人気ブログランキング | 話題のタグを見る

いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

あったかくなったら。

▲母に会いに行ってきた。いろんなことがあったから。昨年暮ぶりの訪問だ。
いつも通り~朝目が覚めたとき障子戸のまぶしいような明るさに、よし!行こう~と決める。ええお天気の日は母もわたしもたいてい好調やからね。つれあいに話したら「ぼくも行く」と言うので、数カ月ぶりに!フウフそろっての外出となった。

▲ここんとこ何かのたびに思い出にしゃがみこむ日々がつづいており。SNSで流れてくる旧友の昔の写真を見る。送ってくれはった思い出の写真や動画を見る。それから彼女の作品集を読んで、文中”わたし”と思える記述に立ち止まり。ブログを読み、何年も前のメールを読んで。夜になるとつれあい相手にしゃべりまくって。そしてくたびれはてている。
「いちにちをさがしものしておぼろかな」(火箱ひろ)

▲それでも食べてのんでしゃべって、まあまあ元気にすごしてるつもりだけれど。芯のところはまだちょっとたよりない。
ふだんから出不精やからね。青空や、だれかが一緒であることに力(いきおい)を借りて、背中のネジをきりきり回してやらないと、ぽんこつおもちゃ(わたし)は、なかなか動き出さないのである。

▲さて。
わたしは母に持って行きたいものがあるので、先に家を出て買い物。つれあいとは「お昼」を各自デパ地下で調達して、駅のホームで待ち合わせすることになった。この日は2月とは思えない陽気で、一枚薄着の身もほんまに軽くて。母へのおみやげは何を買おうか、お昼は何しよか~と選んでたら、なんだか遠足気分でひさしぶりに、ほんまひさしぶりに弾むようなきもちになった。そして「なったこと」もうれしかった。

▲ホームに向かいながら(母の暮らしてるのもホームやから、ややこしいけど、待ち合わせの場所はプラットホーム)、そういうたら、むかしマンガ家デビューする前に旧友が、わたしらフウフの日常を描いてくれたんだけど、その中に「日曜なのにどこにもいかない夫婦」というのがあったなあ~とその絵を思い出して、くくくっと笑ってしまう。おーい友よ、見えてるか?わたしら今日は夫婦でお出かけやで~

▲駅ホームに行くと、ベンチでねっしんに本を読む痩せた白髪の老人が。へえ、めずらしいなあと思ったらつれあいだ。いやあ、歳とったなあ。いつも家の中でしか見てないから、こうして外でいる姿は新鮮だ。傍らには買ってきたお弁当の袋。
わたしは友だちとたまに外食もするけど、この方むかしから外食はほぼしない(てことは、つまり家で食べるということである)。こんなふうにお弁当買うなんて何年ぶりのことやら。
お互いに買ったもんを見せあって電車に乗った。

▲電車に乗ったら先にいた老紳士が席を立ち、端っこの席で爆睡中の女性に「もう終点ですよ」と教えてあげてはった。はっと顔をあげた女性は酔うてるのか赤い頬で。老紳士にあいまいに笑い返すとすぐまた眠りに落ち。時計見ると11時頃やったけど、朝まで飲んでたんかなあ~あの眠りっぷりからすると何往復かしてはるのかもしれない。
ふだん籠もってるから、たまに電車に乗るといろいろ刺激的だ。

▲やがて乗り換えの駅に着いて、近鉄特急に。この有料特急が最初走り出したのはわたしが小学生のときのこと(1965年3月)。楠トシエのCMソングのソノシートが家にあって何べんも聴いたから、今でも「特急」と聞いてぱっと浮かぶのはこのCMソングの一節。♪きんてつ、きんてつ、ヒュー~と歌にあるように、むかしはヒューっと早かった特急電車も今は停車駅がどんどん増えて、急行とあんまり変わらないんだけど。わたしにとっては、たまの外出たまの贅沢~それに母のとこに行くときはちょうどお昼がかぶるので、いつも車中でお昼をすませる。


▲この日も電車に乗るなり、フウフそれぞれのお弁当をごそごそ出して車内ランチ。ひさしぶりのお弁当が自分のイメージしてたのと、全然ちがう(つまりおいしくない)とつれあいはぶつぶつ言うてたけど、わたしのはおいしかった。たぶん彼が思い描いてるのはお茶が小さいコップ(蓋)のポリ容器に入ってたころ!の駅弁とおもう。
そら昔はお弁当屋さんも全部自分とこで拵えてはったけど、いまは卸売市場に行けば、あとは弁当箱に詰めるだけでOKというくらい、何でも加工品が売ってるわけで。それに当たり前のことだけど、それを「買う」と、売った人の儲けも値段に入ってるわけで。ほんまなやましい。

▲わいわいお弁当談義(いつものことながら食べ物の話になると熱が入る)のうちに最寄りの駅に着いて、母のホームに。母はデイサービスの日で隣の施設で昼食をすませたところだった。職員さんに連れてもらって初めてデイサービスの部屋に行く。ホールにはお雛様の段飾り~ああ、もうそんな時季やよねえ。
大きな食堂のようなところの丸いテーブルに4,5人の利用者の方たちと談笑する母の姿が見える。「○○さん」とスタッフに呼ばれて顔をあげる母。名字より家業の屋号で呼ばれることの多かった母にとって、でも、ここで母は「○○さん」なんやなあ~なんだか授業参観に来た親みたいな気分になって、ちょっと胸が熱くなる。

▲結局、デイサービスは早退して自室にもどることに。歩行器に身を預けるようにして、ゆっくりゆっくり建物間の渡り廊下を歩く。ぽかぽか陽気の中吹く風も春。隣の施設内保育所の砂場に積まれた赤や黄色のバケツがかいらしい。
「まあまあふたり揃うて、遠いとこよう来てくれましたなあ」「あれ?髪切ったん?」「朝から訪問美容院の人が来はって、パーマかけてもろたとこやねん」「どおりでべっぴんさんになってると思ったわw~」「ふふふ」
96になっても(と言うと「7月になったらな」と返ってくるのだが)ふさふさの白髪で。つれあいが「ぼくの方がだいぶ少ないなあ」と笑う。

▲しばらくして、ふたりの方が話しやすいだろうと気を利かしてくれて、つれあいは階下に。おみやげの桜餅の箱を開ける。ぷうんと桜の葉のよいにおい。「一個やと多い?半分にする?」と聞いたら「一個たべられる」と即答の母。
かつては桜も桜餅もあじわう暇もなく、忙しく忙しくしてきた母だけど、二年の間にここでの暮らしにも慣れてきたようで。それなのに突然「わたし、こんなゆっくり寝てばかりでええんやろか?」とさみしそうに言うたりする。「むかし寝足りなかった分、今はゆっくり寝たらええやん」と答えにならない答えを返す。

▲母の部屋~テレビの横には、旧友が描いてくれた満開の桜と、若い母が幼い弟をおんぶの絵。
なんども「せやけど、あのこがおらんようになって、さみしいなったなあ」と母は声をつまらせる。
わたしは母にみせたくて持ってきた封筒を取り出した。先月末わたしの誕生日にあのこから届いた手紙。
ずっと手製のカードだったけれど、今年はスケッチブックをやぶいたもので。むかしのエピソードのあと「春が待ち遠しいね。あったかくなったらまた会おうね」と綴られて。雪だるまとソフトクリーム(ウチの近くのおいしい店に又食べに行こうと話してたから)と珈琲カップ(京都に行ったら「あの喫茶店に~」と話してたから)の絵。それから、封筒の裏には黄色い菜の花!

▲しんみりしてたら、つれあいが戻ってきて桜餅をたべる。ふたたび桜の葉のにおいが部屋にひろがって。いとおしいようなしあわせなきもち。
階下で本を読んで、外で煙草を吸ってきたというつれあいに「○さん、まだ煙草吸うてはりますの?ああ、わたしも死ぬとわかったらもういっぺん吸うてみたいわ」と母が言い出して。「ほな、おかあさんが死なはるときに、ぼくが煙草吸わせてあげますわ」とつれあいが返して大笑い。

▲今月二週間近く入院していたのが信じられないほど、母は話すこともしっかりしていて。「おかあさん(お別れは)まだまだ先やなあ」と冗談も言うて。「ほな、またな」とハグして手をふって。おたがい笑顔のうちに部屋をあとにした。
帰りは急行で。爆睡のうちに終点に着いた。(わたしはちゃんと降りました!)

*追記
その1)
この日のおともは冬がくるたび何度も読み返してる『冬の本』(夏葉社2012 年12月刊)読むたびにあたらしい発見やよろこびのあるだいすきな本。小林エリカさんの「冬、春、冬」は、「生きるの大好き冬のはじめが春に似て」という池田澄子さんの俳句から始まります。そしておわりもまた池田澄子さん。
《けれど、それでいて、おなじ冬の日は二度来ないし、もうないのだと思うと、暗くて陰鬱な日でさえ、その暗さと陰鬱さをもってなお愛おしい。そうして、冬を慈しみながら、必ず訪れる、春を待ちたい。
「風邪声のミモザが咲いていたと言う」
「いつか死ぬ必ず春が来るように」 》


その2)
楠トシエさんやボニー・ジャックスのうたう近鉄特急のCMソングの歌詞(作詞作曲 三木鶏郎)あらためて聴いてみると、
「パパの電車は近鉄で、毎朝お出かけ元気よく いってらっしゃい おみやげね 早く帰って近鉄で」「ママの電車は近鉄で ちょっとお出かけお買い物 きっと近鉄デパートで パパが帰る夕方まで」とあって。
この歌詞における1965年(昭和40年)頃の「パパとママ」の役割分担に苦笑。


その3)
このかん、本もけっこう読んだのですが。ことばにできず。またそのうちに書きたいです。今日はこれを聴きながら。じきに来る春にかんぱい。
「春は夜に咲く」- 踊ろうマチルダ

by bacuminnote | 2019-02-28 16:30 | 出かける