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いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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じき同い年になります。

▲8月に会ったばかりだけれど、亡き父の三十三回忌で先日ふたたび四姉妹があつまった。それにしても「父なき日」は、そんなにもなるのか~。
わたしらがついにパン屋に始めたことも、その田舎暮らしも、10人目の孫(息子2)の誕生も。店を畳んでいまは大阪で暮らしていることも。

▲そしてなにより。95歳になった母が老人ホームで元気に過ごしてることだって。ぜーんぶ父の「知らんこと」で。そしてそれはたっぷり32年分あるのであって。
こどもらはみーんな大きくなり、その親たちはみんな歳をとって、さまざまな変化があったこれまでを、あらためて思うのだった。

▲当日はお寺さんが10時半にお参りにみえる~というので、逆算するとわたしはここを7時前には出発することに。日頃気ままに暮らしてるから、時間どおり起きることができるか心配で、いつもより早く床についたんだけど。
これがかえってあかんかったのか~本を読んで、閉じ、また読んでるうちにどんどん目がさえて。トイレに立ったついでに、だいどこでウイスキーひっかけてみたりして。結局よくねむれないまま朝になった。
窓の外はひんやりと秋の雨。そぉーっと起き出したつもりなのに、風邪で臥せってたつれあいも起きてきていっしょに珈琲をのむ。熱いのみものがからだの中を通ってゆくのがわかる。

▲平日の朝早く、なんて出かけることがないので、駅までの道~行き交う人たちも、街も、通学通勤の人でいっぱいの駅構内も、ひるまの「顔」とはちがってて、そのひとつひとつが新鮮で。・・・とかいう風に、あちこち見とれて、立ち止まったりするもんやから。思ってたより早く駅に到着して、一本早いのにだって十分乗れたのに。

▲何両目がええかなぁ~などと悠長に車両を眺めてたら、あれよあれよとという間に車内は埋まってしまった。きっと皆さん毎日決まった車両と席があるんよね。せやから迷うことなく「そこ」にむかって着席しはる。
そんなわけで、予定通りの(つまり一本あとの)電車に、ぎりぎりセーフで座るのだった。

▲寝不足解消は車内睡眠、と思ってたのに、黒っぽいスーツ姿にぐるりと囲まれ緊張して(同じ格好の団体はにがて)全然眠れないまま、乗り換えの天王寺駅に着いた。
ここがまたえらい人で。人の波に慣れてへんから、何べんも急ぐ人たちとぶつかりそうになりながら、ようやく近鉄特急に乗りこんだ。ふうう。がら空きの車内にほっとする。
車窓から見える大勢の人が改札にむかう姿は、映画をみてるようで。その人の流れの速さや時間に、信州から大阪に戻ってきたてのころが浮かんでくる。

▲当時は、大阪での一日が信州の暮らしの何か月分にも思えたんよね。目に入るモノ、出会う人、買ったもの、何もかもが大阪では「一杯」で。読みたいと思う本も映画も、服だって、すぐそこにあって(お金があれば)かんたんに手にすることができるんやもん。しばらくの間わたしはちょっとコーフン気味だった。
けれど、やがてここでの時間の方が長くなって、反対に山暮らしの人や新しいモノにそうそう出会うことのない日々の、その不便だけど密度の濃い時間を思う。どっちがええとかいうんやなくて、そういう時間をもったことは種となり、わたし(や家族)の中でいま街で暮らすうちにも、ぷつぷつと発芽してると思う。

▲さて、ここでもやっぱり眠れず。32年前「チチキトク」の報でこの特急電車で病院にむかったときのことを思ったりしながら、電車が吉野に近づくといつものように、川の見える席に移動した。
車窓から川沿いの木々が、この前の台風の影響か、あちこちで一杯なぎ倒されているのが見えた。走る景色~灰色の空、山々と草むらのふかい緑の中「ココニイマスヨ」と言うてるみたいに、所々で咲く彼岸花の赤がちょっと妖しげで、そしてきれいだった。

▲家に着くと、姉たち義兄たち、姪や甥とそのパートナーが次々やってきた。にぎやかでなつかしい時間。わたしはあんぱんを供え、姉は「せやせや、紅茶や」と父のすきな紅茶を供えた。
すっかり歳とらはったお寺さんの読経を聴きながら、わたしは仏間に祖父母たちとならぶ父の写真をずっと眺めていた。他の写真が白黒やから、カラーのそれがスポットライトあてたみたいにみえる。父はクリーム色のセーター姿でちょっと恥しそうに笑ってる。

▲この写真はつれあいがカメラマンの頃、母と並んで写してくれた時のもの。たしかカメラはハッセルブラッドで。父は古い自慢のローライフレックスをうれしそうに出してきて「k君のと、どない違うんや?」と前のめりで聞いてたっけ。父と母とわたしたち親子と。温かで和やかな時間はそのまま写真の父の笑みになっていると思う。

▲ところが、しばらくしてつれあいはカメラを置きジッカの仕事をすることになって。わたしの危惧していたとおり(苦笑)父と彼はじきに仕事への考え方でぶつかって、案の定わたしたち一家は再び大阪に戻ることになったんよね。で、前々から話してた(その頃わたしが家で焼いていたような)自家培養酵母のパンの店をしようと、彼はパン屋修行の身となったのだった。

▲もし、あのとき、あのままだったら。わたしたちはパン屋にならなかっただろうし、滋賀に、まして信州の暮らしには至らなかったはずで。
一時はハラハラしたもののその後、父とつれあいはふしぎにええ感じになり。父の最後の入院のとき、修行先のパン屋のメロンパン(これがおいしかった)やあんぱんを持って彼が見舞うとよろこんで、帰るときはベッドに痩せたからだで正座して「k君また来てや~」と手を振ってたんよね。
ああ、ジンセイはせつなくて、おもしろくて。

▲そんなこんな。写真という思い出の箱から大きい箱や小さい箱をとりだしてるうちに、いつのまにかお経もご法話もおわり、みんなで雨の中お墓参りをした。
お父さん、あれから後も相変わらずドタバタのわたしらやけど、みな仲よう元気にしてますよ。
そうそう。来年わたしはお父さんと同い年になります。



*追記
 今日は本のことも映画のこともかけませんでした。
しみじみとこれを聴きながら。
父がすきだったテネシーワルツ。
Patti Page-Tenessee Waltz
by bacuminnote | 2018-10-06 21:50 | yoshino