人気ブログランキング | 話題のタグを見る

いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

ご飯食べさせてくれたひとたちに。

▲暑い。
昨日図書館にあがるエレベーターを待っている間も(ここはいつも時間がかかる)扇子をぱたぱたしてはる人や、ノースリーブのブラウスの人、汗いっぱいかいてる小さい子にママがバッグから水筒取り出してはったりして。
壁に貼ってある図書館カレンダー眺めながら、もうすぐ6月やもんなあ〜と、なっとくの暑さをわたしもハンカチ出して拭う。
と、そのときママに抱っこしてもろた男の子と目が合ってにっこり。いつのときも、シアワセなきもちになる瞬間だ。

▲かれは手にもったハンカチがどうもご自慢のようで、ひらひらして見せるので「何の絵かなあ?」と聞くと、それには答えず(苦笑)幼稚園の年少組ってこと。Tシャツに書かれたじぶんの名前を、一文字ずつ指さして、○○○〜と読み上げてくれる。
Tシャツの次はハンカチの名前を。そしてその後ご自慢のハンカチの絵〜ミキサー車のおはなしに。そうしてるうちに、エレベーターが着いて乗り込んで。いつのまにかママの手から降りた男の子はわたしをみあげて話す。「あのね、それでね、おばあちゃん…」
と、そのとたん、ママが慌てて「わあ。すみませーん」と謝らはって。同時にたのしいひとときがおわって。じきエレベーターのドアが開いて「バイバイ」と手を振り合った。

▲「おばあちゃん」というたら(苦笑)この間旧友Yと「還暦同窓会」をした。
1月と2月の近い日に生まれたので、その辺りに(二人ともあまのじゃくやから高校の同窓会には行ったことがないけど)
二人で「還暦祝い」を、と話していたのだった。ところがこの年にはこの年頃のいろんなこと〜老親のことも、家族のことも、自身のことも あって、冬から春をすぎ初夏になってしもたんやけど。
相談の結果 Yんちに初訪問させてもらうことになって。で、その数日後「善は急げで、26日に来ぃひん?」とお誘いの電話。そんなわけで、久々の再会、遠出はとつぜん決まった。

▲とはいえ、新大阪→岡山は新幹線に乗ると、たったの45分なのであった。よしのに帰るより、よっぽど「近い」。わたしは日頃出かけることが少ないから、こういうときはかならず「遠足前の子ども」状態。留守の間の相方の食べ物補給もして、お風呂にも早々と入り。かばんの中身を点検して、入れたり出したり、加えたり。コーフンしてなかなか寝付けなかったのに、朝は目覚まし時計が鳴る前に起床…というおきまりの展開だ。
その日も朝からええ天気。ゴミ出しの日やったから、ご近所なかよしさんらに「行ってらっしゃーい」と海外に行くかのように(笑)見送ってもろて出発。

▲道中、予定より一本早い新幹線のほうが乗り換えに都合がいい〜とYからメールがきて、ホームを小走りで乗車したもんで(長いこと新幹線も乗ってへんから自由席が何号車か、とかすっかり忘れており)席に着くなりどっと汗が出た。
クーラーがよく効いて、ああええきもち。でも目ぇつむったら、ねぶそくの身ゆえ熟睡してしまいそうやなあ。博多まで行ってしもたらあかんしね〜持ってきた本(『べてるの家の「非」援助論』医学書院刊)を開く。2002年6月1日の発行やから、もう13年も前の本で。

▲「べてるの家」のことも、この本も、わたしらがまだ信州開田高原にいたころに時折聞いてはいたものの、なんとなく読みそびれていたのだった。
これ、何回も書いてるけど、ほんま人でも本でも映画でも、いろんな出会い方があって。幸せな出会いも、ときに不幸(苦笑)な出会いも。そしてそれは、何かのはずみに反転することも、全然違う方向に広がったり、飛んでゆくこともあって。
せやから「出会う」っておもしろいなあと思う。

▲少しして汗がひくと、こんどは肌寒くてカーディガンを羽織ろうとしたんだけど。三人席の真ん中で、両隣は足下にスーツケース置いてはって、思うように身動きとれず。
座席で腰浮かして、デカイ身を縮こませつつ(ツリそうになりつつ)袖は何とか通せたものの、身頃がなんか変てこになっており。
それでも、まあ寒いの凌げたらええか〜と思ってたら、右隣の年上の(たぶん)女性が「あらあら、ぐちゃぐちゃになってるよ〜」と笑いながら直してくれはって。それきっかけに話始める。

▲その方は下関のご実家に帰るところだそうで。
むかしの夜行列車のこと〜いつも夜11時45分発に乗ったのよ。母がいるときの下関と家、いなくなってからの下関と家はちがうんよねえ。なんていうか空気がちがうというのか、気配がちがうというのかなあ〜
お母さんはご健在?そう、いいわねえ。
今日はどこまで?お友だちとこ?いくつになっても友だちはとくべつよねえ。
たった45分の乗車の、10分にも満たない会話だったけど。旅の気分を味あわせてもろて。
「ほな、気ぃつけて」と岡山駅で下車。

▲改札のむこうで手をふる友だち。
何年ぶりかなあ。大阪に戻ってから一度来てくれたし10年近いかも。
久しぶりの再会のあいさつは「かわらへんなあ」だ。(←つねづね、おばちゃんたちのこの「決まり文句」には息子らから「あほらし〜」と笑われるのであったが)
この日はまず倉敷に寄ることに。

▲高1のおわりの春休みに、クラスメイト4人で倉敷や鳥取砂丘に旅行したのであった。このころ創刊したての『an an』にたしか倉敷特集があって。それは、これまでの旅行案内とはまるっきりちがう街歩きのガイドで、くまなくチェックして出かけたんよね。
大原美術館に喫茶「エル グレコ」、蕎麦「あずみ」〜って、「まんま」やん〜やけど、友だちだけで旅行は初めてやったしうれしくてみんな終始浮かれてた。

▲宿泊は倉敷ユースホステルで。ユースホステル〜というのがその頃の若者の旅のジョーシキで。
大原美術館にあやかって各部屋には画家のなまえがついており、わたしたちの部屋はたしか「ルオー」だったと思う。さっき調べたらここは《大原美術館分館や倉敷市庁舎なども設計した著名な建築家 浦辺鎮太郎が、蔵の街をイメージして設計した》建物らしい。

▲大人になってからは苦手だったユースホステル名物のミーティングも、16歳の少女たちには刺激的でたのしみに参加した気がする。
そうそう、翌朝チェックアウトのときカウンターに並べてあった会員証で、わたしと同姓同名のひとが宿泊してはることがわかって、記念撮影したり。バックパックの大学生のお兄さんと知り合ってはしゃいだり。

▲まあ、そんな かいらしかった女子高生的旅の日を思い出しながら、友と倉敷のまちを歩く。倉敷はしっとりおちついたまちだけど。近頃はどのまちも、ほどほどに洗練されて、どこもよく似ており。それより何より、おば(あ?)ちゃんらは長いブランクの間の積もり積もった話だ。
11時前に岡山に着いて夕方4時に最寄りの駅へYのおつれあいのMさんが迎えに来てくれはるまで、みごとにしゃべり通し。

▲じつは彼女たちケッコン数年目の新婚さんで。でもそのやりとりを聞いてると、時にきつい冗談もとび出すものの、底には温かなものが流れてて おたがい素顔で「ええかんじ」に暮らしてはるのが伝わってきて。さすがジンセイの達人同士、長く暮らしてきたカップルのような貫禄もあって。わたしも初めておじゃまするお家のように思えなくてリラックスさせてもろた。
リビングにはなつかしい薪ストーブ。さっきまで薪割りしていたというMさん〜道むこうには小川が流れその川辺で薪割り、とか。ええなあ。

▲お家には理系エキスパートなMさんの手があちこちに入り、歩くのを追うように電灯がついたり消えたり、どこからか時報が聞こえたり、人が入ってくると音が鳴ったり。
屋根の上には自作ソーラーシステムが、とぐろを巻いており(長いパイプに汲み上げた井戸水が200Lたまるようになっているらしい←お風呂用)夏には屋根の熱をとるべくスクリンプラー(これも井戸水を使って)から注水されるようになっていて。ほかにも床下や壁中にもいろんな技が内蔵(!)されてるらしい。

▲いやあ、どんな修理にもガムテープ一本ですましてるわが家(苦笑)からは考えられない「発明の館」であった。Mさんの本来のご専門の話も興味深く、その他にも驚嘆、賞賛、抱腹絶倒なおもしろいエピソードをいっぱい伺ったのだけど、ここで披露できないのが残念。
Yが彼のことを「とうちゃん」「センセ」と呼んでいるのにも納得。

▲夕食は料理プロ級なYが前日から「おいしいもん」をいっぱい仕込んで拵えてくれてあった。(大皿一枚ドーン〜なわが家とえらいちがい…)
そういえば、学生のころ住んでいた家(いまでいうシェアハウス)に、彼女が来て、ハンバーグとコンソメスープを作ってくれたことがあったんよね。
一緒に住んでいた友だちもわたしも、めちゃ無精モンで、台所も不便やったし(冷蔵庫がなかった、ということもあるけど)当時はご飯炊いてふりかけか海苔〜レベルの自炊やったから、おいしくてそれは大感激したことを覚えている。

▲そうそう、仕事からもどった息子さんは小麦粒のリゾットを作ってくれはって、これもおいしかったぁ。のんで、たべて、しゃべって、のんで。
このお家のなか〜Yがたいせつな存在なのだということをあちこちで感じて、とてもうれしかった。自分のたいせつなひとがたいせつにされてることを知るのは シアワセだ。

▲翌朝Yが「おかあさんがクミちゃんの声聞きたがってたし〜」と電話をかけて、久しぶりに「おばちゃん」と話す。
そのむかし、親とけんかして家出てきたわたしが Yの家に泊めてもろたこともあったそうで。
ううう〜そんな恥しい過去があったのか(すっかり忘れてた)ていうか、Yのお家にはしょっちゅうおじゃまして、ご飯をごちそうになってた。
考えてみたらわたしって、ちっちゃなときから大きくなるまで、いつも、どっかのお家でご飯食べさせてもろてるんよね。

▲自分ちが家族の温もり〜のようなものからは遠い家やったからかもしれんけど。
近所や友だちんちで「おいしいもん」「あったかいもん」ごちそうになって、 自分のすきまを埋めさせてもろてたのかもしれない。
いまさらながら、ご飯食べさせてくれたあちこちのお家の人たちに、こころからおおきに〜とおもう。
おばちゃんが言う「友だちはええもんやなあ。なかようしたってや〜」は、母がわたしの友に言うことばとおんなじや。娘をおもうきもちにじんとくる。

▲話しても話してもつきない話は、しかし、とくべつなことなど何もなくて。
しんみりと話したあとに突然、服の話。鏡のぞきこんで大爆笑したり。
古いアルバムみて若い自分らの写真に「かわってへん」ことはない(!)のを確認したり。
帰りは岡山駅までフウフふたりで送ってくれはった。
道中、ドライバー(夫)に「こっち行った方がええのに」とか何とか 文句つける妻(笑)の図は、漫才見てるみたいで、おもしろくて、ほほえましかった。
ありがとう。ええ同窓会。ええ旅でした。


*追記
その1)
『an an』の一年後に『non no』が出て、旅案内の特集の雑誌を片手に旅行するひとたちは「アンノン族」とか呼ばれ始める→


その2)

今日はこれを聴きながら。
Grand Funk Railroad初来日1971年7月のライヴ。
これ、Yと二人で今はなき難波球場まで行きました〜 下記utubeのコメントにも、わたしらみたいな人のコメント載ってるけど、初めての野外のロックライヴで(当時はコンサートって言うてた)帰り道じんじんする手(←叩きすぎて)で、道いっぱいにロックな人たちと歩いて夢のようでした。
音はよくないけど、当時の熱気がつたわってくる音源です→
by bacuminnote | 2015-05-29 13:35 | 出かける