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いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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もたない。

▲ 午後から出かけようかと思ってたけれど、郵便受けを覗きに出たら 地面を焦がすようなその熱気にくらっときて、やめにした。こうして日々出不精は又出不精に。庭の草はボーボーやし、いまだに信州からの引越しの(もう今年9回目の夏!)段ボール箱からCD一枚一枚引き出したりしてるし。
「そんなことでええんか」という声がどこからともなく聞こえてくるようで。年末に「こんどからは夏にやろう」と決めた障子の張り替えをやってみた。(この暑いのに・・)

▲ お風呂でさっと桟を洗って、古い障子紙をそろりと剥がす。前にこれを貼らはったのはプロなので仕事がとてもていねい。糊付けも均一で、するりとおもしろいように剥がれる。桟を拭いて縁側に立てかけて乾かし、糊をつけて紙を貼る。余分をカッターで切る。
状況も季節もまるでちがうんだけど。なんだか雪かきしてる時みたいな気分。ナマケモノのくせに、こんなふうに無心で何かしてるときの感じはけっこう好きなのだ。何枚かしてるうちに、不器用なわたしでも少しは動きもなめらかになって、youtube動画の「障子の張替え」の時間よりはるかにオーバーしたものの、ぶじ終了。

▲ 障子戸をはめて、しばしうっとり眺める。真っ白。部屋がぱあっと明るく。畳の上にごろんと寝転んで、再度「仕上がり」を見上げて「なかなか上手やん」「わたしだって、やればできるやん」と一人声に出して言うてみる(笑)ところが夜になって、蛍光灯つけて又眺めてみたら(←しつこい)ピンと張ってるはずの紙があちこち波打っているのであった。霧吹きしたのになあ。間の悪いことに、そんな時になって相方が「お、上手に貼れた、って?」と見に来るのだった。ふん。

▲ 次の日、母に電話でそのこと話すと、かっかか~とうれしそうに笑う。自分やったら、そんな(波うつような)ことは絶対ない、と言わんばかりのカンペキ上から目線の笑いである。このところ「あれができんようになった」「こんなこともできんようになった」と日々しぼんだ風船みたいに凹んでる母が、人がかわったみたいに生き生きと「障子張り替えの術」を語り始める。

▲ 曰く「桟はよう乾かしたあとで糊つけなあかんで」「糊は丁寧につけなあかんで」・・と、◯◯せなあかんで、△△せなあかんで。そして最後には「昔はな、夜中の一時も二時までかかって、30枚ほど張ったことあるもんなあ・・」で終わるんよね。
いやあ、この話はね、もうこれまで数えきれんくらいに聞いてるんやけど。それ、話してるときの母は40代くらいの感じで、旅館とすし屋のおかみさんで、からだは弱いけど よう遊ぶ夫の妻で、にぎやかな娘たちの母親で。元気で、働き盛りで。足も腰も、身も心も、どんなに酷使しても尚へこたれなかった時代に戻ってるんよね。

▲まあ、ええかと思ってそのまま昔話聞いてたら、一転、消え入りそうな声で「わたしもあの頃はあんなに働けたのになあ」と長く、頼りなげなため息のあと、タイムスリップはあっけなく現在(90歳)に引き戻されるのであった。「また、コツ教えてや」と言うて受話器おいたけど。せつない。

▲ さて、障子を張り終え余った紙や道具を片付けてたら、物置にあった雑誌に手がのびて。たしか前にも読んだ気がする「おカネと人生ドラマを語る」という対談(『GRAPHICATION』No.186対談 知の交差点)を、ちょっと読み始めたらおもしろくなって、そのまま座り込んで読む。(つまり片付けは中断)
ドイツ文学の池内紀さんと作家の小沢信男さんがおカネと文学や社会について語ってはるんだけど、『世間胸算用』『日本永代蔵』から鴎外の『雁』一葉の『大つごもり』そして『ヴェニスの商人』『ファウスト』まで出てくる出てくる人間とおカネの話。

▲池内氏曰く《金銭人間の社会を小説にしたのは、日本がすごく早かったんです。ヨーロッパで金銭の話が文学に登場するのはバルザックあたりのことで、西鶴から百五十年ぐらいたっている
年の瀬の一番最後の一日は、ヨーロッパでは新しい年への祈りを捧げようと、終夜ミサをどこの教会も行うんです。それに対し、日本では借金取りを追い払うのがおなじみの行事だった(笑)年の一番最後の日の過ごし方が、祈りであるか支払いであるかというのは、やはり国民性の違いなんでしょうね。

▲ そうして「わらしべ長者」とグリム童話の「幸せなハンス」の話になるんだけど。
ごぞんじのように「わらしべ長者」はわら一本から始めて交換して、みかん、絹の布、馬、やがて長者の娘と結婚して、長者になったという話。
一方「幸せなハンス」は
七年間働いて親方からおカネをもらって国に帰る途中に、馬、牛、ガチョウ。と次々に交換していくんです。一番最後に職人が「砥石一つありゃいくらでもカネが稼げるんだ」と言うので、ガチョウを砥石と交換する。ところがその石があまりに重いので、井戸端で休んだ途端にドブーンと落としてしまうんです。それで、あぁよかった、これで軽くなったと(笑)、そういう話です。
向こうの人がこの話を子どもに聞かせるとき、最後にどんなふうに話すか知りたいですね。これを「馬鹿な男」の話にするのか、それとも余計なものを持たないで全く自由なのがいいんだよと話すか。親が試されるような話ですね。
》(池内氏)

(↑上記ハンスは親方からおカネをもらって、とありますが、実際は頭ほどある金のかたまりを給金としてもらう)
物々交換で、どんどん価値のあるものと交換してゆく話と、どんどん価値の低いものになってく話。物をふやしてゆくシアワセと 物を持たないシアワセ。ていうか、そもそも「価値」って何なんやろね。
要らんもん一杯の物置の前にすわりこみながら放哉の句をおもってた。
『入れものがない両手で受ける』


*追記
その1)
絵本『しあわせハンス』(フェリクス・ホフマン絵 せたていじ訳 福音館書店刊)


その2)
今日の話とは関係ないのですが、
ずいぶん前に買った『W.B.イェイツを唄う』というCDを最近また(段ボール箱からひっぱりだしてきて!)聴いています。アイルランドの詩人W.B.イェイツの詩に曲をつけていろんな人がうたっています。
いちばんよく聴くのはこのうた。
The Stolen Child - The Warter Boys
「妖精と 手を取り合って 湖へと 荒野へと 
ああ人間(ひと)の子よ! 逃げておいで 
人間世界は 理不尽に涙に満ちたところだから」
W.B .イェイツ ストールン・チャイルド(さらわれた子~「十字路」より抜粋)

その3 )
更新して、一夜明け 『尾崎放哉 Ozaki Hosai 全句集』(ちくま文庫刊)ぱらぱら見てたらこんなのがありました。
「障子張りかへて居る小さいナイフ一挺」
by bacuminnote | 2013-07-27 00:44 | 音楽