へっついさんの前で。
2018年 09月 23日
ついこの前まで38℃だ39℃だと酷暑にあえいでたとこやのに。もうお正月準備?~と今年の「残り」を指折り数えてみる。10月まであと一週間ほどあるものの、新年よりほぼ3ヶ月前からの予約受付~ってことは、つまりこのデパートでは例年通りのことであり。近頃の商戦からおもえば十分に「アリ」というわけで。
▲・・・と、消費者の側が最初の頃は「おかしいなあ」と思ったことを、知らんまに慣らされ、どんどん物分りのいい客になってしまうのがこわい。
ていうか、外から「早う、早う。今のうちに」とか言うて、なんでもかんでも(近頃はランドセル買うのだって、入学の一年ほど前から「ラン活」とかいうのを始めたりするらしい。昨日もレジ前でママ友らしき二人が話してた。そもそも重くて高価なランドセルについては思うこといっぱいあるんだけどね)急かさんといて。
からだのどっかにある(とおもう)季節を感じたり、要る/要らんを自分で判断する器を商業主義にすうーっと乗っ取られてしもたら、つまらん。ここはしっかり「自分」というものを意識せなあかん、と改めておもうのだった。
▲それにしても。
一日も一ヶ月も(そして一年経つのも)あっという間やなあ。近い内いっぺん母の顔見に行こう~と夏じゅう思いながら、酷暑、台風、長雨のうちに、どんどん時間ばかりが過ぎていたんだけど。
ようやっと、この前の日曜日青空に誘われて出かけて来た。朝「今日行くわ」と電話してOKの返事のあとは、バタバタと仕度。駅前ショッピングセンターで前から気に留めていたもの、目についたもの、あれもこれも買って電車にとびのる~のも、いつもどおり。
▲久しぶりに何か(音読して)母に聞いてもらいたいなあ~と出かける前に絵本を何冊か選んでみたんだけど、その重さに今回は断念して、新書をかばんに入れた。京都の粽屋さん、十五代目川端道喜氏『和菓子の京都』■(岩波新書)は、何かのたびにぱらぱら読み返す一冊で。(著者や粽のことは以前ここにも書きました→■)
▲そのつど和菓子の深さにうっとりため息をつきつつ、何より食いしん坊のわたしは、道喜さんとこの「葩(はなびら)餅」ってどんなんやろう?いっぺん食べてみたいなあ~とか、なつかしい奈良の「ぶと饅頭」■って、こんな歴史あるお菓子やったのか(久しぶりに食べたい~)と食い気に走る一方、むかし民にとって縁のなかった甘くおいしい手間暇かけてつくられたお菓子を(いや、そもそも日々のご飯さえ満足に食べられなかったのだから)宮中を始め、将軍や茶人やらだけが贅沢していたことに憤るのであるが。
▲さて、この本で母に一番聞いてもらいたかったのは「餡たき」の場面だ。第一章「道喜の粽がたり」の中「親から受け継いだこと」には、著者がこどもの頃手伝った(こどものことやから、喜んで、というよりは「手伝わされた」)ことや、家族の、とりわけ祖父の仕事ぶりをすぐそばで見ながら成長したことが書かれており。
夕飯のあと、真っ暗な家の中で一つだけ電灯のともった台所に家族が集まり、夜なべ仕事にする(させられる)「小豆選り」の話などは、自営業の家で昔はよくある光景だったと思う。
▲川端道喜さんは1930年生まれだから、わたしとは育ってきた時代も、それに家の仕事もちがうけれど。わたしんちでもこどもにもできる手伝いというのがいくつかあって。当時ウチは木材市の弁当を請け負っていたので、折箱のご飯に黒ごまをパラパラふりかけたり(これ、簡単そうだけど、ごまが白飯の真ん中にかたまって真っ黒になったらあかんし、かといって散り散りになるものあかんので、けっこう難しい)蓋の上にお弁当という字と店名の入った紙を載せていったり、それを輪ゴムで留めて、出来上がったんを5つづつ積んだり~は小さいころのわたしのしごとだった。
▲道喜少年は、虫くいの豆や小石やゴミを捨て、小豆の選り分けては古びた木のお櫃にあける作業をするのだけれど。遊びたいのに嫌々やってるから身に入らず、手先がぞんざいになっては祖父に叱られるんよね。
▲さて、いよいよ餡炊きの場面。かまどの前に葛(粽の材料)の木箱を伏せて椅子代わりに祖父と並んで道喜少年が座る。最初は強火で煮て、渋取りのあと「びっくり水」をさして再び煮て水洗い。
【寒い日など両腕が真赤になるほど洗わされ、再び釜で煮立てる。割木をかまどに放り込むと、生木がジュウジュウと泡を吹き、やっと身体が芯から暖かくなるころ、また煮小豆を水洗いせんならんのです。二度目の水洗いのあと、今度は火消壺に割木を入れて、熾だけでじっくり炊き上げますと、小豆はしゃもじの上で指で押すと潰れるほどに、ふっくらと煮えてきます。】(本書p53~54より抜粋)
▲いやあ「生木がジュウジュウと泡を吹き」とか、その音もにおいも浮かんできて、この場面ぜんぶ書き写したいほど、どきどきするのは、やっぱり「かまど」(ウチではへっついさんと呼んでいた)周りで大きいなったからか。老舗の菓子店の餡炊きに比べたら、ほんま書くのも恥しいままごとみたいな小鍋でだったけど、パン屋のころ餡炊きをしたのを思い出すからか。その湯気のあがった鍋やちょっとむせるような小豆のにおいがしてくるようだからか~。
そして、わたしに向かいあい、じいっと目をつむって何度も頷きながら聞いている母の脳裏にも、大きな五升釜三つ並ぶへっついさんの前に座り込んで、次々とご飯を炊く若き日の姿が浮かんでたんやろな~とおもう。
▲粽は漉し餡やから、このあと裏ごしして、小豆の皮と豆汁に分け、さらにこまかい「みそこし」で裏ごし。布袋に入れた呉(豆汁)をしぼって、いよいよ漉し餡炊きが始まるわけで。
【「それっ!」、祖父の掛け声に合わせて柴を焚口に突込み、力一杯火吹竹を吹く私。煙があがり、炎がドッと上がる。薪を入れる。割木を突込み、力一杯火吹竹を吹く私。煙があがり、炎がドッと上がる。薪を入れる。「一本引け!」火消壺に一番太い薪を入れる。「もう一本!」と呼ぶ祖父の額には汗の玉。】(p55~56より抜粋)
▲【最後に熾を火掻棒で全部引き、焚口を閉めます】~というところで、母が顔をあげてふううと長い息を吐いた。
そして何を思ったのか、父のことを「あの人はええひとやったなあ」と言い出したのでびっくりした。餡炊きの話聞きながら、そんなこと思ってたん?「ええひと」って?お母さん、へっついさんの前で何度も何度も悔し涙を流してきたんとちゃうん?と言いそうになるのを堪える。
▲そういえば『ヴェネツィアの宿』■(須賀敦子)にも著者の母親が若いころの夫との思い出を娘にする場面があったのを思い出す。
【「いやだ、いやだっていうわたしを、パパは無理やりみたいに、踊りに連れて行ったのよ」「パパとママのダンスねえ」
そういうと、母はしばらく目をとじたまま、なにか考えを追っているようだった。結婚してからの苦しかったことすべてといっしょに、愉しかったこともひとつひとつ、まるで若いむすめが気にいった宝石を箱からとり出して眺めるように、たしかめてみているのだろうか。】(同書「夜半のうた声」p119より抜粋)
▲ホームに入居前にはおもしろがって「朗読劇場」と称し電話で、母がよろこびそうな本や新聞の一節を、時々音読してたんだけど、その日も以前のように母の「ああ、よかった。ほんま、ありがとうございました。今日はこれで終わりでっか?」に、わたしが「はい。ご清聴ありがとうございました」と笑うて、ひさしぶりの「親子朗読劇場」は好評のうちに(笑)終わった。
▲いくつになっても、だれかに本を読んであげるのも、だれかに本を読んでもらうのも、ええなあと思う。物語って文字通り話し語ること、それを聞くことから始まったんやもんね。さあ、つぎは何を持ってゆこうか。
*追記
その1)
きょう書けなかった本。『ナチスに挑戦した少年たち』(フィリップ・フーズ作 金原瑞人訳 小学館2018年刊)■第二次世界大戦中ナチスによる占領下のデンマークで、レジスタンス活動をした少年たち。その「チャーチルクラブ」のメンバーの一人クヌーズ・ピーダースンへのインタビューをもとに、彼らの活動が語られます。
大人たちがナチスに屈服したことが耐えられなかった少年たちは、最初は街中を自転車で走り回って、ドイツがたてた標識を壊しドイツ兵を迷子にしたり、電話線を切ったり・・と小さな抵抗をするのですが。しだいにそれでは現状は変えられないと、知恵を出し合い研究をしてドイツ軍の車を破壊、銃を盗む・・と命がけの抵抗運動へと発展してゆきます。
少年たちの純粋で勇気ある、しかし無鉄砲で大胆な行動に、終始ハラハラしながらの読書でした。
そのうちドイツ占領軍もこのチャーチルクラブの妨害活動を本格的に捜査し始め、ついには逮捕命令を出す。このことで、デンマークの人々に少年たちのレジスタンス活動が広く知られるようになり、勇気を得た人々に抵抗運動が広まっていったそうです。
まだ自分のなかで未消化の部分もあって、今はこれくらいしか書けないのですが、考える種がいっぱい詰まった本でした。
その2)
この本だけでなく「本」をめぐって考えこむ数日。
きょうはこれを聴きながら。"Adios" - Benjamin Clementine en Session Très Très Privée■