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いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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渡るのをまっている。

▲秋は一年中でいちばん好きな季節だけど、なんや ぼんやりしてる間に気がついたら冬になってしまってるのは、ゆったりきもちよくぼんやりできる季節(!)やからかもしれへんなあ~と、ノーテンキなこと思いながら、まだ片付けていない扇風機や夏服に無言で急かされながら。
見て見んふりをして(苦笑)熱いほうじ茶をすする。ああ、おいし。
「秋立ち、秋欄(た)て、秋仕舞う」〜やからね。
「ぼんやり」は捨てがたいけど、後回しにしてばかりいるあんなことやこんなこと、ええかげん始めないとわたしが「冬」になってしまう、とおもう秋ナリ。

▲このあいだ買い物の帰り、本屋さんと図書館に寄った。(いつものコースだが)
絵本のコーナーに 『淀川ものがたり お船がきた日』(小林豊 文と絵/2013年岩波書店刊)があったので買う。
友人の孫に、若い友人に・・とおくって、今回はやっと自家用。でも、すぐまたどこかに旅立つかも。手から手に、本とひとがつながってゆくのはうれしくて、何より愉しい。

▲この本は300年ほど前の江戸時代〜大坂のまちに唐国(朝鮮)から役人をはじめ、学者、画家、医師、僧侶、軍人から音楽隊、芸人まで、総員500人もの人たちが「通信使」として船をつらねてやって来たときのお話だ。
その日、トメと市という男の子たちも大人にまじって船見物するんだけど、この船は対馬から瀬戸内海を海路で、大坂から淀までを川船で、その後江戸までを陸路で、沿道の大歓迎をうけながら往復したそうで。
異国の人を見たこともない人たちも、それどころか「川のむこうぎしだってしらん」この子らにとっての異国の人たちと船、そしてその音楽も踊りも、どんなにか驚き、コーフンしたことやろう〜と想像するだけで、わたしまでどきどきしてくる。

▲「しらん」といえば、しかしこんなふうに自分のよく知ってる町でも朝鮮の人々との交流があったなんて、わたしもこの本で初めて知ったんよね。
船見物の群れのなかには、【さきの太閤さんの壬辰のおり、朝鮮国よりつれられてまいった者の末で 百年もむかしのこと、もはやかえるところもなき身でござる】という「平蔵さん」とその一行もいてはる。(1592年豊臣秀吉(太閤)ひきいる日本軍は朝鮮に攻め入った。文禄・慶長の役。朝鮮では壬辰倭乱という)
一頁ごとに細かく描き込まれた絵のなかには、そのころの人たちの暮らしや空気まで立ち上がってくるようで・・読むたび見るたびにだれかに薦めたくなる一冊だ。

▲図書館では同じ作者の『えほん 北緯36度線』(1999年ポプラ社刊)を借りる。この絵本を見て一瞬「北緯38度線」かと思ったんだけど、38度ではなく36度だ。
見開きには地図が書いてあって、その上に北緯36度上に赤い線が引かれており、著者の手書き文字で「ぼくの36度線地図」とある。
へえ、おもしろいなあ〜と地図のにがてなわたしも、興味津々眺め入ってしまう。こんなふうに地図を見た(考えた)ことがなかったなあ。ひさしぶりに地球儀の埃をはらって、くるくる回してみる。

▲お話は【ゆうぐれどき、大きな鳥は、まちの時間のなかからあらわれて、ぼくたちを、ちょっとした「たび」にさそいだす】と始まる。
日本から中央アジアに~つまり36度線上のさまざまな土地で暮らす人々を訪ねる旅というわけだ。
そもそも緯度も経度も〜東西南北すらよくわかっていない地理おんちのわたしだけど、こういう旅はたのしそう。
東京(ここが、おおよそ北緯36度らしい)から西へむかい、海をこえ、着いたところは韓国~キョンジュ(慶州)あたり。どこか日本のお家に似てるけどちょっとちがう。時刻は東京とおなじ19時30分。家に灯りがともり夕ご飯を食べてる様子はどこもいっしょ。今日一日のことを話す声、笑い声が絵の中から聞こえてくるようで、頬がゆるむ。

▲つぎのページになると、まだ明るい街角が描かれてる。
道端で子どもが遊んで。時刻は18時30分。煉瓦づくりの家は中国~ルオヤン(洛陽)かシーアン(西安)かな?
そういえば、前に観た映画『胡同(フートン)のひまわり』にも こういうお家出てきたなあ。「四合院」と呼ばれる伝統的な住居。中庭ではやっぱりここでも家族が大きなテーブルを囲み、夕ご飯を食べている。
庭に揺れる色とりどりの洗濯物。鶏がえさをついばんでいる。
ページをめくるたびに、こんどはどこに飛んでゆくのかなあ、とわくわくする。そして、何度となく見返しの「北緯36度線地図」に戻っては、地名を確認。地図帳と虫眼鏡(!)も出してきた。

▲砂漠の果てにはうつくしい村。
つぎの頁には、戦争の傷跡、爆撃で破壊された建物。銃を掲げる兵士たちのそばを母子が手をつないで歩く。それでも広場では子どもたちがケンケンしたりひき車を引いて遊ぶ。木の枝に架けたブランコを女の子がこいでいる。
べつの頁には難民キャンプも〜ここでも子どもたちは元気にボールを蹴り、地面に何か書いて、遊んでる。

【きっと 大きな鳥は しっているのだ。 にんげんが、じめんに 線をひき、その線を、なんども ひきなおすことを。その線をこえて生きることの、よろこびを。】

▲行く先々で人々の暮らしが、その営みが描かれて。そのあたりまえさに胸をうたれる。どこに在ってもみんないっしょ。
だいじなことはごくシンプルなこと。ごはんを拵えたべて、仕事をして、子どもたちは遊び学ぶ。
旅のおわりは地中海と大西洋を隔てるジブラルタル海峡~ここは東京が夜になったばかりのころ、ま昼(12時)をむかえるんよね。
【東と西がであう海 太陽は、ちょうどぼくたちの まうえだ。】

そうして「ぼくたち」は地球をひとまわりして、また東京にもどってくる。
【こんにちは、たくさんの ともだち】
【いつかきっと、きみに あいにいくよ】

▲前述の『お船がきた日』のあとがきに作者がこんなふうに結んでいる。

【通信使との交流は、トメや市のような川のむこう岸さえ知らない人たちが、よその国を知り、思い描き、理解するための橋を渡してきたのです。時代の波は、幾度もこの橋を危険にさらしてきました。しかし、いまもこの橋はあります。わたしたちが渡るのをまっているのです。】


*追記
その1)
『胡同のひまわり』予告編→

その2)
今回紹介できなかった絵本がもう一冊。おなじく小林豊さんの『ぼくの村にジェムレがおりた』(理論社2010年刊)この本の見開きもまた地図が描かれています。この本は「大地とくらす ぼくの村」シリーズの一冊。

【人はむかしから、世界じゅうでその土地に合ったくらしをきずいてきました。今、気候の変化や、国のつごうなどでそのくらしが変わろうとしています。そんな中で、子どもたちは、今を生き、あしたを生きようとしています。】(本書カバーより)


その3)
この間あまり期待せずに(苦笑)観た『はじまりのうた』が、とてもよかった。人と人の間に音楽があるのはすてき。
劇中、夜の街をミュージシャンの主人公グレタとプロデューサーのダンがお互いのプレイリスト聴きながら歩くシーンがすき。
恋人がイヤホンを片耳ずつ、みたいに甘くなく、近すぎないキョリで、それぞれのイヤホンでグレタとダンが同じ曲を聴いて(二股のイヤホンジャック使って)ノッてる〜っていうのがいいなあ。

というわけで、今日はこのサウンドトラックを聴きながら。
Keira Knightley | "Tell Me If You Wanna Go Home" (Begin Again Soundtrack) →
by bacuminnote | 2015-10-13 00:18 | 本をよむ