いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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▲母に電話しよか、とおもうのはたいてい夕暮れ時だ。
買い物にも行って、洗濯物とりいれて、お米もしかけて。ちょっと一杯(!)を始めたころ。
母の方は、デイサービスに行って来た日なら、帰って来てごろんと横になってひと息ついてるころ。どこにも行かない日は、あーあと退屈している時間帯。
せやからね。

▲その時分ねらって、だいどこでお湯沸かしながら煮物しながら「今日はええ天気やったなあ」「暑いなあ」「で、どない?」とか~そばにいるみたいに話しかけて。
返ってくる第一声がその日の母の調子を現している。
「まあまあでっけどな。なんとかやってますぅ」と明るい声のときも、「それがなあ、あかんねん」から始まって、あとは堰を切ったように体や足腰の不調や日々の愚痴のエンドレスな日もあって。「かけんといたらよかったなあ」とおもうこともあるんやけど。

▲そんなときにも話題が吉野の料理のことになると、このかた、とたんに声のトーンが上がるんよね。受話器のむこうで、“ごろーん”から“しゃきーん”に~きっと背筋まで伸びてるんやろなあ、と母のはりきりようが浮かんできて、わたしもうれしくなってくる。

▲そうして改めて、やっぱり長いこと厨房に立ってきたひとやなあと思うのだった。(→)この間はツイッターで思いもかけず「ゴリの甘露煮」の話が出たので、さっそくその話を。
わたしの生まれ育ったまちにも、昔は川の魚を専門にとる人が何人もいてはって、鮎やゴリキ(「ゴリ」のことを吉野ではこう呼んでいた)がとれると、ウチや他に当時は何軒もあった旅館に売りに来はった。

▲「ゴリキは死んでしまうと味もおちるし、炊いてもぺしゃんとして身が割れるし、活きている間に炊かなあかんから、忙(せわ)しないことやった」と母は懐かしそうに話し始める。
バケツから笊にあげたゴリキはぬめりをさっと水で流し、調味料がくつくつ煮立ったとこに一気に投入。これ書いてるだけでも、そこらじゅうに甘辛いええにおいが広がるようで、魚好きのわたしはごくんとつばをのむ。

▲ゴリキの甘露煮や山蕗の佃煮に、とよく使っていたこの古い大鍋(直径50cm~深さ30cm近くある。いまもゲンエキらしい)も、その前に立つ母の姿も、よく覚えている。
いつもあれもこれもしながらの作業やからね、たまに焦げ付いた大鍋が水はって流しに長いこと置いてあったりもして。
鮎料理では氷割るのにアイスピックで手ぇ突いたり・・。病気で寝込むことはなかったけど、そそっかしい母はケガもよくしていた気がする。

▲娘時分はろくに包丁も持ったことのない「オットリした性格やった」(自称)らしいけど。ほんまやろか。
ぴんぴん跳ね回る大きな鯉やうなぎまで料理してたのに、よく大怪我しなかったことやと思う。何より、母ひとりに忙しい思いさせて父(調理師やのに)は、いったい何しててんやろ?と、昔話に登場するたびブーイングの的は亡き父となるのであった。

▲さて、
その日は相方と夕飯食べながら、さきに電話で聞いた母のゴリキ話から、わたしの子ども時代、吉野川周辺が賑やかやった夏の話になって。
夕方から出る鮎舟も、(→)そうそう鵜飼もしてたことがあったんよ~というと、「鵜ってたいへんやのに誰が世話してはってん?」と相方。そういうたら、誰にでもできることやないよねえ~ということになって、再び母に質問の電話をかけた。

▲「わたしにわかるかなあ?」とか言いながら、どんどんパワーアップして頭もフル回転の母。
当時商工会が中心になって吉野川で鵜飼を始めようということに。最初は岐阜・長良川から鵜と共に鵜匠に夏の間滞在してもらっていたことなど話してくれた。
高度成長の波もあり、春だけでなく夏にも吉野を訪れる観光客も多くて。そのころは何か新しいことをやってみようという気概に町全体が満ちてたんやろね。
そうして亡き父もそんな人たちの中の一人で、アイデアを出してはいろんな交渉に走り回ってたらしいと知る。(せやったんか~おとうちゃん、ええとこもあったんや)

▲結局5年ほどで鵜飼はおわったみたいやけど、鮎舟はその後もしばらくの間続いていたと思う。ウチが旅館をやめたのは(→)もう少し後のことになるんだけど。そして、それからも厨房のひとであり続けたんだけどね。
「どっちにしても、みんな昔話になってしもたなあ」と母がさみしそうにわらう。
働いて働いて、座ってご飯食べてるところを見たことがないほど、忙しくしてきて、「昔はよかった」なんてことはない、と思うのに。

*追記
その1)
これを書く前にちょっと調べてたら「ゴリ」と各地で呼ばれている魚にも色んな種類があることを知りました。
広島市水産振興センターのサイト『ゴリと呼ばれる魚たち』→によると、吉野川(川底)にいたのは”カワヨシノボリ”という魚のようです。

「ゴリ」はその漁法(むしろやかごを仕掛けた方向にゴリを無理やり追い込む漁)から「ゴリ押し」の語源になったとも言われているらしい。
食べるばっかりで(!)こういうこと全然知らんかったなあ。
そして、
ひとつわかると、またひとつわからないことが出てきて。
おかあはん、せやからね。聞きたいこともいっぱいあるし、まだまだ元気でいて、夕方の電話の相手してください。

その2)
郷土の料理というと『聞き書き 奈良県の食事』という本を(そして、その本の中にジッカから資料提供していることも)三度笠書簡のわこちゃんに教えてもらいました。
吉野の鮎漁(あい、と地元では発音)のページに載ってるおっちゃんは、子どものときからよく知ってる方で、久しぶりになつかしく眺めました。

そういうたら、手元に『大阪府の郷土料理』→(上島幸子・東歌子・西千代子・山本友江 著 同文書院1988年)という本があります。
帯には【”まあ、おいしそうやこと”  先人の心と技と知恵が生んだ味を、多くの人から掘り起こし、科学して伝えたい! 】とあって。こういう感じの本に「科学して」とあるのに、びっくりしつつ、しびれます。

今回改めてゆっくり開いて、そのていねいな説明ときめ細やかな取材におどろいています。
大阪いうたら、たこ焼きとお好み焼きやと思われがちですが、なかなか、さすが食の大阪~知らんかったこともいっぱいで、上記の聞き書きの本と共に、とても興味深い一冊です。

実はこの本、著者のおひとりは、わたしが十代のおわりに京都で下宿していたお家の方です。そのころも大学に時々教えに行ってはる、と聞いていましたが。当時小学生だったお子さんやおじさんが寝てからも、夜おそくまで、おばさんの部屋に灯りがついていたのは、講義の準備や研究をしてはったんやなあ。

その頃、はねっ返り娘でわるいこと(ん?)ばっかりしては、おばさんを怒らせたり ひやひやさせてたわたしでしたが、いつも温かくだいじにしてもらいました。そしてその後も「忘れられへん子やった~」(!)と、この本が出たときも贈呈してくださったのでした。感謝。
長いこと連絡してないけど、おたよりしてみよう。

その3)
今回書けなかったけど読んだ本のメモ。
『村に火をつけ、白痴になれ  伊藤野枝伝』(栗原康著 岩波書店2016年刊)→
『群像6月号』群像新人賞「ジニのパズル」(崔 実(チェ・シル))
『ハイスクール1968』(四方田犬彦著 新潮社2004年刊)

その4)
この間みつけた絵本(だいすき!)『ぺろぺろキャンディー』(ルクサナ・カーン 著 ソフィー ブラッコール絵 もりうちすみこ訳 さえら書房刊)の原本の朗読。かわいい!
”Big Red Lollipop”→


その5)
いつものことながら、だらだら長くてすみません。
今日はこれを聴きながら。
Ry Cooder - How Can A Poor Man Stand Such Times And Live →

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by bacuminnote | 2016-05-26 16:08 | yoshino | Comments(6)