音楽士の演奏に聴き入ってたのに出会ったこと、と書いてはって。なんか映画のいち場面みたいなそのシーンが浮かんで、なんとも愛おしいきもちになる。

▲そうしてレヴィ氏はそのおじいさんと親しくなって、おじいさんにバイオリンを教えてもらうために家からバイオリンをこっそり持ちだす。やがて、子どもの秘密は両親の知るところとなり。
ある日、おじいさんと両親が顔を合わせることになるんだけど、なんと三人は昔ナチスの強制収容所のオーケストラで演奏させられていたバイオリニスト仲間だったことがわかる。
なぜ収容所で音楽が?というと、ナチスはまずは自分たちの楽しみのために、収容所の中から演奏できる者を選んで演奏会を開き、そのうち汽車が到着するところで演奏させるようになる。汽車から降りるユダヤ人の恐怖を和らげ、見せかけの安心感を与えるという目的で。三人やオーケストラの団員はこのとき、何度も何曲もモーツァルトを演奏させられたという。

▲この前、ここの追記(その4)に書いたピアニスト故アリス・ソマーさんもホロコーストの生還者で。本の三人のように楽団で演奏させられたのだけど。彼女のいた収容所ではナチスが諸外国に対して
「収容所は快適であり、中にいるユダヤ人は幸せに暮らしている」と見せるための場所だったそうな。

▲バイオリンを続けることになったレヴィ氏は、しかし父親が自分の前では「モーツァルトはおことわりだ」と言う約束を守っていたんだけどね。その父親も亡くなり、自分の五十歳の記念コンサートでは形見のバイオリンでモーツァルトを演奏するつもりだ、と「私」に語る。「あの三人がどこにいるにしろ、喜ぶような演奏にしたい」。それから、かつてあのおじいさん(バンジャマン)が演奏していたように「音楽は路上のもの」だとも。そうだ!と思わずわたしは本にむかって言う。音楽は、芸術は、自由だ。
だれからも強制されず、まして制限や禁止されることもない。路上の人~ひとりひとりのものだ。
最後の頁には船着場で上を見上げ手を振る「私」と、それに応えて二階の窓辺でバイオリンを抱え弓を持った手を高くあげるレヴィ氏が描かれている。画面いっぱいのブルーがとてもきれいで、染みる。


*追記
その1)
本のなかに出てきたモーツァルトのメヌエットひさしぶりに聴いてみる。この音楽が「そんなことに使われていた」と思うとたまらない。
Mozart - Divertimento No.17 In D Major, K 334 Menuetto


その2)
今回のタイトル~
バスの帰り道はこの歌口ずさみながら~
曽我部恵一「魔法のバスに乗って」
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# by bacuminnote | 2014-03-15 17:10 | 本をよむ | Comments(0)

「そらのみぢんに」

▲ 窓の外、いまにも降り出しそうな薄灰色の空に梅の紅がきれいな朝。
珈琲を飲みながら、相方とウチの梅は白いのと紅いの いつもどっちが先に花咲き始めるか、でモメる。(あほらしくてすみません)お互い自説を曲げないので話がおさまらず「それでは」と、このブログの過去記事を検索してみた。(←便利)

▲あった!2011.2.19の冒頭に「庭の梅も白いのは ほぼ満開で、紅いのは蕾が細い枝いっぱいについて、空の水色をバックにほんまにかいらしい。」と書いてある。
ん?つまり白いのが先(陽当たりがこっちの場所の方がいいらしい)ってことで、相方の説が正解とわかった。「いつも咲き始めたら、すぐに一輪挿しに生けてるからよう覚えてます!」なんてエラソーに言うてたひとは、ちょっとだけ声が小さくなる。

▲ ひょんなことから読み返した自分のブログだったけれど、そこには息子2の入試がぶじ終わったこと、義母のホームをたずねたこと、春を待ちながら日々のあれこれをよろこんだり、ふうとちっちゃなため息をついたり。なんてことのない日常が在って。

▲まさかあの大きな地震と原発事故が一ヶ月もたたない内に起きるなんて、思いもしていなかったし。あたりまえのように思っていたのどかな空気が、遠い日のことのようで、胸がつまるようだった。自然は人間の力の及ばないものだけど、原発はその人間が作ったものやから。再稼働なんて、輸出なんて。とんでもない。

▲ この間『死を想う われらも終には仏なり』(平凡社新書)という石牟礼道子:伊藤比呂美の対談集を読んだ。
2007年刊で、まだ伊藤比呂美さんには入院中で寝たきりのお母さん、自宅でひとり暮らしとなったお父さんがいてはって、カリフォルニア~熊本を行き来していた頃の対談だ。あとがきで伊藤さんはこんなふうに語る。

【親を見ていると、ふたりとも、格別死ぬということを考えているようには見えず、いつか死ぬだろうが、まあ今ではないというふうで、生きているのもつまらないが、死にたいわけではなく、死ぬに死ねず、死に方もわからない。】

【宙にぽっかり浮いているみたいに、日々をほそぼそ生きながらえて、どうもやはり、お迎えを待っているとしか思えないような生き方をしている。】

【自分のときは、ぜひもっと前向きに、死に取り組みたい。楽しく(というわけにはいかないだろうが)いそいそと死ねたらいい。それには、死というものについてもっと知らないといけない。死とはどういうものか。】

それで
【半生をかけて、死者を、病者を、書いてこられた石牟礼さんなら、ご自身の死えを見据えて、あけすけに語ってくださるのではないか】と対談の話をもちかけたらしい。

▲本書のさいしょの頁に対談中のお二人の写真があるんだけど、石牟礼さんのご病気(パーキンソン症候群)もあってか、声が届きやすいようにか、卓を挟んで向かい合うのでなく、すぐ真横に母娘みたいに 並んではるのがええなあと思った。
そしてつぎの頁~石牟礼さんはまえがきで「比呂美ちゃん」のことを

【彼女は家族たちを小脇にひっ抱え、デリケートな陽気さで、変容ただならぬ俗世に詩的なぐりこみをかけ、陣中突破をして来たかに見える】(p9)とあって。その「デリケートな陽気さ」という表現にじんとくる。

▲ 対談は老いと介護。病や家族、親しいひとの死、自死を考えたときのこと、戦時中のこと、『正信偈』(しょうしんげ)から『梁塵秘抄』(りょうじんひしょう)の歌の話へと繋がってゆく。
『梁塵秘抄』はかの「遊びをせんとや生まれけむ・・」がよく知られている平安末期の歌謡集。若いころそのリズムがすきでよく読んだけど、また読みたくなって物置から出してきた。

▲お経の「正信偈」の「偈(げ)」というのは歌(詩)だと石牟礼さん。むかし滋賀県で暮らしたころ、ご近所のお通夜の席にはいつも百軒近い字(あざ)の人等が集まって正信偈を読経したんだけど、そのとき長い詩をみんなで合唱してるような感じがしてたことを思い出した。

▲お経といえば、対談中 伊藤さんが『あやとりの記』(石牟礼道子著 福音館)を持参して、ここにおさめられているという石牟礼さんが創作したお経のような詩の話になるんよね。

【十方無量 じっぽうむーりょ
百千万億 ひゃくせんまんのく
世々塁刧 せーせーるいごう
深甚微妙 じんじんみーみょう
無明闇中 むーみょうあんちゅう

 流々草花 るーるーそーげ
 遠離一輪 おんりーいちりん
 莫明無明 ばくめいむーみょう
 未生億海 みーしょうおくかーいー】
 (『死を想う』p205第四章 いつかは浄土へ参るべき~より)

▲おもわず、くりかえし音読してしまう。「流々草花 」がきれいで哀し。
対談の最後のほうで伊藤さんに請われ 正信偈のようにこの詩を石牟礼さんが詠むところがあって。氏のやわらかな熊本弁まじりの声が聞こえてくるようで、しんとしたきもちになった。

▲二人とも「表現」においては激しく熱いものを持ってはるけど、やりとりは終始穏やかで。かと言うて交わされる話は、ときにどきんとするほど冷徹で深いんよね。お互いを思うしずかなやさしさを感じる。

▲そうして石牟礼さんから話を聞き出す伊藤比呂美(←突然よびすて・・苦笑)の「デリケートな陽気」にしみじみ。以前、講演を聴いたとき()にも思ったけど、「へんこ」のにおいはするものの(←ほめことば)ほんま やさしい人なんやろなあ。
なんかね、お茶碗もって隣に座ってお話を聞かせてもろてる気分で、話題はずっと「死」なんだけど。ふしぎにあかるい光のなか、途中いっしょに声もあげて「 るーるーそーげ」と言うたりしながら読み終えた。


*追記

その1)↑に書けなかったけど、心に残ってる一節。(p147より抜粋)

石牟礼 【生命って草木も含めて、あなたがよくおっしゃるけど、風土に満ち満ちている生命、カニの子供のようなものから、微生物のようなものから、潮が引いていくと遠浅の海岸に立てば、もうそういう小さな者たちの声が、ミシミシミシミシ遍満している気配がするでしょう。そういう生命ですね】

伊藤 【それに対して感じる気持ちは、畏れ?】

石牟礼 【畏れというか、融和しているというか、自分もその小さな生命の中の一つで……。宮沢賢治にありますね、「このからだそらのみぢんにちらばれ」(詩「春と修羅」)というのが。それと「宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう」(「農民芸術概論綱要」)というのにもありましたし。(以下略)】


その2)
この本が出てから、伊藤比呂美さんのお母さんもお父さんも亡くならはったそうで。
新刊『父の生きる』(未読です)帯のことば~

【父の悪いところばかり見えてくる。 しかしそれは父の本質ではなく本質は老いの裏に隠れているのだ。
父の本質は私を可愛がってくれて自分よりも大切に思ってくれて 私がたよりにしてきたおとうさんだ。】

その3)
60年前の今日は(これを書いてる3.1)アメリカがマーシャル諸島のビキニ環礁で水爆実験をした日。
遠洋マグロ漁船 第五福竜丸は多量の放射性降下物(死の灰)を浴びて、無線長の久保山愛吉さんはその半年後に亡くなる。
【「久保山さんのことを わすれない」と人々は いった。
 けれど わすれるのを じっとまっている ひとたちもいる。】

絵本『ここが家だ  ベン・シャーンの第五福竜丸』より(アーサー・ビナード文/ ベン・シャーン絵/集英社2006年刊)

その4)
ピアニスト、アリス・ソマーさん(先日110歳で亡くなられたそうです)のドキュメンタリー の予告編。
インタビューにあった言葉が忘れられません。
【学んで知るということは、誰にも奪われない財産を蓄えること】
Alice Herz Sommer - The Lady In Number 6

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# by bacuminnote | 2014-03-02 17:10 | 音楽 | Comments(2)

知ること。話すこと。

▲ ここ大阪でも真っ白な数日やったし、かの地はドカ雪やろうな・・と思っていたけど。いわゆる豪雪地帯でないところまで大雪だったそうで。ネットに次々寄せられる「地元情報」に、やがて多くの点が線となって被害の大きさが見え始めて。
はじめ自分が想像してたのより、もっと広い範囲の深刻な被害にことばをうしなう。日頃は元気な若い人でも、この厳寒期 大変な状況下で身動きがとれず消耗してはるやろう。ましてお年寄りや心身に持病のある人、治療や投薬の必要な人たちの不安はさぞかし、と思う。昨日からやっと国も動き始めたようだけど(遅すぎ!)どうぞ、どうか、みな怪我なく体調を崩すことなくぶじ救出されますように。
 
▲ 災害のニュースをみているといつも気になることがある。
それは救援物資のたべもの。昨日も「やっと届いた!」という、おにぎりや菓子パンの写真をみながら、ああ、よかったなあ、という安堵のきもちと、アレルギー患者の子ども(大人も)にも食べられるもの、あるのかなあ~という心配が入り交じる。
そういえば、子どもがちっちゃかった頃は、出先で食べるものが何もなかったときのために、いつもバッグにお茶とおにぎり(中になにも入れてないただの塩おむすび)や、さつま芋の焼いたんとか、何か「食べられるもの」を入れてたなあ、と思い出す。患者にとっては「自助の備え」も必要だけれど、それさえも失くすような災害時にはどうしたらええんやろと思う。

▲ 悲しくやりきれない給食での事故もあって、最近は、ときに命にかかわることもある食物アレルギーとその患者のことも少しは理解されるようになったけれど、まだまだ単なる好き嫌いや、贅沢、わがままみたいに思っている人も多く。ましてこういう緊急事態に行政の配慮は期待できるのか。
日本小児アレルギー学会では3.11の震災後『災害時のこどものアレルギー疾患対応パンフレット』を発行しているようで。→ここに「食物アレルギーのこどもたちへの配慮のお願い」という項目があって、「お世話される方々に」「周囲の方々に」「行政の方々に」それぞれに向けて配慮してほしいことが、たとえばこんなふうに書かれている。

たとえ貴重な支援食であっても、原因物質が含まれていれば患者は食べられませんので、周囲の方々への周知をお願いします。
配給や炊き出しをする側から、その都度「食物アレルギー患者はいませんか?」「アレルギーで食べられないものを教えてください」などと積極的に声がけをしてください。

▲どんなことでも「知って」対応するのと「知らない」で対応するのとでは、物心両面で大きな違いがあると思う。
おにぎりひとつでも海苔や昆布を巻かない、中に具を入れない、ただの塩むすびだったら食べられる子(人)も多いんよね。でも、なかなかコンビニでは売ってないし、災害時の配給食でも具のないおにぎりがなくて困った、というアレルギー患者の親の声を何回か目にした。
でも、なんかね、こういうことを言うたり、書いたりすると「めんどくさいなあ」って顔しはる人がいてるんやけど。そんで、若いときのわたしは、子どもが食物アレルギーで周囲に世話をかけることに「すんません」と思う気持ちがいつもあった。あ、もちろん配慮がうれしくて「ありがとう」のきもちはあるけど、くわえて「迷惑かけてごめんなさい」みたいな。

▲でも、そんなことでうじうじしてたら、命にかかわることもあるんやから、とあかんたれのええかっこしいの自分(苦笑)を奮い立たせて、保育園でも小学校でも担任や校長、保健室の先生、栄養士さん、給食の調理員さん(ウチの場合はキホン家からすべて持参していた。「鍋かこみ給食」なんていう小さい学校ならではの楽しい給食のときは事前に話し合って、みんなと一緒に鍋を囲んだ)やお母ちゃん友だちと、本を持って行ったり(園や保健室でも購入してくれはった)何度も何度も話した。そのうち、自分ですること、してほしいこと、がはっきり言えるようになった気がする。友だちはもちろんのこと、センセたちとも未だにええ感じにおつきあいが続けられるのは、みなさんのやさしさや誠実さもさることながら、そのころ 共に学んでたっぷり話した時間のおかげやなと思ってる。

▲病気にしろ、障碍にしろ、いや、身体のことだけでなく、家庭の事情にしろ、自分の身に何かあるとその問題について考えたり、専門家の意見を聞いたり、また本を読んで調べたり、知識も得て、問題はぐんと「近く」なるけれど。「知らない」うちは自分とは「関係ない」でスルーしてしまうことが多い気がする。
家族や友人、だいじな人が抱える問題や病気を知って、今まで「当たり前」と思ってたことが「たまたま」のこと、やったんやなあと思う。たしかに当事者でないとわからない痛みはあるけど、自分とはちがう他者との関わりは「知る」ことで、そのキョリを縮め、想像することはできると思う。
この前も書いた熊谷晋一郎さんの『リハビリの夜』のことばをもう一度。

そして、他者とのつながりがほどけ、ていねいに結びなおし、またほどけ、という反復を積み重ねるごとに、関係は細かく分節化され、深まっていく。それをわたしは発達と呼びたい。



*追記

その1)
熊本日日新聞(2005.9.22)に、こんな記事がありました。『災害時のアレルギー患者対応 自治体の認識まだまだ』→

『アレルギー支援ネットワーク』「アレルギっ子の災害対策」

その2)
今回は『本当はひどかった昔の日本 古典文学で知るしたたかな日本人』(大塚ひかり著 新潮社刊)の紹介をするつもりで書き始めたのですが。残念。例によってたどり着けませんでした(苦笑)
人間って昔も今も『放っておくと自己中心的で残酷な生き物』っていう作者のことばに大いに共感。そりゃ、便利を得るために捨てたものはめちゃいっぱいあって、そういう意味では「昔はよかった」になるのですが。
そのときはそのときで、後々の事を考えずに当時の「便利」に走ったかもしれず。
キホン、人間ってサイテイなのかもなあ、と痛感するこの頃です。でも、少しはええとこも、かいらしいとこもあるんよね~(と、信じたい)。
戦争や差別にむかわないためには、耳ざわりのええことばに騙されない、しっかり学ぶ、知る・・かなあ。
いろんなことを考えて、いつもいきつくのは教育なのですが。(学校だけでなく家庭や社会ぜんたいの)

この本の書評→『「昔はよかった」幻想の罪と罰』(稲泉連)『波』2014.2月号より


その3)
前々回『リハビリの夜』のことを紹介したら「図書館で借りて読んだ」「買いました」と、いろんな人から反応があり。うまく書けへんで落ち込んでたけど、本を何人かのひとたちにバトンタッチはできたんや~とうれしかったです。息子1の小学校のセンセ(とは呼ばずNちゃんって、みな呼んでたんだけど)は「ブログ読みました!」とひさしぶりに電話くれはってカンゲキ。現在は福祉施設の職員であるNちゃんが現場で思ってること、人との関わりのなかで思うことなど、本の話から始まっていっぱい。
まえにも書いた気がしますが、ウチの子は二人とも「学校に行ってない」時間が長いです。(このことはそのうちゆっくり書きたいと思って、早や幾年・・)
それでもなおセンセたちと、しかも子どもぬきで繋がってゆけるのっておもしろいなあと思う。それは子どものおかげ、センセのおかげ~というのもあるけど、↑にも書いたように、やっぱり一番はお互いに「よく話してきた」ことかな~と。

その4)
どうも追記がだらだら長くてすみません。
このまえTwitterのTLでジャニス・イアンの"at seventeen"にリンクはってくれた人がいて。すっかり歳とらはったジャニス・イアンの歌う「十七歳の頃」に聴きいりました。
その後、こんどは映画『十七歳』(フランソワ・オゾン監督)の予告編みたら、劇中フランソワ・アルディのうたが何曲か使われてると知りました。もはや十七歳からは、わすれてしまうほどうんと遠くに来てしもたけど。わすれることのないmy 十七歳のころ、ではあります。
このうた↓は映画で流れた曲ではないのですが、ひさしぶりに、やっぱり歳とらはった彼女の歌に、しみじみ。
Francoise Hardy- Pourquoi vous? 
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# by bacuminnote | 2014-02-18 15:34 | 音楽 | Comments(0)

なんども、なんどでも。

▲ 今年も誕生日がきて、この間ひとつ歳をとった。長年の癖で誕生日にはカレンダーに◯印付けておくんだけど。やっぱりアピール力なかったなあ(苦笑)。
それでも、近く遠く、女ともだちや姉たちからお祝いしてもらって。いつもは殺風景な玄関に、いまはお花がいっぱい咲いて。そこだけ春!
「歳とったら誕生日なんかどうでもええやろ?」と息子らは言うけど。いや、むしろ若いときより「おめでとう」と言うてもろぅて弾んでる気がする。

▲ そのくせ自分が主人公になる場っていうのが相変わらず苦手で。お花をかざりながら一人照れている。
旧友があらたまって「よくぞ生まれてくれました」なんてメッセージくれると、わあ。いまさら、なんちゅうはずかしことを~とか言いつつ、内心ちょっとじーんときてたりするんよね。
ほっとかれると拗ねるくせに、だいじにしてもらうとどっかに隠れたくなる。
ええ年してほんま、いったい何やねん、キミ?と、自分で自分につっこみながら、ちっちゃい子どもみたいに贈り物を並べてはながめてる。ありがとう。

▲ 一昨日はダウンジャケットが暑くて、途中で脱いで歩いたのに。昨日はつよい風がふくたびに、体の熱が一気に奪われる感じがして足がすくむようだった。
大阪でこんな寒いのは初めてかもしれないなあ。道ゆく人もみな縮こまって早足で。歩道橋渡りながら、息子2のお産もこんな日やったなあ~と、雪がしんしん降る信州の夜を思い出しながら、ふっと上見たら一面それはみごとなブルースカイ。思わず「わあ!」と声がでた。寒くてずっと下むいて歩いてたら、気ぃ付かんかったんやね。たちどまって、深呼吸ひとつ。息のカタチに「おお、さむぅ」とまた歩き出す。橋のむこう、グレイのモノレール4両、青空を横切ってゆっくり走っていった。

▲図書館で 『12種類の氷』(エレン・ブライアン オベッド文/バーバラ・マクリントック絵/福本 友美子 訳 ほるぷ出版2013.9刊)という絵本を読んだ。
そのタイトルに惹かれ手にして、立ったまま読み始めたんだけど、そのうち傍の丸椅子に腰掛けて、読了。ひざの上で小さな本を閉じても、目を閉じても、その寒い村のようすが浮んで。なんだか目を開けたら夢がさめるみたいで、少しの間じっとそうしてた。

▲「12種類の氷」って何?っておもってたら、最初は「初氷」。左頁に文。右頁にはペン画。(表紙絵はカラーだけど中は白黒。この絵が周りの風景だけじゃなく、子どもの表情や服装もとてもていねいに描いててとてもいいかんじ)
初氷が見つかるのは、納屋においてあるヒツジ用のバケツの中   まくが、はったようにうすい氷で、さわるとわれてしまう。
弟がうすい氷の表面にちいさな両手をひろげて、すぐ上のおねえちゃん(この子が主人公)もさわろうとしてる。いちばん上のおねえちゃんは腰に手をかけて、のぞきこんでるんよね~もうこの場面だけで「寒いとこ」の話に弱いわたしは、わくわく。
頁をめくると『つぎの氷』。こんどはいちばん上のおねえちゃんが、もう少し厚みのある丸い氷を顔の前に持ち上げて、透かしてみてる。その後わざと固い地面に落としてこなごなに割れるのを眺める。やっぱり!そうくると思ったよ~子どものときのわたしも、ウチの子らも何度も何度もした遊び。

▲ こうして12種類の氷のいみが、少しづつわかってくる。そのうち畑が凍り、小川が凍り。お父さんは車で30分ほど走って大池に連れてってくれる。子どもたちは池の桟橋に結んであったスケート靴を履く。
かがみのような黒い氷に、青空や雲や水ぎわの木々がうつる。くるくるまわりながらすべったあとや、スケートぐつのブレードがキラっと光るのや、あたらしい手袋もうつる。
この場面がサイコー。
氷の下には底に沈んだ木の枝や、冬眠中のばけものみたいな魚が見える。後ろ向きにすべってブレードが氷の上をきざむ音や、寒さで氷の体積がふえてピシっと鳴る音がして。この辺りになるとじっと椅子に座って本を読んでられなくなる。そう。スケートはできないけど、おばちゃんは子どもになり、心は森の中の池に飛んでってるんよね。

銀のスピードが出るまですべると、肺と足が、雲と太陽が、風と寒さが、みんないっしょにきょうそうしているみたいになる』(p18~19「黒い氷」)

▲やがて夏に野菜を植えていた菜園が冬にはスケートリンクになる。
かつて暮らした開田高原でもそうやったけど、畑で作物がとれるのは秋まで。お年寄りのいるお家では夏の終わりから ぼつぼつ薪ストーブに火が入り、秋になると畑の作物はじきに霜でやられて、早い冬が今か今か、と出番を待ってる。
開田村で生まれ育った友だちも、むかしはスキーより畑につくったスケートリンクが遊び場だった、って言うてたなあ。畑に杭を打って紐をかけて木の枠をつくって、水をまき凍らせるんよね。

雪がふってきたら。リンクの氷をつくる。まずは雪をかためることからはじめる。これはおとうさんもおかあさんも、おにいちゃんもおねえちゃんも、弟も、みんないっしょにやる。ブーツの底で雪をふみつけ、シャベルでパタパタたたく。スキーをはいて雪をふみつける。』 (p23「リンクの氷」)

▲ この場面を読んでて、上の子が家のまえの雪原(牧草地)に雪をいっぱい集めて、ちいさな弟のために滑り台を作ってやったときのことを思い出した。雪ふる中、長靴で何度も足踏みして、水をかけたり、スコップでパタパタやってはソリを滑らせ、ならしてたっけ。
着ぶくれて、ころんころんになった下の子が、赤いソリの紐ひっぱってよろよろ歩き、おにいちゃんに「もいっかい」と何度も、何度でも滑らせてもらってた。
そういえば、この子が通った保育園の冬のもちものは、スキーウエアーと手袋とソリだったんよね。ソリというても買ったものやなく、肥料の袋に古着とか詰め込んで紐でしばったもの。保育園前の短い坂をそれでもヘビロテ(!)するもんやから、シーズン中 何回か破けるんだけど、そのときはまたご近所から空き袋もらって作る。

▲ 『12種類の氷』に話をもどそう。
家族でつくったリンク「ブライアンガーデンズ」は縦30メートル、横15メートル。「リンクができた!」の声は通りから通りへ、家々へとまたたくまにひろがって。みんな集まってくる。夕ごはんのあと、「わたしたち」が宿題をしてるとお父さんがみんなの滑ったあとのキズや窪みや穴に水を撒いて補修してくれる。その前に、お父さんはちょっとスケートして、二階の窓から見てる弟とお母さんんために、おどけてほうきを相手にワルツを踊ってみせたり、ホースの水を噴水みたいにして脱いだ帽子に入れて飲むまねをしたり。二階の二人の笑い声に「わたしたちも」宿題をやめて窓からお父さんのショーを見るのだった。やさしくておもしろくて。ええお父さん!
もう、こんな光景は「むかしばなし」になってしまってるかもしれないけど。寒い土地やからこそよけいに 親子の温かさがしみるようだ。

▲ しゅくだいが終わったあと、夜のリンクをおねえちゃんと二人ですべる場面もいい。
こんなことができるのも、自分ちのすぐそばでリンクがあるからやよね。
自然の贈り物。でも、寒いところには寒いところの厳しい現実もいっぱいあって、かんたんに寒いとこの、田舎の生活がすばらしい、とは言えない。それに、どんなとこでも、子どもは子どものたのしみをみつけるし、ね。
けど、田舎であれ都会であれ、子どものときに「お金で買えないもの」に接することは、とてもだいじなことと思う。いや、子どもだけじゃなく、大人だってそう。この前にも書いたとこやけど わたしも「いつまでも溶けることのないたいせつ雪の箱」もってる。

▲ さて、たのしいスケートの季節にも終わりは来て。
温かくなって氷もだんだん溶けてくる。「とけてきた氷」はとうとう「おしまいの氷」になって。冬の間になくした手袋やホッケーのパックや、スケート靴のカバーとか顔出して。さいごは、溶けることのない「ゆめの氷」が残るんよね。つぎにまたヒツジ用のバケツの中でうすい氷ができるまで。
ああ、なんてすてきな読書の時間。
本を読みながら、本の世界に入り、思い出の世界を行きつ戻りつして、またバケツの氷にもどった。
そして、いま、なんと大阪の空にもめずらしく雪!   
~息子の誕生日の朝に。

 
*追記
その1)
著者のHPを見たら、ご自身子ども時代にこんな経験があるようです。

「黒い氷」の挿絵がとてもいいです。これは絵のマクリントックさんのサイトから~上から二点目の白黒の作品→


その2)
きょうはこれを聴きながら。「カノン」by Janis Crunch & haruka nakamura
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# by bacuminnote | 2014-02-05 15:47 | 音楽 | Comments(0)
▲ 年のせいか、たまに寝ている間に足がつる。
そういうときって、なんか伸びをするような体勢になっている(気がする)。夢の中でしっかりモンのわたし(笑)が言う。「あかん、あかん。ここで”伸び”したら、足つるで~」 けど、すかさずもう一人のわたしが「そんなこと言うたかて、いま、思いっきり伸び、したい感じやねん」と返すのと、布団の端っこまで腕と足をぐーっと伸ばすのが同時で、あっという間にふくらはぎ辺りに激痛が走ったとこで目が覚める(泣)。

▲相方は「そういうときはな、寝ながらでも意識を集中させて”伸び“をやめるねん~ボクはこの頃それで免れてる」とちょっと得意気に言うんやけど。それが、なかなか思うようにいかへんのよね。
きゅううと絞り込むような痛みがきたら、身を縮こませて、じっと嵐が去るのを待つ。たいていは数分でおさまって、またしらんまに寝入ってる。
ところが一昨日は伸びたとたんに、こむら返りだけでなく、腰が、加えて翌々日には寝ちがえで首がおかしくなり(泣)。マイッタ。


▲ この間ご近所仲間が集まった折に「この頃は足腰も快調やねん。いろいろあったけど、やっと更年期終わったかなあ」と言うたら「けど、つぎはちゃんと老年期がはじまる」とセンパイの絶妙のツッコミに「そ、そんな~」って、大笑いしたとこなんやけど。
いやはや。生まれてから少しずつ「できる」ことがふえて、やがて年をとり少しずつ「できない」ことがふえてゆく、のはここ数年の母をみていて痛感しているはずが、どこかで、自分にはまだ「老年期」も「できない」も先の話と、無邪気に思い込んでるフシもあって。

▲それでも、こんな風にちょっと腰や首が変になっただけで、落ちたものは拾いにくいわ、洗濯物を高いところに干せなかったり、寝てるときも、どっち向いていいのか落ち着かなくて。「不自由」であること、からだが思うように動かない、ことについて思う。

▲ 自分がなってみて初めて「わかる」。
たしかに「痛み」も「不自由」も当事者でないとわからないことや見えてこないことが多い。けど「なった者でないと」ほんまに理解できないのか?自分とちがう特性をもつ人(厳密に言えばみな「ちがう」もんね)とどうやって、助けあい、関わっていくのか?

▲ちょうど、この間も(前回ブログ/追記その2に)書いた
『リハビリの夜』
という本を読んでいたこともあって、これまで考えたことのない「身体」についてあれこれ考え中。ゆっくりいきつもどりつ、唸りつつのこの本、今日ようやく読了したんだけど、いやあ、はじめから最後までとても刺激的で、本にも頭の中にも!付箋がいっぱいで。いっぱいすぎて、どこから話していいのか、途方にくれている。

▲まずは著者の熊谷さんのプロフィールを本書「著者紹介」から抜き出すと
【1977年生まれ。小児科医。新生児仮死の後遺症で脳性まひに。以後車いす生活となる。幼児期から中学生くらいまでのあいだ、毎日リハビリに明け暮れる。小中高と普通学校で統合教育を経験。大学在学中は地域でのひとり暮らしを経験・・(以下略)】
となる。でも、本のタイトルとこのプロフィールを見て、多くの人がなんとなく想像する本の内容とはちがうと思う。

【「脳性まひ」だとか「障害」という言葉を使った説明は、なんだかわかったような気にさせる力を持っているが、体験としての内実が伝わっているわけではない。もっと、私が体験していることをありありと再現してくれるような、そして読者がそれを読んだときに、うっすらとでも転倒する私を追体験してもらえるような、そんな説明が欲しいのだ。つまり、あなたを道連れに転倒したいのである。】(p22 第一章「脳性まひという体験」)

▲いきなり「あなたを道連れに転倒したいのである」にノックアウトされる。熊谷さんの視点や表現はユニークで、本を読んでいる間に、自分の中で知らんまに凝り固まったもの(とくに意識せず疑わなかったもの)が砕かれる感じがする。それは「今のとこ自由に動ける身体をもつ自分」の視点でしかなかったのかもしれないと思う。
このあとで熊谷さんが「障害」について
【「障害」という体験は、ある社会の中で多数派とは異なる身体的条件をもった少数派が、多数派向けに作られた社会のしくみ(ハード、ソフトの両方)になじめないことで生じる、生活上の困難のことである。】
(p83「脳性まひリハビリテーションの戦後史」より抜粋)

と語っているのだけれど、わたしはこの『「障害」という体験』という表現がずんと心に響いた。
「障害者」「健常者」(←この言い方には思うところいっぱいあるのですが)という括り方ではなく、人間やその身体そのものを見るなかで「障害」という体験を通した、著者の思いや考えに「初めて知る」ことが多かった。

▲ じっさい、本書で語られる「障害」という体験、は人間のいろんな問題に重なってるんよね。インタビュー記事にもあった自立とは「依存先の数を増やすこと」「薄く広く依存すること」にも思い当たることがたくさんある。
そういえば、第六章『隙間に「自由」が宿るーーもうひとつの発達論』では著者が十八歳くらいのとき、とある専門家に自身の運動機能を見立ててみらった話から始まって。

【私は絨毯の上に置かれ、指示に従ってもぞもぞと動いた。しばらく観察した後、彼は言った。「君の運動発達は、そうだな、両生類と爬虫類の中間くらいかな」】(p206)
ある意味ショッキングなこの発言も熊谷氏は【じゃあ、これから何万年もかけてリハビリをして、進化の過程をたどった末に、ようやく人間になれるということだろうか。そう思ったらなんだか可笑しくなった】と語る。

▲が、そこでストップしないのがこの方のすごいとこで。
トカゲやイモリの生活は不自由そうに見えなくて【それに比べて私の体は、周囲との協応構造を取り結ぶのに困難をきたしている。私の動きを単体としてみたときには、両生類や爬虫類の動きと似ている部分があるかも知れないけれど、環境との協応構造があるかないか、確立した運動を持っているかどうかという面で見たら、私より彼らのほうが、ずっと適応がよいのである。】(p206~)
と、「人間の不適応」について考えをすすめていくんよね。

▲ 人間は【生まれてすぐに寝返りを打ち、数時間のうちに自立歩行ができるようになる仔馬』みたいなわけにはいかないけど、『この不適応期間があるからこそ人間は、世界との関係の取り結び方や、動きのレパートリーを多様に分化させることができたとも言える。】(p207)

▲身体内協応構造にしろ身体外にしろ、ひとはつながろうとしても なおつながれない「つながれなさ」ゆえに、その「隙間」を埋めるように 他者とつながるために言葉をつむぎ、外界にあるモノをイメージしていく。
こんなふうに考えると、最初にわたしが書いた「できること」「できないこと」も空気がかわってくるよね。
著者はこう結ぶ。【できるようになっていくことや、より適応していくことだけを「発達」とみなす従来の考え方は、どこかに重大な落とし穴があるような気がしてならない】

▲ あらあら。ブログというより、わたしの乱雑な読書ノートメモみたいなことになってしまったなあ。これを書きながら、わたしの理解能力をこえる難しい話も多かったのに、最後まで読んだのはなんでかなあって思った。それは身体の動きを言語化されることへの新鮮さとおどろき。著者の知性とユーモア、管理や強いものへの疑問と憤り、と同時に弱いものへのやさしさ、に共感したから。
でも、なかなかその思いがうまく文章にできず、書いたり消したり。そんな情けなさのなか~本で、もらった種は光のあたる場所に植える、水をやる、を繰り返すしかない、と「こんなもんしか書けなかった」自分にそう言い聞かせてるとこ。

【そして、他者とのつながりがほどけ、ていねいに結びなおし、またほどけ、という反復を積み重ねるごとに、関係は細かく分節化され、深まっていく。それをわたしは発達と呼びたい。】(p232~234)




* 追記
その1)
いやあ、読んでる間も考えて、読後も考えて、それでなくても容量の小さいわたしのHDは満杯(からだはでかいのに)結局書きたかったことの何分の一しか書けず、書名の「リハビリ」についても、まったく書けずじまいでしたが。わたしが本からもらった種をシェアーできたらいいなあ、と思う。もしも、ここ読んで関心をもち 本を手にしてくれはったら、ものすご うれしいです。

規範を設け競争すること、それに勝つことを求めながら、一方で何かというたら、金子みすずさんの「みんなちがって、みんないい」(『わたしと小鳥とすず』)を安直に引用してる人らにも読ませたい。


その2)
このあいだ詩人の 吉野弘さんが亡くなられたことを知りました。ここにも書いたことあるけど、高校生のころ背伸びして『ユリイカ』や『現代詩手帖』を脇に抱えて歩くのが、かっこいいと思ってたわたし(←軽い)。

難解な現代詩もいっぱい読んだ。「わかってるんか?」と問われると「フィーリングで」(と今書いて、このことばがいつのまにかすっかり古びてしまったことに気づく)。感じることが詩やもん~とかエラソーに、おなじくエラソーな詩的女子友と(苦笑)語り合ってたんよね。(今思うと赤面場面満載)

そんな中、高田渡の唄から山之口貘や金子光晴や黒田三郎、吉野弘に(まだまだいっぱい)の詩にも出会いました。当時は唄を口ずさみ「わかりやすい」と思った詩たちが、ほんまはとても深いものであることに、そのうち気づくのですが。
のちに『ガリバー』という本に出会い、著者の村田栄一さんが自身の学級通信「ガリバー」(1969年の一年間の学級通信)の扉にいつも挙げてはった詩の中にもこれらの詩人の名前をみつけます。

吉野弘さん訃報から、いろんなことを思い出してネットで見ていたら、このガリバーの村田さんも二年前の1月21日に亡くなってはることを知りました。件の学級通信を出していた小学校教員をやめたあとスペインでセレスタン・フレネの教育にふれ、その後、自由教育運動をなさっていた方です。いま調べたらわたしの持ってる本はもう廃刊となり、増補改訂版 (1999/04)が出ていますが、これももうないようで。図書館で読んでみてください。

その3)
何年か前に映画『空気人形』で、吉野弘さんの詩「生命は」が流れました。劇中「人間の心」をもつようになった空気人形(ペ・ドゥナ)が空き地のベンチにすわっていたら、隣のベンチの老人から、この詩をおしえられる場面。バックにはわたしのすきなバンドworld's end girlfriendの”river was filled with stories / 水の線路”が流れるだいすきなシーン(←you tubeでは 2'32"から詩の朗読がはじまる)ですが。このしずかな老人を演じてらした高橋昌也さんの訃報もつづき。なんだかさみしい1月です。
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# by bacuminnote | 2014-01-24 13:23 | 音楽 | Comments(0)

雪の粒になって。

▲ 一昨日お昼ご飯のあと片付けをしながら、夕飯の粕汁をこしらえた。二人暮らしになってじき二年になるのに、相変わらず大鍋でいっぱい作るから、何回も温めて食べることになるんだけど。(っていうか、それも目的)

▲そういえば、年末に会った相方の旧友で 一人暮らしのm氏も粕汁は「大きな寸胴で大根は一本使って作って、ほんで一週間食べ続ける」って言うてたなあ。
こういうのはいっぺんにたくさん作ったほうがおいしいし、何回も火ぃ入れてどろっとなったんもまた旨い。

▲とはいえ。「ええっ!一週間も食べるん?」と料理上手だがモノグサでもある いかにもm氏らしい発言に、皆で大笑いした。でも、おんなじもんが毎食一週間続こうが、自分の食べるものを自分でおいしくこしらえてるm氏、かっこええなあと思う。

▲ というわけで、わが家も昨日は三回目になる粕汁を強い味方に、夕方から一人で京都まで出かけた。
しつこいようで申し訳ないけど、ちょっと度をこえた方向おんちやから 道に迷わへんかという恐怖で(←おおげさ)元々の出無精に拍車がかかるという循環ゆえ(あ、でも別に「悪」循環とはおもってない)家からほぼ2km圏内生活をしてるのだけれど。
そんなわたしにも腰をあげることがたま~にあって。昨日はなんと京都に、しかも「夜の部」という難易度の高い外出となった。(どきどき)

▲ 行き先は旧日銀京都支店。
地図でみたらなつかしい場所の近くで。あまりにわずかな期間やったから恥しんやけど(苦笑)そのむかし四条烏丸の○○ビル(忘れた)にあった英会話の教室に通ったことがあるんよね。

▲なんでちょっとの間やったかというと、河原町から歩いてその教室に行く途中に錦市場があり(ここに「冨美家」という当時珍しい女性客専用のおうどんと甘いもん屋さんがあって。そのすぐ先には皆が「ななし」と呼んでいた「名前のない喫茶店」というロックやフォークのレコードをかける気に入りの喫茶店があったのが、続かんかった原因やと思ぅてる。(←責任転嫁)

▲地図の上のなつかしい「通り」の名前に、その頃のまちが浮かんできて。もう40年も昔の話やのに、ちょっと甘いおつゆの鍋焼きうどん「冨美家鍋」やかき氷。「ななし」の開店を待って悪友と座った階段とか、あ、そういえば珈琲のイノダもあのへんやったな~と、次々うかんできて。ああ、今回のお出かけは楽勝かも、と思うのであったが。

▲ 目的は旧東ドイツ出身のピアニスト、 ヘニング・シュミート(以前ここの追記にyoutubeリンクしたことあります)のコンサート。会場の 京都文化博物館別館は元・日銀京都支店(辰野金吾設計・1906年竣工)ホール。重厚で落ち着いたふんいきはヘニング・シュミートのピアノにぴったり。季節でいうたら冬。天気でいうたら雪、の人のピアノをあちこちで雪の舞った、積もったというその日に聴くことになった。

▲6時半の開場に相方が「ここ何時頃出るんや?」と聞くので「4時」と答えたら「えっ?そんな早うから出るのか」と呆れられる。このひとには、どっかに出かけるとき、場所や電車調べに余念がないわたしは「お、ニューヨークにでも行くんか?」とよくからかわれるのだけど。友人にこぼすと、そう言われたら「ベルリンまで、と応えよう」とすばらしいアドバイス(笑)

▲ お隣さんに用事で寄ったら「今日はものすご冷えるらしいよ。持ってる服でいちばん温いの着て出かけてください~ってテレビで言うてはったで。温うして行きや~」と聞き、服装計画も練り直し(おおげさ)ようやく夕方になって出発。
駅の近くでいつもの方からビッグイシュー買って(今回は加古 里子さんのダルマちゃんとてんぐちゃんが表紙→)「いってらっしゃい」と送られて。なんやわたし、ほんまにベルリン行きみたいやなあ~

▲ さて、この日車内で読んだのは、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ著・くぼたのぞみ訳『アメリカにいる、きみ』(でも、この本のこと書き始めたら京都まで行き着きそうにないので、またこんどにします)

▲四条烏丸で降りて路上にでると、道むこうになつかしのパン屋SUZUYAの看板が見えて。久しぶりの町で旧い知り合いに出会ったみたいに、ほぉ~とする。わたし、ここのカスクートが大好きやったんよね。
今もあるやろか~あ、でも道向こうに渡って迷ったらあかん。

▲ 今日の目的は文化博物館や~と頭にたたきこんだ地図(念のためノートに地図コピーも貼り付けてきた)を思い起こしながら、高倉通りを行く。昔ながらの京都らしい静かな通り。紙屋さん、文具店、ユニフォーム屋さん、京人形の店、宝飾店その間にガレージ、法衣佛具店がならぶ。

▲観光客みたいに右みて左みて、たのしんでたけど。もうそろそろ着いていいはずなのになあ、と不安になって若い女性に聞いたら、指ささはった先にレンガ造りの建物がみえた。道向こうにはパンのPAULだ。お、今日はパン屋づいてるな。夕食はあそこで大好きなセイグルとスウプにしよか。

▲ ホールにはおだやかなオレンジ色の灯りがともり、スタッフが準備してはるようだった。
じゅうぶん余裕をもって出てきてるから、開場までまだだいぶある(苦笑)別館から本館になんか迷路みたいな廊下通って出ると、りっぱな(明るすぎる)本館の玄関ホールが現れた。

▲そうしてわからんままにぐるぐるまわってたら「ろうじ店舗」という江戸末期の京の町屋再現というお店が並んでて。うう~む。時代劇のセットみたいな作りもんはなあ・・とか思ってるうちに、PAULへの戻り方が分からなくなって。仕方なく作りもんのろうじの中の店の一軒に入って、夕飯。ふうう。

▲時間がちょっと早かったこともあるけど、お客さんがだれもいなくて。
「どうぞ、どこでもお好きな席で」と言われても、一人で広いテーブル席に座るのも気が引けて。結局カウンターの隅っこにて湯葉カレー丼とやらをぼそぼそ食べる。あああ、こんなことやったら、早めでも家で粕汁の温めたんや厚揚げと三度豆の炊いたん、菜っ葉で、すませてきたらよかったなあ。

▲店員さんは感じよくて、お茶のおかわりをいれながら「どうぞごゆっくり~」と言うてくれはったけど。喋る人もおらんし、ご飯もめちゃ少なかったから(外食すると、普段いかに大食らいかよくわかる)あっというまにお茶碗は空っぽになったし。しかたなくお店を出て別館に戻って開場を待つことにした。

▲だれもいてへんかなと思ったけど、わたしみたいに気の早いひとも何人かいてはって寒風のなか待つ。(本館と別館の間の中庭みたいなとこ)寒いなあ。でもヘニング・シュミートの音楽は冬のイメージやしなあ、この感覚はだいじかも~とか、あほなこと結構真剣に思ったりしながら待った。なんと前から3人目。そのうち次々人が集まって列ができる。

▲ 6時半、ようやく開場。
太い丸柱に壁の白。高い高い天井。古い照明器具の灯りもやさしくて。おとこまえのグランドピアノ(←なぜか男性名詞)がしずかに座ってる。待ったかいあったなあ。こんなとこで聴けるんやなあ、とここに至るまで、おおさわぎした時間がいっこも「おおげさ」でなかった気もして。迷いながら、一番まえの席に座った。

▲そして、開演。シュミートさんが登場。笑顔がすてき。お話は英語だったのでわかったような、わからんような。けど、ええ人やなあと思った。せやかてね、聴衆にthank youって言うときも、ほんまに心からありがとうって言うてはるのが伝わって、思わず椅子に座ったまま おばあちゃんみたいにお辞儀を返してしまう(笑)

▲ 演奏が始まると、ホールの空気がとたんにぴーんと張る。
ピアノの一音一音が雪の粒になって、きらきら光って飛んでゆく。地面をころがる。
開田村に降ってた雪みたいに、さらさらしたパウダースノウ。
なぜか黙々と雪かきしてるところを思い出す。雪まみれになってスコップをふるっているところ。くたくたになって雪の上に大の字になって寝転び雪原に沈みこんでいるところ。
灰色の空。だれも通らない道。どこも真っ白。
雪が降ってると、しーーんという音がするんよね。

▲今年春で大阪にもどってきて10年になるんだけど、親子でしょっちゅうスキーに行ってた頃のこと、かいてもかいても降り積もる雪や、かちんこちんに凍った雪をツルハシで泣きながら割った日々、子どもと雪あそびの時間も。なにもかも、ぜんぶ。自分のなかに、いつまでも溶けることのないたいせつな雪の箱がある、とおもった。

▲シュミートさんご自身、長い間雪に覆われる旧東ドイツのエルツ山脈の地方で9歳まで過ごしたそうで。
外は吹雪いてるのに、家の中に入ったら薪ストーブのぬくもりが待っててくれるような。温かいピアノは、シュミートさんゆえか。
気がついたら、じぃっと目をつむって聴いていた。

▲せっかく一番前の席で、すてきな演奏者がすぐ前にいてはるというのに。
そう思うのに、また新しい曲がはじまると「雪を見よう」と目をつむってしまう。
『ダ・カーポ』の記事に「会場に雪を降らせますーー ヘニング・シュミート来日。」とあったけど。
ほんまに雪、降ってきた。

*追記
その1)
2014年はじめてのブログです。
新しい年を子どものときみたいに、まっさらなきもちで「おめでとう」と言えなくなってひさしいけれど。
おだやかに、すこやかに、にこやかに、佳き一年となりますように。
今年も笑顔でまいります。どうぞよろしくおつきあいください。
前にも書いたけどわたしのすきな福寿草の句をふたたび。
『咲くことは笑ふことにて福寿草』(鷹羽狩行)

その2)
今回は本のこと書けなかったけど、もう一冊いま読んでる『リハビリの夜』(熊谷晋一郎著 医学書院)のことを少し。以前からよく見ている「マンモTVインタビュー」→が今回この小児科医・熊谷晋一郎さんで(#332 人生の指針とは何かと問うとき、多様でありえる自立が始まる)はっとするところや、考える種がいくつもあってさっそく本を読み始めました。著者が言語化する身体やその動きがじつに哲学的で、興味深いです。そしてこれまで自分のなかにあった身体観がいかにうすっぺらだったか気づきました。
というわけで、このインタビュー記事ぜひ~

その3)
今回は、やっぱりこれを聴きながら。
"Henning Schmiedt - meine Hand und deine Hand

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# by bacuminnote | 2014-01-11 23:30 | 音楽 | Comments(0)

しずかに暮れて。

▲ 毎年恒例 相方の旧友宅での忘年会に出かける。今年は東京から息子1も参加。赤ちゃんのときからこのメンバーで毎年海に泳ぎに行ったりしてたから、かれにとっては親戚のおっちゃんおばちゃん的面々だ。そしてそのおっちゃんらに海に浸けられては大泣きし、スキー場のてっぺんでほっとかれて半泣きで滑り降りてきた男の子も今は33のおっちゃんになった。

▲ 電車で人混みの中を乗り換えて行くのは、相方もわたしも苦手やから、時間はかかるけど、バスで。(ここによく登場する墓参に行くときと同じバス)相方と一緒に外出することはめったにないんよね。家で居るときは、皆に呆れられるほどお互いしゃべり続けてるけど。だから?出かけたときはたいてい無口(苦笑)バスに乗っても別々に一人がけ席に座るフウフだ。(←キミと一緒やったら窮屈って?)

▲ 一昨日や昨日のデパートやスーパーの食品売り場の「迎春喧騒」が、うそのように車内はしずかで。いつもとかわらない空気に心底ほっとする。
それに、今日のバスのドライバーは華奢な女性で。(←初めて!)発車を待つ間に、小さなピアスと長い髪を後ろ手に束ね直し、帽子を被る姿がすてきだった。「では発車いたします」とやわらかな声も、きりりとしたハンドルさばきもかっこよかったしね。

▲ 出がけにあわててバッグに入れてきた『ぐるりのこと』(梨木香歩著/ 新潮文庫)を開く。最初に読んだのはもうずいぶん前。その後「解説」(最相葉月さん)が読みたくて文庫本を買って。こうして出かけるとき、ふいっと持って来てはすきなとこから繰り返し読んでる。
この本は題名のとおり著者が自分の周りの「ぐるり」について考えていくことを綴ったエッセイ集なんだけど。日常のちょっとしたことから、思考をぐぅーっと(←プレス式の珈琲淹れるみたいなイメージ)深めてゆくそのさまにいつのまにか引きずり込まれ、わたしもまた苦悩する。

▲きょう読んだのは「群れの境界から」という章。
別荘地の上の方にあるという山小屋から、車で麓に買い物にでた梨木さんは道中、「まだ若いバンビと言っていいような鹿が一頭、呆然と立っていた」ところに出会う。しばらく車を停めて鹿を見つめる。「濡れたような漆黒の大きな瞳」と長い睫毛は、奈良県産のわたしには目の前にうかぶ。このもしかしたら群れから離れた個、の話から、正月に観たという映画『ラストサムライ』の話~武士道と葉隠思想とよばれるものについて発展してゆく。

▲ 『「ラスト・サムライ」では、大義のためには「死をも恐れない美学」のようなものが謳い上げられているわけだけれど、死を恐ろしいと思うのは、その個体性の喪失にあるのであって、死自体ではない。たとえば、無性生殖で増える細胞には、そういう意味での死(個体性の喪失)はない。自分がどこまでも分裂していって殖えてゆく。どこまでも自分のコピーだ。個体性に重きを置かなければ、なるほど死ぬこともさほど怖くはないだろう。群れ全体の組織性にアイデンティティを見出していればいるほど、命はたやすく投げ出せるわけだから。』(p157より抜粋)

▲ この辺りを読んでいて息苦しいのは、今もなお『葉隠武士や葉隠精神ということばが、よくストイックなものに対するあこがれのようなニュアンスを漂わせて使われて』(p155)いるからか。いや、むしろ今また「個」として覚醒することより「集団として群れの一部として行動」することを社会全体で求める(強要する)ような、なんとも嫌な空気が流れていることを思うからだろか。

▲ 本は、このあと西郷隆盛の人物像と薩摩藩の黒糖をめぐるすさまじい搾取の話から、ヒーローへの疑問を語る。
宮沢賢治の例を引くまでもなく、一人の人間を神格化して崇める、という行為には、自分で考える努力を放棄し、判断し決定する責任を他に押しつけた怠惰のにおいがする。(中略)安易な神格化は軍隊内での苛めのような歪みを生み易くする。心理的な上位をつくってしまえば、必ず下もつくらなければすまなくなる無意識の卑屈がどこかで相殺(そうさい)されることを求め始めるから。人は誰かを崇めるだけではバランスがとれなくなりがちなのだ』(p169)

▲ ああ「考える」って、やっと底にたどり着いた気がしても「そこ」では終わらなくて、次々と新しい発見と疑問が終わりのない芋づるのように繋がってゆくんやなあ・・と思いながら頁を繰る。
文中『考えが迷路に入って頓挫する』というくだりがあって、思わず「はい。今まさにその迷路にいます」と手を挙げそうになる(苦笑)。
そうして「ふりだしに戻り」ふたたび読んで、閉じて、また考える。読みたい本、わたしには難しそうやけど読まねば、と思う本のメモでノートが埋まった。

▲ すっかり自分が車中の人だということも、何度目かの読書であるということも忘れて、本を読み耽っていた。
はっとして窓の外をみると、1時間のバスの小さな旅の終わりが近づいてることに気づく。うしろを振り返ったら相方が体を斜めにして窓に寄りかかるように、自分の生まれ育った町並みをじっと眺めてた。

▲ さて、友人宅で集まった大人10人子ども2人。おいしくて、にぎやかな宴。そのうち退屈してぐずる子どもを近くの公園につれだすおっちゃん。(←おじいちゃん)いつだか中庭に出て煙草吸ってた友人が酔っ払って小さな池にハマった話を酒の肴に大笑い。
仕事もリタイア組と細々つづけてる組がいて、みなええ歳になった。若いときにくらべたら酒量も食べる量も減ったけど、今年も揃って元気に集えたことにカンパイ。(そういえば、このメンバーではいつも各自勝手に飲み始めるので、一度も乾杯などしていないことに今気づいた。いかにも「らしい」集まりだ。 苦笑)

▲帰りは電車で。新大阪駅で降りたら大きな荷物もった帰省客であふれてた。みんなどこに帰らはるのかなあ。おなじ人混みでも「帰省」を思わせる人の波はなんだか温かい。
帰る家、住む家をもたない人たちをこの年末に「強制排除した」(なんてひどい、冷たいことばだろう!)渋谷・宮下公園のニュースを思い浮かべながら、晩秋の三十三間堂でであったことばをぶつぶつ言いながら、夜道を歩いた。空がきれいだった。
「オン ダルマ キリソワカ」(祈りましょう。大切な人のために。そして、生きとし生けるものの幸せのために)


* 追記
その1)
今年最後のブログは、洗濯物干す手をとめ、昼ごはん支度しながら手をとめ、数の子の塩抜きしながら、おでんの火入れながら、あわててクリスマスの人形片付けて、庭の千両ちょこっと活けて。あっちもこっちも「作業途中放置」で、何がなんかわからん状態のまま、ああ今年も暮れてまいりました。

文字通り「怒り心頭に発する」ことの多い一年でした。
自分のごく身の回りに限って言えば、皆なんとか大病もせずすごせたのだけど、ああ、それでも・・とずっと重いものは心の底に積もってゆきますが。
いつもかわりばえのしないブログを、今年も読んでくださってありがとうございました。
しずかに佳い年がむかえられますように。

『うつくしや年暮れきりし夜の空』(小林一茶)

その2)きょうはこれを聴きながら‪
Winter Circle-Balmorhea ‬ 
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# by bacuminnote | 2013-12-31 17:07 | 音楽 | Comments(0)

ちいさなてぶくろ。

▲ カレンダーがうすっぺらになり、とうとう最後の一枚になって。街がざわざわし始め、食品売場がクリスマスと迎春モードになると、ああ、やっぱり年末やなあとおもう寒さがやって来てる。
人混みと効きすぎの暖房と厚着で火照ったほっぺたが外に出たとたん、その冷気できゅうと締まるのがわかる。

▲葉っぱを落としあちこちに実が残ったゆりの木は、冬の青空を台紙にした繊細な切り絵みたいで、はっとするほどきれい。
身を寄せ手をつないで、ぼちぼちと歩くお年寄りのカップルが立ち止まって、そんな木をじっと見上げてはる。年とって(とらなくても)夫婦で(夫婦でなくても)、おなじものの前で足を止め眼を留め、耳をすますことができるのは ええなあと思う。

▲ 子どもが小さかった頃クリスマスは、わが家の数少ない「行事」だった。
早くからもみの木にいっぱいオーナメントぶらさげて、母の旧友Sさんが毎年贈ってくれる外国のクリスマスグッズを並べて。毎晩のようにサンタクロースの絵本を読み、その日はちょっとごちそうもしてケーキも焼いた。

▲そういえば、田舎暮らしのころは贈り物を内緒で買うのも一苦労で、まちに住む友だちに頼んでこっそり送ってもらったり。
それから店の包装紙をとって白い模造紙にトナカイのマークの切り絵を貼り付けたりした。その日はどこの子もそうやと思うけど、ウチの子らもサンタクロースを「みとどけよう」と、おそくまでがんばって起きてたりするからね。そのうち親のほうが寝入ってしまって、早朝あわてて飛び起きたっけ。

▲ やがて子どもも大きくなり、温かな部屋でプレゼントを待つ子ばかりでないことを知り、いつのまにか わが家にとってその日はフツーの日になった。
この間ふと思い立って、久しぶりに小さなオルゴールのついたクリスマスのお人形三つを出して並べてみた。
雪がしんしん降る午後、宅配便のトラックの音に外に駆け出して、早く早くと急かされながら寒い玄関口に座り込んで箱を開けた。そのころの子どもの声が聞こえてくるようで。
プレゼントが届いた夜に電話で話すSさんのやわらかな声~「そっちは寒ぅおまっしゃろなあ」昔ながらの大阪弁が耳もとで聞こえてくるようで。
『子へ贈る本が箪笥に聖夜待つ』(大島民郎)というすきな句があるんだけど、こういう時間は親にとっても「贈り物」やったんやなあ、としみじみ思う。

▲ 信州ではホワイトクリスマスどころか、12月はいつだって一面ホワイト。
下の子はアレルギーがあったので生クリームでデコレーションした白いケーキはだめだったけど、つららのロウソク、櫟(いちい)の木の尖った緑の葉と赤い実をのせた雪のケーキをいっぱい作って家の前にかざったんよね。
道むこう牧草地の前にはクリスマスツリーのように、雪を被った櫟の木がずらりと並んで。雪遊びの合間に家に入って、薪ストーヴの囲いにびしょ濡れの小さな手袋や長靴をひっかけて。
その間にも雪はしずかに降り積り、いつのまにかケーキはすっぽりと雪の中に埋まってた。

▲その櫟の生け垣も、上の子が4才のとき鉢で買ってその後地植えしたもみの木も。側溝工事でぜんぶ抜かれてしもうたから、いまはもうない。上の子のときから下の子へと(ウチは13才年が離れてるからかなり長い間)ずっとクリスマスの贈り物をしてくださったSさんが施設に入居、と聞いてからもう何年になるだろう。
十代からの長いつきあいだった母にも連絡先を告げずに転居しはったらしいけど。(そのときのことは ここにも書きました)
「わたしね、もうクリスマスが近づくと、こころ踊りますねん。ええお婆さんが可笑しいでっしゃろ。ふふふふ」って少女みたいに笑ってはったのを思い出す。どうか温かなクリスマスを迎えてくださいますように。

『硝子戸に小さき手の跡クリスマス』(大倉恵子)



*追記
その1)
この間、信州の友だちがここに来てくれた。なつかしいひとや場所の話いっぱいして。翌日駅までおくって帰ってきたら、だれもいなくて(←あたりまえ)さみしかった。
そして夕方、到着したと来たメールに、なんかじーんとしてしまった。
12月なんやもん。そんなのあたりまえなんだけど。
「開田は雪です」

その2)
冬のうたは好きなのが多い。
寒い寒いと文句いうてるけど、寒いのがほんま好きやし、ね。
Snow Angel-Over the Rhine
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# by bacuminnote | 2013-12-20 11:31 | 音楽 | Comments(0)

ほんまは知らんこと。

▲ 前の夜は、わけわからんままの国会の強行採決をインターネットで観ていて、ここには書けない汚い言葉で「起立」議員をどなり(←わたしが)、かっかしながら日付が変わってから床についた。
くたびれてるはずやのに、明日はよしの行きやし、と思うのに、なかなか寝付けず読みかけの短篇集(この前読んだ本と同じフェルディナント・フォン・シーラッハ/酒寄進一訳『犯罪』)を開く。

▲それはドイツのとある駅ホームで起きた事件の話で。月曜早朝のこと。昨夜はついてなかったらしいスキンヘッドの若者の一人が年配の女性にちょっかいを出し、もう一人は金属バットでゴミ箱を叩く。イライラと退屈を持て余したふたりは、飲み終わったビール瓶を線路に投げ捨てる。すると
ビールびんが砕け散り、ラベルがふわふわと舞いあがった。
自分がたった今そのホームに立ってるみたいに、瓶の欠片がきらきら光り、舞うラベルさえも目の前に浮ぶようで、すっかり目がさめてしまったのだけれど。いつのまにか目覚まし時計が鳴っていた。

▲ 吉野に帰るのは(「行く」とするか「帰る」とするかはいつも迷うとこやけど)夏以来だ。今回はむこうで姉3と落ち合う予定。地下鉄に乗りこんで、母や姉1に、と買ったあれやこれやの入った大きな紙袋を膝の上にのせて、本を開く。いやバッグに入れてきたのは割れたビール瓶のあの話ではなく
『光のうつしえ』
(朽木祥著 講談社2013年刊)という本。表紙の背景は黒と群青色。黒い川?には四角いものが赤青黄色に光っている。副題は「廣島 ヒロシマ 広島」とあるから、やっぱりこれは灯篭なんやろね。(著者の前作『八月の光』のことは ここにも書きました)

▲ 川のはたで育った子ども時代の夏の思い出は、水泳、花火と灯篭流し。とくに花火と灯篭の絵は、わたしもふくめて夏休みに家族とどこかに行くことのなかった家の子には格好のテーマで、二学期はじめにはよく似た構図の絵が、決まって何枚か貼りだされていたのを思い出す。
でも、この表紙には暗闇のなか灯篭の灯りがつらく感じて、最初ネットで書影をみたときは気になりながらも「またこんど」とそのままにしていたんだけど。
このまえ図書館の児童書コーナーで、おもいがけず本があり借りることにした。『世界中の「小山ひとみさん」のために』という献辞にも、意味がわからないままひかれた。

▲ そして物語はその灯篭流しの夜から始まった。
時代背景は原爆投下から「二十五年目の夏」~希未は母と祖母といつものように灯篭流しにやってくる。川辺にも、向こう岸にも灯籠を見送ってる人たちが大勢いて。そんな中でひとりの見知らぬ老婦人が希未に声をかけてくるんよね。
「あなたは、おいくつ?」といきなり問われて、希未は「十二歳です」と応える。合点がいかないのか、その人は続いて、希未に姉がいるか?母親は何歳か?などと尋ねる。そして涙をあふれさせて「ごめんなさね」と去ってゆくんだけど。希未は怖くなって、そのことを告げるとお母さんが言う。
……誰かを捜しとる人が広島には今でも、えっと(たくさん)おられるからねえ

▲ 『あの朝、原爆で一瞬で七万人以上が犠牲になったのだ。その人たちはまさに「消えてしまった」のだと希未たちは平和学習で習った。
小学生のころから平和学習で何度も勉強してるはずが、実感を持って受け止められなかった希未だけど、そのうち自分の入ってる美術部の吉岡先生が入市被曝の体験者で、あの日たいせつな人をなくしたことを知って。
よう知っとると思うことでも、ほんまは知らんことが多い』ことに気づき始める。

▲ さて、そうやって本の世界に入り込んでるうちに電車はいつのまにか乗り換えの駅に着いており、大慌てで下車。天王寺駅周辺には長いことあった「工事中につき」の看板が取り払われて、わたしの「見慣れた光景」がどこにもなくて。まして、さっきまでヒロシマのことを考えていたから。その新しさとクリスマスムード満載の「街」に、タイムスリップしたような、知らんとこに迷いこんだ気分で、デパートの開店を待つ人の長い列を横目でみながら駅構内にむかった。
平日だし、この時期よしの方面への観光客は少なくて特急電車は二両きりで空席が目立つ。荷物をおいて「ふうう」と長いため息ひとつ。人の多いとこがほんまに苦手になった。

▲ そうだ。本のつづきを。
希未と俊、耕三の三人は身近なひとから「あの日」のことを聞くようになって。希未は先生のこと、俊はご近所でひとり暮らしの「ちょっと苦手なおばさん」の須藤さんのこと、耕三は祖父母に。
「被爆」と「被曝」のちがい(爆弾の被害を直接被ることと、放射線に曝されること)『いつ現れるかわからん、闇夜に潜んだ見えない敵みたいなもんじゃな』という放射線のこと。須藤さんが自身のつらい体験と重ねた新聞の投稿欄で出会った短歌~
「半ズボン汚し帰りし幼な子を叱りいたりき戦死せしかな」(小山ひとみ)

▲ 献辞にもあった「小山ひとみさん」とはこの小山さんのことで、調べてみたら実在の人物らしい。朝日歌壇に多く投歌されていたそうで、テーマは一貫して「戦死せしわが子」だったそうだ。
こういう物語を読んでいるときは、泣かない、泣くことで流してしまわない、と自分につよく言い聞かせてるんだけど、須藤さんの話になって、とうとう抑えきれなくなっておいおい泣いてしもた。俊のおばあさんが言う。親は子に『今日も明日も元気で帰ってくると信じとるけえ、きついことも言えるわけじゃ
そうして三人は、よう知っとると思ってた人にも、知らんかったことがいっぱいあることを「知る」ことになるんよね。

▲自分らのすきな美術だって、戦争が始まると『真っ先に無用とされた科目が美術や音楽だった』『詩は女々しいから読んじゃいけんとか。哲学や思想書をふつうに読んどったら、赤(共産主義者)じゃと言われて特高(特別高等警察)に引っ張られたとか』と話すところもあって。
この場面を読みながら、昨夜みた国会中継がわたしの頭のなかで流れる。

どうか、あなたたちの世代が生きる世界が平和でありますように。自由な心を縛る愚かな思想が、二度と再びこの世界に紛れこみませんように
物語のなか、あるひとが希未に宛てた手紙の忘れられない一節だ。

▲ 200頁に満たない本だったので、駅に着くまでに読み終えた。
窓の外は里が「近づいてきたしるし」の吉野川が見え始め、カーブのたびに激しく電車が揺れる。春の桜、夏の鮎、秋の紅葉もおわると観光シーズンもおしまいだけど、静かで枯れたいま時分の吉野が、わたしは一番すきかもしれない。暖房のよくきいた車内から降りると、足元からじんじん冷気がのぼってくる。案の定、その駅で降りたのはわたし一人きりだった。

▲母とは電話で2~3日に一度は長話してるから~と思ってたけど。
顔みたら、また小さくなった気がしてさみしかった。姉1と姉3とも久しぶり~おんな四人はにぎやかでたのしく、何より母の笑顔がうれしかった。
そのぶん帰りは、二階の窓から身をのりだして何度も手をふる母がせつなく「そんなんしてたら落ちるやん!」と階下から娘たちが叫んで、泣き笑いのうちに また大阪に帰ってきた。
そして 
この日の夜遅く「愚かな思想」を本議会は通してしまった。


* 追記 (いつも長い・・・)
その1)
この本はとてもしずかで美しい物語だとおもいました。誰かのせいもあって、ここ数年「美しい」ということばを書くとき、いつもちょっとためらいの時間がありますが。
さっき泣かないを自分に課していると書いたのは、その美しさの前で、それでなくても、流されやすくあやふやな自分の眼が曇らないように、です。

本文で美術の先生は俊への手紙にこんなことを書いています。
この世界は小さな物語が集まってできている。それぞれのささやかな日常が、小さいと思える生活が、世界を形作っている――そんなふうに私は考えています。小さな物語を丁寧に描いていくことこそが、大きな事件を描き出す最も確かな道なのだと思いませんか』(p167)

自分の存在や表現が「小さい」ことで縮こまることはないんよね。「自分にできること」から始まるんやからと はげまされる思いです。
と同時に、子どもも大人も「物語」だけでなく「今起こっていること」に関心を持ち、なぜ戦争が起きたのか、起きるのか、政治や歴史を学ぶこと「知る」ことの意味も改めて思いました。(歴史についてはこの前 ここにも書きましたが)

今日はアジア・太平洋戦争(1941年12月8日)が始まった日。

その2)
ネルソン・マンデラさんの訃報。
「コシ・シケレリ・アフリカ」Nkosi Sikeleli Afrikaひさしぶりに聴いています。
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# by bacuminnote | 2013-12-08 15:26 | 音楽 | Comments(0)

石蕗の花はきいろ。

▲ 夕方うっかり取り入れるのが遅くなると、せっかく乾いた(であろう)洗濯物がつめたく湿気ってる。ふと薄暗くなった庭の隅を見ると、石蕗の花の黄色が、ぽつぽつと浮きあがって。そんなころモノレールは濃くなった空を横切って白く発光しながら走ってゆくんよね。
灯りのともった電車でつり革を持った乗客がすいーっと流れるようにみえて。自然のなかを人工物がとおりぬけるさまは ふしぎ。モノレールは高いとこを走るからよけい。そしてそれはすっかり見慣れた光景ながら、たまに どきっとするほどきれい。

▲湿気った洗濯物はストーヴを点けたばかりの家の中に干す。タオルやシャツやパンツがひらひらして、とたんに部屋は所帯じみてしまうけど。そもそも「所帯」そのもののおばちゃんとおっちゃんが居るわけやしね。そんな洗濯モンと(老)夫婦はよく似合う。やがて部屋が温もってくると、どちらからともなく長い欠伸ひとつ。今夜も鍋にするかな。

▲ さて、この間書きそびれた 『さよならを待つふたりのために』原題”THE FAULT IN OUR STARS” (ジョン・グリーン著/ 金原瑞人・竹内茜 訳/ 岩波書店2013年刊)のことを。
16歳の女の子ヘイゼルは本と詩のすきな16歳。オーガスタスはひとつ年上の元バスケット選手で、向こう側まで透けて見えそうな青い目をしたかっこいい男の子。ふたりは初めて会ってすぐ恋におちる・・・って、書くとベタな純愛モノみたいでつまらない。
かといって本の紹介にあるように
ヘイゼルは16歳。甲状腺がんが肺に転移して、酸素ボンベが手放せないまま、もう三年も闘病をつづけている。骨肉腫で片足を失った少年オーガスタスと出会い、互いにひかれあうが……。』(amazonより抜粋)となると、よくある「泣ける話」かと思って、いったん手にした本を元に戻してしまいそうだ(苦笑)

▲というか、どちらも事実なんだけど。物語はつまらないものではなく「泣かせる」ために書かれた話でもない。
それは、本のなかで『私が死んだ時、私について語ることが、がんと勇敢に闘った話しかないかも。まるで私が生きているあいだにしたことが、がんになったことしかないみたいに』なんてことをヘイゼルがはっきりと拒否してることでもわかる。

▲二人は出会うなりひかれ合う。それは病気があろうとなかろうと同じで。出会った場所がクラブや学校やCDショップではなく、たまたまガン患者のサポートセンターだったってこと。
この二人ほんとによく話すんよね。電話で、会って、メールで。お互いにすきな本のこと、詩、ゲーム、友だち、家族について。
ヘイゼルの話し方が知的で、皮肉も毒舌も。ときにブラックなユーモアもあるんだけどとても魅力的。それに応えるガスも軽妙でたのしい。二人とも自分の箱にことばをいっぱい持ってる。もしかして、それは若くして死を意識するような病気になったことや、そのことで「独り」の時間をすごしたことが大きいかもしれないなと思う。

▲ お互い気に入りの本を貸して電話で感想を話してる場面がよかった。若いときって話しても話しても尽きないんよね。
「いつまでしゃべってるの!」「どれだけ電話代かかると思ってるねん」と親に怒られた昔のことをなつかしく思い出しつつ、ヘイゼルのいう「三つ目の空間にいっしょにいる」感じを想像する。
オーガスタスが同じ部屋のすぐそばにいるような気がした。でもただそばにいるだけじゃない。私がいるのは私の部屋じゃない。オーガスタスも自分の部屋にはいない。私たちはもろくて目にみえない、電話のときだけ入る三つ目の空間にいっしょにいるそんな気がした。』(p81~)

▲ 二人は共通のお気にいり本となった『至高の痛み』の続きが書かれてないことから、オランダにいる著者に手紙やメールを出しているうちに、とうとう著者本人に会いに行くことになる。病気の子どもの願いをかなえてくれる財団に申し込んでのオランダ行きは、もちろん体の心配があるからヘイゼルの母親が付き添っての旅となるんだけど。
病気をしたことで我慢したり諦めてきたことを抱えた二人がオランダで、夜一緒にでかけ(←お母さんの計らいに拍手)キスをする場面には胸がいっぱいになる。そんな二人に運河を行く船から「素敵な恋人たちは素敵!」と声がかかって。

▲ わたしはこの本みたいにYA(ヤングアダルト:12~19歳のことをいう)とよばれる小説が好きなんだけど、読み出したのは大人になってから。で、その頃はまだ息子たちは小さかったから、主人公に子どもを重ねるというよりは、自分の10代を思い出しながらの読書だった気がする。でも、子どもの成長と共にいつのまにか「親」の眼で読んでいることもあり。主人公の少年少女が親を批判したりしてると、うっかり?「そうだ!」と共感したあと、子どもに「おかんも同じやん」と、言われてるような気分になってちょっとしょんぼりする。

▲ 今回もそんな風に子どもになったり親になったり、視点を移しつつの読書だったけど、病気をもつ子の親のきもちが、わたしにも少しはわかるから、ヘイゼルの母親の言動に、共感も反発もあって。でもどっちにも胸がはりさけそうな思いがした。
親の心配が子どもに重荷になることや、子どもが自分の世話をやくことより親自身のたのしいことをみつけてほしいと願うきもちもよくわかってる。(つもり)

▲親の立場からは、からだに弱いところがあっても(いや、だからこそ)人生に積極的であってほしいとのぞみながらも、一方では波風立てず(波風が子どもの「今の体調」を奪うかもしれないから)退屈でも安定した日常であってほしい、と願ってたり。でも、その矛盾の中でまた自責の念に陥るんよね。
だから、最後のほうでヘイゼルの母親が、自分の娘のように病気を抱えた子どもに何かできるように、と勉強を始めたくだりには、娘以外の世界をつくろうとする彼女の決意がとてもうれしかった。

▲ 翻訳がほんとにいい感じで、若い二人とその友だちの会話や空気が映画を観てるように浮かんで引き込まれた。(あ、そういえばいま映画化されているらしいです)とりわけヘイゼルの語りには、何度もはっとさせられた。その中のひとつ~彼女がオーガスタスの家をしばらく眺めながら。
家って不思議だ。外から見ると中でなにかが起きているようにはほとんど見えない。私たちの生活がほぼ丸ごと入っているはずなのに。そういうのが建物の重要なところなのかもしれない。』(p149)

▲ いい本だったから、急いで読まず、かんたんに泣かず、と思ってゆっくり読み進めたつもりが、途中からどちらもこらえきれなかったけど。とうとう物語にはおわりがきて、そして思いもしなかった別れもやってくる。
鼻すすりながら、あなたたちのことはずっと忘れない、なんて言ったらヘイゼルに『誰かが死んでも、自分だけは死なないと考えてしまうこと自体 死の副作用』と、フンって笑われそうだけど。

『さよならは言わないつもり揚雲雀(あげひばり)』(川島由紀子『スモークツリー』)



*追記 (いつも長い・・)

その1)
なんでか、この本の紹介がとてもむずかしくて(上にも書いたけど「親」の眼が入りすぎたせいかもしれない)昨日はどこにも出かけず、書いたり消したり、いろんなことを考えこんでいました。
あ、そうそう、途中で諦めて新しい本を読んだりもして。

そしたら、この本『コリーニ事件』フェルディナント・フォン・シーラッハ著/ 酒寄進一訳/東京創元社刊 (『さよならを・・』と同様、翻訳者がすきで手にとった)200頁ほどの本なのであっという間に読みきったのですが、内容がものすごく重く「余韻」というよりは読了したその直後から、また自分の中での読書が始まる・・みたいな感じで。ミステリー/法定劇ということもあり、なかなか紹介が難しいけど、おすすめです。そんなこんなで昨日は文字通り「本の一日」となりました。

酒寄進一氏の訳で印象深いのは『ベルリン』三部作。なかでも一番先に日本で出版され、いま又読み直したいと思うのが『ベルリン1933』です。この本について氏の大学内ブログであとがきが載っています。→

その2)
この本を読みながら思い浮かべたのが映画『永遠の僕たち』(原題"Restless"ガス・ヴァン・サント監督)でした。
というわけでSufjan Stevensの Wolverineを聴きながら→
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# by bacuminnote | 2013-11-24 12:30 | 音楽 | Comments(0)
▲ 朝、ふと見上げた空が何だか くっと息のむようなブルーで、そんな中を白い飛行機雲が幾筋か すいーっと走ってて。
『小春日や こはれずに雲 遠くまで』(柴田美佐句集『如月』所収)~前にノートに書き写した句がすいーっと浮ぶ。
じめじめ、しんしん冷えた昨日と大違い。ああ、どこかに行きたいなあ~とさすがの出不精も思うて・・・で、来週行くつもりだった墓参に。
急いで支度して、仏花買うて、ビスケットと缶コーヒ持って、いつものように1時間のバス遠足なり。(←しかし「どっか行きたいなあ」が墓参になるとは・・苦笑)
 
▲ バスの中はぽかぽか。強烈にねむけをさそう陽気に、むかしの教室の窓際の席を思い出しながら、大きな欠伸ひとつ。と、前の席の人もふぁーーとやってはるのが見えて、声だして笑いそうになる。慌てて出て来たから本を持ってくるのを忘れて がっかりしてたんだけど。街路樹の紅や黄色ががうしろへと走ってゆくのを窓越しに眺めながら、しばし五・七・五と指折って、ことばあそびもそのうち飽きて(あきらめて)知らんまにうとうと。気がついたら終点。(あ、乗り過ごしではなく目的の駅です)

▲ タクシーに乗って「◯◯墓地までお願いします」と言うたらドアが閉まり。が、そのうち閉まるかと思った後部座席の窓が開いたままで。いくらええ天気いうても、窓開けて走る季節やないしね。
「あのぉ窓 閉めてくれませんか?」って言おうと思ったその時に、「いやあ、今日は暑ぅおますなあ」と運転手さん。(←大阪でこういう話し方しはる人はかなり高齢者)えっ?何?「温い」やのぅて「暑い」って?・・と思いながらも「え・・あ、はい」とか曖昧に返事して、窓閉める件を言い出せなかった後部座席の乗客(苦笑)

▲ でも、そのうちほんまに窓からの風がここちよいくらいに車内は温かく(窓開けてるしね「暑く」ではなかった)。「昨日はあないに寒かったのになあ」「ほんまに~あんまりええお天気やから今日はお墓参りしよ、思って」「へえ?お墓参りでっか」「いや、だから◯◯墓地に、って・・・」
あれ?だいじょうぶかな、と思ったんやけど。案の定、曲がるべきところを通過。おっちゃん(というより、おじいちゃん)しっかりしてや~(笑)

▲平日の午前中は閑散としてるこの墓地も、今日の陽気ゆえか、三々五々おばちゃんにおばあちゃん、おじいちゃんがお参りに来はる。顔あうと「こんにちわぁ~ええ天気ですねえ」とどちらからともなく挨拶して。隣接するお家のベランダから干した布団をぱんぱん叩く音が聞こえて。お昼前やしね、煮物や炒め物のにおいもどこからか流れてきて。
つくばって草むしり。尾崎放哉やないけど、墓のうらに廻って。また草むしり。墓石に刻まれた文字に、義父が亡くなって今年で10年だと気づく。そうか~もうあれから10年になるのか。

▲『その日、いつものように相方は夜中二時半すぎに起きて、パンを焼き、わたしはあちこちに発送準備をし、お送りするお客さんに便りを書いて。
それから、袋詰めするまでの間にホームページ「麦麦通信」に この日一段ときれいやった朝のことを書いてアップした。

【パン焼きの日のスタート時はまだ星空ですが、朝6時頃になるとようやくあたりが少うし明るくなってきて。
それでもまだ空は深いブルー。そんな空をバックに黒い山々の稜線がシャープです。こんなすばらしい光景を 相方と二人だけで見てるのがほんともったいないと思う。そのうち山々も眠りから覚めるように色を帯びてきて。
こういう景色を 当たり前に見ることのできる 日常に、心からありがとう!と思う朝なのでした】(2003.11.18/麦麦通信)

まさかこの日が最後のパン焼きになり、最後のパンの発送になるなんて、思いもしなかったのに。
さっき改めてこれを読んでたら、なんか どこか「当たり前」じゃなくなる日を予感してるみたいで、どきんとした。

このあと、すこしして病院から義父危篤の知らせを受けて、わたしたちは大急ぎで大阪に向かう支度をしたのだった。主治医のことばから、最悪の事態を覚悟しながらの帰省となったので、道中 初めての携帯電話を契約して車内で説明書を読みながら、親戚や親しい人に連絡をして。そして、大阪まで まだ2~3時間はかかろうかという所で「たったいま」と知らせを受けた。
』(2006.11.18拙ブログより抜粋)

▲いま思ったらわたしはまだ40代のおわり頃で。相方は、息子たちは何歳やったなあ・・と思いをめぐらせる。そら10年経ったんやから、当時は「マイナス10歳」で当たり前なんだけど。自分自身の変化(更年期もふくめこの10年は大きかった)、それにあらためて、この間の子どもらのこと、義母の病気や入院、あれやこれや思い出してなんや胸がいっぱいになった。

▲さて、そんなふうに物思ってぼんやりしてたからか、草ぬきに思いのほか時間かかったからか。いつのまにかお昼すぎてみんな帰らはったみたいで、あたり見渡したらわたし一人。お腹はすくわ、腰は痛いわ、なんや心細いわで、掃除もぼちぼち終わりにしてお線香あげて、墓地をでる。
帰りはいつもどおり徒歩。タクシーの運転手さんが言うてはった「このごろは又シャッターが上がりだした」商店街をゆく。おまんじゅうに味噌団子、刃物研ぎに、味噌屋に佃煮屋。婦人服に靴屋に額屋と本屋。いま街からどんどん消えてゆくという「~屋さん」がいっぱいで。ところどころに昔ながらの純喫茶~ええなあ。こういうごちゃごちゃとした感じ。すきやなあ。「木曜は休みの店多い」って聞いたけど、それでも人通りもけっこうあって、あちこちからええにおいが あふれてる。(←空腹におもいっきり堪える)

▲ようやく駅に着き、バスに乗るや出発までの短い時間に後ろの席にて こそこそとバッグから取り出してビスケット+缶コーヒ。この時分になると車内は温いより暑く。さっきのタクシーの運転手さんやないけど、窓開けて走ってほしいくらい。だんだん気持ち悪くなって、ストールを外しカーディガンを脱ぎ、とうとう薄いブラウス一枚になった(こんな格好はバスの中でわたしひとりであった・・)
暑さと空腹で(←しつこい)長く感じた帰途だったけど、ようやくバス停に着き、降りるなり深呼吸。ああ、すっとした。ていうかハラヘッタ!(笑)
家に走って帰って昨日のハヤシライスの残りを食べるつもりだったけど。予定変更。たこ焼き屋に直進だ。
カウンターにて一皿。目の前に貼りつけてあるメニュウの「ビールセット」の派手なロゴを見ながら(見るだけ)ひっさしぶりの熱々たこやきを頬張った。ああ、おいし。

*追記
その1)
開田高原をおもいだしながら、前にも貼ったたことあるけど、だいすきなCDから(ジャッケトもすき)
the winter-Balmorhea


その2)
今回 この前読んだ本『さよならを待つふたりのために』と映画(DVD)『最初の人間』のこと書きかけてたんだけど、ええ天気にさそわれて途中でほっぽって墓参に出たら、全然ちがう話になりましたが。こんど(こそ・・忘れんうちに)書くつもり。
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# by bacuminnote | 2013-11-15 11:12 | 音楽 | Comments(0)