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いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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ほかのみんなとおなじにさせる。

▲暑くなく寒くなく、青空に群がり広がる鰯雲の白がきれいで。うれしなあ。やっと秋がきたんやなあ~
せや、そろそろ冬布団を出して干しとこう、夏用シーツや掛けカバーも洗濯しとこ。そうそう、暑うてずーっとええかげんにすませてた掃除も、ていねいにして(当家比!)。足も好調だし、観たかった映画をちょっと遠くの映画館まで・・と、連日喜々として動いてたんだけど。

▲ある朝、洗濯物を干そうとカゴに手を伸ばしたとたん、ぐぎーん!と電気の太い束みたいな衝撃が背中に走った。瞬時にこれから起きるであろう痛みや不自由がうかび、あああ~と思いながら、ゆっくりゆっくり体勢を元にもどす。お、イケる。歩けそうや。歩ける。衝撃の割には小型腰痛で心底ほっとする。

▲だいたいキミが張り切ったときには何かあるのであって。もうええ歳してるんやから、気ぃつけなさいよ~はい。わかりました・・と自分に自分でツッコミを入れて励ましてみたり。それからしばらく大人しくして、ようやく腰が治ったと思ったら、こんどは膝が・・と冴えなくて凹む。が、いつもどおり買い物、図書館、本屋さん~な暮らしにはなんとか戻れたんやから、よしとしよう。

▲そんなこんなの日々の中でもよい本や映画、音楽に会えて。きゅうっと硬くなった肩(と心)のあたりが緩むのがわかる。このあいだは『わたしたちだけのときは』(ディヴィッドアレキサンダー・ロバートソン文/ジュリー・フレット絵/橫山和江訳/岩波書店2018年刊)に会えた。茶っぽい表紙に空色の表題。お揃いの服を着たおんなの子がふたり色鮮やかな落ち葉の上で寝そべっている。地味だけど、なぜかこころに残る絵だ。

▲おばあちゃんといっしょに過ごす孫娘の「わたし」が問う。
「おばあちゃん、どうして、そんなきれいないろの、ふくをきてるの?」
「どうして、かみの毛を長く伸ばしてるの?」
「どうして、クリー語をしゃべるの?」
「どうしてふたり(大おじさんとおばあちゃん)はいつもいっしょにいるの?」

▲舞台はカナダ~ファースト・ネーションズ(先住民族)の中で最大の部族のひとつクリー族にうまれたおばあちゃんは、政府の「同化政策」(1874年から始まった)のもと、親から引き離され寄宿校に入れられる。長い髪は切られ、同じ服を着せられ、自分たちの言葉であるクリー語を禁止されて英語やフランス語を、そしてキリスト教信仰を強いられる。長い長いあいだ。

▲だから、いま、おばあちゃんは自分のすきな色のスカートをはき、髪を長く伸ばし、クリー語を話す。大おじさん(弟)とだってしょっちゅう会っては、しゃべったり笑ったりしてるんよね。
そんなあたりまえのことができなかった、おばあちゃんのこども時代のこと、小さな抵抗の話を「わたし」に語る。

▲「どうして、クリー語をしゃべっちゃいけなかったの?」
「あの人たちは、わたしたちに、わたしたちだけの言葉を使わせたくなかったんだろうね。ほかのみんなとおなじにさせようとおもったんだ」

「でも、夏のあいだ、先生がそばにいないとき、クリー語をこっそりしゃべったよ。わたしたちだけのときはね。いつも話せない言葉をなんどもくりかえししゃべることで、わすれないようにしたんだ。そうすると、しあわせなきもちになれたからね。」

▲「被支配者」の言葉(だいじなもの)を奪うのは「支配者」で。そして、これは遠いカナダの話(だけ)ではなくて。かつて沖縄への、アイヌへの、そして朝鮮半島や台湾、アジアの島々で日本がしてきたことでもあり。想像しただけでも胸が苦しくなる。

▲だが、この本の中では「あの人たち」への憎しみや怒りの言葉は出てこない。
それでも。祖母が「わたし」のように「小さかったころ」、同化政策への戸惑いやかなしみ、友だちや弟「わたしたちだけのとき」のささやかな抵抗とよろこびの時間が、幼さゆえに言葉にできなかった怒りと共に深くしずかに沁みこんでくるようだ。

▲そしておばあちゃんの「あの人たちは、わたしたちに、ほこりをもたせたくなかったんだろうね」という指摘はするどい。
そう。「あの人たち」が奪ったのは言語や慣習や家族との時間や宗教だけでなく、何より人の尊厳だったのだ。

▲本の最後には訳者による「解説」があって、同化政策のことが記されていた。文末に《2008年6月11日、カナダのスティーブン・ハーパー首相(当時)は「同化政策は先住民族を深く傷つけてきた」と認め、公式に謝罪しました。》とあった。
長い長い時間のあと、それでも政府がやってきたことの非を認め、公式謝罪された意味を思う。



*追記
その1)
読後、カナダの同化政策のことや、スティーブン・ハーパー首相の公式謝罪文の訳文などネットで読みました。(北山耕平氏のブログ2008.6.12→)検索するといっぱいヒットして、それらは称賛する記事がほとんどでしたが、なかには何故この(2008年)タイミングで公式謝罪をしたか、カナダの先住民保留地での自然資源を獲得するため、先住民たちの抵抗を弱体化するための布石だったのではないか~という意見もありました。(物理化学者の藤永茂氏ブログ2013.2.24→)たしかにそういうことあるかも~と、考え中。
何かひとつ知ると、わからないことはその何倍もでてきて、ときに混乱したりしますが。ひとつの情報でわかったつもりになったらあかんなと思いつつ。


その2)
文中おばあちゃんが、鳥にえさをやりながらクリー語で話しかける場面があるのですが、その詩のような言葉がすてき。《ナ ピーネイサス、ミーチェイソ、タ ミシ カティアン、タ マスカイシアン》(さあ、ことりさん、たべなさい。つよく、大きくなるんですよ)どう発音するんだろ~と思って調べてたらこんな動画を発見。著者David Robertsonご自身がクリー語の発音をしてはります。(鳥への語りは1'03"~)
”When We Were Alone Cree Pronunciation”→


その3)
腰痛の合間に観たDVDのことも書きたかったんだけど、力尽きたので(おおげさ)メモとリンクだけ。どれもよかったです。
『BPM』 『ザ・スクエア』『はじめてのおもてなし』 『空と風と星の詩人』


その4)
きょうはこれを聴きながら。カナダのインディーズバンド(いまみたら2008年に活動停止したらしい)
P:ano - Foothills→
by bacuminnote | 2018-10-20 00:45 | 本をよむ