いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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▲ 出不精である。(←いまさら・・笑)
家で居ることや、ウチでできることに結構まんぞくしてるのかなあ、とか思ったりもするけど、多分そのことに大して意味はない。単にモノグサなのと、知らないところに出かけるのが臆病なだけかもしれない。

▲ブログやTwitterで、あちこちに出かけて行く人の報告や写真、それにびっしりと計画と約束で埋まった手帖を見せてもらうと、すごいなあ~とその行動力と紙面にうっとり。(手帖好きとしてはやっぱりこれくらい書き込みがないとなあ・・と思うのであった)
わたしなんかせいぜい1日1イベントが限界。二箇所まわっただけで翌日は へたってしまう軟弱モンやから、手帖はいつだって白いとこが多い。そのくせ毎年いま時分になるとそわそわして文房具屋さんに走るんだけど。(わたしの手帖好きは「片思い」みたいなもんやなあ~)

▲ そんなわたしがこの間ひさしぶりに遠出してきた、というても、行き先は京都。同行者は旧友Jである。
もうずいぶん前から思い出多い「七条あたりにいっぺん」と話して、そのままになってたんだけど。去年だったかJがバスで近く通ったとかで、なじみの喫茶店Aの写真を送ってきてくれて。「せや、久しぶりにあそこで珈琲飲もうや」ということになったんよね。

▲ が、そもそも類が類を呼んだ関係ゆえJもまた約束事やスケジュールに弱いタイプで(とはいえ、彼女はマンガ家・イラストレーターであり、わたしとは違って出かける先は多い)
しかもお互い優柔不断。
加えて、どっちかと言うたら、自分のことより相手のことを心配してしまうココロやさしい性格なので(←ほんまか?・・笑)
「この暑いのに出てくるのしんどいんちゃうやろか」とか、「歩き回るコースはアカンやろなあ」(←これはわたしの脚力のなさで)とか言うてるうちに、どんどん時間はすぎ、別の予定がはいったりして。
そうこうしてるうちに「寒なったしなあ」「もう年末やし」に突入しそうで(苦笑)「よっしゃ、明日にしよ」と決まったのだった。

▲ その日は予報通りの曇り空。
Jは相方に「いつでも会えるのに、わざわざ今日みたいな天気の日に・・」と笑われたらしいけど。曇ってても、雨降っても、今日でええの!ってことで、京阪特急電車2号車にて落ち合った。
「きょうは きょうとに きゅうゆうと とっきゅうでんしゃで でかけました」と小学生の遠足気分。途中彼女が乗ってくる駅が近づくと座ってられなくて、中腰で窓の外をみる。
さて、二人ぺちゃくちゃしゃべってるとあっという間に目的の七条駅に。けど、この駅は二十数年前から地下にもぐっており、ちっとも「七条に着いた」気がしなくて、もうちょっとで乗り越すとこやった。

▲ 地上に出て、鴨川みて七条大橋みて、橋のむこうに京都タワーの赤いてっぺんが見えて、ああ、七条や~としみじみ。
そういえば京都タワーはずっとロウソクの姿って思ってたけど、「市内の町家の瓦葺きを波に見立て、海のない京都の街を照らす灯台をイメージしたもの」(by wiki)らしい。
知らんかったなあ。

▲駅降りてすぐパチンコ屋の七条ホール(むかしよく行った・・苦笑)はマクドになっていたものの、かつて市電⑥の乗り場前だった本屋さんも健在。通りのお店は見覚えのある所も多くて、歩くたびに、どんどん時が遡って若返ってゆくような(!)気がした。

▲ まずは件の喫茶店Aに。
十代のおわり・・今思ったら親のすねかじりのくせに、珈琲なんかウチで飲めよ~なんやけど、あの頃は下宿で飲むのはインスタントコーヒー。旨い珈琲は喫茶店で。
ロックやジャズを聴くのも、友だちとあほな話も、侃々諤々議論の場も、デートもまた喫茶店~という時代であった。

▲そのかわり一杯の珈琲で何時間も居座って。
せやから思い出の場所はガッコより「各所目的別喫茶店」が断然多くて(苦笑)
いまだに地名より喫茶店のなまえ聞くほうが、その「街」がぱっと浮かんでくる。というわけで東山七条地区ではA。

▲ 当時のマスターのことをたずねるのに「あのーわたしら、えーっと40年ほど前にここによく来てましてん・・」と自分で言いながら40年!とびっくりする。そう、Jと会ってもう40年にもなるんである。
その昔、サイフォンのボールに珈琲が残ると黙ってカップにお代わり入れてくれはった蝶ネクタイの似合うマスターは5年前に亡くならはったそうで。
「その頃たしか、お嬢ちゃんが中学生で・・」と言うと、カウンターの常連客らしいおっちゃんが「マスター、そのお嬢ちゃんとケッコンしたんがこの私ですねん~って、言わんかいな」と言わはったので、そこにいた皆で大笑い。そうやったんか~と頬がゆるむ。

▲ よく食べた卵トーストサンドと一緒に、ちょっと濃い目のなつかしいブレンド珈琲をブラックで。ああ、おいしかった。また来よう。
Aを出たあと国立博物館のショップをのぞき、思いつきで 『三十三間堂』に。じつ言うとこの歳になるまでわたしもJも入ったことがなかったのだ。拝観料を払って入る、なんて若いときには考えもしなかった。拝観料払うくらいやったら珈琲のんで、文庫本一冊買うて~やったんやろね。

▲ 秋の京都は平日とはいえ、曇り空とはいえ、観光客でいっぱい。この日も堂内には団体のバスが次々にやって来る。ここは同じ東山区にある天台宗妙法院の境外仏堂。三十三間堂っていうたら、毎年「通し矢」でニュースにも出てたし、写真も見てたはずだけど、お香のにおいの中 うす暗いお堂に入ってすぐに目にとびこむ大勢の(?)千手観音さんは衝撃的だ。

▲ コーフン気味に進んで行くと、中央に丈六坐像の本尊。その左右に十段の階段があって、そこに50体ずつ千手観音さんが立ってはるから・・全員(?)で千体並んでるさまは、じつに壮観。
さわがしい修学旅行の小学生たちも、皆うおーっと声あげてちょっとの間しーんとする。この「しーん」の間、それぞれの胸にきっと何かきざまれるんやろなあ。おばちゃんはその様子みて じんとくる。
後はすぐにもう「こんなとこで、じっとしてられへん」いつもの子どもたちに戻って。なんべんも鼠色の作務衣の若い寺務員さんに「キミら、もうちょっと静かに」って、注意されてたけど。

▲ 千手観音さんの前にいてはる二十八部衆像も、時にしゃがみ込んでひとつづつ丁寧に説明を読み見入る。(ここがおばちゃんと小学生のちがうとこ)どれも興味深く見たけど、とりわけ翼を持ち横笛を吹く迦楼羅(かるら)王像が印象に残った。迦楼羅とは梵語ではガルーダ(金翅鳥 こんじちょう)のことらしい。半人半鳥で、口元は天狗みたいでちょっとこわいけど、このひと?の吹く横笛の音はどんなやろうねえ。

▲見学者には外国の人も多く、そのつどグループやカップルに付いたガイドさんの英語や中国語も耳に入ってきて、なかなかコスモポリタンな空間でおもしろかった。
説明のなかに「オン バサラ ダルマ キリ ソワカ」という真言(呪文)が書いてあったのをみて、ふたり機嫌よく「オン バサラ ダルマ・・ソワカ、ソワカ・・」と暗誦しつつ堂を出た。

▲ 本堂の前で同じような二人組みおばちゃんに写真撮ってもろた後は「三十三間」由来の柱の数を数えて、ああでもないこうでもない、と小学生のように騒いで。
休憩にもう一軒の喫茶店に入って又しゃべってしゃべって。外に出たらすっかり薄暗くなって雨が降り始めてた。「ほな、帰ろか」と席をたつ。

▲むかしは毎日こんなふうにしゃべってしゃべって過ごしてたんよね。明日になればまた会えるのに。
京阪七条駅では乗り場を間違えて、大笑いして反対方向に歩いたつもりが、あろうことか、また同じホームに出てしまい。いやはや、方向音痴二人組らしい遠足の終わりであった。

▲家にかえってから、お互い「三十三間堂」について復習したようで、メールにてその成果をさっそく披露(笑)
「オン ダルマ キリソワカ」は
『「祈りましょう。大切な人のために。そして、生きとし生けるものの幸せのために」という本尊・千手観音さまの真言(お祈りの言葉)』とあったので、彼女とこのことばをおくりあってメール終了。
J、ええ一日やったなあ。

『コーヒ店 永遠に在り 秋の雨』(永田耕衣)




*追記

その1)
三十三間堂の中で祈願のところにおなじみの「家内安全」「大願成就」とかに並んで「頭痛平癒」とあるのが珍しいなあ、と思ってメモして帰ったんだけど、調べてみたらここを創建した後白河上皇が長年頭痛に悩まされていたそうで。「頭痛封じの寺」として崇敬を受けるようになり、「頭痛山平癒寺」と俗称された、とあって、頭痛持ちは時代を越えて~とおもうのでした(わたしもそのひとり)
そういうたら
『梁塵秘抄』
(←すき)の編者はこの頭痛もちのお方でしたね~

その2)
京都市電⑥はたぶんいちばんよく乗った電車。京都駅、七条、岡崎公園、百万遍~なつかしい→

その3)
Lou Reedにはちょうどそんな年のころにであいました。さみし。
"Walk On the Wild Side"→

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# by bacuminnote | 2013-11-02 15:06 | 音楽 | Comments(0)
▲ 秋をたのしむ間もなく冷たい風がふきぬけ始めて。しばらくは薄物に薄物かさねてかさねて凌いでたけど、とうとう一昨日セーターをひっぱりだしてきた。寝るときにはおこたまで登場。まだ、扇風機もしまってないのにね。
それにしても、なんだか年々季節のめりはりがなくなってる気がする。そうして、子どもの頃みたアメリカのホームドラマみたいに、街をゆけば半袖とコート姿がいっしょに歩いてる。で、コートの下は半袖やったりして。寒いのは外歩いてるときだけ。ビルや家の中ではシャツ一枚の暖かさ。たしかに天候も変だけど。ひとがしてることもおかしいなあ。

▲ この前ちょっと調べたいことあって地図みて気がついたこと。
わたしらがパン屋を始めた滋賀県・愛知川町も、その後引っ越した長野県・開田村も、どちらもいまはその名前が地図にはないんよね。開田村は木曽町として合併され、木曽町開田高原に。愛知川(えちがわ)は秦荘町(はたしょう)と合併して愛荘町に名を変えた。

▲ とりわけ愛知川周辺のまち~パン焼きのあと親子で何度も行ったプールのあった湖東町も、毎週通った図書館の八日市も、一時親子で夢中になったピアノ教室の五個荘町(ごかしょう)も、友人の家がある能登川町もみな東近江市にと変わってしまっており。
なじみ深いあの場所もこの場所も、であった人も風景も、こころと体にしっかり焼き付いてるのに、地図をみると違う名前が載っている。なんだかそれは知らない町のようでよそよそしくて。なつかしい「あの」町だとは思えなくて、さみしい。

▲ 土地の名前には、その名に決まるまでそれぞれに長い物語と歴史があって。それが行政の都合でかんたんに消えてゆくのはなんとも残念でならない。そんなことを思ってたら、ずいぶん前に図書館にリクエストしてた『鳥と雲と薬草袋』(梨木香歩著・新潮社)というふしぎなタイトルの本が届いた。自分で予約しておいてなんだけど時間がたちすぎて、どんな本だったのかも忘れてしまっており・・(苦笑)
でも、開けてびっくり。まさに地名についてのエッセイ集だった。

▲ 著者曰くこの「葉扁集」は(←「掌篇より はかなげなこの「葉篇」という言葉はある方の造語」とある)「文字通り葉っぱが降り積むように、これまでの生涯で縁のあった土地の名を重ねていく」西日本新聞での連載をまとめたものらしい。「まなざしからついた地名」「文字に倚り掛からない地名」「消えた地名」「正月らしい地名」「新しく生まれた地名」「温かな地名」「峠についた地名」「岬についた地名」「谷戸と迫と熊」「晴々とする”バル”」「いくつもの峠を越えて行く」「島のもつ名前」・・と目次もたのしくて、地名のひとつひとつ、その場所に込められた思いや物語がうかんでくるようで、わくわくする。

▲ ふしぎなタイトルのわけは、梨木さんのお家の窓から見える「鳥と雲(気象)」、梨木さんが旅の鞄に入れておくごちゃごちゃ袋~小さな島で貰ったハーブのブーケや旅の最中の色々なメモも入っている「薬草袋」から。あちこちに旅する鳥たちが運んでくれるもの、ちいさな袋にいっぱいの思いがハーブの香りといっしょにこぼれ落ちてくるようだ。
p170しかない本だから、その気になれば一気に読み終えられそうだけど、「著者がお願いするのもおかしいことだが、薄い本ではあるけれども、連載時と同じように一日一篇、と読んでくだされば」と「あとがき」にあって、図書館の帰り道から始まってすでに数篇読んでしまったわたしは首をすくめる。

▲ そうそう「新しく生まれた地名」には、なんと件の東近江市も登場していて、思わず「おお」と声がでた。
梨木さんは『あかねさす 紫野行き 標野(しめの)行き 野守は見ずや 君が袖振る』(万葉集/額田王 ぬかたのおおきみ)を挙げ、この歌の舞台となる蒲生野(がもうの)を語る。

その名称は二〇〇五年まで、蒲生郡蒲生町という地名で残っていた。車で走っていて、蒲生町、という表示版を見るたびに、この万葉の古歌が浮かんできて、思わず口ずさんだりしたものだ。
その年、永源寺町、五個荘町など、由緒ある地名の一市四町を合併、さらに二〇〇六年には件の蒲生郡蒲生町、神崎郡能登川町を編入して、現在の東近江市になった。車を運転する人も、地図を観るひとも、ここがあの蒲生野のあった場所、とは、もう容易に結びつかないだろう。
」(p55)

▲ 最後の一篇は「ショルタ島」~「今まで旅した中で一番素朴な名を最後に取り上げたい」として、これだけが外国の地名を挙げている。アドリア海に浮ぶ島、クロアチアのショルタ島(さいしょに書いた梨木さんの「薬草袋」に入ってるハーブのブーケも、もとはこの島のおばあさんからもらったものだとか)にある港の上の村の名まえが日本語で言うと「上の方」というらしい。

古代、それで十分用が足りたのだろう。以来何千年も、その村は「上の方」と呼ばれている。
それが地名というものの本来の形なのだろう。その場所を呼ぶ必要があるとき、誰もが分かる形でそこを表す。それに文化的な修飾がついたり、中央集権的な記号性の高いものへ取って代わったりする。(中略)

「上の方」の村には咲き匂う野生のハーブの花を求めて養蜂業者も住み着いた。ここの野生のローズマリーの花の蜜は絶品だ。「上の方」という名のイメージは、そういう香り高いものになりつつある。地名も人名も、およそ名というものはそのように、長い年月をかけ本来の意味から自由に成長していくものなのだろう。
」(p135)

▲「上(うえ)の方」で思い出した。ジッカのあたりでは場所をしめすのに「上(かみ)」「下(しも)」をよくつかうんよね。ショルタ島のようにそれが地名としてあるのではないんだけど、吉野川に沿った町並みは 上(かみ)の方が奥で下(しも)に行くと街が開けてくる。街まで買い物に出るのに「ちょっと下に行ってくるわ」という広い範囲から、近所の親戚の家のことを「上の家」「下の家」と言ったりするのだった。

▲ああ、あちこちの地名のことおもってたら、どっかに行きたくなったなあ。遠くじゃなくてもいい。
しずかに読んだその後は、ふらりとどこかに出かけて行きたくなる本だ。



*追記
鳥といえば、これ。16の頃出会って、もうどれくらいくりかえし聴いてきたことか。
Birds-Neil young

最近は、このうたも。
Birdsong-Powerdove

こういうのもすき。
birds sing for their lives-nine horses
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# by bacuminnote | 2013-10-22 00:13 | 音楽 | Comments(0)

うつっていないもの。

▲ 台風が通りすぎてゆく途中で夏を落っことしていったのか。いつまでも暑いこと、暑いこと。さすがにもう飽きたなあ、と思いつつくたびれた半袖Tシャツを今日も着た。街を歩いたらマネキンはコートにマフラー巻いてたりするのに。文房具屋さんの店頭にはもう来年のカレンダーや手帖が並んでるのに。居座る夏と出番待ちの冬の間で遠慮がちに見え隠れの秋よ!ぼやぼやしてたら冬に先越されるよ。早いこと みんなの前に出て来てください。

▲そんな毎日だけど(だから)久しぶりに大根とお揚げさんの炊いたんが食べたくなって。ことこと煮た。家じゅうに煮物のにおいがひろがって、ああ大根のにおいって 夕餉のにおいやなあ、と思う。
でも、まだまだ煮物には暑いしね、ビールのみながら(←やっぱり)本読みながら、引き続きことこと。母に電話したら「今日は何こしらえてるん?」と聞かれる。「大根の炊いたん、でっか。そら、よろしなあ。けど、変われば変わるもんやなあ」と呆れたように笑われるのもいつものこと。

▲野菜嫌いの子どもだった。
とりわけ大根の煮物はそのにおいも味も、それこそ「大」がつくほど苦手やったんよね。祖母にも母にも姉たちにも、学校では友だちやセンセにも「だまされたと思っていっぺん食べてみ。おいしいねんから」となんべん言われたことか。大根だけやなくて菜っ葉の炊いたんも、生野菜も苦手やったからガッコの給食の思い出は「残されて食べた」に尽きる。何がそんなに嫌だったのか思いもつかないけど。とにかく、いまでは野菜はすきな食べ物になってほんまによかった。そして、 ひさしぶりの大根はしみじみとおいしかった。

▲その夜のこと。何日か前にTwitterでみかけた「おしん」「大根めし」という言葉を思い出した。当時はひたすら我慢と辛抱の美談と思いこんでたし、ちょっと苦手かも~と リアルタイムでは観ることのないドラマだったんだけど。今年はじめからはBSで再放送されているようだし、映画にもなって今秋公開され、ノベライズもされたそうで。ネット検索したらいっぱいヒットした。「大根めし」はその頃の東北(山形)の小作農の貧しい暮らしの象徴で、それすら、おしんの子ども時代にはお腹いっぱいに食べられなかったそうで。時代がちがうとはいえ かつてのわがまま娘にはことばもない。

▲いや、それにしても30年も前のドラマが、なぜ今また映画に?
「おしん」の一生を描いた物語をどうして少女時代に焦点を当てたんかなあ?とか・・・いろいろ思ったりしながら鑑賞中。(関心のあった途中から見始めたけど長い!)
いまは敗戦後のあたりを観てるけれど(アジア太平洋戦争の)戦争前や戦中の人々の様子は今に繋がる空気も感じられて、こわくもあり興味ふかい。

▲おしんとその家族を中心に民衆の生活や、戦争への思い~不満を感じるところもあるものの、国や軍に対する疑問や怒りも、想像していた以上 辛辣に描いてるなあと思う。
何より30年前はこれをNHKの朝ドラで放映して高視聴率を獲得していたわけで。むしろ、こういうことを「想像以上」と思ってしまう「いま」の状況が問題なんやろなあ、と暗い気持ちになったり。
頭のなかは考える種と付箋だらけで、いまだ混乱のさなか~(苦笑)。

▲ ちょうど同じころに『戦後日本史の考え方・学び方  歴史って何だろう?』(成田龍一著 河出書房新社2013年刊)を読み始めており。これは「14歳の世渡り術シリーズ」の本なので中学生を対象に書かれていて、とてもわかりやすい。でも読むのはかんたんでも「考える」ことは易くはなくて。40年以上前の中学生(!)は錆びついた頭をみがきつつ 学び直さねば、と痛感。

▲そういえば、この本には考えるヒントとして映画『ALWAYS三丁目の夕日』(2005年山崎貴監督)が、たびたび登場するんよね。描かれた世界、描かれなかったこと。「歴史と記憶のちがい」。
歴史が描かれるドラマや映画は、それが物語の中心であっても、背景であっても、おもしろければおもしろいほどその世界にすーっと自然に入り込んでしまうけれど。つねに画面には映っていない部分や世界(描かれなかったもの)が在ることを、感じたり想像できる知識が必要と思う。
ああ、学びの秋です。

【たとえば、これまで見てきた高度経済成長の時代を語るとき、私たちが生きている「いま」がどんなかたちで持ち込まれているのか、そこまで思いを巡らせてみることが「歴史とは何か」を考えることなんです。『ALWAYA三丁目の夕日』は、高度経済成長の時代を、みんな貧しいけれども助けあって生きていた、まだ町内のまとまりがあった、人が温かかった、みんなが夢をもっていた時代として描きました。しかし、それは不況の「いま」を見てしまったからではないのか、ということです。】(”歴史はあとから語られる“より抜粋)

【自分たちが生きている「いま」をどう考えるか、という視線が過去に向かい、そのとき、必然的に、過去を「いま」と結びつけて考えること。このことこそが歴史ということになります。
いっぽう、「いま」を考えるということは「この先どうするか」ということと結びついているわけですから、過去を考えるということは未来を考えるということでもあります。】(”歴史は「いま」から逃れられない”より抜粋)

【歴史はひとつではない、しかし、なんでもありでもないのです。】(おわりに より)


*追記
その1)
ここを書いていた思い出した文章がある。
以前光文社から出ていた月刊誌『本が好き』(休刊中)の中にあった金原瑞人氏の連載『今月のYA(ヤング・アダルト)招待席』~第二十五回(2008年7月号 "「かつての記憶」と「これからの記憶」が交錯する物語" として
絵本『ちいさなあなたへ』と『てを つなご』の紹介のあと、こう書かれていた。

【おそらくここに介在するのは、「かつての記憶」と「これからの記憶」、そのふたつをつなぐ「いま」。ここで過去と未来が重なる。あざやかな記憶、あいまいな記憶、記憶に残っていくもの、そして記憶からこぼれていくもの……しかし「記憶」ってなんだろう。
今年の初めからかかわっていた『トム・ウェイツ 素面の、酔いどれ天使』パトリック・ハンフリーズ著 金原瑞人訳 東邦出版』)が出版の運びになった。いたるところに、トムの名言、金言、格言、箴言がちりばめられてる。そのなかからひとつ。
「記憶ってのはいったん事実をばらして、また組み立て直す機械みたいなものだ。そのあとには、必ず部品がいくつか余ってる」】

その2)
12月に公開される映画『ゼロ・グラビティ』予告編1にも流れてたけど~ 
エストニアの作曲家Arvo Pärt(アルヴォ・ペルト)の"Spiegel im Spiegel"(鏡の中の鏡)という曲~3つの楽器バージョンあって、わたしはチェロとピアノ版がいちばんすきです。
celo and piano→
violin and piano→
cello and harp→

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# by bacuminnote | 2013-10-12 17:32 | 音楽 | Comments(2)
▲母から梨届く。
ケッコン以来毎年・・途中よしので暮らした時期をのぞいてずっとやから。もう32回目の梨。送り先はそのかん6回変わり、食べるひとは2人から3人に、やがて4人になり。くだものを買うのがたいへんだった若い家庭に、大きな箱いっぱいに届く梨はほんまにうれしかった。とりわけ梨好きの上の子は、おばあちゃんが送ってくれる梨で、くだものを剥くことを覚えた。用事で出かけて帰ってくるとテーブルの上にあった手紙~「なしむいて、れいぞうこにあります。」~広告の裏に書いた幼い文字は 今も浮かんでくるようだ。

▲ と、いろいろ家族の思い出かさなる「おばあちゃんの梨」なんだけど。
あちこちに送るその手配が母にはここ数年しんどくなってるらしく、すぐに「もう今年で最後にしとく」とか言うんよね。口の悪い娘は「それ毎年言うてるやん」と茶々を入れつつ、老いて弱気の母を励ましてた?つもりだったけど。90歳になった「今年こそほんまに最後」と受話器のむこうの声に力がなかったから。とっさに笑いで返すことができず、一瞬しんとしてしもた。

▲ 子どものころから見慣れた薄緑色の紙『大阿太高原・廿世紀梨』のなつかしいロゴを、眺めつつ梨を剥く。いまはもう奪い合うようにして伸びて来る男の子らの手はないけれど、相方とさりさり音たてて食べる しずかな夜だ。
来年もこうやって母の送ってくれる梨を食べる秋になるといいな。そんで母の繰り言に「それ毎年言うてるやん」と笑う秋であってほしい。

▲ さて、そんなこんなでちょっとセンチメンタルな今日この頃だったけど。
気分かえてDVDを借りてきた。
『ル・コルビジュエの家』
(監督/ガストン・ドゥプラット&マリアノ・コーン)というアルゼンチン映画。タイトルから最初は建築家ル・コルビジュエのドキュメンタリーかな、と思ったけど、そうではなくて、アルゼンチンにある彼が実際に設計した家を舞台に、脚本は自身建築家でもあるアンドレス・ドゥプラットによる劇映画だ。

▲まず、画面の左右にちがう壁が出て、右の壁をハンマーで叩いていくところから映画が始まる。ドンドンという重い音が響くにつれ、しだいに左側の壁が崩れてきて。
つまり、右の壁はお隣が光ほしさに窓を作ろうと、壁を叩き破ってる(壁の内側)を。左側は「そんなところに窓など作ってもらっては困る」ル・コルビュジエの家の窓から見えるお隣の壁(壁の外側)を映してるんよね。この場面はとても印象的。ここだけ切り取ってもアート。かっこいい。

▲ 主人公は「コルビュジエの家」に住む高名な椅子デザイナーのレオナルド。家具調度もモダンで、あちこちに現代美術の作品が飾られて、妻と娘と三人のいかにもアーティストな(って、どんなんかわからないけど)暮らしぶり。ある朝、隣家からの思いがけないドンドンという音に起こされたレオナルドは窓から見える隣の壁の大きな穴に愕然とする。さっそく見知らぬ隣の住人ビクトルに、それは「違法だ」と訴えるんだけど。「太陽の光がちょっとほしいだけなんだ」と返される。

▲ そうして隣の家の壁の穴がきっかけに、レオナルド一家の一見おだやかな日常の中に、細い煙がじわじわと立ち上がって不穏な煙が広がり始める。一方 正体不明の不気味なお隣さんのビクトルが、ちょっとかわいく思えてきたり。最後までしゃべらなかった(と思う)娘が窓越しにビクトルの変てこな指人形(これもすごいふしぎな魅力やなあと思ってたら、アルゼンチンのアーティストによるものだったらしい)に初めてみせる笑顔とか、妻のわけわからん「キスして」という要求も。ユーモア(時にブラックな)とシュールな空気。寓意的な物語展開のなかに知らないうちに入り込み、どこか別の家からこの2軒の家や、その住人たちの深いところまで覗いてるような気分で、とてもおもしろくてこわい映画だった。

▲ そういえば。
むかし北米旅行のときピッツバーグの友だちに車でフランク・ロイド・ライト設計の家(
FALLING WATER
~落水荘)に連れて行ってもらった。その森と川(落水)のうつくしさはよく覚えてるのに、かんじんの家のことはあまり印象に残っていなくて。いまある記憶や知識は後に本やネットで得た気がする。
むしろ、思い出すのはその日一緒に行った友だちのお母さんがランチに、と作ってくれたターキーのサンドイッチがものすごくおいしかったこと!それから、きれいな筆記体で書かれた息子の名前の包み。その中にはサンドイッチと"secret ! "って書いたマーブルチョコレートの袋が入ってたこと。
歳とって、前にもまして「忘れる」ことだらけやけど、人のやさしさとおいしいもんのことは覚えてる。たぶん、ずっと。

*追記
最近よく聴いてるCDから
The Sadness in Your Life Will Slowly Fade- Bill Wells & Aidan Moffat
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# by bacuminnote | 2013-10-01 13:07 | 映画 | Comments(0)

川はラムネの瓶の色。

▲ 暑い、暑いというてた日がうそのように、涼しくなって。
ああ、ようやく秋かと思ったんだけど。これがすっきり退場とはいかず、なかなかにしぶといお方である。(←夏が)
「秋隣(あきとなり)」というすきなことばがある。まだ陽射しは強いけど朝夕に秋の気配を感じることをいう「夏」の季語ながら、今はまさにそんな感じやなあと思う。
さっき、うっかり「あきどなり」とキーを叩いたら「秋怒鳴り」というのがでてきて大笑い。まだ暑い日が続くようやったら、それこそ「秋が怒鳴ってくる」かもしれへんなあ。
今日も綿菓子をちぎって薄くうすーく伸ばしたような雲と水色の空がうっとりするほどきれいで、ついつい買いもんに行く途中 立ちどまって上見てると「何やろ?」とつられて空見上げる人がいるのも、たのし。

▲二、三日そんなこんなのエエお天気がつづくけれど、この間の台風のときはほんまにこわかった。
あんなに台風がこわいと思ったのは、久しぶりのこと。夜中じゅう続いたすごい雨音と風によく眠れないまま、川の傍(はた)で育った子ども時代~台風のよしの川を思い出していた。
夏休みに毎日泳いだラムネの瓶の色した静かな川が、台風が来ると、まるで人が(川が?)変わったみたいに、土色に濁って、唸り声あげ、太い束のようになった水が どどぉーっとものすごい勢いで流れて来て。

▲ そんな中を野菜や倒木、壊れた家具や屋根、たまに自転車なんかも流れてきたっけ。
はじめのうちは姉たちと二階の窓から身を乗り出すようにして、波の間に見え隠れするタンスが踊るようだとか言うてはきゃあきゃあ騒いでたんだけど。そのうち、橋脚がみるみるうちに短くなって、橋ぜんたいが川に飲み込まれるかもしれない、とはらはらして。いつのまにか みな無口になった。

▲ 何より、橋のむこうにある旅館にいるお母ちゃんやお父ちゃんは、橋が壊れたらもうここへ帰って来れへんのとちゃうか、とわたしは心配でならなかった。「なんせ伊勢湾台風のときは橋がまっぷたつになったもんなあ」と、台風のたびに大人たちが言うてたのと伊勢湾台風当時の幼い記憶ながら(わたしはまだ5歳にもなってなかった)「ただごとではない」雰囲気と伴って、自分の中で大きな不安として在ったんやろなと思う。じきに、遠回りさえしたら帰って来れるとわかるようになるんだけど。

▲当時ウチには鮎舟が何隻かあったから、台風が来ると舟が流されないように上の道まで引き上げないといけない。台風の進路と様子をみながら、いよいよと判断すると、母が船頭さん(というても、普段は別の仕事持ってはる人たち)に電話して集まってもらう。「すんまへんなあ。すんまへんなあ」と電話にむかって悲壮な顔して、なんべんもなんべんもお辞儀していた母の姿はわすれられない。
いま思えば、船頭さんもたいてい川べりの家に住んではるから、自分ちの台風の準備で一杯一杯なのに、雨のなか舟を上げに皆来てくれはったんやなあ~としみじみ。

▲ この間の台風で、水浸しになってる馴染みのある地、よく知っている川が氾濫しているようすをニュースで、息詰まる思いで見ながら、かつての故郷の川がうかんできた。
たのしい川も、夏のたびの辛く悲しい事故も、台風の被害も。川の表情はじつにさまざまだ。ニュースによると、まさかあの川が、と思うところまでかなり増水したようで。
川も生き物なのだ。長いこと忘れかけてたけれど。
被害にあわれた地域のみなさまに心からお見舞いもうしあげます。

*追記

わかい時くりかえし聴いたランディ・ニューマンの"ルイジアナ1927"を、ひさしぶりに。これは1927年のルイジアナの大洪水をうたったもの。その頃意味をわかって聴いてたのか思い出せないのですが。
Louisiana 1927-Randy Newman

"ルイジアナ ルイジアナ
あらゆるものが我々を押し流そうとしている
あらゆるものが我々を押し流そうとしている
"
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# by bacuminnote | 2013-09-22 09:51 | まち歩き | Comments(0)

とどけなかったもの。

▲ 朝の日差しの柔らかさに気をよくして、「秋!」とか思って(←安直)午後から長袖着てタイツはいて出かけたら。暑いの、なんの。まだまだ、しっかり、どんと居座る夏に、ため息つきながら汗だくで帰ってきた。
それでも。
空の青が深く濃くなってくる頃には、虫の音が聞こえ始め、これ以上きもちのよいものはないって、ってくらいのええ風が吹きはじめる。そろそろ素足から靴下に、半袖から七分袖。冷奴は湯豆腐に、冷たい水は熱いお茶になり。ビールはワインに。ああ、あと少し。もうちょっと。秋が来るのを待っている。

▲ このあいだ図書館で『ひとりひとりのやさしさ』という絵本に出会った。(原題は『EACH KINDNESS』ジャクリーン・ウッドソン作 /さくまゆみこ訳/E.B.ルイス絵/BL出版2013年刊)
物語のはじまりは冬。『そのふゆは、ゆきがふりつもって、せかいが しろく かがやいていた』そんなある日、校長先生につれられて転校生の女の子マヤがやってくる。この頁の絵のアングルが、ちょっと変わってる。ななめ下から二人を見上げたように描かれているから、うつむいたマヤの不安でいっぱいの硬い表情がみえて、おばちゃん(わたし)はたぶんこれから起きるのだろうよくないことを想像してしまう。

▲ 案の定あたらしいクラスメートを前にあたし(クローイ)の眼は、マヤの着ている服がみすぼらしいことや、靴が夏用でしかも片方は紐が切れてるところも捉える。あたしの隣の席に座ったマヤは、さっそくあたしに笑いかけてくるんだけど、あたしは笑顔を返さない。それだけじゃなく、自分の椅子や持ち物をマヤから遠ざけて。マヤがこっちを向くと窓の外の雪を見るふりをするんよね。

▲ あたしには仲良しの友だちケンドラとソフィーがいて。休み時間にはいつも3人一緒に遊んでる。ある日、3人でいるところにマヤが遊ぼう、と誘いにくるんだけど、3人は断る。それどころか3人寄ると、笑いながらマヤのことをあれやこれやとうわさする。マヤの着てる古びた服や靴、へんなお弁当、時々もってくる古いおもちゃのことも。
やがて、季節はかわり、ある日マヤは可愛いワンピースとおしゃれなくつで学校に来る。でも、それは多分だれかのお古と思えるもので。3人はげらげら笑う。マヤは縄跳びを持ってたけど、もう3人を誘わない。ひとり縄跳びしながら校庭をぐるぐる回る。こっちを一度も見ないで。

▲ その次の日のこと、マヤは学校に来なかった。その日担任のアルバート先生が洗い桶を持ってきて、そこに水を入れる。そして先生は小さな石を水に落とすんよね。
おちた こいしから さざなみが ひろがった。
アルバートせんせいが いった。
「やさしさも、 これと おなじですよ。わたしたち ひとりひとりの ちいさなやさしさが、さざなみの ように せかいに ひろがっていくのです。


▲それから先生は子どもたちに小石をわたして、だれかにやさしくしてあげたことを話しながら、石を水の落としてごらんなさい~と言う。おばあさんのためにドアを押さえてあげた子、弟のおむつをかえてあげた子。でも、あたしは小石をもったまま黙ってつっ立ってた。「なにもかんがえつかなかった」から。
その次の日もマヤは来なかった。『きょうこそ あたしはえがおを かえすんだ』と思ってるのに。そのまた次の日もマヤは来なかった。
ある日先生が、もうマヤはもどってこない「おひっこし したのですよ」と話す。

▲ その日一人で家に帰ったあたしは池のそばにすわりこむ。
マヤに いえなかった ことばが、のどもとまで こみあげてきた。マヤに とどけなかった やさしさが、こころの なかに あふれだした。
あたしは こいしを なんども なんども いけになげこんだ。そして、さざなみが ひろがっていくのを じっと みつめた。


最後の頁は池のそばにぽつんと立って、池のさざなみを見つめているクローイ。緑で埋め尽くされたうつくしい水彩画のなか、戻ってこないマヤを思いながらクローイの後悔やかなしみが、友だちができないまま引っ越していったマヤのさみしさと一緒にしずかに、でもじんと伝わってくる。
なかよしになってお終いではなく、なかよくなれるチャンスを幾度も逃しながら、物語は主人公がじっとさざなみを眺めているところで終わる。

▲この本を読んで、思い出したことがあった。
小学生のとき。夏休みや冬休みが終わったあと新しい学期が始まると、きまってセンセが「休みのあいだにどこかに行ってきましたか」と聞かはるんよね。うれしそうに何人かが手をあげて「天王寺の動物園に行った」とか「親戚の家に泊まりに行った」とか発表する。うつむいてたり、ふてくされてる子は、だいたいいつも同じ顔ぶれ。どこにも連れてってもらえなかった子どもたち。そして、わたしもそのうちの一人で。

▲ あるとき、どういうわけか「なかま」のほとんども挙手しており、残るはわたしともう一人の男の子だけだったんよね。離れた席にいたその子がこまったような笑顔で振り返ってわたしを見たのと、わたしが手を挙げたのは同時だった。用事で出かける父に付いて行った帰り道、親戚の家に寄ったことを思い出したから。といっても、ほんまにちょっと寄って、おばちゃんにジュース出してもらって飲んで帰っただけの事だったから。手を挙げるかどうか迷って、もじもじしてたんだけど。

▲ わたしの挙手にその子の「えっ?!」というような顔が、いまでも記憶にあって。それは一瞬のことだったし、もしかしたらわたしの思いちがいかもしれない。
今から思えば、そもそも、なんでセンセがいつもそんなことで手を挙げさせるんよ?うつむいてる子がいるのをセンセは見てへんかったん?とか。
いや、センセはただ季節のあいさつみたいに軽く聞いてただけかもしれないのを、うれしい報告をしたくて子どもたちが競うように挙手して発表したのかもしれないな~とか。でも、何よりその子と二人「どこにも行かなかった」組にされたくなかったそのときの自分がずっと残ってる。

▲ 『ひとりひとりのやさしさ』の作者ジャクリーン・ウッドソンの書く物語には、いつもいろんな問題を抱えた家庭環境にある子や社会のいろんなマイノリティーの人たちが登場する。テーマは重く深い。それでも、時々すいーっといい風がふいて、知らないうちに物語のなかの子どもに微笑んでる自分を感じる。そして本を読んだあと、アルバート先生じゃないけど、わたしの中の水桶に小石が投げられたような気持ちになって、しばらくさざなみを前に考えることになる。さくまゆみこの訳も大すき。そしてこのお二人にE.B.ルイスの絵の絵本も、どれもすばらしい。おすすめです。
時間はゆっくりと静かにやってきます。
 そしてしばらくのあいだ、そばにいてくれます。
 でも、こっちがまだ支度さえできていないのに、
 もう過ぎ去って いってしまうのです。

『あなたはそっとやってくる』(ジャクリーン・ウッドソン著 さくまゆみこ訳)より

*追記
その1)
ジャクリーン・ウッドソンの本のことは前にも何回か書いています。
ここには『レーナ』についてすこし。

その2)
Jacqueline Woodson.com→
ここのQ&Aみたいなとこの最後はこれ。
Q: Do you think you’ll ever stop writing?
A: When I stop breathing.

その3)
しずかな朝。今日はこれを聴きながら書きました。Waiting For The Lark-JUNE TABOR
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# by bacuminnote | 2013-09-10 11:13 | 音楽 | Comments(0)

"I am"

▲ ようやくヒトの平熱以下の気温になって「人心地」つく今日このごろ。いやあ、ほんまに暑い夏やった。(←まだ続行中)子どもの時分は「30度越える暑さ」というのが猛暑とよばれる日だった気がするけど。このあいだ、うんと気温が下がったなと思った日の気温30度のなんと快適やったこと。

▲今夏は白いTシャツを何枚か変わりばんこに着ては洗い、乾くと、また着てたからかなりヨロヨロになって、何よりもう飽きた(苦笑)
せやからね、買い物の道中、秋物の服着せたマネキンについふらふら吸い寄せられて、立ちどまったりしてしまうものの。ああ、やっぱりまだ時期尚早。「暑ぅ」と汗拭ってる。

▲ 一昨日のこと、朝からtwitterの調子がおかしくて、いつものように見るのもツイートもできなくて、いろいろやってみたけど、調べてみたらどうやらわたしだけじゃないことがわかったので、潔く(笑)システム終了。
図書館にリクエストの本を取りに行き、買い物をすませ、本を読み、凉しい風のふく夕方には「よぉし」と庭の草刈りまでして(この夏じゅう、ずっとしなかったのに)本の続きを読んで。どれだけPCは時間ドロボーであるか再確認して(すぐまた忘れるんやけど)、そして本を読み終えた。

▲本の内容があまりに重かったので、なんだかしゅんとしながら夕ご飯をこしらえた。子どもが主人公の本を読む事が多いけど、子どもが辛い話は大人のそれより堪える。『チャーシューの月』(村中 李衣 著/ 佐藤 真紀子 絵/ 小峰書店2013年刊)は春から中学生になる美香が語り手となって、彼女が暮らす児童養護施設「あけぼの園」のできごとが、2月に入園してきた6歳の明希のことを絡めながら綴られてゆく。

▲ 共同生活は合宿や修学旅行じゃなく「日常」だから、楽しいことばかりじゃないことは経験のないわたしでも想像はつく。まして甘えたい年頃の子どもや、思春期にさしかかる子ども、いろんな子どもがそれぞれに家庭での複雑な問題を抱えて、家から離れて暮らしているのだから。それゆえに仲よくなる子どもも、だから、ぶつかり合う子どももいて。

▲小学生の合同遠足の日のこと。
あけぼの学園ではお弁当を詰める先生たちが朝から大わらわだ。18個のお弁当は『ひとつずつ、なるべく同じ弁当に見えないように、ケチャプをかけてみたり、胡麻をふってみたり、おにぎりの形を別にしたり。よく見ると、おかずの詰め方の微妙に変えている。詰めおわると、十八個全部並べて、そっくりなのがないか、チェックしてる。』(p93 歓迎遠足)

▲ そんなお弁当を持って出かけた子どもたちだったけど、三年のしゅうじとさなえは同じ三年の子から弁当をとりあげられて「見ろー。見ろー見ろー。おそろいじゃー。あかーいチェックに、あおーいチェック。さなえとしゅうじは、ラブラブじゃー」「おまえら寝るときもいっしょの家で寝るんじゃろ。パジャマも、あかーいチェックに、あおーいチェックだったりして」とからかわれる。

▲怒ったしゅうじはその子の髪をつかんで自分の弁当をとりかえすんよね。じいっと下むいてたさなえも「弁当の中身もいっしょだったりしてぇ。ふたりでなかよく食べるのかなー」と言われ、がまんできなくなってその子の腕にかみつくや、弁当をもぎ取ると、思い切り地面にたたきつける。

▲ 転がりおちて草や土だらけになった わかめのおにぎりや、たこちゃんウインナーが、浮かんでくるようで。なんともかなしく、腹立たしく、忘れられない場面だ。そうして、なぜ先生たちが細心の注意をはらって、一人ひとり違って見えるように、お弁当を詰めてはったのか。

▲その理由が「あなただけのために」ということよりは、むしろこういう偏見やいじめの前に子どもたちが傷つかないように、という配慮のような気がして(いや、それは楽しいお弁当の時間が、そんなことで台なしにならないように、という事なのだろうけれど)やりきれない思いでいっぱいだ。

▲ 物語のなかでは遠足の帰り道、学園の男の子たちが団結してからかった男子二名を小さな川に落として、川上から皆並んでおしっこする~という仕返しが子どもたちの笑い声と共に描かれるんだけど。
わらえなかった。

▲もしかしたら、クラスメートの中には、親と暮らしてはいてもお弁当を作ってもらえない子も、朝、お金だけもらってコンビニで買って持ってくる子もいるかもしれない。そもそも、そのお金だってもらえず「病欠」する子だっているかもしれない。子どもの世界は大人の事情がそのまま映されてる。
お弁当の話は、この本に限らず、ほんまいろいろとつらい。彼らとは比べようもないけど、わたしにもかなしかった思い出がある。それは、この国のお弁当文化~「見せる食文化」みたいなものや、「母の愛」的象徴やったりすることにも繋がってる気もする。

▲そういえば。
前に読んだ『10歳の放浪記』のなこちゃんも、『サラスの旅』のサラス、映画では『冬の小鳥』のジニも、『少年と自転車』のシリルも、『僕がいない場所』のクンデルだって。親が生きていながら共に暮らせない子どもの物語だった。みーんな親の悪いところや、いいかげんなところはわかってるのに。親のことが好きで、自分のところに来てくれることを辛抱強く待って。祈るように待ち続けるんよね。

▲『僕がいない場所』のラスト、施設から脱走して一人川に浮ぶ廃船に住み着くクンデルが、通報されて捕まるんだけど。刑事が「キミの苗字は?」と問う。クンデルは言う。それが何なの? 刑事が再び問う。「君が誰かと聞いているんだ」 クンデルは顔をあげて刑事の方をふりむいて、何でもないことのようにこう応える。
「僕だよ」 この映画の原題がポーランド語で”Jestem” 英語で”I am”だと、後で知って頷く。とてもつらい映画だったけど、印象深くすきなシーンだ。

▲ 子どもを育て支えるのが親であるのは、生物としても自然なことだけど、守ることができるのは親だけではないと思う。子どもはやがて親以外のだれかに、なにかに出会い、階段をまたひとつのぼってゆく。
早くにその階段に放り出されてしまった子どもたちに、そこから知らない道や人や景色が、すこしでも多く見えますように。そうして世界の広さを感じることができますように。

▲「出会い」は半分以上運のようなものかもしれないけれど、だとしたら幸運の種よ、どうか必要とする子どもたちの上に舞い降りてきて、とねがいます。
そして無力なわたしだけど、せめて、しっかり「大人」であろう、と思う。つまり、アカンことはアカンという。通せない、許せないことにはNO !という。

追記
その1)
今回書いた本や映画のことは以前ここにも書きました。もし時間があったら
もういっぺん読んでみてください。
『十歳の放浪記』のこと→「あればあるほど みえなくなるもの」(2007.9.12)
『サラスの旅』のこと→「たいせつにしてもらった成分」(2012.8.20)
『少年と自転車』のこと→ 「おとうちゃん。」(2012.10.7)


その2)
『冬の小鳥』公式HP

『僕がいない場所』予告編(字幕なしですが、ラストの場面あり)
この監督の最近の作品 『明日の空の向こうに』の惹句は”行こう すこし幸福になれる場所に”

その3)
きょうはこれを聴きながら~
ボブ・ディランがひとりアリゾナ州に行って、そこで息子のことを思いながらつくったという"Forever Young"
「毎日が きみの はじまりの日  
 きょうも あしたも 
 あたらしい きみのはじまりの日」(アーサー・ビナードさん訳)

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# by bacuminnote | 2013-08-31 12:44 | 本をよむ | Comments(0)
▲到着のアナウンスと共に電車の扉が開きホームに降り立つと、ちょっとひんやりした空気に姉と「やっぱりよしのやなあ」と顔をみあわせた。
タクシーに乗り込んで川沿いの道を走るはずが、お盆休みの最後の土曜日のせいか、いつもだったらスイスイ進む道がえらく渋滞しており、機転をきかせてくれた運転手さんが旧道へと引き返してくれはった。

▲「今日も暑いでんなあ。けど昨夜(ゆんべ)なんかは、夏布団やったら、もうちょっと寒いくらいでしてん。か、いうてなあ、冬のんでは、まだ暑いしなあ・・」おなじ関西とはいえ、わたしの住む大阪でもなく、姉の住む奈良のでもない、故郷(ここ)のことばがそれらとどうちがうか、説明するのはほんまむずかしい。でも。こういうの聞くと「ああ、よしのに帰ってきたなあ」というきもちになる。

▲子どものときも若いときも。
その山間の言葉遣いの野暮ったさや田舎くささが嫌で、わたし同様たいていの子は高校生になって「まち」へと電車通学を始めると、みな知らず知らずのうちに、なんとのぅ大阪弁っぽい言葉(苦笑)をしゃべるようになるんよね。
当時は家が吉野というだけで、「山奥から出てきた」というふうに言う人が、まだけっこういて。口の悪い教師が「吉野の山猿」と笑うてたことなんかは、いまだに思い出すたびカッカする。
田舎の、山奥の、どこがあかんのん!と思いながら、一方では「垢抜けた」都会の子にあこがれて、身も心も「まち」へ「まち」へと向いていたあの頃の自分が、あほらしゅうて、腹立たしくて。そして哀しい。

▲ 旧道を通るのは久しぶりだった。
もうずいぶん前に店終いしはったお店屋さん。姉の友だちの家、同級生や、センセの家。住む人をもたない家が続いて、胸がいっぱいになる。昔は魚屋も八百屋もパン屋に食堂。おもちゃ屋に金物屋、わたしのだいすきな本屋。洋装店や紳士服の仕立屋さん。そうだ。揚げたての天ぷらの店だってあったんよね。

▲でも、キミはそんな小さな商店のならぶ「田舎まち」より、何でも揃う都会がよかったんやろ?と自問。そうやなあ。そやったんよなあ。友だちの誕生日のプレゼント買うのだって、ここより駅3つむこうのまちが洒落たものがあった。そのうち、高校のあるまちに。やがて大阪や京都に出ることを好んだ。
運転手さんが言う。「ここら、まだましなほうでっせ。そういうたら◯駅前の売店も、もうなくなったし。◎の駅前の商店街なんか見てみなはれ。シャッターおりた店ばっかしでっせ」

▲ この春、母の見舞いに来たときは確かにあった◯駅の売店を思い浮かべながら、姉とふたり、なんだかしゅんとなってたら、川が見えた。
いつ来ても、どんなときも、川が見えるとほっとする。
姉もわたしも、夏休みは雨とお盆以外、毎日毎日およぎに行った川。むかし一緒におよいだ友だちと、このあいだ電話で話したとき「海もプールもええけど、川で思いっきり泳いだあと、家に帰って、水着とタオル干したら、ごろーんと昼寝。あれ、きもちよかったなあ」と盛り上がった。

▲ そのくせ、夏休みの一日の予定表(円グラフ)にかならず書かされた「ひるね」が嫌でしかたなかったんやけど。「子どもはええなあ。昼寝しい、って言うてもろて。わたしが替わってやりたいわ」と笑って母が言うてたのをおもいだす。
いま地元の子は皆ガッコのプールで泳ぐ時代やもんね。
車窓から川原に色とりどりのテントと車がずらりとならんでいるのが見えた。


*追記
その1)
昼寝でおもいだしたけど、以前「おんなの昼寝」という脚本家の故・市川森一さんのエッセイについて、 ここに書きました。

その2)
きょうはこれを聴きながら~
"Ca va, ça vient"がすきで、utubeで探してたらみつけました。
"Ca va, ça vient"とは、フランス語で"行ったり来たり”という意味だそうです。
Chloé Lacan, Oldelaf & Nicolas Cloche(→うたは1’20”過ぎから始まります)
ごぞんじPierre Barouhがうたうのは
MERLOTは
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# by bacuminnote | 2013-08-20 00:26 | 音楽 | Comments(0)

バスにのって。

▲信州から大阪に戻ってずいぶん経つから(いま数えたらもう9回目の夏!)もはや夏は暑いもの、とあきらめてるけど。まあ、大阪の日中の暑いこというたら。(あきらめ悪いなあ・・苦笑)
それでも、昨日は夜中にちょっとの間ものすごい雨が降って、朝方も曇天で涼しかったので墓参に。
とはいえ、むこうに着くのは11時前やから。水はもちろん、タオル、保冷剤、塩飴にビスケット、ウチワ、お花と線香、ゴミ袋に軍手、それに道中読む本も入れて。帽子に長袖長ずぼん。大きな袋二つ持って、一体どこに行くんや、というような格好で(笑)バスに乗り込んだら、ああ~生き返る。やっぱりクーラーは凉しいなあ(ウチではずっとOFFやしね)と、ヨロコビに浸ったのもほんの10分ほど。

▲そのうち足元が冷え始め、袋からごそごそソックスを出して、肩にはショール(どこに行くにもこのふたつは常備)をかける。そんな車内に慣れてるのか、乗ってる人らはみなさん上着着用。
数えきれないほどのバス停に、停まって停まって、小一時間。ようやく終点のJR駅前に到着。とちゅう窓の外が暗くなってちょっとドキドキしたけど、降りる頃には真っ青な空。よかったぁ。

▲ と、思ったのもつかの間のこと。
水を汲みに行っただけで、早くも全身汗びっしょり。間近でからだじゅうにドライヤーの熱風をかけられてるみたいに、熱気が直に伝わってきて暑いのナンの。首に巻いた保冷剤もあっというまに溶けてしもた。
通路と墓石まわりの草を抜き、花入れやコップを洗いながら「8月6日」の暑さをおもってた。自然に去年のいまごろ読んだ『八月の光』(朽木祥著 偕成社2012年刊)へと繋がって。それから、ボンボンと丸い球が、花火のように次から次へと打ち上がっては消える「世界核実験地図」の動画が浮かんで。そのうち、めまいがするようだった。

▲いつもは、きれいになったお墓まわりにきもちよく帰途につくんだけど、暑いのと、思い巡らせたことの重さにクラクラしながら、とぼとぼ歩き始めた。一時間に一本のバスにはまだじゅうぶん時間もあるし、そうだ、駅に着いたらソフトクリームでも買おうと、ふと腕に目をやったら。
そこにあるはずの時計がない!腕に時計バンドが汗でぺったりして気持ち悪いので、外したとこまでは覚えてるんだけど。
慌てて路地に入って、小学生みたいにかばんひっくり返してみるも時計はなくて。お墓からはけっこう遠くに来てしもたしね。あるかなあ。ないかもなあ、とがっかり、しょんぼりしながらまた墓地へと戻った。

▲おちつけ、おちつけ、と言い聞かせながら、ぼぉーっとした頭で懸命にじぶんの「行動」を思い返す。そうそう。暑いから、と腕から外したあと、ウエストポーチのベルトのところに通してぶら下げてたんよね。で、作業もおわって、墓地を出たときポーチを外してそのままかばんに入れた(つもりやった)から・・・と思いだしてたら、まさにその場所にころんところがっていたマイウォッチ!ああ、よかったぁ。これ、何年か前の誕生日に姉が買ってくれたんよね。

▲ そんなわけで、期待のアイスは食べられなかったけど。
ぶじ時計もみつかったことやし、バスにはなんとか間に合ったんやから、よしとしよう。
すっかり予定がくるって早足で駅まで向かったので、汗びっしょりかいてバスに乗り込み冷たすぎるクーラーに救われる。(苦笑)
と、わたしのあとに車椅子の高齢の方が乗車。施設の職員さん風の方が二人つきそって、バスの運転手さんが動かないように固定しはった。

▲ バスに車椅子で乗車しはるのは見たことがあるけど、高齢の方は初めて。とっさに寒くないかなあ、と思って振り返ると膝にはちゃあんと毛布がかかってた。
斜めむかいの席に腰掛けた付き添いの女性が「◯さん、とても90には見えないよねえ。肌もつやつやして」と言うと、かわいいブレスレットしたおばあちゃんは黒い大きな帽子の下、色白のお顔で恥ずかしそうに、うれしそうに笑ってはる。つられてわたしもにっこり。職員さんとも目があって再びにっこり。なんかほのぼのした空気がバスの中に流れる。

▲ このところ、お年寄りの出てくる本や映画ばっかり観ている。その日持ってきた本(『きみがくれたぼくの星空』ロレンツォ・リカルツィ著)も、老人ホームが舞台のお話だ。この前観た
『マリーゴールドホテルで会いましょう』
はイギリスから初老の男女7人がそれぞれの事情や夢や思いを抱いてインドのマリーゴールドホテルに長期滞在する話だったし。再読した大好きな湯本香樹実さんの本にはきまって、ちょっとヘンコで魅力的なおじいちゃんやおばあちゃんが登場するし、ね。選んで読んだり観たのではなく、たまたまだったのだけど、日々話す母の愚痴やいたみや悩み、小さなよろこびに重なって、老いることをおもうこの頃だ。

▲ さて、バスが出る前のこと。
運転手さんの「市役所前から子どもが51人乗ってくることになってますんで、ちょっと窮屈かもしれんけど」ということばに、乗り合わせた7人思わずドキリ、顔を見合わせる。ご、ごじゅういちにん!って。
「そもそも、このバス一台に乗れますのんやろか?」70代くらいの女性客ふたりが心配そうに、そして思いがけない大勢のお客さんに楽しそうに話してはるのが聞こえてくる。わたしの前の席に一人ですわってはったおじいさんも、腰浮かして外見たりしてはる。(いや、いまはまだ外みても、だれもいませんよ・・・なんですが)

▲ やがて、バスは市役所前に到着。来るわ来るわ。日焼けした子どもがぞろぞろ、ぞろぞろ、いっぱい!「ええ!?あの子ら全部乗らはるん?」「あんなようけ乗れまへんで」と体をよじって、窓の外をみる。
どうも、わたしらの乗ってるバスの後ろにも別のバスが停まってるらしく、子どもたちはそこを目指して通りすぎてゆくばかり。そのうち、ようやく一組がバスの前に並び始めた。みんな「まだか、まだか」とそわそわしてる様子がみえて(あ、子どもらじゃなく、わたしを含めた乗客たち)おかしい。
そろそろ乗ってくるかと思ってたそのときに、バス会社の人が入ってきて運転手さんに何か伝えてる。どうやら、この次にくるバスに乗車が決まったらしい。(せやろねえ。ここに51人は無理やと思った)

▲ 結局だれも乗せずに、バスが発車したときの、なんともいえない肩すかし、というか落胆の車内の空気が、でも、なんだかとても愛おしくおもえた。
車椅子のおばあちゃんに付き添ってた人が「子どもが乗ってきて、にぎやかになるかと思ったのにねえ」と話してはる。おばあちゃんの返事は聞こえなかったけど、頷くお顔が浮ぶようで。わたしも小さな声で「ほんまにねえ」とつぶやいた。


* 追記(いつも長くてすみません)
その1)
『八月の光』のことは去年のいま頃ここにも書きました。

その2)
今回再読の湯本果樹実さん
『夏の庭』
は、出版当時(1994年)読んで、その後相米慎二監督の映画で観て、その印象が強くて、他の作品はくりかえし読んでるけど、この本はその時きりになっていましたが。このブログのコメント欄によく本のことメッセージくださるイギリス在住のlapisさんが『夏になると読みたくなる本の1冊です。』と書いてはるのを読んで、わたしも、とあちこち探すも見つからず、改めて文庫本購入。いやあ、よかったです。本を読んで泣いてしもたんは久しぶり。もしかしたら、いまが自分にとっての「旬」やったのかもしれません。
ちょっと長くなりついでに(苦笑)
少年3人組がひょんなことから出入りするようになったひとり暮らしのおじいさん宅で庭の草を刈り、コスモスのたねを植え、ホースで水をまく場面から引用してみます。

ホースの角度をちょっと変えると、縁側からも小さな虹を見ることができた。太陽の光の七つの色。それはいつもは見えないけれど、たったひと筋の水の流れによって姿を現す。光はもともとあったのに、その色は隠れていたのだ。たぶん、この世界には隠れているもの、見えないものがいっぱいあるんだろう。虹のように、ほんのちょっとしたことで姿を現してくれるものもあれば、長くてつらい道のりの果てに、やっと出会えるものもあるに違いない。ぼくが見つけるのを待っている何かが、今もどこかにひっそりと隠れているのだろうか。

その3)
今回の話とは全然関係ないのですが、この間観たDVD『オルランド』(サリー・ポッター監督がヴァージニア・ウルフの小説『オーランドー』を、監督独自の解釈で映像化した作品)のラストに流れてた曲が印象的だったので、あげてみます。Jimmy Somerville coming
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# by bacuminnote | 2013-08-07 22:18 | 音楽 | Comments(0)

もたない。

▲ 午後から出かけようかと思ってたけれど、郵便受けを覗きに出たら 地面を焦がすようなその熱気にくらっときて、やめにした。こうして日々出不精は又出不精に。庭の草はボーボーやし、いまだに信州からの引越しの(もう今年9回目の夏!)段ボール箱からCD一枚一枚引き出したりしてるし。
「そんなことでええんか」という声がどこからともなく聞こえてくるようで。年末に「こんどからは夏にやろう」と決めた障子の張り替えをやってみた。(この暑いのに・・)

▲ お風呂でさっと桟を洗って、古い障子紙をそろりと剥がす。前にこれを貼らはったのはプロなので仕事がとてもていねい。糊付けも均一で、するりとおもしろいように剥がれる。桟を拭いて縁側に立てかけて乾かし、糊をつけて紙を貼る。余分をカッターで切る。
状況も季節もまるでちがうんだけど。なんだか雪かきしてる時みたいな気分。ナマケモノのくせに、こんなふうに無心で何かしてるときの感じはけっこう好きなのだ。何枚かしてるうちに、不器用なわたしでも少しは動きもなめらかになって、youtube動画の「障子の張替え」の時間よりはるかにオーバーしたものの、ぶじ終了。

▲ 障子戸をはめて、しばしうっとり眺める。真っ白。部屋がぱあっと明るく。畳の上にごろんと寝転んで、再度「仕上がり」を見上げて「なかなか上手やん」「わたしだって、やればできるやん」と一人声に出して言うてみる(笑)ところが夜になって、蛍光灯つけて又眺めてみたら(←しつこい)ピンと張ってるはずの紙があちこち波打っているのであった。霧吹きしたのになあ。間の悪いことに、そんな時になって相方が「お、上手に貼れた、って?」と見に来るのだった。ふん。

▲ 次の日、母に電話でそのこと話すと、かっかか~とうれしそうに笑う。自分やったら、そんな(波うつような)ことは絶対ない、と言わんばかりのカンペキ上から目線の笑いである。このところ「あれができんようになった」「こんなこともできんようになった」と日々しぼんだ風船みたいに凹んでる母が、人がかわったみたいに生き生きと「障子張り替えの術」を語り始める。

▲ 曰く「桟はよう乾かしたあとで糊つけなあかんで」「糊は丁寧につけなあかんで」・・と、◯◯せなあかんで、△△せなあかんで。そして最後には「昔はな、夜中の一時も二時までかかって、30枚ほど張ったことあるもんなあ・・」で終わるんよね。
いやあ、この話はね、もうこれまで数えきれんくらいに聞いてるんやけど。それ、話してるときの母は40代くらいの感じで、旅館とすし屋のおかみさんで、からだは弱いけど よう遊ぶ夫の妻で、にぎやかな娘たちの母親で。元気で、働き盛りで。足も腰も、身も心も、どんなに酷使しても尚へこたれなかった時代に戻ってるんよね。
まあ、ええかと思ってそのまま昔話聞いてたら、一転、消え入りそうな声で「わたしもあの頃はあんなに働けたのになあ」と長く、頼りなげなため息のあと、タイムスリップはあっけなく現在(90歳)に引き戻されるのであった。「また、コツ教えてや」と言うて受話器おいたけど。せつない。

▲ さて、障子を張り終え余った紙や道具を片付けてたら、物置にあった雑誌に手がのびて。たしか前にも読んだ気がする『おカネと人生ドラマを語る』という対談(『GRAPHICATION』No.186対談 知の交差点)を、ちょっと読み始めたらおもしろくなって、そのまま座り込んで読む。(つまり片付けは中断)
ドイツ文学の池内紀さんと作家の小沢信男さんがおカネと文学や社会について語ってはるんだけど、『世間胸算用』『日本永代蔵』から鴎外の『雁』一葉の『大つごもり』そして『ヴェニスの商人』『ファウスト』まで出てくる出てくる人間とおカネの話。

▲池内氏曰く『金銭人間の社会を小説にしたのは、日本がすごく早かったんです。ヨーロッパで金銭の話が文学に登場するのはバルザックあたりのことで、西鶴から百五十年ぐらいたっている
年の瀬の一番最後の一日は、ヨーロッパでは新しい年への祈りを捧げようと、終夜ミサをどこの教会も行うんです。それに対し、日本では借金取りを追い払うのがおなじみの行事だった(笑)年の一番最後の日の過ごし方が、祈りであるか支払いであるかというのは、やはり国民性の違いなんでしょうね。

▲ そうして「わらしべ長者」とグリム童話の「幸せなハンス」の話になるんだけど。
ごぞんじのように「わらしべ長者」はわら一本から始めて交換して、みかん、絹の布、馬、やがて長者の娘と結婚して、長者になったという話。
一方『幸せなハンス』は
七年間働いて親方からおカネをもらって国に帰る途中に、馬、牛、ガチョウ。と次々に交換していくんです。一番最後に職人が「砥石一つありゃいくらでもカネが稼げるんだ」と言うので、ガチョウを砥石と交換する。ところがその石があまりに重いので、井戸端で休んだ途端にドブーンと落としてしまうんです。それで、あぁよかった、これで軽くなったと(笑)、そういう話です。
向こうの人がこの話を子どもに聞かせるとき、最後にどんなふうに話すか知りたいですね。これを「馬鹿な男」の話にするのか、それとも余計なものを持たないで全く自由なのがいいんだよと話すか。親が試されるような話ですね。
』(池内氏)

(↑上記ハンスは親方からおカネをもらって、とありますが、実際は頭ほどある金のかたまりを給金としてもらう)
物々交換で、どんどん価値のあるものと交換してゆく話と、どんどん価値の低いものになってく話。物をふやしてゆくシアワセと 物を持たないシアワセ。ていうか、そもそも「価値」って何なんやろね。
要らんもん一杯の物置の前にすわりこみながら放哉の句をおもってた。
『入れものがない両手で受ける』


*追記
その1)
絵本『しあわせハンス』(フェリクス・ホフマン絵 せたていじ訳 福音館書店刊)


その2)
今日の話とは関係ないのですが、
ずいぶん前に買った『W.B.イェイツを唄う』というCDを最近また(段ボール箱からひっぱりだしてきて!)聴いています。アイルランドの詩人W.B.イェイツの詩に曲をつけていろんな人がうたっています。
いちばんよく聴くのはこのうた。
The Stolen Child - The Warter Boys
『妖精と 手を取り合って 湖へと 荒野へと 
ああ人間(ひと)の子よ! 逃げておいで 
人間世界は 理不尽に涙に満ちたところだから』
W.B .イェイツ ストールン・チャイルド(さらわれた子~「十字路」より抜粋)

その3 )
更新して、一夜明け 『尾崎放哉 Ozaki Hosai 全句集』(ちくま文庫刊)ぱらぱら見てたらこんなのがありました。
『障子張りかへて居る小さいナイフ一挺』
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# by bacuminnote | 2013-07-27 00:44 | 音楽 | Comments(0)
▲ 夜も九時ぐらいになると、ようやくあたりの熱が引いて 窓から入る風も少ぅし涼しく感じられる。昼間は何回読んでも頭に入らなかった、ネットでの長い文章も、本も、すうーっと入ってくるようで、ついつい夜更かしの毎日だ。
それなのに、朝は結構早く目が覚めてしまうんよね。若いときは、親が途中からは怒鳴るように起こしても、タイマーにカセットレコーダーセットして(←古ぅ)ロックがんがんに鳴らしても、すやすや(たぶん)寝てたのに。
ケッコン前に母は「この子、朝、起きませんで」と相方に忠告?してたくらいやのに。ああ母よ。ねぼすけの娘も年とって、目覚まし時計も鳴らんうちに起きるようになりました~

▲早朝に目覚めたときは、それでもしばし目をつむって窓の外~朝の音に耳をすます。遠く幹線道路をひっきりなしに走る車のざーっという音。「ごはんよー」とでも言うてはるのか、お隣さんの家族を呼ぶ声がちいさく聞こえる。小鳥の鳴き声は、そのうち蝉の大合唱にかわり。わたしの頭もやっと回りだして。「よし」と起きだす。

▲ 朝食後パソコンに電源いれると、世界は変わることなく昨日からの続きだったことを知る。そんなの、当たり前なんだけど。昨日が今日になって、絶望的なあれもこれもが目覚めたら悪い夢やったらよかったのに、と未だどっかで思ってるのか。甘いな、わたし。世界も、悪いやつらも、休みなく動いてる。
今日は「世界初の核実験が行われた日」らしい。
始まりは68年前(1945年)の今日7月16日。アメリカニューメキシコ州・アラモゴード砂漠で。二回目、三回目はその後一ヶ月もたたないうちに広島と長崎に。実験ではなく実戦で。
数年前に知った「世界の核実験地図」という動画を再度観て、あらためて戦慄する。

▲ この間のこと。
友人の "ツイート詩"に カミユの『異邦人』の「 きょう、ママンが死んだ」が出てきた。
この有名な書き出しに、そういえばと「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい」を思い出した。かの『アデン アラビア』(ポール・ニザン 著 篠田浩一郎訳)の冒頭文だ。
カミユも、ポール・ニザンも。若いころはそれこそ「手当たり次第」本を読んでいたけれど。
それは同時に、思い出すのも恥しい背伸びの時代でもあり。ジャズ喫茶でかっこええ人が読んでたから、映画の中で主人公が読んでたから~とまったくミーハーな動機で読み始めたものの、よく理解できないまま中断した本も、ほんの数頁で閉じた本もいっぱいあったくせに。人に聞かれたら「読んだ・・」とちいさく答えてた気がする。

▲ツイッターでは、その後 本棚に収まったままになってるあの本、この本の話になって。
わたしは、その昔(ケッコン前やから大昔!)「校本宮澤賢治全集」(天沢退二郎編)というのを買ったんだけど。「買った」ことで満足してしもたんか、読まずじまい。けど「いつか、きっと読む」と段ボール箱に詰めて。何回も引越しを手伝ってくれた友人に「あれ?この重たい箱、たしか前にも運んだなあ」とそのつど呆れられてもなお。そして、いまも開かずの箱である旨、つぶやいたら。
Bさん曰く『「チボー家の人々」"灰色のノート"は夢中で読んだけど、あとが続かなかった。ジュネも「泥棒日記」は読んだけれど、二十歳のころに買った全集4巻がそのまま』
Kさん曰く『ジュネは読みました。「泥棒日記」。「チボー家の人々」は、全巻揃えて、二巻目で挫折。翻訳がどうもあわなくて、頭に入らなかったです。』と、リプライがあっておもわず笑う。わたしだけやなかった!
(※BさんKさん、無断掲載すみません。書名わかりやすいように「 」など付けました)

▲そうして『それ、読まないなら、ください、(笑)ってのが、沢山ありそうだぞ、』というKさんのことばには、パソコンの前でひとり爆笑。
本好きのあの人、この人のお家の本棚で、段ボール箱の中で、「いつか、きっと」の本たちがしずかに出番を待ってる姿を想像して、じーんとする。
いま再読中の本『すべてきみに宛てた手紙』(長田弘著 晶文社2001年刊)の"手紙Ⅰ" の終わりにこんな一文があった。
物事のはじまりは、いつでも瓦礫のなかにあります。やめたこと、やめざるをえなかったこと、やめなければならなかったこと、わすれてしまったことの、そのあとに、それでもそこに、なおのこるもののなかに。

▲ そういえば、かの『アデン アラビア』も晶文社の本である。若いころは赤い犀(晶文社のロゴマーク)の本をよく読んだ。前述の長田弘さんの『自分の時間へ』のなかに「中村さんのこと」というエッセイがあって。晶文社を興した中村勝哉さんのことが書かれているんだけど、最初は穏やかなパンの神、昼寝の好きな牧神がロゴマークだったそうだ。それが犀になって登場したのが『アデン アラビア』から、だったという。このエッセイも最後にふかく印象にのこる一節があった。

水は方円の器に従い、本は出版という方円の器にしたがう。真面目な出版は真面目なバクチと言って、本のあり方に対するこだわりをこだわりとして崩さなかったところに、一人の出版人に徹してきた中村さんの、走る犀のごとき姿勢がある。

こういう文章を読むと、だいじに本にむきあいたいと思う。もう背伸びもジャンプも必要なくなった今やからこそ、あせらず、いきつもどりつ。ゆっくり、真面目に読みたいと思う。


* 追記
その1)
背伸びして本を読む、という話は前にも書いたことがあります。須賀敦子さん『遠い朝の本たち』の「父の鴎外」のこと岡崎武志さん『古本道場』のことなど~2009年7月2日のブログ→


その2)
上記『すべてきみに宛てた手紙』(表紙にはエミリー・ディキンソンの切手が描かれてる)には本、音楽、映画のこといっぱい詰まっています。思いがけずトム・ウェイツの「ロシアン・ダンス」も出てきました。
Russian Dance - Tom Waits
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# by bacuminnote | 2013-07-16 22:26 | 音楽 | Comments(0)
▲ その日図書館に行ったのは、前夜からきもちがダウン気味で。
いや、図書館には気分のいい日だって、なんてことのないフツーの日だって行くんやけど。
途中マンション前に大きな引越しトラックが停まってた。蒸し暑いなか、汗びっしょりで荷物の運び出しをする若い人たち。ほんとに引越しの多いまちだ。人が来て、また人がどこかに越してゆく。通り過ぎる時に見えた段ボール箱の大きな字。きっと子どもが書いたんやろね。「ひきだしのなかみ」←おばちゃんはその中身が気になってる(笑)
この街、気に入るといいなあ。

▲ 図書館に着くとカウンターに中学生の職場体験の男子の姿。ウチの子も同じように隣町の図書館に通ったっけ。ついこの前のような気がするけど、もう6年もたったのか。
髭もなくて表情はどこかまだ小学生のようで。けど、この年頃ってけっこうムズカシんよね~と、ついおかあちゃん目線になる。届いてるはずのリクエスト本を告げると、おろおろして指導係の職員に「ほら、さっきも言ったでしょ」的に言われてた。(←すまん。フツーに貸出本にしたらよかったな)
13~14歳。わたしが読む本によく登場する年齢層。そしていつも気になる年頃だ。

▲ そういうたら、梨木香歩さんが『裏庭』で児童文学ファンタジー賞を受賞されたときのインタビュー記事(1995.11.9朝日新聞「ひと」欄)に、こんなことを語ってはる。『十三、四歳の子供の目は、この社会の新人みたいです。固定観念にとらわれず、まっすぐに人とものを見る。わたしもその視点を失いたくない。
ちょっと変色したこの記事の切り抜きを何故だいじに持ってるかというと、梨木さんが失いたくないという視点は、わたしもまた常々だいじにしたいと思ってきたことだったから。

▲『作品は思春期の少女たちへのエールです』というのにもじんときた。くわえて、お子さんのアトピーにかかりっきりだったのが、症状が安定してからワープロに向かい出した、という一節に、当時まさに渦中にいたわたしは思わず号泣してしまった。まさか自分に梨木さんのようなすばらしい小説が書けるなんて、大それたこと思いもしなかったけれど。それでも、いつか自分の時間を持てる日が来るかもしれない。自分にも何か書くことができるかもしれないと。長い暗いトンネルの先がぽっと明るく見えた気分だったんよね。それはもう忘れることのできない日だった。

▲ あかん、あかん。また話が横にそれてしまった。
そんなふうにして、中学生の彼のドキドキが伝わるような手で、棚からとってきてもらった絵本を開く。まだ出版間もない新しい本。紙が硬くて、緊張気味にそろりと開く。これから小さいひとも、大きいひとも、たくさんの人の手を通ってゆく図書館の本。想像するとたのしい。とりわけ絵本は借りてる間じゅう、何回も読まれることが多いからか「人気者」は たいていくたっとなってるんよね。

▲ 今回手にした一冊『グーテンベルクのふしぎな機械』(ジェームズ・ランフォード作 千葉茂樹訳 あすなろ書房刊)はタイトル通り、かのグーテンベルグが発明した印刷機のお話だ。
あ、「かのグーテンベルグ」なんて書いたけど、知ってることといえばむかし歴史の授業で「ルネサンス3大発明」として羅針盤・火薬・印刷機と、暗記しただけのことで。小説も辞書も雑誌もマンガも。宅配便の箱の底に入ったくしゃくしゃの古新聞でも、すわりこんで読むほど、活字がすきなくせに。印刷機がどんなものだったのか想像することもなかったなんて。なんかグーテンベルグに謝りたいようなきもちだ。

▲ それは1450年ごろのこと。ドイツのマインツ市にふしぎなものが登場する。紙のもとになるのは、ぼろぎれと骨。インクは真っ黒なススと亜麻の種から。ヤギの革、金は金箔に、活字を作るのには鉛と錫。印刷機にはじょうぶなオークの木材。ひとつひとつの工程に携わる職人や町のひとの暮らしぶりまで、とても丁寧に描かれて、なんか中世の世界をそーっと窓の外からのぞいてるような気になってうきうきする。
そうして、気が遠くなるような過程を経て活字が組まれ、紙に「印刷」される。この印刷物のうつくしいことと言ったら。初めてこの現場に立ち会った人の感動はどんなだったことだろう。いや、この絵本を通してですら、わたしは大感激だった。

▲ ほんのすこしの人だけじゃなく、多くの人が読める、印刷がここから始まって。この印刷機の発明が宗教改革へと繋がってゆくのは、歴史で習ったよね。(←苦笑)
それでも、時代はかわり印刷技術もどんどん進化して、もはやグーテンベルグの活版印刷はなくなってしまった。やがて紙やインクも印刷機もいらない電子書籍へと。いまは電子書籍なんて、と思ってるわたしもいつかその波に乗ってしまうかもしれない。でも、メールがこんなに便利になっても、やっぱりはがきを書くのもすきだし「そのひとの文字」で もらうたよりが何よりうれしいように。「紙の本」を読むという贅沢(たのしみ)は、いつまでも手放せないと思う。この絵本を読んで、あらためてそう思った。

▲ほくほくとゆたかな気持ちになって図書館を出るとき、入り口に大きな七夕飾りがあることに気がついた。短冊に書かれたおさない文字を眺める。ええなあ。かいらしなあ。さいこーです。
「じてんしゃにのれるようになりますように」「せ たかくなりたいです」「ウルトラマンにあってみたい」「おこられませんように」「たのしいひなまつりになりますように」!?
わたしのねがい→この子らが社会からまもられ、家族や、周囲のひとたちに愛され育ちますように。



*追記

その1)「贅沢」いうたらね、ずいぶん前に読んだ森毅さんの本にこんな一節を思いだしました。
時間のなかで効率を考えていては、ゆとりが持ちにくい。実際は忙しくても、ゆとりで贅沢したい。贅沢というのは、欲望を達成することではなくて、目標や効率などに関係なく生きることだろう
(『元気がなくてもええやんか』青土社)

その2)今日はこのうたをくりかえしながら。Lhasa de Sela " Is anything wrong
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# by bacuminnote | 2013-07-05 21:37 | 音楽 | Comments(0)

縁側に立って。

▲ 梅雨らしく つづく雨と薄曇りの日。
家の中に干したまま ちっとも乾かない洗濯物も、畳の湿気がペタペタと素足につたわるのも。たしかに鬱陶しいけど。
こんな日は縁側に立つ。水浴びの緑に見入って、ガラス戸開けて、深くゆっくりと息を吸ってみる。それから、あああ~と大きな声出して思いっきり伸びをする。

▲怒りの火も、ちいさなよろこびも、思春期のときみたいなジコケンオも、すくいの友や音楽や本や映画のことも。いろいろ思い、考えあぐねることはいっぱいあるけれど。ちょっと間ぜんぶ忘れる。いつかどっかの本にあったわたしにもわかる英文 言うてみる。green, green, everything is green in our yard now.

▲この間『ザ・ウォーター・ウォー』( 監督イシアル・ボジャイン/ 脚本 ポール・ラヴァーティ)という映画を観た。原題は"También la lluvia"(英語名は"Even Rain" 雨さえも)~まさしく降る雨の水さえも自由に使えなくなった住民たちの物語。
ボリビアで映画を撮影することになった監督のセバスチャン(ガエル・ガルシア・ベルナル)はクルーたちとスペインからやってくる。コロンブスの「新大陸発見」、そして彼に抵抗しインディオを擁護しようとした宣教師たちを描こうとしているのだけど、予算の関係でロケ地がボリビアになったのだ。

▲ 「低賃金」の当地でエキストラを募集したら想像以上に人が集まってしまう。冒頭シーンはこの応募者の長蛇の列。とても全員のオーディションはできないから、と帰らせようとすると、このために遠くからやってきた人や何時間も並んで待っていた人からブーイングが起きる。中でも怒りをあらわにしたのが先住民族のダニエル。それでもプロデューサーのコスタは「帰せ」と言うものの、監督は待っている人たちに押し切られるようにして、結局全員オーディションすることになる。

▲ 問題のダニエルもその射るような眼と独特の雰囲気で娘と共に映画の大きな役を獲得するんだけどね。コスタはいかにもトラブルを起こしそうなダニエルの言動にあくまでも起用を反対する。そもそもコスタはボリビアでの撮影を「1日2ドルで済むなんてラッキーだぜ」「撮影に揉め事は持ち込まないでくれ」というスタンスやからね。
で、いよいよ撮影が始まって。

▲興味深いのは映画の劇中劇のように何度も出てくる撮影場面・・・コロンブスと先住民、そして神父とのやりとり。
搾取「する」側「される」側の図式って、500年前も今もいっこうに変わることがないんよね。
じっさい、撮影と同じ時期にこの町ではその図式のもと、大きな問題が起こっており。欧米企業の水道事業の独占によって、水道代が200%に値上がりしたのだった。

▲ そんな高い水道代が払えない住民たちは、井戸を掘ったり、雨水をためて凌ごうとするんだけど、当局は井戸は封鎖。空から降る「雨さえも」使わせないように、水をためる器に課金をせまる。
やがて、この水への抗議運動のリーダーとして市民の先頭に立っていたダニエルが逮捕され・・・。撮影隊にも大きく影響が出始めて。打ちひしがれる監督は、でも、そのうち「この事件は忘れられるかもしれないが、映画は永遠に残る」何としても映画を撮りたいと思うようになる。

▲ 一方「エキストラたちには1日2ドルも与えて、最後に古い水ポンプとトラックでも与えれば大喜びだろ」とうそぶいていたコスタが、撮影を通じてダニエルの娘ベレンを子どものように可愛がり、親しくなっていくうちに、映画より「いま」大切なものへと、気持ちが傾いてゆく。

▲ この映画はボリビア・コチャバンバで起きた2000年の「水戦争」を下敷きにつくられたらしいけど、現実に水道代は4倍の値上げを実施したとか。
人が生きてゆくのに最も大切な水が「金儲け」の手段にされる、ということが果たしてどういうことなのか。
この国でもだれかが水道民営化などと言い出してたけど。
とんでもない!!



*追記
その1)『ザ・ウォーター・ウォー』予告編
脚本のポール・ラヴァーティはケン・ローチの映画で多く脚本担当。

その2)コチャバンバ水紛争wik

その3) 宇沢弘文氏『社会的共通資本』について、以前ちょっとここに書きました。

その3)きょうはこれを聴きながら。Nina Simone ''Everything must change''

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# by bacuminnote | 2013-06-25 20:19 | 音楽 | Comments(0)

そして、また歩く。

▲ 雨のない梅雨。冬の延長に春が少し顔出したかと思ったら、もう夏。しかも真夏の、灼熱の、炎熱の、酷暑、猛暑・・・(←しつこい)と、ほんまに暑い日のつづく大阪。ニュースで36度超えてたとか聞くとうちのめされる。まだ6月第二週やのに。
見上げた梅の木のてっぺんに、この前採り残した梅の実は陽に照らされて ふっくら黄緑のいい色。けど、葉っぱも、そのそばに咲く紫陽花も、風が吹いたら、カサコソ乾いた音たてそうな気がする。
そもそも紫陽花の学名は「水の器」という意味だっていうのに。器がからっぽではつらい。

▲ この間読んだ川端道喜さんの『酒れん』に『古来、降雨、出水、疫病の忌み月を、農耕民族らしい知恵で融和して、独特の文化を築き上げてきた。(中略)その湿性の文化は、打ち水で客を迎え、発酵食品や粘着力の強い餅や葛の嗜好を育て、雨情をも楽しむ習癖をも醸した』(京の菓子歳時記 6月 青梅)とあって。ううむ、湿性の文化か~と唸ってた。でもでも、そんな大げさなもんでなくていいから、雨、どうか降ってください。

▲ そんなこんなで、外に出る気もせずますます籠りがちなんだけど、広島のパン屋さん『deRien』のブログ『焚き火を囲んで眠るような話』を読んで、すいーっと涼風が吹きぬけていくようだった。(ドリアンさんのことは、今年はじめ「レトロ・イノベーション」古いやり方で革新する~という田村さんの新聞記事など紹介しました→)ドリアンの田村さんご夫妻は一年間お店を休んで渡仏中で、そのつどアップされるあちこちのパンや石窯、そして何よりいろんな人との交流のようすが、ほんとうにたのしくて。「パン」という共通項があるだけでなく、たぶん田村さんというひとに、ボーダーがないからやろなあ~と思う。すばらしい。

▲その旅も終盤となって、いまはなんとスペイン巡礼~800kを40日で歩く旅だとか。歩いて歩いて、宿について食べるパンや水が、ワインが旨いと書いてはる。
曰く『星付きの店も大切。だけど、その正反対、自然の中を歩いて、ああー、のど乾いたと、ただ水を飲む、その美味しさも大切なのだ。両極であっって、片方だけではダメで、それでいて、両方に通じるものがあるのだ。わかんないけど、きっと芸術もそうなのだ。』(06.03ブログより)

▲ ぶどう畑や小麦畑にライ麦畑のそばを通り、あちこちの土地のパンを食べながら、田村さんは、以前にましてシンプルなパンに惹かれているようで。「パン屋の技術なんか必要ないなー」とか書いてはって。「わあ、そんなこと言うてええのん」と笑いながら(わたしも相方とよくそんな話はするものの)そう心から思う経験をいま旅の中でしてはるんやろなあ、とふかく頷く。

▲その昔、パン屋を始める前のこと。相方のパン屋修行も終わり開業のために準備しているとき、当時よく買い物に行った隣町の自然食品の店主に引越しのことなど話してたら「けど、熱心にパンの研究したりしてるうちに”パンの原点に帰る”とか言わんように、ね」と笑いながら返されたことを思いだす。
つまり、どんどんシンプルな(「リーン」な)パン焼きに走り、多数のお客さんの嗜好(甘いパンや調理パンや、バターや卵を使った「リッチ」なパン)から離れては、そのうち店の経営が成り立たなくなるよ~というわけだ。
帰りの車中、相方とその話になってふたりとも無口になったけど。たぶん同じことを考えていたと思ってる。

▲ さて、スペイン巡礼の旅といえば映画『サン・ジャックへの道』だ。最近おなじようにこの旅を描いた『星の旅人たち』も観たけど、わたしは『サン・ジャック・・』の方が女のひとが「描かれてる」気がして心に残っている。(監督は『女はみんな生きている』のコリーヌ・セロー。以前 ここにも書いています)田村さんのブログのすてきな写真の数々と『カミーノ仲間は良い。名前も知らないのだ。もうあわないかも、でも、明日からもお互い歩き続ける同士なのだ。』(06.12)をみて、たまらなくなって炎天下の買い物帰りDVD をレンタルしてきた。ほんまはね映画より、自分が行ってみたいんやけど(足腰が弱いから。無念。)

▲ あんなによかった、よかった、と友人たちにも薦めたりしてたのに、細部はすっかり忘れていて初めて観る気分で。そしてやっぱり、こうして再び、薦めたくなっている。
親の遺産相続の条件として巡礼の旅にでる、けっして仲よくない三人兄弟。真ん中のクララは最初弁護士からその「条件」を出されたときにこう返すんよね。
『ずっと公立の高校の教師をしてきたわ。宗教的な偏見や反啓蒙主義。聖遺物や巡礼。教会が考え出した愚かなものと闘ってきたのよ。そんな私に巡礼に行けというの?それも兄弟と?真っ平ごめんよ。弟は酒浸りの失業者。兄は出世フリーク・・』

▲ そんなクララも、しかし夫が失業中であることや、いろいろお金が要る、ってことで二ヶ月の巡礼の旅に参加することに。それでも相変わらずの毒舌っぷりで、聖人の話を聞かされても「あれはただの侵略者の殺人鬼」みたいに容赦ない。同じ旅のグループにいたアラブ系の少年ラムジィ(なぜイスラム教徒の彼がこの旅に加わってるかは、理由があるんだけど)が失読症で字が読めるように教えてやってほしいと頼まれても、「そんなこと無理!」と即答する。でも、若い女の子が自己流で教え始めたのを目にして、そのあまりの拙さに我慢できず、みんなに内緒で休憩の時間に教え始めるんよね。
母親思いのラムジィにクララが聞く。「字を覚えたらお母さんにどうやって知らせる?」と問う。そしたら少年は「詩を書きたい」って応えて、即興で詩をよみはじめるんよね。クララのやさしいえがお。だいすきな場面。

▲ この日はtwitterでも、ドリアンさんのブログやこの映画のことで盛り上がり、たのしかった。夕飯のあとかたづけをして、ふとカレンダーをみたらケッコン記念日でびっくりした。(いや、驚くことはないか・・笑)
あの日の京都もまた蒸し暑かった。ふたりとも窮屈な服と「主役」は大の苦手やから。やっと式が終わってわたしの友だちとお茶のんだあとは、二人洋食屋でコロッケたべて「はよ、家に帰ろ」と京阪電車にとび乗った。
34年前のあの日を思い出しながら、ネットで出会った顔も知らない友も、昔からの友も、そして相方も。みんな。サン・ジャックへの道みたいに、共に歩き続ける仲間がとおく、ちかくにいることがしみじみうれしい記念日となった。(相方はとうとう気づかずじまいだったけど)

▲ 昨夜から書き始めたこのブログ、ここ数日の熱気にくたびれ中断。日付かわって、急に涼しくなって元気取り戻して、書いてたら、何か音がする。ん?えっ?と窓辺に立ったら、わあ!雨が降り始めた!梅の木も紫陽花も、木々も茫々の草たちも、わたしもreborn !


*追記
その1)『サン・ジャックへの道』上記公式HPで予告編が小さくて見難いですが。ここで→


その2) ケッコンした頃テレビでやっていた『沿線地図』(山田太一脚本/1979年放映)
劇中流れてたフランソワーズ・アルディの「もう森へなんか行かない」
はいろいろ思い出深いうたです。
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# by bacuminnote | 2013-06-15 13:48 | 音楽 | Comments(0)
▲風邪で不調の間は「あるもんで すまそ~」週間だったけど、からだも軽くなったので(いや、からだは重い)久しぶりに買い物に出た日のこと。
外に出なかったのはわずか数日のことなのに。緑、緑の庭に目を見張る。

▲木々はかくじつに一回り大きくなって、足元をみると、♪草のうみ~風が吹くよ(中略)良く茂ったものだ。(ヘイ!)
とりわけどくだみの繁殖っぷりというたら。白十字と濃い緑の葉っぱが地面を埋め尽くし、みごと。(←ほめことばです) 『どくだみや真昼の闇に白十字』(川端茅舎)

▲ さて、その日は薄曇りながらなんだかむぅと暑くてだるい。やっぱりまだ出歩くにはちょっと早かったか、とため息。さっさと必要最小限の買い物を済ませ、図書館にも本屋さんにもビデオショップにも寄らず帰途についた。それなのに、家までの道が長くかんじること!
こういうとき、映画やったらローラースケートかなんかで、少女は(ん?)ゆりの木の葉っぱが、わさわさする街路樹の横を風切ってすいすい走るんよね。

▲あるいは偶然友だちの車がそばを通りクラクション鳴らして「送ってくよ。乗って」とドアをあけてくれる・・と、まあ相変わらずしょうもないこと妄想してるうちに登り坂にさしかかる。やっぱローラースケートは無理やな、と妄想は打ち切ってのそのそ歩いてるうちに、ああ、やっと家に着いた。

▲部屋に入ると留守録のランプが点灯していた。
だれやろ?と思うたら母のようで。受話器持って相手なしにしゃべる事に緊張してる姿がうかぶ。買い物袋をどすんと下に置き再生ボタンをおしたら訥々と話す母の声が流れた。
『えー、風邪ひきのかげんはどうですか?・・こちらは、あのぉ、何か今にも・・雨がふりそうな どんよりとしたお天気です・・早く・・風邪を治してくださいや・・あなたの声がきこえないと・・さびしいです』

▲ いそいで台所へ。買ってきたものを冷蔵庫にしまい、つめたい水を一杯のむ。こまった。まいったな。わたし、こういうのには弱いんである。ふうう。深呼吸ひとつ。それにしても「あなたの声が聞こえなくて」って、二日前に電話したやん。その前に数日寝込んでる時には電話できなかったので(心配してるかなあと思ってたけど)何にも言うてこんかったくせに・・・と一人毒づきながらも、今春の入院以来「なんか言いたいことばがすっと出てけぇへんねん」と気に病んでいる母の、さっきの頼りなげな声に胸がどきどきして、受話器を持った。

▲かけてみると、なんのことはない。いつもの強気かとおもうと弱気で、弱気かとおもってやさしくいえば、必ず「せやかてな」と語気あらく反論(苦笑)
一体どうしてほしいというのか。まったく。なんとか苛立ちを抑えあかるく「ほんなら、またかけるね」と受話器を置いて。留守録をまたもう一度聞いてたらなけてきた。

▲ ふっと小さいときのことを思いだす。
何が原因かぐずるわたしにご機嫌をとるように母が聞く。何がほしいん? けど、そう問われても何がほしいのかわからない。
「本か?」「アイスか?」「サイダーか?」そう畳み掛けられると、そのぜんぶが欲しいようでもあり。そうやのぅて、その時はただ「きょうあったこと」をゆっくり聞いてほしかったんやろうけれど。休むひまなく立ち働く母に言えるはずもなく、しつこくぐずってはあげく「もう知らん。勝手にしぃ」とつきはなされたような。
それってね、年とったいまの母のさみしさに似てる気もして。しばらく電話機のまえにたちつくす。

▲ さて、風邪やら親のことやらで唸る間にも、次々流れるニュースや記者会見の中継に「腹立たしい」を越え、怒りでふるえるような思いの数日だった。
だから、そんな中で出会った『スターリンの鼻が落っこちた』(ユージン・イェルチン作・絵 / 若林千鶴 訳/岩波書店刊)が、よけいずしんと残り、今もずっと「知る」「自分で考える」ということを考えている。

▲スターリン時代の旧ソビエト、主人公の「ぼく」ザイチクは10歳の少年だ。物語は彼がかねてから憧れのピオネール少年団の入団式前日から丸一日のできごとが描かれる。この入団式にも来賓として招かれているザイチクのお父さんは秘密警察で、父子が暮らすコムナルカ(共同アパート)でも怖がられている存在なんだけど、彼にとって父親は英雄なんよね。

▲ ザイチクはそんな父親の影響もあってスターリンに「ぼくは最愛のソビエトと、心から敬愛する同志スターリンの役に立つ人間になるよう、たゆまず努力を続けます」なんて手紙を書いたりしている。お父さんから入団式につける赤いスカーフを首に巻いてもらって夢心地のザイチク。だけど思いもかけず、その日父親が秘密警察に逮捕、連行される事態がおこる。密告者はザイチク父子の部屋が空くことをねらう大家族の隣人。

▲何が起きたのかわけがわからないけど、とにかくたちまち行き場を失ってしまった少年は、頼りにしていたおばさんちにも追い出され、それでも一夜をやりすごし翌朝学校に行く。
なんたって大事な入団式があるからね。

▲でもその準備中 彼は誤ってスターリンの胸像の鼻を壊してしまうんよね。自分がやってしまったことで起きる波乱を想像して、その恐ろしさに知らんふりを決め込もうとするザイチク。でもじつはその場面はあるクラスメートに目撃されており・・・。
大人社会の「基準」は、学校や子どもの中にも浸透し、同じように差別とひどい虐めがあり、ザイチクもまた虐める側にも排除される側にも立たされる。

▲ 文中、だれが鼻を壊したと思うか紙に書かされる場面があるんだけど、女の子が震える手で書けないでいる。先生が書くように促す。
「先生、わたしにはだれが信頼できるのかわかりません」
「それですよ。ジーナ。あなたが、はっきり信頼できるといえない相手は、つまり疑わしい人物なのです。そういう人の名前を書けばいいのです。わかりましたか?」


▲ 大人も子どもも、家でも学校でも、疑い、監視しあう関係。しかしそれが遠い国の過去のできごと、とは思えないことが怖い。物語の著者はスターリン体制の下で育っており(1983年27歳のときにアメリカに移住)少年~青年期に経験したのであろう恐怖が「いま」のことのように迫ってくる。
ときどき挟まれる絵(著者は画家)は眼や顔の表情はもちろん、挙げられた手さえも、人の心の暗部をあぶりだしているようで心が凍りつくようだった。

▲なぜ、お父さんは捕まったのか。クラスで排除される友だち。たった一晩で「人民の敵」になってしまうザイチク。短いながらもいろんなことが詰まった物語。でもこんなつらいままに終わってしまうのか、と思ったらお終いには暗闇にちいさいけれど灯りがともる。

▲そうそう、いちばん心に残ってること。そして今なお考えてること。
授業で代用教員のルシコがゴーゴリの『鼻』をテキストに語る場面。残念ながらこの段階ではザイチクだけでなく、教室の子どもたちにもルシコの真意は伝わってはいないようなんだけど。

『わたしたちがだれかの考えを、正しかろうが間違っていようが、うのみにし、自分で選択するのをやめることは、遅かれ早かれ政治システム全体を崩壊に導く。国全体、世界をもだ』
子どもだけでなく大人にもぜひ読んでほしい。





*追記
その1)
ゴーゴリの『鼻』についてwiki→
この中に全文が読める青空文庫もリンクされています。

その2)
今回の話とはまったく関係ないのですが。
この間ムスタキが亡くならはったことを知りました。
わたしにとってムスタキは 昔テレビで木下恵介シリーズの一作『バラ色の人生』(1974年)で流れた『私の孤独』が最初でした。すぐにレコードを買いに走ったことを思いだします。
それから、もう長い間聴くこともなかったのですが、思いがけず須賀敦子のエッセイにでてきて驚いたことは前にここにも書きました。

ひさしぶりに聴いたムスタキがきっかけで、こんどはピエール・バルーを。
youtubeのおかげで年とらはったピエール・バルーのうたう姿をみて聴くことができました。しみじみ。
Pierre Barouh-Des ronds dans l'eau
彼の歌でいちばんよく聴いたのはこれ。『男と女』で流れてた À l'ombre de nous

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# by bacuminnote | 2013-06-04 14:40 | 音楽 | Comments(0)

とくべつなこと。

▲最初はてっきりいつもこの時季にやってくる花粉のせいかと思ってた。
だから、喉が変で、くしゃみや鼻水でゴミ箱がティッシュの山になっても「鬱陶しいけど、まあ寝るほどのことはない」とがまんしてたんだけど。
そのうち起きてられへんようになって。風邪やったんか~と気づく。
そういうたら、先月おなじような症状で医者に行った友人から「免疫低下の花粉症で いつも鼻に鼻水がある状態では菌も繁殖しやすいらしわ」とメールがあったことを、ラップをぐるぐる巻きされたようにぼーっとした頭で思い出しながら、持ってゆきどころのない倦怠の大きなかたまり(←わたし)は布団の上で、あっち向いて、こっち向いて、ごろごろしては、だれにというのでなく大きな声で「ああ、しんど」と言うのだった。

▲ 年のせいか、もともと堪らえ症がないのか、そのどちらもか しらんけど、とにかくヒイヒイ言いまくる二日間がすぎると、ちょっとずつ元気をとりもどし。すると、とたんに活字がこいしくなって寝床読書の始まるのもいつものこと。子どものころは寝床で本読んでたら「この子はもぉ、本読むのにガッコ休んだんとちゃうやろ」と怒られて、掛け布団の中はもちろん敷布団が盛り上がるほど、下に本やマンガを一杯隠してたもんやけど。
大人は自由でええなあ~(笑)本読もうがiPodで音楽聴こうが平気。そのかわり、この程度の風邪ではだれも(って相方しかおらんが)サイダーも白桃の缶詰も、水枕も持ってきてくれることはない。くわえて時々は起き上がり家事(最低限度)もすることになるんやけど。

▲ まあ、そんなこんなの数日間。まだ本調子じゃないけど今朝はフツーに起きてきた。おかげでこの間から読みたかった本ぜんぶ読めたし、まんぞく。
それに、寝ながら本を読んでると、ああ、こんなん書けるとええなあ。あんなん書きたいなあ、とかことばと物語が次々とわくようで、ご機嫌。ところがいざ元気になって書き始めたら思うてるようには いっこも書けなくて。ああ、やっぱりあれは妄想の世界だったか、とがっかりする。つまりは病気のときだけの「ねどこパラダイス」(←とわたしは呼んでる)なんよね。

▲ というわけで、毎度前置きが長すぎるけど、そんな中でもいちばん心にのこった一冊のことを。それは『沈黙の殺人者』(ダンディ・デイリー・マコール著 / 武富博子訳/ 評論社2013年刊)。このタイトルからもシリーズ名「海外ミステリーBOX」からも、自分ではまず選ばない本。というのも、わたしはみかけによらず怖がりのアカンタレなので「殺人」とか「暴力」とかが本でも映画でも苦手で、そのむかし息子と映画館に行っても、DVD観ても、そういう「こわい」場面になるとキャーキャーうるさいので「もうおかあとは一緒に見ん!」と宣言された過去がある(苦笑)。だから、当然そういうキーワードの多いミステリーも読むことがめったにない。

▲ だけど、信頼する林さかなさんのブックレビュー「いろんなひとに届けたい こどもの本」(『「書評」のメルマガ』)に、すぐにでも読みたくなったのである。アカンつもりで図書館に予約いれたら待たずに届いたこともラッキーだった。
物語は主人公のホープっていう十六歳の少女の語りではじまる。彼女の二つ上の兄ジェレミーが野球チームの監督を殺害した容疑で拘束され、裁判に。やさしい兄がそんなことができるわけない、と無実を信じ、なんとか真相を追求したいとおもう妹。

▲ ところが兄ジェレミーは一言も話さない。九歳までは普通に話し歌をうたってたのに、あることがきっかけで選択性緘黙(かんもく)といわれる症状に陥るんよね。筆談だけはできたのに、今回はそれすらもしない。
ホープは言う。

ジェレミーはずっと特別だったの。変わってるといいたくなくて特別っていう人がいるのは知ってる。でも、わたしにとっては特別ってすてきなことなの。不思議がいっぱいって感じ。ジェレミーはずっとそんな感じだった。ジェレミーは鳥が歌ってるのを何時間だってじっと聴いてられるの。ほとんどの授業で二分もすわっていられないのに

▲ そうしてジェレミーのこの「特別」なかんじの描かれ方がとてもいいんよね。
書き手の(翻訳者も)ジェレミーにたいするやさしさと、ホープみたいにその「特別」がすてきで愛おしく得がたいものと、思ってはるのが文章のあちこちからしずかに伝わってくる。
前に読んだ『ことり』(小川洋子著 /朝日新聞出版 2012刊)のお兄さんと弟のことをふと思い出す。

▲さて、物語は真実を追うなか、ホープに協力してくれる友だちTJとチェイスも加わって、それぞれの家族が抱える複雑な問題もあぶり出され、ほのかに恋もめばえたり。
訳文がとてもええ感じなので、ゆっくり味わいたいと思う気持ちと、どうなるんやろ?ほんまにジェレミーは無実なんやろか?と筋を追うのに走りそうになる衝動とたたかいながらも、とうとう最後の頁に。

▲ふうう。この本を閉じるときの何ともいえない思い。
著者と翻訳者に、この本を紹介してくださった本友・さかなさんに感謝。
さっそく前に『ことり』をすすめた友にも知らせる。昨日だったか寝床の携帯に「本買いました!」とメールがあったから。いまごろはきっと夢中になって頁を繰ってるやろなあ、と想像しては頬がゆるむ。
そして、英語から日本語に。本から本に。友から友に。だいじに手渡されてゆくものを思いつつ。



*追記

その1)
ああ、今回はすっかり更新がおくれました。こんなだらだらブログでも「たのしみ」「まってる」とか言うてくれはるそこのあなた、ほんまおおきにです。うれしい。上にも書きましたように「ねどこパラダイス」で読んだ本もおもったこともいっぱいあるので、また近いうちに書きたいと思います。

その2)
いつも、このひとの書く文章にじんときます。映画のいち場面をみてるようでもあります。プレディみかこさん。
これ(最近のコラム)にも
これ(2011年のブログ)
にも。

その3)
そして、その2のコラムにもでてくる wonderwallひさしぶりに聴きながら。
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# by bacuminnote | 2013-05-26 15:03 | 本をよむ | Comments(0)
▲ 外は つめたい雨がしとしと降っている。
こういう日は雨の中の緑を窓越しに、ぼぉーっと眺めてるのがすきなんだけど。近くでは高層マンションの建設が始まっていて、今日も朝早くからカーン、ガチャーン、ドーンと大きな金属音にトラック誘導の笛のピーピーがひびきわたる。

▲それは雨音や鳥の鳴き声、道行く人の話し声や、いつも間近に聞こえてくるちいさな音たちの上に覆いかぶさって、容赦なくかき消してゆくんよね。
耳がきんきんして書きかけの手紙もはがきもほっぽったまま。いらいらしながらえんどう豆をさやから出していたら、あちこちに飛びはねた。

▲ この間の連休のこと。
駅前のショッピングセンターにリニューアルオープンしたビルがあって、街は連日ベビーカーやスリングで抱っこのママやパパでいっぱい。どうやら今度ねらっている購買層はわたしらみたいなおばちゃんやのぅて、若いファミリーらしいから、ちょっと疎外感をおぼえながらも(苦笑)なっとく。
けど、ファミリーいうても、買い物したい(する)のは親で、子どもはこんなとこで長居してもおもしろくないよね。

▲最初はものめずらしくても、そのうち ぐずる→泣く→怒られる→拗ねる→きょうだい喧嘩勃発→ひとりが泣く→怒られる→ふたり大泣き・・という予想通りの展開をあちこちで見かけた。泣いたり怒ったり、怒られたりして。とおい自分の子育ての時間を懐かしみつつ、反省しつつ、眺めてたんだけど。
時に「それはあかんやろ」とおもう激しい怒り方をしている親もいて。そういうときは罵倒する親の子どもになったような気分で、くつくつと怒りの炎をもやし(苦笑)やがて、しょんぼりしてしまうんよね。

▲ 怒る、ってどういうことやろ。
この間「怒る人」の映画を観た。(『思秋期』パディ・コンシダイン監督・脚本/ 原題:Tyrannosaur イギリス映画)主人公のジョセフは、いつも眉間にシワ寄せて十秒に一回くらいはファッキンなんたらというて怒ってはる。妻を亡くし職も失った彼は怒りを抑えることができない。

▲その怒りはほんとうにからだの底からとめどもなく「湧き上がってくる」かんじ。もうジョセフという存在ぜんたいが「怒り」の塊のようで。あげく、だいじな愛犬にまで蹴りを入れてしまう。だのに、酔っ払って空が青くなる頃に 家まで一人とぼとぼ歩くジョセフの姿のさみしいこと。

▲ ある日ジョセフはバーでいつものように喧嘩の後、通りの店(教会がやっているチャリティーショップ?)に逃げこんで、古着のいっぱい掛かったハンガーラックの後ろに隠れる。店の主であるハンナという女性は驚きつつも「ハロー」と声をかけ名前を尋ねる。そうしたら彼は苦虫つぶしたみたいな顔して「ロバート・デニーロ」って応えて。

▲そんな人をくったような返事にもハンナは動じず「お茶はどう?ロバート」と話しかける。が、この誘いにもハンガーの影でファックオフ(あっち行け)と言ったり、ハンナの住んでる地域を聞いて、彼女の親切も金持ちの道楽のように言って傷つけるんよね。

▲ それでもハンナの笑顔とやさしさに、ほんの少し心が揺れるジョセフ。
一方 信仰をもち豊かに平穏に 夫とふたり暮らしてるふうに見えたハンナにも、じつはとても深い闇と恐怖心を抱えてることが、だんだん明らかになってくる。くわえて、ジョセフの住む家の周辺の住人たちの貧困と暴力。とりわけ彼になついてる小さな男の子のかなしみも。

▲ほんまにね、もう全編通していつもどんより曇り空やし、どっちむいても暗くてつらい映画なんだけど。すこしずつ殻をやぶってゆくひとたち。ジョセフの親友が亡くなったあと、みなでお弔いにパブでビールのんで歌って踊る場面の弾けるような笑顔。わたしもきゅうっと緊張した肩のあたりの力がぬけていくのを感じる。

▲だけど、このあと思いもよらなかった事が発覚するんよね。
生きていると決してきれいごとではすまないことだらけ。けど、何か、だれか、どこかに、一つでも心の拠り所があることが 人に生きる、生き続けるちからを与えてくれる、とあらためておもう。

▲最後のハンナの生まれかわったかのような清々しい笑顔のきれいなこと。光さす道。
観終わったあと、このジョセフのキャラクターは監督の実父をモデル、と読んで、ふたたび胸がしめつけられる。
観てほしいとおもう。


*追記
その1)
この映画、すきなケン・ローチをおもわせる作品で、じっさい主人公ジョセフは彼の「マイ・ネーム・イズ・ジョー」(予告編日本語字幕じゃないのですが)でカンヌ国際映画祭男優賞を受賞したピーター・ミュラン。だいぶ年とらはった感じするけど。


その2)
エンディングに流れるうた。すくわれるおもい。
‪The Leisure Society‪ - We Were Wasted‬

その3)
かんじんなことを書き忘れていた。
この映画のジョセフとハンナのように、互いの不器用さや凍ったこころを溶かすものって何やろ?と考えてたんだけど、ちょうど読み始めた本 『大事なものは見えにくい』(鷲田清一著 / 角川ソフィア文庫 2012年刊)にあった「聴く」ということに言及した一文にしばし立ち止まっている。(同書「納得」より抜粋)

聴くというのも、話を聴くというより、話そうとして話しきれないその疼きの時間を聴くということで、相手のそうした聴く姿勢を察知してはじめてひとは口を開く。

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# by bacuminnote | 2013-05-11 15:21 | 音楽 | Comments(0)

First of May

▲ じーんと足元から冷えてストーヴの朝。
珈琲をごくりと飲みこんだあとの 熱い道すじがわかるようで、わざとゆっくりゆっくり飲んでみた。ちょっと温もった気がして洗濯物干しに外に出たら、あまりにつめたい風に思わず首をすくめる。
ほったらかし庭にはツツジが三色。ほそい枝にぎゅぎゅう詰めに赤白ピンクが咲きほこって「どうよ?」と言うてるみたいで(そんなこと言うわけないが)あんまりすきやない。
あとは日々勢いよく育つ!草と木々の緑が光ってる。花より団子、団子より最中(笑)のわたしだけれど。おちつくところはやっぱり緑か~いいねえ。きれいやねえ。
First of May。きょうから五月。

▲ それにしても。
春なのに、寒く。春やというのに、鬱陶しくも不穏なニュースが、これでもか、というように続く。
考えられないようなことが、しかし、いつの間にか「あたりまえ」の顔して大きな声をあげており。ときに両手まで挙げており。
こういうときはどうやって怒ればよいのか。言うてもわからん人には、言うてもわからんのやろ。でもだからといって、何も言わなかったら「これでよかった」と思われるにちがいない。

▲ 買い物に出たら、連休で若いファミリーがいっぱい。いまは親も子もおしゃれでかっこいいんよね。みんなおんなじ風なのがちょっとつまらんなあと思うけど。
いや、しかし。かつての「ニュー」タウンも、子どもたちが巣立ちすっかり「オールド」タウンになっていたものの、ここ十年ほどの間にマンションがいっぱい建って、若い家族が越してきて、子どもの声がもどって。
街ぜんたいに活気がでてきた気がする。年寄りもいて、中年もいて、若いひと、ちっちゃい子がいて、ええなあと思う。ショッピングセンターには時節柄(苦笑)あっちにこっちに「子どもの日」と「母の日」の派手なポップが目に入る。ううむ。いつのまにか「~の日」はみごとに「お店でなんか買う日」になってしもてるなあ。

▲そういうたら子どもの頃、毎年5月5日には地域の子ども会でバス遠足があって、遊園地や潮干狩りに行った。
まだ車のある家も珍しい時分やったし、どこかに出かけると言っても故郷は山間部で交通費もばかにならず、多分みなで毎月少しづつ積立して遠足に行ったんやろね。親子参加がほとんどだったけど、ウチみたいに親が仕事で出てこれない子も何人かいたと思う。手をつなぐお母ちゃんが横にいなくて、行きはちょっとさみしかったけど、バスに乗ったらもう平気。子どもは子ども、親は親でしゃべって、食べて、うたってサイコーの一日だったなあ。
一年に一回きりのことやから、よけい記憶に残ってるのかもしれへんね。写真の少ないアルバムみたいに。そのかわり一枚一枚にいろんなものが詰まってる。

▲ とはいえ、昔はよかった、とは決して思わない。
とりわけ弱いもの~「女・子ども」に対する「男・大人」からの扱いはほんまにひどかったと思うから。
ていうか、いつだって、今だって、子どもはたいへん。大人による大人のための政治にふりまわされて。選挙権も発言権もなく。
「児童は、人として尊ばれる」「児童は、社会の一員として重んぜられる」「児童は、よい環境の中で育てられる」
毎年この季節になると児童憲章のことばを思いだす。(2008年5月にも ここで、その全文を書いていますのでぜひ読んでみてください)
制定されたのが1951年(昭和26年)5月5日だから、もう62年。人間なら還暦もすぎしっかり認知されている年頃やのに。相変わらず子どもを取り巻く環境は、原発事故その後のこともきちんとケアされないまま、軍隊だ徴兵制だなどというブッソウなことばがとび出すこのくにで、それでも憲法と共にこんなすばらしい児童憲章を掲げてるのだから。絵に描いた餅にならんように、うやむやにされないように。大人は子どもを守っていかなあかん、と改めて思う。


*追記
その1)
『大人のために児童憲章』求龍堂刊 残念ながら絶版。図書館などでどうぞ。

その2)
First of MayいうたらBee Geesのこれ。映画『小さな恋のメロディ』で流れてたうた。

同じ頃観た『フレンズ』も、忘れられない映画。うたはちょうどその頃(1971年)初来日した(←行きました!)Elton John
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# by bacuminnote | 2013-05-01 14:31 | 音楽 | Comments(0)
▲ 昨日 相方とおにぎり四個にビスケット、熱い番茶を入れたポット持って出かけた。
天気予報の通り冷たい風ふく寒い朝だったけれど、道中ゆりの木も桜も、緑がうす青の空に映えて清々しくうつくしく、何度も足をとめて見上げる。
街行く人はダウンジャケットからジョーゼットのスカートまで。(←寒そう)。
年寄りみたいに「寒いなあ」をくりかえしながら歩く。
いつになったら「ほんまもんの春」になるのやら。

▲地下鉄から近鉄線に。二人で吉野行きの電車に乗るなんて、十数年ぶりかもしれない。例年ならこの時期には平日でも、まだ花見客でいっぱいになる電車だけれど。今年は桜が早かったからか、出かけたのが遅かったからか、特急の車内には空席が目立つ。中高年のお客さんが多いなか、通路はさんで隣は若いカップルで、缶ビールと柿の種。香ばしいにおいに軽やかな笑い声~よろしなあ。二人でお花見やろか。

▲ 少ししてお昼になったので、わたしは先に一人おにぎりを食べ始める。すると隣から「あのーおかあさん」と男の子の声。一瞬「え?」と思うが、まさかね~と顔をあげると、どうも視線はわたしに向けられており。「おかあさん」はわたしへの呼び名だと気づいた。
「あのーこの1号車って、禁煙車両ですよね?」
「はい。禁煙ですよ」
「あ、そうですよね。ありがとうございます。えっと、おかあさんたちも吉野に行かはるんですか」

▲おかあさんって、知らん子に呼ばれてもなあ。けど「おばちゃん」では失礼やと思ったのかもしれないし「オクさん」なんてうたら「安いで、安いで~奥さん、買うたってや~」の市場のおっちゃんみたいになってしまうしね。
皮ジャンにちょっと腰落とし気味のジーンズ、黒のブーツに茶色のヘア、わたしみたいなおばちゃんに話しかけてくることなど、まずないやろ、と思うようなお兄ちゃんやったけど、えらくフレンドリーに話しかけてきはるのであった。

▲ 花見かと聞かれたので、相方が病院に見舞いに行くねん、と答えると
「・・・おっちゃん(花見なんか)関心なさそうやもんねえ」と返ってきて内心笑う。わが相方に「おとうさん」とは言いにくかってんやろなあ。そうして「おかしいと思ってたんですよ。吉野着いてから弁当食べたらええのに、おかあさん、電車の中でもう食べてはるから」と言うので大笑い。お兄ちゃんは、カノジョがこしらえてくれたお弁当持って、まだ花の残る奥千本まで行ってお花見~とのこと。

▲ そのうち相方もおにぎり食べて(←ウチのカノジョはおにぎりだけ・・苦笑)花は散っても吉野の山の葉桜のうつくしさを語ったり。(←おっちゃんも関心がないわけちゃう~)思いもかけず「おかあさんら仲いいですねえ」とか言われて焦ったり。
やがて「つぎは吉野口~」というアナウンスに、がさごそと降りる準備を始めるお隣さん。
「次ですよね?」とごきげんなお兄ちゃん。「ちゃう!ちゃう!こんなとこで降りたら奥千本まで行きつかへんよ」と、切符見せてもらったら吉野口までしか買ってなくて。みんなで大笑い。吉野口のあと5つ目の終点が吉野駅なのである。

▲「吉野」って名前がついてたから、とりあえず切符買った、という若い子らのアバウトさを「ええかげんやなあ」と 呆れたり笑ったりしたけど。ひとのことは言えんのであった。
その昔、カナダに旅したときのこと。ジャスパーを目指す途中、ゴールデンという町を出てつぎの宿泊地にレンタカーで向かってたわたしたち。渋滞など無縁の広い道路で、前の車が動かないと思ったらマウンテン・ゴート(山羊)やムース(鹿)が道をふさいでて、親子で「おお、カナダ!」とごきげんやったんよね。相方に運転ごくろーさん、もうじき宿や~とかなんとか言うてたところに、うまい具合に観光局インフォメーションの前を通ったので、念のため予約いれた「アサバスカ・モーターイン」の場所確認しとこ、と入ったら。

▲ 係の人が「ほんとうにこのモーテルを予約したのか?すぐキャンセルしなさい」と言い出して。なんせフウフ揃って中学2年程度の英会話力しかないから、通じてへんのやろか、と会話集で用語例を探して言い方を変えてみたり(苦笑)「とにかく、どのあたりか教えて」と地図を差し出したら。アサバスカ川の載ってるところを見えるように小さく折った地図を、彼はやおら大きく大きく広げ始めた。
「そこと、ちゃうがな~」と親子三人覗きこんでたら、彼の指が地図の端っこで止まり、そして、気の毒そうにこう言わはったんよね。「たしかにアサバスカ川はこの辺りを流れてるけど、あなたが予約したアサバスカという町はここから車で6時間走り続けないと着かないよ」

▲ いやあ、カナダはものすご広いしね~「吉野口駅」と「吉野駅」どころの話やないわけで。「あんたが悪い」「お前が軽率や」となじり合う かつてのわたしらとはちがい、彼らは言い合うこともなく「ああ、よかったぁ。ありがとう。お母さんらに会うてほんまよかったですわ。話してへんかったら、ぼくらここで降りてましたもん」と、それもまた楽しいというように笑うのであった。
まあね、コイビトたちにはたとえ間違って降りたとしても、奥千本の桜見ることのぅても、きっとええ時間すごせるんやろけど。

▲ そうこうしてるうち 先にわたしらの降りる駅になり「ほな、楽しんできて」「またいつかどっかで~」と別れた。
さて、病院に着くと母はベッドで所在なさそうに座ってた。けれど入ってきたわたしらに気づくや、ぱっと顔が明るくなったのがうれしくて、ちょっとせつないきもちになる。
旧友が個展で上京するのに、てるてるぼうずの代わりに小さなクマのぬいぐるみ(前にウチの母がつくったのを彼女に貰ってもろた)を持ってきたよ~と前夜 写メを送ってくれた。やさしい子やからね、きっと入院中の母のこと気遣ってくれたんやろなと思う。かつて親に心配かけた娘やその友だちが いま年老いた母のことを想ってる。
その写真つきのメールをプリントしてきたのを見せると「そうかぁ。あの子東京まで行ってるん?(個展)うまいこといったらええなあ」と目を細める。

▲できたことができなくなり、覚えていたことをつぎつぎ忘れてゆくのが、くやしいと嘆く母に、わたしらも一緒やで、と言うたけれど「一緒とちがう」って思ってるんやろなあ。そんな顔してたよなあ。
そう言うたら、と前に読んだ上野千鶴子の本(『ひとりの午後に』)にあった句『ひとはみなひとわすれゆくさくらかな』(黒田杏子)がふっと浮かんできたけど、だまってた。
「せっかくここまで来たのに、山(吉野山のこと)でも寄って行ったらええのに。あそこにもここにも・・・」と「観光」を薦めたり、「早よ、帰らなあかんで」と言うてみたりの母に「ようなったら、夕方、また電話で長話しよな」と言うて病室をあとにした。

▲電車の時間も調べずに出たものの、都会とちごぅてここの駅で待つのは苦にならない。しんと底冷えのする待合室で腰掛けて、相方はビスケットを食べ、わたしはお茶を飲む。リュック姿の男性が入って来られ腰掛けると、駅のホームを指さして相方に何か話してはる。
「鹿や!」と相方。えっ!鹿って?慌てて窓際に寄ると一匹の鹿がホームを横切って走ってゆくのが見えた。男性と相方は二匹見たという。山から降りて来たんやろか。どこにむかって走って行ったんやろか。
たぶんいつもはのんびり仕事してはる 駅員さんが慌ただしく電話してるのが窓口越しにみえた。


*追記
その1) 旧友の個展
うらたじゅん個展  四月の停留所へ」
会期/2013年4月19日(金)~5月8日(水)
営業時間/12:00~19:00 【月曜定休】
★4月19日(金)~21日(日)まで在廊予定。
会場/東京・南青山 ビリケンギャラリー
〒107-0062 東京都港区南青山5-17-6-101 ☎:03-3400-2214


その2) 今日はこれを聴きながら、車窓からみえた きらきらひかる吉野の川や山の中にぽつんと咲いてた桜の木を思いだしています。Ólafur Arnalds(オーラヴル・アルナルズというアイスランドの作曲家、演奏家)の"Ljósið"
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# by bacuminnote | 2013-04-20 13:10 | 出かける | Comments(0)
▲ 今日も買い物に行く途中、マンションの前に引っ越しトラックが停まってた。先月末から何度も見かけた長いボディのトラックやけど、もうそろそろお終いやろね。
毎年のことながら、荷降ろしの車のそばにちっちゃい自転車や三輪車が置いてあると、ついつい足が止まってしまう。
この町、気に入るとええなぁ。保育園、幼稚園や学校で。いや、行かないにしても。新しい場所で、たのしいことやおもしろい出会いがいっぱいでも、ひとつでも、ありますように~と、引越しシーズンのたびにそう思う。
始まりの春とか言うけど。足並みなんか揃えずに、みな、それぞれに、ぼちぼちいこか。

▲ それにつけても、高層マンションの引越しってほんとうに大変。道端に停めたトラックから下ろした荷物は台車いっぱいに積まれて、エントランスまでゴロゴロ。何度も何度も、若いお兄さんたちが汗だくになって繰り返す。
そばの歩道では、みなちょっと寒そうに歩いてはる。毎日暑かったり寒かったり。ころころ変わるからね。この前の強風で一気に散った桜の花のじゅうたん。踏んで汚さないように、わたしはつま先立ちで そろそろ歩いてみる。

▲ 桜の木には残った花のやさしいピンク。ガクの紅色。それから、みずみずしい緑の小さな葉っぱが風でたよりなげにゆれてる。ぜんたいが花で埋まってるより、このくらいがすき。すっかり葉桜になったころは、もっといい。そうして、あたりは緑のうつくしい季節になる。

▲ この間のこと。窓をあけたらご近所からピアノの音が聞こえてきた。聞き覚えのあるような練習曲。ええなあ。
ピアノは子どもの頃と大人になってからもちょっとだけ習ったけど。いっこも練習せんかったくせに。長続きせんかったくせに。ピアノを聴くと(ある日突然ピアニストのように)弾けたらいいなあ~などと勝手なこと思うてるんやから。我ながら呆れる。
一方自分が好きやから、とほんま何時間でも弾き続ける相方のピアノは、むちゃくちゃながら(←すまんが正直な感想)力強くて、熱い。
ひとは(わたしは)簡単に「すき」と言うけど「すき」にも色の濃淡がある。どれがほんまもんでどれが偽物なんて思わないけど、濃い人はやっぱり熱いなあと思う。

『ピアノマニア』というドキュメンタリー映画を先日観た。タイトル通りのマニアなすごい方たちがいっぱい登場するんだけど、主役はピアノメーカーのスタンウェイ社を代表するドイツ人調律師のシュテファン・クニュップファー。
自分の使い慣れた楽器を持って移動できないピアニストにとって、調律師の存在は大きい。ゆえに、彼のその緻密な仕事は、世界の名だたるピアニストたちから絶大なる信頼を寄せられていて。演奏者から次々に出される注文に、無理難題とも思えるそれにも耳を傾け、熱意をもって応えてゆく姿はもはや「縁の下の力持ち」というより共演者のように思える。

▲ 中でもフランスのピアニスト、ピエール=ロラン・エマールがバッハの「フーガの技法」を録音するにあたって、彼に出す注文の実に抽象的で細かいこと(苦笑)
ある時はシュテファンが『今回要るのは広がる音?それとも密な音?』と尋ねると、即「両方ともだ」と返ってきて。そして満足な音が得られて「いいねえ」と言うたかと思うと次にはもう「でも、質問なんだが」と続くんよね。それでも、その張り詰めたやり取りの間にも、シュテファンのユーモアとエマールの笑顔と「いい音だね」には、見ているわたしも「ああ、よかったぁ」と頬がゆるむ。

▲ 選んだピアノを何度も調整するのに理想の音が得られず、録音間際になって別のピアノを運び入れる、というシーンもあって。映画ながら、他人ごとながら、どうなるんやろ、とどきどきした。
もうこれ以上はアカンという極限まで調律している(らしい)から、そういうギリギリの線でピアノを演奏してると、その衝撃で翌日にはもう音が変わってしまうので朝と夜と二回調律するのだそうだ。

▲ すごいなあ、と思ってたら、録音技師たちも又すごくて細かい(苦笑)。録音した音をエマールと聴きながら「Fの音がかなり高い」とか言うてはる・・。でもエマールの演奏するバッハを、別室でヘッドフォン越しに聴きながら「美しい~」とうっとり楽譜を追うてはる。ほんまに皆楽しそうなんよね。シュテファンとのチームワークもええ感じ。シュテファンが一生懸命する音の説明に「(これが)シュテファン流なんだよね」「難しくないことを難しく解説する」と冗談まじりに言って笑う。

▲最初のうち、素人としてはそこまでこだわらなくても、とか単純に思ったりしたけど、声楽家が自分の喉や声を大事にするようなもの、ということばに納得。そして『“ブラボー!”の喝采の影に潜む、芸術への愛、完璧への執念、そしてわずかな狂気』(映画公式HPより抜粋)に頷く。
それにしても。
演奏家に何度も何度もNG出されるたびに、工夫して誠実にくりかえし挑む調律師。ほんとうに気の遠くなるような作業。でもシュテファンは言うんよね。
『落胆しながら仕事をしているんじゃない。私にとってこれは研究なんだ。』
深い。


*追記
その1)ピエール=ロラン・エマールの演奏をすこし。
PIERRE-LAURENT AIMARD   Bach The Art of Fugue Pt.1/3Contrapunctus 4 & 12 (The rectus version) 

その2) 小学生の頃習ってたピアノの先生が心斎橋・ヤマハ楽器で(←ローカルな話題ですみません。苦笑)買ってきてくれたレコード。ヴァン・クライバーンのチャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番(クライバーンは今年2月末に亡くなられたようです)
これを聴くと、そのころ近くの映画館で観た吉永小百合がピアニストになるというストーリーの映画(いま調べたら『父と娘の歌』1965年)の最後コンサートの場面で、この曲を演奏するところをよく覚えています。一緒に行った姉たちと「すごいなあ。ほんまに弾いてはるなあ。じょうずやなあ」とカンゲキしたのでした。なつかしい。
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# by bacuminnote | 2013-04-09 21:51 | 音楽 | Comments(0)

咲顔にて。

▲ いつもより早い桜の花にとまどいつつ、駅までの道、あっちの桜、こっちの桜を見上げる。ああ、桜なんて、と毒づきながらまた、つい桜を見上げて。わたし、クッセツしてるなあ~とため息ひとつ。
山ごと桜の咲きほこる故郷の春はもうちょっと先やけど。思わせぶりに寒暖を行きつ戻りつ、春は大阪にやってきた。
 
▲ サクラというたら、その語源にはいろんな説があるようだけど、動詞の「咲く」に接頭語の「ら」(複数の意味をもつ)をつけて名詞「さくら」になったという説を採用してる(笑)。
だから、以前書いてみた小説(『キスチョコレート』といいます)の登場人物に「咲ちゃん」と名付けたんよね。

▲何年か前に鷹羽狩行(たかはしゅぎょう)の挨拶句集 『啓上』(ふらんす堂2002年刊)を読んで、小説家の北原亞以子さん(先日亡くなられましたが)との対談のあとの一句に『咲くことは笑ふことにて福寿草』があって。
開田高原で暮らしてたころ、雪の残こる畑から見える黄色を思いだしてええなあと思って、ノートに書き留めた。

▲ そうして、笑顔のすてきなあの人、この人、と友だちの顔が次々うかんで。そのあと、あつかましいけど、わたしのテーマソングにしたいような句やなあとうれしくなった。
自慢やないけど、うまれてこの方 キレイやとかべっぴんさんとか言われたことはない。でも、笑うてる顔だけは ちっちゃい時から「笑顔良しやなあ」と言うてもろたから。(←今思ぅたら「そこしか」なかったのかも、やけどね)
そんなわけでこの句は以来、わたしの座右の句となったのである。
 
▲ 昨日、図書館で「きょう返った本」の棚の中、辰巳芳子さんの本が目に入った。近ごろ辰己さんの料理の本はあちこちで見すぎて、ちょっと満腹状態なんだけど、この本は 『庭の時間』(文化出版局刊)というもので。
さいしょに書かれた福岡伸一氏の「食べるものを限ることの意味」を立ったまま読んで、目次にむかうと十二ヶ月のタイトルがついていて、何ということなしに目で追ってたら四月のところで、とまる。

▲ 「四月 咲顔」とあったから。え?どう読むの?「さきがお」かな?・・・と、どきどきしながら頁をくると、みごとなしだれ桜の満開の写真に白抜きの文字で「四月 咲顔」。この辺りでわたしは(いつものことだけど)空いた椅子を探し、腰掛けてつづきを読む。
曰く、
柳田國男は「笑の本願」という文中で、声を立てて笑うのと、ほほえむ えみ とを大別し、ほほえむ笑顔を咲顔(えがお)と云うべきだと云っておられます。】(p46より抜粋)

▲ そうか。そういうことやったんか~と走るようにして(←こういうときの行動は早い・・)家に戻り、さっそく白川センセの本を開く。「咲」を開くと、最初に飛び込んだ象形文字が「笑」そのまんまで笑う。

咲は古い用例はなく、もとの字は笑で、「わらう」の意味であった。(中略)花がひらくことを、古くは花開(さ)く、花披(さ)くといったが、花咲くのように咲を「さく」の意味に使うようになったのは、花の開く様子を人の口もとのほころびる様子にたとえたのであろう。】(「常用字解」白川静著 平凡社刊)

▲自分の興味に引かれて走ったあとの、気持ちの昂ぶりもあってなんだけど、胸がいっぱいになった。
っていうのもね、じつは前から桜の花が咲くそのかんじ、おこられて拗ねた子どもが何かうれしいこと言うてもろて、ふふと笑う口もとみたいやなあ、って思ってたから。
そして、「ええ年して今だに<桜>に拗ねてる子ども」が「咲くことは笑ふこと」と知って胸つまらせてる。

▲なんか うれしい。
いやあ、ちょっと賢うなったなあ~
「知って」うれしいことはすぐだれかに「聞いて、聞いて~」と言いたくなるわたし。
せやからね、さっそく報告です。
春、しんどい人、痛いとこある人にも 咲顔のときがありますよう、ねがいつつ。



*追記
その1)
この前につづいて 連続投稿なり。
次回に書こうと思ってるうちに、忘れてしまうので。

その2)
今日はLouis Armstrong - When You're Smiling→

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# by bacuminnote | 2013-03-29 14:09 | 音楽 | Comments(0)
▲ ちょっと暖かくなると、歩いてる人たちの表情も(それを見ているわたしの顔も)こころなしか緩んでいるように思える。いつも通る長い歩道橋の上、頬を刺すような冷たい風の中を お年寄りが一足一足 摺るようにしてゆっくり歩いてはるのを目にするのがつらかったけれど。
ぽかぽか陽気の日に、橋の真ん中でお知り合いと掛け合うてはる「ぬくなりましたなあ」の声と満面のえがおにも、春。

▲ このごろはご夫婦らしき、お年寄りのカップルが散歩や買い物に出て来てはるのをよく見かける。中には身を寄せ、手をつないでたり、腕を組んでるカップルもいて。どちらかの足腰の弱さを支えるためかもしれないけど。ええなあ~と、ときどき振り返って、春のひかりの中のふたりの後姿をもういっぺん見たりする。

▲ 気にいらんのは、なんかエラソーなおじいさん(苦笑)
手ぶらで先々歩いて、おつれあいが両手に重そうな買い物袋下げて、あとから追いかけるようにして歩いてはる姿。くわえて、おじいさんが(ときにはおばあさんが)相手のちょっとした失敗を(←たぶん)をなんべんもなじったり、怒ったりしてるのを耳にしたとき。
そういうときは、よそさんのことながら「なに言うてんのん!」と言いたくなる。なるけど、さすがによう言わんから(苦笑)ぐっと唇かみしめて通り過ぎる。

▲けど、そんなこと言うてるわたしが、家の中では相方にエラソーに言うてたり、エラソーに言われてかっかしてるんやから。よそさんのことを「見た目」だけでは単純に言えないんやけどね。でもでも、みんな、おたがいのパートナーや、だいじな人と、なかよぅに、何よりやさしくしようよ、とおもう。

▲ この間、図書館で手にした絵本はその名も 『老夫婦』(ジャック・ブレル 詞/ ガブリエル・バンサン 絵/今江祥智 訳/ブックローン出版)と、そんな年老いたふたりを描いた本だ。シャンソンのジャック・ブレルが作詞作曲、そして自らがうたう「LES VIEUX」(老夫婦)の歌詞にバンサンが絵を描く。

▲バンサンの絵はすばらしい。一見ラフなデッサンのようでいて人も、窓辺の珈琲カップでさえ、息づいて、動く。鉛筆や木炭の線描が、しかし力をもって見る者にせまってくる。せやからね。ことばがなくても(実際、バンサンの絵本に文字のないものもある)むしろ饒舌な感じがすることもあって。うまく言えないけど、わたしにとっては、すきだけど閉じたくなることもある(そしてまた開く)絵本だ。

▲ この『老夫婦』を初めて手にしたのは出版当時(1996年)だった気がするけど、その頃のわたしはまだ子育てに仕事に、文字通り無我夢中で。「老夫婦」といえば、相方の両親のことであり、朝早くから日の暮れるまで畑仕事に精をだすご近所の「じいちゃん、ばあちゃん」であり。いずれにしても自分には「遠い」ことだったのだろう。よくおぼえていない。
でも、今はいつしか自分にも近いことに思えるようになったんやろね。頁をめくるたびに、しんとしたきもちになって。またはじめから読み返した。

年老いた二人には、今はもう話すこともなく、ときおり、おたがいにそっと目をやるばかり。
お金があろうとなかろうと、みじめさはかわりなく、もうゆめもなく、思いやりがあるばかり。
家にいるふたりは、香草とラベンダー、それにこざっぱりしたにおいがしていて、昔の言葉が往き来する。・・・


▲ そうして、前書き(by クリスチャン・コンバ)最後の一文に深く頷く。
あなたのお仕事は余分なものを切り捨てて、品格をもって人間の信実を表現されています。老いたものにとっての哀しみは、外見ばかりにこだわる世間が、老いを醜いとしていることなのに、あなたくらいデリケートに、老いという主題を扱われることの出来る方はいないでしょう。本当にこの世での姿は老婦人であろうとも、心の奥に秘めたるもうひとつの「現実」ではまだ10歳の少女なんですよね

▲この絵本の世界は終始しずか。甘いごまかしなどなく、まっすぐに「老い」が描かれる。それはとてもきびしくてさみしいものだけど。若いときは読み過ごしたにちがいない場面のひとつひとつに、たちどまり眺めて「そうかもしれない」とかんがえる。
そうして、本を閉じてからもつらつらと「老い」や、相方と自分の老後を想像してみる。
こんなしずかな時間がわたしたちの上にも来るのかなあ。

▲そういえば、天野忠さんの『しずかな夫婦』という ええ詩があって、詩はこんな風に始まる。
結婚よりも私は「夫婦」が好きだった。/とくに静かな夫婦が好きだった。/ 結婚をひとまたぎして直ぐ/ しずかな夫婦になれぬものかと思っていた。
若いころわたしも「しずかなな夫婦」になれたらなあ、とおもったんよね。
けど、静かどころか、にぎやかな(うるさい?)夫婦のまんま 今年でもう34年目になる。

▲ 夫婦で、もうひとつ思い出すこと。
それは田辺聖子さんが「カモカのおっちゃん」と呼んではったおつれあいが亡くなられる少し前の病室でのエピソード( 『残花亭日暦』田辺聖子著 角川文庫刊)。
おっちゃんの看護、お母さんの介護、家事、作家として忙殺される日々。日々奮闘して疲労困憊のお聖さんにおっちゃんがベッドから言わはったということば。カモカのおっちゃん、やさしなあ。ええご夫婦やったんやなあ、とあらためて。
かわいそに。ワシは あんたの 味方やで。



*追記
その1)
天野忠さんの詩『しずかな夫婦』はここでも読めます。(個人の方のブログですが→
http://ameblo.jp/mrbean19680206/entry-11022242118.html)

その2)
この間も貼りましたが、再度。ジャック・ブレルうたう『Les Vieux』(老夫婦)
ジャック・ブレルといえば『Ne me quitte pas』(行かないで)が有名ですが
わたしはご本人の他ではnina simoneのうたうこの歌がすきです。→

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# by bacuminnote | 2013-03-27 21:23 | 音楽 | Comments(0)

なおもしおんの。

▲ 梅の花が散って地面が桃色に染まってる。木瓜(ぼけ)の花は紅い蕾を日ごとにふくらませ。紫陽花の枝には芽吹いたきみどり色がまぶしくて。まだやわらかな葉っぱを広げ始めてるタンポポ。ああ春やね。今年も春は忘れんと来てくれたんや。ほったらかしの庭に、それでも時がきたら咲いてくれる花や新芽に、おおきになぁ~とおもう朝。
この間からの晴天続きに調子にのっていっぱい洗濯したけど、どうやら今日は雨になりそうだ。

▲さっきネットで『数珠ひろふ人や彼岸の天王寺』という正岡子規の俳句に出会って、天王寺のちかくのお寺にご納骨されてる友だちのお母さんのことを思っている。
もう長いことホームに入ってはったし、お会いすることもなかったから、わたしの中ではいつまでも若々しいお母さんのまんまなんだけど。
下宿ではなく友だちと一緒にママ(と彼女が呼んでいた)のとこに直帰、という日が、ほんま幾日あったことか。そのつどママは山盛りのごちそうを拵えてくれはった。そんな日はパパも仕事帰りに「ハイデ」(彼女んち近くのケーキ屋さん)のケーキをいっぱい買ってきてくれはって。

▲ 今思ったら、あの当時ママはまだ40代だったんよね。
初めて話したときに高橋和巳やニッティ・グリッティの名前まででてきて、すごいなあ。都会の「ママ」はちがうなあ、っていっぺんでママのファンになってしもた。
田舎育ちには何もかもが目新しく。トイレの壁にはjazz喫茶みたく大きなポスターが貼ってあって、リビングの本棚には、件の高橋和巳やパパの読む法律関係の本が並んでた。団地もテラスハウスというのも初めてだったし。
ときどきママの若い友だちの高校生や大学生が麻雀しに来てたりして。「進歩的」。ウチの親とえらいちがいや~と羨ましかった。

▲だから。
彼女がわたしと同じように家や親への不信や愚痴をこぼすのも、「家を出たい」というのも、その頃はちょっと考えられへんかったけど。
思春期の子どもと親の関係って、いつもどこでも、くんずほぐれず(←「組んず解れず」と書くと今知りました)の格闘期かも。そうして、わたしも友もさんざん親とぶつかり、時にイタイ思いもして。いつしか母になり。
悪友はやがて祖母にもなりにけり~

▲そういえばママが俳句の会に入ってはったこと、ずいぶん後になって知ったんだけど。いまだったら、いっぱい教えてもらいたいことや、話したいことあるのになあ。
俳名は紫苑だったそうで、いまは友がその名「しおん」で渋いええ句をひねる。
『淋しさを猶も紫苑ののびるなり』(あ、この句も正岡子規だ!)
紫苑の花言葉は「君を忘れず」だとか。
J、きみのママのことわすれません。ママが遠いとこに行かはった日からもう一年たったね。


*追記
ママとの話にでてきた ニッティ・グリッテイ・ダート・バンド~なつかしい!
Nitty Gritty Dirt Band~Mr.Bojangles
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# by bacuminnote | 2013-03-18 13:14 | 俳句 | Comments(0)

ほんとにほんとに。

▲ ずいぶん前に姉(その1)が、冗談まじりに「わたし、時々な、人間が一生使えるお金って決まってる気ィするねん」と言い出した。「あんたはな、若いときまでに ようけ使ぅてしもたから、残りはちょっと。わたしは若いとき地味やったし、これからまだ使える」と言うや、あはは~と、自分で言うた説に自分で受け(苦笑)おかしくてたまらんという風に笑うのだった。

▲ その昔 、姉妹のうちでは末っ子のわたしが一番浪費家やったらしく、今の「地味」っぷりを何かというとそんな風にからかわれるんやけど。そして姉の珍説によれば、妹の財布はこれからも「残りちょっと」なまま 行くことになるわけやけど。まけおしみやのぅて、いつのまにか「ものすごぅほしい」「ほんまにほしい」というものがなくなった。それはある意味「足りている」ということかもしれないなとも思う。
そういうたら、子どもの頃はほしいものがいっぱいあったなあ。
当時の雑誌のクイズか何かで「写真の商品から◯円分自由に選ぶ」という景品があって、人形や人形の服、文房具、ブローチや髪飾り・・・どれも田舎には売ってないものばかりで、友だちとほしい品物の値段を紙に書き出して、なんべんも書いたり消したりして一生懸命計算したっけ。

▲なんでそんなことを思ってたかというと、この前「ほしいもの」の絵本を読んだから。
先日メルマガ「子どもの本だより」にて三冊の連作絵本の紹介があって、(『かあさんのいす』『ほんとにほんとにほしいもの』『うたいましょう おどりましょう』ベラ・B・ウィリアムズ作・絵 /佐野洋子 訳/ あかね書房)
すぐに図書館で本を借りてきた。家に帰るまで待てずに館内で立ったまま読む。(のちに座って読む)ああ、いい本教えてもろたなあ~なんかね、気持ちがこう、ふくふくとなる感じ。ぽかぽか陽気のなか 帰途おばちゃんはスキップする!

▲中でも
『ほんとにほんとにほしいもの』
(原題 "Something special for me" )はとても深く心にのこる本だった。これは連作の二冊目。
ある日、主人公の女の子ローザとかあさんとおばあちゃんの住む家が火事になり、何もかも失くしてしまう。アパートの一室に引越した後、かあさんは仕事先の食堂から大きなびんを持ち帰って、かあさんのチップやローザが食堂でお手伝いしてもらった小遣いや、おばあちゃんが日々の暮らしで節約したお金を貯めていくんよね。アパートにはかあさんが疲れて帰っても、くつろげる椅子がなかったから。やがて小銭が瓶いっぱいになって「かあさんのいす」を買う・・ってところまでが一冊目のお話。

▲ そうして、椅子を買って空っぽになった瓶に、またみんなで小銭をいれていくんだけど、やがてそれもいっぱいになり。こんどはローザの誕生日に「なにかすてきなもの」を買ってあげよう、ということになった。
わたしとかあさんは、おおいそぎでよそいきにきがえしました。
おばあちゃんは、小ぜにをおさつにかえました。げんかんを出ようとしたら、おばあちゃんの大きな声がしました。「ローザ、ほんとにほんとにすきなものを買うんだよ!」


▲ よそいきの服に着替えていそいそと出かける母子のようすが、目の前にうかぶようで、なんだか胸がいっぱいになる。最初に二人が行った先はローラースケート屋さん。友だちがみんな持ってる新しいローラースケート!ローラはオレンジ色の車のついた白いローラースケートを買ってもらうことになって。

▲お店の人が包装し始め、かあさんがお金を払おうとしたとき。
そのとき、きゅうにわたしは、ローラースケートがぜったいにほんとにほしいかどうか、わかんなくなりました。ほしいけど、あのびんをからっぽにするほど、ほしいのかしら。』と思い始めるのだった。
何もこの靴でなくても、道で競争だって、ダンスだってできる、ってね。
結局ふたりはなんにも買わずに店を出る。

▲ その次にむかったのはデパートの洋服売り場。
その次はアウトドアのお店にあったナップザック。
「ほしいけど、あのびんをからっぽにするほどほしいかしら」と思うと、やっぱり何も買わずに店を出て、とうとうローラは「なんにもきめられない」となきだす。
子どもが真剣に考え込む姿は、自分にも覚えがある。「お母さん、もうちょっと待ってあげて」と読んでるわたしまで泣きそうになる。と、同時に、かつて、わたしはこういう場面で、母として自分の子どもには「もう、何してんの。早う決めなさい!」とツノ出してた気もして。そのあまりに身勝手さに凹む。(息子たちよ、ごめん!)

▲ けど、ローラのかあさんは「しんぱいしないの。まだ時間があるもの」と言って、自分の働いている食堂に「おやつをたべながら、よーくかんがえようね」と連れて行く。
そうしたら、食堂の主人のジョセフィンは、アイスクリームののっけたパイ(おいしそう!)を運んでくれ、ローザが大好きな歌をジュークボックスでかけてくれるんよね。ああ、よかった。

▲さて、その後ローザが買ってもらうことになったものは?
「それはね」と、話したくてうずうずしてるけど、がまん。
ヒントは三冊目のタイトル『うたいましょう おどりましょう』
原題の "Music, Music, for Everyone"がすてき。
かあさんやおばあちゃんだけでなく、周囲のみんなの温かなきもちにつつまれて、これからもローザがすこやかに育っていきますように、と三冊目の本を閉じて。
そして、再び考える。
自分にとって「ほんとにほんとにほしいもの」「ほんとにほんとにすきなもの」って何なのかな、って。
ほんま、春の訪れをおもうような、清々しく、ふかく、いい読書の時間でした。
この本を教えてくれはった人に おおきにです。


*追記
ブログはじめて以来初の(たぶん)二日連続更新です。
いや、そんなこと自慢そうに書くのもはずかし。昨日書くつもりやったのに書けなかったからですが、ここまで書いて、ジャック・ブレルの歌の絵本『老夫婦』のことを書きそびれたことに気づき、呆然!
ああ、やっぱり目的地にはすんなり到着せず。

きょうは、これを聴きながら。
sparklehorse - shade and honey
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# by bacuminnote | 2013-03-09 21:45 | 音楽 | Comments(0)

「そこにとどまるもの」

▲ よい天気。梅の木は白いのも紅いのも。かいらし花を細い枝にもうこれ以上付けないというほど、いっぱいいっぱいに咲かせて。
ほらほら、背筋伸ばして、上向いて。もうここまで春、来てるよ、としらせてくれる。
はればれとしたきもちで見上げる空も晴れわたる。すきとおる青はベビーブルーで。だのに、ああ、こんなきもちのよい日にマスクして外に出る憂鬱。
空を舞うてる目に見えないあれも、これも、それも、みな。よその国からとんでくるものだけとちがう。「複合汚染」ということばを改めておもう。わすれたらあかん。今(も)起き(続け)ていること。

▲ この間『ジョルダーニ家の人々』というイタリア映画を観た。この映画、もとはテレビドラマだそうで、ぜんぶで6時間39分。劇場上映のさい、岩波ホールでは13時40分から3回の休憩を挟み、終了は21時15分だったそうで。前に観たおなじ脚本家による『輝ける青春』(←これも6時間6分の作品。とってもいい映画やったのに。この邦題のセンスは哀しすぎる)も、長さを感じずに観終わったことを思い出して、DVD 4枚借りて二日がかりで観終えた。

▲ 原題は『LE COSE CHE RESTANO』で「そこにとどまるもの」という意味らしい。技術者の父、元医師の母、外交官の長男、精神科医の長女、建築を学ぶ次男、高校生の三男・・・と 仲のいい恵まれたジョルダーニ家の人々。
ある日、久しぶりの長男の帰省で家族全員が集まる。楽しい夕食の途中、三男はみんなに冷やかされながら、約束してたガールフレンドのところに泊りに行くんだけど。その翌朝、事故であっけなく亡くなってしまう。

▲ 母親の、父親の、姉兄たちの深い悲しみ。そして、このことが引き金となって、それまではみんな気づかなかった、いや、うすうす気づきながらも知らぬふりをしていようとした いろんなことが、次々とあぶりだされる。笑ってごまかせたかもしれない 小さかったほころびも、日毎にどんどん大きくなって。どうやって繕ってよいかわからないくらいに広がり。やがて家庭は崩壊する。

▲ そんな中、シチリアで不法移民の取締に立ち会う長男に会いに行った次男のニーノは、ひょんなことから難民の中年女性を匿い、一緒にローマに連れ帰ることに。行き先はいまは誰も住んでいないジョルダーニ家。
一度はみんな離れて行った空っぽの家に、彼女の出現がきっかけとなって、こんどは「ひと」が次々と戻ってくることになって。

▲ 血の繋がりのあるひとも、ないひとも。大人も子どもも。異性愛のひとも同性愛のひとも。民族をこえ。そうして家族はいつしか、あたらしい家族を紡いでゆく。
よい長編小説を読み終えたあとのように、ジョルダーニ家の人たちと一緒に歩いたかのように、観終わったあとふううと満足の長いためいきひとつ。

▲そうそう。
映画の終わりのほうで、次男のニーノが女友だちと二人で仕事を終えた夜、思いつきで町を縦断するバスに乗り込むんだけど。この場面がとてもよかった。車窓から流れる夜の町をみながらニーノが彼女につぶやき始める。
『これはさながら時の旅  古代から現代ローマへ 中心街から郊外へ 天国から地獄へ 始発駅から終点へ。』 
『これが旅の終わりだ。あの建物には100の家族がいる。500人以上の人間だ。鼠もそれ位。何十億かの蟻も』
『まだ息をしている。生きてる。ボイラーが配管から熱を送り、二~三人が階段を上がって 蛍光灯が雑音を発し 今日も口論やキスや八つ当たりを見て 宿題をする子や まだ来たばかりの赤ん坊を見守って 今は恋人たちの囁きに 耳を傾ける』

▲ こんな感じに次々ことばを紡いでゆくんよね。
窓の外は街の灯がきらきらひかって、画面ぜんたいが詩のようだった。
つぎは彼女の番。でもわたしはうまく言えないから、詩の言葉で、と彼女が言う。
『翔びゆくもの 鳥 時間 スズメバチ 私は気にしない 
 それから そこにとどまるもの 痛み 山の稜線 永遠』
そう、このエミリー・ディキンソンの詩の一節から原題『そこにとどまるもの』はつけられたらしい。
それにしても。
親子も、きょうだいも、夫婦も。家族って、だいじなひとの集まりなのに。なんだか ややこしい。
最後のほうの場面、開け放たれたジョルダーニ家の窓を思い浮かべながら、人と人の関係は封じ込めるものではなくて、解き放たれてこそと思う。




追記
その1)
エミリー・ディキンソンの詩、わたしが上に書いたのは映画の字幕を書き写したもので、詩集から書き写したものではないです。
手元に本がないのでわかりませんが、ネットで調べたところはこんな風でした。また訳をさがしてみます。

『そこを飛ぶものたち 小鳥、時間、花蜂 これらに悲しみの歌はない
そこに留まるものたち 悲嘆、稜線、永遠、わたしには合わない(わたしとは違う)』

その2)
前作『輝ける青春』の予告編
(残念ながら日本語字幕はないのですが、雰囲気だけでも)

その3)
今回はこの間読んだすてきな絵本ふたつのことを書くつもりで、書き始めたのに、映画の話で終わってしまいました。相変わらず目的地に到達せず、の自分にがっかりしながら、次回には。
そのうちのひとつ『老夫婦』はジャック・ブレルの歌詞にガブリエル・バンサンが絵を、訳は今江祥智さんが。
これはそのうたです→
Jacques Brel~ Les Vieux

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# by bacuminnote | 2013-03-08 22:41 | 映画 | Comments(0)

はやびき の午後に。

▲ 寒いから。雨降りやから。雪が舞ってきれいやから。肩が痛い。無理せんとこ。足元から冷える・・と、まあ、毎日毎日 日替わり定食みたく理由つけて掃除をさぼってたら、今朝、部屋のすみに大きな綿ぼこりが舞い舞いしてるのと目が合ってしまった。(苦笑)
というわけで、ようやく重い腰をあげて本日は掃除デイ。
掃除は先にがまんできんようになった方がする、と(←なんちゅうフウフやねん)暗黙のうちに了解し合ってるんやけど。敵はよっぽどがまん強いようで、たいていはわたしがすることになる。

▲ 昔は子どものアレルギーのこともあり、まめに掃除してたもんやけど。その子も成人し今は ほこりだらけのアパート(たぶん)でもなんとかやっていける体となったようで、ほんまありがたい。
こうしていろんなことが大変やった季節をこえ「ふりだしに戻り」わたしはまた元のナマケモノへと変貌中。
「なんやの?本やら何やら本やら。もう部屋ン中いっぱいでんがな。あんたは ほんまに どうらくやねんから」(※道楽=なまけ者が転じて、故郷では整理整頓のできない人をこう呼ぶ)~子どものころ飛んできた母の嘆き声が再び聞こえてくるような今日このごろ。はい。わかりました。わかりましたがな~

▲ 小学生時代しょっちゅう保健室のおせわになったことは前にも書いたけど。
授業中、具合が悪くなると手をあげてセンセに言うと、保健委員の子が保健室までつきそってくれた気がする。授業の途中、堂々と教室を出ていける保健委員とわたしに みんながちょっとうらやましそうな目でみる中、教室をぬける。広い廊下はいつも薄暗くてひんやりして静かやったから、ふたり黙ってそろりと保健室にむかった。

▲この学校、1904年(明治37年)に建てられた古くて、それはりっぱな木造二階建て校舎で、その大きな瓦屋根は子どもの目にもみごとだった。
そういうたら、校歌も寮歌風のメロディで(昔の校歌はどこもよく似ている)当時子どもらはみな、全く意味不明なまま歌っていたから、大きくなって改めて歌詞をみて(とりわけ二番)びっくりした。「世界の事物なにものか /日進月歩ならざらむ / 我ら優勝劣敗の /競争場裡にたたんもの / いかでおくれをとるべきか / いざやきたえん心身を」
作詞者がわからないんだけど、「われらゆうしょうれっぱいの きょうそうじょうりにたたんもの」って!

▲このころ「時代」が教育に求めていたことが何だったのかをおもわせるような歌詞で、「学校」の成り立ちを考えるうえでは興味深いけれど。わけもわからず大きな声で歌ってたことを思い出して複雑だ。
この校歌はわたしが六年生になったとき、町内の数校が統合されたことでお終いになって。あたらしい校歌は ♪おはようみんな はげもうみんな ~と一転してやさしい歌詞(作詞:竹中郁)にかわり、急に目の前がぱあっと明るく開いたようだった。

▲ さて、話は保健室にもどって。
磨き上げられた薄暗い廊下をそろそろ歩き職員室の前を通って、保健室に行くとセンセが、またあんたかという顔でベッドに寝かせてくれる。委員の子は「ほんなら」と教室に戻っていく。
狭い部屋にベッドがひとつ。薬品いれのガラス戸棚と先生の机ひとつ。保健室は、わたしの小中高の思い出に必ず登場するだいじな場所である。
けれど、当時の保健室には長居はできず、一時間ほど休んで様子みて、あかんかったら早引き、ときまっていて。低学年のときは親が迎えに来た。

▲なぜかそれはいつもお昼すぎのことで、それでなくても昼時は忙しい家業のなか、電話の呼び出しに仕方なしに母が駆けて来る。
保健室のセンセに「おかあさん、教室のもん持って来てあげてください」と言われて、母は教室のわたしの席に行く。ランドセルに教科書を入れようと机の中みたら教科書やらノートやら本やらごちゃごちゃ。ランドセルの中もぐちゃぐちゃで。保健室に戻ってくるや「ほんまに、クミちゃんはどうらくなんやから。はずかしわ」ときまって情けなそうな顔をするんよね。
まあ、そんな風におこられても、母と並んで歩いて家に帰るのは「びょうきではやびき」ということも忘れてうれしかった。それに家に帰ったら布団にもぐりこんで、本だって読めるしね。

▲ 件の木造校舎は、その後だいぶ経ってからこわされ公民館になった。
そのおりに記念の写真の冊子がつくられたとかで同級生が送ってくれた。なつかしい校舎や、広い大きな瓦屋根。教室の写真が続く中、一枚の写真に手がとまった。
写真が古くて、子どもたちの顔が不鮮明だったけど。校舎内にあった木のすべり台の裏側は、わたしのお気に入りの場所だった。
で、そこの棧におサルのようにぶら下がり、鉄棒みたく前転しようとしてパンツまる見えの女の子のはいてるスカートにはたしかに見覚えがあった。
とても保健室常連さんには思えない 元気いっぱいのお転婆娘がそこに写ってた。
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# by bacuminnote | 2013-02-26 15:10 | yoshino | Comments(0)

わたしの椅子。

▲ この間58になった。
友だちや姉からの「おめでとう」が届いて。いくつになっても誕生日はなんかそわそわする。
いつもの癖で(←家族にアピールする癖)カレンダーには だいぶ前から赤丸を入れておいたが、例年通り 家族は記念日にまったく無関心で。やっぱりなあ、と諦めてひとりワインを飲んでたら下の子から電話があった。
「えっと、今日って おかあの誕生日やったよなあ・・・」
「うん。ハッピーバースデイ!」(←自分で言うてどーする?)
「・・・」
「そんで何?」
「いや、それだけ」
「え?それだけ?」
「・・・・」
ええの。ええの。それだけで。

▲ それにしても、ええ年やねえ。
いまちょっと計算してみたら母が58のときは、すでに孫がもう9人もいて、しっかり「おばあちゃん」しながら、けど仕事場ではバリバリの現役で、朝早くから夜おそくまで店に、厨房に、と立って働き、冬の暇な時期には海外旅行にもよく出かけてた気がする。
そんなことを思うと、わたしは相変わらずぼぉーっと暮らしてるなあ。息子からはしょっちゅう「自分(関西弁でいうところのyouの意味)暇やん」と言われるけど。暇のなにがあかんの?と、ぼそぼそ。どっこも行かへんでも、退屈せんとたのしくやってるねんから。わたしはわたし。これでええの。(と思ってる)

▲ ところが、先日ちょっと心ゆさぶられる映画を観た。
それは『ドーバーばばぁ』というドキュメンタリー映画で。先週だったかtwitterのTLに関西での上映会案内が流れたので、その強烈なタイトルに「どんなんやろ?」と興味津々、予告編見たら、いっぺんでノックアウトされた。上映会場は遠かったんだけど、DVDも通信販売していると知って即申し込んだ。

▲ そうしてこの間DVDとうちゃく。
ジャケットには50~60代の女性たちが水着姿でガッツポーズをして笑ってる。当然のことながら(泳ぐんやから)スッピンやし、水着姿やし、しかもハイレグやし。その体型は水泳で鍛えているとはいえ、やっぱり年相応で(苦笑)ナイスバディトはとても言いがたいんやけど。だが、しかし、堂々と胸張ってる彼女たちのその笑顔のすばらしいこと言うたら。

▲『ドーバーばばぁ』とは、文字通りドーバー海峡を泳いで渡ろうとする54~67歳まで、東京立川周辺に住む主婦たち6人の二年にわたる記録映画で。イギリスとフランスの間にあるこの海峡は、直線距離だと34キロ。それでも潮の流れが早いので流されることも多く、しかも水温が低いしね(彼女たちが渡った9月だと12℃~15℃)かなりハードルの高い挑戦だ。そうして渡英するまでの二年の間にいろんな練習を繰り返すんだけど、その間にもいろんなことがあるんよね。

▲そういえば、以前観た映画『君を想って海をゆく』でもドーバー海峡を渡るのが、いかに大変か描かれていた。
この映画は、イラクからイギリスに移り住んだ恋人を追って、フランスの最北端の港町カレから単身ドーバー海峡を泳いで渡ろうとするクルド難民の青年が主人公。この青年に泳ぎを教えることになるのが、元メダリストの市民プールの監視員で。つらい結末と共にいまも深く残る映画なんだけど、しかし、「織姫(おりひめ)」たち(ばばぁチーム!の名前)はいくら6人とはいえ、ほんまに大丈夫なん?と「成し遂げた」ことを前もって知ってるのに、最後までどきどきしながら観た。

▲ みんなそれぞれに仕事や家庭や介護、自身の怪我や健康問題を抱えながらも、ただ泳ぐのがすきな女たちが集まってる。
メンバーの中、ドーバーを渡った経験のある人は二人だけ。介護だけでも大変なのに何故泳ぐのか、という問いかけに、いや泳ぐから介護ができる。介護があるから泳げる、と。
30年前に息子のぜんそく治療で始めた水泳に付き添ったのがきっかけ~なんて話を聞くと、とても身近にかんじる。

▲子育てが落ち着くと、こんどは更年期がやってきて、やがて親も高齢となり、「できない」理由なら いくらだって浮かぶ年頃やけど。
だからこそ、自分の時間や自分だけの椅子が大事なんよね。
それが彼女たちにとっては、たまたま水泳で、ドーバー海峡を渡るという目標だけど、好きなことを持つ、好きなことを続ける、ということなら「わたしも」とちいさく手を挙げたい。
イギリスからドーバー海峡を渡りぶじ牽牛(ひこぼし)のいるフランスまで泳いだ織姫たちのエンドクレジットを観ながら、わたしもすきなこと手放さへんから、と画面の前 背筋伸ばして正座するのであった。



* 追記

その1)
と、そんなこんなを思ってるなか、同じく58歳 旧友のはじめてのCD が先週末(2.9)出ました。
ずっとうたをつくり唄ってきた友だちのCDが、ずっとマンガや絵を描いてきた友だちのイラストのジャケットを
まとってリリース。うれしい。
『彷這バラッド/足立大輔』

「彷這」は「ほうぼう」と読んで、これは足立くんの造語やそうです。→
プロデュースは彼の親友「ゴンチチ」のチチ松村。
イラストは、ここでもよく登場の 悪友(笑)うらたじゅん。
(彼女も「うらたじゅんの道草日記」に、じんとくるCD紹介を書いています)あ、それからCDにある「手には何を持たない」という曲は、わたしのブログ(2006.5.7)を読んでつくった曲やそうです。そういえば、と読み返したらコメント欄に『「手には何も持たない」という唄を作って唄いたい。』という彼のコメントがありました。うれしい。

♪ 乾杯しよう すきになれるものが こんなにあることに (彷這バラッド「ASA80のソネット」より)

その2)映画『君を想って海をゆく』予告編

みんぱく映画会での記事→
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# by bacuminnote | 2013-02-12 00:38 | 音楽 | Comments(0)

「とりわけ嫌ひは」

▲ とっくに気ぃついてはるかもしれんけど。
わたしは「おしゃべり」だ。(ちょっと上品ぶって「お」をつけてみたけど、なんか変。やっぱり大阪的感覚では「しゃべり」やな?)一方相方は寡黙に見えるようだけど、何かテーマがあると、わたし以上に饒舌。そんなフウフやから、朝 目がさめるや布団の中で どちらからともなく「そう言うたらなあ」と、昨夜から考えてたことを話し始めて、とまらなくなったりする。
だいたい彼は疑り深く(苦笑)わたしが感動したものをしょっちゅう「そら、そんな単純なもんちゃうで」と否定しにかかるのでムカッときて。しかし即座にきちんと反論できない口惜しさもあり「なんやのん。ひとの言うことに、いちいち反対ばっかりして」と、捨て台詞を残しバタバタと起きて部屋を出ることになるんだけど。

▲ 後で、冷静になって考えたら「そうかもしれない」と、自分の浅はかさに気づくこともあるし、なんぼ考えてもやっぱりむこうが間違ってる!と再度話し合いを挑むこと(←大げさ・・・)もある。
「そう言うたら」むかし ♪信じたいために疑いつづける~という歌があったなあ。当時は歌詞がまっすぐすぎて恥し~とか思ってたのに。何故かよく覚えていて、だれもいないのをええことに図書館への道々口ずさむ。
♪いつの間にか私が 私でないような ~(と、歌い始めてやっと「自由への長い旅」だと気づく・・)

▲ さて、図書館に着きカウンターで本を返し、予約本を受け取ったあとは「今日返却された本」という棚を見るのがお決まりのコースなんだけど、ときどきこの棚で本から呼ばれたような気がして手がのびることがあるんよね。
自分から選んで立つ書架じゃないし、まだ整理される前のいろんなジャンルの本がバラバラに並んでる棚で。だからこそ、ときどき思いもかけない出会いがあって愉しい。

▲ その日は早川義夫さんの『たましいの場所』(2002年晶文社刊)という本に呼ばれた(気がした)。この本は最近文庫化されて最終章を追加、かの七尾旅人さんが解説を書いてはる~とどこかで見て「文庫版も読んでみたいな」と思っていたところだったので、ちょっとびっくりした。
立ったままぱらぱら。前にも読んでるはずなのに忘れてしまって、一番はじめ「歌を作る」に金子光晴の『反対』という詩があって、どきんとして立ちすくむ。

▲もちろんこの本は借りたのだけど、引いてあった詩の一節『なにしに生まれてきたと問はるれば、
 躊躇なく答へよう。反対しにと。
』をぐるぐる考えながら家に帰った。買い物袋もほっぽって、あったはずの詩集を探したけどなくて(こんなんばっかし)ネットで調べてみる。
(ちょっと長くなるけど全部書き写してみます)

 「反対」     金子光晴
僕は少年の頃
学校に反対だった。

僕は、いままた
 働くことに反対だ。

僕は第一、健康とか
 正義とかがきらひなのだ。

健康で正しいほど
 人間を無情にするものはない。
 


むろん、やまと魂は反対だ。
義理人情もへどが出る。

いつの政府にも反対であり、
 文壇画壇にも尻をむけてゐる。
 
なにしに生まれてきたと問はるれば、
 躊躇なく答へよう。反対しにと。

僕は、東にゐる時は、
 西にゆきたいと思ひ、

きものは左前、靴は右左、
 袴はうしろ前、馬は尻をむいて乗る。

人のいやがるものこそ、僕の好物。
 とりわけ嫌ひは、気の揃ふといふことだ。

僕は信じる。反対こそ、人生で
 唯一つの立派なことだと。

反対こそ、生きてゐることだ。
 反対こそ、自分をつかむことだ。
 (『金子光晴詩集 岩波文庫』

▲ 金子光晴のこの詩を茨木のり子は『あまのじゃくの精神が旺盛で、二十二歳の処女作のなかに、すでに後年の金子光晴の反骨を思わせるものがはっきりとあります。すぐれた芸術家は、若いころの処女作のなかに、一生かかって成しとげる仕事の核を、密度高く内包しているものだと言われますが、この詩はそのことを痛感させてくれます』
(さ・え・ら伝記ライブラリー『うたの心に生きた人々』茨木のり子著 1967年刊 より抜粋)と、言うてはるけど、ほんまに。
今「反骨」とかいうと「なに?それ?」とか言われそうな空気漂う中、ミーハーな金子ファンながら あらためて、かっこいい、と思う。

▲ ・・と、今回のブログはそれでおしまいにするはずだったんだけど。
昨日twitterで教えてもらった詩人アーサー・ビナードさんの講演の動画を観て、ビナードさんにもこの「反骨」精神を感じた。
2012年 東海村であったという講演会の演目は「這っても黒豆の原子力」。
「這っても黒豆」とは諺だそうで、なんか黒いものが這い出しても、虫であると認めず、黒豆であると言い張ること。間違っていても、現実を直視せず自説を曲げないことのたとえ~らしい。

▲ 知らんかった。で、「這っても黒豆」な御仁がエネルギー関係に多いとおっしゃる。
ビナードさんの日本語について書かはったエッセイは好きでよく読んでるけど、いつも「目のつけどころがビナードさん」。おもしろくて、そして鋭い。
この講演も「ジャックと豆の木」の話から大豆の話に、そして「這っては黒豆」から原子力の歴史、核開発の話に。順を追って丁寧に何故こんなことになったのか、という事をユーモアたっぷりに、しかし決して冗談や笑いでごまかしたりせず、とことん、きびしく問題の核心に切り込んでいく。さすが。
「原子力の歴史の中で原子力発電はひとつのカモフラージュ。本質から離れてる」と。
ぜひ。


*追記

その1)
『うたの心に生きた人々』(さ・え・ら伝記ライブラリー)は十代の子ども向けに書かれた本のようで。残念ながら絶版ですが、かわりに今はちくま文庫から出ています。
金子光晴のほか、山之口貘、与謝野晶子、高村光太郎、と四人の詩人を紹介しているのですが、
そこは書き手が茨木のり子さん
「全くタイプのちがう、それぞれの生きかたをした詩人を選んだのに、たくさんの共通点があることに、書きながら気がつきました。」
「いずれおとらぬ貧乏の経験者であること。  みんな、なんらかの世俗にたいする、もうれつな反逆者であったこと。 世わたりがへたで、さんざんへまをやらかしていること。 考えてみると、世の親たちが「わが子にだけはこんな一章は送ってもらいたくない」とおそれているような人生を歩いた人ばかりです(中略)」
「これらの詩人たちによって、人間そのものの純粋さが守られ、人間そのものの真実がきらりと光ってるところを、みなさんくらいの年になれば、知る権利があろうと思ったからです」
と、この詩人たちへの深い思いを感じる紹介です。
そして「あなたが詩を読むのが好きで、詩を書きたいと志しているのであったら、なおのこと、弾力のある心で読んでください」とメッセージを寄せてはります。
「弾力のある心」いいなあ。

その2)
講演の中 米国で1954年(日本の原発の予算が通った年)に売り出されたという Atomic Fireball アトミックファイヤーボール (原爆の火の玉)って名前の飴玉のこともはじめて知りました。
聴いてる時間がない、とおっしゃる方に この講演内容を箇条書きしてらっしゃる方のブログをみつけました。→「とある原発の溶融貫通(メルトスルー)」

前にもここで紹介したことある(たぶん)アーサー・ビナードさんのweb『日本語ハラゴナシ』「風下っ子」
も考えさせられます。
『日本語ハラゴナシ』バックナンバー
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# by bacuminnote | 2013-02-06 16:15 | 本をよむ | Comments(0)

もどるのではなく。

▲冬の空の青がとてもきれいな朝。
洗濯日に洗濯日和、というのがうれしい。毎日山のような洗濯してた日はすでに遠く、いまは隔日に洗えばじゅうぶん。ふたり二日分の決まった数のタオルとパンツとシャツを干す。こうして庭に立ち、忘れた頃に青空を横切ってすいーっと走ってくモノレール4両 眺めたりしながら、あたりまえのように洗濯物を干してるけれど。

▲この間こんなことツイートしたら、北に住む友から「え、外に干せるんですか? いいなぁ。」とリプライがあって、はっとする。
そうだった。信州から大阪に越してきた年の冬「家の外に干せる洗濯物」と「スカートで家の外を歩ける」のにカンゲキしたことを思い出す。

▲ いま、指折りかぞえてみたら、あれからもう10回目の冬だ。
寒さに強かったはずが、毎日「寒い、寒い」とぼやきながら暮らしてる。日々の雪かきに耐えた腰もよわくなったし、パン屋の早寝早起きの生活スタイルもすっかりくずれて。どんどん自分のからだや記憶から「あのころ」が遠くなってゆくようで。時間がすぎてゆく、というのは そういうことかもなあ~と思ったり。
けど、やっぱりちょっとさみしい。

▲ そう言えば、
以前はパン屋をしていたことを告げると「今も家で焼いてるの?」と聞かれることが多いんだけど。
パン屋時代はよそのパンを食べる機会が圧倒的に少なくて。(近くにほかのパン屋がない田舎の暮らしだったことも大きいが、売れ残ったりすると自家消費が必須)店を閉めたあと、パン好きのわたしは「待ってました」とばかりに、かねてから食べてみたかったあの店の、この店のパンを嬉々として買いに行ったり取り寄せたりして、自分で焼くことはまるで頭になかった。それは相方もいっしょで。近所でうまいパンもみつけたし、それで満足してた。

▲ それに、わたしは自分でパンを焼かなくなってからもうずいぶんになる。
その昔はわたしが家のパン係だったんやけどね。パン屋になる前(1980年代はじめ)は、数少ない天然酵母パンの本を探して読んだり、講習にも出かけたりして試行錯誤しつつ 小さなオーブンで焼いていた。たまにはおいしく焼けることもあったけど、発酵がうまくいかないこともあって。出来上がりは不安定だった。でも「ホームベイキングってそんなもの。それに天然酵母なんやからむずかしいねんで~」とか、なんとか うそぶいていた。

▲そのうちジンセイの転機がやってきて。カメラマンをやめた相方と、天然酵母のパン屋をしようということに。
でも、こんどのパン係は家族に食べさせるだけやないからね、ちゃんとパン屋で修行もして、何より研究熱心で緻密な仕事をする相方の役割となり、ええかげんで大雑把なわたしは自然の流れで(苦笑)雑用係とエイギョウ担当となったんよね。(このことは前にも書いた気がする。くり返しですみません~)

▲ せやから。
分割するときのパン生地の重さ~プチパンは何gで、グラハムは何gとか~、地方発送のお客さんのご家族のこと、パンの好み、到着時間帯等々。それに宅配便の番号(いまは郵便番号でデータをとるけど、以前は地域別の番号を伝票に手書き)なんかは、結構しっかり頭の中に入ってて さっと浮かぶんやけど。

▲酵母の仕込みやホイロ(発酵器)や窯の温度調整など、すべて相方まかせで。たまに成形を手伝うことになると、打ち粉なしではできん下手くそやったし。(→ベテランは掌から油が出てるんか?と思うほど、何もつけなくても生地が手にくっつかないのです)

▲ ま、そんなわけで、大阪にもどってきて、晴れて?よそのパンも買って食べられるようになり、昔よく買ったパンに再会したり、いろいろおいしいパンにも出会ったけど。
そうこうしてるうちに、なつかしく思い出すのは相方の焼いたパン、つまり「麦麦」(ばくばく)のパンなんよね。とりわけわたしが好きだったグラハム(全粒粉)をたっぷり使ったパンやライ麦とキャラウエイシード入りの硬いパン。この郷愁は「あちこちでごちそう食べさせてもろたけど、やっぱり家で食べるご飯が一番やわ~」という感じに似てるかもしれない。

▲ 相方は相方で、かつて自家用によく作った厚めのクラストで焼いたピザが好きなんだけど、市販品ではなかなか見つけられないので、久しぶりに食べて(焼いて)みたいと思ったらしく、大阪に戻って8年目にして、酵母をあらたに起こして小さいオーブンにてホームベイキングの再開となった。

▲そんなわけで、この頃はときどき台所になつかしい酵母のにおいが満ちる中、バタンバタンと手捏ねしてる音が聞こえて、頬がゆるむ。(←あ、捏ねてるのも焼いてるのも相方。わたしはやっぱり雑用係と「食べる」専任!)

▲それでも、パンはすきだから今も時々よそのパンも買うし、パン屋には おもしろい人がようけ いてはるので、よくブログやツイッターを見たりする。
 広島の『deRien』(ドリアン)さんのパンを初めて食べたのは、福岡・糸島の山の中に暮らす友人(知る人ぞ知る”Small Valley Dessert Company”)が「おいしいから」と送ってくれたんよね。

▲パンはしみじみと旨かった。それに石窯焼きのパン特有の焼きかげん、焼き色もええかんじだった。(←これは彼女とわたしの共通して「気になる」とこのひとつ)で、そのパンもさることながら、彼女から店主の田村さんのプロフィールや、氏が以前中国新聞に連載してた記事を教えてもらって、もういっぺん感激。

▲次は自分でも注文したもののその後はそのままになっていたんだけど、引き続きブログ「焚き火を囲んで眠るような話」やツイッターは読ませてもらってる。そしたら、去年はなんと秋から店を一年間休業してフランスに修行に出る、という報告に、おどろいたり、さすが~と思ったり。

▲そして渡仏のあいだお店は一年限定で志をおなじくするパン屋さん(『Pano organika』)が営業されている、と知る。(この発想 とてもおもしろいし、あとの方のパンも、ええかんじ。ええ焼き色。うまそう!)

▲で、そんなこんなの話をツイートしたりしてるうちに、そういえば、と新聞連載記事を思い出しみんなにも教えてあげようと改めて読み返したら。最終回にこんな記事にはっとした。
フランスの老舗のパン屋『ポワラーヌ』の話。

僕の大好きなフランスのパン屋「ポワラーヌ」は、何百年と変わらぬ薪でパンを焼く製法で、世界で一番のパン屋になった。結局、おいしかったのだ。
店主はそれを「レトロ・イノベーション」と言った。古いやり方で革新するという意味だ。(中略)古い方法で、戻るのではなく、前へ進んでしまえばいい。
実際にできる。
食べ物も、道具も、生活も、昔ながらのやり方の方が質が上がる。人の手間ひまが、それだけかかっていたからだ。
技術を人の手に取り戻し、古い方法で新しい時代をつくる。】

(中國新聞2007.9.13『私の口福 旅するパン屋』最終回~田村陽至~より抜粋)
※ 記事の上にあるbackというところクリックすると前回のエッセイが読めます)

▲エネルギーの話になるときまってだれかが言う。
「そうは言うても、昔にはもう戻れないし」
この一言で、その場はちょっとしんとなる。みんなの頭のなかには今の「便利な生活」が何もかも一気に「不便な生活」に~そんな逆戻りの図 が浮かんでるんやろね。そして、思考停止に陥ってしまったりする。

【古い方法で、戻るのではなく、前へ進んでしまえばいい。】
そうか。その手があったか。
twitterでSさんがすぐに【前進ということばがちがうことばにみえてくるような、前へ進むという話しでした。】と返してくださったけど、ほんまにそう!
むくむくと力がわいてくるのを感じる。



* 追記
その1)
モンゴルに二年間暮らしたというドリアンの田村さんのブログを読みながら、ウチがパン屋のとき、モンゴルに暮らしてる若い日本の女の子がよくメールくれたことを思い出していました。たしか草原の馬乗りをしてたパン好きの子。あれから、どうしてはるんやろなあ。
もし、もしも、まだここ読んでくれてはったら、うれしいです。
Wちゃん元気にやってますか?

その2)
このあいだ、久しぶりにCDを買いました。 Nils Frahm (ニルス・フラーム)のScrewsというアルバム。
Nils Frahmのピアノは前からときどき思い出したようにyoutubeで聴いていたのですがCDを買うのははじめて。

これまで意欲的な作品を発表してきたニルス・フラームがある日左手の親指にボルト4本を埋め込むほどの大怪我を負ってしまったそうです。知りませんでした。
ピアニストにとっては致命的ともいえるアクシデントですが、彼は(親指以外の)「9本の指で9曲の短い楽曲を作ろう」と、一日一曲づつレコーディングしたのがこのアルバムやそうです・・・などという説明は余計なくらい。
しずかで一音一音しみいるようなピアノです。

その中の一曲"you"を~

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# by bacuminnote | 2013-01-26 16:00 | 音楽 | Comments(2)

それもええか。

▲いつも年の初めには「今年こそ”動く”年に」と思うのに、当たり前のことながら年の初めっていうのは本格的に寒くなる頃やから。「今日も寒いなあ」で、決心は簡単にうちくだけ、やっぱりずるずる家にこもる日々となる。

▲それでも、一昨日はぽかぽか陽気と、受話器の向こう 友人Jの「クミ、ぜったいに気に入るから行っておいで」の「ぜったい」に背を押され、何より、そのお店がその日と翌日の後二日で店終いしはるということで、さすがの出不精もぐずぐずしてられへんようになって、「うん。ほんなら今からお昼ご飯食べて行ってくるわ」と電話を切った。

▲ ・・・って、どんなに遠方に行くのか、と思われるかもしれないけれど。電車は乗り継ぐものの半時間もあれば到着する地で。(ほんまにいつも大げさで、すんません)
いやあ、しかし、いつ乗ってもモノレールというのはふしぎな乗り物やなあ。高いとこ走ってるとおもうだけで、なんかふわふわするようで、現実感にとぼしくて。それに「見下ろした街」は、見慣れたそれとは少し違って見えるんよね。

▲ ぽかぽか温い車内で、持ってきた本を開く。この本『きみといつか行く楽園』(アダム・ラップ作/ 代田亜香子訳/徳間書店刊)というタイトルから想像できないような十一歳の少年ブラッキーのとても辛い痛いできごとから始まるんだけど。そのときわたしが読んでいたところは、ガッコウで孤立してる(させられてる)彼にもメアリー・ジェーンというガールフレンドができて、噛んだガムを交換するシーンだった。

▲えっ!?噛んだガムを交換って?~と、どきどきしながら(苦笑)読んでいたら案の定、乗り換えの駅を通りすぎてしまった。ふうう。ひとつ先の駅で下車して次の電車を待ちながらJにメールしたら、『電車を乗り過ごすような人間には、 長谷川書店の空気はとりわけ心に染みるはず』と泣かせる返信。

▲ で、こりずにホームの椅子に腰掛けてまた本の続きを読む。おもった通りガムの交換はやがてキスへと発展するんよね。ってとこで、電車が来る。こんどこそ読書は中断。ひと駅戻って乗り換え。
駅員さんに聞いたら「その駅やったら、準急に乗らはったらよろしいわ」と言われたのに、すぐあとに来た「普通」に飛び乗った。それなのに途中駅で「◯◯へは次の準急が先に到着します」のアナウンスに乗客が次々降りて、がらーんとした車内となんだか当分動き出さないような雰囲気に不安になり、準急に乗り換えるしまつ(なさけない)

▲ まあ、そうこうしてるうちに無事?水無瀬駅に到着。目的の長谷川書店(駅前店)さんは、方向オンチのわたしも間違えようがないほど、ほんまに駅前にあった。入り口に『さよならのあとで 高橋和枝さん原画展』会場(同書店の島本 店)への地図が書かれてたけど、わたしの場合聞くほうが確実かもと、お店のお兄さん(ハンサム)に尋ねたら笑顔で「ありがとうございます」と店の外にでて丁寧に「この通りの向こうの・・・」と指さして教えてくれはった。ち、近い。徒歩一分ほどの道をわざわざ尋ねた自分を恥じる。

▲ そこは書店というより本屋さんと呼びたい店の佇まい。子どもの頃足繁く通った近所の本屋さんを思い出しながらドアを開ける。入り口近くに、小柄でやさしそうなエプロン姿のおじさんがレジ前に座ってはって。雑誌や週刊誌が普通に置いてある普通の本屋さんの空気がええ感じ。
ところが棚を見ると、えっ!あの本この本、わあ、あれもあるやん、と思わず声をあげそうになる。詩も短歌もアートも料理も。小説にエッセイ・・・そして、そのじつに魅力的な本のつらなる中に、本のつづきのように、高橋和枝さんの絵があった。

▲『さよならのあとで』という本はヘンリー・スコットホランドによる一編の詩”death is nothing at all”だけの本。一枚の紙におさまるような詩が一冊の本になっている。(夏葉社刊←この夏葉社ブログ2012.1.16にこの本について書かれています)
ことばとことばの間に、高橋さんの絵や、まっ白な、何も書かれない、何も描かれない頁がはさまれる。

▲だいじなひと、だいじな存在を亡くした人へのメッセージはそんなふうに 一枚一枚しずかに だいじに語られる。
そして、じっさいに使われた絵の何倍もの絵やラフをみて、削って削って、色を落とし(ラフには彩色したものもあって、それもすてきでした)、一冊の本ができあがるまでの軌跡に圧倒され、じんとくる。

▲ 絵をみながら、推敲に推敲をかさね原稿用紙にまみれて詩作していたという山之口貘のことや、友人Jのマンガ「病窓紀行」に出てくる書き損じの紙の山に埋もれたマンガ家が、その部屋の中に山羊を飼おう、という話を( うらたじゅん作品集『真夏の夜の二十面相』所収)思い出したり。

▲そのかんも、ぽつぽつとお客さんが入って来はって、店主が明日かぎりで「ここ、終いますねん。こんどからは駅前店で・・」とお客さんに告げる声や 長年のお客さんらしいその人との世間話がとぎれとぎれ 耳に入る。電車が走るとゴーッと音がして、足元が微かに揺れるのも、なんだかぜんぶ「長谷川書店」という本の一頁のようで。わたしはなかなか本を閉じられずにいた。

▲ そして。
見る棚、見る棚ほしい本ばかりでほんまこまった。(あとでみた絵本の棚も魅力的だったし)
この日はいっぱい悩んだり迷ったあげく、もう何冊買ったか忘れた『さよならのあとで』(買うたびにだれかにあげてしもて、自分用のがなかったので)と、前に持ってたのにどこかにいってしまった『尾崎放哉全句集』を買った。

▲帰途、お店でもらった手書きコピーの「ハセガワしんぶん」を読む。お店のこれまでの歴史が絵と文で綴られてとてもおもしろかった。わたし自身「店や」の子で育ったし、ケッコン後は小さいパン屋のおばちゃんもやって、そんで店終いも経験した。店をやってく上でのいろんなできごとは、今になって思えば、フウフげんかさえ 懐かしくていとおしく感じる。

▲帰りの電車の中、ぼーっと車窓から走るしらない街を見た。なんだかとおくまで旅したようで、満たされた思い。せやせや、気ぃつけな、こんどこそ、乗り過ごしたらあかん。いや、それもええか、とバッグに手つっこんで買ってきた本を撫でた。

『さよならを百ぺん言ひて閉店すさざんかの舞ふ暖かき日に』
(2009.12.28朝日歌壇(佐佐木幸綱選)上田真理さん作)

*追記
その1)
山之口貘さんのこと 以前 ここにも書きました。

その2)
わたしが高橋和枝さんの絵に初めてあったのは『ノーラ、12歳の秋』(小峰書店刊)スェーデンのお話。とてもふかく残る本です。
残念ながら絶版のようですが、これは訳者菱木晃子さんのHP


その3)
「さよならのあとで」あたらしい物語はまた始まるんよね。
だいすきなうた。前にも貼ったことあるけど。
ハナレグミ&忌野清志郎 サヨナラCOLOR

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# by bacuminnote | 2013-01-14 11:56 | 本をよむ | Comments(0)