いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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濃い色から淡い色に。

空が急に暗くなったので、軒下の洗濯物を家の中に入れた途端、雨が降り始めた。いきなりの大雨と雷は空が割れるんやないか~と思うほど大きな音で、洗濯物を腕にいっぱい抱えたまま立ち尽くす。ちょっとした雷でも、きゃあきゃあ大騒ぎするこわがり(←わたし)は、こわすぎると逆に無口になり、くっと息を潜めて「嵐」が通り過ぎてくれるのを待つのだった。

▲幸いはげしい雷雨はいっときで終わって、雨のあがった後、辺りはしーんとしてる。短時間とはいえ一気に水浴びした緑たちが、薄暗い庭のむこうで、今にもごそごそと動き出すんやないか、と思うほど生物(いきもの)らしい表情を見せており、ちょっとこわいようなうつくしさに見入っている。窓からは涼風(すずかぜ)がすいーっと入って来た。

▲ぼんやりしている間に7月になった。
ケッコンしてから7月は二人の母の誕生月になり、いつも何を贈ろうかとあれこれ悩んだものだった。
義母に初めて誕生祝いをしたとき~たしかそれは白地に紺のシンプルな幾何学模様のブラウスだったとおもうんだけど~包みをバリバリと開け(義母はいつもゴーカイに包装紙を破き、リボンでくるくる巻いてゴミ箱に。母はというと、留めたセロテープさえも爪の先でそろりと剥して包装紙もリボンもぜんぶ取っておくタイプ)ブラウスを胸に当てるや「うれしい」と泣き出さはったんで、びっくりしたりカンゲキしたり。

母の誕生祝いを娘らが贈るのはごく自然のことだったけど、義父もつれあいも義母にそういうことはしたことがないらしく「ウチとこは、だーれも祝ってくれへんから、わたし自分の誕生祝い用に毎月掛け金してたんよ。一年たって満期になったら、それで自分で何か買うてお祝いしててん」と泣き笑いしながらその場ですぐにブラウスを着てみせてくれて、うれしかった。

▲なんというても「自分のための掛け金」というのが新鮮で。なかなか「自分のため」にお金を使わない母にも教えてあげなあかんなあと思ったものだ。そんな義母の誕生祝がいらなくなってもう三回目の7月だ

そういうたら、母のことは「母の日」に誕生日に、と忘れたことなかったけれど、父のことは時々知らん顔で過ごしたっけ。とりわけ「母の日」には娘らから何やかやと送ってくるのを「おまえはええなあ」と羨ましがっていたらしく。いつだったか母から「(お金は)わたしが出すし、お父さんにも父の日に何か贈ってやって」と電話がかかったことがある。

果たして、そのとき父に何か買うて送ったのかどうか全く記憶にないんだけど。母が娘らからの贈り物の包みを開けるそばで、拗ねたように新聞読みながらその様子をちらちら見ている父の姿が浮かんで、今更ながら笑うてしまう。

この間、三番目の姉がこどものときの写真をメールで送ってくれて、その中の一枚はわたしもだいすきな写真なんだけど、残念ながらわたしと母は写っていない。(わたしが生まれてまもない頃やろか)コート姿の父がしゃがんで、姉二人が両脇に、三番目の姉が父の膝に小さな片手を置き座って笑っている。父は若いときの佐田啓二みたいに、ちょっとおとこまえで「マイホームパパ」みたいにやさしく微笑んで。姉と「写真はうそつきやなあ」と笑う。


▲時代も家業も「成長期」で、とにかく年中忙しい家やったから、お客さんや近所の人に娘四人のことを「お嬢ちゃんばっかりで、にぎやかでよろしおまんなあ」とか言われると、いつも「つまらんけど、まあ、女の子やさかいに(家業や家事手伝いに)よう間に合いまっせ」と、父が答えていたのが、こども心に腹立たしかった。

▲思春期になると「待ってました」とばかりに父に反抗しては、そんなとき決まって返される「だれのおかげで学校に行かせてもろてるねん!?」には、よけい反抗心を燃やしてた。(一度「お母ちゃん!」と応えて、激怒されたっけ)

先日、是枝監督のエッセイ「父の借金」を読んだ。(是枝裕和対談集『世界といまを考える』第三巻 PHP文庫 所収)

是枝氏がお父さんのことを語っている文章は何度か読んだことがあって。だから【台湾で生まれ、従軍し、満州で敗戦を迎え、進駐して来たソ連軍に捕虜にされ極寒のシベリアに連行された。そこでの三年近い強制労働を何とか生き延びた末に初めて本土の土地を踏んでいる】(p385)ということは知っていたのだけれど。

タイトルにある「借金」の大変さは、だれよりも氏の母親が何度も味わうのだが、大人のしんどい状況は、たいていこどもにとっても辛い状況なわけで。ふいっといなくなる父親と、借金の不安はいつまでも消えない。そうしてお父さんは八十歳のとき、自宅からバス停に向かう道で突然倒れて亡くなる。

遺族にとって、一番心配だったのが、どこからか大きな借金が出てくるのではないか?ということだったそうで。母親には内緒で氏はお姉さんと父親の持ち物を探り、一枚の消費者金融のカードをみつける。

▲借り入れ額は、意外に少額で146130円だったらしい。ところが7年ちょっとの間に200回以上も返済と借り入れを繰り返してることがわかる。八千円返済して同時に五千円借りて。九千円返して六千円引き出し。九千円返して一万円借りる・・・というふうに。

▲消費者金融の分厚い明細を首をかしげながら息子が繰ってるようすは、なんだか是枝監督の映画の一場面を観ているみたいだ。可笑しいような哀しいような。それでいてやっぱり訳わからんお父さんのエピソードだけど。ひとはわからなさの中で生きているんやろな~としみじみ思う。他人のことも自分のことも。

そうしてわたしが父親にたいするきもちも、訳わからんまま、許せないと赦すを行き来しつつ、でも少しづつ色が変わってきてる気がする。寒色から暖色に。濃い色から淡い色に。

【僕が描いてきたのは、不在の父の役割を担い、子供時代を奪われたまま成長する少年や、家の中での居場所を失い、自分が稼いで建てた家を孫からは「おばあちゃんち」と呼ばれることに不満を抱く引退した医者の父でしかない。父は常にどこかで屈折し、居心地が悪い。そして、そんな父の苦悩は周囲からは理解されず、謎として処理される。それが、僕の父に対する実感なのだと思う。】(p384

【僕の父は死してなお謎のままではあるが、しかし、それは闇の中に不安や恐怖とともに存在する謎ではもはやなく、どこか暖かさを感じる光のようなものに変質している。それは僕が父になったこととどれ程関連しているのか?僕自身にも未だわからない。】(p392


*追記

その1)

是枝監督の対談集は1~3まであって、対談の相手もさまざまでおもしろく読んでいます。今回エッセイ(初出は『考える人』2015年冬号)にはお父さんの話にビクトリ・エリセ監督の『エル・スール』(←だいすきな作品)を重ねていて、この映画もまた久しぶりに観たくなりました。

この第三巻の最後は鴨下信一氏との対談「ホームドラマにおける芝居とはなにか」には、山田太一脚本の『岸辺のアルバム』から懐かしい『天国の父ちゃんこんにちは』まで語られていてうれしかったです。


『天国の・・』は1966年から放映されていた連続ドラマで、わたしは小学生の頃観ていたのですが、大人になって、「ひととき会」(朝日新聞「ひととき」欄に掲載された人たちの会)に一時期入り名簿に原作者の日比野都さんのお名前を見つけて、おお!とカンゲキしたことを思いだします。

ドラマのなかで何度も出てきた詩(主人公の「パンツやのおばちゃん」が亡き夫からプロポーズされたときの詩)もよく覚えています。

*このテレビドラマの一部(動画)を見つけました。劇中(3分あたりから)~園佳也子さんがこの詩を朗読してはります。→ もう主演の森光子さんもこの園佳也子さんも故人となられましたが。


【貧しいから あなたに差し上げられるものといったら

やわらかな五月の若葉と せいいっぱい愛する心だけです。

でも、結婚してくれますね。】


その2)

ペーター・ヘルトリング が亡くなられたそうです。

大人になってから、こどもの本を読むきっかけになった作家でもあり、いっときはわたしだけやなくて、息子も夫もよく読んでいました。『ヨーンじいちゃん』『ヒルベルという子がいた』『ひとりだけのコンサート』『クララをいれてみんなで6人』・・・と思い出す本がいっぱいです。(ここで少し書いたのは彼の自伝的な本『おくればせの愛』→


その3)

今回書けなかったけど読んだ本。
『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女』(上間陽子著 太田出版)→


その4)

観た映画。(よかった!)たいてい観たいと思う映画は、わたしが諸々の事情で行きにくい映画館でかかってて、いつも諦めてるのですが、これはわたしでも「行ける場所」だったので、迷わず行ってきました。

「トランプ政権がイランをふくむ特定7カ国へのビザ発給制限と入国の一時禁止を検討しているとの報道を受けて、主演女優タラネ・アリドゥスティとアスガー・ファルハディ監督も〈もし私の渡航が例外とされても到底許せない〉と声明を発表」~授賞式を辞退ということで話題にもなりましたが。

『セールスマン』


その5)

きょうはこれを聴きながら。
Patrick Watson - Shame


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by bacuminnote | 2017-07-11 09:21 | 本をよむ | Comments(0)

▲6.15なんという一日のはじまり。

いつもコンセントも抜きっぱなしのテレビに、それでも受信料をあえて払い続けているのは、国会中継など「ここ」というとき観たいからなのに。NHKは今回(も)中継をしなかったから。朝いちばんの珈琲も淹れずにパソコンの前に座った。

何もかも念入りに仕組まれた、でも、ちっともおもしろくないドラマを見せられている気分で。むかむかする。いや、ドラマだったら画面の向こう側で何が起きようが、気に入らなければスイッチを切ったらそれで全部お終いにできるけど。もはやそんなのんきな話ではなく。

前にも読んだ『茶色の朝』の恐怖を思いだしながら(ここに書きました )この本の解説にあった高橋哲哉氏の【やり過ごさないこと、考えつづけること】を自分に言い聞かせる。

そんな重いきもちとは裏腹に、梅雨ながら毎日ええお天気がつづいて。今日も又すきとおった青空がひろがる。刷毛で掃いたような雲が「何あほなことばっかしやってるねん!」と人間を笑い飛ばしてるみたいに見える。

庭の緑は(草のことデス)このまえ刈ったとこなのにもう伸びて。ぐんぐん伸びて。「七月や既にたのしき草の丈」っていう日野草城の句があって。最初「たのしき」やなんて。よう言うわ~(苦笑)とか思ったのだけど。

後日この句が草城の晩年に近い時期、病気療養のさなかの作句と知って、そうか。せやったんか~草の勢いに「生」を思ってはったんか~としんみりする。けど、ふりかえってみるに、わたしも友人たちも若いときは快活とか、精気みなぎる~みたいなのはなんか恥しいと思ってて。服装でも生き方でも、ちょっと草臥れたような、枯れてるのが、かっこいいと思ってた気がする。

▲いまはもうみなぎる精気などはないから。映画館のシルバー料金をなんの証明も要らないことにちょっと不満なおばちゃんであり。若い日の老成のフリが愚かしくもあり、いとおしく思える。

さて、晴天続きってことで、午後に買い物や用事に出ると保育園のおさんぽや小学生が校外学習?から学校に戻るところに、たびたび出くわす。ぞろぞろ、ぞろぞろ長い列だ。暑いし、だらけてる。あっち見て、こっち見て。歌をうたう子、大きなあくびの子。前とうしろで、足を蹴った、蹴らないで、けんかする子。通りすがりのおばちゃん(わたし)に手をふってくれる愛想よしから、口をぎゅっと結んだ不機嫌な子も。

ああ、にぎやか。皆それぞれ、ばらばらで。センセはさぞかし大変やろけど。ええなあ。こういうのすきやなあ~と後ろ姿を眺める。そしてその後ふと、この子らにあんな国会のようすを、嘘と詭弁にまみれた政治家たちのうす汚れたことばを、大人たちはどうやって説明できるんやろ、と思いながら、歩く。

この間からリハビリの待ち時間に『ボーイズ イン ザ シネマ』(湯本香樹実著 キネマ旬報社)という本を読んでいる。わたしの持っているのは初版1995年刊なんだけど、初めて読んだのはずっと後。だから中に紹介されている映画の上映が終わっているだけじゃなくて、DVDにもなっていないものが多くて、観る機会がないのはとても残念。(本も絶版のようで残念)

それでも、ふしぎなことに観たいくつかの作品についてのエッセイより、むしろ観たことのない作品について書かれたものが印象に残って。文章から想像してちょっと「観たような気になってる」ものの、実際には観ていないからそのうち忘れて。しばらくしてまた初めて読むきぶんで本を開く・・というようなことを繰り返してる。ああ、これこの前も読んだなあと思いながらも、書かれている著者のこども時代のエピソードがそのつどたのしい。

そのなかの一篇『アーリー・スプリング』は、【ある日、私は穴を掘りはじめた。穴のなかに秘密を埋めるのだ】と、始まる。いや、これも映画の話じゃなく著者のこどもの頃の話なんだけど、気になる書き出しだ。(この方の「始まり」はいつもええ感じ)

最初は母親にもらったクッキーの缶にだいじなものを入れる。字はまだ書けなくてりんごの絵を描いてハサミやのりやガラス玉のついた指輪や牛乳瓶のフタを入れて。そして、それをどこにでも持ってゆく。これ、たぶん女の子でも男の子でも覚えのあるシーンだと思う。

つぎに母親の鏡台の抽斗のひとつを専用の抽斗にもらうことになる。鏡台の抽斗と聞いただけで、わたしも当時母のつかってた乳液の瓶やヘアーブラシが浮かんでくるようだ。うれしくて、著者は大好きなワンダースリーのシール(手塚治虫のSFテレビアニメ)を貼って、いきなり母親に叱られ断念。次に思いついたのが、だいじなものをクッキーの缶に入れてそれを「埋める」という方法で。著者はいっとき家の庭じゅうを掘って掘って掘りまくるんよね。

そういうたら、わたしもラムネの瓶から取り出したビー玉を姉からもらって、庭に埋めたことがあったっけ。はじめは、毎日のように場所をたしかめて、追加にボタンや川原で拾ったきれいな石とかも入れたりしたのに。そのうち確認を怠って(苦笑)はっと気がついたときは、どこかわからなくなってしまった。
だいじにしなければ、と思うものはだいじにしすぎて(?)仕舞いこんで、それがどこだか忘れてしまう~というこまった癖は未だ治ってないんだけど。

▲やがて著者は中学校に入って、鍵のかかる抽斗のついた机を買ってもらい「秘密を隠す場所探し」はとりあえず終わることになる。
【私はいつも、その鍵を持ち歩いた。ひきだしの中身より、鍵が宝物みたいだった】(p16)この感じよくわかるなあ。わたしの場合は鍵付き日記だった。あこがれのそれを初めて手にしたとき、こんなのでちゃんと閉まるのかと思うくらい錠前も鍵も小さくて。指先でつまむようにして鍵をもって鍵穴に入れて回すと、カチッと錠が開いて。そんなん当たり前やのに、そのことにカンゲキして、中に何書こうかとドキドキしてた。

▲こんなふうに本を読みながらわたしは著者の思い出話から自分のこどもの頃へと、何度も何度も飛んで行ってる。すっかり忘れてしまってたようなことが、ふいに目の前に現れて。しばしタイムスリップしたみたいに「そのころ」を歩いてくる、というトリップを楽しんでる。たまに思い出したくなかったことも見えたりするんやけど。

そうそう映画のことは、最後の6行に書かれているだけ。湯本香樹実さんのこのセンスだいすき。(いつも長々しゃべりすぎのわたしのあこがれ)
この映画観たいなあ。(予告編

【『アーリー・スプリング』のエスターを見ていると、心のなかの秘密のひきだし、そこにおさめられた秘密ののぞみ、そんなものが世界の半分を占めていた頃のことを思い出す。少女のリアリティが心身両面から立ちのぼってくる、素敵な映画。エスターが駄菓子やパン類を頬張っているシーンがたくさんあって、そういうところもなんだかうれしくなるほど女の子そのものなのだ。】(同書p1617より抜粋)

*追記

その1)

思春期の鍵付き日記はともかく。社会にむけて自分の思いや考えに鍵をつけなくてはならないなんて、とんでもないこと。まして、その鍵をだれかに管理されるなんて、あってはならないこと、と思います。

その2)

このあいだ、本屋さんの絵本のコーナーに行ったら『たねがとぶ』という本と目があいました。どこかで見たことのある本だと思って奥付をみたら1987 年発行の「かがくのとも」(福音館書店)とあったから。探せば家のどこかにあるはず、と買いたい気持ちを抑えて帰ってきたのだけれど。帰り道もずっとタイトルの「たねがとぶ」が残っており。あらためて、ええ題やなあと思う。自分がずっと思ってることはこれやな、と思う。

道端の草に花が咲き、花のあとに実をつける。実のなかには種がある。


【たねは、くさの つくった くさの こども。

 やがて、くさの こどもは たびに でる。

 あたらしい ばしょに なかまを ふやすために。

 かぜに ふかれて そら たかく

とんで とんで とんで とんで、つちにおちて

めをだして おおきく なって、また たねを つくる。】

p1619

その3)

前回更新から16日も経ってしもて。長い休憩でした。休憩の間に、ここに来てくださった方、「なんかあったの?」と心配して尋ねてくださった方、ありがとうございます。わたしは元気ですが、これまでは年にほんの数回しかなかった遠出がけっこうあったり。いっぺんに複数のことができない不器用モンで、自分でもなさけなくなります。

そういうたら、昔パン屋のころ(前にも書いた気がしますが)一次発酵後のパン生地をスケッパーで分割して計量して、作業台で向き合って立つ つれあいがそれを次々丸めて天板に並べてゆくのですが。最初は寝起きということもあり(つれあいは午前2時半頃起床。わたしは一次発酵が終わった数時間後に起床、でした)無口なわたしも、だんだん調子づいて、しゃべりながら作業するわけです。

と、しらんまに話すことに熱心になり(苦笑)手がお留守になって、よく怒られました。この行程は、というか時間配分は発酵、焼き上げに影響するのでとても大切なのでした。で、しばらくはしょんぼり黙々とスケッパーで生地切る音だけが小さく響くのですが。が、またそのうち忘れておしゃべりを始めるんですよね。これが。(そして、今もかわらず・・)

その4)

きょうはだいすきなこれを聴きながら。

take a walk on the wild side・・

Lou Reed -Walk On The Wild Side→


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by bacuminnote | 2017-06-17 10:56 | 本をよむ | Comments(0)

今月三度目の遠出。
いつも家に篭ってるから、外出が続くと自分やないみたいで、なんだか落ち着かないんだけど。この季節の吉野方面への道中は車窓からの景色を見ているだけで、緑がからだの中に入ってゆくというか、自分がどんどん緑になってくようで、気分が昂揚してくるのがおかしくて。
窓に額くっつけてひとり、くくくと笑うてしまう。いま暮らしてる町もけっこう緑は多いんだけど。ここ通ったあとに見たら、きっと映画のセットみたいに感じるやろなあ。

今回はつれあいとふたり。彼もまたこの前の息子みたく久しぶりの近鉄南大阪線~吉野線の景色にじっと見入ってる。
窓の外、ぽつぽつ見える建て替えの新しい家がある他は、わたしの高校の電車通学のころ(1970年代)とほぼ変わらず。ただただ山と少しの畑がつづく景色が沁みる。

いや、走る電車の中から通り過ぎる景色に、余計なものが何もない、と感動してるのと、そこで留まり暮らすひとの思いが重なるか、というのは、幾度か経験した田舎暮らしで少しは想像できるから。ときに「余計なもの」も生活を潤わせてくれるから。単純に「田舎はいいなあ」「住んでみたい」とは言えないんだけど。それでも。やっぱり、ついつい、なんべんも。「ええなあ、ええなあ」とつぶやいてしまう。

見舞いに行った先の病院もまた緑緑緑のさなかにあり、病窓から山の稜線がそれはみごとで、きもちがしんとする。
携帯用の絵の具セットでそんな山々を描いてるらしいと聞いてうれしかった。
そのむかし辰巳浜子さんの料理本でおいしいもんを拵えてくれたひとに、その娘辰巳芳子さんのスウプの本をもって来た。「ほな、またね」と握手(おもいきりハグしたいとこやけど傷口に堪えるし)して。お見舞いのつもりが、山々と澄んだ空気に見舞ってもろぅたきぶんで病室をあとにする。

オンバサラダルマキリソワカ。
(まえに旧友jと行った京都三十三間堂でであった真言。「いのりましょう。大切な人のために。そして、生きとし生けるもののために。」

次はいま走ってきた電車で何駅かもどって母のホームに。

午後のホームも電車もがらーんとして。停車のたびに車内をええ風が通ってゆく。なつかしい駅名に、ここからはあの子、次の駅ではあの子、と電車通学のかつての同級生の名前が(もうすっかり忘れていたのに)自然に口をついて、おどろく。
さてようやく最寄り駅に到着するも、タクシーも出払って、バスも次の出発まで45分もある。困った。つれあい一人だったら歩いて行ける距離なんだけど、わたしにはちょっとキツイんよね。

しばらくの間、母に要るもの聞いてコンビニで買い物したり、その辺うろうろして待ってみたけどタクシーは戻ってくる気配がない。

結局、停車中の行き先のちがうバスの運転手さんのアドバイスで、ひと停留所分そのバスに乗って残りふたつ分を歩く、という方法をとることになった。

その日は夏みたいに暑くて、ふたつめの訪問ということもあって、がっくりきてたけど、バスに乗るや「あ、やっぱり歩かはりまっか?」と運転席からバックミラーをみて運転手さんが声をかけてくれて。「他所から来た人」と思わはったんやろね。続いて「◯◯☓☓カードは持ってはりますか?なかったら、190円まわりしといてくださいや」と。

その親切な応対もうれしかったけど、何よりわたしは「まわりする」に、じんとくる。「まわりする」とは奈良県(主に南部?)で「支度すること」なんよね。ここでこんななつかしい言葉聞くとは思わへんかったから。一気に疲れがとんでいくようで頬がゆるんだ。
バス停ひとつ分はあっという間にすぎたけど、坂道だったので助かった。降りる時も「この道、まーっすぐ、まーっすぐですさかいに」と教えてくれて「おおきに~」と下車した。

部屋でじっと待ってられへんかったのか、母は押し車を押して玄関ホールまで降りてきており、苦笑。そういうたら、つれあいのお母さんもわたしらが滋賀や信州の家から車で帰省のおり、何度も玄関の外まで出て(携帯電話のない頃やから何時に着くかもわからへんのに)待ってはったようで。
そんなお義母さんをみんなで笑うてたのに、今はわたしが息子らが帰ってくるとき、おなじようなことをして「いさこさん(義母のなまえ)現象」と家族にからかわれている。

長生きしてよかったことも、しんどいことも。母の喜怒哀楽も日替わりだけど、ここに来てもやっぱり好奇心旺盛で、若いスタッフに「ずっとこの仕事してはるの?」とか話を聞いたりしてるようで(苦笑)。
「なんか営業の仕事してたらしいけどやめて、僕には介護の仕事が合うてると思います~って、言うてたわ」とか「今日は100歳のひとが前に座らはった。100歳のひとなんて初めてや」とコーフン気味に話す母も、一ヶ月後には94歳になる。自室の壁には、わたしが出したポストカードと、習字教室で書いたというじまんの一枚(たぶん)が貼ってあって。「五月晴れ」と書かれてた半紙が風でゆれていた。

*追記(いつものことながら、長いです)

その1

この日のおともは『もういちど自閉症の世界と出会う 支援と関係性を考える』2016年刊)という本でした。この間読んだ『ち・お115号』「親になるまでの時間」前編(浜田寿美男著)がとてもよかったから、自分のなかで反復したり、書かれたことについてつれあいとご飯たべながら、のみながら、話したりして。いろいろ考えていたとこに、ツイッターでよくやりとりしてるkさんがこの本に言及されていて。ああ、その本つれあいが買うてウチにあったなあ~と思い出して、読み始めたのでした。

ツイッターのたのしいところは本や映画をきっかけに、それが広がり深まる「きっかけ」を得られるところ。あとは自分しだい。そのまま忘れてしまうこともあるし、本や雑誌なんかは知って、「おお!」とおもって即注文、ってこともある。自分では用意できなかった種をもらってる感じ。

『もういちど・・』は何人かのひとが書いてはるんだけど、とりあえず関心をもった浜田寿美男氏の頁(第三章 自閉症という現象に出会って「私たち」の不思議を思う~わかりあうことの奇跡と わかりあえないことの自然)から読み始めましたが、車中で何度も隣席に「ちょっと聞いて」と読み聞かせ(笑)をしました。このことは(さっき書きかけたけど、めちゃ長くなりそうやから)次回に書こうとおもいます(つもり・・)

そのまえに『ち・お115号』です。

いくつかこころに残ったところを書いてみますが、ぜひ読んでみてほしい一冊です。7月には116号がでます。たのしみ。

【あえていえば、人は発達のために生きているのではありません。どんなにささやかであれ、手持ちの力を使って生き、それぞれの生活世界を広げていく。新しい力が生まれてくるとすれば、それはその結果でしかありません】(p37

【実際、ことばが出てきてはじめて人同士のコミュニケーションができるかのように思われがちですが、ことばはむしろことば以前の身体でのコミュニケーションがあってはじめて出てくるもの、それを逆立ちして考えてはいけません。】(p46

【ことばを乗せるコミュニケーションツールが地球規模で蔓延するいま、ことばの空回りもまた蔓延しています。人類はどうしようもなくおしゃべりなのです。だけど、おしゃべりがほんとうに意味をもつためには、そのおしゃべりがテーマとする現実世界を、まずは身体で共有すること。そのためにはときとして沈黙して、互いの身体を見つめ、その表情を読みとることも大切ではないかと思います。】(p48

その2

引用文のなかの「そのためにはときとして沈黙して・・」は「どうしようもなくおしゃべりな」わたしに沁みることばでありました。

そういえば、そんなわたしがほんまにしゃべることができなくなった時があります。

時期的にいえば、下の子が小学校入学前だったことから、耳鼻咽喉科ではあっさり「ストレスかなあ」とドクターに言われたのですが。自分では保育園と小学校のちがい(たとえば食物アレルギーでお昼は別に作って持って行ってたことも、本人が入学前から「ぼくガッコに行かんとこかなあ」と登校に乗り気やなかった!ことも、保育園のときから「引き続き」という感じやったし)への不安も特別なかった気がするのですが。


何より、風邪でもない、扁桃炎でもないのに、なぜ声がでないんだろう。ていうか、ふつうはどうして声が出るんだろうと、生まれて初めて「しゃべる」ことへの疑問をもったことを思いだしました。

結局わたしの場合「声帯に隙間ができて震えない状態」やから声(音)にならないのだろう」ということで、一応なんか薬は出たけど、ドクター曰く「一番有効なのは沈黙です」とのことでありました。

これ、なかなか苦行やったんですが、黙ってると見える(感じる)こともあって、ええ経験でした。(しらんうちに治ったので、また忘れてしもてる・・)

その3

ここ二ヶ月ほどいろいろあって、容量のちいさい頭とこころがパンク寸前でしたが、ようやく山ひとつこえたかな、というとき。おもいきって映画館に行ってきました。たった2時間ほどだけど、暗闇で、ひとり、黙って(!)観て。
とてもとても佳い時間でした。映画館でたあとも、エンドクレジットのバックで流れ続ける海の音がずっと耳元で聴こえてた。ああ、海のそばに行きたくなりました。

『マンチェスター・バイ・ザ・シー』


その4)

『図書』(岩波書店)前からの連載(梨木香歩「往復書簡」)も、新連載(ブレディみかこ「女たちのテロル」などなど)~おもしろいです。4月号は本屋さんで本買ったときもらって、5月号はもらいそこねて図書館で借りて、6月号からとうとう定期購読注文。はやく届かないかなあ


その5)

長くなりました。さいごまで読んでくださって、おおきにです。

もう、日々煮えくり返るようなことばっかりですが。知る、考える、怒る、は手放したらあかんと思う。
きょうはこれを聴きながら。

Max Richter - Dream 1 (Before the wind blows itall away)



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by bacuminnote | 2017-05-31 18:53 | yoshino | Comments(0)

小鳥くる。

▲めずらしく本を読まない(読めない)時間がここしばらく続いている。
それでも、こどもの時分からの癖で毎晩本を持って布団にもぐりこんで。目をとじる。眠れなくて目を開ける。ふたたび目を閉じる。
いつも枕元に本があるのは、たぶんわたしの安心のしるし。読んでも、読めなくても。

▲このあいだ(というてもだいぶ前になるけど)思い立って友人とドキュメンタリー映画『人生フルーツ』を観に行って来た。この映画のことは、もうずいぶん前からあちこちで、とりわけわたし位か、もう少し上の世代の人がブログなどでこぞって絶賛してはって。ほんま言うとね。それを読んだだけで、もう「観なくてもわかった」的気分になっており(すまん)。それに「おだやかにていねいに暮らす」とか言われたら尚のこと、背をむけたくなる天邪鬼も自分のなかにいたりして。

▲そのうち上映館も一つ減り二つ減り、まあいつかDVDになったら~とか思ってたんだけど。観てきた友だちが言うてた「二人、ほんとに仲がいいのよねえ」のひとことがずっーと残ってて。つまり「仲のよいフウフ」に引っかかってたもんで。「今さら」と思いつつ、公式HPみてみたらまだ上映館があることを知ったのだった。

▲ケッコンして40年近いというのに、いまだにかんかんがくがく、けんけんごうごう(苦笑)な自分たちをおもって、わたしは時々ふかーくため息をつく。
「あんたら若いなあ。わたしらそんなんとっくに諦めたわ」「もう今さら、人は変わらへん、って」と、センパイ方は言わはるんやけど。

▲「諦める」とか「言うても仕方ない」やなくて。
どうしたらフウフなかよく(いや、ウチも仲が悪いというわけでもないけど)何より、おだやかにすごせるのやろ~と。農的生活や「ていねいな暮らし」にスポットライトのあたるこの映画に求めるモンが「そこか?」と笑われそうやけど。けっこう真剣にそこのところを観て確かめたかったんよね。

▲その日は友人のやさしいエスコートで、エスカレーターやエレベーターを使って(方向音痴のわたし一人だと探すのにくたびれて仕方なく階段を昇降することも多いのデス)すいすい目的の映画館に。
お客さんは中高年の女性が多かったものの若い人らもけっこういて。
ひさしぶりに来たけど、ここはやっぱり上映してる作品がすきなものが多くて『草原の河』なんかはもう予告編のみじかい時間だけで、ぐっとひきこまれて観たくなる。
やっぱり、たまには「街」に出てこんとあかんなあ。

▲さて、本編である。建築家の津端修一さん(撮影当時90歳)は、愛知県春日市の高蔵寺ニュータウンの一隅に樹木と畑に囲まれたお家に妻・英子さん(87歳)とふたりで暮らしてはる。

▲修一さんはかつて阿佐ヶ谷住宅や多摩平団地などの都市計画に携わる。
そして1960年代 伊勢湾台風の高台移転として当時住宅公団のエースだった修一さんが高蔵寺ニュータウンの設計を任されることになって。

▲彼は風の通り道になる雑木林を残し、自然との共生を目指したニュータウンを計画するんだけど、経済優先の時代の波にのみこまれ、結局完成したのは理想からほど遠い四角い建物がずらりと並ぶ大型団地で。
その後修一さんはそれまでの仕事から距離をおき、自ら手がけた高蔵寺のニュータウンに土地を購入して家を建て、みんなにも呼びかけて雑木林を育て始め、里山再生のローモデルとして提唱し続ける。

▲「平らな土地に里山を回復するには、それぞれの家で小さな雑木林を育てる。そうすれば一人ひとりが里山の一部を担えるのでは」というわけだ。
映画の中でも「ドングリ作戦」と称し、開発でハゲ山になってしまった高森山に樹木を植える運動が当時の写真と共に紹介されるんだけど、氏の熱のようなものが伝わってくる。

▲彼の師アントニン・レーモンド氏の自邸に倣ったというおふたりの家は、木造平屋で台所と30畳の広いワンルームである。
大きなダイニングテーブルのうしろに、修一さんのデスクがありベッドもふたつ並んでいるのが見える。天井はなく、光の入る高窓を長い棒を使って開閉する。玄関もなくて、庭からそのままあがる。センスはいいけど、気取りのない、居心地のよさそうな家だ。

▲せやからね。
映画で映し出される二人は、ほぼこのダイニングテーブルの前に腰かけてはるか、台所か、70種類の野菜が育つ畑と50種類の果実が実る木々の辺りで土をさわってはるわけで。

▲そうそう。
あるとき「このテーブルから庭を見るのが気に入ってる」というような話になって、季節でテーブルの位置を少しずつずらしたりしてると二人が言うて。
「この位置がいい」という修一さんに、すかさず「わたしは、ほんとはもうちょっと◯◯のほうが好きなんですけどねえ」と英子さんが返してはって。
「お、いいぞ、いいぞ」(苦笑)とにんまりする。

▲津端さん夫妻は年齢的にはわたしの親世代であり。
母がそうだったように英子さんもまた夫・修一さんに話すのはキホン敬語である。でも、語り口は敬語だけれど、彼女は思ってることはちゃんと夫に言うてはるんよね。
なんども出てくる食事風景(畑のものを存分に使いおいしそう!)の中、朝食に修一さんにはご飯。英子さんはというたらパン~というのが印象的だった。ゆるやかに、しかし「自分流を通す」ということか。

▲で、わたしやったら、と考える。
和洋二種類も作るのフケイザイだの、めんどくさいだの~と、こぼして(自分のすきなものを)がまんしてつれあいに合わせるか、あるいは、つれあいに「今日はこれにしとき!」と押し通すか(苦笑)どっちかになりそうだ。(もちろん彼が自分で拵えるという選択もある)
でも、ほんま言うとこういう日々の一見「小さながまん」は積み重なると、思いのほか大きく膨れるもんなんよね。手間をおしまず「通す」英子さんはすごいなと思う。

▲そして、映画に映る修一さんはいつも笑顔だったけれど、かかってきた電話に(なんと黒電話!)講演だか取材だかの仕事を「わたしももう90歳だから自分のために時間を使いたい」ときっぱりと断ってはったのも残っている。

▲おだやかで豊かな暮らしやから、単純に好々爺みたく思ってしまいそうになるけど(そういうたら、いま「好々爺」に値する「好々婆」ってあるのかな、と調べてみたけど、なかった。気のいい爺さんはいるのに、婆さんはいないのか?と、愕然とする)その底辺には、厳しい「NO!」の思想が流れていることを。お二人ともそういう思いを共有してることを、あちこちでつよく感じた。

▲いろんなひとがブログなどで言うてはるから、ええかと思って書くけど、この映画の撮影中におもいがけず修一さんが、昼寝したまま起きてこなくなるのであった。ふたりはいつかひとりになるのであった。

▲毎年、障子の張替えをするのに、外で戸を洗うのが修一さんの役だったようで。わたしもまた、そのむかし信州の山ぐらしのころ、外で10枚以上の障子戸を洗って干して、障子紙を張り替えたときのことを思い出す。
英子さんは夫、修一さんから「自分ひとりでやれることを見つけて、それをコツコツやれば、時間はかかるけれども何か見えてくるから、とにかく自分でやること」を教わったと言う。

▲そうやよね、コツコツ、コツコツと続けることで見えてくるものがあるよね。そして、気がついたのは、互いのちがいをわかった上で同じ方向むいて暮らしてはったんやな、ということ。
結局のところ、わたしらは相手のちがいを未だ(しぶとく?)受け入れてないのかもしれなくて。この映画鑑賞後も、やっぱり相変わらず「なんで(わたしの/ぼくの言うことが)わからへんねん?」が続いてるけど(苦笑)

▲映画の中ではけんかもなく波風もたたず。修一さんの死の後もしずかで。そのころ雑木林にあった野鳥たちの飲み水の大きな鉢が割れてしまうんだけど。がっかりする孫たちに英子さんは淡々と言う。「しょうがないよ。いつかは壊れるんだから」と。
エンドロールのテロップにあった「すべての答えは偉大なる自然の中にある」(アントン・ガウディ)のことばを今あらためてかみしめているところ。


*追記

その1)

割れてしまった小鳥の水鉢はその後、お孫さんたちが修理して復活することになります。鉢のなか、きらきら光る水に、小鳥たちのすがたにほっとする思いでした。
「小鳥来るここに静かな場所がある」
(田中裕明句集『先生からの手紙』)

そうそう、映画をみたあと、とりあえず暖かくなったら、ひさしぶりに障子戸を外で洗って、障子紙の張替えをしようと思いました!

その2)

この間発売のその日に本屋さんに走った本。
ここんとこ、いろいろいっぱいあって。唸ったり考え込んだり沈んだりしてたけど。そろそろちょっとづつ浮上中。また寝床読書が再開できるかな。

『離陸』(絲山秋子著 文春文庫)の解説は池澤夏樹氏「この友人たちを得ること」という副題がついており。 【読んでいて気持ちがいい理由の一つは、この作家は自分の小説に登場する人物を愛していることだ。そんなことはあたりまえと思う人は多いだろうが、しかし世の中には(名は挙げないけれど)登場人物を将棋の駒のようにあつかう作家も少なくない。彼らは作中の彼ら彼女をぱちんぱちんと盤面に叩きつける】
(同書「解説」池澤夏樹 p422より抜粋)

その3)

ふたりといえば、このひとたち。音源のなかではいつまでもふたり。

Lou Reed andLaurie Anderson - Gentle Breeze→


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by bacuminnote | 2017-04-17 09:40 | 映画 | Comments(2)

ひとりになりにゆく。

その日は、前の晩カッカすることがあって(フウフげんかともいふ)よく眠れなかった。今はもう若いときのような元気はないから。はげしく言い合ったとしても(こういうエナジーはまだあるw)お互いにしんそこ納得してへんかっても、翌日まで「持ち越し」はなくなりつつあるんだけどね。(それゆえに、またおなじことをくりかえすのである。)

▲やがて、ねぶそくの朝がきて。ぼんやりした頭で雨戸開けたら、冬の真っ青な空とか、お陽ぃさんとかが、胸にきゅーんとストレートに来て。
そうだ。映画館に行こうとおもった。

「春昼をひとりになりにゆく映画館」(火箱ひろ)~である。

『未来を花束にして』 のことは上映前からその邦題が「あんまりだ」という声はネット上で見ていたものの、恥しながら原題の「Suffragette(サフラジェット)の意味も、よく知らないままの映画館行きで。

くわえて、いつもやったら予告編も日本版とオリジナル版と必ず両方チェックするのに。今回は日本版しか観ていなかったんやけど。
想像していたのとは違っておもいのほかハードな作品で。でも、うれしい誤算。よかった。

物語は1912年ロンドンから始まる。
主人公はこどもの頃から洗濯工場で働く24歳の女性、モード(
キャリー・マリガン)。同じ職場の夫のサニーと幼い息子と3人、貧しいけれど穏やかに暮らしてる。


ある日モードは街に洗濯物の配達に出た帰り、こども服が飾られた店のウインドウをうっとりのぞいていると、いきなりそこに石が投げられガラスが飛び散って、びっくりして逃げるようにバスで帰ってくる。

これがモードとサフラジェットとの初めての出会いなんだけど。

最初はおずおずと遠くから覗くようにしていたこの運動に、ひょんなことから関わり、もしかしたら「自分にも他の生き方ができるのでは」と思うようになって。
実在の人物で女性社会政治同盟のリーダー エメリン・パンクハースト(メリル・ストリープ)の演説を聴き、モードはやがて積極的に闘い始める。


彼女が「おとなしく」「がまんしている」ときは、やさしかったはずの人(男)たちに、職場を解雇され、家を追い出され、あげく愛しい息子にさえ会えなくなって。

けど、モードはとつぜん変わったわけじゃない。
こどもの頃からの劣悪な環境にも、工場長からの許しがたいセクハラやパワハラにも。いつも、ずっと声を押しころして泣き、がまんしてがまんして。
「怒りの火種」はきっとからだの奥底につねにあったんやろなと思う。

そして、その間(かん)のモードの表情の変化というたら。もう泣きそうになるくらいに、感動的だった。

ひとが自分というものを持ったときに初めて発するもの。

それは親子間にしろ、夫婦間にしろ、「上」から見てたら、もしかしたら鬱陶しいものに映るかもしれないけれど。おなじ線上に立ってみたら、どんなにうつくしいことか。キャリー・マリガンがそれをとてもよく演じていた。

一方で警察権力の弾圧も、それはもうすさまじく。
まだ長い丈のドレス姿の女性たちが殴られ蹴られ引きずられる場面、逮捕の後 彼女たちのハンガーストライキに対する処置として、拘束して強引に漏斗でミルクを流し入れる場面など、たまらず、その間じゅうわたしは椅子から腰を浮かしっぱなしだった。

▲”サフラジェット”は当時あった女性参政権運動のなかでも先鋭的といわれたグループらしく(穏健派はサフラジストと呼ばれたらしい)劇中「言葉より行動を」のスローガンが何度も登場する。

実際、冒頭の投石だけでなく、いくつか爆破場面も描かれるんだけど。
果たしてこれを暴力というのだろうか、と観ている間じゅう(いまも)考えていた。

そもそも、女性が発言できる場も機会も、その権利すら奪われているのである。
政治も社会も新聞も、みな男たちに牛耳られているなかで、どうやったら自分たちの「女性にも選挙権を」と訴えられるのか。注目されるのか。都市部だけじゃなく、その思いや願いを国じゅうに広め、伝えることができるのか。そのためには「言葉より行動」しかなかったんじゃないか。

▲映画ではモードを追う警官と夫の 良心や揺れている内面も描かれていた。
社会の規範でぎゅうぎゅうに縛られているのは(ある意味)男性も同じかもしれない。
ただ、工場長に至っては同情の余地もなく、予告編(日本語版ではカットされてたシーンのひとつ)にもでてくるアイロンの場面では映画館ということも忘れ大きな声を出してしまった。(観客はわたしも入れて6人しかいなかったけど。ほんますみません)

▲それにしても。

女性にも参政権を、という今からしたら「当たり前」と思うようなことだけでも、その権利を獲得するのに、これほどの闘いがあったとは。
エンドロールで女性の選挙権が認められた年と国の名前が順番に流れてゆくんだけど。決して大昔のことではないんよね。
そして、それらは過去形ではなくまだまだ現在もつづいてる。

そうそう、JAPAN1945年~)が入ってなかったのは何故だろう。

家に帰ってからつれあいに映画のことをしゃべりまくる。(前夜のことは棚の上に置いといて・・苦笑)そうして見ていなかった英国版予告編 をふたりで観て、日本版 とのあまりのちがいに驚く。(ぜひ、見比べてみてください。どの場面がカットされてるか、というのは大事なとこやと思う。)

▲タイトル(邦題)だけでなく予告編まで、まるでちがう作品になってしまって。くわえてポスターも色や雰囲気のちがいだけでなく、コピーもまた
英国版は”TIME IS NOW ”(今やらなければ)が、日本版は「百年後のあなたへ」だった。この「時間差」は何なんやろなあ。


*追記

その1

この間『戦争とおはぎとグリンピース  婦人の新聞投稿欄「紅皿」集』→ (西日本新聞社2016年刊)を読みました。

タイトル通り、西日本新聞の女性対象の投稿欄からこの欄が始まった1954(昭和29)年~1967(昭和37)年の「戦争」に関する投稿作を掲載したものです。

このころ、西日本新聞だけでなく、朝日新聞でも1948年「乳母車」を皮切りに1955年には「ひととき」と改称されて「婦人の投書欄」が始まったようです。雑誌でもそういうコーナーが出てきたり。で、【声を発する女性たちの勢いに、「書きますわよ」という言葉が流行したほどです。】(同書「はじめに」より)

敗戦後10年足らずの頃のことで、文章のあちこちに「戦死」「貧困」「母子家庭」「引き揚げ」「墓参」「やりくり」などのことばが出てきます。

書き慣れたひとの文章から、もしかしたら大人になって「書く」のは初めてかも、と思うひとの、しかし力強く緊張感のある文章も。

戦後のきびしい生活を、みな自分の言葉でほとばしるように綴っています。

そして共通するのは「もう二度とこんな思いは」という戦争への強い拒否の意思です。けっこう若いひとの投稿も目立ちます。


心に残ったのは「派出婦日記」という題の1959年の投稿作。
筆者は長崎の方で49歳。20人ほどの女給さんのいるキャバレーで、
そのうち半数以上は住み込みやから、寄宿舎のおばさん、といった感じで炊事や洗濯の仕事をしてはるんよね。

【夜は毒々しいほどの化粧で外国人客などを相手に、踊ったり歌ったりの彼女もたちも、朝はお寝坊女学生と変わりはないし、昼をヒマさえあれば口を動かしている食いしんぼうさんに過ぎない】(p122 )

・・・と、母親みたいな眼差しで女給さんを、というより若い娘さんたちを見つめてはって。

【ウソとチップでかせぐ彼女たちも、同じ働くもの同士ではクロウトなどという呼び方がおかしいほど、素直で女らしいふん囲気をもっているのだ。】と結ぶ、やさしい文章です。(同書p123より抜粋)


そういえば、わたしも「ひととき」には、20代のはじめに初投稿しました。
1980年に『人と時と  朝日新聞「ひととき」欄で綴る25年』という本がまとめられ(1955年~1977年までの投稿作 5835編から421編がテーマ別に編集)そのときのわたしの一文も「人 /結婚」の章に掲載されました。
これ『自身の「女」を生きる』とタイトルだけが突っ走っており
(タイトルは文中のことばを引用して、新聞社の方がつけはるのですが)ひさしぶりに読み返して若い自分に、ああ赤面!


この本のあとがきの文章を読んで、「胸がおどる」ということばに、改めてじんときています。

【「戦後の世の中に少しでも風通しをよくしたい」との意図であったそうですが、二十一年十一月に新憲法が公布され、男女が平等の地位を獲得したとはいうものの、封建社会の中で育った私たち女に、戦後初めて自己を主張できる場を与えられた喜びは、いま思い出しても胸がおどります。】
(『人と時と』あとがきより抜粋)


その2)

今日はこれを聴きながら。

”Suffragette"予告編の最後のほうで流れてる曲。

Robyn Sherwell – Landslide →


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by bacuminnote | 2017-02-11 21:21 | 映画 | Comments(3)
▲きのう図書館に行く途中、若い女の子二人組に「すみません~」と呼びとめられた。
道を聞かれることはよくあるのだけれど、たいていは同世代か年配の人で。
若い子にはスマホという便利なツールがあるもんね。
ところが、彼女たちはそのスマホを覗きつつ「あのぉ~駅って、どこにありますか?」と聞いてきた。でも件の駅はすぐ30mほど先なのだった。

▲「すぐそこ」を指さすと「ええっ~?」と悔しそうで。「もうちょっとやったのに。惜しかったねえ」と言って笑い合う。
二人とも笑顔のかいらしい娘さんで、おばちゃんまで若さのもつ軽やかで華やいだ空気に染まったみたいで。
なんかうれしくなって、突然背中をぴんと伸ばしたりして(苦笑)「気ぃつけてね。ほな、いってらっしゃい」とみおくった。

▲ほこほこ気分で図書館に行って、本を返したあと、児童書のコーナーで『ことしのセーター』(石川えりこ 作・絵 福音館書店「こどものとも」11月号)という絵本と目が合うた。
表紙のセーターを抱きかかえてうっとりしてる女の子の顔には見覚えがあり。そうだ。『ボタ山であそんだころ』(前にここにも書きました)の作者や~とおもって本を開く。

▲お母さんらしき人と三人のこどもが押入れから衣装缶(←作者の石川さんはたしかわたしと同じ歳のはずやから。これ、プラスチックやなくブリキの缶やね。絵を見ただけで、あの灰色と蓋のベコベコした感じとか、樟脳のにおいが立ちのぼってくる)を出しているところからお話が始まる。
【きょうは うちの ころもがえ。 おしいれや たんすから きょねん きていた ふゆものを だしています。】

▲お姉ちゃんもわたしも弟も去年のセーターを出して着てみるんだけど、袖が短くなってたり、きゅうくつで大きく息ができなかったり、おへそが見えたり・・・みんな去年より大きくなってるんよね。そんな様子をみてお母さんが「これじゃあ もう ちいさいねえ。みんな ほどいて あみなおそうね」と言う。

▲お祖母ちゃんは毛糸の服の「とじめ」を「ていねいにていねいに」に外して、袖や見頃に分けて。
傍らのこどもらは「たたみの うみに うかぶ ちいさな しまのよう」に置かれた「部位」をとびこえたり、横で寝転んだりして遊んでる。
次に、毛糸をほどいて、お母さんが火鉢に火をおこしてヤカンをかける。お湯がしゅんしゅん沸いてくると、ヤカンの蓋の穴に毛糸を通して、ゆっくり引いていく。

【へやいっぱいに けいとの においが たちこめます。「きょねんの ふゆの においがするね」とおねえちゃんが いいました。】

「毛糸のにおい」なんて、もう長いこと思い出すこともなかったなあ。
なのに絵をみるや、とたんに「におい」が蘇ってきて、自分でもおどろく。

▲湯気で伸ばした毛糸を、こんどはくるくる巻いて。
お祖母ちゃんは買ってきた新しい毛糸を弟の腕にかけて、毛糸玉にする。
お母さんもお祖母ちゃんも、家事のちょっとした合間にも編み棒を動かして動かして、セーターやチョッキを編んでくれるんよね。
あちこちのお家で、ごくふつーに繰り広げられてたこんな光景を、今読む(見る)と「昔ばなし」の世界みたいやなあ。せいぜい50年ほど前のことやのに。

▲こどもの頃、友だちんちに行くと、たいてい部屋のすみの籠に毛糸玉と編みかけの毛糸に編み針が刺さってて。
そんでお正月がすぎて、三学期の始業式には新しく編んで(編み直して)もろたセーターやカーディガン着てくる子が多かった。
ウチでは、家業に追われて母が編み物をすることはなかったけれど、毛糸の湯のしまでは家でやって、あとはだれかに頼んで編み直してもらってた。
ものを長くだいじに使うこと。毛糸をほどいて、伸ばして、巻いて、編み直して、というのを、手伝うたり見たりしてきた経験はしみじみよかったなと思う。

▲一昨日『さとにきたらええやん』の上映会に行ってきた。
前々から観たい観たいと思いつつ、上映会場が遠くて足に自信がなかったり。迷ってるうちにお終いになったりして。最近はもう諦めてたんだけど、なんとか一人で電車のりかえて、行けそうな場での会があることを知り、思い切って夜の外出となった。
ところが当日、近くの友人に言うたら「わたしも行く」という(ありがたい、心強い!)展開に。おたがい家族の夕飯を早々と拵えて、薄暗くなった街を二人そわそわと歩いた。

▲映画は大阪市西成区にある日雇い労働者の街「釜ヶ崎」で38年にわたり活動を続ける「こどもの里」に集まるこどもとその親、そしてスタッフたちを映している。
「こどもの里」がどういう場か、パンフレットに書かれたことばが、まさに「さと」を現しているとおもう。
(ちょっと長くなるけど書き写してみます)

~こどもたちの遊び場と生活の場です~
誰でも利用できます 
子どもたちの遊び場です 
お母さんお父さんの休息の場です 
学習の場です
生活相談 何でも受け付けます 
教育相談 何でもできます 
いつでも宿泊できます
緊急に子どもが一人ぼっちになったら
親の暴力にあったら
家がいやになったら
親子で泊まるところがなかったら
土・日・祝もあいています
利用料はいりません

▲貧困や病気、暴力や虐待のなかでも、こどもらはみな、せつないほど親のことが好きなんよね。どうやったら親が喜ぶか、親を困らせないですむか、親の怒りが鎮まるのを息をひそめて待つ。
せやからね、
「デメキン」(目のおおきい荘保共子館長のあだな)やスタッフが何度も言う「だいじょうぶやで」「しんどいときは泣いたらええねん」「いつでもおいで」「わたしはあんたの味方やで」に、胸がいっぱいになる。
「誰でも」「いつでも」「無料」にじんとくる。
このことばと彼らのサポートで、こどもが(親も)、どれほど救われていることか。
何より「こどもの里」のように「緊急一時宿泊機能」をもつことは、とても大きいと思う。

▲荘保さんたちは「必要としてる子がいるから」と、昼夜なく動いてはるんやけど。
必要な子に必要な支援は、本来行政のするべきことやよね。
けど、大阪市(橋下市長)は2013年で「子どもの家事業」を廃止する。(「学童保育」と事業内容がある程度重なる「子どもの家事業」は利用料ゼロなので「保護者負担に違いがあるのは、補助金制度として問題」と言い、「子どもの家事業」を廃止。有料の「学童保育」に一本化した)

▲学童保育の対象年齢(これは従来の小1~小3年から6年まで広げたらしいが)を越えた子も、障がいがあっても、無国籍、戸籍のない子も、垣根なく引き受ける「こどもの里」のような場は少ない。そのはたらきを考えたら、ほんまは地域ごとに必要と思う。
ここ十年ほどの間に誰が仕掛けたのか「自己責任」とか「自立」とか、いうことばがエラソーな顔して闊歩して、弱いひとを切り捨ててゆく。ひとは一人では生きていけないのに。

【「自立」とは依存しなくなることだと思われがちです。でも、そうではありません。「依存先を増やしていくこと」こそが、自立なのです。これは障害の有無にかかわらず、すべてのひとに通じる普遍的なことだと、私は思います。】(熊谷晋一郎)→

▲上映後、荘保さんの講演。
映画の中で、くも膜下出血で長時間の手術、入院という場面もあって「その後どうしてはるのやろう」と心配だったけど。
壇上の「デメキン」は凛とした佇まいで、黒いベレー姿がかっこよかった。そして「時間が30分しかないから」と、濃いメッセージを早口で発し続けはった。
映画に登場した3人のこどもたちの「その後」の話も、痛くふかく響く。
(映画はおわっても、問題は続いてゆくものね)

▲お話のなかに出てきた「子どもの権利条約」について、あらためてその4つの権利を思う。
1 生きる権利、2 育つ権利、3 守られる権利、4 参加する権利
こどもに権利があるからというて、大人たちが何もしなければ、こんな「あたりまえ」と思えることも、守られへんこどもがいる、ということ。

▲帰り、ロビーにお見かけしたら、画面で観るより小柄な方で。
こんなに華奢なからだにどれくらい社会への大きな怒りと、こどもたちへの深い愛情を持ってはるのやろう、と思った。
「さと」のように、「こどもらが安心してすごせる場」が守られ、増えていきますように。
いや、ほんまは「さと」のような場が必要なくなる社会になったらええんやけど。

▲講演が終わったのは9時半すぎ。
夜道を歩くのも、夜の電車も久しぶりのこと。
友だちが、エレベーターやエスカレーターをいち早く見つけて「こっち、こっち」とエスコートしてくれて、うれしかった。
ええ時間でした。

*追記

その1)
2014年4月2日にNHKハートネットTVで、シリーズ 子どもクライシス 第2回「失われゆく“居場所”」という
番組があったようです。
番組で紹介されたのは、おなじく釜ヶ崎にある「山王こどもセンター」~大阪市の「子どもの家事業」補助金カットについて。→

このことに限らずですが
兆とか億とかいう単位のお金が「不」必要なところにばら撒かれてるのに、「必要」なところにはカットに「削減」!おかしいよ!

その2)
今回書けなかった本。
『神よ、あの子を守りたまえ』(トニ・モリスン著 大社淑子訳 早川書房刊)→
ひさしぶりに行った墓参の道中、バスの中で読みました。
緊張感のある読書で。途中ふと、顔をあげて車窓から外をみて。また本に。

肌の色ゆえに母から拒絶された少女。それゆえに両親の結婚は破綻します。
母親は娘に嫌悪感しかなくて、でも娘は母に触れてほしいために、わざといたずらをして、顔を平手打ちとかお尻を叩いてくれたら、とさえ思うんよね。
しんどい話なんだけど、主人公ルーラ・アンはしんどかった幼年時代から脱して、名前も”ブライド”に変え「自分」を生きるようになる。

表紙カバーの写真、ぽつりと真中に写るパールのピアスがすてき。
このピアスも本文中にでてきます。


その3)
観た映画(DVD)メモ
ヴェルナー・ヘルツォーク監督の作品2本
ヘルツォークはわたしには無理かも・・とか思いながら観ました。
『カスパー・ハウザーの謎』
『小人たちの饗宴』

その4)
まえにも貼ったことあるけど。
ヴィンセントってVincent Willem van Goghのこと。
最初の♪Starry Starry Night〜という歌詞はゴッホの「The Starry Night(邦題:星月夜)」という絵に由来するそうです。

Don McLean - Vincent→

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by bacuminnote | 2016-12-20 20:41 | 映画 | Comments(6)

会ひたき人に。

▲久しぶりに母の顔を見に。
母の体調、わたしの足調(苦笑)、温くうなってから、涼しいなってから、とか何とか。お互いにいろいろ言うてるうちにあっという間に半年(以上)経ってしまって。
しょっちゅう電話で長話してるしね、そんなに時間がたってるとは思いもしなかったんだけど。
今回はわたし以上に「おばあちゃん」に会うのんは、ひさしぶりの息子2も途中合流しての吉野行きとなった。

▲「秋晴れや会ひたき人に会ひに行く」(西村麒麟) ~なぁんて思ってたのに、この日もあいにくの雨。
しかも家を出るときはけっこう強い降りだったけど、ジッカのある駅近くになると、灰色の雲と雲のすきまから少ぅし青空が見え隠れし始めた。
近鉄特急は吉野に近づくと、カーブの多さもあってキューガタンガタンと、特徴のある電車の音が響くんよね。線路際にも、線路内にも、彼岸花の束がぽつぽつ~敷石の茶色や灰色に、彼岸花の赤が妙に映えて、そのうつくしさにどきっとする。
駅に着くと、迎えに来てくれた姉が車から降りて「こっち、こっちやで」と大きく手を振ってる。 Y姉ちゃん、ただいま~。

▲川沿いの道を走りながら、前回ここに台風のことを書くのに、ネットで見た伊勢湾台風の被害の写真を思い浮かべてた。
あのころ(というかわたしの子どものころ)から思えば、うんと水量の減った吉野川は、川原がどんどん広くなって。ああ、この橋もあの橋も崩壊したんやなあ~と改めて、しずかで寂れた感じの川に見入る。

▲お昼は息子とふたりで、焼き鮎ずしとおかいさん(茶粥)を食べた。
ふたりとも好物の焼き鮎ずしはもちろん、久しぶりのおかいさんがしみじみと旨かった。
ふだんは無愛想な息子やけど(!)このときは終始えがおで、何べんも「うまい」「おいしい」と言い合うては、おかわりした。

▲ウチにもかつて母が縫ってくれたサラシの「ちゃんぶくろ」(茶袋)がある。いま吉野に住んでる人たちだけやなくて、郷里が吉野の人はどのお家にもあるのとちゃうかなあ。
この袋に番茶(粉茶)を入れて炊き出すから、使うごとに深いええ茶色に染まるんよね。息子が小さかったころもよく拵えたっけ。
子どものころから食べてきたもんの記憶って、ふしぎやね。長いこと食べてなくて、すっかり忘れてても、口にすると一気にからだじゅうのスイッチ入るみたいな。
また、ちゃんぶくろ出してきて拵えよう。

▲家に入ると、母が立って迎えてくれた。きっと今か、今かと、待ってたんやろね。
息子2は母が70のときに誕生したラスト(!)10人目の孫で。お産のあと厳寒期の信州・開田高原に、しばらく手伝いに来てくれたときのことは、今でもよく母の話にでてくる。
曰く、えらい寒かったなぁ。-20℃越えた日もあったなあ。雪もすごかったし。薪ストーブのそばから離れられへんかったなあ・・・。(←思い出のほとんどが「寒かった」~よっぽど堪えたんやろね)
48で初めて「おばあちゃん」になってからも、母はつねに、ずっと、先頭に立って仕事して来たから。なかなかできなかった「孫の沐浴」もこの子のときには毎日してくれたのだった。

▲ふだん電話でしゃべってると、頭も口も冴えわたってるけど(苦笑)、じっさい会うてみると「会わなかった七ヶ月分」母は歳をとっていて。ちょっとせつなかった。(もっとも、わたしだってプラス七ヶ月分だが・・)
部屋に入ると、作ったもの書いたもの描いたものが一杯あって。
ふと、棚のところに貼った半紙が目に入る。書道のすきな母がいつも何か書きつけていて、たしか前に来たときは芭蕉の俳句だったんだけど。

▲今回は、また新しく書き直したみたいだ。
ん?あれ?これ、どっかで・・・ひゃあ!!そして、ごていねいにこの駄句の作者の名前まで最後に書いてあって。
前に電話で「わたし今日こんなんつくってん」てな感じで、調子にのって言うたんやろけど。まさかそれを書き残してたとは。まさか芭蕉大センセのあとに、こんなもんが登場するとは。びっくりしたなあもぉ。
なんちゅう親バカぶり(苦笑)。ほんで、もうほんまにあほらしすぎて、大笑い。

▲わたしが姉フウフとしゃべってる間、母は孫に漢字ドリルを見てもろて。(母の方が息子よりよう知ってると思うけど・・)それから息子のガッコの話をうんうん頷いて聞いている。若い子の話聞くのが好きやからね、母のうれしそうな顔をちらちら見て、わたしもうれしかった。

▲とはいえ、母に会うたら、あれしよう、これしたろ~と思ってたこと、いっこもできんまま電車の時間がきてしもた。帰りは義兄が駅まで送ってくれることになって、外に出たら雨がぱらぱら降り始めてた。
車窓からみえる川と辺りの山々が黒くさびしくて、わびしくて。そんで、きれいやった。
おおきに。また(帰って)来ます。つぎは晴れた日に。




*追記
その1)
息子とは会うなり、この間観た映画『怒り』の話に。そもそも、こわがりのわたしが殺人事件をもとに・・とかいうストーリーそのものが、ふだん観ない映画のジャンルなのですが。
パンフと原作本(上下二巻)持って来てくれたので借りて、帰り、息子が別の線に乗り換え、一人になってから読み始めました。

映画を観たあとに原作本読むのと、本読んでから映画観るのとでは、おもしろさがちがうよね。
監督がどの場面をカットしたのか、ふくらませたのか、とても興味深く。この上下巻の長編を一本の映画(それでも2時間20分と長いですけど)にまとめる力もセンスも。出演者の演技ももみなすごかったし。もちろん、すべての基になってる原作の(ことば)の力も。
何を今更と言われそうやけど、いろんな「表現」が詰まった「映画」の世界を、あらためて思いながら読んでいます。

『怒り』は東京、千葉、沖縄と三ヶ所でそれぞれのストーリーがあるのですが、どれもが一話でも作品として成り立つ深さがあり。そのどれもが底に怒りや痛みが在って。知らんふりができなくて。おまえはどうなんだ?と突きつけられてるようです。
とりわけ沖縄編のことは今もなお。

帰途バスの車窓から見える景色が、行きとちがって見えたのは、時間の経過だけやなくて、映画を観たあとやからやね。
長時間おなじ姿勢で座ってると膝と腰が堪えることもあって、いつもはDVDやけど。
映画館の帰り道のような時間は、映画館に行かないと得られへんよなあと思いながら。
また、行ってみよう。(ところがバス一本出いける映画館にはわたしが観たいのんが、なかなか掛からへんのです~無念じゃ)

その2)
『選んだ理由』(石井ゆかり著 ミシマ社刊)→
石井ゆかりさんによるインタビュー集。
【どういう仕事に就くか、誰と一緒に生きるか、どこに生きるか、どう生きるか、誰もが、人生で幾度も選択を重ねていく】(同書p3より抜粋)

一番印象に残ったのは写真家の「吉田さん」(Akihito Yoshida→)の巻。

【多くの人が、「やりたいこと」を探す。「何がやりたいか解らない」と悩んでいる。でも、本当に見つけていなければならないのは、「やりたくないこと」なのかもしれない。自分の中の「NO」を知っていることが、羅針盤となることもあるのだ。】(同書p132より抜粋)

番外編いれて8人の「選択」を、わがジンセイの幾度もあった(苦笑)選択期を思い出しつつ、おもしろく読みました。


その3)
今日はこれを聴きながら。
Gallo Rojo - Sílvia Pérez Cruz→
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by bacuminnote | 2016-09-30 23:42 | yoshino | Comments(4)
▲暑すぎや~寒すぎるわ~とぼやいてたら、知らんまに6月になっていた。(一年の半分がこんなに早うてええんか・・)日々くるくるかわる天気に、身も心も、干した洗濯物も~ 外に出したり中に入れたり。ほんま何かとややこしい。
そして、ついに梅雨入りときた。

▲昨夜から降りだした雨は一旦あがったものの、朝から又ぽつぽつ降り始め、駅にむかって歩いてるうちに本格的な降りとなって。
こんな日はきっと空いてるやろうと思った整形外科の待合室は「こんな日やから痛む」患者さんで埋まってた。

▲リハビリの順番を待っていると、理学療法士や柔道整復師のスタッフと患者とのやりとりが、途切れ途切れ耳に入ってくるんよね。
痛いとこ、具合の悪いとこの話から始まって、家庭でもできる運動の指導や掛け声。長く通ってる人はそのうち、天気の話から野球に相撲に自分語り。

▲仕切りのないフロアのあちこちで(他人に聞かれても差し支えのない程度の)家族への愚痴や不満、ときに「ウチの子(孫)が・・」的自慢話も。
そういうたら、デイサービスに行ってる母も皆とするのは昔話と家族の話って言うてるもんなあ。
なんか問題やなやみごとがあるにしても、自慢にしても(苦笑)家族の数だけ家族の話と事情があるわけで。
せやからあちこちでエンドレスに繰り返されるんやろなあと思う。

▲この間おもいたって『海よりもまだ深く』(是枝裕和監督)という映画を観てきた。映画館に行くのも、邦画も、それに友人と行くのも、ひさしぶりのことだった。
東京のある団地が舞台の、家族の物語だ。

▲団地といえば、かつてこのまちが「ニュータウン」と呼ばれ始めたのと団地の誕生は同時期。
でも、わたしらがここに越して来たすぐ後くらいから、どんどん潰され(引っ越し当初はまだ「マンション建設反対!」の看板もあり、退去せず残って住んでる人もいてはった)そのうちに高層のマンションがいくつも建って。まちはどんどん変わって。いつしかその前を通っても前の団地が思い出せないようになってしまった。

▲映画ではその古い団地の4階に、子どもらが大人になり出て行き、夫が亡くなり妻が一人で住んでいる。裕福でもなく、4階までの階段もきついが、気楽な一人暮らしだ。
息子の良多はかつては文学賞もとったのに、今は書けなくて。生活のため興信所の探偵業。「作家として取材のためにやってる」とコトあるごとに言うて物悲しい。そしてお金が入ると一発当てようと競輪に走ってしまうんよね。
で、良多のその不甲斐なさゆえに離婚した元妻と小学生の長男。それから、ときどき母のもとを訪ねて、おかずを拵えてもらっては持ち帰る姉(笑)を中心に、物語が綴られてゆくんだけど。

▲映画館に行ったその日はたまたま1日(ファーストデイ)の水曜(レディースデイ)でだったので、わざわざ「シルバー申請」(苦笑)しなくても割引料金であった。
そのせいか、平日の朝イチだったのに、中高年以外のお客さんもけっこう入っていて、劇中なんどもそのセリフの絶妙さに、場内のあちこちでくすくすと笑いが起き、その空気がなんとも心地よかった。
いっしょに行った隣席の友人だけやなくて、前や後ろの知らない人らといっしょにこの映画のなかに入ってるような、そんな気がして。

▲せまいベランダで母親が水をやる鉢にはミカンの木で~子どものころ良多が給食のときのミカンの種を植えたもの。息子の横で、すっかり大きくなった植木に水をやりながら、母親がひとりごとみたいにぼそっと言う。
【花も実もつかないんだけどね、なんかの役には立ってんのよね~】

▲ほかにも暗くなかったらノートに書き留めておきたいせりふや場面がいくつかあって、残念やなあと思ってたら、劇中 良多が自室の原稿用紙が(←原稿用紙に手書き派やったんか~とか思いつつ)散らかる机の前に、その日、興信所の仕事中に会った誰かの発したことばで、ぴんときたものを書き留めて、壁に貼り付けており。そんなことばのポスト・イットでいっぱいになった壁に、ぐっとくる。
そう。だれかが吐いたことばひとつから、物語は始まってゆくんよね。

▲たまたま台風の夜、おばあちゃんちに集まった元家族。良多と帰りそびれた元妻と息子、そして母親4人が団地ですごす一夜。カレーうどん食べてお風呂に入って、なんてことのない時間がていねいに描かれる。
やがて夜が明けて台風がとおりすぎると、物語は又なんてことない顔でおわりをつげる。
けど、みんなの胸のなかをたしかに風はすいーっと通り抜けてったんよね。だから清々しい朝。
まあ、問題はいっこも解決はしてへんのやけど。

▲是枝監督でおなじ配役(母・樹木希林 息子・阿部寛)では、だいぶ前の作品になるけど『歩いても歩いても』もいい映画だった。物語としては、わたしはねじれ具合がこっちのほうがすき(そのかわり、つらくもあるのだけど)。(ここにちょっと書いています)そうそう、この映画の予告編の最後に川上弘美さんのコメントが流れてて、じんとする。

これは『海よりもまだ深く』でもおんなじ。
底に流れてるのは、やっぱり、かぞくへのあい(例によって漢字にするのはてれくさい)なんやろね。たぶん。
あ、それから、良多はあのあと小説を書き始めると思うなぁ。
こんどこそ、きっと書きあげると思う。

【生きているって、なんて厄介なことなんだろう。
なんて面白いことなんだろう。
なんて、かなしいことなんだろう。
そして、なんて、うつくしいことなんだろう。】(川上弘美)


*追記
その1)
思い返してみたら是枝作品→はけっこう観ていて(未見は2作品やった)どれも音楽もいいです。

そうそう。↑で書きそびれたことひとつ。
映画みる前に、どこかのサイトで監督のインタビュー記事読んだのですが、
そこに監督が団地の生活感をリアルに出すため、お風呂の場面では昔式の浴槽(上置き式で横にガススイッチのついてるの)
を探して、点火するときの「カチッ」という音出したかった~と言うてはって。

わたしもかつて文化住宅やアパートに住んだときあのタイプの浴槽だったので、とてもなつかしく。
どんな風に「カチッ!」を使わはるんやろ~と「お風呂に入る」場面になると注意深く(苦笑)観て(聞いて)たんですが。

「カチッ!」が登場したのは、風呂場で点火するその音が 居間で聞こえてる~という、それだけでした。
いやあ、ああいうのは映画やなあ~文章では表現できひんよなあ。あのかんじ、すごいなあと思いました。

その2)
この映画のあとに観たのが(DVD)『ボーダレス 僕の船の国境線』(原題・BEDONE MARZ アミルホセイン・アスガリ監督)は、家族から離れている、離れてしまう子どもや兵士の物語でした。

国境沿いの立入禁止区域に放置された船に住むひとりの少年は孤独なんだけど、魚や貝をとり、たくましい生活者です。ある日突然国境の反対側から少年と同じ年くらいの銃をもった少年兵が乗り込んできて。
次にはアメリカ兵がまよいこんでくる。
ペルシャ語、アラビア語、英語をそれぞれに話す3人と赤ちゃんだけ。
最後まで言葉は通じないままなんだけど、緊迫したなかでふっと空気が緩むのは赤ちゃんの存在と、これもやっぱりひとへの愛かなと思いました。

その3)
『海よりもまだ深く』の主題曲 ハナレグミ – 深呼吸 を聴きながら。
(Music Video Short ver.)うたは2'10"~そうそう、ここに出てくる良多の職場の後輩(池松壮亮)もよかったな。→

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by bacuminnote | 2016-06-08 00:43 | 映画 | Comments(4)
▲窓の外は、緑、緑、緑で。ああ、ほんまにええ季節。
洗濯物干す手休めては何度も木々を見上げる。
♪濃いも薄いも数ある中に~は紅葉のうたやけど、緑もまた。
「目がまはる青葉がまはる空まはる」(火箱ひろ)

▲その昔まだグーグルマップに航空写真しかなかった頃、以前暮らした開田高原や、ジッカの辺りをみたら、みごとに一面深い緑で。あまりに緑だけやったんで、思わず笑ってしもたんよね。
山があって川があって、自然がすぐそばにあって。
そんなこと、なんか当たり前のことのようにして大きくなって。さいわい、開田もよしのも、今も緑のなかに在るけれど。

▲いらんもん仰山建てて。地震もおかまいなしに「再稼働」企てて。経済優先の社会は相変わらず「だいじなもの」をどんどん壊してゆく。
日々、手を変え品を変えては 耳に入ってくるこの国の政治家の「とんでもなさ」には煮えくりかえる思いがする。どっちむいても税金を私物化して、表でも裏でも(!)好き放題使い放題って話ばっかり。

▲そういうたら、さっき何気なくみたウェブサイトで、茹で卵の輪切りの黄身と白身のバウンスがきれいに出るように、とかまぼこ状の茹で卵(←とは呼べないと思う)という商品の紹介記事を読んだ。
普通の茹で卵の輪切りのように無駄(!)がでてこない(という)この商品はコンビニのサラダや外食産業で使われてるらしいんだけど。(製造課程の動画→
もっとショックだったのは、こんなものが「便利」とか「業務用ではなく家庭用にもほしい」とかいう書き込みで。
この国もこの世界も、ほんまにどうなってゆくんやろなあ。

▲この間『シャーリー&ヒンダ ウォール街を出禁になった二人』(原題"Two Raging Grannies” ホーヴァルド・ブスネス監督)というドキュメンタリー映画(DVD)を観た。
アメリカはシアトルの小さなまちに住む二人はシャーリーが92歳、ヒンダが86歳の仲良し。二人とも電動車椅子ユーザーで、車椅子二台前後並んで出かけてゆく様子はなんともほほえましい。
が、二人を「ほのぼの」だとか「おばあちゃんが」なんて表現したら、しっぺ返しをくらうほど、二人とも好奇心も向上心も旺盛でその行動力といったら。

▲予告編の冒頭にもあるように、二人は経済成長に疑問をもつんよね。
「経済成長は必要なのか?」という問いに「どうすればいいか分からない」とシャーリーが言えば、間髪をいれずヒルダが「”分からない”としか言えないの?もう(“分からない”は)聞き飽きたわ」と、なかなか手きびしい。
そもそもは孫がラジオでホームレスのひとの話を聞いた、というので孫に家をなくした人の話をどんな風にすればよいか、ってところから始まるんだけど。

▲これが単なる茶飲み話で終わらないところが、この二人のすばらしい(おもしろい)ところで。
この疑問を解決すべく大学に聴講に行って、講義中の教授に質問しては怒られ、あげく「退出してください」と通告されて。
この映画、ドキュメンタリーながら、ちょっとドラマのようでもあり。場面によっては「あれ?」と思うところもあるんだけど。この講義場面では学生たちがシャーリーの質問や、それに対する教授の「退出せよ」にも、そもそも同じ教室の彼女たちの存在にもいっさい無関心なのが気になった。あんなものなんやろか。

▲その後、キャンパス内の大学生に意見を聞いてみたり、経済アナリストのもとに向かったり。
その合間に膝の手術を医師から勧められるヒルダのエピソードが挟まれ、まさに今膝痛を抱える者としては身につまされる。
ヒルダの死ぬ前に「もう一度NYに行ってみたい」っていうのと、二人の解決しない経済への疑問とが重なり。ついにはNYに、ウォール街へと話は発展するんよね。

▲シャーリーの息子(or義理の息子かも)に、NY行きを告げたとき、彼が「いいねえ。相棒とNYか?」って言う場面があって。ええなあ。ええよね。若いひとに羨ましがられるのって。
90歳近くなって友だちと飛行機に乗って遠出。しかも行き先がNY行きやなんて。かっこいい。
そして、やんちゃな二人はついにウォール街へと乗り込んでゆくんよね。ここからがドキドキするところだけど、これから観るひとのためにもがまん。とにかく、二人が行く道は多難だ。
でも、シャーリーが言う。
「わたしたちは種をまくのよ」

▲たまたまなんだけど。
この映画を観た翌々日に、旧友のj が久しぶりにウチに来て。
彼女にこのDVDを観てもろてる間に夕飯の仕度を~と思ってたんだけど。jの反応が気になって、何度も台所から移動して彼女の横で立ちながら鑑賞(苦笑)結局椅子運んできて、一緒に笑うたり茶々を入れたりしながら、わたしも最後まで観てしまった。

▲経済問題を考える二人、っていうより(いや、そのことはとても大事なんやけど)歳とってもなお「わからないこと」をそのままにしない、いい加減にしない二人。
「あなたといると時々疲れるわ。何度も同じことを言うんだもの」とか、結構キツイことを言い合ったりしながら(きれいごとだけのつきあいやないとこも共感)二人ともユーモアがあってチャーミング!
そんでね、老いてゆく体や気持ちに、掛ける言葉もお互いちょっと荒っぽくて。
だからこそほんまにお互いをだいじに思って寄り添ってる感じに、じんときた。

▲せやからね。
わたしらもまた(あの二人ほどの勇敢さは持ちあわせてないけど・・)好奇心と向上心をもち、時に(いつも?)あほなこと言うて、笑うて、これからも長くたのしくやってゆきたいと思った。
何より、この映画をいま彼女と観ることができてよかったな。

▲・・・てなことやってたせいで、案の定(というか、やっぱり)料理もちゃんと拵えることができなかったけど。
ええかっこしても始まらへん四十余年の仲やしね。
いつも通り あり合わせのおかずと持ってきてくれたワインで乾杯。
つもりにつもった話は、あっちにとび、こっちにとび。
思いきり笑うたり、郷愁と感慨にふけってるうちに、戻るべき「始点」もわからへんという、相変わらずのおおぼけぶりだったけど。
「おやすみ」と言う前までしゃべって。ええ夜でした。
冬の句やけど、冒頭とおなじく火箱ひろさんの一句を思い出しながら。

「歯が大事友だち大事冬林檎」 (火箱ひろ)


*追記
その1)
この映画公式HPには、アラナイ(アラウンド90歳)のおばあちゃん【シャーリーとヒンダは大金持ちでも、ビジネスマンでもない、ただのおばあちゃん。当初は「買い物に行くくらいしか思いつかない」といっていた2人が、好奇心の赴くまま質問を重ねるたびに、どんどん知識を吸収し成長していく】って風に書いてるけれど。
二人はそんな「ただのおばあちゃん」(というと語弊があるけど)ではないです。→プロフィール(HPのCAST&STAFFのところ)

もちろん、何かのきっかけで「突然」目覚めることはあると思うけれど。
やっぱり、若いころから「考える」あるいは考えたことを「話したり書いたり」のレッスンは必要、と改めて思う。
どんなことにも「何故?」と疑問を持つ。わからないことを自分で考える。誰かに話す。聞いてみる。考え続ける。そして、行き着くところは「教育」かなと思う。(やっぱり!)
とりわけいろんな環境下の子どもたちが集まる公教育で(もちろん、それが合わない子どももいるんだけど)こういうレッスンを積み重ねてほしい、と願います。

その2)
『シャーリー&ヒンダ』と一緒に借りてきたDVDが同じくドキュメンタリー映画の『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』→ シカゴで暮らす青年ジョン・マルーフが、オークションで大量の古い写真のネガを380ドルで落札。彼がその一部をブログで紹介するとたちまち評判になり。15万点以上もの優れた作品を撮りながらも、1枚も発表せずに亡くなった女性ヴィヴィアン・マイヤー。謎につつまれた彼女が歩んだ軌跡や、知られざる素顔を追っていくのですが。

ヴィヴィアン・マイヤーの持ってるカメラ~ローライフレックスは亡き父も持っていて、なつかしかった。
映画のなかで「ローライフレックスは一種の隠し撮りカメラだ」と言ってた人がいて。それは、普通のカメラとちがって、撮影者は被写体に真正面から向き合うのではなく「覗きこむ」から。
そういうたら、相方のカメラはハッセルブラッドでした。
わたしは(撮影者がローライとかハッセルとか)覗き込んでる時の姿~あの四角のなかの被写体をみている感じが好きでした。

その3)
このまえ図書館で『こどもたちはまだ遠くにいる』 (川本三郎編 筑摩書房1993年刊)→という写真集を借りてきました。(残念ながら絶版みたいです)

子どもを写した写真集だけど、たいていは(複数で写っていても)ひとりぼっちの写真ばかりです。白黒やし、笑ってる子の写真はほんのすこし。いわゆる子どもの幸せそうな写真はほとんどなくて。
編者の川本三郎が「家族のそとにいる子ども」と書いてはる、そんな子どもの、表情をとらえた写真集です。
以下、本の最後に収められた「純化する子どもたち」という川本氏のエッセイより抜粋。

【家族の外にいる子どもたちをとらえるということは、単に、不幸な子どもをドキュメンタリー的に記録することではない。それは、子どもを、家族、親といった帰属するところから解放することである。
大人ー子ども、親ー子ども、といった通常の対関係から子どもを帰属するところから解放することである。
強力な対関係をなくした子どもは、はかなげに、しかし、自由に風景のなかを浮遊しはじめる。】

【ここに紹介する子どもの写真は、そういう距離を自覚した、冷たい写真である。理解や愛情や同情よりも、むしろ、言葉ではもはや語りかけようとはしない子どもを、畏敬の念を持って凝視し続けた写真である。子どもたちが凝視の一瞬のあと、こちらに近づいてくるのか、向うへ去ってしまうのかは、おそらく誰にもわからない。】

その4)
jと十代の頃のこと話して、いろんなことおもったり思い出したり。若いっていたい。けど。イキテテヨカッタ。
きょうはこれを聴きながら。だいすきなworld's end girlfriendの演奏で。
world's end girlfriend - 深夜高速 feat.湯川潮音→
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by bacuminnote | 2016-05-14 18:13 | 映画 | Comments(0)

忘れない。

▲毎日ハンコで押したような暮らしやから、ときどき昨日と今日の違いもええかげんで。
「そろそろ雨戸閉めてや」
「おっ?さっき閉めたぞ」
「まだ開いたままやで」
「あ、そうか・・あれは昨日のことやったんかぁ」
~先行き不安なフウフなり。

▲そういうたら、前やっていたブログのサービスで「去年の今日あなたはこんなブログ書いてましたよ」的なメールが届く。
「ほんまおせっかいやな」とか思いながらもついつい読んでしまうんやけど(苦笑)
毎年おんなじようなこと思って(書いて)ることがわかって、しみじみと恥しい。
けど、ついでにそのまま続けて他の日のんも読んでみると、毎日は同じようでも、まちがいなく一日一日はちがっていて。
そのうち 書いてることに「時間」を感じて、びっくりしたりやるせなかったりうれしかったり。どきんとする。

▲去年 愉しいなつかしいひとときをすごした友が、今はもう遠いとこにいってしまっており。
前は平気で歩いて行った場所に、気軽に行けなくなって。
この前まで若い友人のおなかのなかにいた子は、すがたをあらわして、そのちっちゃな足で元気に宙を蹴る。
本を読んで、あるいは映画を観たり講演を聴いたりして、あのときはあんなに真剣に考えていたはずのことが、いつのまにか色褪せてることに気づいて、そんな自分にがっかりする。

▲忘れてしまいたいこと、忘れないこと、忘れたらあかんこと。
忘れることで、何とかやってゆけることも、つらくても忘れないで「次に」伝えていくべきこともあって。
それは先日から観た映画や読んでいる本の主題と重なり。
「忘れる」「忘れない」の間を行きつ戻りつ、蹲(つくば)って考えているところ。

▲最初に『顔のないヒトラーたち』という映画の題名を見たとき、不遜にも観なくても(内容の)想像つくなあ~とか思ってしまった。
だからとくに予備知識も入れずDVDを借りてきたら、予想外のことがいっぱいあって唸る。
時代背景は戦時中ではなく、敗戦後十数年たった西ドイツで。
今から考えるとちょっと信じがたいけれど、当時アウシュビッツの存在も、そこで何があったかも知らない人も多かったらしい。そして、知っている人でも、ホロコーストを直視するってことは、自分の家族や友人を糾弾することにもなりかねないと沈黙を選び・・・。

▲1958年フランクフルト~正義感と野心に燃えている若き判事のヨハンは、現実には交通違反の処理に明け暮れて、うんざりしているのだけれど。
あるときジャーナリストのグルニカから元ナチス親衛隊のSSだった人が現役教師をしているという話を聞いて、関心を持ち始めて調べるんよね。グルニカの言うとおりそのひとは教師をしており、明らかに規則違反と、ヨハンは文部省にその旨報告する。
そしてグニルカに、件の教師の罷免を伝えるんだけど、彼は相手にもしないんよね。つまり、そんなことは紙の上だけのことで現実は何にも変わらない、ってこと。実際、教師は今まで通り学校にいるのだった。

▲その後、ヨハンは上司の引き止めにも耳をかさず、グルニカ、それに彼の友人である元アウシュヴィッツ収容所にいたユダヤ人シモンと、検事総長バウアー(彼もまたユダヤ人で長い間収容された経験をもつ)の四人、ヨハンの同僚たち(この二人が地味ながらええ感じ)がフランクフルト・アウシュヴィッツ裁判が行われるまで大奮闘するんだけど。

▲劇中で描かれる元SSは、どこにでもいるドイツの普通のひと。ごく普通の夫であり、父親であったわけで。
検事正フリードベルクは、ヨハンに「君のせいで若い世代が父親に犯罪者だったかと問い詰めるのか?」と迫るんよね。そしてヨハン自身も尊敬していた亡き父親の過去にむきあうことになる。

▲けれど「時代がそうだった」「仕方なかった」で納得したら、過ちは繰り返されるのだいつか。きっとまた。
やがて彼らの懸命な働きが実をむすび、1963年ついに西ドイツのフランクフルトでアウシュヴィッツ裁判が開かれることになって。
ドイツの歴史認識を変えたと言われているこの裁判はドイツ人の手で、当時アウシュヴィッツ収容所で働いていたドイツ人を裁いた初めての裁判で、その残虐な行為を初めて西ドイツ社会に広く知らしめたこと、と大きく評価されているそうだ。

▲くりかえし、くりかえし描かれるドイツの負の歴史。
一方でおなじ敗戦国でも「戦争中はだれもが、どこの国でもそうだった」とうそぶいてる国・・・一体この違いはどこから来るのだろう。

映画公式HPにあった2015年1月ナチス虐殺の被害者の追悼式典でのメルケル首相のスピーチのなか「過去を記憶していく責任」という言葉が突き刺さる。

【ナチスは、ユダヤ人への虐殺によって人間の文明を否定し、その象徴がアウシュヴィッツである。私たちドイツ人は、恥の気持ちでいっぱいです。何百万人もの人々を殺害した犯罪を見て見ぬふりをしたのはドイツ人自身だったからです。私たちドイツ人は過去を忘れてはならない。数百万人の犠牲者のために、過去を記憶していく責任があります。】

*追記
こっちのほうが長くなりましたが。

その1)
ずいぶん前読んだ『朗読者』で主人公の法学生のマイケルが傍聴する(ハンナと再会する)裁判もこのフランクフルト・アウシュビッツ裁判。映画もとてもよかった。ただ、(予告編→)ドイツ人なのに英語やったのが残念でした。(とはいえ、どっちにしてもわたしは日本語字幕頼りの鑑賞なのですが。この物語はやっぱり英語やなくドイツ語やろ、と思う)

その2)
いま読んでいるベラルーシの作家、スベトラーナ・アレクシエーヴィチの『チェルノブイリの祈りーー未来の物語』(岩波現代文庫)にもまた「忘れたい」「忘れてはいけない」ということばが何度も出てきます。

以前、神田香織さんの講談(DVD)でこの本の一部を聴いたんだけど。(→
チェルノブイリの原発の事故については当時から今まで、何度も読んだり聞いたことがあり、わかってるつもりのことも、神田香織さんの迫力ある講談での「語り」は当事者から話しかけられてるようで。終始息詰まる思いで聴きました。

この講談は本のはじめに収められた「孤独な人間の声」というタイトルの話で、原発の事故後すぐに火災現場にむかった若い消防士の妻が語っていて。
ふつうの火事だと呼び出され、警告もなくシャツ一枚で出動した彼のこと、おなかに赤ちゃんを宿してることを隠して夫の看護に通い詰める話・・・は、本で読んでも重くてつらかった。

文庫解説に広河隆一氏がこう書いてはります。

【チェルノブイリ事故や戦争など大惨事はすべて、おぞましいもの、言葉で記録したくないもの、理解不能なものをはらむ。それらの記憶を言葉で浄化し、伝えることができるようになるまでには、どれくらいの月日がかかるのだろうか。言い換えれば、大惨事の持つ固有の深い意味が理解され、それが記録に残されるまでには、どれくらいの月日が必要とされるのだろうか。】(解説 p306より抜粋)

その3)
このほかに観た映画→『アクトレス』劇中、演劇のセリフの稽古する場面が(現実とないまぜになって)でてくるのですが、これがけっこう観ている(聴く)側にとって緊張を強いられるんやけど。その緊張感もよかったです。
ジュリエット・ビノシュのマネージャー役クリステン・スチュワートが魅力的。

『岸辺の旅』(黒沢清監督。原作はだいすきな湯本香樹実さん)→
この映画もまた「忘れる」「記憶」が底辺に流れる作品です。三年も失踪していた夫(すでに亡くなってる)が
ある夜とつぜん妻のもとに帰ってきて、三年の間すごしたあちこちを二人で旅する物語です。

上映時観てきた友人に見せてもらったパンフレットの湯本香樹実さんの文章は、ご自身が原作者でありながら(いや、原作者ゆえに)映画という「表現」をとても冷静にそして何より愛情を持って観てはることを感じる一文でした。しみます。

【映画『岸辺の旅』は、そんな見送る者と見送られる者の間の、特別な、やさしくも不穏な時間を、このうえなく親密なものとして描いています。隔たった者どうしがどれほど互いに互いを委ねられるかーーそれが親密さというものならば、生者と死者、あるいはこれから旅立とうとしている人と、それを見送る人・看取る人のあいだには、抜き差しならない親密な、「もうひとつの旅の時間」が生まれるにちがいありません。】
(パンフレット/湯本香樹実「死んだ人のいない家なはない」より抜粋)

映画とは関係ないんだけど。
このまえ詩人の伊藤比呂美さんのおつれあい(Harold Cohen氏)が亡くならはった旨ご自身のツイッターに書いてありました。
自分のなまえを呼ぶ声はとくべつと思う。せつない。

【Thank you you so much to every one!! He had a wonderful life. I can still hear his voice calling, Hiromi--Hiromi--- from his studio.】
4.28 (原文ママ)

その4)
きょうはこれを聴きながら。egil olsen - she and him (and i)→
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by bacuminnote | 2016-05-05 20:10 | 映画 | Comments(6)