2014年 06月 19日
わたしのよしの。 |
▲ 夕ご飯の後、たいていはその勢いで 食器さっさか洗って拭いてざーっと後片付けをしてしまう(この「さっさか」「ざーっと」ゆえ、かつて息子2が食器拭き係やった頃「おかあ、汚れ落ちてへんで」と戻されたことがよくあった・・)。今は相方と二人やし、食事内容もシンプルやし(苦笑)そんなに時間もかからないし。
で、あとは寝るまでゆっくりする。
で、あとは寝るまでゆっくりする。
▲早い夕飯のあと、少しづつ空の色が濃くなってゆくのを窓越しに眺めつつ、すきな音楽聴きながら本を読む(あるいはDVDを観る)だいじな時間だ。窓を閉めきってた冬には聞こえなかった街の音が、夕方のひんやりした風といっしょに入ってくる。たまたまモノレールが走ってゆくのに気づいたときは、つい立ち上がって窓辺にはりついて。わたしが電車に乗った時そうするように、車窓から誰かこの家の灯りを見てるかなあ~と、手を振りたいような気分になる。
▲ 日曜日、思い立って吉野に行ってきた。
先週くらいから、久しぶりに行こうかな~と思いながら、電話で母のようすをそれとなく伺い、よろこびそうな物をちょっとづつ買いためてみたり。相方の予定を聞いてみたり。そんな「準備」ができたら前夜に「明日行こうかなって思ってるねんけど」と電話してみる。そうして当日朝、電車のホームから「今から乗るし、ね」と伝えて。なんか まどろっこしいけど。あんまり早い約束は時間までに母がくたびれるのがわかってるので、これくらいがちょうどいいように思う。
▲この間『父の生きる』(伊藤比呂美著・光文社刊)を読んでたら~あ、これはカリフォルニアに住む詩人の伊藤比呂美さんが熊本でひとり暮らしのお父さんを、遠くアメリカと日本を何度も行き来し、いろんな人の助けを得ながら介護する三年半の記録なんだけど~こんな一節があって頷く。
▲ 日曜日、思い立って吉野に行ってきた。
先週くらいから、久しぶりに行こうかな~と思いながら、電話で母のようすをそれとなく伺い、よろこびそうな物をちょっとづつ買いためてみたり。相方の予定を聞いてみたり。そんな「準備」ができたら前夜に「明日行こうかなって思ってるねんけど」と電話してみる。そうして当日朝、電車のホームから「今から乗るし、ね」と伝えて。なんか まどろっこしいけど。あんまり早い約束は時間までに母がくたびれるのがわかってるので、これくらいがちょうどいいように思う。
▲この間『父の生きる』(伊藤比呂美著・光文社刊)を読んでたら~あ、これはカリフォルニアに住む詩人の伊藤比呂美さんが熊本でひとり暮らしのお父さんを、遠くアメリカと日本を何度も行き来し、いろんな人の助けを得ながら介護する三年半の記録なんだけど~こんな一節があって頷く。
《「こんどあんたがこっちに来るときはさ」と父が言った。
「こうやって早いうちにいつ来るって教えないでさ、おれに言わないでおいて、明日行くよって突然言うようにしてもらいたい。そうでないと、いつ来るって知ってから、待ってるのがばかに長くってしょうがない」と。》(2012.3.27 カリフォルニア)
もう誰かのところに行くことはなくなって、誰かが来るのを待つ時間、というのは長いんやろなあ。
▲さて、 "ハルカス"で湧く日曜日の天王寺周辺のものすごい人の波の中をぬけ、例によってデパ地下であれやこれや買って特急電車に乗り込む。
通路挟んでわたしの横は70歳くらいのご夫婦らしきカップル。まだお昼にはだいぶあるのに、手作り風のお弁当をひろげ、缶酎ハイを開け、盛り上がってはる。
ときどき二人声あげて笑ってほんまに楽しそう。それにしても、あの年頃で途切れることなく話してる夫婦って、ええよなあ~と、聞くともなしに笑い声に耳を傾けてたんだけど。
もしかしたら恋人同士なのかも。いや、それなら尚よし。ええ休日を!と降りるときもなんか話して笑いながら、二人並んで歩く後ろ姿をみながらおもう。
▲ やがて、わたしが降りる駅に着いて。いつものことながら駅に降り立つと、緑のにおいがつめたい山の風にのって、からだの中を通りぬけてくようで。「ああ、帰って来た」と思う。
単線の長閑な駅だけど、むかしは駅前から大台ケ原(■)行きのバスが出ていて、大きなリュックを背負った登山客も一杯やったんよね。駅前には売店に食堂も何軒か並んで、今からは想像できないくらいに賑わってたのになあ。
「こうやって早いうちにいつ来るって教えないでさ、おれに言わないでおいて、明日行くよって突然言うようにしてもらいたい。そうでないと、いつ来るって知ってから、待ってるのがばかに長くってしょうがない」と。》(2012.3.27 カリフォルニア)
もう誰かのところに行くことはなくなって、誰かが来るのを待つ時間、というのは長いんやろなあ。
▲さて、 "ハルカス"で湧く日曜日の天王寺周辺のものすごい人の波の中をぬけ、例によってデパ地下であれやこれや買って特急電車に乗り込む。
通路挟んでわたしの横は70歳くらいのご夫婦らしきカップル。まだお昼にはだいぶあるのに、手作り風のお弁当をひろげ、缶酎ハイを開け、盛り上がってはる。
ときどき二人声あげて笑ってほんまに楽しそう。それにしても、あの年頃で途切れることなく話してる夫婦って、ええよなあ~と、聞くともなしに笑い声に耳を傾けてたんだけど。
もしかしたら恋人同士なのかも。いや、それなら尚よし。ええ休日を!と降りるときもなんか話して笑いながら、二人並んで歩く後ろ姿をみながらおもう。
▲ やがて、わたしが降りる駅に着いて。いつものことながら駅に降り立つと、緑のにおいがつめたい山の風にのって、からだの中を通りぬけてくようで。「ああ、帰って来た」と思う。
単線の長閑な駅だけど、むかしは駅前から大台ケ原(■)行きのバスが出ていて、大きなリュックを背負った登山客も一杯やったんよね。駅前には売店に食堂も何軒か並んで、今からは想像できないくらいに賑わってたのになあ。
▲それでも川べりの道を走ると、色とりどりのテントや車が見え始め、河原でバーベキューしている家族連れがたくさん見えた。「にぎやかですねえ」と言うと、タクシーの運転手さんがぼやく。「せやけどね、あの人ら、ちょこっと、ここのコンビニで物買うくらいで、あとはゴミだけ残して帰らはる。鮎釣りの人も減ったしねえ・・・」
タクシーに乗るたび運転手さんはちがうけど、たいてい同じ話して、「ほな、ごゆっくり」「おおきに」と降りる。
▲ 一昨年、昨年と母は不調つづきで、本人がいちばん辛かっただろうけど、一緒に暮らす姉はもちろん、離れて何もできないでいるわたしらも重たい時間だった。
前述の『父の生きる』とは、父と母の違い、一人っ子と四姉妹のちがいはあるけど、年老いた親のきもち、娘の思いに、「そう、それ。そうやよねえ」と思うところが一杯あって。そのつど、一緒に怒ったり、しんみりしたり、切なさに胸がつまったりした。
▲とりわけ、伊藤さんがカリフォルニアにいるときは毎日お父さんに電話する、その様子に共感するところが多かった。話してても楽しいときばかりじゃないもんね。当たり前だけど、離れていると電話の前にどんな状態だったかわからない。こっちがうれしいことがあってごきげんなときでも、向こうは不調なときもある。会話が続かないときだってあるし、同じことの繰り返しの日も。
タクシーに乗るたび運転手さんはちがうけど、たいてい同じ話して、「ほな、ごゆっくり」「おおきに」と降りる。
▲ 一昨年、昨年と母は不調つづきで、本人がいちばん辛かっただろうけど、一緒に暮らす姉はもちろん、離れて何もできないでいるわたしらも重たい時間だった。
前述の『父の生きる』とは、父と母の違い、一人っ子と四姉妹のちがいはあるけど、年老いた親のきもち、娘の思いに、「そう、それ。そうやよねえ」と思うところが一杯あって。そのつど、一緒に怒ったり、しんみりしたり、切なさに胸がつまったりした。
▲とりわけ、伊藤さんがカリフォルニアにいるときは毎日お父さんに電話する、その様子に共感するところが多かった。話してても楽しいときばかりじゃないもんね。当たり前だけど、離れていると電話の前にどんな状態だったかわからない。こっちがうれしいことがあってごきげんなときでも、向こうは不調なときもある。会話が続かないときだってあるし、同じことの繰り返しの日も。
▲だから次のこの一節には苦笑い。
せやかてね、結局気になって、あまり日を置かずにこっちから又電話してしまうんやから。
《「今晩はもう電話したくない。明日もしたくない。しばらく電話しなければ父もなつかしくなって話したいと思うだろうか。しかしそこに何の保証もないから困っている。話したいと思わないかもしれない」》(2012.3.8カリフォルニア)
▲いちばんせつなかったのは、この一節。
《「今日仕事がおわったからほっとしてるの」と私が言ったら、
「おれは終わんないんだ」と父が言った。
「え?」とつい聞き返したら、
「仕事ないから終わんないんだ。つまんないよ、ほんとに。なーんにもやることない。なんかやればと思うだろうけど、やる気出ないよね。出ないんだよね。なんにもやる気が出ない。いつまでつづくのかなあ。ま、心配ないよ。へんな話だけど、あんたから電話かかってくると、おしっこもれそうになる」
「むかし、おとうさんに算数教えてもらってるとき、すぐトイレに行きたくなって叱られた、あれと同じようなものね。トイレ行った方がいいわよ、また明日ね」
「じゃ明日ね。ありがとう」》(2010.10.12カリフォルニア)
▲わが母のことに話をもどすと、今年に入って息を吹き返したみたいに元気になった。一昨年の膝の手術や昨年の思いがけない入院、転院などが想像以上のストレスになって、退院後も尾を引いていたのかもしれない。
いまは趣味の手芸や字を書くことにも、意欲が戻ってきたようで。歳相応にあちこち痛いとこも抱えてるものの、ずいぶん若返った。
最近は「オリンピックの年まで・・・」なーんてことばが母の口から出てきたりして。
「ええっ?東京オリンピックのこと?言うとくけど、わたし、それには反対やからな。・・・けど、2020年いうたら、あと5~6年やし。お母さん、まだいけるんちゃうか~」と冗談返せるほどになった。
▲ この日はわたしが着なくなった白い綿レースのブラウスを持って行ったら、喜んでさっそく着替えて、ついでにデイサービスに着てゆく服をコーディネートして、ファッションショーで(笑)もりあがる。
明日何着ていこか~と思う気持ちがもどってきたのは、なにもかも「今日」でおしまいにしたい、などと思ったりした人が、又明日のことを考えられるようになったってことで。
せやかてね、結局気になって、あまり日を置かずにこっちから又電話してしまうんやから。
《「今晩はもう電話したくない。明日もしたくない。しばらく電話しなければ父もなつかしくなって話したいと思うだろうか。しかしそこに何の保証もないから困っている。話したいと思わないかもしれない」》(2012.3.8カリフォルニア)
▲いちばんせつなかったのは、この一節。
《「今日仕事がおわったからほっとしてるの」と私が言ったら、
「おれは終わんないんだ」と父が言った。
「え?」とつい聞き返したら、
「仕事ないから終わんないんだ。つまんないよ、ほんとに。なーんにもやることない。なんかやればと思うだろうけど、やる気出ないよね。出ないんだよね。なんにもやる気が出ない。いつまでつづくのかなあ。ま、心配ないよ。へんな話だけど、あんたから電話かかってくると、おしっこもれそうになる」
「むかし、おとうさんに算数教えてもらってるとき、すぐトイレに行きたくなって叱られた、あれと同じようなものね。トイレ行った方がいいわよ、また明日ね」
「じゃ明日ね。ありがとう」》(2010.10.12カリフォルニア)
▲わが母のことに話をもどすと、今年に入って息を吹き返したみたいに元気になった。一昨年の膝の手術や昨年の思いがけない入院、転院などが想像以上のストレスになって、退院後も尾を引いていたのかもしれない。
いまは趣味の手芸や字を書くことにも、意欲が戻ってきたようで。歳相応にあちこち痛いとこも抱えてるものの、ずいぶん若返った。
最近は「オリンピックの年まで・・・」なーんてことばが母の口から出てきたりして。
「ええっ?東京オリンピックのこと?言うとくけど、わたし、それには反対やからな。・・・けど、2020年いうたら、あと5~6年やし。お母さん、まだいけるんちゃうか~」と冗談返せるほどになった。
▲ この日はわたしが着なくなった白い綿レースのブラウスを持って行ったら、喜んでさっそく着替えて、ついでにデイサービスに着てゆく服をコーディネートして、ファッションショーで(笑)もりあがる。
明日何着ていこか~と思う気持ちがもどってきたのは、なにもかも「今日」でおしまいにしたい、などと思ったりした人が、又明日のことを考えられるようになったってことで。
▲これから先のことはわからないけれど。でも、とりあえず、たったいま、の母の笑顔がしみじみとうれしい。《いつか死ぬ。それまで生きる。》と本の帯にあったけど。
母の生きている時間が、ちょっとでも長く愉しいものであってほしい。
▲ ジッカの二階には大きな窓があって、窓いっぱいに庭の古い桜の木が見える。
薄曇りの空をバックに葉っぱの緑が際立って、さわさわ、さわさわ、しずかに揺れて。川のざーざーがずーっと聞こえてる。ああ、これ。これ。この音が「わたしのよしの」と思う。
帰りは姉に車で駅まで送ってもらう。忙しい間のわずかな時間だったけど、姉とも喋って笑って。映画みたく大げさにハグしてわかれる。
母の生きている時間が、ちょっとでも長く愉しいものであってほしい。
▲ ジッカの二階には大きな窓があって、窓いっぱいに庭の古い桜の木が見える。
薄曇りの空をバックに葉っぱの緑が際立って、さわさわ、さわさわ、しずかに揺れて。川のざーざーがずーっと聞こえてる。ああ、これ。これ。この音が「わたしのよしの」と思う。
帰りは姉に車で駅まで送ってもらう。忙しい間のわずかな時間だったけど、姉とも喋って笑って。映画みたく大げさにハグしてわかれる。
▲駅のホームの隅っこ。トンネルに近いところに立って電車を待つ。ここはわたしの一番すきな場所。
思春期以降は息詰まるばかりに緑深いここから逃げ出したくて、トンネルのむこう 点のように小さく見える明かりが希望だった。
ここを抜けたら、抜けさえしたら、と思ってた。そうしたら、何かべつの、もうひとつの世界が待ってる気がしてたんよね。
果たしてトンネルの先にはやっぱり知らなかった広い世界があって、ええことも、おもしろいことも、そしてしんどいことも、いっぱいあって。でも、いまも、ここはわたしにとって とくべつな場所やなと思う。
*追記
その1)
今回もまた書きそびれたことがいっぱいあります。
ドキュメンタリー映画『アイ・ウェイウェイは謝らない』 ■や、梨木香歩さんの新著『海うそ』のこと。これはまた次回にでも、と思っています(つもり)
その2)
『父の生きる』に思いがけずパティ・スミスの「ラジオ・エチオピア」がでてきて、音量あげて聴いたあと、この曲思い出して聴く。
Patti Smith - This Is The Girl ■
思春期以降は息詰まるばかりに緑深いここから逃げ出したくて、トンネルのむこう 点のように小さく見える明かりが希望だった。
ここを抜けたら、抜けさえしたら、と思ってた。そうしたら、何かべつの、もうひとつの世界が待ってる気がしてたんよね。
果たしてトンネルの先にはやっぱり知らなかった広い世界があって、ええことも、おもしろいことも、そしてしんどいことも、いっぱいあって。でも、いまも、ここはわたしにとって とくべつな場所やなと思う。
*追記
その1)
今回もまた書きそびれたことがいっぱいあります。
ドキュメンタリー映画『アイ・ウェイウェイは謝らない』 ■や、梨木香歩さんの新著『海うそ』のこと。これはまた次回にでも、と思っています(つもり)
その2)
『父の生きる』に思いがけずパティ・スミスの「ラジオ・エチオピア」がでてきて、音量あげて聴いたあと、この曲思い出して聴く。
Patti Smith - This Is The Girl ■
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by bacuminnote
| 2014-06-19 00:12
| 音楽
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