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いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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走るということだけで。

▲ふだん家からせいぜい半径1.5km圏内ですごしてる(完結してる?)わたしが、今月は行かなあかんとこも、会いたい人も、行きたいとこもいっぱいあって、ついでにしなければならないことも山盛りで。実によくはたらき、よく出かけた。とはいえ、先月末にはぎっくり腰もやってしもたし、わたしにしたら、日ごろの何倍も動いてるしで、足腰には気ぃつけなあかんなあ~と思ってたら、案の定この間ひざに来た。

▲痛いとこがあるのは、ほんま つらいよね。
病気が原因の痛みはもちろん、頭痛に腹痛、歯痛に腰痛。それが指先のほんの小さな切り傷でも。
そこから糸を引いてからだ全体にひびく気がする。
外出が続いて疲れてるところに、気温がぐっと下がり始めたのも堪えたのかなあ~椅子やベッドから、痛くて立ち上がれず難儀した。

▲えらいこっちゃ~と、亡き義母の杖(←こんなときのために置いてあった)を出してきて、立ち上がるときも、家の中の移動のときも、お婆さんみたいな恰好で、そろ~り小さく一歩踏み出すわたしを見て、ちょうど介護の本(六車由美著『介護民俗学へようこそ!』)を読んでいた相方がぼそっと「なんかリアルやなあ」とつぶやく。

▲そういうたら電話のたびに、足が痛い、腰が痛い、おなかが痛い、と・・・「痛い」を言わない日のない母に「まあ、そんなこと言うてんと~」と、わたしが話を変えようとするのは、はげますつもり、というより毎度痛いとこの話がちょっと「かなわんなあ」とおもってる自分がいるのも確かで。それは聞いたって、どうしようもない、どうもしてあげられへんし、と思うからであって。

▲せやからね。
今回もわたしはできるだけ家族や友だちに「痛い」って言わんとこ~と思ってたんやけど。なんとまあ(もしかしたら母以上に)こぼしてる気もして。しかし、そのつどやさしく応えてくれる周囲に、ほんま心からおおきにです。
そんなわけで、これからは母の「痛い」にも、ソッコウ封じてしまわずに、ときには「つらいなあ」とやさしく聴く側にまわろ~とただいま神妙におもっているところなり。

▲そうそう、このあいだ久しぶりに映画を観に行った。
あ、まだ膝痛が出る前のこと。(けど、これ、ほんの一週間前やのに。映画館に行ったんが遠い日のことに思えてしまう)
ウチから近いところのシネコンはたいていファミリー向けか、流行りの若いタレントの出てる邦画、もしくはハリウッド映画で。観たい映画はたいてい大阪の中心地(←にがて)に出ないと掛かってなくて、いつもDVDになるまでがまんしてるんだけど。
その日ふとシネマ情報をのぞいたら、めずらしく気になってた映画のタイトルが上がってるのを発見。お昼時の上映だったので、即サンドイッチを~いや、おにぎりの方が早い!と拵えてお茶もって、バスに乗りこんだ。

▲ここに来たのは“読んでから観た” 『きっと、星のせい』(原作『さよならを待つふたりのために』のことは以前ここにも書きました)以来。
館内はそのときから、ずいぶんレイアウトが変わって、チケットを買うカウンターもなくなりマシンがずらり並んで、焦る。
そういうたら、図書館でも、レンタルビデオの店でも最近は自動貸出機が並ぶようになったんよね。

▲「どうやればいいのかなあ?」というおばちゃんのおろおろぶりを見てはったのか、スタッフのお姉さんが横についてくれる。
ふんふん、ほぉー。なるほどね~いまはまだ、こういうの何とか頭に入るけれど、次ここに来るまで覚えてられへんやろなあと思いながら、ぶじ?チケット購入。

▲さて、映画が始まるまであと10分。間に合ってよかったぁ。
開場は上映10分前らしいから、ちょうどいい。中でおにぎり食べて待ってよ~と思ったそのとき、まるでわたしの心の中をのぞいてたかのように「当館では当館販売の食品以外の持ち込みはお断りしています~」のアナウンス。

▲ひぇ。そんなん言われたらなあ~とすみっこの長椅子に座って、ごそごそおにぎりに巻く海苔出して来たりして。なんか所帯じみてる?
いや、けど、売店には食べたいものがないのである。何よりあのポップコーンとキャラメルのキョーレツなにおい~あれ、なんとかならんのか・・とか思いつつ、おにぎりを頬張る。

▲さて、めあての映画はフランスの『エール!』という作品だ。
主人公のポーラはフランスの田舎町で酪農を営む両親と弟と暮らしている女の子。ほかの家族は耳が聞こえないので、彼女が「耳」となって、仕事関係の話を業者に電話したり、病院で受診する親のちょっと恥しいやりとり(!)も間に入って医師に通訳したりする。それだけじゃなく、牧場の仕事もよく手伝って一日フル回転。

▲映画のはじめに朝食の場面があるんだけど、日常の音がうるさいほど大きく聞こえるんよね。(たぶん、わざと大きくしてる気がする)
料理の載ったお皿をテーブルに置く音、お皿を洗う音、ドアを閉める音~つまり、こんな音もポーラひとりだけに「聞こえてる」という表現なのかもしれないけれど。
「聞こえる」「聞こえない」にかかわらずバタバタと荒っぽい動作の人も、しずかな立ち振る舞いの人もいて。
どうも、いらいらしてるときは大きい音たててるらしいわたしは(←相方によると)東直子さんのこの短歌をおもいだしていた。
「怒りつつ洗うお茶わんことごとく割れてさびしい ごめんさびしい」 (『青卵』)

▲ある日、ひょんなことからポーラはコーラスのクラスを受けることになって。とつぜん歌うことに目覚める。そして日を追うごとに才能は芽をだし開花してゆくんよね。
学校の帰り道、自転車で走りながら大きな声できもちよさそうに歌う彼女の表情のすてきなこと。
いち早く彼女の才能に気づいた音楽の先生はパリの音楽学校のオーディションを受けることを薦めるんだけど・・・。

▲このポーラって子がとても自然体で感じのいい子なんよね。
ちょっと太めというとこも大いに気に入った(笑)
この頃どんな映画観ても、たいてい思春期の子らがみな細身なんやもん。それはそれで雰囲気もあるし、かっこいいし、個人的羨望(!)もあるんだけど。

▲ポーラが自転車で(家から学校まで遠いようで。自転車でまずスクールバスのバス停まで行く)けっこうアップダウンのある道のりを力強くペダルをこぐ姿に、うっとり眺め入る。おもうことはただひとつ。
ああ若いってええなあ。
この子が疾走するシーンも。
もう「走る」という場面だけでじゅうぶんにカンゲキしてるわたし。

▲ポーラの家族も皆ええかんじ。
それぞれが時々自分中心やったりするのも、そのことでぶつかるのも、どこの家でもよく似たようなもんだけど。何よりオープンなのがええなと思った。笑ったり泣いたり怒ったり、つねにテンションの高いお母ちゃんも、そんな彼女をしんそこ愛してる(でも、けんかもよくする)お父ちゃんも。おませな弟も。

▲思いもかけなかった娘の「家を出てゆく」話。
今まで娘の果たした役目はだれがしてくれるの?彼女の歌も聴くことができない~「何よりまだ小さいのに心配」と大泣きの母親に父親が言う。だれか人を雇おう。早くにそうすべきだった。君は、娘より、娘のいない生活を君自身心配なんじゃないか~って。
こういうきもちはわたしにも覚えがあってズキン。

▲物語は、娘の進学と恋。村長選に出ることになったお父さんや弟の恋?も描かれて。作品としては、ちいさな不満もいくつかあったんだけど。
わたしにはポーラの「走る」「歌う」がサイコーやったから、まんぞく。
そして、登場人物の3人が聞こえなくて話せないので、ほとんどのシーンに手話が出てくるんだけど。手話って、「話す」代わりのことばなんかじゃなくて。表情ゆたかなもうひとつの言語なんだなあ~とあらためて。そして、ポーラの両親のおしゃべりなこと!弟の手話もユーモアたっぷりで。

▲そうそう、音楽の先生もよかったな。ちょっと変わってるけど「音楽がすき」っていうのが全身に出てるかんじ。もう長いこと忘れてた高校のセンセを思い出した。音楽は数少ない(!)すきな授業のひとつだったんよね。神経質そうな人だったけど、「音楽がすき」があふれてたし。それまで(この前の小学生の通知簿の「歌う」が×だったように)声が低くて皆と同じキーでは歌いづらかったけど、試験のときにはわたしのキーに合わせて伴奏してくれはったし。それがきっかけで「開花」してたらそれこそドラマやけど。残念ながらそれはなかったな(苦笑)

▲すっかり映画の中に入り込んで、笑うたり、泣いたりしてる内にあっというまの105分。
館内はわたし入れてたった7人。みなさん女性でシニア料金対象者だった。(←たぶん)
映画館に行った日は、途中食べたもの、飲んだもの、出会ったひとも光景も風景も~何より出不精のわたしが「外に出た」感満載の新鮮味あふれる(おおげさ)1日やから、その映画のことはDVDとはちがったカタチでいつまでもよく覚えてる。

▲帰途、うっかりエレベーターの場所を通り越してしまい、長い階段にふうう。
踊り場で一息ついて空見上げたら、わあ!きれいな青色。火照った肌にちょっと冷ための風がきもちよく、ポーラの疾走をイメージしながら(笑)少女のきぶん。
ええ映画時間でした。


*追記
その1)
ポーラのように、聞こえない親をもつ子どもたちを「コーダ」と呼ぶそうです。
以前『コーダの世界 手話の文化と声の文化』(澁谷智子著・医学書院刊)という本を図書館で借りたことがあります。残念ながら読みかけたところで返却日がきてしまい、その後続きを読まないままになっているのですが。また読んでみたいと思っています。

映画『エール!』~いつものことながら、日本版予告編はよけいな(すまん)説明が気になって(わたしにとって意味のわからない)仏語版のほうがええ感じです。
最初に観るならこの予告編を→
つぎに公式HPをおすすめします。→
原題は”La Famille Bélier” (ベリエ)という家族の物語、という意味らしい。
それがなぜ邦題「エール」になったのかなあ?「エールを送る」のエール?
いろいろ調べてたら、フランス語で歌は「air」だとか。

その2)
思春期というたらね、この前読んだ『大人になるっておもしろい?』(清水真砂子著 岩波ジュニア新書2015年刊)の中に「毎日歌壇」で著者がであった短歌ふたつ紹介してあって。
ふたつともわたしにも又「おぼえのある」シーン。ノートに書き留めました。

「挨拶をしなくなりたる少女いて成長とはかく黙すことなり」
(嶋田武夫~毎日新聞2012.2.5)

「愛だけがわたしをすくうと思ってた今日手にとった本を読むまでは」
(李祐実~毎日新聞2010.4.18)


その3)

上記『介護民俗学へようこそ!』は相方読了後いまわたしが読んでいます。
大学で民俗学を研究していた著者が、様々な理由で大学を退職して介護の世界で働くようになるのですが。
「利用者さん」(この呼び方には何かどっか、ひっかかるんだけど。介護の世界ではみなさんこう仰るので、それに倣って)が語る子どもの頃のことや、社会人として活躍していた頃の話に著者は民俗研究者としての好奇心を刺激され、聞き書きを始めたそうで。

そこから昔食べたもの、拵えたもの、の話をきっかけに、みなそれぞれの来し方を語り始め、それに反応してまた別のひとが語り始め、グループホームの空気がなごやかになって。
ひとは誰にでも歴史があって。華やかな時代も、なかには誰にも聞かれたくない、話したくない時代もあるかもしれないけれど。それもふくめてそのひと自身なわけで。
あたりまえやけど、紙に書かれた生年月日と家族構成、病歴だけでは「そのひと」を語るのはあまりにも大ざっぱすぎるわけで。

ひとに話を聴く、まただれかに自分のことを話す、という(ひとの営みからしたら、ごくフツーのことだけど)ことのおもしろさと力をあらためて感じています。

この本、まだ途中やから、読了後書きたいと思いますが
読みながら、いま週2回デイサービス通いを楽しみにしている母のことを何度も思っています。

そうそう、義母の杖は長身のわたしには短すぎるので、のちに友人が背丈に合わせられるのを貸してくれました。で、昨日は相方が今後のために~と、わたし用のを買ってきてくれました。

その4)
きょうは劇中「ポーラ」のうたうこれを聴きながら。
Louane Je vole paroles →
by bacuminnote | 2015-11-29 12:06 | 映画