その数日後は「冬組のわたし」(苦笑)でさえ「ストーブも片付けなあかん」と思う陽気となって。少しずつ毛布や、セーターにマフラー、それにダウンジャケットもがんばって洗って干して。あと残るは普段着のカーディガン一枚になったのに〜寒さがすごい勢いでもどってきた。
くわえて、梅雨かとおもうほど、よく降る日が続いて。「痛いとこ持ち」には堪える冷えと湿気に凹んでるうちに、そして結局ストーブもカーディガンも仕舞わないままに、五月も半ばすぎてしまった。
▲コロナ禍以降、ここでも毎回「時間のすぎるのが早い」とぼやいてるけど、つくづく時間ってふしぎと思う。
先日、姉から母の百か日の法事の知らせがあって。もうそんなになるのか〜と、いう思いも、あの日がはるか遠い日のことのようでもあり。
時間は記憶を背景に、伸びたり縮んだりするんよね。ゴムみたいに。
▲先週末のこと。買い物帰りに服屋さんの前を通って、マネキンの着ていたサーモンピンクのサマーセーターが目にとまった。
記念日の贈り物でなくても「母にどうやろ?」と覗いてしまうのは、長年癖のようになっており。
店の方がさっそく「お客さんのですか?これ、いい色でしょう。どうぞご試着してみてくださいね」と、近寄って来はったので、あわてて「いえいえ。母の・・」とかナンとか、ごにごにょ言い訳しつつ立ち去ったんだけど。
▲その店は母のものをよく買っていたお店で、デパートほど高くはなく、量販店ほど安くはない服屋さんで。せっかく買っても、ああや、こうや〜と注文の多いひとやから、気に入らんかったら勿体ないし・・と、いう点からも、ちょうどええお店(苦笑)やったんよね。
でも、考えてみれば「せっかく」とか「勿体ない」とか「ちょうどええ」とか。なんとまあケチな娘であったことよ〜と、自分がこれまで母にしてもらったことを思い返しては、はずかしく、申し訳なくて。
それやのに母は毎回よろこんで、包装に使ったマスキングテープまでベッドの手すりに付けて残してあったことを思い出して、とぼとぼ帰途についた。
今頃になって気づくこと。いや、ほんまに今更やな。
▲そんなこんなを思っていたら、姉1が、法事に帰省できなかったわたしに母の遺品を送ってきてくれた。
「アクセサリーも少しはあるんよ。でも、こんなん言うたらあれやけど、お母さんの、そんなええもん(高価なもの)はないんよね」と姉が電話で苦笑しつつ言うて「せやろなあ〜」となっとく。
わたしがこどもの頃はいつも割烹着でへっついさん(かまど)の前に座り込み、五升炊きの釜で終日ご飯炊いて、やがて厨房に立ち、弱かった父にかわって明け方に板場さんと長靴履いて中央卸売市場に行くようなひとやったから。指輪もネックレスも70代で引退するまでは、ほぼ縁もなかっただろうし、何より母自身 装飾品に「ええもん」を欲しがらなかったから。
▲で、姉に伝えたわたしの希望は、母のだいじにしていた旧知の歴史家 松田毅一氏の本が数冊と、自宅のベッドのそばに飾っていた うたらたじゅんの絵「中之島図書館」〜だったんだけど。
とどいた箱を開けたら、姉の焼いたパウンドケーキから義兄作玉ねぎに缶ビール〜件のものの他にも、姉があれもこれも、と選んでくれた 母が「ウチにあるもんで工夫して作った」ぬいぐるみや木箱や、おそらく高価ではないアクセサリーも(ほめことば!)どれもみな母らしくて落涙。
▲それに、じゅんが母に宛てて出してくれたカードや手紙もいっぱい入っており、不覚にも落涙。
「くみのお母はんは達筆やから」「じゅんはお手本みたいにいつも几帳面な字で書いてくれる」と、いつもふたり褒め合っていたことを思い出しては、落涙。
いやあ、親友の母と娘の親友〜しかもふたりおんなじ日に旅立ってしもたけど。とおく空から見下ろして、わたしの悪口でもいうて盛り上がってくれてたら、うれしい。
▲昨日の夜、ひさしぶりに保・小・中〜と一緒やった旧友が電話をくれて近況報告大会(笑)
そういえば、つぎ会うのは小学校の同窓会やね〜というてたのは何年前やったか。かの女と会えることだけやなく、わたしは初参加となるその会をたのしみにしてたんだけど。
幹事さん曰く案内状を出すところまで準備できていたのに、コロナの波は当初おもってた以上に、高く長く。何度か延期している間に、予約していたホテルがなんと閉館になってしまったそうで。いまネットでみたら1953年の開業とあり、こどもの頃「ホテル」といえば、ここやったのに〜。どこの店もホテルも、お終いのニュースはほんましみじみさみしい。
▲さて、旧友はお互いの母親同士もまた女学校の同級生であり、二人共長く仕事を持ちしっかり者で。不肖の娘たち(苦笑)は、あのパワーには「負けるわ〜」とため息まじりに話しながら、90歳こえても「えいこちゃん」「なおこちゃん」と言い合う二人を「100歳コースやなあ」と微笑ましく思ってたんよね。
今冬「なおこちゃん」が先にいってしもたけど、先日「えいこちゃん」は元気に99歳のお誕生日を迎えはった〜と、うれしい報告。お誕生日おめでとうございます。ああ、ほんま、長くお元気でいてほしいです。
「歯が大事友だち大事冬林檎」(火箱ひろ)
*追記
その1)
2年近く前に母親を亡くした男友だちが、母の死のあと「お母さんのことは、ジワジワくるから」気ぃつけるように〜とメールをくれたんだけど。そのときは、母と息子、母と娘の関係のちがいやろか〜大げさやなあ。わたしは平気や〜と思ってたのですが。
今回もべつのこと書くつもりやったのに、母のことに終始してしもて、苦笑。かれの言うようにジワジワきてるんやろか〜
その2)
いま読んでいる本。
『それで君の声がどこにあるんだ 黒人神学から学んだこと』■(榎本空著 岩波書店2022年刊)
この本、プロローグから引き込まれます。(上記岩波のサイト「立ち読み」で読めます。ぜひ)
黒人神学のことは何もわからず、キング牧師のことしか(しかもほんの少し)知らないわたしですが、途中なげだすこともなく、そのしなやかな文章にひっぱられて、何度もたちどまり、思い、考え、行きつ戻りつしながら読んでいます。
200頁あまりの薄い本がいつのまにか付箋だらけで。気になったところは朝食をたべながら、晩酌をしながら、つれあいに話すのですが、たいていわたしの話(説明)では不十分やから、スプーンやお箸を、グラスを横に置いて、問題の箇所を音読しています。
「音読」は以前からつれあいに手っ取り早く「聞いてほしい」ときの手段でしたが(苦笑)ここ数年は、わたし以上に本読みだったかれの目が読書が辛くなくなってきているので、いまはちょっとその意味が変わってきています。
それでも、ひとり黙読のあと、声に出して読むのは(読んでいるあいだに)自分の中に文章がもう一度ゆっくり入っていく感じがあり、わたしにもええ時間です。
本は著者が27歳のとき、ニューヨークのユニオン神学校でジェームズ・コーンやコーネル・ウェストのゼミでの体験を通して、考えたこと、師やゼミ生から学んだことが語られますが、わたしにとっては、ほぼ初めて見る名前のひとたちばかりの中で、知っていたのはキング牧師とマルコムXで。授業で、この二人が語られるときの熱気にドキドキしながら読みました。が、残念ながらわたしにはその様子を到底伝えることができないので、ぜひ本を手にとってほしいと思います。
それから、もうひとつ惹かれたのは、若い留学生の長いトンネルのような研究生活〜その苦悩やささやかなたのしみが、文章の合間ににじみ出てるところ。
つれあいに音読していておもうのは(さっきも書いた)著者の「しなやかな文章」は、もしかしたら何度も何度も声に出して読み返さはったのかも〜と想像したり。
そして、緊張しながら読んでいる隙間にふっと窓から心地よい風が入ってくるような、音楽や生活音がきこえてくるような、温かでグッドセンスな一文が加わるのも、とてもよかったです。
母語の外に身をおく中での学び。問いかけ、つよく問われること。思索と研究の生活。
24歳で結婚した著者が以来台湾、バークレー、ニューヨーク、ノースカロライナと居を移し「貧乏生活」が続くなか、若いふたりがやがて4人家族となって、この本を書き終えたことを知って、なんだかほっとしてふううと長い息をはきました。
1988年生まれの著者は、わたしらの友人夫妻の息子さんで。
とはいえ、わたしが最後に会ったのは多分一家が沖縄伊江島に暮らしていたころ、かれが小学一年生の夏休みに、おじいちゃんおばあちゃんと一緒に信州の家を訪ねてくれたとき以来やから。ほんまもう大昔のこと。
そして、この本が出るのをわたしに教えてくれたのは、ウチの息子1と息子2からで。
日頃愛想がない子らが(苦笑)別々に言うてきたことが、おかしくもあり、うれしかったのですが。
親とは別の場所で、かれらもそれぞれに一家とはつながりがあって。ひととひとの繋がりのおもしろさを思います。
が、しかし〜そんなおばちゃんの思い出やひとりごとなど、本を読み始めるとすぐにどこかに飛んでしまって。本の中に入り込みました。
さて、榎本空氏がつぎはどんな世界を読ませてくれるのか〜いち読者としてたのしみにしています。
《書くということは記憶を文字によって引き取ることだからだ。言葉を残すことができる特権は、決して彼らを代弁するというのではないけれど、生き残れなかった者たちの痕跡を、私の限界の内で証することに用いたい。もしかしたら私もまた、生き残りとしての自分を、いつか発見するかもしれないのだから。》
(同書 5アリマタヤのヨセフ「黒人以外の人間が、黒人の背負ってきた苦しみや痛みを理解するのは難しい」p117より抜粋)
その3)
本の中にはいくつか黒人霊歌がでてきます。よく知っている曲も、はじめての曲も。
”Nobody Knows the Trouble I've Seen”(「誰も知らない この苦しみを」と本書では訳していました。レコードによっては「誰も知らない私の悩み」とか「わが悩み知り給う」と訳しています)を、だいすきなこの演奏で。
Nobody Knows the Trouble I've Seen - Charlie Haden And Hank Jones ■
そして、やっぱりこの方の歌うこの歌も。
Mahalia Jackson ■