2012年 03月 21日
来る人ごとに。 |
▲ いつだったか電車の時間を気にしながらホームへ急ぐ途中、チラシの棚の器の写真と目が合った。吸い寄せられるように立ち止まり、そのチラシを手にちょっとの間 眺めてたんだけど。「あっ!電車が来る」と、あわてて二枚もらって、でもていねいにバッグの中に仕舞った。それは万博公園の中にある大阪日本民芸館 春季特別展 『武内晴二郎展』の案内。あまりにすてきだったので、一枚はおなじく器のすきな友人に送り、一枚は台所に貼って毎日ながめてた。まだかなあ、まだかなあ、と待ってようやく開館。
▲民芸館は万博記念公園の中にあって、ここにも時々書いている 「みんぱく」(国立民俗博物館)のすぐそばにある。出不精でくわえて方向オンチのわたしが迷うことなく(苦笑)ふらりと一人で出かけられる数少ない たのしいところ でもある。これで入館料(700円)が半分くらいだともっと気軽に行けるのになあ。そういえば、このあいだ国立国際美術館に行った相方が 特別展のチケットが1400円と受付で告げられ「『ええっ!?せんよんひゃくえんも!』と大きな声で言うてしもた」と言うので大笑いをしたんだけど。なんで日本の美術館や博物館は高いんやろか。
▲ まあ、そんなこんなを思いながらも万博記念公園に到着。
平日の午後の公園はいつものんびりとしている。ちょうど梅まつり、というのをやっていたこともあって、ほどほどに人はいて、でもゆったりとええ感じ。お年寄りのグループ、保育園の遠足、車椅子の方も多く、みなゆっくりゆっくり歩く。いつもはせかせか早足のわたしも、そのあとにつづく。
前をゆく車椅子の女性はわたしみたいに「ええ体格」で、椅子を押すおつれあいらしき人は痩せて小柄で。ふうふう言うて汗かきながら「ここ、もうちょっと行ったら梅林やで」とか「あそこの売店で帰りは休憩しよか。焼きそばもあるみたいやで」と話しかけてはる。若いカップルはともかく、年とった「ふたり」が、とりわけ男性が女性にやさしく、仲のよい様子は見ていて、じんわり、しんそこ うれしくなる。
▲ 久しぶりの民芸館は(冬季は休館)閑散としていて、ちょっとさびしい気もするけどうれしい気もして。
案の定 会場はしばらくの間わたし一人きりだった。
『武内晴二郎(1921~79)は大原美術館の初代館長、武内潔真(きよみ)の次男として岡山氏に生まれ、多くの美術品や工芸品に親しんで育ちました。中央大学経済学部に進学しますが、学徒動員で入隊。中国漢口にて戦傷を受け左腕を失います。復員後、倉敷市で作陶を開始。』(チラシより抜粋)
轆轤(ろくろ)は一人では回せないこともあり作品の多くは型物と呼ばれるもの。
▲ 会場に足をふみいれたとき、おもわず息をのむ。長らくこんなどきどきはなかった気がする。
黄釉流描角平鉢 おうゆうながしがきかくひらばち、呉須釉・飴釉押紋手 ごすゆう・あめゆうおしもんで、鉄砂櫛目蝋抜壺 てつしゃくしめろうぬきつぼ、灰釉縁柿釉押紋手鉢 はいゆうふちかきゆうおしもんでばち。
ひとつひとつの器や皿の前に立ち、ちいさく声にだして読んで(呼んで)みる。
先に進みがたく、前にしゃがみこんでみる。すこし離れて立ってみる。
そのうち、二人連れ、三、四人のグループの方が入ってこられて、感嘆の声と世間話が入り乱れはじめて がっかりしたけれど。
気になったのは初めのうちだけで、あとはやっぱりじっと見入ってた。
▲ どれくらいそうしていたのか。気がつくと展示室には再びわたし一人きりとなって。
次に行く前に「ちょっと」というような気持ちで、ガラスケースの中に展示されていた武内の書簡をのぞいた。
黄ばんだはがきが何枚か並んでいて、説明には 柳宗悦から武内へのはがきとある。
それはどれも作品を柳に見てもらうべく送ったあと、受け取ったという報告のものなんだけど。陶芸一本で歩んでいけるか、と悩む武内に柳がじつにあたたかく力強くはげましている。
▲ 『お便りに 濱田のやうな芦や笹の絵を持ち合わせぬので、踏切りがつきかねると書いておりますが、そんなものは一つも要らないでせう。 無地だってよいではありませんか。只の丸紋でもいい筈です。』(1958.1.13)
『君の近作、特に無釉の鉢は濱田も大変感心し芹沢君もかういうものを使いたいと話してゐました。来る人毎披露してゐます。』(1959.6.7)
『二箱到着。今解荷。惜しい事に一個(黒柿流し)は大破してつきました。併し、中々力のこもった作品に感心しました』(1960.11.16)
(以上、館内でのわたしのメモ書きをたよりに書いているので読み間違い、写し間違いがあったらすみません)
▲ 批評ではなく、あの器がよかった、好きでした。と、どれもやさしいことばが、昔のちょっと小ぶりのはがきに鉛筆で綴られて。
中には『◯を一番感心しました』と絵を描いて作品をほめ、ある時は『窯の経済に役立つ』と収入を助ける道について書かれていたり。いまみたいに宅配便で今日出して明日着く時代やないから。何日もかかってやっと来た荷物を解き、武内晴二郎の器や皿を「来る人ごとに披露している」柳宗悦がうかんでくるようで胸があつくなる。
▲ それにしても、人が少ないのをいいことに、ほんまゆっくりさせてもろて。
特別展ですっかり長居のあとは、併設展で英国の古陶スリップウェアやそば猪口をうっとりながめ、ようやく外に。空は灰色が濃くなってたけど、樹々のまにまにみえる紅やピンクや白の梅花がそんな空の色によく映える。
長いこと立ちっぱなしやったからか、ちょっと足がいたい。せやから、ゆっくりゆっくり歩いては、立ち止まる。
知らなかった木のなまえを確かめては(黄色のかわいい花はミズキ科 サンシュキ!)また歩き。モノレール駅に到着。おつかれさん。たのしかったなあ。また来よう。(以上ひとりごとナリ)
*追記
『武内晴二郎 ー眼で作った仕事ー 』は7月22日まで 大阪日本民芸館にて。
▲民芸館は万博記念公園の中にあって、ここにも時々書いている 「みんぱく」(国立民俗博物館)のすぐそばにある。出不精でくわえて方向オンチのわたしが迷うことなく(苦笑)ふらりと一人で出かけられる数少ない たのしいところ でもある。これで入館料(700円)が半分くらいだともっと気軽に行けるのになあ。そういえば、このあいだ国立国際美術館に行った相方が 特別展のチケットが1400円と受付で告げられ「『ええっ!?せんよんひゃくえんも!』と大きな声で言うてしもた」と言うので大笑いをしたんだけど。なんで日本の美術館や博物館は高いんやろか。
▲ まあ、そんなこんなを思いながらも万博記念公園に到着。
平日の午後の公園はいつものんびりとしている。ちょうど梅まつり、というのをやっていたこともあって、ほどほどに人はいて、でもゆったりとええ感じ。お年寄りのグループ、保育園の遠足、車椅子の方も多く、みなゆっくりゆっくり歩く。いつもはせかせか早足のわたしも、そのあとにつづく。
前をゆく車椅子の女性はわたしみたいに「ええ体格」で、椅子を押すおつれあいらしき人は痩せて小柄で。ふうふう言うて汗かきながら「ここ、もうちょっと行ったら梅林やで」とか「あそこの売店で帰りは休憩しよか。焼きそばもあるみたいやで」と話しかけてはる。若いカップルはともかく、年とった「ふたり」が、とりわけ男性が女性にやさしく、仲のよい様子は見ていて、じんわり、しんそこ うれしくなる。
▲ 久しぶりの民芸館は(冬季は休館)閑散としていて、ちょっとさびしい気もするけどうれしい気もして。
案の定 会場はしばらくの間わたし一人きりだった。
『武内晴二郎(1921~79)は大原美術館の初代館長、武内潔真(きよみ)の次男として岡山氏に生まれ、多くの美術品や工芸品に親しんで育ちました。中央大学経済学部に進学しますが、学徒動員で入隊。中国漢口にて戦傷を受け左腕を失います。復員後、倉敷市で作陶を開始。』(チラシより抜粋)
轆轤(ろくろ)は一人では回せないこともあり作品の多くは型物と呼ばれるもの。
▲ 会場に足をふみいれたとき、おもわず息をのむ。長らくこんなどきどきはなかった気がする。
黄釉流描角平鉢 おうゆうながしがきかくひらばち、呉須釉・飴釉押紋手 ごすゆう・あめゆうおしもんで、鉄砂櫛目蝋抜壺 てつしゃくしめろうぬきつぼ、灰釉縁柿釉押紋手鉢 はいゆうふちかきゆうおしもんでばち。
ひとつひとつの器や皿の前に立ち、ちいさく声にだして読んで(呼んで)みる。
先に進みがたく、前にしゃがみこんでみる。すこし離れて立ってみる。
そのうち、二人連れ、三、四人のグループの方が入ってこられて、感嘆の声と世間話が入り乱れはじめて がっかりしたけれど。
気になったのは初めのうちだけで、あとはやっぱりじっと見入ってた。
▲ どれくらいそうしていたのか。気がつくと展示室には再びわたし一人きりとなって。
次に行く前に「ちょっと」というような気持ちで、ガラスケースの中に展示されていた武内の書簡をのぞいた。
黄ばんだはがきが何枚か並んでいて、説明には 柳宗悦から武内へのはがきとある。
それはどれも作品を柳に見てもらうべく送ったあと、受け取ったという報告のものなんだけど。陶芸一本で歩んでいけるか、と悩む武内に柳がじつにあたたかく力強くはげましている。
▲ 『お便りに 濱田のやうな芦や笹の絵を持ち合わせぬので、踏切りがつきかねると書いておりますが、そんなものは一つも要らないでせう。 無地だってよいではありませんか。只の丸紋でもいい筈です。』(1958.1.13)
『君の近作、特に無釉の鉢は濱田も大変感心し芹沢君もかういうものを使いたいと話してゐました。来る人毎披露してゐます。』(1959.6.7)
『二箱到着。今解荷。惜しい事に一個(黒柿流し)は大破してつきました。併し、中々力のこもった作品に感心しました』(1960.11.16)
(以上、館内でのわたしのメモ書きをたよりに書いているので読み間違い、写し間違いがあったらすみません)
▲ 批評ではなく、あの器がよかった、好きでした。と、どれもやさしいことばが、昔のちょっと小ぶりのはがきに鉛筆で綴られて。
中には『◯を一番感心しました』と絵を描いて作品をほめ、ある時は『窯の経済に役立つ』と収入を助ける道について書かれていたり。いまみたいに宅配便で今日出して明日着く時代やないから。何日もかかってやっと来た荷物を解き、武内晴二郎の器や皿を「来る人ごとに披露している」柳宗悦がうかんでくるようで胸があつくなる。
▲ それにしても、人が少ないのをいいことに、ほんまゆっくりさせてもろて。
特別展ですっかり長居のあとは、併設展で英国の古陶スリップウェアやそば猪口をうっとりながめ、ようやく外に。空は灰色が濃くなってたけど、樹々のまにまにみえる紅やピンクや白の梅花がそんな空の色によく映える。
長いこと立ちっぱなしやったからか、ちょっと足がいたい。せやから、ゆっくりゆっくり歩いては、立ち止まる。
知らなかった木のなまえを確かめては(黄色のかわいい花はミズキ科 サンシュキ!)また歩き。モノレール駅に到着。おつかれさん。たのしかったなあ。また来よう。(以上ひとりごとナリ)
*追記
『武内晴二郎 ー眼で作った仕事ー 』は7月22日まで 大阪日本民芸館にて。
▲
by bacuminnote
| 2012-03-21 21:46
| 出かける
|
Comments(0)