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いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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いつものバスで。

▲ごそごそ起き出す物音に目が覚めた。
まだ時計は鳴っていないけれど、障子戸のむこうが明るい。
相方が出かけるというのでわたしも起きて、ついでに二人分のおにぎりを拵える。天気予報をみたら、なんと晴天率100%~せやろねえ。空の青さがちがうもん。「結局起こされてしもたやん」感も忘れるきもちのよい朝。

▲湿った二日分の洗濯物も、今朝洗ったのもぜんぶ。庭いっぱいに干して。
空みあげて深呼吸ひとつ。なんだか若返ったよ~便乗早起きも三文の徳なり。
そんで明後日は雨、との予報に、急きょ墓参に行くことにした。
そのうち相方も出かけてゆき、さあ、お茶を入れたらわたしも出発~と思ったら、相方から電話がかかった。
どうやらどこかの駅で朝早くに人身事故があったらしく。ダイヤが乱れてるそうで駅も混乱状態とか。「いつになるかわからへんし、もう家に帰るわ~」とのこと。

▲おにぎり持ってどこかに出かけたくなるような、今日のこんな秋晴れのもと、一方には闇の中でうずくまってるひとも。自ら死に向かうひともいて。
あるいは遠い国々で、理不尽な死をむかえてる多くのひとたちもいて。胸が痛い。ああ、けど、痛いからめそめそするんやのぅて、しっかり目ひらいてその背景にあるものを考えないと。落ち着いて。冷静に~と呪文のように独り言。

【ものごとを広く考えることが「知」であり、その結果も「知」であるとすると、その出発点の「考える」ことの中身はつまるところ、ものごとを疑うことではないかと思うんですね。疑ったうえで筋道を立てて考えることが、「考える」ということではないかと。その結果が降り積もると「思想」というものになる。】
(『GRAPHICATION 』2008.5「専門主義から総合知へ」池内了:赤木昭夫対談より赤木氏のことば)

▲いつものバスが来て、いつもの席(ここは前方の空間がほんの少し広いのでたすかる)に座って、さっそく持ってきた本『大人になるっておもしろい?』(清水真砂子著 岩波ジュニア新書2015年刊)を読み始めた。
Kさんへの手紙として書かれたこの本の第二信は「怒れ!怒れ!怒れ!」と「怒」と「!」が三つも続いてるんよね。(苦笑)
けんかはいけないことだろうか?という問題提起のあと、子どもらがけんかになりそうになると、周囲の人たち、とりわけ大人は止めに入る。その結果、子どもたちの「ごめんね」と「いいよ」の氾濫になる~と、あるとき著者は学童保育に携わってきた友人に聞いたそうで。

▲そうそう。
息子が小さかった頃もこの「ごめんね」「いいよ~」の掛け合いをよく見聞きした。たいていは「ごめんね」の子も「いいよ~」の子も、ほんまに謝ったり、ゆるしたり~というより、決められたお芝居の台詞を棒読みしてるみたいで、何かいやな感じがした。でも、そこは子どものことやから?すぐまた何事もなかったみたいに、遊びに戻ってゆくんだけど。だったらあれはコーフン気味のこどもをいっときクールダウンさせるためのものやったんかなあ~いや、けどなあ・・・。

▲幼稚園や保育園で働いている著者の若い友人たちは
【私たちが言わせてるのかもしれません。「ごめんね」というほうも「ごめんね」と言われて「いいよ」と応じるほうも、どちらも納得していないのに】と言い出して。著者もまた【私たちはもしかしたら、ちょっとしたケンカにも耐えられなくなっているのかもしれないと】と思うのだった。

▲その後、著者が夫と出会い十年後いっしょに暮らし始めたときのことが書かれていて。
曰く【共同生活がスタートしてまず彼が言ったのは「我慢しない、忘れない、はぐらかさない。この三つを大切にしたい」ということでした。】(p26)
で、この中でいちばん難しかったのが「我慢しないということ」だったそうで。

▲そういうたら、ケッコンしてまだ数年のころ、年上の友人に たとえ夫婦げんかになるとわかってても、自分が納得いかないことは「納得いかへん」、相手の言うことがわからへん、おかしいと思ったら「わからない」「おかしい」とはっきり言わんとあかんよ。黙って我慢ていうのが一番あかんねん。それって問題が積もってゆくだけやからね~と言われたことがある。

▲そのときは何を今さら~と思ったんだけど。
その大切さがよくわかるようになったのは、あれから何十年もたって、「怒る」のも「納得いかへん」と言い返すことも、ものすごくエネルギーのいるめんどくさいことで、後々けんかが長引くこと思えば「まあ、このくらいええか」と思いを飲み込んで、時にあきらめたりすることもおぼえたから、かもしれない。
(それでも周囲にはあきれられるほど今なお相方とは議論もけんかも、たのしい話もいっぱいするけれど)

▲著者は「これはかなりきつい言い方であると思う」としながらもこう語る。
【夫婦であれ、親子であれ、教師と生徒であれ。対等でなければ、我慢することを選ぶ以前に、我慢することを強いられてしまいます。でも、我慢することを強いられる状況を、もし黙っていつまでも受け容れるとしたら、それは受け入れることを選択した側にも責任の一端はあるでしょう】(p27)

▲しかし、この対等な関係というのはどうしたら生まれるのか。
夫婦はともかく、親子や教師と生徒。それに兄弟姉妹でも。人間関係でシーソーが平衡を保ったような状態なんか、おそらくあり得ない。
相手より力を持っている者がそれを自覚していないと、対等な関係なんて築けない気がする。ああそうか~生まれるではなく築いていくものなのかも。そのためにも「我慢」より話して(ぶつかって)いかんとあかんのよね。

▲・・・と、そんなこんなを考えてたら、ほんの数ページしか読んでないうちに、もう終点に着いてしもた。
この日はお天気のせいか墓地には三々五々~夫婦で家族で、お参りに来てはる人がいてにぎやかで。じゃあじゃあ花入れ洗う水道の水がお日ぃさんに照らされてキレイ。ほんま墓参日和やね。
「きょうはええ天気ですなあ」
「お水がきもちいいですねえ」
義父の命日は明後日。あれから12年。
今年は義母も義父のもとへと旅立って。変わらないもの、変わったもの~この12年間をしみじみとおもいながら帰途ゆっくりゆっくり歩く。

▲変わらないものといえば。
今秋ジッカに帰ったとき母が「ええもん見せたろうか」と戸棚から茶封筒を出してきた。
何がでてくるのかと思ったら、なんとわたしの小学一年から四年までの通知表で。何故わたしの四年間(だけ)の通知表が母の手元にあるのか不明だけれど。

▲とにかく、黄ばんだそれらを開けてびっくりした。
もうちょっとデキがよいかと思いこんでたんだけど(苦笑)ちっともそんなこともなくて。記憶というのはじつにええかげんなもんである。
で、こんなんを母のもとに放置しておくのもアレなんで、この間おくってもらったんよね。

▲成績の件は横に置いておくとして。
備考欄に書かれたセンセの所見がめちゃシビアでのけぞる。
曰く
「考える力が足りない」「明朗であるが何事も大ざっぱすぎる」「文字が乱雑である」「何事も粗雑で早合点することがある」「じっくりと思考することなく先を急ぎすぎて失敗をする」
やさしかったあのセンセ、このセンセがこんなことを、たった9×1.8cmの欄に(←いま測ってみた)ぎゅうぎゅう詰めに書いてはったのか~
「歌を歌う」と「運動の技能」に×が多いのも、傷つくなあ(苦笑)

▲いやあ~小学生低学年やのに、なんでこんなことまでセンセにわかるんよ?ひどいよなあ~と相方に言うたら、そんなん(わたしを)見てたらエラわかりやろ~と返される。
はいはい。小学生のころからいっこも変わってへん、ってことですか~。

「いつまでも子どものやうで猫じやらし」(しずか)  


*追記

その1)
宮地しもんさんの『f 字孔』(エフじこう)という歌集を買いました。(ふらんす堂2014年刊)
チェロを聴くのがすきやのに、この本にであうまで f 字孔ということばの意味をしりませんでした。

【f字孔とは、弦楽器の胴体にあいているアルファベットのfの形をした孔のことです。なかをのぞくと、楽器の表板と裏板をつなぐ魂柱(こんちゅう)という木の棒が立っているのが見えます。

魂柱は楽器にとって非常に大切な命のようなものです。
  *

ふたりの子どものことばかり考えている歳月に、放っておいた私のチェロの魂柱は、いつのまにか倒れてしまっていたのです。工房の職人さんに修理をしてもらい、ふたたび音を奏でることができるようになりました。

以来、この穴に顔を近づけては、うすぼんやりとした空間をのぞきこむことがくせになりました。
とても大切なのに触れることはできず、ぼんやりとしか見えない。
このf字孔を歌集のタイトルにすることにしました。】 (あとがきより)

「f 字孔のぞけば暗き空間よ 空のつくものなべて大切」

「なぜここに青いすべり台があるのだろう こんなさびしい雪の野原に」

「世界少し傾ぐ気がせり 子が部屋の内より鍵をかくる音して」

「西空にひとはけの雲今日われは怪我したこどものように過ごしぬ」


その2)
まだ読んでいる途中なのですが。
『思い出袋』(鶴見俊輔著 岩波新書2010年刊)で立ち止まった一説。

【人は、幸運に恵まれていれば、言葉をおぼえる前に、言葉にならない音としぐさのやりとりをたのしむ楽園の時代をもつ。】
(同書 "金鶴泳「凍える口」と日本"より抜粋)

その3)
こまったことにいつも追記を書くころになって、あれもこれも書きたかったこといっぱい浮かんできます。
でも、まあ、これを聴きながらこのへんでおしまいにします。

Oliveray (Nils Frahm & Peter Broderick) - Dreamer
by bacuminnote | 2015-11-17 19:02 | 出かける