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いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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煮物しながら本を読む。

▲ 夕ごはんの支度をしていて、ふと窓の外が明るいことに気がついた。ずいぶん日が長くなったんやねえ。今日はイワシに生姜を入れて甘辛煮。大根、じゃがいも、焼き豆腐に鶏肉の煮物、あとは三度豆のごまあえと菜っ葉の茹でたん。(←ごちそうやからこうやって書いておく・・苦笑)

▲ぐつぐつ煮物の間、台所の小さい丸椅子に腰掛けて本を読む。(←すき)けど、いつもこんなふうに台所読書してるかといえば、そんなこともなくて。急いてる時はもちろん、油を使うおかずの時も、途中で本を読む間はない・・てことは、本を読んでるのは煮物のときやろか。いや、そもそも煮物を拵える時っていうのが、時間にも気持ちにも余裕のあるときなのかもしれないな。

▲ 今日は前日から続いてた「あたまいた」が昼過ぎあたりからようやく引いた。ちょうど空も灰色から透き通ったブルーにかわって、気分がよかったから。立ちっ放しで魚や野菜の下ごしらえも苦にならず、鍋を火にかけたあとは米谷ふみ子さんの 『年寄りはだまっとれ!?』(岩波書店2009.2刊)とちょっとセンセーショナルな書名の本を開いたのだった。著者の米谷さんは大阪生まれの画家、作家で現在はロサンゼルス郊外に住んではる。

▲『歯に衣着せず物申す』『現状を打ち破るためには「女はだまっとれ!」「子供はだまっとれ!」「年寄りはだまっとれ!」と言われてもだまらないこと。』『誰に何と言われても、決してだまらない、著者の面目躍如の一冊。』とは表紙カバーに書かれたものだが、これ読んでるだけでなんかわくわくしてくる。ぱらぱらとめくっていて「世界的英雄、近所の洟垂れ小僧」というタイトルに手がとまる。一章「メモワール  ひとつしかない命」のふたつめのエッセイである。

▲ 1960年米谷さんがアメリカのニューハンプシャーにある芸術村に奨学生としてやって来たときのこと。着いて早々に一人の作家からこう尋ねられたそうだ。「去年、東京の詩人がここに来ていたんだ。あの後ヨーロッパ、アジアを回って日本に帰るとか言ってたんだが、金を少ししか持ってなかったので、心配してるんだ。マコト・オダという奴なんだが、知ってるかい?」読んでるわたしはすぐに「あ、小田実!」と思うけど、その時の米谷さんは「東京には何百万人もの人間がいるのよ。私は大阪から来た絵描き。東京の詩人なんて・・」と言って終わったそうだ。

▲ ところが二ヶ月後その作家に日本から手紙が来て、これがかの詩人だと米谷さんに封筒を見せてくれた。そこにはローマ字で彼女の生まれ故郷 大阪は天王寺の住所が記されており。「へー、あの近所の洟垂れのまことちゃんかぁ」と 、「この人、知ってます。子供のとき近所で同じ幼稚園と小学校、高校に行きました」と答えたそうだ。

▲【「東京の詩人」というから、清楚な男を想像し】ぴんとこなかった、というくだりには笑ってしまった。ついでながら、米谷さんの言わはる高校とは(米谷さん在校時は夕陽丘高女)わたしの母の母校でもあり家も同じ天王寺区で。米谷さんより7つ年上だけど、たぶん本に書かれた当時のエピソードはきっと母の思い出に重なるだろなと思う。

▲ やがて米谷さんが芸術村で出会った劇作家と結婚して一年ほど経ったころ日本のお母さんから『何でも見てやろう』という本が送られてきて、そこに「あの小田法律事務所の洟垂れが本を書いて、大ベストセラーになったんです。面白いから送ります」と手紙がつけられていたそうだ。(本文中には「洟垂れ」のあとには「小田さん許してくださいよ。うちの家では皆がこう呼んでいました。愛称です」と但し書き有り)米谷さんもおもしろいがお母さんもまたおもしろい。

▲小田実氏がベ平連をはじめた頃には「あの小田の洟垂れが今はベ平連(「ベトナムに平和を!」市民連合)という反戦の組織を作って、ベトナム戦争に反対して逃げたアメリカ兵を匿ったりして活躍しています。テレビにもよく出て良いことを話すのですが、どうしてあんな喋り方をするのかねえ?横柄に見えるんだねえ。あれは損するよ」と手紙が届いたそうな。

▲さすがの小田実も洟垂れ時代を知ってる近所のおばさんの前では形無しやなあ。それでも「良いことを話すのですが」っていうのがいいなあ。強面の小田さんが何かのときにふっとみせるこまったような笑顔が浮かぶようで、読んでるわたしもうれしくなった。

▲ 大人になってから、四十五年振りに二人は再会する。それこそ「歯に衣着せず物申す」者同士の会話は「あんた黙っとれ。僕、喋る」「何で私、喋ったらあかんの?」という風だったらしいが。
「アメリカでこういうことが起こっている。日本の政治家は解釈の仕方が間違っていると思っていても、でも小田さんは分かっているというのが私の安堵感だった。」(p65)とあるように、遠く離れていても深く信頼しあっていたのだろう。

▲だけど、2007年7月小田さんは亡くなってしまった。亡くなる3ヶ月前に手書きの手紙と分厚いプリントが米谷さんのもとに届く。手紙にはフイリピンのアロヨ政府の人権無視政策のことが書かれていたらしいが、徐々に筆が乱れて読み辛くなって「年寄りにもっと読めるように書いてくれたえらええのにと思いながら、また暇になったら読もうと机の端において、三、四日のあいだ、仕事の合間に横目で眺めていた」そうだが、気になり出して再び読み始め「癌」という字が飛び込んできた、とある。

▲深刻な話のなかでも「年寄りに読めるように書いてくれたらええのに」とか「あの大男が病気になるなんて考えてもいなかった」とか。これ、大阪人がよくやる、つらいときのわざと明るい言い回し。だから、よけいに米谷さんの大事な友をうしなったかなしみがじーんと沁みてくるようで胸がいっぱいになった。

▲最後に米谷さんは小田実氏のことをこう結んでいる。【こちらの小学校でよく教える教訓に「Have the courage to stand up for what you believe」というのがあります。貴方はこの教訓通りの人だと思います。貴方は抜群の国際的判断力を持ち、人の立場や心情がよく分かる、とてもやさしい人です。
小田さん、We miss you! さようなら、まことちゃん!】


* 追記
その1 
JATV NEWS 2009-7-11 作家 米谷ふみ子氏インタビュー動画 前編 後編

その2
小田実 HP

以前『「アボジを踏む」小田実短篇集』という本を読んだときのことをここ(ブログ)に書きました。

by bacuminnote | 2011-05-25 12:53 | 本をよむ