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いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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「わたしを呼んでいるような気がした」

▲ようやく大型連休(とやら )が終わって、ほっとした。とりわけ4.30~5.1の世間のはしゃぎように、ネットでその様子を見聞きして、ため息をつき、いや、それにしても、と改めて考えこんだりしながらも、いつもと変わらない時間を過ごしてたんだけど。
買い物に出たらショッピングセンターで「新しい時代の幕開けを共に祝いましょう」という場内アナウンスが流れてきて。思わず足がとまってしまった。

▲ふと目の前のショップの壁を見ると、この間までの「○○最後のセール」の貼り紙は「○○初セール」へと、書き換えられているのだった。
なんだか街全体が「ゆく年くる年」的ふんいき。積み上がった問題各種も一気にリセットできるかのように、気分先行で盛り上がってる/盛り上げられてる感にうなる。そしてこの空気が落ち着いたころ、人々の関心は次の(これまた仕掛けられた?)新しいトピックスへと移ってゆくのだろか。

▲そんなこんなで気持ちがダウンしたり、春だというのに冬のようにつめたい雨が降ったり、それゆえ足が不調やったり、と落ち着かない日がつづく中「母入院」の知らせがあり(じき退院予定です)。2月以来のきもちの揺れもあって、しぼんだ風船状態だったけど。
毎日歩く駅までの道~街路樹(ゆりの木)の無残に切り落とされた短い枝にも、若い葉っぱが日ごとに増え大きくなって。そのきれいな緑たちに新鮮な空気ふきこんでもろて、風船はいつものようにまるくなった。おおきに!

▲さて。
今朝起きて珈琲を淹れようとお湯を沸かしてる間に、何気なくyoutubeおすすめ動画?で生物学者 福岡伸一氏の『福岡ハカセの本棚』発売記念トークセッション/2013年 というのを観たらおもしろくて、お白湯をすすりながら(つまり珈琲は後回しにして)最後まで。
福岡氏は虫と本が友だち、というようなこども時代だったそうだ。ゆえに当然のように図書館通い。ふつうに開架から始まって、つぎは書庫、やがて赤い「禁帯出」のシール付きの本がならぶ参考図書室へとテリトリーを広げる福岡少年。

▲当時小学校2~3年のこの少年が好んで読んでいた本は《「日本十進分類法」によると「自然科学」の400番台、さらに好きだったの460番台の「生物」だった》とか。おたくやなあ(笑)
日本十進分類法といえばわたしが思い出すのは、小学校の図書室だ。そのころ公立図書館は電車で小一時間ほどかかる所にしかなくて(しかも、当時そこは「こどもが行ってもよい場所」という認識さえもなかった気がする)小学高学年になってようやっと、学校に待望の図書室ができたのだった。

▲さっそく図書委員になったわたしは(たぶん嬉々として「りっこうほ」した・・)一番興味深かったのが、初めて知るこの「日本十進分類法」で。
それまでの教室の学級文庫の本にはなかった分類シールの数字に、本の番地みたいやなあ、とわくわくしながら書架整理をしたことを思い出す。この図書室では代本板(だいほんばん)という名前の書いた板を、借りたの本のあった場所に代わりに棚に入れてたんだけど、わたしの代本板はたいてい90の棚だったっけ。

▲ある日、福岡少年は図書館内で美術書や大きい本、高価な本の並ぶ参考図書室という所にふと入る。そのころの彼は美術書などにまだ興味がなかったし、図書館の本はキホン函やカバーが取り払われるから、本の佇まいがわからない。ところが一冊見慣れない青い背表紙の英語のタイトルの本が目にとまって。
曰く「わたしを呼んでいるような気がした」
こどもだから当然英題はわからないけど、開いてみたら日本語の本で、なんと1頁目には少年が夢にまでみたニューギニアの高地にしかいない世界最大の蝶「アレクサンドラトリバネアゲハ」の絵が大きく現れたのだった。

▲このとき少年は「膝がガクガクするくらいの感動を覚えた」そうで。いまのように情報が簡単に手に入る時代やなかったから。アマゾンの奥地の青く輝くモルフォチョウや、アフリカの赤い大地をうつした蝶・・と、世界中の美しい蝶たちが本物の標本から原色原寸大で列挙されているこの本は、昆虫少年にとってまさに夢のような一冊だったのだろう。以後少年はこの参考室に日参。ただ残念なことに「禁帯出」本で借りることができない。そのかわり「他のだれにも持って行かれることはない」と安堵したそうで(笑)。

▲それでもやっぱり欲しくて(そりゃ、自分の手元に置いておきたくなるよねえ)小学生にしたら高価(6000円)だったが本屋さんに走るも「絶版」と知らされて。「絶版」の意味を学ぶことになるんだけど。思い余った福岡少年、ついに著者の黒沢先生に「本をお持ちでしたら売ってください」と手紙を出す。この熱情!すきってすごいパワーやよね。

▲そうすると黒沢先生、すぐにお返事くださったとのこと。ただ先生の元にも余分はなくて、古書店で入手するしかない、と。(この本をめぐるエピソードはまだ続きがあるんだけど。このへんにします。たぶんこの本です→)いやあ、こういう本とのシアワセな出会いの話、いいなあ。劇的なであいは そうそうないけど、「わたしを呼んでいるような気がした」瞬間というのは、ときおりあって。本をめぐる小さなよろこびは日頃からあって。
せやからね、ネットショップは便利だけど、やっぱり本の集まってる場所~図書館や書店がええなあと思うし好きです。



*追記
その1)
そういうたら、以前わたしも「著者」に手紙を書いてお返事をもらったことを思い出しました。もうずいぶん前のことだけど、ここに書きました。


その2)
最近読んでよかった本。
『食べるとはどういうことか』(藤原辰史著 農文協刊)この前書いた『給食の歴史』の著者によるもので、12歳~18歳の中高生と藤原センセ(著者)との「食と農と哲学」のゼミナール。対談記録になってるので読みやすい。それに考える種がいっぱい詰まった一冊。おすすめです。

『小児科の先生が車椅子だったら』(熊谷晋一郎著 ジャパンマシニスト社刊)
表紙カバーの写真は、小児科医で車椅子ユーザーの熊谷晋一郎氏に女の子が黄色い紙を貼り付けてる写真。ふたりともとてもいい笑顔です。何してるとこの写真かなあ?と思ったら・・・。

熊谷氏が会場のこどもらに「障害って、どこにあるんだろう?」と問いかけます。
「熊谷の体をよく見てください。ふつうとちがうところはどこでしょう」「ここがふつうじゃない」ってところを黄色い紙に書いて、私の体に貼ってみて~というところの一場面の写真だったのでした。

つぎは会場のなか「熊谷さんだったら使えないだろうな」と思う場所に、こどもらが黄色い紙を貼ってゆきます。
そんなふうなやりとりから、体の中にある障害(医学モデル)や、会場の段差、階段やトイレが狭いなど、体の外にある障害(社会モデル)を考えてゆきます。
あらためてカバー写真を見てみると、そのときのええ感じの空気が伝わってくるようです。そして、こどもらの目、指摘にはっとしたり。三章の「障害と競争と依存の関係」もとてもよかった。この本もまた「考える種」がいっぱい。ぜひぜひ。おすすめです。


その3)
読み始めた本~『天皇制ってなんだろう? あなたと考えたい民主主義からみた天皇制』(宇都宮健児著 平凡社2018.12刊)
~まだ読了していないので感想はまたそのうち書こうと思っていますが。この本は「中学生の質問箱」シリーズの一冊らしく、最初のページに書かれた中学生へのメッセージに50年前の中学生!も頷いてます。曰く、私たちの生きる社会は複雑でわからないことだらけだけれど
《そんな社会を生きるとき、必要なのは、「疑問に思うこと」、「知ること」、「考えること」ではないでしょうか。裸の王様を見て、最初に「おかしい」と言ったのは大人ではありませんでした。中学生のみなさんには、ふと感じる素朴な疑問を大切にしてほしい。》

「疑問に思うこと」「知ること」「考えること」は教育の基本でもあって、それは何かのたびに繰り返し思うことで。前述の福岡伸一さんのこども時代のように、特別すきなことがあって、そのために自然に本とであって、知識を得、そこから考えを深めてゆくのは理想的だけど。

たとえば、同じもの見ても、同じ道歩いても、見えるもの、感じるものは、各自微妙に(いや、時には大きく)ちがっていて。感動する子も、無感動な子も、疑問に思う子と特に何にも思わない子がいるわけで。これはこどもだけじゃなくて大人も同じ。どうしたらこの3つのことが身近になるのか、と考え込みます。いや、それを身近なものにしていくのが教育かも・・と堂々巡り。

が、とにもかくにも。大きな力を持つものに騙されたりごまかされたりしないように、大きな流れに流されてしまわないように。歳とってきて「めんどくさい」が口癖になってるわたしですが、この3つのことは手放さないようにしなければ、と強く思う今日この頃です。


その4)
長くなりました。とうとう書けずじまいのことも(映画)あるけど、このへんで。今日はこれを聴きながら。
Woody Guthrie - So long it's been good to know you

by bacuminnote | 2019-05-10 23:02 | 本をよむ