そしてゆりの木は。
2010年 01月 26日
▲胸がどきどきしていた。「なんで?なんで?」と思いながら、橋の手すりから身を乗り出して のこぎりが ぎこぎこと動くたびに揺れる木をただ見入る。「これ以上は怖くて登れへんなあ」とその人は隣の木の人にむかって言っていた。
しばらくしてわたしは歩き始め、階段を降りながらも、何回も立ち止まって枝のない木を見上げた。ぶつぶつと切り落とされた、枝の切り口の白さが痛々しくて、なきそうになる。ふっと人の気配を感じて振り返ると、同じように腕組みしながら怒ったような顔で木を見上げてる年配の男性がいた。
▲ こんなふうに街路樹を驚くほど大胆な(無残な)剪定(切り落とす)が何年か前から始まった。わたしの住む市だけではないらしく隣市の友人も嘆いていた。何のためにこんなことをするのだろう。通行のじゃまになっているわけでもない、むしろ道行くひとの憩いになっているのに。落ち葉が大変だから?でも、二年前にトーテンポールか電柱かと思うような切り方をされた近くの街路樹の落ち葉(の量)は、切られる前と変わりないように思えるんだけど。
▲ そんなことをmixiに書いたら友人が一冊の絵本を教えてくれた。その本 『木はいいなあ』(ジャニス・メイ・ユードリー 作/
マーク・シーモント 絵/
西園 寺祥子 訳)は
題名そのまま、木のよいところをひとつずつあげてゆく。風から守ってくれるとか、木陰をつくってくれる、とかね。すてきだなと思ったのは、そんな大きなことじゃなく「ねこは、いぬに おいかけられると、 木のうえににげる。」とか「ぼうきれも 木から とれる。ぼうきれで すなにえを かくんだ。」なんてことが 次々語られるところ。
▲いちばん気に入ったのは「木には、 ぶらんこが つけられる。ブルーン、ブルーン。えだに 花かごも かけられる。はたけで ひとやすみするときは、 くわを 木に たてかけておくよ。」というページで。とくに「ひとやすみするときは、 くわを 木に たてかけておくよ。」ってところがすき。
何かの、誰かのやくにたつ、ってことは 大きなことばかりではなく、こんなふうにさりげないものこそ こころに残るのだと思う。
いい本 おしえてくれたひと ありがとう。
▲外に出ると絵本の中の「はっぱは なつじゅう、そよかぜの なかで、 ひゅるひゅるひゅるーっと、 くちぶえをふいているよ。」を思い出しながら歩く。春になれば、それでも芽吹き、夏になれば、はっぱはふさふさになるかなあ、と。
でも、歩道橋に来ると足がとまる。あのあと、とうとうてっぺんまで まるはだかにされてしまったゆりの木の前でわたしは今日も立ち止まって、ちょっとの間 動けないでいる。
* 追記 *
インターネットで検索してみると、各地でこの「ブツ切り剪定」は問題になっているようです。
疑問に思っていた落ち葉の量については、むしろブツ切りによって「枝の徒長を早め、葉の量を増大させるもとになる」「徒長した枝を間引くことで、枝数を減らし葉の量を少なくする。素直に伸びた横枝は成長も遅いので、樹形保持のためにも通行や電線に支障のない程度にそんな枝を残す」と「透かし剪定」をしたという造園屋さんのHP記事がありました。リンク先のページ最後の方の「現場での対応」「街路樹剪定のあり方に関する参考記事」(この中の『秋田からのたより』など読んでみてください ) 福岡造園HPより