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いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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おいしいもんが ほんまにおいしそうに。

▲鯵の開きを焼く。ガスグリルの前で、丸椅子に腰掛けて火の番しながら本(『画家のむだ歩き』牧野伊三夫著)を読む。きょうは朝から外はくもり空。だいどこの5cmほど開けた窓から入る風がひんやりするから、グリルの前の席はええかんじに温い。

▲べつにご飯作りがきらい~というわけではないんだけど(とくべつ好きというのでもない)買い物して、食べるもん拵えて、食べて、洗って、片付けて・・。ねてもさめても、毎日食べることばっかしやなあ~となんか突然いやになるときがあって。

▲そんなときは、食材を前にしても何作ったらいいか、献立がちっとも浮かばず。迷いに迷った末にサラダにサラダ風とか、汁物に汁物的なものになったり、ね。味付けも何度もやり直したりして。「わたし、これ、何作りたかったんかな?・・」と、わけわからなくなって。あげく家族に「今日のはソーサク料理か?(笑)」なんて茶化されたり。ふだんなら「新作や~」と笑って返すところが、イカリがばくはつしてしまうんだけど(苦笑)こういうときはあとで、何にたいして怒ってたのか?と考えても、答えは出てこない。

▲だけど、今日のようにゆったり火の番してるみたいな時間は「わたしってだいどこに居るのがけっこう好きかもなあ」という気がしてきて。そうだ。魚焼いてる間に、三度豆あったん胡麻あえにしよか、小松菜の余ったのにお揚げさん刻んですまし汁にしよか~とか思って、からだが自然に動くのも きもちいい。

▲そういえば、前に読んだこの著者の本『かぼちゃを塩で煮る』も、台所での話が多かったっけ~と以前ここに感想を書いたなあと検索してみたら、なんとブログタイトルが「ねてもさめても」で、苦笑!
今読んでいるこの本は画家である著者が、仕事を兼ねたり兼ねなかったりしながら、あちこちに行っては、ときにぶらりと当地の銭湯に入り、居酒屋に寄ったり、飲んだり食べたり、拵えたり、友だちと、知らんひとと、語り合い。そして絵を描くことのエッセイだ。

▲北海道から九州、マダガスカルに、スコットランド・・とこの縦横無尽な「そぞろ歩き記」は、著者のお人柄とそのゆったりした筆致でたのしくて、出てくる食べ物みなほんまにおいしそうで。ああ、わたしもどっかにふらりと出かけて、食べたり飲んだりしゃべったりしたいなあと思う。

▲「炭火」というエッセイに、なんだかほっとする思いがしたのは、ガスとはいえ魚の開きを焼きながらの読書だったからだろか。かつて信州で薪ストーヴという「火」のそばでの暮らしを思い出したからだろか。
画家である著者が、仕事柄不規則な生活になりがちだけど《無理をせず一日一日区切って仕事をしたい》と、絵筆をもっていても《太陽が西の空に落ちて薄暗くなってくる。やがて絵具の色の区別がつかなくなってくると、筆を置く》という生活をおくっているらしい。読みながら、ほんまに食べることを楽しんではるのが伝わってきて、ええなあ、ええなあとうれしくなってくる。

▲たとえばこんなふうだ。
《アトリエを出ると、妻と夕食の支度をする。夕食は一日のなによりの楽しみで、実はもう日が傾き始めた頃から、この時間が待ち遠しくて仕方がない。朝、前菜からデザートまでの献立を決め、紙に書いて台所の壁に貼っている。魚や青菜などは新鮮なものを買いに行くが、だいたいは家にあるもので考えた簡単な献立である。
煮物でもスープでも、欠けている材料があっても気にせず、「無きゃ無いなりに何とかなる」と、田舎のおばあちゃんのような料理をつくることが多い。
食事の支度は、まず七輪と火鉢に炭火をおこすことから始める。テーブルの傍らに炭火を置いて、網でパンを焼いたり、やかんで酒の燗をつけたりしながら食べるためだ。》(p208)

《実はもう日が傾き始めた頃から、この時間が待ち遠しくて仕方がない。》というところに、おもわず頬がゆるむ。こんなふうに「食べる」ことをたいせつにたのしみに思えたらいいなあ。

▲添えられた絵がまたもうひとつの物語のようでたのしく。旅してるようなきもちになる。
なつかしい松本や京都の知ってるお店の話も出てきて。
こんな話はだれよりも伝えたいひとがおり。旧友jの不在がしんそこ寂しい。
と、しんみりしてたら、なんとネットで作家の田辺聖子さんの訃報。ああ、どんどんいろんなひとが遠いとこにいってしまう。

▲そういえば、田辺聖子さんの小説やエッセイにも、食べる、飲む、料理する場面がよく出てくるんよね。そして、おいしいもんが、いつもほんまにおいしそうに登場する。だいすきです。
いつだったか、インタビューでそのことを指摘されたお聖さんが《「読者のお腹、空かしたろ」って思って書くもの(笑)》と応えてはって。その文字の間からいつまでも変わらない少女のように「ふふふ」と笑う声が聞こえてきそうだった。

▲テレビを観なくなって久しいのだけれど、田辺聖子原作・原案の連続ドラマ『芋たこなんきん』の頃はまだコンセントもつないでいて。お聖さんと思われる作家「花岡町子」を藤山直美(すき)が、夫「カモカのおっちゃん」を國村隼が演じていたのもとても好ましく、毎回たのしみに観ていた。やっぱりわいわい、にぎやかに食べたり飲んだり、だいどこでの場面も多かったっけ。
じつはこのドラマにはもうひとつ思い出があって。ちょうど放映が終わったすぐあとにわたしは、その昔お聖さんも在校していたことのある大阪文学学校に週一回、一年間通ったのだった。

▲入校をきめたのは、このドラマに触発されて、というのではなくて別のきっかけがあったんだけど。4月に一日体験入学というのがあり、わたしは迷った末その最終日にすべりこみで行ったんよね。そのときの学校説明のお話の折、このドラマ『芋たこなんきん』の中に登場する文学学校(らしき教室)のいち場面をVTRで流してたのを思い出す。(NHKアーカイブスの動画の中にも出てきます→)わたしの通ったガッコは、お聖さんの頃からは場所も移動してたみたいだけど。いわゆるカルチャースクールの華やかさもスマートさ?からも程遠く、ぶこつというか、大学の古い部室のような教室「組会」(とクラスのことを呼ぶ)での合評の熱い濃い激しい(苦笑)時間がなつかしい。

▲そうそう、このドラマの終盤だったと思うんだけど、将来のことで悩む娘(カモカのおっちゃんの亡き妻との間のこども)が、町子に「どうしてそんなに大変な思いをして書き続けるの?」というような質問をすると「おもしろいものはそんな簡単に手に入らへんものよ」と町子が応えるんよね。(台詞はうろ覚え)
さらりと言うてはったけど、深いことばだと思う。その後もつまづくたびに思い出すだいじなことばです。

▲もうひとつ、忘れられないことばがあって。それは田辺聖子さんが「カモカのおっちゃん」と呼ぶおつれあいが亡くなられる少し前~病室でのエピソード。( 『残花亭日暦』田辺聖子著 角川文庫刊)。
当時はおっちゃんの看護、お母さんの介護、家事、作家として忙殺される日々。日々奮闘して疲労困憊のお聖さんにカモカのおっちゃんがベッドから言わはったということば。おっちゃん、やさしなあ。ええご夫婦やったんやなあ、とあらためて。
「かわいそに。ワシは あんたの 味方やで。」

▲お聖さんがおっちゃんを見送った翌年刊行の随筆集『人生は、だましだまし』には《夫婦円満に至る究極の言葉はただ一つ『そやな』である。夫からでも妻からでもよい。これで世の中は、按配よく回る》とあるそうで。(朝日新聞「天声人語」2019年6月11日にて読む)ウチのフウフがときどき按配よく回らへんのは(!)おたがいに「そやな」と言わないとこにあるのかも~と、苦笑。(そんなわたしらもじき40年!)
お聖さん、小説も随筆も、いっぱいたのしませてもらいました。rest in peace~



*追記
その1)
読んだ絵本。『ダーウィンの「種の起源」 はじめての進化論』(サビーナ・ラデヴァ作・絵 福岡伸一訳 岩波書店刊)地球に生きものがうまれてから、微生物、植物、動物たちが何百年と、気の遠くなるような年月をかけて、ゆっくり姿を変えてきた過程。様々な性質や見かけを身につけ生き残ってきたもの、一方で環境に適応できずに絶滅してしまうもの。

この歳になるまで知らなかったこともあって。帯にある訳者の福岡伸一氏の「子どもはできるだけ早く、大人も遅すぎることはありません」にうなずく。ちいさいひとに、おおきいひとにもおすすめの一冊です。
そしてわたしは作者にも興味をもちました。絵も文も書いて(描いて)はるサビーナ・ラデヴァさんはドイツの研究所で分子生物学を学び修士号をとった翌年科学の世界を離れて芸術家になることをきめ、科学とアートを結びつけるような仕事に情熱をかたむけている、そうです。
このHPもとてもすてきです。→Sabina Radeva

福岡伸一氏の訳者よりという文章(とてもよかった!)がここで読めます→

そうそう。この「訳者より」に「現在知られている生物の種類はおよそ数百万種。実はこのうち半数以上は昆虫です」とあって、びっくり!


その2)
ドキュメンタリー『世界で一番ゴッホを描いた男』~ゴッホの複製画をもう20年も書き続けてるシャオヨンが、初めて本物のゴッホの絵画を観にアムステルダムを訪れるんだけど。画廊に飾られていると思ってた自分の絵が土産物屋で売られていることを知ってショックを受けるのですが。
そして「本物」を前にしたときの彼の衝撃や苦悩、決断~ シャオヨン一家の暮らす中国 深圳市大芬(ダーフェン)という街は世界最大の「油画村」として知られ、まち全体が複製画制作をして、約1万人の画工がいるそうです。おすすめです。


その3)
きょうはだいすきな”ラストワルツ”の中のこれを聴きながら。ああ、この方もこの間亡くならはったのです。R.I.P. 
Dr. John - Such a Night→

そして、これは彼のセカンドライン (second lineとはニューオーリンズの葬儀のパレードだそうです)のようす。たのしそう。温かくていいおみおくりやなあ。
Dr. John gets a second-line sendoff in the Treme→
by bacuminnote | 2019-06-11 21:51 | 本をよむ