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いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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覚えているひとは 少ないけれど。

▲先日のこと。予定より帰りが遅れて、出先から戻ったのは七時前になった。
それでも、少し前なら暗かった道がまだぼんやりと明るくて。もうじき4月も終わりやもんなあ、と思いながら門扉を開けたら「ピンク」が散らばった階段に足がとまった。
お隣の八重桜だ。
早く、早くと小走りで帰って来たのに、ちょっとの間、そのまんま ぼーっと見とれて。
のしのしと踏みつけるのは なんだか申し訳ないようで、つま先立ちでそろりと上がった。

▲いつもは閑人シュフにて、買い物には午前中か昼ご飯の後に出る。夕ご飯も6時か6時半と「早い」(←と、たいていの人に言われる)
だから、この日のような時間帯にスーパーに行くことはめったにないんだけど、明らかに朝や昼間とはちがう空気を感じる。おそらく「勤め帰り」のお客さんが多いのと、閉店時間まであと1~2時間ということで、「早いとこ買って帰らなきゃ」と「早いとこ売り切ってしまわないと」が店を活気づけているのだろう。

▲両手いっぱい荷物を持った若いお母さんに目がいく。
自転車の前後ろに 子どもを乗せて、カゴには今買ったものやら、保育園のタオルや着替え袋やら入れて、薄暗くなった道をペダルこいで、お家に帰ってそれからご飯作りなんやろなあ。
「そんなん買わへんからね。さあ、もう行くで!」と、レジ近くのおまけ付きお菓子に見入る子どもを 促すママの背中に「がんばってや」とおもう。そして、そんなママの服の端を掴んで半泣きで後を追う子どもにも、また。

▲「家族揃ってご飯の食べられる」のが子どもの頃のわたしの夢やったけど。
世界中のあちこちには「いっしょに」どころか、 今「ご飯が食べられる」ことすら叶わない子ども、その存在すら忘れられた子どもたちがいっぱい いる。
去年の公開時に見そびれた『それでも生きる子供たちへ』(原題『ALL THE INVISIBLE CHILDREN』)という映画をこの間 ようやくDVDで観た。この映画はWFP(国連世界食糧計画)やユニセフの協力のもとで製作されたそうだ。厳しい現実に生きる7か国の子どもたちを それぞれの国の監督が撮った7編のオムニバス映画になっている。

▲ルワンダの少年兵、家族ぐるみの窃盗団で少年院への出入りを繰り返すセルビアの少年。リヤカーで段ボールや空き缶を集めてわずかな収入を得るブラジル・ファべーラ(貧民街)に住む兄妹。そして、エイズベイビーと呼ばれるブルックリンの少女、イタリアの窃盗団を背景に金持ちから大胆にモノを奪う少年。裕福だが(この映画で唯一お金持ち)いがみ合う親のもとで暮らす中国の少女と偶然であう貧しい老人と暮らす孤児の少女。
どの話も切実で、フィクションとわかりながらも、その1話1話が胸に突き刺さるようだった。

▲とりわけ印象深かった作品が二編あった。
一編は『タンザ』というルワンダの少年を描いたものだ。「自由」の名のもとに強制的にゲリラ部隊に入隊させられたタンザは、携えた銃も大きくて重そうに見えるまだ十二才の少年兵だ。ある日、タンザは真夜中に時限装置付きの爆弾を「黄色い建物」においてくるように命じられるんだけど、鍵をこわして侵入するとそこは学校。彼が通うことのかなわない場所。まだ幼さの残る眼差しで教室のあちこちに見入るタンザ。彼の頬に流れる涙に ことばを失う。なんと言えばいいのだろう。

▲もう一編は『ビルーとジョアン』というファベーラに住む兄妹の話。
細いからだに大きなリアカーを引き、空き缶や段ボール箱を拾ってゆく、その兄妹の姿をカメラは追っているだけなんだけど。
大変な仕事をしている中にも「あそび」をみつけ笑う顔がほんまにかわいらしくて。そのひたむきさと屈託のない明るさにじんとくる。リヤカーがパンクしてしまったり、風で段ボールが飛ばされたり・・・わたしは映画だということも忘れて、はらはらする。回収したものをお金に換える所の人っていうのが、子どもだからと甘くはないけど、子どもだからと見くびりもしない風だったのが(つまり大人と同じ扱いしている)いい感じだった。
この短編の監督は『シティ・オブ・ゴッド』を(フェルナンド・メイレレスと共に)共同監督した女性だそうだ(この映画も重いけれど、とてもよかったので、納得。)

▲貧しい子も富める子も、それぞれに深い重いものを抱えて生きている。それは大人も同じなんだけど。
時に子どもたちに過剰にものを与えて、時には非情なまでに子どもたちからものを奪うのも大人で。
子どもを救わなければならないのに、たくましく生き抜く子どもに、途方もないエネルギーやユーモアに、その存在そのものに、わたしたち大人たちの方が救われている。
だけど。
そのかがやく瞳や笑顔に「癒されて」よかった~ではこの映画製作や上映の意味がない。貧しい子も、富める子も、そのなかであげてる悲鳴を大人はしっかり聞かないと。何を、どこから、どうしていいのかわからないけど、何ができるのだろうかと「考える」ことだけは放り投げたらあかん、とおもう。

▲映画のエンドロールで
“All grown-ups were once children. Although few of them remember it “
『星の王子さま』の「覚えている人は少ないが 誰でも昔は子どもだった」のことばが出てきて。
ずっとこらえていたものが 一気にこみあげてきた。
by bacuminnote | 2008-04-28 21:39 | 映画