2016年 07月 23日
「40年ぐらい じきでっせ」 |
▲誕生日がきて、母はこのあいだ93歳になった。
あちこち痛いとこや、ツライとこもあるようだけど、なんとか元気に暮らしてる。
病院に行っては(「痛い」「しんどい」とお医者さんに訴えても)「まあ、けど◯◯さん、もう歳やからなあ」とソッコウ返されて「ちゃんと話聞いてくれはらへん」とぷりぷり怒ってる。(そのわりには、医師には遠慮して「怒る」なんてとてもできない世代でもある)
▲おもしろいもの見つけると「買う」のではなく、まずは、家にあるもんを使って自分で考えて「つくる」のがうれし、たのし~の工作好き。
最初はまねっこでも、そのうち、けっこうちゃんとしたものを作って「え?ほんまに自分で作ったん?」と娘にびっくりして(ほめて)もらうのがすきなひと(笑)
▲けど、いつやったかの工作~古いハタキの竹の棒を使った鉛筆接ぎ器には、さすがに辛口の娘(!)も唸った。短くなった鉛筆を捨てられないのも母らしいけど、竹の空洞部に鉛筆を差し込む、というありそうでなかったアイデア(笑)と、あの歳で竹の棒をノコギリで切るやなんてね(ノコギリなんて、わたし 何十年も持ったことないし・・)参りました。
▲そんな母の誕生日に、毎日一ページずつ、っていう漢字ドリルと、きれいな一筆箋やはがき(もう長い手紙は書けないというので)、ピンク色のファイルなど文房具セットを贈った。
ドリルが一日一ページでは物足りない(!)きれいなものかいらしいものに心ときめかせる母よ。オメデトウ。
▲そして、今日もまた夕ご飯拵えながら電話。
「暑いなあ」から始まって、お互いの痛いとこの話。それから、わたしがいま読んでる本のことや、今日は沖縄・高江で起こってることの話もした。以前は話の中にわからないことばが出てくると「ちょ、ちょっと待って。いまメモするし。もう一回言うて」と、即 書きつけてたようだけど。この頃は「そうかぁ。もうわたしには何が何か、ようわからんわ」と、ため息をついてる。(←それはわたしも一緒。ほんまむちゃくちゃやもん)
あ、そうそう。昨日旧友Jに会うたことも、もちろん報告する。
▲そのむかしは「あんたも、あんたの友だちも、みな変わってる」とつめたい母(苦笑)やったけど。わたしや「変わってる」と称された(すまん)友だちもみな歳とって、それなりに落ち着いたからか、この頃は「そら、まあ、ちょっと変わってるけど。みな、かいらしい、ええ子や」と評価が変わったんよね。
で、Jはその「かいらし、ええ子」の筆頭ってわけだ(笑)
▲友だちといえば、母にはいまも交流のある小学校と女学校時代の友だちが二人いて。
「あの子ら(←いつまでも少女!)かれこれ80年ほどのつきあいですわ」~なぁんてすまし顔で言うてるのを聞くと「おお80年 !! すごい~」と思う。
わたしも旧友たちとのつきあいをいつの日かすまして誰かに告げてみたい。
「わたしら、もうかれこれ80年ですねん」ってね。
▲いや、そうはいうても、80年になるにはまだ40年もあるのだった。すると母が笑いながら返してきた。
「そんなん~40年ぐらい じきでっせ」
▲さてさて。
このごろ朝早く目が覚めると、寝床でそのまま本を読んでいる。蝉の鳴き声はにぎやかやけど、小鳥の囀りも、涼しい風も心地いい。
今日はそんな寝床読書の『湯かげんいかが』(森崎和江著 東京書籍1982年刊) をようやく読み終えた。
▲著者が生まれた朝鮮でお風呂の思い出、まだお風呂に浸かるというのが贅沢だったころの話、炭鉱町や農村での共同風呂の話・・・。
とりわけ心に残ったのは著者がまだ炭鉱をよく知らなかった(昭和)三十年初期のころ。炭鉱住宅地の共同ぶろに知り合いに連れて行ってもらったときの話で。
あちこち痛いとこや、ツライとこもあるようだけど、なんとか元気に暮らしてる。
病院に行っては(「痛い」「しんどい」とお医者さんに訴えても)「まあ、けど◯◯さん、もう歳やからなあ」とソッコウ返されて「ちゃんと話聞いてくれはらへん」とぷりぷり怒ってる。(そのわりには、医師には遠慮して「怒る」なんてとてもできない世代でもある)
▲おもしろいもの見つけると「買う」のではなく、まずは、家にあるもんを使って自分で考えて「つくる」のがうれし、たのし~の工作好き。
最初はまねっこでも、そのうち、けっこうちゃんとしたものを作って「え?ほんまに自分で作ったん?」と娘にびっくりして(ほめて)もらうのがすきなひと(笑)
▲けど、いつやったかの工作~古いハタキの竹の棒を使った鉛筆接ぎ器には、さすがに辛口の娘(!)も唸った。短くなった鉛筆を捨てられないのも母らしいけど、竹の空洞部に鉛筆を差し込む、というありそうでなかったアイデア(笑)と、あの歳で竹の棒をノコギリで切るやなんてね(ノコギリなんて、わたし 何十年も持ったことないし・・)参りました。
▲そんな母の誕生日に、毎日一ページずつ、っていう漢字ドリルと、きれいな一筆箋やはがき(もう長い手紙は書けないというので)、ピンク色のファイルなど文房具セットを贈った。
ドリルが一日一ページでは物足りない(!)きれいなものかいらしいものに心ときめかせる母よ。オメデトウ。
▲そして、今日もまた夕ご飯拵えながら電話。
「暑いなあ」から始まって、お互いの痛いとこの話。それから、わたしがいま読んでる本のことや、今日は沖縄・高江で起こってることの話もした。以前は話の中にわからないことばが出てくると「ちょ、ちょっと待って。いまメモするし。もう一回言うて」と、即 書きつけてたようだけど。この頃は「そうかぁ。もうわたしには何が何か、ようわからんわ」と、ため息をついてる。(←それはわたしも一緒。ほんまむちゃくちゃやもん)
あ、そうそう。昨日旧友Jに会うたことも、もちろん報告する。
▲そのむかしは「あんたも、あんたの友だちも、みな変わってる」とつめたい母(苦笑)やったけど。わたしや「変わってる」と称された(すまん)友だちもみな歳とって、それなりに落ち着いたからか、この頃は「そら、まあ、ちょっと変わってるけど。みな、かいらしい、ええ子や」と評価が変わったんよね。
で、Jはその「かいらし、ええ子」の筆頭ってわけだ(笑)
▲友だちといえば、母にはいまも交流のある小学校と女学校時代の友だちが二人いて。
「あの子ら(←いつまでも少女!)かれこれ80年ほどのつきあいですわ」~なぁんてすまし顔で言うてるのを聞くと「おお80年 !! すごい~」と思う。
わたしも旧友たちとのつきあいをいつの日かすまして誰かに告げてみたい。
「わたしら、もうかれこれ80年ですねん」ってね。
▲いや、そうはいうても、80年になるにはまだ40年もあるのだった。すると母が笑いながら返してきた。
「そんなん~40年ぐらい じきでっせ」
▲さてさて。
このごろ朝早く目が覚めると、寝床でそのまま本を読んでいる。蝉の鳴き声はにぎやかやけど、小鳥の囀りも、涼しい風も心地いい。
今日はそんな寝床読書の『湯かげんいかが』(森崎和江著 東京書籍1982年刊) をようやく読み終えた。
▲著者が生まれた朝鮮でお風呂の思い出、まだお風呂に浸かるというのが贅沢だったころの話、炭鉱町や農村での共同風呂の話・・・。
とりわけ心に残ったのは著者がまだ炭鉱をよく知らなかった(昭和)三十年初期のころ。炭鉱住宅地の共同ぶろに知り合いに連れて行ってもらったときの話で。
▲お風呂の中で「女たちは誰も彼も恰幅がよく、よくしゃべる」大音響の湯けむりもあって、彼女は知り合いともろくに話もできず、落ち着かない。
そのうち、そのひとが湯を汲んできてくれたものの、どの辺でしゃがんだらいいものやら~それさえわからず、とりあえず湯桶のそばにしゃがんだとき。
▲【突然、ざぶりと背に湯がかけられた。
「洗うちゃろう。背中は自分ではよう洗えんもんね」
よくひびく声だった。肩に手をそえ、
「人にこすってもらうと気持ちよかもんね」
泡立つタオルでごしごしと洗われ出した。連れ立って来た女ではない。彼女は湯舟に入ったところだった。わたしはふりかえることもできずに、「すみません」と言った。
しっかり力をいれて、ていねいに洗ってくれる。脇腹も腰もお尻までごしごしとタオルは泡をとばした。
「洗うのも要領のあるもんね。撫でるごとそろそろ洗うたっちゃ音は出らんばい。音の出らにゃ気持ちようなかもんね」】(同書p36「わたしのふろ」より抜粋)
▲やがて、そのひとは石鹸の泡を流してくれて、やっと著者が首をまわし、こんどはわたしに洗わせて、と言ったら
【「よかよか、あたしゃもう洗うてもろうた、上がるとこたい」すたすたと上がり湯へ行った。】 (同書p35~37より抜粋)
▲【老いた人びとの話を聞いてわかってきたのは、大半の人びとが住み慣れた村を糧を求めて出て、各地の炭鉱を転々としていたということだった。(中略)
いわば、古い村と別れて。人びとのいやがる地底の苛酷な職につき、各地から集まった者で新しい村を作り出したわけだった。第二に村づくりには血縁地縁の論理とは別のものが軸になっていたのだ。その論理を越えて直接個人の人間性にふれることがここでは大事だった。湯に沈んでるわたしの心はいつまでも大きくゆれていた。あの人はわたしにたいへんなものを残して消えた。】(同書p39より抜粋)
▲読みながら、わたしも著者の横で、半ばおろおろ、半ばそわそわしながら共同風呂の隅っこにしゃがみこむ。わんわん響く女たちのおしゃべりの声も、湯気でくもった浴場も。脱衣場で裸で走り回る子どもらの姿も、すぐ目の前に浮かぶようだった。
▲そういえば。
信州で暮らしてた頃、大阪から相方の両親が訪ねてくると、きまって村営の温泉に皆で出かけたんだけど。
いつだったか女湯に義母とふたり入って、蛇口のまえで横に並んで顔を洗ったあと、からだを洗おうとタオルに石鹸をつけたとき、義母がとつぜんわたしの後ろにまわって「背中流したろ」と言わはった。
▲森崎さんやないけど、そういうときって、とっさにお礼のことばは出てこないもんで。何よりも、びっくりしたのと、恐縮する気持ちの方が先で。わたしも(森崎さんのように)「すみません」と言うのがやっとだった気がする。わたしはまだ三十代だった。
こういう場面では「おかあさん、背中ながしましょうか」とか、わたしが先に言うもんなんやろか?それって小津の映画の頃の話ちゃうん?(そもそもそんな場面が小津の映画にあるのか?)・・・と瞬時に頭の中が!?でいっぱいになったんだけど。
▲されるがままに、ごしごし大きな背中(!)を洗ってもろて、そんなことは、子どものとき以来かもしれなくて。とてもきもちよかったんよね。
*追記
その1)
森崎和江さんプロフィール~藤原書店HPでの紹介■
その2)
この間図書館で借りてきた本。
母と子でみる『「白バラ」を忘れない 反戦ビラの過去と今と』■(早乙女勝元 著・久保崎輯 絵 草の根出版会2009年刊)【「白バラ」とは、学生たちによるナチス・ドイツへの抵抗運動のビラの名で、その運動グループの呼称です】表紙の絵はゾフィー・ショル。
この本のシリーズ「愛と平和の図書館」は、とてもいい本揃いです。こういう本に会うと、いつも思うことは、出版の本来の目的である、子どもたちに読ませたい、読んでもらいたい~という思いは、どうやったら届くのかなあ~ということです。
子どもではないおばちゃんが借りてきてすんません~と思いながら。(■(←これは古書店のHP、目録です)
以前観た映画『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々』を思いだしています。
予告編■
その3)
『移動図書館 ひまわり号』(前川恒雄著)が夏葉社から復刊されました■この本のことはまた次回書きたいと思います(つもり)
その4)
沖縄・高江~
琉球朝日放送・報道制作部(7.22 18:35)のこの記事(とくに一番下の動画)ぜひ→■
その5)
きょうはこれを。
わたしも、このなかに入って風にふかれながら聴きたい。
Patrick Watson - Piano des villes, piano des champs→■
そのうち、そのひとが湯を汲んできてくれたものの、どの辺でしゃがんだらいいものやら~それさえわからず、とりあえず湯桶のそばにしゃがんだとき。
▲【突然、ざぶりと背に湯がかけられた。
「洗うちゃろう。背中は自分ではよう洗えんもんね」
よくひびく声だった。肩に手をそえ、
「人にこすってもらうと気持ちよかもんね」
泡立つタオルでごしごしと洗われ出した。連れ立って来た女ではない。彼女は湯舟に入ったところだった。わたしはふりかえることもできずに、「すみません」と言った。
しっかり力をいれて、ていねいに洗ってくれる。脇腹も腰もお尻までごしごしとタオルは泡をとばした。
「洗うのも要領のあるもんね。撫でるごとそろそろ洗うたっちゃ音は出らんばい。音の出らにゃ気持ちようなかもんね」】(同書p36「わたしのふろ」より抜粋)
▲やがて、そのひとは石鹸の泡を流してくれて、やっと著者が首をまわし、こんどはわたしに洗わせて、と言ったら
【「よかよか、あたしゃもう洗うてもろうた、上がるとこたい」すたすたと上がり湯へ行った。】 (同書p35~37より抜粋)
▲【老いた人びとの話を聞いてわかってきたのは、大半の人びとが住み慣れた村を糧を求めて出て、各地の炭鉱を転々としていたということだった。(中略)
いわば、古い村と別れて。人びとのいやがる地底の苛酷な職につき、各地から集まった者で新しい村を作り出したわけだった。第二に村づくりには血縁地縁の論理とは別のものが軸になっていたのだ。その論理を越えて直接個人の人間性にふれることがここでは大事だった。湯に沈んでるわたしの心はいつまでも大きくゆれていた。あの人はわたしにたいへんなものを残して消えた。】(同書p39より抜粋)
▲読みながら、わたしも著者の横で、半ばおろおろ、半ばそわそわしながら共同風呂の隅っこにしゃがみこむ。わんわん響く女たちのおしゃべりの声も、湯気でくもった浴場も。脱衣場で裸で走り回る子どもらの姿も、すぐ目の前に浮かぶようだった。
▲そういえば。
信州で暮らしてた頃、大阪から相方の両親が訪ねてくると、きまって村営の温泉に皆で出かけたんだけど。
いつだったか女湯に義母とふたり入って、蛇口のまえで横に並んで顔を洗ったあと、からだを洗おうとタオルに石鹸をつけたとき、義母がとつぜんわたしの後ろにまわって「背中流したろ」と言わはった。
▲森崎さんやないけど、そういうときって、とっさにお礼のことばは出てこないもんで。何よりも、びっくりしたのと、恐縮する気持ちの方が先で。わたしも(森崎さんのように)「すみません」と言うのがやっとだった気がする。わたしはまだ三十代だった。
こういう場面では「おかあさん、背中ながしましょうか」とか、わたしが先に言うもんなんやろか?それって小津の映画の頃の話ちゃうん?(そもそもそんな場面が小津の映画にあるのか?)・・・と瞬時に頭の中が!?でいっぱいになったんだけど。
▲されるがままに、ごしごし大きな背中(!)を洗ってもろて、そんなことは、子どものとき以来かもしれなくて。とてもきもちよかったんよね。
「ひとに洗うてもろたらきもちええやろ」と義母が言うて。ほんまやなあと思った。
仕上げにざあざあとお湯をかけてもろて、
「ほな、こんどはわたしが」と、義母の後ろにまわったのだった。
▲去年誕生日の1週間前に遠いとこにいかはった義母もまた、7月は誕生月だった。
ケッコンしてから毎年7月になると、いちばんにカレンダーにふたりのおかあさんの誕生日◯印をいれてたんよね。
35年の間には(あたりまえのことながら)うれしいこともつらいことも、ほんまにいろんなことがあったけど。
あの日 背中流してくれはったことわすれません。おかあさん ありがとう。
仕上げにざあざあとお湯をかけてもろて、
「ほな、こんどはわたしが」と、義母の後ろにまわったのだった。
▲去年誕生日の1週間前に遠いとこにいかはった義母もまた、7月は誕生月だった。
ケッコンしてから毎年7月になると、いちばんにカレンダーにふたりのおかあさんの誕生日◯印をいれてたんよね。
35年の間には(あたりまえのことながら)うれしいこともつらいことも、ほんまにいろんなことがあったけど。
あの日 背中流してくれはったことわすれません。おかあさん ありがとう。
*追記
その1)
森崎和江さんプロフィール~藤原書店HPでの紹介■
その2)
この間図書館で借りてきた本。
母と子でみる『「白バラ」を忘れない 反戦ビラの過去と今と』■(早乙女勝元 著・久保崎輯 絵 草の根出版会2009年刊)【「白バラ」とは、学生たちによるナチス・ドイツへの抵抗運動のビラの名で、その運動グループの呼称です】表紙の絵はゾフィー・ショル。
この本のシリーズ「愛と平和の図書館」は、とてもいい本揃いです。こういう本に会うと、いつも思うことは、出版の本来の目的である、子どもたちに読ませたい、読んでもらいたい~という思いは、どうやったら届くのかなあ~ということです。
子どもではないおばちゃんが借りてきてすんません~と思いながら。(■(←これは古書店のHP、目録です)
以前観た映画『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々』を思いだしています。
予告編■
その3)
『移動図書館 ひまわり号』(前川恒雄著)が夏葉社から復刊されました■この本のことはまた次回書きたいと思います(つもり)
その4)
沖縄・高江~
琉球朝日放送・報道制作部(7.22 18:35)のこの記事(とくに一番下の動画)ぜひ→■
その5)
きょうはこれを。
わたしも、このなかに入って風にふかれながら聴きたい。
Patrick Watson - Piano des villes, piano des champs→■
▲
by bacuminnote
| 2016-07-23 19:38
| yoshino
|
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