いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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ちいさくて母。

母を見舞う。

「通院するのは大変なので」「ちょっとの間」「大事とって」の入院らしく、大丈夫だろうとは思ったんだけど。
なんというても高齢だし、何より環境が変わって不安がっているかも~と、つれあいと二人で朝から病院にむかった。

その日はまだお盆休み中のことで、天気予報は午後から雨の確率70%ながら、街はどこも人がいっぱい。電車の特急券売り場にも国内外の旅行者で長い列ができていたのは、ふだん外出しないわたしの予想外のことだった。いつか観た古い映画の田舎からでてきた老母のごとくオロオロ。予定の電車に間に合うかひやひや・・・というわけで車内でお昼に、と先にパンを買って行ったんだけど、あとでと思ってた缶コーヒーも買えないまま乗車となった。

色とりどりのキャリーバッグが棚の上や座席にいっぱいの車内で、わたしらもちょっと旅行気分でパンをかじる。(のみものがなくて喉がつかえたけど)やがて目的の駅に到着したと思ったら、こんどは駅から乗ったタクシーが渋滞でなかなか前に進まない。
予報通り途中から降り始めた雨はだんだん雨足がつよくなって。見るともなしに雨粒の車窓から外を眺めて見覚えのある通りの様子に、そういえば以前もやっぱり母の見舞いでこの道通ったよなあ~と話す。

かつては働いて働いて、寝込んでいるところなんて見たことのない母ながら、ここ十数年の間には何度か入院もして、そうそう信州のころは下の子の心配もあったから、木曽から日帰りでせわしなく奈良市内の病院を見舞ったこともあった~と、思い出してるうちにようやく病院に着いた。

受付で聞いた部屋を探していたら、廊下のむこう~看護師さんに付き添ってもらってトイレから出てきた母と目があった。思いもかけない(たぶん)わたしらの姿にびっくりしたのか、恥しいのか、照れ笑いしてる。よかった。なんとか歩けてる~。

それでもパジャマ姿だったからか、点滴のスタンドと押し車のせいか、いや、病院という背景ゆえか~先月ホームを訪ねたときよりも、母はちいさくて頼りなげに見えて。いつものように、おもしろいことのひとつでも言うて笑わしてやろう、とおもったのに。「来たで~」と言うのがやっとだった。

ホームの職員さんが着替えを持って来てくれたり、つれあいが足りないものを階下へと買いに行ってくれる。そのつど「ほんまにすんませんなあ」「ありがとう」をくりかえす母。点滴を確認にきた若い看護師さんが「◯◯さん、娘さんらも来てくれはったんやし、元気だしてや~」と奈良弁で(←大阪弁と微妙にちがう)声をかけてくれると、こどもみたいに「はいっ」といい返事しており、そんな母がかいらしくて、そしてちょっとせつなかった。

先日、母のすきな曲集めて二枚目のCDを送ったとこなんだけど、届いたその日に入院になったようで。
「一曲目はユモレスク、二曲目はトロイメライやで。乙女の祈りもエリーゼのために、も入れといたしね」と言うと「帰ってから聴くの楽しみや」と一気に顔がぱあっと明るくなった。

母は娘がだれもちゃんと弾けなかった(苦笑)ピアノを65すぎてから習い始めて「エリーゼのために」がゴールだった。
「わたしはいっこも母親らしいことできんかったのになあ・・・ユモレスク好きやねん・・あんたはわたしの好きな曲まで覚えてくれて。ほんまいつもありがとうな」と半泣きで別れのあいさつみたいにしゃべり出すのでこまった。いや、ちいさい頃からわたしに音楽の入り口を用意してくれたのは、誰でもない音楽がすきなあなたやったんですよ~と思うてるのだけど。とっさにそんなことばは出てくるわけもなくて。

▲帰りは電車の連絡がうまくいかず、急行や普通を乗り換え乗り換え。車内で病室の母のことを思い返す。「ほな、帰るし」と言ったとき、目をぎゅうっとつむってこっちを見ないで手を振ってたっけ。

窓の外はのどかな田園風景。雨あがりの畑に赤い鳳仙花がひとかたまり咲いてるのがみえた。

「子のように母ちいさくてホウセンカ」(しずか)

むかいの席の母子は田舎にでも行って来た帰りだろうか。ママも、抱っこされた赤ちゃんもその横のリュックに埋もれるように寝入った女の子も皆くたびれ果てて眠っている。おにいちゃんだけは膝に真新しい虫かごを置いて、ときどき蓋をそろりと開けてカブトムシをつまみあげては、ちょっと手足を動かす様子を見てまたカゴに戻している。わたしと目が合うと恥しそうに、でも得意気にまた蓋を開ける・・をくりかえして。「あああ、そこで、おがくず、ひっくり返えさんといてや~」と、おば(あ)ちゃんはハラハラしながら眺めてたけど、かれも又そのうち眠りの国の人となり。

▲ようやっと最寄りの駅に着いたらまた大雨だった。なんせ70%やしね。デパ地下で鴨のスモークをふんぱつして、ビールビールとおもいながら帰宅。

長い一日でした。


*追記

その1)

昨夜、ネットで脚本家の山田太一氏の断筆を報じるインタビュー記事を見つけて、読みました。山田太一脚本のテレビドラマはリアルタイムでずっと観てきて、そのつどその頃の思い出や思い入れもあって「すき」と一言で言えないくらいなのですが。
氏は今年はじめに脳出血で倒れはって、退院後言語機能は回復しつつあるらしいのですが、もう脚本家として書ける状態ではない、と言うてはります。とても残念だけど、これまで観たもの、読んだものは自分の中でふかく残っています。

インタビュー記事を読んでいると、最近の母のことばと重なるところがいくつもありました。

「時々記憶が、飛んでしまう」「思ったことを上手く表現できない」「生きているということは限界を受け入れることであり、諦めを知ることでもあります」

それでも、氏はそれを「ネガティブなことではない」と言い切ります。「諦めるということは、自分が”明らかになる”ことでもあります。良いことも悪いことも引き受けて、その限界の中で、どう生きていくかが大切なのだと思います。」(*週間ポスト2017年9月1日号 より抜粋)


以前、山田太一さんが『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス 鹿野靖明とボランティアたち』(渡辺一史著)という本の解説を書いてはって、その中で「尊厳死」について言及しておられます。こちらもあわせて、ぜひ→

(この本のことはここにわたしも以前書きました)


その2)
お盆の前後は墓参にでかけたり、息子2が帰ってきてたり、今日書いたように遠方の病院に行ったり、で、本も読みかけのまま、映画(DVD)も観たのに(『めぐりあう日』『灼熱』『ライフ・ゴーズ・オン』)わすれてしまってるという体たらく。
あ、そういえば『サンダカン八番娼館 望郷』(熊井啓監督)という古い映画をめずらしく息子と一緒に観ました。「からゆきさん」だったおサキさん役の田中絹代は素顔でボロ布纏ったような姿でしたが、きれいなひとやあと思いました。山崎朋子の原作は出版当時~高校生のときに読んだきりで、忘れてしまってるところが多かったのですが。その頃からひとつ忘れないでおこうと思った一節があって。


それは山崎氏が研究のための聞き取りだとは明かさず、おサキさんの家でしばらく寝起きを共にしてきて「どうしておサキさんは、見ず知らずの私なのに、何ひとつ素性を聞こうとしないの?」とたずねると、おサキさんはこう応えるのでした。

「誰にでも事情っちゅもんがある。相手が自分から喋るならまだしも、当人が何も言わんものを、どうして聞けようぞ」


その3)

今日は、やっぱりこれを聴きながら。

Kreisler plays Dvořák Humoresque



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by bacuminnote | 2017-08-18 12:12 | 出かける | Comments(0)

たっぷりと水をかけて。

ひさしぶりに墓参。
今春は京都大谷さんへの納骨からはじまって、身内の入院、母のホーム入居と続き、さすがの出無精(わたし)も毎週のように、あっちこっちに移動することが続いて、いつになく電車もバスもタクシーもぎょうさん乗って。

▲その合間に膝痛がぶり返したりおさまったり。よりによって、こんなときにどこからか水漏れで、水道工事は入るわ、PCのバッテリは交換せなあかんわ・・・。なんせ一日1イベント体質()なもんやから、日々おたおたとしながら過ぎて。

気がつけば6月もあとちょっとでおわり。
まだ堀ごたつのヒーターも片付けてないし、ダウンジャケットの洗濯もしていないけど。とりあえず晴れマークあるうちに~と、久しぶりのお墓掃除に出かけたのであったが。

梅雨時に雨の心配をしなくてよい真っ青な空はありがたかったものの、まあ、この日の暑かったこというたら。

近いようで遠い隣市の墓地までは、いつものように、時間はかかるけど、安うて乗り換えなしのバス~始発から終点まで約一時間。その間(かん)どれだけ停留所があるのか。いっぱいありすぎて数えたこともないけど。

それでも「次は◯◯~」というアナウンスに、降りたこともないのに、何回も乗ってるうちに耳になじんだ停留所のなまえが、その自動音声の妙なアクセントすらも、なんだかやさしくなつかしく聞こえて、自然と頬がゆるむ。

平日の午前中ということもあってか、車内はみごとに6080代で埋め尽くされている。後ろの席から押し車や杖を眺めつつ、買い物袋からはみ出た牛蒡や葱に、このひとらも又ウチみたいに早い時間に夕ご飯やろか~とその食卓に並ぶあれこれを想像したり、そや、今夜は牛蒡の時雨煮もええな~とか思ったり。

ようやく終点に到着して、近くのスーパーでお花を買う。
学生時代に、九州出身の友だちがこの「仏花」と名付けられた花と樒(しきみ)の束を、関西に来て初めて見てびっくりしたと言うてたのを思い出す。いわくジッカ周辺ではたいてい畑や庭に、仏壇やお墓用の花を何かしらは植えていて、適当にそれを切って束ねて生けたから、こっちみたいに、みんな揃いの短い丈のお花やないんよ~と。

わたしはこどもの頃から樒を後ろに当てたお花をひとまとめにして、花屋さんで作ってもらったり(出来上がりを)売ってるのが、仏壇や墓参用のお花~と思い込んでたけれど。考えてみたら、そこに咲いてるお花をお供えする友だちの郷里のほうが自然でええよなあと思ったり。
売り場の仏花の容器に「関西仏花」と書いてあったから、お墓の花も地域によってさまざまなんだろう。

▲そういえば、信州に暮らして初めての冬~雪に埋もれそうな墓石に、はっとするような赤や黄色が見えてびっくりしたことを思い出す。厳寒期にはマイナス20度をこえることもある地ゆえ、花も水もいっぺんに凍るから造花を入れてはったのだった。自然の中の作りものの鮮やかな色は、なんだかせつなくて忘れることができない。

さて、駅で乗ったタクシーから降りたら、とたんに地面から熱気がもわーんと立ち上がる。墓地にはすでに何人かお参りの人がいて、皆さん帽子と首にはタオル。どこもかしこも草ぼーぼーで、墓石が草に埋もれてるところもあって。入り口で背伸びして「ウチとこ」のを目視。「ひさしぶり」分の草の成長ぶりを確認。ため息。

さっそく花入れを洗い、ふうふう草抜きをしながら、ケッコンしたころ義父母に連れられて墓参したとき、知らんひとばっかりやった「ここ」に、今はもう、おばあちゃんもおとうさんもおかあさんも居はるんやもんな~と改めてケッコン39年という長い時間に感心して(苦笑)で、感心してる自分がまたおかしくて一人笑う。(あやしげなおばちゃん)

▲わたしはあんまり汗かきやないけど、この日は動くたびに文字通り「滝のような汗」が流れ落ちる。
夏に義母と墓参に行くと、きまって「おじいさん、おばあさん。坊(←つれあいのこと!)のおヨメさんと来ましたで~暑うおまっしゃろ~」とか言いながら、墓石にじゃぶじゃぶ水かけて。

「ああ、暑う。ウチも暑うてかなわんわ~」と柄杓を持ったまま首からかけたタオルで汗をぬぐってはったから。わたしもたっぷりと水をかける。
義母が逝って、ああもう二年たった。また暑い夏がはじまる。


*追記

その1)

暑いのんと、中腰で(膝痛でしゃがめないので)草抜きをしたので、ふらふら。ぐったり。「墓掃除一途になつてをりにけり」(岡本眸)~である。

で、駅についたらソフトクリーム、ソフトクリーム~とそればかり思って歩くも、駅の木陰でおにぎり食べたとこで時間切れ。バスが来てあわてて乗車することに(泣)


でも、帰りのバスは空いていて、バッグも横に置いて涼しい中で読書。ああ、ゴクラクゴクラク。この日はリハビリの帰りだったのでバッグに入ったままの本『ボーイズイン シネマ』(湯本香樹実)を。「シベールの日曜日」というフランス映画についてのエッセイを読みながら、途中出てきた寺山修司のことばについて、考えているうちによだれたらして(!)爆睡。気がついたら終点でした。
【人々は、自らが記憶し得た過去の情報の量を味方にして、現代の桎梏(しっこく)から身を守ろうとする】(寺山修司)

(同書p65 より抜粋)


その2)

いま読んでいる本→『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(ブレディみかこ著 みすず書房刊)

ブレディみかこさんの文章は以前からネットでも本でもよく読んでいましたが。あとがきにもあるように【政治は議論するものでも、思考するものでもない。それは生きることであり、暮らすことだ】(p282より抜粋)を、実感しつつ。この本のことはまたこんど書きたいです。

その3)

読んだ絵本→『先生ががんになっちゃった!』(宇津木聡史 文 河村誠 絵 星の環会刊)

これ、「学校の保健室」というシリーズの一冊みたいです。こんな本が出てるんや~とびっくりしましたが、ほかにも認知症やインフルエンザの巻もあるようです。→

この本は5年2組のみんなから慕われてる大野先生ががんで入院する、という設定で、心配でならないクラスの美咲と大輝は保健室の先生にがんという病気のことについて、質問して、それを探るべく体内への旅にでます。がん細胞の特徴、免疫細胞のこと。治療法では手術のほか抗がん剤から分子標的薬、放射線のことまで。思いの外くわしく書かれていて、正直なところ(こども向けやから、という先入観があったのやとおもう)おどろきました。からだのしくみを知ることはもちろんですが、「わたしたちには何ができるの?」という自らへの問いかけもあって内容はけっこう深いです。


(一晩考えてやっぱり~と書き加えました↓)

*気になったのは、本の最後の参考文献が二冊だけだったこと(内一冊はおなじ出版社の本)。医療関係者の監修がなかったこと。それから、わたしは絵のふんいき(これはとても大きいとおもう)が表紙もふくめて教科書の副読本的で、にがてでした。


その4)

そんなこんなで、映画もDVDも全然観てません(観たいのんいっぱいあるのに。残念!)それに、気がついたら本も、なんでか小説が全然読めないでいます。(読みたいのんいっぱいあるのに。残念!)


きょうはこれをひさしぶりに聴きながら。じつは"reticence"の意味もわからず、ずっと聴いてたけれど。「無口」といま知って、無口になっています・・。

Reticence- Ketil Bjørnstad  Svante Henryson →




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by bacuminnote | 2017-06-27 18:47 | 出かける | Comments(0)

小鳥くる。

▲めずらしく本を読まない(読めない)時間がここしばらく続いている。
それでも、こどもの時分からの癖で毎晩本を持って布団にもぐりこんで。目をとじる。眠れなくて目を開ける。ふたたび目を閉じる。
いつも枕元に本があるのは、たぶんわたしの安心のしるし。読んでも、読めなくても。

▲このあいだ(というてもだいぶ前になるけど)思い立って友人とドキュメンタリー映画『人生フルーツ』を観に行って来た。この映画のことは、もうずいぶん前からあちこちで、とりわけわたし位か、もう少し上の世代の人がブログなどでこぞって絶賛してはって。ほんま言うとね。それを読んだだけで、もう「観なくてもわかった」的気分になっており(すまん)。それに「おだやかにていねいに暮らす」とか言われたら尚のこと、背をむけたくなる天邪鬼も自分のなかにいたりして。

▲そのうち上映館も一つ減り二つ減り、まあいつかDVDになったら~とか思ってたんだけど。観てきた友だちが言うてた「二人、ほんとに仲がいいのよねえ」のひとことがずっーと残ってて。つまり「仲のよいフウフ」に引っかかってたもんで。「今さら」と思いつつ、公式HPみてみたらまだ上映館があることを知ったのだった。

▲ケッコンして40年近いというのに、いまだにかんかんがくがく、けんけんごうごう(苦笑)な自分たちをおもって、わたしは時々ふかーくため息をつく。
「あんたら若いなあ。わたしらそんなんとっくに諦めたわ」「もう今さら、人は変わらへん、って」と、センパイ方は言わはるんやけど。

▲「諦める」とか「言うても仕方ない」やなくて。
どうしたらフウフなかよく(いや、ウチも仲が悪いというわけでもないけど)何より、おだやかにすごせるのやろ~と。農的生活や「ていねいな暮らし」にスポットライトのあたるこの映画に求めるモンが「そこか?」と笑われそうやけど。けっこう真剣にそこのところを観て確かめたかったんよね。

▲その日は友人のやさしいエスコートで、エスカレーターやエレベーターを使って(方向音痴のわたし一人だと探すのにくたびれて仕方なく階段を昇降することも多いのデス)すいすい目的の映画館に。
お客さんは中高年の女性が多かったものの若い人らもけっこういて。
ひさしぶりに来たけど、ここはやっぱり上映してる作品がすきなものが多くて『草原の河』なんかはもう予告編のみじかい時間だけで、ぐっとひきこまれて観たくなる。
やっぱり、たまには「街」に出てこんとあかんなあ。

▲さて、本編である。建築家の津端修一さん(撮影当時90歳)は、愛知県春日市の高蔵寺ニュータウンの一隅に樹木と畑に囲まれたお家に妻・英子さん(87歳)とふたりで暮らしてはる。

▲修一さんはかつて阿佐ヶ谷住宅や多摩平団地などの都市計画に携わる。
そして1960年代 伊勢湾台風の高台移転として当時住宅公団のエースだった修一さんが高蔵寺ニュータウンの設計を任されることになって。

▲彼は風の通り道になる雑木林を残し、自然との共生を目指したニュータウンを計画するんだけど、経済優先の時代の波にのみこまれ、結局完成したのは理想からほど遠い四角い建物がずらりと並ぶ大型団地で。
その後修一さんはそれまでの仕事から距離をおき、自ら手がけた高蔵寺のニュータウンに土地を購入して家を建て、みんなにも呼びかけて雑木林を育て始め、里山再生のローモデルとして提唱し続ける。

▲「平らな土地に里山を回復するには、それぞれの家で小さな雑木林を育てる。そうすれば一人ひとりが里山の一部を担えるのでは」というわけだ。
映画の中でも「ドングリ作戦」と称し、開発でハゲ山になってしまった高森山に樹木を植える運動が当時の写真と共に紹介されるんだけど、氏の熱のようなものが伝わってくる。

▲彼の師アントニン・レーモンド氏の自邸に倣ったというおふたりの家は、木造平屋で台所と30畳の広いワンルームである。
大きなダイニングテーブルのうしろに、修一さんのデスクがありベッドもふたつ並んでいるのが見える。天井はなく、光の入る高窓を長い棒を使って開閉する。玄関もなくて、庭からそのままあがる。センスはいいけど、気取りのない、居心地のよさそうな家だ。

▲せやからね。
映画で映し出される二人は、ほぼこのダイニングテーブルの前に腰かけてはるか、台所か、70種類の野菜が育つ畑と50種類の果実が実る木々の辺りで土をさわってはるわけで。

▲そうそう。
あるとき「このテーブルから庭を見るのが気に入ってる」というような話になって、季節でテーブルの位置を少しずつずらしたりしてると二人が言うて。
「この位置がいい」という修一さんに、すかさず「わたしは、ほんとはもうちょっと◯◯のほうが好きなんですけどねえ」と英子さんが返してはって。
「お、いいぞ、いいぞ」(苦笑)とにんまりする。

▲津端さん夫妻は年齢的にはわたしの親世代であり。
母がそうだったように英子さんもまた夫・修一さんに話すのはキホン敬語である。でも、語り口は敬語だけれど、彼女は思ってることはちゃんと夫に言うてはるんよね。
なんども出てくる食事風景(畑のものを存分に使いおいしそう!)の中、朝食に修一さんにはご飯。英子さんはというたらパン~というのが印象的だった。ゆるやかに、しかし「自分流を通す」ということか。

▲で、わたしやったら、と考える。
和洋二種類も作るのフケイザイだの、めんどくさいだの~と、こぼして(自分のすきなものを)がまんしてつれあいに合わせるか、あるいは、つれあいに「今日はこれにしとき!」と押し通すか(苦笑)どっちかになりそうだ。(もちろん彼が自分で拵えるという選択もある)
でも、ほんま言うとこういう日々の一見「小さながまん」は積み重なると、思いのほか大きく膨れるもんなんよね。手間をおしまず「通す」英子さんはすごいなと思う。

▲そして、映画に映る修一さんはいつも笑顔だったけれど、かかってきた電話に(なんと黒電話!)講演だか取材だかの仕事を「わたしももう90歳だから自分のために時間を使いたい」ときっぱりと断ってはったのも残っている。

▲おだやかで豊かな暮らしやから、単純に好々爺みたく思ってしまいそうになるけど(そういうたら、いま「好々爺」に値する「好々婆」ってあるのかな、と調べてみたけど、なかった。気のいい爺さんはいるのに、婆さんはいないのか?と、愕然とする)その底辺には、厳しい「NO!」の思想が流れていることを。お二人ともそういう思いを共有してることを、あちこちでつよく感じた。

▲いろんなひとがブログなどで言うてはるから、ええかと思って書くけど、この映画の撮影中におもいがけず修一さんが、昼寝したまま起きてこなくなるのであった。ふたりはいつかひとりになるのであった。

▲毎年、障子の張替えをするのに、外で戸を洗うのが修一さんの役だったようで。わたしもまた、そのむかし信州の山ぐらしのころ、外で10枚以上の障子戸を洗って干して、障子紙を張り替えたときのことを思い出す。
英子さんは夫、修一さんから「自分ひとりでやれることを見つけて、それをコツコツやれば、時間はかかるけれども何か見えてくるから、とにかく自分でやること」を教わったと言う。

▲そうやよね、コツコツ、コツコツと続けることで見えてくるものがあるよね。そして、気がついたのは、互いのちがいをわかった上で同じ方向むいて暮らしてはったんやな、ということ。
結局のところ、わたしらは相手のちがいを未だ(しぶとく?)受け入れてないのかもしれなくて。この映画鑑賞後も、やっぱり相変わらず「なんで(わたしの/ぼくの言うことが)わからへんねん?」が続いてるけど(苦笑)

▲映画の中ではけんかもなく波風もたたず。修一さんの死の後もしずかで。そのころ雑木林にあった野鳥たちの飲み水の大きな鉢が割れてしまうんだけど。がっかりする孫たちに英子さんは淡々と言う。「しょうがないよ。いつかは壊れるんだから」と。
エンドロールのテロップにあった「すべての答えは偉大なる自然の中にある」(アントン・ガウディ)のことばを今あらためてかみしめているところ。


*追記

その1)

割れてしまった小鳥の水鉢はその後、お孫さんたちが修理して復活することになります。鉢のなか、きらきら光る水に、小鳥たちのすがたにほっとする思いでした。
「小鳥来るここに静かな場所がある」
(田中裕明句集『先生からの手紙』)

そうそう、映画をみたあと、とりあえず暖かくなったら、ひさしぶりに障子戸を外で洗って、障子紙の張替えをしようと思いました!

その2)

この間発売のその日に本屋さんに走った本。
ここんとこ、いろいろいっぱいあって。唸ったり考え込んだり沈んだりしてたけど。そろそろちょっとづつ浮上中。また寝床読書が再開できるかな。

『離陸』(絲山秋子著 文春文庫)の解説は池澤夏樹氏「この友人たちを得ること」という副題がついており。 【読んでいて気持ちがいい理由の一つは、この作家は自分の小説に登場する人物を愛していることだ。そんなことはあたりまえと思う人は多いだろうが、しかし世の中には(名は挙げないけれど)登場人物を将棋の駒のようにあつかう作家も少なくない。彼らは作中の彼ら彼女をぱちんぱちんと盤面に叩きつける】
(同書「解説」池澤夏樹 p422より抜粋)

その3)

ふたりといえば、このひとたち。音源のなかではいつまでもふたり。

Lou Reed andLaurie Anderson - Gentle Breeze→


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by bacuminnote | 2017-04-17 09:40 | 映画 | Comments(2)

図書館からの帰り、うしろで道を尋ねる声がした。
はっとして振り返るも、わたしに聞いてはるんやないとわかって、ほっとしたり。ちょっと物足りなかったり(←しょっちゅう聞かれる身としては。笑)・・・で、つづいて
「えーっと、そのときはね、救急車やったもんですから、病院の場所とかようわからへんでねえ・・・」という声が聞こえてきて。

ことばの端々から察するに、救急搬送されたご家族を見舞うため病院に行く途中、道に迷わはったみたいで。
「そうですねん。もう大丈夫なんですけどね・・・ああ、そうですか。ようわかりました。ありがとうございました」と明るい声が聞こえて、知らないひとのことながらよかった、よかった。

見上げると、きもちよく晴れわたった空がほんまにキレイ。
とはいうても、3月の風はつよくて、つめたくて。家を出るとき、ぽかぽか陽気をイメージして、マフラーをしてこなかったもんで、寒いこというたら。
けど、すぐそこに春が待ってるからね。ま冬の寒い日とはちがって、首すくめながらも気分は明るい。


袋をもちあげると微かににおう桜餅に「帰ったら、とりあえず熱いお茶にこれやなあ」と足取りも軽く歩いてたら、うしろの方で「あのーすみません。ちょっとお尋ねいたします。◯◯病院に行きたいんですけど・・」と聞き覚えのある声が。ん?振り返るとさっきのおばさんだ。

つい今しがた「はい。ようわかりました」って言うてたのに。又べつの人にもういっぺん聞いてはる。いやいや、笑うたらあかん。親切に教えてくれはったひとにお礼を言いつつも、あんまり理解できてないこと~わたしにもある。かの変哲サン(小沢昭一氏)だって「道問いてわからぬもよし春一日(ひとひ)」と詠んではるもんね。

▲つぎ又迷うてはったら、こんどはおせっかいでもこっちから教えてさしあげよう(方向音痴でもこの辺のことならわかる)と思うてるうちに、分かれ道に来てしもて、横断歩道を渡ったんだけど。ふと振り返ったら道向こうに、件の病院にむかってはるのが見えた。

▲さて、この間また京都に行って来た。
先週のうらたじゅん個展と、2週続きの遠出だ(おおげさやなあ)。今回は西本願寺~大谷さん(大谷本廟)まで。
菩提寺からの団体納骨で、朝早く隣市にあるお寺に集まって本堂でお参りの後、バスでみんな一緒に京都にむかう。(ゆえに迷う心配はない)

ウチはわたしが代表で(!)参加したんだけど、老若男女二十名ちかく集まってはるファミリーもあって、バスの中はお菓子や飴ちゃん、おせんべいが行き交ったりして、さながら春の遠足のような賑わいだった。
「なんや~ウチとこは、あんた一人かいな~?しゃあないなあ」と、遠いとこからお義母さんが呆れたように笑うてはる気がして。苦笑。

バスは満席で、空いていたわたしの隣席には法務員さん(ご住職のお手伝いをする僧侶というたらええのかな)が座らはった。
今はまだ法衣よりスーツのほうがよく似合ってる若いお坊さんが、本を読んでいたわたしに「何読んではるんですか?」と声をかけてくれた。(一人参加で、なんかさびしそうに見えたんやろか)
読んでいた本というのがたまたま
『宗教って、なんだろう?』 (島薗進著 平凡社2017年刊)だったこともあって、それを機に隣同士ぽつぽつ話し始めた。

ちょうどウチの息子くらいの年格好の好青年で、しゃべってるうちに次々と聞いてみたかったことも浮かんできて、いろいろと質問させてもろた。(こんなおしゃべりなおばちゃんに声をかけて、えらいことした~と後悔してたかも。笑)

なぜ僧侶になろうと思ったのか?から始まって、僧侶(住職)になるには、どういう過程(試験や学習)が必要なのか?とか。彼が大学卒業後通ってたという仏教の専門学校のこと。

お坊さんにかぎらず、常々若い人と仕事について関心があるので、よく行く美容院や服屋さん、整形外科でも、話せるような雰囲気と時間があると、若いスタッフにそんなことをちょっと聞いてみる。こちらからは立ち入ったことは聞かないようにしてるけど。
声をおとして「安い」給料(給料の話が出るときは、ほぼ「安いんです」という展開だ)や待遇のこと、家族やつきあってるひとのことを聞かせてくれることもある。
隣席の法務員さんは想像通りお寺の息子さんで、ごく自然に僧侶になることを決めたそうで、三人兄弟みな同じ道にすすんだとか。

膝の上に出したままの本の「宗教」の文字に、そういうたら「宗教や、◯◯宗の「宗」って、どういう意味ですか?」と尋ねてみる。
曰く、

「ほかにも説はあるかもしれませんが、「宗」は「むね」とも読み、むねというのは「旨」や「胸」「棟上げの棟」といったように、おおむね、中心になる、大事なものとしての意味があるので、そういう教えという意味やと思います。」とのことだった。ほほぉ、そうやったのか~

あんまりしゃべっても、と切りのいいとこで本読みに戻ると、即ポケットからスマホ出してきてはった。(おばちゃんにつきあわせて申し訳なかったです)さて、この本はタイトルにあるように「宗教ってなんだろう?」を始めとする問いかけに著者が答えるという形式になっていて、そのやりとりも絶妙でおもしろい。

▲宗教とはどんなふうに生まれたのか、生贄とは?ブッダはなぜ出家したのか?権力者が宗教を庇護しはじめたのは?というような質問から、宗教って「平和と友愛」「寛容と平等」といった理想があるのに、なぜ暴力的要素がいまのように表に出るようになったのか?
宗教は暴力を超えられるのか?(←このあたりが一番知りたいところ)
「家族はエゴのはじまり」なんていう非常に気になる項目まで。じつに刺激的な展開で。

▲これ「中学生の質問箱」シリーズの一冊なんだけど、中学生にはまだちょっと難しいかもしれないな。(いや、わたしの理解度が中学生に届いてへんのかも~)ただ、難しくて嫌になる本やなくて。そうすんなりとは頭に入らないんだけど、行きつ戻りつ、なんども立ち止まり考えながらの読書は、だからこそたのしい。おすすめです。

そんなわけで、ノッてきたもんやからそのままずっと本の続きを読んでいたい気分だったけど、バスはじきに西本願寺に到着。座ったままだと却って膝によくないので、すこし歩いて参詣。境内のブックセンターに。町の書店にはまず見かけないような本がいっぱい並んでて、おもしろかった。

そして再びバスで、いちばんの目的の大谷本廟へ。ここに来るのは義父の納骨以来だから12年ぶり~パン屋やめて信州から大阪にもどってもう13年やもんね。早いなあ。

「正信偈」(以前ここにも書きました)を読経の間 はじめて義母と会ってからの36年をおもう。

うれしかったことやたのしかったこと。腹のたつことつらかったことも。謝りたいこともみな。いろいろいっぱい。ぐるぐる思いだしてなきそになったり頬がゆるんだりして合掌。


*追記

その1)

バス中で質問した「宗」でしたが、本のあとの方にも『「宗教」の語源』という項目がありました。曰く、日本語の「宗教」という言葉は、仏教のなかにあった言葉やそうで。
【西洋語のreligionに「宗教」という訳語をあてる前に、「奉教」とか「信教」「教法」「法教」「聖道」「宗門」「宗旨」とかいろいろと他のアイデアもありました】
【「宗」は「おおもと」ということです。「教」は言葉にしたteaching(教え)で、「宗」の方は「おおもとの大事なもの」「真理」、まあ「法」(ダルマ)に近い、それを言葉に表したのが「教」となります。】(同書p160~161より抜粋)

とはいえ、こういう語源についても島薗氏ひとりでも論文集が一冊つくれるほどやそうで。【そもそも西洋のreligionという言葉自体にも適切な用語かどうかの議論があって、今でももめています。それを日本語にあてはめる段階でまた問題が生じたということです】・・と、ややこしい(苦笑)いやあ、この本図書館で借りてきたんだけど、買ってじっくり読みます。


その2)
このバスの京都行きは、大谷本廟のあとは精進料理をたべて帰阪~ですが、途中下車OKなので、わたしはお昼はパスして河原町まで出て、久しぶりの本屋さん「メリーゴーランド」へ。

五条坂から祇園のあたりまで、なつかしい町並みは、しかし裏の通りでさえお店ができてたり、ひとも多くてびっくりしました。
もうわたしの知ってる京都やないなあ(まあ、40年もむかしのことやから当然といえば当然ですが)
「メリーゴーランド」でゆっくり本を見るつもりが、足が(それに空腹状態も!)このころになると限界で、松林誠原画展をみて店主の鈴木潤さん(←日記いつもええかんじ!)の書かはった『絵本といっしょにまっすぐまっすぐ』 (これで三冊目♡)をご本人に包んでいただいた後ようやくランチタイムに。(もう1時過ぎてたのにどこも満杯。京都なんであんな人多いのん?泣)


その3)

このほかに読んだ本で印象にのこってるのは『脳が壊れた』 (鈴木大介著 新潮新書2016年刊)いまAmazonで見たらベストセラー一位になってました。
41歳で脳梗塞に襲われたルポライター自身によるルポで、おもしろかった~なんて言うてええんやろか、と思いますが。

カバー見返しにある【持ち前の探究心で、自分の身体を取材して見えてきた以外な事実とは?前代未聞、深刻なのに笑える感動の闘病記】の通りやとおもいます。当事者感覚を言語化する、というのってほんまに貴重なこと。おすすめです。


その4)

あと、まだ読み始めたところなんですが田中慎弥氏『孤独論 逃げよ、生きよ』(徳間書店2017年刊)は『共喰い』で芥川賞受賞の会見のとき「もらっといてやる」と会場をわかしてはったあの方です。
かつて大学受験に失敗したのをきっかけに15年近く引きこもってた、という著者は
【本書でわたしは、日々働きながらもどこかでもやもやと煮え切らない思いを抱えている人に向けて、孤独である」ことの必要性を述べてみたいと思います。いまの世の中、放っておけばいつしか奴隷のような生き方に搦(から)め捕られてしまう。だから、意識的にそこから逃げ出していかなければならない】(「はじめに」より抜粋)と、副題にあるように「逃げよ」と挑発します。

第一章はその名も「奴隷状態から抜け出す」というもので、最初にこのことばが引いてあります。
「自らを尊しと思わぬものは奴隷なり。」(夏目漱石) 

                   

その5)

きょうはこれを聴きながら。

Sally Seltmann - Book Song

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by bacuminnote | 2017-03-19 00:37 | 出かける | Comments(2)

たぶん、もうじき。

▲ここ二、三日とはうってかわって今日は寒い朝になった。
庭に散った梅の花びらが風でひらひらして。朝いちばん山茱萸(さんしゅゆ)をひと枝切って一輪ざしに入れる。ちいさい黄色の蕾が「モウジキハル」と告げてくれるようで。いとおしい、かいらしい。
でもじっさいには「モウジキ」は、なかなかで。まだまだ行きつ戻りつの「ハル」なんやろうけど。

この間の土曜日、友人の個展 に京都まで出かけた(→うらたじゅん個展「少女手帖」この頃はその日になるまで予定がたてにくいので、相変わらず手帖は白いとこばっかりなんだけど。朝起きて足さすってみて窓あけて青い空みて「さ、行こか」と自分に声かける、そんな気儘な一人の外出もけっこうええもんで。

京都には山田真さんのお話会atカライモブックス)以来やろか。
ついこの前のことのように思ってたけど手帖を繰ったら、なんと一年も前のことで驚いた。早いなあ。一日一日ほんまにゆっくりぼんやり(!)暮らしているのに。なんで一年はこんなスピードで過ぎてゆくのか。なんかもひとつ納得いかへんけど。

ほんで、この調子やったら「一生」というのも、あっという間かもしれへんから。会いたいひとに会い、行きたいとこに行っとかなあかんなあ~とか思いながら地下鉄から京阪電車に乗り換え。
つい目の前の階段を「これくらいやったら大丈夫やろ」と上って、これでお終いかと思ったら、もういっぺん階段があるのすっかり忘れてた(泣)

▲それで懲りたしね、京阪ではエレベーターでホームに下りた。(ほんまに駅は上ったり下りたり、ややこしい)
ホームで並んで待ってたら、2階建て特急電車が到着した。
車内清掃が終わって扉が開き、人の流れのままだだだっ~と乗車すると、なんかわからんうちに階段を上って2階席に行ってしもて(苦笑)

で、2階はちょっと旅行気分やなあ。どこに座ろうかなあ、と迷ってるうち、あっという間に席が埋まってしまい。いま上ってきた階段をまた降りて一階席に移動。足がいたくならへんように、と気ぃつけてるつもりが、ほんまに何をしていることやら。

とはいえ始発駅。まだまだじゅうぶんに空席はあり、ゆっくり腰おろして、バッグから本をとりだす。終点までは一時間ほどあるから、重たいけれど『ボローニャの吐息』(内田洋子著)を持って来た。

この本まだ買ったばかりなのに、しっかりシミ付きで。というのも届いた日に珈琲をのみながら読み始めよう~と本とカップをパソコンのそばに置いたとたん、ひっくり返してしまったのである。

▲咄嗟に本を持ち上げ、ティッシュペーパーで拭きながら、いや、あかん!パソコンが先や!とオロオロ。机の上、散らかってたメモやらノートやらみな水没。布巾を取りに立つ余裕もなく、ひたすらティッシュでカップ一杯分の茶色い液を拭く(というか、吸う)。
幸いパソコンはなんとか無事だったものの、マウスが壊れてしもたり、読む前から本に派手に茶色のシミつくるわ・・で。図書館の本とちがってよかったものの、ほんま何をしていることやら。(こんなんばっかし。泣)

▲内田本は『ロベルトへの手紙』が去年出たばかり(この本のことはここにも書きました)尽きることのない「種」は、著者の人やものに対する好奇心や、向学心、そのおおらかな愛と行動力がハンパないからやろなあと思う。

あたらしい本が出たらすぐに読む。そのうち忘れてはまた初めて会ったみたいに読んで。はじめから、途中から、最後まで通して、なんとなく開いたとこだけ・・と気の向くままに読むのが、内田本とわたしのつきあい方。須賀敦子の本もそんなふうにして、いつも傍にある。
そして、前々から行きたいと思ってたのに、ぐずぐず思案してるうちに、足の不調で、行けないままのイタリアに、たっぷりと思いを馳せる。

さいしょの話は「ミラノの髭」~著者はある日、中学生の友人ラウラから美術館行きを提案される。連休でラウラの友人たちは出かけていない、共働きの両親は夕方まで帰ってこない、そのかん面倒をみている妹弟もその日は誕生パーティーによばれていない・・ってことで、著者に声がかかったらしいのだけど。そのネットワークの広さは著者の仕事柄もあるとはいえ、そっか~中学生からも「誘われる」ひとなんやなあ~としみじみ。

最初は彼女の母親と「バールや信号待ちで頻繁に顔を合わせるうちに」「目礼から挨拶、立ち話からコーヒー、日曜の公園での散歩」と親しくなる。

ここまではありそうな話だけど、あるとき子守りや家事手伝いを頼んでる女子大生が試験前で来れなくなって「しばらくの間、ラウラの妹弟をうちで預かることになった」というあたりは、内田本を読んだことのあるひとなら「おお、またか~」と思うにちがいない。この方、困ったひとを放っておけないほんまに面倒見のよいひとなのである。

まあ、そういう経緯でラウラともなかよくなったんだけど。

で、そのラウラに誘われる数日前の午後のこと。

著者の家にやってきたラウラは
【天板がガラス製のテーブルの下に入るように言う。そして台所からエスプレッソマシーンや茶碗、皿、ジャム瓶を持ってきて、テーブルの上に並べ置く。ぺたんと床に直座りし、一列に並べた物を見ている。おもむろに仰向けに寝転がってテーブルの下に潜り、私を隣に誘った。

「横から見て、上から見て、下からも見る。見えないところも想像し、触れ合ったときに鳴る音を考える。それからスケッチするのが、今日の宿題なの」

いっしょにエスプレッソマシーンの底や皿の裏側を見る。瓶の底から、ジャムの隙間の向こうに居間の本棚が歪んで見えている。いつもそこにあるものなのに、初めて見る光景だ。使い古した日用品にも、それぞれ見慣れた顔と秘した裏の顔がある。「全部合わせて、一つなのねえ」ラウラは天板の下に寝転んだまま、しきりに感心している。】(同書p12より抜粋)

そうして後日ラウラが再びやってきて、学校に提出した二枚の絵を見せてくれるんよね。一枚は内田さんちの台所の物を題材にした静物画、もう一枚はピカソの作品の模写。つまり「横から見て、上から見て、下からも見る。見えないところも想像」はキュビズムを知るための予習だったという。

「人間もあちこちから見て初めて、その人がわかるのね」というラウラに内田さんはおもう。
【突然、周囲の物々や人々が表裏をさらけ出して目の前に迫ってくるような気がして、中学校の美術の授業に畏れ入る】

【毎日の登下校の道がそのまま古代ローマへの道であり、ルネサンスの残り香が漂う広場でボールを蹴っているのである。目の前で幼い子が躓いた石も、古代ローマの一片なのだ。】(p14より抜粋)

▲中学校の美術の授業といえば、薄い教科書の「単元」のところを開き、最初に「模範作品」を見て、センセに言われたように静物画を、風景画を、ポスターを・・と時間内に描いて、描けなかったら持ち帰って宿題やったなあ。それでもわたしは「自習」っぽいその時間は嫌いやなかったんだけど。
中3のとき教育実習で、美術のセンセとしてやってきた姉2が「教科書通りでいっこも、おもしろない」とぼやいてたのを思い出す。

さて、
20頁余りのエッセイなのに本題の「ミラノの髭」までたどりつけなかったんだけど(苦笑)内田洋子のエッセイは思わず声に出して読みたくなる(読みやすい)文章なのに、読むのはけっこう時間がかかる。投げられたボールをただ受けるだけじゃなくて、ついつい、あれこれ思ったり考えて、行きつ戻りつしてしまうから。

このことについては、以前webのインタビュー記事で内田さんが【かつて、俳句に接し「読者の気持ちがあって完結する書き方」があることを知った。通信社業に長く携わる者としての<材料、部品を提供する>という気持ちも、常に頭にある。

と語ってはるのを読んで、ああそういうことかも~と納得した。

はっと気がついたら、どこの駅だったか若い女性が乗ってきて隣りの席に。すぐにバッグから本を出して読み始めた。何読んではるんかなあ~と、気になりつつも不明なまま(苦笑)終点「出町柳」に到着。

ギャラリーはここから徒歩23分だ。
いつもより一枚薄着で来たけど、ちょうどよく。ぽかぽか陽気の中、すれちがったベビーカーのあかちゃんのぷくぷく白い素足がきもちよさそうだった。

ギャラリーに着くと、ウインドウ越しにJが軽やかな春色のスカート姿で、加えてちょっとよそゆきの面持ちで(!)お客さんと談笑してるのが見えて頬がゆるむ。で、ここまでは旧友J。

今回は「少女手帖」というテーマだそうで、もらったDMの絵も辛夷の花や道端にはたんぽぽが描かれており。扉をあけたとたんパステルカラーの中の少女たちに囲まれる。作品を観ているうちに、わたしのなかで友だちのJは知らんまに「うらたじゅん」という漫画家/イラストレーターに切り替わる。

▲パステルカラーの・・・なぁんて書くと「やさしい」「なつかしい」「せつない」という常套句が浮かんでくるけど。そういうのに騙されたらあかん。目を凝らすと彼女の絵には「ふしぎな時間」への入り口があって。少女たちの弾む声も、ぎゅっと結んだ口も。跳ねて走って、佇んで。ときどき、カッパやクマもすまし顔で登場して。そういうとこがすきやし、そういうとこがうらたじゅんの世界やな~とおもう。

そうそう。
話題にのぼるたびに絶版がほんとうに残念だった うらたじゅん作品集
『嵐電』(北冬書房刊)が近々重版~というニュースを聞いて歓声をあげる。うれしいです。

ギャラリーでは、オーナーのY氏とベイキングの話もして(ご自分でバゲットを焼いてはるそうで。ええなあ。)以前からいっぺん会いたかったツイッター友Nさんとも偶然会えて、久しぶりのひとにも、若いころ会ったきりのひとにも会えて。

べつの友人とお昼を食べに入ったカフェでは、隣席に久しぶりの友だちが居てカンゲキのハグ!
ふだんこもってるわたしには一年ぶりくらい人に会うた気分で。
おおきに~「少女手帖」のおかげで少女な時間でした。


*追記 

その1)

個展は今からやと7日(火曜)のお休みのあと、12日(日曜)までopen 。
うらたじゅん在廊は1112日(両日とも14時~18時)やそうです。

お近くの方は(そうでない方も!)ぜひ。


その2)

今回はパソコンの珈琲掛け(泣)で、パニックって、借りてきたDVDも

ほとんど観ていないという(あり得ん!)状況wです。

観たのは『ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ』一本だけ。


その3)

きょうはエヴァンス聴きながら。

Bill Evans Trio - It might as well be Spring


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by bacuminnote | 2017-03-06 19:37 | 出かける | Comments(5)

ええ天気やから。

▲朝、雨戸を開けるとき戸の内側がほんの少し温かった。
二度寝して起きるのがおそかったのもあるけれど。がーっと重い戸を引くと「待ってました」とばかり、束になって朝のひかりが飛び込んできて、寝起きでまだ固い体がいっぺんに、ほぐれるような気がした。

▲寒いのとめんどくさいのとで、ここんとこ閉めたままだった雨戸も開放して、窓から身をのりだして空を見上げて、深呼吸ひとつ。

冬の真っ青をバックに、枝垂れ梅の紅い小さな花がその細い枝で持ちきれないほど、いっぱいいっぱい咲いて。ああ、ほんまにかいらしい。

ええ天気の日は用事がすむのも早いんよね。
さっさと洗濯物干して早めのお昼食べて、駅三つむこうの町まで~。近くとはいえ、相変わらず「出不精・方向音痴」が出かけるとなると相方まで巻き込んで。北に、西に、と説明されてもわからず。あまりにトンチンカンなこと質問するもんで「しゃあないな。一緒に行ったろか」と言うてくれたけど。

いやいや「ひとりで行ってみるし」ときっぱり宣言、出発。(←おおげさやなあ)なんせ初めて行く町ではないのだ。
むかし住んだ町の近くでもある。そのころ息子1はようやくベビーカーから自転車の前に乗せられるようになって。
駅前のビルにあった美容院は当時は画期的やった託児ルーム付きで、おばあちゃん世代の保育士さんがお母ちゃんのカットの間、こどもをみてくれたんよね。

子連れでもちょっと遠くまで行ける自転車を買ったことも(今みたいな電動アシストではない,ただの「ママチャリ」)ちょっとの間こども預けてカットしてもらえるのも。ものすごーくうれしかった。家計から考えたら安い美容院やなかったけど、二ヶ月にいっぺん。これだけは自分にゆるした贅沢だった。

当時はビジネスビルが立ち並ぶなか、その煉瓦(っぽい)のビルはシックでええ感じやったけど、久しぶりのそれは古びた上に派手な居酒屋の大きな看板が立ち、美容院のあった上階にはテナントの大きなネオンサインが掛けられて、よけいに老体をわびしくみせている。
もう30年以上も経ったんやもんね。街がじっとしてるわけないのであって。

じっさいわたしたち一家の30年の変化いうたら、このビル以上やん~と苦笑しつつ。そうだ。この隣町で一年半ほど住む間、相方は写真の仕事をやめることを決め、じょじょに田舎暮らしを考えるようになって。でも、まさかパン屋になるとは考えもしなかった頃のことだ。

そんなこんなを思い出しながら、グーグルマップで予習してきた通り(苦笑)歩く。目的地はレンタルショップなのであった。電車に乗ってまで、今はなんぼでも動画配信があるのに・・と笑われそうやけど。わたしが観たい映画を配信しているところがみつからないのと、何よりこうやってお店に借りに行くのは楽しくて。
前もって在庫チェックはしてきたものの、来るまでの間に借りられていたらアウトだから、どきどきしながら初めての道を歩く。

平日のお昼やからか、けっこう広い店内にお客はわたし入れて3人ほど。
初めて来たけどわかりやすいレイアウトで、予定通りの4枚もすぐに見つかって。もし、あれば~と思ってたドキュメンタリーの一本が探し出せず、店のおにいさんに聞く。

(ドキュメンタリーの棚はどの店もたいてい隅っこのわかりにくいところにあるんよね。前に行ってた店はAVの暖簾付きコーナーの手前やったので、わたしみたいなんがどーんと道を塞ぐように立ってると、暖簾をくぐりたいお方は大きく遠回りすることになるのであった)

お、あったあった!と思ったその横に、DVDになったのを忘れてしまってた

ドキュメンタリー『ジャニス・ジョプリン little girl blue』を発見。ところが残念ながら一本きりしかなくて、しかも借りられてたんだけど。

レジに件の4枚持って行って「念のため」おにいさんにカウンターに返却ないか聞いてみたら、探してくれて。・・・あ、ありました!よかった!・・で、思わず二人笑顔になる。本屋さんでも図書館でも、レンタルビデオ屋さんでも、こういう瞬間がすき。

ほしかったモン買うてもろたこどもみたいに、帰り道はスキップ。(←あ、気分だけ。いまはこれができんのがほんまに残念)

ビジネス街で生活臭のない通りやから、一本奥に入ったとこのマンションのベランダに洗濯物がいっぱい干してあるのが見えると、なんかほっとする。
ええ天気やし、今日は一日でからっと乾きそうやね~とだれかれなく話しかけたくなる。

駅に着いて、ホームに立ったら電車の乗降位置案内板があって~エレベーター、エスカレーター、階段、トイレの表示(車椅子対応、多目的トイレも)が各駅の何号車近くにある、他線に乗り換えに近い車両など記されていて、さっそく最寄りの駅のエスカレーター近くの車両を確認して乗る。

▲ああ、こんなんが欲しかった!(ただ、じっさい駅に降りてからの案内板がわかりにくかったりすることもあるのだが・・・。とりあえず、方向音痴+膝痛のわたしには大助かり!)

たとえ近くでも、やっぱり出かけるとあたらしい空気が吸えてええな~またええ天気の日に来てみよう。(ちなみに返すのは「ポスト返却」なり)

その翌日だったか買い物帰りに寄った図書館で、いつもは見ない雑誌の棚で『田舎暮らしの本』 が目にとまって、廃刊になる雑誌も多い中まだあるんやなあ~と思いながら手にとった。「田舎暮らし」を決めたころ居た町に行ってきたとこやからか。朝、パンを食べながら「そういうたら、前は次に住むとしたらどこがええ?って、よう考えたよなあ」とフウフで話したからか。(いま思えば、3.12以前はのんきにこんなことをたのしく話してたのであった)

相方がパン屋修行中は大阪近郊の田舎から、三重、和歌山、遠くは高知や大分にまで行って「空き家」探しをしたけど、当時はまだこういう雑誌は出てなくて。もっぱら『自然食通信』(準備号から購読してましたが、残念ながら廃刊) の「情報交差点」というコーナーがたよりだった。(結局はA新聞「声」に投稿したのを学生時代の友人が読んで、連絡をくれたことで、彼女の知り合いのお家を借りることができたのですが)

▲いま調べてみたら『田舎暮らしの本』の創刊は19879月~わたしたちがパン屋を開業すべく滋賀・愛知川(えちがわ)の民家を借りて転居の一ヶ月後のことだ。その時分から、都会から田舎に~のムーブメントが広がり始めていたのだろう。

そうそう、図書館でたまたま手にしたその雑誌のBNは「住みたい田舎 ベストランキング 」の特集で、総合ランキング(曰く、自治体支援策、利便性、自然環境、医療、災害リスクなど106項目でチェックということらしい←すごいなあ)一位が兵庫県朝来(あさご)とあってびっくり。

朝来というたら、わたしがここにもしょっちゅう書いてる旨い岩津葱の産地で。生産者のI君とおいしい葱を紹介してくれはったのは、ウチのパンのお客さんだったHさんで、おなじく朝来に移住組。
これは次回配達に来てくれはったときに「朝来、人気やねえ!」と言わなければ、と借りて帰って。パラパラみたら、なんとそのI君一家が「移住者探訪」の記事に載っており。

▲そうそう、長いこと珈琲豆を配達してくれたD君とその家族も、今春より就農のため、信州・伊那へ越してゆく。
そのむかし家族で田舎暮らしをスタートしたときの「知らんこと」「わからへん」ことだらけの中、それでも希望いっぱいやった頃のこと思い出しつつ。別れるのはさびしいけど、若い人らが新しい地でも、どうか元気で家族仲よう、ええ空気いっぱい吸うて、畑と共に、「不便」もまた楽しめる暮らしでありますように。よいであいがいっぱいありますように。
春はもうすぐそこやで~



*追記

その1)

今回観た映画(DVD)

「太陽のめざめ」
カトリーヌ・ドヌーブ演じる判事も、育児より自分の青春に走った母親のもと「保護」された少年マロニー、大きくなってからのマロニーも、とてもよかったです。荒れに荒れたマロニーの心を、解きほぐすのは並大抵のことやなく。こういう話を見聞きするたびに胸がいたい。そして現実は小説や映画を越えてもっと苛酷なんやろうし。

ただただ、こどもらを信じること。これができるかということやと思う。
それから施設のありかた~ひとのきもちが近くに感じられるキョリ、少人数が大事なんやろなあと思いました。ああ、でも、どんなにいい施設よりも家庭の(血縁に関わりなく)温もりのあるとこで、こどもは育ってほしいです。
原題”LA TETE HAUTE"は「頭を高く」という意味だとか。誇り高く生きるということでしょうか。バックでながれる音楽もよかったです。


「ジャニス  リトル・ガール・ブルー」
いやあ、レジで聞いてみてよかったです。
ジャニス・ジョプリンは前に「わがこころの」とつけたいミュージシャンです。心身共に悩みも多くコンプレックスのかたまりみたいやった高校生のころ、ほんま擦り切れんばかりに繰り返し聴いたジャニスが、おなじく高校~大学生のころ、こともあろうに容姿でからかわれたりいじめられたりしていたこと知りました。彼女のうたがいつにもまして刺すようにせつなく痛かった。
でもすばらしかった。これはDVDやなくて映画館で大音量で聴いてみたかったなあ。
劇中「フェスティバル・エクスプレス」のいち場面か?同じくらいすきなJガルシアと、ほんと楽しそうに笑ってしゃべってる、ふだんのジャニスがいとおしかったです。


「奇跡の教室  受け継ぐ者たちへ」→高校生たちの表情がよかった!

「神のゆらぎ」→宗教(信仰)について考えました。

「素敵なサプライズ」
思いがけずAgnes Obel の"Brother Sparrow"(←すき)が流れてびっくり。このところ、安楽死をテーマにした映画が多い(気がするけど)のは何故かな。たいていの作品は肯定的なのですが、それゆえに唸るところもあって。まだ考えがまとまりません。


その2)

読んだ本のことが書けなかったけど、一冊、絵本。

「星空」(作・絵 ジミー・リャオ 訳 天野健太郎 )

はじめに真っ黒な頁に白い字で
【顔をあげて、星空を見上げれば、世界はもっと大きく大きくなる・・・・】

つぎに

【世界とうまくやっていけない子供たちに】 とあります。

何か書こうとしたけど。
ああ、やっぱりこの絵本は手にとって観て、読んでほしいです。ゴッホの「星月夜」がテーマになっています。


その3)

「星月夜」といえば、この曲。前にも貼ったことありますが。

Don Mclean(Vincent Starrry Starry Night


そして、やっぱり今日はjanisを。この笑い!!Mercedes Benz


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by bacuminnote | 2017-02-22 14:26 | 出かける | Comments(2)

ひとりになりにゆく。

その日は、前の晩カッカすることがあって(フウフげんかともいふ)よく眠れなかった。今はもう若いときのような元気はないから。はげしく言い合ったとしても(こういうエナジーはまだあるw)お互いにしんそこ納得してへんかっても、翌日まで「持ち越し」はなくなりつつあるんだけどね。(それゆえに、またおなじことをくりかえすのである。)

▲やがて、ねぶそくの朝がきて。ぼんやりした頭で雨戸開けたら、冬の真っ青な空とか、お陽ぃさんとかが、胸にきゅーんとストレートに来て。
そうだ。映画館に行こうとおもった。

「春昼をひとりになりにゆく映画館」(火箱ひろ)~である。

『未来を花束にして』 のことは上映前からその邦題が「あんまりだ」という声はネット上で見ていたものの、恥しながら原題の「Suffragette(サフラジェット)の意味も、よく知らないままの映画館行きで。

くわえて、いつもやったら予告編も日本版とオリジナル版と必ず両方チェックするのに。今回は日本版しか観ていなかったんやけど。
想像していたのとは違っておもいのほかハードな作品で。でも、うれしい誤算。よかった。

物語は1912年ロンドンから始まる。
主人公はこどもの頃から洗濯工場で働く24歳の女性、モード(
キャリー・マリガン)。同じ職場の夫のサニーと幼い息子と3人、貧しいけれど穏やかに暮らしてる。


ある日モードは街に洗濯物の配達に出た帰り、こども服が飾られた店のウインドウをうっとりのぞいていると、いきなりそこに石が投げられガラスが飛び散って、びっくりして逃げるようにバスで帰ってくる。

これがモードとサフラジェットとの初めての出会いなんだけど。

最初はおずおずと遠くから覗くようにしていたこの運動に、ひょんなことから関わり、もしかしたら「自分にも他の生き方ができるのでは」と思うようになって。
実在の人物で女性社会政治同盟のリーダー エメリン・パンクハースト(メリル・ストリープ)の演説を聴き、モードはやがて積極的に闘い始める。


彼女が「おとなしく」「がまんしている」ときは、やさしかったはずの人(男)たちに、職場を解雇され、家を追い出され、あげく愛しい息子にさえ会えなくなって。

けど、モードはとつぜん変わったわけじゃない。
こどもの頃からの劣悪な環境にも、工場長からの許しがたいセクハラやパワハラにも。いつも、ずっと声を押しころして泣き、がまんしてがまんして。
「怒りの火種」はきっとからだの奥底につねにあったんやろなと思う。

そして、その間(かん)のモードの表情の変化というたら。もう泣きそうになるくらいに、感動的だった。

ひとが自分というものを持ったときに初めて発するもの。

それは親子間にしろ、夫婦間にしろ、「上」から見てたら、もしかしたら鬱陶しいものに映るかもしれないけれど。おなじ線上に立ってみたら、どんなにうつくしいことか。キャリー・マリガンがそれをとてもよく演じていた。

一方で警察権力の弾圧も、それはもうすさまじく。
まだ長い丈のドレス姿の女性たちが殴られ蹴られ引きずられる場面、逮捕の後 彼女たちのハンガーストライキに対する処置として、拘束して強引に漏斗でミルクを流し入れる場面など、たまらず、その間じゅうわたしは椅子から腰を浮かしっぱなしだった。

▲”サフラジェット”は当時あった女性参政権運動のなかでも先鋭的といわれたグループらしく(穏健派はサフラジストと呼ばれたらしい)劇中「言葉より行動を」のスローガンが何度も登場する。

実際、冒頭の投石だけでなく、いくつか爆破場面も描かれるんだけど。
果たしてこれを暴力というのだろうか、と観ている間じゅう(いまも)考えていた。

そもそも、女性が発言できる場も機会も、その権利すら奪われているのである。
政治も社会も新聞も、みな男たちに牛耳られているなかで、どうやったら自分たちの「女性にも選挙権を」と訴えられるのか。注目されるのか。都市部だけじゃなく、その思いや願いを国じゅうに広め、伝えることができるのか。そのためには「言葉より行動」しかなかったんじゃないか。

▲映画ではモードを追う警官と夫の 良心や揺れている内面も描かれていた。
社会の規範でぎゅうぎゅうに縛られているのは(ある意味)男性も同じかもしれない。
ただ、工場長に至っては同情の余地もなく、予告編(日本語版ではカットされてたシーンのひとつ)にもでてくるアイロンの場面では映画館ということも忘れ大きな声を出してしまった。(観客はわたしも入れて6人しかいなかったけど。ほんますみません)

▲それにしても。

女性にも参政権を、という今からしたら「当たり前」と思うようなことだけでも、その権利を獲得するのに、これほどの闘いがあったとは。
エンドロールで女性の選挙権が認められた年と国の名前が順番に流れてゆくんだけど。決して大昔のことではないんよね。
そして、それらは過去形ではなくまだまだ現在もつづいてる。

そうそう、JAPAN1945年~)が入ってなかったのは何故だろう。

家に帰ってからつれあいに映画のことをしゃべりまくる。(前夜のことは棚の上に置いといて・・苦笑)そうして見ていなかった英国版予告編 をふたりで観て、日本版 とのあまりのちがいに驚く。(ぜひ、見比べてみてください。どの場面がカットされてるか、というのは大事なとこやと思う。)

▲タイトル(邦題)だけでなく予告編まで、まるでちがう作品になってしまって。くわえてポスターも色や雰囲気のちがいだけでなく、コピーもまた
英国版は”TIME IS NOW ”(今やらなければ)が、日本版は「百年後のあなたへ」だった。この「時間差」は何なんやろなあ。


*追記

その1

この間『戦争とおはぎとグリンピース  婦人の新聞投稿欄「紅皿」集』→ (西日本新聞社2016年刊)を読みました。

タイトル通り、西日本新聞の女性対象の投稿欄からこの欄が始まった1954(昭和29)年~1967(昭和37)年の「戦争」に関する投稿作を掲載したものです。

このころ、西日本新聞だけでなく、朝日新聞でも1948年「乳母車」を皮切りに1955年には「ひととき」と改称されて「婦人の投書欄」が始まったようです。雑誌でもそういうコーナーが出てきたり。で、【声を発する女性たちの勢いに、「書きますわよ」という言葉が流行したほどです。】(同書「はじめに」より)

敗戦後10年足らずの頃のことで、文章のあちこちに「戦死」「貧困」「母子家庭」「引き揚げ」「墓参」「やりくり」などのことばが出てきます。

書き慣れたひとの文章から、もしかしたら大人になって「書く」のは初めてかも、と思うひとの、しかし力強く緊張感のある文章も。

戦後のきびしい生活を、みな自分の言葉でほとばしるように綴っています。

そして共通するのは「もう二度とこんな思いは」という戦争への強い拒否の意思です。けっこう若いひとの投稿も目立ちます。


心に残ったのは「派出婦日記」という題の1959年の投稿作。
筆者は長崎の方で49歳。20人ほどの女給さんのいるキャバレーで、
そのうち半数以上は住み込みやから、寄宿舎のおばさん、といった感じで炊事や洗濯の仕事をしてはるんよね。

【夜は毒々しいほどの化粧で外国人客などを相手に、踊ったり歌ったりの彼女もたちも、朝はお寝坊女学生と変わりはないし、昼をヒマさえあれば口を動かしている食いしんぼうさんに過ぎない】(p122 )

・・・と、母親みたいな眼差しで女給さんを、というより若い娘さんたちを見つめてはって。

【ウソとチップでかせぐ彼女たちも、同じ働くもの同士ではクロウトなどという呼び方がおかしいほど、素直で女らしいふん囲気をもっているのだ。】と結ぶ、やさしい文章です。(同書p123より抜粋)


そういえば、わたしも「ひととき」には、20代のはじめに初投稿しました。
1980年に『人と時と  朝日新聞「ひととき」欄で綴る25年』という本がまとめられ(1955年~1977年までの投稿作 5835編から421編がテーマ別に編集)そのときのわたしの一文も「人 /結婚」の章に掲載されました。
これ『自身の「女」を生きる』とタイトルだけが突っ走っており
(タイトルは文中のことばを引用して、新聞社の方がつけはるのですが)ひさしぶりに読み返して若い自分に、ああ赤面!


この本のあとがきの文章を読んで、「胸がおどる」ということばに、改めてじんときています。

【「戦後の世の中に少しでも風通しをよくしたい」との意図であったそうですが、二十一年十一月に新憲法が公布され、男女が平等の地位を獲得したとはいうものの、封建社会の中で育った私たち女に、戦後初めて自己を主張できる場を与えられた喜びは、いま思い出しても胸がおどります。】
(『人と時と』あとがきより抜粋)


その2)

今日はこれを聴きながら。

”Suffragette"予告編の最後のほうで流れてる曲。

Robyn Sherwell – Landslide →


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by bacuminnote | 2017-02-11 21:21 | 映画 | Comments(3)

空の港に。

▲いつものように、夕飯を拵えながら、ちょっとひっかけながら(!)母に電話をかけて話してる間に、その日が父の命日だと気がついた。
「せやから電話かけてきてくれたんか、と思ったのに・・・」という母に「ついこの前まで覚えててんけどなあ~いつのまにか忘却の彼方や」と、言い訳して笑う。
ていうか、もうそんなふうに笑えるくらい時間がたったんよね。
あの日から30年~いつのまにか父の享年に末っ子・四女のわたしが近づいている。

▲その数日前のこと。
帰国中の友人に会うべく伊丹空港に行ったんだけど、モノレールに乗りながらふと父のことを思ってた。
伊丹発の早朝の飛行機に乗る、というので父が前日わたしらが住んでたアパートに泊まったことがあって。父が娘のとこを訪ねることも、まして泊まるなんてことは、姉たちも一度も経験がなく。

▲どうしてそういう展開になったのか、よく覚えていないんだけれど、相方がホテルに泊まるより「ウチに来てもろたら?」と提案してくれたのだと思う。そして父もまた彼のことばがうれしかったのかもしれない。
息子もまだ小さかったしわたしは家で待ち、彼が地下鉄で天王寺駅に父を迎えに行った。

▲ところが、食べものも好き嫌いが多く、病弱だったこともあって母を始め周囲がさんざん甘やかしたわがままな人やったんで。父が来てすぐわたしは招いたことを後悔した。
そもそも、衝突ばっかりの父娘やったのに。
ケッコンして家を離れて、父も娘も、お互いちょっとやさしい気持ちになったんが間違いやったんよね~(苦笑)

▲なんどとなく「ほんまにもぉ~」というきもちをしずめて、翌朝「いってらっしゃい」と相方の車で空港まで行く父をぶじ見送って、しんそこほっとした。
その後、海外に行く体力もなくなったのか、父が娘のところに泊まったのは、後にも先にもそのとき一回きりになったから。記念すべき一夜ということになるんやけど。

▲あの日、初めて下ろしたふかふかの客用布団も今ではすっかり「せんべい」になってしもたけど。薄いブルーのそれを干すたびに、父が「寒い、暑い」とうるさかった夜をおもいだす。
夕飯には何を拵えたのか、すっかり忘れてしもたけど、わたしが淹れた甘い紅茶だけは「うまいなあ」と言うて、飲んでたんをおもいだす。
おとうちゃん、そっちの紅茶も あーまいか?

「秋の夜や紅茶をくぐる銀の匙」 (日野草城)

▲さて、モノレールで空港行きは旅行気分だ。
「空港」って”airport“そのまんまの訳やったんやろけど、「空の港」とは、なんとすてきなことばなんだろ。行くあてもないのに、窓から見える飛行機にわくわくして、空港内を大きなキャリーバッグ押して歩いてる人らをつい立ちどまって眺めてしまう。

▲待ち合わせのカフェで、先に来ていた友人が「こっち、こっち」と手を振ってくれる。
旧友のごとく再会をよろこびあったが、会うのはまだ二度目なんである。そして、初対面のそのときもこの空港だった。

▲インターネットなんか、と思うときもあるけど、ネットのおかげで出会えたかけがえのない友人は少なからずいて。そうでないと、こうやって海をこえ、うんと遠くに暮らす彼女と、むかしからの友だちみたいに、楽しく尽きることのないおしゃべりは叶わなかった。
つないで、つないで、つながった線に、そのふしぎが、おもしろい。そんでその「偶然」のおくりものに、心からおおきにと思う。

▲豆腐料理をたべながら、近況報告のあと、いまの英国の政治や福祉、医療、NHSなどの話を聞く。弱者切り捨ての政策は、この国が着々と後追いしてるかのようで、あらためて暗澹とした気持ちになる。
話したいことも聞きたいこともいっぱいあって、しゃべる、たべる、わらう、しゃべる・・・であっという間にバスの時間になった。

▲そういうたら、彼女が今回空港内ホテルで二泊して、空港で暮らしてる気分だった~と言わはって、「そんな映画あったよねえ」という話になったんだけど。
『パリ空港の人々』と『ターミナル』やね(その場で、すっとタイトルが出てこないお年頃・・・苦笑)

▲『パリ空港の人々』はモントリオールの空港で居眠りしている隙に搭乗券以外の所持品すべてを盗まれてしまったという男性が、パリのドゴール空港で拘留され、そのまま空港内トランジットゾーン(外国人用処理区域)で同じ境遇の人たちとであい、そんな空港の中で共に「暮らす」話なんだけど。
もともと、ひとは国籍も人種もなくただの「人間」でしかないんよね。
空港という場所が、本来の意味どおり、だれにでも、どこにでも開かれた港であったらええのに、と思う。

"Love Actually"opening scene : heathrow airport
落ちて行く機内で「 Head down! Stay down!」と

*追記

その1)
その数日後、急におもいたって観て来た『ハドソン川の奇跡』(原題”Sully”クリント・イーストウッド監督)→は、空港に行ったからというわけやなかったんだけど。
実際に2009年1月に起きたNYハドソン川に不時着水した航空事故の話で。機長のサリーをイーストウッドが、静かに淡々と描く。乗客全員助かることはわかってるのに。head down! stay down!というスタッフたちの声に、どきどきした。

『ターミナル』~そういえば、この映画も『ハドソン・・』同様 主演はトム・ハンクス。あんまりすきやないけど(すまん)芸達者な役者さんやと思います。予告編(字幕なし)→

おなじ空港の物語ではわたしは『パリ空港の人々』のほうがすきですが、予告編探したけどみつからず。以前すこしここにも書きました。(追記の欄です)→

その2)
昨日から読みはじめた本『台湾生まれ日本語育ち』はタイトル通り台北で生まれ、三才まで台北育ち、その後は日本で暮らす温又柔さんのエッセイ。図書館でリクエストいれて待ってたけど、順番を待ちきれず購入。

この本、さいしょ「はじめまして」のあと
【姓は、温。名は、又柔。合わせて「おん・ゆぅじゅう」と言います。続けて言うと「おんゆうじゅう」。ちょっぴり、おまんじゅう、に似ているのが自慢です】とあって。
webで拝見した写真をおもいだして、温又柔さんのまぁるい温かな笑顔が浮かんで、頬が緩みます。

台北といえば、わたしの初めて海外旅行は、二十歳のころ母と行ったシンガポール・マレーシア・台湾への旅でした。レストラン関係のメンバー十数人の小さなツアーだったので、「食べる」ことには屋台から高級レストランまで、食いしん坊には大満足の旅で。台北では最初に圓山大飯店に行きました。
そのあと母とふたりで街に出て、うろうろして一軒の古びた町家風のお店に入って、お茶をのみました。お店のおばあちゃんが出て来て「日本語」で話しかけてくれはったことを思いだします。日本語を教え込まれた世代ですよね。

そうそう、温又柔さん、このまえここに書いた『屋根裏の仏さま』のレビューでこんな風に語ってはりました。

【私の場合、母のことばを忘れることとひきかえに覚えたことばは、オバアチャンのことばだったのです。台湾人の私の母は、中華民国の国民として中国語を学びましたが、日本統治下の台湾で少女時代を過ごした私の祖母は、中国語ではなく日本語を教わりました。
 そのことに思い至り、アメリカで故郷のことばとしての日本語をどうしても忘れられなかった女たちの声と、台湾で宗主国のことばとして日本語を学ばなければならなかった女たちの声とが、胸中でにわかに交錯するのを感じ、眩暈をおぼえます。】 
(『をちこちマガジン』~台湾系日本語人がゆく Japanophone Taiwanese, That's What I Am!~ ”『屋根裏の仏さま』を読みました(前篇)”より抜粋)→

その3)
台湾というたら、きのう”原発全廃へ 福島第一事故受け、25年までに停止” のニュース!→

その4)
今日はこれを聴きながら。
映画『ハドソン川の奇跡』より。

Flying Home Sully's Theme→

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by bacuminnote | 2016-10-23 22:13 | 出かける | Comments(2)