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# by bacuminnote | 2017-11-13 19:10 | 本をよむ | Comments(2)
2017年 11月 02日

おべんとう。

▲前々回のブログは「十月の雨」という題にしたけど、台風も含めてなんだかずーっと「雨の十月」だったなあと思う。で、11月に入り今日は秋晴れのきもちのいいぽかぽか陽気の一日になって、しみじみとうれしい。

▲かつて亡き義母のホームの送迎バスに乗ると、道中必ず誰かが今日のお天気から明日の空模様を話し始めて。そのうち皆口々にお天気のことを言うので、車内は天気予報大会みたいになって。「ここはいっつも天気の話やなあ~」と下むいて笑ってたんだけど。天気は元気と隣同士みたいなもんやから。しんどいとこイタイとこあるひとにとってはとても大事なこと~と、いまならわかる。

▲今日は洗濯物も布団も毛布も枕もみな庭いっぱにに干した。雨続きで気がつかなかったけど、あちこちに石蕗(つわぶき)の花の黄色がみえる。窓を開け放しても寒くなくて。掃除機のガーガーうるさい音も、こんな日は「掃除してる感」があってやる気が出るというもの~(勝手なもんだ)家の中に溜まった埃も湿気も。住人の中に溜まったあれこれと湿気(!)も、この勢いで外に出す。かくして快晴にひっぱられ、にわか働き者になったせいか、それとも今朝は早起きしたからか、お昼前からおなかがぐうぐう鳴っている。

『アンソロジー お弁当』という本を、だいどこで読み始めた。タイトル通り41人の(虚子や百閒。吉川英治に向田邦子・・よしもとばなな、角田光代、華恵などなど)世代をこえてお弁当をめぐるエッセイと、合間合間にお弁当の写真(どれもおいしそう)も挟まっており。曲げわっぱから、タッパ、ラップでくるんだおにぎり。楕円形のアルミのお弁当箱には釘で削った名前が見えるようで、なつかしい。

▲今日みたいな陽気やと、おべんと持ってどこかに出かけたいなあ~とか思いながら、気の向くまま、目次を無視して読んでいる。これまで読んだところでは、お母さんが拵えてくれるお弁当の話が多いように思う。運動会のいなりずしや、給食のなかったころガッコに持ってゆくお弁当の話。

▲珍しいところでは池部良さんのお父さんが良さんに拵えたというお弁当。「子供にうまい弁当を食わせてはいけない」と、お父さんは料理上手なお母さんからその座を奪い、削り節に醤油をかけたものをごはんの間にはさんで、上に梅干し1個という「日の丸弁当」を二年間、ずっとおなじものを拵えたらしい。ただし、途中からは良さんが母親の財布の五十銭銀貨をこっそり盗み出しては、学食でカレーやハヤシライスを食べていたらしいけど。(「敗戦は日の丸弁当にあり」池部良)

▲一方「うまい弁当」どころか《ときどきお弁当を持ってこない子もいた。忘れた、とおなかが痛い、と、ふたつの理由を繰り返して、その時間は教室の外へ出ていた。》と向田邦子さんは綴る。
《小学校の頃、お弁当の時間というのは、嫌でも、自分の家の貧富、家庭の愛情というか、かまってもらっているかどうかを考えないわけにはいかない時間だった。豊かなうちの子は、豊かなお弁当を持ってきた。大きい家に住んでいても、母親がかまってくれない家の子は、子供にもそうとわかるおかずを持ってきた》(「お弁当」向田邦子)

▲お姉さんがおにぎりを拵えてくれた、という話もあった。(「姉のおにぎり」白石公子)
著者が小学一年生の秋にお母さんが長期入院をするんだけど、ある日学芸会があって、忙しいお父さんにかわり、当時小学五年生のお姉さんが初めてご飯を炊いておにぎりをもたせてくれる。苺の模様の洗いざらしのガーゼのハンカチに包まれた小さいおにぎり2個は、せんべいの硬いビニール袋に入っており。しかも、それはみたこともない奇妙な形やったそうで。

▲《ご飯粒のついた海苔がべろんと剥がれて、やわらかすぎる御飯をにちゃっと噛めば、冷たく歯にしみて、塩気のしない御飯は生臭く、思いっきり不機嫌になってしまうほどおいしくなかった。誰にぶつけたらいいのかわからない。やりきれなさがこみ上げてきた》(p151)

▲お母さんの病気で学芸会に来てもらえなかったさびしさと、そんな特別な日のお弁当がお姉さんのおいしくないおにぎりで、よけいに「お母さんだったら」と、思いをつのらせて泣きそうになってる女の子がうかぶようで。一方、母不在の家で父の手伝いをし、自分のさびしさを堪えてわがままな妹の世話をする健気なお姉さんの姿がせつなくて。そういえば、と『となりのトトロ』の姉妹が浮かんだ。

▲著者もずいぶん後になって『となりのトトロ』を見たとき、あの日のおにぎりの味といっしょに、妹のために見よう見まねでつくってくれたのであろうお姉さんのきもちを初めて思って《今ごろになって、ハラハラと涙がこぼれそうになってしまうのである》と綴る。
「食べる」ことは「生きる」こと。人の数だけ暮らし方はあって。お弁当箱の中にもいっぱい思いと物語がつまってる、とおもう。

▲家族や自身の手で拵えたお弁当の話が続くなかで、目次に「ほっかほっか弁当」の文字をみつけて、読んでみる。(「<ほっかほっか弁当>他 抄」洲之内徹 『さらば気まぐれ美術館』新潮社より )
あるとき氏は名古屋方面から長野へと車を走らせたらしい。《中央高速がまだ中津川から恵那あたりまでしか開通していなくて、そのどちらかのインターで高速を降り、十九号線に入ったはずだ。小雨が降っていて、そのうえ途中で夜になり、初めてその道路を走る者にとっては、国道十九号線は怖い道であった》(p108)

▲19号線といえば、信州に暮らしたわたしにとっても思い出深い国道だから、読みながらつい前のめりになる。
氏はそのときの怖かった体験を後で『気まぐれ美術館』に書いたら、幅さんという見知らぬ方から手紙が届く。曰く《自分の家は国道十九号線の傍で、藁葺きの屋根が国道から見える、老夫婦二人でそこで暮らしている、こんど十九号線を通ることがあったらぜひ寄ってくれ、というのであった》

▲氏はその後幾度となく19号線を通ることになるのだが、手紙の主の家を訪ねることはなかった。幅さんからは時々手紙をもらったり、氏が『気まぐれ美術館』の文中に「探している」と書いた古書を送ってきてくれたりする。ある日たまたま明科を通ったのが朝の内だったので、思い立って幅さん宅を訪ねようと思ったそうで。門の前に車をとめると、ちょうど門から鞄を抱えて出かけようとしている老人、そのひとが幅さんだった。

▲氏が名乗ると、出かけるのをやめにして「こんな用事いつでもいい、明日でいいんです、とにかく入ってください」と言われて上げてもらう。当時前年におつれあいを失くした幅さんのお家には、近くにいる妹さんがときどきお世話に寄ってるらしい。お茶を運んできた妹さんが氏に「泊まって行ってください」~と誘ってくれて、そんなつもりのなかった氏はあせるのだが。ちょっとのつもりが2時間ほど話して、帰ろうとしたら幅さんが明科の駅前を通るなら自分も乗せて行ってほしい、と言うのだった。

▲来たとき出かけようとしてはったのを思い出して、氏はてっきりそこに連れて行ってほしい、ということかも~と同乗して駅にむかう。ところが、駅につくと「ちょっとここで待っていてください」と幅さんは車を降りてどこかに消えたままなかなか戻ってこないのである。

▲しばらくして白い袋を下げて幅さんが姿を見せ「今日はせっかく来てもらったのに何もお構いもできなくて・・・、これ、昼食代わりに食ってください」と窓からその袋を差し出すのだった。中をのぞいたら、ほっかほっか弁当とビニール袋入りの一口シュークリームが入ってたそうで。《何ともいえない気が私はした。土地の名物か何かだったら、私はこんな気持ちにはならなかったろう。感動したのだ》と氏は窓越しに頭を下げるのだった。

《どうしても書いておきたかったのはこの〈ほっかほっか弁当〉のことである。なぜか分からないが、いうなればこれが私の信仰なのだ。幅さんが私に〈ほっかほっか弁当〉をくれた、こういう一瞬の中にだけ、何か、信じるに足る確かな世界がある。明科の駅前で買った〈ほっかほっか弁当〉で、いつまでも、私は幅さんを忘れることはないだろう。》(p116)

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# by bacuminnote | 2017-11-02 15:23 | 本をよむ | Comments(0)
2017年 10月 22日

シュウクリームふたつ。

▲その日は父の命日だった。
一日じゅう何度となくその頃の父を、そして母やわたしの家族のこと、あとその日の天気や着てた服とか、つまらないことをぽつりぽつり思い出したりしてた。もう31年もたったから「その後」は父の知らないことだらけで。おっきな声で教えてあげたいことも、ちょっと黙っておきたいよなことも。いっぱいいっぱい溜まってるんだけど。とりあえずは四人の娘も、その家族も皆ぼちぼち元気にやってるし~って知らせたいなあ・・・とか思ってたら、なんだか母と会って話がしたくなって。翌朝ホームに行くことにした。

▲朝起きたときは曇り空だったのに、駅まで歩いてる間に降り出した雨と風が冷たくて。やせ我慢せんともうちょっと温いモン着てきたらよかったなあと、前を行くカッコイイ若者のダウンジャケットをみながら首をすくめて歩く。
母の(わたしも)すきなシュウクリーム2個と、頼まれたタオル掛けとハンガー5つ買って電車にのりこむ。(余談ながら、このことをツイッターに書いたら、旧友Jの《あーびっくりした。いくらなんでもハンバーガー5つは食べすぎやろと思ったら、ハンガーやったか》というリプライに大笑い。そういうたら原石鼎の句に「あんぱんを五つも食うて紅葉観る」というのもありましたがw)

▲あいにく飛び乗った電車が準急で、途中から各駅停車になるわ、二度も通過待ちはあるわ、で、目的の駅が遠いこと遠いこと。けど、がらーんと空いた平日昼前の車内と各駅停車のおかげで、ちょっとした旅きぶん。本も読まず、窓から走る景色を追って、なつかしい駅名とプレートに書かれた名所旧跡に眺め入り、斜め向かいの席で試験勉強らしきセーラー服の高校生を眺めた。膝に載せた鞄の上にテキストみたいなのを広げてる彼女、大きな目がだんだん細くなって、まぶたがふさがって。こくんこくん眠りこけては、はっと起きる姿がかいらしくて。

▲その高校生が主人公の物語を夢想したり。そういえば~と、かつてここのセーラー服着てた若い友人を思いだして、メール。あれこれ思うてることをエア"word"したり。車内が空いているのをええことに、紙袋に手をつっこんで、買ってきたあんぱんを小さくちぎって食べたりね(旨かった!)。ああひとり電車の時間はたのしくてすき。

▲やっとやっとホームに着くと、母が玄関のところで到着の時間も伝えてなかったのに、待っててくれた。エレベーターで乗り合わせた入居者の方に「娘さん?」と聞かれて「この子、四番目の娘ですねん。ほんでね・・(以下略)」と応えてる(苦笑)
居室に行って休憩したあと、とりあえず前から頼まれていた部屋の片付け~服や空き箱など「いらんもん」の整理をする。

▲ひとつひとつ「これどうする?」と聞いてゆくんだけど、「捨ててよし」と即答するものもあるが、たいてい「その服はな、◯◯で買うてん」とか「わたしが編んでん」とか、ひとつひとつに思い出話が付いてきて。「けど、シミもほころびもあるし、もうくたびれてるし(捨てても)ええやろ?」「な、もうええやろ?」と重ねて言うと、やっと「うん。ほんならもう”お役御免”さしたろか~」と笑いながら返ってくる。なんや母の思い出まで捨てるみたいで切ない。けど、そんなん言うてたらいっこうに片付かないので心を鬼にして続行。

▲なんせわたしが出したレターパックから、紙袋、服や雑貨を送ったときのダンボール箱も、包装紙も紐も全部残してあって。ホームに入居してから半年もたってないのに、すでにモノがいっぱいたまっており。どこで暮らしてもモノを捨てられない世代やなとしみじみ。
途中ふたりとも、めんどうくさくなって「やめとこか」と言い合うも、すでに部屋の中がエライことになっており、なんとかカタつけて強制終了(苦笑)。

▲で、ようやっとお茶の時間だ。「おいしいなあ」とシュウクリームを丸かじり(!)しながら昨日の話をすると、母は父の命日を失念してたようで「忘れてしもてたこと」にしょげかえるのであった。ええやん、ええやん。もう31年も経ったんやから。たまには忘れることもあるよね。

▲「その日」は土曜日だった。わたしはパートの仕事が休みで、部屋の掃除をしていた。一年前の夏から父はヨメイセンコクも受けていてみな覚悟はできていたはずだけど、9月はけっこう快調やったから。もしかしたら、もうちょっと、いや、もっと長く居てくれるんやないか~と、思ってた。たぶんみんなもそう思ってたはずだ。

▲慌てて上の子の保育園の迎えを義母にたのんで、駅まで急いだけど「その日」も近鉄吉野行きが出るまで、けっこう時間があって。病室に着いたら、次々かけつけたみんなに囲まれて父はすでに永い眠りについていた。
「ほんまにもぉ。いっつもおまえはぐずぐずしてねんから・・」と今にも父がベッドから起き上がってきて、怒られそうな気がした。「今日も着いてたで~」と母が指差した枕の横には、そのころわたしが毎日父に宛てて出してたハガキがあった。

▲母は父の入院中、仕事を終えて夜おそく病室に通ったころのことをぽつぽつ話し始める。深夜になって「ほな今日はもう帰りますわ」と言うと「ごくろうさん」と言いながら、おとうさんさみしそうやった、と。「ずっと(病室に)おったら、よかってんけど、次の日も仕事あるし、おとうさんが入院中は、店まもるのがわたしの役目やと思ってたから」と泣きべそをかいて。「その日」はとおくちかく、わたしたちの中に在る。

▲小さ目のシュウクリームをえらんだのに、94歳の母には多かったようで。「残ったん、あんた食べる?」と聞かれたけど。以前はこんなの2個くらい軽かったわたしも、いまは無理。そうそう、むかし母がよくカスタードクリームを拵えてくれて、パンにつけて食べたっけ。母子で口の端に粉砂糖つけながら、父もすきだったシュウクリーム談義。
「ぜったい忘れんといてな。傷んだん食べたらあかんで」と繰り返して半分冷蔵庫にいれる。
帰る時間になって、呼んだタクシーが来て「ほんならまたな」と握手して車に乗り込む。車窓から、ずっと手ふってる母がちいさく見えた。


*追記
その1)
帰宅後「残り」が気になって、母に「おなか壊したらあかんし、早う食べるか捨てるかしてや」と言うたら、こんな返事がかえってきた。
「あははは~あんた帰ってからちょっとして、もう食べましたがな」

その2)
きょうは選挙投票日です。この選挙そのものに、納得いかないし思うとこいっぱいあるけど、とにかく投票はせねば。わたしは期日前に。(期日前の投票所のほうが便利いいし助かりますが、入場券がない場合の本人確認が簡単すぎるのが気になるところ)
先日いただいたコメント返信にも書きましたが再度。
何かが変わってゆくのはそして何かが変わるのって、ほんまに気の遠くなるほど時間かかるわけで。教育や地道な運動の継続、継続の上にようやく。
当たり前のように思ってしまってる選挙権だって、日本の女性が参政権を得てから、まだ72年なんですものね。
あらためて魯迅の有名なこのことば(小説『故郷』の文末)をかみしめながら。「知ること」「考えること」「怒ること」を忘れたらあかんとあらためて思いながら。

《希望は本来有というものでもなく、無というものでもない。これこそ地上の道のように、初めから道があるのではないが、歩く人が多くなると初めて道が出来る。》(青空文庫→

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# by bacuminnote | 2017-10-22 10:42 | yoshino | Comments(0)
2017年 10月 09日

十月の雨。

▲ほんのついこの間まで大活躍だったのに、部屋の隅で首をかしげてる扇風機はビクターの犬みたいで、なんだかもの悲しい。毎朝いちばんに沸かして冷やしたほうじ茶も、ついに今日から熱いのをポットに入れて、カーディガンは綿からウールに替え、お風呂の設定温度もすこし上げた。そうそう、一昨日は大鍋で今季初の粕汁を拵えた。

▲さあ、これから今年のおわりまで、だれかに背中押されてるみたいに忙しなく過ぎるんだけど。今年(こそ)は、その「だれか」のナンバーワン~せっかちなコマーシャルに惑わされて(モノを買い)急がず、バタバタせずに、いつも通りのちいさな暮らしをだいじにしようと思う。

▲前日から雨がつづいて薄暗い午後だったけど、雨音と雨にぬれた緑、それに雨の日のこどもを見るのもすきやから、出かけることにした。
ちいさいひとは自分の傘を初めて持つようになると、みな「いちにんまえ」の顔つきだ。柄を短めにぎゅうっと持つちいさな手も、ぱしゃぱしゃ水たまりを挑むように歩く姿も。自分ちのこどもらの雨の日の思い出は、もう遠くなってしまったけれど。こどもの傘もかっぱ姿も、みな、ほんまにかいらしく、いとおしい。

▲今日会った男の子は傘をくるくる回しては何度も上を見上げてた。その透明のビニール傘には鉄腕アトムの絵がいっぱい描かれており。傘を回すと頭の上でアトムがびゅんびゅん飛んでるみたいに見えるのか、立ちどまっては回し~をなんべんも繰り返し。先を歩くママがふりかえっては呆れたように「もぉ~◯ちゃんったら、早くおいでよ」と呼んでいて。おばちゃんは「あとちょっと。もうちょっとだけ」と代わりに返事したくなる。

▲少し行くと、こんどの衆院選の候補者の掲示板が設置してあって、たちどまって眺める。(さっきのこどもみたく、なかなか先に進めないw)公示前やからポスターは貼ってなくてベニヤ板に黒い枠だけ。この枠の中が嘘や排除や選別、ご都合主義と好戦的な人たちで埋まりませんように。まっとうな人がいてくれることを。そして有権者もあの手この手の「マジック」にまどわされず「偽モノ」を見分ける眼をもたなければ~だまされへんからね!ああ、それにしても。すっかり汚されてしまったことばの数々が頭のなかで舞っている。

▲さて、いま住んでるところはけっこう大きな街ながら、毎日ほぼ同じ時間帯に同じコースで動いていると「顔見知り」何人かに出会う。いや、声をかけ合うこともなく、もちろん名前も住んでるところも知らなくて、ただお互いに(たぶん)顔を知ってるだけの「通りすがりの人」なんだけど。

▲まっ白な髪の女性のいつもセンスのいい服装や、杖つきながらゆっくりゆっくり、みるたびにちがう帽子のかっこいいひと。押し車押してるおじいさんの笑顔は見たことがなくて。スマホ見ながら歩いてる青年はいつ見ても笑ってて、決まってコンビニのお弁当とスナック菓子とペットボトルの三点セットの入った袋をぶらぶらさせて職場にむかう先のとがった靴のお兄さんとか。わたしは「ハットさん」「スマイル」「ふきげんさん」「コンビニさん」とか、勝手なネーミングをたのしませてもろてる。(すまん)

▲「名前をつける」といえば、以前作家の絲山秋子さんが大学のクラスの授業で話したことをツイートしてはって、とても興味深く読んだことを思い出す。曰く《私自身、名前の在庫をいつでも取り出せるように、トレーニングをしています。駅の改札で、待ち合わせしているふうな顔をして、改札から出てくる人全員にどんどん名前をつけていくのです。100人くらいやります。》(2015.9.23)

▲さすが絲山秋子さん。《職人が道具を使いやすく管理したり、刃物をきちんと研ぐように》トレーニングをしている、とのこと。すごいなあ。
それでこのツイート読んでから、まねしてわたしも歩きながら時々やってみるけど、せいぜい十数人くらいで、品切れならぬ名前切れしてしまう。

▲そういうたら、ケッコンしたての頃つれあいのおばあちゃんが彼のことをちがう名前で呼んでいて「それ誰ですか?」とびっくりしたんだけど。どうも彼が若いとき、ある日名前を変える宣言。家族に「これからは◯◯と呼ばへんかったら返事せぇへんから」と言うたそうで(笑)
当時、義父母がそれに応えたかどうかは知らないけど、おばあちゃんだけは(彼がもとの名前にもどしてからもw)いつまでも従ってたというわけで。

▲一方、ウチの母は父と結婚して「信子」という名前に変えられたらしく、父を始めみんな「のぶこ」「のぶこさん」と呼んでいた。それなのに書類や手紙には母が「尚子」と書くのを見てふしぎに思って聞いたら「尚子ではウチの苗字に合わへんのやて~」と不満気に言うてたんを思い出す。母は「ヨメ」になって、姓も名も変わってしもたわけで。祖父母の死後は「本名」で通してるけれど、父は亡くなるまで「のぶこ」と呼んでたなあ。

▲自分で名前を考えたり変えたりできるのはええことやと思うけど、だれかに(「家」にしろ「国」にしろ、権力をもつ側に)変えることを強要されるのはゆるせない。
たまたま今日読んだ本『ともに明日を見る窓』(きどのりこ著 本の泉社)にも名前の話がふたつ出てきた。この本は副題 「児童文学の中の子どもと大人」にあるように、7つの章に各4~6編の児童文学を紹介している。

▲ひとつは「人の優しさを発見していく~高史明(コサミョン)『生きることの意味』を中心に」の中に出てくる日本の植民地支配の中「創氏改名」により奪われた名前。もうひとつは「今度、お家が二つになります~ひこ・田中『お引越し』を中心に」で両親の離婚の話。母親が「旧姓」に戻り、主人公のレンコが、父親か母親の姓を選ぶことで話し合い、揺れる。
どちらの本も読んだことがあるけど(とりわけ『お引越し』はすきな作品で何度も)姓名とアイデンティティー、「夫婦別姓」のこと、それらのベースにある戸籍制度の問題も考えながら、再読したいと思う。



*追記。
ひさしぶりに?長い長い追記 になりましたが、どうか最後までおつきあいくださいませ。

その1)先日『ぼくは満員電車で原爆を浴びた 11歳の少年が生きぬいたヒロシマ』(米澤鐵志 語り 由井りょう子 文)を読みました。タイトルにあるように米澤さんは11歳のとき爆心から750mの電車内で母親と共に被爆します。翌月母親が、乳飲み子の一歳の妹は翌々月に亡くなって。少年の目でみたその日のこと、その後のことが語られます。

なかでも深く残ったのは米澤さんが中学校に入学して、国民学校でいっしょだった友だちと再会したとき(彼ともう一人は事情があって市内にいたけど、友だちは疎開していたので無事だった)仲良しの朝鮮人の友だちの姿がなかったこと。
ほかの町内で集団疎開した友だちに聞いても、みな知らないと言う。だれともなく「戦争が終わったから朝鮮に帰ったんじゃろう」と言うて、いつのまにかそう信じてたんだけど。しばらくして「ぼく」は集団疎開の中に朝鮮人の友だちがだれもいなかったことに気づきます。

その後、朝鮮人の被爆者と知り合って聞くと、こんな答えが返ってくる。《朝鮮人がどうだったか、だって。朝鮮人は疎開なんかできなかったんですよ。”おそれおおくも半島人も天皇陛下の赤子にしていただいたんだから、子どもといえども銃後の守りをせなあかん、疎開などはもってのほかだ”ということで疎開させてもらえなかったんです》(p103)

「あとがき」にあるように、米澤さんは被爆体験「語り部」は続けてきたものの、本にすることは断ってこられたそうです。
けれど《東日本大震災、それにともなう東京電力福島第一原子力発電所の事故により、ふるさとを追われた福島の人々を見て、考えが変わってきました》《形は変わっても、どちらも「核」でありることに変わりはないからです。》《人類と核は共存できないことを、あらためて強く感じ、広島でのぼくの体験を本にして残すことで、少しでも多くの人々に「核」と戦争」について考えていただければと考えるようになりました。》と。
ほんとうによく語ってくださり、よく文章化してくださり、本になったこと、と思います。

今年7月に国連で採択された「核兵器禁止条約」に被爆国の日本は国として不参加(!)だったけれど、核兵器廃絶を訴えるNGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」ICANには、日本からは発足当時からの運営団体ピースボートや日本被団協などが参加。そのICANが先日ノーベル平和賞を受賞しました。

その前に発表のあったカズオ・イシグロ氏のノーベル文学賞受賞は早々に首相からお祝いメッセージを発表、テレビでも繰り返し取り上げられたそうですが、平和賞はテレビ以前に、首相、政府からのコメントもなく、やっと(10月8日付け)外務省から談話が発表されました→ただし《ICANの行ってきた活動は,日本政府のアプローチとは異なりますが》という「前置き」から始まるものでしたが。

以下はピースボート共同代表でICAN国際運営委員・川崎哲さんのツイート@kawasaki_akira (2017.10.07)より抜粋。
《今回のノーベル平和賞受賞は、核兵器の禁止と廃絶のために勇気をもって声を上げ行動をしてきたすべての人たち、とりわけ、広島・長崎の被爆者、また、世界中の核実験の被害者らに対して向けられたものだと思います。被爆者の皆さまと共に今回の受賞を喜びたいと思います。》

《生きているうちに核兵器のない世界を実現したいと願いながら、その夢が叶わぬうちにこの世を去った多くの被爆者のお顔を思い出します。改めて、心より哀悼の誠を捧げます。それでも、核兵器が国際法で全面禁止されるところまで来ました。さらに歩みを進めれば、核兵器廃絶は必ずや達成できます。》

《日本は選挙一色かもしれません。しかしこの機会に、日本の核兵器政策とは?日本は核兵器禁止条約に署名・批准するのか?この条約にどう関わるのか?といった点について、各党の方針を聞いてみたいところです。核兵器の禁止と廃絶をめぐる日本国内の論議が深まることを期待します。》


その2)長くなるから追記はやめにしようと思ってたのですが、これはやっぱり書かないと、と書き加えました。

きょうはこれを聴きながら。
パブロ・カザルス「鳥の歌」(1971年国連スピーチ)  「鳥の歌」
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# by bacuminnote | 2017-10-09 14:31 | 本をよむ | Comments(2)
2017年 09月 27日

とんかつ。

▲毎日毎日~と、いまキーボードを叩いただけで、サイテーなニュースが脳内いっぱいに浮かんできて息苦しい。
洗濯物を干しながら見上げた空は今朝もすみきった秋の青で。波のように広がっている雲があんなにきれいなのに。ああ、あの白い雲の端っこを捕まえて、するするとひっぱり上げてもらいたいなあ。いや、あかんあかん。疑問に思ったり怒ったり考えたりを「手放したら」あいつらの思うツボ~という天の声(!)が聞こえてくるようでもあり。さっきから手にかけたままのタオルをぱんぱん叩いて干した。

▲そんなこんなで、心身ともすっきり快晴!ということのない今日この頃だけど、いや、だから、いつにもまして読んだ本に観た映画にいつもそばにある音楽がわたしにとって浮き輪になっている~ってことをツイッターでつぶやいたら、食いしん坊仲間からソッコウ「あと、オイシイモノ」と返ってきた。

▲そうそう。だいじなモンわすれてました。最近フウフ揃って食がほそくなっており、昼はしっかり食べるけど、夕食はあっさり系+お酒になっており。お肉類はこれまでの半分になっていて、先日かえってきた息子2に、以前とくらべてその量の少なさに「これだけなん?」と言われたりもして。ああ、わたし(ら)の嗜好もいよいよ老人仕様になってきたなあ~と思ってたんだけど。

▲この間のこと。
お昼の蒸し暑さについついつめたいもん(アイスクリーム!)食べると、そのつど歯にしみて。年一回くらいこんなことになるので、そろそろ歯医者さんかな~と受診することにした。いつものことながら歯医者さんの待合室って、先の方の治療の音・・うぃーんうぃーんや、シューシューが漏れ聞こえてきて、まだ待機中やというのに自分の歯をキリキリ「イタイことされてる」感があって、どうも落ち着かない。
今回はとびこみで予約の隙間に入れてもらったから「お待ちいただくことになるかも」と聞いていたので、読みかけの本持参で行ったのだけど、その音とイタイ気配が気になって、膝の上に置いたまま、何度もおなじ行をいったりきたりしてる。

▲本はあきらめて、傍らの雑誌を手にとってみた。ひさしぶりに見るグルメ記事も、一向に気が乗らずパラパラ頁を繰ってたんだけど、とんかつの写真に手がとまった。いや「手がとまった」ぐらいのレベルじゃなく、文字通り釘付けに。
それは下町の食堂で出てくる「とんかつ定食」みたいな。ちょっと濃い目に揚がったとんかつと、ほれぼれするような「仕事」が見えるよな、山盛りのキャベツの千切りで。

▲この前「もう脂っこいもんって、あんまり欲しいなくなったなあ」とつれあいと話したとこやのに・・とか思ってるうちに名前を呼ばれて診察台に。やっぱり虫歯ではなく歯茎がゆるんでるのが原因らしく、歯石とってもろたり、薬の塗布やら。頭の中はとんかつでいっぱいやのに、口の中が薬味できしょくわるい。なんべんもなんべんもうがいして、ようやく終了。

▲やっと解放されて、つづいてスーパーに走る(←イメージです!)もちろん目的は「とんかつ」の材料、豚肉とキャベツ。長いこと食べてないから、よけいに頭の中が「とんかつ」一色で。
そういうたら、中学生のとき国語の授業で教科書(か副教材?)にスタインベックの『朝めし』が出てきて。夜明けの冷気のなか、テントのそばの古びた鉄のストーブ。ベーコンをジュウジュウ音をたてて炒め、褐色の分厚いパンに肉汁をかけて食べる・・というところがたまらず。その日は頭痛か寒気か、しんどいなと思いながらも「もうちょっと」とがまんして机の前に座ってたんだけど。この文章で一気にシャキーンと目が覚めて。

▲結局その授業のあと、わたしは「頭痛で」早退することになるんだけど(苦笑)
帰宅後すぐに冷蔵庫からベーコン(亡き父がすきでいつも冷蔵庫に入ってた)を出して炒めてパンをトーストしたのだった。もちろん『朝めし』に出てくるような手切りの分厚いのやなくて、近所の食料品店で買った市販の薄切りのぺたんとしたものだけど。

▲小学生のころまでは「ただいま」と帰ったら「おかえりー」と母親が迎えてくれるお家に、ひたすらあこがれてたけど、思春期のころは、こういう放任と食材のある家で、ほんまありがたかった。そして、いまでも、この短編を読むとベーコンのにおいが立ちのぼって、この日の早退の思い出と共に「あれ」が食べたくなる。

▲さて、買い物してふうふう言いながら帰宅するなり、荷物も置かずつれあいに「とんかつ」の話をして、協議の結果(おおげさ)やっぱりお昼に食べよう、と決定。
こういうときは「またご飯の支度か~」やなくて、やる気に満ちあふれてるから、休憩もせずエプロンかけててきぱき準備する。

▲そうそう、包丁もシュッシュと研いでから(砥石やないけど)キャベツをていねいに千切り。揚げ物の油は少しにしてそのつど使い切ることにしてるので、とんかつだけやったらもったいない~と、ついでにお好み焼き用の揚げ玉も揚げ(冷凍しておきます)、玉ねぎのフライもして。いよいよとんかつに。(←ああ、やっととんかつ揚げるとこまできた。あいかわらず話長くてすみません。)

▲途中つれあいにバトンタッチして、ちょっとお茶休憩。ああ、しんど。けど、だいどこいっぱいに香ばしいええにおいが広がって、うれしい。とんかつと玉ねぎフライとキャベツとトマト。味噌汁とご飯。「いただきまーす」
食が細くなったはずの二人がぺろり完食。まんぞく。ああ、うまかった。おいしかったぁ。もうしばらくは揚げ物いらんなあ~と(こりずに)言うたりしてね。
こうして食べたいもの拵えておいしく食べられるシアワセな時間が、どうかこれからも長く持てますように。やりたい放題、嘘と欲でかためられた政治家たちに、いとおしくだいじな「日常」が壊され奪われることがありませんように。
そんなこと、絶対許さへんからね。



*追記
『朝めし』で早引きのことは以前ここにも書きました。『朝めし』は4頁ほどの短編です。まだの方はぜひ。読後パンとベーコン買いに行きたくなるとおもいますw。(たぶん。きっと!)

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# by bacuminnote | 2017-09-27 13:17 | たべる | Comments(0)
2017年 09月 26日

しゃりしゃり。

▲雨戸の隙間からもれる光に、まだ目覚まし時計のアラームが鳴るまで小一時間あったけど「晴れてる!」と飛び起きた。
このところはっきりしないお天気が続いてたから、今日こそ、とシーツや枕カバーをはがし洗濯機回し、布団を干し、ていねいに掃除機をかけて。
ひさしぶりによう動いたから、だれかれなく自慢したいような気分で(笑)買い物に出たら、道中あちこちの家やマンションのベランダに布団布団布団、の図。
当然シーツやタオルケットの大物も物干し竿でゆれていて。開け放した窓からは、ういーんういーんと掃除機の唸り声。ああ、はたらき者はわたしだけやなかったな、と首をすくめつつ。 have a nice day!
「秋晴の洗濯もののしあはせに」(市川千晶) 

▲スーパーの入り口付近には栗、梨、青い蜜柑がならんで。この三つをみると反射的に運動会が浮かぶ世代である。いまはもう春の運動会も多いし、見に来る家族もロックフェスみたく各自テント派が主流とか。
ゴザの上に並んで座り、周りの人から剥いた梨や、ゆで栗、ゆで卵が回ってくるような日は、ほんまに遠くなった。けど、昔(のほう)がよかったとかいう単純な話ではなくて。今と昔とでは気候も環境も変化してるから。だれにも変わってゆくことはとめられないと思う。

▲わたしのこどものころの運動会といえば、小学4年生のとき東京オリンピックがあったから、その影響で小学校の運動会の入場行進もオリンピック風になって。
当時テレビでみたオリンピックの開会式も閉会式も、外国の選手たちの、それぞれ揃わないバラバラな感じは、じつにのびのびとして、カルチャーショックというか、こども心にカンゲキしたんだけど。
日本の選手団みたいに、こどもらがびしっと一糸乱れず整列、行進するのが、なんか可笑しくて笑ってしもたり。いや、一人くすくす笑ってるだけやなく、隣の子にも「おもしろいなぁ」とかしゃべりに行くもんやから。「そこ、何笑うてるねん!」とセンセによく怒られた。

▲そうそう、本部席前に来たら右腕を斜め上に挙げるのとか、選手宣誓のときのポーズとかも、なんかいやだった。足は速くなかったけど走るのが苦手ということもなかったから、競い合うことも、皆一斉に同じことをする(させられる)のも、嫌やったんやろなあと思う。(あ、綱引きはすきでした)

▲さて。
まだクーラーのよく効いたスーパーの食品売場で、おでんの材料を買ったあと(帰宅後、下拵えしながら「おでん」はまだ早かったかも~とおもうことになるのですが)ふと入り口の果物コーナーの梨が気になって、くるりと回って戻る。豊水と二十世紀。すこしの間眺めてたけど。やっぱり二十世紀~とカゴに入れた。カゴの梨一個みて、とうとう梨を買うことになったんやなあ、としみじみ。

▲毎年この時季になると、母が『大阿太高原 廿世紀梨』(奈良県吉野郡)を送ってくれて。ここしばらくは「送り先のリストをちゃんと書くのも自信なくなってきたたし、今年でお終いや」と毎年お決まりのように言いながら、わたしや息子はそれを「去年で終わりやなかったんか」と、やっぱりお決まりのように茶化しながらも、九月になると届く「おばあちゃんの梨」をたのしみにしてたんだけど。(ここにも書きました
去年はいよいよやめようか、と迷っているうちに注文しそびれたらしく、いつもよりだいぶ遅れて到着した。

▲箱を開けるとぷーんと梨の甘酸っぱいにおいが立ちのぼって。あれ?と思って箱の底を見たら果汁で濡れており。梨を取り出してみると2個ほど傷んでるのがあった。母にお礼の電話をすると、いつも「今年のんはどうやった?」と感想を聞くので、正直に言おうかな~と思ったんだけど。それを言う前に「かんにんな。今年はもうやめとこか、いや、やっぱり、と思ってるうちに、えらい遅うなってしもて。◯さん(果物店)にあるのん送ってもろてん」と返ってきて、状況が浮かぶようで胸がつまった。

▲それにしても、ケッコン以来~去年で37回の梨。ほんま長いことおおきに。ごちそうさまでした。わたしは母にしてもろたことの何分の一でも、こどもらに何かできるのかなあ~(できんやろなあ)
汗かきながら熱々おでんのあと、スーパーの梨を剥いてつれあいと半分こ。つめたいしゃりしゃりがおいしかった。



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# by bacuminnote | 2017-09-26 19:02 | yoshino | Comments(0)
2017年 09月 14日

ひとつの手加減もなく。

▲雑貨店の店先にきれいなブルーのカレンダーと手帳が並んでいたから。ふと足がとまって手にしたら、2018年版でびっくりした。わあ。もう来年のですか~そりゃ、あと3枚で今年のカレンダーもお終いにはちがいないけど。もうこういう先へ先への”季節サキドリ商法”(ただいま命名)は、ほんま忙しないからやめてほしいな。次のシーズンのことより「いま」をたのしもうよ~と、ぶつぶつ言いながら歩く。それなのに「あと3枚しかないのか」と、どこか急かされてる気分になってるわたしは、すでにノセられてるのか。帰り道、秋だけどまだ少し夏の、九月の空と風がきもちよかった。

▲家に帰って、ぬるいお茶(つめたいのじゃなく)をぐいぐい飲んで
『十歳までに読んだ本』(ポプラ社)を読む。70人の作家、詩人、俳優、映画監督・・たちの《「根っこ」となった大切な一冊》がそれぞれのエッセイで紹介される。パラパラと繰ったら見覚えのある書影に「なつかしー」と思うも、よくよく考えてみたら、わたしのこども時代ではなくて、ウチの子らが小さいとき寝る前に母子で読んだ本であって。

▲あらためて執筆者のプロフィールをみたら、1960年代~1980年代生まれの方が多くて、その選書に(『モモ』や『大どろぼうホッツェンプロッツ』とか)なっとく。けど、やっぱり「なつかしい」にちがいはなくて、「もう一回」「もうちょっと」と、たまに居眠りしそうになりながらの寝床読書のシアワセな時間がよみがえる。

▲そういうわたしは十歳のころ(1965年)って、どんな本を読んでいたのだろう?と思ったんだけど。なぜだか書名がすぐに浮かんでこなかったのである。あれ?本読んでなかったんかなあ?と記憶をたぐりよせる。
十歳というと小学三、四年生で、女の子も男の子も一緒くたになって遊んだ、わたしにとって外遊びの黄金期だった。

▲昼休みはもちろん、10分そこらの休憩時間にも靴を履き替えるのももどかしく、われ先にと運動場に走って、鉄棒やボール遊び。放課後にはランドセルをその辺にほっぽってドッジボール。わたしは男子の強いボールを胸でバシッと受けるのがじまんだった(笑)

▲あとは、ガッコの裏山に駆け上がり、だだだだっ~と一気にその細い山道を走って下る「人間レーシングカー」(なんでレーシングカーか、わからないけど)遊び。家に帰ってからは自転車で「スピードいはんきょうそう」(こんな命名はだれがしたのか?)とかいうて走り回ったり。あほなことに夢中だったのもこの頃だった。

▲夕方になってあちこちから「ご飯やで。早う帰って来ぃや」という友だちのお母ちゃんの声でゲームオーバー。そのあとは宿題しながらテレビで『鉄腕アトム』や『エイトマン』観て。ピアノのおけいこもちょっとだけして。『マーガレット』や『りぼん』読んで真似してバレエのまんが描いたりして・・・。

▲考えてみると、忙しい毎日やったなあ(笑)だからそんな中で本を読む時間というのは、扁桃腺腫らしたり、頭いたにお腹いたでガッコを休んだ日の、やっぱり寝床読書で。思い返すといつもそれほど重病ではなかったから「びょうきの日」には母が仕事の合間に布団のそばに来てくれるのがうれしくて、ちょっと大げさに言うてたのかもしれない。

▲いまその頃の部屋や布団の柄を思い出すと、重なるように読んだ本の表紙の色や絵まで浮かんできた。『小公女』『長くつ下のピッピ』『豆つぶほどの小さないぬ』『クオレ』・・・。寝床だけじゃなく、本を夢中になって読むようになったのは、初めて校内に図書室ができた五年生からだとおもう。

▲さて、この本の執筆者たちの語るこども時代の一冊は、ひさしぶりに(原稿を書くまえに)読んでみて、の感想がおもしろかった。くりかえし読んだのにちっとも内容は覚えてなかったというひと、改めて読んでその内容の深さにおどろいたり、差別性にたちどまったり、その後テレビアニメ版があっさりハッピーエンドに変えられてたことへのうらみとか(共感!)

▲いちばんこころに残ったのは、何人かの方が共通して語っていた、自分にとってのだいじな一冊は書き手がこどもを上から見ていない~ということ。昔は「こどもやと思って軽くみてるやろ」と思う本を時々みかけたけど、いまでも本屋さんの絵本・児童書コーナーに行くと、一見こどもに寄り添っている風な、でも、そこに(絵も文も)ちいさな読者への敬意が感じられない本が平積みされていたりして。腹立たしくかなしくおもうことがよくある。

▲というか、昔も今も、ちいさいひとでも大きいひとでも、読者を大事に思ってるかどうかは、読んでいて自然に伝わってくると思う。同書に載っている絲山秋子さんが(この方の読書歴は、それを読んでるだけで、ほんまに本がすきなひと、とうっとりする。→web本の雑誌『作家の読書道』
)挙げた本『フリスビーおばさんとニムの家ねずみ』は残念ながら未読なんだけど、最後にこう結んではって、絲山秋子作品を思いながら大きく頷く。
《この本は著者が読者を、子どもとして上から見ていない。長い物語を聞いてもらう相手に対しての敬意が感じられる。どんなジャンルでも、この姿勢は物を書く上で忘れてはならないことだと思う》(p257)

▲そうそう、去年おもいがけず小学生のとき夏休みに書いた読書感想文(原稿用紙)が出てきて、わたしも50年近くぶりに再読した本があるんだけど(
ここに書きました)本のなかに「読んでいたころ」のこどもの自分がいて、いま読んでる歳とったわたしの眼や感性があって。けど、ほとんどあの時のまんまやなあ~と苦笑しつつ。時を経ての再読のたのしい時間をすごした。
「ちちろ虫いくつになっても本がすき」(しずか)

▲夏休みの宿題といえば、9月(8月末からのところもあるけど)二学期が始まって、ガッコに行くのがしんどい子も、行きたくない子にも「逃げ場」が必要~というような発言をツイッターでも多く見かけた。自分が自分でいられる時間や場所は、こどもでも大人でも、だれにでも必要なわけで。

▲けど、そもそも「逃げ」ないと身がもたない場所って、何なんやろなあ、と考え込む。いつも、この時期には何度も書いててくりかえしになるけど、自分にとって「うまく呼吸のできる場所」(これ、ずいぶん前に観ただいすきな映画『明るい瞳』
にでてくる)っていうのが、きっとどこかにあることを信じたいです。わたし自身、ひとだけでなく、本や音楽、映画の世界にどれだけ救われたことか。(いまもだ!)たとえ小さくてもよい出会いがありますように。


▲『十歳までに読んだ本』から。
《学校は相変わらずつまらない場所だったが、わたしは毅然とした態度でいることにした。ジャングルで悠然と歩くような気持ちで廊下を歩き回り、決して泣かず媚びず、一人で校庭の片隅にいることを楽しんだ。以来、そうやって、読書というものは、人生の困難な局面を乗り越えるための一手段になった。いまでもそうやって、主人公や作者の生き方を学んでいる。》
(p89長島有里枝 『少年ケニア』山川惣治)

《どんな環境に身をおいても、人生には「いいこと」と「つらいこと」、両方が起きる。いいことの一色だけで毎日を染めることができない代わりに、つらいことだけになることもない。あの日、幼い私が時間をかけて物語から見つけ出した人生の機微が、簡潔な文章の中に、一つの手加減もなく凜と込められている。》
(p193あさのますみ 『ガラスの家族』キャサリン・パターソン)


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# by bacuminnote | 2017-09-14 13:43 | 本をよむ | Comments(0)
2017年 08月 31日

きはった、きはった。

▲足先がつめたくて目が覚めた。秋が来た。むかし見たCMみたいに「きはった、きはった。きはったえ~」と傍ら布団を巻きつけ「く」の字になって眠るつれあいを起こしそうになる。
「硝子戸のコトリと秋はすぐそこに」(角川照子)

▲それにしても、暑いしんどい夏だった。何より、あったことを何事もなかったかのように平然と隠蔽、改ざん(そもそも「修正」というのは「よくないことを改める」という意味やから「修正」ではないと思う)する政治家や人々。どう考えても、いま一番危険なのは原発やろ~と思うのに、相変わらずニュース画面に定期的に登場する原発「再稼働」の文字。

▲そんなこんなの中、母の入院や(先日ぶじ退院しました!)つれあいがバテ気味やったりで、もう涼しくなるということだけで、ちょっとほっとしている。さて、目覚まし時計が鳴るまでにはまだ一時間ほどあるけれど。このまま起きて、濃くてあつい珈琲を淹れよう。

▲いつも買い物に行く駅前に、もうずいぶん前から建設中の大きなビルがある。建築計画や施工者の表示板が掛かった柵の前で、身を乗り出すようにじいっと工事のようすを見ているのは、たいてい年配の男性か、十歳未満のこどもたちで。わたしはこの前を通るたびに工事現場よりその老若のねっしんな見学者たちが気になって、ついつい足をとめるのであった。

▲基礎工事のころは、びっくりするほど大きなショベルカーやミキサー車、杭打機や、クレーン、それに見たことのないようなマシンたちが勢揃いしてたから。「はたらく車」がすきな子なら、まちがいなく堪らない風景だったはず。「ほらほら、もういっぱい見たでしょ。さあ、もう行こうよ~」と困り果てたママの説得場面(苦笑)に何度も遭遇し、おなじく「ガーガー」(ショベルカーのことをこう呼んでいた)が大すきだった息子らのこども時代を思い出して、微笑ましくそんなようすをしばし眺めてた。

▲現場はそれまであった(まだまだ使えそうな)大きなビルを壊して更地にしたので、しばらくの間ウチの方から駅方面をみると、劇的に見通しがよくなった。その景色の変わりように、はじめはとまどいつつも、なんだかなつかしい町に来たような、ぎゅうぎゅう詰めやなくて、風がすいーっと通ってゆくような気持ちよさがあって。いっそこのまま高層ビルなんか建たなければいいのに~と思った。

▲そんなことを考えてたのは、わたしやウチの家族だけやなく、長年ここに住むご近所さんもみな口をそろえて「最初ここに来たときはこんな風やったんよ。ウチから駅の辺りまで、ぜーんぶすっきり見渡せて~」とうれしそうに話してはった。

▲そうだ。わたしもつれあいとケッコンする前この町に来たとき、駅前駐車場は、まだみな「平面」だった。それに平日は閑散としていて、デート(!)のあと、いつまでも車の中で話し込んでいたのだった。
あれから一体どれくらいのビルが建ち、壊されてはまた建ったことか。そうこうしてるうちに広かった空はどんどんビルで埋められてゆく。

▲毎日少しずつ上に上にと出来上がってゆくビルは、その値段も階数も超高層マンションになるそうで。今日も継ぎ足し継ぎ足しの長いクレーンのオレンジ色が青空につきささる。ああ、空はだれのものなんやろなあ。

▲高層といえば、考えてみたらわたしは二階より上で暮らしたことも、ついでながら新築の家で暮らしたこともないのだった。田舎育ちのわたしの家は、いや、わたしだけやなくて友だちの家もみな古い家だった気がする。小学生のときに近くの大きなお家が火事で、その後新築しはったときは珍しくて、普請の間も、建ってからも、家の前を通ると立ちどまっては見入ってた。

▲ここにはなんべんも書いてるけど、生家は旅館だったから、ふつーのお家とは間取りもつくりもちがうんだけど、古いのと二階建てというのには変わりなくて。
学生時代の下宿先数軒も古いお家やったし、ケッコンして初めて住んだ文化住宅も、その後7回あちこちに引っ越したけど、やっぱり古い家で二階建てか平屋だった。

▲信州の古い借家で育った息子2などは10歳のとき、ここ大阪の「祖父母の家」に越して来て、生まれて初めて温水シャワーと水洗トイレのある暮らし(あ、学校は水洗トイレでした)を体験したから、家族感でこの家は「あたらしい家」という認識だったんだけど。その家もまた一般的には(?)古いらしくて。
たまに新築のマンションやお家に招かれると、自分ちの住宅設備とはまるでちがう便利なあれこれに、いちいち反応しては「え?まだ◯◯使ってるん?」「ほんま、どんなとこに住んでるんよ?」とからかわれるんやけど。たしかに不便やし、冬は寒いけど、だいどこの流しがわたしには超低い(長身に堪える!)ことの他はけっこう気に入ってる。

▲なにより、家は新しくても古くても、便利でも不便でも、中にひとが入って暮らしあってこそ、と思うから。ほんまかただの噂か知らないけれど、建築中のマンション購入者の多くが「投資目的」とか耳にすると、ええかげんにしてくれ、と思うのだった。


《建築家として、もっともうれしいときは、建築ができ、そこへ人が入って、そこでいい生活がおこなわれているのを見ることである。日暮れどき、一軒の家の前を通ったとき、家の中に明るい灯がついて、一家の楽しそうな生活が感じられるとしたら、それが建築家にとっては、もっともうれしいときなのではあるまいか。
家をつくることによって、そこに新しい人生、新しい充実した生活がいとなまれるということ、商店ならば新しい繁栄が期待される、そういったものを、建築の上に芸術的に反映させるのが、私は設計の仕事だと思う。

つまり計算では出てこないような人間の生活とか、そこに住む人の心理というものを、寸法によってあらわすのが、設計というものであって、設計が、単なる製図ではないということは、このことである。》(『朝日ジャーナル』1965.7.11号)吉村順三→
『建築は詩 建築家・吉村順三のことば一〇〇


*追記その1)
そんなこんなで、今回は新しい本が読めていません。(読みかけの本→『この世界の女たち』)この間ツイッターにも書いたのですが、10年前の夏に亡くなった小田実さんを悼んだ黒田杏子氏の一句~「夏終わる棺に睡る大男」をよみながら、以前読んだ米谷ふみ子氏の幼馴染・小田実のエピソードを思い出していました。(ここに書きました)
くわえて、ブログ文中にも書いた『「アボジ」を踏む』(小田実)を読み返しました。この本(表題作)が、ほんとうにすばらしくて、読んだときにも会う人会う人にすすめてた気がしますが、再度。講談社小田実全集特設HPで「立ち読み」もできます。ぜひ。


その2)
この間の朝洗濯物干しながら、この曲が口について出てきたのに、なんて曲か誰が歌ってたのか、すっきり忘れてしもて(すっきり、というあたりがね歳を感じます)夕方になってとつぜん「ギルバート・オサリバン」と出てきて、すっきり(本来の意味のw)Gilbert O'Sullivan - Alone Again
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# by bacuminnote | 2017-08-31 11:20 | まち歩き | Comments(0)
2017年 08月 18日

ちいさくて母。

母を見舞う。

「通院するのは大変なので」「ちょっとの間」「大事とって」の入院らしく、大丈夫だろうとは思ったんだけど。
なんというても高齢だし、何より環境が変わって不安がっているかも~と、つれあいと二人で朝から病院にむかった。

その日はまだお盆休み中のことで、天気予報は午後から雨の確率70%ながら、街はどこも人がいっぱい。電車の特急券売り場にも国内外の旅行者で長い列ができていたのは、ふだん外出しないわたしの予想外のことだった。いつか観た古い映画の田舎からでてきた老母のごとくオロオロ。予定の電車に間に合うかひやひや・・・というわけで車内でお昼に、と先にパンを買って行ったんだけど、あとでと思ってた缶コーヒーも買えないまま乗車となった。

色とりどりのキャリーバッグが棚の上や座席にいっぱいの車内で、わたしらもちょっと旅行気分でパンをかじる。(のみものがなくて喉がつかえたけど)やがて目的の駅に到着したと思ったら、こんどは駅から乗ったタクシーが渋滞でなかなか前に進まない。
予報通り途中から降り始めた雨はだんだん雨足がつよくなって。見るともなしに雨粒の車窓から外を眺めて見覚えのある通りの様子に、そういえば以前もやっぱり母の見舞いでこの道通ったよなあ~と話す。

かつては働いて働いて、寝込んでいるところなんて見たことのない母ながら、ここ十数年の間には何度か入院もして、そうそう信州のころは下の子の心配もあったから、木曽から日帰りでせわしなく奈良市内の病院を見舞ったこともあった~と、思い出してるうちにようやく病院に着いた。

受付で聞いた部屋を探していたら、廊下のむこう~看護師さんに付き添ってもらってトイレから出てきた母と目があった。思いもかけない(たぶん)わたしらの姿にびっくりしたのか、恥しいのか、照れ笑いしてる。よかった。なんとか歩けてる~。

それでもパジャマ姿だったからか、点滴のスタンドと押し車のせいか、いや、病院という背景ゆえか~先月ホームを訪ねたときよりも、母はちいさくて頼りなげに見えて。いつものように、おもしろいことのひとつでも言うて笑わしてやろう、とおもったのに。「来たで~」と言うのがやっとだった。

ホームの職員さんが着替えを持って来てくれたり、つれあいが足りないものを階下へと買いに行ってくれる。そのつど「ほんまにすんませんなあ」「ありがとう」をくりかえす母。点滴を確認にきた若い看護師さんが「◯◯さん、娘さんらも来てくれはったんやし、元気だしてや~」と奈良弁で(←大阪弁と微妙にちがう)声をかけてくれると、こどもみたいに「はいっ」といい返事しており、そんな母がかいらしくて、そしてちょっとせつなかった。

先日、母のすきな曲集めて二枚目のCDを送ったとこなんだけど、届いたその日に入院になったようで。
「一曲目はユモレスク、二曲目はトロイメライやで。乙女の祈りもエリーゼのために、も入れといたしね」と言うと「帰ってから聴くの楽しみや」と一気に顔がぱあっと明るくなった。

母は娘がだれもちゃんと弾けなかった(苦笑)ピアノを65すぎてから習い始めて「エリーゼのために」がゴールだった。
「わたしはいっこも母親らしいことできんかったのになあ・・・ユモレスク好きやねん・・あんたはわたしの好きな曲まで覚えてくれて。ほんまいつもありがとうな」と半泣きで別れのあいさつみたいにしゃべり出すのでこまった。いや、ちいさい頃からわたしに音楽の入り口を用意してくれたのは、誰でもない音楽がすきなあなたやったんですよ~と思うてるのだけど。とっさにそんなことばは出てくるわけもなくて。

▲帰りは電車の連絡がうまくいかず、急行や普通を乗り換え乗り換え。車内で病室の母のことを思い返す。「ほな、帰るし」と言ったとき、目をぎゅうっとつむってこっちを見ないで手を振ってたっけ。

窓の外はのどかな田園風景。雨あがりの畑に赤い鳳仙花がひとかたまり咲いてるのがみえた。

「子のように母ちいさくてホウセンカ」(しずか)

むかいの席の母子は田舎にでも行って来た帰りだろうか。ママも、抱っこされた赤ちゃんもその横のリュックに埋もれるように寝入った女の子も皆くたびれ果てて眠っている。おにいちゃんだけは膝に真新しい虫かごを置いて、ときどき蓋をそろりと開けてカブトムシをつまみあげては、ちょっと手足を動かす様子を見てまたカゴに戻している。わたしと目が合うと恥しそうに、でも得意気にまた蓋を開ける・・をくりかえして。「あああ、そこで、おがくず、ひっくり返えさんといてや~」と、おば(あ)ちゃんはハラハラしながら眺めてたけど、かれも又そのうち眠りの国の人となり。

▲ようやっと最寄りの駅に着いたらまた大雨だった。なんせ70%やしね。デパ地下で鴨のスモークをふんぱつして、ビールビールとおもいながら帰宅。

長い一日でした。


*追記

その1)

昨夜、ネットで脚本家の山田太一氏の断筆を報じるインタビュー記事を見つけて、読みました。山田太一脚本のテレビドラマはリアルタイムでずっと観てきて、そのつどその頃の思い出や思い入れもあって「すき」と一言で言えないくらいなのですが。
氏は今年はじめに脳出血で倒れはって、退院後言語機能は回復しつつあるらしいのですが、もう脚本家として書ける状態ではない、と言うてはります。とても残念だけど、これまで観たもの、読んだものは自分の中でふかく残っています。

インタビュー記事を読んでいると、最近の母のことばと重なるところがいくつもありました。

「時々記憶が、飛んでしまう」「思ったことを上手く表現できない」「生きているということは限界を受け入れることであり、諦めを知ることでもあります」

それでも、氏はそれを「ネガティブなことではない」と言い切ります。「諦めるということは、自分が”明らかになる”ことでもあります。良いことも悪いことも引き受けて、その限界の中で、どう生きていくかが大切なのだと思います。」(*週間ポスト2017年9月1日号 より抜粋)


以前、山田太一さんが『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス 鹿野靖明とボランティアたち』(渡辺一史著)という本の解説を書いてはって、その中で「尊厳死」について言及しておられます。こちらもあわせて、ぜひ→

(この本のことはここにわたしも以前書きました)


その2)
お盆の前後は墓参にでかけたり、息子2が帰ってきてたり、今日書いたように遠方の病院に行ったり、で、本も読みかけのまま、映画(DVD)も観たのに(『めぐりあう日』『灼熱』『ライフ・ゴーズ・オン』)わすれてしまってるという体たらく。
あ、そういえば『サンダカン八番娼館 望郷』(熊井啓監督)という古い映画をめずらしく息子と一緒に観ました。「からゆきさん」だったおサキさん役の田中絹代は素顔でボロ布纏ったような姿でしたが、きれいなひとやあと思いました。山崎朋子の原作は出版当時~高校生のときに読んだきりで、忘れてしまってるところが多かったのですが。その頃からひとつ忘れないでおこうと思った一節があって。


それは山崎氏が研究のための聞き取りだとは明かさず、おサキさんの家でしばらく寝起きを共にしてきて「どうしておサキさんは、見ず知らずの私なのに、何ひとつ素性を聞こうとしないの?」とたずねると、おサキさんはこう応えるのでした。

「誰にでも事情っちゅもんがある。相手が自分から喋るならまだしも、当人が何も言わんものを、どうして聞けようぞ」


その3)

今日は、やっぱりこれを聴きながら。

Kreisler plays Dvořák Humoresque



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# by bacuminnote | 2017-08-18 12:12 | 出かける | Comments(0)
2017年 08月 02日

木綿豆腐と大根とバゲット。

もう8月やなんて。
ああ一ヶ月早かったなあ~と、カレンダーをめくりながら毎月お決まりの台詞である。

買い物に行ったら「夏のギフト」の横に「お盆のお土産」のポップ~次から次へと。ゴールの「年の暮れのご挨拶」「迎春準備」まで。

▲「買え」「買え」と宣伝する方もつみぶかいと思うが、そんなもんに知らんまに追われてしまうわたし(ら)もどうかしてる。なんで、もっとどっしり構えていられないか、自分流を貫けないのか。なんで、目新しいことにとびついて、じっくりものごとを考え続けられないのか。

ため息つきつつ自問しつつも、今日は木綿豆腐と大根とバゲットを買う。

帰り道~遠くからうぃーんうぃーんと草払い機が唸るのが聞こえた。この炎天下、街路樹周辺の草刈り作業の人らがお仕事中。もわーんと熱気のなか草のほこりが舞い上がる。作業員さんら、みな汗で作業服がぐっしょり濡れているのが、道を挟んでもわかる。

▲小学生のグループが、だだだだっと、おばちゃんを追い越し走ってく。塾の名前入りリュックを揺らし、保冷のお弁当バッグとお茶をぶらぶらさせながら。まるでプールに行くが如く、公園に集合するが如く。わいわいはしゃいで走ってる。いまや塾というところはそういう場所なのかな。

買い物行って郵便局と図書館寄って、たったそれだけで、今日一日分のエネルギー使い果たしたみたいに、とろんとろん溶けそうになって帰って来た。ああ、暑いときに熱いものを、とクーラーのよく効いたスーパーで思って、重たい大根一本買ったのだけど。とても煮物する勇気がわかない。

こんなふうに「暑い」とぼやいてばかりの毎日だけど。それでもおもしろくいい本にめぐりあえて、読む、読む、読むの夏だ。
前回からリニューアルした「ち・お」116
『親になるまでの時間 後編』(浜田寿美男著)がカライモブックスから届いてさっそく読む。今回はこどもの学齢期からの話なので、当然だけど学校の話題が多かった。

わたしの周辺のひとたちは、こどもがちいさかったときの話をするとき、保育園のころのことは、こどもの病気や予防接種のことや、自身の仕事など大変な時期だったにもかかわらず、そろって皆いきいきと語る。週明けに園に持ってゆく大量の着替えも、重い絵本袋も、お昼寝布団も。

▲顔をくもらせるようになるのは、たいてい学校が始まってからで。その辺に学校とはどういう場所かという答えも潜んでいる気がする。もちろん、心配なことや悩みが、年齢とともに複雑になってくるっていうのもあると思うけれど。それに、いつまでも一日かけまわって遊んで昼寝してるわけにはいかないから。生きてゆくにはそんなわけにはいかないから~という声も(せやからガッコにはちゃんと行かせなあかん!と、よく言われました)あるのだろうけれど。

ウチはふたりともいわゆる義務教育期間にガッコに行かなかった時間が長くて、「学校が生活を制圧」(p58)とはならなかった。いや、親としては家が学校に侵食されるのが(*「学校が生活を侵食して」p56)たまらんかったから、こどもらの「行かない」をむしろ歓迎した。それは当時わたしたちは田舎の小さなパン屋で、親はそれほど忙しくもなく(苦笑)一日中在宅しており、親も子も「いつも通り」でいられたことも大きいかもしれない。

けど、ふりかえって考えてみるに、こどもらにとってその頃~ガッコに行かないあいだ「家」での時間がたのしかったかどうかはわからない。あたりまえのことだけど、家には家の鬱陶しいこともいっぱいあったはず。何より自由でいることって、つねに自分で何をするか、何がしたくないか、向き合うことにもなるわけで。それは単純に気楽というわけにもいかなくて。

ただ、退屈するほどにいっぱいの時間があったのはよかったとおもう。彼らの芯のところにあるのは、その長い時間「わからなさ」に、たちどまり、地団駄を踏み、なやみ、考えた(続けた)ことだと思う。いま大人になった息子らを見ていてそう思う。いや、でも、こういうのもぜんぶ親のわたしが勝手に思ってるだけかもしれない。なんせ、こどもは親のきゅうくつな思いなんか蹴飛ばして大きくなってくれる。

▲【学校というと、どうしても、なにか将来のために「力を身につけていく場」だというイメージがあります。保育所、幼稚園で力を身につけて小学校、中学校、高校へ、そして高校までに身につけた力で大学へ、さらに大学で力をつけて社会へ、という感じです。だけど、この発想をつきつめれば、園は学校へ行くための準備、学校は社会に出るための準備ということになります。そんなふうに見れば、なにか、いつも将来のために準備ばかりしていなければならないような気分になってしまいそうです。

よく考えてみれば、人生に準備の時代など、ほんらいはないはずです。】(p22p23

▲ここまで書いて、ふとデパ地下やスーパーのポップを思い出す。次から次に「準備」することに気を取られていると、たちどまって考えることがなくなってしまうんやないかなあ。くわえて、忙しくすることで考える時間をなくすことも。

この本、学校の話だけじゃなく思春期の話(第四章 思春期はややこしいもの)もあり今回も読み応えじゅうぶん。おすすめです。

▲さて、もう一冊は図書館の児童書コーナーで出会った写真絵本『おじいの海』(濱井亜矢 写真・文)この本は福音館の月刊『たくさんのふしぎ』2004年5月号~タイトルから想像つくように沖縄の海と「おじい」と呼ばれる仲村善栄さんのお話。

▲仲村さんは1917年(大正6年)沖縄生まれの沖縄育ち。本が出たころは86歳の海人(うみんちゅ)。小さいころから海が好きで12歳のとき父親について漁を始めたそうだ。54歳のとき病気になった仲村さんは入院先の医師に「もう海に潜ってはいけません」と告げられて。仕方なく海の上でできる仕事をしてたんだけど。

【ちっともおもしろくありません。船の上でじっと待ってることができなかったのです。やはり海の中にはいって、魚を追いこんでいくのが性にあっていました。そこで、自分のペースでできるよう、ひとりで追い込み漁をはじめたのです。】

この一人追い込み漁の「おじい」のかっこいいことというたら。麦わら帽子に白いシャツ~強い風でも吹いたら飛ばされそうな痩せて日焼けしたおじいさんが(すみません)ゴーグルつけてウエットスーツ着るや、いっぺんにスーパーマンの如くしゃきーんと変身。ああ、もう、このひとはしんそこ海がすきなんやなあと、海中の写真など、ほんまかっこよくて惚れ惚れするようで。

でも、家族はみな高齢で海に出る「おじい」が心配。だから【海に出るときのおじいは風のようにすばやい。だれがなんと言おうと、おじいはあっという間に準備して、「一時(ちょっと)行ってきよーね」と、にげるように海へ消えていきます。】~ちょっと俯きかげんに出てゆく「おじい」の姿は親に叱られながら、遊びに行くこどものようでかわいらしい。

▲この本を読んだあと、わたしはふと母のことを思う。

始まりは、ただ親の言われるままに結婚した相手の家の仕事にすぎなかったのに、ろくに包丁も持ったこともなかったのに。川魚を捌き、へついさん(おくどさん)で次々炊き上がってくる5升釜のご飯を、大きな飯台にうつし、酢飯をつくり。旅館のおかみさんもして、働いて働いてきたから。いつのまにか仕事が自分の背骨みたいになってしまったんやろなあ。

いまあり余る自分の時間が、しみじみさみしいという。日々できなくなることがさみしいという。「せやから、できんようになること増えても、まだ、なんとかできることで、わたしは役にたちたいねん」という。
そう思ったらじっとしてられず、さっそく今いるホームの職員さんに「何でもわたしにできる用事言うてちょうだい、っておねがいした」そうで。

そんでな、レクレーションに使う輪投げの輪作りを、手伝わせてもらってん。「さん、仕事早いねえ。もうちょっとゆっくりしてよ~」と職員さんに言われてん~と得意気に話す母。ところが、がんばりすぎたのか、くたびれたのか、かんじんのレクレーションの時間に熟睡してた、というから、いかにもお母さんらしいな~とつれあいと大笑いした。

▲話そうと思うことばがすっとでてこない、話してる途中で次のことばを見失う。歩くのもおぼつかなくなって・・と最近元気のない母にも、着せてやれる「おじいのウエットスーツ」はないものか、とかんがえる。(とりあえず今日つれあいとCDプレイヤーを買ってきた)

▲そうそう、これを書きながら『おじいの海』の仲村さんのことが気になりネットでみたら、20105月に急性心不全で亡くなってはることを知る。「4月下旬、久しぶりに次男の茂さんと共に漁に出た際海中で心肺停止となって・・」と新聞記事にあった。そうか~ほんとうに最後の最後まで海人やったんやなあ。94歳だったそうだ。

*追記

その1

『おじいの海』作者のブログ

「おじい」亡きあとのエピソード~とてもいい記事です。


その2

書きそびれた本

『俳句と暮らす』(小川軽舟著 中公新書)


その3)

今日はこれを聴きながら。
まだまだ暑い日がつづきますが、
体調くずさないように気ぃつけてくださいね。

Keaton Henson - Nearly Curtains


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# by bacuminnote | 2017-08-02 21:24 | 本をよむ | Comments(2)
2017年 07月 23日

ひきだしをあける鍵。

▲蝉の大合唱と、パジャマの襟の汗のつめたさに、今朝もアラームの鳴る前に目が覚めてしもた。夜中には暑いのとトイレで何度も起きたから。寝不足でぼぉーっとしながら雨戸を開けたら、思いがけず涼しい風がすいーっと束で入ってきて、ああ、ええきもち~と深呼吸ひとつ+大あくび。

洗濯物を干していたら、百日紅の花がいっぱい咲いているのに気がついた。

前は、昔の絵葉書みたく濃い青空を背景に、やっぱりつよい色調のピンクの花が苦手やったから。なんでお義父さん、こんな木植えはってんやろ~と思ってたんやけど。いつのまに、いつからか、気になる花になって。
「さみしさは空の青色さるすべり」(拙句なり~)

そういうたら、いま読み始めた『俳句と暮らす』(小川軽舟著 中公新書)の冒頭「金盥(かなだらい)傾け干すや白木槿」(軽舟)の一句のあと、「俳句とは記憶の抽斗を開ける鍵のようなものだ」ということばに、そうそう!と声をあげる。この白木槿からも、ウチにもあった木槿の~高いとこで咲く花をいつも首をぐっと伸ばして見上げてたこと。根腐れして植木屋さんに切ってもらった日のこと。義父のすきだった木槿や百日紅の花や俳句・・と抽斗の中にいろんなものが詰まってたことに、この一句から気づく。

▲さて。
大阪の日中の暑さは日々もうハンパなくて。いつも通る歩道橋でも立ち話してる人はだれもいない。顔見知りに出会っても、みなさん立ち止まることもなく「暑いねえ」「ほんまになあ」で済ませてはる。きもちのええ季節やと「もうちょっと隅でしゃべって~」と思うほど、老若男女「立ち話のスポット」(苦笑)なんだけど。


信号待ちの横断歩道では、じりじり照りつける暑さに堪えてか、口をぎゅっときつく結んでる人、あくびしてはる人。そんで、そんな知らない人らにさえ、つい「たまりませんねえ」と同意を求めたくなるような(実際求められることも時々ありマス)毎日である。ということで、こころから暑中お見舞い申し上げます。

そんなどこにも出かけたくないよな暑さの中、この間ひさしぶりに隣町のレンタルショップまで足をのばした。

『みかんの丘』(ザザ・ウルシャゼ監督)と『とうもろこしの島』(ギオルギ・オヴァシュヴィリ監督)は上映時に行けなかったので、二枚とも棚に見つけて小躍りする。そして、これまたひさしぶりに、フウフで(各自!)鑑賞のあと、食べながらのみながらの感想大会となった。

映画のチラシには二作とも「世界は閉じたままで、いまだに出会うことがない」と大きな文字が入る。どちらも簡単に言えば傷ついた兵士を匿って世話をすることになるんだけど。戦争に「簡単に言えば」はなくて。つねに複雑で理不尽で不条理の世界だ。

▲どちらも、深くいい映画だったけど、きょうはそのタイトルからもよい風の吹いてきそうな『みかんの丘』の感想を書いてみようとおもう。この映画は木工の場面から始まる。
ジョージア(グルジア)のアブハジア自治共和国でみかん栽培の村は、エストニア人の集落だったが、ジョージアとアブハジアに紛争が起きて、殆んどの人たちは帰国。居残ってみかんの木箱を作るイヴォ(これが冒頭の場面!)と、みかんの収穫をする友人のマルガス。

ある日彼らは家の近くはげしい銃撃戦で負傷した二人の兵士(亡くなった人たちには、土を掘って埋葬する)を、自宅に連れ帰り手厚く介抱する。

この二人の兵士、一人はチェチェン兵(アブハジアを支援)のアハメド、もう一人はジョージア兵のニカ。

瀕死のときは、まさか同じ家に「敵」がいるとは知るよしもないけれど、少し怪我が落ち着いてきてそれを知ったとたん、お互いに殺意をむき出しにするのだった。そこで、イヴォはこの家の中では絶対に戦わせないと宣言。

画面のむこうのやりとりを見ていると「敵」って何なんよ?と滑稽ですらあるんだけど。それでも、ちょっとしたこと(本人たちには「ちょっと」ではないのだろ)で、文字通り一触即発状態が続く。

マルガスには、とりあえず今はみかんを収穫したいという理由があるものの、イヴォの家族はすでに帰国しているようなのに、なぜ彼はひとりこの地に残って、みかんの木箱を作り続けるのか~よくわからないまま物語はすすみ、終盤アブハジアを支援するロシア兵たちがやってきて、また銃撃戦が始まる。


採る人をなくした鈴鳴りのみかん。死んでしまったひと。遺されたひと。少しずつ解ける謎も、やっぱりわからないままのことも。最後はみかんの黄色が悲しみの中でわずかに希望のようにも感じる。

わたしはずいぶん前に観た『ククーシュカ ラップランドの妖精』という映画を思い出していた。この映画も夫をなくし一人暮らしのサーミ人の女性が、それぞれの事情でそこに置き去りにされたフィンランド兵とロシア兵を助ける話だった。

大きなちがいはククーシュカ・・の三人は言葉もフィンランド語、ロシア語、サーミ語と、まったく通じなかったこと。勘と諦めの中で(あとセックスが介在すること。これがじつにおおらかでええ感じ)ぶつかり、わかり合えないながらも奇妙な三人の共同生活が始まって、(ここにも少し書きました)そして最後はそれぞれの地に戻ってゆくんだけど。

いつも思う。そう簡単にはいかん、ともうひとりのわたしが強く言うんだけど。ひととひとは仲良くわかりあって暮らせるのが一番。でも、その難しさは夫婦だって親子だって、そうそう簡単なことじゃないことぐらい皆わかってる(はず)。まして育ってきた環境も言語も宗教もちがえば、当然価値観も大きく変わってくるだろう。

それでも。
あるキョリを持っての暮らしなら、多少のぶつかり合いや揉め事もありながらでも、やっていけるんやないか~と。じっさいやってきた歴史があるんやないか、と。世界が開けるときがあるんやないか、と。いちばんの問題はいつもそこに他所から「介入」してくる大きな力が在ること。そこに支配や搾取や権力が大きな顔して居座ること。

「王様のなんにもしない涼しさよ」(火箱ひろ)

*追記

その1)

わたしは2010年からはじめたTwitter~すてきでおもしろい友だちといっぱいであえました。で、つねづね「北の友」と呼んで、リスペクトしている(けど、まじめな話から昔からの友だちのように映画に本に音楽に・・と、なんでも話してる)詩人 番場早苗さんがこのたび個人誌『恒河沙』(ごうがしゃ)を発刊されました。


その中~34頁にわたる論考「砂州をこえて 佐藤泰志「海炭市叙景」論」はわたしたちが知り合うきっかけにもなった『海炭市叙景』(佐藤泰志著)についての力強い、そして彼女ならではの視点(くわえて同時代に佐藤氏とおなじ砂州の街で生まれ育ったひとの眼)で丁寧に綴られた力作なのですが。


あろうことか、わたしにも「なにか」とお声がけくださって。

からだはデカイがこころは極小(ほんまです)のわたしは尊敬する番場さんの誌面をわたしなんかが・・・と後ずさりしつつも、このブログの続きみたいな感じの一文「映画の時間」というエッセイを載せてもらいました。


くわえて。

十代のおわりからの長いつきあいで、ふだんはあほなことばっかり言い合うてる旧友で漫画家うらたじゅんが、同誌にとびきりの絵を。彼女のひさしぶりの白黒の絵は、架空のまちの映画館ナポリ座と市電とチャンバラ好きのこどもらが、こちらに語りかけてきます。そんなにぎやかな声まできこえてきそうな温かな、うらたじゅん渾身の一枚であります。


そんでまた、たまたまなのですが。
今月からその
うらたじゅん個展が、番場さんのホームタウン函館で開かれるという。件の映画館の原画も展示されるという・・・

いやあ、ほんま ひととひとが出会ったときにおこる波は刺激的でうきうきします。波というのは、うまく、たのしく乗れるときばかりやないけど。波乗りはやっぱりおもしろいです。(ほんまの波乗りは未経験!)

『恒河沙』 ~すてきな表紙絵は作家 吉村萬壱氏によるもの。


その2

『真ん中の子どもたち』(温又柔著)読了。

残念ながら芥川賞受賞にはならなくて。別にとれなくてもええやん(すみません!)~とか思ってたんだけど。発表後温又柔さんのツイート読むと、せやなあ。取ってほしかったなあ、と改めて。

【日本語は、私たちの言葉でもある。日本は、私たちの国でもある。政治家がそれを言えないのなら、小説家の私が言う」。今夜、テレビで、そう言いたかった。それが叶わなかったことだけが、少しくやしい。だからこそ、これからも書き続けます。今までと変わらず。だれに頼まれなくとも!

その3

きょうはこれを聴きながら。

『みかんの丘』で流れてた曲。 しみじみ いいです。

niaz diasamidze - mandariinid (soundtrack)→


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# by bacuminnote | 2017-07-23 21:51 | 映画 | Comments(2)
2017年 07月 11日

濃い色から淡い色に。

空が急に暗くなったので、軒下の洗濯物を家の中に入れた途端、雨が降り始めた。いきなりの大雨と雷は空が割れるんやないか~と思うほど大きな音で、洗濯物を腕にいっぱい抱えたまま立ち尽くす。ちょっとした雷でも、きゃあきゃあ大騒ぎするこわがり(←わたし)は、こわすぎると逆に無口になり、くっと息を潜めて「嵐」が通り過ぎてくれるのを待つのだった。

▲幸いはげしい雷雨はいっときで終わって、雨のあがった後、辺りはしーんとしてる。短時間とはいえ一気に水浴びした緑たちが、薄暗い庭のむこうで、今にもごそごそと動き出すんやないか、と思うほど生物(いきもの)らしい表情を見せており、ちょっとこわいようなうつくしさに見入っている。窓からは涼風(すずかぜ)がすいーっと入って来た。

▲ぼんやりしている間に7月になった。
ケッコンしてから7月は二人の母の誕生月になり、いつも何を贈ろうかとあれこれ悩んだものだった。
義母に初めて誕生祝いをしたとき~たしかそれは白地に紺のシンプルな幾何学模様のブラウスだったとおもうんだけど~包みをバリバリと開け(義母はいつもゴーカイに包装紙を破き、リボンでくるくる巻いてゴミ箱に。母はというと、留めたセロテープさえも爪の先でそろりと剥して包装紙もリボンもぜんぶ取っておくタイプ)ブラウスを胸に当てるや「うれしい」と泣き出さはったんで、びっくりしたりカンゲキしたり。

母の誕生祝いを娘らが贈るのはごく自然のことだったけど、義父もつれあいも義母にそういうことはしたことがないらしく「ウチとこは、だーれも祝ってくれへんから、わたし自分の誕生祝い用に毎月掛け金してたんよ。一年たって満期になったら、それで自分で何か買うてお祝いしててん」と泣き笑いしながらその場ですぐにブラウスを着てみせてくれて、うれしかった。

▲なんというても「自分のための掛け金」というのが新鮮で。なかなか「自分のため」にお金を使わない母にも教えてあげなあかんなあと思ったものだ。そんな義母の誕生祝がいらなくなってもう三回目の7月だ

そういうたら、母のことは「母の日」に誕生日に、と忘れたことなかったけれど、父のことは時々知らん顔で過ごしたっけ。とりわけ「母の日」には娘らから何やかやと送ってくるのを「おまえはええなあ」と羨ましがっていたらしく。いつだったか母から「(お金は)わたしが出すし、お父さんにも父の日に何か贈ってやって」と電話がかかったことがある。

果たして、そのとき父に何か買うて送ったのかどうか全く記憶にないんだけど。母が娘らからの贈り物の包みを開けるそばで、拗ねたように新聞読みながらその様子をちらちら見ている父の姿が浮かんで、今更ながら笑うてしまう。

この間、三番目の姉がこどものときの写真をメールで送ってくれて、その中の一枚はわたしもだいすきな写真なんだけど、残念ながらわたしと母は写っていない。(わたしが生まれてまもない頃やろか)コート姿の父がしゃがんで、姉二人が両脇に、三番目の姉が父の膝に小さな片手を置き座って笑っている。父は若いときの佐田啓二みたいに、ちょっとおとこまえで「マイホームパパ」みたいにやさしく微笑んで。姉と「写真はうそつきやなあ」と笑う。


▲時代も家業も「成長期」で、とにかく年中忙しい家やったから、お客さんや近所の人に娘四人のことを「お嬢ちゃんばっかりで、にぎやかでよろしおまんなあ」とか言われると、いつも「つまらんけど、まあ、女の子やさかいに(家業や家事手伝いに)よう間に合いまっせ」と、父が答えていたのが、こども心に腹立たしかった。

▲思春期になると「待ってました」とばかりに父に反抗しては、そんなとき決まって返される「だれのおかげで学校に行かせてもろてるねん!?」には、よけい反抗心を燃やしてた。(一度「お母ちゃん!」と応えて、激怒されたっけ)

先日、是枝監督のエッセイ「父の借金」を読んだ。(是枝裕和対談集『世界といまを考える』第三巻 PHP文庫 所収)

是枝氏がお父さんのことを語っている文章は何度か読んだことがあって。だから【台湾で生まれ、従軍し、満州で敗戦を迎え、進駐して来たソ連軍に捕虜にされ極寒のシベリアに連行された。そこでの三年近い強制労働を何とか生き延びた末に初めて本土の土地を踏んでいる】(p385)ということは知っていたのだけれど。

タイトルにある「借金」の大変さは、だれよりも氏の母親が何度も味わうのだが、大人のしんどい状況は、たいていこどもにとっても辛い状況なわけで。ふいっといなくなる父親と、借金の不安はいつまでも消えない。そうしてお父さんは八十歳のとき、自宅からバス停に向かう道で突然倒れて亡くなる。

遺族にとって、一番心配だったのが、どこからか大きな借金が出てくるのではないか?ということだったそうで。母親には内緒で氏はお姉さんと父親の持ち物を探り、一枚の消費者金融のカードをみつける。

▲借り入れ額は、意外に少額で146130円だったらしい。ところが7年ちょっとの間に200回以上も返済と借り入れを繰り返してることがわかる。八千円返済して同時に五千円借りて。九千円返して六千円引き出し。九千円返して一万円借りる・・・というふうに。

▲消費者金融の分厚い明細を首をかしげながら息子が繰ってるようすは、なんだか是枝監督の映画の一場面を観ているみたいだ。可笑しいような哀しいような。それでいてやっぱり訳わからんお父さんのエピソードだけど。ひとはわからなさの中で生きているんやろな~としみじみ思う。他人のことも自分のことも。

そうしてわたしが父親にたいするきもちも、訳わからんまま、許せないと赦すを行き来しつつ、でも少しづつ色が変わってきてる気がする。寒色から暖色に。濃い色から淡い色に。

【僕が描いてきたのは、不在の父の役割を担い、子供時代を奪われたまま成長する少年や、家の中での居場所を失い、自分が稼いで建てた家を孫からは「おばあちゃんち」と呼ばれることに不満を抱く引退した医者の父でしかない。父は常にどこかで屈折し、居心地が悪い。そして、そんな父の苦悩は周囲からは理解されず、謎として処理される。それが、僕の父に対する実感なのだと思う。】(p384

【僕の父は死してなお謎のままではあるが、しかし、それは闇の中に不安や恐怖とともに存在する謎ではもはやなく、どこか暖かさを感じる光のようなものに変質している。それは僕が父になったこととどれ程関連しているのか?僕自身にも未だわからない。】(p392


*追記

その1)

是枝監督の対談集は1~3まであって、対談の相手もさまざまでおもしろく読んでいます。今回エッセイ(初出は『考える人』2015年冬号)にはお父さんの話にビクトリ・エリセ監督の『エル・スール』(←だいすきな作品)を重ねていて、この映画もまた久しぶりに観たくなりました。

この第三巻の最後は鴨下信一氏との対談「ホームドラマにおける芝居とはなにか」には、山田太一脚本の『岸辺のアルバム』から懐かしい『天国の父ちゃんこんにちは』まで語られていてうれしかったです。


『天国の・・』は1966年から放映されていた連続ドラマで、わたしは小学生の頃観ていたのですが、大人になって、「ひととき会」(朝日新聞「ひととき」欄に掲載された人たちの会)に一時期入り名簿に原作者の日比野都さんのお名前を見つけて、おお!とカンゲキしたことを思いだします。

ドラマのなかで何度も出てきた詩(主人公の「パンツやのおばちゃん」が亡き夫からプロポーズされたときの詩)もよく覚えています。

*このテレビドラマの一部(動画)を見つけました。劇中(3分あたりから)~園佳也子さんがこの詩を朗読してはります。→ もう主演の森光子さんもこの園佳也子さんも故人となられましたが。


【貧しいから あなたに差し上げられるものといったら

やわらかな五月の若葉と せいいっぱい愛する心だけです。

でも、結婚してくれますね。】


その2)

ペーター・ヘルトリング が亡くなられたそうです。

大人になってから、こどもの本を読むきっかけになった作家でもあり、いっときはわたしだけやなくて、息子も夫もよく読んでいました。『ヨーンじいちゃん』『ヒルベルという子がいた』『ひとりだけのコンサート』『クララをいれてみんなで6人』・・・と思い出す本がいっぱいです。(ここで少し書いたのは彼の自伝的な本『おくればせの愛』→


その3)

今回書けなかったけど読んだ本。
『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女』(上間陽子著 太田出版)→


その4)

観た映画。(よかった!)たいてい観たいと思う映画は、わたしが諸々の事情で行きにくい映画館でかかってて、いつも諦めてるのですが、これはわたしでも「行ける場所」だったので、迷わず行ってきました。

「トランプ政権がイランをふくむ特定7カ国へのビザ発給制限と入国の一時禁止を検討しているとの報道を受けて、主演女優タラネ・アリドゥスティとアスガー・ファルハディ監督も〈もし私の渡航が例外とされても到底許せない〉と声明を発表」~授賞式を辞退ということで話題にもなりましたが。

『セールスマン』


その5)

きょうはこれを聴きながら。
Patrick Watson - Shame


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# by bacuminnote | 2017-07-11 09:21 | 本をよむ | Comments(0)
2017年 06月 27日

たっぷりと水をかけて。

ひさしぶりに墓参。
今春は京都大谷さんへの納骨からはじまって、身内の入院、母のホーム入居と続き、さすがの出無精(わたし)も毎週のように、あっちこっちに移動することが続いて、いつになく電車もバスもタクシーもぎょうさん乗って。

▲その合間に膝痛がぶり返したりおさまったり。よりによって、こんなときにどこからか水漏れで、水道工事は入るわ、PCのバッテリは交換せなあかんわ・・・。なんせ一日1イベント体質()なもんやから、日々おたおたとしながら過ぎて。

気がつけば6月もあとちょっとでおわり。
まだ堀ごたつのヒーターも片付けてないし、ダウンジャケットの洗濯もしていないけど。とりあえず晴れマークあるうちに~と、久しぶりのお墓掃除に出かけたのであったが。

梅雨時に雨の心配をしなくてよい真っ青な空はありがたかったものの、まあ、この日の暑かったこというたら。

近いようで遠い隣市の墓地までは、いつものように、時間はかかるけど、安うて乗り換えなしのバス~始発から終点まで約一時間。その間(かん)どれだけ停留所があるのか。いっぱいありすぎて数えたこともないけど。

それでも「次は◯◯~」というアナウンスに、降りたこともないのに、何回も乗ってるうちに耳になじんだ停留所のなまえが、その自動音声の妙なアクセントすらも、なんだかやさしくなつかしく聞こえて、自然と頬がゆるむ。

平日の午前中ということもあってか、車内はみごとに6080代で埋め尽くされている。後ろの席から押し車や杖を眺めつつ、買い物袋からはみ出た牛蒡や葱に、このひとらも又ウチみたいに早い時間に夕ご飯やろか~とその食卓に並ぶあれこれを想像したり、そや、今夜は牛蒡の時雨煮もええな~とか思ったり。

ようやく終点に到着して、近くのスーパーでお花を買う。
学生時代に、九州出身の友だちがこの「仏花」と名付けられた花と樒(しきみ)の束を、関西に来て初めて見てびっくりしたと言うてたのを思い出す。いわくジッカ周辺ではたいてい畑や庭に、仏壇やお墓用の花を何かしらは植えていて、適当にそれを切って束ねて生けたから、こっちみたいに、みんな揃いの短い丈のお花やないんよ~と。

わたしはこどもの頃から樒を後ろに当てたお花をひとまとめにして、花屋さんで作ってもらったり(出来上がりを)売ってるのが、仏壇や墓参用のお花~と思い込んでたけれど。考えてみたら、そこに咲いてるお花をお供えする友だちの郷里のほうが自然でええよなあと思ったり。
売り場の仏花の容器に「関西仏花」と書いてあったから、お墓の花も地域によってさまざまなんだろう。

▲そういえば、信州に暮らして初めての冬~雪に埋もれそうな墓石に、はっとするような赤や黄色が見えてびっくりしたことを思い出す。厳寒期にはマイナス20度をこえることもある地ゆえ、花も水もいっぺんに凍るから造花を入れてはったのだった。自然の中の作りものの鮮やかな色は、なんだかせつなくて忘れることができない。

さて、駅で乗ったタクシーから降りたら、とたんに地面から熱気がもわーんと立ち上がる。墓地にはすでに何人かお参りの人がいて、皆さん帽子と首にはタオル。どこもかしこも草ぼーぼーで、墓石が草に埋もれてるところもあって。入り口で背伸びして「ウチとこ」のを目視。「ひさしぶり」分の草の成長ぶりを確認。ため息。

さっそく花入れを洗い、ふうふう草抜きをしながら、ケッコンしたころ義父母に連れられて墓参したとき、知らんひとばっかりやった「ここ」に、今はもう、おばあちゃんもおとうさんもおかあさんも居はるんやもんな~と改めてケッコン39年という長い時間に感心して(苦笑)で、感心してる自分がまたおかしくて一人笑う。(あやしげなおばちゃん)

▲わたしはあんまり汗かきやないけど、この日は動くたびに文字通り「滝のような汗」が流れ落ちる。
夏に義母と墓参に行くと、きまって「おじいさん、おばあさん。坊(←つれあいのこと!)のおヨメさんと来ましたで~暑うおまっしゃろ~」とか言いながら、墓石にじゃぶじゃぶ水かけて。

「ああ、暑う。ウチも暑うてかなわんわ~」と柄杓を持ったまま首からかけたタオルで汗をぬぐってはったから。わたしもたっぷりと水をかける。
義母が逝って、ああもう二年たった。また暑い夏がはじまる。


*追記

その1)

暑いのんと、中腰で(膝痛でしゃがめないので)草抜きをしたので、ふらふら。ぐったり。「墓掃除一途になつてをりにけり」(岡本眸)~である。

で、駅についたらソフトクリーム、ソフトクリーム~とそればかり思って歩くも、駅の木陰でおにぎり食べたとこで時間切れ。バスが来てあわてて乗車することに(泣)


でも、帰りのバスは空いていて、バッグも横に置いて涼しい中で読書。ああ、ゴクラクゴクラク。この日はリハビリの帰りだったのでバッグに入ったままの本『ボーイズイン シネマ』(湯本香樹実)を。「シベールの日曜日」というフランス映画についてのエッセイを読みながら、途中出てきた寺山修司のことばについて、考えているうちによだれたらして(!)爆睡。気がついたら終点でした。
【人々は、自らが記憶し得た過去の情報の量を味方にして、現代の桎梏(しっこく)から身を守ろうとする】(寺山修司)

(同書p65 より抜粋)


その2)

いま読んでいる本→『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(ブレディみかこ著 みすず書房刊)

ブレディみかこさんの文章は以前からネットでも本でもよく読んでいましたが。あとがきにもあるように【政治は議論するものでも、思考するものでもない。それは生きることであり、暮らすことだ】(p282より抜粋)を、実感しつつ。この本のことはまたこんど書きたいです。

その3)

読んだ絵本→『先生ががんになっちゃった!』(宇津木聡史 文 河村誠 絵 星の環会刊)

これ、「学校の保健室」というシリーズの一冊みたいです。こんな本が出てるんや~とびっくりしましたが、ほかにも認知症やインフルエンザの巻もあるようです。→

この本は5年2組のみんなから慕われてる大野先生ががんで入院する、という設定で、心配でならないクラスの美咲と大輝は保健室の先生にがんという病気のことについて、質問して、それを探るべく体内への旅にでます。がん細胞の特徴、免疫細胞のこと。治療法では手術のほか抗がん剤から分子標的薬、放射線のことまで。思いの外くわしく書かれていて、正直なところ(こども向けやから、という先入観があったのやとおもう)おどろきました。からだのしくみを知ることはもちろんですが、「わたしたちには何ができるの?」という自らへの問いかけもあって内容はけっこう深いです。


(一晩考えてやっぱり~と書き加えました↓)

*気になったのは、本の最後の参考文献が二冊だけだったこと(内一冊はおなじ出版社の本)。医療関係者の監修がなかったこと。それから、わたしは絵のふんいき(これはとても大きいとおもう)が表紙もふくめて教科書の副読本的で、にがてでした。


その4)

そんなこんなで、映画もDVDも全然観てません(観たいのんいっぱいあるのに。残念!)それに、気がついたら本も、なんでか小説が全然読めないでいます。(読みたいのんいっぱいあるのに。残念!)


きょうはこれをひさしぶりに聴きながら。じつは"reticence"の意味もわからず、ずっと聴いてたけれど。「無口」といま知って、無口になっています・・。

Reticence- Ketil Bjørnstad  Svante Henryson →




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# by bacuminnote | 2017-06-27 18:47 | 出かける | Comments(0)
2017年 06月 17日

「そのころ」を歩いてくる。

▲6.15なんという一日のはじまり。

いつもコンセントも抜きっぱなしのテレビに、それでも受信料をあえて払い続けているのは、国会中継など「ここ」というとき観たいからなのに。NHKは今回(も)中継をしなかったから。朝いちばんの珈琲も淹れずにパソコンの前に座った。

何もかも念入りに仕組まれた、でも、ちっともおもしろくないドラマを見せられている気分で。むかむかする。いや、ドラマだったら画面の向こう側で何が起きようが、気に入らなければスイッチを切ったらそれで全部お終いにできるけど。もはやそんなのんきな話ではなく。

前にも読んだ『茶色の朝』の恐怖を思いだしながら(ここに書きました )この本の解説にあった高橋哲哉氏の【やり過ごさないこと、考えつづけること】を自分に言い聞かせる。

そんな重いきもちとは裏腹に、梅雨ながら毎日ええお天気がつづいて。今日も又すきとおった青空がひろがる。刷毛で掃いたような雲が「何あほなことばっかしやってるねん!」と人間を笑い飛ばしてるみたいに見える。

庭の緑は(草のことデス)このまえ刈ったとこなのにもう伸びて。ぐんぐん伸びて。「七月や既にたのしき草の丈」っていう日野草城の句があって。最初「たのしき」やなんて。よう言うわ~(苦笑)とか思ったのだけど。

後日この句が草城の晩年に近い時期、病気療養のさなかの作句と知って、そうか。せやったんか~草の勢いに「生」を思ってはったんか~としんみりする。けど、ふりかえってみるに、わたしも友人たちも若いときは快活とか、精気みなぎる~みたいなのはなんか恥しいと思ってて。服装でも生き方でも、ちょっと草臥れたような、枯れてるのが、かっこいいと思ってた気がする。

▲いまはもうみなぎる精気などはないから。映画館のシルバー料金をなんの証明も要らないことにちょっと不満なおばちゃんであり。若い日の老成のフリが愚かしくもあり、いとおしく思える。

さて、晴天続きってことで、午後に買い物や用事に出ると保育園のおさんぽや小学生が校外学習?から学校に戻るところに、たびたび出くわす。ぞろぞろ、ぞろぞろ長い列だ。暑いし、だらけてる。あっち見て、こっち見て。歌をうたう子、大きなあくびの子。前とうしろで、足を蹴った、蹴らないで、けんかする子。通りすがりのおばちゃん(わたし)に手をふってくれる愛想よしから、口をぎゅっと結んだ不機嫌な子も。

ああ、にぎやか。皆それぞれ、ばらばらで。センセはさぞかし大変やろけど。ええなあ。こういうのすきやなあ~と後ろ姿を眺める。そしてその後ふと、この子らにあんな国会のようすを、嘘と詭弁にまみれた政治家たちのうす汚れたことばを、大人たちはどうやって説明できるんやろ、と思いながら、歩く。

この間からリハビリの待ち時間に『ボーイズ イン ザ シネマ』(湯本香樹実著 キネマ旬報社)という本を読んでいる。わたしの持っているのは初版1995年刊なんだけど、初めて読んだのはずっと後。だから中に紹介されている映画の上映が終わっているだけじゃなくて、DVDにもなっていないものが多くて、観る機会がないのはとても残念。(本も絶版のようで残念)

それでも、ふしぎなことに観たいくつかの作品についてのエッセイより、むしろ観たことのない作品について書かれたものが印象に残って。文章から想像してちょっと「観たような気になってる」ものの、実際には観ていないからそのうち忘れて。しばらくしてまた初めて読むきぶんで本を開く・・というようなことを繰り返してる。ああ、これこの前も読んだなあと思いながらも、書かれている著者のこども時代のエピソードがそのつどたのしい。

そのなかの一篇『アーリー・スプリング』は、【ある日、私は穴を掘りはじめた。穴のなかに秘密を埋めるのだ】と、始まる。いや、これも映画の話じゃなく著者のこどもの頃の話なんだけど、気になる書き出しだ。(この方の「始まり」はいつもええ感じ)

最初は母親にもらったクッキーの缶にだいじなものを入れる。字はまだ書けなくてりんごの絵を描いてハサミやのりやガラス玉のついた指輪や牛乳瓶のフタを入れて。そして、それをどこにでも持ってゆく。これ、たぶん女の子でも男の子でも覚えのあるシーンだと思う。

つぎに母親の鏡台の抽斗のひとつを専用の抽斗にもらうことになる。鏡台の抽斗と聞いただけで、わたしも当時母のつかってた乳液の瓶やヘアーブラシが浮かんでくるようだ。うれしくて、著者は大好きなワンダースリーのシール(手塚治虫のSFテレビアニメ)を貼って、いきなり母親に叱られ断念。次に思いついたのが、だいじなものをクッキーの缶に入れてそれを「埋める」という方法で。著者はいっとき家の庭じゅうを掘って掘って掘りまくるんよね。

そういうたら、わたしもラムネの瓶から取り出したビー玉を姉からもらって、庭に埋めたことがあったっけ。はじめは、毎日のように場所をたしかめて、追加にボタンや川原で拾ったきれいな石とかも入れたりしたのに。そのうち確認を怠って(苦笑)はっと気がついたときは、どこかわからなくなってしまった。
だいじにしなければ、と思うものはだいじにしすぎて(?)仕舞いこんで、それがどこだか忘れてしまう~というこまった癖は未だ治ってないんだけど。

▲やがて著者は中学校に入って、鍵のかかる抽斗のついた机を買ってもらい「秘密を隠す場所探し」はとりあえず終わることになる。
【私はいつも、その鍵を持ち歩いた。ひきだしの中身より、鍵が宝物みたいだった】(p16)この感じよくわかるなあ。わたしの場合は鍵付き日記だった。あこがれのそれを初めて手にしたとき、こんなのでちゃんと閉まるのかと思うくらい錠前も鍵も小さくて。指先でつまむようにして鍵をもって鍵穴に入れて回すと、カチッと錠が開いて。そんなん当たり前やのに、そのことにカンゲキして、中に何書こうかとドキドキしてた。

▲こんなふうに本を読みながらわたしは著者の思い出話から自分のこどもの頃へと、何度も何度も飛んで行ってる。すっかり忘れてしまってたようなことが、ふいに目の前に現れて。しばしタイムスリップしたみたいに「そのころ」を歩いてくる、というトリップを楽しんでる。たまに思い出したくなかったことも見えたりするんやけど。

そうそう映画のことは、最後の6行に書かれているだけ。湯本香樹実さんのこのセンスだいすき。(いつも長々しゃべりすぎのわたしのあこがれ)
この映画観たいなあ。(予告編

【『アーリー・スプリング』のエスターを見ていると、心のなかの秘密のひきだし、そこにおさめられた秘密ののぞみ、そんなものが世界の半分を占めていた頃のことを思い出す。少女のリアリティが心身両面から立ちのぼってくる、素敵な映画。エスターが駄菓子やパン類を頬張っているシーンがたくさんあって、そういうところもなんだかうれしくなるほど女の子そのものなのだ。】(同書p1617より抜粋)

*追記

その1)

思春期の鍵付き日記はともかく。社会にむけて自分の思いや考えに鍵をつけなくてはならないなんて、とんでもないこと。まして、その鍵をだれかに管理されるなんて、あってはならないこと、と思います。

その2)

このあいだ、本屋さんの絵本のコーナーに行ったら『たねがとぶ』という本と目があいました。どこかで見たことのある本だと思って奥付をみたら1987 年発行の「かがくのとも」(福音館書店)とあったから。探せば家のどこかにあるはず、と買いたい気持ちを抑えて帰ってきたのだけれど。帰り道もずっとタイトルの「たねがとぶ」が残っており。あらためて、ええ題やなあと思う。自分がずっと思ってることはこれやな、と思う。

道端の草に花が咲き、花のあとに実をつける。実のなかには種がある。


【たねは、くさの つくった くさの こども。

 やがて、くさの こどもは たびに でる。

 あたらしい ばしょに なかまを ふやすために。

 かぜに ふかれて そら たかく

とんで とんで とんで とんで、つちにおちて

めをだして おおきく なって、また たねを つくる。】

p1619

その3)

前回更新から16日も経ってしもて。長い休憩でした。休憩の間に、ここに来てくださった方、「なんかあったの?」と心配して尋ねてくださった方、ありがとうございます。わたしは元気ですが、これまでは年にほんの数回しかなかった遠出がけっこうあったり。いっぺんに複数のことができない不器用モンで、自分でもなさけなくなります。

そういうたら、昔パン屋のころ(前にも書いた気がしますが)一次発酵後のパン生地をスケッパーで分割して計量して、作業台で向き合って立つ つれあいがそれを次々丸めて天板に並べてゆくのですが。最初は寝起きということもあり(つれあいは午前2時半頃起床。わたしは一次発酵が終わった数時間後に起床、でした)無口なわたしも、だんだん調子づいて、しゃべりながら作業するわけです。

と、しらんまに話すことに熱心になり(苦笑)手がお留守になって、よく怒られました。この行程は、というか時間配分は発酵、焼き上げに影響するのでとても大切なのでした。で、しばらくはしょんぼり黙々とスケッパーで生地切る音だけが小さく響くのですが。が、またそのうち忘れておしゃべりを始めるんですよね。これが。(そして、今もかわらず・・)

その4)

きょうはだいすきなこれを聴きながら。

take a walk on the wild side・・

Lou Reed -Walk On The Wild Side→


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# by bacuminnote | 2017-06-17 10:56 | 本をよむ | Comments(0)
2017年 05月 31日

「まわりしといてくださいや」

今月三度目の遠出。
いつも家に篭ってるから、外出が続くと自分やないみたいで、なんだか落ち着かないんだけど。この季節の吉野方面への道中は車窓からの景色を見ているだけで、緑がからだの中に入ってゆくというか、自分がどんどん緑になってくようで、気分が昂揚してくるのがおかしくて。
窓に額くっつけてひとり、くくくと笑うてしまう。いま暮らしてる町もけっこう緑は多いんだけど。ここ通ったあとに見たら、きっと映画のセットみたいに感じるやろなあ。

今回はつれあいとふたり。彼もまたこの前の息子みたく久しぶりの近鉄南大阪線~吉野線の景色にじっと見入ってる。
窓の外、ぽつぽつ見える建て替えの新しい家がある他は、わたしの高校の電車通学のころ(1970年代)とほぼ変わらず。ただただ山と少しの畑がつづく景色が沁みる。

いや、走る電車の中から通り過ぎる景色に、余計なものが何もない、と感動してるのと、そこで留まり暮らすひとの思いが重なるか、というのは、幾度か経験した田舎暮らしで少しは想像できるから。ときに「余計なもの」も生活を潤わせてくれるから。単純に「田舎はいいなあ」「住んでみたい」とは言えないんだけど。それでも。やっぱり、ついつい、なんべんも。「ええなあ、ええなあ」とつぶやいてしまう。

見舞いに行った先の病院もまた緑緑緑のさなかにあり、病窓から山の稜線がそれはみごとで、きもちがしんとする。
携帯用の絵の具セットでそんな山々を描いてるらしいと聞いてうれしかった。
そのむかし辰巳浜子さんの料理本でおいしいもんを拵えてくれたひとに、その娘辰巳芳子さんのスウプの本をもって来た。「ほな、またね」と握手(おもいきりハグしたいとこやけど傷口に堪えるし)して。お見舞いのつもりが、山々と澄んだ空気に見舞ってもろぅたきぶんで病室をあとにする。

オンバサラダルマキリソワカ。
(まえに旧友jと行った京都三十三間堂でであった真言。「いのりましょう。大切な人のために。そして、生きとし生けるもののために。」

次はいま走ってきた電車で何駅かもどって母のホームに。

午後のホームも電車もがらーんとして。停車のたびに車内をええ風が通ってゆく。なつかしい駅名に、ここからはあの子、次の駅ではあの子、と電車通学のかつての同級生の名前が(もうすっかり忘れていたのに)自然に口をついて、おどろく。
さてようやく最寄り駅に到着するも、タクシーも出払って、バスも次の出発まで45分もある。困った。つれあい一人だったら歩いて行ける距離なんだけど、わたしにはちょっとキツイんよね。

しばらくの間、母に要るもの聞いてコンビニで買い物したり、その辺うろうろして待ってみたけどタクシーは戻ってくる気配がない。

結局、停車中の行き先のちがうバスの運転手さんのアドバイスで、ひと停留所分そのバスに乗って残りふたつ分を歩く、という方法をとることになった。

その日は夏みたいに暑くて、ふたつめの訪問ということもあって、がっくりきてたけど、バスに乗るや「あ、やっぱり歩かはりまっか?」と運転席からバックミラーをみて運転手さんが声をかけてくれて。「他所から来た人」と思わはったんやろね。続いて「◯◯☓☓カードは持ってはりますか?なかったら、190円まわりしといてくださいや」と。

その親切な応対もうれしかったけど、何よりわたしは「まわりする」に、じんとくる。「まわりする」とは奈良県(主に南部?)で「支度すること」なんよね。ここでこんななつかしい言葉聞くとは思わへんかったから。一気に疲れがとんでいくようで頬がゆるんだ。
バス停ひとつ分はあっという間にすぎたけど、坂道だったので助かった。降りる時も「この道、まーっすぐ、まーっすぐですさかいに」と教えてくれて「おおきに~」と下車した。

部屋でじっと待ってられへんかったのか、母は押し車を押して玄関ホールまで降りてきており、苦笑。そういうたら、つれあいのお母さんもわたしらが滋賀や信州の家から車で帰省のおり、何度も玄関の外まで出て(携帯電話のない頃やから何時に着くかもわからへんのに)待ってはったようで。
そんなお義母さんをみんなで笑うてたのに、今はわたしが息子らが帰ってくるとき、おなじようなことをして「いさこさん(義母のなまえ)現象」と家族にからかわれている。

長生きしてよかったことも、しんどいことも。母の喜怒哀楽も日替わりだけど、ここに来てもやっぱり好奇心旺盛で、若いスタッフに「ずっとこの仕事してはるの?」とか話を聞いたりしてるようで(苦笑)。
「なんか営業の仕事してたらしいけどやめて、僕には介護の仕事が合うてると思います~って、言うてたわ」とか「今日は100歳のひとが前に座らはった。100歳のひとなんて初めてや」とコーフン気味に話す母も、一ヶ月後には94歳になる。自室の壁には、わたしが出したポストカードと、習字教室で書いたというじまんの一枚(たぶん)が貼ってあって。「五月晴れ」と書かれてた半紙が風でゆれていた。

*追記(いつものことながら、長いです)

その1

この日のおともは『もういちど自閉症の世界と出会う 支援と関係性を考える』2016年刊)という本でした。この間読んだ『ち・お115号』「親になるまでの時間」前編(浜田寿美男著)がとてもよかったから、自分のなかで反復したり、書かれたことについてつれあいとご飯たべながら、のみながら、話したりして。いろいろ考えていたとこに、ツイッターでよくやりとりしてるkさんがこの本に言及されていて。ああ、その本つれあいが買うてウチにあったなあ~と思い出して、読み始めたのでした。

ツイッターのたのしいところは本や映画をきっかけに、それが広がり深まる「きっかけ」を得られるところ。あとは自分しだい。そのまま忘れてしまうこともあるし、本や雑誌なんかは知って、「おお!」とおもって即注文、ってこともある。自分では用意できなかった種をもらってる感じ。

『もういちど・・』は何人かのひとが書いてはるんだけど、とりあえず関心をもった浜田寿美男氏の頁(第三章 自閉症という現象に出会って「私たち」の不思議を思う~わかりあうことの奇跡と わかりあえないことの自然)から読み始めましたが、車中で何度も隣席に「ちょっと聞いて」と読み聞かせ(笑)をしました。このことは(さっき書きかけたけど、めちゃ長くなりそうやから)次回に書こうとおもいます(つもり・・)

そのまえに『ち・お115号』です。

いくつかこころに残ったところを書いてみますが、ぜひ読んでみてほしい一冊です。7月には116号がでます。たのしみ。

【あえていえば、人は発達のために生きているのではありません。どんなにささやかであれ、手持ちの力を使って生き、それぞれの生活世界を広げていく。新しい力が生まれてくるとすれば、それはその結果でしかありません】(p37

【実際、ことばが出てきてはじめて人同士のコミュニケーションができるかのように思われがちですが、ことばはむしろことば以前の身体でのコミュニケーションがあってはじめて出てくるもの、それを逆立ちして考えてはいけません。】(p46

【ことばを乗せるコミュニケーションツールが地球規模で蔓延するいま、ことばの空回りもまた蔓延しています。人類はどうしようもなくおしゃべりなのです。だけど、おしゃべりがほんとうに意味をもつためには、そのおしゃべりがテーマとする現実世界を、まずは身体で共有すること。そのためにはときとして沈黙して、互いの身体を見つめ、その表情を読みとることも大切ではないかと思います。】(p48

その2

引用文のなかの「そのためにはときとして沈黙して・・」は「どうしようもなくおしゃべりな」わたしに沁みることばでありました。

そういえば、そんなわたしがほんまにしゃべることができなくなった時があります。

時期的にいえば、下の子が小学校入学前だったことから、耳鼻咽喉科ではあっさり「ストレスかなあ」とドクターに言われたのですが。自分では保育園と小学校のちがい(たとえば食物アレルギーでお昼は別に作って持って行ってたことも、本人が入学前から「ぼくガッコに行かんとこかなあ」と登校に乗り気やなかった!ことも、保育園のときから「引き続き」という感じやったし)への不安も特別なかった気がするのですが。


何より、風邪でもない、扁桃炎でもないのに、なぜ声がでないんだろう。ていうか、ふつうはどうして声が出るんだろうと、生まれて初めて「しゃべる」ことへの疑問をもったことを思いだしました。

結局わたしの場合「声帯に隙間ができて震えない状態」やから声(音)にならないのだろう」ということで、一応なんか薬は出たけど、ドクター曰く「一番有効なのは沈黙です」とのことでありました。

これ、なかなか苦行やったんですが、黙ってると見える(感じる)こともあって、ええ経験でした。(しらんうちに治ったので、また忘れてしもてる・・)

その3

ここ二ヶ月ほどいろいろあって、容量のちいさい頭とこころがパンク寸前でしたが、ようやく山ひとつこえたかな、というとき。おもいきって映画館に行ってきました。たった2時間ほどだけど、暗闇で、ひとり、黙って(!)観て。
とてもとても佳い時間でした。映画館でたあとも、エンドクレジットのバックで流れ続ける海の音がずっと耳元で聴こえてた。ああ、海のそばに行きたくなりました。

『マンチェスター・バイ・ザ・シー』


その4)

『図書』(岩波書店)前からの連載(梨木香歩「往復書簡」)も、新連載(ブレディみかこ「女たちのテロル」などなど)~おもしろいです。4月号は本屋さんで本買ったときもらって、5月号はもらいそこねて図書館で借りて、6月号からとうとう定期購読注文。はやく届かないかなあ


その5)

長くなりました。さいごまで読んでくださって、おおきにです。

もう、日々煮えくり返るようなことばっかりですが。知る、考える、怒る、は手放したらあかんと思う。
きょうはこれを聴きながら。

Max Richter - Dream 1 (Before the wind blows itall away)



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# by bacuminnote | 2017-05-31 18:53 | yoshino | Comments(0)
2017年 05月 16日

なんでもかんでも これひとつで。

雨戸を開けたら、朝のひかりのなか雨あがりの新緑がまぶしい。一雨ごとにボリュームアップしてる木々。
毎年のことながらこの時季の草の成長ぶりもまたみごとだ。とりわけどくだみの勢いというたら、ほんま笑うてしまうほどの繁殖力で。濃いハート型の緑はじわじわとかくじつに庭を覆ってゆく。

梅の木はちょっと見んまに実がなり始めて。木の下にはちっちゃな青いお臀がいくつも落ちているのに気づく。わさわさ黄緑色の薄い葉っぱも、すきまから見える空の青もすがすがしくて。首がいたくなるまで上をむいて「そうだ」とひと枝切って、ガラスの一輪ざしに活けてみる。
母がここに来たとき、おなじように空を仰ぎながら「梅の木があるのはええなあ」と言うてたことをおもいだす。八十代のころは何日も泊まりに来たこと、あったんよね。

「新緑やうつくしかりしひとの老」(日野草城)

そんなこんなで、ちょっと母の声が聞きたくなってホームに電話したら「きょうはな、朝食のときカーネーションを一本づつもらってん」とうれしそうに言うので「よかったなあ」とこたえる。いちおう「その日」が「ちょっとは気になってた」娘なのだ。

▲気にはなっていたけれど、あまのじゃくやし、くわえて亡き義母のホームでも毎年「母の日」にはお花の宅配便がいっぱい受付に届いていたのを思いだしたりして。この、同じ日にいっぺんに同じような贈り物の届くシステム(苦笑)がなんだかなあ~と思うのであった。届くひと、届かないひと。それにあたりまえのことながら母でないひともいて。いろいろ考え出すとついつい足ぶみしてしまう。

▲なにより、お正月の迎春商戦がおわると節分、バレンタイン、ひな祭り、ホワイトデー、イースター、こどもの日、そして母の日や父の日と・・・続いて。いつのまにか「~の日」は「なんか買う(買わされてる)日」になってしもてるのも気にいらん。
そんなカタク考えずにもっと気楽に贈り物しあったらええやん~と、もうひとりの自分がつぶやく。いやいや、贈り物はおくるのも もらうのも(!)大すきなんだけど。
踊らされるのは大がつくほど嫌なのであって。

先日、旧友Jと会った。何年も会えなかった時期もあるけど、こんなふうに、毎月のように会うて「つもる話」ができるのは、ほんまうれしい。

そういうたら、ケッコンして一年半ほどはJの家の近くに住んでいたんよね。(ていうか彼女の暮らすまちにわたしらが越して行った)
今おもえば、学生のころのように気楽で夢のようにたのしい時間だった。こどもの誕生後もしょっちゅう遊びに行って、いっしょに銭湯に行き、二家族で夕ご飯を食べた。

▲そうそう、この日はわたしが家を出た記念日で。そんなこと思いもよらずに会うたんだけど、ケーキセットにて(何にするか、きゃあきゃあ言いながら)祝った(笑)(*あ、イエデのことはここにも書きました)

あの日から早や38年である。20代やったわたしらも60をこえ、お互いのこどもらもええ歳になり、彼女は「おばあちゃん」にもなった。

▲ウチに寄ってくれた彼女にそのころからずっと使ってるフライパンを見てもらう。それはアパートを決めた日、彼女に連れて行ってもろた店で、ちょっと張り込んで買ったもので。近頃は重くかんじる鉄のフライパンを持つたびに、狭いだいどこに立って、なんでもかんでもこれ一つで作ってた頃をなつかしくおもいだす。

このあいだ『くらす』(文・森崎和江 絵・太田大八 復刊ドットコム)という絵本を読んだ。(この本は1983年に訪問販売でのみ発売されていたシリーズ本だったのを、2015年復刊ドットコムから出版されたものらしい)

小さな漁師町に暮らす人たち。両親と結婚がきまったおねえちゃん、年の離れた弟ひろしの四人家族の一日を、ひろしが語る。

〈あさの さんじに おきました そとはまっくら〉軽トラにいっぱい積み込まれた花。車のむかう朝市にはお店がいっぱい。

おとなりのおばあちゃんと猫。村のみんなで道路の大掃除。連絡船の船長さんはおねえちゃんの「こいびと」。船大工のおじさんの仕事場。畑帰りのおばさんは娘のゆみちゃんの車椅子を押してあるく。
〈ひろしちゃん あおぞらがいっぱいね〉〈むこうに あかとんぼがいたよ〉

〈ゆうごはんが すんで おかあさんが おふろで うたっています「ながいおふろね」とおねえちゃんが わらいました〉

いつもの毎日。あたりまえの暮らしのスケッチ。それなのに、なんでこんなにひとつひとつの場面に、その短い文と素朴な絵に、じんとくるのだろう。

▲いっしょに本を読んだJが「出てくるひとらの表情がええなあ~」と絵描きの眼で言うてたけど。そしてそれはもちろん太田大八さんの絵の力によるところが大きいのだと思うけれど。当時の(モデルになった)村のひとたちもまた、ひとりひとりちがうええ顔してはったんやろなあと思う。と同時に、いつのまに皆のっぺりと同じ顔になってしもたんか、と唸るのだった。

▲せやからというて、あっさり「昔がよかった」になるのはごめんだ。古く「悪しき」ものは終わりにして「良き」ものを残してゆくにはどうしたらいいか~「便利」にはかならず落とし穴があることをこどもらに(大人にも!)伝えるのにはどうすればいいのか。ああやっぱり、最後には「それは教育」と思うのだった。(以前ここにも少し書きました)


*追記

その1)

最近やっとすこし本が読めるようになりました。

いろいろ気掛かりなこともあるのですが、思うても詮ないことをぐるぐる考えてるより、本を読む時間がそんな「ぐちゃぐちゃ」から抜け出せる時間にもなる、と今更ながら気づいたりして。


『太陽と月と大地』 (コンチャ・ロペス=ナルバエス作 福音館書店刊)あの宇野和美さんの訳、あの松本里美さんの銅版画ということで、出版をたのしみに待っていました。カバーの絵も挿絵も、装幀もとてもすてきです。いちばんに頁を繰って挿絵を探してうっとり~なんて、こどものとき以来やなあ。

そして次に読むのが「訳者あとがき」です。(本編あとまわしになってすみません)宇野さんの「あとがき」にはいつも、著者のことだけでなく、物語の背景となる国の歴史や政情まできちんと書かれていて、ええなあと思います。ひとの暮らしのバックには、必ず歴史や政治があるわけで。物語にそれが直接描かれてなくても。登場人物や背景の理解が深まり、また次の「知りたい」につながってゆくから。


物語は16世紀のスペイン。キリスト教徒の伯爵令嬢と伯爵家に長年仕えてきたイスラム教徒の家に生まれた少年。両家の人々も、そして淡い恋心を抱くふたりも、宗教や民族の対立に巻き込まれてゆきます。
180頁の薄い本ですが物語は重厚です。最初は登場人物のなまえや地名がわからず戸惑いましたが。でも、
だいじょうぶ。ちゃんと最初に絵入りの人物相関図と地図がついています。


〈人が豆つぶのように小さく見える。遠くから見れば、キリスト教徒もモリスコも区別がつかない。みんなただ、人間というだけだ。〉(同書p113より抜粋)*モリスコというのはキリスト教に改宗した元イスラム教徒のこと。


〈しかし人が自尊心を持てるかどうかは、ほかの者が自分をどう見るかではなく、自分が自分をどう思うかで決まるのです。〉(同書p156 より抜粋)


その2)

観た映画(DVD)

「禁じられた歌声」

「永い言い訳」

「ブルゴーニューで会いましょう」 

「淵に立つ」


その3)

きょうはこれを聴きながら。

Stefano Guzzetti-Mother →






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# by bacuminnote | 2017-05-16 14:23 | 本をよむ | Comments(0)