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いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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合わせないけど。

▲ 庭の梅咲く。
白いのは満開。紅いのんも見るたびに蕾がそぉっと開いてて、かいらしい。細い枝の合間から見える空の色〜青にも灰色にも、雨さえもよく合うて、ほんまきれい。
そして「馥郁(ふくいく)たる梅の香り」よ〜(←いっぺん使ってみたかった・笑)ああ、もうじき春やなあ〜とうれしくなる。いや、これが「じき」というわけにはいかんことくらい、もう十分わかってるつもりが。ぽかぽか陽気が二、三日続くと、つい期待してはあっさり裏切られることになるんやけど。

▲いつも春ちかくなると思い出す『家守綺譚』(梨木香歩著)の主人公 綿貫サンみたく《季節の営みのまことに律儀なことは、ときにこの世で唯一信頼に足るもののように思える。
ていうか、その自然や季節の営みさえ”人の手”で壊し、無茶苦茶にしてしまってるこの国に、もはや「信頼に足るもの」なんてあるのやろか。

▲ 昨日今日と急に暖かくなって、買い物に出たらダウンジャケットを腕にかけて歩いている人を何人も見かけた。それでもお陽ぃさんがちょっとかげるとたちまち冬に戻るから。わたしは開けていた上着のファスナーをあわてて上げる。そうやって何度かファスナーを上げ下げしながら歩いた。
首をすくめることもなく、背筋伸ばして颯爽と歩きたいとこだけど、残念ながらここんとこ膝の調子がもうひとつやからぼちぼち。

▲ ゆっくり歩いてると、ゆっくり歩いてる人たちがよく見える。
ベビーカーから降ろしてもらって、嬉々として、でもよちよち歩きのちっちゃい子とママ。どちらか足がご不自由なのか、かばうように腕組んで歩いてはるご夫婦(らしきカップル)は街路樹を見上げながら小鳥のなまえについて話してはる。
杖ついて、手押し車(シルバーカートと呼ぶらしい)押しながら途中何度も休憩のお年寄り。顔見知りの方が通ると「ちょっとぬくぅなってきましたねえ〜」と声をかけて。
ううーむ。閑人のくせに妙にせっかちなわたし。痛いとこがなくても、たまにはゆっくり歩こうと思う。

▲ ゆっくり、というたら、この間、建築家の井口勝文さんという方の講演を聞いて来たんだけど。イタリアで学び(おつれあいの画家・純子さんとも互いの留学中に出会ったそうだ)イタリアに通ううちに、古い家を探し始め、10 年後にようやく廃屋同然のすてきな「家」に出会い購入。以来、お金を貯めてはイタリアに飛び、地元の職人さんの力を借りながら15 年ほどかけて少しづつ改修してきとか。じつにゆっくりゆっくりのお話だ。

▲ その家は中部イタリアの山の中〜メルカテッロ・スル・メタウロという人口1500人の小さな町にあるそうで。美しい山と町。何かというと老いも若きも皆集まっておいしいものを食べて、ワイン飲んで〜スライドで町の写真を見ながらの講演はとても楽しかったんだけど。この日わたしの心に一番残ったのは、ハムでもチーズでもワインでもない。(←もちろん、これにはものすごくひかれるけど)

▲ この町では前述のようにいろんなお祭やイベントがあって、そのつど皆で準備のための話し合いをするのだけれど。井口さん曰く「彼らは”皆に合わせよう”という気が全くない」んやそうで。
それぞれが自分の意見を譲らないので、話し合いはいっこうに進まなくて長引く。
「日本やったらね、先ずそれぞれが皆に合わせよう、合わせよう〜とするでしょう」と井口さんは苦笑する。
でも、彼らはどんなに時間がかかっても話し続ける。

▲ ここで会場の人らの間に「そら、困ったことやなあ」的な笑いが起こるんやけど。井口さんは続けてこう言う。
「それがね、意見があわなくても、みなけっこう和気あいあいとして家族のようなんですよ。で、そうやってる内になんか話は決まってゆくんですよね〜」と。
しかし「簡単に人に合わさない、そういう気質が異国人である我々を受け入れてくれる。”ちがい”を受け入れてくれるんです」

▲ おお!それ、それ!とわたしは膝を打つ。
他人に擦り寄らない。
合わせないけど、だからといって決して排他的にはならなくて。それが自分と「ちがう」人を受け入れる基(もと)になる。差異を知る、学ぶことの意味。
ずっとずっと考えていることの答えに会ったようで、どきどきした。

▲なんでも「みんなと一緒」を求められてちょっと息苦しかった学校時代。
話し合いの会では「みんな好き勝手に言うたんでは話がまとまらないでしょう」と先生か生徒のだれかが必ず言い出して。
そりゃ学級会の時間はもうこれで終わりだけど。次の時間も引き続き話したらええやん〜とむくれてたっけ。何かちがうと もやもやしながらも、当時はちゃんと反論できなかった気ぃするけど。
そもそも話し合うって、いろんな人がそれぞれの意見を言うのが目的であって「まとめる」ためのものやないんよね。せやから、話し合いというのは時間がかかる。
そして、めんどうくさくても、人と人のかかわりの中でこの「時間」はとても大事と思う。くわえてその「時間」の教育もまた。

▲何より印象的だったのは、話し合いを町の人たちが楽しんではるってこと。「楽しむ」「楽しめる」ってすばらしい。
そういうたら、5年に一度くらいは大雪になるというメルカテッロで、町の広場に除雪した雪が積まれると、自然発生的に!若者たちが集まってきて雪でカウンターみたいなのを作って、ろうそくとお酒持ち込んでバール(bar)が始まってるとこや(←たのしそう!)ワインとハムとチーズだけで友だちの家に気楽に寄り合ってる写真も見せてもらった。
井口さんは「お客さん招くいうても、こんな簡単なものですよ。パンだけは家で焼いたものだったりするけど。日本でいうたら竹輪とかまぼこ切って並べて、酒、みたいなもんですよぉ〜」と笑ってはったけど。ええなあ。ええよね。「語り合う」のが何よりのごちそうなんよね。



* 追記 (すまんが 今回も長いです・・)
その1)
ネットで調べてたら動画がありました。
2011年5月明治学院での井口勝文さんの講演→「再生・メルカテッロの町家」

それから、井口氏はコーポラティブハウスを建てて住んではるのですが、そのことをめぐっての対談集も、おつれあいの純子(すみこ)さんが中心になって地域で新聞発行してはった話(1978年頃)とかも、おもしろかったです。(webで文字の大きさや色を変えてはるのが、読みづらかったのが残念)→

もうひとつ、大事なこと書きそびれてしまいました。講演の中で日本とイタリアのちがいの井口氏のお話メモから二点〜
「イタリアも日本の敗戦国。それで、敗戦後1970年までは同じような復興への道を歩んだけれど、この辺りを境にイタリアでは、このままでよいのだろうか〜と古い町を大事にしようと方向転換をした。しかし日本はそのまま高度成長、バブル経済へと突進。結果、町が見る影もなくなってしまった」
「イタリアでは古い家を壊さない。修理して修理して住む。だから町には修理屋さんがいっぱいいる」

その2)
最近読んだ本。
わたしにしたら珍しく東京創元社の本です。シーラッハは前に初めて読んではまってしまいました。
『禁忌』(フェルディナント・フォン・シーラッハ作 /酒寄進一訳/東京創元社2015年刊)「日本の読者のみなさんへ」と言う著者のメッセージが最後にあって、冒頭に良寛の句「裏を見せておもてを見せて散るもみぢ」が〜 
わたしにはなかなか難解でしたが、おもしろかった〜っていうか不思議な本。何てことのない文にも何か深い意味が潜んでるような気もして(謎解きとかいうのやなくて)レビュー読んでたら、何度も読み返してる〜という人がいて、納得です。

たとえば
主人公が写真家になる過程で 中古のハッセルブラッドで撮影する場面があるのですが、
彼はこのカメラが好きだった。写真を撮る側がモデルを直接見ないですむ。視線はミラーを介するので、それほど容赦ないものではない。
この「写真を撮る側がモデルを直接見ないですむ」という一文からも主人公の感じが伝わるようです。そういうたら、ハッセルは相方もカメラマンだったころ愛用しており、わたしはハッセルをのぞきこんでる姿がすきでした。パン屋になってずいぶん後に、ハッセルも他のカメラも売って パソコンや、えっーとあとは何買ったのかなあ。生活費になったんやったのかなあ(苦笑)

あと、もう一冊。
マンモTVのインタビュー‪に登場してはったフォトジャーナリスト林典子さん→の写真・文『キルギスの誘拐結婚』

その3)
この間何気なくyoutubeみてたときにメリー・ホプキンを発見。
この方の歌を聴いたのは中学生のころ。当時の田舎の中学生には音楽の情報源はラジオしかなかったし。その頼みのラジオも山間部でうまいこと入らへんかったりして。途中でザァーって雑音入りだして。ダイヤルつまみをグルグル回して、チューニング合わそうとするのにあかんときの、あの無念さというたら。(いま思い出しても、ううう〜ってなる)

Mary Hopkin -The Fields Of St. Etienne  →
by bacuminnote | 2015-02-28 00:53 | 本をよむ