You’re not young.
2008年 01月 23日
こんな日は鍋か粕汁である(鍋の話ばかりですまん)
子どもの頃は大根も関東葱(と関西で呼ぶ「白葱」)も苦手だったから、水炊きも粕汁も大がつくほど嫌いだったのに。
「お葱食べたら賢しこぅなりまっせ~」「この大根とろけるように甘ぅて、おいしいねんから」「な、欺されたと思うて一口食べてみぃ」
この台詞 祖母が言い、母が言い、姉たちが言うて。ガッコのセンセにも。何べんも何べんも言われたのに。
▲そのつど「きらいなモンはきらい」「あんなもん食べなアカンのやったら、別に賢くなんかならんでもエエし」「欺されたと思ぅて、と言われても欺されへんし」とか思ってたんだけど。
やがて偏食少女(←前に ここにも書いたけど)も大きくなってコイをして。そしたら、あろうことか 相手は大がつくほどの葱と大根好きやったんよね。
時は経って。いまやウチの冷蔵庫にこのふたつは切らしたことがないし、相方が苦手な切り干し大根まで好きになってしもて・・・ああ、コイとは偉大である(笑)
▲とはいえ、コイの魔法の力などはちょっとの間のことだから。
ほんまのとこはケッコン早々病気や入院で凹んだり、子どもが生まれたりで、少しは努力もしてみたり。そんなこんなのうちに、あたりまえに食べ、おいしさもわかるようになったのだろう。
あ、けど、一向に賢くならへんとこ見たら「葱・賢人説」っていうのはうそやったんか?それともわたしの食べ始めた時期が遅すぎたからやろか?
▲まあ、賢人になれなっかったにしても。
できなかったことができるようになったり、食べられるものが増えたり。大人になるのも、年をとるというのもなかなかのモンである。
そういえば、ときどき訪れる 『考える高校生のためのサイト・マンモTV』の中のひとつ、多賀谷浩子さんの 『映画のある生活』に先日こんなことが書いてあった。
▲多賀谷さんは海外の映画監督や俳優と話していて、たまに
You’re not young.
と言われることがあるそうで。初めてそう言われたときはびっくりしたけど、そのすぐあとにそれは「君は物事を理解しているじゃないか」みたいなニュアンスの褒め言葉なのだと気づく、とあった。
多賀谷さんも書いてはるけど、日本語で同じように言ったら相手はどう受け取るだろう?この国では「若く見える」は褒め言葉でも「若くない」が褒め言葉になることってほとんどないもんね。
▲だから
You’re not young.
とほめてもらえる、そんな風に相手を認める、というのはいいなぁと思った。
去年から友だちの病気や手術の話が続き、からだの中であちこちのパーツが軋み始めてもおかしくない、そんな年頃になったのだとしみじみ思っている。
白髪が増え、皺とシミ、五十肩にコーネンキ。
それでも「だから見え始めた」こともあるし。
友だちもわたしも、皆ええ年になったけど、すきなことずっと続けられて。なんかええ感じやんとおもってる。「人として成熟」なんて事からはまだ遠いけど。