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いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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おくればせの。

▲ようやく調子が戻ってきたかな、とほっとしていたら、こんどは息子が風邪でダウンしてしまった。そんなこんなで迷った末、よしの行きをやめることにした。受話器の向こう、母の「残念やけど、しゃあない。○ちゃん、だいじにしたってや」の声がちょっとせつない。

▲昨日は亡き父の二十三回忌だった。生きている間はなかよくした事よりけんかした事の方が多い父娘だった。それなのに、二十年を過ぎた今もなお、すぐそこにいるみたいに「おとうさんやったら、きっとこう言うやろなあ」と、相方との会話にも、たえず登場するほんまにしつこいおとうちゃんである (苦笑)

▲昨日は大阪でも終日つめたい雨が降り続いた。川のすぐそばにある実家はさぞかし冷え込んだことだろう。帰ることができなかったわたしは昨日ずっと家にいて、何度となく父のことをおもっていた。
だからというわけでもないのだけれど、インターネットで桂小米朝が五代目 桂米團治襲名のドキュメントをみつけたので観た。米朝さんは亡き父によく似ているのだ。そして、すっかり年とらはった姿をみていたら、不覚にも泣いてしまった。

▲64才と、今思えば若くして逝った父だけど、生きていたら米朝さんみたいな感じになっていたのかなあ。
お供えには父が一日何杯も飲んでいた紅茶を送ったのだけれど、それとは別に持って帰りたかったものがある。すきだったメロンパンだ。

▲相方がパン屋修行でおせわになった店のメロンパンというのが絶品で(残念ながら今はもうそのお店すらなくなった)肺癌で入院中の父を見舞うときに、よく持って行ったものだった。
元気なころには183cm余りあった父が、しぼんだ風船みたいに、こぢんまりとベッドの上に正座して、わたしたちに「また帰って来てや」と言う姿は、それまでの多くのけんかも腹立たしさもぜんぶぜんぶ忘れてしまってもいいぐらいに(忘れへんけど・・)かわいそうでやさしいものだった。

▲傍目にはわたしのことを「くみちゃん、くみちゃん」とにこやかに笑う大きなえくぼの「やさしそうなええお父さん」も、蓋を開けたら、わがままで、がんこで、短気。やたら怒りっぽいくせに、あかんたれ。そして何より究極のジコチュー。(書きながら 自分にもかぶさる事に唖然とするのだが)
望みの男の子が授からなかったからか、わたしたち四姉妹は抱っこしてもらった記憶も、手をつないで歩いたことも、おそらく一度もない。

▲親子というのは、ほんまにやっかいなもんである。
この間から 『シズコさん』(佐野洋子著・新潮社刊)と『おくればせの愛』 ペーター・ヘルトリング著・上田真而子訳・岩波書店刊)という二冊の本を読んだ。前者は母と娘の、後者(再読)は父と息子の重く、深く、そして時に切ない葛藤が描かれる。
佐野洋子さんが言う【肉親は知らなくてもいい事を知ってしまう集団なのだ。家族だからこそ互いによくも悪くも深いくさびを打ってしまうのだろう】(p154)には、しみじみ、そうかもしれない、そうだ、と思った。そして、ときどき忘れそうになるけれど、じつはこのわたし自身も欠点だらけの「親」であり、子どもにいろんな思いをさせてきているわけで。

▲『おくればせの愛』の「おくればせ」について、上田真而子さんが「訳者あとがき」でこう書いてはる。

【ヘルトリングは私が「おくればせ」と訳したこのタイトルの元のドイツ語(nachtragen)には次のように三つの意味がこめられていると言いました。「あとから届ける」「いつまでも怨みに思う」、そして「あとから付け加える」の三つです。この三つは独和辞典にもちゃんと載っていることですが、あらためて著者自身の口から父への思いをこめてはっきりそう言われてみると、その言葉の重みがひしひしと伝わって来たのを、訳しおえた今、また思いだしています。そしてそれをそのまま日本語に置き換えられないもどかしさを感じたことも。】(p254)

▲先述のドキュメントで、何度か映った米朝さんのちょっとさびしそうな笑顔に、この「おくればせの愛」という言葉を思いだしていた。
生きている間には、追いつけなかったから、わたしはあんなに嫌いで反抗ばかりした「おとうちゃん」を今もおもうのかもしれない。
なぁんて言うてたら「ほれ、おまえは口が動いたら すぐまた手が止まる。早う おとうちゃんに紅茶いれてんか~」と、遠いとこからぼやかれそうやけど。

by bacuminnote | 2008-10-15 12:31 | 本をよむ