ふく風も空の青も雲の形も、今朝は秋そのものだった。
散歩途中にすれちがう自転車の若い子(毎度思い切りペダル漕いで走ってる)の首には送風機?が掛かってなくて。いつもサンダルをペタペタ音たてながら犬散歩のおじさん、きょうはしずかやな〜と思ったらソックスも靴も履いてはって。マスクの下でひとり笑ってしまう。
▲かくいうわたしもきょうはプラス一枚で出てきたのだった。涼しいと、体が軽くなったみたいに背筋伸ばして(たぶん)さっさか、どこまでも歩けそうな気がして歩幅も大きくなってる。
で、こういう日は予定より早く「折り返し点」に到着する。でも、途中なんべんも立ち止まっては、空や木々見上げたり、足元の草花の名前をスマホで調べてみたり〜の時間もええもんで。
▲いま読んでいる『文にあたる』■(牟田都子著 亜紀書房2022年刊)は校正・校閲者の著者が一冊の本ができあがるまで、ゲラをくり返し読み込み資料と向き合う時間が語られて。活字好きにはとても興味深いエッセイなんだけど。その中に「どこまで赤くするか」という一編があり「立ち止まった」。
校正といっても、その対象はさまざまで。《文芸誌の校正は新聞校閲の対局にあるといえるかもしれません。特に最初に担当したのは数々の文学賞の受賞作を掲載してきた純文学の雑誌でしたから、文法的な正確さや論旨の明確さより、著者の文体、表現としての意図が優先されることもありました。句読点ひとつでさえ著者の「表現」であり、「誤り」と見えたとしてもそうではない可能性を常に考えながら疑問や指摘を出す》(p32)という。
▲そこで『未明の闘争』(保坂和志著 講談社2013年刊)の冒頭の一文《私は一週間前に死んだ篠島が歩いていた》が引用されており。《著者自ら単行本化の際のインタビューで「文法的におかしいセンテンス」だったと振り返るだけあって、のっけから読者を立ち止まらせずにはおきません》とある。たしかに。開けた扉の前で、わたしやったら?〜見なかったことして(苦笑)先に進むか、足踏みしたまま扉を閉めてしまうやろか。
牟田さんは校正者として《自分がこれを校正する立場だったらと悩みます》と、初校ならどうか、再校なら、まして《雑誌掲載時から数えて三度目になる単行本化の校正でさえ、黙って見過ごすことは難しいように思います》と語る。
▲もうここを読んだだけでも、校閲・校正という仕事の難しさや深さや、何度もかわされたであろう校正者、編集者、著者のやりとりを、誌面には残らない時間を想像して、ふううと長い息を吐く。と同時にふだん何気なく読んでいる「本一冊」の重みを感じるのだけれど。
《著者はこの不穏な一文から始まる小説を「文章というのは記号としてたんに頭で規則に沿って読んでいるだけでなく、全身で読んでいる。だから文法的におかしいセンテンスは体に響く。これはけっこうこの小説全体の方針で、私はその響きを共鳴体として、読者の五感や記憶や忘れている経験を鳴らしたいと思った」というのです》(p33 )
▲これは話さねば〜と例によって朝パンを齧りながら、つれあいに音読する。(数年前から活字が読みづらくなっているので、話題にしたい、気になる箇所はいつもわたしが音読します)というのも、かれは「読みやすい」や「わかりやすい」より所々で立ち止まり考えながら、また戻って読み返すような作品(文章)を好んでいるから〜なんだけど。
▲で、その続きで、わたしの古いノートにあった大江健三郎氏のインタビュー記事の切り抜き(1995年4月26日朝日新聞 「大江健三郎の世界」インタビュー・構成 佐田智子)の話になって。これ、見出しには「難解といわれる悲しみ」とある。このころは、ちょうど氏の『燃えあがる緑の木』三部作が出版されたときであり、完結直後に地下鉄サリン事件(1995.3.20)が起こったことから予言的作品といわれたりもしていたらしい。
出版当時この本を読んだかれの感想を聞きながら「信仰集団の成立と崩壊」を描いているという長編小説に、遅ればせながら関心をもつが、それはさておき。この記事の中印象に残った「わかりやすい」「わからない」について〜少し長くなるけれど書き写してみます。
▲《僕は書き直しを五回も六回もやる。できるだけ誤解される余地がないように書きたいわけです。それが文章を明快に書くことだと信じてきた。が、難解と言われて、読むことをやめられてしまうと、荒涼とした風が吹いてくるような気持ちを持ちます。》
《外国で「今あなたが言っていることはよくわからない」といわれるのは、反問して聞いてくれることなんですね。日本で「よくわからない」というのは、相手を拒否する言葉なんです。わかる意思がない。わかる必要もない、と。
僕は労作と訳されるトラバーユという言葉が好きです。苦しんで成し遂げる、働く、ことがトラバーユだと思いますけど、今の人たちが言うのは逆でしょう。やりやすい仕事に変わることをいう。
この国の文化では難しいものは敬遠される。ものを考える、表現する労作を、自分もその労作に参加して評価しよう、という人の少ない時代になってきているのではないかと思うんです。》(ここで記事終わり)
▲27年も前の記事だけど「難しいものは敬遠される」「この国の文化」は、その後もっとひどいことになっているのは、言うまでもなくて。結果、立ち止まらず、ものを考えず、簡単な方に、わかりやすい方に〜と社会全体が傾いており。流れを阻むような「めんどうくさいひと」は放っておかれる有様だ。
いや、そもそも。政治も文学も「難しいもの」なんだろか? 市民の〜こどもにも大人にも、すぐ手の届くところに本来ある(べき)ものじゃないのか。「難しく」見せている/思わせているのはいったい誰、そしてそれは何のために、と思う。
*追記
その1)
わたしが当時何を思ってこの記事を切り抜きノートに貼ったのか、記憶にないんだけど。唯一覚えていたのは記事の写真の下に書かれた大江氏のことばです。
《漱石は『こころ』で、記憶して下さい、私はこんな風にして生きてきたのです、と書いている。僕も生きてきたすべてを、最後の小説で書いたと思う》
記事中の「今の人たちが言うトラバーユ」というのが一瞬ピンとこなかったんだけど。そういえば80年代に『とらばーゆ』という女性の就職・転職求人雑誌があり、「とらばーゆする」という流行語もあったなあ。今調べたら1980年に創刊(byリクルート)。1999年男女雇用機会均等法が改正され募集・採用に関し男女差を設けることが禁じられてからは男女を対象に変わり、その後紙媒体は2009年9月に休刊。現在はwebに移行、とのこと。(by wiki)
その2)
朝いちばん散歩するようになって、足の具合はまずまずなんだけど、散歩からもどってシャワー浴びたら、もう一日の終わりのようで、あとはビール飲んで寝るだけ〜(朝から飲みませんし、寝ませんが。苦笑)みたいな気分になって、ぼんやりしてたらあっという間にお昼ごはんで。昼食後は眠くてぼんやりしてる間に夕ご飯で。つまり一日の大半をぼんやりとご飯拵えとご飯食べてる今日このごろ。
そんなわけで、読みたい本はいっぱいあるのに、集中力がまるでなくて、あっち読みこっち読み。感想や紹介を書けないままです。
コロナの嵐が落ち着いたら「あのとき、あんなに長い間どこにも行かず家にこもってたのに。なんで本読めんかったんやろなあ」とか思うのかなあ〜
けれど、前述の本『文にあたる』の「おわりに」にあった一節に、いまのような時間もまた"bakubaku on reading"かもしれへんな〜と思いながら。
《本を読む、というときの「読む」はかならずしも通読を意味しません。書店や図書館に並ぶ無数の本の中から一冊の本に目がとまる。本から発せられているなにかにつき動かされるように手を伸ばすその瞬間、人はすでに本を「読んでいる」といえるのではないでしょうか》(p249)
その3)
今日は韓国映画2本『アイ・キャンスピーク』『雪道』のこと、それからおなじく韓国ドラマ『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』の「食」について書くつもりだったのに、しらんまに違う方に歩いてしまいました。こんどこそ。
その4)
まだ8月なのに登校の子らをみて「登校日か部活やろか?」とか言うてた「夏休みは8月31日まで〜と思い込んでる古い世代」のわたしら。教室に冷房設備ができた、こともあるのだろうけれど。退屈したり、暇にしてたらあかんの?
2学期がしんどい子に、ガッコに行きたくない子に、ひとつでも居場所がありますように。「上手く呼吸のできる世界」がありますように。
何度か書いてる気がするけど、再度。2012.7.8ブログ「そのなかのひとつ」→■
そして、きょうはこれを聴きながら。
♪bad day, looking for a way home, looking for the great escape〜
The Great Escape -Patrick Watson ■