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いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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雪降る夜に。

▲風は冷たかったけれど、透き通るようなベビーブルーの空がきれいな日曜日。足踏みしたり手をこすり合わせたりしながら、庭の隅っこの枝垂れ梅の下でしばらく空を仰いだ。
幾重にも垂れ下がる細い枝からこぼれ落ちそうな紅い蕾はマチ針の先っぽみたいで。寒い冬の最中にぽっと灯るちいさなあかりみたいで。しみじみと愛らしい。
ていうか、これ、去年もその前の年も書いてた気ぃするけど。
毎年同じものをおんなじきもちで眺めてられるのって、シアワセなことかもしれんな~と思う。コロナ禍のこんなときやからか。いっこもええ話聞こえてこんからか。わたしが歳をとったからか。

▲このあいだ旧友に電話をかけた。
年に一回お互いの誕生日に「おめでとう」と電話し合う友だち~ひとつ年上ながら十代からのつきあいやから、もう50年になる。
一足先に進学して京都暮らしだったこの方に、帰省のおりに新譜を買ってきて、とたのんだり。そうだ。忘れたらあかんのはわたしの受験のとき、下宿が近いからというて朝からお弁当作って試験場まで持ってきてくれたこと。(ざんねんながらこのときは不合格。わたしはすべったショックより、応援してくれていた友に申し訳ないきもちでいっぱいだった)。

▲「おめでとう」のあとは「そうそう、この間なあ・・」と一気に学生気分で(その後はしっかりおばちゃんの)長話が始まるんだけど。わたしの誕生日はわずか3日後に控えており(苦笑)まずは彼女への電話のときに大まかな一年ぶんの近況報告となる。
で、たいていはつれあいへの愚痴やら!日々のちいさなできごとを笑いながらしゃべって。
去年はわたしの親友jと彼女のお母さんが旅立たはった報告会となったっけ。

▲そして今年はおもいもかけず、彼女が夏に(二度目の)手術をしたことを聞いて、しゅんとする。「あ、けど手術も大成功とセンセが言うてはったし、術後も問題ないから大丈夫」と、明るく話す様子にちょっとだけ安心。それでも日頃からがまん強くて、めったに弱音を吐かない彼女が「けど、クミちゃん、何べんも病気するっていうのは、なかなか大変なことやわ~」としみじみ言うので、それまでの明るい声のうしろにある(あった)一年間のしんどい時間を思って胸がいたい。
とはいえ、ふたり泣きべそかいて声つまらせてた次の瞬間にはもう、学生時代のあほな思い出話に大笑いして。いつものとおり「ほなまたな」と電話を切った。お互いにこれからもぼちぼち元気でいて来年も再来年も、ずっとずっと「おめでとう」の電話がたのしくできますように。

▲誕生日といえば、忘れられないのが信州暮らしだった28年前のその日の夜のこと。しんしん雪降りしきる中つれあいの運転する車の助手席で唸ってたわたし。その大きなおなかには13年ぶりにわが家に登場の赤ん坊が出番を待っており。
そうかぁ~この子はわたしと同じ日に生まれるってことやなあ~けど、ハハと誕生日が一緒って、こどもにしたらどーなんやろ?もしかして恨まれる?とか想像しつつおなかをさすってた。

▲ヘッドライトに照らされた真っ白な道も、フロントガラスに一斉に向かってくる雪の粒もそれはきれいで、カーステレオから流れるストーンズを聴きながら、わたしは痛みの波の合間ちょっと映画の主人公の気分だったんよね。
傍らのひとはといえば、お産で病院にむかう夜中の雪道ってことで真剣な顔つきで。
慎重にゆっくりゆっくり走る車~しかし病院が近づくにつれ、なぜか徐々に引いていく陣痛。やがて無事病院に着いたときには、すっかり何事もなくなっていたのであって。

▲病院は雪がないときは車で20分くらいの、村で皆いうところの「まち」にあり。よそから越してきたわたしらにはどちらも田舎に思えたけれど、当時は「まち」の人らに「開田から来た」というとたいてい「山奥から」という反応があって。その夜も「今からこの雪の中まさか開田村まで帰れ~とは言えないもんねぇ」と看護師さんに笑われながら、結局わたしだけ病室で一泊となったわけで。

▲そうしてわが家のニューフェイスはハハの誕生日ではなく、月が変わって数日後~やっぱり雪がしんしん降り積もる夜に登場することになったんだけど。
そんなことをつらつら思い出していたのは先日『父と子の絆』(島田潤一郎著 アルテスパブリッシング2020年刊)という本を読んだから、で。島田潤一郎さんは夏葉社(ファンです)という出版社をひとり立ち上げて、よい本を次々出版、全国ひとりで走り回ってはる方なんだけど。(この方のことは2014.8.29ブログにも書きました→
今回はご自身の夏葉社からではなくべつの出版社から、本の話というより初めてのお子さんが生まれたあとのお話。

▲38歳の島田さんと40歳のおつれあい。《お互い子どもができたらいいなとは思っていたが、本当にできるとは思っていなかった》(p13)そんなおふたりが、親になって考えたことやあったことが、はじめてのこども(息子)とその後うまれた娘のことと共に綴られるんだけど。本にでてくるのは特別なことでもなく(もちろん当人にとって、そのときそのとき、とても大きいできごとなんだけど)こどもを生み育てる間にはたいていの親や保護者がたぶん経験することでもあり。

▲加えて、わたしなんて、先に書いた雪の日の子!からじき28年、上の子に至ってはもう40年も前のことだというのに。本を読んでいて、終始ハラハラ胸がくるしかったり、ああよかった、と胸をなでおろしたりしたり。文字通り泣き笑いの一冊だったのは島田さんの文章に(というか島田さんご自身に)うそがないから、とおもう。
目のまえに誠実に開かれた扉の前では、読むひともまた自分の扉をしらんまに開けているんよね。

▲そしてわたしらにも、たしかに、幾度となくあった迷い、揺れるきもち、「(あのときの判断は)ほんまにあれでよかったんやろか」と思い出したりもして。
2章の「風邪」には息子さんの「そうちゃん」が風邪をひいたときの話があって。ある日かかりつけの病院帰りに、通りがかった島田さんのお母さんと話している間に、自転車の後ろに座ってたそうちゃんが白目をむいて、みるみるうちに顔が土色になったそうで。
《ぼくは、息子が死んでしまうのだと思った。三年と八ヵ月しか生きなかったのに、ぼくの元から去り、いま、神に召されようとしているのだと思った》(p127)とあって。どきどきした。

▲ウチの息子1(ウチも「そうちゃん」)も二歳になる前におなじような経験したことがある。
その日は用事でジッカに帰ってたんだけど、風邪っぽくて熱があったので、母のすすめで「念のため」と近所の小児科で診てもらった。「ちょっと喉が赤いだけ。風邪ですなあ」とセンセが言わはって、ほっとして帰宅。夕飯もしっかり食べて、食後は母にいただきもののメロンを食べさせてもらって「おいしかったっ!」とわたしの膝の上に乗ってきてたんだけど。ふとみたら白目をむいて腕をピクピクさせてたんよね。

▲そのときわたしも島田さんとおなじようなことを一瞬思って。でもそう思った直後に「そんなこと肯定したらあかん!」と、たった今自分の思ったことを消しゴムでごしごし消してしまいたい気持ちで。そして母に救急車をたのんだ。母は母で、オロオロしながら近所に碁を打ちに行ってた父に知らせたりして。が、救急車はなかなか来なかった。仕方ない、うちの車で病院に行こうかと~大人四人がわあわあ話してる間に、息子はおっきな声で泣き始めたのだった。

▲いまだに母(97歳)は「そうちゃんのあのときはほんま怖かったなあ」と言うてる。わたしも本読みながら「あのとき」の恐怖と長い夜を思い出しながら、島田さんちの「そうちゃん」もほんま無事でよかった、と胸をなでおろす。

《結果からいうと、白目をむいたことさえ、たいしたことではなかった。息子に起こった症状は「熱性痙攣」といって、十人に一人の子どもが経験するという。医者の話によると、十分間意識が戻らなければ救急車が必要だが、それを初めて経験する親がそうした分別をもつことは難しい。とくに熱性痙攣の知識を持っていなければ、混乱することは必至だという》(p128)

▲島田さんとは当然のことながらわたしの子育て期と時代のちがいや、つれあいやわたしなら最初からnoやな、とおもう場面もあったんだけど。それもまた個性であり、多数派/少数派という線引きやなく、自在に考えて行動してる様子がええなあとおもった。
何より、どの文章からも会ったことのない島田ファミリーの声が(それはシアワセいっぱいの笑い声だけやなく)聞こえてくるようで。沁みた。

▲「そうちゃん」が某幼稚園の面接に落ちたとき、島田さんは思う。《言葉がほかの子たちより劣ることも個性であり、親から引き離されて大声で泣き叫ぶこともまた、かけがえのない個性だろう。多様性というのは、そういうことなのではないか。
大人になっても、つらいことがあったら、大声で泣く。息子には、そんな大人になってほしい》(p139)

▲199頁の本だったから、一回目はすぐに読みおえたけど、もういっぺんもういっぺんと繰り返した章もあり。そのかん件の「熱性痙攣」のエピソードには、わたしの育児日記を取り出して読み返してみたり(当時わたしらや両親がいかに大騒ぎしたかがよくわかって汗かいた。けど、本文中にでてくる医師の《それを初めて経験する親がそうした分別をもつことは難しい》《混乱することは必至》に、今更ながらすくわれた思い)つれあいとそのころ(つまりわたしらが若かったころ)の話をしたり、そして話をしてる間にいろいろ思い出して!けんかしたり(苦笑)
ゆっくり考えたりしつつ、ほんまええ読書の時間になって。読後は、ふたりの息子にありがとうと言いたいきもちになりました。

《こどもはいまの力でいまを生きる》(浜田寿美男)





*追記
その1)
『父と子の絆』文中にでてきた《言葉がほかの子たちより劣ることも個性であり》というところで、思い出したのが上記最後に書いた『親になるまでの時間』p52 前編 浜田寿美男著 ジャパンマシニスト2017年刊)の一文で。

《ことばは人間の自然で、植物のように下から育つもの。そういうイメージで考えるのがいちばんいいのではないかと私は思っています。そうだとすると、土から生える草花はまさに千差万別、伸びた背丈を隣とくらべて、どちらが高いとかを競うのは愚かなことです。わが子のことばが生活にしっかり根を下ろし、周囲に枝葉を広げられるようにするためには、こどもがそのときの手持ちのことばを十分に使って、周囲とコミュニケーションする喜びを味わうこと。それ以外のかたちでことばが育っていくことはありません》(p51)

子育てのさなかにある人にも、わたしみたいにとうに離れた人にも。いや「自分の」こどもがいる、いないに関わらず、ひろく何度でも読んでほしい一冊です。



その2)
で、今年も誕生日はやってきて、またひとつ大きくなりました(苦笑)。
「なき友は今日から年下りんご剥く」(2020)
あのこより2つも年上になる日が来ようとは~来週7日はあのこ(うらたじゅん)が遠いとこに行った日。もう2年も会うてへんよ!



その3)
きょうはあの夜の雪道をおもいだしながら。ストーンズ。
Rolling Stones-Wild Horses 
by bacuminnote | 2021-01-31 18:42 | 開田村のころ