こんなところで こんな姿の鮎に。
2007年 06月 12日
雨降るなか、水のしたたる花びらの そのうつくしいさまを眺めながら「みずのうつわ」の名にふさわしい花、と改めておもう。
▲昨日スーパーに行ったら、魚売り場に発砲スチロールのお皿にパック詰めされた鮎をみつけた。おお、もうそんな季節なのね、と思いながらも こんなところでこんな姿の鮎に会うなんて(苦笑)
いや、なんとも落ち着かないのである。鯖や鰺や太刀魚がパック詰めされていても、特に何も思わないのに。川魚を見るとどきんとするのは、川育ちやからかなぁ。
▲もう20年ほど前に母が『きょうの料理』というTV番組の「鮎料理の特集」というのに出たことがあった。
この間その古いビデオを出して来て見てみたんだけど、まだ髪も黒い60すぎの母はテレビカメラの前で、ちょっと緊張しながらも鮎すしをにぎり、小出刃で手早く鮎を開き塩漬けしていた。それまで取材はたいてい父が受けていたんだけど、この前の年の秋 駆け足で逝ってしもたから。
▲父が亡くなる前まで住んでいた、その昔旅館だった建物の二階でテーブルいっぱいに鮎料理が並ぶ。塩焼き、みそだき(赤みそ仕立て)、せごし(生の鮎をそのままぶつ切りしたもの)うるか(鮎の内臓の塩辛)、鮎すし(酢でしめた鮎)と焼き鮎すし(鮎の素焼きに甘辛い葛あん)。アナウンサーに質問を受けて、古いおつきあいの釣り師の○さんと母が鮎の話をしている。
なつかしい鮎料理と、窓のむこう きらきら光る吉野川の川面(かわも)に まだ現役だった母や亡き父を思い、むねがつまった。
▲こどもの頃は当たり前でナンの感慨もなく、眺めていた山や川やよしので見てきたあれもこれも。じぶんの中で、じつはゆっくり醗酵していたのかもしれないな、とこのごろよく思う。
そういえば、古い木造校舎でこどもたち皆でぶつぶつ言うてた小学校も「林業の吉野」にふさわしい重厚な建物だった。思い返せば、その広い大きな瓦屋根も圧巻だった。
▲龍門文庫というのは、文庫主人である故 阪本猷氏が収集した和漢の古写経、古写本、古版本、古活字本、自筆本、江戸絵入版本等を納めたもので、かなり専門的でわたしには遠い世界だけど、漱石や荷風の生原稿もあるそうだ。
阪本さんの本宅は吉野の龍門という所で、小学校の近くにあったのはその別荘だったのだ。(別荘の敷地内に阪本氏亡き後、氏の意志を継いで妻の千代子さんが文庫の収納庫を建てられた)
▲阪本さんは実家の昔からのお客さんで、父は三輪車で「はいたつ」に行っては「お駄賃」にと、当時珍しいお菓子を薬袋に入れてもらったらしい。こどもがいてはらへんお家だったからよけい父をかわいがってくれたのかもしれない。
以来父も、そして母も何かおいしいモンやめずらしいものが手に入ると「ベッソーのおくさんに」。海外旅行に行っても「おくさんに」と、おみやげを届けてたりした。
▲本好きなこどもだったけれど、それでも敷地内にあるりっぱな書庫に、何が納められているかまったく関心もなく、そこはたまに「はいたつ」に行かされるお客さんのお家でしかなかったのだけど。
この間からインターネットで調べて おどろいている。そして龍門文庫が古典の宝庫であることだけでなく、地域でこども文庫も開いていることを知って、うれしくなった。