「女はいつでん ねむかとやけんね」 |
一眠りするたびに、なんかどんどん前に進んでゆく感があって。とうとう年末の買い出しもできないまま(掃除など、言わずもがな・・)よくならへんまま、わたしの2018年は「風邪と共に去りぬ」であった。
▲いや、去ったのは2018年だけ。風邪は依然勢力を落とさないまま越年と相成った。高熱があったわけでもなく、節々が痛むこともなくて「ただの風邪」のはずが、あっち向いてもこっち向いても身の置所のないしんどさに、ふかく大きなため息を何度もついた。
その回復の遅さとしんどいのには、ほとほと泣かされて。ああ~歳やなあ、と痛感。
家事はつれあいと息子2にまかせて、おかゆを炊いてもらい、お白湯やみかんを寝室に持ってきてもろて(おおきに!)。今年は息子1とパートナーは共に仕事で帰省できなかったので、いつもの三人組の静かな、文字通りの「寝正月」だった。
▲「寝正月」というたら、むかし祖父母亡き後の両親はまさにそれであり。「今年」が「去年」になる頃ようやく仕事を終えてたんやから、無理もない話なんだけれど。いまとちがって、わたしのこどもの頃はまだまだお正月は「とくべつな日」であり、晴れ着姿で初詣に歩いてはる一家など見ると、しんそこうらやましかったものだ。
それでも母がゆっくり眠れるのは、こども心にもほっとした。
▲先日観た『めし』(成瀬巳喜男監督 1951年公開)という映画に、主人公の三千代(原節子)が夫(上原謙)とぎくしゃくすることが続いて、東京の実家に帰る場面があるんだけど。帰ってからずーっと眠ってる姿に兄が呆れて「まだ寝てるのか?」と言うと母親(杉村春子)が「眠いんだよ。女は」と応えてたっけ。
義母もむかし実家に「帰る楽しみは寝ること」と言うてはったのを思い出していた。「お母ちゃんがな、わたしの帰りを今か今かと玄関先に立って待ってくれてるのに、帰ってくるなり半日は寝てた」「なんせ、いっつも眠たかったんよ」と笑いながら話してた。
▲いま、これを書きながら、そういえばずいぶん前に読んだ本に、その名も「おんなの昼寝」という脚本家の市川森一氏のエッセイがあったことを思い出した。(ここにも書いたので→■くりかえしになるけど、とてもいい作品だったので少し書いてみます)市川氏の生家は古くからの呉服屋さんで。一方母親は、おこし屋(米の干菓子)の生まれだったそうだ。おこし屋さんの職人さんも家の人も皆早起きだったので、(母親の)実家では昼過ぎには昼寝、三時にはおやつ、という習慣があったらしい。
▲結婚して《呉服屋の若奥さんになった母は嬉々としてこの良い習慣をここでも実施しようと夫や舅姑、使用人さんたちの前で高らかに提唱した。「昼寝とおやつはなかなかよか事ですばい」一瞬の気まずい沈黙のあと、番頭あたりが冗談めかしてとりなす、「店の者が皆昼寝しとったら、お客さんのさぞびっくいなさっとでしょ」》
▲ところがこの冗談も、お嬢さん育ちのお母さんには通じず「さいばさ(だからね)交替で順ぐりに昼寝すればよかよ」と返したらしい。いいぞ!そして、なかなか かいらしいお母さんだ。が、黙ってられないのが祖母(姑)で。「そぎゃん寝たりんなら独りでねんさいッ!そぎゃん喰いたりんならおやつでん何でん、独りで喰いんさいッ、家(うち)にはあんたのごたるいやしか者はおらんッ!」と返すのだった。
▲いやあ、その「いやしか者」としては(苦笑)どきんとするせりふなんだけど。このやりとりや商家のようすは、昔観た早坂暁脚本のドラマで大好きだった『花へんろ』(1985年~)を彷彿させて、わくわくする。やがて、戦争も末期となって物資統制で呉服屋は暖簾を下ろすことになり。そんなある夏の昼下がりのこと。
《祖母と母が、仲良く並んで昼寝していた。退屈虫の私が母を起こそうとすると、わきから祖母が「シーッ」と合図した。祖母はとうに起きていたのだ、どうやら病身の母の昼寝につき合っていたらしい。「もうちょびっと眠らせてあげんさい・・女はいつでん(いつでも) ねむかとやけんね」》(『オカン、おふくろ、お母さん』■「おんなの昼寝」(文藝春秋編)’91・6 より)
そして、そんなお母さんも39歳の若さで亡くならはるんよね。せつない。
▲わが母親は気の毒なことに実家もまた旅館であり、『めし』の三千代や義母のように里帰りも叶わず。
なかなか寝ない子(わたし)に「ええかげん早う寝なさい」と叱ったあとで「あああ~わたしもいっぺん誰かに”早う寝なさい”と言われてみたいわ~」とよくこぼしてたなあ。そんなふうに「ゆっくり眠りたい」が長年の夢だった母は、今ホームで「こんな寝てばかりでええんやろか?」とちょっとさみしそうだ。
*追記
その1)
新年のごあいさつが最後になりました。ここ数年は「あけましておめでとうございます」の「お・・」のところで、ぐっとつかえてしまいます。ほんまどっち向いても「おめでたい」からは、うんと遠いことばかりが起きているから。それでも、新しい年がちゃんとまた来てくれるのは、やっぱりうれしいし「今年こそは」という気持ちにもなります。
今年こそ、今年こそ、ちいさいひとにも、おおきいひとにも。どうか佳き一年になりますように。
そして、わたし同様相変わらずかわりばえのしないブログですが、今年もどうかよろしくおねがいします。
その2)
寝床で読んだ『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ著 斎藤真理子訳 筑摩書房2018年刊)■は、わたし→つれあい→息子2に。主人公のキム・ジヨン(韓国で1982年生まれでいちばん多いなまえらしい)は3年前に結婚して去年女の子を出産した33歳の女性。わたしの世代からすると娘/息子の世代なんだけど。何度もうなずき共感しながら読了しました。小説というより問題提起の物語。ぜひ。
その3)
そうそう。暮れに風邪でひいひい言うてるときに、思いがけず母から夫とわたし宛に、はがきが届いてびっくり。わたしからは、数え切れないほどたよりを出してるけれど、母から返事が来たのはこの一年半の間で一度だけで。
そういうたら、このまえ訪ねたときに「お世話になっただいじな人らに(書けるのは最後になると思うから)お礼のたよりがしたいねん」独り言のように言うてたなあ、と思い出しました。
そのときは、またどうせ「せやけど、この頃字がきれいに書けへん」とか~最後は「できなくなったこと」の愚痴を聞くのが嫌やなあ~といいかげんに流していたのでしたが(ごめん!)
「お世話になっただいじな人」の中に、わたしらが入っていたとは~郵便番号やホームの住所間違えてるとこあったけど(いやいや、そんなミスならわたしは日常茶飯事だ)娘夫婦に恥しくないようにと(たぶん)一生懸命きれいに書こうとした感じが伝わってきて。じんときました。
『母の前で』(ピエール・パシェ 著 根本 美作子 訳 岩波書店2018年刊)■は百歳を超えて老化の進行する母親に、作家である息子が向き合う、そのやりとりが綴られます。
栞代わりに母からのはがきを挟んで。いま読んでいるところです。
その4)
今日はこれを聴きながら。風邪をしっかり治して、ああ、また早う旨いウイスキーがのみたい。
Randy Newman - Rollin' (1974)■