いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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ちいさくて母。

母を見舞う。

「通院するのは大変なので」「ちょっとの間」「大事とって」の入院らしく、大丈夫だろうとは思ったんだけど。
なんというても高齢だし、何より環境が変わって不安がっているかも~と、つれあいと二人で朝から病院にむかった。

その日はまだお盆休み中のことで、天気予報は午後から雨の確率70%ながら、街はどこも人がいっぱい。電車の特急券売り場にも国内外の旅行者で長い列ができていたのは、ふだん外出しないわたしの予想外のことだった。いつか観た古い映画の田舎からでてきた老母のごとくオロオロ。予定の電車に間に合うかひやひや・・・というわけで車内でお昼に、と先にパンを買って行ったんだけど、あとでと思ってた缶コーヒーも買えないまま乗車となった。

色とりどりのキャリーバッグが棚の上や座席にいっぱいの車内で、わたしらもちょっと旅行気分でパンをかじる。(のみものがなくて喉がつかえたけど)やがて目的の駅に到着したと思ったら、こんどは駅から乗ったタクシーが渋滞でなかなか前に進まない。
予報通り途中から降り始めた雨はだんだん雨足がつよくなって。見るともなしに雨粒の車窓から外を眺めて見覚えのある通りの様子に、そういえば以前もやっぱり母の見舞いでこの道通ったよなあ~と話す。

かつては働いて働いて、寝込んでいるところなんて見たことのない母ながら、ここ十数年の間には何度か入院もして、そうそう信州のころは下の子の心配もあったから、木曽から日帰りでせわしなく奈良市内の病院を見舞ったこともあった~と、思い出してるうちにようやく病院に着いた。

受付で聞いた部屋を探していたら、廊下のむこう~看護師さんに付き添ってもらってトイレから出てきた母と目があった。思いもかけない(たぶん)わたしらの姿にびっくりしたのか、恥しいのか、照れ笑いしてる。よかった。なんとか歩けてる~。

それでもパジャマ姿だったからか、点滴のスタンドと押し車のせいか、いや、病院という背景ゆえか~先月ホームを訪ねたときよりも、母はちいさくて頼りなげに見えて。いつものように、おもしろいことのひとつでも言うて笑わしてやろう、とおもったのに。「来たで~」と言うのがやっとだった。

ホームの職員さんが着替えを持って来てくれたり、つれあいが足りないものを階下へと買いに行ってくれる。そのつど「ほんまにすんませんなあ」「ありがとう」をくりかえす母。点滴を確認にきた若い看護師さんが「◯◯さん、娘さんらも来てくれはったんやし、元気だしてや~」と奈良弁で(←大阪弁と微妙にちがう)声をかけてくれると、こどもみたいに「はいっ」といい返事しており、そんな母がかいらしくて、そしてちょっとせつなかった。

先日、母のすきな曲集めて二枚目のCDを送ったとこなんだけど、届いたその日に入院になったようで。
「一曲目はユモレスク、二曲目はトロイメライやで。乙女の祈りもエリーゼのために、も入れといたしね」と言うと「帰ってから聴くの楽しみや」と一気に顔がぱあっと明るくなった。

母は娘がだれもちゃんと弾けなかった(苦笑)ピアノを65すぎてから習い始めて「エリーゼのために」がゴールだった。
「わたしはいっこも母親らしいことできんかったのになあ・・・ユモレスク好きやねん・・あんたはわたしの好きな曲まで覚えてくれて。ほんまいつもありがとうな」と半泣きで別れのあいさつみたいにしゃべり出すのでこまった。いや、ちいさい頃からわたしに音楽の入り口を用意してくれたのは、誰でもない音楽がすきなあなたやったんですよ~と思うてるのだけど。とっさにそんなことばは出てくるわけもなくて。

▲帰りは電車の連絡がうまくいかず、急行や普通を乗り換え乗り換え。車内で病室の母のことを思い返す。「ほな、帰るし」と言ったとき、目をぎゅうっとつむってこっちを見ないで手を振ってたっけ。

窓の外はのどかな田園風景。雨あがりの畑に赤い鳳仙花がひとかたまり咲いてるのがみえた。

「子のように母ちいさくてホウセンカ」(しずか)

むかいの席の母子は田舎にでも行って来た帰りだろうか。ママも、抱っこされた赤ちゃんもその横のリュックに埋もれるように寝入った女の子も皆くたびれ果てて眠っている。おにいちゃんだけは膝に真新しい虫かごを置いて、ときどき蓋をそろりと開けてカブトムシをつまみあげては、ちょっと手足を動かす様子を見てまたカゴに戻している。わたしと目が合うと恥しそうに、でも得意気にまた蓋を開ける・・をくりかえして。「あああ、そこで、おがくず、ひっくり返えさんといてや~」と、おば(あ)ちゃんはハラハラしながら眺めてたけど、かれも又そのうち眠りの国の人となり。

▲ようやっと最寄りの駅に着いたらまた大雨だった。なんせ70%やしね。デパ地下で鴨のスモークをふんぱつして、ビールビールとおもいながら帰宅。

長い一日でした。


*追記

その1)

昨夜、ネットで脚本家の山田太一氏の断筆を報じるインタビュー記事を見つけて、読みました。山田太一脚本のテレビドラマはリアルタイムでずっと観てきて、そのつどその頃の思い出や思い入れもあって「すき」と一言で言えないくらいなのですが。
氏は今年はじめに脳出血で倒れはって、退院後言語機能は回復しつつあるらしいのですが、もう脚本家として書ける状態ではない、と言うてはります。とても残念だけど、これまで観たもの、読んだものは自分の中でふかく残っています。

インタビュー記事を読んでいると、最近の母のことばと重なるところがいくつもありました。

「時々記憶が、飛んでしまう」「思ったことを上手く表現できない」「生きているということは限界を受け入れることであり、諦めを知ることでもあります」

それでも、氏はそれを「ネガティブなことではない」と言い切ります。「諦めるということは、自分が”明らかになる”ことでもあります。良いことも悪いことも引き受けて、その限界の中で、どう生きていくかが大切なのだと思います。」(*週間ポスト2017年9月1日号 より抜粋)


以前、山田太一さんが『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス 鹿野靖明とボランティアたち』(渡辺一史著)という本の解説を書いてはって、その中で「尊厳死」について言及しておられます。こちらもあわせて、ぜひ→

(この本のことはここにわたしも以前書きました)


その2)
お盆の前後は墓参にでかけたり、息子2が帰ってきてたり、今日書いたように遠方の病院に行ったり、で、本も読みかけのまま、映画(DVD)も観たのに(『めぐりあう日』『灼熱』『ライフ・ゴーズ・オン』)わすれてしまってるという体たらく。
あ、そういえば『サンダカン八番娼館 望郷』(熊井啓監督)という古い映画をめずらしく息子と一緒に観ました。「からゆきさん」だったおサキさん役の田中絹代は素顔でボロ布纏ったような姿でしたが、きれいなひとやあと思いました。山崎朋子の原作は出版当時~高校生のときに読んだきりで、忘れてしまってるところが多かったのですが。その頃からひとつ忘れないでおこうと思った一節があって。


それは山崎氏が研究のための聞き取りだとは明かさず、おサキさんの家でしばらく寝起きを共にしてきて「どうしておサキさんは、見ず知らずの私なのに、何ひとつ素性を聞こうとしないの?」とたずねると、おサキさんはこう応えるのでした。

「誰にでも事情っちゅもんがある。相手が自分から喋るならまだしも、当人が何も言わんものを、どうして聞けようぞ」


その3)

今日は、やっぱりこれを聴きながら。

Kreisler plays Dvořák Humoresque



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by bacuminnote | 2017-08-18 12:12 | 出かける | Comments(0)

もう8月やなんて。
ああ一ヶ月早かったなあ~と、カレンダーをめくりながら毎月お決まりの台詞である。

買い物に行ったら「夏のギフト」の横に「お盆のお土産」のポップ~次から次へと。ゴールの「年の暮れのご挨拶」「迎春準備」まで。

▲「買え」「買え」と宣伝する方もつみぶかいと思うが、そんなもんに知らんまに追われてしまうわたし(ら)もどうかしてる。なんで、もっとどっしり構えていられないか、自分流を貫けないのか。なんで、目新しいことにとびついて、じっくりものごとを考え続けられないのか。

ため息つきつつ自問しつつも、今日は木綿豆腐と大根とバゲットを買う。

帰り道~遠くからうぃーんうぃーんと草払い機が唸るのが聞こえた。この炎天下、街路樹周辺の草刈り作業の人らがお仕事中。もわーんと熱気のなか草のほこりが舞い上がる。作業員さんら、みな汗で作業服がぐっしょり濡れているのが、道を挟んでもわかる。

▲小学生のグループが、だだだだっと、おばちゃんを追い越し走ってく。塾の名前入りリュックを揺らし、保冷のお弁当バッグとお茶をぶらぶらさせながら。まるでプールに行くが如く、公園に集合するが如く。わいわいはしゃいで走ってる。いまや塾というところはそういう場所なのかな。

買い物行って郵便局と図書館寄って、たったそれだけで、今日一日分のエネルギー使い果たしたみたいに、とろんとろん溶けそうになって帰って来た。ああ、暑いときに熱いものを、とクーラーのよく効いたスーパーで思って、重たい大根一本買ったのだけど。とても煮物する勇気がわかない。

こんなふうに「暑い」とぼやいてばかりの毎日だけど。それでもおもしろくいい本にめぐりあえて、読む、読む、読むの夏だ。
前回からリニューアルした「ち・お」116
『親になるまでの時間 後編』(浜田寿美男著)がカライモブックスから届いてさっそく読む。今回はこどもの学齢期からの話なので、当然だけど学校の話題が多かった。

わたしの周辺のひとたちは、こどもがちいさかったときの話をするとき、保育園のころのことは、こどもの病気や予防接種のことや、自身の仕事など大変な時期だったにもかかわらず、そろって皆いきいきと語る。週明けに園に持ってゆく大量の着替えも、重い絵本袋も、お昼寝布団も。

▲顔をくもらせるようになるのは、たいてい学校が始まってからで。その辺に学校とはどういう場所かという答えも潜んでいる気がする。もちろん、心配なことや悩みが、年齢とともに複雑になってくるっていうのもあると思うけれど。それに、いつまでも一日かけまわって遊んで昼寝してるわけにはいかないから。生きてゆくにはそんなわけにはいかないから~という声も(せやからガッコにはちゃんと行かせなあかん!と、よく言われました)あるのだろうけれど。

ウチはふたりともいわゆる義務教育期間にガッコに行かなかった時間が長くて、「学校が生活を制圧」(p58)とはならなかった。いや、親としては家が学校に侵食されるのが(*「学校が生活を侵食して」p56)たまらんかったから、こどもらの「行かない」をむしろ歓迎した。それは当時わたしたちは田舎の小さなパン屋で、親はそれほど忙しくもなく(苦笑)一日中在宅しており、親も子も「いつも通り」でいられたことも大きいかもしれない。

けど、ふりかえって考えてみるに、こどもらにとってその頃~ガッコに行かないあいだ「家」での時間がたのしかったかどうかはわからない。あたりまえのことだけど、家には家の鬱陶しいこともいっぱいあったはず。何より自由でいることって、つねに自分で何をするか、何がしたくないか、向き合うことにもなるわけで。それは単純に気楽というわけにもいかなくて。

ただ、退屈するほどにいっぱいの時間があったのはよかったとおもう。彼らの芯のところにあるのは、その長い時間「わからなさ」に、たちどまり、地団駄を踏み、なやみ、考えた(続けた)ことだと思う。いま大人になった息子らを見ていてそう思う。いや、でも、こういうのもぜんぶ親のわたしが勝手に思ってるだけかもしれない。なんせ、こどもは親のきゅうくつな思いなんか蹴飛ばして大きくなってくれる。

▲【学校というと、どうしても、なにか将来のために「力を身につけていく場」だというイメージがあります。保育所、幼稚園で力を身につけて小学校、中学校、高校へ、そして高校までに身につけた力で大学へ、さらに大学で力をつけて社会へ、という感じです。だけど、この発想をつきつめれば、園は学校へ行くための準備、学校は社会に出るための準備ということになります。そんなふうに見れば、なにか、いつも将来のために準備ばかりしていなければならないような気分になってしまいそうです。

よく考えてみれば、人生に準備の時代など、ほんらいはないはずです。】(p22p23

▲ここまで書いて、ふとデパ地下やスーパーのポップを思い出す。次から次に「準備」することに気を取られていると、たちどまって考えることがなくなってしまうんやないかなあ。くわえて、忙しくすることで考える時間をなくすことも。

この本、学校の話だけじゃなく思春期の話(第四章 思春期はややこしいもの)もあり今回も読み応えじゅうぶん。おすすめです。

▲さて、もう一冊は図書館の児童書コーナーで出会った写真絵本『おじいの海』(濱井亜矢 写真・文)この本は福音館の月刊『たくさんのふしぎ』2004年5月号~タイトルから想像つくように沖縄の海と「おじい」と呼ばれる仲村善栄さんのお話。

▲仲村さんは1917年(大正6年)沖縄生まれの沖縄育ち。本が出たころは86歳の海人(うみんちゅ)。小さいころから海が好きで12歳のとき父親について漁を始めたそうだ。54歳のとき病気になった仲村さんは入院先の医師に「もう海に潜ってはいけません」と告げられて。仕方なく海の上でできる仕事をしてたんだけど。

【ちっともおもしろくありません。船の上でじっと待ってることができなかったのです。やはり海の中にはいって、魚を追いこんでいくのが性にあっていました。そこで、自分のペースでできるよう、ひとりで追い込み漁をはじめたのです。】

この一人追い込み漁の「おじい」のかっこいいことというたら。麦わら帽子に白いシャツ~強い風でも吹いたら飛ばされそうな痩せて日焼けしたおじいさんが(すみません)ゴーグルつけてウエットスーツ着るや、いっぺんにスーパーマンの如くしゃきーんと変身。ああ、もう、このひとはしんそこ海がすきなんやなあと、海中の写真など、ほんまかっこよくて惚れ惚れするようで。

でも、家族はみな高齢で海に出る「おじい」が心配。だから【海に出るときのおじいは風のようにすばやい。だれがなんと言おうと、おじいはあっという間に準備して、「一時(ちょっと)行ってきよーね」と、にげるように海へ消えていきます。】~ちょっと俯きかげんに出てゆく「おじい」の姿は親に叱られながら、遊びに行くこどものようでかわいらしい。

▲この本を読んだあと、わたしはふと母のことを思う。

始まりは、ただ親の言われるままに結婚した相手の家の仕事にすぎなかったのに、ろくに包丁も持ったこともなかったのに。川魚を捌き、へついさん(おくどさん)で次々炊き上がってくる5升釜のご飯を、大きな飯台にうつし、酢飯をつくり。旅館のおかみさんもして、働いて働いてきたから。いつのまにか仕事が自分の背骨みたいになってしまったんやろなあ。

いまあり余る自分の時間が、しみじみさみしいという。日々できなくなることがさみしいという。「せやから、できんようになること増えても、まだ、なんとかできることで、わたしは役にたちたいねん」という。
そう思ったらじっとしてられず、さっそく今いるホームの職員さんに「何でもわたしにできる用事言うてちょうだい、っておねがいした」そうで。

そんでな、レクレーションに使う輪投げの輪作りを、手伝わせてもらってん。「さん、仕事早いねえ。もうちょっとゆっくりしてよ~」と職員さんに言われてん~と得意気に話す母。ところが、がんばりすぎたのか、くたびれたのか、かんじんのレクレーションの時間に熟睡してた、というから、いかにもお母さんらしいな~とつれあいと大笑いした。

▲話そうと思うことばがすっとでてこない、話してる途中で次のことばを見失う。歩くのもおぼつかなくなって・・と最近元気のない母にも、着せてやれる「おじいのウエットスーツ」はないものか、とかんがえる。(とりあえず今日つれあいとCDプレイヤーを買ってきた)

▲そうそう、これを書きながら『おじいの海』の仲村さんのことが気になりネットでみたら、20105月に急性心不全で亡くなってはることを知る。「4月下旬、久しぶりに次男の茂さんと共に漁に出た際海中で心肺停止となって・・」と新聞記事にあった。そうか~ほんとうに最後の最後まで海人やったんやなあ。94歳だったそうだ。

*追記

その1

『おじいの海』作者のブログ

「おじい」亡きあとのエピソード~とてもいい記事です。


その2

書きそびれた本

『俳句と暮らす』(小川軽舟著 中公新書)


その3)

今日はこれを聴きながら。
まだまだ暑い日がつづきますが、
体調くずさないように気ぃつけてくださいね。

Keaton Henson - Nearly Curtains


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by bacuminnote | 2017-08-02 21:24 | 本をよむ | Comments(2)

ひきだしをあける鍵。

▲蝉の大合唱と、パジャマの襟の汗のつめたさに、今朝もアラームの鳴る前に目が覚めてしもた。夜中には暑いのとトイレで何度も起きたから。寝不足でぼぉーっとしながら雨戸を開けたら、思いがけず涼しい風がすいーっと束で入ってきて、ああ、ええきもち~と深呼吸ひとつ+大あくび。

洗濯物を干していたら、百日紅の花がいっぱい咲いているのに気がついた。

前は、昔の絵葉書みたく濃い青空を背景に、やっぱりつよい色調のピンクの花が苦手やったから。なんでお義父さん、こんな木植えはってんやろ~と思ってたんやけど。いつのまに、いつからか、気になる花になって。
「さみしさは空の青色さるすべり」(拙句なり~)

そういうたら、いま読み始めた『俳句と暮らす』(小川軽舟著 中公新書)の冒頭「金盥(かなだらい)傾け干すや白木槿」(軽舟)の一句のあと、「俳句とは記憶の抽斗を開ける鍵のようなものだ」ということばに、そうそう!と声をあげる。この白木槿からも、ウチにもあった木槿の~高いとこで咲く花をいつも首をぐっと伸ばして見上げてたこと。根腐れして植木屋さんに切ってもらった日のこと。義父のすきだった木槿や百日紅の花や俳句・・と抽斗の中にいろんなものが詰まってたことに、この一句から気づく。

▲さて。
大阪の日中の暑さは日々もうハンパなくて。いつも通る歩道橋でも立ち話してる人はだれもいない。顔見知りに出会っても、みなさん立ち止まることもなく「暑いねえ」「ほんまになあ」で済ませてはる。きもちのええ季節やと「もうちょっと隅でしゃべって~」と思うほど、老若男女「立ち話のスポット」(苦笑)なんだけど。


信号待ちの横断歩道では、じりじり照りつける暑さに堪えてか、口をぎゅっときつく結んでる人、あくびしてはる人。そんで、そんな知らない人らにさえ、つい「たまりませんねえ」と同意を求めたくなるような(実際求められることも時々ありマス)毎日である。ということで、こころから暑中お見舞い申し上げます。

そんなどこにも出かけたくないよな暑さの中、この間ひさしぶりに隣町のレンタルショップまで足をのばした。

『みかんの丘』(ザザ・ウルシャゼ監督)と『とうもろこしの島』(ギオルギ・オヴァシュヴィリ監督)は上映時に行けなかったので、二枚とも棚に見つけて小躍りする。そして、これまたひさしぶりに、フウフで(各自!)鑑賞のあと、食べながらのみながらの感想大会となった。

映画のチラシには二作とも「世界は閉じたままで、いまだに出会うことがない」と大きな文字が入る。どちらも簡単に言えば傷ついた兵士を匿って世話をすることになるんだけど。戦争に「簡単に言えば」はなくて。つねに複雑で理不尽で不条理の世界だ。

▲どちらも、深くいい映画だったけど、きょうはそのタイトルからもよい風の吹いてきそうな『みかんの丘』の感想を書いてみようとおもう。この映画は木工の場面から始まる。
ジョージア(グルジア)のアブハジア自治共和国でみかん栽培の村は、エストニア人の集落だったが、ジョージアとアブハジアに紛争が起きて、殆んどの人たちは帰国。居残ってみかんの木箱を作るイヴォ(これが冒頭の場面!)と、みかんの収穫をする友人のマルガス。

ある日彼らは家の近くはげしい銃撃戦で負傷した二人の兵士(亡くなった人たちには、土を掘って埋葬する)を、自宅に連れ帰り手厚く介抱する。

この二人の兵士、一人はチェチェン兵(アブハジアを支援)のアハメド、もう一人はジョージア兵のニカ。

瀕死のときは、まさか同じ家に「敵」がいるとは知るよしもないけれど、少し怪我が落ち着いてきてそれを知ったとたん、お互いに殺意をむき出しにするのだった。そこで、イヴォはこの家の中では絶対に戦わせないと宣言。

画面のむこうのやりとりを見ていると「敵」って何なんよ?と滑稽ですらあるんだけど。それでも、ちょっとしたこと(本人たちには「ちょっと」ではないのだろ)で、文字通り一触即発状態が続く。

マルガスには、とりあえず今はみかんを収穫したいという理由があるものの、イヴォの家族はすでに帰国しているようなのに、なぜ彼はひとりこの地に残って、みかんの木箱を作り続けるのか~よくわからないまま物語はすすみ、終盤アブハジアを支援するロシア兵たちがやってきて、また銃撃戦が始まる。


採る人をなくした鈴鳴りのみかん。死んでしまったひと。遺されたひと。少しずつ解ける謎も、やっぱりわからないままのことも。最後はみかんの黄色が悲しみの中でわずかに希望のようにも感じる。

わたしはずいぶん前に観た『ククーシュカ ラップランドの妖精』という映画を思い出していた。この映画も夫をなくし一人暮らしのサーミ人の女性が、それぞれの事情でそこに置き去りにされたフィンランド兵とロシア兵を助ける話だった。

大きなちがいはククーシュカ・・の三人は言葉もフィンランド語、ロシア語、サーミ語と、まったく通じなかったこと。勘と諦めの中で(あとセックスが介在すること。これがじつにおおらかでええ感じ)ぶつかり、わかり合えないながらも奇妙な三人の共同生活が始まって、(ここにも少し書きました)そして最後はそれぞれの地に戻ってゆくんだけど。

いつも思う。そう簡単にはいかん、ともうひとりのわたしが強く言うんだけど。ひととひとは仲良くわかりあって暮らせるのが一番。でも、その難しさは夫婦だって親子だって、そうそう簡単なことじゃないことぐらい皆わかってる(はず)。まして育ってきた環境も言語も宗教もちがえば、当然価値観も大きく変わってくるだろう。

それでも。
あるキョリを持っての暮らしなら、多少のぶつかり合いや揉め事もありながらでも、やっていけるんやないか~と。じっさいやってきた歴史があるんやないか、と。世界が開けるときがあるんやないか、と。いちばんの問題はいつもそこに他所から「介入」してくる大きな力が在ること。そこに支配や搾取や権力が大きな顔して居座ること。

「王様のなんにもしない涼しさよ」(火箱ひろ)

*追記

その1)

わたしは2010年からはじめたTwitter~すてきでおもしろい友だちといっぱいであえました。で、つねづね「北の友」と呼んで、リスペクトしている(けど、まじめな話から昔からの友だちのように映画に本に音楽に・・と、なんでも話してる)詩人 番場早苗さんがこのたび個人誌『恒河沙』(ごうがしゃ)を発刊されました。


その中~34頁にわたる論考「砂州をこえて 佐藤泰志「海炭市叙景」論」はわたしたちが知り合うきっかけにもなった『海炭市叙景』(佐藤泰志著)についての力強い、そして彼女ならではの視点(くわえて同時代に佐藤氏とおなじ砂州の街で生まれ育ったひとの眼)で丁寧に綴られた力作なのですが。


あろうことか、わたしにも「なにか」とお声がけくださって。

からだはデカイがこころは極小(ほんまです)のわたしは尊敬する番場さんの誌面をわたしなんかが・・・と後ずさりしつつも、このブログの続きみたいな感じの一文「映画の時間」というエッセイを載せてもらいました。


くわえて。

十代のおわりからの長いつきあいで、ふだんはあほなことばっかり言い合うてる旧友で漫画家うらたじゅんが、同誌にとびきりの絵を。彼女のひさしぶりの白黒の絵は、架空のまちの映画館ナポリ座と市電とチャンバラ好きのこどもらが、こちらに語りかけてきます。そんなにぎやかな声まできこえてきそうな温かな、うらたじゅん渾身の一枚であります。


そんでまた、たまたまなのですが。
今月からその
うらたじゅん個展が、番場さんのホームタウン函館で開かれるという。件の映画館の原画も展示されるという・・・

いやあ、ほんま ひととひとが出会ったときにおこる波は刺激的でうきうきします。波というのは、うまく、たのしく乗れるときばかりやないけど。波乗りはやっぱりおもしろいです。(ほんまの波乗りは未経験!)

『恒河沙』 ~すてきな表紙絵は作家 吉村萬壱氏によるもの。


その2

『真ん中の子どもたち』(温又柔著)読了。

残念ながら芥川賞受賞にはならなくて。別にとれなくてもええやん(すみません!)~とか思ってたんだけど。発表後温又柔さんのツイート読むと、せやなあ。取ってほしかったなあ、と改めて。

【日本語は、私たちの言葉でもある。日本は、私たちの国でもある。政治家がそれを言えないのなら、小説家の私が言う」。今夜、テレビで、そう言いたかった。それが叶わなかったことだけが、少しくやしい。だからこそ、これからも書き続けます。今までと変わらず。だれに頼まれなくとも!

その3

きょうはこれを聴きながら。

『みかんの丘』で流れてた曲。 しみじみ いいです。

niaz diasamidze - mandariinid (soundtrack)→


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by bacuminnote | 2017-07-23 21:51 | 映画 | Comments(2)

濃い色から淡い色に。

空が急に暗くなったので、軒下の洗濯物を家の中に入れた途端、雨が降り始めた。いきなりの大雨と雷は空が割れるんやないか~と思うほど大きな音で、洗濯物を腕にいっぱい抱えたまま立ち尽くす。ちょっとした雷でも、きゃあきゃあ大騒ぎするこわがり(←わたし)は、こわすぎると逆に無口になり、くっと息を潜めて「嵐」が通り過ぎてくれるのを待つのだった。

▲幸いはげしい雷雨はいっときで終わって、雨のあがった後、辺りはしーんとしてる。短時間とはいえ一気に水浴びした緑たちが、薄暗い庭のむこうで、今にもごそごそと動き出すんやないか、と思うほど生物(いきもの)らしい表情を見せており、ちょっとこわいようなうつくしさに見入っている。窓からは涼風(すずかぜ)がすいーっと入って来た。

▲ぼんやりしている間に7月になった。
ケッコンしてから7月は二人の母の誕生月になり、いつも何を贈ろうかとあれこれ悩んだものだった。
義母に初めて誕生祝いをしたとき~たしかそれは白地に紺のシンプルな幾何学模様のブラウスだったとおもうんだけど~包みをバリバリと開け(義母はいつもゴーカイに包装紙を破き、リボンでくるくる巻いてゴミ箱に。母はというと、留めたセロテープさえも爪の先でそろりと剥して包装紙もリボンもぜんぶ取っておくタイプ)ブラウスを胸に当てるや「うれしい」と泣き出さはったんで、びっくりしたりカンゲキしたり。

母の誕生祝いを娘らが贈るのはごく自然のことだったけど、義父もつれあいも義母にそういうことはしたことがないらしく「ウチとこは、だーれも祝ってくれへんから、わたし自分の誕生祝い用に毎月掛け金してたんよ。一年たって満期になったら、それで自分で何か買うてお祝いしててん」と泣き笑いしながらその場ですぐにブラウスを着てみせてくれて、うれしかった。

▲なんというても「自分のための掛け金」というのが新鮮で。なかなか「自分のため」にお金を使わない母にも教えてあげなあかんなあと思ったものだ。そんな義母の誕生祝がいらなくなってもう三回目の7月だ

そういうたら、母のことは「母の日」に誕生日に、と忘れたことなかったけれど、父のことは時々知らん顔で過ごしたっけ。とりわけ「母の日」には娘らから何やかやと送ってくるのを「おまえはええなあ」と羨ましがっていたらしく。いつだったか母から「(お金は)わたしが出すし、お父さんにも父の日に何か贈ってやって」と電話がかかったことがある。

果たして、そのとき父に何か買うて送ったのかどうか全く記憶にないんだけど。母が娘らからの贈り物の包みを開けるそばで、拗ねたように新聞読みながらその様子をちらちら見ている父の姿が浮かんで、今更ながら笑うてしまう。

この間、三番目の姉がこどものときの写真をメールで送ってくれて、その中の一枚はわたしもだいすきな写真なんだけど、残念ながらわたしと母は写っていない。(わたしが生まれてまもない頃やろか)コート姿の父がしゃがんで、姉二人が両脇に、三番目の姉が父の膝に小さな片手を置き座って笑っている。父は若いときの佐田啓二みたいに、ちょっとおとこまえで「マイホームパパ」みたいにやさしく微笑んで。姉と「写真はうそつきやなあ」と笑う。


▲時代も家業も「成長期」で、とにかく年中忙しい家やったから、お客さんや近所の人に娘四人のことを「お嬢ちゃんばっかりで、にぎやかでよろしおまんなあ」とか言われると、いつも「つまらんけど、まあ、女の子やさかいに(家業や家事手伝いに)よう間に合いまっせ」と、父が答えていたのが、こども心に腹立たしかった。

▲思春期になると「待ってました」とばかりに父に反抗しては、そんなとき決まって返される「だれのおかげで学校に行かせてもろてるねん!?」には、よけい反抗心を燃やしてた。(一度「お母ちゃん!」と応えて、激怒されたっけ)

先日、是枝監督のエッセイ「父の借金」を読んだ。(是枝裕和対談集『世界といまを考える』第三巻 PHP文庫 所収)

是枝氏がお父さんのことを語っている文章は何度か読んだことがあって。だから【台湾で生まれ、従軍し、満州で敗戦を迎え、進駐して来たソ連軍に捕虜にされ極寒のシベリアに連行された。そこでの三年近い強制労働を何とか生き延びた末に初めて本土の土地を踏んでいる】(p385)ということは知っていたのだけれど。

タイトルにある「借金」の大変さは、だれよりも氏の母親が何度も味わうのだが、大人のしんどい状況は、たいていこどもにとっても辛い状況なわけで。ふいっといなくなる父親と、借金の不安はいつまでも消えない。そうしてお父さんは八十歳のとき、自宅からバス停に向かう道で突然倒れて亡くなる。

遺族にとって、一番心配だったのが、どこからか大きな借金が出てくるのではないか?ということだったそうで。母親には内緒で氏はお姉さんと父親の持ち物を探り、一枚の消費者金融のカードをみつける。

▲借り入れ額は、意外に少額で146130円だったらしい。ところが7年ちょっとの間に200回以上も返済と借り入れを繰り返してることがわかる。八千円返済して同時に五千円借りて。九千円返して六千円引き出し。九千円返して一万円借りる・・・というふうに。

▲消費者金融の分厚い明細を首をかしげながら息子が繰ってるようすは、なんだか是枝監督の映画の一場面を観ているみたいだ。可笑しいような哀しいような。それでいてやっぱり訳わからんお父さんのエピソードだけど。ひとはわからなさの中で生きているんやろな~としみじみ思う。他人のことも自分のことも。

そうしてわたしが父親にたいするきもちも、訳わからんまま、許せないと赦すを行き来しつつ、でも少しづつ色が変わってきてる気がする。寒色から暖色に。濃い色から淡い色に。

【僕が描いてきたのは、不在の父の役割を担い、子供時代を奪われたまま成長する少年や、家の中での居場所を失い、自分が稼いで建てた家を孫からは「おばあちゃんち」と呼ばれることに不満を抱く引退した医者の父でしかない。父は常にどこかで屈折し、居心地が悪い。そして、そんな父の苦悩は周囲からは理解されず、謎として処理される。それが、僕の父に対する実感なのだと思う。】(p384

【僕の父は死してなお謎のままではあるが、しかし、それは闇の中に不安や恐怖とともに存在する謎ではもはやなく、どこか暖かさを感じる光のようなものに変質している。それは僕が父になったこととどれ程関連しているのか?僕自身にも未だわからない。】(p392


*追記

その1)

是枝監督の対談集は1~3まであって、対談の相手もさまざまでおもしろく読んでいます。今回エッセイ(初出は『考える人』2015年冬号)にはお父さんの話にビクトリ・エリセ監督の『エル・スール』(←だいすきな作品)を重ねていて、この映画もまた久しぶりに観たくなりました。

この第三巻の最後は鴨下信一氏との対談「ホームドラマにおける芝居とはなにか」には、山田太一脚本の『岸辺のアルバム』から懐かしい『天国の父ちゃんこんにちは』まで語られていてうれしかったです。


『天国の・・』は1966年から放映されていた連続ドラマで、わたしは小学生の頃観ていたのですが、大人になって、「ひととき会」(朝日新聞「ひととき」欄に掲載された人たちの会)に一時期入り名簿に原作者の日比野都さんのお名前を見つけて、おお!とカンゲキしたことを思いだします。

ドラマのなかで何度も出てきた詩(主人公の「パンツやのおばちゃん」が亡き夫からプロポーズされたときの詩)もよく覚えています。

*このテレビドラマの一部(動画)を見つけました。劇中(3分あたりから)~園佳也子さんがこの詩を朗読してはります。→ もう主演の森光子さんもこの園佳也子さんも故人となられましたが。


【貧しいから あなたに差し上げられるものといったら

やわらかな五月の若葉と せいいっぱい愛する心だけです。

でも、結婚してくれますね。】


その2)

ペーター・ヘルトリング が亡くなられたそうです。

大人になってから、こどもの本を読むきっかけになった作家でもあり、いっときはわたしだけやなくて、息子も夫もよく読んでいました。『ヨーンじいちゃん』『ヒルベルという子がいた』『ひとりだけのコンサート』『クララをいれてみんなで6人』・・・と思い出す本がいっぱいです。(ここで少し書いたのは彼の自伝的な本『おくればせの愛』→


その3)

今回書けなかったけど読んだ本。
『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女』(上間陽子著 太田出版)→


その4)

観た映画。(よかった!)たいてい観たいと思う映画は、わたしが諸々の事情で行きにくい映画館でかかってて、いつも諦めてるのですが、これはわたしでも「行ける場所」だったので、迷わず行ってきました。

「トランプ政権がイランをふくむ特定7カ国へのビザ発給制限と入国の一時禁止を検討しているとの報道を受けて、主演女優タラネ・アリドゥスティとアスガー・ファルハディ監督も〈もし私の渡航が例外とされても到底許せない〉と声明を発表」~授賞式を辞退ということで話題にもなりましたが。

『セールスマン』


その5)

きょうはこれを聴きながら。
Patrick Watson - Shame


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by bacuminnote | 2017-07-11 09:21 | 本をよむ | Comments(0)

たっぷりと水をかけて。

ひさしぶりに墓参。
今春は京都大谷さんへの納骨からはじまって、身内の入院、母のホーム入居と続き、さすがの出無精(わたし)も毎週のように、あっちこっちに移動することが続いて、いつになく電車もバスもタクシーもぎょうさん乗って。

▲その合間に膝痛がぶり返したりおさまったり。よりによって、こんなときにどこからか水漏れで、水道工事は入るわ、PCのバッテリは交換せなあかんわ・・・。なんせ一日1イベント体質()なもんやから、日々おたおたとしながら過ぎて。

気がつけば6月もあとちょっとでおわり。
まだ堀ごたつのヒーターも片付けてないし、ダウンジャケットの洗濯もしていないけど。とりあえず晴れマークあるうちに~と、久しぶりのお墓掃除に出かけたのであったが。

梅雨時に雨の心配をしなくてよい真っ青な空はありがたかったものの、まあ、この日の暑かったこというたら。

近いようで遠い隣市の墓地までは、いつものように、時間はかかるけど、安うて乗り換えなしのバス~始発から終点まで約一時間。その間(かん)どれだけ停留所があるのか。いっぱいありすぎて数えたこともないけど。

それでも「次は◯◯~」というアナウンスに、降りたこともないのに、何回も乗ってるうちに耳になじんだ停留所のなまえが、その自動音声の妙なアクセントすらも、なんだかやさしくなつかしく聞こえて、自然と頬がゆるむ。

平日の午前中ということもあってか、車内はみごとに6080代で埋め尽くされている。後ろの席から押し車や杖を眺めつつ、買い物袋からはみ出た牛蒡や葱に、このひとらも又ウチみたいに早い時間に夕ご飯やろか~とその食卓に並ぶあれこれを想像したり、そや、今夜は牛蒡の時雨煮もええな~とか思ったり。

ようやく終点に到着して、近くのスーパーでお花を買う。
学生時代に、九州出身の友だちがこの「仏花」と名付けられた花と樒(しきみ)の束を、関西に来て初めて見てびっくりしたと言うてたのを思い出す。いわくジッカ周辺ではたいてい畑や庭に、仏壇やお墓用の花を何かしらは植えていて、適当にそれを切って束ねて生けたから、こっちみたいに、みんな揃いの短い丈のお花やないんよ~と。

わたしはこどもの頃から樒を後ろに当てたお花をひとまとめにして、花屋さんで作ってもらったり(出来上がりを)売ってるのが、仏壇や墓参用のお花~と思い込んでたけれど。考えてみたら、そこに咲いてるお花をお供えする友だちの郷里のほうが自然でええよなあと思ったり。
売り場の仏花の容器に「関西仏花」と書いてあったから、お墓の花も地域によってさまざまなんだろう。

▲そういえば、信州に暮らして初めての冬~雪に埋もれそうな墓石に、はっとするような赤や黄色が見えてびっくりしたことを思い出す。厳寒期にはマイナス20度をこえることもある地ゆえ、花も水もいっぺんに凍るから造花を入れてはったのだった。自然の中の作りものの鮮やかな色は、なんだかせつなくて忘れることができない。

さて、駅で乗ったタクシーから降りたら、とたんに地面から熱気がもわーんと立ち上がる。墓地にはすでに何人かお参りの人がいて、皆さん帽子と首にはタオル。どこもかしこも草ぼーぼーで、墓石が草に埋もれてるところもあって。入り口で背伸びして「ウチとこ」のを目視。「ひさしぶり」分の草の成長ぶりを確認。ため息。

さっそく花入れを洗い、ふうふう草抜きをしながら、ケッコンしたころ義父母に連れられて墓参したとき、知らんひとばっかりやった「ここ」に、今はもう、おばあちゃんもおとうさんもおかあさんも居はるんやもんな~と改めてケッコン39年という長い時間に感心して(苦笑)で、感心してる自分がまたおかしくて一人笑う。(あやしげなおばちゃん)

▲わたしはあんまり汗かきやないけど、この日は動くたびに文字通り「滝のような汗」が流れ落ちる。
夏に義母と墓参に行くと、きまって「おじいさん、おばあさん。坊(←つれあいのこと!)のおヨメさんと来ましたで~暑うおまっしゃろ~」とか言いながら、墓石にじゃぶじゃぶ水かけて。

「ああ、暑う。ウチも暑うてかなわんわ~」と柄杓を持ったまま首からかけたタオルで汗をぬぐってはったから。わたしもたっぷりと水をかける。
義母が逝って、ああもう二年たった。また暑い夏がはじまる。


*追記

その1)

暑いのんと、中腰で(膝痛でしゃがめないので)草抜きをしたので、ふらふら。ぐったり。「墓掃除一途になつてをりにけり」(岡本眸)~である。

で、駅についたらソフトクリーム、ソフトクリーム~とそればかり思って歩くも、駅の木陰でおにぎり食べたとこで時間切れ。バスが来てあわてて乗車することに(泣)


でも、帰りのバスは空いていて、バッグも横に置いて涼しい中で読書。ああ、ゴクラクゴクラク。この日はリハビリの帰りだったのでバッグに入ったままの本『ボーイズイン シネマ』(湯本香樹実)を。「シベールの日曜日」というフランス映画についてのエッセイを読みながら、途中出てきた寺山修司のことばについて、考えているうちによだれたらして(!)爆睡。気がついたら終点でした。
【人々は、自らが記憶し得た過去の情報の量を味方にして、現代の桎梏(しっこく)から身を守ろうとする】(寺山修司)

(同書p65 より抜粋)


その2)

いま読んでいる本→『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(ブレディみかこ著 みすず書房刊)

ブレディみかこさんの文章は以前からネットでも本でもよく読んでいましたが。あとがきにもあるように【政治は議論するものでも、思考するものでもない。それは生きることであり、暮らすことだ】(p282より抜粋)を、実感しつつ。この本のことはまたこんど書きたいです。

その3)

読んだ絵本→『先生ががんになっちゃった!』(宇津木聡史 文 河村誠 絵 星の環会刊)

これ、「学校の保健室」というシリーズの一冊みたいです。こんな本が出てるんや~とびっくりしましたが、ほかにも認知症やインフルエンザの巻もあるようです。→

この本は5年2組のみんなから慕われてる大野先生ががんで入院する、という設定で、心配でならないクラスの美咲と大輝は保健室の先生にがんという病気のことについて、質問して、それを探るべく体内への旅にでます。がん細胞の特徴、免疫細胞のこと。治療法では手術のほか抗がん剤から分子標的薬、放射線のことまで。思いの外くわしく書かれていて、正直なところ(こども向けやから、という先入観があったのやとおもう)おどろきました。からだのしくみを知ることはもちろんですが、「わたしたちには何ができるの?」という自らへの問いかけもあって内容はけっこう深いです。


(一晩考えてやっぱり~と書き加えました↓)

*気になったのは、本の最後の参考文献が二冊だけだったこと(内一冊はおなじ出版社の本)。医療関係者の監修がなかったこと。それから、わたしは絵のふんいき(これはとても大きいとおもう)が表紙もふくめて教科書の副読本的で、にがてでした。


その4)

そんなこんなで、映画もDVDも全然観てません(観たいのんいっぱいあるのに。残念!)それに、気がついたら本も、なんでか小説が全然読めないでいます。(読みたいのんいっぱいあるのに。残念!)


きょうはこれをひさしぶりに聴きながら。じつは"reticence"の意味もわからず、ずっと聴いてたけれど。「無口」といま知って、無口になっています・・。

Reticence- Ketil Bjørnstad  Svante Henryson →




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by bacuminnote | 2017-06-27 18:47 | 出かける | Comments(0)

▲6.15なんという一日のはじまり。

いつもコンセントも抜きっぱなしのテレビに、それでも受信料をあえて払い続けているのは、国会中継など「ここ」というとき観たいからなのに。NHKは今回(も)中継をしなかったから。朝いちばんの珈琲も淹れずにパソコンの前に座った。

何もかも念入りに仕組まれた、でも、ちっともおもしろくないドラマを見せられている気分で。むかむかする。いや、ドラマだったら画面の向こう側で何が起きようが、気に入らなければスイッチを切ったらそれで全部お終いにできるけど。もはやそんなのんきな話ではなく。

前にも読んだ『茶色の朝』の恐怖を思いだしながら(ここに書きました )この本の解説にあった高橋哲哉氏の【やり過ごさないこと、考えつづけること】を自分に言い聞かせる。

そんな重いきもちとは裏腹に、梅雨ながら毎日ええお天気がつづいて。今日も又すきとおった青空がひろがる。刷毛で掃いたような雲が「何あほなことばっかしやってるねん!」と人間を笑い飛ばしてるみたいに見える。

庭の緑は(草のことデス)このまえ刈ったとこなのにもう伸びて。ぐんぐん伸びて。「七月や既にたのしき草の丈」っていう日野草城の句があって。最初「たのしき」やなんて。よう言うわ~(苦笑)とか思ったのだけど。

後日この句が草城の晩年に近い時期、病気療養のさなかの作句と知って、そうか。せやったんか~草の勢いに「生」を思ってはったんか~としんみりする。けど、ふりかえってみるに、わたしも友人たちも若いときは快活とか、精気みなぎる~みたいなのはなんか恥しいと思ってて。服装でも生き方でも、ちょっと草臥れたような、枯れてるのが、かっこいいと思ってた気がする。

▲いまはもうみなぎる精気などはないから。映画館のシルバー料金をなんの証明も要らないことにちょっと不満なおばちゃんであり。若い日の老成のフリが愚かしくもあり、いとおしく思える。

さて、晴天続きってことで、午後に買い物や用事に出ると保育園のおさんぽや小学生が校外学習?から学校に戻るところに、たびたび出くわす。ぞろぞろ、ぞろぞろ長い列だ。暑いし、だらけてる。あっち見て、こっち見て。歌をうたう子、大きなあくびの子。前とうしろで、足を蹴った、蹴らないで、けんかする子。通りすがりのおばちゃん(わたし)に手をふってくれる愛想よしから、口をぎゅっと結んだ不機嫌な子も。

ああ、にぎやか。皆それぞれ、ばらばらで。センセはさぞかし大変やろけど。ええなあ。こういうのすきやなあ~と後ろ姿を眺める。そしてその後ふと、この子らにあんな国会のようすを、嘘と詭弁にまみれた政治家たちのうす汚れたことばを、大人たちはどうやって説明できるんやろ、と思いながら、歩く。

この間からリハビリの待ち時間に『ボーイズ イン ザ シネマ』(湯本香樹実著 キネマ旬報社)という本を読んでいる。わたしの持っているのは初版1995年刊なんだけど、初めて読んだのはずっと後。だから中に紹介されている映画の上映が終わっているだけじゃなくて、DVDにもなっていないものが多くて、観る機会がないのはとても残念。(本も絶版のようで残念)

それでも、ふしぎなことに観たいくつかの作品についてのエッセイより、むしろ観たことのない作品について書かれたものが印象に残って。文章から想像してちょっと「観たような気になってる」ものの、実際には観ていないからそのうち忘れて。しばらくしてまた初めて読むきぶんで本を開く・・というようなことを繰り返してる。ああ、これこの前も読んだなあと思いながらも、書かれている著者のこども時代のエピソードがそのつどたのしい。

そのなかの一篇『アーリー・スプリング』は、【ある日、私は穴を掘りはじめた。穴のなかに秘密を埋めるのだ】と、始まる。いや、これも映画の話じゃなく著者のこどもの頃の話なんだけど、気になる書き出しだ。(この方の「始まり」はいつもええ感じ)

最初は母親にもらったクッキーの缶にだいじなものを入れる。字はまだ書けなくてりんごの絵を描いてハサミやのりやガラス玉のついた指輪や牛乳瓶のフタを入れて。そして、それをどこにでも持ってゆく。これ、たぶん女の子でも男の子でも覚えのあるシーンだと思う。

つぎに母親の鏡台の抽斗のひとつを専用の抽斗にもらうことになる。鏡台の抽斗と聞いただけで、わたしも当時母のつかってた乳液の瓶やヘアーブラシが浮かんでくるようだ。うれしくて、著者は大好きなワンダースリーのシール(手塚治虫のSFテレビアニメ)を貼って、いきなり母親に叱られ断念。次に思いついたのが、だいじなものをクッキーの缶に入れてそれを「埋める」という方法で。著者はいっとき家の庭じゅうを掘って掘って掘りまくるんよね。

そういうたら、わたしもラムネの瓶から取り出したビー玉を姉からもらって、庭に埋めたことがあったっけ。はじめは、毎日のように場所をたしかめて、追加にボタンや川原で拾ったきれいな石とかも入れたりしたのに。そのうち確認を怠って(苦笑)はっと気がついたときは、どこかわからなくなってしまった。
だいじにしなければ、と思うものはだいじにしすぎて(?)仕舞いこんで、それがどこだか忘れてしまう~というこまった癖は未だ治ってないんだけど。

▲やがて著者は中学校に入って、鍵のかかる抽斗のついた机を買ってもらい「秘密を隠す場所探し」はとりあえず終わることになる。
【私はいつも、その鍵を持ち歩いた。ひきだしの中身より、鍵が宝物みたいだった】(p16)この感じよくわかるなあ。わたしの場合は鍵付き日記だった。あこがれのそれを初めて手にしたとき、こんなのでちゃんと閉まるのかと思うくらい錠前も鍵も小さくて。指先でつまむようにして鍵をもって鍵穴に入れて回すと、カチッと錠が開いて。そんなん当たり前やのに、そのことにカンゲキして、中に何書こうかとドキドキしてた。

▲こんなふうに本を読みながらわたしは著者の思い出話から自分のこどもの頃へと、何度も何度も飛んで行ってる。すっかり忘れてしまってたようなことが、ふいに目の前に現れて。しばしタイムスリップしたみたいに「そのころ」を歩いてくる、というトリップを楽しんでる。たまに思い出したくなかったことも見えたりするんやけど。

そうそう映画のことは、最後の6行に書かれているだけ。湯本香樹実さんのこのセンスだいすき。(いつも長々しゃべりすぎのわたしのあこがれ)
この映画観たいなあ。(予告編

【『アーリー・スプリング』のエスターを見ていると、心のなかの秘密のひきだし、そこにおさめられた秘密ののぞみ、そんなものが世界の半分を占めていた頃のことを思い出す。少女のリアリティが心身両面から立ちのぼってくる、素敵な映画。エスターが駄菓子やパン類を頬張っているシーンがたくさんあって、そういうところもなんだかうれしくなるほど女の子そのものなのだ。】(同書p1617より抜粋)

*追記

その1)

思春期の鍵付き日記はともかく。社会にむけて自分の思いや考えに鍵をつけなくてはならないなんて、とんでもないこと。まして、その鍵をだれかに管理されるなんて、あってはならないこと、と思います。

その2)

このあいだ、本屋さんの絵本のコーナーに行ったら『たねがとぶ』という本と目があいました。どこかで見たことのある本だと思って奥付をみたら1987 年発行の「かがくのとも」(福音館書店)とあったから。探せば家のどこかにあるはず、と買いたい気持ちを抑えて帰ってきたのだけれど。帰り道もずっとタイトルの「たねがとぶ」が残っており。あらためて、ええ題やなあと思う。自分がずっと思ってることはこれやな、と思う。

道端の草に花が咲き、花のあとに実をつける。実のなかには種がある。


【たねは、くさの つくった くさの こども。

 やがて、くさの こどもは たびに でる。

 あたらしい ばしょに なかまを ふやすために。

 かぜに ふかれて そら たかく

とんで とんで とんで とんで、つちにおちて

めをだして おおきく なって、また たねを つくる。】

p1619

その3)

前回更新から16日も経ってしもて。長い休憩でした。休憩の間に、ここに来てくださった方、「なんかあったの?」と心配して尋ねてくださった方、ありがとうございます。わたしは元気ですが、これまでは年にほんの数回しかなかった遠出がけっこうあったり。いっぺんに複数のことができない不器用モンで、自分でもなさけなくなります。

そういうたら、昔パン屋のころ(前にも書いた気がしますが)一次発酵後のパン生地をスケッパーで分割して計量して、作業台で向き合って立つ つれあいがそれを次々丸めて天板に並べてゆくのですが。最初は寝起きということもあり(つれあいは午前2時半頃起床。わたしは一次発酵が終わった数時間後に起床、でした)無口なわたしも、だんだん調子づいて、しゃべりながら作業するわけです。

と、しらんまに話すことに熱心になり(苦笑)手がお留守になって、よく怒られました。この行程は、というか時間配分は発酵、焼き上げに影響するのでとても大切なのでした。で、しばらくはしょんぼり黙々とスケッパーで生地切る音だけが小さく響くのですが。が、またそのうち忘れておしゃべりを始めるんですよね。これが。(そして、今もかわらず・・)

その4)

きょうはだいすきなこれを聴きながら。

take a walk on the wild side・・

Lou Reed -Walk On The Wild Side→


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by bacuminnote | 2017-06-17 10:56 | 本をよむ | Comments(0)

今月三度目の遠出。
いつも家に篭ってるから、外出が続くと自分やないみたいで、なんだか落ち着かないんだけど。この季節の吉野方面への道中は車窓からの景色を見ているだけで、緑がからだの中に入ってゆくというか、自分がどんどん緑になってくようで、気分が昂揚してくるのがおかしくて。
窓に額くっつけてひとり、くくくと笑うてしまう。いま暮らしてる町もけっこう緑は多いんだけど。ここ通ったあとに見たら、きっと映画のセットみたいに感じるやろなあ。

今回はつれあいとふたり。彼もまたこの前の息子みたく久しぶりの近鉄南大阪線~吉野線の景色にじっと見入ってる。
窓の外、ぽつぽつ見える建て替えの新しい家がある他は、わたしの高校の電車通学のころ(1970年代)とほぼ変わらず。ただただ山と少しの畑がつづく景色が沁みる。

いや、走る電車の中から通り過ぎる景色に、余計なものが何もない、と感動してるのと、そこで留まり暮らすひとの思いが重なるか、というのは、幾度か経験した田舎暮らしで少しは想像できるから。ときに「余計なもの」も生活を潤わせてくれるから。単純に「田舎はいいなあ」「住んでみたい」とは言えないんだけど。それでも。やっぱり、ついつい、なんべんも。「ええなあ、ええなあ」とつぶやいてしまう。

見舞いに行った先の病院もまた緑緑緑のさなかにあり、病窓から山の稜線がそれはみごとで、きもちがしんとする。
携帯用の絵の具セットでそんな山々を描いてるらしいと聞いてうれしかった。
そのむかし辰巳浜子さんの料理本でおいしいもんを拵えてくれたひとに、その娘辰巳芳子さんのスウプの本をもって来た。「ほな、またね」と握手(おもいきりハグしたいとこやけど傷口に堪えるし)して。お見舞いのつもりが、山々と澄んだ空気に見舞ってもろぅたきぶんで病室をあとにする。

オンバサラダルマキリソワカ。
(まえに旧友jと行った京都三十三間堂でであった真言。「いのりましょう。大切な人のために。そして、生きとし生けるもののために。」

次はいま走ってきた電車で何駅かもどって母のホームに。

午後のホームも電車もがらーんとして。停車のたびに車内をええ風が通ってゆく。なつかしい駅名に、ここからはあの子、次の駅ではあの子、と電車通学のかつての同級生の名前が(もうすっかり忘れていたのに)自然に口をついて、おどろく。
さてようやく最寄り駅に到着するも、タクシーも出払って、バスも次の出発まで45分もある。困った。つれあい一人だったら歩いて行ける距離なんだけど、わたしにはちょっとキツイんよね。

しばらくの間、母に要るもの聞いてコンビニで買い物したり、その辺うろうろして待ってみたけどタクシーは戻ってくる気配がない。

結局、停車中の行き先のちがうバスの運転手さんのアドバイスで、ひと停留所分そのバスに乗って残りふたつ分を歩く、という方法をとることになった。

その日は夏みたいに暑くて、ふたつめの訪問ということもあって、がっくりきてたけど、バスに乗るや「あ、やっぱり歩かはりまっか?」と運転席からバックミラーをみて運転手さんが声をかけてくれて。「他所から来た人」と思わはったんやろね。続いて「◯◯☓☓カードは持ってはりますか?なかったら、190円まわりしといてくださいや」と。

その親切な応対もうれしかったけど、何よりわたしは「まわりする」に、じんとくる。「まわりする」とは奈良県(主に南部?)で「支度すること」なんよね。ここでこんななつかしい言葉聞くとは思わへんかったから。一気に疲れがとんでいくようで頬がゆるんだ。
バス停ひとつ分はあっという間にすぎたけど、坂道だったので助かった。降りる時も「この道、まーっすぐ、まーっすぐですさかいに」と教えてくれて「おおきに~」と下車した。

部屋でじっと待ってられへんかったのか、母は押し車を押して玄関ホールまで降りてきており、苦笑。そういうたら、つれあいのお母さんもわたしらが滋賀や信州の家から車で帰省のおり、何度も玄関の外まで出て(携帯電話のない頃やから何時に着くかもわからへんのに)待ってはったようで。
そんなお義母さんをみんなで笑うてたのに、今はわたしが息子らが帰ってくるとき、おなじようなことをして「いさこさん(義母のなまえ)現象」と家族にからかわれている。

長生きしてよかったことも、しんどいことも。母の喜怒哀楽も日替わりだけど、ここに来てもやっぱり好奇心旺盛で、若いスタッフに「ずっとこの仕事してはるの?」とか話を聞いたりしてるようで(苦笑)。
「なんか営業の仕事してたらしいけどやめて、僕には介護の仕事が合うてると思います~って、言うてたわ」とか「今日は100歳のひとが前に座らはった。100歳のひとなんて初めてや」とコーフン気味に話す母も、一ヶ月後には94歳になる。自室の壁には、わたしが出したポストカードと、習字教室で書いたというじまんの一枚(たぶん)が貼ってあって。「五月晴れ」と書かれてた半紙が風でゆれていた。

*追記(いつものことながら、長いです)

その1

この日のおともは『もういちど自閉症の世界と出会う 支援と関係性を考える』2016年刊)という本でした。この間読んだ『ち・お115号』「親になるまでの時間」前編(浜田寿美男著)がとてもよかったから、自分のなかで反復したり、書かれたことについてつれあいとご飯たべながら、のみながら、話したりして。いろいろ考えていたとこに、ツイッターでよくやりとりしてるkさんがこの本に言及されていて。ああ、その本つれあいが買うてウチにあったなあ~と思い出して、読み始めたのでした。

ツイッターのたのしいところは本や映画をきっかけに、それが広がり深まる「きっかけ」を得られるところ。あとは自分しだい。そのまま忘れてしまうこともあるし、本や雑誌なんかは知って、「おお!」とおもって即注文、ってこともある。自分では用意できなかった種をもらってる感じ。

『もういちど・・』は何人かのひとが書いてはるんだけど、とりあえず関心をもった浜田寿美男氏の頁(第三章 自閉症という現象に出会って「私たち」の不思議を思う~わかりあうことの奇跡と わかりあえないことの自然)から読み始めましたが、車中で何度も隣席に「ちょっと聞いて」と読み聞かせ(笑)をしました。このことは(さっき書きかけたけど、めちゃ長くなりそうやから)次回に書こうとおもいます(つもり・・)

そのまえに『ち・お115号』です。

いくつかこころに残ったところを書いてみますが、ぜひ読んでみてほしい一冊です。7月には116号がでます。たのしみ。

【あえていえば、人は発達のために生きているのではありません。どんなにささやかであれ、手持ちの力を使って生き、それぞれの生活世界を広げていく。新しい力が生まれてくるとすれば、それはその結果でしかありません】(p37

【実際、ことばが出てきてはじめて人同士のコミュニケーションができるかのように思われがちですが、ことばはむしろことば以前の身体でのコミュニケーションがあってはじめて出てくるもの、それを逆立ちして考えてはいけません。】(p46

【ことばを乗せるコミュニケーションツールが地球規模で蔓延するいま、ことばの空回りもまた蔓延しています。人類はどうしようもなくおしゃべりなのです。だけど、おしゃべりがほんとうに意味をもつためには、そのおしゃべりがテーマとする現実世界を、まずは身体で共有すること。そのためにはときとして沈黙して、互いの身体を見つめ、その表情を読みとることも大切ではないかと思います。】(p48

その2

引用文のなかの「そのためにはときとして沈黙して・・」は「どうしようもなくおしゃべりな」わたしに沁みることばでありました。

そういえば、そんなわたしがほんまにしゃべることができなくなった時があります。

時期的にいえば、下の子が小学校入学前だったことから、耳鼻咽喉科ではあっさり「ストレスかなあ」とドクターに言われたのですが。自分では保育園と小学校のちがい(たとえば食物アレルギーでお昼は別に作って持って行ってたことも、本人が入学前から「ぼくガッコに行かんとこかなあ」と登校に乗り気やなかった!ことも、保育園のときから「引き続き」という感じやったし)への不安も特別なかった気がするのですが。


何より、風邪でもない、扁桃炎でもないのに、なぜ声がでないんだろう。ていうか、ふつうはどうして声が出るんだろうと、生まれて初めて「しゃべる」ことへの疑問をもったことを思いだしました。

結局わたしの場合「声帯に隙間ができて震えない状態」やから声(音)にならないのだろう」ということで、一応なんか薬は出たけど、ドクター曰く「一番有効なのは沈黙です」とのことでありました。

これ、なかなか苦行やったんですが、黙ってると見える(感じる)こともあって、ええ経験でした。(しらんうちに治ったので、また忘れてしもてる・・)

その3

ここ二ヶ月ほどいろいろあって、容量のちいさい頭とこころがパンク寸前でしたが、ようやく山ひとつこえたかな、というとき。おもいきって映画館に行ってきました。たった2時間ほどだけど、暗闇で、ひとり、黙って(!)観て。
とてもとても佳い時間でした。映画館でたあとも、エンドクレジットのバックで流れ続ける海の音がずっと耳元で聴こえてた。ああ、海のそばに行きたくなりました。

『マンチェスター・バイ・ザ・シー』


その4)

『図書』(岩波書店)前からの連載(梨木香歩「往復書簡」)も、新連載(ブレディみかこ「女たちのテロル」などなど)~おもしろいです。4月号は本屋さんで本買ったときもらって、5月号はもらいそこねて図書館で借りて、6月号からとうとう定期購読注文。はやく届かないかなあ


その5)

長くなりました。さいごまで読んでくださって、おおきにです。

もう、日々煮えくり返るようなことばっかりですが。知る、考える、怒る、は手放したらあかんと思う。
きょうはこれを聴きながら。

Max Richter - Dream 1 (Before the wind blows itall away)



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by bacuminnote | 2017-05-31 18:53 | yoshino | Comments(0)

雨戸を開けたら、朝のひかりのなか雨あがりの新緑がまぶしい。一雨ごとにボリュームアップしてる木々。
毎年のことながらこの時季の草の成長ぶりもまたみごとだ。とりわけどくだみの勢いというたら、ほんま笑うてしまうほどの繁殖力で。濃いハート型の緑はじわじわとかくじつに庭を覆ってゆく。

梅の木はちょっと見んまに実がなり始めて。木の下にはちっちゃな青いお臀がいくつも落ちているのに気づく。わさわさ黄緑色の薄い葉っぱも、すきまから見える空の青もすがすがしくて。首がいたくなるまで上をむいて「そうだ」とひと枝切って、ガラスの一輪ざしに活けてみる。
母がここに来たとき、おなじように空を仰ぎながら「梅の木があるのはええなあ」と言うてたことをおもいだす。八十代のころは何日も泊まりに来たこと、あったんよね。

「新緑やうつくしかりしひとの老」(日野草城)

そんなこんなで、ちょっと母の声が聞きたくなってホームに電話したら「きょうはな、朝食のときカーネーションを一本づつもらってん」とうれしそうに言うので「よかったなあ」とこたえる。いちおう「その日」が「ちょっとは気になってた」娘なのだ。

▲気にはなっていたけれど、あまのじゃくやし、くわえて亡き義母のホームでも毎年「母の日」にはお花の宅配便がいっぱい受付に届いていたのを思いだしたりして。この、同じ日にいっぺんに同じような贈り物の届くシステム(苦笑)がなんだかなあ~と思うのであった。届くひと、届かないひと。それにあたりまえのことながら母でないひともいて。いろいろ考え出すとついつい足ぶみしてしまう。

▲なにより、お正月の迎春商戦がおわると節分、バレンタイン、ひな祭り、ホワイトデー、イースター、こどもの日、そして母の日や父の日と・・・続いて。いつのまにか「~の日」は「なんか買う(買わされてる)日」になってしもてるのも気にいらん。
そんなカタク考えずにもっと気楽に贈り物しあったらええやん~と、もうひとりの自分がつぶやく。いやいや、贈り物はおくるのも もらうのも(!)大すきなんだけど。
踊らされるのは大がつくほど嫌なのであって。

先日、旧友Jと会った。何年も会えなかった時期もあるけど、こんなふうに、毎月のように会うて「つもる話」ができるのは、ほんまうれしい。

そういうたら、ケッコンして一年半ほどはJの家の近くに住んでいたんよね。(ていうか彼女の暮らすまちにわたしらが越して行った)
今おもえば、学生のころのように気楽で夢のようにたのしい時間だった。こどもの誕生後もしょっちゅう遊びに行って、いっしょに銭湯に行き、二家族で夕ご飯を食べた。

▲そうそう、この日はわたしが家を出た記念日で。そんなこと思いもよらずに会うたんだけど、ケーキセットにて(何にするか、きゃあきゃあ言いながら)祝った(笑)(*あ、イエデのことはここにも書きました)

あの日から早や38年である。20代やったわたしらも60をこえ、お互いのこどもらもええ歳になり、彼女は「おばあちゃん」にもなった。

▲ウチに寄ってくれた彼女にそのころからずっと使ってるフライパンを見てもらう。それはアパートを決めた日、彼女に連れて行ってもろた店で、ちょっと張り込んで買ったもので。近頃は重くかんじる鉄のフライパンを持つたびに、狭いだいどこに立って、なんでもかんでもこれ一つで作ってた頃をなつかしくおもいだす。

このあいだ『くらす』(文・森崎和江 絵・太田大八 復刊ドットコム)という絵本を読んだ。(この本は1983年に訪問販売でのみ発売されていたシリーズ本だったのを、2015年復刊ドットコムから出版されたものらしい)

小さな漁師町に暮らす人たち。両親と結婚がきまったおねえちゃん、年の離れた弟ひろしの四人家族の一日を、ひろしが語る。

〈あさの さんじに おきました そとはまっくら〉軽トラにいっぱい積み込まれた花。車のむかう朝市にはお店がいっぱい。

おとなりのおばあちゃんと猫。村のみんなで道路の大掃除。連絡船の船長さんはおねえちゃんの「こいびと」。船大工のおじさんの仕事場。畑帰りのおばさんは娘のゆみちゃんの車椅子を押してあるく。
〈ひろしちゃん あおぞらがいっぱいね〉〈むこうに あかとんぼがいたよ〉

〈ゆうごはんが すんで おかあさんが おふろで うたっています「ながいおふろね」とおねえちゃんが わらいました〉

いつもの毎日。あたりまえの暮らしのスケッチ。それなのに、なんでこんなにひとつひとつの場面に、その短い文と素朴な絵に、じんとくるのだろう。

▲いっしょに本を読んだJが「出てくるひとらの表情がええなあ~」と絵描きの眼で言うてたけど。そしてそれはもちろん太田大八さんの絵の力によるところが大きいのだと思うけれど。当時の(モデルになった)村のひとたちもまた、ひとりひとりちがうええ顔してはったんやろなあと思う。と同時に、いつのまに皆のっぺりと同じ顔になってしもたんか、と唸るのだった。

▲せやからというて、あっさり「昔がよかった」になるのはごめんだ。古く「悪しき」ものは終わりにして「良き」ものを残してゆくにはどうしたらいいか~「便利」にはかならず落とし穴があることをこどもらに(大人にも!)伝えるのにはどうすればいいのか。ああやっぱり、最後には「それは教育」と思うのだった。(以前ここにも少し書きました)


*追記

その1)

最近やっとすこし本が読めるようになりました。

いろいろ気掛かりなこともあるのですが、思うても詮ないことをぐるぐる考えてるより、本を読む時間がそんな「ぐちゃぐちゃ」から抜け出せる時間にもなる、と今更ながら気づいたりして。


『太陽と月と大地』 (コンチャ・ロペス=ナルバエス作 福音館書店刊)あの宇野和美さんの訳、あの松本里美さんの銅版画ということで、出版をたのしみに待っていました。カバーの絵も挿絵も、装幀もとてもすてきです。いちばんに頁を繰って挿絵を探してうっとり~なんて、こどものとき以来やなあ。

そして次に読むのが「訳者あとがき」です。(本編あとまわしになってすみません)宇野さんの「あとがき」にはいつも、著者のことだけでなく、物語の背景となる国の歴史や政情まできちんと書かれていて、ええなあと思います。ひとの暮らしのバックには、必ず歴史や政治があるわけで。物語にそれが直接描かれてなくても。登場人物や背景の理解が深まり、また次の「知りたい」につながってゆくから。


物語は16世紀のスペイン。キリスト教徒の伯爵令嬢と伯爵家に長年仕えてきたイスラム教徒の家に生まれた少年。両家の人々も、そして淡い恋心を抱くふたりも、宗教や民族の対立に巻き込まれてゆきます。
180頁の薄い本ですが物語は重厚です。最初は登場人物のなまえや地名がわからず戸惑いましたが。でも、
だいじょうぶ。ちゃんと最初に絵入りの人物相関図と地図がついています。


〈人が豆つぶのように小さく見える。遠くから見れば、キリスト教徒もモリスコも区別がつかない。みんなただ、人間というだけだ。〉(同書p113より抜粋)*モリスコというのはキリスト教に改宗した元イスラム教徒のこと。


〈しかし人が自尊心を持てるかどうかは、ほかの者が自分をどう見るかではなく、自分が自分をどう思うかで決まるのです。〉(同書p156 より抜粋)


その2)

観た映画(DVD)

「禁じられた歌声」

「永い言い訳」

「ブルゴーニューで会いましょう」 

「淵に立つ」


その3)

きょうはこれを聴きながら。

Stefano Guzzetti-Mother →






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by bacuminnote | 2017-05-16 14:23 | 本をよむ | Comments(0)

▲もう5月だというのに、朝晩の家の中はひんやりとつめたくて。

パジャマ姿で起きてきた帰省子は(←これ、夏の季語らしい)「この家、ほんま寒いなあ」と首をすくめてウインドブレーカーのファスナーを上まであげる。
というわけで、わたしも相変わらず冬とあんまり変わりない格好のまま過ごしているんだけど。

ひるま買い物に出て、ウインドウに映った自分の冬っぷりに苦笑。いやいや、季節の先取りは若いひとらのもの。わたしは「ぬくい」がいちばんいちばんと背筋をぴんとのばしてみる。
そのくせ、帰り道の上り坂では汗ばむほどで。ほんま今時分の一日の温度差の大きいこというたら。風邪ひかんように気ぃつけんとね。

春になると早足でいってしもた友人らのことを思い出したりして。待って待って待ちかねたはずの春は、しかしいつもすこし憂鬱だ。くわえて寄せては返す大波小波。

そんなこんなで、こどもの頃すきやった爪楊枝の先でつついたら、ぷちっと弾けるまぁるい羊羹みたいに、ここんとこ「きんきん」なきもちを持て余し気味なんだけど。
あかんあかん~ごちゃごちゃ思うてないで、熱いお茶でもいれて、くるんと剥けた羊羹をぱくりと食べようやないの。

▲このあいだ図書館の児童書コーナーで、お年寄りの写真が表紙の絵本と目があった。その本『さいごまで自分らしく、美しく』 (写真・文 國森康弘 農文協)副題にはともにすごした「夢のような時間」とある。

表紙の老婦人は清子(せいこ)さん。夫を癌でなくしてから自宅でひとり暮らしをしていたんだけど、やがて介護が必要になって、娘さんの空美(ひろみ)さんらが週一回泊まりに来るようになり、とうとう2階に一家で越して来てくれる。

余談ながら「空美」という名前はお母さんの清美さんが出産のとき、お父さんが「助産師さんを呼びに走りながら見上げた夜空があまりにもきれいだった」からやそうで。このエピソードからも、仲のよいご夫婦やったんやろなあと想像する。
老いてなおチャーミングな清子さん~若いときは「銀座のOL」で。職場で出会ったおつれあいは、満員電車で押しつぶされそうな清子さんを守ってくれたそうだ。

空美さんは脳梗塞で半身まひしたお母さんの介護をする生活になるんだけど、仕事や家事をしながらのお世話が、だんだん大変になってきて。もう無理かも、というときにホームホスピス『楪』 (ゆずりは)の存在を知るんよね。そうして「楪」へのお母さんの入居が決まる。

「ここにきたときは、家を追い出されたように感じたわ」
「あたしのパンケーキがくずれていただけで、職員さんに文句いっちゃった。胸の奥でね、言葉にできないいろんな気持ちが、ぐるぐるまわっていたような・・・」
清美さんはそのころを振り返ってつぶやく。

人見知りはするし、人前でむじゃきに笑うのも苦手なの」

「気むずかしい人と、思われてるかもしれないわね」

初めて「他人と暮らす」毎日。けれど、そんな共同生活の中で清子さんは喜代子さんというかけがえのない友だちを得るんよね。

年老いて「出会えた」友だちとは「娘にいえないことまで話しちゃう」関係に。ふたりが話し込んでる写真は、ほんまにええ感じ。いくつになっても友だちってええもんやなあ。よかったぁ。よかったですねえ~と声をかけたくなる。

でも、そんなふたりにも別れの日は来て。
ねむる喜代子さんの手をにぎり「もう、お別れしなくちゃならないの?」と洟水の清子さんの写真がつらくてせつなくて。図書館ということもわすれて立ったまま泣いてしもた。
やがて清子さんも、とわのねむりにつく日が来て。娘の空美さんが狭いベッドに添い寝する姿に胸がつまる。

▲図書館からの帰り道も、家に着いてからも、この本の写真やことばが忘れられず、翌日もまた図書館に。おなじシリーズの『月になったナミばあちゃん』~「旅立ち」はふるさとでわが家で~も見つけて二冊借りてきた。

『月になった・・』は、かつてわたしらがパン屋をはじめた滋賀・愛知川(えちがわ)の、川の最上流にある君ヶ畑という集落で生まれ育ったナミばあちゃんが、ひとり暮らしの後、娘さんの家にひきとられ、ふたたび君ヶ畑に戻って旅立つまでの記録だ。

▲歳とって人生最後の住処が施設でもふるさとでも。見守ってくれるひとが娘や息子でも、友人でも、他人であっても。ふたりのおばあちゃんのお顔の清らかなこと。

この写真絵本をこどもたちはどんなふうに見るのだろうか。
生まれてやがてはだれもが死んでゆくひとの一生を、わたしがちいさかった頃みたく、こわいような物語の世界のような温いような冷たいような、ふしぎな感覚で読むのかなあ。

▲いや、そのまえにわたし自身が経験することであって。

そう思うと、ふだんは「じきおむかえがくるの、こないの」「おとうさんがなかなか来てくれへんし」とか、母と冗談言い合って大口開けて笑うてるくせに。本を読んだあと、胸の底からゆさぶられてる自分にちょっと戸惑うている。おとうさん、呼びにくるならゆっくりにしてね~

【いつか死ぬ。それまで生きる。】
『父の生きる』伊藤比呂美著 光文社刊 ~帯の惹句(以前
ここにも)



*追記

その1)
清子さんと喜代子さんの友情はやがて、喜代子さんの娘・恵子さん、そして空美さんと恵子さんの関係もいたわりあう仲になったといいます。このあたりのお話は10巻におさめられてるそうで、ひきつづき読んでみたいです。→

その2)

前回につづき、あまり本も読めていないのですが、「待っててね」とねかせてる(!)本を何冊か書いてみたいです。
『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』115号の「親になるまでの時間」(浜田寿美男著)『ちいさい・・・』(略して「ち・お」といいます)の発刊は息子2がうまれた年なので、よく覚えています。それまでにない雑誌だったからです。育児雑誌というのはあったけど、こどもをとりまくいろんなひとたち、親や保護者も、そうではないひとたちも共に考える雑誌やったから。

今回はだいすきな古書店カライモブックスの奥田直美さんが編集人となった記念すべきリニューアル第一号で、その姿カタチもみごとな変身ぶり。かろやかなイエローのカバーもすてきです。雑誌というより大きなひとつのテーマの単行本のスタイルです。ふろくの「chio通信」というのが、附録なんて言うてええのか?というくらいのボリューム。ずばらしい。おすすめです。くわしくはカライモブックスのブログで→


『ちいさい言語学者の冒険』(広瀬友紀著 岩波書店)→

『ウィル・グレイソン、ウィル・グレイソン』(ジョン・グリーン、ディヴィッド・レヴィサン作 金原瑞人、井上里 訳 岩波書店)→

映画も観たいし本も早う読みたい。

その3)
今日はこれを聴きながら。フランス語はぜんぜんわからへんけど、聞いてると映画観てる(わかってる)気分になったりして(苦笑)カナダのケベックのバンド~ギターとヴォーカルはユベールとジュリアンのチアソン兄弟。
↓うたは英語。2'30"くらいから始まります。

The Seasons - Apples→






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by bacuminnote | 2017-05-02 22:02 | 本をよむ | Comments(0)

小鳥くる。

▲めずらしく本を読まない(読めない)時間がここしばらく続いている。
それでも、こどもの時分からの癖で毎晩本を持って布団にもぐりこんで。目をとじる。眠れなくて目を開ける。ふたたび目を閉じる。
いつも枕元に本があるのは、たぶんわたしの安心のしるし。読んでも、読めなくても。

▲このあいだ(というてもだいぶ前になるけど)思い立って友人とドキュメンタリー映画『人生フルーツ』を観に行って来た。この映画のことは、もうずいぶん前からあちこちで、とりわけわたし位か、もう少し上の世代の人がブログなどでこぞって絶賛してはって。ほんま言うとね。それを読んだだけで、もう「観なくてもわかった」的気分になっており(すまん)。それに「おだやかにていねいに暮らす」とか言われたら尚のこと、背をむけたくなる天邪鬼も自分のなかにいたりして。

▲そのうち上映館も一つ減り二つ減り、まあいつかDVDになったら~とか思ってたんだけど。観てきた友だちが言うてた「二人、ほんとに仲がいいのよねえ」のひとことがずっーと残ってて。つまり「仲のよいフウフ」に引っかかってたもんで。「今さら」と思いつつ、公式HPみてみたらまだ上映館があることを知ったのだった。

▲ケッコンして40年近いというのに、いまだにかんかんがくがく、けんけんごうごう(苦笑)な自分たちをおもって、わたしは時々ふかーくため息をつく。
「あんたら若いなあ。わたしらそんなんとっくに諦めたわ」「もう今さら、人は変わらへん、って」と、センパイ方は言わはるんやけど。

▲「諦める」とか「言うても仕方ない」やなくて。
どうしたらフウフなかよく(いや、ウチも仲が悪いというわけでもないけど)何より、おだやかにすごせるのやろ~と。農的生活や「ていねいな暮らし」にスポットライトのあたるこの映画に求めるモンが「そこか?」と笑われそうやけど。けっこう真剣にそこのところを観て確かめたかったんよね。

▲その日は友人のやさしいエスコートで、エスカレーターやエレベーターを使って(方向音痴のわたし一人だと探すのにくたびれて仕方なく階段を昇降することも多いのデス)すいすい目的の映画館に。
お客さんは中高年の女性が多かったものの若い人らもけっこういて。
ひさしぶりに来たけど、ここはやっぱり上映してる作品がすきなものが多くて『草原の河』なんかはもう予告編のみじかい時間だけで、ぐっとひきこまれて観たくなる。
やっぱり、たまには「街」に出てこんとあかんなあ。

▲さて、本編である。建築家の津端修一さん(撮影当時90歳)は、愛知県春日市の高蔵寺ニュータウンの一隅に樹木と畑に囲まれたお家に妻・英子さん(87歳)とふたりで暮らしてはる。

▲修一さんはかつて阿佐ヶ谷住宅や多摩平団地などの都市計画に携わる。
そして1960年代 伊勢湾台風の高台移転として当時住宅公団のエースだった修一さんが高蔵寺ニュータウンの設計を任されることになって。

▲彼は風の通り道になる雑木林を残し、自然との共生を目指したニュータウンを計画するんだけど、経済優先の時代の波にのみこまれ、結局完成したのは理想からほど遠い四角い建物がずらりと並ぶ大型団地で。
その後修一さんはそれまでの仕事から距離をおき、自ら手がけた高蔵寺のニュータウンに土地を購入して家を建て、みんなにも呼びかけて雑木林を育て始め、里山再生のローモデルとして提唱し続ける。

▲「平らな土地に里山を回復するには、それぞれの家で小さな雑木林を育てる。そうすれば一人ひとりが里山の一部を担えるのでは」というわけだ。
映画の中でも「ドングリ作戦」と称し、開発でハゲ山になってしまった高森山に樹木を植える運動が当時の写真と共に紹介されるんだけど、氏の熱のようなものが伝わってくる。

▲彼の師アントニン・レーモンド氏の自邸に倣ったというおふたりの家は、木造平屋で台所と30畳の広いワンルームである。
大きなダイニングテーブルのうしろに、修一さんのデスクがありベッドもふたつ並んでいるのが見える。天井はなく、光の入る高窓を長い棒を使って開閉する。玄関もなくて、庭からそのままあがる。センスはいいけど、気取りのない、居心地のよさそうな家だ。

▲せやからね。
映画で映し出される二人は、ほぼこのダイニングテーブルの前に腰かけてはるか、台所か、70種類の野菜が育つ畑と50種類の果実が実る木々の辺りで土をさわってはるわけで。

▲そうそう。
あるとき「このテーブルから庭を見るのが気に入ってる」というような話になって、季節でテーブルの位置を少しずつずらしたりしてると二人が言うて。
「この位置がいい」という修一さんに、すかさず「わたしは、ほんとはもうちょっと◯◯のほうが好きなんですけどねえ」と英子さんが返してはって。
「お、いいぞ、いいぞ」(苦笑)とにんまりする。

▲津端さん夫妻は年齢的にはわたしの親世代であり。
母がそうだったように英子さんもまた夫・修一さんに話すのはキホン敬語である。でも、語り口は敬語だけれど、彼女は思ってることはちゃんと夫に言うてはるんよね。
なんども出てくる食事風景(畑のものを存分に使いおいしそう!)の中、朝食に修一さんにはご飯。英子さんはというたらパン~というのが印象的だった。ゆるやかに、しかし「自分流を通す」ということか。

▲で、わたしやったら、と考える。
和洋二種類も作るのフケイザイだの、めんどくさいだの~と、こぼして(自分のすきなものを)がまんしてつれあいに合わせるか、あるいは、つれあいに「今日はこれにしとき!」と押し通すか(苦笑)どっちかになりそうだ。(もちろん彼が自分で拵えるという選択もある)
でも、ほんま言うとこういう日々の一見「小さながまん」は積み重なると、思いのほか大きく膨れるもんなんよね。手間をおしまず「通す」英子さんはすごいなと思う。

▲そして、映画に映る修一さんはいつも笑顔だったけれど、かかってきた電話に(なんと黒電話!)講演だか取材だかの仕事を「わたしももう90歳だから自分のために時間を使いたい」ときっぱりと断ってはったのも残っている。

▲おだやかで豊かな暮らしやから、単純に好々爺みたく思ってしまいそうになるけど(そういうたら、いま「好々爺」に値する「好々婆」ってあるのかな、と調べてみたけど、なかった。気のいい爺さんはいるのに、婆さんはいないのか?と、愕然とする)その底辺には、厳しい「NO!」の思想が流れていることを。お二人ともそういう思いを共有してることを、あちこちでつよく感じた。

▲いろんなひとがブログなどで言うてはるから、ええかと思って書くけど、この映画の撮影中におもいがけず修一さんが、昼寝したまま起きてこなくなるのであった。ふたりはいつかひとりになるのであった。

▲毎年、障子の張替えをするのに、外で戸を洗うのが修一さんの役だったようで。わたしもまた、そのむかし信州の山ぐらしのころ、外で10枚以上の障子戸を洗って干して、障子紙を張り替えたときのことを思い出す。
英子さんは夫、修一さんから「自分ひとりでやれることを見つけて、それをコツコツやれば、時間はかかるけれども何か見えてくるから、とにかく自分でやること」を教わったと言う。

▲そうやよね、コツコツ、コツコツと続けることで見えてくるものがあるよね。そして、気がついたのは、互いのちがいをわかった上で同じ方向むいて暮らしてはったんやな、ということ。
結局のところ、わたしらは相手のちがいを未だ(しぶとく?)受け入れてないのかもしれなくて。この映画鑑賞後も、やっぱり相変わらず「なんで(わたしの/ぼくの言うことが)わからへんねん?」が続いてるけど(苦笑)

▲映画の中ではけんかもなく波風もたたず。修一さんの死の後もしずかで。そのころ雑木林にあった野鳥たちの飲み水の大きな鉢が割れてしまうんだけど。がっかりする孫たちに英子さんは淡々と言う。「しょうがないよ。いつかは壊れるんだから」と。
エンドロールのテロップにあった「すべての答えは偉大なる自然の中にある」(アントン・ガウディ)のことばを今あらためてかみしめているところ。


*追記

その1)

割れてしまった小鳥の水鉢はその後、お孫さんたちが修理して復活することになります。鉢のなか、きらきら光る水に、小鳥たちのすがたにほっとする思いでした。
「小鳥来るここに静かな場所がある」
(田中裕明句集『先生からの手紙』)

そうそう、映画をみたあと、とりあえず暖かくなったら、ひさしぶりに障子戸を外で洗って、障子紙の張替えをしようと思いました!

その2)

この間発売のその日に本屋さんに走った本。
ここんとこ、いろいろいっぱいあって。唸ったり考え込んだり沈んだりしてたけど。そろそろちょっとづつ浮上中。また寝床読書が再開できるかな。

『離陸』(絲山秋子著 文春文庫)の解説は池澤夏樹氏「この友人たちを得ること」という副題がついており。 【読んでいて気持ちがいい理由の一つは、この作家は自分の小説に登場する人物を愛していることだ。そんなことはあたりまえと思う人は多いだろうが、しかし世の中には(名は挙げないけれど)登場人物を将棋の駒のようにあつかう作家も少なくない。彼らは作中の彼ら彼女をぱちんぱちんと盤面に叩きつける】
(同書「解説」池澤夏樹 p422より抜粋)

その3)

ふたりといえば、このひとたち。音源のなかではいつまでもふたり。

Lou Reed andLaurie Anderson - Gentle Breeze→


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by bacuminnote | 2017-04-17 09:40 | 映画 | Comments(2)