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# by bacuminnote | 2017-11-13 19:10 | 本をよむ | Comments(2)
2017年 11月 02日

おべんとう。

▲前々回のブログは「十月の雨」という題にしたけど、台風も含めてなんだかずーっと「雨の十月」だったなあと思う。で、11月に入り今日は秋晴れのきもちのいいぽかぽか陽気の一日になって、しみじみとうれしい。

▲かつて亡き義母のホームの送迎バスに乗ると、道中必ず誰かが今日のお天気から明日の空模様を話し始めて。そのうち皆口々にお天気のことを言うので、車内は天気予報大会みたいになって。「ここはいっつも天気の話やなあ~」と下むいて笑ってたんだけど。天気は元気と隣同士みたいなもんやから。しんどいとこイタイとこあるひとにとってはとても大事なこと~と、いまならわかる。

▲今日は洗濯物も布団も毛布も枕もみな庭いっぱにに干した。雨続きで気がつかなかったけど、あちこちに石蕗(つわぶき)の花の黄色がみえる。窓を開け放しても寒くなくて。掃除機のガーガーうるさい音も、こんな日は「掃除してる感」があってやる気が出るというもの~(勝手なもんだ)家の中に溜まった埃も湿気も。住人の中に溜まったあれこれと湿気(!)も、この勢いで外に出す。かくして快晴にひっぱられ、にわか働き者になったせいか、それとも今朝は早起きしたからか、お昼前からおなかがぐうぐう鳴っている。

『アンソロジー お弁当』という本を、だいどこで読み始めた。タイトル通り41人の(虚子や百閒。吉川英治に向田邦子・・よしもとばなな、角田光代、華恵などなど)世代をこえてお弁当をめぐるエッセイと、合間合間にお弁当の写真(どれもおいしそう)も挟まっており。曲げわっぱから、タッパ、ラップでくるんだおにぎり。楕円形のアルミのお弁当箱には釘で削った名前が見えるようで、なつかしい。

▲今日みたいな陽気やと、おべんと持ってどこかに出かけたいなあ~とか思いながら、気の向くまま、目次を無視して読んでいる。これまで読んだところでは、お母さんが拵えてくれるお弁当の話が多いように思う。運動会のいなりずしや、給食のなかったころガッコに持ってゆくお弁当の話。

▲珍しいところでは池部良さんのお父さんが良さんに拵えたというお弁当。「子供にうまい弁当を食わせてはいけない」と、お父さんは料理上手なお母さんからその座を奪い、削り節に醤油をかけたものをごはんの間にはさんで、上に梅干し1個という「日の丸弁当」を二年間、ずっとおなじものを拵えたらしい。ただし、途中からは良さんが母親の財布の五十銭銀貨をこっそり盗み出しては、学食でカレーやハヤシライスを食べていたらしいけど。(「敗戦は日の丸弁当にあり」池部良)

▲一方「うまい弁当」どころか《ときどきお弁当を持ってこない子もいた。忘れた、とおなかが痛い、と、ふたつの理由を繰り返して、その時間は教室の外へ出ていた。》と向田邦子さんは綴る。
《小学校の頃、お弁当の時間というのは、嫌でも、自分の家の貧富、家庭の愛情というか、かまってもらっているかどうかを考えないわけにはいかない時間だった。豊かなうちの子は、豊かなお弁当を持ってきた。大きい家に住んでいても、母親がかまってくれない家の子は、子供にもそうとわかるおかずを持ってきた》(「お弁当」向田邦子)

▲お姉さんがおにぎりを拵えてくれた、という話もあった。(「姉のおにぎり」白石公子)
著者が小学一年生の秋にお母さんが長期入院をするんだけど、ある日学芸会があって、忙しいお父さんにかわり、当時小学五年生のお姉さんが初めてご飯を炊いておにぎりをもたせてくれる。苺の模様の洗いざらしのガーゼのハンカチに包まれた小さいおにぎり2個は、せんべいの硬いビニール袋に入っており。しかも、それはみたこともない奇妙な形やったそうで。

▲《ご飯粒のついた海苔がべろんと剥がれて、やわらかすぎる御飯をにちゃっと噛めば、冷たく歯にしみて、塩気のしない御飯は生臭く、思いっきり不機嫌になってしまうほどおいしくなかった。誰にぶつけたらいいのかわからない。やりきれなさがこみ上げてきた》(p151)

▲お母さんの病気で学芸会に来てもらえなかったさびしさと、そんな特別な日のお弁当がお姉さんのおいしくないおにぎりで、よけいに「お母さんだったら」と、思いをつのらせて泣きそうになってる女の子がうかぶようで。一方、母不在の家で父の手伝いをし、自分のさびしさを堪えてわがままな妹の世話をする健気なお姉さんの姿がせつなくて。そういえば、と『となりのトトロ』の姉妹が浮かんだ。

▲著者もずいぶん後になって『となりのトトロ』を見たとき、あの日のおにぎりの味といっしょに、妹のために見よう見まねでつくってくれたのであろうお姉さんのきもちを初めて思って《今ごろになって、ハラハラと涙がこぼれそうになってしまうのである》と綴る。
「食べる」ことは「生きる」こと。人の数だけ暮らし方はあって。お弁当箱の中にもいっぱい思いと物語がつまってる、とおもう。

▲家族や自身の手で拵えたお弁当の話が続くなかで、目次に「ほっかほっか弁当」の文字をみつけて、読んでみる。(「<ほっかほっか弁当>他 抄」洲之内徹 『さらば気まぐれ美術館』新潮社より )
あるとき氏は名古屋方面から長野へと車を走らせたらしい。《中央高速がまだ中津川から恵那あたりまでしか開通していなくて、そのどちらかのインターで高速を降り、十九号線に入ったはずだ。小雨が降っていて、そのうえ途中で夜になり、初めてその道路を走る者にとっては、国道十九号線は怖い道であった》(p108)

▲19号線といえば、信州に暮らしたわたしにとっても思い出深い国道だから、読みながらつい前のめりになる。
氏はそのときの怖かった体験を後で『気まぐれ美術館』に書いたら、幅さんという見知らぬ方から手紙が届く。曰く《自分の家は国道十九号線の傍で、藁葺きの屋根が国道から見える、老夫婦二人でそこで暮らしている、こんど十九号線を通ることがあったらぜひ寄ってくれ、というのであった》

▲氏はその後幾度となく19号線を通ることになるのだが、手紙の主の家を訪ねることはなかった。幅さんからは時々手紙をもらったり、氏が『気まぐれ美術館』の文中に「探している」と書いた古書を送ってきてくれたりする。ある日たまたま明科を通ったのが朝の内だったので、思い立って幅さん宅を訪ねようと思ったそうで。門の前に車をとめると、ちょうど門から鞄を抱えて出かけようとしている老人、そのひとが幅さんだった。

▲氏が名乗ると、出かけるのをやめにして「こんな用事いつでもいい、明日でいいんです、とにかく入ってください」と言われて上げてもらう。当時前年におつれあいを失くした幅さんのお家には、近くにいる妹さんがときどきお世話に寄ってるらしい。お茶を運んできた妹さんが氏に「泊まって行ってください」~と誘ってくれて、そんなつもりのなかった氏はあせるのだが。ちょっとのつもりが2時間ほど話して、帰ろうとしたら幅さんが明科の駅前を通るなら自分も乗せて行ってほしい、と言うのだった。

▲来たとき出かけようとしてはったのを思い出して、氏はてっきりそこに連れて行ってほしい、ということかも~と同乗して駅にむかう。ところが、駅につくと「ちょっとここで待っていてください」と幅さんは車を降りてどこかに消えたままなかなか戻ってこないのである。

▲しばらくして白い袋を下げて幅さんが姿を見せ「今日はせっかく来てもらったのに何もお構いもできなくて・・・、これ、昼食代わりに食ってください」と窓からその袋を差し出すのだった。中をのぞいたら、ほっかほっか弁当とビニール袋入りの一口シュークリームが入ってたそうで。《何ともいえない気が私はした。土地の名物か何かだったら、私はこんな気持ちにはならなかったろう。感動したのだ》と氏は窓越しに頭を下げるのだった。

《どうしても書いておきたかったのはこの〈ほっかほっか弁当〉のことである。なぜか分からないが、いうなればこれが私の信仰なのだ。幅さんが私に〈ほっかほっか弁当〉をくれた、こういう一瞬の中にだけ、何か、信じるに足る確かな世界がある。明科の駅前で買った〈ほっかほっか弁当〉で、いつまでも、私は幅さんを忘れることはないだろう。》(p116)

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# by bacuminnote | 2017-11-02 15:23 | 本をよむ | Comments(0)
2017年 10月 22日

シュウクリームふたつ。

▲その日は父の命日だった。
一日じゅう何度となくその頃の父を、そして母やわたしの家族のこと、あとその日の天気や着てた服とか、つまらないことをぽつりぽつり思い出したりしてた。もう31年もたったから「その後」は父の知らないことだらけで。おっきな声で教えてあげたいことも、ちょっと黙っておきたいよなことも。いっぱいいっぱい溜まってるんだけど。とりあえずは四人の娘も、その家族も皆ぼちぼち元気にやってるし~って知らせたいなあ・・・とか思ってたら、なんだか母と会って話がしたくなって。翌朝ホームに行くことにした。

▲朝起きたときは曇り空だったのに、駅まで歩いてる間に降り出した雨と風が冷たくて。やせ我慢せんともうちょっと温いモン着てきたらよかったなあと、前を行くカッコイイ若者のダウンジャケットをみながら首をすくめて歩く。
母の(わたしも)すきなシュウクリーム2個と、頼まれたタオル掛けとハンガー5つ買って電車にのりこむ。(余談ながら、このことをツイッターに書いたら、旧友Jの《あーびっくりした。いくらなんでもハンバーガー5つは食べすぎやろと思ったら、ハンガーやったか》というリプライに大笑い。そういうたら原石鼎の句に「あんぱんを五つも食うて紅葉観る」というのもありましたがw)

▲あいにく飛び乗った電車が準急で、途中から各駅停車になるわ、二度も通過待ちはあるわ、で、目的の駅が遠いこと遠いこと。けど、がらーんと空いた平日昼前の車内と各駅停車のおかげで、ちょっとした旅きぶん。本も読まず、窓から走る景色を追って、なつかしい駅名とプレートに書かれた名所旧跡に眺め入り、斜め向かいの席で試験勉強らしきセーラー服の高校生を眺めた。膝に載せた鞄の上にテキストみたいなのを広げてる彼女、大きな目がだんだん細くなって、まぶたがふさがって。こくんこくん眠りこけては、はっと起きる姿がかいらしくて。

▲その高校生が主人公の物語を夢想したり。そういえば~と、かつてここのセーラー服着てた若い友人を思いだして、メール。あれこれ思うてることをエア"word"したり。車内が空いているのをええことに、紙袋に手をつっこんで、買ってきたあんぱんを小さくちぎって食べたりね(旨かった!)。ああひとり電車の時間はたのしくてすき。

▲やっとやっとホームに着くと、母が玄関のところで到着の時間も伝えてなかったのに、待っててくれた。エレベーターで乗り合わせた入居者の方に「娘さん?」と聞かれて「この子、四番目の娘ですねん。ほんでね・・(以下略)」と応えてる(苦笑)
居室に行って休憩したあと、とりあえず前から頼まれていた部屋の片付け~服や空き箱など「いらんもん」の整理をする。

▲ひとつひとつ「これどうする?」と聞いてゆくんだけど、「捨ててよし」と即答するものもあるが、たいてい「その服はな、◯◯で買うてん」とか「わたしが編んでん」とか、ひとつひとつに思い出話が付いてきて。「けど、シミもほころびもあるし、もうくたびれてるし(捨てても)ええやろ?」「な、もうええやろ?」と重ねて言うと、やっと「うん。ほんならもう”お役御免”さしたろか~」と笑いながら返ってくる。なんや母の思い出まで捨てるみたいで切ない。けど、そんなん言うてたらいっこうに片付かないので心を鬼にして続行。

▲なんせわたしが出したレターパックから、紙袋、服や雑貨を送ったときのダンボール箱も、包装紙も紐も全部残してあって。ホームに入居してから半年もたってないのに、すでにモノがいっぱいたまっており。どこで暮らしてもモノを捨てられない世代やなとしみじみ。
途中ふたりとも、めんどうくさくなって「やめとこか」と言い合うも、すでに部屋の中がエライことになっており、なんとかカタつけて強制終了(苦笑)。

▲で、ようやっとお茶の時間だ。「おいしいなあ」とシュウクリームを丸かじり(!)しながら昨日の話をすると、母は父の命日を失念してたようで「忘れてしもてたこと」にしょげかえるのであった。ええやん、ええやん。もう31年も経ったんやから。たまには忘れることもあるよね。

▲「その日」は土曜日だった。わたしはパートの仕事が休みで、部屋の掃除をしていた。一年前の夏から父はヨメイセンコクも受けていてみな覚悟はできていたはずだけど、9月はけっこう快調やったから。もしかしたら、もうちょっと、いや、もっと長く居てくれるんやないか~と、思ってた。たぶんみんなもそう思ってたはずだ。

▲慌てて上の子の保育園の迎えを義母にたのんで、駅まで急いだけど「その日」も近鉄吉野行きが出るまで、けっこう時間があって。病室に着いたら、次々かけつけたみんなに囲まれて父はすでに永い眠りについていた。
「ほんまにもぉ。いっつもおまえはぐずぐずしてねんから・・」と今にも父がベッドから起き上がってきて、怒られそうな気がした。「今日も着いてたで~」と母が指差した枕の横には、そのころわたしが毎日父に宛てて出してたハガキがあった。

▲母は父の入院中、仕事を終えて夜おそく病室に通ったころのことをぽつぽつ話し始める。深夜になって「ほな今日はもう帰りますわ」と言うと「ごくろうさん」と言いながら、おとうさんさみしそうやった、と。「ずっと(病室に)おったら、よかってんけど、次の日も仕事あるし、おとうさんが入院中は、店まもるのがわたしの役目やと思ってたから」と泣きべそをかいて。「その日」はとおくちかく、わたしたちの中に在る。

▲小さ目のシュウクリームをえらんだのに、94歳の母には多かったようで。「残ったん、あんた食べる?」と聞かれたけど。以前はこんなの2個くらい軽かったわたしも、いまは無理。そうそう、むかし母がよくカスタードクリームを拵えてくれて、パンにつけて食べたっけ。母子で口の端に粉砂糖つけながら、父もすきだったシュウクリーム談義。
「ぜったい忘れんといてな。傷んだん食べたらあかんで」と繰り返して半分冷蔵庫にいれる。
帰る時間になって、呼んだタクシーが来て「ほんならまたな」と握手して車に乗り込む。車窓から、ずっと手ふってる母がちいさく見えた。


*追記
その1)
帰宅後「残り」が気になって、母に「おなか壊したらあかんし、早う食べるか捨てるかしてや」と言うたら、こんな返事がかえってきた。
「あははは~あんた帰ってからちょっとして、もう食べましたがな」

その2)
きょうは選挙投票日です。この選挙そのものに、納得いかないし思うとこいっぱいあるけど、とにかく投票はせねば。わたしは期日前に。(期日前の投票所のほうが便利いいし助かりますが、入場券がない場合の本人確認が簡単すぎるのが気になるところ)
先日いただいたコメント返信にも書きましたが再度。
何かが変わってゆくのはそして何かが変わるのって、ほんまに気の遠くなるほど時間かかるわけで。教育や地道な運動の継続、継続の上にようやく。
当たり前のように思ってしまってる選挙権だって、日本の女性が参政権を得てから、まだ72年なんですものね。
あらためて魯迅の有名なこのことば(小説『故郷』の文末)をかみしめながら。「知ること」「考えること」「怒ること」を忘れたらあかんとあらためて思いながら。

《希望は本来有というものでもなく、無というものでもない。これこそ地上の道のように、初めから道があるのではないが、歩く人が多くなると初めて道が出来る。》(青空文庫→

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# by bacuminnote | 2017-10-22 10:42 | yoshino | Comments(0)
2017年 10月 09日

十月の雨。

▲ほんのついこの間まで大活躍だったのに、部屋の隅で首をかしげてる扇風機はビクターの犬みたいで、なんだかもの悲しい。毎朝いちばんに沸かして冷やしたほうじ茶も、ついに今日から熱いのをポットに入れて、カーディガンは綿からウールに替え、お風呂の設定温度もすこし上げた。そうそう、一昨日は大鍋で今季初の粕汁を拵えた。

▲さあ、これから今年のおわりまで、だれかに背中押されてるみたいに忙しなく過ぎるんだけど。今年(こそ)は、その「だれか」のナンバーワン~せっかちなコマーシャルに惑わされて(モノを買い)急がず、バタバタせずに、いつも通りのちいさな暮らしをだいじにしようと思う。

▲前日から雨がつづいて薄暗い午後だったけど、雨音と雨にぬれた緑、それに雨の日のこどもを見るのもすきやから、出かけることにした。
ちいさいひとは自分の傘を初めて持つようになると、みな「いちにんまえ」の顔つきだ。柄を短めにぎゅうっと持つちいさな手も、ぱしゃぱしゃ水たまりを挑むように歩く姿も。自分ちのこどもらの雨の日の思い出は、もう遠くなってしまったけれど。こどもの傘もかっぱ姿も、みな、ほんまにかいらしく、いとおしい。

▲今日会った男の子は傘をくるくる回しては何度も上を見上げてた。その透明のビニール傘には鉄腕アトムの絵がいっぱい描かれており。傘を回すと頭の上でアトムがびゅんびゅん飛んでるみたいに見えるのか、立ちどまっては回し~をなんべんも繰り返し。先を歩くママがふりかえっては呆れたように「もぉ~◯ちゃんったら、早くおいでよ」と呼んでいて。おばちゃんは「あとちょっと。もうちょっとだけ」と代わりに返事したくなる。

▲少し行くと、こんどの衆院選の候補者の掲示板が設置してあって、たちどまって眺める。(さっきのこどもみたく、なかなか先に進めないw)公示前やからポスターは貼ってなくてベニヤ板に黒い枠だけ。この枠の中が嘘や排除や選別、ご都合主義と好戦的な人たちで埋まりませんように。まっとうな人がいてくれることを。そして有権者もあの手この手の「マジック」にまどわされず「偽モノ」を見分ける眼をもたなければ~だまされへんからね!ああ、それにしても。すっかり汚されてしまったことばの数々が頭のなかで舞っている。

▲さて、いま住んでるところはけっこう大きな街ながら、毎日ほぼ同じ時間帯に同じコースで動いていると「顔見知り」何人かに出会う。いや、声をかけ合うこともなく、もちろん名前も住んでるところも知らなくて、ただお互いに(たぶん)顔を知ってるだけの「通りすがりの人」なんだけど。

▲まっ白な髪の女性のいつもセンスのいい服装や、杖つきながらゆっくりゆっくり、みるたびにちがう帽子のかっこいいひと。押し車押してるおじいさんの笑顔は見たことがなくて。スマホ見ながら歩いてる青年はいつ見ても笑ってて、決まってコンビニのお弁当とスナック菓子とペットボトルの三点セットの入った袋をぶらぶらさせて職場にむかう先のとがった靴のお兄さんとか。わたしは「ハットさん」「スマイル」「ふきげんさん」「コンビニさん」とか、勝手なネーミングをたのしませてもろてる。(すまん)

▲「名前をつける」といえば、以前作家の絲山秋子さんが大学のクラスの授業で話したことをツイートしてはって、とても興味深く読んだことを思い出す。曰く《私自身、名前の在庫をいつでも取り出せるように、トレーニングをしています。駅の改札で、待ち合わせしているふうな顔をして、改札から出てくる人全員にどんどん名前をつけていくのです。100人くらいやります。》(2015.9.23)

▲さすが絲山秋子さん。《職人が道具を使いやすく管理したり、刃物をきちんと研ぐように》トレーニングをしている、とのこと。すごいなあ。
それでこのツイート読んでから、まねしてわたしも歩きながら時々やってみるけど、せいぜい十数人くらいで、品切れならぬ名前切れしてしまう。

▲そういうたら、ケッコンしたての頃つれあいのおばあちゃんが彼のことをちがう名前で呼んでいて「それ誰ですか?」とびっくりしたんだけど。どうも彼が若いとき、ある日名前を変える宣言。家族に「これからは◯◯と呼ばへんかったら返事せぇへんから」と言うたそうで(笑)
当時、義父母がそれに応えたかどうかは知らないけど、おばあちゃんだけは(彼がもとの名前にもどしてからもw)いつまでも従ってたというわけで。

▲一方、ウチの母は父と結婚して「信子」という名前に変えられたらしく、父を始めみんな「のぶこ」「のぶこさん」と呼んでいた。それなのに書類や手紙には母が「尚子」と書くのを見てふしぎに思って聞いたら「尚子ではウチの苗字に合わへんのやて~」と不満気に言うてたんを思い出す。母は「ヨメ」になって、姓も名も変わってしもたわけで。祖父母の死後は「本名」で通してるけれど、父は亡くなるまで「のぶこ」と呼んでたなあ。

▲自分で名前を考えたり変えたりできるのはええことやと思うけど、だれかに(「家」にしろ「国」にしろ、権力をもつ側に)変えることを強要されるのはゆるせない。
たまたま今日読んだ本『ともに明日を見る窓』(きどのりこ著 本の泉社)にも名前の話がふたつ出てきた。この本は副題 「児童文学の中の子どもと大人」にあるように、7つの章に各4~6編の児童文学を紹介している。

▲ひとつは「人の優しさを発見していく~高史明(コサミョン)『生きることの意味』を中心に」の中に出てくる日本の植民地支配の中「創氏改名」により奪われた名前。もうひとつは「今度、お家が二つになります~ひこ・田中『お引越し』を中心に」で両親の離婚の話。母親が「旧姓」に戻り、主人公のレンコが、父親か母親の姓を選ぶことで話し合い、揺れる。
どちらの本も読んだことがあるけど(とりわけ『お引越し』はすきな作品で何度も)姓名とアイデンティティー、「夫婦別姓」のこと、それらのベースにある戸籍制度の問題も考えながら、再読したいと思う。



*追記。
ひさしぶりに?長い長い追記 になりましたが、どうか最後までおつきあいくださいませ。

その1)先日『ぼくは満員電車で原爆を浴びた 11歳の少年が生きぬいたヒロシマ』(米澤鐵志 語り 由井りょう子 文)を読みました。タイトルにあるように米澤さんは11歳のとき爆心から750mの電車内で母親と共に被爆します。翌月母親が、乳飲み子の一歳の妹は翌々月に亡くなって。少年の目でみたその日のこと、その後のことが語られます。

なかでも深く残ったのは米澤さんが中学校に入学して、国民学校でいっしょだった友だちと再会したとき(彼ともう一人は事情があって市内にいたけど、友だちは疎開していたので無事だった)仲良しの朝鮮人の友だちの姿がなかったこと。
ほかの町内で集団疎開した友だちに聞いても、みな知らないと言う。だれともなく「戦争が終わったから朝鮮に帰ったんじゃろう」と言うて、いつのまにかそう信じてたんだけど。しばらくして「ぼく」は集団疎開の中に朝鮮人の友だちがだれもいなかったことに気づきます。

その後、朝鮮人の被爆者と知り合って聞くと、こんな答えが返ってくる。《朝鮮人がどうだったか、だって。朝鮮人は疎開なんかできなかったんですよ。”おそれおおくも半島人も天皇陛下の赤子にしていただいたんだから、子どもといえども銃後の守りをせなあかん、疎開などはもってのほかだ”ということで疎開させてもらえなかったんです》(p103)

「あとがき」にあるように、米澤さんは被爆体験「語り部」は続けてきたものの、本にすることは断ってこられたそうです。
けれど《東日本大震災、それにともなう東京電力福島第一原子力発電所の事故により、ふるさとを追われた福島の人々を見て、考えが変わってきました》《形は変わっても、どちらも「核」でありることに変わりはないからです。》《人類と核は共存できないことを、あらためて強く感じ、広島でのぼくの体験を本にして残すことで、少しでも多くの人々に「核」と戦争」について考えていただければと考えるようになりました。》と。
ほんとうによく語ってくださり、よく文章化してくださり、本になったこと、と思います。

今年7月に国連で採択された「核兵器禁止条約」に被爆国の日本は国として不参加(!)だったけれど、核兵器廃絶を訴えるNGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」ICANには、日本からは発足当時からの運営団体ピースボートや日本被団協などが参加。そのICANが先日ノーベル平和賞を受賞しました。

その前に発表のあったカズオ・イシグロ氏のノーベル文学賞受賞は早々に首相からお祝いメッセージを発表、テレビでも繰り返し取り上げられたそうですが、平和賞はテレビ以前に、首相、政府からのコメントもなく、やっと(10月8日付け)外務省から談話が発表されました→ただし《ICANの行ってきた活動は,日本政府のアプローチとは異なりますが》という「前置き」から始まるものでしたが。

以下はピースボート共同代表でICAN国際運営委員・川崎哲さんのツイート@kawasaki_akira (2017.10.07)より抜粋。
《今回のノーベル平和賞受賞は、核兵器の禁止と廃絶のために勇気をもって声を上げ行動をしてきたすべての人たち、とりわけ、広島・長崎の被爆者、また、世界中の核実験の被害者らに対して向けられたものだと思います。被爆者の皆さまと共に今回の受賞を喜びたいと思います。》

《生きているうちに核兵器のない世界を実現したいと願いながら、その夢が叶わぬうちにこの世を去った多くの被爆者のお顔を思い出します。改めて、心より哀悼の誠を捧げます。それでも、核兵器が国際法で全面禁止されるところまで来ました。さらに歩みを進めれば、核兵器廃絶は必ずや達成できます。》

《日本は選挙一色かもしれません。しかしこの機会に、日本の核兵器政策とは?日本は核兵器禁止条約に署名・批准するのか?この条約にどう関わるのか?といった点について、各党の方針を聞いてみたいところです。核兵器の禁止と廃絶をめぐる日本国内の論議が深まることを期待します。》


その2)長くなるから追記はやめにしようと思ってたのですが、これはやっぱり書かないと、と書き加えました。

きょうはこれを聴きながら。
パブロ・カザルス「鳥の歌」(1971年国連スピーチ)  「鳥の歌」
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# by bacuminnote | 2017-10-09 14:31 | 本をよむ | Comments(2)