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いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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そら豆形の銀色のお盆。

▲整形外科に行って、受付でいつものように診察券を出したら「あ、保健証もお願いしますね~」と言われて、そうか。もう12月になったんや、と知る。
早い。早いなあ。早すぎるよー。
そのむかし40歳になったとき、姉3人が口をそろえて「40代は坂道を転がる石やで」と貴重なアドバイス(苦笑)をしてくれたんだけど。たしかに40代の忙しさというたら。ほんまよく体が保ったなあ~と思うほど、わたしみたいな怠け者でも、いっぱいいっぱい働いたし。あのころは、息子2の誕生で若いママ友もできて、互いの家を行き来して、それはよくしゃべったし。悩み考え読んだり書いたりもした。

▲ただ、今おもえばそのローリングストーン度!は「働き」にはあんまり関係なくて。40代より50代、50代より60代のほうが加速している気がする。けど、もはやギアチェンジもできないんやから、このまま、なるがまま。あらがわずに、ローリングストーンOKでゆこう。

▲そういうわけで。
温かくなったら、涼しくなったら・・・と思ってた障子の張替えをできないまま、今年も年の瀬を迎えようとしており。いや、それだけやなくて、何もかも面倒くさいお年頃?であり。自分で自分の鼻先に人参ぶらさげて、やっと何かひとつ(ひとつだけ!)駒を動かすというありさまで。
ああ、あれもこれも。楽なほうへ楽なほうへ。けど、思い返せばこれは今に始まったことやなくて。むかしから母に事あるごとに言われてきた気がする。何度も何度も。

▲さて、最初に書いた整形外科~早いもので通院も二年越しになった。医院はビルの中の医療フロアにあり、歯科や小児科、内科や耳鼻科もあって、時々ちいさいひとたちの泣き声が遠くちかく聞こえてくる。
今でこそわたしは病院通いもリハビリ科だけやけど、こどもの頃は、頭いたに、お腹いた、扁桃腺もよく腫らして、しょっちゅう近所のお医者さんに通ってた。

▲そこはむかし胸の病気の人の入院施設だったそうで。田舎町の医院にしては大きくて、古い木造の学校のような佇まいだった。玄関の石段を3つ上がって茶色いビニルのスリッパに履き替えて上がる待合室はひんやり、しんとして。ルゴールのにおいが院内に染み付いていた。正面にはたしか誰かの胸像があったように思う。診察室は左右にあり、左側が耳鼻咽喉の診察椅子、右はベッドのある内科の診察室で、隣は小さなレントゲン室で。

▲耳鼻咽腔系の弱かったわたしたち四姉妹は、ここに来るときはたいてい左側の診察室。いつだったか姉3が扁桃腺の手術をしたとき、そら豆形の銀色のお盆(後にこれは「膿盆 のうぼん」というものだと知る)を自分で持って、お盆の中が真っ赤やったという強烈な記憶があって、よけいに怖かった。センセは細面の紳士で、ぱりっと糊のきいた白衣のポケットには、やはりぱりっとした白い八つ折りのハンカチ。そして受診のたびに「あんたとこはみな扁桃腺肥大やなあ」と言わはった。

▲幼かったわたしには「へんとうせんひらい」と聞こえて。幼馴染のNちゃんに「Nちゃんやったら、へんとうせん-もり、やなあ~」と「扁桃腺に名字をつける」説を自信まんまんに言うてたんよね。(←これ思い出すたびに、はげしく赤面する)

▲夏に『ぽかん』という雑誌(07号/6.26発行)を読んだ。
冒頭にあった山田稔氏の『ひょうそ 「門司の幼少時代」(二)』というエッセイは、まさにお医者さん通いの話で。病弱だったという氏の幼少のころの病気や怪我にまつわるエピソードに、同様に「弱かった」子のわたしは共感となつかしさと、何よりちょっと自嘲気味に語られるそれらがほんまおもしろく、もう何べん読み返したことやら。
いや、抗生物質もない山田さんの幼少時代のことやから。どんな怪我も病気も、母親にしたら、ほんま身も縮まんばかりに心配しはったんやろうなと、想像したら胸が詰まるようで、笑い話ではないんだけど。やっぱりくすっと笑うてしまう。

▲タイトルにある「ひょうそ」とは化膿性爪囲炎のことで、山田少年は指の逆剥けをむしり取ろうとして、黴菌が入って膿んでしまう。最初は家にある傷薬やどくだみ、雪の下の葉っぱとか民間療法を試みるも、腫れがひかず夜中に疼く。母親が「これはひょうそ」と言って医者に連れて行ったそうで。

▲医師には、爪の下まで化膿しているから、爪を剥がさないと治らない、と言われるんよね。ひゃあ~怖がりのわたしは「爪を剥がす」と読んだだけでもドキドキするんだけど、山田少年は《私は息をつめ一言も発せずに一連の手続きを見守っていた》(p6)とあって。手術の間もその後の処置もくわしく描かれており、少年の冷静な観察力には作家の眼をかんじる。

▲そうしてぶじ手術が終わり、少年は《真白な包帯で異様に太くなった指を捧げもつようにして家帰った。(原文ママ)母はこれで一安心といった寛いだ表情をしていた。母が止めるのもきかずに、私は家の外に出た。遊び仲間が珍しそうに寄って来て「どうしたん?」と訊ねた。「ひょうそ」と答えるとみな黙った。「ひょうそって?」「爪の下にバイキンが入って膿んでね、治すためにを剥がしたんよ」そう答えると、また皆黙りこんだ。その後しばらくは私の姿を見ると寄って来て「ひょうそどうなった」と訊ねるようになった。「見せて」と言う者もいた。「ひょうそ」はいまや流行語だった》(p7)

▲いやあ、親の心配もよそにこどもの怪我じまんというたら。でもその様子がありありと浮かんで、じつに微笑ましい。こどもの頃、白い包帯やギプスは、どこかあこがれのようなところがあったんよね。
日ごと傷口は乾き、肉は盛り上がり《新しい爪らしきものが出来た。小さなさくら貝のように見えた》(p7)そして、ある日お医者さんに《もう来なくていいと言われて淋しい思いがした。通院をやめてからも当分包帯をしたままだった。包帯は次第に汚れ、薄黒くなった。母からはもう取りなさいと言われたが、そのままにしていた。傷口を外気にさらすの怖かった。遊び仲間は、もう見向きもしなかった》(p7)

▲くりかえしこのエッセイを読んでるうちに、そういうたら、と思いだして故郷の医院をグーグル・マップで見てみたら、思い出の木造病舎は真新しく明るい灰色の、どこの町にもよくあるすっきりした建物に建て替えられていていて。
そら、そうやよね。いまどき、あのままでは患者さんも、センセのご家族にだって、快適ではなかったやろうから~と思いながらも。「へんとうせんひらい」は、しみじみとさみしかった。



*追記

その1)
真治彩さんによる『ぽかん』は先日08号が発刊されたところ。『こないだ』(山田稔著 編集工房ノア2018年刊)「名付け親になる話」には、この雑誌の名前を真治さんから託された山田稔さんが『ぽかん』と『こないだ』を提案した~というエピソードが出てきます。
『ぽかん』07~片桐水面さんの表紙絵も挿絵もすてき。そして、08号も、どの頁も充実の一冊でしたが、とりわけ最後の内堀弘さんの「六さんのこと」がふかく残っています。

その2)
これでもか、というように、政治の世界では信じられんようなことが 次々とまかり通ってゆくからか。季節が戻ったみたいに変に温かったり、寒かったりもあるのでしょうか。あのひともこのひとも。老いも若きも。しんどいとこ、痛いとこ抱えたひとが周囲にも多いです。元気ハツラツやなくてもええから。ぼちぼち、みんなと歩いてゆきたいなあと思います。


その3)
きょうはこれを聴きながら。ああ、えがおも音楽も。すてき。だいじ。すき。
Leslie Feist + Kings of Convenience - PEOPLE 2018 rehearsal
by bacuminnote | 2018-12-05 19:57 | 本をよむ