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いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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雪の日に。

▲朝起きたら窓の外が白く明るかったので、あれ?と思ったら、やっぱり雪が降っていた。
雪のたびに書いてる気がするけど、最初にパン屋を始めた滋賀県は琵琶湖の東、愛知川(えちがわ)というところは、大阪に比べたらずいぶん寒いところで冬は雪の日が多かった。

▲開業前、貸してくださるというお家を見せてもらいに当地へ行ったときのこと。庭の小屋にどーんと灯油の入ったドラム缶(ひと冬分)があったのにも驚いたが、そばにあったT字型の木が(甲子園の入場行進とかで掲げてるプラカードみたいな)雪をかく道具だと知ってびっくりした。大家さんは「そうか~知らんかったんか。ここら、雪よう降りまっせ~」と言うと、かかかっとうれしそうに笑わはった。

▲そうして秋に店をオープンして、初めての冬が来たときは、早朝仕事をしながら、まだ暗いまちに白い雪がどんどん降り積もってゆくようすは映画の一場面みたいで。
大きなガラス戸越しに外が見える側に立ったわたしは、スケッパー片手にパン生地の計量をしつつ、外が気になってそわそわ。向い合って生地をまるめる彼に「おい、さっきから手ぇとまってるがな~」とよくおこられたものだった。

▲が、そういう彼もまたベイキングの合間に定規を持って店の外に出て「お、10cm~」「おお、20cm~」とたびたびの雪観察で、あやうくパンを焦がしそうになったことも何回かあって。小学生の息子1に至ってはもう庭かけまわる子犬状態(笑)。親子3人無邪気に雪を楽しんでいたんだけど。

▲つぎに越した信州の開田高原は、そのドラム缶一杯の灯油を一ヶ月に2~3本は消費(ストーブ3台分とお風呂)するほどのきびしい寒さであり。雪かきもプラスチック製からステンレスのもの、スノーダンプに・・と一気に道具が増えることになって。朝はスキーウェア着てまずライフラインの確保~薪小屋までの雪かきと、家の前に停めてる車が出せるように、車上の雪を落とし周辺の雪かきから始まるのだった。

▲そうして汗びっしょりかいて家に入って休憩して出てきたら「ふりだし」に戻ったような景色が眼前にひろがっており。かいてもかいても雪。開田村(当時)は気温が低い分雪はさらさらのパウダースノウながら、油断して放置すると、たちまちガチガチに凍って大変なことになる。

▲そういえば、引っ越してすぐに家の改築に来てくれた大工さんに「みんな、ここは寒いよって言うけど、どれくらい寒いんですか?」と聞くと「なあに。20度くらいよ」とすまし顔。もちろん零下である。続いて「掛け布団は息がかかるところがバシバシに凍る」「風呂場のシャンプーはシャーベットみたいになる」「朝は鍋に指がくっつく」などなど、寒いじまん(笑)が続き、そのたびに驚くわたしらを、やっぱり滋賀のころの大家さんみたく、ひとしきり笑ったあと「でも大丈夫。俺たちだって暮らしてるんだからさ~それに春はいいよぉ。最高だぞ」と言わはるのだった。
でも、そのときは冷凍庫より寒い!冬も、夢のような春もピンとこなかったんよね。

▲やがて迎えた冬も、はじめのうちは何でも珍しくてはりきって、家族でスキーもそり遊びも楽しくて。が、雪で遊ぶ、というより雪や寒さに泣かされることになるのに時間はかからなかった。
体力も気力もない「あかんたれ」の自分にしんそこ腹が立って、家族にあたり、フウフげんかに親子げんかも何度もあったけど。あのころは家族みなよく働いたなあと思う。
そして、ああ、雪かきのあとの熱いほうじ茶とこってり甘い最中や羊羹の旨かったことというたら。

▲雪の日のどんな音ものみこむしーんとしずかな深夜から早朝にかけて(つれあいは2時から作業に)仕事場の窓から見える山々は白く神々しくて、どこか遠く知らない国にまよいこんだみたいな気持ちになって。ほぉーっと見とれては「ほら、又手ぇとまってるがな~」と、例によって彼におこられた。

▲温もった家から一歩外に出ると、からだじゅうがきゅうんと音たてて一気に縮みあがるような冷気と、やっぱり眼前の雪景色には足底からぐーっとわきあがってくるような、ふるえるような感動があって。うまくことばにできないけれど、からだはいつまでも「その感じ」を覚えてる。

▲この間本を読んでいたら(『誰をも少しすきになる日 眼めくり忘備録』鬼海弘雄著)著者が山形ですごした少年時代に川で遊んだ日々のことが綴られており《川から上がり、暖まった小石を耳に当て水抜きをして》という一文に、いきなり幕があがったみたいに吉野の川がすぐ前に浮かんできた。

▲こどものころ夏休みの間は毎日川で泳ぎ、水温のぐっと下がる辺りを潜っては、途中岩にあがってちょっと休憩してまた泳いで川原で甲羅干し・・というのがいつものコースだったんだけど。
「唇がむらさき色になるまで泳いだらあかん」と、センセや親からさんざん言われていたのに、みんな青い唇して、ひょいひょい器用に川原の砂利の上を歩いてねそべる場所をきめると、平べったい石をみつけて冷え切った耳をそぉっとあてた。
暖まった石に耳からぬるいお湯がじわーっと出てくるような感触が、その一文でよみがえってきてじんときた。からだが覚えてるんやね~同時にそんなからだの記憶を呼び戻せる文章、にふたたび立ちどまるのだった。

▲この本の作者は写真家だけど文章もとてもすばらしく、ひとつひとつの章がエッセイという窓からとびたった小鳥のようで。短編小説のようで。
自身の故郷、山形月山でのこども時代の話から、自動車工場の期間工員として働いたころのこと、そこで得たお金でインドへの長い放浪の旅。やがて氏が長らく撮影に通う浅草のまち。

▲小鳥は近く遠く~ときに海をこえて飛んで、会ったひとや動物、みた風景、太陽、風、食べものの話を窓辺にもどって、ひとつひとつ物語を聞かせてくれてるようでもあり。
そして合間に挟まれるモノクロ写真がエッセイと繋がってだいじな背景になっていることを、読んで少しして気づいて、また戻って見る、というふうに。

▲最後に番外編として「一番多く写真を撮らせてもらったひと」というタイトルの文章があって。これは本編に「浅草のジェルソミーナ」(p134)に出てくる女性のことで。鬼海氏が「お姐さん」とよぶ22年にわたって浅草で写真を撮っていた女性が路上で亡くなったことを、友人から知らされるところから話は始まる。
お姐さんは《レンズの前では表情や仕草が饒舌になるのだが、普段は無口でお姐さんから話しかけられることはなかった》(p195)だから鬼海氏は彼女の名前も、年齢も、どこに住んでいるのかも訊いたことがなかったという。

▲ただ、氏が知っていたこと~お姐さんがいつも立っていた場所や、《「たちんぼ」というショウバイの人だった》こと。ずらりと並んだ写真にはおもわず息をのむ。カメラが写し出している何かがすこし見えるようでもあり、いや、それはこちら側の勝手な深読みかも、と思ったり。

▲そしてお姐さんはかわいくてせつない。カメラにむけられた顔はとてもおだやかで、写真には写らない「写真を撮ってるひと」のおだやかな笑顔をも浮かんでくるようなポートレイトだ。
お姐さんは周りからさくらさんと呼ばれていたそうで。路上にはたくさんの小さな花束や飲み物が供えられていたそうで。あらためてこの本のタイトル「誰をも少し好きになる日」を思っている。

▲《浅草でポートレイトを性懲りもなくつづけているのは、「人間とは何だろう」という答えのない問いをずっと抱えているからだ。時代や社会の風潮に流されないようわたしなりに降ろした錨のそばに、たまたまお姐さんがいてくれたような気がする・・・・。だからこそお姐さんの名前も年齢も尋ねることなく、二十数年間の知り合いでいられたのかもしれない。》(p201~202より抜粋)



*追記

その1)「浅草のジェルソミーナ」のジェルソミーナというのは、みなさんもご存知のフェデリコ・フェリーニ監督の名作『道』の主人公です。
そういうたら、以前鬼海弘雄氏の『PERSONA』というすごい写真集を見たときのこと書いたはず~と探したら10年前のここにありました。このときの写真に添えられたキャプションもとてもよかったので、わたしはノートにそのキャプションをぜんぶ写したことを思いだしました。
ああ、こんなふうに文章が書けるとええなあ。書けるようになりたいなあ、と思いながら。


その2)きょうは雪の日のことを思い出しながらこれを聴いています。
Henning Schmiedt - etwas später→

そういえば、4年前の1月Henning Schmiedtを聴きに行った日にも雪がふりました。→




by bacuminnote | 2018-01-29 00:31 | パン・麦麦のころ